2021年09月17日

アヤ・ドメーニグ「サイレント福島」

たわしの映像鑑賞メモ056
・アヤ・ドメーニグ「サイレント福島」2021公開
 これは特別無料公開されたドキュメント映画です。出てくるひとたちは、反原発で動いてるひとたち、粘り強く訴え続けて行く姿に感銘を受けました。わたしは、個別課題にのめり込むということが出来得ていません。障害問題での障害関係論の宣揚はやっていますが、そのことだけに集中はできません。むしろ反差別というところで、個別差別の問題をつなぐ、そして運動的な連携の模索をしています。ですから、ここで出てくるひとたちのようにひとつのことに焦点を絞って、取り組んでいるひとたちにあこがれというか、うらやましい思いを抱いてしまいます。ですが、それぞれがそれぞれの立場でやれることをやっていくしかないことなのです。とにかく、ここにひとがいて、運動があるという素敵な記録です。ホームページに貼りつけられた監督の文を転載しておきます。

11年前、私は原爆投下後、医師として広島赤十字病院で救護に携わった祖父に関する映
画を制作し始めました。

制作中に原爆投下後、広島の異なる病院で救護活動に従事していた肥田俊太郎医師と元看護師の内田千寿子さんに出会い、この二人は私のドキュメンタリー『太陽が落ちた日』の主要な主人公となりました。
福島の原発事故後も、自分たちの経験を人々に伝え、原子力の危険性を訴えるために全力を尽くしていた二人のたゆまぬ努力に、私は深く感銘を受けました。

私の新作『サイレント・フクシマ』の主人公たちは、肥田先生や内田さんの後継者だと思っています。 オシドリ・マコとケン、中筋純、アーサー・ビナード、土井敏邦らは、それぞれ独自の方法で、福島原発事故の事故処理をめぐる政治や社会の不始末に注意を喚起しようとしています。私は彼らの忍耐力と人間性に感銘を受けました。
この複雑な世界で一人の人間として何かを変えるのは不可能だと思う時も映画の主人公たちは私に勇気を与えてくれます。一般市民として目醒め、自分のできる範囲で介入しなければならないということを思い知らせてくれます。彼らの印象的な強いパーソナリティーによって、多くの人にインスピレーションを与えることができるのだと確信しています。

オリンピックが開催され、日本が福島のいわゆる「復興」を世界にアピールしようとしている今、一人でも多くの人にこの映画を見てもらえれば嬉しいです。 コロナウイルスの大流行にもかかわらず、日本国民の意思に反してオリンピックが開催されているという事実は、オリンピックが実際には誰のために開催されるのかということを、改めて明確に示しています。

権力者は、福島の被災者だけでなく、今や日本の大多数の人々を無視しているようです。日本の多くの人々がこの事実に気づき社会における連帯感が高まるならそれはとても理想的なことでしょう、忘却の影の中に置き去りにされてはならない福島の犠牲者との連帯感も強めて。
アヤ・ドメーニグ


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NHKEテレ「精神科病院×新型コロナ」

たわしの映像鑑賞メモ055
・NHKEテレ「精神科病院×新型コロナ」 2021.7.31 23:00〜24:00
 コロナウィルスでクラスターが発生しているところに劣悪な環境下で隔離・収用体制をひいている精神科病院があり、そこで、ちゃんとした治療も受けられないまま、死んでいったひとたちがいて、精神科医療自体の矛盾が指摘されています。
 この番組のなかで指摘されていたこと。世界の精神科病院に入院しているひとたちの二割を日本が占めていて、その数27万人とのことです。しかも、医療スタッフ精神科特例ということで他の病院の医者の数三分の一、看護は三分の二とのこと、この番組の中で、ひとつの部屋に大勢のひとが詰め込まれている様子や、その病院の劣悪な情況が出てきていて、しかも、今回のコロナで、南京錠を付けて監禁したという話も出ています。
 わたしがもっと驚愕したのは、精神科病院の全国組織のひとが、精神科病院は治安維持という役割を担ってきたのだから、精神科の待遇改善をすることだと言っていました。病院は治療をするところで、治安施設ではないはずです。何かとんでもない勘違いの元で精神科医療体制が作られてきたのです。また、医者が「このひとたちは、社会的差別のなかで、行くところがなくなっているから、精神科病院はなくせない」というような話をしているのです。そんな体制を自分たちが作ってきたという自覚と反省がないのです。世界の精神科病院をなくしていく動向も押さえていないし、ハンセン病療養所の隔離収容体制を誤りだと反省して、少なくとも強制隔離体制を解除して生活保障施設に変えていった歴史も押さえていません。
 この番組は、コロナウィルス感染のなかでの精神科病院の情況を暴き出したという意味では、有意義な番組ですが、その矛盾が何所にあるのかを押さえていません。このような番組は、かわいそうなひとたちということで、宿命論的なことで終わってしまいます。かわいそうな人たちにしてしまっているひとたち、それは医療関係者だけでなく、政治や一般民衆の責任なのです。運動をやっている当事者の協力を得て、あらためて、ちゃんと掘り下げた番組を作っていく必要があると思っています。


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2021年08月16日

内海聡『医師が教える新型コロナワクチンの正体 本当は怖くない新型コロナフィルスと本当に怖い新型コロナワクチン』

たわしの読書メモ・・ブログ563
・内海聡『医師が教える新型コロナワクチンの正体 本当は怖くない新型コロナフィルスと本当に怖い新型コロナワクチン』ユサブル2021
 この本は、前の読書メモに書いた天笠さんの本を買いに行った本屋の店頭で、一緒に並べて置いていた本です。タイトルからして疑問を感じたのですが、一応読んでおこうと買い求めました。本の中でQファノンの陰謀論を批判しています。そんな陰謀論を展開しているひとがいるから、まっとうな指摘が陰謀論として排除されるのだという指摘です。ですが、著者も陰謀論的なところに陥っています、Qファノン陰謀論が批判されるのは、論理的におかしいからです。Qファノン陰謀論はそもそも偏見を煽るだけで論理性などないに等しいのですが。この本も、情報として得るところもあるのですが、論理的にきちんと展開されているとは言い難いことがあって、こんな本は、逆に、今広がつている「ワクチン批判はデマだ」という論拠にされるのではと、感じてしまいました。
 情報として得るところと論理的におかしいことを指摘しておきます。
 情報として得るところの大きかったところは、ワクチンの危険性とか、自然免疫力の考え方か、いろいろ指摘してくれていることです。このコロナウイルス自体を過小評価しているとはいえ、この本のタイトルの「本当は怖くない新型コロナフィルスと本当に怖い新型コロナワクチン」ということは、きちんと押さえて置く必要があると思っています。
 論理的におかしいことは、第一に、ワクチンの副反応と感染症被害とのとらえ方がダブルスタンダードになっていること。すなわち、ワクチン被害は大きくとらえ(逆にいうとワクチン効果は少なくとらえ)、感染症被害は小さく見せようとしていること。また、第二に、PCR検査を批判している内容は、これまでのPCR検査をめぐる議論との対話がきちんとなされているとは思えないこと。そして、第三に、第二のこととも内容的には同じですが、マスクに関する議論は、いろんなシュミレーション実験をしながら、議論がなされてきたのですが、その議論との対話がなされないで、初期の議論のまま、マスク効果を論じていることです。
 もう少し詳しく押さえて見ます。
 第一のこと。そもそもこのコロナウイルスのおそろしさがなんであるのかを押さえているとは思えないことです。このひとは無症状者も感染源になることを否定しているようです。もし、そうならば、発症したひとだけを「隔離」するということで押さえられたことです。なぜ、感染がこれだけ広がり、問題になっているのは、無症状者も感染させることがあるということで、そのことはそれなりに立証されていることだとわたしは押さえているのですが、著者はそのことから覆そうとしているようなのですが、相手側の論理をきちんと書いてそれを批判していくという手法ではないので、この本を読んでも、「覆している」ようにはとてもとらえられません。そもそも、著者の書いていることが陰謀論的になっているというのは、政府とマスコミが、このコロナウイルスの危険性を煽ってきた、というとらえ方から来ています。そのこと自体が、間違えています。一部憲法改正のための緊急事態条項を創るためのきっかけにしようとしたとか、国民管理のためのIT導入の動きとリンクさせようという動きはありますが、政府の主たる動きは、経済優先と国威の発揚としてのオリンピック開催のために、このコロナウイルス感染症を小さくとらえようとしてきたのです。
 この著者の立場は、何も対策をしないというスウェーデン型の無対策になると思うのです。初期のイギリスも同じ対策をとろうとして感染の拡大をもたらし、首相自身が感染して、転換しました。ワクチン接種をして、もう一度最初に戻ろうとしているようですが、どうも危険な実験としかとらえられません。スウェーデンでもかなりの死者が出ています。 これは医療の否定のようなこと、過剰な医療批判はかねてからあり、そのことは一部わたしにもあります。その典型がワクチン問題とも言える事です。ただし、医療そのものの否定となると、現実に「病気」に苦しんでいるひと、「病気」で命をおとすひとを放置するのかとなると、医療を全否定はできなくなります。この本のタイトルは「医師が教える・・・・・・」となっています。そもそも医者を「特権的」にしていく「医師」などという言葉さえ使って、医者の立場を突き出しているのですから、医療を否定しているわけではなく、何をかいわんという思いを抱きます。
 それから、経済の問題から失業率が上がるとそのことによって死者が増える、コロナによる死者とどちらが多いのかという経済効率のような話をしていますが、そもそも感染症対策をしない、そして間違えることによって、経済が回らなくなるという今起きている事態をどうとらえるのでしょうか? そもそも、因果論的なことに陥っているのです。失業率が下がると自死者がでるというのは、そもそも補償とか、ベーシックインカムとかないところでの議論で、今回の日本のコロナによる危機的情況は、経済効率とかいうような話で医療保障を脆弱にしてきた中での危機ということ、そもそも今の社会体制の矛盾がこのコロナで一挙に噴出しているという問題なのです。今の社会のあり方から、根本的にとらえかえしていく必要があるのだと思います。
第二に、PCR検査の問題。そもそもこの検査法は十全な検査法としてとりあげられている訳ではありません。感染症対策は、何しもしないという無策にしないがきり、検査をしないと何も始まらないから、もっともベターな方法として使われているだけです。著者は擬陽性の問題を主に取り上げています。「死んだウイルス」とかいう表現があるのですが、ウイルスは生物と無生物の中間的存在で、無生物という性格からしたら、「死んだ」という表現はおかしいのです。著者も使っている「不活性化」という表現の方が妥当ですが、そもそも、そもそもウイルスの性格からして「不活性」ということかを見極めるのがむずかしく、幅広く感染の定義をとるしかなく、行動制限も広くとることになります。感染症対策が幅広く取るという基本からすることで、その被害ということは、感染症対策からしてやむを得ない処置ということで、周知徹底させ承認をとっていくしかないことです。確かに、ハンセン病のように感染の可能性が低いと分かっていて、何十年も隔離していたことの問題がありますが、どう長くとっても1ヶ月未満のことで、しかも、経験値で縮められてきています。これは保障をきちんとすれば、解決できることです。今、大体の議論的な収束点として14日ルールのようなことが創られています。むしろ問題は、偽陰性の問題です。これが、30〜40%でるということで、これが批判の対象になっていて、経済効率性の問題として「むやみにやっても仕方がない」とかいう話になっていました。しかし、感染者を見つけ出す方法として、一定の有効性があったことで、政府がなぜ検査を抑制したのか、まさに大きな失政の一つだとわたしは思っています。著者は「御用学者」とか言う言葉を使っていますが、御用学者とか忖度専門家とか言われているひとたちは、むしろ検査を進めようとしない政府の意向で方針を作り、政府がそれを維持していくことを支えていました。口だけで「検査の拡大」を唱えていましたが、ちゃんと実行しなかったのです。
さて、第三のマスク、これも初期のマスクがなくなる中で、御用学者が、「マスクは効果がない」という話をしていました。ですが、著者も取り上げている、欧米で感染が拡がりアジアでは拡がりも少ない(今、これはデルタ株出現で崩れてきていますが)「ファクターX」として「マスク文化」が指摘されていました。とにかくシュミレーション実験とかで、この感染症は飛沫感染やエアゾル感染の要素が大きいとかいう話が出て来て、マスクは被感染には効果が薄いけど(それなりに効果はある)、感染させることでは予防効果はそれなりにあるとされています。そのあたりの議論の進展を著者は押さえているようには思えません。
 この本を読んで疑問点を21個くらいメモしていました。だいたい前述の三点の指摘で中に織り込みました。
 巧く織り込めなかったこと二点だけ。一つは、「副反応」という言い方が拡がっていることに対して、著者は、ごまかしがそこにあるとしているのですが、わたしはむしろ、「副作用」というと、これまでの押さえ方として薬自体の害として押さえがちなのに対して、幅広く押さえようとして出てきた概念ではないかと推測しています。すなわち、ワクチン接種での注射に対する恐怖から心臓マヒを起こしたとか、いうと副作用ということよりも副反応として害をとらえられるからです。
もう一つは、著者はきちんとした分析をして、他の意見との対話の中で、自らの論を深めていくことが、できていないことの一つとして、どうもまだ中国=共産主義の国としてとらえ、中国の全体主義的動向を批判しています。今、自民党の論客の議員さえ、そのようなところから脱しているときに、です。わたし自身も「他山の石」として、自らの「きちんとした分析をして、他の意見との対話の中で、自らの論を深めていく」という姿勢をきちんと貫いていきたいという思いももって、この著者・著書との対話をさせてもらいました。


posted by たわし at 06:24| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天笠啓祐『新型コロナワクチン―その実像と問題点』

たわしの読書メモ・・ブログ562
・天笠啓祐『新型コロナワクチン―その実像と問題点』緑風出版2021
 この本は、「たわしの映像鑑賞メモ052・UPLAN天笠啓祐「一線を越えた生命操作〜新型コロナワクチン・ゲノム編集食品・RNA農薬〜」DNA問題研究会シンポジウム2021.6.13」でとりあげた講演会で紹介されていた本です。急遽、読書計画に挟み込みました。なお講演会のタイトル「一線を越えた生命操作」がこの本の、「終章 一線を超えた時代――生命操作とワクチン」とリンクしています。
著者はバイオテクノロジー関係でその危うさの警鐘を鳴らし続けているひとです。「図書新聞」に今年の上半期のお勧めの本として各界の論者が3冊くらい推薦本を上げているのですが、天笠さんも各界の論者に入っています。その肩書きは「ジャーナリスト」になっています。わたしは市井の学者というようにとらえていたのですが、科学批判を展開しているひとなので、「学者」ということでくくられることに拒否感があるのかも知れないと勝手に推測したりしていました。専門的知識は基礎から学んでいかないとなかなか理解しにくいのですが、それでも、天笠さんはかなり分かりやすく解説してくれているひとで、大雑把にそれなりに吸収させてもらいます。この本を探していて、もう1冊コロナワクチン関係の本を見つけ買っていますので、それを読んでメモを残してから、天笠さんの積ん読している本を何冊か読みます。
 今、日本政府はワクチンをコロナウイルスを押さえ込むための最も有効な方法として、時には菅首相が「唯一の方法」とまで言いながら(註1)、ワクチン接種を進め、ワクチンの危険性を指摘することに対して、「デマ」のレッテルを貼ろうとしています。今、マスコミは御用マスコミとリベラルに二分化される傾向があるのですが、リベラルととらえられているマスコミも「デマ狩り」に一緒になって動いています。これについて、いくつか批判の文を書いてきたのですが、今号巻頭言で政府関連のホームページに書かれていることに対話を試みています。わたしは報道番組で、すなわち映像からコロナウイルスやその感染症対策の情報を吸収してきたのですが、そこから延長して本も押さえて置きたいと、この本と次の本を読みました。
 この本とこれまでの知識との対話の中で結論的なことを書いておくと、今回のワクチンは、特に日本で接種しているワクチンは、遺伝子操作ワクチン(註2)と言えることで、しかも特例承認とか、緊急承認ということで、充分な検証がなされていないワクチンということです。とりわけ、晩発性の副反応とか、発がん検証とかがなされていません。そして、そもそも遺伝子操作という技術を使うことによって何が起きるか、そのことの議論がまず必要です。この本の中でワクチンの歴史も書かれています。ワクチンという予防手段が、その予防する感染症よりも、恐ろしいとかもあったりして、そもそも、接種する意味があるのかという議論ときちんと対話していく必要を感じます。特に、今回の遺伝子操作ワクチンは、遺伝子操作が何をもたらすかを考えた時、そのことの検証なしに、この技術は使ってはならないとまでも思うのです。
 この本は地球環境や社会・政策的なことやワクチンの歴史も含めて総体的に論じているわかりやすい本です。是非読んで欲しいと思います。
前述したように、この本は資料集めの意味ももって読んだ本、わたしが留意したところを切り抜いてメモにしておきます。
「・・・・・・しかも、今回使用されているワクチンは、「人間の細胞内で遺伝子を操作する」これまで経験がない働きをするものであり、大規模な人体実験に当たるものだった。」10P
「最初に述べたいことは、新型感染症発生の根本的原因と、根本的対策とは何か、という視点である。これを怠れば、再度、再再度、繰り返し新型ウイルスがやってきて、日常生活は苦しめられることになる。その根本的原因として考えなければいけないのが、地球環境問題と社会的・政治的な背景である。地球環境問題では、気候変動と生物多様性の破壊が大きく関係している。/社会・政治的背景としては、これまで進められてきた経済優先政策が、感染症拡大を抑えるための基本である公衆衛生を切り捨ててきたことに加えて、感染拡大対策として罰則強化と管理社会化、ワクチンに依存するという、本末転倒なことが進められてきた。これは矛盾の拡大をもたらすことになりかねない。」12P
「遺伝子組み換え作物が新種の微生物を作りだした一例を米国パーデュー大学名誉教授ドン・M・ヒューバーが指摘し、警告を発したことがある。少し詳しく述べよう。・・・・・・植物では、収穫を減らす原因になっている二種類の病気(大豆の突然死症候群とトウモロコシの立ち枯れ病)にかかった植物から、この微生物が多量に検出されている。/動物では、自然流産や不妊になった多種の家畜の体内にこの微生物が存在することが確認されており、臨床実験でも流産を引き起こすことが確認されている。」16-7P
「ベルリンにあるシャリテ医科大学ウイルス研究所のサンドラ・ユングレンもまた、「生態系のバランスが崩れれば感染症が広がり易くなる。生物多様性が機能してさえいれば、感染症拡大のリスクを減らすことができる」と述べている(ドイツ環境省二〇二〇年四月二日)。」36P
「・・・・・・・医療が人々を救うものから、経済効果をもたらすものへと変更されてきたのである。」46P
「それら従来の方法に代わり、バイオテクノロジーを応用した開発が主流になってきた。これはHPV(子宮頸がん)ワクチンが先鞭をつけたもので、「遺伝子組み換えウイルス様粒子(VIP)ワクチン」と呼ばれるものである。蛾の細胞を用いた遺伝子組み換え技術で開発したものである。・・・・・・しかし、この技術でのワクチン開発も短縮されたとはいえ、最低四〜五年を必要とすることから、さらに時間を短縮できるDNAやmRNA、あるいはウイルスベクターを用いた、新型遺伝子ワクチンへと、開発の方法が大きく変化している。この新型遺伝子ワクチンは、開発機関が短縮されるだけでなく、量産が容易である。今回のように急いで大量に必要な際には、最適である。/しかし、これまで接種の経験がないワクチンであることから、有効性や安全性が大きな問題になってくる。」61-2P・・・この後に「人体実験である」という見出しの論攷が展開されています。
「従来のワクチンである生ワクチン、不活性化ワクチン、VLPワクチンは、いずれもウイルスそのものやウイルスの一部のたんぱく質、すなわち抗原そのものを作って人間に接種してきた。/それに対して、この新型ワクチンは、人間の体内に遺伝物質を導入し、ウイルスのたんぱく質の一部(抗原)を人間の細胞内で作るようにするものである。すなわちワクチンの働きをする物質は、人間が体内で作り出すことになる。これは遺伝子治療の考え方であり、人間の遺伝子操作である。」65P
新型コロナウイルスワクチンの問題点9点66-8P
 ワクチンの種類、T.従来型のワクチン(ウイルスそのものを接種)@生ワクチンA不活化ワクチン、U.遺伝子組み換え技術で作るワクチン(遺伝子組み換え技術でウイルスのたんぱく質を作る)B遺伝子組み換えウイルス様粒子(VLP)ワクチンC遺伝子組み換えたんぱくワクチン、V.遺伝子を体内に入れ、体内で抗原を作らせるワクチンDDNAワクチンEmRNAワクチンFウイルスベクター・ワクチン68-70P
「また、接種開始とともに懸念されるのが、医療関係者、高齢者やその施設の関係者、基礎疾患を持つ人などに対して、接種が強制されることへの懸念である。また、深刻な副反応が起きた場合、国が救済するといっているが、それは「補償がない」ことを意味するのではないかという懸念である。これまでも国は、さまざまな局面で因果関係が立証されていないとして救済を拒んできたからである。」118P・・・「因果論」は、函数的連関で言えば、変数をひとつとしかとらない非論理的知でしかありません。
「もし、日本でワクチン接種が進めば、感染症による死亡率は決して高くない現状からみると、ワクチンによる副反応の方が、感染症自体より悪い影響をもたらす可能性すらある。」126P
「この一九九四年の変更は、主に国の責任回避を目的にしたものである。それまでのワクチンは、ほとんどが生ワクチンで、副反応が一定の割合で起きた。当時、その副反応は「悪魔の選択」と表現された。必ず誰かが、被害を被ったのである。それは運が悪いということではすまされないのである。国が接種を義務づければ、それに対して国が補償しなければならない。その国の責任を回避するのが主目的で、接種が義務から勧奨に変更されたのである。国が接種を義務としないということは、接種の対象は大半が子どもたちであることから、最終判断は親に委ねるということにしたのである。/こうして親が子どもに接種を受けさせないと、非難されるようになり、受けて被害が生じても、親の責任にされるようになったのである。」142P・・・「国が補償しなければならない」というのは原理で、必ずしも補償してきたわけではないのです118P。小松美彦さんの本「自己決定という罠」とのリンク。
「従来、自然界になかった改造作物をつくり広範囲に環境中に放出すれば、生態系に異変を引き起こす危険性が強まることは必至である。また、これまで食べた経験のない新しい生物であることから、食品の安全性を脅かすことになる。/自然は保守的であり、多様であり、連鎖的であり、総合的である。人間の手による生命の勝手な改造は、予想もつかないリアクションを引き起こすことになる。生命原理を経済効率に併せて改造していけば、環境や人間への安全性はおろそかになる。」172P
「一線を超えた生命操作の時代がやってきたといえる。AI、5G、そしてビックデータに生命操作が重なり、ブルドーザーのように社会を変え、人間を変え、生命を変えようとしている。その中に新型コロナワクチンがあることを理解しておくことが大事である。」178P


1 「唯一」としているのは、自粛要請が、まさに失政の中で効かなくなっていることと、検査を増やして陽性者を見出して行動規制を要請していくという方法を、ちゃんとやらないということから来ているのです。
2 ファイザーとモデルナのワクチンはmRNAを使ったワクチン。アストラゼネカはウイルスベクターワクチン。いずれも遺伝子操作ワクチンと筆者は押さえています。70-2P


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白井 朗『マルクス主義と民族理論―社会主義の挫折と再生』

たわしの読書メモ・・ブログ561
・白井 朗『マルクス主義と民族理論―社会主義の挫折と再生』社会評論社 2009
 この本は、誰かに勧められて買った本です。一連の学習の中で、民族問題を押さえておく必要があるとして、前の読書メモの本を読んで、この本も一連のまとめとして読もうとしていて、著者のプロフィルや本の構成をちょっと見てパスしようかとしていたのですが、予想していたよりも収穫がありました。
「マルクス・レーニン主義者は差別の問題を押さえてこなかった」という指摘がなされてきました。そのひとつとしての民族問題の押さえ損ないがあります。
 この本でも、マルクス/エンゲルスへの批判があります。「歴史的民族・非歴史的民族論」批判ですが、この本の中では出てきませんが植民地支配を容認する「野蛮の文明化」という論理もありました。ですが、この本の中でも指摘されていますが、アイルランド問題でのマルクスの転回が起きたとされています。これはマルクスの「古代社会ノート」などの研究から、「資本論草稿」などと相俟って、「アジア的生産様式論」という突き出しをします。マルクスが単線的発達史観から脱したとされていることです。これはマルクス/エンゲルスの進歩史観や発達史観といわれることへの一定のとらえ返しの問題に繋がっていきます。著者は今日の文化人類学的なとらえ返しにも言及し、そのようなところからもマルクス/エンゲルスのとらえ返しをしています。ただし、エンゲルスはアイルランド問題においても、自分の連れ合いがアイルランド人で、アイルランドのひとをかくまったりしていたとのことですが、「歴史なき民族論」の流れからする、民族差別的なところから脱し得なかったようです。著者は、このあたりのことをきちんと押さえているのですが、ひとつだけ、アジア的生産様式論を、「俗流的なアジア的停滞論の学説」316Pとしかとらえていず、マルクスの単線的発達史観からの脱したところで、発達史観に揺らぎをもたらす契機となる可能性の問題を押さえていません。マルクスも完全には転回し得たとは言えないのかも知れませんが。
 さて、この本の特筆すべきことのひとつは、レーニン主義批判に踏み込んでいることです。まずは、レーニンの民族理論です。スターリンの民族政策のひどさは多くのひとが共有化としているのですが、レーニンは民族自決権を突き出していたとして、民族差別をきちんと問題にしていたというとらえ方があるのです。この著者は、マルクス/エンゲルスの民族問題へのとらえ返しから、オーストリア・マルクス主義のオットー・バウアーの文化共同体論とカウツキー言語共同体論との論争からレーニン、スターリンの民族規定まで触れています。スターリンの民族規定@言語A地域B経済生活C文化という四つの共通性、しかも、それら一つもかけたら民族とは言えない165Pという規定など、その論争の歴史を押さえています。かなり詳しく踏み込んでいるのですが、このあたりはいつものないものねだりなのですが、レーニンとローザ・ルクセンブルクとの間での「民族自決権」をめぐる論争は書かかれていません。ローザへの言及はコミンテルン形成に反対したということだけです。これは、ロシア革命だけでコミンテルンを形成すれば、ロシアの路線の各国への押しつけになるというところでの批判です。ちなみに、ローザの予期は「レーニン組織論は一党独裁を生み出す」ということもあり、ことごとく、その予期は現実化しています。わたしはレーニンの民族自決権とローザの民族自治論との違いは、国民国家ということへの否定性の強さ弱さの問題で、ローザは「国家は廃棄されること」ということがレーニンより強かったというところで、ローザもプロ独は維持しているのですが、プロ独ということでのイメージの違いもそこから出てきます。著者は、ここで主題にしている民族問題のみならず、レーニンの組織論、運動論まで踏み込んで批判を展開しています。このあたり、わたしのレーニンとの対話とかなり共鳴しています。これについては、最後の「(追記メモ)」で後述します。
さて、この著者は、この本をイスラームの評価から始め、民族規定に踏み込んでいっています。それで、民族規定を最初は、「民族は言語共同体である。そして言語の広がりを創るのは多くの場合、宗教である。」62Pと宗教を背景にした言語共同体という突き出しをしています。後に、「民族理論の性格からして、一般的・普遍的に論じることはきわめて困難であり、どの抑圧民族がいかなる歴史・言語・宗教・文化を持つ民族をどの時代から抑圧しているのかという歴史的具体性をしっかりとおさえて論じるべきである。」182Pと、個別民族、とりわけその歴史性からとらえ返していく必要ということに収束しています。そして、「民族の定義について言うならば、それは最大公約数的な意味でしか与えることはできない、・・・・・・」136Pという押さえをしています。結局スターリン規定の反転で、何かひとつでも、民族は成立するとなるのでしょう。
この著者はかなりイスラームの文化に共鳴しつつ、その世界史的位置というとらえ返しをしています。その論攷は貴重ですが、そもそも宗教とは何かというところを押さえる必要があるのではと、わたしは疑問を抱きました。神とは自然の物神化以外のなにものでもないのですが、絶対神を立てることによって、差別の構造にすっかり絡め取られてしまいます。なぜ、マル・エンが「宗教はアヘン」としたのか、それのみならず、宗教のもつ差別の構造ということをとらえ返す必要があります。とりわけ、イスラームには性差別的な側面があります。著者は「米軍のレイプが頻発し妊娠・自殺が増え、釈放されたとしてもイスラームの習慣によって夫以外の男性との性交渉を家族の恥として「名誉の殺人」がおこなわれる場合が多く、二重三重の苦痛である。」32Pということを書いていますが、その性差別に対する批判を書いていません。この本は民族差別を軸にして書かれている本です。障害問題に関しては、差別的な文の引用に「ママ」というルビを振っていますが、性差別やフェミニズムに関する論攷を押さえているひとからすると見過ごせない「スターリン主義はレーニン主義の嫡出子と考えざるを得ないのである。」275Pという記述も出てきます。宗教を反差別論総体からとらえ返していく作業も必要になっているのではと思います。
この本の中で、ムスリム運動の指導者スルタンガリエフのことをとくにとりあげて書いています。何度も何度も逮捕され、そしてトロツキー暗殺と同時期に一連の粛正の最後の仕上げとして処刑されている事実が、まさにスターリン主義のみならず、それを引き出し容認したレーニンの組織論を軸にしたレーニン主義の批判にまで踏み込んでいるのです。
 この本の特徴として、スターリンを徹底的に批判していることがあります。スターリンはクルジアという少数民族の「出身」なのです。で、民族問題では、スターリンが他の問題ではほとんどないのですが、この民族問題では、理論的にレーニンに影響を与えたということが他の本には出て来ます。それをレーニンが評価し、スターリンの民族規定が広まったという側面があります。ですが、むしろスターリンがレーニンより大ロシア人主義的に民族抑圧を進めています。そして、コミンテルンを通じた各国運動、東欧諸国への収奪・抑圧など、民族問題に繋がることでことごとくのスターリンの抑圧性が、この本で書かれています。スターリン批判は、その粛清だけでなく、その負の歴史をきちんと総括しなければならないとつくづく思います。
 さて、スターリンとレーニン批判は、ロシア革命の評価の問題にまで及びます。ロシア革命を2月革命から10月の都市から農村へと波及したというようなとらえ返しを批判して、むしろ農民革命と民族運動の地方での動きがあったからこそ、都市革命とリンクしていったのだと押さえています。そして、むしろその民族運動を1903年の党大会以来レーニンはユダヤ人の組織であるブントを徹底的に押さえ込もうとしていたことを批判し、そしてイスラームにはイスラーム共産主義という勢力もあったのに、レーニンはそれを却けています。ことごとく民族問題での方針で誤っていると著者は指摘しています。このあたり著者は宗教批判を展開していないのです。なぜ宗教的な観点から、民族運動批判が出てこないのか、内容がつかめません。とにかく、「民族問題と農民問題を外部化した」としているのですが、これは民族問題のみならず、差別の問題総体に言えることですが、この本の中では、他の差別の問題は出てこないし、政治利用主義という指摘はでてくるのですが、そもそもそれが起きてくるレーニンの差別の「階級支配の手段(道具)論」の批判が出てきません。そして「外部」という言い方をしてしまうと、封建遺制的なとらえ方に陥りかねません。著者は植民地問題を本源的蓄積論からとらえ返しをしていますから、それを発展的に展開していけば、今日、ローザの「継続的本源的蓄積論」というところでの新自由主義的グローバリゼーションの進行下での資本主義体制の維持における差別の必然性・必須性ということが位置づけられます。そういうわたしのローザからくるとらえ返しとリンクしていきます。「外部」ということは、むしろ周縁化という概念ともリンクしていくことになります。ところで、資本主義が周縁化したことは、実は差別ということでとらえ返していくと、周縁でも何でもなくて、資本主義成立の基底としての差別の構造ということになるのだと言いえます。それは、反差別論的に展開していくと未来への収奪としての環境破壊の問題も含まれます。
 さて、民族問題での著者の理論は、個別民族の問題からとらえ返していくとなっているのですが、いくつか、著者の民族規定のおかしさをわたしが感じたことがあります。それは、「アメリカ民族」という言葉が出て来るところです。アメリカ合衆国は多民族・多文化国家だという規定がでています。それと矛盾してしまうのです。実際はドイツ系アメリカ人とかアジア系アメリカ人とかアフリカ系アメリカ人という言い方があるので、アメリカ人という規定は、「アメリカ合衆国の国籍をもつひと」で、何々系ということが民族や人種を指す言葉として用いられています。それらのことを考えていくと、民族規定の深化をもたらします。そもそもなぜ、民族規定が結局個別民族からとらえ返すしかないという結論に至るのかというと、前の読書メモからとらえ返すこと、すなわち民族は「虚構」というところからのとらえ返しが必要になるのです。これは、物象化概念や構成主義概念からのとらえ返しによる、民族概念のとらえ返しなのです。わたしには、差別問題で繰り返し出てくる思いがあります。わたしは障害問題を自らの当事者性として押さえ返す作業をしているのですが、日本の「障害者運動」の中で突き出されていた、「「障害者」とは、「障害者」差別を受ける者である」という規定があります。これは民族差別にも援用できます。これには同義反復規定であるという批判があるのですが、差別の反照規定での民族の析出という問題なのです。そこからは、民族は国家が消滅していくことと同じように、民族ということを解消していくこととなるはずです。しかし、著者はむしろ、民族を実体主義的にとらえているのか、著者は「・・・・・・民族ということが民族が生きていくうえで必須不可欠のものであるにもかかわらず・・・・・・」13Pということまで書いています。そして、民族消滅論的にとらえることを批判しています。そのひとつが後に書く廣松さん批判です。廣松物象化論からすると、まさに実体主義に陥っていると指摘できることです。わたしには、「民族なしには生きえない」ということは分かりません。そもそも、違う民族の両親から生まれた子供はどうなるのでしょうか? 差別があるから民族概念は生き続けるのだろうし、言語の多様性と個別地域・家族文化の多様性ということは、否定することではないのですが。著者は、むしろ日露戦争での「アジアの小国日本はユーラシア両大陸にまたがる巨大な帝国に勝利した」17Pとかいう記述や、「「祖国を持たねばならない」」という記述、さらに「日本人は、明治維新を達成した民族であることに誇りを抱くべきである。」326Pなど、著者自身がナショナリズムにとらわれています。
 さて、もうひとつの問題があります。それは、著者の民族論でムスリム的なことへの共鳴を出していることです。わたしは無神論者ですし、反差別の立場から論を展開しているので、前述したように神の想定が差別の構造を生みだし・維持していく構造をとらえ、宗教には批判的なのですが、宗教は力によって押さえ込むことではないし、洗脳のようなことをすることへも反対します。民族運動も同じです。民族運動は反差別運動として大きな意味がありますが、排外主義的なことを止揚したインターナショナリズム的な展開を必要とするのではないでしょうか?
 さて、思いがけない著者との接点もありました。それは、わたしが思想的に多大な影響輪受けた廣松渉さんと著者は伝習館で同期のひと、ビラ撒きをして一緒に退学処分になっています。ですが、著者は、廣松さんを批判しています。廣松さんも、他のマルクス・レーニン主義者と同じように差別の問題をちゃんと対象化出来ていないということには同じ思いを共有化します(註)。ただ、著者には、廣松理論へのとらえ返しがありません。廣松さんの物象化論からすると、著者の民族の実体化は批判されることです。実際、著者は廣松さんの最晩年の、朝日新聞に投稿した論文「東北アジアが歴史の主役に―欧米中心の世界観は崩壊へ―日中を軸に「東亜」の新体制を」への批判を書いています。この論文、今日的にとらえ返すと中国の世界資本主義システムのなかでの資本主義経済的位置の上昇ということへの先見の明があったと言いえることですが、その論攷には反差別という観点が欠落しています。著者は、前述したようにナショナリズムの陥穽に嵌まったという面もあるのですが、その論攷を見ていると汎アジア主義という内容も見受けられます。「東北アジアの・・・」で廣松批判をしている著者自身が、汎アジア主義的なことに陥っているのではないでしょうか?
 実は、この著者は革命的共産主義者同盟の結成以来のメンバーで、中核派として長年活動していたひと、90年代初期に路線の違いの中で離脱したようです。まさに、日本共産党も含め、革共同両派もマルクス・レーニン主義の総括が出来ていないのですが、この著者はレーニン主義批判に転じています。これについても最後の「(追記メモ)」で、簡単に押さえます。
この論攷は、新左翼運動の総括に一石を投じているのではと思えます。このあたりは、わたし自身の新左翼運動の総括というところから対話の中に織り込んでいく作業に織り込みたいと思います。

(追記メモ)
・エンゲルスの手紙での各国の主体性を尊重するということがあり、スターリンとの違い219P・・・レーニンは民族自決権を主張していたので、マル・エンと立場を同じくするとなるのですが、レーニンの自決権は結局虚構でしかないので、結局スターリンと同じになってしまいます。
・著者のロシア革命の負の側面の指摘223-4Pのわたしの要約@ムスリム諸民族の自治の否定A農業・農民問題の「外部」化Bクロンシュタットの反乱の鎮圧C分派の禁止がスターリンの独裁体制を生み出した
・レーニンが継承した「歴史なき民族論」的な流れは進歩史観とリンク226-7P・・・著者の「すぐれたイスラム文化」論も進歩史観へのとらわれ
・ヘーゲル歴史哲学の「歴史的民族論」――西欧中心史観230P・・・初期マルクスとエンゲルスにリンク
・自己解放の否定243P――外部注入論
・レーニンの自然発生性論批判の実践的否定が1905年ソヴィエト革命248P・・・歴史なき民族論や発達史観的なところから「外部注入論」が生み出される
・著者の『共産党宣言』での革命の主体――プロレタリアート規定批判、『資本論』での農業と工業の同一視批判256P・・・前者は民族解放闘争や農民運動の位置づけの問題での批判、今日的には、マルチチュードやサヴァルタン概念。後者は、著者は小農の位置づけの問題としているのですが、今日的には機械化での大規模農業も出てきています。ただし、地産地消的農業の可能性の問題も考える必要。
・「ボリシェビキの一〇月クーデターを成功させた大前提は、民族革命と農民革命であって、じっさいにクーデターを指導したのは、ペトログラード・ソヴィエト議長トロツキーにほかならない。」258P・・・農民運動と民族運動の位置と意味を押さえ直す必要。クーデター?
・「レーニン主義とはマルクス主義の国家暴力主義バージョンであり、マルクス国家死滅論の否定である。」260P
・「民族的具体性――言語・歴史・宗教・文化の村長にもとづいてレーニンの提言、「抑圧民族・大民族の民族主義と被抑圧民族・小民族の民族主義を区別」し、民族完全独立・解放闘争を世界革命の最も活発で勇敢な舞台と認め心から連帯せよ。これが結論である。」267-8P・・・民族闘争の過大評価。今日的に、グローバリゼーションの進行の中で、国家間の格差による収奪の構造がとらえられ、国民国家的な「独立」では解決できない問題が出て来ています。このあたりは、独自の言語から民族問題に比するとして突き出しているろう運動サイドからも、「ろうの国」運動創りとして展開していない問題からも問い返していくことが必要になっています。
・「農業の強制集団化、ムスリム諸民族・ウクライナ民族の抑圧は、四大粛正裁判を頂点とした大粛正と相いまってソ連の反革命的変質の象徴であった。この歴史過程とともに、ドイツ革命の敗北、フランス人民戦線の挫折、スペインの内戦への反革命的介入は、ヒトラーの第二次大戦による侵略戦争の前提をなす。ここで次に独ソ不可侵条約の締結と、それによるポーランド分割こそが、第二次大戦後のスターリンの東独支配=民族抑圧の発端であることを明らかにしていきたい。」275P・・・東欧の「衛星国」化、収奪の構造の章へのリード文です。
・著者のチトー批判――チトーは民族問題で蓋をしただけ307P


 わたしの廣松さんとの対話は、わたしの『情況』への投稿文の中でも展開しています。わたしのホームページに期間限定(8月末まで)で掲載しています。
  http://www.taica.info/hiromatubusho.pdf


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小坂井 敏晶『増補 民族という虚構』

たわしの読書メモ・・ブログ560
・小坂井 敏晶『増補 民族という虚構』筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2011
 この本は、二〇〇二年に出された本の文庫増補版です。そもそも、二〇〇二年に出された本自体が、最初フランス語で出された核になる文に、書き下ろしの原稿を加えてできたものです。著者はフランスの大学を出て、そこで教員もしているとのこと、まさに国際的な観点をもった民族問題のとらえ返しになっています。
この本は、確か本屋の店頭で本のタイトルに惹かれて買った本です。実は本の管理ができていないで、「二〇〇二年に出された本」も買っていて、ここで取りあげてる二〇一一年文庫版が増補版なので、こちらで読みました。「虚構」という概念は、わたしがいろんな分析に援用してきた廣松物象化論と、それから吉本隆明共同幻想論と通底する概念として、期待していました。で、この著者は社会心理学的なところからのアプローチなのですが、哲学、社会学、生物学、さらには仏教との対話もあり、民族や集団性というところにおいて、分析していくいろんなタームに、共通するところもあり、ぞくぞくする思いで、読み進めていました。脱構築論的な観点が出てくるのですが、著者がそれを否定的に批判しているようです。確かに、反本質主義的なところは採り入れているし、ルソーの思想が結局全体主義的になっているとか、ダーウィンの進化論への言及とかも出てきます(ただ、著者は個ということの実体化に結局陥っているようで、ダーウィン進化論の自然淘汰説にとらわれています)。ただし、繰り返し実体主義批判を展開しようとしています。廣松物象化論の核心としてある実体主義批判と通底していています。モノからコトへという観点もあるようです(87P)。哲学やいろんな学を押さえたところの論攷で、共鳴し備忘録として残して置きたいことも多々あるのですが、また膨大な分量になるので、特に留意するところと、著者の論攷への違和や論的深化というところでの対話メモに留めます。関心のある方は是非この本に直接あたってください。
実は、最初からちょっと違和を感じていました。わたしは、最近は本を読むとき、「まえがき」、「あとがき」を読み、それから解説があれば解説も読んでから本文を読み始める様にしています。そこで、「あとがき」のマルクスの「フェイルバッハに関するテーゼ11」の「哲学者たちは世界をいろいろ解釈してきたにすぎない。大切なのは世界を変革することだ」を引用して、「そのような意図は初めから私になかった。」334Pとあります。で、軽く、アカデミックに徹して理論的に詰めていくという主旨だろうと押さえて読み始めたのですが、これがそもそも、結論的なところで、大きくわたしサイドとは隔たって行くことになります。これについては、後述します。
ベテという民族を例に挙げて論攷を進め「同一性が初めにあるのではない。逆に、対立する差異が同一性という現象を生み出すのである」36P同一性があり、差異が浮かび上がるというところを批判して、異化――差異化が先にあり、そこから同一性概念が形成され、それによって、更に差異化が差別化につながっていくという「差別の構造」を問題にしています。「差異があるから差別が起きてくる」という広く広まっている差異論――差別論を反転させているのです。ですが、反差別ということを明確に出していません。運動的に展開していかないということから来ているのでしょうが、それだと、逆に、論を深化させ得なくなります
もうひとつ、注目していたことは、「間主観性」概念が出てきていることです。このあたりは、廣松さんも展開していたことなのですが、ただ「間主観性」概念というのは、個と個の関係としてのとらえ返しなのですが、それは、「今、こここで」というところのとらえ返しになっていきます。民族問題を差別の問題としてとらえ返していくとき、問題になるのは、むしろ共同主観性の問題だとわたしは押さえます。すなわち、共同主観性による抑圧の構造なのです。間主観性という1対1の関係では、抑圧の構造ということが明らかになりません。共同主観性を問題にして抑圧の構造が明らかになっていくのです。「虚構の共時的通時的共同主観性」というところからのとらえ返しの問題です。
そしてさらにいうと、それは単に意識の問題だけではないのです。著者は、ちゃんとマルクスをくぐっていないようなのです。マルクスの唯物史観の観点がありません。だから、意識が形成される土台というとらえ返しがないので、土台から変えていくという社会変革の志向が出てきません。「あとがき」の「フェイルバッハに関するテーゼ」への著者のコメントにもあきらかなように、この観点がないのです。著者の論攷は社会心理学ところに棹さしているのですが、もう一つ、マルクスの唯物史観的観点からとらえ返した論攷を求めるのは、いつものわたしのないものねだりになってしまうのですが。
フェイルバッハに関するテーゼの著者の拒絶は、結局民族問題を差別の問題としてとらえて、それを解決していこうという指向性を欠落させているが故に、「その背景には、論理以前の世界観が横たわる。価値判断は合理的行為ではない。信仰だ。」328Pとして、虚構にも意味があるようになり、「神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける<外部>は生み出され続ける。根拠と呼ばれる虚構が失われる世界に、人間は生きられない。」328P神という虚構そのものを秩序というところから認めていく処まで進んでいます。
そこにあるのは実体主義批判をしつつ、結局民族を実体化してくことになってしまっていると言わざるを得ません。
差別があるから民族を問題にするのであって、差別ということの反作用としての民族の集産性が出てくるのですが、その差別がどこから出てくるのかという観点、唯物史観的観点がこの本の中では出てきません。だから、反差別的展開にもならないし、反対にフェイルバッハに関するテーゼの否定に陥っています。差別がなくなっても、今日の民族的なことで残ることはあるのかもしれませんが、そうとしても、文化や言語の多様性ということで認めあう関係が作っていけるとも思っています。
さて、この本の中で出されている、いくつかの注目すべき論点を取りあげておきます。
著者はアメリカを多民族多文化社会として、フランスを普遍主義としてとらえ、対比させています。その上で、フランスが多民族多文化的になっているというような話も出て来ます。「多民族・多文化主義を標榜するアメリカ合衆国では、家族構造・宗教・食習慣・食習慣をはじめとして均一化が著しいのに、出身民族の固有性を認めないフランスの方に、却って文化的多様性が残っているという逆説をエマニュエル・トッドが指摘している。」293Pこのあたりは、むしろ差別形態論的な押さえ直しが必要だと思っています(註)。フランスの「普遍主義」と著者が書いているところは、同化主義的政策をさしているのだととらえられます。同化や融和も差別です。多民族多文化社会というのは、排除的なことが働く、併存ということでの融和的なことですが、そもそも民族間の経済政治的格差をなくさないと、そもそも社会の格差――差別を解体していかないと融和は差別の一形態になっていきます。ここでも反差別という観点が必要だと思います。
さて、もうひとつ、一般的に広まっているルソー論とは、違ったとらえ返しを著者はしています。ルソーは自然性ということに根ざした自由ということを突き出しているのですが、著者は「<一般意志>が当人自身の心の奥底から出てくるという前提からして、<一般意志>に背く市民に対して服従を強要をしても、そのことがまさに自らの真の欲望を意味する以上、市民の自由は侵害されないという、ヒトラーかスターリンの言説と紛うような「論理」が、かくて成立する。」203Pとしています。「自由」概念のとらえ返しに貴重な提起です。
さて、著者は生物学的なところからの切り込みもしています。そのひとつがダーウィン進化論のとらえ返しですが、ラマルク進化論を批判して、突然変異と自然淘汰というダーウィン進化論に賛同しているのですが、グールドや今西進化論との対話がありません。池田清彦さん経由での対話が出てきますし、今西さんの「棲み分け」概念が出ているので、まったくないわけではないのですが、そもそもダーウィン進化論がマルクスらの同時代のひとや後代のひとに及ぼした影響ということが言われているのですが、そもそもダーウィン進化論自体が、資本主義的な個人主義(「個」ということの実体主義的とらわれと「個」の析出)と資本主義的競争原理から出ていることをとらえ返したところで、進化論自体のとらえ返しが必要になっているのだとも思っています。
誤解のないように書いておきますが、著者の民族虚構論の突き出しの意義に共鳴しているのですが、民族差別を虚構としてはとらえません。民族差別があるから民族概念も生き続けるのだと押さえています。
この本はいろんな事例を出してくれているし、そのことをひとつひとつ検証しながら、廣松物象化論の観点から、民族問題に関する新しいテキストを形成するための大切な素材にできるのではないかとも思ったりしています。

 三村洋明『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために――』世界書院2010「第八章 差別形態論」参照
(追記メモ)
「人種とは客観的な根拠を持つ自然集団ではなく、人工的に区分された統計的範疇にすぎない」18P・・・物象化論からとらえ返す


posted by たわし at 06:02| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中村桂子(JT生命誌研究館名誉館長)「「新型コロナウイルス」(67)コロナ後の社会」「新型コロナ・脱炭素(?)・SDGs〜戦いではなく新しい生き方(世界観)〜」

たわしの映像鑑賞メモ054
・中村桂子(JT生命誌研究館名誉館長)「「新型コロナウイルス」(67)コロナ後の社会」「新型コロナ・脱炭素(?)・SDGs〜戦いではなく新しい生き方(世界観)〜」日本記者クラブ講演・会見 2021.6.17
 偶然テンターネットで観れました。
中村さんは生物誌の学者です。生物学の立場からいろいろ興味深い話をしていました。わたしにとって特に印象深かった話を書いておきます。
 まずウイルスやバクテリアはそもそもヒトより前に地球上いて、ヒトの体の中にも無数いて、ひとが「私」というとき、ウイルスもバクテリアも含んだ体内自然としての「私」であること。
 中村さんの流れの日本の生命論的世界観とアメリカ的な機械論的世界観との対峙。
「私たちのなかの私」という考え方。
 進化論的扇図――高等・下等生物という考え方の否定とその図を上から見るようなことのおかしさ。ひとはその中に含まれている。・・・これは俯瞰図的になっているので、後から考えると、表現的にはちょっとおかしいと思うのですが。
 進化論の進化や発生を「展開」「絵巻を開く」としてとらえる――機械論的世界観ではこれは、進歩や開発という概念。
 生物は予測不能性・プリコラージュ(つきはぎ)・偶有性――工学は予測可能・論理・統計確率
 私たち――生き物たち、というつながり
 ウイルスは動く遺伝子、遺伝子は壊れやすいので蛋白質で覆われている
 遺伝子に固有性はない、その組み合わせが固有性をもつ
 生命の始まりは、単細胞で、それは分裂の繰り返しで死という概念はない、雄と雌ができて生殖するところから、唯一無二の固有性の概念が出来て、死という概念が出てきた(ただし、雌の方には細胞分裂での継続性がある)。機械的世界観では、不老不死を目指すことになる。
「脱炭素」ということには、ひとは炭水化物でできているので、違和を感じる
 一極集中型から分散型ということが生物学的にかなっている

 ウイルスやバクテリアということを含めた「わたし」というところから体内生態学というようなことも考えられるのではないかと考えていました。それと一般的な生態学の、からだというところでの内――外の対照的なようなことも。
生物学的なところのとらえ返しから、ひとの社会の在り方を考えていく面白さのようなことを感じた講演でした。


posted by たわし at 05:51| 映像鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NKKEテレ ハートネットTV「生きたいと言える社会へ(2)京都ALS嘱託殺人事件から一年 “あなた”に会う旅」

たわしの映像鑑賞メモ053
・NKKEテレ ハートネットTV「生きたいと言える社会へ(2)京都ALS嘱託殺人事件から一年 “あなた”に会う旅」2021年7月7日20:00〜20:30
このドキュメントに出てくる岡部宏生さんは、ALS関係の番組によく出て来ていて、京都ALS嘱託殺人事件のNHKの番組にも出ていました。ただ、その中の発言が、「わたしも迷っていた」くらいしかなく、それでは「生きよう」ということにつながらないのではと感じていたのですが、岡部さんは、日本のALS患者のひとたちの7割が付けないまま死んでいく情況で、自身も人口呼吸器をつけることを迷っているなかで、日本のALSのパイオニア的橋本操さんとの出逢いの中で、呼吸器を付けることを選び、今度は自分が日本一出歩くALS患者として、他の患者と会いに出かけ、そして看護のひとたちへの働きかけもしています。その中、言葉を失ったひとが、周りが必死に支えているという感じではなく、家族ヘルパーさんが明るい、本人が「ふわっとした感じ」と岡部さんがいう存在、このドキュメントの最初に出てくる「ひとは生きているだけで価値がある」ということが、つかめる感じなのです。他のひとたちも、いろいろ迷いながらも、ひとの生きるとは何かをつかんでいく、まさに哲学的な問いを突きつめるような生がそこにあると感じるのです。
「価値がある」ということ、「価値」云々を超えて、「ただ生きているだけ」がベースである社会こそが、もっともひとの生きやすい社会なのだと思えるのです。


posted by たわし at 05:49| 映像鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月16日

ラーヤ・ドゥナエフスカヤ/三浦 正夫・対馬 忠行訳『疎外と革命―マルクス主義の再建』

たわしの読書メモ・・ブログ559
・ラーヤ・ドゥナエフスカヤ/三浦 正夫・対馬 忠行訳『疎外と革命―マルクス主義の再建』現代思潮社 1964
 この本の著者は、たわしの読書メモ・・ブログ546・トニー・クリフ/浜田泰三・西田勲訳『ローザ・ルクセンブルク』現代思潮社1968 で、付録的に「ローザ・ルクセンブルクの蓄積論」という文を寄せていて、それで読んでおこうと古本で買い求めました。「訳者あとがき」に、著者はメキシコで亡命生活をしていたトロツキーの秘書をやっていて、ロシアを労働者国家と規定するトロツキーと決別したとあります。インターネットで検索しても著者のプロフィルはアメリカで評論的活動していた以外には、ユダヤ人ということしか出てきません。
ちなみにこの本の原書のタイトルは『マルクス主義と自由――一七七六年から現代まで』です。
 さて、わたしはたいてい、本を読み始めたら最後まで読むのですが、この本はあやうく最初の方で投げ出しそうになりました。ですが、投げ出さず読み切ることによって、かなり得ることの多い本でした。すなわちラッサール批判、アメリカ南北戦争の『資本論』におよぼした影響、パリコミューンの押さえ、『資本論』の押さえ、各インターナショナルの押さえ、レーニンとトロツキーとシリャプニコフの間に交わされた労働組合論争、そして、新経済政策から各次の5カ年計画の押さえ、「現代的な押さえ」としてのロシアとオートメーション化するアメリカということを押さえ、最後に毛沢東の中国革命論批判を書いています。
このひとはロシアを最初に国家資本主義と規定したひとりのようです。今、この規定は、自民党の中で、一応理論を問題にしているひとの間でも、中国の経済規定として常識になってきているようです。
さて、最初にこの本を途中で読むのを止めようと思った理由ですが、@共産主義の規定をしないまま、共産主義批判に踏み込んでいること。Aマルクスの『経済学・哲学草稿』を過大評価し、そこに依拠して人間主義を突き出していること。Bレーニンの評価、とりわけヘーゲリアンとしてのレーニン評価に陥っていること。
 まず@ですが、どうも空想的社会主義者とかアナーキスト的な「共産主義」批判と、スターリン的な一党独裁の共産党の支配を「共産主義」の罪として全部かぶせて、共産主義批判を展開しているのですが、そもそも共産主義をなぜ、どのような内容でマルクス/エンゲルスが突き出したのかということを押さええていないようです。『ドイツイデオロギー』の中に、「分業と私有財産制の止揚としての共産主義」という内容の規定があるのですが、そもそもそのような規定もなしに、共産主義批判をしています。一方で、現実に「共産主義」として突き出された運動が「マルクス・レーニン主義」として出されたのですが、スターリン主義批判はこの著者の要ですが、「マルクス・レーニン主義」の批判がないのです。丁度、共産主義と「マルクス・レーニン主義」の評価がわたしサイドからすると真逆になっています。
 次にAですが、スターリン批判の中で、マルクスの『経済学・哲学草稿』の見直しということが、世界的に進められました。この著者はそこに棹さしているようです。今日的に、マルクスの転換と言われていることが二つあります。ひとつは、『経済学・哲学草稿』から『ドイツイデオロギー』に至ったマルクス/エンゲルスの転換です。実は、これは『経済学・哲学草稿』でのフェイルバッハへの共鳴から、『ドイツイデオロギー』ではフェイルバッハ批判に転じているのですが、それはフェイルバッハの類的存在という突き出しからする人間主義的なところへの批判の展開としてあり、それが『資本論』の中での物象化概念の突き出しに至っているという、わたしが認識論的に影響を受けた廣松渉さんの「疎外論から物象化論へ」という押さえがあります。もうひとつの展開は、これはエンゲルスは転換しそこねているのですが、マルクスが「古代社会ノート」などの研究からアジア的生産様式の発見から、自らの発達史観なり進歩史観の見直し作業を「資本論草稿」の中でやっていたという転換です。これは後述しますが、反差別という処からすると重要な押さえになります。さて、著者の時代では、まだ後者は出ていませんでしたが、前者の転換を押さえ損なっています。だから『経済学・哲学草稿』の過大評価に陥り、「疎外革命論」に陥っています。これは「本来の人間像」からの疎外というところで、「本来」を設定するという抑圧の論理とリンクしかねません。インターネットでこの著者の名で検索すると、革命的共産主義者同盟中核派がこの著者を日本に呼んで、各地で講演会をしたという記述が出ています。まさに、疎外革命論的なところでの展開になっています。
 最後にB、レーニンの過大評価です。これは、レーニンの中央集権主義や前衛党論に見られる党の位置づけなどが、スターリン主義とどう結びついているかを著者はきちんと展開していません。そのあたりは、「・・・・・・そこで、彼(レーニン)はのべた。――いまやロシアの現実は、下部の党員が指導部よりも十倍も革命的であり、党外の大衆が党よりも十倍も革命的だということを示したと。」392P(この話はジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』岩波文庫にも、リードのレーニンへのインタビューへの応答として出てきます)としてレーニンは民衆の革命性を評価していたとしているのですが、確かにリアリストのレーニンは、きちんと自らの理論を修正していて、現実に当てはめていく柔軟性をもってはいたのですが、一党独裁の根拠になっていく前衛党論を否定するものではありません。この文言は、他のオールド・ボルシェヴィキ批判であって、レーニン自身の前衛としての立場は維持されているのです。著者のレーニンへの批判が欠落しているのです。もうひとつ、著者はレーニンが「『資本論』を真に理解するためにはヘーゲルを理解しなければいけない」とした、まさに「ヘーゲリアンとしてのレーニン」とまで言える、レーニンのヘーゲルの過大評価の問題があります。初期のマルクス/エンゲルスは、ヘーゲルは逆立ちしているという批判をしていました。それは観念論の唯物論への転換ということを意味していたのですが、著者は、そのあたりも線を引くことに反対しています。確かにタダモノ批判という意味もあるのでしょうが、それでも唯物史観的とらえ返しの必要はあります。このあたりは、今日的には(わたしサイドからすると廣松理論からのとらえ返しになります)、ヘーゲル弁証法の存在論と認識論と論理学の三位一体性への批判となります。単に逆立ちしていることを戻すということではなくて、三位一体的展開としてしまうと、ヘーゲルの絶対精神の自己展開としての疎外・外化ということを認めてしまうのです。これは観念論そのものになってしまうという批判です。ここで、「疎外・外化」という概念が出てきていることに留意することです。ですから、「存在論としての弁証法」を認めると観念論になってしまうのです。後期エンゲルスが、マルクス主義の解説者として、弁証法の図式化に陥り、法則としての弁証法を突き出しました。エンゲルスはマルクスとともに青年ヘーゲル派として出発した地平から、青年ヘーゲル派内部論争を経て、自らの哲学を形成したのですが、後期エンゲルスはヘーゲルへの先祖返りに陥ったことと同じ地平にレーニンも陥っているのです。ヘーゲリアンのレーニンを全面賛美する著者も同じ地平にあるのです。
 さて、ここでいろんなことを書きましたが、この本を放り出そうとして読み続けて収穫が多かったと書いたこととして、この本との対話の中で、著者の共産主義批判をわたしサイドからとらえ返してみます。
 それは晩期マルクスの転換とも繋がっています。すなわち、イギリスのインド支配を「文明による野蛮からの解放」という概念でとらえていた差別的なところから、転換していく観点が出ているということです。わたしは、そこからもう一歩踏み込んだ、共産主義の基底としての反差別運動ということを、「障害者運動」の中における発達保障論批判ということから、それまでのすべての差別的な価値観を転換していく地平をとらえかえすことができると思っています。それらのことをこれまでの科学による自然支配とか、発達信仰のようなことの中で、さまざまな資本主義的な悪無限的な利潤追求と経済成長主義が世界に何をもたらしてきたのか、新自由主義的グロバリーゼーションの進行のなかで、さまざまな環境破壊や核兵器や原子力産業の推進のなかで、さらにバイオテクノロジーの進行が人類の滅亡の危機さえ招き寄せているとしかとらえられないのです。ここから、根本的な価値転換による新しい社会を作り得る可能性は、反差別共産主義ということしかないのではと考えています。
 若干の覚え書き的メモを残しておきます。問題意識から記憶を呼び起こし、メモと照らし合わせたので、順不同です。
「ソヴィエトが出現するまでは、誰一人ソヴィエトが出現しつつあることをいいあてることはできなかっただろう。・・・・・・一九〇五年のソヴィエトのことを記憶し、そうしたヴィジョンと行動をまもりつづけたものは、ただひとりロシアの労働者だけだった。こうして彼らは一九一七年にソヴィエトを再び創造したのだ。・・・・・・」391P・・・1905年のソヴィエト、そして1917年2月のソヴィエトも、けっしてレーニン的前衛党の指導によったものではなくて、自然発生的評議会運動としてあったこと。しかし、レーニンもローザもソヴィエトを積極的立てなかった。ローザにはゼネスト的展開はあったけど、組織論がなかったゆえに、ソヴィエトをたてえなかった。どちらでも議長になったトロツキーは乗っかっただけだったのでは?
いかなる階級にも属さない――技術的インテリゲンチャの支配310P・・・支配層としての技術的インテリゲンチャは「階級に属さない」のではなくて、階級概念ではない支配層で、被支配者が労働者階級という、労働者搾取国家――国家資本主義。
死んだ労働の生きた労働への支配325P・・・疎外された労働ということの意味、ただし、これが基底としてあるわけではないのでは?
「マルクス主義的人間主義」「人間の根底は人間である」458P・・・まさに人間主義。科学主義と人間主義の二分法的対立図式の止揚が必要になっているのでは?
一巻の最後が本源的蓄積論であることと、第四巻として「剰余価値学説史」をもってきたこととの通底200P・・・時系列では本来最初にもってくることを、論理的展開として、付記的に書き足したという構図。
「レーニンにとっては、大衆とは、社会主義という「目的」に達する「手段」ではなかった。大衆の自己活動こそが、まさに社会主義なのだ。」262Pレーニンの発言の引用「われわれは、労働者がみずからの手で、下から、経済的条件に関する新しい原則を作成することをのぞんだのだ」263P・・・著者のレーニンへの過大評価と、レーニンの発言の矛盾。これを著者の問題意識としての下からの革命と読み解けるのですが、レーニンにそれはあったのでしょうか? この下からの革命ということが、この著者にはあるのですが、そこからするとマルクス・レーニン主義批判に踏み込むことのはずだったのですが。
「マルクスは、資本主義の分析を、いろんなことなった抽象の段階で発展させたのだが、こうした各段階はそれぞれ自己自身の弁証法をもっている。第一巻では、われわれに生産の現実を理解させた範疇は、不変資本と可変資本(労働力)であった。第二巻では、われわれはまだ社会の表面にとどまっているのだが、そこでは、社会の内部のメカニズムを暴露する範疇は、生産手段と消費資料であった。そして第三巻では、それは、利潤率の低下、すなわち、「資本主義的生産の運動法則を暴露し、その崩壊を指摘する、資本主義的生産の一般的矛盾」ということなのである。」188-9P・・・ここで、「抽象」という概念を出してきています。著者はきちんとまとめ切れているとはいえないのですが、冒頭に書いたトニー・クリフの本への著者の投稿との対話でも書いていたのですが、マルクスの上向法的展開における抽象は、そもそも第一巻の第一章の価値形態論から始まっていて、そのことをローザは押さえていないで、第二巻の拡大再生産論の批判をしているのです。ですが、それはそれで、多分、第一巻の本源的蓄積論の後に、もしくは「剰余価値学説史」の前に、マルクスの「帝国主義論」として展開する必要があったことです。


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K・コルシュ/木村 靖二・山本 秀行訳『レーテ運動と過渡期社会』

たわしの読書メモ・・ブログ558
・K・コルシュ/木村 靖二・山本 秀行訳『レーテ運動と過渡期社会』社会評論社 1971
 コルシュは、マルクス・レーニン主義から異端的な流れの中で挙げられている3人のひとりのようです。3人とは、ルカーチ、グラムシ、コルシュとされているようです。ルカーチはマルクスが突き出した物象化という概念を再度掘り起こしたひと。グラムシは前の前の読書メモで取りあげたのですが、どうも「マルクス・レーニン主義から異端的な流れ」とは言えないようです(この本の編者のグラムシへの言及16P)。ただ、初期の工場評議会運動に関わっていたグラムシは、評議会運動というところを展開していけば、別様な展開になっていくと思えます。この評議会運動の評議会ということが、コミューン、ロシア語ではソヴィエト、ドイツ語でレーテといわれています。この本のタイトルにして展開しているのが、この本の著者コルシュです。
「マルクス・レーニン主義」の「社会主義革命」は、武装蜂起――国家権力の奪取――(プロレタリア独裁権力の樹立としての)ソヴィエト(評議会)政府の樹立という図式になっています。
 そして、コルシュはエンゲルスの有名な「よろしい、諸君、この独裁がどんなものか諸君は知りたいのか? パリ・コミューンを見たまえ。あれがプロレタリアートの独裁だったのだ」142Pを引用しています。ただ、コルシュは、このパリコミューンはブルジョア自由主義的革命でしかなく、しかもマルクス派が領導した革命ではなく、アナーキストが牽引した革命だったと押さえています。コルシュは、定式化されている共産主義のイメージを民主主義的な形態にとらわれないで中身をとらえるべきだとしています。コルシュは、マルクス・レーニン主義の国家権力の奪取という上からの革命ではなく、むしろサンディカリズム的な下からの革命の志向をとっていたようです。そのモデルを、スペイン革命時の評議会運動とも言える自主管理運動を取りあげています。さて、これは「たわしの読書メモ・・ブログ513 ・山内明編『ドキュメント現代史〈7〉スペイン革命』平凡社 1973」でとりあけでいたことです。スペイン革命でもアナーキストが強く、まさにスペイン革命は、アナーキスト派、スターリン・コミンテルン派とトロツキー派との対立、そしてスターリン・コミンテルン派の他派への粛正、そして、そういう中で自分たちもフランコ・ファシズムに敗北していく構図がありました。
また、スペイン革命とロシア革命の対比で、ロシア革命は勝利し、スペイン革命は敗北したというところで、マルクス・レーニン主義的な運動の優位性が語られるし、アナーキストの一貫した方針のなさを批判しているのですが、コルシュは、そもそもロシア10月革命に至るレーニン以外のボルシェヴィキの日和見主義を指摘しています。
そもそもロシア革命の勝利も、レーニン自身のネップの導入などの挫折の中で、「われわれは現在すぐ社会主義制度を創設出来ないことを知っている――願わくは、この制度がわれわれの子供か孫の時代には確立されんことを」という言葉を残しています。コルシュの「革命史に貢献する」という援用もそれにリンクしていきます181P。
さて、この本から押さえたことを、それのみならず、そこからかなりはみ出して、わたしが考えてきた論点と交差するところを押さえる作業をしておきます。
まず第一に、コルシュは「社会化」ということで、生産手段の国有化と共同体による分有化問題(この本の中では「集産化」という概念)を取りあげています。マルクス・レーニン主義で重点が置かれている国有化に対し、コルシュは後者を取りあげています。コルシュにはそもそも死滅することへ向かう国家ということをおいていて、国家主義的なことを批判していく志向があるようです。とりわけ、スターリンの一国社会主義建設のなかで陥った、社会主義とは無縁なことに陥ったことへの批判としてわたしは押さえています。
第二に、社会化ということはそれだけでなく、社会主義への移行問題があります。とりわけ、生産と消費の対立の問題を取りあげています。「つまり、一方では、個々の生産部門の生産労働者の利害が、他方では、それ以外の他の生産者と消費者全体の利害があるのである。簡単に言えば、生産者と消費者の利害の対立である。」39P「だが、社会主義の精神における社会化の目的は、消費者資本主義でもなければ生産者資本主義でもなく、生産者と消費者全体のための本当の共同所有なのである。」40P
そこで、中央集権的生産・国有化と生産現場のサンディカリズム的生産の二様のあり方、前者が国家による労働者の搾取ということに陥ってしまう危険。後者の「産業自治」の概念52P。分配・消費における、各生産団体における分配と中央集権的分配との調整。
また、社会化における「教育」ということの大切さを取りあげています63P。教育というのは公教育だけではなく、労働者や民衆が、党や労働組合の学校や講演会、そして何よりも運動の中で実践的につかんでいくということも含めて言えることだと押さえることですが。
第三に、精神労働と肉体労働の分業問題。
形式的「分業の否定」では解決できないことをコルシュは指摘しています。教育と物質的生産の結合。これはわたし的にとらえれば、決定という精神的労働からの排除の止揚を核として、精神的労働の肉体的労働への優位性を解体していくこと、解体できることとして押さええます(農の楽しさ、体を動かすことの楽しさなど)。
第四に、中央集権主義と共同体分権主義との問題。
武装蜂起――国家権力の奪取――(プロレタリア独裁権力の樹立としての)ソヴィエト(評議会)政府の樹立という路線では、中央での攻防がかぎを握り中央集権主義に陥っていくのですが、下からの革命や評議会運動的なところでは、共同体的分権主義的運動が留意されます。またエコロジー的観点からも、地産地消という地域からの変革ということの重要性も指摘されています。また、サブシステンスというところから農の重要性の指摘もあります。どちらかという二者択一的でもないでしょうが、そして革命の貫徹というところでは、中央集権的革命も必要になるのでしょうが、そのあたりはまさに弁証法的に進んで行くことだと押さえることではないかと思います。
第五に、評議会運動の意義。
スペイン革命時に中小企業の右翼経営者が逃げ出したというところで、労働者の経営者も巻き込んだ自主管理的運営が成立したようです。このことは、オキュパイ闘争という形での展開ともリンクします。日本でも潰れた会社の労働組合管理による運営というようなこともありました。また、関西生コン労働者組合の大手ゼネコンに対する、中小経営体を巻き込んだ協同組合的自治の実践があります。これがまさに評議会運動的な意味をもっているとこころで、国家権力からのかつてない弾圧に曝されているのではないかとも押さえています。
さて、現在的には、連合的な労使協調路線の下に、労働組合運動が抑え込まれています。それを食い破る労働運動は、個別争議での、また職場でのパワハラ問題などの反差別的なところからの、運動の中から、総体的課題での評議会運動的な組合の再編が必要になってくるのではないかと思えます。とりわけ、正規――非正規との分断を超える運動の創出が問われているのではと。
第六に、サンイディカリズム――アナーキズムとの対話。
マルクス/エンゲルスの運動や理論化は、アナーキズムとの対抗関係で進んでいきました。アナーギズムと言っても一様ではないのですが、マルクス/エンゲルスのアナーキズム批判は、ブランキ派の一揆主義的運動、すなわちきちんとした方針を立てない、もしくは情況分析を過てる運動批判。また、経済的なところを押さえない、マルクス/エンゲルスの打ちたてた唯物史観的観点のない主意主義的政治主義批判として出てきました。ただ、マルクス・レーニン主義が陥ったことも含めて、今日の闘争点が国家主義とその批判に当てられているとき、アナーキズムの突き出している反国家主義は、下からの運動、サンディカリズム的なところの評価、評議会運動的なところの評価とともに、採り入れていくことではないかと思えます。
第七に、共産主義の基底としての反差別。 
さて、コルシュがパリ・コミューンの形式民主主義批判をしていたのですが、今日的にコミューンということをとらえ返すとしたら、即ち運動的共同体作りの核をどのように形成していくのかと言えば、それは反差別論的なことを基底としていくということではないかと思えます。現在的に浮かび上がっている争点は、格差貧困問題、正規――非正規との分断問題。パワハラ・セクハラ問題。また、福祉が恩恵としての福祉という枠組みから抜け出せないのか等々。そしてそもそも民主主義(これをわたしは民衆主体主義と読み解きます)を標榜する社会で、王制や天皇制などがなぜ存在するのか、国家神道という流れから戦争を進める軸になった靖国神社などがなぜ存在し続け、政権与党を軸に参拝を続ける事態が存在するのか、どうしても理解し難いことがあり続け進んでいます。それらのことは、今日外国人労働者なしには日本経済は成り立たなくなっている時に、むしろ国家主義的な差別を懐胎して進んでいるのです。まさに差別――反差別ということが、攻防の軸になっていくのではと思います。第一から第六としてあげたことを、反差別論というところから再度とらえ返した運動と理論的深化の中から、運動の共同体作り、コミューン、評議会的運動として推し進めていく必要があるのだと考えています。

さて、もうひとつ、詰め切れていない問題があります。プロレタリア独裁ということは必要なのかということです。そもそも、マルクスやレーニンの時代は、王制や専制支配の時代でした。今日的に、民主主義を標榜する時代になっています。ただ、まだその中で、王制は存続し続け、哲学の世界で「神は死んだ」と宣言されても、宗教が存続し続けています。そして、トランプのような国家主義者がアメリカの大統領になり、ヨーロッパでも極右政党の伸張が出現しています。日本でも、極右国家主義者の安倍前首相が、様々な粉飾をこらしつつ、七年八ヶ月政権を続けました。また、マルクスの唯物史観の定式からすると逆の、経済は資本主義なのに共産主義を標榜する中国共産党の覇権主義的専制的支配も続いています。少しずつ民主化を進めようとしたミャンマーでは軍事クーデターが起きました。革命史をとらえると、革命的なまた民主主義的運動が進むとき、右翼クーデターが起きるのは必須のようです。そのような時、「独裁=軍事的なこと」が、否定できるのかどうか、むしろ疑問になります。長いスパーンの構造改革的革命という道はあるのでしょうか?
あらゆる想定をしつつ、それを見越した計画を立て、情況分析をきちんとして、きちんとした対応をしていくしかないことです。とにかく、極右勢力の国家主義的なことに対し、反国家主義ということを軸にした民衆運動の幅広く深い反差別運動を進め、理論的深化を勝ち取っていかなくてはなりません。


posted by たわし at 03:41| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

UPLAN天笠啓祐「一線を越えた生命操作〜新型コロナワクチン・ゲノム編集食品・RNA農薬〜」

たわしの映像鑑賞メモ052
・UPLAN天笠啓祐「一線を越えた生命操作〜新型コロナワクチン・ゲノム編集食品・RNA農薬〜」DNA問題研究会シンポジウム2021.6.13
 パソコンを操作していたら、パソコンの機能で、この動画の案内が出てきて、丁度ワクチン問題でのいろいろな議論に感じていることがあって、この動画を見ました。天笠さんの講演やシンポジウムには何回か参加していて、本も何冊か買い求めています。まだ、ほとんど積ん読状態ですが。遺伝子操作、さまざまなバイオテクノロジー技術の危うさということを指摘してくれているひとです。
 シンポというか、講演だったのですが、この話はサブタイトルにあるテーマに沿って話が進みました。かなり勉強していかないと、ついていけない内容なので、いつものように本にも書かれていくようですので、また買い求め読もうと思います。ここでは、コロナウィルスワクチンの問題で押さえて置きます。このワクチンは、多量の遺伝物質を投入し、通常七・八年から十年かかる基礎研究と動物実験、ヒト検証を経ないで、遺伝子毒性試験や後になって出てくる発がん性試験も経ないで作られた、ワクチンだということです。
 さて、この講演会を観ていて、そこで語られていたことを、コロナウィルスに論点をしぼる形でわたしサイドの意見としてまとめてみたいと思います。
 先ず、@安全性が立証できないことは、手を付けてはいけないという原則を確立することです。コロナウィルスワクチン、ちゃんと安全性が立証されているとは思えないのです。少なくとも手放しでワクチン接種推奨をすることではないと言いえます。次にAに、ファイザー社、モデルナ社のワクチンも何れも、mRNAを使ったワクチンです。「特例」と言うことで承認されているのですが、遺伝子操作ワクチンの使用はきちんとした検証が必要ですし、これを契機にして、遺伝子操作技術の歯止めのタガが外されることに警鐘を鳴らして行く必要があります。Bに、そもそもバイオテクノロジーの技術には、その行き着く先の、優生思想的な人間観や世界観、すなわち、デザイナーベービー的なところに至り着く、ひとのモノ化、生命の軽視、ヒトという種の絶滅につながりかねない恐ろしさを内包しています。そのようなことも含めて、人間観、世界観から、バイオテクノロジーということをとらえ返し、そこから現実的に起きてきていることをひとつひとつ検証していくことが必要になっているのではないでしょうか?


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BSTBS「報道1930」6月11日19:30〜21:00「新しい「脱成長」の考え方」

たわしの映像鑑賞メモ051
・BSTBS「報道1930」6月11日19:30〜21:00「新しい「脱成長」の考え方」
大阪市立大学教員の斎藤幸平さんがゲストでした。このひとの書いた『人新世の「資本論」』集英社新書2020という著書が30万部を超えるベストセラー・ロングセラーになっているそうです。消費からの変革ということで、世界全体の2%の富裕層が排出炭素の40何%を占めているということを是正していく話をしていました。それだけでしたら、今流行のSDGsなのですが、このひとはSDGsも批判するのです。要するにSDGsというのは、持続可能な資本主義、持続可能な成長経済という論理なのですが、このひとは、成長ということを捨てるしかない、しかし、資本主義というのは成長なしに存続し得ない、従って、資本主義をやめるしかないというはなしまで展開しています。脱成長コモニズム――コミュニズムの話です。そして、バルセロナの女性市長の元で、車をチャットアウトした空間作りをしている話なども出していました。
この日は、アメリカ人(アメリカ国籍)の漫才師から転じて政治へのコメンテーターとして活躍しているパックンが出演していたのですが、斎藤さんに「なぜ、持続可能な資本主義ではいけないのか」という突っ込みをしていました。まあ、資本主義は経済成長なしには継続し得ない、新自由主義的グローバリゼーションは、格差の拡大と矛盾の民衆への転化という差別主義的政治を展開していくので、ますます矛盾が拡大していくというところで、資本主義終焉の主張になっているのですが。
とにかく、大学でマルクスの流れの学が踏み絵的に消えていっていて、もうずっとマルクスというところをとりあげることがテレビの番組でなくなっている時に、マルクス派の経済学者がテレビに出ていて、また本がベストセラーになっているとのこと、潮目が変わってきているのかもしれません。この本を買い求めました。読書メモでまた取りあげます。

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2021年06月16日

グラムシ/山崎功監修・代久二(1・2・3)編集・藤沢道郎(4・5・6)編集『グラムシ選集 第1〜6巻』

たわしの読書メモ・・ブログ556
・グラムシ/山崎功監修・代久二(1・2・3)編集・藤沢道郎(4・5・6)編集『グラムシ選集 第1〜6巻』合同出版社 1961〜1965
 やっとグラムシに入りました。わたしはいわゆる「マルクス主義」の総括のようなことを始めていて、その「マルクス主義」の正統派としての「マルクス・レーニン主義」の批判を始め、そこからはみ出したローザ・ルクセンブルクとグラムシに留意していました。ローザの学習は、前のメモで一応終えました。それで、グラムシなのですが。イタリアの伝統に構造改革革命論ということがあります。構造改革革命論というのは、構造を変えることによってなし崩し的に革命を成し遂げていくという方針です。以前は、日和見主義・修正主義の一典型と「マルクス・レーニン主義」の流れから批判されていました。ですが、現在的にそれが、ソ連邦の解体――「マルクス・レーニン主義」的な革命の終焉の中で、再度とらえ返しがなされてきているようです。わたしは、それがグラムシ発だと思って、グラムシ学習を自らに課していたのです。確かに、そういう面はあるのかもしれません。グラムシは主意主義というか、意識主義的で、上部構造変革論的なことがあり、そういう意味で意識変革・上部構造変革による構造改革革命論とつながるのかも知れません。ただ、武装蜂起――国家権力奪取――プロレタリア独裁という路線を維持しているという意味では、まさに「マルクス・レーニン主義」的でもあるのです(後者に関してはローザもその構図から抜け出せていません。当時の暴力的専制支配下では、現実的にということで、その道を取らざるを得なかったのかもしれません)。
 どうもグラムシは体系的な論攷は残していないようです。しかも、この日本版選集特有の成立過程があります。この選集は最初1〜3巻までを出版し、次に4巻、6巻部分を追加しようとして、4巻、6巻の間に5巻を入れたという経緯があります。5巻はすでに表に出しているそれなりにまとまった短編の論集。他はグラムシの「獄中ノート」が大半です。6巻の最後に、グラムシが工場評議会運動への働きかけを目的にして、週刊紙『オルディネ・ヌオーヴォ』(「新しい秩序」)として出していた機関紙の論攷が載せてあります。これは、初期の頃の文章で時代順にもなっていないのです。また、編集過程の追加的方針で、同じ脈絡の論攷が巻をまたいであるという情況です。最後の6巻にテーマごとの一覧が付録としてあり、索引もあるので、自分で構成し直して読み直すという作業が必要になります。勿論、この本の編者や訳者たちの革めての改訂版に向けた編集作業も期待されるのですが。どうも、そういう作業はなされなかったようです。
そもそも「獄中ノート」自体が、ムッソリーニのファシスト政権下で獄中にあったグラムシが左翼的な本の入手ができず、また外部との通信が検閲のなかでままならず、政治的なことが遮断されていくなかで、また様々な圧力下での獄中生活で、意識論・文化論的なところに収束されていったようなことがあるのですが、そもそもグラムシ自身の上部構造主義・意識主義的なことがあったのだと言いえます。それらのなかで、論攷がパッチワーク的になっているということを感じたのはわたしだけでしょうか?
そもそもマルクス/エンゲルスは哲学的には、青年ヘーゲル派から出発したのですが、その内部論争は、過去の哲学論争の相似性・継承性があり、また、その後の哲学論争を内包している、とも言われています(廣松さんなどの指摘です)。ちなみに、グラムシの論攷はブルーノ・バウアーの「意識」とリンクしているようにわたしにはとらえられます。マルクスのブルーノ・バウアー批判からグラムシをとらえ返す作業も必要になっているのだと考えたりしています。このあたりは、廣松ノート作成の過程で踏み込めるかもしれません。
 さて、グラムシの論攷がまさにイタリア地政学的な内容をももっているのですが、逆に言うと、グラムシやその後のイタリア左派・「社会主義」・マルクス派の理論の理解には、イタリア地政学の学習が必要ではないかという思いがあります。グラムシ自身も、「政治と哲学と歴史の同一」という言葉を使っています。
イタリアの地政学というのは、近現代史においてイタリアでは、被侵略の歴史があり統一国家が形成されていなかった一方で、商業自治都市の歴史からする自治があり、自治的なことがかなり浸透していた歴史もありました。なおかつ、ラテン文化の感性的文化ということも押さえておく必要があるのです。このあたり、ドイツの論理性を追求することと対比的な文化のように感じています。またカトリックの総本山ヴァチカンがあり、宗教改革なしに(ただし人民党というカトリック内の改革派的なものはあったのですが)存続続けたキリスト教的なこととのせめぎ合いのようなことも、イタリアの地政学を押さえるには必要になっているのかなと考えています。こういうところでのグラムシのまさにイタリア的な論攷なのです。
 グラムシはまさにロシア革命にインパクトを受けて、その理論も運動も進めていきます。そして、そのロシア革命における内部論争にもコメントしています。トロツキーやブハーリンの批判をこの本の中で書いています。グラムシの押さえは、日和見主義者は決定論的であり、極左派は主意主義的になっていて、前者をブハーリン、後者をトロツキーとしています。そこでは、スターリン批判が出てこないのです。スターリンは、たぶん、ブハーリンより決定論的になっているのではというのがわたしの押さえ、このあたりは、イタリア共産党内部の論争で、グラムシとトリアッティがボルティーガを極左派として批判いたことと繋がっていきます。ただし、そもそもグラムシ自身が意識主義・主意主義として修正主義として批判されているのです。このあたりは、人間主義と科学主義との弁証法――対話とも繋がっていきます。イタリア共産党の内部論争は、当時隆起してきたムッソリーニのファシズムとの対決の問題として、反ファシズム統一戦線論争の問題と繋がっています。グラムシはまさに統一戦線論をはったのですが、第三インターナショナルは紆余曲折して、ファシズムの台頭を許したという負の歴史があるのですが、グラムシのこの選集の論攷からはそのような第三インターナショナル批判のようなことが何も出てきません。スターリン批判が何もないのです。
グラムシというと、グラムシの名を知るひとの間では、ヘゲモニー論が有名です。これは、レーニン的プロレタリア独裁論のグラム的展開と言える事です。このヘゲモニー論がどうしてもわからないのです。そもそも、「政治とは権力の行使である」というテーゼがあります。政治ということはそういうこととしてあってしまうということで、そこで、政治意識をあえて意識してその政治を進めるという論理なのでしょう。そこから、ヘゲモニー論が出て来ます。すなわち、ヘゲモニーとは、「支配と教育」、「権力の行使と支配――指導と教育」の弁証法ということになるのでしょう。ですが、そもそも運動ということのなかに、その運動の目的とする社会の未来像が、その運動体のあり方の中に示されているという共産主義的テーゼからとらえ返せば、「支配」とか、「権力の行使」という概念が出てくること自体が運動の矛盾そのものなのです。まさに、そのことが、「マルクス・レーニン主義」、これはまさにスターリンが生み出したスターリン主義そのものなのですが、そのことへの批判の核心になるのだと押さえています。
 この著作集の最初は「新君主論」で始まっています。マキアヴェッリの『君主論』のとらえ返しからするヘゲモニー論をそこから展開していくのですが、それは「支配」という概念から出てきているのですが、そのこと自体にわたしは違和を感じてしまいます。そのことは、国家ということを前提にした議論、そのことは、いろいろ注釈はついているとはいえ「共産主義は「国家」に反対しない」5巻196Pなどとか、反差別論を展開しようとしているわたしの立場からすると、そこから当然批判していくことになるヒエラルヒーや権威ということへの批判が欠落していることにわたしは疑問を持たざるを得ないのです。そもそも、グラムシは「障害者」と規定されるひとだったのですが、「働かないものは食うな」5巻83Pという障害差別の核心的差別の言説が出てくることには驚きでした。その他、性差別的なことも出てくるのですが、時代拘束と言ってしまえばそれまでなのですが、グラムシには反差別の思想がない、のです。このことはローザが、様々な被差別事項を持ちながら、個別差別をほとんどとりあげなかったことにも通じながら、ローザには後の反差別論の基底的になる論(「継続的本源的蓄積論」)を展開していたということがあったのですが、グラムシにはそれを感じないのです。むしろ、そのヘゲモニー論は、被差別者が故の権力志向さえ感じてしまうのです。
 余談的になるのですが、わたしはグラムシの意識主義的なことを考えていると、日本における吉本隆明さんの意識論的論攷とリンクしていきます。
グラムシには書簡集もあり、グラムシ研究という形での評論集も出ています。この選集の再構成というなかでの再学習に踏み込むところなのですが、とてもそこまでやれません。学習は、構造改革革命論の核心とでもいうべき、工場評議会運動のとらえ返しの作業が必要になっていきます。構造改革革命論は、労働組合運動の自主管理の中から、アナルコ・サンディカリスムの労働組合主義ともリンクし、無政府主義ともリンクしていきます。そのあたりの押さえも必要になっていきます。この工場評議会運動の流れとグラムシの思想とのつながりから(そのつながりは現時点ではっきりとらえれば、むしろ並行的なことを感じているのですが)、現代につながっているアウトノミアに関する積ん読している本を、次の読書に急遽挟みたいと思っています。


posted by たわし at 17:17| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

CS放送ビデオ・オンデマンド「ビリーブ 未来への逆転」

たわしの映像鑑賞メモ050
・CS放送ビデオ・オンデマンド「ビリーブ 未来への逆転」2008
 トランプ前大統領の時、リベラル派の女性の最高裁判事が亡くなり、その補充で右派の判事を選任した事が話題になっていました。その亡くなった判事は、ルース・ベイダー・キンズバーグというひとで、この映画の主人公です。このひとは、女性差別に対して法制度的なところで闘ったパイオニア的存在なのです。このひとは、そもそも大学の法学部が女性を差別していることがあったのですが、そのことに闘い、そして「優秀な成績」で卒業したにもかかわらず、弁護士事務所に入る壁を越えられず、大学の教員になるのですが、性差別の事件(男性に扶養手当が出ないという反転した性差別事件)で、人生のパートナーの弁護士と一緒に弁護をすることになり、様々な駆け引きや働きかけのなかで、裁判を起こします。ここからは法廷ドラマ的なせめぎ合いのドキドキわくわくのストーリーになっていて、ストーリー展開が映画自体としての魅力を感じさせます。判例や性差別的判事の圧力、慣例による差別という、さまざまな抑圧の中で、くじけそうになりそうなところから一転して、その意志と雄弁で勝利していきます。その後、さまざまな性差別の事件を担当することになり、法制度を変えていったのです。そして最高裁判事にまでなったのです。まさにパイオニア的なひとの意志と生き様を描いた映画でした。どのような分野にもパイオニア的にひとがいて、そこから運動が始まったということを改めて思い起こさせた映画でした。


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2021年05月17日

ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦・米川一夫・阪東宏訳『ローザ・ルクセンブルク ヨギヘスへの手紙 第1〜4巻』

たわしの読書メモ・・ブログ555
・ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦・米川一夫・阪東宏訳『ローザ・ルクセンブルク ヨギヘスへの手紙 第1〜4巻』河出書房新社1976-77
 ローザ・ルクセンブルクの学習20〜23冊目です。これで、ローザ学習は一段落です。
 ローザは「手紙魔」とでもいうべく、いろんな手紙を出しています。そして、手紙は読みやすく、またそのなかでローザの感性のようなことを出しているので、手紙からローザに入るひとが多いようです。わたしも今回のローザ学習シリーズを二つの手紙から始めました。「たわしの読書メモ・・ブログ538 ・ローザ・ルクセンブルク/川口浩・松井圭子訳『ローザ・ルクセンブルクの手紙』岩波書店(岩波文庫)1932」と「たわしの読書メモ・・ブログ539 ・ローザ・ルクセンブルク/秋元寿恵夫訳『ローザ・ルクセンブルク 獄中からの手紙』岩波書店(岩波文庫)1982」です。前者は、「カウツキー夫妻」宛、後者は、ローザが死ぬ間際でかなり行動を共にしていた同志カール・リープクネヒトの連れ合いのゾフィ宛の手紙です。そして、その手紙のなかで一番膨大な量なのは、この四巻本(原書は三巻)の「ヨギヘス」あての手紙です。
わたしは今回は、ローザ学習の一応の最後だったので、最初からこの四巻本を三つの目的をもって読もうとしていました。ひとつは、ローザがヨギヘスとの関係に示される、内包する、性差別的なことフェミニズム的なことをどうとらえていたのかということです。二つ目は、運動的なこと、ローザは民衆の運動の自然発生性に依拠する運動を進めようとしていて、そこでの運動の展開ということを現実的にどうすすめようとしていたのかということを、この書簡のなかでとらえ返せないかということ。そして、三つ目に、ローザの理論的な試行錯誤を含めた、理論の道行きをこの書簡の中からとらえ返すこと。
 その問題意識に沿って、この本には書簡番号がふってあるので、その番号のところに、わたしの問題意識に沿ってどのような内容なのかを、鉛筆で書き込みしていきました。
すなわち一番目の内容のあるところはa、二番目ところはb、三番目の内容があるところはc、として書き込みをし、特に留意すべきところは、○a、○b、○cと丸囲い文字で書き込んでいます。今回も、切り抜きメモを残すのですが、それは丸囲い文字のところだけ。
さて、何のことかわからない文になっていると思いますので、若干の補足説明をしておきます。
まず、aに関わることから。これはわたしにとっては対象化のむずかしいことで、フェミニズムの実践家たちからのとらえ返しに期待したいのですが、自ら対象化できないとしたままではすまされないことで、あえて、簡単な表題にすぎないようなコメントを残します。
 ローザは1918-19年のドイツ革命のなかで、以前はローザ自身がドイツ社会民主党の中でいたのですが、ドイツ社会民主党は議会での議席を増やす中で変節し、その主流派(右派)が政権の中に入り、その下で動いていた右翼の民兵的組織によって拉致され虐殺されました。そのとき一緒にいたのがカール・リープクネヒトで、二人はアジテーターとして有名です。二人はドイツ革命のなかで、ペアで語られることもあったのですが、二人の間には恋愛的・性愛的関係はなかったようで、ローザの当初の恋愛的・性愛的パートナーはヨギヘスだったのです。ですが、その恋愛的・性愛的パートナー関係は破綻し、ローザは一時、ヨギヘスにストーカー的なことを感じていて、一時的には、距離を置こうとしていたようなのですが、そこから、革命闘争のパートナーとして関係を築き直したのです。
次にb。そもそも、ローザとヨギヘスとの間には分業のようなことがありました。その分業は、@ローザがドイツを軸に、ヨギヘスがポーランドを軸にということ、Aローザが演説と理論、ヨギヘスが運動と組織化(そしてローザの理論化のヒントを与える)、Bローザがきめ細かい働きかけ、ヨギヘスがリーダーシップをとった運動の推進。勿論、こういう分業の成立のなかで、その分業故の弊害のようなこともあったのですが、ともかく、そういうところで、互いに支え合っての運動だったようです。これがb。この書簡は1914年で切れています。ですから、運動ということでは、一番肝心のところでの叙述はありません。ですが、これは他の手紙や、ローザの機関紙原稿で追えること、この書簡は「革命運動序章の日記」とも言える内容になっています。
 そしてcとして、この書は、最初性愛的パートナーとしてあったところで、赤裸々に感情と率直な意見ぶつけ合い、そしてエスプリの効いたユーモアーをもった辛辣な批判をなす中で、ローザの書や他のひとへの手紙には出ない、まとまりきらぬままの理論的な試行錯誤をぶつけています。それゆえにローザの理論的な道行きがとらえられるのです。その端的な例をあげておきます。わたしは、ローザも「政治とは権力の行使である」というようなことを書いていると、「通信」の巻頭言の文章の中に書いたのですが、ローザは、政治への忌避のようなことを書いているのです。階級社会の政治は「政治とは権力の行使である」と押さえて、そのことの批判のなかでの自らの政治、政治を否定する政治を推進しようとしているということだと、少なくともそのようなことがローザのなかにはあったのだと押さえ直しています。その他、レーニンがローザ批判として「ローザ・ルクセンブルクはポーランド独立問題で誤りをおかし、一九〇三年にはメンシェヴィズムの評価で誤りをおかし、資本蓄積論の理論で誤りをおかし、一九一四年七月には、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデ、カウツキーその他とともに、ボルシェヴィキとメンシェヴィキの統合を擁護するという誤りをおかし、一九一八年に獄中の著作で誤りをおかした(ただし、彼女自身出獄後、一九一八年の終りか一九一九年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した)。」(「政論家の覚え書」、一九二二年二月末、『レーニン全集』第十三巻、大月書店)ということへの真偽を問題にし、反論を示しうるだろうとも考えています。これに関しては、わたしのとりわけの問題意識「なぜ、ローザ・ルクセンブルクは、個別差別を取りあげなかったのか?」という表題をつけて、「(追記)」として最後に文を書き置きます。
 さて、今回は切り抜きメモは最小限に留めて、各巻でa、b、cと内容的に押さえたことで、特に留意する○a、○b、○cのところを簡単な内容把握を記すだけに留め、書簡番号をあげて、簡単な内容項目を記します。とりわけ肝心な処だけ切り抜きを残します。
 それでは具体的なメモに入ります。
「1巻」
 序文(編者フェリクス・ティフの文)・・・これだけは切り抜きを多用します。しかし、ほとんど前半のところだけ。後半は、本文の中に書かれていることや、伝記を含んだ歴史に関わること。よくまとまった歴史になっているので、関心を持たれる方は読んでください。
「それゆえに、この書簡集は、ポーランドならびに国際労働運動の第一級の人物であり、また当時のもっともすぐれた婦人(ママ)の一人、もっともすぐれた思想家、活動家の一人であって、その作品が、当時、同時代人の間でそうであったと同様に、今日なお人びとの情熱をかきたて、研究者や政治家たちの間に論争をまきおこす人物の自伝――この主のものとして、また事実や心理記述のゆたかさにおいて唯一の個人的・政治的自伝なのである。」9-10P・・・この書簡の大切さ
「ローザ・ルクセンブルクのある種の見解、とりわけ民族問題での誤った理論が、他のどの国の労働運動にもまして、ポーランドの労働運動に否定的な結果をもたらしたのは事実である。」14P・・・「民族問題でのローザの誤り」の編者の指摘。具体的なローザがもたらした「否定的な結果」とは、何を示しているのか、確かにリスアニアの自治を認めないなど論理的一貫性がないというようなことがあったにせよ、編者はレーニンの民族自決権とローザの自治論との議論で、レーニンに引きずられているのでは?
「一八九二年パリでポーランド語で発行された、五月一日(メーデー)に関する宣伝パンフにはじまって、一九一九年一月に、彼女の死の数日前に、「秩序がベルリンを支配する」という表題の下に書かれた有名な論説に終るローザ・ルクセンブルクの著作は、時代の諸問題を実に豊富にふくんでいるので、歴史家も、経済学者、哲学者、社会思想史研究家、政治活動家もそれぞれに、この女性活動家にして思想家(「イデオローグ」のルビ)の作品の中に、貴重な資料を見出すことができるのである。」15P・・・理論・著作活動のはじめとおわり、「貴重な資料」
「ここに発表される書簡からは、意図されたものではないが、書簡の筆者の実に繊細な心理的自画像が自ずから浮かび上がってくるのであって、その文学的価値は、まさしくよい文学のあらゆる愛好者を楽しませることであろう。」16P・・・「心理的自画像」
「おそらく、この書簡集の全体は、なにがしかの程度、この偉大な女性活動家の姿の“素顔をあらわにする”こととなり、しばしば複雑な感情をよびおこすことであろう。しかし、同時に、結局のところそれが、このすぐれた革命家の像を普通の人間の基準によって示すことになるであろう。」16-7P・・・素顔
「研究者にとっては、この書簡集を読むことは、きわめて本質的な認識上の幕(「とばり」のルビ)を開くことになろう。というのは、この書簡集は、ポーランドやドイツやロシアの労働運動に関する、また第二インターナショナルの現実に関する知識にとって不可欠の原資料であり、わたしたちの判断と考察にとって、他のいかなる資料にも見ることのできないような事実や材料を提供しているからである。というのは、この書簡集は、たいてい、公式資料にはほとんど影をとどめていない、そしてほとんど一度も印刷されたこともない政党内部の生活や事件の領域に関連しているからであって、まさにこれらの事件の知識が、政治的グループの行動のメカニズムを理解する上でどれほど大きな意味をもっているかは、歴史家たちのよく知るところである。」17P・・・運動論的なところからのとらえ返しの問題としての「資料」
「きわめて個人的な要素と政治的な要素のこのような驚くべき結合は、書簡の受取人が書簡の筆者ときわめて親密な個人的絆で結ばれていたばかりでなく、共同の闘争によっても結ばれていた人物であった、という例外的な事情のなかではじめて起こりえたものである。つまり、書簡の受取人[ヨギヘス]はもっとも身近かな同志であり、彼女の企画や政治的イニシァティーヴの共同創造者であり、彼女の政治的伝記の事実上の共同創作者だったのである。」17P・・・「縦糸」を対的な感情、「横糸」を運動的つながりとした織物のような活動
「それはたんに書簡の筆者と受取人の間の感情的緊張の力の大きさ、つまりかくも大きな感情のエネルギーを生みだした“落差”によるばかりでなく、前述したような、いかなる構え(「ポーズ」のルビ)からも、政治的もしくは道徳的な習慣を顧慮する必要性からも解き放たれた自然な正直さによるのである。」18P・・・赤裸々な、そしてエスプリのきいた感情のぶつけあい
「当時の社会主義運動に関する知識の百科全書をなしている。」19P
「しかしながら、書簡に述べられている多くの見解が、もっとも親しい人びととの文通にしばしばあるように、手短な印象や、その時どきの意見であるということをたえず考慮しておかなければならない。それらは書簡の受取人とすでにたびたび議論されていた事柄であり、また見解を等しくしている事柄であって、ただ新たな観察を何かちょっとつけ加えるといった事柄なのである。このためにまた、それらはしばしば意識的にいくぶん戯画化された印象ともなる。したがって、ティシカ宛の書簡にみられるローザ・ルクセンブルクの多くの見解を彼女の完全な見解とみなすことはできない。・・・・・・しかし、同時にそれがまたここに刊行する書簡集の大きな価値でもある。というのは、歴史に残っている人物たちとの接触や、ポーランドならびに国際的な運動にとってももっとも本質的な事柄を決定した状況との接触からもたらされたローザ・ルクセンブルクの観察の直接的な成果が、彼女の個人的・政治的に比類なく敏感なプリズムを通して、直接、“生々しく”伝えられているからである。」19-20P・・・公式見解としてあるわけではなく、途中のまとまりきれたままに、吐くことば、逆にそのなかに、理論的深化の糸口になることもありうること。
「ローザ・ルクセンブルクのL・ヨギヘス=ティシカ宛の書簡は、明らかに、いわば六つの基本的部分から構成されている。現存する書簡の基本的な部分をなすのは――一八九三〜九六年にパリからスイスに宛てて書かれた約四〇通、L・ヨギヘスがまだスイスに滞在し、ローザがすでにベルリンに移住していた一八九八年五月〜一九〇〇年八月の間に書かれた約二八〇通、ヨギヘスがアルジェリアに三ヶ月間(一九〇一年一二月〜一九〇二年三月)滞在した間にベルリンから送られた約一〇〇通、一九〇五年四月〜一〇月にクラクツとワルシャワのティシカに宛てて送られた一〇〇通以上、そして最後に、一九〇七〜一九一四年に書かれた約一五〇通であって、ここにさらに、主として同じ町の中――ベルリン――の一地域から他の地域に宛てて書かれた手紙をもつけ加えておこう。その他に、かなり短い一連の書簡と、ローザ・ルクセンブルクがさまざまな会議や集会や講演などのための数日間の旅行期間中に書いた一通ずつの書簡がある。」20-1P・・・書簡の構成
「これらの書簡自身が――たしかに完全なものではないが――この人物[ローザ・ルクセンブルク]のために書かれた最良の本よりもさらに魅力的な伝記となっているのである。」21P
シャルル・ラパポールの描いたヨギヘス像「L・ヨギヘスは、ヴィルノにおいてもっとも活動的な革命家の一人であった。……しかし、ヴィルノの革命的サークルサークルの中では、その極端に潜行した行動と、傲慢な態度のために人気はなかった。……強い意志をそなえ、賢い人であったが、しかし我儘で強情な人であり、全情熱を傾けて革命活動に献身し、実際すぐれた秘密活動家であった。密輸業者たちとの接触をよく組織し、国境を通るすべての秘密の密輸網をすばらしくよく知っていた。自閉的であったが、実際には外見ほど気むずかしくも、近づきがたいほどでもなく、好むときには非常にユーモラスに振舞うことも知っていた。実際、彼の冗談はいつでも辛辣で、毒をふくんでいた」25P ・・・ローザのヨギヘスへの手紙の辛辣さは、ヨギヘスの辛辣さへの相互性の応答から来ているのかもしれません。
註(13)45-46P・・・アクセリロートのヨギヘスへの回想・・・ロマンティストのユニークな孤高の「有能な」地下活動家
一八九三年
一八九四年
15○a○b・・・ちゃんと返事を書かないこと、コミュニケーションをとらないことへの批判   20 ○a○b・・・出版物の費用や自分の「浪費」のことなど、なぜ笑わないのかという問いかけ   A○ab○c「わたしは全部あなたのものですもの。」93P(・・・「一体化」の希求?)、「自立という言葉は、考え方の混乱をまねき、しかも表向きはごく一般的にしか使えないだけにますます混乱をまねくので、いま使うことは有害でしかないでしょう。だから、この言葉はある時期まで取っておく必要があると思います。」95P(・・・なぜ自治論を展開したのか?)、「わたしは意を決して、簡単明瞭に、説明抜きで、われわれのスローガン――それは憲法だ、と書いたのです。」95P   21○ab・・・「わたしはあなたとの再会を夢みています。それがわたしの唯一の幸せ。」96P(・・・ローザには後に現れるように、きっぱりと「自立」するようなことがあり、額面通りとらえられないのですすが、・・・以下同じ)   23○ab・・・「あなたのもとに行きたい。もうこれ以上がまんできない。」98P   25○a○b「もちろんこの連中は鷲ではなくて、たんなる鵞鳥です。でも、どんな場合でも、かれらは「票群(「シュティムフイー」のルビ)」をなすのであり、それはわたしたちには必要なものです。」106P(・・・身内的な手紙で出てくること)、「なぜならわたしのすべてはあなたのもので、わたしはがあなたとともに生き、あなたによって、またあなたのために働いていることをあなたはご存知でしょうから」106P(・・・以下、恋愛的・性愛的なことの文の引用は、特に同じ内容の場合は略)   
一八九五年
30b○c「この号を出せば、ちょうど「イギリスにおける労働者階級の状態」の中でエンゲルスが引いた手紙のように、全世界に強い印象をあたえることでしょう。これは全世界にセンセーションをまき起こします。」115P・・・労働者のおかれている現状とそれに対する怒りのようなことを表しています。これが自然発生性の依拠の理論へつながっているのではと思いました。   31○ab「そして、帰ったら、あなたがヒーヒーいうほど手厳しくあなたの性根を叩き直してやります。見てらっしゃい! 徹底的に恐怖政治(「テロリズム」のルビ)を行ないます。」119-20P・・・ローザの冗談、こういう「わるい」冗談が言えるほどの親密さ   32○ab・・・しゃれた文   33a○b「わたしはこの号を労働者大衆を事実に即して忠実に反映するものに編集しました。・・・・・・広範な大衆の素朴な不満や考えを率直に現わしたもので、その他の中には、政府や検閲や社会主義や組合に関する意見がそこここにちりばめてあります――短い数行の中に。・・・・・・労働者の生活からの恐るべき事実が山とあります。すべての記事が、生活と真実とまことの姿の息吹に満ちています。・・・・・・これはわたしの考えでは、イデオロギー的な観点から見てもっともすぐれた記事です。わたしは一語も書き加えなかったのよ!・・・・・・この号はきっとこの内容によってインテリに強烈に印象をあたえ、われわれの関係がどんなに幅広いかを知らせて感心させることでしょう。一方労働者たちにとっては、きっとこれはもっともすぐれた煽動力のある号の一つとしていつまでも価値を失わないことでしょう。」131-2P・・・民衆の自然性的な意識のとらえ返し
一八九六年
41○ab「わたしが成功して、公的な場所にでればでるほど、あなたの自尊心と猜疑心のためにわたしたちの関係は悪くなることでしょう。・・・・・・――わたしは前者(運動から身をひく)を選びます。」150-1P・・・現実にはありえなかったこと。
一八九七年
46○a・・・文学的   
一八九八年
51○a   54○b・・・綿密な情況報告と確認の作業   56○b「アウアーのところにはイーレル(女性運動の「指導者」)と一緒にいけ、とは、ジョオジョ、あなたは何とつまらないことを考えたものでしょう。吹き出したくなるほど。もちろんわたしはアウアーに、最初の機会にはっきり言っておきました――<わたしは婦人運動とは何の関係もありません>と。これは明らかにかれの承認をえたようです。」207-8P・・・くくられる事への反発と批判はあるにせよ?   60○ab・・・冷めてしまった「甘えん坊」 恋愛ドラマ 姉の弟に対する姿勢のようなこと214P   64a○b・・・感性と理論的提起、ヨギヘスの「指令」   72○a○b・・・なだめ、冗談、計画と主導性、理論家としての自己評価234P   113 ○b・・・註(1)ヨギヘスの否定的見解に対するローザの応答、ザクセン労働新聞の編集長辞任←ヨギヘスが最初から反対していた読みの正しさ294P

 書簡全体を通じた赤裸々な本音トーク、相手を立てて、時には冗談めかしてけちょんけちょんに批判するという手法(ヨギヘスは「指令」、ローザはいろんな指示)手のひらに乗せてあやつるような・・・博士論文をめぐる衝突、意見を訊くけど、その意見を時にはけちょんけちょんに批判する、親しい間だからこそ、そういう批判の仕方ができる?

「2巻」
一八九九年
133b○c「まずいことは、あなたも知っているように、農業問題についてはわたしはまだ何も考えてなく、そのために批評の視点をもっていないこと。」11P・・・農業問題の弱さをローザは、その後どこまで克服し得たのか?   136b○c・・・世界情勢の分析とその共有化   139○ab「亭主がのろまなんだから。だから自分で天才的な思想を考えださなければ。」・・・おそらく、ヨギヘスの冗談的辛辣さに合わせた応答。   140○a○b「あなたのロシア革命に対する態度はすべてわたしに奇妙で不愉快です。結局、自分自身はそれよりもましなことはなにもしないくせに、なにもかも批判し、なにごとにも不平を言うということは無意味だと言わざるをえません。」25P「だってあなたは原則として、かつてあなたに声をかけてきたすべての者を嘲弄し、あなた自身が言っていたように、“唾と頬打ち”で迎えたのだから。それでかれらが一体どんな方法であなたに声をかけられるというの?」26P「ここ数年来あなたが頑固に取り続けてきたこの態度をさらに続けることは、あなたにはまったくありうべからざることです。」27P・・・ヨギヘスの運動への姿勢への批判   142○b「ブランキズムに関しては、今日までまだ何もわからない唯一のテーマ。」・・・ローザはマルクスの流れからアナーキズムを批判していたけれど、かなりその近さをもっていました。農業問題とともに、その対象化をその後どこまでなしえたのかという問題がここにもあるのです。   153○ab「(それからその上に、もしかしたら可愛い、ほんとに可愛いあかちゃんは? 絶対に許されないことかしら?・・・・・・ああ、ジョオジョ、わたしは赤ちゃんは絶対に持てないのかしら?!)」   161○ab「あなたはわたしが判断を求めるたった一人の人だし、事柄に通じているたった一人の人なのだから」73P   168○b「七人半の人間だけでやってきたわたしたちのポーランド=ロシアの芝居小屋で通用したあなたの方法を百万の党に通用する方法に変えなさい、とわたしはあなたにすでに何度も書こうと思ったのです。あなたのやり方は何もかも押し(「シーベン」のルビ)の一手で、誰を説得し、かれをせき立て、もう一人に元気をつける等々。わたし自身もつい最近K・K[カウツキー]とベーベルを訪ねるまではこの方法でやってきました。でも今は、それじゃ駄目(「ムンピッツ」のルビ)だとわかった。小手先では何もできません。まず自分の仕事をしなくては、それには学問が必要です(「ダス・イスト・ディ・ガンツェ・ヴィツセンシャフト」のルビ)。それに舞台裏の策動(「ドラートツイーエライ」のルビ)は役に立ちません! ともかく皆に自由に喋らせる(「ラス・ジー・ドツホ・シーデン」のルビ)こと。」89P  174○a○b「かれらと接触する度ごとにかれらの汚らしさ鼻につき、かれらの性格の弱さやいやらしさ等々が目につくので、大急ぎでわたしの鼠穴に逃げ帰るのです。」96P「でも、もちろんハノーヴァで事がうまく行った途端に、かれ(ベーベル)もK・Kもすぐに冷淡になって、わたしを<テーブル>から遠ざけようとするのです。」97P・・・ヨギヘスと何でもはなせる関係、党内の人間関係――切り捨てられる予感   176○b「しかも、わたしは自分の仕事を批判に限定するつもりは全然なく、それどころか個人をではなく、運動全体を積極的に押しすすめて(「シーベン」のルビ)、われわれの仕事全体、宣伝活動や実践活動そのものをも再検討して新しい道を指し示し(その道が見出されることは疑いなし)、旧習(「シュレンドリアン」のルビ)との闘いをすすめる等々、一言でいえば、運動にたえず活力をあたえることをやりたいと思っているのです・・・・・・残念ながらわたしの参加が遅すぎた先の州議会選挙の問題は、党を強力に指導できるような人物が一人もいないことを示しています。でもこういう問題はこれからもまだ、年に百回も起こることでしょう。現に関税問題、対外政策の問題、産業別労働組合の問題――とあなたは三つの手つかずの問題(「エンバチャートイツウーグラ」のルビ)を取りあげたでしょう。次は古い形式にこり固まってしまっていてほとんどもう誰も動かせないような口頭や文書の宣伝全般に新しい方向を与え、党の新聞や集会やパンフレットに全般的に新しい生命を吹き込むことです。・・・・・・というのは、ポーランド=ドイツでのすべての革命的実践活動を通してわたしが到達した最高の原則(「スプレマ・ラチオ」のルビ)は、周囲や他人を気にせずつねに自分自身に忠実であれ、ということなのだから。だからわたしはドイツの運動のなかでも、ポーランドの運動のなかでも、同様に理想主義者だし、こんごも理想主義者であり続けたいと思っているのです。・・・・・・自分が持っている限りの自分自身の“才能”に頼る以外は、いかなる手段に頼る必要もないわけです。」103-4P・・・運動論的なこと   205○b・・・クラーラ評   P○a・・・父の介助   Q○a・・・父の介助・続き   235○ab「わたしたちはどうしていつも同じことを考えるのか、何だか不思議ね。・・・・・・あなたの意見はほとんどすべて、わたし自身が考えていたことと同じです。わたしの見るところでは、よい論文になりそうです。」・・・ヨギヘスとの共振   256○ab「かれらはベルリンのポーランド人とは資金を与える以外には、何の関係ももっていないことがわかりました。・・・・・・かれらにとって大事なことは、明らかにわたしを選挙の際やその他一般的に、時々グールヌイ・シロンスクに行かせることで、・・・・・・」191P・・・ポーランドの運動に対するSPDの関わり方、ローザはドイツに着いてすぐから選挙の応援演説にかり出され、重宝がられたのです。   257○b・・・ローザの利用   T○b「夕食の際に、ベーベルがわたしにむかって直接(テーブルの向こう側から)大声でよびかけてきました。なぜわたしが婦人運動ではなにもしないのか! と。この問題では何もできないし、何もわからないからだ、とわたしが言うと、かれは大変な驚きようみせ(冗談なのか真面目なのかわからない)、こうしめくくりました――<われわれがそのことをハノーヴァでしっていたらなあ!>(これはつまり、わたしをやっつけてやったのに、ということ)・・・・・・」196P・・・「婦人運動」をめぐるかわし?(参照、たわしの読書メモ・・ブログ547 ・J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5 「ローザは演説の中で労働者民衆に呼びかけるときに「父親」ということばを使い、ベーベルから「母親ではないのか」というヤジを受けたりしています。」)   259○ab・・・一方通行的ローザのヨギヘスへの思い  260○ab・・・前に続く一方通行的   Va○b・・・SPDのひとたちとの交流   261○b・・・ローザはブルジョア出版物の性差別的な戯画の対象になっていました。   265○abc「わたしの親愛なるあなた、どうかお願いだから、あなたの手紙に下線を引かないで。この強情な下線を見ただけでもう神経が痛むから。言葉の下に引かれた太い傍線で頭をどやされてはじめて書かれた事柄の重要性理解するようなバカ(ママ)によって全世界ができているなんて考えないでください。」217P・・・ヨギヘスのこれみよがしの指摘へのいらだちと辛辣な批判?   270a○b・・・KKとの蜜月   
一九〇〇年
275○b「こうしたうちとけた話しあいは、わたしのためにも、事業のためにも、大衆集会より、ずっと有益でした。」234P・・・民衆との打ち解けた話しあいの意義   277○b註(1)・・・ヴィルヘルム・リープクネヒトの党内における(なかんずく、ローザに対する)性差別の指摘   279○a・・・ヨギヘスの説教癖(教訓)   290○b・・・ポーランドの国内運動との連結のきざし   298○a・・・離別の一時的決意(ローザの切り替え的予感)   299○a○b・・・続き、これからの運動   300○ab・・・「自立」的動き(元々あった?)、「浮気」問題?   306ab○c註(3)「民族問題における見解の相違が、R・ローザ・ルクセンブルクをして、SDKPiLの国内組織の再建という困難な課題をみずからに課したグループの思想上の方針に、嫌厭の念をもって対されることになった・・・・・・」283P・・・民族問題での現地とのローザの齟齬   307a○bc「PPSにわたしが入党したことは、わたしの人生において並はずれて重要な行動だったのと同時に、これまでわたしがなし、また、これからさき、なすであろう行為のうちでも、もっとも愚かな行為だったという、結論に達せざるをえませんでした。」284P」・・・判断の誤りと自批   324○a○b・・・一体化の希求、LV(ライプチヒ民衆新聞)との決別   

「3巻」
一九〇一年
一九〇二年
359a○b註(1)・・・「ヴジェーシニャ事件」ドイツ人教員によるポーランド人子どもへの体罰という形での民族差別   361a○b「まったく、議員連中の痴呆(ママ)症状もきわまれりというところです。この言葉の正真正銘の意味でもって(「ヴィー・エス・イム・ブツヘ・シュテート」のルビ)。」42P・・・「精神障害者」差別   380○b・・・フェミニズム的課題をめぐる講演の後での交流会の話、女性が妊娠して仕事をすることへの議論へのローザのコメント   394b○c「かれ(メーリング)は、四巻目にある、ポーランド問題についてのマルクスの草稿をわたしに見せてくれたのです。むろんのこと、PPSがとびあがって喜びそうなことばかり書いてあるやつです。そのことで、きょう、わたしは、こうした見解がどんなに古めかしいものかということを、とっくりと説明してやったのです。」120P・・・マルクスのポーランド論(批判)   
一九〇三年
一九〇四年
一九〇五年
457b○c「ただ心配なのは、マルクスと対立するわれわれの立場をあまりにも強調しすぎている点ですが、この心配も、わたしに言わせれば、とりこし苦労でしょう。このことでは、それこそまったくだれ一人として、おぞけをふるったりするものなどあるわけがありませんし、それに、全体としてみれば、結局のところ、マルキシズムの勝利の歌なのですからね。また、率直な「修正意見」は、わが国の青年をむしろいっそう魅惑する結果になるのではないでしょうか。」189-90P・・・マルクスを教条化しない批判としてのマルクスの継承   459○b註(1)「アドルフ・ヴァルスキの筆による」アジ文のスローガンを(ローザは)「時期尚早のものと見た。」194P註(4) 「檄文の配布」や、「情勢の楽観的に判断している」ことをローザが、「「はねあがり」とみなしていた」195P   496○b「それに、忘れてもらっては困るのですけど、すべての人に「すべて」がわかるようにすることなど、とてもではない、できない相談なのですからね!……」255-6P・・・ローザの実践志向のスタイル   507○b註(1)・・・ブントとの交渉における譲歩しすぎるとの批判と、ヨギヘスの独断的活動での党内衝突   511○b「つぎ、かれはエアフルト綱領を種本にしており、そこには何故か欠落している婦人のための諸要求その他が書かれていません。」279P・・・・ローザにもフェミニズムの個別的とらえ返しはなかったわけではない。   524○ab・・・恋愛的・性愛的関係での不和   534○b・・・フォアヴェルツ編集部をめぐる策動、締め出しと抵抗、「親愛なるラコフスキー!」302Pベーベルのローザの男名での呼びかけ文・・・カウツキーも使っていた。「男並(対等)」に活動するというところでのローザの評価   543○b註(8)・・・パルヴスのミソ(ゴーゴリーの戯曲の著作権料の「パルヴスの浪費」をめぐる衝突)でのローザとの相談   546○b・・・ベーベル、カウツキーとの衝突の前徴   547b○c「「武装蜂起を準備する」とはどういうことなのか、の部分は意図的に記述しました。さもないとわれわれはレーニンの露払い(「シルトクナッペン」のルビ)のように見られるおそれがあるから。かれは武装蜂起を国会(「ドウーマ」のルビ)参加に対立させ、その対立が武装にほかならないと理解している。こういうわけだ、わたしとしてはこのくだりをあなたが決議文に採り入れたことに抵抗を感じました。決議文はそのためにいく分“ボリシェヴィキ的”色合い(「フェルブング」のルビ)を帯びますから。」127P(註(2)も参照)・・・レーニン武装蜂起論との対峙   548○b「カール[カウツキー]は国会(「ドウーマ」のルビ)の件でひっくり返ってしまった(「グリエントリヒ・ウムゲファレン」のルビ)。」329P・・・カウツキーとの対立   549○a○b○c「昨夜、妙なきっかけで母や父のさいごの手紙やアンジャとユージョ(ローザの兄たち)の当時の手紙の入った文箱をとりだし、それらを読み、涙が涸れるほど泣きました。そしてもう眼が醒めなければいいと切に願いながら寝たの。とりわけ(「インスベゾンデレ」のルビ)憎たらしく思ったのは、すべて“政治”なるものです。・・・・・・昨日はすんでのところで、呪われた“政治”の全体(「ゴットフェアダムテ・ポリティーク」のルビ)、というよりむしろわたしたちが営んでいる血なまぐさい“政治”生活のまね事(「パロディア」のルビ)をひと思いに投げ棄て、世界に向けて口笛を吹き鳴らす(「ウント・ブツアイフェ・アウツ・ディー・ガンツェ・ヴェルト」のルビ)ことにしようと決心するところでした。政治とは愚かなバールの勤行のようなもので、人間的存在全体が自分自身の硬化――馬にたとえれば精神の鼻疸病――という犠牲に向かって突進することに外なりません。もしわたしが神を信じていれば、神はこの苦業のためにわたしたちをきびしく罰すると確信することでしょう。」(追伸で、ポチョムキンの水兵の婚約者の誤認識による「後追い」自死事件)331P・・・ローザの感性と政治批判の政治   554○c「あなたの指摘については徹底的に考えましたが、そのうちのひとつ、つまり民族文化への考慮だけを自治の論拠にすることにわたしたちとしては同意できない、という点はおおいに正当だと認めます。ここでもわたしたちにとって第一義的なのは、あなたがあいまいに「経済的分散性」と言っているものではなく、階級闘争およびその「地域的」性格(資本の分散化(「デツエントリザイツア・カピタウ」のルビ))の強化です。・・・・・・わたしたちは階級闘争の党であって、「歴史的諸権利」の党などではない。」339-40P「全体の基礎として第一にすべての特権の廃止、すべての民族集団の同権をおき、その細目、系としてのみ自治を認めるのがわたしの考えです。それこそ自治にかんするPPS等々の立場とわたしたち[SDKPiL]の立場を区別する核心です。わたしたちにとっては諸民族の一般的、連帯的利益=国家全体のなかのプロレタリアートの利益こそ出発点であり、連中にとってはわたしたち[ポーランド人の]分離性が出発点なのです。」「PPSのような地方割拠的な党派ではなく、全国的党派(「オプシチゴスダルストヴェンノイ」のルビ)の一分肢であり、したがってわたしたちの綱領はその各項目の基礎に全[国的](「オプシチゴスダルストヴェンヌイ」のルビ)性格を堅持すべきことをお忘れなく。この鋭い思想のひらめき(「ドウルヒ・ディーゼ・シューラークリヒテル」のルビ)であなたもおめざめ? ハッ?」340P「わたしの考えでは、「ロシア国家に移住するすべての民族の市民権の同権、および民族的言語、文化、学校の自由の保障、ポーランドとリスアニアの国家的自治」です。」341P・・・差別という処から階級概念のとらえ返しの必要性   555○b「ですが、そのためにはポーランドとロシアの新聞を読みあさり、世間で何が起こっているかに精通し(「オー・クーラン」のルビ)党の仕事と接触(「フユールング」のルビ)を保っていなければだめです。さもないと、何を書いても生彩のないきまり文句の屑を吐きだすだけで、「的を射る(「インス・シュヴァルツェ・トレツフェン」のルビ)」わけにいかない。しかも現代は党の積極的な見解を煽動の形で論述(「イズラガーチ」のルビ)すれば住む時代ではありません、いまはひとつひとつの問題が党派闘争の対象です。・・・・・・どうやってわたしにこれができます?」344P・・・文自体はやっている時間がないがないという話ですが、内容的に党派闘争のイデオロギー的せめぎあいと必要性の話   556○b・・・ラーデクへのきめ細かい対応の提起   

 3巻の時は、一緒に生活し始めたころで、それでも、ヨギヘスが兄弟の看病でアルジェリアにいるときとか、ロシア領ポーランドに潜入して動いていたときの書簡のやりとりです。ローザは、「親愛なるジョオジョ」とか、文末の「あなたのわたし」とか、「抱擁」とか書いていたのです。この後、二人がポーランドに潜入して一緒に動いていたときに一緒に逮捕され、その後、釈放の後、ふたりの恋愛的・性愛的パートナーの関係は解消されたのです。ローザは、きっぱりと転換しています。それで、運動的なことをめぐって資料の共有化などで、完全にきれないのですが、そこで、ローザはヨギヘスの行動にストーカー的なことを感じている時期があります。
 ローザやその仲間たちは、休暇旅行や避暑にでかけています。差し迫った事態に至るまでは、インテリゲンチャとしての「中産階級」な生活をしていて、ローザのような実力があれば左翼文筆業で生活ができる情況があったようです。

「4巻」
一九〇八年
一九〇九年
591b○c註(5)アドルフ・ヴァルスキが自らの論文のなかで「ローザ・ルクセンブルクが・「民族問題と自治」と題して『PS』に連載した論文は、実は完結しなかった。「著者にとって、歴代のツァーリ国家における民族問題、ないし諸民族の問題に関する、みずから納得のゆく解決のためには、あきらかに何かがまだ不足していた」からである。」44P・・ローザの論難   603b○c「無政府主義なるものはルンペン・プロレタリアートのイデオロギーであることは、わたしの記憶によれば、すでにプレハーノフがドイツ語小冊子のなかで述べています。・・・・・・ある理論なり政策なりの評価には、それを誰が考えついたのか、はまるで関係のないことですし、・・・・・・」56P   604b○c「自治に関する仕事のプランは次のとおり。これまでの部分は中央の権能に属すべき領域に関して、その根拠を論じました。これからは自治的権能の根拠を論ずることになる。後者が欠かせないのは、さもないと、中央議会の権能を広範に究明したあと、地方議会には何ひとつ残らないのではないか、われわれの“自治”なるものはほらにすぎないのだ、という印象を与えることになるからです。そこで、われわれの自治要求に具体的な内容を与えるためにも、わたしは自治の積極的内容を具体的に展開するつもりです。それゆえ学校制度については二度記述しなければなりません。まず一般的な基盤は全国家的であるべきことを論証し、つぎに、諸原則の執行と適用は自治的であるべきことを明らかにする、というふうに。」61P(・・・自治の中身)。ボクダーノフとの接触62P・・・レーニンのマッハ主義・ボクダーノフ批判も、マッハ主義のとらえ返しの中で再検討(マッハの物理学は量子論への架け橋で、関係論的とらえ返しへの過渡的な物理学版)   613○ab註(4)「R・ルクセンブルクは当時、ティシカに人称形で言及することを避け、非人称形で書くのがふつうであった。」74P・・・非人称形の呼び方――ヨギヘスがいる場所などで表す(705○aで変化)   621○a・・・ヨギヘスの「ストーカ的行為」に対するローザの指弾   
一九一〇年
644○b註(1)・・・ロシアの党派間闘争での資金問題   646○b註(2)・・・ロシアの党的紛争   650○b・・・ローザの甥「カチンの森」で死去  651○b註(4)(5)・・・カウツキーとの分岐、大衆ストライキをめぐって    652○b・・・ヨギヘスとの秘密の共有化進行、連携して動く   704○b註(1)・・・ローザの民衆を沸き立たせる演説   707○b「どうやら編集部どのは紙面の単調さは注意して避けるべきであり、読者というものは惹きつけるべきもので、脅迫してはならないということをまるで気になさらないようです。」160P・・・編集のあり方   728○b註(1)・・・テロ・武力の行使の問題(日本の問題との類似)→688で「追放など考える余地がない」といっていたことの撤回的なこと   
一九一一年
766○b註(8)・・・モロッコ問題でのSPD指導部との論争   777○b註(1)・・・指導部批判を封じ込めようとする編集部との衝突・せめぎあい   782○b註(1)・・・民衆の熱気   
一九一二年
792○b註(2)「きのうレーニンが訪れ、きょうまでにもう四回も会いました。彼と話すのは楽しいです。・・・・・・」(コスチャ・ツェトキーン宛の手紙)224P・・・レーニンとの共鳴   794○b註(3)「ただしこれは当時の彼女を悩ませていた政治不安、すなわち選挙での社会民主党の大勝利が、党内の日和見主義的傾向、議会主義の幻想、彼女の表現によれば“議会主義クレチン病(ママ)”の強化をもたらさないかという不安の間接的表現であった。」225P・・・議会主義批判と分裂問題、「通達」   
798○b・・・きめ細かい対応   806○b註(3)(・・・メーリングの合流)、註(7)(8)スパイ問題   809○b・・・SDKPiLのロシアの党の対立問題に関する見解   
一九一三年
851○b註(9)・・・ローザとカウツキーの対立の本格化   869○b・・・「親愛なる方」の復活(ただし複数形)・・・性愛的関係の解消から、ほぼ書簡のやりとりのない時期を経て、同士的関係としてかなり共鳴しながら動いていく関係を再構築
一九一四年

 一応ここで書簡は終わっています。この後ローザは獄中にあり、検閲との関係もあって、ヨギヘス宛の手紙は出していないようです。一九一八年のドイツ革命の最中で釈放されます。書簡は「革命序説」というところで終わっています。ドイツ革命の最中での文は、機関紙などに書いた文を『ローザ選集』から読み取れます。
 いくつかの押さえきれなかったことを書き置きます。
ローザはクラーラの息子コンスタンティーン(他の本では、ローザの新しい恋人と書いているところもあります。ただし、引用している文面の範囲内では、そのような気配は出てきません)との手紙のやりとり、この本の中で註として引用していて、かなりの分量にもなっています。
 ローザはロシアの党の統一にこだわり、レーニンはボルシェヴィキとしての核的な純化を進めようとしました。レーニンの方針は、結局党独裁の布石になったのではないでしょうか? ただし、レーニンの路線でしかロシア革命は遂行されなかっただろうということで、当初レーニン組織論を批判していたトロツキーが、メンシェヴィキの方に入り、独自のグループを作り「暗躍」し(ローザはこれに不快感をもっていたようです)、レーニンと対立していたのにレーニン(ボリシェヴィキ)に合流したのは、まさにこの思いに至ったからではと、わたしは推測しています。また、すでに順を追って切り抜きの中で書いているのですが、ローザはレーニンの批判をしつつ、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの間で、ドイツの修正主義批判の流れから、ボリシェヴィキよりだったのですが、レーニンは、ローザも含むロシア社会民主党の統一を働きかけを盛んに批判しています。そしてSDKPiL(ポーランド王国・リスアニア社会民主党)の内部分裂のさいには、ローザとヨギヘスと対立していたグループを応援したりもしています。しかし、ローザは、レーニンの理論をいろんな側面から批判しつつも、レーニンとかなり共鳴しています。ローザ評論の中で出てくるレーニンのローザ批判の妥当性は、根源的にとらえかえしていくと、何も残っていないと思うのですが、ローザがマルクスの流れのなかの武装蜂起――権力奪取――プロ独論を維持している限り、その路線での革命の勝利の可能性を追求していく限り、ローザも限りなくレーニンに接近していくしかなかったのだと押さえています。
ローザは、この書簡に度々出てくるパルヴスとかなり接触していて、トロツキーともともに永続革命論を共有化していたのですが、パヴルスは、そのインパクトを与えた革新的論攷のなかでも、結局右傾化していったのですが、パルヴスとの接触や働きかけ合いのようなことがこの書簡の中でかなり出てきます。
また、レーニンが『唯物論と経験批判論』のなかでロシアのマッハ主義者として批判していたボクダーノフとの接点とかも出てきます。レーニンのマッハ主義批判では、廣松さんが指摘する物理学における相対性理論に与えたマッハの影響ということからとらえかえしていくと、実体主義批判としての社会分析が活かせなくなっているということもあります。そういうところでのマッハの理論の意味を、レーニンは押さえていないところで、レーニン理論の硬直化としてあらわれてたのではないかと思います。それでもレーニンは現実的政治で臨機応変的に対処していったのですが、それは結局歪曲されていく革命の道筋もレーニンの理論のなかにあったのだとも思います。
さて、以前「政治とは権力の行使である」ということをローザも言っていたと書いていたのですが、ローザは一方で政治そのもの、権力の行使を批判することも書いています。政治を否定する政治となるのです。マルクスの流れから出発した者としてのプロ独論なり、武装蜂起論なり、階級闘争への従属という政治主義がでているのですが、それを深化してとらえ返す作業が必要になっています。このあたりは、反差別というところからのとらえ返しが必要になっています。これは追記でちょっとまとめてみます。
その他、ラデークの金銭の着服問題など、ほとんど表に出ていないドイツ革命やロシア革命の裏面史ことがこの書簡のなかで明らかになっていました。
 全体を通して、かなり細かい編者の註がついていて、本文より註が多いくらいで、理解するのに役立ちました。人物索引はあるのですが、ひとの名前が覚えられないわたしとしては、トロツキーの『ロシア革命史』のような、人名辞典のような人物索引が欲しかったのですが、自分でそういうものも作りながら、ローザ学習を深めていけたらと思ったりもしていたのですが、とてもそんなことは果たせそうにはありません。最後にまた追記を残します。

(追記)「なぜ、ローザ・ルクセンブルクは、個別差別を取りあげなかったのか?」
 わたしはこの問いかけをローザ学習のなかで持ち続けていました。
 その答えのようなことが、ローザのこのヨギヘスへの手紙のなかで、ローザの試行錯誤の思いも込めた赤裸々な文の中で、それなりにとらえられてきました。
レーニンとローザの民族問題をめぐる論争
レーニンの有名なローザ批判のひとつは、民族自決権をめぐる論争としてありました。反差別を進めようとするひとたちの多くにとって、この民族自決権論争では、レーニンが正しくローザの誤りが指摘されてきました。ですが、レーニンの中央集権制においては、階級闘争に従属する民族解放闘争となり、それはレーニン自身が書いていることですし、ローザが指摘しているように中央集権制と民族自決権は矛盾します。アンチノミーに陥るのです。実際に、ロシア革命で、食料の調達というところで、ウクライナに中央軍を侵攻させたことや、ブレスト=リトフスク条約の締結というドイツに各地域を切り離して譲渡するという、民族自決権という概念からしてありえないことをやりました。自決権ということが、単に民族差別による分断による階級支配を阻止するためのお題目となっていたことを示しています。民族自決権は虚構である、というより、そもそも民族概念自体がひとつの物象化された概念にすぎないこととしてあったのです。レーニンは、スターリンの民族政策で、そしてその専制的支配の徴候をとらえ危機感をもち最後の闘争を試みましたが、結局敗北してスターリンの粛正体制を生み出すのを阻止しえませんでした。ですが、そもそもレーニンの自決権自体が虚構としてあることを、スターリンは実行しただけというようにしかわたしにはとらえられません。今日それは、自決権をめぐる破綻の例示としてユダヤ人の自決権としてのイスラエル建国とシオニズムという他の民族の抑圧情況の創出として端的に現れています。それは、歴史的に差別されてきた民族としてのユダヤ人が、差別されるのはいやだというところから、すべての差別を排する反差別運動として展開するのではなく、差別されるのはいやだけど、差別するのは良い、差別する側になりたいというところに陥ったのです。それは民族というところでは被差別集団としてあったとしても、階層的にはかなり差別する側にあるとか、インテリゲンチャ的にむしろ相対的に優位な層としてあったところで、反差別を総体的根源的にとらえられないところから生じた問題でもあったのです。
レーニンの自決権とローザの自治論
 さて、レーニンの民族自決権にローザは反対したと言われますが、単に反対したのではなく、民族自治論として展開したのです。では、自決権と自治論とではどう違うのでしょうか? このあたりローザもすっきりと整理し得ているようには思えません。この本の中でも、書簡591のアドルフ・ヴァルスキの言葉として残っています。わたしは、それはローザの反戦とインターナショナリズムの思想を国家主義批判として展開するところで押さええるのではないかと思います。これは、レーニン国家論のとらえ返しの中でも出てくることです。レーニンは、マルクス/エンゲルス(以下「マル・エン」)の『ドイツイデオロギー』を、まだ遺稿が整理されないなかで読んでいず、その中での国家=共同幻想規定を知らなかった、そこでレーニン国家論の著『国家と革命』の中でも、軍事的・官僚的統治機構としての国家=暴力装置という側面のみが展開されることになっているという批判が出ています。実は、わたしはレーニン学習の過程で、マル・エンの書簡集のなかに、国家の共同幻想規定があり、それをレーニンが引用しているので、まったく知らなかったわけではないと押さえています。しかし、それを自らの国家論のなかに組み込んでいません。マル・エンにしても、その後の階級闘争の情況分析の本のなかで、武装蜂起――権力奪取――プロ独論として展開していた流れがあり、まさにそこからレーニンの革命論が出て来ているのです(最晩年にエンゲルスが議会主義に陥ったかのような側面もあるのですが、これに関してはローザがドイツ社会民主党右派のエンゲルスの政治利用と編集改編批判として取りあげています)。ローザは、マル・エンの理論を教条主義的にとらえず、マルクスの『資本論』第二巻の拡大再生産表式の批判に踏み込んでいます。ただ、国家論に関することは、マル・エンを踏襲しています。これは、マル・エンがアナーキズムとの論争とせめぎ合いのなかで、自らの共産主義論を展開していったことから、国家主義批判に踏み込むとアナーキズムに陥るということでの、「踏みとどまり」があったのではないかと、わたしは押さえています。このあたりのもう一段のとらえ返しが必要になっています。それがローザの陥ったアポリアから解決の途を探っていく作業になるのではないかと思います。
従属論の誤り
レーニンは、差別は(それは当時は民族問題と性差別の問題でしかなかったのですが)、「階級支配の手段」とか、「階級支配の道具」としてとらえていました。実は、ローザも同じようなことを書いています。そこでは、階級闘争に従属する反差別運動というようになります。また、逆から照射すると反差別運動は階級闘争の手段となり、そこから個別反差別運動の階級闘争への政治利用のようなことも生み出されてきました。また一方で、個別差別ということは分断をもたらすやっかいな問題として対象化をさけるということも起きていました。そして階級闘争一元論での前衛党論のなかで、個別差別に関しては、前衛党は前衛ではなく、せいぜい後衛で、ときには反対側の差別抑圧する側に立ってることさえ生み出されていたのです。
 そこで問題になっているのは、階級という概念自体をとらえ返す作業であり、そもそも階級も差別の問題のひとつであるという押さえをすることです。
そもそも階級とは何か。
そもそも階級という概念は、私有財産制による生産手段の所有からの排除と、分業による知的資源の資本主義的占有からの排除と労働能力の個人への内自有化から来る位階(ヒエラルヒー)として押さええます。今日「障害者運動」のなかで、優生思想や能力主義批判の中で、この労働(能)力をマルクス『資本論』を物象化という観点から読み解く中で、物象化批判としてとらえ直す作業が出てきています。「労働能力」ということもひとつの差別の問題であり、このことで作られるヒエラルヒーを差別として批判していくことが、資本主義社会の根源的な差別、唯一のマジョリティの差別の問題なのです。
問題は、階級問題をマルクスの流れからは、ブルジョアジーとプロレタリアートの敵対的矛盾とその解決として切り詰めたことから発します。階級なり位階(ヒエラルヒー)ということでの社会の矛盾がとらえられなくなり、単純化したところでプロ独論が出てしまうのです。そもそも他の差別がとらえられなくなってしまうのです。
今日のサヴァルタン論なり、「マルチチュード」という概念からすると、プロ独論などというのは、過去の遺物でしかないのです。
階級概念を認識論的に掘り下げる
さて、階級の物象化の問題を、わたしがその独自の物象化論として展開している廣松物象化論からとらえ返す作業をしておきます。廣松さんは物象化批判、すなわち実体主義批判をするために「函数連関」という概念を突き出しています。函数と変数の関係の関係は、「f(x,y.z)という函数は、 x,y,zという変数からなりたっている」という定式で表せます。この時、個別差別をx,y,zとして押さえ、f(x,y.z)を関係性の総体なり、差別の構造(変動する「構造」、実体主義的にとらえない「構造」)というところで押さえることになります。
 階級問題に個別差別が従属するというということは、変数を固定数=定数として実体化することになってしまっていて、関係性総体を狭義の階級に置き換えてしまっていることからきています。だから「階級闘争に勝利することによって、個別差別も解決する」という構図がうまれてしまっています。狭義の階級概念というのは、生産手段の私的所有すなわち、生産手段の所有からの排除(共有の否定)がもたらす格差を指します。これによるヒエラルヒー=位階が生じます。ここで、押さえねばならないのは、位階=ヒエラルヒーはさまざまな差別においても存在するということです。そのひとつとして、労賃の格差となってあらわれる「労働能力の格差」(資本主義的生産関係における「労働力」という物象化=「「能力」を実体(主義)化した「個」という「実体」に内自有化させた錯認」)も財産的な格差のみならず「労働能力」というところでの位階という意味での階級の存在がそこにあります。その他個別差別は、差別による労働力市場に参入できない、相対的下位におかれるなどの狭義の障害問題ともリンクする仕方で、「差別の構造」ということを形成していくのです。
これらのこと、マルクスの思想の流れのなかでは、階級闘争を資本主義生産様式のなかにおける搾取という概念から、結局ブルジョア階級とプロレタリア階級の闘いとしました。それは、初期の単純生産においてはそれなりに有効性を持っていたのですが、ローザはマルクスの『資本論』第二巻の拡大再生産におけるマルクスの表式批判をなしました。これは当時「帝国主義論」と言われているところで、植民地支配による収奪や搾取なしには、マルクスの拡大再生産表式は成り立たないと批判したのです。これは資本主義成立時の本源的蓄積概念をおさえる中で、それが資本主義の継続のための、継続的本源的蓄積論としての搾取や収奪の概念として出されたのです。これは植民地の独立の時代――ポストコロニアリズム時代には、グローバリゼーションという概念で、単に植民地支配の理由付けとして機能した人種民族差別だけではなく、帝国中枢国内においても、性差別、障害差別、民族人種差別、中央の地方に対する差別という様々な差別なしには資本主義は継続し得ないという理論に結実しています。
もうひとつ、書き置きますが、ローザは『資本蓄積再論』で、表式をめぐる議論になかで、結局表式化を放棄しました。これは、表式ということ自体が実体主義的なところにおちいっていくことをさけるという意味も持っていたのだとわたしは考えています。ローザがそのことを意識していたかは別問題ですが。
各差別における「ナショナリズム的」運動
「ナショナリズム」とは、民族概念です。そもそも、民族ということで対立・紛争が起きていました。そもそも、民族概念自体があいまいで、「民族とは虚構である」という突き出しさえ出ています。わたしも民族概念を物象化概念から押さえ返そうとしています。だから、そもそも民族という突き出しをするのを止めようという論理さえ出てきます。ただ、民族差別を受けるひとたちがいます。だから、その事の対象化と差別からの解放を求める運動も起きてきます。わたしは障害問題からのとらえ返しで、「「障害者」差別を受けるものが「障害者」である」という一見同義反復的にとらえられる規定の意義を押さえて、民族も「民族差別を受ける者(集団)が民族である」という規定の有効性を突き出しています。ユダヤ人について民族か否かの論争があるのですが、ナチスドイツのホロコーストにあっているわけで、そういう意味で、民族差別を受けている者(集団)であるのです。ただ、差別されると同時に差別するものとしても現れる構図があります。財産やインテリゲンチャとしてのかなり相対的優位の階層として存在することがあるわけです。そういう対立の構図を「ナショナリズム」と押さえて批判しているのです。
これらのことは狭い意味でのナショナリズム=民族の突き出しだけでなく、他の被差別事項においても存在し得ます。たとえば、フェミニズムの運動が、白人中産階級の知識人の運動として、民族・人種差別やそして他の差別、そして理論的後発の障害差別においても、「産む−産まないは女が決める」というスローガンが「障害児」の中絶問題として対立的な様相を呈しました。また性的マイノリティ、今日的にLGBTQと突き出している人たちと旧来のフェミニズムとの軋轢も生じてきます。
「なぜ、ローザ・ルクセンブルクは、個別差別を取りあげなかったのか?」
ローザの時代に他の差別の問題はまだほとんど対象化されていず、民族的な本来の意味でのナショナリズムやフェミニズムの問題としてありました。そして、レーニンの民族自決権は、被差別者の民族自決権を問題にし、差別する側のナショナリズムは否定するという論理なのですが、どこでその線が引けるのでしょうか? ひとつの民族に対して被差別者的にあり、もうひとつの民族に対して差別する側にあるということがあり得るのです。だからこそ、そのような錯綜したところで、民族自決権を突き出していけばどうなるのかということの例示が、ユダヤ人のイスラエル建国によるパレスチナ人への抑圧の構造として端的に現れているのです。ロシア革命においても、ユダヤ人のブントという組織が存在しました。ローザはポーランドの運動の中で、「仲間集団」を形成したのですが、ヨギヘスも含めてローザもユダヤ人で、その「仲間集団」には多くのユダヤ人がいました。ですが、その「仲間」は、時には共闘はしましたが、ユダヤ人組織のブントに入ることはありませんでした。いわば、ローザはそのインターナショナリズムにおいて、ナショナリズム間の衝突の構図をとらえて、そして反戦国際連帯という処での、国家主義的突き出しの陥穽ということをとらえていたが故に、民族自決権の批判をしていたのだと思います。ですが、自治という形で突き出したのは、そこまで明確に言葉化したのかは、あやふやなのですが、国家主義にとらわれない自己決定の尊重というところでの突き出し、もしくはそのことの内包だったのではないかと思っています。
さて、フェミニズムに関しては、当時は男社会に、ローザは男と対等にやりあうというところからむしろ運動のリーダーシップさえとっていたのですが、女性であることを突き出さないことに終始しています。ヨギヘスとの恋愛的・性愛的なところでの、当時のジェンダー意識へのとらわれがあるのですが、それも、ヨギヘスの性抑圧的なところから自立して、同志的関係を結び直しました。これがローザにとってのフェミニズムだったとも言えるでしょうか? もうひとつ、クラーラ・ツェトキンがフェミニズムの課題で動いていて、その間に分業的な関係を取り結び、金銭的援助ということも含めて、ローザはクラーラの要請で「婦人集会」で演説したり講演したりしています。そして、カール・カウツキーとの家族ぐるみの付き合いから、カールとの対立のなかでも、その連れ合いのルイーゼ・カウツキーとのシスターフッドともいうべき関係を続けていました。
なぜ、ローザは個別反差別をとりわけ突き出さなかったのか、それは、個別差別をとりあげて、そこに集中していけば、そこにとらわれて差別の総体的根源的とらえかえし、あえていえば「差別の構造」のそのものを打つ運動にならないということがあったからだと言いえます。もちろん、「自らの被差別で闘えない者は、(広義の意味の)階級闘争(――すなわち差別の構造)を闘うことはできない」という定式があり、それは有効であり、自らの被差別での闘いをくぐる必要があるのですが、ローザは当時まだ課題にもあがっていなかった障害問題以外では、明らかにくぐっています。当事者の問題ではラジカルなのに、他の問題では差別的だとなり、結局総体的に差別主義に陥る、わたしはローザはそういうところに陥らないで、個別被差別でくぐったところで、反差別というところを確立し、個別差別だけに留まらないで総体的に差別を問題にし、差別の構造というところまで根源的にとらえかえすこととして、闘ったのだと思います。まだ理論的深化というところでのあいまい性はあったにせよ、です。それだからこそ、ローザの継続的本源的蓄積論が、今日の反差別運動の、そして広義の意味での階級闘争の理論として評価されている事態が創出しているのだとも言いえるでしょう。


posted by たわし at 00:35| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

VIDEONEWS.COM INTERNET -TV インタビュー対川田昌東「トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない」

たわしの映像鑑賞メモ049
・VIDEONEWS.COM INTERNET -TV インタビュー対川田昌東「トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない」2021.4.17
VIDEO NEWS - ニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコム
 トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない(河田昌東分子生物学者) -インタビューズ 無料放送 (videonews.com)
政府が閣議決定でフクシマ原発事故処置のなかで大量に出てきている「トリチウム水」を海洋に流すという決定をしました。この問題で、「VIDEONEWS.COM INTERNET -TV」(インターネットテレビ)が、分子生物学者の川田昌東さんにインタビューしたビデオです。
ビデオを見てもらうと良いのですが、インターネットを見れないひともいます。また、字幕も手話もついていません。また、障害問題で、もう少し差別について考えて欲しい表現もあったりしました。で、この問題で電力会社抗議行動で配られた文書でよくまとまった文も参照にして、一応わたしサイドで簡単にまとめてみます。
「トリチウム水」と書きましたが、アルプスという装置を通した「処理水」=「トリチウム水」としているのですが、処理しきれない核種がトリチウム以外にも多々あります。いままでタンクに溜めてきたのですが、それがいっぱいになったから水にうすめて流すと言っているのです。意味不明です。水にうすめても流す時間と分量が増えるだけで、元々の核種の量自体は同じです。どういう形でか、「水俣病」のように集積される可能性がまったくないとは言えないし、またそもそも事故を起こし、またそれ以前から以後にも、そもそもタンクはまだ作れるのに何故流すという方針を出すのか、これはフクシマ原発事故が津波によって起きたという政府――東電の主張によれば(地震による配管の破裂説との対話がなされていません)、お金がかかるというところで堤防のかさ上げをしなかったことの二の舞でしかありません。
政府は、トリチウムは現実に運転している原発でも出ていて、海洋放出していると言っているのですが、そもそもこれ自体もおかしいのです。トリチウムの危険性が指摘されているのに、それに対する反論をきちんとしていないのです。その上に、事故後デブリに直接あたった汚染水で、取り切れない核種も流すのはどう考えてもおかしいのです。そして、東電が事故を起こしたこと、そしてそれ以前と以後の隠蔽体質や、最近明らかになったように原発への入場者へのIDの不正使用など、「事業者能力」がそもそもないことからして、実際に何が行われていくか、わかったものではありません。
 トリチウムの危険性の指摘、実際の被害の話もいろいろ指摘されているのですが、そもそも全ての問題に言えるのですが、ちゃんと答えようとしません。政府・東電の主張は「被害はない」といういい方までするのですが、「科学的」な粉飾をこらすときには、フクシマで甲状腺癌被害が現実に出ているときに、「被害との因果関係は認められない」という言い方するように誤魔化すのです。この「科学的粉飾」、その一つとしての因果論というのは、もはや科学の名に値しない理論なのですが、それをいまだに使っているのです。科学・哲学的なところでは、物理学のニュートン力学的なところから量子力学へのパラダイム(基本的な考えの枠組み)転換が起きたように因果論などではなく、相作的関係論なり、函数的連関の関係論としてきちんと論理的な議論をしていくことです。わたしは政府・企業専門家とそれを批判する学者や理論的なことをきちんと押さえた運動家とのオープンの議論を徹底的になしていくことが必要なのだと思っています。そして被害がでることに関しては、説明責任は「加害者」側にあり、「きちんと説明できないものはやってはならない」という原則を立てることです。これは、(いろいろ問題ありと批判されていて実際的にも問題ありなのですが、それでも意味のある)「アメリカ障害者差別禁止法」がかちとった考え方です。
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NHKスペシャル「家族が最期を決めるとき〜脳死移植 命をめぐる日々〜」

たわしの映像鑑賞メモ048 
・NHKスペシャル「家族が最期を決めるとき〜脳死移植 命をめぐる日々〜」21.4.11 21:00-21:50
この番組の情報を流してくれたひとがいて、見ることができました。
レシピエント(臓器移植を受けるひと)の情報はかなり出てくるのですが、ドナー(臓器を提供するひと)の情報は余りでてきません。この番組は、ドナー側のしかも、今日改訂臓器移植法の制定で、家族の判断で臓器の提供ができることになったなかで、残される家族の死者への思いから揺れ動く心情をとらえた番組です。
三つの話からなっています。ひとつは子どもが交通事故で亡くなり、脳死が宣言されて、父親が移植によって臓器が他のひとの中で生きることによって子どもが生き続けるということを母親に提起して、母親は迷いつつそれを受けいれていき、そして子どもの同級生の卒業式で、臓器移植をした話を母親がしていく場面が出てきます。
もうひとつは、生き甲斐をもっていた職場が変わり、そのことに悩んでいた父親が子どもに当たるようになって別居していたところ、父親が自死して、母親が贖罪の意識にかられていたところ、母親が父親が臓器移植の意志表示していたことを思いだし、臓器の提供をしたという話です。
三つ目は、実は、バランスをとろうとしたのか、子どもを交通事故で亡くした母親の、臓器移植しなかった話です。これは、死に関してよく言われること、「ひとは二度死ぬ、ひとつは肉体的な死であり、もうひとつは、周りのひとの記憶からそのひとが亡くなるときだ」ということで、母親の思いのなかで子どもが生き続けていることなのですが。わたしはねこれがそもそもオーソドックスな死者への思いだったのだと思っていました。
さて、脳死臓器移植のそもそもの問題点は、そもそも臓器移植のために「脳死をひとの死」と規定していくことから始まっています。体がまだ温かいのに、臓器を取り出し、ドナーに死をもたらします。そもそもは、心臓の停止、呼吸の停止、脳波の停止、細胞が死に向かって壊死していくそのことをもって死とされていたのを、脳死を軸に据えて、いくつかのテスト(それ自体が死をもたらすことも含めて)や準備作業が死をもたらすことも含めて、臓器移植が進められていくということがあります。そもそも、脳死判定をされたひとが生き「帰り」、生き続けている事態がいくつも出ているのに、なぜ脳死臓器移植が進められるのか、どうしても理解できません。
そして家族の臓器移植の承諾・決定を生み出していく言説があります。それは、「いのちのリレー」とか「子どもの臓器が他のひとのなかで生きていくことによって、亡くなったひとが生きていく」というような錯覚とか言い様がないことが、いったい誰が言い始めたのか、わたしはつかめていないのですが、そのような非論理的な話にドナーの家族がとらわれていくということです。
これから先の話、講演会とか本とか読む中でわたしが得た知識、ほんとは文献を示しつつ、どこまでがその文献の話で、どこからがわたしの意見なのかをはっきり区別して書いていくことですが、そもそもこのようなことあいまいなまま、新たに論を形成していくことなので、あえて、わたしの現在の考えとして書いていきます。
そもそも身体(註1)の部位は、身体総体の分節です。切り離した場合、新たなホメオタシスを形成し身体が生き続ける場合もありますが、その部位がなくなることによって身体総体の死を迎えることもあります。その部位は、身体総体の死のなかで部位も死んでいきます。ところが、それを「医学の進歩」と称して、他の身体のなかに移植する技術を創り出しました。他の身体の部位を移植すると、移植された身体はその新しい部位を拒絶する免疫機能を働かせます。それを抑制する、免疫抑制剤を創り出すことによって移植を可能にしたとされます。
そこで、「命のリレー」とか「臓器移植で、そのひとのなかで死者が生き続ける」ということはどういうことを意味するのでしょうか? その論理が成立するには、移植された臓器が、人格をもっているということでしかありません。移植される臓器も生命体ですが、それは人格であるとか「その人格の分節である」(「人格の分節」などいう概念は実は存在しえないのでしょうが)であるなどということ、そのようなことに近い論理が成立するのは、元の身体の一部であることが必要であるわけで、元の身体から切り離された部位に人格があるとは思えません。もし、そのようなことがありえると仮定したら移植された部位が、移植された先の身体を乗っ取ろうとする、そしてそれに対して乗っ取られる恐れがある身体がそれを拒否しようとすることが免疫機能だという恐ろしい話になっていきます。そんな仮定が成立するなら、臓器移植は許されるはずもないことです。これらのことには、「仮定は否定である」というヘーゲルの規定を適用せざるをえないことですが。
仮定の話から外れて、現実の話を書きます。移植される臓器も生命体ですが、実はその臓器をモノ化することによって可能になるのです。これは、実はその実態がまだ体系的に明らかになっては来ていませんが、現実に進んでいる臓器売買の話、すなわち臓器の商品化というモノ化ということによって明らかになってきています。その臓器のモノ化は、そのことを通して、ひとそのもののモノ化になってしまっているのです。だから、そのようなことの批判を避けるために、臓器の売買、商品化を禁止しているのです。
さて、この番組の話に戻るところですが、わたしはその家族思いの分析をしたくありません。問題はおかしな言説を広めた臓器移植を推進するひとたちの言説の批判なのです。
さて、この番組は家族の決定を問題にしています。そもそも自己決定ということで、これ自体も欺瞞なのですが、進められてきたことを更に、本人の自己決定も無視して、家族の決定にすり替えています。以前、朝日新聞のコラムで、フェミニズム社会学の上野千鶴子さんが、高齢者が介護保険を使って老後の生活を送ろうとするとき、障害になることがある。それは家族だ。というようなことを書いていました(註2)。家族は、まさに利害関係者なのです。
誤解のないように書いておきますが、この番組に出てくるひとたちに、このような家族内のエゴイズムというようなことがあったわけではありません。しかし、現実に臓器移植をめぐる家族の決定ということが、何をもたらすかをきちんと考えておくことが必要だと思えるのです。
この番組は、かなり問題点をとらえようとしているのですが、やはり、ジャーナリズムの中立性にとらわれて、問題を掘り下げていません。その問題を掘り下げるために一石を投じておきたいと、文を起こしました。


1 身体論も勉強し始めていたのですが、「身体とは関係の分節である」という提言に出会って、それに納得したまま、多くの課題ととともに棚上げしてしまいました。身体ということばを使うと、精神と身体という対比なのですが、わたしは身体を「肉体と精神との統一としての身体」としてとらえています。
2 上野さんは介護保険制度や福祉制度を過大評価していると感じています。実際に、それだけで、「文化的に生き」、もしくはそもそも生き得るようにはなっていません。


posted by たわし at 00:27| 映像鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月15日

田村雲供/生田あい編著『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』

たわしの読書メモ・・ブログ554
・田村雲供/生田あい編著『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』社会評論社1994
 ローザ・ルクセンブルクの学習19冊目です。これも再読です。
 ローザ・ルクセンブルクは性差別の問題でほとんど文を書いていませんし、運動的にもあまりとりくんでいません。それは性差別の問題だけでなく、他の差別の問題にも及びます。そもそも、レーニンとの民族自決権を巡る論争にも、個別被差別を超えた連帯の志向があります。
 それにも関わらず、なぜ、女性たちのこの本が成立したのか、これまでのローザ・ルクセンブルク学習からすると、@ローザ・ルクセンブルクは女性であり、女性との間でシスター・フッド的な関係を形成していったこと、そこでのこの本の著者たちとのシスターフッドA女性の感性で方針を出していったということがあります(例えば反戦の思想)、しかし、女性の立場できちんと運動しなかったがゆえの徹底性をもちえなかったということ(武装蜂起的なところでのとりこまれ)もあるのですが、Bローザ・ルクセンブルクの継続的本源的蓄積論の理論のなかに反差別の思想があり、女性のみならず、被差別者の立場が、その事の中に含み込まれています。これも、きちんと現実的にとりこまなかったがゆえ、男たちの発達史観――進歩史観にとりこまれたことや、民族自治論の不徹底などということもあるのですが。とにかく、今日的に反差別運動のなかで留意されています。この本のなかで、そのあたりの展開も一部なされています。
 さて、早速、読書メモに入ります。最初に目次をあげます(詳細なタイトルは省略)。
      目次
序論 ローザ・ルクセンブルクとフェミニズム     田村雲供
第1部
女(わたし)の目で読み解くローザ・ルクセンブルク 寺崎あきこ
――性・民族・階級を考える手がかりとして
斃れた者への祈禱                  富山妙子
 ――ローザ・ルクセンブルクとケーテ・コルビィッツ
ローザ・ルクセンブルク再考            足立眞理子
 ――資本蓄積・<女性労働>・国際的-性分業
私のロシア革命論                  生田あい
 ――“生の賛歌”としての社会主義
ドイツ・バイエルン革命とフェミニストたち      田村雲供

第2部
社会主義と家族                   水田珠枝
 ――コロンタイを手がかりに
社会主義の挫折とフェミニズム            大沢真理
日本資本主義とその文化イデオロギー         大越愛子
フェミニズムから「国家」論を読み解く  江原由美子+生田あい
資本主義と女性抑圧の文化構造        フリッガ・ハウク
女たちのレーテを            コーネリア・ハウザー

ローザ・ルクセンブルク邦語文献目録
あとがき
執筆者略歴

序論 ローザ・ルクセンブルクとフェミニズム     田村雲供
 この文は最初に読んだときは、ざっと読み流していたのですが、今回はすごくインプットされました。論点をかなり出してくれています。切り抜きメモを出して、いつものように斜文字でわたしのコメントを書き添えます。
「つまり、ローザ・ルクセンブルクに「女」を発見していく過程を素描し、女たちとローザ・ルクセンブルクとの出会い、そしてドイツの新しい第二波フェミニストの提起した問題からローザを逆照射してみることである。同時にこの作業は、本書におさめた女性たちの論稿にみられる問題意識とそれぞれに重なるものであろう。」7P
「ローザ・ルクセンブルクはいうまでもなく女性であった。しかし彼女の思想や行動は、男という名の人間に伍して、渡りあってきたから、評価なり批判なりがなされてきた。女性であるにもかかわらず男性に肩を並べて論争し行動した「男なみである」ことにたいし、男女を問わず人びとが感嘆した時代があった。この感嘆のなかには、女であることを否定的劣勢の要素と認める暗黙の了解がある。しかし、歴史は反転を可能にした。反転の経過をみることにしよう。」7P・・・反転しきれたことと、しきれなかったこと。フェミニズムを押さえたところで、反差別という地平から反転の作業には入れていない。ひとは時代を超えて生き得ないとしても・・・。
「まず、ローザ・ルクセンブルクの女性性が積極的に強調されだしたのは、ルイーゼ・カウツキーやゾフィー・リープクネヒトに宛てた彼女の手紙が公にされたときからである。これはルイーゼ・カウツキーの意図的な行動でもあった。/「暴力と破壊の扇動家」とみなされ、「赤いローザ」とよばれたローザ・ルクセンブルクであるが、じつはきわめて繊細でやさしい心の持ち主であることが手紙の公刊によって証明された。ゆたかなルーマニアの広野から略奪してきた戦利品の牛に・・・・・・」7-8P「市民社会の台頭期には男も女もじつによく泣いたが、男女の性別性格の対照化の定着と社会の安定とがあいまった、情緒・感傷性は女の特性とされていく。男の能動にたいし女の受動、男の理性にたいし女の感情、といった数かずのメルクマールをつらねて、男は外、女は内へと収斂していくなかで、情緒的であることは女の規範の一つとされ、女の本性=自然という意味不明の概念で女が括られることになった。」8P
「この神話を打ち破ったのがJ・P・ネトルである。・・・・・・評伝『ローザ・ルクセンブルク』・・・・・・ローザをその実像に近づけた。政治運動と私的生活はローザ・ルクセンブルという人格のなかで一つの生活となった。」8-9P「ヨギヒェスとの破局以来ローザは女友だちに、さかんに精神的自立を鼓舞している。」9P「この評伝がネトルの意識をこえて、彼の意図しなかったローザ・ルクセンブルクという女性の姿を鮮明にしてくれたのは、質の良いもののみにひそむ一種の「奸智」でもあった。」9P
「ローザ・ルクセンブルクの二項対立的把握をつき崩したJ・P・ネトルについで、更にもう一歩彼女の全体像を視覚的に身近なものにしたのが、映画『ローザ・ルクセンブルク』(西ドイツ映画、一九八五年作品)の監督であるマルガレーテ・フォン・トロッタである。」9P「ローザの生活スタイルは、多少重々しいブルジョア趣味で成り立っている。・・・・・・彼女はプロレタリアートの文化があるだと考えてもいなかった。芸術と政治は無関係であると考えていたわけではないが、二つをはっきり区別していた。フォン・トロッタはローザ・ルクセンブルクのこうした側面もうまく映像化した。」10P「フォン・トロッタは、この映画のライト・モチーフを、「つねに女でありつづけたローザ・ルクセンブルク」である、と明言している。」11P
「同じく、ローザ・ルクセンブルクは「女であることを意識していた」、とのべたのはハンナ・アーレントである。・・・・・・『暗い時代の人びと』・・・・・・しかし、ネトルが強調しながらも、その意味を十分に理解しているとは思えない側面として、ローザの自身が女であることを意識し、自覚していたことを指摘している。」11P(・・・被差別の当事者性は反差別というところからしかとらえ返せない)「さらにまた、政治に目覚めた女たちが組織した女性解放運動、選挙権の平等を求める運動にたいしてもローザは、「わずかな差がうまれるだけだ」と言ったであろう、という。・・・・・・わたしはさらにローザのこの態度から、ドイツ社会民主党をはじめとする官僚体制の現実にたいするローザの批判を読みとりたい。」11P「いずれにしてもアーレントは、女であるローザ・ルクセンブルクをみることによって、彼女の等身大の人格がみえることを強調したのであろう。」11P
「ローザ・ルクセンブルクは女であり、新参者であり、かつポーランド・ユダヤ人であった。まさに「社会的バーリア(賤民)」であった。家をすて、国をすて、伝統を重んじる誇り高きプロイセン社会の安寧を蝕もうとした意識的バーリアを生きたがゆえに、ローザは予言者なりえた。そして現実への鋭い洞察力で真実を語り、世界の全体像を手に入れることができた。それは共同体にたいする「他者」立場を鮮明にしたものであり、なによりも修正主義論争に明確にしめされている。/修正主義論者は資本主義崩壊説に疑問をなげかけ、崩壊ではなく、その存続能力をむしろ認めるべきではないかと主張した。・・・・・・・これにたいしローザ・ルクセンブルクは、「なぜ」資本主義の存続が可能なのか、と問題をたて、存続のメカニズムを解明することで修正主義論をラディカルに論駁した。・・・・・・つまり資本主義の蓄積過程は、たんに資本主義生産を支配する固有の法則の結果である剰余価値の生産からのみ成り立つのではなく、非資本主義の領域が存在し、これを収奪することによってはじめて可能になることをしめした。」11-2P「資本主義とは、それ自体が矛盾を生みだし、「みずからのなかに革命を準備する」ような閉じた体制ではないことを証明したローザ・ルクセンブルクは、非資本主義社会が存在するかぎり、資本主義はその生存と成長をつづけ帝国主義へと発展し、最後には崩壊へといたることを『資本蓄積論』で理論づけた。ここには、彼女の政治論文にはない「理論」があり、この理論こそが六〇年代末の第二波フェミニストをローザ・ルクセンブルクにつないだ回線となった(ドイツのフェミニストで、いち早く第三世界の女性に眼を向けたC・フォン・ヴェールホーフやマリア・ミーズの研究はここから出発している。本書足立論文参照)。市場原理の周縁に位置づけられてきた女性は、非資本主義領域を形成している。そして「性」の収奪と「労働」の収奪にさらされてきた。」12P(・・・中枢国内の差別による収奪も)「しかし『資本蓄積論』は、「なぜ」から展開された首尾一貫した理論として意図されたものであった。したがって理論的、経済的必然性がどのようにして政治的挑戦に転化し、さらには社会的行動を要求するのかについて、ローザ・ルクセンブルクはなにものべていない。ローザには個々の事件であれ、経験であれ普遍化したいという強い要求があったので、「いかに」が脱落しがちであった。たとえばローザにはドイツ植民地、南西アフリカ(現在のナミビア)での残忍な植民地戦略と、先住民についてのパセティックな記述はあっても、先住民の抵抗・蜂起の実態や、ドイツから送りこまれた女性の「性」の手段化や、先住民女性の「性」の収奪、しかも女性間の「性」にヒエラルヒーをもうけて操作し、第二のドイツ帝国の建設をすすめた具体性については言及されることはなかった(拙稿「南西アフリカ、ドイツ植民地への女性輸送」、池本幸三編『近代社会における労働と移住』阿吽社、一九九二年参照)。ここに、植民地政策には欠かせない「人種」と「性」の問題が、ローザから欠落しているのをみることができる。」12-3P・・・障害問題も。
「とはいうもののローザ・ルクセンブルクによって提起された「なぜ」の問いは、いま今日でもその有効性をうしなっていない。問題は、資本主義下の経済還元論的分析、分配にあるのではなく、むしろ資本主義と非資本主義との関係性のなかにあるからだ。それは同時に、「性」によって分断された世界を意味している。歴史、社会は「階級」よりも「性」によって分断されていることを発見した六〇年代末のドイツの新しいフェミニストたちは、時代の政治的うねりのなかでローザに欠けていた「いかに」をどのように経験し、なにを発見していったのであろうか。」12P「革命の年にケルン大学の学生たちは、大学の建物に白いペンキで「ローザ・ルクセンブルク大学」と大きく書いた。」13P「かれらは話せばよどみなく流暢で、運動の指導権をにぎり、外に出ればブロンドや黒髪の魅力的な女性ファンをひき連れて、風をきって闊歩した。こうした光景は同じく運動に参加していた女性に、しだいに違和感をつのらせることとなる。違和感は排除されてあることを女たちに意識させると同時に、さらに徹底して「他者であること」への認識へと導いた。この認識が具体的な「女」を発見していく。ここにローザ・ルクセンブルクの立脚点への回路がある。そして、ついに一九六八年の秋(正確には九月一三日)、女性にとって歴史的に記念すべき「トマト事件」がおこった。」13-4P「男性活動家の「革命の花嫁」(「コンクレート」誌)を演じた女たちは、闘う相手はごく身近にいる男性指導者たちであることを知った。運動のなかの経験が教えたのである。いまや批判に転じた。ハノーファでのSDS代表者会議で、女たちはあの有名なビラ「社会主義のエリートたちを、そのブルジョア的ペニスから解放せよ!」を配った。そして「権力はファロスにある」と宣言した女たちの抗議行動は、左翼の男たちに向けられる一方で、新しい女性運動がさまざまなかたちで組織され、女が家族や社会で経験している不都合や不利益をことごとく明るみにだしていった。」14P「女にとって、「舗装の下には渚がある」わけではないことが明確になった。「女たちの舗装の下にはポルノグラフィーがよこたわっている」。」14P「新しいフェミニストたちはローザの「なぜ」に、「いかに」を接合することによってフェミニズム理論を模索していった。それは所有するものと、これに依存するものとの経済的法律的平等をもとめるよりは、あくまでここで支配する権力関係の無力化・廃棄を志向するものである。「男」をつくり、「女」をつくったのは自然ではなく、まさに権力関係であるからだ。」「本書は、ローザ・ルクセンブルクの生誕一二〇年を記念して東京で開催された国際シンポジウム「ローザ・ルクセンブルクと現代社会」と同時にひらかれた女たちのシンポジウム「今、女たちから世界の変革を」を契機にうまれたものである。」15P
第1部
女(わたし)の目で読み解くローザ・ルクセンブルク 寺崎あきこ
――性・民族・階級を考える手がかりとして
二つの小見出しがついています。内容的に一つ目は伝記ですが、二つ目は、ローザ・ルクセンブルクがおんなであること、そのことから、他の女性とのつながりを書いています。そして二つ目には、更に小さな小見出しがついています。(小さいポイントの太字で表記)
ローザ・ルクセンブルクの生涯
ここはローザの生涯について、年代をおってかかれていること。他の書で読んでいることがあるので、省略します。ただ、一九一四年の第一回の戦時公債でリープクネヒトが反対票を投じたとありますが、フルーレの書では、一回目は社会民主党議員団の党則に拘束されて、賛成しているとなっています。反対票を投じたのは二回目だと。
ローザ・ルクセンブルクと女(「わたし」のルビ)たち
「女だからといって「婦人問題」をやればいいなどと単純に決めつけられてはたまらない、というのが彼女のいつわらざる気持ちだったのであろう。/ローザ・ルクセンブルクの著作で公表されたもののうち、女性を直接的なテーマとしてとりあげているものは「婦人参政権と階級闘争」「女性プロレタリアート」の二点にすぎないまた、ローザと当時のプロレタリア婦人運動のクララ・ツェトキンとの友情についてはよく知られている。ローザはクララが編集長をつとめる女性労働者のための雑誌「グライヒハイト」(一八九一年――一九〇八年)に寄稿したこともあったが、その数は十点にすぎない。寄稿のテーマを一覧すると、いずれも社会情勢、党の路線についてなどのもので、女性問題をテーマにしたものは皆無といってよい。」28P
 ローザと「女性であること」
「まずいえることは、ローザが「女であることに」ハンディを感じていなかったことがある。」28P・・・? この小見出しの最後の引用
パウル・フレーリヒを引用した著者のコメント「「ローザ・ルクセンブルクは、鋭い理解力、行動力、大胆、決断力、自信など、男性的な面を多くもっていた。しかし男性に伍することで有頂天になる青鞜派では決してなかった。つねに自然、率直であるという点で彼女は完全な女性であった」(・・・フレーリヒ自体のジェンダー的とらわれ)。しかし、ローザは「青鞜派」になる必要などなかった。なぜなら、彼女は最初から「男に伍して有頂天になる」以上のことめざしていたからである。」29P・・・「以上」なのか? むしろそんなことにとらわれないで、なのでは?
「しかし、本人が意識していなくても、女性であることを抜きにして周囲が彼女に接していたか、は別の問題である。」29P
「ローザは性差別的言辞や対応が気にならなかったのでもなく、気にしなかったのでもない。それどころか深く傷つくことが、このことも少なくなかったことが、この手紙からも想像できる。しかし、そのことを正面きってとりあげようとしなかった。これらを彼女個人に向けられた攻撃としてとらえていたからである。」30P
 女たちとの関係
「二人(ローザとクララ)の間には一方が支えを必要としているときにはかならず、他方がそれにこたえてくれることを期待できるという強い信頼関係が生まれた。」31P・・・同志的関係を含んだシスターフッド的関係
 ルイーゼ・カウツキーとの関係も書かれています。ここには書かれていませんが、わたしは彼女との手紙のやりとりを見ていると、クララとの同志的な関係を含んだシスターフッドではない、まさにシスターフッド的関係があったととらえられます。
 男との関係
「一九七〇年代に始まったウーマンリブは「プライベートとはポリティカル」といった。公的な政治活動の場だけでなく、「私的」なヨギヘスとの関係においても精力的に孤独な闘いを進めたローザの実践も、その先駆けの一つであったといえよう。/しかし、ローザがヨギヘスとの生活について夢みているものは、伝統的な家庭生活の域を出るものではなかったようだ。・・・・・・」33P・・・初期のヨギヘスとの関係とその事を断ち切った後の関係は違う
「ローザにとって「仕事」と「くらし」は断続的したものではなかった。どちらにしても彼女にとっては人生の重要な構成要素であった。ローザは「革命家」でもあり、「生活者」でもあった。その意味で彼女はその一生を「両性具有的」に生きたといえるだろう。「男の領域」である「仕事」と「女の領域」である「くらし」と…………」33P・・・まさにジェンダーにとらわれている論理
「女性解放のかかわり方には二つのタイプがあるといえよう。第一はもちろん、徹底して女性であることにこだわり、男性の価値観を中心につくりあげられた社会を批判し、変えていくやり方である。第二のかかわり方は、直接女性であるということにこだわらずに(少なくとも意識的には)男性社会の中に入りこんで個人として可能性を探り、自分の地位を確立していくことによって、結果として女性の可能性を拡げていくやり方である。・・・・・・両者は反目しあうのではなく、同じコインの表と裏の関係にあるといえるからである。ローザ・ルクセンブルクは後者の立場を貫いた。」33P
 ローザと「民族」
「彼女はポーランドの独立よりも、労働者の国際的連帯による社会主義社会実現のための運動を優先した。だからといつてもちろん、民族の存在を無視したのではない。ポーランドの研究家の加藤一夫氏によれば、ローザの主張は「国民(民族)国家なしの民族の自立」ということだった。・・・・・・・ローザにとって「この権利(自決権)は社会主義においてはじめて実現できるもの」だったのである。」34-5P
「ローザがインターナショナリズムを構想する際に彼女の頭のなかには、それが可能であるという現実の裏付けとして、ユダヤ人の「インターナショナリズム」(つまりユダヤ教の信仰をきずなとした宗教的民族共同体を一五〇〇年にわたり継続させてきたユダヤ人の実践)があったといえるのではないだろうか。」35P・・・?むしろユダヤ人的な独立国家的志向を否定したが故に、民族自決権を否定したのではないでしょうか?
 性・民族・階級
「しかし、「フェミニズムをになう主体の複数化」についての論争は、白人女性が主流となっている国ほどに、多面的には行われていないのが現状である。性差別にこだわっている日本の女は、同じ日本で性差別よりも民族差別を切実に感じている在日朝鮮人の女性とどのようにつながっていけるのだろうか。それぞれのこだわりを尊重しつつ、たがいが出会い、つながっていくためには、どうすればよいのであろうか。・・・・・・ローザ・ルクセンブルクの場合は、原点はあきらかに民族差別にあったといえよう。・・・・・・階級や民族の支配だけでなく、性による支配構造がみえてきた現在、フェミニズムの視点にも立ちつつ、この複雑に交錯する支配構造全体に視野をひろげていくことが求められている。そのようにして、問題が新たにみえてきた例として、朝鮮人「元慰安婦」の問題がある。」36P
「ローザ・ルクセンブルクはユダヤ人に、女性に、「特別席」を与えようとしなかった。では、性差別に対する闘いは彼女の思想と相入れないものなのだろうか。わたしはそうではないと思う。女たちの闘いは、大衆の自発性を重視したローザ・ルクセンブルクのいう、大衆(といっても「天の半分」ではあるが)の「成熟」(自己発展)の過程そのものといえると思うからである。/マルクス主義者としてのローザ・ルクセンブルクの方法論は、「マルクスを最も重要な思想家として受けいれながら、しかし同時に、その理論が現実に合わないと考えた場合にはためらうことなくそれを修正しながら自分の理論の発展をはか」るというものであった。その意味で女たちの性差別に対する闘いは、女性に「特別席」を与えなかったローザ・ルクセンブルクと相反した道ではなく、その延長線上のあゆみといえるのではないだろうか。」37P
斃れた者への祈禱                 富山妙子
 ――ローザ・ルクセンブルクとケーテ・コルビィッツ
 著者は画家であり、反戦というところからローザと彫刻家だったケーテ・コルビィッツとをつなげる文を、ロマン・ロランをも媒介にしながら書いています。詩的な文です。
ローザとロマン・ロラン
 冒頭書き出し「なぜ、戦争をふせげなかったのであろうか?」43P
「戦争中にわたしは美学生だったが、ほとんどの本が発禁で、手に入る本は限られていた。敗戦後にローザの本をよみ、印象深かったのはフランスの作家ロマン・ロランについてローザがふれている箇所だった。」43P
「戦争をふせぐにはどうすればよいかを示唆されたのも、ロマン・ロランの「国境を越える」思想からであり、知識人や作家の役割を考えはじめたのもロマン・ロランの本からだった。」43-4P
「帝国主義最盛期の時代、国境を越えた友情の連帯があり、ロランからインドのガンヂーやゴタールへコルビィッツの絵から中国の魯迅へ、権力に対峙する自由な魂は砂漠の地下水のカレーズのように脈々と流れていたのだ。戦争をふせげなかったことへの反省をこめて、彼らの思想は次の世代への課題となっている。」45P
 戦争と女の視座
「戦争を体験しての私の美意識は変わりはじめていた。戦争の惨禍と、地獄の形相を見た私は、絵画とは美の追求であるなど、すでに過去のことになっていた。アウシュヴィッツの虐殺や原爆で焼けただれた人たちのことを知ったとき、いったい絵画とは何であったのか。戦争の悲しみを訴えてくるのは、ケーテ・コルビィッツの版画からだった。」45P
「第一次大戦でケーテは最愛の息子ペエターを戦死させた。その母の悲しみが、白黒の版画に、骨をペンとして血をインクとして描いたかのように刻まれている。/「ペエターは臼でひいてはならない種子であった」(『日記』ケーテ・コルビィッツ)。/戦争は何万、何百万の若い生命を、石臼でひき殺したのだ。」45P
「戦争と女について考えるとき、ケートとローザが、私にはもっとも大きな存在であった。/獄舎の中庭で血を流した牛の目の涙を見るローザ、若い生命の「種子を石臼でひいてはならない」と叫んだケーテ――ここに戦争を見つめる新しい女の視座があった。」46P
「一九世紀から二〇世紀初頭にかけて、革命家は芸術家であり、芸術家は革命を夢みた。帝国主義戦争と革命との煮えたぎる抗争のなかで、両者はともに暗夜の道をあゆみ、夜明けをさぐろうとした。だがそこにあるのは斃れた者たちの屍のあとだった。」46P
 斃れた者へ・・・著者の画家としての道行き
「ふりかえってみると、私が描いてきた絵のシリーズは、自由を求めて斃れた者たちに捧げるものが多かった。それもローザやケーテの影響なのだろう――戦争の悲しみや惨禍を見てきた私には、栄光とは犠牲のうえに礎かれた塔のように思われた。」46P
 ベルリンで、ローザとケーテに・・・ドイツ旅行でローザとケーテとの語らい
「八八年、第二次大戦中の強制連行と従軍慰安婦をテーマとした個展を西ベルリンで開いたとき、ようやくクーダムに「ケーテ・コルビィッツ美術館」ができていた。美術館のなかで私はケーテの自画像に語りかけていた。」48P
「これまで私が考えたのは既成の権威や権力となっているものに対する、反権力や反体制としての、対抗文化であり、アジア人として、女としての私には西洋中心の文化や、男性中心の文化に対するオルタナティブの文化だった。」49P
「資本主義も社会主義も、ともに物質の豊かさを求めてきた、表裏でなかったのか。」49P
「それらは新しい「ノアの箱船」のよう。だが、私たちが乗っている先進国という帝国主義の巨船はすでに船体が腐敗し、レーダは壊れ、方向を見失って軌道を狂わせている(ママ)。/私たちは、新しい「ノアの箱船」を作り、港を出るところにきた。どうやら歴史は一世紀くらいの年月を経ないと真相は見えてこないようだ。」49P
ローザ・ルクセンブルク再考            足立眞理子
 ――資本蓄積・<女性労働>・国際的-性分業
 わたしは、忘れることを得意としているので、記憶もはっきりしないのですが、確か、この論稿が、継続的本源的蓄積論に関するわたしの学習の始まりで、ここから世界システム論とフェミニズム世界システム論を学び、そしてネグリ/ハートの『<帝国>』から、オルター・グロバリーゼーションの学習の道行きへと進んだのでした。
 はじめに――<非連続性>の地平にて
ローザ・ルクセンブルクが問題にしているのは「焦点はあくまでも生産的労働をおこなうものとしての女性プロレタリアートであって、プロレタリアの女性ではない。」52P
「しかしながら、マリア・ミーズが述べているように、一九二〇年代に端を発する女性解放運動と、一九六〇年代後半以降の今日のフェミニズムとの間には、その理論的・運動的《連続性と非連続性》が存在する。/ミーズによれば、《連続性》とは女性のリベレーション(Liveration)であり、《非連続性》とは、次の三つの領域にわたるものである。一、身体の政治、二、政治の新たな読み替え、三、女性の労働。すなわち、前述の問いをめぐる困難さとは、この《非連続性》の地平において、今日のフェミニズムは、いかにしてローザ・ルクセンブルクと出逢うのか、その出逢いの可能性を求めるものだからなのである。」53P
「先取りしていうならば、一九六〇年代後半から今日に至るフェミニズムの理論形成・実践において、ローザ・ルクセンブルクの思想は、ある決定的というべき影響を与えている。それは、一九七〇年代の家事労働論争が、フェミニストに不満をもたらしつつ収束して以降の出逢いであり、一九八〇年代の前半においてほぼ形成され今日に受け継がれているとみることができる。」「ならばその《非連続性における出逢い》とは、一体どのようなものなのであろうか。ここでは前述した《非連続性》における三つの領域すべてにわたる、ローザ・ルクセンブルクの再読は、とうていできない。したがって、的を絞り、そのなかの第三点《女性の労働》をめぐる読み替え、とくに資本蓄積と《女性の労働》の関連性、これは広義には生産的労働、搾取、階級というマルクスの基礎概念への、家事労働論争・以降――ここが重要なのだが――のフェミニストによる批判、そして、これをとおして、フェミニストの理論形成は、どのように変貌したのか、を主題としておってみたいと思う。」53P
 同時代――「第三世界」からの異議申し立て
「・・・・・・というのも、フェミニズムはそもそも先進資本主義諸国の女性たちが、自らの解放を求める運動として生まれたのであり、今日でもフェミニズムの多くはそのことを主題としている。」54P
「それは、この時期における「第三世界」の側からの異議申し立てとして形成された「第三世界論」の理論・運動の隆盛であり、そこからのローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』再評価の動きに(他)ならない。」54P
「一九七〇年代のフェミニズム理論のある限界点で、《女性の労働》に係わる資本蓄積概念そのものの見直しとして、果たされたのである。そして、この時はじめて、フェミニズムは、自らの出生を記す“先進国中心主義”あるいは“ヨーロッパ中心主義”への内在的批判への糸口をつかむのである。」54P
「しかし、この出逢いの後、ローザ・ルクセンブルクの《資本蓄積》概念を受容したフェミニストによる、《家父長制的資本主義社会》における《女性の労働》に関する分析枠組みを、従来の抽象的な「社会」、事実上の一国主義から、資本主義世界システムへと転換させる、新しい分岐が形成されていったといえるのである。/したがって、ここで私達は、留意されるべき第二の問題が存在することに気付くであろう。それはフェミニズムが出逢った《資本蓄積》概念とは、すでに「第三世界」の視座から読み直されたものであるという点にほかならない。」55P
 「第三世界」からの『資本蓄積論』再評価
「バーバラ・ブラッドビーは、ローザ・ルクセンブルクが、マルクスの再生産表式の前提そのものを疑い、そこから非資本主義的“外部”の必要性を説くにあたって、そこには二つのテーゼ、一、強いテーゼ――(拡大再生産における)剰余価値不可能性、二、弱いテーゼ――自然経済の破壊、が存在していると述べている。」56P――この後バーバラ・ブラッドビーのローザへの批判。これについては、『資本蓄積論』の学習過程で、すでに出ていた議論。
「この中にみられる、資本主義はその成熟段階といえども非資本主義的環境におよび社会層(Non-capitalist milieux and strata)へ依存している、というこの主張は、資本の社会的再生産の歴史的・現実的過程における「資本の生産」への、従来とは異なる局面を切り開くものであった。つまり、「非資本主義的環境および社会層」への依存が、社会的過程としての資本蓄積にとっては決定的とみなした点である。」57P
「つまり、いうまでもなくマルクスにあっては資本主義の前史としてのみ考察された資本の本源的蓄積過程が、第二循環の終わり以降においても、すなわち、資本――賃労働対抗関係として資本の本来的蓄積過程の遂行と、並行・継続して存続しうること、そしてこのような蓄積の両側面の考察こそ、社会的過程としての資本蓄積の分析に不可避であり、その舞台は世界、ローザ・ルクセンブルクにあっては文字どおり《地球》、であることを主張したのである。/そして、この点こそ、ローザ・ルクセンブルクにたいして、アンドレ・グンター・フランクが、世界資本主義と低開発に関する研究における半世紀以上も前の、「唯一の際立った例外」と述べ、サミール・アミンが「偉大な才能」とよんだ点にほかならない。」57P
 資本の源始的蓄積過程――《女性の労働》・国際的-性分業
「衆知のように一九六〇年代後半のイタリア・フェミニズムによる家事労働への賃金要求は、その後、イギリスCSEを中心とする《家事労働論争》へと展開した。この《家事労働論争》の過程は、広義には、家父長制と資本主義の相互連環性への新たな認識と論争を生み出す過程であったが、狭義には、マルクス労働価値説から家事労働概念の排除の確認をもたらした。この過程の詳述は今は避けるとして、ここでの問題を極めて限定的に取り出すならば、ダラコスタらの「女性は無償の家事労働をおこなうことによって資本主義から《搾取》されている」という主張は、なんら根拠のないものと再認されたことである。」59P・・・そもそも「マルクス労働価値説」自体が物象化された相でとらえられていること、さらに「家事労働」概念自体がジェンター概念と同じ位相にあり、その後、マルクスの流れのフェミニズムは、ひとの生きる営為が、なぜ、労働と家事と「個人的営為」ということに分離していったのかということ自体を問題にしてきました。
「マリア・ミーズは、この家事労働論争(一九七三――一九七九)において、極めて重要な視点が欠落していたことを指摘している。ダラコスタらが主張した家事労働への賃金要求は、女性のおこなう家事労働が、非賃金労働(Non−wageLabour)の一形態であることを示している。しかしながら、家事労働論争においては、この、家事労働の非賃金労働としての性格を、他の領域の非賃金労働――生存経済のもとの小農民、小商品生産者、周辺化された人々、「第三世界」に、そして一部は「先進諸国」に――との、共有される問題としては議論されなかったという点である。・・・・・・そこには深くヨーロッパ中心主義が潜んでいた。しかしながら、論争をとおして発見された、資本主義一般の分析においては排除される、資本主義下の家事労働の非賃金労働の性格は、「第三世界」におけるさまざまなタイプの非賃金労働の世界資本主義にたいする関係と共有される側面を有している。」59-60P
「このことは逆に、この排除、すなわち家事労働を《労働》とはみなさない排除の社会的・現実的力能をとおしてこそ、家事労働はいわば《植民地化》され、非公式な隠蔽された《搾取》の源泉となる、というメカニズムを発見するものであった。そしてこの発見は、「第三世界」、植民地経済における、二重に自由な賃労働以外のさまざまな形態の賃労働――不自由賃労働(unfree wage labour)、不自由非賃労働(unfree non−wage labour)の資本蓄積にたいして取り結ぶ諸関係に目を開くのであり、そこにおける共有されるものと異質なものへの分析こそ、課題とするべきことが理解された。」60P
「とくに、クラウディア・フォン・ヴェールホーフは、この点を「経済学批判の盲点」とよび、資本――家父長男性の二重に自由な賃労働対抗関係のみを資本主義的生産関係とみなす古典理論を批判し、家事労働と「第三世界」の生存維持労働(subsistence labour)という非賃金労働関係は《特権的》(男性)賃労働関係の前提条件であるとみなし、この非賃金労働を基礎とする従来とは異なる他の生産関係を規定しようと試みた。そして、この試みは、ヴェールホーフ、ヴェロニカ・ヴェンホルト−トムゼン、ミーズによって、 世界規模での資本蓄積における、家事労働を包含する非賃金労働関係とその位置の分析にむかわせた。そして、この分析の中において、ローザ・ルクセンブルクの、資本蓄積おける“非資本主義的環境および社会層”(non−capitalist milieux and strata)への歴史的・現実的依存と、そこにおける資本の本源的蓄積過程の継続というテーゼは、資本主義下の家事労働を含む《女性の労働》の問題へと初めて適用されたのである。」60P
「そして、続けて、「私は、全くマルクスの理論の精神において、『資本論』第一巻の前提――これはそこではすぐれた役目を果たした――を今や放棄して、総過程としての蓄積の研究を、資本とその歴史的環境のあいだの物質代謝という、具体的な基礎の上に据えることが、必要だと思う。」」61P・・・そもそもマルクスも物象化概念でそのことを基底的にはとらえていた。
「ここでローザ・ルクセンブルクが示しているものを、ヴェールホーフは次のように述べている。「すなわち、『労働』および『生産』の概念が、そのもっとも広い意味において、賃労働と工場生産に限定されることなく理解されるような過程である。この、動態的で世界的な資本蓄積過程は、ローザ・ルクセンブルクが定義しているように、資本主義的性格を帯びた、巨大で継続的な本源的蓄積過程としてとらえることができる」。そして、この継続的な本源的蓄積過程は、ヴェールホーフによれば、三つの関係――一、中心―周辺関係、二、都市−農村関係、三、報酬−無報酬労働関係(その典型としての自由賃労働と家事労働)における、基本的構成要素のひとつである。それゆえ、従来、国際分業《中心―周辺》として扱われてきた、社会的分業に、性的分業《男性―女性》を含めなければならない。そしてこのことをとおして初めて、周辺部が、農村部が、家族―世帯が、本源的蓄積過程の生じる場として現われることが理解される。」61P・・・すでに述べたように、労働と家事と「個人的営為」の分離という観点からとらえ返す必要。
「以上のような、ローザ・ルクセンブルクのテーゼへの《女性の労働》の適用は、これ以降極めて重要であると考えられる三つの視点をもたらすものであった。」61P――第一に、“非資本主義的環境と社会層”に《女性》含めること61-3P第二に、性別役割分業論の読み替え63-6PP第三に、「国際労働力移動における移民女性労働者の問題」と「そのことによるリストラクチュアリングとあいまって、これが中心部の中における《周辺》の形成をよび、これが女性内部の階層分解と密接な連環をもつ」66P
「ミーズは、可視的な資本主義システムのもっとも不可視なアンダーグラウンドを構成するものとして《家父長制》という概念を用いており、ミーズによれば、家父長制なしには、資本主義は資本蓄積の限りなき過程を遂行することは不可能である。」62P
「非賃金労働としての《女性の労働》あるいは他の非賃金労働としておこなわれる生命・労働力の再生産および生存維持的労働なくしては、賃労働は《生産的》ではありえず、前者は後者の恒久的基礎をなしている。したがって、マルクスとは異なって、資本主義的生産過程を、二つのものからなる一つのものとして考察する。すなわち、非賃金労働(女性、植民地、農民)の《超−搾取superexploitation》と、それによって可能となる賃労働の搾取の過程、つまり、ミーズは、本源的蓄積過程の源泉である、非賃金労働としての《女性の労働》は《超―搾取》されているものとみなすのである。」63P
「むしろフェミニスト・セオリーは、《女性の問題》をただ一つの概念に収斂してしまうこと、たとえば階級一元論ないし性支配一元論、への絶えざる拒否のうちにあるように、私には思われる。また、ミーズが《超―搾取》という用語を選択するのは、「第三世界」の女性の現実により則することを配慮しているように見受けられる。/つまり、逆説的にいえばここで問題にされているのは、賃労働とともに資本主義のただ中で出現してくる非賃金労働(無報酬労働)と、資本蓄積の関連にあるからなのである。」63P
「従来の性別役割分業は、「先進諸国の内部における近代的核家族の妻と夫の性役割に基づいた分業」を意味しており、また労働市場における女性の位置の分析は、近代的性別役割分業の労働市場への反映(たとえばナタリー・ソコロフによる労働市場における《母役割》など)とみなされることが多かったと考えられる。しかしながら、前述したようなローザ・ルクセンブルク理論の継承は、その分析を資本主義的世界システムに広げるものであり、ここに性分業を一国内部のものとしてではなく、国際分業あるいは世界市場とむすびつけて把握する方向を生み出した。」63P
「このNDIL(新国際分業The New International Division of Labour 64P)の成立の条件は、次の三点、一、世界的規模での潜在的労働力のプール(reservoir)の形成、二、技術と労働組織の発展による「非熟練」労働においても可能な生産過程の単位工程への分割、三、通信・情報技術の進歩による、生産立地と管理の地域的制約からの解放、であるが、この場合、重要なのは、現代においてこの三つが、「フルセット」で登場したことにあるといわれている。」65P
「つまり、労働力の再生産様式における社会的―性分業(socio−sexual division of labour)のもつ性差ヒエラルヒーがこの垂直統合を可能とする、ひとつの規定因になっているのである。」65P
「つまり、資本主義世界システムの外延的拡大における自由労働以外の多様な労働力の統合として、ジェンダーに規定された《不自由賃労働》の増大過程であり、これをミーズ、ヴェールホーフらは、女性の自由賃労働への転化ではなく、賃労働の風化、賃労働の《疑似―主婦》化、《主婦化の世界化international housewifization》と呼んでいる。」66P
「今日の世界的構造再編と《女性の労働》における家事労働、インフォーマル労働、フォーマル労働、三者の連環性が課題となっており、周辺諸地域のみならず、アメリカ合衆国など中心部において、今日、女性は三重の任務(triple shifts 家事労働とインフォーマル・フォーマル労働)についている。」67P
「そして、このことは、今日の《女性の労働》の分析は、一国内部におけるジェンダーのみを差異の機軸として分析するのではなく、中心−周辺/ジェンダー/人種・民族の要素が、どのように関連しあっているのか、それが《女性の労働》に与えているインパクトを分析することの重要さを示しているといえるであろう。」67-8P
 最後に――<今の時――通路(パサージュ)>
 ここはまとめとして、著者の「わたしにとってのローザ像」68Pという文。実はわたしの観点からすると「体罰」的な話で、どうしようもなくそのようにしてしまうという虐げられた者の行動とはいえ、そこにシンクロしているローザの感性と、それになぜ著者が共鳴したのか、ちょっとつかめませんでした。
私のロシア革命論                  生田あい
 ――“生の賛歌”としての社会主義
この論稿を読んだのは、ローザ・ルクセンブルク関係の最初の本で、ロシア革命はトロツキーの『ロシア革命』と断片的な知識しかなく、最初に読んだときは、読み流してしまったのですが、フェミニズムの観点から、ロシア革命とマルクス自体のとらえ返しをしている文です。また、生田さんは運動の理論を問題にしているひと、差別というところから問題をとらえ返えそうとしているわたしにとって、とても刺激的な文です。現在的にたどりついたわたしの理論やロシア革命に対するとらえ方とかなり重なる部分があります。ですが、わたしが一番の課題にしている障害問題はまったく出てきませんし、また反差別論総体への展開もここではなされていません。もっと、とりわけ労働や生産ということをとらえ返すときに、そのことは必要になってきます。
一九九四年、モスクワにて
「マフィア的資本主義の途上」72P
「首都モスクワは、社会主義の廃墟の上に「既存社会主義の悪弊」と「資本主義の悪弊」が相互的に自乗作用しあって、なんともいえない無残な状態となっています。」72P・・・そもそも「社会主義とは何か」という規定が必要です(わたしの規定は、(追記)参照)。ロシアは社会主義の定立に失敗したとしかわたしには思えません。
「今回のモスクワ訪問で出会った「共産党」再建派のリーダーたちは思いのほか謙虚であったものの、「ソビエトの再建」を掲げているにもかかわらず、「何がソ連邦を崩壊させたのか」「なぜこれまでの社会主義が悲劇に終わったのか」について、その過去の七四年間の歴史の総括、とりわけ共産主義者としての自己責任の明確化と自己批判がいまだになされていないということを強く感じました。」73P
「「ソ連邦の消滅」に象徴される「二〇世紀社会主義の敗北」がもたらしているもっとも深い問題は、「男女(「ヒト」のルビ・・・?「ひと」)」が生きることの意味を、生きるありかたの価値基準を喪失させたことではないでしょうか。結果として「人間として生きる」ことを売り渡し、「金、貨幣」で生きる方向へと「人倫」を荒廃させているように思えます。」73P
「偽物の「豊かさ」の中に「明るく腐っていく」日本に帰ってきた私の中にふくれあがってくるものは、マロニエや菩提樹の美しい風景でなく、光を失った人々の「眼」です。この「眼」は、存在それ自体で他人を傷つけてしまい、そのことに逆に傷ついているような「痛み」を私の中にどんどん育てつつあります。」74P
方法としてのローザ
「一九八九年の世界史的大変動は、「イデオロギーの行きづまりと危機」を、つまり産業文明中心、西欧中心の発達史観、社会進化論を軸とする近代イデオロギー総体の歴史的終焉をしめしました。」74P
「生きることに値する新しい価値観の創造と、西欧中心、男性中心の近代文明に代わる新しいパラダイムの転換、人類を滅亡させない二一世紀への世界を展望するヴィジョンをあらためて追求することが求められる所以です。」74P
「もう一度、一からやり直しです。その際、「私」の解放を社会主義革命に重ねて求めてきた一人の女性として、私にとっては「ソ連社会主義の敗北と消滅」の総括の課題を避けて通ることができません。」74P
「「ソ連社会主義とは何だったのか、なぜ敗北したのか、その敗北の原因や根拠は何か、それはどのような歴史的過程をたどったのか。・・・・・・私が『ロシア革命論』を書く問題意識もこの点にあります。この作業を私は、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』を手掛かりに考えてみたいと思います。」75P
「つまりローザは、ロシアプロレタリアート、ボルシェビキと一つの心臓で脈を打ち一つの肺で呼吸しているかのようにその革命的熱狂と解放感を共有し、同時に彼らが直面した巨大な課題に共に悩み、深く洞察しています。」76P・・・ボルシェビキとの共振はさほどあったのでしょうか?
「また、ローザはロシア革命の未熟はドイツプロレタリアートの未熟であり、ロシアの革命の運命に対する国際プロレタリアートの責任、とりわけドイツのプロレタリアートの責任を強調し、「労働者階級独裁を伴ったこの最初の世界史的実験」において、無批判な弁護論ではなく、思慮深い批判、その課題の恐るべき重大さをその歴史的関連の中で洞察することが、「経験と教訓の宝庫を開く」ことになるといっています。」76P
「さらに、ローザが官僚専制政治、一党独裁政治に対置させて、社会主義政治を「何の拘束もない、沸きたつような生活」「人民大衆の広範な無制限の政治的自由」こそが、誤りをただすことのできる生き生きとした泉として描きだしていることを重視したいと思います。つまり、わきたつような大衆の「生活」をキイワードとして、社会主義の政治、党、権力をとらえているその思想と方法について、ここにこれまでの「公認」のマルクス主義が、ローザを「自然発生性への拝跪」としてローザの欠陥としてみてきたものを、私の考える“生への賛歌”としての社会主義に対する先駆的な視点として、ローザの社会主義政治と思想の核心をよみかえたいのです。」76P
ソ連邦の変質とローザの警告
ソ連における八月クーデターの意味
「私は、一九七〇年代半ばより、ソ連は社会主義ではなく、官僚制国家資本主義、つまり口先では社会主義をいうが、本質は資本主義であり、「ノーメンクラツーラ」と呼ばれる党官僚、国家官僚の支配する官僚専制の国家だと考えてきました。」76-7P・・・そもそも社会主義として定立しなかったと、わたしは押さえています。
「「圧政か民主か」の限りにおいて、民主とは歴史の前進を意味し、この民主なくして「ソ連」がふたたび社会主義新生の道へ接近することはありえないからです。」77P・・・そもそも「前進」という進歩史観的陥穽
変質の時期と特徴
「共産党が後の一党独裁への変質を開始する制度的出発点は、一九二一年のクロンシュタットの反乱への弾圧と軌を一にするロシア共産党一〇大会における「分派の禁止」に始まると私はみます。」79P・・・そもそもレーニンの中央集権制から。「上からの革命と下からの革命」とも対比。
「ミール共同体」――「村ソビエト」80P
 ローザの警告の位置と意義
「ローザの批判の重要な点は、たんに憲法制定会議の解散にとどまらず、普通選挙法や労働者大衆の公共生活と政治活動を民主主義的に保障する出版、結社、集会の権利が、ソビエト政府に対立する者にはすべて停止されていた時に、この「ソビエト政府の反対者」とはじつは「ボリシェビキへの反対者」にすりかわりつつあることを鋭く見抜いたことです。」82P
「ロシア社会主義革命の「人民主権」→「ソビエト主権」→「党主権」の経過こそ、社会主義権力(決して国家ではない)と民主主義の関係への今日的問題を逆照していないでしょうか。」83P
「しかし、ローザの警告の意義は、社会主義革命への始まりへの熱狂(ママ)の只中に、「アリの一穴」ともいえる決定的な、後の「権力と党」の変質の芽をつかみ出していることです。」84P・・・「一穴」どころではない、ローザには見えた大きな陥穽。
「ローザもまた、よくもわるくも、「戦争と革命の時代の二〇世紀」に生き、革命を構想した歴史的限界をというものから自由ではないからです。」84P
 世界史の中のロシア革命
 ロシア革命とはなんだったのか
「だからこそ、ロシア社会主義革命には、フランス革命で達成されたブルジョア民主主義はいうまでもなく、それを乗り超えるプロレタリア社会主義的民主主義を創造することが問われていたのですが、ローザの批判にあったように、そこに一歩踏み込んだところでその課題は未解決のまま残されています。」85P・・・「一歩」――「社会主義」の看板だけの踏み込み
「資本主義の世界システムの周辺で起きたロシア革命は、その革命の変質、挫折によって、「社会主義」を名乗った男性中心の「近代化革命」に終わったといえます・・・・・・」85P・・「変質」というよりも、そもそもの誤り?
「ロシアはヨーロッパと東洋のはざまで、不断にヨーロッパへの帰属と西欧志向(「一つのヨーロッパ」)の方向と、タタール(モンゴル)の支配がロシア農民に刻印し、ロシア正教に支えられた独自のスラヴ的共同体精神の堅持の方向との、二つの志向の分裂と分岐の中にあったのです。・・・・・・この分岐の中でみれば、レーニンらボルシェビキの革命ヴィジョンもまた反スラヴ・ヨーロッパ志向派に位置することはいうまでもありません。」86P
「マルクスとエンゲルスが、『ザスーリチへの手紙』で、これに(ミール自治に)共感しつつ「もしロシア革命が西欧のプロレタリア革命に対する合図となるならば、両者がたがいに補いあうならば、ロシアの共同体は『共産主義発展の出発点』になろうといっていたことを今日的視点から、ロシア的特殊性の問題として再検討するべきでしょう。」86P
「スターリンのそれは、ロシアを「アジア的野蛮」から引き離そうとして、ピョートル大帝の西欧化への手法と似た「国家」をこの近代化の担い手とする社会を国家化する方向にすすみ、ついには共産党の一党独裁の中に、「アジア的専制」をくっつけた「党官僚専制」をつくりだしてしまったといえます。その結果、農村の「旧ミール共同体」は、「共産主義的発展の出発点」とならず、かつてツアリーの補完物であったように、「一党独裁」の補完物へと再編されたのです。」87P
「こうしてみると。「ロシアの近代化」に行き着く根っこには、レーニンをはじめロシアマルクス主義者の中に、東=ロシアの野蛮対ヨーロッパの文明という通俗的な西欧中心の文明観があることを指摘しておかねばなりません。」87P
「このようにみると、ローザの『ロシア革命論』もまた、その今日に至る輝きとともに、「時代の子」として、マルクス主義の中にある西欧中心史観から自由でなかったのではないか、一面でそうした視点でみることが必要ではないかと考えます。」87P
 ロシア革命は何に敗北したのか
「つまり、ロシア革命の変質の初期――革命と内戦から脱して、帝国主義包囲下の“息つぎ”を得て、クロンシュタット反乱を機に、新経済政策(ネップ)をとり、国家資本主義への戦略的退却をおこなった時に、「ソビエト権力+全国の電化=共産主義」建設へのヴィジョンがそれまでとってきた「ソビエト権力+ドイツ国家独占資本主義モデル」ではいけなくなったという問題です。」87-8P
「アメリカ資本主義のモルガン財閥からの外資導入」88P
「レーニンは、ネップ下での国家資本主義への政策の中で、このアメリカ型テイラー・システムの導入、出来高払い生の導入、ブルジョア専門家の登用、企業長制などによる資本主義的成長の方策をとりました。」88P
「このようにしてみると、グラムシなどに比較して、レーニンはもちろんのこと、ローザの『ロシア革命論』には、実はロシアの社会主義革命(その生命線であるヨーロッパ革命も)が闘っている真の敵は、アメリカ資本主義に移行しつつあるのだという認識の欠如があり、ですからアメリカ資本主義との闘争とそのモデルを追求すること自身の中に潜む決定的な問題への自覚が欠落していたといわなければなりません。」88-9P
 誤りはどこにあるか
「社会主義革命の変質の最大の中心問題は、共産党が変質して国家となり、勤労大衆のソビエトが、形式が存在していようとその本質において党官僚独裁(ノーメンクラツーラ独裁)に転化したことにあります。」89P
「この責は、社会主義の理想の反対物に転化したものを社会主義としてきた共産主義者、社会主義革命を領導した「マルクス・レーニン主義」にあります。」89P
「その思想的、理論的問題について、ここでは、二つだけ挙げます。」89P――第一に、国家主義批判89-90P、第二に、生産力至上主義90-1P
第一に
「文字通り、ロシア社会主義革命の変質の現代的意味は、「国家と市民社会の分裂」を、国家の立場か、社会の立場か、どちらで止揚していくのか――その分岐の問題だろうと考えます。」90P
「つまり、問題の核心は、本来の社会の主人公である(生産し、再生産し)生活する男女の民衆自身が、この<生産――再生産>(流通、分配、消費、廃棄まで)の万般のことを実態として自己決定し、自己管理し、自治しているのか、そこにこそ社会主義とその政治のメルクマールはあるということです。」90P
「ローザがいう「社会主義的民主主義」の創始や、大衆の「無制限の自由」の提起を、私はこうした「国家権力を社会へ再吸収」していく思想と政治の脈絡の中に再把握するべきだと考えます。」90P・・・むしろ共同幻想としての国家の解体と、共同体・共同性の獲得
第二に
「今ではすでに「常識」となっていることですが、誤りの根源にあるマルクス主義の唯物史観の生産力主義的傾向(スターリン主義はその極大化、俗流化)の問題です。それは二つの生産のうち、生(生命、生活)の側面を切り捨て、生活資料など物的生産の量的側面のみに社会的発展の原動力をみる傾向で、この結果として、社会主義のメルクマールを「資本主義へ量的に追いつけ追い越せ」におき、アメリカ資本主義の大量生産・大量消費の生産・生産様式(ライフスタイル)を追い求めることとなっていきました。」90P
「唯物史観のこうした弱点は、これを「導きの糸」として、ブルジョア社会=市民社会の解剖学としての『資本論』――資本主義批判が、「市民社会の奴隷制」批判として、市民一般ではない、プロレタリアートという主体を発見しながらも、生活の本質的主体である女性、その労働と生活、その質の向上への志向を欠落させているというフェミニズムからの批判と重なっています。つまり、近代のこれまでの社会主義思想が依然として男性中心主義を越えていないということをはっきりさせておかねばならないのです。」90-1P・・・これは「唯物史観」の中の生産力至上主義の問題で、タダモノ史観と言われていること。唯物史観とは一応区別すること。「生活の本質的主体である女性」はジェンダーになっています。勿論そうなっているという被差別の立場からの反撃はあるとしても。「本質」は脱構築すること。他の被差別の立場からの反撃としても。
 結びにかえて――“生の賛歌”としての社会主義
「私にとってローザ・ルクセンブルクは、「両端の燃えるろうそくのように」真っすぐに生きて闘った女性社会主義者としての激しくも豊かな生きざまの全体において、「いかに生きるか」を学んだ女性でした。」91P
「革命は人の生きていくことの総体=人生を変えるのであって、たんに国家(権力)や政治や所有関係を変えることだけではないはずです。」91P
「したがって、私は社会主義は「固定した体制」ではなく、自然と人間の共生と人間の「協同社会」に向かう「主体的、能動的な継続革命、幾百、幾千万大衆の資本主義を揚棄していく運動およびその大衆的創造物」なのだと。つけ加えれば、革命は人間と自然、人間と人間の関係の質、労働、生活の質を問い、つまり人が生きていくことの総体を変えるのであって、たんに国家権力、政治、所有関係を変えることだけでない。目的と手段をとりちがえてはならないのだと。」91-2P
「今、私はこの総体を“生の賛歌”としてとらえる社会主義の新生への構想を考え始めています。」92P
「コロンブス以来の近代五〇〇年の西欧中心(先進国中心、男性中心、自民族中心)の文明史観とそれを可能にしてきた価値規範に対して資本主義世界と社会の「外部辺境」に追いやられてきた人々や、現代の切実な課題から出されている「異議申し立て」の中で獲得されている世界史的な地平とのマルクス主義の格闘と進化の中に発見されるべきだということです。」92P
「つまり、フェミニズム・エスニシティ・エコロジー(女性・少数民族・環境[自然])がそれぞれこれまでの社会主義、マルクス主義の欠落部分を批判しつつ、実際に乗り越えつつある点から、マルクス主義者は何を学ぶのかという問題です。」92P――@エコロジー92PAエスニシティ92-3PBフェミニズム93P
「この三つの領域からの問題提起は、それぞれ独自の位相と固有の論理をもちつつも、総じてこれまでのように、階級、経済などへ還元してしまうことを拒否しつつ、マルクス主義の「国家」「政治」などを規定する深い根っこにある「労働」「自然」概念の変革と、それを統一しているところの「生産・再生産」概念の全面的変革の課題を含む資本制生産様式、生活、文化様式の全面的把握の課題を共通して提示していると考えます。」93P
 エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』からの引用93P
「ここ(『家族・私有財産・国家の起源』からの引用)でいう「生の生産・再生産」の「生」というドイツ語Lebenは、単に「生命」の狭い意味ではなく、哲学概念としては「生命・生活・生存・人生・生涯」を意味しており、私は人間の生きることの総体を包括する概念、しかも静止的でなく、マルクスの「ドイツ・イデオロギー」でいわれている生活過程(生活主体、生活活動、生活関係の諸概念を含んだ)と重ねて理解する「生活活動」概念としてとらえたいと考えます。」93-4P
「その後、エンゲルスの定式化の一面性にも規定されて、現実のロシア革命の過程では、生産が物質的生活の生産手段の産出、その量的拡大の面に切り縮められ、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』の「生産力主義」への理論化、固定化となり、これが官僚専制政治と照応してきたのは、みてきた通りです。大なり小なり私たちを含める戦後の一時期まで国際的な社会主義運動を貫いていたのは、このスターリン主義的唯物史観だったと思います。」94P
「こうして「二〇世紀のマルクス主義」は、マルクスの思想に内在していた唯物史観の「生の生産」の二つの内容から一方の「人間そのものの生産」を生産概念からもすっぽりと欠落させたままきました。/また、マルクスにあっても、この「人間の生活する社会的諸制度を規定する」「労働と家族の二つの発展段階」が、どのように内的に「生」を規定しつつ、相互に関連しあい、統一的に存在するのか、そのことは明確にされていません。」94P
「私はこの難題を解く鍵を二種類の生産を統一する内容として「生の生産と再生産」と総括されたその「生」を媒介に、唯物史観の深化と新しい「国家権力」論の創造によって、考えたいと思います。」94-5P・・・これは国家主義批判とのつながるのではないかとわたしは思うのです。
「今、この人間の具体性として、本質的な生活の場からの主体としてもう一つの生産者である女性が名乗りをあげました。その「個別的(私的)なことは政治的である」という女たちの政治テーゼを、国家を市民社会の「労働生活」の中に埋めもどしてくる問題、つまり、「政治の女性化」として読みかえたいということです。」95P
「これまでの社会主義革命が、なぜ女性解放を掲げながら実現できなかったのかを問うとき、マルクス主義の「セックス・ブラインド」を、資本制に並び立つ「家父長制」の発見だけでいくら接木しても、『資本論』の導きの糸となっている唯物史観の根源と資本主義批判の深化を媒介にした「国家・権力論」(国家というものを容認する立場でなく)の全体を貫く新しい内容を問うことがなければ、その実践的帰結はたんなる「女への利用主義」にふたたび終わってしまうのではと考えられます。」95P
「類的存在としての人間存在について、その対自然関係、対自己関係、人間相互関係という三重の規定性、類的生活、類的対象性、類的本質、類的力能の今日的「疎外」としての人間的本質に対する「関係行動」そのものにまで、深く視座をすえた「性の生産と再生産」を中軸とする唯物史観を革めることを通して、家父長制的資本主義批判、「差異の文化(文明)論」の深化と発展が必要なのではないでしょうか。中世の「神」、近代の「理性」に代わる二一世紀へのスーパー・コンセプトは、さきに定義した意味での「生」ではないだろうかと考えます。」95P・・・「類」の強調、フェイエルバッハ。マルクスのフェイエルバッハ批判との対話。革命的ロマン主義。
「そのためにも、女性たちが男性中心につくられてきた「ブルジョア国家や権力、政治」を、日常生活批判を介しながら「生活」の場にひきずりおろし、社会に埋めもどしていく主体として自己を形成していくことが必要です。これまでの「国家(権力)に成り上がっていくことをキーワードとして革命そのものを、文字通り「革命(命を革める)」することが必要なのだということを強調しておきたいと思います。」96P
「こうした見地から『ロシア革命論』でローザが官僚の独裁に対置した社会主義の生命の源泉としての「自由で、何の拘束もない、沸きたつような生活」「公共の政治生活」「社会主義的民主主義」などに象徴される思想こそ、私は“生の賛歌”としての社会主義の先駆的思想としての社会主義の先駆的思想として、新しい社会主義的政治のありようとして読みかえて今日に復権させるべきではないかと考えます。」96P
「これは、ローザにあってはたんに『ロシア革命論』のみならず、『大衆ストライキ論』『党論』にまで貫かれているものだと私は考えます。」96P
[注]
「ローザの歴史の原動力としてのプロレタリア観は、単純な「労働者至上主義」でなく、自らの行動(革命実践)で切り拓く限りにおいてのそれであると理解できます。」97P
(大江氏の指摘として)「ローザ・ルクセンブルクのボルシェビキ批判をとりあげています。ローザの批判を西欧的な「権利=法」と市民的な「公共」を備えた、自律的な社会の伝統に立つ批判として、よくわかるとしながらも、革命期のロシアにとってそのような「公衆」はないものねだりにすぎなかったろうといっています。」99P
「ゲルツェンの思想については、・・・・・・西欧に失望してミールを足場とした農民共同体を中心とするロシア的社会主義の方向を模索しています。」100P
(花崎皋平氏の指摘として)「彼女(ハンナ・アーレント)が、近代国家がその発端において、普遍的理念としての「人権宣言」における人間=個人と国家の主権者としての人民=国民を同一視し統合したところに矛盾と近代国民国家の崩壊の原因があるとしていると紹介しています。つまり、生まれながらの自然権としての人権は主権者としての人民の特殊国民的権利であるとされたときから、ナショナリズムが始まると。だから被抑圧民族は、民族自決権と完全な主権なしに自由はないとして、民族自決権をみとめたところにより近代国民国家の崩壊が始まっているとも。」101P・・・人権という物象化
ドイツ・バイエルン革命とフェミニストたち      田村雲供
 この論稿は、ドイツでローザ・ルクセンブルクがフェミニズム的な動きをほとんどしなかったことと対称的に、フェミニストとしてバイエルンを中心に活動していたフェミニストたちの革命への参画とフェミニズム運動の記録です。バイエルンは、ドイツ革命でもっとも大きな運動になった地域です。ひとつだけ不明なこと、バイエルン革命の地元だったクララ・ツェトキンの名前がなぜか出てきません。
「しかも、バイエルン革命には多くの女性が参加していた。どの政党にも属さず、ラディカルな女性運動を担っていたフェミニスト、社会主義政党に属していた女性、女性教師、多くの一般女性、そしてリカルダ・フーフ(作家)にいたるまでの幅広い分野の女性が積極的にかかわり活躍したが、こうした女性たちの思想については言及されることもなく、「白い斑点」として残ったままである。この小論はローザ・ルクセンブルクの論敵で、「フォーアヴェルツ」に修正主義の論陣をはったクルト・アイスナー(一八六七――一九一九)とともに革命を担ったが、いまだ不可視のなかにいる女たちの思想と行動を革命の経過から追ってみる。しかし、この作業はバイエルン革命に欠けていたもう一つの側面を明かるみに出すことだけでなく、むしろ革命の実体を形成していた労働者、階級、平等、民主主義といった概念が歴史的現実のなかでどのように了解され、意味を獲得し、歴史を形成していたのかを問いなおすことを主眼にしている。すなわち、革命に実体を付与していた諸概念と「性」との関係をみる一つのケース・スタディである。」103P
 ローザ・ルクセンブルクとアニータ・アウグスプルク
「ローザ・ルクセンブルク(一八七一――一九一九)とアニータ・アウグスプルク(一八五七――一九四三)は、当時その名を知られた有名な女性であり、二人は左右をとわず権力の座にあった男たちの目の上の瘤的な存在であった。」103-4P
「ルクセンブルクは、階級闘争によってプロレタリアートの解放を、アウグスプルクは「性階級」からの女性の解放に集中した。変革の必要という点で二人は共通していたのであるが。」105P
「アウグスプルクをはじめドイツの女性たちが反対した新民法典の家族法は、・・・・・・生物学と宿命の組み合わせとして自然から引き出された(とする)男女の性別性格が女に「愛」を、男に「力」を付与したのであり、これは法という形となって、たえず社会で具体的な力を発揮していった。・・・・・・」105P
「一九〇二年を境にはげしい女性選挙権獲得闘争をくりひろげる。この背景には一八九八――一九〇二年にわたる売春と道徳をめぐる闘争で力を発揮したラディカル派の実績があり、これをバネにラディカル派女性は、穏健派女性の政治的忌避とは根本的に異なる政治的、社会的制度の完全な改革をもとめる運動を展開し、政治にコミットする。」105P
「フェミニズム運動と平和運動を結びつけたのがアウグスプルクとハイマンである。」106P
 バイエルン革命と「社会主義女性連合」の結成
「バイエルンに革命が起こった。/一九一八年一一月七日、クルト・アイスナーと一群の男女が州議会議事堂に向かってミュンヒェンの町を急いだ。」106P
「アイスナーの「ミュンヒェン住民へのアピール」にはつぎの内容がもり込まれていた。・・・(内容の記述)・・・「すべての成人男女が選挙権をもつ……」というくだりは、長く女性運動にたずさわってきた女たちにとっては、まさに「青天の霹靂」であった。」107P
「フェミニスト、ハイマンによってここにはじめて女性独自の評議会(レーテ)確立の必要性が明確に主張された。これは後にアウグスプルクによって中央評議会になるが、・・・・・・」108P
「一二月一六日ドイツ劇場で、「社会主義女性連合」(以下「女性連合」とする)の第一回大会が開かれた。」108P
 雑誌からの引用「これ(社会主義女性連合)は、社会民主主義的政党やその分派から独立した最初の自立的社会主義女性団体であり、定款も綱領ももたない。政党に属することなく、社会主義の基盤にたって活動しようとするものは、だれでもこの団体のメンバーになることができる。」109P
「「子ども・教会・台所(Kinder,Kirche,Küche)」の三Kが女性の世界とされ、自ずと政治に関心をもたなくなってしまった。」109P
「女性連合の主導的役割をはたした女性メンバーの簡単なプロフィル」110P――9人
アウグスプルク、ハイマンの立候補
「アイスナーの思想と行動に依存していることを十分に認識していた二人(アウグスプルクとハイマン)は、アイスナーのすべてのアピールや演説を詳細に検討した。そして、かれの行動と見解に賛同した点をあげている。」111P――賛同点の列記――「フェミニストとアイスナーとのあいだに互いの立場を認めあった協力関係が成立した。」111P・・・当時の帝国主義の暴力支配の時代、また右翼のテロやクーデター的策動のなかでの、左派の武装蜂起――国家権力の奪取――プロレタリア独裁路線の中で、修正主義と批判されていた部分の、中身的な検討で区別しつつ、今日的とらえ返しの必要
「選挙後アイスナーは議会の召集を延期していたが、ついに、二月二一日議会を召集し議場へ向かう途上で、二一歳の伯爵アルコ・ヴァリーの銃弾に斃れた。/これに先だち一九一八年一一月、アイスナーは会議のためベルリーンを訪れたさい、リープクネヒトと会い、より穏健な革命党派と手を組むようにと説得している。」113P
「一九一九年二月二五日に労兵農評議会中央委員会が政府権力を引きついだのであるが、三月八日には独立および多数派の両社会民主党の連立によるホフマン政府(ヨハネス・ホフマンは多数派社会民主党員)が成立した。しかし保守派は四月八日に州評議会を開き、ホフマン政府の打倒をもくろんだ。そこで革命派は先手をうって、四月七日早朝にホフマン政府を倒し、「バイエルン評議会共和国」(第一評議会共和国)の成立を宣言する。」114P
女性権利担当部局と評議会システム
「アイスナーの指示で、社会福祉省(後に労働省となる)に女性の権利担当部局が設けられていた。この部局担当者にG・ベーア(アウグスプルクの選挙運動の参謀をつとめた)が推薦された。」115P
「女たちは戦争中、それまで男たちによって占められていた職場で、準備期間もなく、訓練をうけることもなかったのに驚くべき能力をあげてきた。」115P――「しかし、戦争が終わり男たちが帰還してくると、女性はたちまち失業し路頭に投げ出された。」115P
「そして、ついには、政治権力奪取をめぐる政治的錯綜のなかで、この部局の活動は停止せざるをえなくなる。」116P
「さらに、労働者評議会、農民評議会の選挙に際しての選挙のあり方にも問題があった。つまり労働者評議会は九つの職場グループからなり、これらのグループに属している職場の労働者に選挙権があった。ところがこれの職業は典型的な男性の職業であり、かろうじて最後尾に「家事奉公人(女中)」が挙げられていたが、しかし労働者評議会には一人の女中もいなかった。」「そもそも評議会形成についての法案起草の段階で、すでに女性の排除が規定されていたのである。この法案起草では、選挙権行使の除外されている者として、自分の家族の家政でもっぱら家事に従事している家族員を挙げている。」118P
「政治の基盤であり、民主主義の基盤であるはずの評議会の実体は、兵士と労働者からなる男の組織であり、私的領域を生活圏にとする女性だけでなく、女性労働者も排除した制度であった。すなわち、女性を家族・私的領域に不可分のこととして結びつけることで生産労働の概念から女性を追い払ったうえで、生産労働にたずさわる男が「政治」を動かし、「民主主義」を論じたのである。」119P
「女性評議会」設立提案とその否決
「アウグスプルクとハイマンは、一九一九年三月七日の労働者・農民・兵士評議会会議で「女性評議会」設立の提案をし、同時に提案理由をのべた。」119P
「こうしてアウグスプルクは、女性の政治化によって家族生活を政治化し、私的領域の囲い込みを取りはらい、社会生活と家族生活、男と女、権力と愛、といった二項対立志向とそのイデオロギーの無力化を意図した。これらは近代社会が巧みにあみだした装置であり、しかも女性には痕跡の残らない労働を割りあて、これを正当化し効率よく作動させた装置であったのだから。」120P
「否決されるにいたる非論理的で奇妙な過程」120P――内容120-1P――「党組織のヒエラルヒーのなかでの活動を重視する者にとつて「女性評議会」はまさに「始末におえない」のであり、序列をみだす危険性をはらむものであり、排除しなければならないものであった。女性の政治への回路を遮断し、排除したうえに政治的平等がうたわれているのである。隠された不公平や性差のあり方をあらわにすることもなくもちいる「平等」は、やはりイデオロギーでしかないであろう。」121P
「いずれ武装蜂起となることは明らかであった。なんとか流血の惨事を未然に防ごうとして、女性たちは男性指導者の説得工作にのりだす。」122P・・・なぜ説得工作をしたのか?
「アイスナーの無血ではじまった革命は、右派社会民主党とノスケの軍隊によって血のなかで窒息死した。五月末バイエルンはふたたび静けさを取りもどしたが、それは墓地の静寂でしかなかった。」122-3P
むすび
「しかし、革命に際し、女性独自の要求を主張することは異端視された。これはフランス革命以来の近代革命の伝統であった。革命は男のための男の政治であった。」123P
「革命といえば短期的で強力な権力奪取をイメージするブレヒトとは異なって、ローザ・ルクセンブルクは革命は長期的な長い息をもつものとして、しかも武装した陰謀家の一揆としてではなく、大衆行動のより一段と発展した表現としてみなしていた。」123P・・・ローザはロシア革命が権力奪取したので、それが圧殺されないために、ドイツ革命が必要であるという思いのなかで、男たちの一揆的武装蜂起を止められなかった。
「男が理想とする女性とは異なり、女性独自の権利や地位をもとめ、制度そのものの変革を意図したラディカル・フェミニストたちのまえに立ちはだかった困難は、ヴィルヘルム時代の頑迷な枢密顧問官や横柄なユンカー、あるいは保守に凝り固まった因習的な市民を相手にして生じたものではなく、同じく解放をもとめ革命に参加した男たちとの確執であっただけに、女たちが経験した絶望感は深かった。」123-4P
「女たちが行動するにつれ、政治も歴史もそして道徳さえもがじつは男中心の社会を守り機能させる装置であったことがあばき出された。「近代」革命のファンタジーを打ちくだくこと、そして新しい認識でもって歴史を読みとくこと、これこそが女性史の生命であろう。/いま、わたしたちに問われているのは女性史を読みとく歴史認識である。これはまた、ローザ・ルクセンブルクに女性性の断片をさがし求める男のファンタジーを排し、フェミニストの視点でもって女がルクセンブルクを読みとかなければならないことを示しているのである。」124P
[注]
 民法典への批判点・六つ125P R・ケンプの女性の要請・七つ127P

第2部
社会主義と家族                   水田珠枝
 ――コロンタイを手がかりに
 ローザ・ルクセンブルクはレーニンのロシア革命をロシアの「外」から批判し、コロンタイは内から批判したとして名前を残しています。コロンタイは、フェミニズムにも取り組んでいます。ただ、労働崇拝的なところにとらわれています。著者は、そのコロンタイに共鳴しつつ、家族の解体による女性の労働への参画を謳っています。そもそもフェミニズムは「労働と家事と「個人的営為」といわれることをなぜ分けるのか」ということまで突き出していったのですが、ここでは、男が仕事――女は家事(労働も)、というジェンダーが問題になっていることで、男が家事を女性に押し付けることを当然視したところで、そのような家族の解体を謳っているのですが、ここに(マルクス的)物象化があり、そのこと自体を批判していくことをしないで、家族の解体を謳うのは、何かおかしいと言わざるをえません。そもそも、労働と仕事を分けてとらえるという今日的な観点からすると、そこでの家族のあり方がどうなるのか、それはさまざまで、解体あるべしという問題でもないと言いえます。このあたりは、子どもを産むことからの解放を女性の解放として夢想した『性の弁証法』のファイアストーンの物象化にも通じる事があります。コロンタイの理論の硬直性は、労働崇拝的なところによる全体主義的な国家というようなことも感じられ、スターリンとの一定の共鳴も感じてしまいます。まあそれでも、フェミニズムという観点からの批判が、コロンタイの生き方と論稿の批判的ラジカリズムを、持ちえているとも言いえるのですが。
 家族の変化
「その家族は外側から共同体によって規制され、さらにその上に領主権力が成立していたのであり、人びとは家族のなかで差別的位置づけされるとともに、家族ぐるみ身分的秩序に組み込まれていた。」133P
「このような家族は、資本主義の導入によって土台が掘り崩されていった。・・・・・・生産と再生産という家族の二つの機能のうち、生産の機能が家族から脱落したのである。この場合、男性は土地から分離されると同時に共同体規制や領主権力からも解放され、自由な労働者となったのに対し、女性はそうでなかった。家族には再生産の機能が残り、女性は家長の権威のもとでその負担を負わされたからである。ここから、生産と再生産、社会と家族、社会と家族、市場と非市場、公と私、男性と女性の分離が、それぞれ前者の優位のもとに成立する。/しかし資本主義の発達は、家族の再生産をも浸食していく。家族内で女性が果たしてきた衣食住にかかわる家事労働、育児、教育、看護、介護の労働を市場化(ないしは公益事業化)し、それとともに、家族に拘束されていきた女性を労働者として市場にひきだす。女性自身も、生活費を獲得する必要から、また男性への従属から脱出し経済的自立を要求する運動に刺激され、家庭から出て職業労働に従事するようになる。こうなると、家族は生産と再生産の両方の機能を失い、物質的基盤を喪失することになる。」134P・・・生産を物質的商品生産に切り詰めていて、生の生産・再生産の問題を切り落としています。そこからする生産概念自体があいまいになっています。
「コロンタイが継承し発展させようとした理論は、女性の職業労働による自立・解放を再生産機能の社会化による家族の衰退を通して実現しようというものであった。ところが社会主義政権がとった政策は、女性を職業労働に動員しながら、家族を社会の基礎単位と位置づけ、再生産にかかわる労働の多くを女性に負担させた。」135P・・・労働の概念がそもそもおかしい。家事労働は商品生産化された労働で、シャドーワークの活動は労働(ラバー)でなく、仕事(ワーク)。
 女性労働と家族の消滅
「一九一七年、ロシアで二月革命が開始されたことを知ったコロンタイは帰国し、レーニンが示した全権力をソヴィエトへという内容の「四月テーゼ」を、最初にただひとり支持した。・・・・・・かの女は、党の権威主義・官僚主義に対して下からの労働者の自主性を主張して「労働者反対派」の立場に立ち、また経済活動に自由化を持ち込んだネップ(新経済政策)に対し、女性を苦境に陥れたと批判的姿勢を示した。こうした事情にくわえて、性の解放を主張したかの女は、党内から非難され、中央の政治から追われて、ノルウェー、メキシコ、スウェーデンで外交官をつとめることになった。一九四五年に帰国、外務省顧問として働き、一九五二年、心臓発作のため死亡した。」136P・・・オールド・ボルシェヴィキがスターリンに粛清されるなかで、それから逃れ得た数少ないひと。そこに、逆説的にスターリンの性差別的なこともあったとも言われています。
「コロンタイの基本姿勢は、『経済の発展における女性労働』(一九二三年)に書かれた「女性の地位は常に経済的職分によって決定された」という言葉に表現されている。」137P
「これ(エンゲルス、ベーベルの理論)に対しコロンタイは、私有財産を性差別の直接の原因としない。・・・・・・したがって私有財産の成立は、性差別の原因ではなく、それ以前から存在した男女の分業を促進し、女性の状態を悪化させたというのである。」137-8P・・・因果論的なとらえ方ではないところで、分業の先行性・重要性の指摘に留意。
「障害の最大のものは、女性が拘束され負担を追わされている家族であり、その解体が重要課題だと、コロンタイはみるのである。」138P・・・物象化的錯認。家族ではなく、ジェンダーの問題。
「コロンタイは、家族の消滅は歴史の必然であり、国家によって強制的に破壊されるのではないというが、社会主義のもとで家族が自然消滅するとは見ていないのであって、政府による家族消滅の積極的政策が必要だとしている。」139P
「社会主義国家が重視するのは、夫婦というカップルではなく、その結果として生まれてくる子どもである。子供を保護し育成する任務は、両親から労働者集団に移される。」139P・・・全体主義的志向
「コロンタイによれば、社会主義における性関係は、第一に国民の健康と衛生への配慮、第二に国民の経済力に対応した人口の増減という、二点を基礎にしている。・・・またかの女は、ベーベルの『女性と社会主義』を引き合いにだし、性欲は恥辱でも罪深いものでもなく自然の欲求であり、空腹や喉のかわきと同様に満足させられるべきもので、その抑制も乱用も有害だとして批判する。さらに、人間は健康的で自然の欲求を満足させるべきだという原則のもとに、社会主義の結婚形態として、一夫一婦制を設定することにも多夫多妻制を設定することにも反対する。」140P
「コロンタイは共産主義的道徳とは、男女の結合よりも労働集団の結合を、カップルの利益よりも労働集団の利益を優先させるものだという。「恋愛は生活の一面にすぎないのであって、・・・・・・ふるい観念は『すべてを愛するひとのために』であった。共産主義道徳はすべてを集団のためにと要求する」」140P・・・共産主義のはき違え
「しかし、排他的愛を否定し、多面的愛と性の関係を肯定するかの女は、乱婚を容認し道徳を破壊するとして攻撃されるようになる。」141P・・・性的な愛と同志的愛の混同
 恋愛よりも労働を
「男性と女性に異なった教育が課せられ、異なった道徳が押しつけられることが性差別の重要な原因であることが、一八世紀末イギリスのウルストンクラフト以来指摘されてきた。この意味で社会主義者コロンタイは、西欧の近代的フェミニズムの継承者であったといえる。」141P・・・「近代的フェミニズムの継承者」と「社会主義者」という規定がどう重なるのか? 「社会主義」の概念規定が必要。
「「われわれ[女性]は、恋愛が人生の主要目標ではないことを理解し、いかにして労働を人生の中心に置くかを知るようになった。」」142P・・・労働崇拝
「女性との対等な関係がつくれないのは、ネップによって堕落した男性だけではない、社会主義革命の著名な指導者もそうであったことを、コロンタイは『転換点に立つ女性』のなかの「偉大なる恋」で書いている。」144P――この後、レーニンとクループスカヤと「レーニンの愛人」との関係を書いています。
「男性は自分と自分の活動のために女性を利用し、女性の活動を犠牲にすることに痛みを感じない。こうした意識を革命家も持っていたのであり、それを変革することが社会主義のこれからの課題であると、コロンタイはいうのである。」144P
 未完の社会主義革命
「扶養費に代わってコロンタイが提案するのは、ひとつは結婚契約の締結であり、もうひとつは、全国的な保険基金の設立であった。」146P
「一九二六年一一月、男性に女性を扶養させる(女性を従属させる)改正婚姻法は成立し、翌年はじめに公布された。/戦争と革命、さらにネップによってもたらされた国民生活の混乱をのりきろうとする政府にとって、女性の自立、エロスの飛翔、家族の消滅を説くコロンタイの思想は障害となった。」146-7P
「女性部の若いメンバーであったパウリーナ・ヴィノグラードスカヤは、コロンタイはマルクス主義者ではなくプチブル・インテリゲンチャであり、ジョルジュ・サンド主義、無政府主義の影響を受け、性の闘争を階級闘争に優先させ、共産党女性運動の指導者としての資格を欠いていると非難した。・・・・・・」147P・・・この批判こそが、マルクス主義者の差別の問題を対象化しえない、反差別運動の階級闘争への従属論になっています。ただ、コロンタイの理論が社会主義的であるかどうかは別問題です。
「レーニンはこういった。ソ連ではいま青年のあいだに性は自由だという風潮が広がり、それは共産社会では性欲を満たすのは水を飲んで渇きをいやすのと同じように小さなことだという「一杯の水の理論」に基礎をおいている。「わたしは、『一杯の水の理論』は完全に反マルクス主義的であり、それどころか反社会主義的であると考える」。このような反撃のなかで、コロンタイは一九二六年、メキシコに派遣され、翌年にはノルウェーの大使に復帰した。」147P
「スターリンの権力掌握とともに、ソ連では「家族のテルミドール反動」といわれる時代がやってきた。反対派をつぎつぎと粛正し、農業の集団化をはかり重工業重点の政策をすすめたかれは、女性を労働力として利用すると同時に出産・育児・家事という再生産の担い手として利用するために、家族のきずなの強化をはかった。家族は国家の基礎単位と位置づけられ、革命初期の男女の自由と平等を保障しようとした政策は塗り替えられていった。」147P
「社会主義は、労働者階級による国家権力の樹立を通して、資本主義を廃棄し、生産手段の公的所有・公的管理、生産の計画化、分配の平等を実現する、思想、運動、社会体制とされてきた。エンゲルスやベーベルが社会主義における家族と女性に言及しているとはいえ、社会主義の理論家や運動家は、これらを周辺の問題だとみていた。むしろかれらの多くは、性別役割分業による家族を望んでいたのであり、スターリン体制は、それを国家規模に拡大したものだといえよう。」148P
「スターリン時代に、女性に労働者と再生産の負担者という二重の重荷を負わせて、生活を荒廃させ社会主義解体の原因をくったことを考えれば、コロンタイの思想をもう一度見なおして、社会主義とは何かを検討してみる必要があるだろう。社会主義は破産したというよりは未完なのである。」148P・・・未完というより、むしろ定立しなかった、といいえること。
「だが、家族をめぐる多様な論争にもかかわらず、どのフェミニズムも家族の将来について明確な展望を示していない。この点では、コロンタイの思想は示唆に富んでいる。かの女は、一八世紀以来のブルジョア的というレッテルをはられてきたフェミニズムを継承し、マルクス主義の歴史観を土台とし、性差別の組織としての家族に批判の焦点をあわせ、女性の労働者化、再生産の社会化、男女の意識変革によって家族の消滅を予想した。そこには、現代フェミニズムの諸潮流の主張がとりこまれている。包容力に富んだコロンタイの主張を、現代のフェミニズムも検討してみる必要があるだろう。」149P
社会主義の挫折とフェミニズム            大沢真理
 男支配や更に社会批判というところからレスビアン・フェミニズムの宣揚という論というところまで至り着いています。このあたり、ヘーゲルの概念を援用するとまさにアンチとしての鋭さなのですが、これでは分離主義に陥ってしまいます。ジーン・テーゼとしては、「当事者同士の対等な関係での、多様性を認めあう関係性を構築していく」となります。ただし、今の社会は差別社会で、対等な関係など架空のはなしになります。「自己決定は幻想である」という批判が出てくるのです。ですから、対等な関係を作るというところで、とりわけ土台からの社会変革が求められているのです。それが社会主義だったのですが、それを体系的に提起したマルクスの流れの思想は、反差別ということをきちんと提起できなかったのです。
「この小文は、一九九一年一一月四日に、ローザ・ルクセンブルク東京国際シンポジウムの特別規格として開催されたパネルディスカッション「今、女たちから世界の変革を」において、私が主催者側の問題提起におうじておこなったコメントにもとづいている。」153P
 社会主義と女の解放
「マルクス経済学も徹底的に一九世紀的な「生産主義」の経済学であって、「生活」を周辺に押しのけていたのである。ヒトのヒトに対する働きかけであるサービス労働、とりわけ家庭内の自家消費的な労働は、「生産」的でない営みとして軽視された。」155P・・・むしろ生産概念のとらえ返しと、労働概念からのとらえ返しが必要。
「(ウォーラスティンの指摘)「驚くべきは、いかにプロレタリア化が進行したかではなくて、いかにそれが進行しなかったか、なのだ」。しかも、ローザ・ルクセンブルクの流れが汲むフェミニスト、クラウディア・フォン・ヴェールホーフが注意を促すように、種々の非賃金労働はいわば前期的遺物として消滅する過程にあるのではなく、パートタイマー化に代表される近年の先進国諸国の「雇用の女性化」は、むしろ「賃労働の風化」をもたらしている。」155P
「フェミニズムが明らかにし、主張してきたのは、二〇世紀も終わろうとしている今日なお、「妻」は自分の労働者の立場を確立していない、夫である男に所有される存在でありつづけている、ということだったのではないか。」156P
「たとえば、フランスのクリスティーヌ・デルフィは、結婚が奴隷制ないし農奴制と類似した不払い労働による「生産関係」であると指摘し、「家事労働論争」に重要な一石を投じた。」156P・・・「家事労働」という概念自体をとらえ返すことが必要
「他方、イタリアのジョヴァンナ・フランカ・ダラ・コスタは、奴隷と女と賃金労働者のそれぞれの状態について、興味深い比較対象をおこなっている。」156P――この「比較対象」を元に著者の作った表157P
 解放へのフェミニスト・アプローチ
「つぎに、第二の問題――女のラディカルな解放のための政治は、人間解放の総体的計画としてのみ表現され、実行される。では、女の視点から、人間解放の総体的計画にどんな切り口、内容が提示しうるか、またされるべきか――について。まずこの問題設定の前段に賛成したい。以上述べてきたような理由から、女こそは、「社会のあらゆる領域から自分を解放し、それを通じて社会の他のあらゆる領域を解放することなしには、自分を解放することができない一領域」だろうと考えるからだ。」156-8P
「逆に、いままでの種々の解放運動において、外に向かっては解放の本筋争い、内に対しては、一枚岩的締め付けの側面がありはしなかったか、そのために解放運動の内部に抑圧と差別、とくに女性差別を再生産してはいなかったか、そういう問題意識にフェミニズムは立脚していると私は考える。」158P・・・「差別の構造」ということをとらえ返したところでの、被差別者の解放運動との連帯と結合
「つぎに、解放に向けての女の視点からの切り口であるが、私は、性を自由化し、家族の解体も恐れることなく再生産機能を社会化すべきだという、水田珠枝の報告での提案に賛成する。ただその場合に、自由化されるべき「性」の内容が問題ではないかと考えている。・・・・・・性別役割分業を前提とした家族の重視や結婚という枠が、自由で対等な性愛を窒息させてしまうという面だけでなく、婚外であれなんであれベッドのなかにこそが性支配の発祥地であるという面もみなければならないというのである。ようするに性の自由化という場合に、まず男女の性愛、「ヘテロ・セクシュアリティ」というものが根本的にといなおされなくてはならない。」158-9P
「この点は、ハウクが提案したエコロジーの重視という論点にも関連する。キャロリン・マーチャントらの科学史研究が明らかにしたのは、自然や物質を「女」として擬人化し、人間(=男)の科学技術によって開発され利用されるべきものとみなすことが、資本主義的工業化の基礎となって、現代の地球環境問題にも連なっているということだった。・・・・・・そこで私は、とくに女のからだのエコロジー、女のセクシュアリティの自立性を強調したい。」159P・・・前段と後段は矛盾するのではないか? 差異の突き出しのエコ・フェミ的突き出し?
「たとえば労働者階級出身者のなかにこそ厳しい労働者蔑視があったり、エスニック・マイノリティの内部に一段と強固な女性差別があったりするというように、差別や抑圧はそういう自動的な拡大再生産の構造をもつのであって、性差別もその例外ではない・・・・・・」159-160P
「私自身は、女の自己愛、自己尊重を中心としながらもそこに限定されない大きな広がりをもつ概念として、「ウーマン・ラヴィング」を提唱している。概念の広がりの第一は、「ウーマン・ラヴィング」の担い手として男性も含めること、つまり分離主義(「セパラティズム」というルビ)をとらないということ、第二は「ウーマン」のなかに自然をはじめとするもろもろの「擬人化による女たち」を含めているということである。そのようなウーマン・ラヴィングこそ、人間のエゴではなく、あらゆる生命への愛と尊重でありうるような、まったく新しい人類愛につながる変革の原理とはいえないだろうか。」160P
「ところで、ドイツから見ると、日本に果たしてフェミニズム運動があるかどうかも心許なく映るようだ。日本女性にかんする情報は外国ではきわめて乏しい。まして、レスビアン・フェミニズムなどは欧米諸国だけのものと思われているだろう。・・・・・・」160P
日本資本主義とその文化イデオロギー         大越愛子
 この論稿は冒頭に、当時マルクス主義フェミニズムを宣揚していた上野千鶴子さんの現象学的フェミニズムというべき論稿を展開していた江原由美子さんへの文化主義批判を取りあげています。「私ごと」を書いておきますが、冒頭にも書いたようにこの本は再読ですが、この論稿の目次には、「?」というか、批判すべき点があるという、「▽」マークを付けています。わたしはフェミニズム学習をマルクス主義フェミニズムを宣揚していた上野千鶴子さんから入っていきました。上野さんは「私はマルクス主義者ではない」と言っていました。そのような言葉は、マルクス理論の影響を受けた多くのひとが言っていましたし、いろんなニュアンスがあります。上野さんはマルクス主義フェミニズムから、構築主義的フェミニズムに移行していきました(わたしは一時「マルクス主義フェミニズムと構築主義的フェミニズムに両足をおいて理論展開している」というようにとらえていたのですが、今は、移行したのだと押さえています)。結局上野さんの理論をよくよくとらえ返していくと、上野さんは近代主義的性差別反対論者だと、現在的にとらえ返しています。江原さんは現象学のサイドからフェミニズムをとらえ返していますが、現象学が意識やイデオロギーに留意するなかで、差別=差別イデオロギーというとらえ方になっています(現象学の流れ総体がそのようなところに陥っていくのかは、現象学を深くとらえ返していないわたしにはわかりません)。だから、文化主義という批判が有効になっていくのです。大越さんは、どうも上野――江原論争でそこで何が問題になっているのかを深くとらえ返さないまま、上野さんの相手を打ちのめすように論破していくことに反発しつつ批判をしているようなのですが、皮肉なことに上野さんが後に転換していく脱構築派の議論に棹さしているようなのです。もっとも、大越さんも差別を「システム」というところでとらえる観点はあるのですが、その「システム」とイデオロギーの関係を押さえていないのです。これはそもそもマルクスの唯物史観のとらえ返しの欠落・不充分さの問題なのです。マルクス派のフェミニズム理論(一般に「マルクス主義フェミニズム」と言われています。わたしは反差別論の権威主義批判の立場から、ひとの名を冠したイズムは批判的な意味でしか使いません)は、家事を労働力の生産・再生産過程ととらえました。教育の問題や、ひとが生きていく営為そのものも、そういった側面をもっています。これはシャドーワークということで、賃金が発生しないこととしてあったのです。問題はワーク=仕事とラバー=労働との混同が、「家事労働」概念を突き出すことから起きていることです。フェミニズムはすでに、「なぜ、労働と家事と「個的生きる営為」が分離しているのか」ということを問うています。もっとも、これのことも、家事や教育の労働化ということで進んでいます。このあたりのとらえ返しが必要になっています。
さて、話を著者の論稿に戻します。著者には、マルクスの唯物史観ということがきちんと入っていないので、「システム」と「イデオロギー」の関係をとらえようとしていません。
 さて、もうひとつ、この本が出て来たときは、まだ日本的資本主義経営戦略の優位性の論調が残っていたのですが、今日的に新自由主義的グローバリゼーションということで、日本的経営戦略を駆逐してきています。まさに土台(下部構造)が第一義的に上部構造(イデオロギー)を規定していくということの進行なのです。
 確かにイデオロギー的なことの経済的なことへの規定性も押さえていくことも必要なのですが、その唯物史観的関係性を押さえ直す必要があるのだと、この論稿を読みながら考えていました。
 はじめに
「九〇年代初頭に行われた陳腐なフェミニズム論争の一つとして、下部構造重視派のマルクス主義フェミニズムと上部構造重視の文化派フェミニズムの対立という構図があった。」163P・・・これは「陳腐」ではなくて、差別=差別意識ということへの、マルクス主義フェミニズムの流れからの唯物史観からする、文化主義批判の注目すべき論争としてあったのです。
「実際、欧米における近年のフェミニズム理論の発展はめざましい。躍進著しいフェミニズム文化批評の領域では、マルクス主義をテクスト解釈実践の罠の中へ誘うことで、現代資本主義の重層的差別構造分析を試みるという果敢な理論実践が行われている。」163P
(スピヴァックの引用)「・・・・・ジェンダー、人種、階級という概念の実在的な固定に抵抗させ続けてくれるのもまた、脱構築的見地である。私はむしろ、状況に左右されるこれらの概念の生産という、反復される協議事項と、そのような生産におけるわれわれの共謀関係に眼を向けている。脱構築のこのような局面は、覇権的なフェミニズムの<全地球的理論>を確立することを許さないのだ」163-4P
「スピヴァックによれば、現代資本主義の重層的差別構造は、階級や性、人種、地域などのどれか一項に固定された教条的理論においてはとうてい明らかにされえないほど複雑怪奇である。それはむしろさまざまな観点が交差する、絶えざるテクスト解体実践へと曝されていくなかでのみ、その複雑な毛細血管状権力に呪縛された姿をあらわにしていくといえる。文化や人種、階級などを捨象して、画一的な普遍的な性差別のみを問題化しようとするフェミニズムを、彼女は覇権主義的と批判している。普遍的な性差別という抽象的なものはありえず、それは常に特定の地域の特定の文化背景の下で、特定の権力関係のなかで生じる問題である。普遍性の契機があるとすれば、この特定の状況下で起こる性差別をテクスト化していくことで、特定を突破しうる開かれた状況を生み出していく実践の普遍性しかないのである。/このようなスピヴァックの立場は、私が主張している文化解体派フェミニズムに近い。」164P・・・「実践の普遍性」は文化(上部構造)解体運動へ切り詰められないのでは? 「(追記)」の最後の文参照
「現実的に起こる性差別事象は、性的要因のみならず、文化的要因、階級的要因、ときには民族的、人種的要因が複雑にからまった重層的なものである。こうした重層性を無視して問題を一元化していく社会学的理論装置に対して、私は懐疑的である。」165P・・・いろんな被差別事項を羅列するのではなく、それらを関係性総体からとらえかえしていく分析が必要。
 ローザ・ルクセンブルクからの問題提起
「固定した理論で現実を切っていくのではなく、現実の文化的、歴史的、社会的状況の分析を通して、現実に鋭く切り込んでいく闘争的理論を形成していくことこそ、私がローザ・ルクセンブルクから学んだ問題意識である。」165P
「ルクセンブルクの『資本蓄積論』は、周知のように、マルクスの『資本論』の批判として書かれている。」165P・・・著者自身もこの後書いているように、これは『資本論』が国民経済学批判や政治経済学批判として書いた「批判」とは意味が違い、マルクス思想の発展的継承としての批判です。
ローザ・ルクセンブルク「マルクスの蓄積表式は、資本支配がその最後の制限に達する瞬間についての理論的表現にほかならぬのであって、その限りでは、それはまた、資本制的生産の出発点を理論的に定式化する単純再生産表式と同じく、科学上の虚構である。だか、ほかならぬこの二つの虚構の間にこそ、資本蓄積およびその法則にかんする精確な認識が含まれている。」166P・・・「虚構」ではなくて、物象化的上向的展開における「抽象化」
「この場合の彼女のいう非資本主義的生産様式は、主に植民地としての収奪の対象となった非西洋世界の農民経済を示唆しているようだが、現代のドイツのマルクス主義フェミニズムは、この視点を女性の行なう無償労働として搾取されてきた家事労働に拡大解釈して、資本主義の重層的収奪の構造の解明に新たな光を投げかけた。」166P・・・「重層的」という言葉は、著者の場合並列的になってしまっているのではないでしょうか?
 ヴェルホーフ「ローザ・ルクセンブルク自身は、逆説的なことに、その著書『資本蓄積論』の中で植民地問題との関連において事実上女性問題をもあつかっていたことをはっきり認識していなかったが、それにもかかわらず、彼女こそは今日の論争の大部分をはやくも先取りしていた。」166P・・・確かにそうですが、なぜ、彼女が個別被差別事項を取りあげなかったのかの問題を考えるべき。
「このような非資本主義的関係にからめとられた周辺労働の搾取を本源的蓄積として、可視的な資本主義は成立すると分析するのである。」167P・・・中枢――周辺というところでの、まだからめとられていない、からめとられつつある非資本主義地域と、すでに資本主義にからめとられている被差別的なというところでの周辺性は区別されること。性差別は封建制という意味での家父長制ではなく、資本主義化された性差別構造。部落差別の封建遺制というとらえ方の誤りとそれは通じること。グローバリゼーション下の資本主義的性差別の構造をとらえ返すこと。
「ルクセンブルクからヴェルホーフへの道は、マルクス理論を現実に直面させて大胆に書きかえ、情況に切りこんでいく際の実践的理論たらしめんとする、闘争する女たちの果敢な批評実践の道程ともいえる。」167P・・・著者は、所詮イデオロギー的せめぎ合いとしてしかとらえていない。ローザ・ルクセンブルクは革命の実践家だったはず。
「搾取的な生産関係と共存しつつ、搾取的な生産関係を隠蔽してしまう強力な磁場として、文化イデオロギーの大きな意味が看過されるべきではない、ということを主張せずにはおれないのである。」167P・・・まさに文化主義、家父長制を文化としてとらえ、それが資本主義的に再編されていることを押さえていない。たとえば、優生思想は単なる文化ではなく、労働力の価値をめぐるヒエラルヒーのなかに、組み込まれている経済的問題でもあります。
「それは、その地域の、文化の、社会の非資本主義的関係を資本主義的関係のためにもっとも効率よく利用すべく画策するからである。その際、もっとも高率のよい戦略は、各地域、各文化、各社会に残存する差別イデオロギーを再利用とすることであろう。普遍的な差別イデオロギーとしては、女性差別がある。それゆえ、マルクス主義フェミニズムが分析するように、資本主義は女性労働をその本源的搾取の対象とした。」167P・・・差別を封建遺制の問題としてとらえて、またレーニンやローザ・ルクセンブルクも陥っていた、階級支配の道具・利用論に陥っています。差別は資本主義成立の必須条件としてあるということが、ローザ・ルクセンブルクの「継続的本源的蓄積論」のもつ意味だったはずなのです。著者は、「継続的本源的蓄積論」を単にイデオロギーの問題としてとらえているのでしょうか? これはまさに経済学的問題でもあるのです。
「またアミンなどの第三世界の理論家が指摘するように、資本主義は人種差別、民族差別を利用して、植民地化搾取を敢行した。さまざまな地域差別、階級差別ももちろんその戦略対象である。こうした高率のよい搾取正当化としての差別の利用の隠蔽のために用いられるのが、さまざまな文化イデオロギーである。各資本主義は、文化イデオロギーで粉飾することで、差別を不可視のものとなし、意味内容をずらした形での差別を再生産することで、肥え太っていくのである。こうしたあくどい資本主義の戦略を明らかにし、差別システムを明示化していくためにも、文化イデオロギーの解体実践が必要である。日本資本主義に対決する際にも、それが重要な課題となることはいうまでもない。」167-8P・・・社会の矛盾、そして差別の根拠は、分業と私有財産制というところから発していて、単にイデオロギーの問題ではない、これがマルクス思想の押さえのイロハなのです。
 日本資本主義と日本的近代化の問題
「日本資本主義について分析した経済学の理論書は数多いが、そこで気づかされるのは、女性労働や差別された立場にあった人々の労働への言及が非常に少ないことである。・・・・・・マルクス主義のみならず近代経済学者も汚染されている男性労働中心主義、雇用労働中心主義において、いかに多くの問題が隠蔽、消去されてしまっているかを明らかにしていくことが必要であろう。」168P
「近代主義的見解に対して、現代のマルクス主義フェミニズムや、第三世界のマルクス主義理論は、資本主義の成立が、女性の無償の家事労働の搾取や海外植民地の奴隷労働の搾取の隠蔽の下に行なわれ、しかもそのことを逆説的に正当化するような文化イデオロギーが作成されたことを問題化し始めている。」168P・・・「搾取」の概念が間違えています。これは「収奪」概念。
「だがそうした萌芽をもぎとるような強権的な開国によって、弱肉強食の資本主義世界システムの中へ放り出された日本のとる道は、下からの内発的世紀を抑圧する強権的な近代化政策と、国家主導型の資本主義育成しかなかった。」169P
「近代個人主体からなる近代市民社会の成立という欧米資本主義の必要予件を欠落して出発した日本資本主義は、それに代わるものを捏造する必要性に迫られていた。ウェーバーのいう神を内面化したプロテスタント的労働主体に代わるのとして、天皇を親として平等に献身する天皇制隷属主体が、また個人の権利を尊重するという社会契約に基づく市民社会に代わるものとして、個を否定し一体的な和の原理の下でつながっていく家族主義的国家観念が、日本の近代化の文化イデオロギーとして、ここに登場したのである。」169P・・・この天皇制に関する論攷は留意。
「それは、日本の近代化を前近代的で未熟であると批判していく丸山眞男流の近代主義的立場でも、日本の近代化の前近代性に居直る日本主義風文化特異論的立場でもない。日本の近代化の現実相をできるだけ赤裸々に浮き彫りにしていくことで、その差別システムに亀裂を引き起こすことをめざすテクスト解体実践としての、脱構築的な試みである。/欧米近代化と異なる日本の近代化の特質は、天皇制を頂点とする家族主義にみられる前近代的なる虚構の捏造である。」169-70P
「このような日本的近代化の国家戦略は、帝国主義列強に囲まれた国家的危機の下に、急激な育成を余儀なくされた日本資本主義の要求と合致しており、かくて国家と資本主義は手を携えて、比類なき差別的文化イデオロギーを量産しつつ、収奪と搾取の体制を形成してきたこと、その際に特に犠牲の標的であったのが、女性をはじめとする被差別者たちであったことを、明らかにしていくのが私の狙いである。」170P
 日本資本主義の成立
「ルクセンブルクやヴェルホーフなどのマルクス主義フェミニストが指摘したように・・・・・・」170P・・・ルクセンブルクはフェミニズ的なことを自らは突き出していません。フェミニストと書くのは虚偽。
「だが日本の資本主義は、女性の身体の搾取を粉飾するための近代的性別役割分業イデオロギーも、日本外部の大地の侵略を正当化するための開発文化帝国主義イデオロギーも新たに形成する余裕がなかった。苦肉の策として彼らが代わりに担ぎだしたのは、男尊女卑的「女の力」イデオロギーであり、天皇制を頂点とする家族主義国家イデオロギーであった。」171P
「日本の近代化において、国家は天皇制家族主義イデオロギーを採用し、国民の滅私奉公的献身を要求したが、その中でももっとも自己否定的存在としての役割を担わされたのが女性であった。彼女らは文字どおり自らの肉体で、国家に献身することを求められたのである。その端的な現われが海外への女性の人身売買的出稼ぎによる外貨獲得であった。」172P
日本的差別システム
「天皇制の確立の下でいったん身分制度から解放されたとされながら、隠微な形で新たな差別システムに組み込まれていった被差別部落の底辺労働者である。」173P・・・「新身分制」(資本主義的再編)の確立
「日本資本主義の場合は、炭鉱労働などにおける被差別部落民の搾取、紡績業における貧困な農村出身の女工の搾取が、そして後には植民地労働者の苛烈な搾取がそれに相当したといえるであろう。」174P
「天皇制ファシズムの暴力体制といわれるものを現実に支えていたのが、一見温情的にみえる家族主義的経営であったこと、そこにこそ、抵抗や反発を萎えさせてしまうような巧妙な罠があったこと、そこに日本資本主義の恐ろしさがあることなどが徹底的に明らかにされていく必要があるのである。」176-7P
 日本的家族主義という経営戦略
「日本主義が短期間の間に飛躍的な発展をとげた原因として、それが欧米流の自己主張型個人主義ではなく、自己滅却型集団主義に依拠してことが、しばしばとり挙げられている。間(間宏)は、この集団主義を高く評価する文化イデオロギーとして機能したのが経営家族主義であって、それは実体的な家族経営とはまったく異質なものであるこることを強調して、次のように述べている。」177P――間の引用。
「それは、資本家と男性労働者との一体的労働関係をつくりあげることで、その関係から排除された女性労働者や、被差別労働者に対する差別関係を隠蔽するものである。現実に存在しない融和的労使関係のイメージの内面化を強要することで、階級的、性的、民族的、身分差別システムを不可視にし、経営者に都合のよい職場秩序を捏造しているのである。/経営家族主義を潤滑に機能させるエートスとしてしばしば利用されるのが、「恩」「和」「分」などの精神主義である。」178P
「日本のマルクス主義が下部構造中心主義に足をすくわれて、自分たちを蝕む文化イデオロギーを相対化できなかったこと、その体質が現在なお続いていることは、彼らの多くの性差別に対する鈍感な姿勢に如実に現われているといわざるをえない。」179-80P・・・差別意識を取りあげることは必要なことはいうまでもないのですが、差別を上部構造としてとらえているのでしょうか? 問題は差別=階級支配の手段論。
「資本主義の貪婪な欲望は、その発展のためにいかに次々と欺瞞的な文化イデオロギーを捏造していくかの典型的な例を、私たちここにしかと目撃することができる。こうした問題の究明はいまだ不充分にしか行なわれていないが、これこそが私たち文化解体派フェミニズムの今後の理論実践の課題であることを付記しておきたいと思う。」180P
 現代の課題
「戦前以来の差別システムを温存したままの表面的な自由競争社会の成立で、差別隠蔽の文化イデオロギー戦略はより巧妙になり、それに取りこまれた側とそこから脱しようとする側との対立は、たえず微妙にずらされて、人々の意識の拡散化を招きよせ、そのため問題点の鮮明な浮上化は常に先送りされていた。」180P
「あからさまな帝国主義的海外侵略と異なった形の資本主義の世界戦略が、苛烈な競争とともに現在展開されている。その中で生活者としての民衆にとって今後大きな課題となるのは、環境レイシズムの問題である。」181P
「過去の歴史的経験において明らかなように、資本主義は絶えざる差異化、差別化を作り出し、それを培養土として肥え太ってきた。日本資本主義もその例にもれないのであって、この飽くなき日本資本主義の野望が日本の近代化の推進力であったといえる。日本の近代化は、温存された差別システムとそれを隠蔽するイデオロギーの錯綜した関係を解明することによって、はじめてその全貌をあらわにする。現代においても事情は同じである。」181-2P
フェミニズムから「国家」論を読み解く  江原由美子+生田あい
 これは対談です。一応生田さんが江原さんの意見を引き出すという形になっていますが、実際は対等な対談です。前の論攷の冒頭で問題になっていた江原さんと、共産主義的運動を担う理論家の生田さんの意見のぶつけ合いなのですが、お互いに自分の言いたいことを言い、「国家」論的なところでの一定の共振はあるにせよ、お互いの理論的前提からきちんと話をかみ合わせる批判をしていないので、互いの思いを披露し合うことで終わっているとしか、感じられませんでした。ただ、いろんな情報が込められていた対談になっています。わたしがこのかみ合わない議論を読みながら感じていたのは、資本主義体制と家父長制というところで進んできたフェミニズムの議論で、そもそも性差別を家父長制という概念で押さえてきたことにフェミニズム理論の混乱があるのでないかということです。家父長制ということは封建制的性別的関係性から出てきた概念で、それが資本主義社会のなかで、どのように新たに組み込まれていったのかの問題で、「家父長制」という概念では、そのことを深化して押さえていく作業にはなりません。
 なぜラディカルフェミニズムから権力論なのか
江原「つまり、なぜ女性が再生産労働に従事するかを説明する概念として、家父長制という言葉が出てくるのですが、その家父長制の内実が書いてないわけです。上野千鶴子さんも引用していますが、家父長制をソロコフはこう定義しています。「男性が女性を支配することを可能にする社会的権力関係の総体」(『家父長制と資本主義』)。」185P・・・同義反復的規定。家父長制の中身は、性別役割分業からする支配の問題では?
江原「マルクス主義フェミニズムの議論は、その点においてマルクス主義にとてもよくにていると私は思います。マルクス主義は階級支配の内実を剰余価値収奪のメカニズムとしておいた。それをなくすことが階級支配を絶つことだと。マルクス主義フェミニズムも同様に、女性支配の内実を女性の不払い労働に求める。不払い労働をなくすことが性支配を断つことだと。でも問題がここで二つあります。一つは、マルクス主義フェミニズムの不払い労働論が、マルクス主義の剰余労働論に批判してあまりうまくいっていないこと。二つめは、仮にうまくいっているとしても、不払い労働をなくすということのイメージが充分でないことです。」186P・・・「家事労働に賃金を」ということへの批判が当時から起きていて、さらに、家事を労働ととらえることへの批判も起きています。そもそも労働概念自体も問題にされていること。階級支配は単に経済的支配だけでもないし、また剰余価値収奪のしくみが隠蔽されている(マルクスがそれを明らかにした)としても、国家ということでの支配があります。そもそも資本制生産様式と国家の暴力的かつ共同幻想的支配ということも押さえる必要があります。
江原「労働者が主体であるある国で、国家所有であれば、それだけで剰余価値収奪はないとされる。」186P・・・「社会主義国」と言われていた国が、そもそも国家資本主義だったという押さえが今日的になされています。この後著者が展開しているところは、問題が何ら掘り下げられていません。そもそも、ひとの生きる営為が、労働と家事と「個人的営為」に分断されているところを批判し、労働の廃棄から仕事への転化という形でとらえ返す作業が必要ではないかと思っています。そういうところでの新しいマルクス派のフェミニズムの再生が必要になっているのだと思います。
 江原「このような多様な制度の連環としてある「家父長制」について充分分析せず、あたかも一枚岩的な「男性の命令権」が「家父長制」であるかのような、従来の「家父長制」論は不充分ではないか。あるいは小倉利丸さんのように「家父長制」を「貨幣権力」とおいて、お金のあるなしということのみを「家父長制」としてしまうのも不充分ではないか。「家父長制」とは、社会全域において効果を発揮するような制度の連関であり、またそのような連関を生み出してしまうような「知」のあり方なのではないか。」187P・・・「またそのような連環を生み出してしまうような「知」のあり方なのではないか。」というのは唯物史観的には逆転しているのです。制度が「知」を規定する方が規定性が大きいのです。そのあたりが逆転しているから、文化主義という批判があったのです。
 生田「上野さんにしても、先ほど江原さんが引用された本の中で、「家父長制の物質的基盤とは、男性による労働力の支配のことである」といったすぐあとで、家父長制の廃棄は、個々の男性が態度を改めたり、意識を変えたりすることによって到達されるようなものではない。現実の物質的基盤――制度と権力構造――を変更することでしか達成されないといっていますね。まず「男性による女性の労働力の支配」ということに狭く還元してしまっていいのか、家父長制の廃棄が「現実の」、たぶんここでは現実の社会でのという意味だと思うのですが、制度と権力構造の中身、その相互関係が曖昧なままで、なぜその廃棄でしか達成されないのかはっきりしませんね。フェミニズムが提出した「家父長制」という問題を、資本制との関係で「一元か、二元か」とそのレベルだけで争う「出口なき論争」からの脱出口を含めて解く鍵は、この問題だと思うのです。」187P・・・唯物史観的立場からの提起が必要です。
 生田「江原さんが「新しい社会理論としてのフェミニズム試論[二]」(『情況』一九九二年九月号)で、後期マルクス主義フェミニズムの意義と限界は、家父長制の物質的基礎を明らかにしただけで、その家父長制の内実についてはラディカルフェミニズムから借りてきているだけで、その具体的中身はないということを述べていらっしゃるですが、そのことにつながっていきますね。」187-8P
 江原「社会生活のすみずみに徐々に浸透してくるような社会的権力というもの、近代になって強化されてきているような権力、こういう力を充分に書きつくせない今の社会理論の一九世紀的な状況がある。これを乗り越えないとフェミニズムは、ラディカルフェミニズムといったとしても、実質をもたないと考えているのです。」188P
 江原「このフェミニズムの出発点にある人権、あるいは市民的権利の内容そのものが不充分であり、その不充分性を指摘したのが、ラディカルフェミニズムだと考えるからです。すなわち従来の市民的権利においては、セクシュアリティの問題はネグレクトされていると思っています。セクシュアリティとは何かというと難しいのですが、人間の性的活動にともなうさまざまな行為、狭義においては性交行為や妊娠・出産等の生殖活動、広義においてはそれに付随する社会的活動すべてや性生殖に係わる意識や態度を含むと考えてよいと思います。」189P・・・マルクス主義フェミニズムには人権概念は当てはまらないのです。
 江原「人権/市民権といった理念そのものの未完成を意味するのです。」189P・・・そもそもブルジョア民主主義概念自体をマルクス主義フェミニズムは批判しています。
 江原「これが近代市民社会形成期の人権/市民権といった理念の中では充分ではないのです。だからこの部分の規範をつくり始めたのが、第二波フェミニズムであり、セクシュアリティに関わる人権侵害を告発してそのルールをつくりつつあるのが、第二波フェミニズムだと思うのです。」190P・・・「知」や人倫の問題に切り詰める文化主義、文化主義批判をなぜするのかというと、意識をかえることによって社会を変えられるという志向におちいるからです。ものごとはそんなに単純ではないのです。社会を変えるという運動のなかで、社会を変えつつ意識を変えるというように進むしかないのです。これは規定性の第一次性の問題なのです。
 生田「その「セックス・ブラインド(ママ)」をついたところに、おっしゃるように、ラディカル・フェミニズムの、近代思想を越えていく一つの位置と役割をみます。」191P
 家父長制と「見えない支配」
 生田「(江原さんの書いていること)それは「見えない支配」とも。だからラディカルフェミニズムから「権力論」というものに接近していく場合のキー概念として、「見えない支配」ということがあると思うのですね。これは非常に重要でかつ面白い問題提起だと思うのですが、もう少し具体的につっこんで発展させてみるとどういうことなのでしょう。」←江原@言語――「男女間の言語構造の差異」192PA言語行動そのものの問題193P――「男性中心主義的な概念装置を変えただけではダメだろうと感じています。とくに無意識的に行っている女性の行動様式への自覚、特にそれが自己の決定権というものをいかに浸食しているのかをはっきりさせなければならないと思います。」194P(←生田「初めてフェミニズムからの問題提起を受けいれて「自己決定権」ということをたてているし、日本でもそれは確実にフェミニズムの中で重要な問題の一つになってきています。だからこそ、それを言葉だけのことにしてはならないと思うのです。」194P)「労働時間にしろ、産む/産まないにしろ、それは社会的関連をもつ行為ですから、他者の協力が不可欠。でもその協力を得るために必要な話しあいそのものが、さまざまな理由で男女不平等に行われるとしたら、「自己決定権」をもつということは、たんに「自分で決めたんだから、それはお前の責任」といったいい方に利用されるだけになってしまうかもしれない。」195P(←生田「こういう「自由時間革命」ともいえることは、「社畜」とまで呼ばれている男性の「企業戦士」「会社人間」からの離脱なしにはありえないし、・・・・・・男女の「労働への解放、労働における解放、労働からの解放」の三位一体がさきほどいわれたような、女性の出産や家事労働を「消費」とか「余暇」ということにくくっているような「男性労働中心主義」を根本から変えることから考えられねばならない。そうしないと「女の働く権利」と「男の再生産権(養育権)」という今日的問題を解決していくことはできないと思いますね。」195-6P)B「ルールそのものの是非を判断する場をつくる」196P
 生田「家父長制というものを、たんなる上部構造の家族制度(?)の問題とか、あるいは逆に経済主義的に、たんなる経済的単位としての家族とそれを物質的基盤としてのみとらえるとかではなく、もっと全社会的な構造の中で資本制と共にモヤモヤと存在していて、真綿で首をしめるように、女性の考え、行動をそちらへ方向づけてしまうような支配の実態的なものをさすということだと……。」196P
江原「社会が言語を通じて再組織化してくるだろうと感じています。私たちは自律的な生活様式を失いつつあって、国家的な規模の言語共同体にまきこまれつつある。それは文化共同体でもありますしね。」196P
江原「概念装置というと観念的なものと考えられますが、実際のことなのです。概念装置や言語などのコンセプトを通じて組織が運営され、その諸組織が実際に私たちの生活を支援している。だから、それは私たちにふりかかってくる支配のことなのです。」197P・・・物象化的なことの機能
 生田「また、最近、山本哲士さんがフーコーの『セクシュアリティの歴史』の中の「知の意志」を読みといて、国家と権力を戦略的に分けて、支配階級と被支配階級との二元対立だけでなく、「下から毛管状にやってくる」という「関係性に内在する」権力のとらえ方を、「個人的なものと全体的なもの」の結合としてしめしています。それは旧来の伝統的なマルクス主義の「国家論」が、たんなる抑圧装置であるとか、「土台――上部構造」式に考えてきたものに対する大きな問題提起として考えられますね。」197P
 江原「上野さんの「文化――物質」図式に基づいたままで文化的権力といわれると困るのです。私は文化を積極的に他と区別できる概念としてはたてませんから。」197P・・・「文化」に対峙しているのは「物質」ではないのです。
 江原「「家父長制」とは、そうした近代社会総体が女性をとりあつかう方法のことだと思うのです。」198P
 生田「江原さんの場合は、非常に生活者的な発想でたてていると思いますね。・・・・・・別のいい方をすれば、政治的・経済的・文化的と権力をとらえても、女のあり方にとってはすべり落ちてしまうものをすくおうとしている、といっていいかな。それで「生産諸関係の再生産」を国家論に導入したフーコーを想い出したんです。」198P・・・フーコーも意識分析主義、制度とか経済的なことの規定性をあまり押さえようとしなかった。
 生田「さらには、「家父長制」が「支配」であるのなら、それは力なのであり、その力は「いま――ここ」に作動しているのであるから、そうであればそれはどこか遠い過去に起源をもつ「いま――ここ」を規定する「原因」としてでなく、「いま――ここ」において見出されるべきであると。/「いま――ここ」にある権力という発見は、第二波フェミニズムの「個人的なことは政治的である」という中心スローガンと重ねて考えてみると非常な大きな意味を受けとれる。従来、政治問題とは考えられなかった家族内の男女関係の、性別役割分担や性支配の問題を、全社会的領域の中の男性の支配の問題に拡大させながら、なおかつ、その「見えない支配」「権力」を、日常性とは無縁の政治権力の問題として、あるいは国家の本質的な支配一般の問題として一般的に解消、還元してしまわないで、個人的身体性の「経験」の中に、生きている場としての生活の中にひきずりおろしてくる。日常性の中で権力をつかまえるという意味で。/だから、フェミニズムからの「「家父長制問題の発見が第一級の社会理論上の革新に連なる発見」ではないかという江原さんの評価に加えて、「いま――ここ」にある権力といった問題意識も、「第一級の国家論上の核心に連なる」問題提起ではないかとさえ考えるのですが。」198-9P
 フェミニズム「国家論」の可能性
 生田「伝統的マルクス主義国家論の限界の克服が、マルクスの「国家の社会への再収録」の復権、深化としてつきつけられてきたといえるのです。それはそのかえす刀で、「西欧化=資本主義化=近代化」という「近代国民国家」の限界を同時に越えることでもあるわけですが。」200P・・・「国家の社会への再収録」?――国家の死滅
 生田「そこで、こういう意味での「市民社会に国家を再吸収する」「国家を無化」していくということとの関連で、私は、ラディカルフェミニズムが出した象徴的なスローガンである「個人的なことは政治的である」という問題提起を発展させて深めて考えてみることは、フェミニズムから「国家」論と権力論を発展させてことになるのではないかと思ってきたのです。」200P
江原(生田の「もう少し、「いま――ここにある権力」について、聞かせていただけませんか。」201Pの提起を受けて)「「家父長制」の概念がわかりにくいということは、いろいろなひとが指摘しています。私もそう思うんですが、でも、実のところ、それは、問題を解くための概念であるよりも、何が問題かを明らかにするための概念であるから、分かりにくいのだと思うのです。」201P
江原「つまり、「法」に基づかない(税法などの一見無関係に思われる法には存在していますし、まだ現実の判例などにおいては存在しているのですが)性差別体制、性役割分業体制を、「男性中心主義」や「男性優位主義」のような「イデオロギー」に還元してしまったことです。・・・・・・「家父長制」とは、どこかにある「イデオロギー」(それは遠い過去からひきついでいるとよくいわれるのですが)ではなく、「いま――ここ」にあると、/その含意は、@「「家父長制」とは制度連環の中にあるということ」――「税法や年金や福祉や医療や労働や家族やそれらのすべてが、一定の方向しか選択できないような形で、女性を追いこんでいる。その詳細が明確化されなければならない。「家父長制」は一つ一つの制度でなく、それら総体の機能連関にこそある。」201-2PA「一定の方向を選択しなければならないように追いこまれること」――「それは「いま――ここ」にある現実の力として存在している。・・・・・・個々の女性はやはり必死に選択しているんですね、いろいろな可能性の中から最善の道を。にもかかわらず一定の方向しか選択できないような制度連関がある。・・・・・・女性の観点からすれば「わけのわからない」了解不可能な社会的経験はいくらでもあり、それを言語化していくことが必要なわけです。」202PB「言語化そのものを抑圧する構造が存在する」――「コミュニケーションの問題」――「かつて「からかいの政治学」という文章を書いたことがありますが、そういう扱い方、女性の言葉をとりあつかう方法、そういうものがかなり普遍的に存在する。性別カテゴリーは言語的相互行為において、現実に力として作用していますね。そこにも権力が存在するんです。」202-3PC「暗黙の「方法」としてのみ存在」――「こういうコミュニケーションの問題は、実のところ、たんに対面的相互行為の場において存在するだけでなく、あらゆる専門領域の中での言語実践の中にも存在します。それは明確な「イデオロギー」の形式をとっておらず、暗黙の「方法」としてのみ存在しています。・・・・・・それを明らかにせずに遠い過去の歴史的過程のむこうに「家父長制」の起源をみつけても、あるいは、遠い未来に「家父長制イデオロギーの消滅」を展望しても何にもならない。今、自分をこの場において拘束しているさまざまな力、それは現実の他者の評価の予期や、具体的な言語実践や、分類や、例外判定や、何が重要かといった判断や、紙面のつくり方や課題の設定や、そういう具体的な一つ一つのことを明確にしていくことこそが必要だと思うんです。」203P・・・「いまここにある」というところで、それを唯物史観的なところからとらえ返したのが、マルクス主義フェミニズムと言われているとらえ返し、そのことを江原さんは押さえ損なっていて、結局「イデオロギー」に還元してしまっている。「C」の「家父長制」概念は、そもそも封建時代の概念を援用したこと自体の問題があり、今日的には「ジェンダー――性別(差別)役割分業(体制)という概念に置き換えられてきたのではないかと考えています。
 生田「「家父長制」とは、男性が女性を支配することを可能にする「社会的権力関係の総体」だとすれば、女性を「再生産労働」にしばりつけ、「市民」から排除してきたこの社会的権力関係は、どこで「生産され、再生産」されるのかということです。その現実的中心は、フランスのルフェーブルがスターリン主義との格闘の中から「発見」した「日常生活のなか」なのだと思う。」203P
生田「また、権力が不断に上座にあって、女たちが「飛び上がり」成り上がっていれてもらっていくのではなく、文字通り権力関係としての社会的関係の再生産の場である日常の「生活」の方へ、権力をひきずりおろし、ここを変えることで、権力の根を切り、それを無化し、埋めもどしていくことととらえています。・・・・・・マルクス主義フェミニズムは、「資本制」から学び、かつ、その限界を批判しましたが、この国家に関する思想からも学び、かつその歴史的形態として革命が創造したソビエト・レーテなど、「プロ独裁論」を乗り越えてもよいのではないかと思っています。」204P・・・反差別論からは「プロ独裁論」批判が出てきます。
生田「つまりローザは旧来の資本主義の外部に主体を発見し、しかも性分業も含めてそれを一国的でなく世界大のシステムとしてとらえたのです。この非資本主義部分(不生産的労働―「再生産労働」を含む)の存在を強制し、かつ、それを収奪して、資本主義の生存と成長へ転化し、その資本―非資本関係を再生産し続ける力は何かということです。それが国家とか権力であることを、女たちは理論的に明らかにすることができると思うのです。」204P・・・障害問題からの優生思想から、労働能力の価値という概念の脱構築も
生田「「いま――ここにある権力」というのは、女たちの「日常生活」にありながら世界を凝縮し、写し出している権力として、逆に日常生活が水平に世界に拡がっていく質としてもつかまえられねばならないと思うのです。」205P
江原「国家論といった時に、古典的な二つの図式がありますよね。国家機関説と国家共同体説。廣松渉さんが『唯物史観と国家』で述べていらっしゃるような。前者は支配のための装置としての国家というイメージで、後者は実質的な共同連関を含む国家のイメージ。同一民族とか共同言語とかを含むイメージです。・・・・・・私自身は、この二つは必ずしも一致する必要はないと思います。けれど、なんらかの統治機構、すなわち、法をつくり、その法の効力を確保する機関は必要ですよね。ですから、もし「国家の死滅」を考えるならば、共同連関をもつ地域の幅が広がっている現在可能な唯一の方向は、民族共同体、言語共同体を超えた政体を創っていく方向しかない。」205P・・・そもそもマルクスが『ド・イデ』の中で展開した、「共同幻想としての国家」の押さえが必要です。
 江原「「国家の死滅」といった時、一番よくイメージされるのは、地域がごく小さい単位でまとまり、相互にあまり影響しあわない形で共存するというイメージだと思うのですが、私はこのイメージは不可能だと思います。」←生田「それは経済と自治の単位を小さくしていく、いわゆる地域分権体制ということかしら? どうして不可能ですか?」←江原「私はコミュニケーション、すなわちコトバとモノとヒトの共同連関はますます大きくなっていくし、地域をこえた共同連関を少なくしていくことは不可能だと思います。不可能だというのは、産業とか、人口だとか、生産力だとか、いろいろ考えた時にそう思うのです。共同連関を少なくすることは、現実にはその地域内での「残酷な強権発動」なしにはできないだろうということです。すなわち、その地域内の国家への権限集中が起こってしまう。だから難しいだろうなあと。むしろ可能性のあるのは、共同連関をもつ地域の拡大に対応して、より広域の政体、民族共同体や言語共同体を超えた、政体をつくることだろうと思います。終局的には、地球規模の政体のようなものでまとまっていく方が可能性があると思う。」206P
生田「「国連」というのは、帝国主義間のブロック的同盟であると同時に、国際的共同権力として機能し始めています。これは、資本主義の世界化と対応したものです。そしてかつ、地球規模での環境破壊、核問題とかとも見合っているわけです。だから、実践的というか、運動論的いうか――結論からいえば、江原さんのいうように、もう旧来の一国的な近代国民国家ではない、国際的な共同体、政体で、資本の国際性を物質的基盤に、資源・食料・環境など万般のことを、第三世界と先進国間の、中心と周辺の矛盾を解決する国際機関・政体が必要だと。しかも、民衆の側のそれは、国境をこえてどんどん拡がりつつあります。それは、いわゆる非常に狭義の意味の革命――国家権力を根本的に革めるという――を不可欠にすると思います。その必然性の予感のようなものを、江原さんは、「残酷な強権発動」なしに巨大な連関を小さなものにしていくことができないとおっしゃいました。先に挙げた「国家を市民社会に再吸収する」というテーゼは、その権力における革命の狭義の問題を含まないで考えられるとしたら、それは、観念的なものになるでしょうね。と同時に、「地球規模で考え、地域で行動する」(考えはグローバルに、行動はローカルに)というスローガンがありますが、この点とも矛盾しない。」206-7P
生田「この「市民社会」の日常生活における「本質的主体」である女たちが、どのような社会を構想し、「いま―ここにある権力」をつかまえ、それを日常生活の中に埋めもどし、自らの自己決定権に基づく水平的な「自治」を創り出していくか、そのことが「フェミニズムに問われる権力論」の創造だと思います。」207P
資本主義と女性抑圧の文化構造        フリッガ・ハウク
 この論稿は性別役割分化(分業)ということを書いています。現在的にはジェンダー論とかいう展開になるのでしょうか?
生産関係としての両性関係
「両性関係」ということば自体がLGBT(Q)の運動が起きるなかで使われなくなっているように感じています。二分法自体の脱構築のひとつです。
文明モデルとしての資本主義的父権制
「女性抑圧は資本主義よりもはるかに古いということは、すくなくともこの十年来、常識となった。家族に対して父がふるう権力という意味でもちいられる父権制(家父長制)ということばでは、あまりにも狭義であるとして、明らかな男性支配をともなうこのシステムを概念的にどのように把握しうるのか、という問題の分析はまだわずかにしか行われていない。理由はあげられていなくとも、「資本主義的父権制」といえば、重点がどちらにおかれているかは明らかである。」210P・・・女性抑圧は資本主義との先行性の関係で考えることではなくて、分業と私有財産制の発生との関係で考えること。
 その秘密
「我々は、社会が四つの主要なグループに分割されていることを知る。秘儀を授けられて統治し、計画する男たちとその妻たち(なぜ、今日に至るまで政治をするのに男が年をとりすぎることは決してないのに、年をとった女はいずれにせよ、社会にとっては余計な負担となるのか、よくわかる)。そしてその他民衆の男たちとその妻たち。とはいえ、秘儀を授けられた者の妻たちは、秘儀を授けられない者の妻たちとは異なったかたちで、組みいれられている。」211P
市場の快楽
「実際、フェミニズムの視点からみることによって、そうでなければ理解しにくい、この市民社会における一連の正当化について、さらに洞察が得られるのである。生活、身体およびそれらの私的組織(中絶、家族、結婚、離婚、売春、ホモセクシュアリティ、子どもの世話、年金等々)の問題を規制すべく存在している所有に関する無数の法は、この社会全般が市場と利潤の原理によって規制されていて、それが一般的な人間行為として有効性をもたされているところから、必然的にうみだされた。このような原理では足りない、あるいはそれが正反対に働いてしまうところには、一連の法律が介入しているのである。」213-4P
「つまり、この種の人類の再生産の複合体は、資本主義的父権制文明モデルにおいては、まったく予見されていないこと、それゆえ、女性はそのような問題を法というかたちで、私的に、自分の身体と生命とを用いて引き受けなければならない。法律が、社会に支配的な生産、業績、賃金、利潤の原則に従って行動するように、という誘惑から女性を退けているのである。」214P
モラル・セクュアリティ・戦争
「教育、学校、教会となどをただちに思い浮かべさせる、モラルの領域からはじめよう。モラルとは、法が及んでいないところで、行為を導く価値が社会契約的に個々の人間を社会的にしばりつけておく形式である。神に依拠して善と悪の区別を教え、個々人が内面的道徳律を身につけるようにする。利害が対立している以上、支配的なモラルは「上」を認め、「下」を貫くことはあきらめるように、と我々に告げるのである。・・・・・・徳、礼儀、名誉、恥、欺瞞、勇敢さなど、これらはすべて性によって違った意味をもっている。これらが経済的、政治的領域で意味をもつ場合は男性の側に、身体やセクシュアリティの領域で意味を持つ場合は女性の側に押しつけられている。」215P
「ナンシー・ハートソック(前出)は、両性自体を社会的に構築されたものとみなすのは無意味であり、これはセクシュアリティの領域についてもいえるが、男性特有、あるいは女性特有のセクシュアリティとされているものについては、あてはまらないとしている。」215P
「たとえば、男性のセクシュアリティは攻撃的、暴力的、孤独であると同時に、あるいはそれゆえに主体性のあるものと見なされている。これを補完するために、自由に客体、あるいはたんなる身体、またその一部として自由にできるようにさせられている女性的なものが対応している。男性のセクシュアリティは鉄のような意志によって牽制されていなければならない。それゆえ、彼には人間性(と錯綜されていることが)が優先される。/一方、女性のセクシュアリティは、たえず受けいれる用意があり、欲望に従属させられていると同時に、たんに存在しているだけで自己の意志を必要としない。この緊張関係のなかで、女性は非人間、身体として、プラトニックな男は人間として、身体を克服した者/身体を征服した者として成立している。」215-6P
「女を性対象化(セクシュアリゼーション)するなかでは(これは、自発的な社会化の文化的プロセスとも考えなければならない)、男への従属と同時に、社会的なマージナル化も書きこまれる。その反対に、男は意志と精神として登場し、死の可能性としての自分の身体性と闘う。男は英雄であり、就業している。自然は生産的に征服され、支配されなければならない。彼はたえず、他人との競争関係の渦中にある。競争とは区別すること、アイデンティティをうみだすこととする考えもまた、西洋の社会理論の歴史における共同体の考え方を規定しているのである。」216P
「ここまでの議論をまとめてみよう。我々が資本主義的父権制と名付けるのは、一つの文明モデルである。それは、効率、他者との競争、永続する作品の創造を通しての死との競争、生きている―身体的―日常的なものの抽象などの形態をとって、社会的に構築された男らしさが、市場と利益の調整形態と結びついている文明モデルである。このような社会形態は、身体労働する者の従属、また、社会的なもの、人間性の発達、自然に対する関係としてのエコロジーなどの分野を同時的におろそかにし、マージナル化すると同時に、女性の抑圧および女性のマージナル化を必然的にともなうのである。」217P
代理性とクォータ制
「みずからを保護者としての指導部ととらえているような党をもつ社会主義は、そもそも社会主義ではありえないということを知っていた。労働運動のなかのごく少数の人間のひとりが、ローザ・ルクセンブルク、女性であったことは驚くに値しない。」218P
「しかし、経済の生産部門など、実際に業績が重要な役割を演じている領域では、業績として定義されているもの、つまり労働生産性(力と時間)は――自然の再生産をのぞけば――あきらかに男性的に定義されているので、またもや女性は期待される成果をあげるわけにはいかない。「彼」がそう機能できるということが、究極的には彼女をうちまかすのである。ここでは、女性が行うことを見えなくし、計算にいれないことをふまえて、男性の領域がうちたてられている。」219P
「あらゆるポジションで、女性をより広範に、男性と同じ程度に進出させるクォータ制が、博愛(兄弟愛)という高邁な原理をまったく締めだしてしまうことは、特別に強調する必要もない。男性はつねに性的な身体としての女性と関わることに慣れているために、かれらは女性を同じと認識することができないだけではない。また、男と男の、兄弟的な関係もそのままというわけにはいかなくなるのである。」219-20P
「自由とは、最終的にはなんらかの方法で自己決定に関係していること、およびそれを認識するには、すでに秘儀を授けられており、そこに属していて、そのきまりを知り、他人にもそれを適用できなければならないという男たちの合意が、女性のためのクォータ制を、システムと矛盾する強制経済を不当に要求することと勘違いさせているのである。」220P
はりめぐらされた網の目
「女性の抑圧があるのは、家族内か、職場か、政治の世界か、という場を特定するする話ではない。まさにその全体が問われているのである。わたしは、資本主義的父権制とは、その調整の原理が女性の従属を基盤に築きあげられた生産様式であることを示そうと試みてきた。交換、市場、利潤、成長をともなったこの支配的な経済は、就業労働力にとどまらず、同じ原理で生産することができない他の(第三)世界をも包括的に搾取すること、そして愛ゆえに、「人間性」ゆえに、生命の世話を行い、それゆえ「平等」として取り扱われることのない人間にゆだねることに賭けている。・・・・・・それゆえ、女性はこの関係のなかではどこにも、たんなる人間として登場することができない。文化的、政治的、経済的領域であろうと、あるいは家族の領域であろうと、場合によって支配従属関係がある、またはない、というように変わっていく関係性のなかに女性は存在しているのではない。つねに、あらゆるところで、女性は両性関係のなかに生きている。それゆえ、生活を人間的なものにしていくためには、あらゆるレベルで変えていかなければならないのである。」220P
女たちのレーテを            コーネリア・ハウザー
 伝統的な解放の戦略とフェミニズム
「一、両性関係と女性の抑圧とはこれまで、どの国でも、どの理論でも体系的な研究の対象とはなっていなかった。」221P
「二、これまでの解放理論はつねに解放理論の論理でその論法で、政治的主体がそのなかでどのように行動するかを考えていた。」――「もう一つの領域は公的社会(パブリック)である。批判的社会科学ののなかに重みを占めており、政治的な調整原理を備えているこの社会領域は、賃労働と同じように男性的に構成され、支配されている。・・・・・・解放のプロセス、両方の領域のなかで女性の抑圧をともなってのみ、もっときつくいえば、女性を抑圧することによってのみ達成することができる。」221P
「三、第三の点として、社会主義的な構想においても、性別役割分業がとりいれられていることをあげたい。」――「性別役割分業は、支配的な側面がその決め手となりうるにもかかわらず、社会全般の解決策としてとり入れられることとなったのだ。」222P
「四、男女関係の「自然さ」は、解放理論のなかでも問い返されることのなかった点である。」222P(・・・マルクスの物象化論からのとらえ返し)――「女性という社会的構築されたもの(ジェンダー)はつねに、どこにおいても従属、不利、資源と権力への(男と比べて)不均衡なアクセスとに結びついているということは、世界的にいえることである。・・・・・・性の社会的構築との闘いから直接的な利点を引き出すのは唯一、女性だからである(たとえば、生活手段の生産のなかで別のものと分類されている理性が間接的に与える利点は、ここでは視野に入れていない)。フェミニズムなくして解放された社会は考えられないのです。」223P
「では、なにをなすべきか。・・・・・・ヒエラルヒー的な知の概念と前衛的な真理の独占が存在していた労働者運動の伝統に対して、女性の運動は知と認識とを複数化した。ヒエラルヒー的政治モデルに対して、女たちは網の目のようなものを対置した。唯一の社会問題に対して、女たちは同時的に女性のあらゆる問題を水平的に闘った。女の運動は学びの運動だった。女たちは争って知を得た。男たちに支配されていた認識の神殿からそれをひったくりとった。女たちは新しい知を生み出した。/このような見解で、フリッガ・ハウクとわたしは、数年前から女のレーテという政治モデルをうみだした。基本となっている考えは、個人的なものはより政治的に、政治的なものはより個人的なものにすることができるということ、そして明確な政治領域の闘いに足を踏み入れるために、われわれは女性だけの闘いの場を必要とするということである。・・・・・・女のレーテとは、政治的な権力関係に水平的に作用する構造をとり入れさせるための一つの可能性である。」223-4P
[資料]女のレーテ
「女たちが独自に国会に進出しようというアイデアがドイツにおいて論議の対象となったのは、すでに一九一九年のこと、当時の女性運動においてであった。・・・・・・/その最大の目的は、女性議員の数を増やそうというものであったが、このリストが実現することは一度もなかった。」224P
「政治という場の戦場に入りこむためには、我々は女性のための闘いの場を別にしつらえなければならない。/我々の求める政治の形態はさまざまな領域の間をむすびつけるものである。いいかえればそれは個人的なことをより政治的にすることであり、また政治的なことをより個人的にすることである。/ここでひとつの提案をしてみよう。女たちは市民社会において結集し、女のレーテを設立しよう。」226P
「レーテのもっとも重要な使命は、――これはせいぜい国会活動によって上手にサポートされるだろうが、国会がここに肩代わりをすることはできないだろう――一般に強化されつつある再私有化の措置を組織的に拒否し退けることである。」227P
「彼女たちがどう決断するかは、これからリストがどのように発展するかにかかっており、個人個人が相反するものの一方を選択するということになるだろう。つまり現にある政治組織や労働組合組織において闘うか、または女性として独立した組織を共同で設立するかという選択なのである。」228P
ローザ・ルクセンブルク邦語文献目録
 読めていない本が多く、ローザの本格的学習をするには、5年か10年が必要ではないかと思っています。わたしのローザ学習は目的があって、その過程での学習なので、そこまでやりきれません。学習のほとんどが中途半端なものになっていくことに、「内心忸怩たる思い」にとらわれていきます。
あとがき
「ローザ生誕一二〇年を記念して、女だけで企画し、準備した「今、女たちから世界の変革を」と題したシンポジウムの意図は、次のような「よびかけ」に表現されています。/「東欧に続くソ連の激変は、ロシア革命に始まる世界の『社会主義の一時代』の終わりとその危機を示しています。それはある意味で男たちの『これまでの社会主義と文化』の崩壊であり、女たちがその責をひとり男たちに委ね、傍観する事はできず、世界を救う可能性を秘めて、人間として、己の人生を考え、社会の変革を求めて動き出してゆく時代の始まりといえないでしょうか。(中略)私たちの解放への希望とその模索のために、遠い日透徹した眼と、気高く、しなやかな魂をもって、真っ直ぐに生ききったローザと出会い、これを機会に、私たちの『今』を問うてみようではありませんか」」233P・・・繰り返していますが、ある部分に差別的な社会体制を「社会主義」とは呼べません。

(追記)
(社会主義の定義)
・労働者の搾取がないこと、消滅する方向で進んでいること
・差別が解消される方向で進んでいること
・生産手段の私的所有が廃止されるか、解消される方向で進んでいること
・共同体・共同性において、共同的決定から排除されることがなくなること、なくなる方向で進んでいること
・すべてのひとが、生きる保障が対等になされること、その方向で進んでいること

(反差別と階級闘争)
差別の問題を総体的にとらえ返し、個別被差別を越えた反差別の連帯を希求しながら、個別差別も問題にしていくこと。反差別は、自らの被差別事項に反対するだけでなく、すなわち差別されるのは嫌だというだけでなく、差別する、差別するのも(より)嫌だということから、差別の問題を掘り下げてとらえて、「差別の構造」のようなことをつかみ、その「構造」自体を解体していく闘いが必要になっています。

「社会主義勢力」のなかでは、歴史的に差別の問題をとりあげたのは(階級闘争)右派でした。(階級闘争)左派は階級闘争至上主義に陥って、反差別闘争にとりくみませんでした。階級も差別の問題であるということをとらえ、継続的本源的蓄積のなかでは、差別の問題に階級差別がしわ寄せされる・転化させられる構造をとらえ返すなかで、反差別の闘いにとりくむ必要があります。

ローザをなぜフェミニストは取りあげようとするのか、@ローザが男と対等に渡り合えた革命家――正負A反戦思想――「戦争は女の顔をしていない」Bフェミニズムをつきだしていないけれど、「継続的本源的蓄積論」のなかに、反差別の思想があるから。(ただし、「男並みに」というところから、男たちの武装蜂起――権力奪取という論理にひきづられた)

(フェミニズムと反差別)
「マルクス主義フェミニズム」は、家事や教育ということを労働力の生産・再生産活動と押さえました。そのことの中にはマルクスの流れから出た唯物史観的観点があったのです。その活動をシャドーワークとして押さえたのですが、それを「家事労働」として突き出すことから混乱が生まれました。ワークとラバー(商品生産活動)は区別されることです。資本主義社会では、労働者が労働力商品になるという物象化的錯認があるのですが、それを批判する立場で、その物象化批判が必要なのです。
もうひとつ、混乱をもたらしたのは、家父長制概念です。「マルクス主義フェミニズム」は、性差別を資本制と家父長制という二元論的把握をしたのですが、そもそも家父長制という概念は封建主義的性差別関係としてでてきたことで、それが遺制として残っているというとらえ方になってしまいます。これは「封建遺制」的な概念をどうとらえるのかというところで、日本資本主義論争として展開されました。これはわたしは部落差別のとらえ返しのなかで学ぼうとしたのですが、部落差別は資本主義の成立のなかで、資本主義的身分制度の中に組み込まれていったのです。ですから、家父長制を封建主義的な残存として語るのではないとき、新しく形成されていった差別というところからとらえかえす必要があります。今日的には、すでに家父長制概念から切り替わったジェンター論、性別役割分業論として押さえ直す必要があります。ただジュディス・バトラーが突き出した「ジェンダー・トラブル論」から、これも脱構築の対象になっています。わたしは、むしろマルクスから出てきて、廣松渉さんが新しい展開に踏み込んだ、「物象化批判フェミニズム」ということとして展開していくことではないかなどと考えています。わたしは一時期、わたしの個別被差別事項当事者であった障害問題から、反差別論総体の学習のために、とりわけわたし自身が実践的に対象化できないこととして、みずからの差別性の止揚をせめて理論的に押さえるとしてフェミニズム学習にとりくみ、一時期障害問題の本よりもフェミニズム関係の蔵書が多いということもあったのですが、とても、「物象化批判フェミニズム」までふみこめそうにありません。フェミニスト当事者やLGBTQ当事者の登場を待つしかありません。

(上野――江原論争)
この本(『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』)で取りあげられている、上野――江原論争は、実はマルクスの唯物史観をめぐる論争であったのです。わたしの場合は、差別の問題の学習での初期に八木晃介さんの反差別論を読みながら、この反差別論が、差別=差別意識ということになっているとして批判し、マルクスの唯物史観からする反差別論を展開しようとしてきたのです。実は、このあたりは、マルクスが上部構造への働きかけよりも、土台(下部構造)の変革を求めてたところで、武装蜂起――プロ独論を突き出したことともつがっています。このあたりは、必ずしも二者択一的である必要はなく、たとえば、イタリアの協同組合運動という土台と上部構造を連関させる運動もあるわけで、この連関をつかんだところの運動展開が必要になっていると言いえるでしょう。この話は大越論文の「スピヴァックの実践の普遍性」につながることです。



posted by たわし at 18:51| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月17日

加藤一夫『アポリアとしての民族問題―ローザ・ルクセンブルクとインターナショナリズム』

たわしの読書メモ・・ブログ553
・加藤一夫『アポリアとしての民族問題―ローザ・ルクセンブルクとインターナショナリズム』社会評論社1991
 ローザの学習18冊目です。ローザの『民族問題と自治』の訳者の著作で、ローザ論の著。これも再読です。
 ローザの民族問題での論争の背景や、道行きのようなことを展開してくれています。ただ題名にもあるように「アポリア」=論難として、いろいろな矛盾を抜き出してくれているのですが、解決の道筋をしめしてはくれていません。わたしはこの道筋を反差別ということをキーワードにして、探っていく作業をしているのですが、まだきちんと提起できないまま、試行錯誤しています。この読書メモの最後に追記として、わたしなりの現在的とらえ返しを書き置きます。
 冒頭に書いているようにこの本は再読です。一回目に書いた時に、簡単なメモを最後に残していました。「民族問題、長期的利害と短期的利害の対立」「レーニン、従属論、手段論=道具論」「アポリア――アキレス腱」「民族問題=やっかいな問題」――左翼(社会変革を志向する集団)は、民族問題のみならず、差別の問題をやっかいや問題としてとらえたり、差別=階級支配の道具論に陥り、その裏返しの政治利用や切り捨てに陥ってきた歴史があります。そのことの総括が今問われています(長期的利害とは社会主義革命への課題で、短期的利害とは反民族差別の運動と規定できます)。
 この本は、著者が過去にいろんなところに掲載した論文を本にしたものです。したがって、各論攷はかなり独立性を持っています。ですので、各章・各節に沿った、コメントと切り抜きという形で進めます。ここでは、簡単に押さえる作業をします。この本を最初に読んだときに、第一章に留意していました。そして、第二章は、前の読書メモで訳者解説として掲載されていて、留意していた論攷。ですから、その2つには、かなり詳しいメモを残します。他は、歴史に関する事、歴史を押さえるときに必要になるのですが、民族問題の議論においては、歴史は背景的なことです。ということで、ここのところメモが尨大になっているので、かなりはしょります。
 最初に目次を上げます。レイアウトは変えています。
         目次
はしがき
序章 社会主義の転換とローザ・ルクセンブルク●ルクセンブルク思想の再検討
 1 ローザ・ルクセンブルク再検討のための課題
 2 組織と体制の民主主義をめぐって
 3 ルクセンブルクの民族問題は把握とインターナショナリズム
第一章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題●民族問題論争史ノート
  はじめに
1 Nationについて
 2 マルクスとエンゲルスの民族問題把握
 3 ポーランド問題――論争の開始
 4 オーストリア・マルクス主義と民族自治
 5 「民族問題と自治」の論文について
 6 レーニンの反論――論争の展開
  むすびにかえて――若干の問題提起
第二章 ローザ・ルクセンブルクの民族理論●「民族問題と自治」をめぐって
  はじめに
 1 ポーランド社会主義運動の二つの潮流
 2 「ポーランド問題」論争
 3 一九〇五年革命と綱領問題
 4 「民族問題と自治」論文の執筆過程
 5 民族自決権の否定と国内自治の論理
 6 レーニンとの論争
 7 ルクセンブルクの民族論の悲劇
  結びにかえて
第三章 諸君とわれらの自由のために●ロシア革命とポーランドの解放
  はじめに
 1 革命的連帯思想(インターナショナリズム)の展開
 2 ロシア革命と国際主義者の活動
 3 「辺境問題」とポーランド解放
 4 国際主義の限界――結びにかえて
第四章 ポーランド史における自治●「連帯」運動の問題提起に即して
  はじめに
 1 シュラフタ共和制と自治――多元主義と分立主義の起源
 2 ポーランド解放闘争と自治――社会主義運動と独立・自治論争
 3 第二共和制における自治――地域的自治制の確立と破綻
 4 戦後ポーランドにおける自治――労働者自主管理と社会的自治の再生
 5 「連帯」運動が切り開いた自治の地平――自治共和国への展望
  結びにかえて
補論 ローザ・ルクセンブルクの「ポーランド」論
書評 1972-90

序章 社会主義の転換とローザ・ルクセンブルク●ルクセンブルク思想の再検討
 1 ローザ・ルクセンブルク再検討のための課題
 この著は、丁度、ソビエト連邦の崩壊時に書かれていて、著者は最初に、その「社会主義」と言われていることについてオーソドックスな批判的コメントをしています。14P・・・わたしはそもそもそれは括弧付きの「社会主義」であって、社会主義の定立に失敗したのだと押さえています。
 ローザ・ルクセンブルクは「マルクス――レーニン主義」の異端として、「マルクス――レーニン主義」を批判していました。その中身は@組織と体制の民主主義に関する批判A民族問題把握批判B「帝国主義論」に関する批判15-6P
 2 組織と体制の民主主義をめぐって
前節の後段の@について、『ロシア社会民主党の組織問題』での、レーニン組織論批判、『大衆ストライキ、党、労働組合』での、「大衆の自発性」の論攷20P
「ルクセンブルク自身は「大衆・民衆の政治参加」を強調しているのだが、その前提にある知の過剰、理論過剰に大きな問題があるように思われるからである。」22P・・・そもそも「参加」ではなくて革命主体の話なのですが、そもそもローザも革命的インテリゲンチャで、彼女自身がとりこまれた「前衛党論」はこの問題を抱えています。当時の知の格差ということがあったのですが、このことは、繰り返しおきてくることで、前衛党論自体からみなおしていく必要があるのだと思えます。
 3 ルクセンブルクの民族問題把握とインターナショナリズム
「ルクセンブルクにとって民族という概念を特定の経済的共同体とは考えず、言語・文学・芸術、習俗、宗教のような精神文化の諸特徴と財の総体と考えた。・・・・・・ルクセンブルクにとって、国民国家とはブルジョア国家に過ぎず、例えばロシア帝国やハプスブルグ王国に併合されている現在の少数民族が独立国家を形成することに反対した。国民(民族)国家なしの民族の自立、これがルクセンブルクの主張である。」24P
「ロシア革命以後、民族自決権と革命の利益は鋭く衝突した。」25P・・・中央集権主義的運動と民族自決権はアンチノミーになるということ。
「おそらく、彼女のインターナショナリズム思想の根底には、かつてのI・ドイッチャーが規定した「非ユダヤ人的ユダヤ人」の自意識というものが投影されているのではないだろうか?」29P
第一章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題●民族問題論争史ノート
 この論攷は、著者の論攷のアウトラインを示す章になっています。ここでは、著者の論攷に直接沿う形ではなく、著者の論攷とのわたしの対話も含めて、わたしの自身の押さえも含んだ作業をしてみます。
  はじめに
1 Nationについて
「はじめに」とここの節で、いろいろ本文の中でも本の紹介がされています。この本は再読なのですが、最初にこの本を読んで、この本で紹介されている本を買い求め、読んでいったことを思い出していました。この民族問題も、学習半ばで棚上げにし、わたし自身のはっきりした民族問題の押さえをなしえていなかったのですが、この読書メモの最後のノート的な文で、中間的な押さえをしておきたいと思います。
 さて本題に入ります。
Nationの訳語は、民族、国民、国家ということ。で、民族の規定は、マルクス―レーニン主義では、ロシアでは、レーニンよりも「グルジア人」という少数民族の出であったスターリンの民族規定が先行したようです。そのスターリンの民族規定は、「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの歴史的に構成された人々の堅固な共同体である。」36Pとなっています。それで、著者は、この系譜は、マルクス/エンゲルス、カウツキー、レーニンの国民国家論――単一民族国家論的な展開になっていて、それとは別のオーストリア・マルクス主義者の複合民族国家論の系譜があり、ローザもこの系譜にあるとの指摘をしています。そして「前者が、西洋的な近代国家のイメージがあるが、後者は西欧外世界、「第三世界」の国家のイメージをもっている。」37-8Pと押さえています。
「単一民族などは、あくまで資本主義発展の理念型でしかなく、現実には存在したことはない。現在の西欧先進諸国においても、多くの外国人労働者を抱えており、ますます複雑な他民族国家の様相を強めている。」38P
「多民族国家意識から出発すること、これがルクセンブルク民族理論を明らかにする前提であり、それを解明する方法である。」38P
 2 マルクスとエンゲルスの民族問題把握
 マルクス/エンゲルスが「帝国」の植民地支配を、進歩の助長としてとらえる、進歩史観や発達史観と言われるところから民族の問題をとらえていたことがあります。それで、エンゲルスはその考えを維持し続けたという著者の主張ですが、マルクスは、単一的発展史観といわれることを修正していったということがあります。それらのことを、古代社会ノートやインドやロシアの共同体研究の中で、なしていったのです。ここで、著者は、マルクスの「アジア的」という語の差別性の話を書いているのですが、これは『資本論』草稿の中の「アジア的生産様式論」を指すのであれば、むしろ、逆で、そのことをつかむことによって、単一的発達史観から脱したと言われていることで、これは著者の勘違いのようなことです。
「マルクスもエンゲルスもNationについて厳密な検討もせず、明確なイメージももたず、単に、当時の西欧において支配的であった国民意識に、己の感性を合致させた思想を形成したとすれば、なおさら再検討を要する問題である。このことは、マルクス主義は解放の思想なのか、あるいは覇権の思想なのか、その初源において問うことを意味するからである。」42P
 3 ポーランド問題――論争の開始
マルクス/エンゲルスのポーランド論「ポーランドは、西欧ブルジョア民主主義革命にとって利用しうる価値がある、というという理由から評価されていたのであった。これが、いわゆるポーランド防壁論である。」44P・・・むしろ発達史観――進歩史観による、歴史の歯車を前に進めることを支持するというマルクス/エンゲルスの主張。
 ルクセンブルクのトルコに対するマルクス/エンゲルスと反対の主張――独立の旗を掲げるべき、ポーランドでの論争と逆48P・・・「資本主義的融合」や「資本主義的発展」の論理。スラヴとゲルマン――西欧のどちらの方に身を寄せていたかの違い。「オリエンタリズム」の問題も。
「ルクセンブルクにとって国民国家は、カウツキーが主張するように進歩的なものではなかった。それは、最初から他民族を抑圧するものでしかなかった。」48P
「ここから、彼女はその後、国民国家を形成する独立に反対する一方で、各民族の同権の保証を強調し、そこからポーランドの民族文化=民族性を擁護するというプロレタリアートの任務を、ポーランド自治論として提起し、展開していくことになる。」49P
 4 オーストリア・マルクス主義と民族自治
 オーストリアは多民族国家であり、その国家の維持のために、自治的な自由を求めるというオーストリア社会民主党の方針。
 カール・レンナーの民族的連邦主義とオットー・バウアーの文化共同体論(地域と言語を民族の構成要因にしない)
「このようなオーストリア・マルクス主義の提起した政策は、いわゆる民族的・文化的自治制として、ロシアや東欧の多民族国家の社会主義政党に大きな影響を与えた。中でも、ユダヤ人の労働者党ブントに大きな影響を与えることになった。バウアーは、地域や言語を問わぬ個人原理に立った文化共同体を民族だとして、ユダヤ人も民族として認知したのである。」52P
「カウツキーは、またバウアーの個人原理に反対し、地域を指標とする地域原理を対置した。さらに、彼は、何よりも民族にとって重要なのは、言語の共通性であると主張した。したがって、民族共同体とは、何よりも言語共同体なのである。これに地域の共有制と共通の経済圏という要素が加われば、ひとつの言語共同体に複数の民族が含まれることも可能となる。この言語と地域から、カウツキーは、ユダヤ人を民族とは見なさなかった。/カウツキーの思想は、マルクスとエンゲルスの民族国家形成の思想を継承し、また「経済外要因」としての言語の問題によって、これを発展させたといえるが、重要なこことは、この思想がまっすぐにレーニンとスターリンに継承されたということである。後にスターリンは、このカウツキーの主張を下敷きにして、自らの民族概念を引き出すことになる。」52-3P
 崩壊前のソ連邦では、カウツキー――レーニンの流れが建前になっていて、連邦主義的になっているという話53P・・・そもそもレーニンの自決権が建前――虚構でしかなかったのでは?
「さて、このような背景の下で、ローザ・ルクセンブルクは、今度はバウアーの理論の方に身を寄せて、自らの民族自治論を展開するのである。」53P
 5 「民族問題と自治」の論文について
 ローザの民族問題でのいろいろな矛盾を著者はここで取りあげています。確かに、ローザもレーニンと同じように民族解放闘争を階級闘争に従属させていますので、そのあたりから、他の民族問題でのいろいろな矛盾する論攷が出てくるようです。
「しかしながら、結論からいえば、彼女は結局、民族自決権を否定する論理と国内自治を要求する論理とを結びつけることはできなかった。なぜなら、国内自治が何らかの地域的区分を要求するとすれば、資本主義融合による一体化、すなわち、地域的区分の否定という前者の論理に矛盾してくるからである。民族を非政治的な文化概念にとどめたはずが、そこまでいくと政治的な役割を付与されてしまうからである。/また、ポーランドのみに地域を限定したことにより、リトアニア、ウクライナ、白ロシアの民族を否定することになったことも問題であった。これは、ある意味で、「文化なき民族」の主張で、別の見方からすると、民族性次元ではマルクスの「歴史なき民族」の再版になってしまう。結局、ルクセンブルクは、論理の内的な整合性を失って、この論文の完成は挫折してしまうのである。」58P
 6 レーニンの反論――論争の展開
 レーニンは、「われわれの綱領における民族問題」で、「民族問題を階級闘争の一環として捉えることを強調し、民族自決権を、この階級の利益に従属させることを要求した。さらに、彼は、問題をブルジョア民主主義の一環に位置づけて・・・・・・」59P
「当初、民族問題を当面する課題に位置づけて論じたのはスターリンであった。・・・・・・つまり彼(スターリン)は(『マルクス主義と民族問題』で)、バウアーの「民族的性格」を接木して「心理状態の性格」をつけ加えたのだった。」60P
 レーニンは「カウツキーの主張こそが正しい」としてローザの批判を「民族自決権について」で行う。その内容は@「民族問題を抽象的に捉えるのでなく、歴史的具体的に捉えねばならない」60-1PA「ルクセンブルクが民族自決を政治的自決としてみないで、経済的な自立にすり変えてしまっている」62PB「民族と階級の関係について。民族を階級に解体してしまった」62PC「ルクセンブルクの実際主義に対する批判」62P――「ここで、レーニンはもっぱらルクセンブルクの民族自決権否定の側面に焦点をあてている。ルクセンブルクの自治論には、なぜかまったく触れていない。」62-3P・・・レーニンの方が一般的には「実際的」、レーニンの自決権も階級闘争の従属論
 ローザは『資本蓄積論』で(植民地領有への批判として)「現代の「第三世界」と帝国主義本国との関係を先駆的に示唆した・・・・・・」64P――『資本蓄積論』からの引用「資本蓄積は資本主義的生産様式と前資本主義的生産様式とのあいだで行われる資本転換の過程である。前資本主義的生産様式なしには、資本の蓄積は実現されないが、しかし、蓄積はこの面からみれば同時に前資本主義的生産様式の咀嚼と同化によって実現される。」64-5P・・・部分引用、ここにはローザの傍点、傍点のあるところの切り抜き
「この問題意識は、今日の低開発理論との関係において重要である。なぜなら、A・G・フランクがいうように、現在の低開発は、資本主義の発展過程の数世紀にわたる関係の結果であり、低開発は、世界的発展そのものによって創出され、中枢部との絆が強いところほど、今日、最も低開発状態にあるからである。アメリカの民族問題家H・B・デーヴィスは、この点から、マルクス主義の民族理論を対象化したうえで、ルクセンブルクの理論が今日、より有効であるとしている。」65P
「(レーニンも)原則問題から現実的な政策問題になる中で、彼の「最後の闘争」として提起される連邦主義への妥協も、スターリンの「自治化案」に対する抵抗も、原則を一歩後退させたところの譲歩にすぎなかった。今日(この本が書かれた一九九〇年前後)、ソ連で発生している構成諸民族の運動が、レーニンのこの時の態度の動揺に関連しているといっていいであろう。長い民族問題論争で出されてきた多様な問題が、その後も未解決のままに投げ出されているのである。」65-6P・・・そもそもレーニンの自決権は、中央集権主義との関係で「建前」や虚構になっていくしかなかったこと。
  むすびにかえて――若干の問題提起
「民族の問題は、歴史を動かす主要な動力であるとともに、歴史的社会的諸矛盾の結節点でもある。今日、世界中のどこを見まわしても、この問題から自由な国はないといっていい。」66P
 著者の問題提起@「Nation意識の転換、すなわち、民族(国民)国家意識を他民族国家意識のなかで相対化すること。」68PA「民族問題を階級との関連で捉えること。」――「民族問題のなかにおける支配の構造を明らかにする重要性を指摘したい。階級の問題を無視するなということである。」68PB「以上の前提に立って、社会主義国における民族問題の再検討を行う必要がある。」69PC「民族自決権思想の現代的有効性を再検討する事。」69P――「帝国主義が建前として、形式として独立国家を維持させながら、経済的に従属させるという新しい支配と抑圧の様相が深まっている・・・・・・」70P(・・・「従属論」や今日的なグローバリゼーション論)D「民族自治論の再検討」――「ルクセンブルクの理論的挫折も、その意味や理由について詳しくみる必要があろう。彼女が提起した、資本蓄積論と民族問題との関連についても、現代的視点で捉え直すことが重要である。これについては最近の従属論の展開が期待されよう。」70P
第二章 ローザ・ルクセンブルクの民族理論●「民族問題と自治」をめぐって
 これは、『民族問題と自治』の邦訳の訳者解説として書かれていたものの掲載。
  はじめに
 ここは、原文からかなり書き改められています。
 1 ポーランド社会主義運動の二つの潮流
 マルクス/エンゲルス(民族問題では、独立志向のポーランド社会党の流れ)とポーランド社会主義者たち(ポーランド社会民主党の流れ)との認識の違い――一八三〇年一一月蜂起五〇周年記念集会へのマルクス/エンゲルスの連名での書簡で、「彼らは、ポーランドの蜂起と西欧における階級闘争との関係について、従来の見解を繰り返し、ポーランド独立再生を目指す闘いに支援を送ることを強調して、「古くからの叫び『ポーランド万歳!』を繰り返す一つのきっかけになるだろう」と結んでいた。」←「これに対して、ヴァリンスキは、「万国のプロレタリアート団結せよ!」というスローガンを、ブルジョアジーも引きつける「ポーランド万歳!」に結びつけるような政治的組み合わせは、しだいに意味を失いつつあり、ポーランド人の闘いは、国家再生ではなくて国際的な階級闘争の一環であるとして、「ポーランド万歳!」に「社会革命万歳!」を対置したのだった。彼によれば、自分たちは「ポーランドよりも、もっと不幸な『国民』であるプロレタリアートという『国民』のメンバー」なのであった。彼の主張は、ポーランドとロシアのプロレタリアートの革命的な連帯により、ロシア帝国全体の民主主義革命を遂行し、そこでポーランドの自治を獲得することであった。」75-6P・・・この流れが「プロレタリア党」から「社会民主党」の流れになっていきます。
 2 「ポーランド問題」論争
「争点が第二インターナショナルの場に持ち出された・・・・・・オーストリア社会民主党のブリュン(ブルーノ)綱領(一八八九年九月に採択)」――「重要な論点として、多民族国家の民族問題を、国家の枠組みを崩さずに具体的に解決する方向に関する提案があった。とりわけ、この問題を解決するために、K・レンナーやO・バウアーが提起した個人原理にもとづく「民族的・文化的自治」の論理は、その後、ロシアとポーランドの社会主義運動に決定的影響を与え、民族問題の重要な論点になっていった。」78P
 3 一九〇五年革命と綱領問題
ポーランドの社会民主党の流れの党の歴史
「このような状況の中で、ルクセンブルクは、党内におけるイデオロギーの調整と組織のあり方を再検討する必要に迫られることになった。これにはまず、「プロレタリアート党」以来、なお党内に残存している古い党のイデオロギーを克服しなければならなかった。このため彼女は、一九〇三年に、『社会民主主義評論』に、「『プロレタリアート党』の追憶に寄せて」という一文を書き、ヴァリンスキの国際主義思想を批判的に検討し、この党がマルクス主義とブランキズムとの接木であり、「政治綱領をもたぬ西欧の社会民主党であると同時に、農村共同体をもたぬロシアの『人民の意志』党であった」と総括した。」84P
「一九〇五年革命は新たな展望を切りひらいた。と同時に、この革命は、党とルクセンブルク自身にいくつかの贈り物を与えた。彼女自身もまた、この革命から多くを学んだ。何よりも重要であったのは、革命は東から起こるという可能性を確認させたことであった。しかし、この時でもまだ、ドイツの社会主義者たちは、ロシア革命の可能性を信じていなかった。」86P
 4 「民族問題と自治」論文の執筆過程
「一九〇七年、彼女(ローザ)は、やっとフィンランドからドイツにもどってきた。・・・・・・だが、この時、「民族問題と自治」が緊急の政治論文として浮上するようになった。その背景として」89P――@「一九〇五年の革命以後、事実上やりかけていて中断していた綱領問題を解決すること、特に、ポーランドの国内自治の内実を明確にする必要があったこと」89PA「これとの関係で、すでに全体党との組織的な関係を明らかにする必要があったこと」(特に、レーニンの無署名論文がでていたこと)89PB「一九〇七年八月の第二インターナショナル・シュトットガルト大会でこのレーニンと出会い、・・・・・・軍国主義と帝国主義に反対し・・・・・・修正案を共同で起草したこと」90P(・・・レーニンとの一定の共鳴)C「この時、次のような新たな民族問題論争が起きたこと」――「次の」内容、O・バウアー(「民族の本質を「運命共同体から生じた文化共同体および性格共同体」と規定」、「文化的共通性という「心理主義立場に立」つ」、「属人主義の原理」、「民族的・文化的自治」の論理の主張」90P)vsカウツキー(「バウアーが「言語や地域といった民族形成の重要な要因を無視している」ことに異論を立て」、「民族は何よりも、言語共同体からなる地域の共有性であるといういわゆる属地主義(・・・・・・)の原則に基づく地域共同体であると主張」、「バウアーの「民族的契機の過大評価と国際的契機の無視」について批判」、「民族文化ではなく国際文化の重要性を指摘」91P)。「このカウツキーの考えは、後にレーニン(そして、・・・・・・スターリン)の民族理論に引きつがれていく。」vs「ルクセンブルクは、この論争からは、どちらかというとバウアーのイメージに身を寄せて彼女の民族理論を展開していくのであるが(・・・ローザは誰よりもインターナショナリストだったから、必ずしもバウアーと共鳴していない。『資本蓄積再論』でのバウアー批判も)、いずれにしても、こうした背景を背にして大論文「民族問題と自治」を急遽執筆することになった。」91P
「しかしながら、彼女は、予想外にこの論文の執筆に苦しむことになった。それは、単に、その時作業中であった経済学の著作の執筆による時間不足だけではなかったように思われる。一九〇五年以来考え続けていた「自治」という難問に悪戦苦闘しなければならなかったからである。」92-3P
 5 民族自決権の否定と国内自治の論理
「一九世紀末のロシアや、中東諸国などの多民族国家で生まれつつあった様々な民族解放闘争には、ある共通するスローガンがある。民族自治のスローガンである。とりわけ、「諸民族の牢獄」といわれていたロシア帝国内の諸民族の動きのなかに、それが顕著にみられる。」93P
「ポーランドにおいても、初期の社会主義運動のなかに同じようなスローガンがみられる。だが、ポーランドの場合は、「歴史的民族」という使命をもち、国家の再生という課題を掲げてツアーリ帝国に挑戦した歴史的な経験と、一九世紀の七〇年代に始まる民族(国民)主義運動の広般な影響のもとにあったから、民族自治の問題をたんに非政治的・文化的な枠組みにとどめずに、政治的な課題として考察しなければならなかった。これは、国家独立を否定し、所与の国家の民主化=ブルジョア民主革命を目標に掲げた、国際主義の潮流に沿う社会主義運動が解決せねばならない難問であった。このために民族(国民)と国家、政治と文化の相克や相互関係を深く考察しなければならなかった。」93-4P
「いわば彼女は、ポーランド人の民族性を擁護しつつも、ポーランド革命ではなく、ロシア帝国全体の革命を、ロシアのプロレタリアートとともに遂行するという課題をそこで提起したのだった。逆からいえば、彼女の主張するポーランドとロシアの資本主義的な融合、ないしは、「有機的合体」の論理も、この戦略的な前提によって規定されて理論づけられていたともいえよう。だが、急いでつけ加えるならば、彼女はその論理だけを全体から切り離して強調したのではない。民族自治、ポーランドの国内自治との相互関係のなかでそれは提起されたのである。後年、この自決権否定の論理をもって彼女の民族理論の本質と評価されるが、これはまったくの一面的な評価でしかない、ということをここで強調しておかねばならない。」94P
 民族問題での論点@「民族ないし国民の概念についての規定」95P――「彼女は、民族をオーストリア・マルクス主義者の非政治的・文化的なイメージで捉え、カウツキーの政治概念としての国民とある程度区別していることが明らかになろう。」95PA「資本主義の発展と国民国家の問題である。」95P――「そこで、彼女は、国家的な分離=個々の国民国家の形成を求めずに、巨大国家の枠内で、その国家の民主化を目指し、諸民族の同権にもとづく政治的自由の獲得がプロレタリア国際主義の重要な課題となり、逆にトルコのように巨大国家へ向かう前提がないような国では、構成諸民族が独立して国民国家を形成すべきだと主張した。」96P(・・・ローザのブレ)B「自治の問題である」96P――「そして実際、すでに述べたように、SDKPiL第五回大会(一九〇六年九月)では、この綱領草案に沿って、それまで承認していたリトアニアの自治を否定している。なぜ国内自治は、ポーランドにのみ承認されるのか。おそらく彼女は、リトアニアの自治をポーランドと同じ理由で承認すれば、他の民族も同様な要求を出してくるにちがいない。そうすれば、彼女の「有機的合体」の論理が全面的に破綻する恐れがあると考えたのであろう。そこで、国内自治が成立する要件として、文化的自治という理由づけを使用することになったのである。」98PC「この民族文化が問題になる。」98PD「彼女の農民に対する把握そのものについて簡単に触れておく必要があるであろう。以前から彼女は、「農民層は、総じて何の政治的相貌ももっていない」と指摘していた。そして、農民世界の伝統、保守性、地域的閉鎖性などから、その文化を近代的なブルジョア文化とは無縁なものとみなしていた。」99-100P(・・・ローザの農民問題のとらえ方は、マルクスの流れの発達史観――進歩史観からきているととらえられます。)
「国内自治を具体的に実現していく過程で、独立国家否定の論理と明らかに矛盾する問題が生じ、しかも文化的な発展の論理によってポーランドだけに国内自治を限定したことによって、かつてエンゲルスが主張した「歴史なき民族」の存在を承認することになり、民族的同権と矛盾する差別の論理に行き着いてしまう。」100P
 ローザの僚友ヴァルスキーの提言「・・・・・・著者(ローザ)はそれに答えられなかったが、いずれにせよ、著者は、この問題を記憶から消そうと考えてしまったようである。・・・・・・」101P
 6 レーニンとの論争
 レーニン自体のゆらぎと変遷102P
「その後、レーニンの民族問題への関心は、オーストリア社会民主党のレンナーやバウアーが提起した「民族的・文化的自治」批判へと向けられた。・・・・・・彼は階級意識をもつ労働者の任務として、すべての民族的圧迫とすべての民族的特権に反対するとともに、すべての民族の労働者の統一と融合を主張することになった。そこから、カウツキーに依拠して、「われわれは、ブルジョア民主主義のスローガンのひとつとしての民族文化に反対する、われわれは、最後まで民主主義的で、また社会主義的プロレタリアートの国際文化を支持する」ことを強調した。」102-3P
「一九一四年四〜六月、同じ機関紙(四〜六号)に、レーニンは、今度はルクセンブルクを真っ向から批判する大論文を発表した。これが後に有名になる「民族自決権について」という論文である。」105P
「レーニンは、まずここで、「『民族自決』とは、ある民族が他の民族の連合体から国家的に分離することを意味して」いること、すなわち、「マルクス主義者の綱領における『民族の自決』は、歴史的=経済的見地からいって、政治的自決、国家的独立、民族国家の形成以外のどんな意味をももちえない」とはっきり断言することから始めている。そして、この視点から、彼は次のような批判の論拠を挙げている。」105P――@「民族問題は、ルクセンブルクのように抽象的かつ形而上学的に捉えるのでなく、歴史的・経済的かつ具体的に捉えねばならない。(著者の意見――この点から、レーニンはカウツキーと同様に、近代資本主義の発達が国民(民族)国家を必然的なものにするとみている。)」(・・・結局近代国家を前提にした民族問題にしてしまっている。)A「ルクセンブルクは、ブルジョア社会における諸民族の政治的自決、すなわち諸民族の国家的独立の問題を、経済上の独立や自立の問題とすりかえている。」(・・・レーニンも階級問題に従属する民族問題と置くことで、政治的自立を無にしている。)B「ロシアにおける民族問題の具体的特殊性を無視して、民族問題を一般的に階級の問題に解消している。」(・・・レーニンも階級問題に従属する民族問題にしている)C「民族問題における原則的な権利要求と、その実際的承認とは別の問題である。したがって、彼女の「実際主義」批判は当たっていない。レーニンはいう。「プロレタリアートにとって民族的要求は、階級闘争の利害に従属。ブルジョア民主主義を完成させるのが、ある民族の他の民族からの分離であるか、それとも、他の民族との同権であるかを理論的にまえもって断言することはできない」」(・・・「階級闘争の利害」への従属論では、虚構としての自決権にしかならない)106P
「民族自決権をめぐるレーニンの批判は、ルクセンブルクの否定の論理とまったく噛み合っていない。その主な理由は、二人の立場の違いからきているように思われる。すなわち、ルクセンブルクは、すでにこの時、「国民経済学」の批判的な検討を通して、帝国主義的発展の遠心的な方向を萌芽的にうち出し、そこから、「民族自決」の権利を否定的に論じているのに対して、レーニンは、まだブルジョア民主主義の権利の一つとして、それを肯定的に論じているからである。」106P・・・レーニンの民族自決権は、ブルジョア民主主義としての自決権、ローザの自治論は社会主義の理念としての自治論。民族問題における反差別は帝国主義の時代のブルジョア民主主義では成り立たない。
 レーニンの「自決に関する討論の決算」でのローザへの接近。107-8P
 7 ルクセンブルクの民族論の悲劇
 ローザはこの論文をきちんと煮詰め得なかったし、その後、いろいろな議論はあったが、この論争をきちんと煮詰める作業も出てこず、スターリンの支配の中で、ローザの理論は異端の位置に落とし込められた。
  結びにかえて
「一九八〇年の夏、バルト海に面する古い商工業都市グダンスクから起こった「連帯」(ソルダルノスチ)運動は、またたく間にポーランド全土に拡大し、体制を根本から揺り動かした。この運動は、八一年一二月の戒厳令によって圧殺され非合法化されてはいるが、運動は今なお、地下で生き続けており、地上への噴出を狙っている。/この運動が提起したのは、「自治(原語略)」の思想であり、「自治共和国」のユートピアであった。ある意味では、ルクセンブルクの思想にギリギリまで接近したといっていい。だが彼女の名前が、この運動のなかから公然と出ることはつい一度もなかったのである。」115P・・・これが第四章につながる文になっています。
「また、資本主義諸国でも、今、例えばフランスのような典型的な「国民国家」においてさえ、社会の地割れ現象が起こっており、地域主義の動きや少数民族の復権運動が高まっている。また、西ドイツでも「緑の人々」の運動のように、高度経済発展に伴う様々な歪みに対する批判や、中央集権的な管理体制に対する異議申し立ての動きが起こり、それは世界的な規模で拡大している。日本も例外ではないであろう。ルクセンブルクの民族論も、このような状況のなかで批判的に再吟味されるべきであろう。」115P 
[註]の最初の文は、「ローザにとつての民族問題」として辞書の項目になりそうな文です。
第三章 諸君とわれらの自由のために●ロシア革命とポーランドの解放
「ポーランド革命史」、とりわけ「ロシアとの関係においてのポーランド革命史」というような内容です。
  はじめに
「一八三〇年蜂起の敗北で、パリに逃れたポーランドの急進的な愛国者J・レレベルの一八三三年の「ロシア人への呼びかけ」の結びのことばの引用。
 1 革命的連帯思想(インターナショナリズム)の展開
 ローザのインターナショナリズムの背景にあるポーランド自体のインターナショナリズム。
 「さらに、重要なことは、彼ら(マルクスとエンゲルス)が、この時、「他民族を抑圧する民族は自由たりえない」という命題を確認したことであった。」137P
「革命的連帯を民族的責任の論理によって行動の中で獲得すること、これが彼(バクーニン)の主張であった。」138P
「ところで、ポーランドの分割についてふれる時、これが同時にウクライナの分割(ドニュプル右岸と東ガリツィア)とリトアニア・白ロシアの「統合」でもあることに注意しなければならない。・・・・・・連帯の思想とは、たんなる一般的な共闘のスローガンではない。民族と民族との間の具体的な関係に他ならない。シュラフタの蜂起の思想には、この点が欠落していたといえる。」139P
 ポーランドの社会主義運動の2つの流れ、リマノフスキ――社会党――ピウスツキvsヴァリンスキ――「プロレタリアート党」→社会民主党――ローザ・ルクセンブルク140-1P
「・・・・・・ローザ・ルクセンブルクは、彼女の生きている時代状況に基づいてマルクスやエンゲルスの見解を批判的に受け継ごうと考えた。そこで彼女は、ポーランドの位置に立って、「ポーランドにおける民族的努力のもつ内的社会的性格を、ヨーロッパにおける国際関係で果たすポーランドの役割に従って判断する」として、ポーランドの解放を、「社会的発展過程の物質的諸関係」の分析を通して提起した。」141-2P
「その(ローザ・ルクセンブルクの)理論の生みだした時代背景と理論との関係について簡単に触れるにとどめたい。」142P――@「先に述べた民族運動の特殊性とその規模の大きさである。具体的にはポーランド語をめぐる非合法的な文化運動がある。」142PA「次に移民問題がある。」143PB「一九〇五年に発生したロシア革命は、これまでの闘争の形態を根底から変えてしまった。」143PC「しかし、ポーランドの一九〇五年は、単なる工業プロレタリアートの革命運動ではなかった。民族主義者による広汎な学校ストライキ運動や農民運動の拡大など、いわば全国的な規模での社会の闘争であった。その意味では、ポーランドで「蜂起的様相」を呈していたといえる。この点からみると、ルクセンブルクやSDKPiLの評価は一面性を免れえない。」144PD「この時期には(一九〇五年革命後)、SDKPiLの活動家が国際主義者として、西欧やロシアで活躍していた。彼らは、「革命の使者」として、国際的な場で、その思想を実践活動に移していた。」144P
 2 ロシア革命と国際主義者の活動
 ロシア革命のなかで、「仲間集団」がロシア革命自体に内在し動いていくのですが、その独自的「仲間」集団がバラバラにされていく状況も書いています。
「しかしながらウクライナ問題から、この点に若干の変化が生じ始める。第三回ソヴィエト大会(一九一八年一月)で報告者のスターリンは、ウクライナの民族自決に関して、「民族ブルジョアジーでなく、勤労者大衆の自決として了解する必要がある」と述べた。この点と、西部ロシア諸国との関係はどうか、という質問に対して、彼は「ウクライナにはソヴィエトがあるが、リトアニアやポーランドにはない」と返答している。」150P
「民族自決権の原則にはある局面で矛盾が起こる可能性を確かに孕んでいた。レーニンもその点を意識していて、「民族自決権と社会主義を比較した場合は、社会主義の方が優先する」「社会主義の方が明らかに弱い時に、ソヴィエト社会主義共和国を帝国主義の打撃に委ねることは許されない」、それ故に即時の講和が必要なのだと強調していた。しかしロシアにいたSDKPiLは、一九一八年一月に声明を出し「民族自決権を勤労者の自決と解釈し」「プロレタリア・ロシアとポーランドの結合のために、革命戦争はあくまでも遂行する」のが正しいと主張して、ボリシェヴィキ内の同志たちに通告した。SDKPiLも同じ態度を明らかにした。」151P・・・レーニンの自決権は虚構になってしまった。
「しかも、レーニンの承認を受けたというチチェーリンの次の発言は重要な意味をもつていた。彼は、「労農国家」とドイツとの平和的な関係の重要さを指摘して、「体制の大きな相違にもかかわらず、常に、労農国家の目的であった両国人民の平和的な共存は、現在ドイツの支配階級にとっても同様に望ましいものである」と述べた。世界革命を志向しながらも、危機の状況の中では、「現実的な政策」をとらねばならないソヴィエト政府の矛盾がここには表現されている。/しかし、在ロシアのポーランド国際主義者たちは、自己の原則的な立場から、それはポーランドと西欧諸国のプロレタリアートを裏切ることになる、という危惧を明らかにした。すでに七月に、国際主義者の政治拠点である「委員部」は、「原因不明なままで」活動を停止していた。拠点を失った彼らは、ポーランド革命派の連帯活動に唯一の希望を託さねばならなかった。」154-5P
 3 「辺境問題」とポーランド解放
 ロシアの「辺境」のひとつとしてのポーランドと他の「辺境」地域との関係。
「辺境」の問題には、マージナル・パーソンの問題を孕んでいて、そこからポーランド論をとらえ返すことも必要。
「しかし、すでに述べたように、彼ら(在ロシア・ポーランド国際主義者)の政治的な拠点である「委員部」が活動を停止してからは、その活動の中心は、ソヴィエト赤軍と共同行動をとるポーランド軍隊の内部における活動であった。したがって、活動の範囲は限定されていた。/この間、顕著な動きを示したのは、ベールゴロド革命軍の解体後に生まれたワルシャワ赤色革命連隊であった。」155P「農民革命の中心であったこの地方に、「最も意識の高い」外人部隊である連帯を派遣して鎮圧にあたらせたことは大きな問題があろう。」156P
「ローザ・ルクセンブルク以来、党派間の共闘の場合も、国際主義者はポーランドの党の自立性を神経質なまでに強調していた。しかし一一月の臨時協議会で、彼らは革命ロシアを無条件に防衛するために、ソヴィエトの各機関に人民委員、軍事コミサール、非常委員会委員(チェーカー)、外交代表など一四〇人の活動家を送ること、ソヴィエト権力を防衛するために反革命を鎮圧することなどに無条件に協力することを決定した。」156P・・・そもそも何が革命で、何が反革命だったのか?
「すでに触れたように、この地域、特にリトアニア、白ロシア、ウクライナは、ポーランドとロシアの歴史的な係争地帯であるとともに、革命的連帯の躓きの石でもあった。この問題をめぐる両者の見解の違いの中にこそ、ポーランド社会主義運動の内部対立の根源があった。」157P
「国際主義者の祖ヴァリンスキは、一七七二年国境問題を、「労働者階級の民主的な権利を獲得する世界大の闘争」の過程で、「自然に解決する」問題だと位置づけた。彼の思想の多くを継承したと思われるルクセンブルクは、資本主義の発展過程から、この地域の後進性に注目しつつ、独自の歴史と文化については、かなり軽視的ないしは否定的な態度をとっていた。このため、国際主義者の辺境認識は、かなり薄いか、あるいは欠落していたといっていい。」157P
「他方レーニンは、かれの民族自決権理論を構築した時、この地域の複雑な民族構成を自己の中央集権的組織原理にどのように組み入れるか、という問題意識が常に念頭にあった。現に、彼に反対したのは、まさにこの地域を活動拠点にしていたユダヤ人組織(ブント)と国際主義者のSDKPiLであった。両者は、民族主義と国際主義という相反する方向を追求しながらも、被抑圧民族の視角から民族同士を結ぶ原理として自治を強調する点では一致していた。彼らは一様に「連邦主義」を唱えていた。これに対してレーニンは、抑圧者で自己の大ロシア人としての視角(レーニン自身、その出自はロシア人ではないといわれている)から、民族自決権を「分離の権利」として、中央集権的結合の不可欠な「例外」原理として主張した。ロシア革命の後に、この辺境地域の解放が現実の課題となってきた時、まさに、ソヴィエト政府は、この原理を反革命の攻勢という状況の中で適用しなければならなかった。この地域を、この原理に従って、「社会主義共和国」の中に、革命の側に引き入れるのか、あるいは、ピウスツキの「連邦主義」原理に従ってポーランド側に引き入れるのか。この対抗関係こそ、内戦後期の革命と反革命の対抗関係であり、一九二〇年のソヴィエト・ポーランド戦争の重要な論点でもあった。」157-8P・・・レーニンの苦闘、自決権の破綻。
「もっとも、彼(レーニン)は、行き過ぎには警戒していた。一一月末に赤軍司令部にあてた書簡の中で、彼は、国境地域にソヴィエトを作ることを強調し、そうしなければ、「ウクライナ、リトアニア、ラトビア、エストニアの排外主義者たちは、わが軍の攻勢を占領と受けとるだろう」とし、その場合、「何よりも、占領諸国における赤軍の立場は極めて悪くなり、住民は、わが軍を解放者として迎えないだろう」と注意を促している。「辺境地域」の解放は、いずれにせよ、軍事的な配慮が優先し、その解放にソヴィエト赤軍が決定的に重要な役割を果たすことになった。」160P
「リトアニアや白ロシアの解放にあっては、軍事的な戦略が民族問題の処理に優先したことを、ソ連の研究者も認めている。」161P
「こうして、ロシア革命とポーランドの解放を結びつけるという国際主義者の目的は達することができなかった。その後ソヴィエト・ロシアが一国社会主義の枠内に入った時、ポーランドの社会主義者たちは、広大なロシアの大地の彼方に姿を消してしまった。」162P
 4 国際主義の限界――結びにかえて
「すでに述べたように、国際主義(インターナショナリズム)とは、被抑圧階級の連帯の原理である。具体的には、その原理は、ある国家と他の国家との関係、一つの民族と他の民族との関係、ある人間と他の人間との関係、とのなかで生きている。ポーランドの国際主義者たちは、「プロレタリアート」の連帯を強調した。その場合、彼らのいう「プロレタリアート」とは、純化され理念化された歴史的主体を示していた。その主体は、彼らの見解によれば、資本主義の発展の程度に応じて形成される、というものであった。当然、そのために、彼らの目は西欧世界を向いていた。西欧諸国こそ、資本主義の最も発展している部分だった。ロシア革命との連帯も、ロシアが西欧を向いている限りにおいて成立するものであった。西欧を向かず、したがって経済的にも後進的民族からなる「辺境諸国」に対しては、冷淡にならざるを得なかった。なぜなら、そこには「プロレタリアート」なるものは存在していないからである。ここには、現に生きている「生身の人間としてのプロレタリアート」への認識は希薄であり、現実的な連帯の視点を欠いている。ここに、彼らの致命的な限界があるといえるかもしれない。」163P
「しかし、ロシア革命やポーランド解放において重要だったのは、辺境の地でうまれ。そこに住み、そこで死ぬ人々にとって国際主義とは何かという問題であった。例えば、ウクライナやアメリカに革命後に移住した農民たちの一般的な声はアメリカの社会学者の研究などから拾い出すことができるが、それは、ドイツ軍によって乱暴に奪われた土地をロシア革命が奪い返すものと期待していたが、赤軍もまたドイツ軍以上に乱暴にふるまったことにたいする疑問や不満である。彼らにとってロシアとは一体何であったのか。/現在、アジア諸国の民族解放闘争との関連で、ロシア革命の再検討と再評価が要求されているが、その重要な視点をこの問いに置かねばならないであろう。このような人々の素朴な対応を「反革命」だとか「反ソ的な空文句」だとして切り捨てるのではなく、現代に生きる人間の声として受けとめなければならないであろう。この点から、歴史の激動の中で見逃されてきた少数民族の解放、小民族国家の自立の問題も、その解放の内側から検討しなおす必要がある。」164P・・・国家は消滅させていくこと
第四章 ポーランド史における自治●「連帯」運動の問題提起に即して
 ここは、ローザの生きていた時代を超えて、ソヴィエト連邦の崩壊に至る過程のポーランドの歴史をとらえ返しています。有名な「連帯」の運動に関するコメントも出ています。
  はじめに
「一九八〇年八月の末から八一年一二月までの約一六カ月間にわたって展開されたポーランド「連帯」運動の突き出した重要な論点の一つに自治=自主管理の問題がある。八一年九〜一〇月に開かれた独立・自治労組「連帯」第一回大会で採択された綱領は、「自治共和国」を目標として掲げた。これは、すでに硬直化している社会主義体制を内側から変革し、下の方から市民社会の再組織化を目指す新しくユニークな戦略を示している。」166P・・・「社会主義体制」はそもそも定立に失敗した「社会主義」だった。
 自治のマルクス派的理念「ところで、自治とは一体何か。社会主義(マルクス主義)の理念からいえば、かつて、マルクスが一八七一年のパリ・コミューンのなかで発見した、支配する者とされる者、管理する者とされる者といった抑圧と従属の関係を取り払い、各人がすべての点で対等に生きることができ、おのれの経済的かつ文化的な生活を自立的に営むことができ、そして、それを通して国家の機能を規制し弱め解体し消滅させていくといった社会の原理が、イメージとしてまず浮かんでこよう。」166P・・・パリ・コミューンの社会主義のイメージ←著者は「しかしながら、今日、自治をこんなバラ色の理想のイメージで語ることはとてもできない。」166Pとしている。・・・このことの探求
 二〇世紀における自治――「ロシア革命におけるソヴィエト、挫折したドイツ革命のレーテやハンガリー革命のタナーチ」、「スペイン革命の中でも」――「ただし、それは制度として確立することなく、大部分は失敗するか空洞化し、あるいは国家体制の付属物となって終わっている。」166-7P
「そればかりではない。体制としての社会主義の歴史をみれば、民衆による自治の発展どころか、共産党独裁になって逆に自治が押さえ込まれていくという歩みを辿ってきた。そして、今や、社会主義体制なるものは、少数の政権党官僚による勤労大衆の抑圧。搾取システムとして完成しており、ソ連にみられるように異論をもつ人々を収容所や刑務所、精神病院に閉じ込めるという極めてネガティヴなイメージをわれわれに与えている。何が自治か、という疑問がわいてこざるをえない。」167P・・・「体制としての社会主義」などなかった。
「当然のことではあるが、いかなる国においても自治は、その国の歴史と伝統から無縁ではない。例えば、社会主義体制の枠内で、経済と社会を自治の原理で組織して、この間、世界の注目を集めてきたユーゴスラヴィアにおける自治=自主管理制度も、一九世紀末のセルビア、クロアチア、スロベニアにおける民族解放闘争と労働者運動の独自性、さらにそれを踏まえ第二次世界大戦時の反ナチス・パルチザン闘争の経験のなかから生まれてきたものであり、いわば歴史的伝統の蓄積が背景にあるのであって、単なる理論家や政治家の思いつきや、机上の白紙の上で生まれるものではない。ポーランドにおける自治の論理も同様である。ここでは他の国とは異なる歴史的経験としての挫折と敗北が累々と積み重なっている。」167-8P
この章の課題は(「はじめに」の最後に書かれている)「この章ではポーランドにおける「自治」の概念、その形成と展開、それに現在の問題について歴史的なパースペクティヴのなかで捉えてみることにしよう。」168P
 1 シュラフタ共和制と自治――多元主義と分立主義の起源
かつてロシアにつぐ第二の大国としてのポーランド168-9P
 ヨーロッパにおける絶対主義王制169P
絶対主義王制とは別の道をとったポーランド――シュラフタ共和制169-170P
「この国家体制のもつ特徴や問題的のいくつかを挙げ、当時の封建的自治の性格と、その歴史的な意味について考えてみよう。」170P――@「ポーランドの共和制国家の主体であるシュラフタ」、「一六世紀がシュラフタの全盛期で、・・・・・・・「黄金の自由」の謳歌」」、「当時、人口の八パーセントのシュラフタが、共和国の土地全面積の六〇パーセントを占有していた」170P、A「シュラフタの特権的地位を支えるのに重要な役割を演じた議会の存在」171P――「一五〇五年にはアレクサンデル国王が、「ニヒル・ノヴィ憲法」で、二院制議会の立法権を正式に承認し、国王の後継者も議会の承認なしに決定できないことになった。」、「ホーランドの選挙王制が確立」171P、「国王とシュラフタの対抗関係は、この時代のヨーロッパにあった身分制度と性格は同じである。」、「ポーランドの議会は、逆に国王を抑え込んでいった。したがって、国王中心の中央集権化をポーランドでは実現できなかった。」172P、B「この議会と密接に関連しながらも、その他の所属領地にあったシュラフタの特権である連名結成権」173P――「この権利は、もともと中世都市の自治のなかから生まれてきた各人の抵抗権で、一般的にはヨーロッパ各国で散見される。しかし通常、それは王権と協調的で、その後王権によって形成された自治という形をとっていくのに対して、ポーランドの連盟は、国王をチェックする役割を果たすことになった。」、「国王在位期に結成された連盟は、必然的に国王に対する反乱権という性格をもつた。これも合法的なものであった。連盟は、個々人の自発的な参加によって生まれ、一定の政治的な目標が掲げられていた。そして、その目標が達成されると解散されるのが普通であった。」173P、「現在の「ポーランド人民共和国」における「連帯」運動は、労働者の連盟であり、ある意味では連盟の現代版といえるかもしれない。」174P、C「ポーランドの国家連合的性格」174P――「一三八五年の「クレヴォ連合」によって、ポーランドはリトアニアと連合国家を形成した。さらにその後、ドイツ騎士団と戦うために、その連合関係を強め、一五六九年の「ルブリン連合」によって、リトアニアのみならず、ウクライナの一部を併合して、独自の諸民族複合国家を生み出すことになった。」174P、「当時の国際環境におけるポーランドの位置」174P――「ポーランドはイスラム教などの異教徒からキリスト教の世界を守る防壁の役割を果たしてきた。そこでは、単に軍事的な力だけでなく、西ヨーロッパ文化の流入やキリスト教文化の定着が重要な意味をもっていた。」174P
 一七世紀以後の動乱の時代175-6P――三回にわたる分割
 ルソーのポーランドに対する「連邦政府」構想177P
 2 ポーランド解放闘争と自治――社会主義運動と独立・自治論争
ポーランドの民族解放闘争のそのものの近代史の歴史の展開の節
 二つの方向と路線の相互に関連し合う歴史――二つの内容@「急進的なシュラフタを中心とする武装蜂起の路線である。」178PA「啓蒙・教育活動を通して、解放の主体を地道に形成していくという方向である。すなわち学問や芸術の振興を通して、ポーランド文化を民衆のなかに広め、ポーランドの民族性を確認してゆく運動である。」 (――一八七〇年代のポジティヴィズム運動、ポーランド近代史の「有機的運動」) 179P
 前述の二つの方向は、独立と自治、「理想主義」と「現実主義」(・・・これはとらえ方<例えば、国家主義批判の立場>によっては反転するのでは?)、ナショナリズムとインターナショナリズムとして対置される。179-180P
 分割して消滅した後の闘いの歴史
 フランスのナポレオンのもとでのポーランド軍団(実際には、傭兵となってハイチやスペインの民衆と敵対、ポーランド解放にはならない)、ナポレオンの敗退の後また分割されてウィーン体制の結び目としての位置、一八二五年のデカプリストの反乱で反ロシア蜂起、その後の一八四八年ヨーロッパ革命・一八七一年パリ・コミューンなどヨーロッパ革命の戦場を「革命の戦士」として生き抜く、一一月蜂起の指導者J・レベルの思想はマルクスとエンゲルスにも影響、一一月蜂起でロシアとの「革命的連帯」→ロシア革命に連動「諸君とわれらの自由のために」、一八六三年一月ロシアへの反旗、ポーランドの新しい道の模索としての「ポジティヴィズム運動」・同時に資本主義の隆起、二つの流れの形成・社会党と社会民主党180-6P
 著者のローザへの自治論のあいまい性への二つの批判@文化の非政治性――実際に政治性が含まれているA民族文化の把握の問題性――農民の切り捨てと他民族の切り捨て186-7P
 3 第二共和制における自治――地域的自治制の確立と破綻
 一九一八年社会党右派のピウスツキ政権での愛国主義と民族主義の奇妙な合同のなかでのポーランド国家の再生189P―――ポーランドとロシアとの「革命的連帯」とインターナショナリズムの敗北
「ラーダ運動は、結局、中央権力と対峙し、それを打倒する勢力にはならずに終わっている。」――「南部の炭鉱地帯ドンヴローヴァ」を例外、これも中央から派遣された軍隊に潰される190P
 共産主義労働者党(後にポーランド共産党と改名)の結成――ローザの影響が強く、民族問題と農民問題を欠落191P
 ポーランドと東欧諸国は「ベルサイユ国家」――ロシア革命の西欧への波及の防疫を担う国家191P
 ピウスツキ政治――独裁からファショ的政治→サナツィア体制――国際的ファシズム運動の影響←地方自治の構想(ファシズムの隆起、また古い地域主義の残存で機能せず)191-5P
ポーランド共産党の対ソ従属の教条主義への陥穽でサナツィア体制の外在的批判者にとどまる195P
 スターリン支配のなかで、ポーランド共産党(KPP)の解体で「ポーランドとソ連との革命的連帯の思想、革命的自治の思想、インターナショナリズムの思想が根底から一掃された・・・・・・」195P
 ナチスドイツのポーランド侵攻で、ポーランド第二共和国の崩壊196P
 4 戦後ポーランドにおける自治――労働者自主管理と社会的自治の再生
 一九四五年、ソ連軍によるナチスドイツからの解放、その後ソ連の後押しで、体制の再編196
「カチンの森事件」やワルシャワ蜂起でのソ連の「裏切り」197P
「自治の観点から、戦後体制の見直し」における問題点198-204P@「地域自治制の解体と統合の問題」A「労働者自主管理の発生・挫折・再生の問題」B「社会的発展を求める運動の発展」198P・・・中央集権的政治とのせめぎ合いと規定性
 自治の概念についていろいろ書かれているのですが、そもそも中央集権的支配に組み込まれた自治と、あらゆるひとのひとに対する支配――差別に反対する自治(社会主義の理念)とを区別すべきこと、勿論、過渡的な問題はあるにせよ、その方向性に向かうかどうかを検証すること。自治概念との議論を再度深化することきに、ここをとらえ返すこと。
 5 「連帯」運動が切り開いた自治の地平――自治共和国への展望
「連帯」の運動の中で出てきた、声明の中の一文「国家は私有財産制の存在と発展を保障する。」212P・・・まさに社会主義とは真逆の論理
「ところで、「連帯」運動の最終段階に現れた自治=自主管理の発展を支えた思想はなんであるのか。それはマルクス主義、社会主義ではなかった。・・・・・・ポーランドの民衆にとって、社会主義とは抑圧的な体制とそれを支えるイデオロギーでしかないのである。」213P・・・ブルジョア民主主義のなかにおける自治は、支配の構造のなかの自治であり、そもそも支配の構造のなかでの虚構の自治にしかならない。社会主義的自治は、共産主義――あらゆる支配関係の止揚、その一歩としての、共産主義に向かう社会主義的自治には、支配関係を止揚していこうということを含んでいる自治を考える事が必要
  結びにかえて
「社会主義共同体において、インターナショナリズムというのは建前にすぎず、実際には不要なものなのである。ここで現代社会主義の悲劇をみることができよう。」214P・・・そもそも「社会主義」で、社会主義ではなかった。
補論 ローザ・ルクセンブルクの「ポーランド」論
 これには副題「J・P・ネトルの所論に寄せて」が付いています。ネトルの本は一応読んでいるので、ここでは、著者のネトルから派生した、もしくは離れた「ポーランド論」を押さえる作業としてのメモを残します。この著者は、ここでかなりの独自的なローザの「ポーランド」論を展開しています。
[1] ネトルが突き出したこと
「しかし、ネトルの場合は、いわば、非政治的価値判断自由という学問的スタンスから史料を駆使し、複眼的視点と多角的な研究方法によって、これまでの政治的な把握を超えたルクセンブルクの全体像を描き出そうとしている。」218-9P
[2] ローザとポーランド
 ポーランド党派史のような文になっています。全部抜き出すと年表になるのですが、ここでは、全部を切り抜くのではなくて、注目すべき文だけメモします。
「(七〇年代)「有機的労働」の綱領を掲げたポジティヴィズム運動が起こってくる。・・・・・・この運動は、女性の平等やユダヤ人への差別反対などをスローガンに掲げていたが、初期のナロードニキ運動の実践も同時に影響しており、社会の底辺で労働すること、底辺の民衆、とりわけ農民の救済や啓蒙活動を通じて農村自治を確立することを主要な目標としていた。これは、また、従来のロマン主義的な民族蜂起の思想を否定し、実利を重視する現実主義的な改良=近代化を追求する試みであった。」220P
「しかしながら、分割諸国に対する極端に忠誠的な姿勢ゆえに、八〇年代以後になると、この運動を批判する二つの運動が登場してくる。民族主義運動と社会主義運動がそれである。/前者は(国民民主党の流れ)・・・・・・/・・・・・・その内部では少数の異質的なものを切り捨てて、多数の同質性を結集することによって、差別と抑圧の構造を形成・確立していったことに注意しなければならない。反ユダヤ主義思想と活動が、この運動のなかから発生していくのである。(・・・ナショナリズムは差別主義的になっていく傾向)。/後者の社会主義運動もこのような時代状況の産物であった。(社会党と社会民主党の二つの流れ、後者の前身の「プロレタリアート」)・・・・・・」221-2P・・・「プロレタリアート」結成者のL・ヴァリンスキの「・・・・・・われわれは『ポーランドよりももっと不幸な』国民であるプロレタリアートという国民の同胞であり、メンバーなのだ。」223P――民族と階級の相作的関係と、どちらがということで比べられない問題。時には、民族差別ということで顕在化する階級問題もある。
「歴史変革の運動において、ある時代状況を共有した世代の役割を軽視することはできない。とりわけ、ポーランドのように、東西ヨーロッパの谷間にあって多様な文化が交錯していた「辺境」ではそれが重要な意味をもっている。実際、多くの試みが、彼らの手でなされている。近代化運動のなかで推進された学問研究や教育活動、世界語の普及によって民族抗争を克服・解決せんとしたエスペラント運動、ユダヤ人解放運動の始まり、女性解放の自覚の深まりと発展、少数民族の覚醒、そしてもっとも重要なものとして、農民の闘争と農民の経済移民(エクソダス)の開始など……。ルクセンブルクの思想の芽は、このような時代の流動状況のなかで生じてきたものといえる。」223P
「それゆえ、私は、その一部を、彼女が強調している民主主義論によってみることにしたい。これは、ある意味で、彼女のなかに「ポーランド的なもの」あるいは「スラヴ的なもの」を発見する試みでもある。/彼女の民主主義の原理は、自発性と連合的な結合である。彼女にとって民主主義とは、単なる制度ではなく鼓動の思想、ないしは精神に近い。後のボリシェヴィキ批判の根本的な方法になっていく精神である。」224P・・・「真の」民主主義者としてのローザ・ルクセンブルク
「シュラフタ民主主義」224P――ルソーの「ポーランド統治論」におけるコメント――「ポーランド民衆蜂起(原語略)は、シュラフタの抵抗権の行使という意味を内包していた。この民主主義の理念の特徴は、国家(原語略、男と女の意味)とは、あらゆる構成部分の自発的な連合の総体であって、国家そのものが伸縮変形自在な人為的な創造物として意識されていた。さらにその場合、国家を構成し歴史を動かす主体であるシュラフタの権利の枠内ですべてが処理され、他の階層、とりわけ農民はまったく無縁な他者として意識されていた。特に前者については、たんにポーランド固有のものとしてよりも、スラブ民族の創意の結晶であるとしたM・バクーニンの連合思想に継承された部分でもある。彼はその思想によって、革命的汎スラブ主義からアナーキズムへと走り抜けたのだった。かれが主張したロシアとポーランドの革命的な連帯の核心にそれがあった。また、当時のナロードニキの思想家にも連合思想が「ロシア的なるもの」、あるいは、「スラブ」の論理として定着していた。」225-6P・・・古代ギリシャの奴隷制に支えられた「市民」を想起させる、ポーランドのシュラフタ。
[3] ローザの民族問題
「しかしここでは、ルクセンブルクの民族と国家にかんするイメージとそこからポーランド解放と世界革命のイメージは何かという視点で彼女の民族論そのものの中身をみてみたい。/東欧諸国における国家と民族の関係(いわゆるNation)は、西欧とは若干内容が異なっている。西欧では、フランス革命以後のブルジョア革命が資本主義の発展条件としての国民(民族)国家を形成していった。ここでは、民族と国家の区別はそれ程意識されることはなかった。そこでは国家に構成される人間集団と民族性を共有する人間集団との領域がある程度一致していたからである。ところが東欧諸国では民族と国家の領域が一致せず、国家の内部に多様な民族を包み込んだいわゆる多民族国家となっている。ここから民族問題という困難な課題が生まれてきた。ここからまた東欧諸国のマルクス主義者たちやその政党が、この問題を党の重要な方針としてとりあげねばならなかった必然性があった。」228P
「・・・・・・彼女は国家と民族とを区別して論じているように思われる。つまり、彼女は歴史の主体を、国家に構成された人間集団である人々(国民)とし、民族性を共有する人間集団である人々(民族)の役割は、非政治的で文化の次元にとどめておくべきものと考えた。/彼女にとって、国家とは歴史的な創造物であっても、形と内容は人為的にかえることのできるものであった。ところが民族とは自然的な属性を有する集団であり、人為的に変えうるのではなく、歴史によって乗り越えねばならないものであった。」229P・・・国家は物象化された「もの」。ローザ・ルクセンブルクにははっきり自覚的意識化されないまでも、そのような意識があったのではないでしょうか? ローザの論理を深化させれば、民族も結局は同じ。
「・・・・・・文化概念としてのポーランド問題におけるプロレタリアートの役割とは何か。/このことについて、彼女は、各民族の同権と民族文化=民族性の擁護としている。」230P
「しかし、彼女の場合はたんに、既存の国家の枠内で民族問題を解決しようとしたのではなかった。彼女の場合は、ポーランドの独立国家の再生を否定することによって、この問題をヨーロッパ革命のイメージと結びつけようとした。」230-1P
「周知のように、マルクスとエンゲルスは、ポーランドの独立を支持した。その論拠は、ポーランド民族は西欧の諸民族と同様に、国民国家=民族国家を形成できる権利と能力をもっていたこと、反動の牙城であるロシアに対する防壁として戦略的に重要であることなどであった。それが限定つきであったことは、五〇年代のエンゲルスの発言にあるように、ポーランド民族は「ひとつの手段としてしか役に立たないつまらない民族」であるとか、革命の瞬間から「何の存在価値もない民族」といったネガティヴな評価のなかに表れていた。」231P
「この論文(「ポーランドの産業的発展」)は、実は経済的手法で書かれた政治文書なのである。・・・・・・・マルクスとエンゲルスの「ポーランド論」に対して、ポーランドの内側から反論したのである。この点からみると独立は、両国の資本主義の発達を阻害する反動的なスローガンでしかない、と彼女は強調している。/ここから、彼女の民族自決権否定の論理が登場してくる。後になって、この論理をしばしば余りにも一般化したかのように批判される。確かにそのようにとれる部分もないではない。だが彼女は、あくまでもポーランドとロシアとの関係のなかで問題を一般化したのであって、それ以上に範囲を拡大したのではなかった。彼女にとっては、国民(民族)国家は、資本主義に適合する国家形態ではなかった。それは、大国家・征服国家であった。」232P・・・ネグリ/ハートの国民国家の過小評価と通底
ロシアに対するポーランドの自決権の否定。トルコにおける、南スラヴ民族の自決権の肯定232-3P
「ルクセンブルクにとっては民族自決権とは、すでに述べたように、Nationの概念に従って、本来的に国家構成された人々の自己決定権であって、そうであれば当然、同時に階級原理に従ってプロレタリア階級の自決をも意味することになる。これは当然ながら、資本主義では実現は不可能であって、社会主義国家においてのみ可能なものであった。彼女はレーニンのように、自決権を資本主義における民主主義的な諸権利の一つとしては承認しなかった。それは、あくまでも、歴史の具体的な状況のなかで出されるべき原則であった。」233P・・・この問題は、さらに、レーニンとローザ・ルクセンブルクがどこで決定権を問題にしているのか(レーニンはブルジョア民主主義、ローザは社会主義)の違いにまで及んでいくー
「ところが、一九〇六年になって彼女は、SDKPiLの綱領を検討する際に、ポーランドのみの自治を主張した。/この主張は、民族問題についての彼女の論理矛盾を露呈させた。国内自治を一般化すると、ロシア帝国のすべての民族がこれを要求するかもしれず、そうなると民族を政治的な国家の形成原理にしないという原則に反するし、ポーランドだけを例外にすると民族同権に反する。この論理矛盾をどのように解決すべきか、という点で、後者の立場で解決せんとして書かれたのが「民族問題と自治」論文であった。たがこの論文は、矛盾の迷路に迷い込んだままで終わっている。彼女はこの論文において、ポーランドを例外とする論理は、ポーランドの資本主義の発達から生まれた高度な文化発展ゆえであって、資本主義の発達が遅れている低文化地域は国内自治を保証する十分な基礎になりえないと主張している。/ここにはあきらかに差別の論理が出されている。これはルクセンブルクの民族理論の致命的な弱さを示すものと考えられる。」233-4P
「つまり彼女のイメージは、民族国家の独立を通して社会主義革命へというものではなく、既存の国家のなかのプロレタリア階級の結合をとおして、一挙になしうるものであって、その国家は、各民族のプロレタリアートの自治的な連合からなっており、その段階では民族問題はすべてが解決されるというものである。このイメージは、彼女がPPSとの対立のなかで否定した民族国家の連合を、プロレタリア・インターナショナリズムのなかで再生させたものということができるのである。」234P・・・国家を超える民衆の連帯のイメージ
「ルクセンブルクにとってプロレタリアートとは、アプリオリに国境を越えた存在であった。だが、実際には、プロレタリアートも資本主義の所産である以上、そこに民族性の問題が貼りついている。ルクセンブルクは、これを文化の次元にとどめた。だが、文化もまた政治と無縁ではない。/事実、ポーランドNDの活動は、この文化を政治的に組織することによって、近代ポーランド民族(国民)としての意識を形成する運動を展開していた。すでに述べた民族問題についての彼女の矛盾は、この文化概念そのものにも原因がありそうである。彼女もやはり、歴史的に規定された階級闘争の本質的な問題としてよりも、党の政策としての民族問題の解決という枠を出ていないように思われる。/さらに、ルクセンブルクは、民族問題の担い手としての民衆、とりわけ住民の多数を占める農民を完全に視野から切り落としている。(この点でもシュラフタ民主主義の理念と似ているともいえる)。この点が、現代のアジアにおける民族解放闘争との結びつきを極めて困難にしている。/・・・・・・彼女は民族の独立よりも、プロレタリアの革命を専攻させ、それによって民族問題を克服しようとしたのである。」235-6P・・・時として階級よりも、民族が差別的に顕在化することもある。そもそも民族と階級の相作性の問題もある。彼女の民族問題での対応の違いという矛盾は、マルクス派の流れのなかの発達史観――進歩史観から来ているのでは?
[4] ローザの「仲間集団」と「組織論」
「ネトルは、社会学的な方法によって、SDKPiLの 第一次集団的な組織の特徴を発見し、これを「ピア・グループ」(仲間集団)と名づけている(第七章)。/彼はこの集団の特徴を次のように規定する。すなわち、綱領を中心に機能的に組織に結合した人間集団ではなく、理念に燃えた同時代人の対等で自発的な協力から生じた統一体、特定の目的のためだけの協力体で、その構成員が進んで受けいれる以上のことは何も要求しない団体、内部に意見の対立があっても、外から攻撃されるような場合は、常に互いに防衛し合うという特徴をもった団体であり、「組織を動かす場合は、個人の創意と能力のみ依存し、組織内部の団結とは、規律とか、なんらかの意志に基づく自覚的な行為の問題ではなく、なんらかの重要な問題にかんする合意の産物であり、戦略や戦術については、単に一致しているということをこえて共通の行き方とでもいえるようなものであった」、・・・・・・」237P
「ネトルの最大の功績は、ヨギヘスを歴史の忘却の淵から救ったことだと私は思う。」237P
「これらの組織の行動のイメージにシュラフタ民主主義の「連合」の原理がかなりの程度継承されているということである。つまりこれは歴史の回路を通って形成された、民衆のポーランド的な存在様式の表れでもあった、といえるのではないだろうか。」238P
「ルクセンブルクは、自らの組織原理については、とりたてて発言しているわけではない。しかし、対ロシア統一党とSDKPiLとのなかで強調した両組織の自立的な結合の主張に、その原理が白明の前提として顔を出している。そして、この原理は、彼女の民主主義観の「自発性」の原理にも反映している。レーニンの組織論を批判したのは、この立場からであった。/ルクセンブルクの組織論の原則は、組織は単に人為的な形成物ではなく、階級闘争の歴史的な産物であり、その行動は、階級闘争のなかから必然的に生まれてくるという点にあった。この点から社会民主主義をロシアという絶対主義国家の内部で創造するという課題を背負っていた<ロシア社会民主労働党の原語、略>は、必然的に中央集権制を生まざるを得ないと主張した。/彼女はこの中央集権制そのものを批判したのではなかった。彼女の批判は、<ロシア社会民主労働党の原語、略>のレーニンの主張のなかにブランキ主義的な要素が復活していることの危険性に向けられたのである。組織は、労働者階級それ自身の運動のなかから生まれるが、組織そのものは常に保守的な存在でしかない。組織と大衆運動についても、運動の高揚は、すべて大衆の自発性から自然発生的に生ずるもので、組織が作り出すものではない。党組織の指導性はわずかな役割しか演じない。だから革命的な行動のための組織は、水のなかで水泳を学ぶように、革命のなかで学ばねばならない。/党の戦術も同じように運動によって作られる。それゆえ、党の個々の組織には十分な行動の自由が必要であり、それが当面の状況に対して闘争の高揚をもたらす革命的イニシアティヴを可能にするであろう。しかしレーニンの主張は、積極的な精神ではなく夜警根性によって支えられている。これは、組織の結実ではなく締めあげである。ルクセンブルクは、このように主張した。(第八章)」238-9P
「ルクセンブルクにとって、プロレタリアート独裁は民主主義の適用方法であって、かつ無制限の民主主義を伴う支配形態のことであった。この原則に基づいてのボリシェヴィキ批判は、そのままボリシェヴィキ党の運命を予言することになった。」240P・・・「民主主義」と「支配」ということの矛盾。支配は「反動」に対してとしても、どこで線を引けるのか?
「彼女が見たのは大衆そのもののダイナミックな動きそのものであって、その動きのなかで創られる実体ではなかった。それゆえ彼女には、その実体であるソヴィエトというものは重要ではなかった。大衆ストライキのダイナミズムこそが大衆運動の表現形態であった。」240-1P・・・実体主義ではない、モーメント的な内容。ただ、組織論がない。
「だが大衆は、様々な社会的条件に規定された状況のなかで主に行動する。大衆の自然発生的ダイナミズムに対する過剰な思い入れが、そこから規定された状況の枠を突破し、さらなる状況を創る階級形成に至る組織論にまで深められていないのである。このような大衆に対して、党組織による何らかの指導はやはり必要である。後のドイツにおいて、かのスパルタクス団がついに大衆を獲得しえなかった要因の一つに、この問題があるといっていいであろう(第一六章)。/そして、これこそが、彼女の悲劇の重要な原因となったのである。つまり彼女が虐殺されたのは、単に手を下した数人の反革命的な軍人だけでなく、背後にそれを承認し支持した大衆が存在していたのである。このヤヌスの双神のような大衆の顔を十分に凝視しなかったところに、ルクセンブルクが敗北した原因があるといっていい。」241P・・・組織論がない、ラーダの形成に至らなかった。果たしてローザは「大衆の顔を十分に凝視しなかった」のでしょうか?
[5] ネトルの「ローザの思想方法とその構造」分析の問題点
 ローザの実践のための理論。
「彼(ネトル)は、ルクセンブルクの個人生活と政治活動を一緒にした、生きた人間として彼女の全体をできるだけ完全に描き、ある問題や出来事に対してその態度を様々な角度と観点から考察したとして、・・・・・・」242P
「ところが、彼女の政治活動については、尨大な史料を使って、あらゆる方向から検討しているにもかかわらず、ルクセンブルクの主張の複雑な歴史状況を表面的に整理したという側面が強く、その主張のなかに彼女の生身の人間が十分に入り込んでいないという感じがする。これは一体どういうことなのだろうか。/問題は彼の方法にある、と私は思う。彼女の中心思想であるマルクス主義とは、学問レベルにおいても諸学問批判の方法であり、さらにいえば、ブルジョア社会に奉仕する諸学問を解体する武器であり、諸学問を綜合する方法では決してなかった。マルクス主義とは、もともと「野」の科学なのである。これが若いルクセンブルクの原点でもあった。研究者たちは「専門家」として、アカデミズムの高みから、いとも気軽にマルクス主義を云々するが、この原点を忘れると、ブルジョア諸学問の一味違うだけの学問として同一平面に並べられるだけだ、と彼女はいっているように思える。このことを意識的に追求することが彼女の方法論につながると私は考える。/ルクセンブルク自身、実際そのことを意識していた。・・・・・・・『国民経済学入門』は、ルクセンブルクが研究していた経済学の単なる「業績」ではなく、自己の実践活動を鍛えそれを理論家するための経済学批判なのである。ルクセンブルクは、このなかで「国民経済」概念「ブルジョアジーの利益を図る学問的欺瞞である」として懸命に否定して、これは「資本主義支配の学問的門衛」が「ブルジョア国家の使命に対する信仰から『国民国家』という彼らの牙城の門前に馳せ参じてこれを死守しようとする」ところから生まれたのだと述べている。/この本を、単に専門分化した経済学の立場で分析しても、彼女の魂に触れることはできないであろう。彼女にとって「国民経済」否定の論理こそ、プロレタリア国際主義の実践にとって必要不可欠なものであったのである。彼女にとって経済学とは、資本主義の発生と共に新興ブルジョアジーの思想的な武器として誕生し、社会主義の実現とともに終焉するものであったのである。」242-3P・・・実践からの理論・実践のための理論
「ルクセンブルクにとって、マルクス主義研究の自己完結は無意味であったし、また無縁でもあった。」244P
「ネトルの方法からは、対象への多様な「情報」が出てくるだけである。だが、その情報は多ければ多いほど、事実性は後退していく。自己と事実の間をも遠ざけてしまうことが多い。それは現在の社会状況をみれば明らかであろう。」244P
「ビスマルク以後のドイツ市民社会の合法性の枠内で拡大してきたSPDは、その相似形ゆえに、この社会の内部の主要構成要素となるという現実的な要請が必要であった。この要請を現実的な効果で測定することで、マルクス主義の理念を捨てたのがE・ベルンシュタインだったのである。」245P
「すなわち、行動する者の思想とは、一つの主張の選択が、それによって生命を捨てることもありうる、という生き方の選択であった。/しかし、ネトルの分析からは、論争の俯瞰図はみえてきても彼女の生き方は見えてこない。」246P・・・ネトルは社会主義的な活動に関わったひとではなかった。
「だが、彼(ネトル)にとってこの三国(ロシア、ポーランド、ドイツ)の関係は、横に同一平面上に並べられる対等の位相にある関係として描かれている。歴史の現実からみれば、ポーランドはロシアとドイツに分割され支配されており、当然ここに差別と抑圧の関係構造ができている。この構造は、そこで生きる人間にとっては自己のアイデンティティに関わる問題である。」246-7P・・・それをなぜ、ローザは実践的方針として提起しなかったのか? という問いに立ち戻る。
「彼女の思想と実践を、手慣れた職人的な歴史家(しかも専門分化された)の史料操作だけで解明するという歴史学的方法では、捉えることができない部分が非常に多い。彼女の思想は非常にパースペクティヴが長いからである。」247P
「それは彼女の方法と自己が連なる方法の発見によって始めて実現可能なものになる。それを可能にするのは、歴史の現場へと不断に関わる自己の当事者性の獲得にあるのではないか、と私は思う。そのことは、自己と自己とを取り巻く歴史の現状況と不断の緊張関係を保つことを意味するとともに、その状況に主体的にどう関わるかという姿勢の獲得でもある。」247-8P・・・実践の姿勢の立場からのとらえ返し
「つまり、ポーランドの重要性は、東西ヨーロッパを同時に対象化しうる位置におかれているということである。これは、単に、地理的かつ文化的な位置の問題ではない。歴史をつくりあげてきた人間主体の問題でもある。近代ヨーロッパ革命のなかで、ポーランドの革命家たちは、革命のバリケードのなかで闘い、そして倒れた。ルクセンブルクの実践もその伝統を継承している。彼女は、ポーランド固有の歴史的な役割を自覚しながら、プロレタリア革命によって東西のヨーロッパを結びつけようと努力した。その意味で、彼女の死は、同時にヨーロッパのその後の悲劇をも表現しているととることができる。/今日、彼女の思想の再評価は、これまで検討してきた思想の根であるポーランド論と民族論を起点に据えてヨーロッパ革命(もちろんロシア革命をも含み)を対象化する視点からと同時に現代のアジアにおける民族解放闘争の担い手の動きから再検討されねばならないだろう。ネトルの評伝は、その意味で貴重な参考書になっている。」248P
書評 1972-90
 この項の各著作の表式とわたしが今まで使ってきた表式が違うのですが、わたしの読書メモの表式に変更して表します。
 この書評を見ていると、読んでいない本の方が多く、ちゃんとローザ・ルクセンブルク論をやるならば、先は長いのですが、わたしは、社会主義論――共産主義論として、ローザに留意しているので、ローザ論は、時間が許せばまた帰ってくるというところで、予定通りの読書計画を進めます。
ここでは、特に注目すべき文だけ、切り抜きメモを残します。著作の太字は既読本です。
・アイザック・ドイッチャー/山西英一訳『レーニン伝への序章、その他遺稿集』岩波書店 1972
「一九二六年五月のピウスツキ・クーデター支持をめぐる「五月の誤謬」論争は、党内に泥沼的な状態をもたらしていたが、若きドイッチャーが入党し、ポーランドの革命運動に加わったのは、まさにこの時であった。」258-9P
「ドイッチャーのポーランド革命への視点で注目されるのは、ローザ・ルクセンブルクが提起した古典的命題を継承し、インターナショナルな社会主義への「有機的統合」を確認していることである。だが、現代ポーランドとソ連の関係をみる時、この理念との溝はあまりにも深い。/ロシア革命に対する彼の視線は、自己のこの体験に基づいた古典的なポーランド・マルクス主義者のそれであり、一九世紀末の彷える亡命革命家とパトスを共有している。そして、この点に彼の鋭さと共に限界がある。未完の革命に対する透徹した分析力と、それを人類史上に位置づける深い洞察力にもかかわらず、農民や被抑圧民族のエネルギーについては、その根源にまで立ち入ってはいない。中国革命への彼の評価を一面的なものにしているのはこの点である。」259-60P
「彼がスターリンの政治的評伝から三部作を構成したことは示唆的である。この政治的怪人物に勝利をもたらした現実主義の女神を、彼は自己の政治的体験を踏まえて冷静な眼で凝視している。しかし、トロツキーに対しては、中傷され、迫害され、誤解され、敗者として捨て去られる人間として、彼を歴史の正当な位置に引き戻そうとする止むに止まれぬ思念といったものが感じられる。この精神と意思とを、未来に向けて生き抜いた予言者トロツキーの悲劇的な生涯に、ポーランドの悲劇を背負って生きる自己とを重ね合わせている。」260P
・フリッツ・フィッシャー/村瀬興雄訳『世界強国への道――ドイツの挑戦、一九一四〜一九一八年 T』岩波書店 1972
「第一次世界大戦におけるドイツの戦争目的と、それに関連する戦争責任の所在をめぐって展開された、いわゆる「フィッシャー論争」がドイツそのものの把握について、貴重な問題提起を行い、大きな波紋を投じたことはよく知られている。/この本は、この論争の発火点たるF・フィッシャー自身の問題の書(ただし要約版、一九六七年)の前半部分の翻訳である。」260-1P
「すなわち、第一次世界大戦は、ドイツに「押し付けられた」、それゆえに防衛的な性格の戦争ではなく、また「ずるずるとはまり込んだ」戦争でもなく、一貫した戦争目的のもとで、ドイツが積極的で決定的な推進役を演じた侵略的性格の帝国主義戦争であったことを、著者は膨大な資料を駆使して明らかにしている。」161P
「私は、「中央ヨーロッパ」の理念を日本の「太平洋戦争の」政治目的たる「大東亜共栄圏」の理念と重ね合わせて本書を読んだ。」264P・・・ポーランド史と韓国史との対比
「今再び、新たな装いをもとってアジアへの進出が行われている時、フィッシャーの政治的前衛のイデオロギーに安易に身を寄せぬ、緻密に史料を駆使して権力構造を照射するストイックな態度に私は大きな感銘を受けた。それは、歴史を学び研究するものが、現実政治にどう係わるのか、あるいは係わらないのかという問題に関連している。わが国の歴史家たちも事後反省が改めて要求されているのではあるまいか。」264P
・J.P.ネットル(ネトル)/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5(たわしの読書メモ・・ブログ547)
「しかし、にもかかわらず、著者の目は、ルクセンブルクの個人生活と政治活動とを結合する思想の根にまで到達していないように思われる。その主な理由は、「諸学問の総合としてのマルクス主義」という著者の方法論にある。マルクス主義とは、単に様々な学問の総合でではなく、その批判的な論究の武器なのである。これは、ルクセンブルクの思想方法でもあった。修正主義論争において、彼女は理論を捨て現実の社会に同化することで勢力の拡張をめざした党に、自己の生き方の原則としてのマルクス主義を対置した。彼女こそ、真の意味でのマルクス主義の継承者なのである。/彼女の一貫した方法によって、後にロシア革命の変質をも的確に予言することができたのである。ネトルの把握は、概念的な次元の主張レベルで整理されており、その方法がルクセンブルクの方法と結びついていない。そのため、結局、彼女の思想の内部に入れきれず、外面を撫でたにとどまっている。」267P
・J・ジョル/池田清・衹園寺則夫訳『第二インター 一八八四――一九一四』木鐸社 1976 
「本書は、一九五五年の初版以来、小著ながら密度が濃く、研究者の間で信頼できると定評のある、J・ジョルの第二インター[ナショナル]通史の翻訳である。」268P
「この点に関して、レーニンのよく知られた評価がある。彼は、コミンテルンの成立という状況の中で、第一インターを「プロレタリアートの国際闘争の土台」とし、第二インターを「運動が多くの国で広範かつ大衆的に拡大する地盤を準備した時代」の産物だが、その後、日和見主義と排外主義の堕落によって、その革命的水準を低下させ、崩壊をもたらしたとして、第三インターこそが、これらの問題を克服することで「プロレタリアート独裁を実現し始めた」と位置づけたのだった。/しかしながら、本書は、こうした発展段階的な見方を排し、諸勢力や各系争点を相対化する観点から、第二インターそれ自体の固有の世界像を明らかにしている。ここには著者のリベラルな歴史観が貫かれている。」268-9P
「著者の視角から欠落ないし軽視」269-270P――四点
・B・ラジッチ/M・M・ドラコヴィチ/勝部元・飛田勘弐訳『コミンテルン人名辞典』至誠堂 1980
・いいだもも編訳『民族・植民地問題と共産主義――コミンテルン全資料・解題』社会評論社 1980
1 はじめに、状況
「最近、コミンテルン(第二インターナショナル)についての関心が世界的に高まっている。」271P
「こうした問題状況の中で、出版されたのが、ここに取りあげるコミンテルン関係の二冊の訳書である。これはまた、コミンテルン結成六〇年を日本で記念する基本的な参考文献でもあるといえる。」272P
2 『コミンテルン人名辞典』
「この本は、コミンテルンだけでなく、各国の共産主義運動の動向を調べる者にとっても大いに活用できる便利な事典である。」273P
3 『民族・植民地問題と共産主義――コミンテルン全資料・解題』
「いいだもも編訳の『民族・植民地問題と共産主義』は、民族植民地問題からコミンテルンの活動を総括した資料集である。」273P
「そして、結論的にいえば、コミンテルン解散の真の原因が、ヨーロッパ革命の挫折やファシズムの台頭、それに、ソ連共産党内の権力闘争だけではなく、まさに、植民地従属国の民族解放闘争そのものにあったことを、本書から確認できるのである。」274P
「何といっても重要なのは、その創設理念の思想性と活動方針をめぐる論争であろう。創立大会でトロツキーが起草した宣言は、先進諸国の労働者国家権力を掌握した時にはじめて、植民地人民も独立の獲得と維持のチャンスがあるとして、「社会主義ヨーロッパが植民地に自己の技術、組織、精神的影響によって援助の手をさしのべる」と述べているが、これはヨーロッパ革命なしには植民地革命なしという思想性の表明であった。しかし、これが第二回大会(一九二〇年七月)の「民族・植民地についてのテーゼをめぐる論争と、民族問題論争の主要なテーマになるのである。/周知のように、レーニンの問題意識は、彼の民族自決権思想と帝国主義認識から出されているが、その核心は、すべての共産党が「植民地や後進国の革命運動(ブルジョア民主主義運動)を援助しなければならない」というものであった。これは、民族解放運動を支援するテーゼであって、指導するテーゼではない。その思想性は、トロツキーのそれと同じである。」274-5P←「ところが、これに対して、インドのM・N・ロイは「植民地で得られる超過利潤は、現代資本主義の頼みの綱である。そして、現代資本主義がこの超過利潤という頼みを剥奪されないかぎり、ヨーロッパ労働者階級にとって、資本主義秩序を転覆することは容易でないだろう」と反論した。ここは逆に、植民地革命なしに先進国革命なし、という思想性が提起されている。ロイの「補足テーゼ」から落ちた「植民地の諸民族は、経済的、工業的に立ちおくれているから必ずブルジョア民主主義段階を経過しなければならないという想定は誤りである」というセンテンスは、その後の革命運動の運命を予告しているかのようである。」275P
「レーニンのテーゼが、戦術的に植民地・後進国のブルジョア民主主義運動と一時的に提携したり同盟を結ぶという統一戦線の問題や、民族ブルジョアジーの役割評価をめぐる問題から、かの中国革命やトルコ革命の挫折という致命傷に結びついていくのだが、ロイの反論は一貫して、共産党が植民地革命を独自に組織することで、プロレタリアートのヘゲモニーを貫徹することにあった。」――「マヌイルスキーの「民族・植民地についての報告」とこれらに対するロイの批判と反論の中に、レーニンとロイの思想的相違が浮き彫りにされている。」275P
「本書の、もうひとつの重要な貢献は、中国、朝鮮、日本の共産主義運動を国際的に位置づけたことであろう。とりわけ、日本共産党結成の背景をより広い視野から明らかにしていて興味深い。」276P
「コミンテルンに関するこの二冊の本は、最近の無責任なマルクス主義批判を克服する意味でも、また「第三世界」の生きた動きを捉え、新たな闘いの方向を模索する実践的な指針を手に入れるためにも、大変貴重で基本的な参考文献である。」276-7P
・S・アミン/山崎カヲル訳『階級と民族』新評社 1983
 この本は、ずっと前に読んでいます。忘れることを得意にしているわたしの記憶がはっきりしないのですが、この本から、従属理論や世界システム論の存在を知ったのです。それは、ネグリ/ハートの『<帝国>』に繋がる道だったのです。当時はちゃんとしたメモをのこしていませんでした。
「S・アミンについては、一九六〇年代のいわゆる「従属論争」以来「第三世界」の周辺的視座から世界資本主義システムを確立したマルクス主義経済学者として世界で最も注目を集めており、今更多言を必要としないであろう。/わが国でも、彼の主著『世界的規模での蓄積』、『不均等発展』、『帝国主義と不均等発展』、『価値法則と史的唯物論』、『アラブ民族』など、大部分がすでに邦訳され、各分野に大きなインパクトを与えている。これらの著書でアミンは、A・G・フランクの従属理論を発展的に継承し、A・エマニュエルとの不等価交換論争を通して、世界資本主義の中枢・周辺部構造を壮大なパースペクティヴで捉え、独自の「周辺資本主義論」を打ち出したことは、よく知られている。」277P
「マルクス以来の中枢的視座に立つ西欧中心主義の単線的発展段階論を排し、周辺部の視座からまず社会編制態と生産様式を峻別しつつ、次のような複合的発展段階論を提示している。/・・・・・・」278P・・・複合的発展論の始まりは、マルクスのアジア的生産様式論であり、そのことを押さえる必要。レーニン――ロイ論争の飛び越しの問題も出ていない。
「しかし、本書では、一八〇〇年の「普遍的歴史」の誕生以来、中枢部資本制社会編制態の成立から現代まで、従来、個別的に論じられてきた民族問題の歴史を広い歴史的視野で俯瞰し、多元的かつ総合的に捉えており、一九世紀末以来の「民族問題論争」の世界的な位置づけがよく理解できるようになっている。この問題をアミンは、資本制中枢諸国の不均等発展とその後の帝国主義システム中枢・周辺構造の中で立体的に明らかにしており、本書の最大の価値は、まさにこの点にあるといえるであろう。」278-9P
 アミンの「民族」規定「歴史のあらゆる段階に現れる社会的現象」「共通な言語の使用によって強化され、その文化的表現によって確認される地理的に緊密な関係をもつといった基本的諸条件が重合しているだけでなく、国家的な中央機関を管理し、その共同体の生活における経済的統一性を保証する一階級が社会構成体の中に存在している時に現れる。」「民族現象は逆行もしうる過程である」279P(・・・これまでの民族規定論争を踏まえているとは思えません)「ここでは社会主義と民族の関係は、まだ依然として曖昧なままに残されている。」279P
「ソ連社会の本性についても「民族主義がソ連社会の基本的絆である」として「社会主義ではなく国家的生産様式」を基盤にした新しい官僚=テクノクラートによる新しい階級社会としただけで、その先については言及していない。」280P
「その点で評者は、アミンの理論を絶対的・体系化することではなく、例えば、アメリカの社会学・歴史学者E・ウォーラスティンが構築しつつある「世界システム論」との対比の上で相対化していくべきではないかと思う。いずれにしても、本書は、世界史認識の新たな転機転換を迫る問題提起の書であり、マルクス主義の再検討にとっても必読文献の一つである。」280P・・・その後、世界システム論から、ネグリ/ハートの『<帝国>』が出てきている。
・L・バッソ/伊藤成彦・他訳『ローザ・ルクセンブルク論集』河出書房新社 1984
「ローザ・ルクセンブルクの思想は、現代において果たして蘇るだろうか?」281P「本書は、こうした問いを前提にして、一九七三年にイタリアで開かれたルクセンブルクに関する国際会議の報告記録をまとめたものである。」281P
「報告者は、マルクスとエンゲルスの西欧中心の世界史像から、植民地領有を「進歩」と見なした歴史的な限界を鋭く指摘した上で、彼女が提起した資本主義と「非資本主義的社会環境」との関係を、現代の帝国主義的支配構造に関する総体的な見解の萌芽として評価している。」281P
「だが、その後の問題状況は、マルクス主義を、その祖マルクスの思想まで遡及して再検討しなければならないことを示している。」282P
「結論をいえば、本書は、ルクセンブルク思想の重要性を単に再確認したに過ぎない、だから、彼女本来の繊細な重層的な思想構造そのものに迫っていない。だが、これこそ、無用の体系化を拒否し革命的な大衆闘争の真っただ中でのみ生き、革命の死と共に死ぬという思想の特質ではなかろうか。」283P
「彼女の思想の再検討が同時に今日、社会主義体制のあり方をも、また帝国主義世界で重症の「議会主義的クレチン病(ママ)」にかかっている社会主義運動も不可避に対象化しよう。自己の存在基盤そのものを見つめ直すこの視点なしに、彼女の思想的蘇生はありえないであろう。」283P
・高梨純夫『民族問題とレーニン――民族自決権批判』BOC出版 1987
「一九八七年はロシア革命の七〇周年にあたる。すでに栄光ある輝きを失ってしまった感のあるこの革命を、今いかなる角度から捉え直すべきなのか。ロシア革命は、歴史の凡庸な一つのエピソードに過ぎなかったのだろうか。/まさに、この時期にロシア革命の再検討を、レーニンの民族理論の展開に即して試みたのが本書である。」284P
「著者の問題意識は、「あとがき」の「人類の解放の思想として登場したマルクス主義が僅々一五〇年を経る中で抑圧の思想に転化しつつあるとすれば――それはなぜか」という問いに明確に表現されている。」284P
「内容は、全体で六章からなり、・・・・・・問題点を究明している。」285P・・・各章の紹介
「ブルジョア民主主義的な権利の一つとして提示されたレーニンの民族自決権の思想は、・・・・・・」285P・・・レーニンは「ブルジョア民主主義的な権利の一つ」として自決権を突き出したのなら、ローザは社会主義的インターナショナリズムの中で「民族自治」を突き出した。そもそも前提が違って話がかみ合わなかった。結局ロシア革命は、社会主義を看板に掲げつつ、ブルジョア民主主義としての民族問題でしかなく、当然「民族自決権」は、社会主義の定立の失敗とともに破綻することになった?
「そして、レーニンの理論展開に大きな制約をもたらしたのは帝国主義認識の遅れであったと主張している。この他、前半では民族運動を階級闘争に従属させながらも、「政治的自決」と「経済的自立」とを区別するというレーニン民族論の二元的性格から生まれる矛盾、民族文化への認識不足などを鋭く分析している。」285P
「「レーニン・ロイ論争」では、植民地革命をめぐって双方に原則的な次元での対立が存在していたことを強調し、レーニンのヨーロッパ中心主義思想のもつ限界について指摘しながらも、この論争を通して「ブルジョア民主主義革命を経過せずして社会主義革命へ至る可能性」を展望する、新しい世界認識を獲得する主要な要因になったとして、高く評価している。」285P――「しかし、革命後の外交政策のなかで、・・・・・・」285-6P――民族問題に関する外交政策の失敗、「ソヴィエト・ポーランド戦争」「英ソ通商協定」「イランのギーラーン革命」「最後のグルジア問題」「カムチャツカ半島をめぐる問題」――著者が書き落としていると評者の指摘「ブレスト・リトフスク講和」――さらに評者も指摘し落としている革命直後の「ウクライナ侵攻」
「彼(レーニン)の「遺書」のなかでは、力点が「分離(独立)の自由」から「民族間の平等」へと移行していることに注目し、「レーニンの民族理論はここに至って、多民族国家内の結合を強調する民族間の平等へ変質していった」と述べている。これはたしかに重要な指摘であろう。なぜならレーニンおいても「革命の擁護」から「革命国家の擁護」へとしだいに重心が移り、社会主義の大義の実現よりも、「労働者の祖国ロシア」を守るという後年の「変質」がすでに萌芽的に準備されていたことを示唆しているからである。」286P・・・レーニンの国家論的とらえ返しの不備
・松岡利通『ローザ・ルクセンブルク――方法・資本主義・戦争』新評論 1988
「・・・・・・かつてローザ・ルクセンブルクが提起した資本主義批判と、その克服の理論を、どのように継承・発展させていくべきか、本書はこのような問題意識に沿ってまとめられた著者のルクセンブルク研究の集大成である。」288P
「内容は、序論、本論、補論の三部構成になっており、序論ではルクセンブルク研究の最新動向が丹念にフォローされている。特に、中国や東ドイツでの再評価が注目される。またユダヤ人としての観点、フェミニズム運動からの視角と、従来見過ごされてきた部分からの視点も重要であろう。」288P
「さて、本論の第T編は、ルクセンブルクの思想と方法について、その展開過程を歴史的に追求したもので、初期のポーランド問題論争における方法から、ドイツ社会民主党内の論争(マルクス・ラサール問題)をくぐり、理論と実践の統一の論理を組み立て、後期方法論を確立するまでのプロセスが明らかにされている。」――「当然ながら、彼女の問題関心は『資本論』との格闘であった。つまり、それを「原点」にして、マルクスを当時の状況の中で批判的に読み直し、マルクスを超えて、マルクス主義を深めていくことであった。徹底した自己批判に基づく歴史主体としてのプロレタリアート批判、非資本主義領域に住むアメリカ・インディアン(ママ)やアフリカ黒人などへのまなざしによって資本主義社会を歴史的に相対化するこの方法は、人民大衆の自発性に基づく「下からの革命」の問題提起、そして後の「ロシア革命論」草稿への理論的前提をなす重要な論点である。著者はここで、彼女の思想と方法における理論的一貫性を確認している。」288P
「第U編は、まさに本書のハイライトをなす部分で、ルクセンブルクの帝国主義論の生成過程の詳細な分析である。」――この後、各著作の流れとつながりを書いています。289P
「『資本蓄積論』も、今日の世界資本主義論や周辺部資本主義論から捉え直していかねばならないであろう。なぜなら、六〇年代末以後、ルクセンブルクの『資本蓄積論』を世界資本主義のトータルな把握として高く評価してきたのは、いわゆる「第三世界」の論者たちであったからである。」290P
・「丸山敬一『マルクス主義と民族自決権』(信山社 一九八九年)に寄せて」
 著者に宛てた手紙形式の書評です。
「ところで、すでに抑圧と虚偽の専制体制でしかない現存社会主義が崩壊しつつあるのですから、それ自体は喜ばしいことだと思いますが、でも、この革命は歴史の流れからみて、社会主義への新たな進展ではなく、むしろ脱社会主義、あるいは資本主義への回帰ともいえるものですね。つまり、マルクス主義の歴史発展の展望からみると「逆の流れ」のようにみえます。」292P・・・そもそも発達史観自体から批判していくこと
「・・・・・・一般的かつ絶対的権利としてこの原理(民族自決権)は提起されたのではなく、歴史的な状況の変化に応じて内容が変わっていることをマルクスやエンゲルス、レーニン、スターリンなどの民族理論から明らかにしたものですね。」293-4P
「民族自決権否定の一般化、ポーランドにのみ適用可能とした民族自治論の矛盾、帝国主義時代の民族戦争の否定など。でも、彼女の帝国主義論の論理の広がりに照らしてどうなのでしょうか。私自身ももう一度違う角度から調べ直す必要があるなという感じをもっています。」294P
「ただ、「プロレタリア・インターナショナリズムはいかに可能か」(補論2)で展開されている点についていえば、民族の自決権とプロレタリアートとの自決権が背景にある歴史的状況を捨象して画然と峻別できるものなのか。多少疑問も感じます。私自身もマルクス主義者と自己規定したことはありませんが、状況とのかかわりや運動や闘争の接点強調するマルクス主義の方法を採用するため、状況に密着し過ぎる傾向があります。今後は、その方法について考え直さねばと思っています。」295P
「つまり民族自決権の現時点における意味が展開されていないように思います。」295P・・・わたし自身にとっては、「障害者運動」の地平の「自己決定権」を巡る議論からもとらえ返すこと
「ロシア革命からすでに七三年、現在のゴルバチョフらの民族政策の理論的な核には何があるのか。私は、現在の民族政策は、レーニンでもなくバウアーでもなく、ましてルクセンブルクでもなく、やはりスターリンの影を引きずった場当たり主義的政策のような気がします。」296P


(追記) 民族問題に関するテーゼ
民族や人種ということ、そして付随する国家や自決権(自己決定)自体がきちんと定義されないまま論争があいまいになっています 。
(民族に関する定義)
民族問題は、国家の共同幻想規定につながること。しかし、幻想と言い切れない部分、それは階級問題とリンクすること、言語・文化の違い、これも共同幻想である宗教の違いなどがあります。それは、国家でも、官僚的・軍事的支配機構ということがあるということに通じています。

民族差別を受ける集団があれば、それが民族。(全障連の「「障害者」とは、「障害者」差別を受ける者である」という規定との共振)

スターリンの民族定義「みんなあてはまる必要」という規定は逆、どれかひとつでもあれば、民族として定立する場合もあり、それは差別ということに照らすこと。

民族概念そのものを(「虚構」として)とらえ返す三つの系譜。@共同幻想概念(吉本隆明共同幻想論、ただし、唯物史観とのリンクが必要)A構築主義――脱構築概念B物象化論(実体主義批判)

(「民族」に関係する概念の定義とそれと民族の関係)
現実的に民族問題が階級問題よりも顕在化的により浮かびあがる場合があり、しかし、民族問題が階級問題として転化していく構図もあります(民族の階級への従属論の誤り)。

民族を幻想や虚構として押さえるか、実体主義的なこととして押さえるかが、自決権論争の背景にあります。そして前者は、差別の構造というところからとらえ返し、どう反差別運動を展開していくのかということが問題になっていきます。

「自治」と「自決権」の違いは、後者が、国家という概念からでてきていて、国家主義的になっているという問題です。それはスターリンの一国社会主義建設の中で、幻想としての「自己決定」になっているということにつながっていきます。カウツキー/レーニン/スターリンの流れの属地主義は、空間的独立――国家主義につながっています。

階級支配があるがゆえに国家はあると言いえます。階級における非対称性のひとつとして、民族概念があるのです。  

民族問題は階級支配との関係で、さまざまな差別との関係も出てきます。

階級における「民族」の非対称性、階級的位階における非対称性のひとつとしての「民族」。すべての被差別事項は、階級の問題に収束していく傾向があります。(「キング牧師」の公民権法制定の後の「これからは貧困の問題」という提言。)

民族自決権は、レーニンの中央主権主義とアンチノミー。

(差別の問題としての民族)
民族の違いがゆえに差別されるのではなく、差別がなければ民族という概念はほぼない、と言いえます。そこに残るのは、言語・文化違い、それはそれとして解決の途は建てられます。

「差別があるから民族がある」というテーゼが建てられます。ユダヤ人差別はかならずしも経済的優位にあるものから劣位にあるものへの差別とはなっていません。歴史的に刻印されたスティグマとしての差別、差別の歴史による民族としての析出。

(民族問題の解決の方向性)
反差別と、反差別の連帯というところから、インターナショナリズム的に民族をとらえる必要。

多言語多民族多様性の「受楽」という意味での民族の継承。金太郎アメ的な同一性ではないのです。(デザインベービーに対するアンチ・ファシズム的な批判に通じること)

「自治」というローザが陥ったアポリアは、障害問題での「自己決定権」を巡る議論から解決の道筋を探ることができます。

民族問題で、階級問題には集約されない一番の問題は、言語の問題。そこにおける言語教育の必要性の問題は、その言語を第一言語にしているひとがいるのかどうかという問題。ただ、第一言語ではなくても、研究の補助は必要。

左翼(社会変革を志向する集団)は、民族問題のみならず、差別の問題をやっかいや問題としてとらえたり、差別=階級支配の道具論に陥り、その裏返しの政治利用や切り捨てに陥ってきた歴史があります。そのことの総括が今問われています。

差別されたくないというところから、個別利害にとらわれた差別する側になりたいということではなく、あらゆる差別をなくしていく、共産主義的反差別の立場に立つこと、それが共産主義的立場、その一歩としての社会主義の内容です。(内糾闘争における戦線の対立の図式の総括の必要)

一つ一つの差別問題をとりあげてくと個別被差別者同士の衝突が起きてくることがあるという問題は、反差別の総体的深化的とらえ返しから解決していくこと。

(ローザの民族問題に関する押さえ)
ローザの民族理論――自治論は、ポーランドの歴史にかなり規定されています。ローザは社会主義社会実現、社会主義(註 そもそも社会主義の規定が必要)への道に向かうかどうか、というところから、(当初のマルクス思想の流れで)進歩史観的に民族問題をとらえてしまいました。大きな国家への統一、資本主義の発展の方向、文化として残るか否か、というところから各民族自治の可能性を立てて、他の民族への抑圧の論理に陥っています。

ローザ・ルクセンブルクが民族自決権、さらに個別差別をとりあげなかった、強調しなかったのは、個別被差別における排外主義的なことを排するため? アンチにとどまる反差別は排外主義に陥る、これをどう止揚するか、ということが問題になっています(これは拒否権の綱領で救済可能?)

ローザの民衆の自然発生性への依拠の論理は、民衆主義とも言えることであり、これはローザの民主主義論であり、そこから、民主主義に対峙する国家主義の、国家なるものを否定しようという志向が生まれています。だから、国民国家の論理で進む民族自決権批判へと進んでいったのです。しかし、これらのことは潜在的にあったということであり、ローザははっきりとこのことを自覚していません。だから中央集権主義や国家権力の奪取からするプロ独論を維持しています。

(レーニンの民族自決権とローザ・ルクセンブルク)
レーニンの民族自決権をローザは、「レーニンの超中央集権主義と矛盾する」と批判していました。そもそもの農民問題での弱さも含めて、食料調達のためのウクライナへの、他民族部隊による侵攻というところで、レーニンの民族自決権は、すでに破綻を露呈していました。そもそも、民族問題の階級闘争への従属論では、民族自決権は虚構になってしまいます。

レーニンの民族自決権はブルジョア民主主義、ローザは社会主義の立場から、自決権を批判しました。それは、同時にレーニンは国家主義的なとらわれから、独立国家の必要性を出してしまいました。それは、国家の死滅へ向かう社会主義の理念に反しています。しかし、ローザも、進歩史観や西欧中心主義へのとらわれから、民族自治の問題で、民族抑圧的な立場にたってしまっています。

(ローザの誤り)・・・補追
民族自治論を立てたのに、それをすべての民族に適用するとたてませんでした。当初のマルクスの「歴史なき民族論」に通じる事です。

ローザも民族問題を階級闘争に従属するものとたて、階級闘争一元論的傾向に陥っています。そのことは、他の被差別事項にもあてはまります――共産主義、社会主義のイメージを描けなかったのです(特に反差別共産主義論として)。

反戦――反暴力の姿勢を、「政治とは権力の行使である」という政治の批判をなしきれませんでした。これも、マルクス的な流れでの国家権力の奪取としてのプロ独論からの脱却ができなかったのです。

マルクスの進歩史観的なとらわれから資本主義の発展図式、第一次産業→第二次産業→第三次産業というとらえ方をし、第一次産業−農業の意義・重要性を押さえ損なっていました。「農民の保守性」の問題も、トロツキーが『ロシア革命史』のなかで展開した、「保守」ということの革命性の問題も届いていません。それ故に、農民の表面的保守性を深化してとらえきれなかったのです。

ローザには組織論と反差別運動論がなかったのです。前者はソヴィエトやレーテやラーダなどの形成をしなかった問題としても現れています。


posted by たわし at 02:11| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月17日

ローザ・ルクセンブルグ/加藤一夫・川名隆史訳『民族問題と自治』

たわしの読書メモ・・ブログ552

・ローザ・ルクセンブルグ/加藤一夫・川名隆史訳『民族問題と自治』論創社1984

 ローザの学習17冊目です。ローザ自身の著作で、ローザが論争の対象になった民族問題の書。これは再読です。加藤一夫さんの訳者解説で「この論文は、彼女が主導していたポーランド王国・リトアニア社会民主党の理論機関誌『社会民主主義評論』(一九〇八――一九〇九年)に、六回にわたって連載されたもの・・・・・・」318Pとあり、またローザ自身はこれを本にしていないし、後でこれについてコメントすることもなかったようなのです。ローザは反戦というからみで、民族問題を論じていますが、日本語版の選集にも民族問題そのものを論じた文は少ないようです。わたし自身、ずっと、ローザは、いろんな被差別事項を抱えているとされる立場(女性、「障害者」、ユダヤ人、ポーランド人)で、なぜ個別差別の問題を取りあげなかったのかということを、一つの課題としてローザを読み解いているのですが、確かに、レーニンと同様に「差別=階級支配の手段論――道具論」に陥っているということ、そこから来る階級闘争一元論的なことへのとらわれているとも言いえるのですが、それよりも、反戦・インターナショナリズムと、そこからする差別を越えた連帯という志向をもっていた故なのだと言いえます。ローザの「原始的蓄積論」を、「継続的本源的蓄積論」として読み解くなかで、今日的<帝国>的グローバリゼーションとか新自由主義的グローバリゼーションと言われていることをテコとして差別ということが大きな位置をしめ、それに対抗するためにも反差別運動の必要性が問題になってきます。また、社会主義革命主体をプロレタリアートだけでなく、マルチチュードやサヴァルタンということからすなわち「被差別民衆」的な概念で押さえる作業も出てくるなかで、プロレタリアートの問題も、被差別事項で唯一のマジョリティということなのですが(数的にはほぼ同数の「女性」――「男性」関係がありますが)、生産手段の所有からの排除と労働力の価値ということでの序列化――差別というところでプロレタリアートの問題も読み解いていく必要があると思います。わたしはこのことを反差別共産主義論――運動論としてまとめようとしています。

 さて、この本の第一章に当たるところで、そもそも民族自決権論争ということがあり、ローザは民族自決権の批判をしているのですが、レーニンがその批判を反批判しています。それはマルクス――レーニン主義の定式では、レーニン正しく、ローザの民族自決権批判はおかしいとされています。

 さて、この自決権、ローザのレーニン批判は、レーニンが中央集権制を主張していることと矛盾しているのではないかという批判があります。そもそも、この批判は、レーニンが社会民主労働党の綱領として、組織論としての中央集権制として突き出したのですが、それは「国家機構」としての中央集権制にも、当てはめて議論されることで、後者に関しては、ローザの批判は及んでいず、むしろ同じような主張する論攷もあります。レーニンの党の組織問題から「国家機構」に及ぶ中央集権制を、ローザは超中央集権主義として批判しています。確かにそのローザの「矛盾している」という批判はあたっていて、レーニンの自決権はまやかしでしかないのです。だから、レーニン主義を引き継いだとするスターリンが民族問題で、レーニンの生前にさえおかしなことをしていて、レーニンがスターリンを排除しようとして果たせず、遺書を残したことがあります。それも実行されなかったのですが。

 その自決権、わたしは差別の問題を障害問題を軸にして考え、その中における「自己決定権」を巡るごまかしとして指摘する議論に当たりました。「安楽死――尊厳死」の問題、延命処置をするかしないかというところで、「リビングウィル」とか「ACP」とか「人生会議」とかいろんな形でのごまかしの論理で、医療・福祉の切り捨てがなされます。「自己決定」という名目で、死なせることへの取り込まれ、「死へ誘う医療」さえ行われているのです。そのことは、延命処置をしないと希望するひとが8割を占めるという世論調査に端的に表れています。そもそも、この社会の労働崇拝的なイデオロギーで、「仕事や家事ができなくなったら、他者に迷惑をかけないでポックリ死にたい」というような広く行き渡っているイデオロギーが、ひとの命を救うための存在である医者を含めて、死への誘いを招いているのです。

 さて、わたしが手話を勉強しているときに、手話通訳者として活躍しているひとの講演会がありました。手話通訳ということは専門性が必要で、その専門性に特化したひとが多数派なのでしょうが、その講演者は問題を掘り下げた話をしてくれました。「自己決定ということはおかしいのでないか、むしろそれは自治として押さえることではないか」という話です。もうひとつ、「自決権」ということで、「障害者運動」の流れででている議論として押さえておくことは、「わたしたちのことを、わたしたち抜きに決めるな」という突き出しのことです。これは、そうさせないためのシステム作りが必要になってきます。これは一般に言われる「自治」――地方自治という概念ではなく、また障害差別だけでなく、あらゆる被差別の問においても当てはまることで、それは議員選出におけるクォーター制導入とか、また党組織における被差別者集団の拒否権の問題とかで議論されていたことがあります。

 さて、この話を思い出したのは、ローザがまさに「自己決定権」を形而上学的なことして、この本の中でも批判していることがあります(第一章)。そもそも、「自己決定権」のベースにあるのはルソー的な人権論で、これはキリスト教的な文化圏での、「天賦人権論」から来ているのです。サイードが「オリエンタリズム」論で、欧米中心主義のその差別性を批判していることにも通じます。

 さて、実はローザは「自決論」を批判しつつ、この本の最終章で、「自治」という概念を出しています。「自治」を否定しているわけでなく、その「自治」の中味を具体的に展開しています。これは、第六章で展開されています。ですが、「自治」ということでも、中央集権国家や中枢――周辺という概念が存在するところで、解決の途は見いだせません。だからこそ、ローザはインターナショナリズムと社会主義の実現ということに解決を見いだそうとしたのだと言いえます。

 さて、マルクス批判の中で、「マルクスには人権思想がない」という論説が出ています。これはそもそもマルクスの思想が、フランスの啓蒙思想批判として出てきていることを押さええない曲解と言いえることです。このことは、「人権」概念は差別のない社会の物象化といいえることで、人権という概念自体も幻想に過ぎないことというしかありません。勿論、現在の法体系の中で人権という概念が、反差別ということでそれなりの有効性を持っていると言うことの中で、使えるものは使うということを妨げる事ではないのですが。すでに、差別主義者たちが、「人権とは幻想である」ということを突き出してきているわけで、その批判をするためには、人権論に依拠して反批判はできません。人権という概念から出てきている「自己決定」という概念のとらえ返しが必要になります。ただ、被差別者の当事者主体ということがあり、「自己決定」を蔑ろにすることは、抑圧となりかねません。それらのことのとらえ返しも含めて、改めて、反差別論というところからきちんと批判していく必要が出ています。

 さて、もうひとつこの総論的なところで押さえておくことは、この時代のマルクスの流れとして、生産力の発達が、生産様式の変換をもたらすというところで、マルクスが晩年はそのことに疑問ももった単線的発達史観や進歩史観への疑問が現在的に出てきています。ローザも、マルクス学徒として、単純にマルクスをそのまま受けいれたわけではなく、むしろ、マルクス――エンゲルスの批判もなしつつも、マルクスの流れからする発達史観や進歩史観ということへ依拠しています。そのことから産業の進歩ということへの無前提な評価ということも出ているし、特に、農業から工業への産業の移動という事への資本主義的進歩としての受け入れのようなことも書いています。またそこから農業ということへの軽視もでて来ています。それは科学の発達ということへの評価の問題にも出ています。今日、農業ということをサブシステンス概念からとらえ返す作業も起きていることや、公害ということやエコロジー的な観点から、科学ということのとらえ返しの作業も出てきています。そのようなことも含めて、今日的にローザの論攷をとらえ返す必要があります。

 マルクス――エンゲルスの民族問題の論攷は歴史を前に進めるという進歩史観や発達史観の上に立って、「民族紛争」を押さえるという作業をしている感があり、ローザもそのような押さえ方をしているのですが、ローザは反戦ということでの、そして時代的な流れの中で出てくる帝国主義間戦争批判で「民族紛争」を押さえています。戦争で、どちらの国を支持するかという観点で論じていません。ローザの論争を一歩進めると、今日的には国家主義批判としての民主主義――民衆主義ということが出てくるのではと思えます。このあたりは、そもそもマルクスの思想形成において、アナーキズム各派との論争があり、そこから、国家主義批判に至り着かなかったとも言いえるかもしれません。このあたり、後に読む予定のグラムシの読み込みの中で整理してみたいと思っています。

 さて、最初に目次を出しておきます。

第一章 諸国民の自決権

第二章 国民国家とプロレタリアート

第三章 連邦制、中央集権制、地方分立制

第四章 中央集権制と自治

第五章 民族と自治

第六章 ポーランド王国の自治

 訳注

 訳者解説 ローザ・ルクセンブルクの民族理論 加藤一夫

 あとがき


 ここで、各章ごとにコメントをしつつ、切り抜きメモを、わたしの問題意識に沿って、になってしまい、かなりまだら模様になってしまうのですが、極めて簡単に残します。(<編集後追記>また、増えてしまいました。)

第一章 諸国民の自決権

この文は、レーニンが民族自決権というところで、批判した文です。なぜ、「民族」ではなく、「諸国民」という言葉を使ったのかを考えます。そもそも「民族」は被差別の中での共同幻想としてあるのではないかというイメージが出てきます。そもそも、「国家」もマルクスが『ド・イデ』の中で、共同幻想規定しているのですが。ローザが実際にどこまで、それらのことを意識化していたかは分からないのですが、そのようなところへ展開していく可能性を考えさせる論攷になっています。

T 

「ロシア帝国における革命は、とりわけ民族問題を討議の場に引き出した。これまでこの問題はヨーロッパ諸国家のなかでは、オーストリア・ハンガリーでのみ差し迫った問題であった。だが、今やロシアでも現実的な問題となった。」2P

 ロシア社会民主労働党における民族問題に関する綱領の条項3P

 一八九六年のロンドンの国際社会主義労働者大会の決議8P

「(ロンドン大会の)決議の前半部で定式化されている諸国民の自決権という原則は、国際社会主義の原則と目的を実現する過程で初めて、また窮極目標が達成された後になって(?)初めて実現されうるということが明確に強調されている。」9P

「だが、民族の抑圧に抗議し、それと闘うという義務は、プロレタリアートの階級政党にとって、決して特別な「諸国民の権利」などから引き出されるものではない。・・・・・・一言でいうならば、社会主義の原則的な立場そのものから引き出されるものである。・・・・・・いかなる形態の民族抑圧をも打破しなければいけないという義務は、・・・・・・一言でいえば、「諸国民の自決権」という公式は、結局のところ、民族問題における政治的かつ綱領的な指針ではなく、ある種の問題の回避でしかない。」11-2P・・・人権論から発生する「権利」ではなく、「義務」という概念からとらえ返す。

U

「あらゆる国、あらゆる時に一律に適用できるような「諸国民の権利」などというものは、「人権」とか「市民権」といった類いの形而上学的な空文句以外の何ものでもない。」12P・・・マルクスの流れはフランス啓蒙主義の「人権論」批判を押さえていて、そもそも「人権」概念は、差別のない関係性の物象化、共同幻想に過ぎない。「形而上学」という概念を「共同幻想」や「物象化」という概念からとらえかえす。

「さらに、史的唯物論は、これらの「永遠の」真理だとか権利だとか公式とかの本当の内容をそのつど決定するのは、常に、ある所与の状況、所与の歴史的時代の物質的な社会的関係に他ならない、ということをわれわれに教えている。」12P

「一八四八年の革命期に、マルクスとエンゲルスがチェコとポーランドの国民的要求にまさに正反対の立場をとったことは、この点(「自決権」を支持するかどうか)についてのもうひとつの例を提供している。・・・・・・マルクスによれば、チェコは死滅しつつあり、かつまもなく死滅する運命にある民族であったから、・・・・・・/マルクスが、この革命期の民族問題を、一切の感傷的態度とも無縁な冷徹な現実主義で考察したことは、まさに彼のポーランドとチェコの問題の扱い方に示されている。」17P――「今日の事態は、六〇年前にチェコ民族の滅亡を予言したマルクスが、今やその生命力によって、オーストリアがますます窮地に陥っていることからみて、どれほど誤っていたか――また反対に、マルクスが当時始まっていたポーランドの内的発展によって没落へと運命づけられていたポーランド民族主義の国際的な意義を過大に評価したことで、どれほど誤っていたかを明らかにしている。だが、この歴史的な誤謬は、マルクスの方法そのものの価値を少しも減じるものではない。・・・・・・・しかし、まさにマルクスやエンゲルスが、かつて、チェコ人やポーランド人の民族運動について、またトルコや南スラヴ人の問題でとっていた立場こそ、これらの科学的社会主義の創始者たちが、あらゆる民族問題をひとつのモデルを使用したり、あらかじめ用意されたひとつの決まり文句にしたがって解決することなど、全然考えもしなかったことを示しており、また彼等がヨーロッパの発展の具体的な物質的諸問題の方が重要だと見なしていたから、諸国民の形而上学的な「権利」などにまったく心をまどわされることがなかったということを示している。」20-1P・・・教条主義的受け売りではない、ローザのマルクスのとらえ返し。形而上学批判と唯物史観的なとらえ返し。

「最後に、近代の社会主義政策の創始者たちによって、民族問題がどのように取り扱われたかを示すもっとはっきりした例として、すでに純粋に歴史的なものになっていて、現実の政治の様相や情熱などにはまったく影響されない評価、すなわち一四世紀のエルヴェシア人の解放運動に対する彼らの評価をとりあげてみよう。」21P――「彼ら(マルクスとエンゲルス)は、この二つの場合に、当然マジャール人よりもエルヴェシア人に多く味方するはずの「諸国民の自決権」の公式を用いて自分の立場を決めたのではなく、もっぱら、歴史的・政治的視点から運動を現実的に分析することによって立場を決めたのである。」23P・・・その中身としての「歴史的進歩の要因」23P――マルクスのイギリスのインド支配を、「文明化」と押さえたことへのサイードの批判――社会主義への定式というところを越えて、反差別というところから社会主義概念をとらえ返す必要→これに関しては、ローザが「V」の冒頭でコメントを書いています。

V

「ところで、このような立場をとっているマルクスとエンゲルスは、外見的には、党派エゴイズムあるいは階級エゴイズムに忠誠を誓い、かつすべての国民を西欧民主主義の要請と展望の犠牲に供したように見えるかも知れないが、実際は決してそうではなかった。/もちろん社会主義者が、現実に今、抑圧されているすべての国民に対して普遍的かつ全世界的に自由のための大赦を呼びかけるならば、それはひどく高潔な響きをもち、それ以上に若い「インテリゲンチャ」の賑やかな空想に、自由とか平等とか、またその類いの幸せを手に入れる権利を、机上で気前よく与えたがる性癖は、まさに社会主義運動の幼年期のものであり、せいぜいのところ無政府主義の空虚な大言壮語を特徴づけるものでしかない。/近代労働者階級の社会主義、すなわち社会的科学主義は、社会問題や民族問題の解決方法について、できるだけ急進的で高邁な響きをもった方がいいなどとは考えておらず、何よりもまず、これらの課題の現実主義的な諸条件を分析するのである。」24P・・・少なくとも、ローザはサイード的な批判を押さえていなかったわけではないのですが、ただし、その原則主義ではアナーギズム批判の論理に陥り、現実的に解決の途にはならないとして退けています。ここで、ローザはレーニン的現実主義批判をしつつ、それでも現実主義の立場をとっています。

「すべての民族問題を、資本主義のもとで、全ての民族、人種、種族に「自決」の可能性をもたらしたり、保証したりすることによって解決しようとする希望も、同様にまったくのユートピアである。」27P・・・ここでは、原則主義に陥っています。原則主義と現実主義の弁証法から検証の必要。このことは、ローザも批判しつつ、反差別論というところから原則主義に立ち返るということになっていくのではないでしょうか? それがアナーキズム的に見えるとしても、アナーキズムではない途になるのではと考えています。

「われわれはかなり以前から、南スラヴ人に関するマルクスの見解には与しなくなってしまったが、歴史的発展、とりわけ、現代の資本主義的発展が、あらゆる民族に自立した存在をもたらすのではなく、むしろその逆の方向に進んでいるという一般的事実は『新ライン新聞』の時代とまったく同じように、今日でもはっきりと認められている。」29P・・・しかし、この後、時代的に大きな「民族独立運動」が起きています。ただし、独立しても従属関係が変わりはないという意味では、この論攷の正当性はあります。

「資本主義発展の擁護者で、自己の経済的・政治的自立の維持に不可欠な物質的・精神的な手段を保持しているいくつかのきわめて強大な国民とならんで、弱小な国民が「自決」し、自立した存在を維持することなど、幻想であるし、今後ますますそうなるであろう。」33P

「だから、一見例外でしかないように見えるものでも、より注意深く分析してみると、結局は、近代の資本主義発展は、すべての民族の実際の独立とは決して一致することができないという結論を確認することになる。」38P

「すなわち、現存の制度のもとで、この「権利」の実現を望むことは、社会民主党がその存在の基盤おいている資本主義的発展の傾向に、まさに真向から対立するユートピアだということである。なぜなら、現存のあらゆる国家をすべて民族単位に分割し、それらを大小の国民国家の形に裁断することは、まったく見込みのない、歴史的にみて反動的な企てだからである。」39P

W

「「諸国民の自決権」について語る時、われわれは、「国民」という概念を、ひとつの全体として、統一的な社会的・政治的単位として使用している。だが、「国民」についてそのような概念は、まさにブルジョア・イデオロギーの範疇のひとつであって、マルクス主義の理論は、これを徹底的に再検討して、「市民的自由」だとか、「法の前の平等」などの概念と同様に、薄いヴェールをまとったなかに、いつでもまったく特定の歴史的内容が潜んでいることを明らかにしたのである。/階級社会には、社会的・政治的統一的な全体としての「国民」などは存在せず、反対に、おのおのの国民のなかに、敵対的な利害と「諸権利」を持った諸階級が存在している。」40P・・・「国民」概念を(――そこから「国家」概念も当然)問い直す志向のあるローザ

「社会科学と哲学の領域でも、ブルジョア的な諸学派とプロレタリアートの立場を代表する学派は、互いにはっきりと対立していて、有産階級とその世界観は、観念論、形而上学、神秘主義、折衷主義を代表し、近代プロレタリアートは、自分の学説――弁証法的唯物論――をもっている。」40-1P

「このように形造られている社会の中では、集約された統一的な意思とか、「国民」の自決など問題になりえない。われわれは、近代社会の歴史の中に、「国民」運動とか「国民的利益」のための闘争を見るが、通常それらは、ある程度まで他の階層の人々の利益を代表しえたブルジョアジーの支配層の階級運動であり、しかも、それは、彼らが「国民的利益」という形で、歴史的発展の進歩的な形態を擁護する限りにおいて、また、労働する階級がまだ、このブルジョアジーによって指導されている「国民」大衆から、自立的な意識をもつ政治的な階級へと分離していない限りにおいてなされたことである。」41P

「一言でいえば、社会は、その経済生活とその生産の諸条件について意識的に決定できるようになって初めて、自身の国民生活に関して事実上自由に決定できるようになるのである。人間社会が、その社会過程を統御するようになった時、「諸国民」も自身の歴史的な存在を統御するのである。」44P・・・過渡の問題をどうするのかということも立てる必要があります。

「結社、集会、言論、出版などの権利とは、ブルジョア社会の、法的に形造られた成熟した存在形態である。これに対して、「諸国民の自決権」は、ブルジョア社会においてはまったく実現不可能なものであって、社会主義体制という基盤の上でのみ実現可能な理念を形而上学的に定式化したものにすぎない。/しかし、今日の実践においては、社会主義は、あらゆる神秘的で「高貴な」「美しい」要求の貯水池などではなく、まったく特定の諸条件の、すなわち近代プロレタリアートの、ブルジョアジーの支配に対する階級闘争の政治的な表現であり、また今日の生産形態を廃棄する目的でプロレタリア階級の独裁を導入しようとする要求の政治的表現なのである。これこそが、プロレタリアートの党である社会主義政党にとって主要な指針的な課題であり、それが社会生活の個々の問題のすべてに対して、党のとる立場を決定するのである。」44-5P

「「国民」が自決の「権利」をもつべきだとしてみよう。だが、「国民」とはいったい誰なのか。誰が「国民」とその意思を代弁できるのか。・・・・・・」46P

「したがって、「国民意思」とか国民の多数者とかいうのは、社会民主党にとっては、その前にひざまずくような崇拝の対象などではまったくなく、反対に、社会民主党の歴史的使命とは、何よりも、「国民」、つまりその勤労人民の多数者の意思を作りあげ革命化することにある。だがブルジョア社会のなかで、国民の多数、したがって勤労する諸階級も含めて、その多数が示している意識の伝統的形態は、通常は、社会主義の理想や要求に敵対するブルジョア的な意識形態である。」48P

X

「ここから、以下のようなかなり奇妙な結論が引き出される。つまり、ロシア社会民主労働党はポーランド問題の解決をポーランド「国民」に委ねるが、ポーランド社会主義者はそうしてはならず、全力をあげてプロレタリアートの利益と意思にもとづいてこの問題を解決するように努力しなければならない、という結論である。」53P・・・レーニンの被差別側の民族自決権として押さえる必要があるとの論理を押さえる必要。

「(ロシア社会民主党は)次の二つのどちらかをとることになるであろう。まずひとつは、ロシア社会民主党にとっては、「諸国民の自決権」が、事の本質からして、民族問題に関する当該の民族のプロレタリアートの決定、すなわち、当該の民族の社会民主党の民族綱領と一致していなければならないという態度である。だが、この場合には、ロシアの党綱領のなかの「諸国民の権利」という公式は、階級的な立場を言い換えて人をけむに巻くものでしかない。もうひとつは、ロシア・プロレタリアートが、それにふさわしく、実際にロシアによって抑圧されている民族の国民的多数派の意思のみを――たとえその党外の「諸国民」のプロレタリアートが、自身の階級綱領を持ち、その多数派の意思に反対しているとしても――ひたすらに承認し、尊重しなければならないという態度である。だが、この場合、それは奇妙な政治的二元主義となり、帝国全体の労働者の立場と、それを構成する個々の民族の党との間の確執という形で、「国民的な」立場と階級的な立場との不一致をすっかりさらけ出してしまうことになるであろう。」55-6P

「他方、このような立場は、科学的社会主義の創始者たちが、民族問題を考察するに際して唯一の指針と見なしたプロレタリアートの階級利害と社会の革命的発展の擁護という、社会民主党の本来の使命と衝突することになる。」59-60P

「そして、このプロレタリアートの階級闘争の利益こそ、全体党においても、その構成部分である諸党においても、党の立場を統一し、一貫したものにしうる唯一の観点なのである。」60P・・・これでは、民族問題は、反差別運動は、階級闘争の従属論になってしまいます。階級と民族の対立の図式。

第二章 国民国家とプロレタリアート

 この章は、階級闘争と「国民国家」というところでの民族概念との関係を論じている章です。

T この問題での総論

「(カウツキーの言葉の引用)「全ヨーロッパで、近代国家の成立に伴って」登場した(カウツキーの言葉の引用)「近代的な国民理念の根源」をなす三つの要因とは(カウツキーの 言葉の引用)「まず、自らの商品生産のために国内の販売市場を確保しようとするブルジョアジーの願望、次いで、政治的自由と民主主義への願望、最後に、国民文学と国民教育の一般人民層への普及」である」66-7P

「だがここでは、政治生活の一現象、いわゆる国民国家形成の衝動の一現象としての国民運動が問題なのであるから、この運動がブルジョア時代と結びついていることに関しては、疑問の余地はない。」67P

「一八三〇――四〇年代に、「国民的再生」の基礎を、逆にブルジョア的発展の諸要素、つまり工業や商業、それに「国内市場」の理論に求めたのである。一八三〇――四〇年代に、ドイツでかくも強力な政治、学問、哲学、文学の思潮を生み出したこの愛国主義運動の物質的基礎となったのは、とりわけ数十もの封建的小国家に細分され、関税や租税の障壁で切り刻まれていたドイツ領域を、大機械工業生産のための充分に幅広い基礎とすべく、一つの大きな統合的な資本主義的「祖国」にまとめ上げる要請であった。」68P

「しかし、近代のブルジョア的な「国民理念」の本質は、まさに、どの国のブルジョアジーもが、何よりもまず「自国民」、「自分の祖国」を商品販売の場として、生まれながらにしてブルジョアジーに奉仕すべく運命づけられ、そのような使命を持った、あたかもマーキュリー神に指定された一人占めできる世襲財産のようなものだと考えている点にある。」69P・・・ブルジョア的理念としての「国民国家」

「カウツキーの定式を文字通りに、すなわち、近代の国民運動の物質的基盤とは、大雑把に言って、「自国の」商品販売に対する産業ブルジョアジーの欲望に他ならないという意味でとらえるならば、それは誤りであろう。資本主義ブルジョアジーは、この販売市場以外に、それと密接に関連するのだが、次のような多くの条件をも必要とする。それは、この「祖国」が不可侵であるための保障としての、また全世界の市場に道をひらくための武器としての強力な軍国主義、さらに、一定の適切な対外関税政策、適切な形態の行政、交通、司法、教育、および適切な財政政策である。一言でいえば、資本主義は、その然るべき発展のためには販売市場ばかりではなく、近代資本主義国家の装置のすべてを必要としている。」69P・・・ここで挙げていることを、六章で自治の要件として、その中身を論じています。

「以上のすべてのことから、ブルジョアジーの階級的利害に合致した国民的要求の特殊な形態とは、国家的独立であるという結論が引き出される。」70P

「ブルジョア的愛国主義は、様々な民族の利害の一致ではなく、その対立に依存するが、その奇妙な両刃的性格は、近代のブルジョア的国民運動の歴史的基層を成しているのがブルジョアジーの階級支配の欲求に他ならず、この欲求が現われる特殊な社会形態こそこそ近代資本主義国家であり、それは、ある特定の民族のブルジョアジーの、国家の[民族的に――訳者注]雑多な住民の全体に対する専横的な支配という意味でまさに「国民的」なのだということを考慮して初めて理解されるのである。・・・・・・このように、国家的な独立とか統一といったものが、ブルジョアジーの国民運動の本来の軸をなしているのである。/この問題はプロレタリアートの利害の観点から見るとまったく異なった様相を呈している。・・・・・・」72P

「ブルジョアジーの歴史的・階級的使命、課題とは、近代的な「国民」国家の創出であり、これに対し、プロレタリアートの歴史的任務は、社会主義制度を導入するために、プロレタリアート自らが意識ある階級として生を享けた資本主義の政治形態であるこの国家を廃絶することである。」73-4P・・・ローザは「国家の廃絶」ということを明確に突き出しています。

「だから、このような側面から見ると、異民族に対する支配と征服の装置としての「国民」国家は、ブルジョアジーにとって必要不可欠でこそあれ、プロレタリアートの階級利害にとっては何の意味もない。/それゆえ、カウツキーが挙げたあの「近代的な国民理念の三つの根源」のうち、階級としてのプロレタリアートにとって原則的に重要なのは、次の二つ、つまり民主主義の諸制度と普通教育だけである。」75P

「さらに、方法の点からしても、前述の推論には、他にもう一つの歴史的な誤解が含まれている。独立した国民国家がいずれにせよ民族としての存在と発展にとっての「最良の」保障だとする推論は、国民国家の概念をまったく抽象的な範疇としての取り扱うことを意味している。もっぱら民族という視点から観察され、また、もっぱら自由と独立の保証・権化とされる国民国家とはすなわち、一九世紀前半のドイツ、イタリア、ハンガリーなど中部ヨーロッパ全体の、とっくに腐敗しきった市民的イデオロギーから引っ張り出した使い古しのボロ雑巾、ブルジョアジー自由主義の腐った宝箱から取り出した空文句である。」76P・・・「抽象的」――むしろ、共同幻想としての「国家」・「民族」

「つまり、近代国家の内容と本質を成しているのは、「民族」の自由でも独立でもなく、単にブルジョアジーの階級支配、関税政策、間接税、軍国主義、戦争、征服にすぎない。国民国家のこの凶暴な歴史的実体を薄いイデオロギーのヴェールで、すなわち「民族の自由と独立」というスローガンのまったく否定的なおめでたさで隠蔽することが、ブルジョア・イデオロギーのもっともな、当時としては実入りの多い階級的な傾向であった。だが、まさにそれゆえに、この瞞着の歴史的・社会的基盤を心に溜めさえすれば、それがプロレタリアートの可能な、またあるべき階級的立場と真向から対立していることがたちどころに理解されるであろう。/他の多くの場合と同様に、ここでも、見かけはブルジョア自由主義に敵対している無政府主義が、実際にはその実子であることを曝露している。」77P・・・無政府主義すべてが敵対しているのでしょうか?

「・・・・・・「国民国家」は、今日では、非民族的な征服国家と同じく、ブルジョアジーの階級支配の道具であり、その形態なのである。そして、そのようなものとして「国民国家」は、まさに征服、戦争、抑圧に向かう傾向、つまり「非民族的なもの」になる傾向を持っている。・・・・・・ブルジョア的発展の要請が「国民国家」をも決定し、無政府主義者に崇拝され、理想化された共和国の形をとった「国民意思」が、征服の有能な道具として資本主義の利害に貢献したのである。」79P

「ここで、われわれの興味をひくのは、すでに独立した「国民」国家となっているこれらの諸国のその後の政治史、「国民的自由」と「人民の意思」という無政府主義な空辞の色鮮やかな実例としてのその歴史である。」79-80P

「このように、ブルジョアジーの階級利害と資本主義の要請という観点からすると、民族問題は、ブルジョア階級にとっては、事の性質上、政治的独立という形態、すなわち国民国家の形態をとるようになる。なぜなら、それがまさに支配と征服の誂え向きの道具だからである。そしてそれだけに、民族問題の文化的な側面と民主主義的な側面が、したがってまた、国民生活のこれらの側面の自由な発展を保証するような政治形態が、労働者階級の利害と原則的に一致することになる。つまり、攻撃的な民族政策という手段を使わず、純粋に防衛的な方法で、歴史的に一つのブルジョア国家に結合された様々な民族が友愛的な共同生活を送れるように国民生活の発展を保障するような政治形態である。諸民族の市民的同権と民族的・文化的発展を保障する政治制度、これこそ、一般的な形をとったプロレタリアートの自然の階級綱領であり、それはブルジョア民主主義とは異なり、プロレタリアートの階級的立場から生ずるものである。」82P

U ポーランド問題

「わがポーランドの国民理念は、ブルジョアジーの階級理念であったことは一度もなく、もっぱらシュラフタのそれであった。」82P

「有機的労働」83P・・・註(10)304P

「ポーランド民族主義は、伝統によって聖化された出来合いのポーランドの社会反動の型式となり、国民理念は、シュラフタ、ブルジョア層、小ブルジョア層などのブルジョア諸階級の陣営全体の反動的欲求を満たす共通のイデオロギー的な旗印となった。ここでも、歴史の弁証法は、「諸国民の権利」などという抽象の砂漠で思惑に耽る政治家たちの紋切り型の硬直した精神よりは、はるかに才気煥発で、柔軟で、多様性にも適用しうるものだということが明らかになった。」87P

第三章 連邦制、中央集権制、地方分立制

 これは後に出てくる「自治」の概念の中味として、連邦制、中央集権制、地方分立制(今日的な概念としては地方自治)を巡る論攷です。

T 連邦制

 冒頭リード文「続いて、民族問題を解決するももう一つの形態である連邦制を考察しなければならない。」94P

U 中央集権制

 冒頭リード文「あらゆる国の資本主義発展の顕著な傾向となっているのは、誰の眼にも明らかなように、内政、経済および資本主義の中央集権化、つまり、経済、立法、行政、司法、軍事などの面で、国家領域をひとつの全体に集中、結合する傾向である。」97P

「絶対主義が、近代の国家中央集権主義の最初の主要な推進者であったという歴史的事情の結果、中央集権主義を一般に絶対主義と、したがって反動と同一視する悲壮な傾向が生じた。絶対主義は、実際には中世末期に封建的分散性や地方分立主義と闘っており、その限りでは、疑いもなく歴史的進歩の表明であった。」98P・・・そもそも「マルクス的な」とされる進歩史観のとらえ返しの必要。絶対主義の歴史の中でのとらえ返しの必要。

「一言でいえば、社会生活のあらゆる分野で、出来るだけ強力に中央集権化するというのが、資本主義の顕著や方向となっている。」99-100P・・・地方の保守性の時代から、逆に現在的な農業の破壊からする革新性の芽や地産地消の革新性のとらえ方、進歩史観批判との同じ根

「それゆえ、資本主義発展の正嫡子(ママ、そもそも?)である近代社会主義運動も、ブルジョア社会やブルジョア国家と同じく、顕著な中央集権化傾向を内包している。したがって、社会民主党は、どこの国でも、地方分立主義にも連邦主義にも断乎反対するのである。」101P

V 地方分立制

 各国の地方分立制――スイス102-4P、アメリカ合衆国104-6P、オーストリア106-115P、ノルウェー115-6P

「連邦主義や政治的分離主義は、実際は民族的欲求の表現でなかったばかりか、まさにその単なる否定、公然たる放棄であった。」110P

W 全ロシア連邦主義者グループ会議に集まった各民族と「会議」の内実

冒頭リード文「連邦制の理念は、すでに六〇年も前に、バクーニンやその他の無政府主義者が、民族問題の解決法として、また一般に国際関係における政治秩序の「理想」として掲げていた。この理念が、今、ロシアの一連の社会主義グループにかくまわれている。この理念と、その今日のプロレタリアートの階級闘争への関わりを如実に示しているのが、最近、革命の最中に開かれた全ロシア連邦主義者グループ会議である。この会議での議論は、詳細な議事録として出版された。/とりわけ興味深いのは、これらのグループの政治的相貌と、その主張する「社会主義」が特異なことである。会議には、グルジア人、アルメニア人、白ロシア人、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人の連邦主義者が参加した。」116P――グルジア人116-8P、アルメニア人118-9P、白ロシア人119P、ユダヤ人120-1P、「ポーランド社会党「革命」派とロシア革命党という二つの組織がまだ残っているが、これらの党は、その素姓や性格からして十分に知れ渡っており、敢えてここで言及するまでもないであろう。」120P、「連邦主義者会議」の内実120-4P「ここではっきりと証明されているのは、あらゆる民族を和解させるという連邦主義の理念など空辞にすぎないこと、そして、これらの雑多な民族主義グループが何ら歴史的な基礎にもとづいていないという、まさにそのような理由から、それら諸グループの間には、利害対立を解消するための基礎を生み出し、根本からこれらの諸グループを一致させる理念など何ら存在しないということである。」122P

「その本質と歴史的内容からして反動的な連邦主義の理念は、今では、帝国全体のプロレタリアートの団結した革命的な階級闘争への反動をなす小ブルジョア的民族主義の疑似革命的な後盾となっている。」124P

第四章 中央集権制と自治

 そもそもローザの民族問題への論考は、中央集権制と民族自決権は矛盾すると立てていて、自治の概念を出して、中央集権制と自治の関係をここで展開しているのです。

T ブルジョア国家の中の地方自治

冒頭リード文「資本主義の全般的な中央集権化傾向にもとづき、それと同時に、ブルジョア社会の客観的発展そのものとその要請から、ブルジョア国家の中に地方自治が生まれてくる。/ブルジョア経済は、国家の全域にわたって、立法、司法、行政、教育制度などが、また可能ならば国際関係さえもが出来るだけ画一化されることを必要とする。だが、このブルジョア経済は、これらの国際機能の行使にあたっては、画一性ばかりでなく精密性や効率性をも必要とする。こうして、近代国家の中央集権主義は、必然的に官僚制と結びつくのである。・・・・・・そうではあるが、他方、中央集権的官僚主義は、このブルジョア経済の側から見ると、重大な欠陥も持っている。販売条件も、また生産条件さえも、無数の社会的影響によって、絶えず、動揺や変化を引き起す。資本主義的な生産と交換の特徴は、それが社会的影響と結びついた不断の変化に対し、最高度の感受性、柔軟性、即応力を持つばかりか、それ自身が変化する能力さえ持つことに示されている。それゆえ、ブルジョア経済は、それが公的機能によって運営される際には、もともと融通のきかない紋切り型の中央集権的官僚主義ではどうにもならないような繊細さと適応力とを必要としている。すでに、ここから、近代国家の中央集権主義の矯正として、住民代表に委ねられる立法と並んで、地域自治が、自然の傾向として、中央集権主義と共にブルジョア社会に生まれてくる。この地域自治は、その地域の多様性な諸条件を考慮し、また、社会が公的な機能に直接影響を及ぼしたり、参加したりすることで、国家装置が様々な社会的要請により良く対処しうる可能性を与える。」128-9P

「・・・・・・資本主義経済は、大量工場生産が支配的になって以来、早急に満たす必要のある、まったく新たな一連の社会的要請を生み出した。とりわけ、大資本と賃労働制の出現によって、伝統的な社会構造全体が動揺し破壊され、プロレタリアートの増大と切り離せない大量失業と大衆貧困という、未曾有の疫病を生み出した。資本の要請である予備労働力の確保のためにも、公共の安寧のためにも、生活手段も働く術も完全に奪われているプロレタリア大衆を、逃げないように縛りつけておく目的で面倒を見ることが、社会にとってどうしても必要なこととなった。こうして、資本主義生産にもとづく社会的機能として、近代的な公共の福祉が発生する。」130P・・・経済的なことが政治の必要性を生み出す。

「この国家の領域の分化と、新しい社会的中心地の形成とが、新たな社会的要請から生み出される近代的な地域自治の枠組を用意した。地域自治や自治体の自治は、特殊なこれらの社会的有機体の要請に対処するのに不可欠なものであって、また、経済的に農村と都市の対抗に依存する資本主義が、一方では近代的な都市を、他方では農村を、このような有機体に作り変えたのである。」132-3P

「このような近代的自治はすべて、決して国家中央集権主義の廃止ではなく、それへの補足にすぎない。そして、この両者が結びついて初めて、ブルジョア国家を余すところなく特徴づけることになる。」132P

「近代のブルジョア的制度から生じる地域自治は、中世の過去から受け継がれた連邦主義や地方分立主義と何も共通なものがないばかりか、まさにそれらに敵対さえしている。中世的な地方分立主義や連邦主義が、国家の政治的機能の分散を意味していたのに対して、現代の自治は、機能を地方的な要請にも対応させること、また住民がそれに参加することを意味しているだけである。したがって、バクーニンの理想である地方分立主義や共同体(「コミューン」のルビ)連合主義が、大国の領域を大なり小なり独立した小領域へと分割する傾向を持つのに対して、今日の自治は、中央集権化された大国の民主化の型式にすぎない。現代の主要国で、古い地方分立主義の墓の上に、それとはっきり敵対して発生した近代的自治の歴史が、このことを最も明瞭に示している。」132P

U 各国の情況

 フランス133-145P、イギリス146-154P、ドイツとオーストリア154-5P、ロシア155-7P、ポーランドとリトアニア157-8P

(イギリス)「これとまったく異なった道をたどったのが、イギリスの自治の歴史である。ここに見られるのは、中世から近代社会への革命的な転換ではなく、反対に、封建的遺物を救い、今日に至るまでそれを保存させた、すでに早期に交わされた妥協である。古い型式を破壊するのではなく、それに少しずつ新しい内容を盛りこむことで、ブルジョア的イギリスは中世的イギリスの中に自らの場を切りひらいてきた。そしておそらく、地域自治の領域ほど、この過程が典型的で興味深い領域はないであろう。月並みな言い方だが、一見して明らかなように、イギリスは、最古の地方自治を持つ国、いやむしろ自治の発祥地であり、古典的な祖国であったから、大陸の自由主義もその要求の模範をイギリスに求めたのだった。」146P

「したがって、もしイギリスの大昔の自治(selfgovernment)を一種の「自治」と見做すことが出来るとすれば、それは州の公的権力を手中に収めた土地貴族の無制限の自治の制度という意味でのみそう言えるのである。/この中世的な行政制度が初めて土台を掘り崩されたのは、エリザベスの時代であった。それは、農村の所有諸関係を動揺させ、イギリスに資本主義時代の幕開けを告げた、あの革命の時代にあたっている。貴族が大規模に農民から土地を強制的に収用したこと、牧羊が農業を駆逐したこと、教会財産が世俗化され、続いて貴族が私物化したこと、それらの結果、突然、巨大な農村プロレタリアートが出現し、続いて、貧乏人、乞食、追剥が現われるに至る。資本の最初の勝利は社会全体の基盤を揺り動かし、イギリスは、大衆貧困という新たな恐怖に直面せねばならなかった。そこで開始されたのが、浮浪者、乞食、泥棒に対する撲滅運動で、これは、血で汚れた一筋の糸のように一九世紀半ばまで続く。だが、牢屋も焼き印も、また絞首台さえ、この新たな疫病にはまったく効き目のない薬であることが判明したため、イギリスには、即決裁判とともに、「公共の福祉活動」が始まり、辻の絞首台のそばに、教区の「救貧院」が作られることになる。」147-8P・・・本源的蓄積と公共的福祉の始まり

「この税の徴収と管理、および扶助組織や救貧組織のために、教区公務の新たな組織が生まれた。さらに、勃興しつつある資本主義経済の要請から生じるもうひとつの重要な公的義務として、道路監督という職務が、まもなくそれに加えられた。以後、この組織は、首席の牧師の他に、教区から選出される二名の教会監督官、治安判事の任命する福祉監督官(overseers of the poor)、同じく治安判事の任命する一名の道路監督官(surveyor of highways)から成っていた。見ての通り、これは、旧来の自治(selfgovernment)の装置を近代の要請に適応させただけのものであった。」148-9P

「トーリー党の政治的特権を打破した一八三二年の選挙制改革は、同時に、近代的意味でのイギリスの自治が始まった日付ともなった。それは、地域行政への住民参加と、中央当局の支配と統制のもとで住民の意志を遂行する役割をもつ有給で責任のある官吏とにもとづく自治であった。国家を州と教区に分ける中世のやり方は、中世的な治安判事職や教区議会と同様、今や新たな編成を示している住民や、地域的な要請と利害にはほとんど対応しなかった。だが、フランスの革命的自由主義が、国土から古くさい州を一掃して、新行政区分を持つ統一的フランスを打ち建てたのに対し、イギリスの保守的な自由主義は、古い区分を形式的にも廃棄せず、その内部に、それと並んで、それと交錯して、新たな行政網を漸進的に作り上げたにすぎなかった。イギリスの自治の特徴は、伝統的な自治(selfgovernment)の枠組があまりに不適格であって最後まで使い尽くすことが出来なかったので、新しい種類の基礎、すなわち、自治の基本的問題をそれぞれ個別に解決するための住民による特別の地域団体を創設したことである。」151P

「イギリスでは、後の整序され近代化された諸関係の時代に「人手」(hands)という要を得た表現が労働者と同義となったように、一九世紀半ばまでは、「貧民」(the poor)が公式に労働者と同義であった。」153P

V カウツキーの自治の問題に関する引用と自治の概念の煮詰め

「この論証を貫く基本思想、つまり、近代の国家中央集権主義を行政のそれと立法のそれに分けること、そして前者を否定し、後者を無条件に承認すること、これらはかなり形式主義的な、あまり顕密でない問題把握であるように思われる。地域自治――州、都市、自治体の自治――は、決して、行政の中央集権主義を廃止はしない。全体としての国家の統治が、スイスのような民主的な国家でさえ、たえず自身の権能を拡大しようとする中央権力の手に留まるのに対し、地域自治は、厳密に地方的な問題のみを担当するのである。」161P 「とにかく、地域の代表機関と行政機関との絶えざる争いの軸になっているのは、被選出機関の立法の権能を絶えず拡大し、被任命機関の行政の機能を絶えず制限しようとする民主的な努力なのである。」163P

「したがって、立法の機能を行政の機能から形式的に区別することよりも、むしろ、資本主義経済やブルジョア的大国家の核を成す社会生活の一定の領域を地域的利害の範囲から区別することによってこそ、国家中央集権制の分野を地方自治の分野から、また同時に、近代的自治を封建的、あるいは小ブルジョア的な地方分立主義から切り離すことが出来るのだとするのがわれわれの見解である。」」164P

「だが、あらゆる資本主義国で、近代的な地域自治が生長してくるのとまさに同じ土台から、特定の諸条件のもとで、内部立法を伴う民族自治が生長してくる。これは、近代の社会発展の自発的表明として現出するのであり、今日の都市会議がハンザ同盟の議会とはまったくの別物であるとの同様に、これも、中世の地方分立主義と何ら共通するものを持たないのである。」164P 

第五章 民族と自治

T 資本主義における民族と階級と文化

冒頭リード文「資本主義は、社会的存在やその形態を、物質的基礎から頂点の精神的な思考形態に至るまで作り変える。」168P

「国内自治は、帝国全体の政治的自由の一部分であり、一言でいえば、ポーランドのブルジョア支配の最も成熟した政治形態なのである。/まさにこういう理由から、自治は、ポーランドのプロレタリア階級にとっても欠くことのできない要求となる。ブルジョアジーの支配が成熟した形をとればとるほど、またそれがあらゆる社会的機能に、そして多肢にわたる精神生活の諸領域へと確実に浸透すればするほど、プロレタリアートの階級闘争はますます戦域を拡大し、その攻撃目標をましていく。また、ブルジョア社会が順調に効率よく進展すればするほど、プロレタリアートの階級意識や政治的成熟度、それに階級的団結も、ますます力強く確実に進んでいく。」176P

「ポーランドのプロレタリアートは、階級闘争のために精神文化のすべての条件を必要とする。また、とりわけ基本的に諸民族の連帯を頼みとし、それを追求するポーランドのプロレタリアートの利害は、民族的抑圧の廃棄と社会的発展を通じて生み出されるこの抑圧から身を守るための保証を必要とする。・・・・・・つまり資本主義発展の進歩的傾向、およびプロレタリアートの階級利害から、この綱領の細目として国内自治は生まれてくるのである。」176P

U 民族の自治

「民族主義の理論家は、通常、民族を一般に社会発展の外にある生まれたままの不変の現象として、また保守的で、いかなる歴史的運命にも抗う現象として理解する。こうした見解に従い、ブルジョア民族主義は、民族の生命力や力の主な源泉を近代的な歴史構成体であるブルジョア的で都市的な文化の中にではなく、もっぱら農村住民の伝統的な生活様式の中に見出している。」177P

「すなわち、それ自身の産業、それ自身の大都市生活、それ自身の「民族」ブルジョアジー、それ自身のインテリゲンチャを持つ固有のブルジョア的な発展がひとたび発生すると――例えばチェコで起こったように――いかに、それが、抵抗力のある民族政治、および、それと関連する活発な政治生活のための基礎となりうるか、ということの例になっているのである。」180P

「これに対し、自治の概念を、このユートピア的・イデオロギー的な基礎から歴史的な基盤に移し、それを、一定の環境のもとにおける資本主義経済に特有の必然的帰結として、また、ブルジョア社会と、その民主的発展の要請とから生ずる一定の社会的機能――物質的かつ精神的な機能――を充足させる形式としてとらえるならば、近代の立憲国家のもとでの国内自治の機能は、その国家の政治的発展の総体、および近代のブルジョア生活の諸形態と離れがたく結びつくことになる。」182P、

他民族から押さえる作業をしています。ユダヤ人184-5P、リトアニア185-191P

「したがって、一般的に言って、ここでは、民族間の関係は、同時に社会階級の関係となっている。」192P・・・逆に、階級の問題が民族的なこととして現れる側面。

「このように、リトアニアをポーランド王国の自治領域に接合したり、あるいは、リトアニアとルーシ地方を、ポーランド人が優位に立つのは避けられないような、ひとつの自治地域に区分したりするのは、民族的な観点からしても、社会民主党にとっては、徹底的に駆逐しなければならない構想なのである。それに、このような形のリトアニアの民族自治の構想は、当該の諸民族間の数的かつ社会的な諸関係からしてユートピア的なものであって、たいていは破産するであろう。」192-3P・・・ここは、ローザが「歴史なき民族」論に陥っているとして批判されているところ。

V カフカスの混在する民族問題

「したがって、ある民族の他の残りの民族に対する支配などなく、あらゆる民族に文化的に生きる自由を保障する民主的な精神、また、カフカスの人種的境界など斟酌しない近代的発展の真の社会的な要請の精神にのっとったカフカスの民族問題の唯一の解決法とは、リトアニアの場合と同様、広汎な地方自治の適用、すなわち、特定の民族の性格を持たない、いかなる民族にも特権を与えない、農村、都市、郡、県の自治を適用することである。このような自治のみが、種々の民族が結集して、その地域の経済的・社会的利害を共同で解決することを可能にし、また他方、各郡、各自治体で諸民族間の多様な関係を自然な仕方で考量することを可能にするのである。」198P

「つまり、一定の最小限以上の人口を持つ少数民族は、その基準に従って、自治体、郡、県に、民族語に依る学校の設置を義務づけるための基礎となり、また、その言語を、地域の公共機関、行政、司法などで、当該の土地で優勢な民族の言語や国家語と併存させるための基礎となるのである。もし、資本主義体制の枠内で、またこういう歴史的諸条件のもとでも、入り組んだ民族問題の解決が一般に可能だとすれば、地方自治の一般原則を特別の立法手段に組み合わせたこのような解決法こそ、各民族の文化的発展の利害や各民族の同権を彼らの密な共存状態の中で満足させるための保障を与えるものであって、彼らを民族自治という障壁で互いに隔絶させることでは、この保障は得られないのである。」199P

W フォルツナートフの構想

「明らかに著者(フォルツナートフ)は、この図表(各国・各地域における各民族の分布の図表)を作成する際、歴史的なものを考えようとしておらず、経済的諸関係、つまり、近代的発展や自然条件によって形成される生産と通商の領域もまつたく無視してかかっている。この種の平板な見方は、敢えて言うまでもないが、マルクスの「教義」である唯物論的世界観に心魂を傾ける人々が政治的に結集するのを妨げるくらいのものだろう。」203P

「フォルツナートフの構想は、根本的には民族性原理の単なる否定であるが、それだけに、無政府主義的な方法の結末を示す興味深い見本となっている。すなわち、こういう客観的な社会発展をまったく無視した民族主義の無政府主義的な方法は、横柄に浮世をのさばり歩いた後に、結局、「直してやろう」と思い立った、まさにその醜悪な現実の歴史と瓜二つの結果、すなわち、「民族の権利」とか民族の平等とかを次から次へと犯す結末を迎えてしまうのである。自由主義や無政府主義のイデオロギーの浸みこんだ民族の「権利」の蹂躙が、それ自体の内面的意義と――最も重要なことだが――革命的弁証法を持つ歴史の発展過程の結果なのだということと、社会的に融合したものを夢中でひきはがしたり、社会的に接合しないものを無理矢理接合したりする革命的民族主義の下手くそな小細工が、結局のところ、もっぱら、政治的な悪ふざけに浮かれた何の意味もない衒学ぶりゆえに、自ら信奉していた民族の「権利」の蹂躙に進んでしまうこととの間には、大きな違いがある。」206P

第六章 ポーランド王国の自治

 ここでは、ポーランドの自治ということで、自治の具体的中身について論じています。これを読んでいくと、ローザは自治そのものを否定しているのではなく、関係の中での自治は、「自決権」という概念にはならないということを論証し、社会主義革命の必要性を論じているのだということが明らかになってきます。

T 総論

 冒頭リード文「これまでに考察した例から次のことが明らかになる。すなわち、民族の自治は、唯一の、そしてすべての民族集団に適用される政治形態でもないし、また社会主義であれば、どんな条件のもとででも目指すであろう純粋に自由な理想でもない、ということである。リトアニアの例が証明しているように、ある場合には、自治の適用が自由と民主主義に反する結果に行きつくこともあり得るのである。住民の民族構成が雑多であるのに、この存在形態を国家組織の基盤として普遍的に適用しようとする考えがいかに幻想的であるかは、将来の自由なロシアにおける自治制度に関するあの「社会革命党」の構想が証明している。・・・・・・近代的発展が、ある与えられた領域の経済的利益を、ある程度まで独自にまとめあげることもなく、また、その民族の独自のブルジョア文化の形成に導くこともないところでは、あるいはまた、様々な民族が地域的・社会的に融合しているために各民族を地域的に区切ることができないようなところでは、それはまったく不可能である。・・・・・・この様な場合には――被抑圧民族の不利益のためにではなく、まさにその民族を守るために――市民的同権と特別な全国家的な言語の権利とを広汎な地域自治に結合することが、ブルジョア社会の諸関係がおよそこのような条件のもとでも諸民族の対立を軽減し緩和させうるとする限りでは、唯一の解決策なのである。」210-1P

「まさにこのような点から、自治は、ポーランドの革命的プロレタリアートの綱領的な要求となる。もちろん、意識あるわが国のプロレタリアートは、このスローガンを表明しつつもわが国のブルジョア諸政党とは反対の見方でそれを表明しているのである。ポーランドの有産階級にとって国内自治とは、何よりも、階級支配のすぐれた道具として願ってもない目標なのである。使い古しの愛国主義的な空辞には、革命期のプロレタリアートの行動に憤激した大地主、工場主、親方、僧侶、それに彼らのイデオロギー的追従者たちが、都市や農村で闘っている労働者と素直に「民族的」で「親密な」話し合いをしたいという露骨な願望が、ただもう稚拙に隠蔽されているにすぎない。」211P

「・・・・・・すでに今日の社会の諸条件のもとでの自治の客観的な内容は、それがとりわけ階級支配の道具以外の何ものでもなく、また何ものでもありえないようにせしめているのである。・・・・・・ヨーロッパ大陸での最初の近代的な憲法で身を飾った「自由・平等・友愛」という崇高な三つのスローガンが、プロレタリアートにとっては――マルクスの言葉によると――「歩兵・騎兵・砲兵」という何の変哲もないものに転化したのと同じである。」212P・・・階級支配の道具論とフランス啓蒙思想批判

「だが、科学的社会主義の冷徹な分析によって、自己を前衛として意識しているわが国のプロレタリアートにとっては、自治の本来の内容についてのどんな幻想も、そのどんな民族主義的理想化も無縁なものでなければならないとすれば、プロレタリアートは、同時に、ブルジョア的発展への無政府主義的な幻滅や無関心とも無縁でなければならない。・・・・・・ただ、それら(「社会民主党は、どの国でも、すべての「ブルジョア的」自由や民主的な制度を最も精力的に主張している」こと)が、この搾取と階級性を持つ形態をより成熟させ進歩したものにし、プロレタリアートを闘争へと啓蒙し組織化するのを容易にし、必然的な勝利を促進するからである。」212-3P・・・進歩史観へのとりこまれ。民主主義の主張は必ずしも「ブルジョア的民主主義」ではないはず。そのあたりのとりちがえが、アナーキズム批判と進歩史観がリンクしているのでは? 次の切り抜きとのリンク

「ここから、プロレタリアートの階級政党にとって、自治とは、何よりも、ロシア全体の民主的な制度を部分的に適用したものとして、全国家的な諸条件の革命的大改革とはほとんど離れがたく結びついているひとつの細目だということになる。国内自治の要求は、社会民主党の綱領のなかでは、帝国全体における共和制の要求と切り離すことはできない。なぜなら、ポーランド王国の自治は、革命が最終的に勝利し、絶対主義的な秩序の全体が崩壊した時にのみ実現可能となるばかりでなく、それとの関連でのみ、自ら国内で社会的発展と進歩の道具となることができるからである。」214-5P・・・道具論と進歩史観とのリンク、反差別論からのとらえ返し

「国家全体の憲法制定会議による国家全体の共和主義的・民主主義的体制の確立を要求しつつ、社会民主党は、この政治体制の原則を細部に至るまで発展させ、完全なものにする立法、したがって、市民の人格的不可侵と法の前の平等、さらに集会、結社、言論と出版、自治体(「グミナ」のルビ)と地方の自治に関する立法をも、国家の全領域の人民代表制もとにおくよう一貫して要求するのである。」216P

「次に、現代の議会立法の確固たる内容を構成している政治生活の現実的な問題を見ると、ただちに、社会民主党のこの原則的な立場から、資本主義経済と今日の階級国家の生きた基盤を成している経済的・政治的な諸問題が中央立法のもとに置かれねばならない、という結論がでてくる。その問題とは、関税・通商政策、近代的な交通・通信手段(鉄道、郵便、電話)、軍制、税制、民法と刑事・訴訟法、および公教育の一般的な基礎である。それではこれらの問題をそれぞれ順に検討することにしよう」216-7P

U 自治の具体的中身――課題

これの内容は、Tの最後のセンテンスにだいたい書かれています。ただし、現実に書かれているのは6つの項目、@関税・通称障壁217-221PA近代的な交通・通信手段221-230PB軍制問題230-4PC国家財政の問題234-240PD公教育240-7PE民法と刑事・訴訟法247-252P

Aの切り抜き「・・・・・・雇用者とは資本主義国家そのもの・・・・・・」229P・・・現在的には、新自由主義的グローバリゼーションの中で、民営化という形で進んでいる

Dの切り抜き「公教育とその方向は、今日の社会では、国政の最も重要な柱のひとつであり、階級支配の最も重要な属性のひとつとなっている。他方、公教育は、ブルジョア社会では、国民文化的な生活の主要領域のひとつでもある。プロレタリアートの階級闘争の代表者としての社会民主党の利害は、この二つの視角からこの問題を調整することを要求している。」240-1P「民族的な特性を考慮に入れても、これと同じ結論となる。民族的平等の利益、自らの社会的条件が国内自治をなすのに十分な基礎となっていない民族の文化的利益の防衛、そして、帝国全域で少数民族の利益の区分のない防衛、これらは言語問題での、またとりわけ教育制度問題での普遍的原則的な調整を必要としている。・・・・・・それゆえ、王国の公教育の問題を帝国全体のそれから完全に切り離すことなど実行不可能であるし、ましてそれは、文化領域における民族的平等を守る闘いが、本来、帝国のプロレタリアート階級全体の統一した圧力の対象でなければならないという、もうひとつの最も重要な観点を無視している。」241P

V 具体的課題@労働者保護立法

 冒頭リード文「労働者保護立法は、プロレタリアート自身にとってばかりではなく、一般に社会の自己保存的利害にとってもぜひ必要なものとして、資本主義経済の基礎の上に生まれる。それは、資本主義の略奪的な経済の破壊的作用のもとにある勤労大衆を、肉体的かつ精神的頽廃から守るための不可欠の保障であり、またプロレタリアートを物質的かつ精神的に再生させ、彼らに階級闘争への能力を発揮させるために必要な槓杆である。・・・・・・だが、この移民と、その結果であるプロレタリアートの間の国際競争は、その時代に達成しうる最高の生活水準を維持し広めていくために、次のことを不可欠なものにしている。すなわち、例えば、労働時間が法的に規制されておらず、いかなる国家保障もない国の労働者が、すでに組合闘争によって九時間労働日や疾病、労災事故などに対する法的な保障を手に入れている国に流入して、その国の労働条件を低下させたりすることのないように、保護立法をすべての資本主義国で均一なものにしようとすることである。最後に、国際的な保護立法によって保証された、あらゆる国のプロレタリアートの出来るだけ均一で、また出来るだけ高い生活水準は、国際的な道でのみ可能になる可能になる社会主義の実現というプロレタリアートの闘争の最終目標の観点からしても不可欠である。」253-4P・・・グローバリゼーションの時代の今日的な労働力の流入を見越したような提言

W 具体的課題A公教育

 冒頭リード文「国内自治の日常の自然の領域を成す分野にすすもうとするならば、まず最初に公教育の全体を考えなければならない。資本主義社会の進歩的な発展の立場からしても、またプロレタリアートの階級的立場からしても必要不可欠である近代的な教育の一般原則を持ち出すまでもなく、公教育の創出、発達、育成といったすべての課題は、当然、国内自治の機能に属しているが、それは次のような二つの決定的な理由によってである。すなわち、第一に、あらゆる文化国家の長年にわたる経験は、ブルジョア社会が不可欠なものとして要請する公教育が、利害関係のある住民の最も積極的な関与のもとで、上から下まで完全に自治的な機関によって行われる以外には、然るべき形で組織されることはできないのだということを証明している。例えば、鉄道のような近代的交通手段の建設が国家の中心から広大な地域へと普及していくのに適しているのに対し、公教育の課題は、当該の社会集団の活発で不断の参加なしには、どうしようもない問題である。第二に、公教育は、民族生活を織りなす横糸、つまり、それぞれの民族の独自の言語や精神文化と解き難く結びついている。したがって、公教育が、当該のそれぞれの民族の積極的な関与にしには創出されないことは明白である。」261-2P

「これがわが国における教育の百年以上にわたる独特な歴史の最終的な結果である。ポーランドの農民に経済的貧困とともに精神的貧困――完全な無知蒙昧――もたらしてきた僧侶とシュラフタの中世的な支配の下から、ポーランドは、絶対主義官僚の厚顔無知な支配の下に入った。・・・・・・その制度の内容とは、すなわち、絶対主義の特殊な財政制度によってもたらされた物質手段の欠如、絶対主義官僚制の全般的な精神的愚鈍(ママ)と徹底的な反啓蒙主義、国内自治、都市自治、農村自治といったあらゆる自治制度の欠如、そして最後に何よりもましてツァーリズムのロシア化傾向である。/このように、公教育の分野、特に初等教育の分野には、とりわけ、帝国の国家機構における全般的な民主主義的変革の上に作られる国内自治が解決すべき大きな焦眉の課題がある。わが国では、自治的な立法と権力は、公教育に関しては――ツァーリーの役人の漫画的な産物が除去された後には――まったくの白紙状態(「タブララサ」のルビ)のもとに置かれるだろう。そして、その上に初めて、土台から先端に至るまで――広汎な人民大衆の直接の参加のもとで――公教育の全体系が建設されなければならない。国内議会は、帝国全体の憲法と立法が確定するはずの、帝国全体に効力を持つ初頭教育の普遍的な原則にもとづいて、民主的で同時に民族的な公教育のあらゆる機関を創出しなければならないだろう。すなわち、普通教育や社会の要請に合致する専門教育の初等、中等、高等の各学校だけでなく、絶対主義の政治によって完全に無視されてき精神文化のすべての機関、つまり、図書館や公共読書室、研究施設や実験施設、研究活動への援助機関、美術学校や美術館などを作り出さなければならない。」283-5P

X 具体的課題B農業、林業、鉱業、水陸交通、医療と公共衛生――文化

ページ数を挙げておくと@農業285-290P、A林業290-1P、B鉱業291-2P、C水陸交通292-4P、D医療と公共衛生――文化294P

@ の冒頭リード文「公教育に続いて、自治議会の機能に属する対象となるはずのものは、

農業問題における調整立法である。帝国全体の所有関係の根本的な改革は、勝利した革命のみが行なえることであって、この場合の対象ではない。国内自治の権限を確定するに際して考慮しなければならないのは、社会生活の継続している日常的な利害である。農業経営の領域では、当然、それは工業生産と比べて一般的にかなり異なっている。」285-6P

「どこの国でも、工業生産は迅速に資本主義的な特徴を身につけ、市場競争によってそれをさらに拡大しながら、生産関係の平均化と、それに続いて出来るだけ広い範囲にわたる経済的な利害の統合と集中を目指している。これに対して農業は、一般に、生産と所有の伝統的な形態を保持し、それによって地方的独自性を広く保存しようとする、はるかに大きな保守性を示している。」286P

「この点で決定的なのは、農業が、食料を生産する抽出生産であり、一方では工業生産のもたらす道具の生産に依存し、また同時に自然条件とも結びついているという事情である。そして、農業のためのこの自然条件の改造――潅漑、沼沢の干拓、化学肥料、水力と電力の利用、そして交通・通信――も工業技術とその進歩に依存している。ここから、工業生産が社会経済の自立的で専門化した一部門として分離した時から、一般に農業生産を特徴づけている受動性と緩慢な発展速度が理解される。また、その時以来、経済的な進歩のあらゆるイニシアティヴがこの工業生産の側から生まれ、さらに、社会的な諸関係における変革がもたらされ、その結果として初めて変革が農業にも波及する。・・・・・・さらに一部では――こういう言い方が許されるとすれば――農業の工業化という直接的な形態をとりつつある。次に、農業生産が現在の世界市場で圧倒的な影響力と意義とを行使しているのに対し、この市場は逆に、これまで農業生産そのものの構造や運命には、それが工業生産の運命に対して作用するのとは比較にならないほど弱い作用しかしていないということを、確認しておかねばならない。世界市場における競争や変革が、個々の国の工業部門を形成したり、破滅させたり、迅速に再建したりして、結局は自らの影響力で最も厚い関税境界の壁を突破するのに対し、農業経営は、少なくともこれまでヨーロッパ諸国では、全体的に見てはるかに強力に世界交易や世界の穀物生産からの影響に対抗しえた。この証明となるのは、例えば、消費者的な性格のドイツや生産者的な性格のロシアという穀物交易に強く依存している二つの国では、ドイツには巨大な、ロシアにもかなり強力な資本主義的工業発展があるにもかかわらず、プロイセンの東エルベの諸関係とか、二〇世紀の革命が始まってやっと解体が終わるロシアの「農村共同体(「オプシチナ」のルビ)」のようなかなりの中世的遺物が保存されているという事実である。この二つの場合とも、明らかに国家が反動的な遺物の保存に強力に寄与したのであるが、この国家という政治的要因の果す役割については、部分的に、農業の生産諸関係そのもののなかで説明される。農業生産のこの相対的な持続性と外面的な不動性は、もちろん、農業においては、日常だれもが必要とし、ほとんど変わることもなく、代用品で置き代えることもできない最も必要不可欠な食料物質が生産されているという事情と関連している。つまり、資料品、家財道具、労働用具、装飾品が文化的な発達に応じて、その形態、素材、普及度に関してかなりの変化をこうむったし、今もそうであるのに対し、消費の基礎としての穀物や肉などの役割については、何千年もの間、何の変化もないままなのである。」286-7P・・・ローザは農業の軽視に陥っているという批判がなされています。むしろ負の変化ということも含めて、多くの変化が農業にこそもたらされているのでは? その軽視という意味も込めて(必要性ということは押さえていても、資本主義的生産制の発達というところに引きずられていて)、ローザも陥っている発達史観は(そのことは、後期マルクスがとらえ返そうとしていたオプシチナを、反動とか中世の遺物ととらえていることに端的に表れています)、ひとの生きるということの最も基本的な農業の軽視ということから来ていて、科学の環境破壊ということをもたらしたことへの批判とともに、サブシステンスという概念とともに現在的なとらえ返しが必要になっています。

A の冒頭リード文「農業と最も密接な関係にあるのは林業であるが、これもまた自治立法

と自治行政による調整を必要としている。」290P

B の冒頭リード文「農業や林業ととともに、当然鉱業も国内の自治権力の権限に属さね

ばならない・・・・・・」291P

「ただ、できるだけ広い意味での技術的・社会的な進歩と発展の傾向を助成することが問題なのである。」292P・・・発達史観的とらえ方

C の冒頭リード文「さらに、工業発展や農業の利害にとっても、また文化的発展全般の点

からも決定的な意味を持つのが水陸交通の問題である。この分野は、その性格からして地域的な問題に属しており、どこの国でもとりわけ広汎な自治機関の側からの保護とイニシアティヴを必要としている。だが、これまで、わが国でも、帝国全体でも、民主的な地方自治の欠如と巨大な全体主義的官僚装置による統治の全体的な性格の必然的な結果として、無視され、破滅の渕に沈み込んでいる。」292P

D の全文「これまで述べてきた諸領域に、公共衛生の立法と、病院やあらゆる種類の医療

機関を包括する公共衛生の領域を付け加えると、自治立法や自治行政の然るべき活動領域として、本来の文化、つまり経済的、社会的、精神的な文化の広汎で多様な分野が出そろうことになる。この文化は、その本質からして、どこでも最も地域的かつ民族的な性格を有し、全住民の日常的な利害に最も直接的に関わっている。この物質的かつ精神的な文化の広汎な利害を、できる限り、革命的な社会発展の立場で、また勤労者人民大衆の立場で処理することが、わが国の自治機構の本来の任務であり、ポーランド王国の労働者階級は、それと連帯した帝国全体のプロレタリアートの階級政党とともに、意識的にこれを掲げねばならない。」294P・・・中央集権化と資本主義的化が発達史感――進歩史観とリンクしていて、それへの批判がないのです。今日的に、環境問題や医療・衛生ということが大きな焦点になってきていて(ローザも「最も直接的に関わっている」と書いていますが)、そのことのとらえ返しが必要になります。

 訳注

 訳者解説 ローザ・ルクセンブルクの民族理論 加藤一夫

 この論攷はリードの文を除き、次に読む予定の加藤さんの本に収められています。そこでメモを残します。とても参考になる文。

 あとがき


(追記)

A 「ろう文化宣言」と(ローザ的な)民族問題把握

「ろう文化宣言」は、手話を音声言語とは別のろう者の言語とするなかで、民族問題からろう者の受ける差別を問題にしたのですが、そこで、内在的に孕んでいる「ろう者の国作り」や自治やコミュニティづくりの問題が出てきます。日本では「ろう者の国作り」の議論は起きていないのですが、「ろう者の国作り」に関しては、グローバリゼーションの時代に自治を獲得しても、下位――従属的関係に組み込まれる、というところでその方法の実現不利性――困難性の指摘があります。このことは、ローザが社会主義というところの必要性を強調して、分離的なナショナリズムを批判したいたことにもつながります。で、わたしは個別課題をそこへ集約しようとするローザの主張を障害概念での議論からもとらえ返ししようとしているのですが、むかし、ある手話通訳者(前述の通訳者とは別のひとです)が、「国際障害者年」の中で突き出されている「完全参加と平等」というスローガンに疑問を呈していたこととわたしの中でリンクしていました。「言葉が逆になっている、平等のないところに完全参加はない」という話です。わたしも「平等」のない参加は同化という抑圧型の差別を招くと押さえています。「ろう文化宣言」も、同化ということを批判しています。でも、そこで分離志向のデフナショナリズム的なことが出てくることも、わたしは批判しています。ただし、「手話は言語であり、情報・コミュニケーション保障はきちんとなさねばならない」という原則の貫徹を主張しています。このあたりのことで、「自己決定」や「自治」という議論が交叉していきます。

B 民族概念のとらえ返し

そもそも民族概念自体のとらえ返しの必要性。民族とは@言語を核とした文化A宗教B人種概念、を変数とする函数的概念。民族や自治概念で、特に必要になるのは、言語と文化の問題。宗教は「自然の不可解性」の物神化。人種は、格差や奴隷制や植民地支配の歴史や経済的収奪の中で起きてくる差別のマルクス的「物象化」概念からとらえ返すことが必要です。

C 社会主義革命と革命のための組織化としての反差別運動

 個別差別を解決するには、社会主義革命が必要であるということと、社会主義革命のためには、その民衆が生きて生活していく必要があり、また革命の組織化のためには個別運動が必要になるという、相作論的な弁証法がそこにあると言いえるでしょう。そのような内容を孕んだ民族自決権とその批判(弁証法では、「批判」は「対話」という原義からきているとされています)が必要です。結局、原則主義と現実主義の対話の中で、方針をだしていくしかないこと。



posted by たわし at 14:48| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする