2022年06月16日

カール・マルクス/山村喬訳『哲学の貧困』

たわしの読書メモ・・ブログ593
・カール・マルクス/山村喬訳『哲学の貧困』岩波文庫(岩波書店)1950
これは、マルクスが哲学から経済学へ焦点を移行していく過程の、プルードン批判を通じて、「最初のまとまった経済学的著書」(「解題」204P)として評価されています。マルクスはプルードンとの徹夜での議論などを経て、プルードンの『貧困の哲学』への批判としての本書をもってはっきりとプルードンと分岐していったのです。丁度、「共産党宣言」が出される前の年です。それは同時に、空想的社会主義者やアナーキスト批判を通しての唯物史観の形成過程です。当時はアナーキストがかなりの勢力をもっていて、その批判のなかで、マルクスの共産主義指向の運動を形成する必要があったのです。エンゲルスの序文にもあるように、まだ労働と労働力という概念の区別が曖昧であったり、利潤と利潤率という言葉遣いが曖昧性をもっていたのですが、ともかく、最初に本になった、経済学の書として、マルクスも後にこの本からの引用をしています。また、唯物史観や哲学的概念と経済学との対話ということもかなり突き出しているので、そういう意味でも貴重な文献です。マルクスのプルードンとの対話(批判)による、経済学的概念の深化、マルクスのアナーキスト・プルードンとの対話(批判)による唯物史観の煮詰めという内容をもった著なのです。
最初に目次をあげておきます。この本の目次には、最初の「訳者序」「凡例」「はしがき」(――マルクス)が記されていなく、また「解題」の後の「マルクスによる訂正について」も記されていません。
目次
第一章 科学上の一発見
第一節 効用価値と交換価値との対立
第二節 構成された価値もしくは総合価値
第三節 価値均衡の法則の適用
  (イ)貨幣
  (ロ)労働の剰余
第二章 経済学の形而上学
第一節 方法
   第一の考察
   第二の考察
   第三の考察
   第四の考察
   第五の考察
   第六の考察
   第七のそして最後の考察
第二節 分業と機械
第三節 競争と独占
第四節 土地所有もしくは地代
第五節 同盟と労働者団結
附録
ドイツ訳に対するエンゲルスの序文
カール・マルクスの観たプルードン
マルクスの著作「経済学批判」ベルリン、一八五九年からの抜粋(六一―六四頁)
アネンコフ宛のマルクスの手紙
訳者註
解題
 事項索引
人名索引

章や節、附録に沿った切り抜きを残します。
第一章 科学上の一発見
第一節 効用価値と交換価値との対立
「効用価値」13P・・・プルードンの文の引用としてだしているし、後には、この本の中24Pにも出てくる「使用価値」と表現されること。
「中世に於けるが如く、人々が剰余すなわち消費に対する生産の過剰のみを交換した時代もあった。」16P「なお、単に過剰のみでなく、あらゆる生産物、産業的存在が商業の手に移り、全生産物が交換に依存していた時代もあった。かかる交換の第二段階――二乗された売買価値――は如何にこれを説明すべきであろうか。」「最後に、人々が譲渡し得ないと考えていたあらゆるものが交換の対象となり取引の対象となり譲渡され得るに至った時代が来た。・・・・・・/更に、交換のこの新しい最後の段階――三乗された売買価値――は、如何にこれを説明すべきであろうか。」17P
「プルードン君の考えをよく理解して誤りなきを得るならば、その明らかにしようとするところは次の四つの点である。/第一 効用価値と交換価値とは「一つの驚くべきコントラスト」をなし、相対立するものである。/第二 効用価値と交換価値とは互いに反比例するものであり、相矛盾するものである。/第三 経済学者達は、この対立と矛盾とのいづれをも認めも知りもしなかった。/第四に プルードン君の批判は終りの方から始まる。」19P
「それ故に、交換価値と稀少さとは互いに置き換えてもいい言葉なのである。かくの如きいわゆる「極端な結論」に到達することにより、プルードン君は如何にも極端までおしやったが、そのおしやったものは事柄の内容ではなくて、これをあらわす言葉である。そしてそれによって彼が示したのは、論理よりも遙かに多く修辞である。彼が新しい結論を見出したと考えた時、彼は最初の仮説を全く元の赤裸々な姿で見出しているのである。同じ方法によって、彼はまた効用価値と純粋の豊富さとの同視をも成しとげている。」22P
「吾々は一方に効用(使用価値、供給)を持ち、他方に思料(交換価値、需要)を持つことになる。」24P
「それ故に、到達し得べき結果など存在しない。そこにあるのは、いわば通約することの不可能な二つの力の間の、効用と思料との間の、自由な買い手と自由な生産者との間の、一つの闘争である。」25P
「供給する人々の間の競争と需要する人々の間の競争とは、買い手と売り手との間の闘争に必要な一要素を形成し、そこから売買価値が生まれるのである。」28-9P
「後に至って、これまで避けていた要素の一つ、すなわち生産費を効用価値と交換価値との綜合として導いて来る手段を準備しようとしたのである。かくて同君の眼には、生産費が綜合価値もしくは構成された価値を構成する。」29-30P・・・マルクスの構成主義
第二節 構成された価値もしくは総合価値・・・リカードを援用したプルードン批判
「「(売買)価値は経済的建物の礎石である。」「構成された」価値は経済的矛盾の体系の礎石である。」30P
「これが綜合価値の全く出来上がっている歴史である。すなわちア・スミスにあっては漠然とした直感、ジェー・ペー・セーにあっては二律背反、プルードン君にあっては構成的で「構成された」真理、というわけである。そして誤解しないようにして欲しい。セーからプルードン君に至る他の総ての経済学者は二律背反という轍の中をはい歩いたに過ぎないのである。」31P
「労働時間による価値の決定は、リカードにとっては、交換価値の法則である。プルードン君にとっては、それは効用価値と交換価値との綜合である。リカードの価値理論は現在の経済生活の科学的解釈であるが、プルードン君の価値理論はリカードの理論の空想的解釈である。」38P・・・物象化された相での価値法則
「以上を要約しよう。労働は、それ自身商品であるから、商品としての労働を生産するに要する労働時間によってその価値が測られる。では商品としての労働を生産するには何が必要であるか。労働の不断の維持に、言いかえれば労働者を生活させその子孫を繁殖させ得るために欠き得ない品物を生産するに要する正にそれだけの労働時間である。労働の自然価格は賃金の最低限に外ならない。」40P・・・商品なのは労働力
「かくて、労働時間によって測られる相対的価値ということは、必然的に労働者の近代的奴隷制の公式なのであって、プルードン君が欲するように、プロレタリア解放の「革命的理論」ではないのである。」41P
「プルードン君が二つの尺度――或る商品の生産に必要な労働時間による尺度と労働の価値による尺度――を混同していることは疑いがない。」46P
「労働は、労働力は、それが売られたり買われたりする限りに於いて、あらゆる商品と同じく一つの商品である、従って一つの交換価値を持つ。」49P――太字は「マルクスによる訂正について」で書き加えられている文。――マルクスのまだ分別されていない概念――エンゲルス序文と訳者の指摘
「商品の価値を労働によって測りながら、プルードン君は、その同じ尺度から価値を持つ限りに於ての労働すなわち商品としての労働を除外するの不可能なことに漠然とではあるが気がついている。それは最低の賃金を直接労働の自然的正常的価格とすることであり、それは社会の現状を承認することであることを、彼は予感している。それ故に、この致命的帰結から免れるため、彼は方向転換をやって、労働は商品ではないこと、それは一つの価値を持ち得ないことを主張する。彼は、自ら尺度として労働の価値を採用したことを忘れている。彼は、彼の全体系は商品としての労働の上に、とりかえられ売買され生産物と交換される労働の上に、最後に労働者にとって所得の直接の源泉で或る労働の上に、基づくことを忘れている。彼はすべてを忘れているのである。」50-1P・・・商品なのは労働ではなく労働力、この時代のマルクスはまだ混同していた
「ここで吾々は、「構成された価値」の一つの新しい限定に到達する。/「価値は、富を構成する生産物の均衡関係である。」」51P
「プルードン君は事の順序を転倒する。彼はいう、先ず一つの生産物の相対的価値をそこに固定された労働量によって測れ、しからば供給と需要とは必然的に均衡を得るに至るであろう。生産は消費に対応するであろう、生産物は常に交換されるであろう、その日常的な価格はその価値をあらわすであろう。総ての人とともに、好いお天気には多くの人が散歩するとはいわないで、プルードン君は、自己の周囲の人々に好いお天気を保証するために先ずそれらの人々を散歩させるのである。」52P
「(上述述べてきたところによると)要するに、労働時間による価値の決定、すなわちプルードン君が将来の再生の公式として吾々に示した公式は、だから、プルードン君より遙か以前にリカードがはっきりとあざやかに説明しているように、現社会の経済的関係の科学的表現に過ぎない。」63P――太字は「マルクスによる訂正について」で書き加えられている文。太字の前の( )は書き加えられたとき消去された文。(以下、同様)
「イギリスの一共産主義者プレイ氏」の話64-77P
「そこには、ポールの地位を獲得せんとする競争――怠惰の競争――が生じるであろう。」74P
「最初は、生産物の交換はなく、生産に協力する労働の交換があるのである。生産力の交換様式に生産物の交換様式が依存するのである。一般に、生産物の交換形態は生産形態に対応する。後者を変更せよ、然らば前者もその結果として変更されるであろう。これ吾々が、社会の歴史に於て、生産物を交換する様式がこれを生産する様式によって規制されるのを見る所以である。個人的交換も亦、それ自身階級敵対に照応する一定の生産様式に対応する。かくして、階級敵対なくして個人的交換はあり得ない。」76P
「プレイ氏は、正直なブルジョアのこの幻想を氏が実現せんと欲する理想たらしめている。個人的交換を浄化することにより、その中に見出される総ての敵対的要素をそれからとり去ることにより、氏はその社会に導入せんと欲する「平等主義的」関係を見出し得ると考えている。/プレイ氏は、この平等主義的関係――彼が社会に実現と欲するこの改良の理想――はそれ自身社会の反映に過ぎないこと、従ってひとつの美化された影に過ぎない基礎の上に社会を改造するの全く不可能なこと、を(考えない)認めない。この影がその実態を明かにするに従って、人々、この実体が夢想されているその変容であるどころではなくそれは実に社会の現実体であることに気がつくのである。」76-7P
第三節 価値均衡の法則の適用・・・哲学と経済学を結ぶ、存命中に表に出た本
  (イ)貨幣
「これに反して、彼は恐らく、この関係は一つの環であってかかるものとして他の経済的諸関係の全連鎖に密接にむすびついているものであること、この関係は個人的交換と全く同様に一定の生産様式に対応するものであることを認めたであろう。しかし彼はどうしたか。彼は先ず現在の生産様式の全体から貨幣を引離し、これを後になって想像上の一系列――これから再び探し出すべき一系列――の最初の部分たらしめているのである。」80P
「君主が金と銀とを占領して、彼の印を押すことによってこれを一般的交換媒介物たらしめたのであるか、或は又それらの一般的交換媒介物がむしろ君主を占領して、彼をそれらにその印を押し以て一つの政治的聖化を与えることを余儀なくしたのではないか。」84P・・・むしろ相作性と規定性、唯物史観
  (ロ)労働の剰余
「彼は社会を一つの社会人間とした。」93P・・・「社会」の人格化による実体化――物象化
「プルードン君は、社会人間にプロメシウスの名前を与え、その偉業を次のような言葉でほめたたえる」103P
「では最後に、プルードン君がよみがえらせているあのプロメシウスなるものは一体何か。それは社会であり、階級敵対に基礎を置く社会的諸関係である。それらの関係は、個人の個人に対する関係ではなくて、労働者の資本家に対する関係、小作者の地主に対する関係等である。」106P
「集団的な富、公共の財産とは一体何であるか。それはブルジョアジーの富であって、個々別々のブルジョアのそれではない。そうだ! 経済学者達は、現存する如き生産諸関係に於て如何にしてブルジョアジーの富が発展したかそしてなお増加しなければならないかを証明したに過ぎない。労働者階級に至っては、彼等の状態がいわゆる公共財産の増加の結果改善されたかどうかはなお烈しい議論のある問題である。」107P
第二章 経済学の形而上学
第一節 方法
「今や吾々はドイツの真只中に来た! これからは、経済学を論じつつ形而上学を論じなければならない。」109P
「イギリス人が人を帽子に変形するとしたならば、ドイツ人は帽子を観念に変形する。イギリス人とは、富める銀行家ですぐれた経済学者たるリカードであり、ドイツ人とは、単なるベルリン大学の一哲学教授たるヘーゲルを意味する。」109P
「最後の専制君主でフランス王国没落の代表者であったルイ十五世は、一人の医者を傍らに侍らせていたが、この医者こそはフランスの最初の経済学者であったのである。この医者、この経済学者は、フランスのフルジョアジーの間近にせまった確実な勝利を代表していた。彼ドクトル・ケネーは、経済学を一つの科学たらしめた。彼はそれを彼の有名な『経済表』の中に要約している。この表について現われた無数の解説の外に、吾々はドクトル自身の手になる一つの解説を持つ。それは『経済表の分析』であって、それには「七つの重要な考察」がついている。/プルードン君は、今一人のドクトル・ケネーだ。それは経済学の形而上学のケネーである。」109-10P・・・「七つの重要な考察」に照応する次の七つの考察?
   第一の考察
「経済学者達は、それらの与えられた関係の下で人々が如何にして生産するかを吾々に説明する。しかし彼等が吾々に説明してくれないのは、如何にしてそれらの関係が生ずるかということ、すなわちそれらの関係を生んだ歴史的運動これである。・・・・・・しかし吾々が生産的関係――範疇はその理論的な表現に過ぎない――の歴史的運動を探求しなくなるや否や、吾々がそれらの範疇の中に現実の諸関係とは独立した自主的な観念や思想しか見なくなるや否や、吾々はそれらの思想の起源を純粋理性の運動の中に求めざるを得なくなる。」111P
   第二の考察・・・唯物史観
「経済的範疇は、社会的生産諸関係の理論的表現であり抽象であるに過ぎない。真の哲学者としてのプルードン君は、事柄をあべこべにとって、現実の諸関係を、やはり哲学者としてのプルードン君のいうところによると「人間の非人格的理性」のふところに眠っていたそれらの原理、それらの範疇の化身に過ぎないものと考えている。/しかし経済学者としてのプルードン君は、人間が羅沙や布や絹布やを一定の生産諸関係の下につくるということを極めてよく理解している。・・・・・・社会的諸関係は生産諸力と密接に連結する。新たな生産諸力を獲得するとともに、人間は彼等の生産様式を変更する。そして生産様式を、生産資料獲得方法を、変更するとともに、彼等はあらゆる彼等の社会的諸関係を変更する。」117P
「かくて、それらの観念、それらの範疇は、そのあらわす諸関係と同じく極めて非永久的なものである。それらのものは、歴史的で一時的な産物である。/生産諸力は増大せんとする、社会的諸関係は破壊されんとする、諸観念は形成されんとする、不断の運動が存在する、恒久不変なものはただ運動の抽象――mors immortalis(死せざる死)――あるのみである。」117-8P
   第三の考察
   第四の考察
   第五の考察
   第六の考察
「先には反措定が解毒剤に変わったのと同様に、措定が今度は仮定になる。」129P
「このただ一つの公式はプルードン君の真の発見にかかるものである。それはすなわち構成された価値である。」120P
「言いかえれば、平等がプルードン君の理想だからである。彼は、分業や信用や工業などあらゆる経済的関係は平等のためにのみ発明されたのであるがしかしそれらは結局常に平等に逆らうことになってしまったと考えている。歴史とプルードン君の擬制とが一歩ごとに矛盾することから、彼はそこに矛盾があると結論する。もし矛盾があるとしたならば、それはただ彼の固定した観念と現実の運動との間に存するにすぎない。」130P
「要約すれば、平等は、社会的天才が経済的諸矛盾の圏内を経めぐりつつ絶えず眼の前に置く原初的の意図、神秘的な傾向、神慮による目的なのである。それ故に、神慮は、プルードン君の総ての経済学的知識を、彼の純粋で気のぬけた理性よりもよりよく進行させる機関車だといってよい。彼は、租税の章につづく全一章を神慮のために捧げている。」130P
    第七のそして最後の考察
「経済学者達は一つの奇妙なやり方をする。彼等にはただ二種類の制度――人為的なそれと自然的なそれ――しか存在しない。封建の諸制度は人為的な制度であり、ブルジョアの諸制度は自然的な制度である。彼等はこの点で神学者に似ている。」132P・・・「自然」という物象化
「この敵対的性質が明かとなればなるほど、ブルジョア的生産化の科学的代表者である経済学者達は、いよいよ彼等自身の理論と衝突するようになる。そしていろいろな学派が形成される。」136P――「いろいろ学派」@「宿命派――古典派とロマン派」A「人道派」B「博愛主義派」(「完成した人道派」――「彼等は、まじめにブルジョア的実際と戦いつつあると考えている。しかも彼等は他のどの学派よりもブルジョア階級的なのである。」138P)・・・融和主義としての「人道派」と「博愛主義派」
「経済学者達がブルジョア階級の科学的代表者なのと同様に、社会主義者達と共産主義者達とはプロレタリア階級の理論家なのである。プロレタリアが自ら階級を構成するほど未だ十分に発達していない間は、従ってプロレタリアとブルシジョアジーとの闘争そのものが未だ一つの政治的性質を帯びない間は、プロレタリア解放と新社会建設とに必要な物質的諸条件を窺知せしめるに十分なほどブルジョアジーそのものの胎内に生産諸力が未だ発達していない間は、それらの理論家はただ、被抑圧階級の欠乏を予防するため諸種の制度を俄かづくりし、革新的な一科学を追い求める空想家であるに過ぎない。しかし歴史が進行するにつれて、そしてそれとともにプロレタリアの闘争が一層その姿を明白ならしめるに従って、彼等はもはや彼等の精神の中に科学を求める必要はない。彼等はただ、彼等の眼前に起る事柄を了解し自らこれが器官となりさえすればよいのである。彼等が科学を追い求め、ただ諸種の制度だけしかつくらない間は、彼等が闘争の初期にある間は、彼等は貧困の中にただ貧困を見るのみであって、旧社会をくつがえしたその革命的破壊的方向を見るに至らない。しかしここに至ったその瞬間から、歴史的運動によって作られたそして原因の十分な認識を以てこれと結合する科学は、もはや空理空論的なものではなくなり、革命的なものとなって来ているのである。」138-9P
「かくの如くにしてプルードン君は、経済学と共産主義とを批判し得たりとうぬぼれている。ところが彼はいずれもの下位に立つ。経済学者達の下位に立つのは、掌中に一つの魔術的公式を持つ哲学者として彼は純粋に経済的な諸細目に入ることを省略し得ると考えた故であり、社会主義者達の下位に立つのは、思弁的にのみでもブルジョアの水準以上に出るに十分な勇気もなければ十分な知識も持たないが故である。/彼は綜合たらんと欲している。しかし、彼は一つの組成された誤謬である。/彼は科学者としてブルジョアとプロレタリアの上を天がけろうとしている。ところが彼は、資本と労働の間を、経済学と共産主義との間を絶えずゆれ動くプチ・ブルジョアに過ぎない。」139P
第二節 分業と機械
「分業は、プルードン君に従うと、一つの永久的法則であり一つの単純にして抽象的な範疇である。従って、又、彼にとっては抽象と観念と言葉とが歴史上の各時代に於ける分業を説明するに十分でなければならない。カーストやコルポラシオンや工場手工業制度や大工業は、分かつという一語のみで説明されなければならない。最初に分つという語の意味をよく研究せよ、しからば諸君は、時代、時代で一定の性質を分業に与えた多数の影響力を研究するの必要を見ないであろう。」146-7P・・・廣松さんの函数的連関項的とらえ方に通じる話
(プルードンの引用)「セーは、分業に於ては利益を生ずるのと同一の原因がまた弊害を生むということを認めるところまで行っている。」142P
(プルードンの引用におけるアダム・スミス)「成熟期に達した時各種職業の人々を差異あらしめるように見えるかく異なったそれらの性質は、分業の原因というよりもむしろ分業の結果である。」142P
「文献的展望を終るに際し、吾々ははっきりと、「総ての経済学者が分業の弊害よりも利益の方をはるかに強調している」ということを否定する。それにはシスモンディの名をあげれば十分である。」144P
(プルードンの歴史)「哲学の後には歴史が来る。それはもはや、記述的な歴史でもなくまた弁証法的な歴史でもない。それは比較史である。」145P
「市場の拡大、資本の蓄積、諸階級の社会的地位に生じた変化、収入の源泉を奪われた一群の人々、かくの如きがそれぞれ工場手工業成立の歴史的条件となったのである。人々を工場に集めたものは、プルードン君のいう如く、平等者間の平和的な約束ではなかった。工場手工業が生まれたのは旧いコルポラシオンの胎内からでさえもなかった。近代的工場の主人となったのは商人であって、旧いコルポラシオンの親方ではなかった。ほとんど到るところ、工業手工業と手工業との間には烈しい闘争があったのである。」152-3P
「分業の大きな進歩がイギリスでは機械の発明に始まったことは、今さら想起する必要を見ない。」155P
「プルードン君が機械の発明とその原始的応用との中に見出している博愛主義的な神慮による目的については、これを語る必要があるだろうか。」155-6P
「近代社会に於ける分業の特徴は、それが職業の専門を、専門の人々を、そしてそれとともに職業の白痴(ママ)を、つくり出す点にある。」160P
「自動装置工場に於ける分業の特徴は、そこでは労働が総ての専門的性質を失っていることである。しかしあらゆる専門的発達がやむや否や、普遍性の必要が、個人の欠くるところなき発達への傾向が、感ぜられ始める。自動装置工場は専門家と職業の白痴(ママ)とを消失させる。」161P
「要するに、プルードン君はプチ・ブルジョアの理想を一歩も出ていない。そしてこの理想を実現するために、彼は吾々を中世の職人仲間に、せいぜいで親方職人に引戻すこと以上の良法を他に思いつかないのである。彼はその著書の或る個所でいう、一生涯にただ一度一つの傑作をつくったならば、ただ一度人間とであることを感じたならば、十分であると。これ正に、形式からいっても内容からいっても中世のコルポラシオンの要求した傑作そのものではないか。」161P
第三節 競争と独占
「競争は、産業上の張合いではなく、商業上の張合いである。今日では、産業上の張合いは商業をめあてとしてのみ存在する。近代諸国民の経済生活に於ては、総ての人々が生産することなしに利潤を得んとする一種の迷妄に捕えられる段階さえある。周期的に再現するかかる投機の迷妄は、産業上の張合いの必然性からのがれんと努める競争の真の性質を赤裸々に示している。」163-4P
「それ故に、近代的独占は一つの単なる反措定ではない。これに反してそれは真の綜合なのである。/措定――競争に先だつ封建的独占/反措定――競争/綜合――近代的独占。これは、それが競争制度を前提にする限りに於ては封建的独占の否定であり、それが独占たる限りに於ては競争の否定である。」170P
第四節 土地所有もしくは地代
「歴史上の各の時代に於て、所有は異った仕方でそして全く異った社会的諸関係の一系列の中で発達した。かくて、ブルジョア的生産のあらゆる社会的諸関係を説明することに外ならない。/所有の定義を下すに当り、所有を一つの独立した関係、一つの別箇の範疇、一つの抽象的で永久的な観念であるかの如くに見做さんと欲することは、形而上学もしくは法律学の一幻想でしかあり得ない。/プルードン君は、全く所有一般を論ずるような風を装いながら、土地所有と地代とをしか論じていない。」174P
「プルードン君のいう農夫しか存在しなかった間は、地代なるものは存在しなかった。」180P
第五節 同盟と労働者団結
「これに反してプルードン君は、団結が一般的物質欠乏を惹起すべき賃金騰貴をもたらすことをおそれて、彼等に団結を禁じている。いうまでもないことであるが、職工長達とプルードン君との間にはただ一つの点については心からの一致がある。それは、賃金の騰貴は生産物の価格の騰貴に等しいということである。/しかし物質欠乏のおそれ、これがプルードン君の悪感情の真の原因であろうか。否、・・・・・・」194P
「経済学者達と社会主義者達とは一つの点で一致する。それは団結を非難することである。ただ彼等の非難は非難の理由を異にする。」195P――「社会主義者達」にエンゲルスの註があり、「それは、当時のフランスに於けるフーリエ主義者、イギリスにおけるオゥエン主義者のことである。」・・・マルクスはそもそも、「社会主義者」という言葉を空想的社会主義者やアナーキスト社会主義者を批判する時に使用していて、自らは共産主義を突き出していました。
「この闘争――真の内乱――の中に、将来の戦いに必要なあらゆる要素が結合し発達する。一度この点に達すると、組合は一つの政治的性質を帯びて来る。」198P
「幾らかの形相のみしか述べなかった上記の闘争に於て、この大衆が相結合する、それは自ら自身のための階級を構成する。その擁護する利害は階級の利害となって来る。しか階級と階級との闘争は一つの政治闘争である。」198P
「被圧迫階級が解放され得んがためには、既得の生産諸力と現存の社会諸関係とがもはや相並んで存在し得ないということにならなければならない。あらゆる生産用具の中で、最大の生産力は革命的階級そのものである。革命的諸要素の階級としての組織は、旧社会の胎内に生じ得たあらゆる生産力の存在を前提する。」199P
「労働者階級解放の条件は、あらゆる階級の廃止である。それはあたかも第三身分(「ティエール・ゼタ」のルビ)すなわちブルジョア階層の解放の条件があらゆる身分とあらゆる階層との廃止であったのと同じである。」200P
「労働者階級は、その発展の道程に於て、旧市民社会に代うるに階級と階級敵対とをなくなすべき一つの結社を以てするであろう。そしてもはや固有の意味の政治的権力なるものはなくなってしまう。蓋し政治権力とは正に市民社会に於ける階級敵対の公の要約なのだから。/それまでは、プロレタリアとブルジョアジーとの敵対は一つの階級と階級との闘争であり、その最高の表現に於ては一つの全体的革命となる闘争である。しかしながら、階級の対立に基礎を置く一つの社会が最後の解決としての乱暴な反対に、一つの肉体と肉体との衝突に、到達することに驚く必要があるだろうか。/社会運動は政治運動を排除するといってはならない。同時に社会運動でない政治運動なるものは決してないのである。/もはや階級も、階級敵対もない状態になって初めて、社会進化は政治革命ではなくなるであろう。/それまでは、社会の一般的改造の各の前夜に於て、社会科学の最後の言葉は常に左の如くであろう。/「戦いか然らずんば死。血みどろの闘争か然らずんば無。かくの如くに、問題は厳として課せられている。 ジョルジュ・サンド」」200-1P・・・よく使われる、わたしも何度も使用している最後のフレーズです。今日、今日、ミャンマーのクーデターを起こした軍事政権の暴圧の中で非暴力主義の運動を担っていたひとたちが、少数民族の解放闘争に参画して武装闘争を展開しているひとたちのことを、このフレーズから想起していたのです。
附録
ドイツ訳に対するエンゲルスの序文・・・ロードベルトゥスのマルクスへの剽窃という批判への応答、ロードベルトゥスの労働貨幣論批判
エンゲルスは、マルクスとの協同作業において、初期においては、かなり領導的役割を果たしていて、マルクスに経済学的学習の必要性を提起したのはエンゲルスだとも言われています。ですが、後に深化の作業はマルクス、その解説、分かりやすい解説をエンゲルスが担うという役割分担のようなことが生まれてきました。ただ、自然科学的なことや弁証法に関する法則化というようなことにオリジナリティを発揮してはいたのですが、図式化、弁証法のヘーゲルへの先祖返りというような批判も出て、マルクスとの乖離も指摘されています。
この序文も、マルクスの解説者としての役割を十分に発揮しています。
「すなわち彼(ロードベルトゥス)は、労働、資本、価値等の経済的諸範疇を、経済学者達が彼に伝えたままの素朴な形態に於て、なんらその内容を探究することなくその外観にとらわれた形態の下に、採用しているのである。かくて彼は、六十四年来しばしば繰返されたそれらの命題から初めて何物かをつくり出したマルクスと反対に、ただにそれらの範疇をより完全に発展させるあらゆる手段を自ら禁じたのみでなく、後述の如くユートピアへと真すぐに進む道へと入りこんだのである。/労働者に対して彼等の生産物たる社会的生産の全体は彼等のみがその真の生産者たるが故に彼等に属すると説くリカード理論の前述の適用は、まっすぐに共産主義へと導いて行く。しかしながら、これが亦マルクスが上記の箇所で示しているように、それは経済学的にいうならば形式上誤っている。何故なら、それは単に道徳を経済学に適用したものに過ぎないから。」208-9P
「これ蓋し、その著書の第一行から彼はまっすぐに労働貨幣のユートピアへと直行し、価値形成者としての労働に対するあらゆる分析はその途上に越え難き暗礁を撤布せざるを得なかったからに外ならない。彼の本能は、ここでは彼の抽象力より遙かに強かったのである。なお序でにいうが、抽象力なるものはロードベルトゥスにあっては思想の最も具体的な貧弱さに依ってのみ見出されるのである。」214P
(註として)「恐慌に先だつ一般的好況期は必ずしも常に現われないであろう。もしそれが現われない場合には、軽微な変動を伴う慢性的な沈滞が近代的産業の正常状態となるに至るであろう。」220P
「従って、ロードベルトゥスが労働貨幣ユートピアで持ち出ししている何等か新しいすべてのものは、子供らしいものであり、彼の前に出たものたると後に出たものたるとを問わず彼の多くの競争者達の業績に比し遙かに劣ったものである。」223P
「何故なら、彼は最初からリカードの他の方向――ユートピアの方向――へと発展させて行ったのだから。かくて、それはあらゆる批判の条件たる不羈独立性を失うことを意味する。そこでロードベルトゥスは、予め定められた目標を抱いて研究に従事した。彼は一種の傾向ある経済学者となった。一度びそのユートピアに囚われると、彼は科学的進歩のあらゆる可能性を自ら遮断してしまった。一八四二年からその死に至るまで、彼は同じ圏内をぐるぐる廻り、既に彼以前の諸著作中に明示又は暗示されたのと同じ思想を繰返し、人から無視されたと感じ、剽窃すべき何物も存しないのに剽窃されたと考え、そして最後に、結局彼の発見したものは既に遙か以前に発見されたものに過ぎないという明かな事実に故意に目を閉じていたのである。」224P
「本書に於ける用語が必ずしも常に『資本論』のそれと一致しないのは、ほとんど注意する必要を見ない。本書ではまだ労働力といわないで商品としての労働とか労働の購買及び販売とかいっている。」224-5P
カール・マルクスの観たプルードン
 マルクスの『哲学の貧困』以前に書かれたプルードン批判、簡潔なプルードン批判です。
「彼がその著書を知っているフランスの社会主義者達や共産主義者達はもちろん、いろいろな見地から財産を批判していたのみでなく、これを空想的に止揚していた。彼の著書の中でのプルードンのサン・シモンとフーリエとに対する関係は、ほぼフォイエルバッハがヘーゲルに対する関係に等しい。ヘーゲルに比べるとフォイエルバッハは極めて貧弱である。しかし、ヘーゲル以後に於ては、彼は一時期を画した。何故なら、彼は、キリスト教的良心にとっては不愉快で哲学的批判の進歩にとっては重要な然しヘーゲルによって神秘的な明暗の中に残された諸点をはっきりさせたからである。」227-8P
「経済学の聖堂に彼が手をかける際の挑戦的な大胆さ、ブルジョアの平凡な常識を嘲弄する際の機智に富む逆説、その骨を刺すような批判、その辛らつな皮肉、あちこちに見られる現存秩序の醜汚に対する深く真実な反抗感情、その革命的精神、かくの如きが『財産とは何か』の読者を感激させ、この書の出現以来一つの強力な衝動を与えて来たものなのである。厳密に科学的な経済学史に於ては、この書はほとんどその名をあげるにも値しないであろう。」228P
「しかし、彼の偶像破壊者的態度にも拘らず、既にこの最初の著作の中に、吾々は、プルードンが一方に於てはフランスの小農(後にはプチ・ブルジョア)の見地から又小農の眼を以て社会を批判し、他方に於ては社会主義者達が彼に伝えた標準を社会にあてはめるというあの矛盾を見出すのである。」229P
「プルードンはそれらの経済的諸関係の全体を財産の法律的概念に従属させたので、彼は、一七八九年以前にブリッソによって同じような語「財産とは盗奪である」によって与えられた答え以上に進むことが出来なかったのである。」230P
「すべてのこれらのことから引出し得る結論は、盗奪に関するブルジョアの法律的諸概念はその正直な利潤にも亦よくあてはまるということである。他方に於て、盗奪は財産の侵害たる限りに於て、財産を前提としているので、プルードンは、真のブルジョア財産についてのあらゆる種類の混乱した架空の概念の中にもつれこんでいるのである。」230P・・・プルードンは感性的に「財産とは盗奪」と押さえた。マルクスはそれを「労働」と「労働力」という概念で分析し、その秘密を「搾取」という概念で解き明かし、理論化した。
「一八四四年、私がパリに滞在していた頃、私はプルードンと親交関係を結んでいた。私がそのことを思い出すのは、彼の「ごまかし」(「ソフィスティカシオン」のルビ)――イギリスが或る商品の偽造を示すために用いる言葉――には或る程度まで私に責任があるからである。しばしば夜を徹して行われた長い議論の中で、私は彼にヘーゲル主義を注ぎこんだ。非常に不利なことには、ドイツ語を知らないので、彼はヘーゲル主義を徹底的に研究し得なかったのである。」230P
「しかしまもなく忌憚のない批評は彼の上に(私の『哲学の貧困』パリ、一八四七年の中で)加えられた、そしてそのため吾々の友好関係は永久に終りを告げたのである。」231P
「実に、プルードンは、この書物を出版した後に、初めて彼の経済学の研究を始めたのであった。彼は、彼の提起した問題を解決するためには、罵言によってではなくて近代経済学の分析によって答える必要のあったことを発見したのであった。」231P
「すなわち、経済学的諸範疇を物質的生産関係の一定の発展段階に照応する歴史的生産関係の理論的表現として考察する代わりに、彼の想像力はそれらを一切の現実に先立って存在する永久的諸観念に変形し、かくして、一回りして彼はその出発点たるブルジョア経済学の見地に戻っているのである。」232P
「それから私は、彼がその批判を企てた経済学の彼の知識が如何に欠陥多く幼稚なものであるか、歴史的な運動――社会解放の物質的諸条件をそれ自身作り出すべき運動――の批判的知識から科学を引出すことをしないで、彼が如何に空想家とともに、「社会問題の解決」のため全く出来上がった形式を彼に提供するような一つの所謂「科学」を探求しようとしたか、を示したのである。」232P
「彼は公式を探し求める人間である。かくの如くしてプルードン君は、経済学と共産主義とを批判し得たりとうぬぼれている。ところが彼はいずれもの下位に立つ。経済学者達の下位に立つのは、掌中に一つの魔術的公式を持つ哲学者として彼は純粋に経済的な諸細目に入ることを省略し得ると考えたが故であり、社会主義者達の下位に立つのは、思弁的にのみでもブルジョアの水準以上に出るに十分な勇気もなければ十分な知識も持たないが故である。/「……彼は科学者としてブルジョアとプロレタリアとの上を天がけろうと欲している。ところが彼は、資本と労働との間を、経済学と共産主義との間を絶えずゆれ動くプチ・ブルジョアに過ぎないのである。」」233P
「しかし、忘れてはならないことは、私がプルードンの著書はプチ・ブルジョア社会主義の経典に過ぎないことを宣言し且つ理論的に証明した時、正にその同じプルードンが当時の経済学者達と社会主義者達とから一斉に烈しい革命家として呪われていたということである。」233-4P
「実際、二月革命はプルードンにとっては極めて都合の悪い時に勃発した。というのは、彼はその二、三週間前に「革命の時代」は永遠に過ぎ去ってしまったことを駁論され得ないまでに正に証明したばかりであったから。しかしながら、国民議会に於ける彼の態度は、称讃にのみ値するものである。」235P
「しかし利付資本を資本の主要形態なりと考えること、しかし信用の特殊の応用いわゆる利子廃止を社会変革の基礎たらしめようと欲すること――これこそ全く一つの小商人的な空想である。それ故に、既に十七世紀のイギリスのプチ・ブルジョアジーの経済学的代表者に於て、かかる空想が熱情もて刻苦作成されているのを見出すのである。利付資本についてのバスティアとプルードンとの論争(一八五〇年)は、『貧困の哲学』よりも遙かにまずいものである。彼はバスティアによってさえも完全にたたかれている。そして彼の論敵が彼に一撃を加える度毎に滑稽な様子で叫んだりわめいたりしている。」236P
「数年前にプルードンは、租税に関する一つの論文を書いた。たしかヴォー県庁が募集した懸賞論文であったかと思う。この論文では彼の天才の最後のひらめきは消え失せていて、彼は全くまじりけのないプチ・ブルジョアでしかなくなっている。」236P
「しかしながら、宗教と教会とに対する彼の攻撃は、フランスの社会主義者達が彼等の宗教感情を十八世紀のヴォルテール主義と十九世紀のドイツ無神論とに対する一つの優越として自負していた時代にあっては、一つの大きな地方的功績を持っていた。」237P
「もはや単に悪書とのみ考え得ないで全く卑劣な行為と考えられるもの――しかしながらプチ・ブルジョアの精神とは完全に一致したもの――は、それはクーデタに関する書物――その中で彼はルイ・ボナパルトにこび、ボナパルトをフランスの労働者をして支持せしめんと努力している――であり、反ポーランド的な書物――そこではツアーに敬意を表して白痴(ママ)のような破廉恥を以てポーランドを論じている――である。」237P
「人はしばしばプルードンをジァン・ジァック・ルーソーに比較して来た。これ以上の誤りはない。彼はむしろニコラ・ランゲ――その『民法の理論』はしかし一つの天才的な著作である――に似ている。」237P
「プルードンの性格は彼を弁証法に赴かせた。しかし科学的弁証法を決して理解したことはなかったので、彼は詭弁に到達したのみである。実に、このことは彼のプチ・ブルジョアの見地から生じている。プチ・ブルジョアは、わが歴史家ラウマーと全く同じく、常にあちら側から論じたりこちら側から論じたりする。相反し相矛盾する二つの流れが彼の物質的利益を、従って彼の政策を、彼の宗教的科学的美的見解を、彼の道徳を、要するに彼の全存在を支配する。彼は生ける矛盾である。それのみでなく、彼がプルードンの如く一人の才人である場合には、彼はやがて彼自身の矛盾をごまかし、それを事情に従い奇抜できざでしばしば派手な逆説までつくりあげる。科学的瞞着と政治的妥協とは、かかる見地から相反し相矛盾する二つの流れが彼の相分ち得ないものである。そこにはもはやただ一つの動機すなわち個人の虚栄心しか残っていない。そして総ての虚栄の徒に於けると同じく、その瞬間の効果、その日の成功しかしかもはや問題にならない。従って、例えばルソーの如き人をあらゆる現存権力との妥協から――外見上の妥協さえから――救った単なる道徳的触感は必然的に消失する。」237-8P
「恐らく、後世の人々は、フランス史のこの最近の時代の特徴を示すために、ルイ・ボナパルトはこの時代のナポレオンであった、プルードンはこの時代のルーソー・ヴォルテールであったということであろう。」238P
マルクスの著作「経済学批判」ベルリン、一八五九年からの抜粋(六一―六四頁)
ジョン・グレイの労働貨幣論批判の文・・・労働貨幣論は労働価値説という物象化された資本主義的生産の論理から抜け出せていない。
アネンコフ宛のマルクスの手紙
 小引・・・訳者作成
「それは、弁証法的な考え方と科学的な批判との立派な模範であって、内容から見て『哲学の貧困』の序説と云って差し支えない。」245P
アンネコフは、「ロシアの文学者。海外で生活することが多かったので、マルクスと知り合い、友人となった。この友人関係以外には彼は社会主義と何等の関係も持たなかった。」(訳者註(一二九)287P)
 本文の抜き書きメモ
「プルードン君は、彼は今日の社会状勢をそのengrènement噛み合い(関連)に於て理解し得ないから一つの荒唐無稽な哲学理論を吾々に与えるのである。」248P
「何故にプルードン君は、決して誤ることのない。そしてあらゆる時代を通じて同一であり、真理を知るためにはそれについて正しい意識を持つのみで足るところの、神、普遍的理性、人類の非人格的理性、について語るのであろうか。何故に彼は、自らに自由思想家の外観を与えるために、薄弱なヘーゲル主義をつくり出すのであろうか。」248P
「人間は、彼等自身で社会のこの形態或はあの形態を自由に選択することが出来るのだろうか。決して出来ない。もし人間の生産諸力に於ける一定の発展段階を仮定するならば、吾々は交易と消費との一定形態を得るであろう。もし生産と交易と消費との一定の発展段階と仮定するならば、吾々はこれに対応する一定の社会的秩序、これに対応する一つの家族や身分や階級の組織、一言でいえばこれに対応する市民社会を持つであろう。もし一定の市民社会を仮定するならば、吾々は市民社会の公的表現に過ぎない一定の政治的状態を得るであろう。プルードン君はこのことを全然理解しない。彼は、国家から社会へ――言いかえれば、社会の公的要約から公的社会へ――と訴えることにより何か偉大な事でもなしとげたかの如くに考えているのだから。」249P
「人間が彼等の生産諸力――人間の全歴史の基礎であるところのもの――を自由に選択することが出来ないのは、ここに付言する必要を見ないであろう。何故なら、一切の生産力は一つの獲得された力であり、従来の活動の産物であるからである。」249P
「人間の社会的歴史は、彼等が意識していると否とを問わず、彼等の個人的発展の歴史以外の何物でもないのである。彼等の物質的諸関係が総ての彼等の関係の基礎である。それらの物質的諸関係は、彼等の物質的個人的活動がその中で実現される必然的形態に過ぎない。」250P・・・唯物史観
「プルードン君は観念と事物とを混同する。人間は決して彼等の獲得したものを抛棄しはしない。しかしこのことは、人間がその中で一定の生産諸力を獲得した社会的形態を決して抛棄するものではないということを意味しない。」250P
「彼は、十七世紀、十八世紀又は十九世紀について語ることを必要だとは感じない。何故なら、彼の歴史は朦朧とした想像の王国の中で進行し、時空を超越して起るからである。要するに、それは歴史ではなくて陳腐なヘーゲル主義(「ヴィエーユリ・ヘーゲリエンヌ」のルビ)である。」251-2P
「永遠の理性の経済的諸進化の系列」――@「分業から始まっている」252PA「第二の進化は機械である」253PB「第三の進化として、機械に対する反措定として、競争という化物を魔法で出現される時如何に機敏に振まうかを!」254-5PC「最後に、プルードンの体系に於ける最後の範疇をなすものは財産である。」255P
「すなわち彼は、彼が総てのブルジョア的生産形態を結びつけている紐帯を把握していないこと、或る一定の時代に於ける生産形態の歴史的なそして過渡的な性質を理解していないこと、を明かに示している。プルードン君は、吾々の社会的制度を一つの歴史的産物とは考えず又それらの起源と発展とのいずれも理解しないので、それらの独断的な批判をなし得るに過ぎないのである。」256P
「プルードン君は又、発展を説明するためにも一つの仮説に逃げ場を求めるのやむなきに至っている。・・・・・・彼は、君に対して、矛盾はただ彼の固定した諸観念と実際の運動との間に存在するに過ぎない事実を隠すのである。」256P
「彼は、経済的諸範疇はそれらの現実の諸関係の抽象的表現に過ぎないのであって、それはそれらの諸関係の存在する限りに於てのみ真であることを理解していない。それ故に彼は、それらの経済的諸範疇を永遠なるものと考え、一定の歴史的発展――生産力によって決定される一つの発展――にとってのみ法則であるところの歴史的法則とは考えないブルジョア経済学者達の誤りに陥っている。」256-7P
「しかし、実際の生活に暫し眼を向けて見給え。現時の経済生活に於て、君は単に競争と独占とを見出すのみでなく、又一つの公式ではなくて一つの運動であるそれら両者の綜合をも見出すであろう。独占は競争をつくり出し、競争は独占をつくり出す。」258P
「彼が理解しなかったことは、これらの人間が、その中で彼等が布やリンネルを生産する社会的諸関係をも亦その能力に応じてつくり出すということである。更に一層彼の理解しなかったことは、彼等の物質的生産方法に応じて彼等の社会的諸関係を形づくる人間は又、諸観念と諸範疇すなわちそれらの同じ社会的諸関係の抽象的観念的表現をも形づくるということである。」260P
「かくて、範疇として見られた経済的諸関係は、プルードン君にとっては、起源も進歩もない永遠の形式である。」260P
「彼は、ブルジョア社会の産物を、それらが彼の心に範疇の形で、思想の形で、現われるや否や、それ独特の生命を持つ独立の永遠的存在であるかの如くに思いこむ。それで彼は、ブルジョアの水準以上に出ることがない。彼は、その永遠の真理なることを前提としているブルジョア的観念を取扱っているので、彼はそれらの観念のために一つの綜合、一つの均衡を求める、そして現在それらが均衡に達している仕方が可能な唯一の仕方なることを見ないのである。」261P
「彼等は、その中では人間がもはやブルジョアでなくなっている一つの社会を考えることが出来ないのである。/プルードン君はそれ故に必然的に一人の空論家である。」262P
「プルードン君は、永遠の諸観念、純粋理性の諸範疇を一方に置き、彼に従えばそれらの諸範疇の適用である人間とその実際生活とを他方に置くが故に、吾々は彼に於て、初めから、生活と観念との、精神と肉体との二元論、多くの形式の下に繰返し現われる二元論、見出すのである。君は今や、この敵対は、彼の神化する諸範疇の世俗的な起源と歴史とを理解する力がプルードン君にないことを示す以外の何物でもないことを知り得たであろう。」263P
「僕がプルードン君と完全に一致するただ一つの点は、感傷的な社会主義的白日夢を彼が嫌っている点である。」264P
「頭の天辺から足の爪先まで、プルードン君はプチ・ブルジョアジーの哲学者であり経済学者である。」265P


posted by たわし at 03:10| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カール・マルクス/城塚登訳『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』

たわしの読書メモ・・ブログ592
・カール・マルクス/城塚登訳『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫(岩波書店)1974
これは、と言っても、「ユダヤ人問題によせて」の方だけですが、ハナ・アーレントの『全体主義の起源』の三部作の第一冊目「反ユダヤ主義」の直後に読むことだったのですが、アーレントを続けてまとめて読みたいとのことで、後回しにしていました。そして、『全体主義の起源』の読了後は、主題が全体主義――ファシズムになっていて、なんとしても『ルイ・ボナパルト・・・・・・』を先に読まねばという思いで、それをさきに読み、ついではマルクス歴史三部作の読了に入りました。で、やっとこの『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』に帰ってきた次第です。
これはマルクスがルーゲと共同編集していた『独仏年誌』第一、第二分冊合併号に、他の面々とともに、この二つの論攷を掲載したものです。その内容は、「訳者解説」の179-80Pに掲載されています。
さて、最初にこの本の目次をあげておきます。
    目次
ユダヤ人問題によせて
ヘーゲル法哲学批判序説
一八四三年の交換書簡
 マルクスからルーゲへ(三月)
 ルーゲからマルクスへ(三月)
 マルクスからルーゲへ(五月)
 バクーニンからルーゲへ(五月)
 ルーゲからバクーニンへ(六月)
 フォイエルバッハからルーゲへ(六月)
 ルーゲからマルクスへ(八月)
 マルクスからルーゲへ(九月)
訳注
訳者解説

これは初期マルクスで取り上げられる二つの論文です。訳者の城塚登さんは日本における初期マルクスの研究者として著名で、この本の訳者解説が、初期マルクス研究の基本的文献になるような解説になっています。マルクスは青年ヘーゲル派内の内部論争を経て、そしてエンゲルスとの対話のなかで、独自の思想・理論を形成していきます。マルクスの画段階的飛躍は二回あるとわたしは押さえています。第一は、青年ヘーゲル派からの独自の理論形成の一応の完成をみたのが『ドイツ・イデオロギー』で、そこでの画段階的批判があります。もうひとつは、あまりとりあげられていませんが、『共産党宣言』から『資本論』草稿の執筆過程でのマルクスの転回というようなこと、わたしはこれを反差別論的なところへの萌芽的なこととして取り上げようとしています。これはエンゲルスとの乖離という意味ももってしまっています。
さて、これは初期マルクスの記念碑的二作品です。一応分けて論じます。
ユダヤ人問題によせて
これは、ハナ・アーレントが、マルクスはユダヤ人問題で、ほとんど論攷を残していない、その中で書いている唯一とも言える文が、この『ユダヤ人問題によせて』で、しかも、反ユダヤ主義批判ではなく、むしろユダヤ民族批判の文になっているという主旨の文を書いています。よく知られているように、マルクスは、キリスト教に改宗したユダヤ人の家族のなかで育っています。そもそも、青年ヘーゲル派の、宗教批判のなかから思想を確立していくということがあり、マルクスも宗教批判をなしていくのです。で、ユダヤ人被差別から無縁ではなかったのでしょうが、それよりも、ユダヤ民族が、ユダヤ教の選民思想の中で、差別されるのはいやだ、差別する側になりたいという差別的なところから脱し得ないユダヤ思想のもつ構造がありました。そして一部エリート層がまさに資本主義の精神を体現する、金儲け主義的そのものに走るなかで、宗教批判と資本主義批判ということが重なる中での、ユダヤ教・ユダヤ民族主義批判を展開していくことになります。
この論攷は宗教批判の書なのですが、もう一つ焦点が当てられたのが、国家と市民社会の分離という初期マルクスの論攷として注目されています。実は、これ帝国主義論を十全に押さえられなかったマルクスの限界性の話ともリンクしていきます。そもそも、まだ、帝国主義ということが十全にとらえられていなかった時代制約性の問題もあるのですが、今日的には、というより、後期マルクスは、この「国家と市民社会の分離」ということをどうとらえていたのでしょうか? まだ、経済と政治の分離、国家権力は、経済は経済の論理に任せるという事態があったのですが、今の時代は、「国家独占資本主義」という規定があるように、公的資金を株に投入し、株価を調整する、為替市場にも国の資金を投入するなど、国家と市民社会の分離など、何をか言わんか、の時代になっています。
また、ルソー人権論との対話のようなことも展開していて52-3P、マルクスの思想形成過程を垣間見ることができます。
さて、切り抜きメモを特に気になったところだけ、抜き書きします。
一 ブルノー・バウアー「ユダヤ人問題、ブラウンシュヴァイク、一八四三年
「ユダヤ人とキリスト教徒とのあいだの対立のもっとも頑固な形態は、宗教上の対立である。一般にひとは対立をどのようにして解決するか? 対立を不可能にすることによってである。どうすれば宗教上の対立は不可能になるか? 宗教を揚棄することによってである。ユダヤ人とキリスト教徒が、お互いの宗教を、ただもう人間精神の別々の発展段階として、つまり歴史によって脱ぎすてられた別々の蛇の脱けがらとして認識し、そして人間をそれらの脱けがらを脱皮した蛇として認識しさえすれば、彼らはもはや宗教上の関係のなかにいるのではなく、ただ批判的で学問的な関係、すなわち人間的な関係のなかにいることになる。そのとき、学問は彼ら[ユダヤ人とキリスト教徒]の統一である。そして学問上の諸対立は、学問自身によって解決されることになる。」11P
「バウアーの誤りは、彼がただ「キリスト教国家」だけに批判を加えて「国家それ自体」に批判を加えていないこと、政治的解放の人間解放に対する関係を究明せず、そのために,政治的解放と普遍的人間解放との無批判な混同ということからしか説明できないような諸条件を立てていることにある。」16P・・・非対称性
「ユダヤ人問題は、ユダヤ人が住んでいる国家が異なるにつれて、異なったとらえ方がなされる。政治的国家、つまり国家としての国家が実在していないドイツでは、ユダヤ人問題は純粋に神学的な問題である。」「フランスでは、すなわち立憲国家では、ユダヤ人問題は立憲制の問題であり、政治的解放の不徹底に関する問題である。」「北アメリスの自由諸州において――少なくともその一部において――はじめて、ユダヤ人問題はその神学的な意味を失い、実際に世俗的な問題となっている。」17P
「われわれは、世俗的問題を神学的問題に変えたりはしない。われわれは、神学的な問題を世俗的な問題に変えるのである。」19P
「さらに、公民的性格、政治的共同体が、政治的解放者たちによって、これらのいわゆる人権の保持のための手段にまで格下げされ、したがって公民[cytoyen]は利己的な人間[homme]の下僕であると宣言され、人間が共同的存在としてふるまう領域が、部分的存在としてふるまう領域の下に引きおとされ、結局のところ、公民[cytoyen]としての人間が、本来のそして真の人間だと受けとられたことを見るとき、あの事実はますます謎を深める。」46-7P・・・下線をつけている意味? 今日的には、「本来の」「真の」と設定することの問題性
「結局のところ、市民社会の成員としての人間が、本来の人間とみなされ、公民[citoyen]とは区別された人間[homme]とみなされる。なぜなら、政治的人間がただ抽象された人為的につくられた人間にすぎず、比喩的な精神的な人格としての人間であるのに対し、市民社会の成員としての人間は、感性的な、個体的な、もっとも身近なあり方における人間だからである。現実の人間は利己的な個人の姿においてはじめて認められ真の人間は抽象的な公民[citoyen]の姿においてはじめて認められる。」52P
「あらゆる解放は、人間の世界を、諸関係を、人間そのものへ復帰させることである。/政治的解放は人間を、一方では市民社会の成員、利己的な独立した個人へ、他方では公民、精神的人格へと還元することである。/現実の個体的な人間が、抽象的な公民を自分のなかに取り戻し、個体的人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係のなかで、類的存在となったとき、つまり人間が彼の「固有の力」[forces propres]を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力というかたちで自分から分離しないとき、そのときはじめて、人間的解放は完遂されたことになるのである。」53P・・・フォイエルバッハの「類的存在」概念の影響下
二 ブルーノ・バウアー『現代のユダヤ人とキリスト教徒の自由になりえる能力』(『二一ボーゲン』五六――七一ページ)
「ユダヤ教は、歴史にもかかわらず存続してのではなく、かえって歴史によって存続してきたのである。/市民社会はそれ自身の内臓から、たえずユダヤ人を生み出すのだ。/もともとユダヤ教の基礎となっているものは何であったか。実際的な欲求、利己主義である。/それゆえユダヤ人の一神教は、現実においては多数の欲求の多神教であり、便所に行くことさえも神の律法の対象とするような多神教である。実際的な欲求、利己主義は市民社会の原理なのであり、市民生活が自分のなかから政治的国家をすっかり外へ生み出してしまうやいなや、純粋にそういう原理として現われてくる。実際的な欲求と利己との神は貨幣である。」62P・・・資本主義の精神としての貨幣の物神化を体現するユダヤ教
「キリスト教はユダヤ教から発生した。それらはふたたびユダヤ教のなかへと解消した。/キリスト教徒は、そもそものはじめから、観想的な態度をとるユダヤ人だったのであり、したがってユダヤ人は、実践的[実際的]なキリスト教徒なのであって、実践的キリスト教徒はふたたびユダヤ人となったのだ。」65P
「キリスト教はユダヤ教の崇高な思想であり、ユダヤ教はキリスト教の卑俗な適用である。」66P・・・「崇高な思想」としての人権論、所詮ごまかしのブルジョア思想
「ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの社会の解放である。」67P・・・キリスト教にもあてはまる
ヘーゲル法哲学批判序説
この論攷は、マルクスの青年ヘーゲル派からの離脱とも言える文で、宗教批判から、国家と宗教の関係を軸に、国家論を展開している論攷です。また、ドイツの経済的政治的「後進性」を押さえ、ドイツ解放の積極的可能性について展開しています。この文の中で、革命主体としてのプロレタリアートということを展開しています。マルクスのプロレタリア革命論の端緒とも言える論攷になっています。
切り抜きメモを簡単に残します。
「ドイツにとって宗教の批判は本質的にはもう果たされているのであり、そして宗教の批判はあらゆる批判の前提なのである。」71P
「反宗教的批判の基礎は、人間が宗教をつくるのであり、宗教が人間をつくるのではない、ということにある。しかも宗教は、自分自身をまだ自分のものとしていない人間かまたは一度は自分のものとしてもまた喪失してしまった人間か、いずれかの人間の自己意識であり自己感情なのである。しかし、人間というものは、この世界の外部にうずくまっている抽象的な存在ではない。人間とはすなわち人間の世界であり、国家であり、社会的結合である。この国家、この社会的結合が倒錯した世界であるがゆえに、倒錯した世界意識である宗教を生み出すのである。・・・・・・それゆえ、宗教に対する闘争は、間接的には、宗教という精神的芳香をただよわせているこの世界に対する闘争なのである。」71-2P・・・「倒錯した世界」という規定から「ド・イデ」の「共同幻想」規定へ
「宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨にたいする抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非常な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。」72P・・・有名な規定
「民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるようよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷[現世]への批判の萌しをはらんでいる。」72-3P
「それゆえ、真理の彼岸が消えうせた以上、さらに彼岸の真理を確立することが、歴史の課題である。人間の自己疎外の聖像が仮面をはがされた以上、さらに聖ならざる形姿における自己疎外の仮面をはぐことが、何よりもまず、歴史に奉仕する哲学の課題である。こうして、天国の批判は地上の批判と化し、宗教への批判は法への批判に、神学への批判は政治への批判に変化する。」73P
「一八四三年のドイツの状態を否定したとしても、フランス暦からいえば、私はやっと一七八九年のところにいるかいないかであって、現在という時代の焦点にたっているどころではない。」74P・・・ドイツの政治的「後進性」、イギリスの経済、フランスの政治、ドイツの哲学
「近代の旧体制は、もはや、本物の主役たちがすでに死んでしまっている世界秩序の道化役者でしかない。」78-9P
「フランスやイギリスでの問題は、国民経済かそれとも富に対する社会の支配かということであるのに、ドイツでの問題は、国民経済かそれとも国民に対する私有財産の支配かということである。したがって問題は、フランスとイギリスは行きつくところまで行った独占を揚棄することにあるのに、ドイツでは独占が行きつくところまで行くことにある。あちらでは解決が問題であり、こちらではやっと衝突が問題になっている。」80P
「古代諸民族が自分たちの前史を想像のなかで、つまり神話のなかで体験したように、われわれドイツ人はわれわれの後史を思想のなかで、つまり哲学のなかで体験した。われわれは現代の歴史的な同時代人ではなく、その哲学的な同時代人である。・・・・・・先進諸国民のなかでは近代的国家状態との実践的な対決であるものが、そうした国家状態そのものがまだ一度も存在したことがないドイツでは、まずそのような国家状態の哲学的反映との批判的な対決となる。」81P
「一言でいえば、君たちは哲学を実現することなしには、哲学を揚棄することができないのである。」82P
「ドイツの国家哲学と法哲学は、ヘーゲルによってもっとも首尾一貫した、もっとも豊かな、もっとも徹底したかたちで示されたのであるが、これに対する批判は二面をもっており、近代国家とそれに関連する現実の批判的分析であるとともに、またドイツの政治的および法的意識の従来のあり方全体の決定的否定である。そしてこのドイツの政治的および法的意識のもっとも優れた、もっとも普遍的な、学にまで高められた表現こそ思弁的法哲学そのものにほかならない。」83-4P・・・青年ヘーゲル派としての出発点
「ドイツの政治意識の従来のあり方にたいする決定的な反対者であるということからしても、思弁的哲学の批判は、批判そのものにとどまるものでなく、実践だけが解決手段であるような課題へと進んでいくのである。」84P
「批判の武器はもちろん武器の批判にとって代わることはできず、物質的な力は物質的な力によって倒さねばならぬ。しかし理論もまた、それが大衆をつかむやいなや、物理的な力となる。理論は、それが人間に即して[ad hominem]論証をおこなうやいなや、大衆をつかみうるものとなるのであり、理論がラディカル[根本的]になるやいなや、それは人間に即しての論証となる。ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。ドイツの理論がラディカリズムである明白な証明、したがってその理論の実践的エネルギーの明白な証明は、その理論が宗教の決定的な、積極的な揚棄から出発したところにある。宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという教えでもって終る。したがって、人間に貶められ、隷属させられ、見捨てられ、蔑視された存在となっているような一切の諸関係――畜犬税の提案にさいして、或るフランス人が「あわれな犬よ、おまえたちを人間並みにしようというのだ!」と叫んだ言葉でもっともみごとに描きだされているような諸関係――をくつがえせという無条件的命令をもって終るのである。」85-6P
「すなわち、およそ革命には受動的な要素が、物質的な基礎が必要である。」87P・・・唯物史観(のはしり?)
「ドイツは、キリスト教という病にかかって衰弱している物神崇拝者に似ているといえよう。」88P・・・物象化論(のはしり?)
「われわれがその長所にあずかることのない近代国家の世界の文明的欠陥を、われわれがたっぷり享受している旧体制の野蛮的欠陥と結び合わせざるをえなくなっており、その結果ドイツは、自分の現状を越えたところにある国家形態の合理性に、そうでなければ少なくとも非合理性に、ますます参与せざるをえなくなっているのである。」88-9P
「一国民の革命と市民社会の一特殊階級の解放とが一致し、一つの立場が社会全体の立場として通用するためには、逆に社会の一切の欠陥が或る他の階級のなかに集中していなければならず、また或る特定の立場が一般的障害の立場、一般的障壁[拘束]の化身でなければならず、またさらに、或る特殊な社会的領域が、社会全体の周知の罪とみなされ、そのためこのからの解放が全般的な自己解放と思われるようになっていなければならない。或る一つの立場が優れた意味で[par excellence]解放する立場であるためには。逆に他の一つの立場が公然たる抑圧の立場でなければならない。」91P
「では、どこにドイツ解放の積極的な可能性はあるのか?/答え。それはラディカルな鎖につながれた一階級の形成のうちにある。市民社会のいかなる階級でもないような市民社会の一階級、あらゆる身分の解消であるような一身分、その普遍的な苦難ゆえに普遍的な性格をもち、なにか特別の不正ではなく不正そのものを蒙っているがゆえにいかなる特別の権利をも要求しない一領域、もはや歴史的な権原ではなく、ただなお人間的な権原だけを拠点にすることのできる一領域、ドイツの国家制度の諸帰結に一面的に対立するのではなく、それの諸前提に全面的に対立する一領域、そして結局のところ、社会の他のすべての領域から自分を解放し、それを通じて社会の他のすべての領域を解放することなしには、自分を解放することができない一領域、一言でいえば、人間の完全な喪失であり、それゆえにただ人間の完全な再獲得によってのみ自分自身を獲得することができる一領域、このような一階級、一身分、一領域の形成のうちにあるのだ。社会のこうした解消が一つの特殊な身分として存在しているもの、それがプロレタリアートなのである。」94P・・・プロレタリア革命論(のはしり?)
「プロレタリアートは急に起こってきた産業の活動を通じて、ようやくドイツにとって生成しはじめつつある。なぜなら、自然発生的に生じてきた貧民ではなく、人為的につくりだされた貧民が、社会の重圧によって機械的に抑えられた人間集団ではなくて、社会の急激な解体、ことに中間層の解体から出現する人間集団が、プロレタリアートを形成するからである。もっとも、自然発生的な貧民やキリスト教的―ゲルマン的農奴も、しだいにこの隊列に加わるのは自明のことである。」94-5P
「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学のうちにその精神的武器を見いだす。そして思想の稲妻がこの素朴な国民の地盤の根柢まで貫くやいなや、ドイツ人の人間への解放は達成されるであろう。」95P・・・哲学的革命家マルクス
「結論を要約しよう。/ドイツのただ一つ実践的に可能な解放は、人間を人間の最高のあり方であると宣言するところの、この理論の立場からする解放である。ドイツでは、中世からの解放は、同時に中世の部分的克服からの解放としてのみ可能である。ドイツでは、あらゆる種類の隷属状態を打破することなしには、いかなる種類の隷属状態も打破することができない。根本的なドイツは、根本から革命を起こさなければ、革命を起こすことはできない。ドイツ人の解放は、人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、その心臓はプロレタリアートである。哲学はプロレタリアートの揚棄なしに自己を実現しえず、プロレタリアートは哲学の実現なしには自己を揚棄しえない。/あらゆる内的条件が充たされたとき、ドイツ復活の日はガリアの雄鶏の雄たけびによって告げ知らされるであろう。」96P・・・マルクスのドイツナショナリズム?
 マルクスからルーゲへ(三月)
「あなたは微笑しながら私を見て、こう問われる。それが何になるのか? 羞恥からはどんな革命も起こりはしない、と。私はこう答える。羞恥はすでに一つの革命なのです。」100P
 マルクスからルーゲへ(九月)
「それゆえ政治的国家の、この自己自身との衝突のなかから、いたるところで社会の真理が展開されうるのです。宗教が人類の理論的諸闘争の内容目録であるように、政治的国家は人類の実践的諸闘争の内容目録なのです。こうして政治的国家は、共同体の一種としての[sub specie rei publicae]その形態において、あらゆる社会的闘争、欲求、真理を表現しています。」144P
訳者解説
 この解説は、それ自体が貴重な資料になっているので、それを取り上げると厖大な分量になります。ここでは、割愛しますが、この本を読まれる方は、是非きちんと読んでください。


posted by たわし at 03:06| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月17日

マルクス/木下半治訳『フランスの内乱』

たわしの読書メモ・・ブログ591
・マルクス/木下半治訳『フランスの内乱』岩波文庫(岩波書店)1952
マルクス歴史三部作最後です。パリ・コミューンを取り上げています。パリ・コミューンは、「たわしの読書メモ・・ブログ512/・H.ルフェーヴル『パリ・コミューン〈上〉〈下〉』岩波書店 1967 1968」でとりあげています。ちょうどこの本を再読しているときに、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻が起きていました。それをどうとらえるのかということにおいて、いろんな議論が起きているのですが、マルクスのこの本での晋仏戦争へのとらえ方がまさに、マルクス派の原則的定式として今も生かされうることだと思います。それは、「われわれはあらゆる戦争に反対する、が、なかんずく、君主の戦争に反対する。」27Pということで、それを、今回のウクライナ戦争でいえば、「すべての戦争に反対する、が、なかんずく、ファシズム戦争に反対する」となるのだと。
パリ・コミューンは一時的であれ(七二日間)、政権を握った初めての労働者政府なのです。実は、マルクスの影響力があったグループは、このパリ・コミューンで主導性を発揮したわけではなく、プルードン派やブランキ派のアナーキストが勢力的にも強かったということです。そもそも、国際労働者協会総務委員会(第一インターナショナル)の場がマルクス派とアナーキストのせめぎ合いの場にもなっていたのですが。
もうひとつは、パリ・コミューンの敗北の教訓化としてその後のマルクスの流れを組む人たちの間で、運動論・組織論が論争され、ロシア革命の後、「負けたパリ・コミューンやドイツ革命――勝利したロシア革命」という対比のなかで、「マルクス・レーニン主義」の党建設――革命論が宣揚されていくことになります。ただ、一九九〇年を前後するソヴェト連邦の崩壊の中で、パリ・コミューンに遡った原則のようなことのとらえ返しと、運動論・組織論が問題になっていきます。
いくつもの定式・提言
この本の中で、運動論・組織論のマルクスの原理論的なものが突き出されています。@マルクスの当初の時期尚早論とその撤回、パリ・コミューンの文献を何度も読み返していたというレーニンの「帝国主義(間)戦争を内乱に」というテーゼA「労働者階級は単にでき合いの国家機関を掌握して、それを自分自身の目的のために使用することはできない。」90Pという定式Bエンゲルスの序文「プロレタリア独裁とは何か、パリ・コミューン見よ」というテーゼCインターナショナリズム
敗北の要因
敗北の要因を、そもそもまだ機が熟していなかった、と押さええますが。具体的にもっとなせることがあったということでは、@ベルサイユに攻め上らなかった。A捕虜の虐殺への対応。B金融機関を握らなかった、とあげています。@に関しては、フランス語版の訳者で、マルクスの娘の連れ合いのロンゲがそれだけの力かなかったと、補正しています。Aは微妙です。そもそも、左派に報復という概念が出来うるのかという問題があるのです。Bは、このことの教訓として、ロシア革命の金融機関の占拠をしていくのですが、パリ・コミューンのときに、これをなしていても、早晩占拠の解除はなされていたでしょうー
最初に目次をあげておきます。
目次
訳者序
改定のことば
国際労働者協会総務委員会の戦争に関する宣言
 一八七〇年七月二十三日の第一宣言
 一八七〇年九月九日の第二宣言
国際労働者協会総務委員会の宣言(フランスの内乱)
ドイツ版「内乱」第三版にたいするエンゲルスの序文
エンゲルスの序文の若干の点について  シャルル・ロンゲ
 附録
パリ・コミューン資料文書集  アメデ・デュノア編ならびに註
 プロローグ
第一篇 コミューンの意義
第二篇 市民戦
エピローグ
パリ・コミューン資料文書集補遺  訳者編
 解題

さて、簡単に切り抜きメモを残します。
訳者序
『フランスの内乱』は、マルクスによって英語で書かれた、英語版が原本であるという説を訳者がとりあげています。
国際労働者協会総務委員会の戦争に関する宣言
 一八七〇年七月二十三日の第一宣言
「一八六四年十一月の国際労働者協会の設立の辞において、われわれはいった。――「もし労働者階級の解放が、彼らの友愛的協力を要求するものとすれば、彼らは、犯罪的目的を追求して国民的偏見を利用し海賊的戦争において人民の血と財貨とを乱費する外交政策を前にして、いかにその偉大な使用を遂行すべきであるか?」と。われわれは、インタナショナルが目標とする外交政策を次ぎのような言葉を以て定義した、――「私人関係を支配すべき道徳と正義との単純な諸法則を、諸国民の交際の最高法則として擁護する」と。」19P・・・自民党の歴史修正主義者の「いつまで謝罪すればいいのだ」という発言に対する批判の内容として参照
「ルイ・ボナパルトとプロシヤとの戦争の成行きがいかなるものとなろうとも、第二帝政の弔鐘は、すでにパリに鳴り響いたのだ。それ[第二帝政]は、狂歌(ママ)(「パロディー」のルビ?)を以て始まったように、狂歌(ママ)(「パロディー」のルビ?「戯画」)を以て終わるであろう。しかし、ルイ・ボナパルトをして十八年の間、復辟という獰猛な茶番を演じることを得しめたものは、ヨーロッパの諸政府と支配階級とであるということを、われわれは忘れないようにしよう。」25P――第二宣言の冒頭で引用
「ドイツ側においては、戦争は防衛戦である。」25P――26Pの註で、マルクスがドイツ人の立場にとらわれていると批判が起きていたことを書いています。「当時の事情からいえば、裏面の情勢は別として、表面的・形式的には、フランスの側の無謀な(文字通りに!)挑戦によるものである。」・・・ロシアが仕掛けたウクライナ侵攻の戦争とその中におけるロシアの「防衛」という虚言。
ブリュンスウィック労働者大会での決議「われわれはあらゆる戦争に反対する、が、なかんずく、君主の戦争に反対する。」27P
ヘムニッツの労働者代表者会議決議「万国の労働者がわれわれの友であり、万国の専制君子がわれわれの敵であるということを、夢々忘れないであろう。」27P
「この新社会の国際的法則は、平和であるであろう、何となればその国民的支配者はいずこにおいても同一――即ち労働! であるであろうからだ。その新社会の開拓者(「パイオニア」のルビ)こそ、[わが]国際労働者協会である。」29P
 一八七〇年九月九日の第二宣言
「七月二十三日のわれわれの第一宣言において、われわれはいった――「第二帝政の弔鐘は、・・・・・・25Pの文引用」30P
「[ところが]彼らの途上には、面白くない障碍物が横たわっていた――[即ち]ヴィルヘルム王自身の開戦における宣言だ。北ドイツ国会にたいするその勅語において、彼は、戦争はフランス皇帝に対して行うのであって、フランス人民に対して行うのではないということを、厳かに宣言したのであった。・・・・・・さらに、自分はただ「軍事的事件のために」フランス国境を越えるべく「余儀なくされた」ということをつけくわえた。」31P・・・日本の歴史修正主義者の「強いられた戦争」論や、プーチンロシアのウクライナ戦争における「強いられた」「守るために」という虚言――その内実は「強国ロシア」というウルトラ国家主義の幻想にとらわれたファシズム戦争
「しかし、実をいえば、軍事的考慮を以て、諸国の境界線を決定すべき原則とするということは、全く不条理であり且つ時代錯誤ではないか?・・・・・・もし、境界線が軍事的利害によって決定されるべきであるとするならば、諸々の要求に対する限度というものは[どこにも]存在しないであろう、何となれば、いかなる軍事線も必然的に欠陥のあるものであり、そして若干の外地をヨリ多く併合することによって改善され得るであろうから。また、そのうえに、この境界線は決して終局的に且つ公正には決定され得ないものである、何となれば、それは征服者によって被征服者におしつけられねばならないものであり、従ってその内部に新しい戦争の種子を包含するものであるからだ。」35-6P・・・この時代においても、今日のウクライナ戦争と同じようなことと論理が。
「専制主義ロシアも、プロシヤ指導下のドイツ帝国によって、自分が危険におとしいれられると考えているに相違ない。そういうのが、古い政治制度の法則である。それ[この法則]の範囲内では、一国の利益は、他国の損失である。」39P
「ドイツ社会民主労働党中央委員会は、九月五日に、一つの宣言を発し、これらの保障を力強く主張した。「われわれは、」――と彼らはいう――「われわれは、アルザスおよびロレーヌの併合に抗議する。そしてわれわれは、ドイツ労働者階級の名において語りつつあることを意識する。フランスとドイツとの共同利害のために、平和と自由とのために、東欧の野蛮に対する西欧の文明のために、ドイツ労働者はアルザスロレーヌの併合をじっと宥恕しないであろう。……われわれは、プロレタリアート共同の国際的利害のために、万国のわが僚友労働者諸君に忠誠を守るであろう!」」41P・・・「東欧の野蛮と西欧の文明」というサイードが「オリエンタリズム」で指摘した差別主義
国際労働者協会総務委員会の宣言(フランスの内乱)
 これは漢数字で表された四つの項目から出来ていて、それにフランス語版を出版したシャルル・ロンゲが小見出しを付けています。それも緑で書き添えておきます。
 一 国防
「一八七〇年九月四日に、パリの労働者が共和制を宣言し、この共和制が全フランスを通じて一言の異議もなく殆んどたちどころに歓呼された時、ティエールをその政治家とし、トローシュをその将軍とする、猟官的弁護士の徒党は、市庁(「オテル・ド・ヴィル」のルビ)を占拠した。」47P
 二 三月十八日
「武装したパリは、反革命的陰謀の途上に横たわる、唯一の重大な障碍物であった。バリは、従って、[是非とも]武装解除されねばならなかった。この点については、ボルドー議会は、誠実そのものであった。よしその田舎地主(「リュラル」のルビ)の咆えたてるような豪語が十分によく聞こえなかったとしても、ティエールがパリを、十二月派(「デンプリスウール」のルビ)ヴィノア、ボナパルト派憲兵ヴァランタンおよび耶蘇会派(「ジェジュイット」のルビ)将軍オーレル・ド・パラディーヌの三頭政治の慈悲深い情けに引き渡したということは、最後の疑問の遁辞さえも吹き飛ばしてしまったことであろう。」71-2P
「プロシア軍のパリ入城の前夜に、中央委員会は、投降者(「カピチュラール」のルビ)どもがプロシヤ軍の占領することになっていた地区内およびその附近に裏切り的に放棄し去った加農砲および霰弾砲を、モンマルトル、ベルヴイルおよびラ・ヴィレットに移転する処置をとった。その大砲は、国民軍の醵金によって装備されたものであった。」72P
「しかもなお、パリがそのなかへ駆りたてられねばならなかった市民戦[内乱]を嫌悪して、中央委員会は、[国民]議会の挑発や、行政府の簒奪や、パリ内外における軍隊の威嚇的集中などにもかかわらず、依然として単なる防衛的態度を固持することを続けたのであった。」75P
「三月十八日の光栄ある労働者革命は刃に血ぬらずしてパリの支配権を握った。中央委員会はその臨時政府になった。ヨーロッパは、一時は、国家[政府]および戦争に関するその最近の扇情的(「センセーショナル」のルビ)な演技がそれ自身何らかの現実性をもつものであるか、あるいはまたそれらが遠く過ぎた過去の夢であるかを、疑うかのようにみえた。」76P
「中央委員会のこのだらしなさ――武装労働者のこの寛容――を、秩序党は、単なる弱気の徴候に過ぎないと誤解したのである。」51P・・・捕虜の虐殺への報復をほとんどしなかったこと、しかし左派に「報復」という概念はありえるのでしょうか? 死刑制度との関連についても考えること。原則と現実の問題についても。
「モンマルトに対するティエールの夜盗的な襲撃によって開始された市民戦[内乱]を嫌悪するのあまり、中央委員会は、こんどは、当時完全に無援であったヴェルサイユへ即時に進軍することをせず、こうしてティエールとその田舎地主(「リュラル」のルビ)たちの陰謀の息の根をとめなかったという点において、決定的誤りをおかした。」83P――註(16)で、この批判は繰り返されているけれど、当時の情況で、進軍し得る力はなかったという内容を書いていて、フランス語版の編集者ロンゲの文を最後に引用しています。「実を言えば、マルクスがインタナショナルの宣言(「アドレス」のルビ)を書いた時、彼は人民の状態が三月十九日にはいかなるものであったかを知ることができなかったのだ。」84-5P
 三 コミューンの歴史的価値
「しかし、労働者階級は単にでき合いの国家機関を掌握して、それを自分自身の目的のために使用することはできない。」90P・・・繰り返し引用されてきたマルクスの提言
「常備軍、警察、官僚、僧侶、および裁判官というその遍き諸機関――系統且つ階層制(「ハイヤラーキー」のルビ)的な分業の計画に従って作りあげられた諸機関――をもつ中央集権的国家権力は、絶対君主制の時代からはじまるのであり、そして生まれたばかりのブルジョア社会にとっては、封建制度に対するその闘争における強力な武器として役だったものである。しかしながら、その発達は、あらゆる種類の中世的残滓、諸侯の権利、地方的特権、都市ならびにギルド的独占、および地方的律令(「コンステイチューション」のルビ)によって妨げられていた。」90-1P
「その出生証書としてクー・デタを、その認可[証]として普通選挙を、そしてその王笏として剣をもつこの帝政は、労・資の闘争のなかへ直接巻き込まれて厖大な生産者大衆たる農民に依存すると称した。それは、議会政治を破壊することによって、有産階級を救うと称した。それは、労働者階級に対するその経済的優越権を支持することにより、またそれとともに、有産階級に対する政府の露骨なご用振りを破壊することによって、労働者階級を救うと称した。それは、労働者階級に対するその経済的優越権を支持することによって、有産階級を救うと称した。そして、最後に、それは万人のために国威という幻想を復活することによって、あらゆる階級を結合すると称した。実際、それは、ブルジョアジーがすでに国民を支配する能力を失いはしたが労働者階級が未だこの能力を獲得していなかったある時に、可能な唯一の政府形態[政体]であったのだ。」93P――最後の「政府形態[政体]」に註「これがマルクシズムにおけるボナパルティズム(bonapartism)の定義である。」94P・・・この註は? これはボナパルティズムでなくてファシズムの定義、ボナパルティズムは封建制からブルジョア独裁の移行期に生じること、マルクスの時代にはまだボナパルティズムと区別されるファシズム概念がなかった。
「帝政は、生まれたばかりの中産階級社会が封建制度から自分自身を解放する手段として作りだしはじめたところのものであり、また、成熟したブルジョア社会がついに資本による労働の奴隷化に転化したところの、国家権力の最も悖徳的で最終的な形態である。」94P
「帝政の正反対物は、コミューンであった。バリ・プロレタリアートによって二月革命がはじめられた時のかの「社会共和国」の叫びは、ただ、ひとり君主制的な階級支配形態のみならずさらに階級支配そのものを廃棄すべき共和国への漠然たる願望を、表現したに過ぎなかった。コミューンは、そういう共和国の実証的な形態であったのだ。」94P
「コミューンは、市内各区における普通選挙によって選出され、有責であって短期に解任され得る市会議員から形成された。その議員の多数派、勢い、労働者、乃至は労働者階級の公認代表者であった。コミューンは、代議体ではなく、執行権であって同時に立法権を兼ねた、行動体であった。警察は、依然として中央政府の手先き(「エージェント」のルビ)であるかわりに、ただちにその政治的属性を剥奪され、そして責任をおいつつでも解任され得るコミューンの手先き(「エージェント」のルビ)となった。行政府の他のあらゆる部門の官吏も、そうであった。コミューン議員以下、公務は、労働者賃銀において執行されねばならなかった。国家の高位顕官たちの既得利権と交際費とは、高位顕官たちそのものとともに姿を消した。公職は、中央政府の手先きどもの私有財産たることをやめた。ただに市政ばかりでなく、今日まで国家によって行使されてきた全発意権(「イニシアティヴ」のルビ)が、コミューンの手中におかれた。」95P
「旧政府の物理力的要素たる常備軍および警察を一度び駆逐してから、コミューンは、財団としての教会全部の解散と寄進財産没収とによって、精神的抑圧力、即ち「坊主権力」を破壊すべく腐心した。僧侶たちは、私生活の隠遁所へ送り返され、そこで彼らの先達たる使徒たちのひそみにならって、信者の施物に寄食するようにされた。教育施設の全部は、人民に無料で公開され、それと同時に、教会および国家の一切の干渉をとり除かれた。かようにして、ただに教育が万人に近づきやすくされたのみならず、さらに科学[学問]そのものが、階級的偏見と政府権力とによってそのうえに押し付けられていた桎梏から解放されたのである。」96P
「国民の統一は破壊されるべきではなく、その反対に、コミューン憲法によって組織化されるべきであり、そして国民そのものから独立し且つ国民そのものに優越するこの統一の具体物であると主張する、あの国家権力――それは、国民そのものからいえば、一個の寄生的無用物に過ぎなかったのだ――の破壊によって、一の現実となるべきものであった。」97P
「階層制(「ハイヤラーキー」のルビ)的叙任を以て普通選挙に換えるということ以上に、コミューンの精神に縁遠いものはありえなかったのである。」98P
「一般的にいって、全然新規な歴史的創造物にとっては、それがある程度の類似点をもっているかも知れないところの、旧い――否、既に亡んでさえいる社会的形態の写しととり違えられるということが、その[免れ難い]運命である。こういうわけで、近代的国家権力を破壊する、この新しいコミューンは、先ず最初はほかならぬその国家権力に先行しそして後にはそれの地盤となったところの、かの中世のコミューン[地方自治団体]の再生ととり違えられてきたのであった。」99P
「コミューンは、二つの最も大きい支出源泉――即ち常備軍および官僚制度――を破壊することによって、諸ブルジョア革命のあの合言葉である安価政府(「チープ・ガヴァンメント」のルビ)を実現した。それ[コミューン]の存在そのものが、少なくともヨーロッパにおいては階級支配の正常的な重荷でありその必要不可欠の外被物である君主制の不存在を前提としていた。それ[コミューン]は、共和国に対して、真実に民主主義的な諸制度の基礎を提供した。しかし、安価政府(「チープ・ガヴァンメント」のルビ)も、「真実の共和国」も、それ[コミューン]の最終の目的ではなかった。そういうものは、それの単なる附随物に過ぎなかったのだ。」100-1P
「いまでは主として労働を奴隷化しこれを搾取する手段となっているところの生産手段、即ち土地と資本とを、単なる自由で且つ協力的な労働の要具に転化することによって、個人的所有権を一個の真実とすることを欲したのである。しかるに、これは共産主義だ、「不可能な」共産主義だ! ところで、支配階級のうちでも現制度の維持の不可能性を知覚するに十分なほど聡明な人々は――しかも彼らは多数いるのだ――協同組合的生産のでしゃばりでかつ饒舌な使徒となったのである。もし協同組合的生産が欺瞞や陥穽であるべきでないとするならば、もし、それが資本主義制度にとって代わるべきであるとするならば、協同組合総合会が共同計画(「プラン」のルビ)に従って全国的生産を調整し、こうして、これを彼ら自身の統制下におき、そして資本主義生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣[恐慌]とを終熄させるべきであるとするならば、――諸君よ、それが共産主義以外の――「不可能な」共産主義以外の何ものであったであろうか?」103P
「労働者階級は、コミューンからの奇蹟を期待しはしなかった。彼らは人民の命令[布告]によってはじめられるべき、何らでき合いのユートピアをもたない。彼らは、彼ら自身の解放を完成し、且つそれとともに、現社会がそれ自身の経済力によって嫌応なしに目指しているところの、あのヨリ高度の形態を完成するには、彼らが長い闘争を、――外部情況と人間とを転化する一連の歴史的過程を、経なければならないであろうということを知っている。彼らは、崩壊しつつある旧いブルジョア社会そのものが孕みつつある新社会の諸要素を解放すること以外には、実現すべき何らの理想をもたない。」103-4P
「パリ・コミューンが革命の支配権をそれ自身の掌中に握った時、平(「ひら」のルビ)労働者がはじめてその「自然的優越者」の統治的特権を敢て犯し、その比類なく困難な情勢のもとに、つつましやかに、良心的に、且つ効果的に自己の仕事を実行した時――しかもそれを、その最高額が、高い科学的権威者の言によれば、首都のある学務委員会の書記に対して必要とされる最低額に相当するものの五分の一にやっとなるかならぬかというような棒給を以て実行した時――旧世界は、市庁(「オテル・ド・ヴィル」のルビ)のうえに翻る、労働者共和国の象徴たる赤旗を見て、悶えたのであった。」104P
「コミューンは、このように、フランスの社会のあらゆる健全分子の真実の代表者であり、従って、真実に国民的(「ナショナル」のルビ)な政府であったが、それは、同時に、労働者の政府であり、労働の解放の大胆なチャンピオンとして甚だ国際的(「インタナショナル」のルビ)でもあった。二つのフランスの州をドイツに併合したプロシヤ軍隊のを眼の前において、コミューンは、全世界の労働人民をフランスに併合したのである。」110P
「第二帝政は世界的詐欺の祝祭であり、あらゆる国々の詐欺師たちは、それの躁宴とフランス人民の掠奪との分け前を得ようとして、それの呼びかけに応じて殺倒したのであった。」110P
「そして、コミューンは、自分がまさに創始しつつあることを意識していた歴史の新紀元を明白に画するために、一方では勝利したプロシヤ軍の眼前において、また他方ではボナパルト派将軍の指揮するボナパルト派軍隊の眼前において、軍の栄光のあの巨大な象徴であるヴァンドーム円柱をひき摺りたおしたのであった。」111P
「コミューンの偉大な社会的方策は、それ自身の行動的存在であった。それの特殊の諸方策は、ただ人民による人民の政府という傾向を、表示し得たのみであった。それらは、パン焼職人の夜業の廃止と、種々の口実のもとに、自己の労働者たちに罰金を科すことによって賃銀を減額する雇用主の慣習――[即ち]雇用主が自分自身の身体に立法者、裁判官、および執行者の役割を兼ね具え、そのうえにまだおまけに金銭を騙取する過程――の刑罰による禁止であった。この種類に属するいま一つの方策は、総ての閉鎖職場および工場を、各資本家が逃亡したのと休業したのとを問わず、賠償を条件として、これを労働者団体に引き渡したことであった。」112P・・・「解題」で「コミューンの業績」として指摘されている事
「しかし、実際、コミューンは、旧い型のあらゆる政府の不可避的な属性である、かの無謬性を装おうとはしなかった。コミューンは、その言動を公表し、そのあらゆる欠陥を公衆に知らせたのであった。」115P
「パリはすべて真実であり、ヴェルサイユはすべて虚言(「うそ」のルビ)であった。そして、その虚言は、ティエールの口を通じて吐かれていたのである。」117-8P
 四 弾圧(La Répression)
「静穏な労働者のコミューン・パリは、「秩序」の猛犬(「ブラッドハウンド」のルビ)どもによって、突然、修羅場に化せられた。しかもこの凄まじい転化は、万国のブルジョアの心に対して、そもそも何ごとを立証したのであろうか? 何と、コミューンが文明に対して陰謀を企てたということだったのだ! パリ人民は、コミューンのために熱烈に死んでいったのであったがその数は、史上に知られているいかなる闘いにおいても比肩するものがないほどであった。」133-4P
「労働者のパリは、このコミューンとともに、新社会の光栄ある先駆者として、永久に讃えられるであろう。その殉教者は、労働階級の偉大な胸のうちに祭られているのだ。その絶滅者どもを、歴史はすでに、その僧侶のあらゆる祈りもこれらを救い得ないであろうところの、あの永久の晒し台に釘づけにしてしまったのである。」144P・・・国際労働者協会総務委員会の文、「フランスの内乱」本文の、最後のフレーズ。
ドイツ版「内乱」第三版にたいするエンゲルスの序文
「この二つの宣言について真実であることは、また「フランスの内乱」についてもそうである。五月二十八日に、最後のコミューン戦士がベルヴィルの坂路で力およばず屈服したが、しかもすでに、それから二日後の三十日には、マルクスは総務委員会のまえに、この労作――すなわちパリ・コミューンの歴史的意義を、簡単な、力強い、しかしこの問題に関するあらゆる多くの文献がまたとおよび難いほど鋭い、そして何よりも真実な筆致を以て開陳されているこの労作を朗読したのである。」153-4P
「だから、労働者によって戦いとられた各革命ののちには、労働者の敗北を以て終わる、新しい闘争が起こったのであった。」154P・・・敗北の積み重ねの中の運動の前進
「ルイ・フィルップが消え去り、選挙法改正も彼とともに消え、その代わりに、共和国が――しかも勝利した労働者たち自身によって「社会」と銘うたれた共和国が成立した。」155P
「しかもなお一八四八年は、一八七一年における彼らの憤怒に比べれば、一つの児戯に過ぎなかったのだ。」156P
コミューンの業績159-162P――「解題」で「コミューンの業績」として指摘されている事
「あるいはまた、それは、直接労働者階級の利害に関しそして部分的には旧社会秩序に深くきり込んでいる決定を公布したりした。あらゆるこれらのことは、しかし、一の攻囲された都市では、せいぜいのところ、実現の端緒をもち得たのみであった。そして五月初頭以来というものは、ヴェルサイユ政府のますます増大してゆく軍隊に対する闘争が、あらゆる力を吸いとってしまったのであった。」162P
「コミューン議員は、多数派――[即ち]国民軍中央委員会でもまた牛耳っていた、あのブランキストと、少数派――[即ち]主としてプルードン社会主義学派の門弟からなる、国際労働者協会の会員とに分裂していた。ブランキストは、当時その大多数からいえば、ただ革命的・プロレタリア的本能による社会主義者であった。ただ少数のもののみが、ドイツの科学的社会主義を知っていたあのヴァイヤンのおかげで、ヨリはっきりした原則的理解に到達していたのみであった。そういうわけで、経済的な点で、われわれの今日の観念によればコミューンのせねばならなかった多くのことが等閑視されていたことが、理解される。人々が、フランス銀行の門前で恭しくたち停まっていた時に示した、あの聖なる尊敬は、全く理解し難いところである。これは、また[同時に]一の政治的過失でもあった。コミューンの掌中に握られた[フランス]銀行――これは、一万の人質よりもヨリ多くの価値があったのである。・・・・・・もちろんコミューンの経済的布告については、その名誉ある方面についてもまた不名誉な方面についても、先ず第一にプルードン主義者に責任があることは、なおその政治的行動および怠慢について、ブランキストがそうであるようなものである。」166P・・・コミューンの構成については、ロンゲのエンゲルス序文への補正も参照
「小農および手工業の親方の社会主義者であるプルードンはあらわな憎悪を以て、組合(「アソツィツィオン」のルビ)を憎悪した。・・・・・・これに反して、競争・分業・私所有権は、経済力である、と。大工業および大企業体、例えば鉄道のような、ただ例外的場合においてのみ――プルードンのいうところによれば――労働者の組合(「アソツィツィオン」のルビ)は妥当なのだ。・・・・・・」167P
「略言すれば、マルクスが「内乱」のなかで全く正しくいったように、ついには共産主義に、従ってプルードン説の正反対に帰すべき組織であるのである。故に、コミューンは、またプルードン社会主義学派の墓場でもあった。・・・・・・ただ急進ブルジョアジーの間にのみ、プルードン主義者が存在している。」168P
「ブランキストも、ヨリ多く幸福ではなかった。陰謀の学校で訓育され、自分に適応する厳格な規律によって結合された彼らは、比較的少数の果断な、よく組織された人間が、与えられた有利な瞬間に、ただに政治権力を把握し得るのみならず、さらにまたそれ[この権力]を、ヨリ大きな放胆な勢力(「エネルギー」のルビ)の発揮によって、人民大衆を革命にひき摺り込みそして指導的な少数者の周囲に糾合することに成功するまで、保持し得るという見解から出発していたのである。これには、何よりも先ず、新しい革命政府の掌中への、あらゆる権力の最も厳格な、独裁的な集中が必要であった。」169P
「コミューンは、そもそもはじめから、次のことを――即ち、労働者階級は、一度び権力を獲得するや、旧い国家機関で以て間に合わせてゆき得ないということ。この労働者階級は、たったいまはじめて獲得したそれ自らの権力をまたもや失くさないためには、一方においては、従来彼ら自身に対して利用せられてきたあらゆる旧い抑圧機構を除去し、他方においては、しかし、それ自らの代議員および官吏たちに、彼らがいかなる例外もなしにいつでも解任し得るものであることを宣言することによって、彼らに対して自らを確保しなければならないということを、承認しなければならなかったのだ。従来の国家の特質は、そもそも何処にあるのであろうか? 社会は、その共同利害の管理のために、はじめは単なる分業によって、自らの機関を創ったのであった。しかるにこれらの機関は――その頂上が国家権力なのだが――それ自身の特殊利害に奉仕するために、時とともに、社会の下僕から社会に君臨する主人に転化してしまったのである。」170P
「まさにアメリカにおいてこそ、われわれは、はじめは社会の単なる道具と定められていた国家権力の社会に対する独立化がいかに行われるかを、最もよくみ得るのである。」171P
「この、従来のあらゆる国家において不可避的であった社会の下僕から主人への、国家および国家機関の転化に対して、コミューンは、二つの誤りのない手段をさし向けた。第一に、それは行政上・司法上・教育上のあらゆる地位を、関係者の一般的投票による――しかも同じ関係者の随時的召還権に基く選挙によって、任命した。そして第二に、それは、その高いと低いとを問わず、あらゆる勤務に対して、ただ他の労働者が受けとる賃銀のみを支払ったのである。」171-2P
「哲学的観念によれば、国家は「理念(「イデー」のルビ)の実現」か、乃至は哲学的なものに翻訳された地上における神の王国、永遠の真理および正義がそのうえに実現されている乃至は実現されるべき領域かである。そして、これから、国家と、国家に関連するあらゆるものとの迷信的崇拝が生まれる、・・・・・・・[それだけで]すでに一の全く激烈・大胆な進歩をしたと思い込む。実際はしかし、国家というものは一階級による他階級の抑圧機関以外の何ものでもない、しかも[このことは]民主的共和制においてもなお君主制におけると違わないのである。そして[それは]最もよくいっても一の災禍であって、この災禍たるや、階級支配に対する闘争において勝利を得たプロレタリアートにのこされるであろう、そしてその最悪の方面をこのプロレタリアートは、コミューンと同じように、できる限り早く切りとらざるを得ないであろう、そしてついには一の新しい、自由な社会状態において成長した世代(「ジェネレーション」のルビ)が一切の国家の残滓を自分のもとから駆逐し得るに至るであろう。」172-3P
「ドイツの俗物は、近頃またまたプロレタリアートの独裁という言葉についてためになる恐怖のうちにある。さて、諸君よ、諸君がこの独裁がいかなるものであるかを知りたいのであるか? パリ・コミューンをみよ。それこそは、プロレタリアートの独裁だったのだ。」173P・・・引用される有名なフレーズ
エンゲルスの序文の若干の点について  シャルル・ロンゲ
 ドイツ訳はほぼエンゲルスの作業、コミューンの構成について、銀行を押さえなかったことの分析など、「エンゲルスの序文」に補正的な意見を書いています。

 さて、ここまでが、マルクスのいわゆる本文的なこと、「附録」は、この本の目次に載っていない細目の項目を抜き書きすることによって、「目次」的なことを形成し、抜き書きや内容的な詳しいコメントは省きます。
パリ・コミューン資料文書集  アメデ・デュノア編ならびに註
 プロローグ
  陰謀の朝
第一篇 コミューンの意義
  一 三月十八日の勝利
   1 人民へ/2 パリ国民軍兵士へ
  二 中央委員委よりその中傷者へ
  三 コミューン選挙の前
  四 コミューンの成立
  五 コミューンにとっては外国人はいない
  六 コミューンと所有権
   1 家賃に対する布告/2 支払猶予に関する「法律」/3 放棄工場の徴発/
4 公設質屋に関する布告
  七 コミューンと労働者
   1 夜業と職業紹介所/2 賃銀の擁護/3 罰金の禁止
  八 コミューンと教育
  九 コミューンとその官吏
   1 搾取者的冗食はたくさんだ/2 盗賊を殺せ/3 兼職反対
  一〇 コミューンと宗教
  一一 コミューンと軍国主義
   1 徴兵の廃止/2 ヴァンドーム円柱の破壊
  一二 コミューンと婦人
   1 婦人に対するアピール/2 抗議
  一三 コミューンと農民
   1 農村労働者へ
  一四 コミューンの人道主義
   1 ギロチンを焼け!/2 「あらゆる貧乏人のためにパンを……」
  一五 コミューンの綱領
   フランス人民に対する宣言
  一六 少数派の宣言
第二篇 市民戦
  一七 ヴェルサイユ軍の攻撃
   パリ国民軍へ
  一八 人質
   1 宣言/2 布告
  一九 ヴェルサイユ軍の残虐
  二〇 ティエールの提訴
  二一 「それは偉大な闘争である……」
  二二 ブルジョアジーの武装解除
  二三 コミューンとその防衛者
   1 負傷者のために/2 寡婦および遺児のために
  二四 大都市に対するアピール
  二五 パリの侵入
   1 市街戦/2 武器をとれ!/3 全員バリケードへ!
  二六 ヴェルサイユの兵士たちへ
   1 コミューンのアピール/2 公安委員会のアピール/3 中央委員会のアピール
エピローグ
   1 パリの敗北/2 勝者に呪いあれ
パリ・コミューン資料文書集補遺  訳者編
  パリ・コミューンに関するカール・マルクスの演説
  フリードリッヒ・エンゲルスからその母エンゲルス夫人へ
  パリ・コミューン第十五周年記念日(一八八六年三月十八日)におけるエンゲルスの演説
  F・エンゲルス――パリ・コミューン第二十一周年記念日のためのアピール草案の未発表断片
「解題」に関してはよくまとまった著書の評論になっています。そこでの対話も面白いのですが、マルクスの古典再学習というところでは外れてしまいます。かなり古い訳書で、いくつかの異論もありますが、それへの抜き書きしたコメントは、また別の機会にしたいと思います。


posted by たわし at 01:29| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月18日

マルクス/中原稔生訳『フランスにおける階級闘争』

たわしの読書メモ・・ブログ590
・マルクス/中原稔生訳『フランスにおける階級闘争』国民文庫(大月書店)1960
前の読書メモでとりあげた『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』と『フランスの内乱』とともに、マルクスの歴史三部作としてマルクスの学習の基本文献になっています。読む順番は、内容的にも歴史順から言っても、この本が真っ先に来ます。再読にあたって、ファシズム論の学習の続きとして『ルイ・ボナパルト・・・・・・』を先に読んでしまいました。で、そこでこの本より先の歴史まで書かれているので、この本はより精細な階級闘争史にはなってはいるのですが、「後進国」ファシズムとでもいうべきボナパルティズムは出てこないのです。ただ、この本は、唯物史観(「史的唯物論」)の詳しい初めてとでもいえる、特定の階級に基盤をもった政治党派の階級闘争史とでも言いえることを展開しています。
また、「階級独裁」という概念をこの本では出しています。そもそも「独裁」というと、「独裁者」と言う言葉で、個人的な専制政治支配と混同してとらえがちです。専制政治が一つの体制的独断圧政的政治の、個人の力が突出状態で「独裁者」という言葉が出て来ているのですが、マルクスの独裁は、あくまで階級独裁です。これは、資本主義社会が成立して以降、そしてブルジョア革命が成立して以降は、ブルジョア階級とプロレタリア階級との二大階級決戦という図式で進むとして、ブルジョア支配の安定的支配がある時期を「ブルジョア独裁」と規定するのです。それを覆るのは、プロレタリア階級独裁と規定しています。ただし、現実的に事態は、先進国革命の二大階級の階級決戦というようには進まず、プロレタリア階級独裁は定立し得ず、せいぜい労農独裁という形でしか進みませんでした(そもそも、労農独裁にしても、農は階層で、貧農や小作農はプロレタリア階級に属したのかもしれませんが、層と階級ではないので、労農独裁は「労農階級独裁」ではないのです)。そこから、プロレタリア階級独裁という形に進んだのではなく、結局外部注入論的インテリゲンシャという小ブル的党による一党独裁にしかなりませんでした。では、資本主義社会がさらに進んだ、帝国主義の時代にはプロレタリア階級独裁の革命は起こりうるのでしょうか? 実はマルクス/エンゲルスの時代はまだ帝国主義が充分に進んでいず、「帝国主義論」の押さえが充分ではありませんでした。「帝国主義」――植民地支配の時代に「労働貴族」と呼ばれるような状態、被植民地の勤労者と帝国主義本国の労働者との格差がひろがった時代、そこにおける差別の重層化ということを押さえていく必要が出てきました。そして今日ポストコロナリズムという<帝国>的グロバリーゼーションの時代になると、被抑圧者をさすことばが、「マルチチュード」や「サバルタン」という概念で出てきています。そもそもマルクスの時代に差別の問題がきちんととらえられていなかったのです。そして、ローザ・ルクセンブルクの継続的本源的蓄積論をとらえ返していくときに、差別ということが資本主義の維持のために必要になってきていると押さええます。逆に言うと、被抑圧者の解放のためには、反差別ということを突き出していくことが必要になります。もちろん、被抑圧者の唯一の多数派(註1)の労働者階級ということの押さえは必要ですし、資本主義の根本矛盾としての生産手段の私的所有(生産手段の所有からの排除)と「労働力の価値」(註2)を巡る差別、そして差別がそこへ収斂していくという問題で、プロレタリア階級問題が重要であり、その決起が不可欠になります。そのようなところで、資本主義を止揚する革命の主体は労働者階級と被差別者、「労・反差別」闘争となります。そこで、ここに「階級独裁」ということばがあてはまるのかと言えば、被差別概念はかならずしも階級概念ではないので、階級独裁という概念にはなりません。歴史的もなかったし、これからもあり得ないのです。ブルジョア階級独裁については、ファシズムの「全有産階級の突撃」というところとの対照概念ででてきていることで、今日には、小ブル諸党派や宗教的党との連立の模索が、そしてなによりも国家主義的なイデオロギー操作の中での階級支配となっています。
さて、この本に戻ります。この本が取り上げているのは、一八四八年二月のブルジョア革命からブルジョアジーとプロレタリアート最初の本格的衝突、そしてプロレタリアートの敗北した一八四八年六月革命をとりあげています。その後は、ルイ・ボナパルト大統領の任期が切れる一八五二年五月をにらんでブルジョア共和主義の仮面を被った秩序の党(正統王制復古派、オルレアン派の合同)、純粋共和主義、小ブル共和主義、社会主義者などのいろんな動きが出ています。この本で書かれているのは一八五〇年三月一〇日補欠選挙まで。ここで、社会主義的な議員の当選があり、ブルジョア階級独裁がゆらいで、一八五〇年五月の普通選挙権の廃止に向かって動き、その後の争闘の中で、ルイ・ボナパルトの一八五一年一二月二日のクーデターに至ります。
この本の中で他にいくつか押さえておかねばならないのは、@エンゲルスの序文とAマルクスの恐慌革命論の展開、B「社会主義者」のこと、この本の中で書かれている「社会主義者」は、「空想的社会主義者」とマルクス/エンゲルスが批判していたひとたちや、アナーキスト「社会主義者」です。
@の序文は、訳者の注(一)172-3Pに書かれているのですが、ローザ・ルクセンブルクも批判の文を書いていたように、ドイツ社会民主党の執行部がエンゲルスの序文を改竄し、「エンゲルスを議会主義的に歪曲した」としてエンゲルス自身も憤慨していたことです。ただし、わたしはそもそも当初マルクス/エンゲルスが描いた武装蜂起→プロレタリア階級独裁権力の樹立というところで、エンゲルスが「民主主義とは支配の一形態である」とまで展開していたところから、議会主義的なところに重心をいくらかなりとも、あるいはかなり移行したとまでは言いえるとは思います。また、民衆の武器と国軍の武器の格差は、画段階的に広がっているという指摘もしています。しかし、このあたりはマルクス/エンゲルス亡き後の階級闘争の歴史をとらえるとき、右翼クーテターがかならず起きること、そしてもっと今日的にはファシストのテロリズムに備えていなければならないという問題で、武装の問題をおさえなければならないとことはあります。
Aは、マルクスが「ユダヤ人問題によせて」で展開していた国家と市民社会の分離という政治と経済の分離ということが、今日国家の株価操作や金利・為替操作など強力に推進する、国家主義的な資本主義の時代になってきています。経済学者の中には「恐慌などもはや起きない」と断言するまで出てきているのですが。(註3)
Bについては、フランスにおいては、空想的社会主義者やアナーキスト社会主義者が優勢で、マルクスの共産主義理論はそれらのと理論闘争の中で、唯物史観的階級闘争史観を創出していったという歴史をおさえておかねはなりません。
全体の構成をおさえておくために、目次をあげておきます。
目次
序文(エンゲルス)
一八四八――一八五〇年のフランスにおける階級闘争
一 一八四八年六月の敗北 一八四八年二月から六月まで
二 一八四九年六月一三日 一八四八年一六月から一八四九年六月一三日まで
三 一八四九年六月一三日の結果 一八四九年六月一三日から一八五〇年三月一〇日まで
四 一八五〇年の普通選挙権の廃止
注解
解説
人名注

切り抜きメモを残します。
序文(エンゲルス)
「ここにあらたに刊行する著作は、マルクスが、彼の唯物論的な理解方法をもちいて、今日の歴史の一時期を、一定の経済的状態から説明しようとした最初の試みであった。・・・・・・全ヨーロッパにとって危機的でもあり典型的なものでもあった発展をつうじて、その内的な因果関係を証明することであった。すなわち、著者の考えでは、政治上の事件を、つまりは経済的原因のはたらきに還元することであった。」3P・・・唯物史観、?エンゲルスの因果論
「すなわち、政治闘争を、経済的発達から生じた現存の社会階級および階級分派間の利害の闘争に還元すること、そして個々の政党が、これらの階級や階級分派の多かれ少なかれ適当な表現であることを証明すること、これである。」4P    
「すなわち、一八四七年の世界的商業恐慌が、二月と三月の革命のほんとうの生みの親であったこと、そして一八四八年のなかばからだんだんと回復し、一八四九年と一八五〇年に全盛に達した産業の好況が、あらたに強化したヨーロッパの反動を活気づけた力であったということである。」5P・・・恐慌革命論(註3)
一八四八――一八五〇年のフランスにおける階級闘争
「わずかに数章の例外はあるが、一八四八年から一八四九年までの革命年代記の比較的重要な各節はみな、革命の敗北! という表題をもっている。/これらの敗北においてたおれたものは、革命ではなかった。たおれたものは、まだ激しい階級対立をとるほどに先鋭化していなかった社会関係の結果である革命以前からの伝統的付属物――すなわち、二月革命までは革命党がふりすてることができないでいた、人物や幻想や観念や計画であった。そして革命党は、二月の勝利によってではなくて、一連の敗北によってのみ、それらのものから解放されたのである。」31P
一 一八四八年六月の敗北 一八四八年二月から六月まで
「ルイ・フィリップの治下でフランスを支配したものは、フランスのブルジョアジーではなくて、ただその一分派であった。すなわち、銀行家、取引所王、鉄道王、炭鉱、鉄鉱、森林の所有者、彼らと結ぶ一部の地主――いわゆる金融貴族であった。これが王座について、両院で法律を口授し、内閣からタバコ専売局にいたるまでの官職を授けた。/本来の産業ブルジョアジーは、公然の反政府派の一部をなしていた。」32P
「議会をつうじて支配し、立法していたブルジョアジーの分派にとっては、国家が負債に陥ることは、むしろ直接の利益になった。国庫の赤字、これこそまさに彼らの投機の対象であって、彼らの到富の主源泉であった。毎年度末の新しい赤字、四年か五年たつごとに新しい借款、そうして新しい借款のたびごとに、人工的に破産のせとぎわにおかれた国家から、金融貴族が詐取する新しい機会があたえられた。」33-4P
「七月王制は、フランスの国富をくいものにするための一株式会社にほかならなかった。」35P
「・・・・・・二時間の期限がきれないうちに、はやくも、パリのすべての壁には、あの歴史的な巨大なことばが輝いていた。/フランス共和国! 自由、平等、友愛!」40P
「当時すべての王党主義者は共和主義者にかわり、パリのすべての百万長者は労働者にかわった。この空想上の階級関係の廃止に相応していた常套文句が友愛、つまり全般的な親睦と同胞愛であった。階級対立のこのようにいい気持な抽象除去、矛盾する階級利害のこうしたセンチメンタルな調停和解、階級闘争からのこうした無双的な超越、すなわち友愛、これが二月革命の本来の合言葉であった。階級はたんなる誤解によって分裂したにすぎない。ラマルティーヌも、二月二四日、臨時政府を「異なった諸階級間に存在する、恐ろしい誤解をなくする政府」と名づけた。パリのプロレタリアートは、こうした肝要な友愛の陶酔にふけっていた。」45-6P
「公的信用と私的信用とは革命の強度を測定しうる経済上の寒暖計である。信用の目もりが下がるにつれて、それと同じ割合で革命の熱と想像力はたかまる。」48P
「彼らの大部分はルンペン・プロレタリアートに属していた。それはすべての大都会で工業プロレタリアートと截然と区別される集団であり、泥棒やあらゆる種類の犯罪者の供給源となり、社会の落屑をひろって生活し、定職をもたない人間、浮浪者、宿なしの無籍者であって、その出身民族の文化程度によるちがいはあっても、そのラザローニ的性格をけっして捨てない連中である。」52P・・・・・・ルンペン・プロレタリアートとは今日の非正規雇用とかいう規定ではなく、いわゆる右派的な供給源になる「ごろつき」
「国民作業所」54P・・・イギリスの救貧所と同様の欺瞞的政治
「三月一七日と四月一六日とは、ブルジョア共和制がその翼のもとに隠していた大階級闘争の最初の散兵戦であった。」55P
「三月一七日は、プロレタリアートの、なんら決定的行動をとることのできない、あいまいな状態を暴露した。」55P
「四月一六日は、臨時政府がブルジョアジーとともに、もくろんだ一つの誤解であった。」56P
「五月四日には、直接普通選挙によって成立した国民議会がひらかれた。」56P
「二月二五日からではなく、五月四日から共和制ははじまる」57P
「既述で、われわれが見てきたことはつぎのことである。二月共和制は、ほんとうにブルジョア共和制以外のものではなかったし、またそうでしかありえなかったこと、しかし、臨時政府はプロレタリアートの直接の圧迫下によぎなくこれを社会的諸制度をもつ共和制と宣言したこと、パリのプロレタリアートはまた、ただ観念のなか、空想のなかでしかブルジョア共和制をのりこえることができなかったこと、また彼らが実際に行動をおこした場合にはいつでもブルジョア共和制に奉仕するような行動をしたこと、彼らにあたえられた約束が新共和制にとってたえがたい危険となったこと、臨時政府の全生涯がつまりはプロレタリアートの要求にたいする不断の闘争だと要約されたこと、以上である。」58P
「社会主義的譲歩をともなう二月共和制が成立するためには、プロレタリアートがブルジョアジーとともに王政に抗してたたかった一戦を必要としたように、こんどは、共和制を社会主義的譲歩から切り離すためには、つまり、ブルジョア共和制を公に支配的なものとしてうちだすためには、第二の一戦を必要とした。武器を手にとってブルジョアジーはプロレタリアートの要求を反駁しなければならなかった。そこで、ブルジョア共和制のほんとうの出身地といえば、それは二月の勝利ではなく、六月の敗北である。」「五月一五日プロレタリアートは国民議会に突入し、彼らの革命的影響力をとりかえそうとして失敗し、いたずらにその精力的な指導者をブルジョアジーの獄吏にひきわたしたが、それによって彼らは、事の決着をはやめた。結末をつけねばならない! この状態はおわらせなければならない! こうした叫びによって、国民議会はプロレタリアートに決戦を強要する決意をもたらした。」59P
「労働者はもう選択の余地はなかった。彼らは餓死するか、それとも戦端を開かないわけにはいかなかった。六月二二日に、彼らは巨大な反乱をもってこたえた。そこで、近代社会を分かつ二階級間に最初の大戦闘がおこなわれた。それはブルジョア秩序の存続か壊滅かのたたかいであった。共和制をおおっていたヴェールはひきちぎられた。」60P・・・ブルジョアジーとプロレタリアートの最初の本格的闘い
「そしてまた、いかにブルジョアジーが、耐えしのんできた死の恐怖の埋合わせに、前代未聞の残虐性を発揮し、三〇〇〇人以上の捕虜を大量処刑にしたかも、周知の事実である。」60P
『新ライン新聞』一八四八年六月二九日のマルクスの文61-2P・・・キーワードは「秩序」
「そして敗北によってはじめて彼らは、彼らの状態の些々たる改善でさえも、ブルジョア共和制の内部では一つのユートピアにすぎない、彼らがそれを実現しようとすれば、たちまち犯罪となるところのユートピアにすぎない、という事実を納得させられたのである。彼らが二月共和制に認めさせて獲得しようとした要求、その形式は大げさであるが内容は些末な、それ自身まだブルジョア的でもあった要求にかわって、あの大胆な革命的スローガンがあらわれた。すなわち、ブルジョアジーの転覆! 労働者階級の独裁!/プロレタリアートは、自己の埋葬地をブルジョア共和制の生誕地とすることによって,ただちにブルジョア共和制が、その純粋の形態で、すなわち、資本の支配と労働の奴隷状態とを永久化することがその目的であるとはっきり認めるような国家として、あらわれざるをえないようにした。・・・・・・いまやすべての束縛から解きはなたれたブルジョアジーは、すぐさまブルジョア・テロリズムに転化せざるをえなかった。プロレタリアートは一時舞台から退けられ、ブルジョア独裁が公然と認められたいま、ブルジョア社会の中間層、小ブルジョアジーと農民階級はその境遇がいよいよ耐えがたくなり、彼らとブルジョアジーの対立が激化するにつれて、ますますプロレタリアートの側に加わらざるをえなくなった。さきにプロレタリアートの台頭にこの悲惨の原因を見いだしたように、いまや彼らはその敗北に自己の悲惨の原因を見いださなければならなかった。」62-3P・・・プロレタリア独裁とブルジョア独裁の概念の表出
「新しいフランスの革命は、ただちに民族的な地盤をすてて、ヨーロッパ的な地盤をたたかいとらざるをえない。そうした地盤のうえにのみ一九世紀の社会革命はなしとげることができる。/こうして、六月の敗北によってはじめて、フランスがヨーロッパ革命の先導権[イニシアティブ]をとりうるところの全条件がつくりだされたのである。六月反乱者の血にひたされてはじめて、三色旗はヨーロッパ革命の旗、――赤旗となった。/そこでわれわれは叫ぶ、革命は死んだ! 革命万歳!」64P・・・最後は反語
二 一八四九年六月一三日 一八四八年一六月から一八四九年六月一三日まで
「一八四八年二月二五日はフランスに共和制をさずけたが、六月二五日に革命をおしつけた。そして、革命は二月以前には国家形態の変革を意味したのであったが、六月以後にはブルジョア社会の転覆を意味した。」65P
「労働者の革命的権力が粉砕されるとともに、民主主義的共和派、すなわち、執行委員会ではルドリュ・ロランによって代表され、憲法制定国民議会では山岳党によって代表され、新聞では『レフォルム』によって代表されていた小ブルジョアジーの意味の共和派の政治的影響力も粉砕された。彼らは四月一六日にはブルジョア共和派と協力してプロレタリアートにたいして陰謀を企て、六月事件ではまたそれと協力してプロレタリアートを撃破した。こうして彼らは、みずから自己の背景を粉砕した。」65P
「だから、結局死んだのでもなく殺されたのでもなく、腐ってしまった、この憲法制定議会の生涯と実績において実現されたものは、勤王主義ではなく、ブルジョア共和主義だったのである。」67P
「一二月二〇日には、立憲ブルジョア共和制の半分だけ、すなわち大統領だけが存在していたが、五月二九日には、それは他の半分によって、つまり立憲議会によって補足された。一八四八年六月には、[憲法により]自分を制定しつつあったブルジョア共和制が、プロレタリアートの言語に絶した戦闘によって、一八四九年六月には制定されたブルジョア共和制が、小ブルジョアジーあいてのなんとも名づけようのない喜劇によって、それぞれ歴史の出生簿にその名をきざみこんだ。一八四九年六月は一八四八年六月にたいするメネシス[復讐の女神]であった。一八四九年六月は、労働者が打ち破られたのではなく、労働者と革命の中間に立っていた小ブルジョアジーが倒されたのである。」105-6P
三 一八四九年六月一三日の結果 一八四九年六月一三日から一八五〇年三月一〇日まで
「一八四八年六月二二日が革命的プロレタリアートの反乱であったとすれば、一八四九年六月一三日は民主主義的小ブルジョアの反乱であった。この二つの反乱はおのおの、それをおこなった階級を、典型的に純粋に表現していた。/ただリヨンだけは、頑強な血みどろな衝突になった。・・・・・・その他の地方で六月一三日の雷が落ちたところでは、燃えあがるまでにはならなかった。それは冷たい電光におわった。」114P
「六月一三日は、小ブルジョアジーの抵抗をうちくだき、連合王党派の立法的独裁を既成の事実とする。この瞬間から国民議会は秩序党の公安委員会にすぎない。」115P
「イギリスでは――そして、フランスの最大の工場主も彼らのイギリスの競争者にくらべると小ブルジョアにすぎないが――たとえば コブデンとかブライトなどのような、銀行や取引所貴族にたいする十字軍の先頭にたった工場主がほんとうにいる。そうした工場主がなぜフランスにはいないのか? イギリスでは工業が重きをなし、フランスでは農業が優勢であるからだ。」127P
 フランスの農民の革命化133-7P
「立憲共和制、それは連合せる農民搾取者の独裁であり、社会民主主義的共和制、すなわち赤色共和制は、農民の同盟者の独裁である。しかも、秤は農民が投票箱に投じる票しだいで、上がったり下がったりするのである。農民は、みずから自己の運命を決定しなければならない。・・・・・・革命は歴史の機関車である。」136P
「そこで彼らは既存の社会主義思想体系の、すなわち空想的社会主義の、折衷学者ないしは精通者となるのだ。が、この空想的社会主義は、プロレタリアートがまだ自由な歴史的自己運動をするほどに発達していなかったあいだだけ、プロレタリアの理論的表現であったのである。」142P
「そして、この空想的社会主義がプロレタリアートから小ブルジョアジーに譲り渡されており、そしてまた、いろいろの社会主義の領袖相互間の闘争によっていわゆる社会主義思想体系なるもののいずれもが、社会変革の一過渡点に対抗して他の一過渡点を不当に固執するものにすぎないということが、明らかにされているとき、プロレタリアートは、ますます、革命的社会主義のまわりに結集している。すなわち、ブルジョア自身が、それにたいしてブランキなる名称を考えだした共産主義の周囲に結集しつつある。この革命的社会主義の主張するところは、革命の永続の宣言であり、かつまた、階級の差別一般の廃止に、階級の差別の基礎となっている全生産関係の廃止に、これらの生産関係に照応するいっさいの社会関係の廃止に、およびそれらの社会関係から生じるすべての観念の変革に、達するための必然的な過渡期としてのプロレタリアの階級独裁である。」143P・・・プロレタリア階級独裁、マルクスの永続革命論
「一八五〇年三月一〇日にはつぎの銘がしるされている。/わがあとに大洪水あらん!」150P
四 一八五〇年の普通選挙権の廃止
「(全三章のつづきは『新ライン新聞』の最終号である第五、第六合併号の「評論」内にのっている。ここでは最初に、一八四七年イギリスにおこった大商業恐慌が述べられ、この恐慌のヨーロッパ大陸におよぼした反作用によって、大陸の政治的紛糾が尖鋭化されて、一八四八年二月と三月の革命になったことが説明され、ついで、一八四八年のうちにふたたびあらわれ、一八四九年にはさらに上昇した商工業の好況が、革命の高揚を麻痺させ、同時に反動の勝利を可能にしたのだということが述べられている。そのあとで、とくにフランスについて、述べられているのはつぎの文章である。)」151P・・・恐慌革命論
「けれども、ここ三年間の歴史は、この住民階級(農民のこと)が、革命的な主導性を発揮する力がまったくないことを、十分に証明したのである。」154P
「一方では、大陸の諸革命がイギリスにどれだけ反作用をおよぼすかという度合は、同時に、これらの革命がどの程度まで実際にブルジョア的生活関係を脅かしているか、またはその革命がどの程度までこの生活関係の政治的構成にしかふれないものであるかを示す寒暖計でもある。/このような、全般的好況の場合は、ブルジョア社会の生産力がおよそブルジョア的諸関係内で発達しうるかぎりの旺盛な発達をとげつつあるのだから、ほんとうの革命は問題にならない。そうした革命は、この二要因、つまり近代的生産力とブルジョア的生産形態が、たがいに矛盾に陥る時期にだけ、おこりうる。・・・・・・新しい革命は新しい恐慌についてのみおこりうる。しかしまた革命は恐慌が確実なように確実である。」154-5P
 普通選挙権を巡る闘いの敗北「パリに一五万人の軍隊がいたこと、決定を長らくひきのばしたこと、新聞による人心の慰撫、山岳党と新選出代議士の憶病、小ブルジョアの威厳ある平静、だがなによりも商工業の好景気が、プロレタリアートの側からのすべての革命の試みを阻止したのである。」158P
「選挙法は、新しい出版法という、もう一つの補足を必要とした。」158P
解説
「七月王制は、ブルジョアジーのもっとも反動的・寄生的な一分派金融貴族の支配であった。二月革命は、この金融貴族の支配にたいする、その他すべての社会階級と階層の共同の革命としておこった。二月共和制はブルジョアジーの一分派のかわりに、全体としてのブルジョアジーの支配を完成したが、労働者を解放するものではなく、労働の奴隷制の永久化を目的とする連合ブルジョアジーの独裁であった。」190P
「本書においては、史的唯物論の多くの基本的な緒命題が、具体的に説明され発展させられているが、とくに「プロレタリアートの階級独裁」という語が、はじめてはっきりとあらわれてくるのは本書においてである。なお、エンゲルスも序文で言っているように、労働者階級による「生産手段の取得」「賃労働の廃止」という科学的共産主義のはっきりとした表現も、本書ではじめてもちいられている。マルクス以前の偽社会主義やユートピア主義と截然と区別される点である。/が、とくに強調すべき点は、本書においてマルクスが、みごとな描写と多くの紙面をもちいて、詳細に中間階級、小ブルジョアと農民の状態およびその役割や、農民と労働者との関係を分析していることである。・・・・・・かくしてマルクスはフランスにおける階級闘争の経験から、きわめて重要な理論的政治的結論である労農同盟の思想に達している。わが国でも、いまや農民の「声なき声」がもっとも重大な問題である。」191-2P・・・マルクスがここで書いていることとこの解説とはかなりズレているのでは? この解説が書かれたのは一九六〇年、現在的な農業の占める位置が日本ではかなり低くなっていて、しかし、貶められているからこそ、単なる保守層でもなくなってきているのでは? 差別の重層構造のなかで、プロレタリア階級のさまざまな階級・階層との連帯が必要になってきていることはあるのですが。

(註)
1 ほぼ、同数の関係としては、女性と男性の関係があります。ちなみに、差別をマイノリティ問題としてとらえる観点(差別のマイノリティ起因論)から、数的には同等かもしくは多数派なのに、力関係における大と小の対比を多数と少数とスライドしてとらえるような話が出ているのですが、これは、まさにプロクルステスのベッドのような、取り違えの話なのです。
2 「労働力の価値」ということは、「労働力」と「価値」という二重に物象化された概念です。ひとの生きる営みのなかで、「労働」ということに過大に焦点が当てられ、しかも、それがヒエラルヒー的に価値付けられるのは、まさに資本主義的生産様式のなかにおいてなのです。
3 今日的に、国家の株式市場や為替相場への介入の中で、恐慌がおきないような政策が採られているのですが、それでも恐慌はおきないとは言いえないと、わたしは考えています。ただ、新自由主義的グロバリーゼーションの進行の中で、真綿で首をしめるような民衆への搾取・収奪の中で、地下のマグマ的な矛盾のエネルギーが蓄積されているのではと思います。さらに、恐慌革命論は、武装蜂起型の革命論で、それだけが革命の選択肢なのかという問題もあります。

posted by たわし at 00:59| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マルクス/伊藤新一・北条元一訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』

たわしの読書メモ・・ブログ589
・マルクス/伊藤新一・北条元一訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』岩波文庫(岩波書店)1954
583と585で、マルクスの学習と再読に入っています。この本は、アーレントの『全体主義の起源』三部作の最後の「全体主義」とマルクスのファシズム論を対比させるために、マルクスのボナパルティズム(ブルジョア独裁定立以前のファシズム、「後進国」ファシズム)論を押さえる作業です。『全体主義の起源』の読書メモで書いていたように、実は、『全体主義の起源』1巻目の「ユダヤ人問題」の後に、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」を読み、そして、マルクスの歴史3部作の題材の歴史順であり、執筆順でもある『フランスの階級闘争』を読んでから、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』『フランスの内乱』と進む道があったのですが、アーレントの三部作をまとめて読もうと思い、そしてまだインパクトが残っている内にマルクスのファシズム論をと、この本を先に読みました。
以前読んだのは、1979年です。マルクス/エンゲルスの歴史物、階級闘争史の集中学習をする機会があって読んでいたのですが、基本的文献を押さえる作業としての学習でした。それなりに指針があったのですが、まだそんなに深化したところで読めていたわけではありません。この本文の冒頭の「歴史は繰り返される・・・・」というところは、わたしが文を書くときに何度か引用していました。また、最後のナポレオン像が引き倒されたというところは、この本を最初に読んだときは、「イラン革命」の真只中で、同じように銅像が引き倒されたという話があり、そのことにからめて文を書きました。今から思うと、「イラン革命」は宗教的復古のクーデターで「革命」と押さえたことの誤りがあったのですが。
さて、話をこの本に戻します。まず、1948年に最初にプロレタリア階級の階級としての決起をなした階級闘争がありました。それがフランスだけでなく、ヨーロッパに波及したのですが、フランスの場合、正統(復古)王政とオルレアン王政が単純に王政復古として統一化されず、共和主義的に展開し、そこに純粋共和主義者、社会主義者、プロレタリアートとのせめぎ合いが起きます。そういう中でナポレオンの帝政の復活をもくろむ、ナポレオンの甥を自称するルイ・ボナパルトが登場してきます。「ルンペン・プロレタリアート」と規定されたかなりあやしげなひとたちの取り巻きの中で、この本のタイトルの『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』は、ナポレオン一世と同じように革命月「ブルューメル」と名付けられた月にその甥のルイ・ボナパルトがクーデターを起こしたことから、それが歴史が繰り返されるとしても、まさに二番煎じのあやふやな政治でしかなかったということをマルクスは展開しています。
さて、この本の中で押さえるのは三つです。まず一つは、唯物史観的なとらえ返しです。現実の政治(経済)的な歴史に、エンゲルスとともに自らが定立した唯物史観的観点から、分析してみせています。これは『共産党宣言』のなかで書かれていた、「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」(岩波文庫版38P)という階級闘争史観とでもいうべきこととして展開しています。
次に、これは『フランスの階級闘争』で突き出した「階級独裁」という概念を、ここでも出していることがあります。実は、独裁、専制、ファシズムという三つの概念がきちんと区別付けされず、あいまいに使われている現状が今もあります。マルクスがここで使っているのは「階級独裁」という概念で、支配階級が支配階級として定立し、支配を貫徹するということを階級独裁として押さえているのです。それは民主主義的であっても、(階級)独裁と規定します。ですから、資本主義社会が資本主義社会として定立している社会においては、それをブルジョア(階級)独裁と押さええます。マルクスは、来るべき革命の中で、プロレタリア(階級)独裁の必要性を主張しました。これは、先進国型、すなわち資本主義が充分に発達し定立してブルジョア独裁がまがりなりにも定立したところでの革命で、そうでないところでは、プロレタリア階級独裁ということはなしえません。だから、ロシア革命は労農ソヴィエト独裁としてなそうとしたのです。結局、ソヴィエト独裁からプロレタリア独裁がロシア共産党の一党独裁になることによって、「社会主義革命」への道も踏み外してしまったのですが。
実は、この「階級独裁」概念は次のファシズム論との関係で逆規定されている側面があるのです。
三つ目は、ファシズムの問題をマルクスがこの本の中で押さえていることです。尤も一般的にファシズムというのは、ブルジョア階級独裁が定立したあとで、その階級独裁がプロレタリア階級の台頭の中でゆらいでいるけれど、まだプロレタリア独裁に至る力をもっていないときに、階級を超えた有産階級の突撃・独裁としてのファシズムの台頭なのです。
ここで、マルクスが描いているのはボナパルティズムとでもいうべき、封建的支配からブルジョア独裁に移行する過程で、ブルジョア階級の力がまだ支配階級として熟していないときに、有産階級の全体主義的突撃・支配としてのファシズム、今日的情況で言えば、「後進国」ファシズムとでもいうべきボナパルティズムなのです。
さて、この書は、マルクスの警句的美文が散りばめられていて、「歴史が繰り返される」というところで、現在の情況の分析と政権批判をするときに引用できる文があります。そのようなこととして、切り抜きメモを残して置きます。
マルクスの美文は、当時の情況を押さえていないと、分からないことがあるのですが、この本にはかなり詳しい註が付けられているので、読みやすい本になっています。
最初目次を上げているのですが、この本の章にはタイトルがついていません。ですから、文の中に織り込むようにして、メモに入ります。(旧字体は新字体に変更しています)
はしがき 訳者
第二版への序文 マルクス 一八六九年
「私の本のむすびの句は「しかしやがて皇帝マントがルイ・ボナパルトの型におちかかるときには、ナポレオンの銅像はヴァンドーム柱のてっぺんからころげおちるだろう」となっているが、この[予言]はすでに実現された。」8-9P
第三版序文[一八八五年エンゲルス]
「しかしこれには、なおもう一つの事情があった。歴史の運動の大法則をはじめて発見したのは、まさにマルクスであった。この法則によれば、あらゆる歴史上の闘争は、たとえ政治上であれ、宗教上哲学上であれ、あるいはその他のイデオロギー上であれ、何れの領域でおころうとも、じっさいは社会諸階級の闘争の多少ともはっきりした現われにすぎない。そしてさらにこれらの諸階級の存在、したがってまた諸階級の衝突がどのようなものになるかをきめるのは諸階級の経済状態の発展程度であり、諸階級の生産の様式およびこれに制約された交換の様式なのである。」11-2P・・・唯物史観
第一章
「ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として二度目は茶番(「ファルス」のルビ)として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。ダントンのかわりにコーシディエール、ロベスピエールのかわりにルイ・ブラン、一七九三年から一七九五年までの山岳党(「モンターニュ」のルビ)のかわりに一八四八年から一八五一年までの山岳党(「モンターニュ」のルビ)、叔父のかわりに甥。そして「ブリュメール十八日」の再版が出される情勢のもとでこれとおなじ漫画が[えがかれる]!」17P
「人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとで作るのである。」17P・・・唯物史観
「あらゆる階級と党派は六月事件のあいだに秩序の党に結集して、無秩序(「アナルヒー」のルビ)の党、社会主義および共産主義の党としてのプロレタリアートに対抗した。かれらは「社会の敵」にたいして「社会」を救ったのだった。かれらは旧社会の標語「財産、家族、宗教、秩序」を合い言葉として自分の軍隊のあいだにひろめ、反革命の十字軍にむかってよびかけた「このしるしのもとに汝は勝たん」と。」29-30P
第二章
「六月事件いらいの憲法制定国民議会の歴史は、共和主義的なブルジョア分派の支配と解体の歴史である。共和主義的ブルジョア分派といったが、三色旗共和主義者、純粋共和主義者、政治的共和主義者、形式主義的共和主義者などの名でしられている分派のことである。」31P
ブルジョア政党の基礎はフランス民族主義31P
「かくされた帝国主義」――広義の「帝国主義」32P
「ひさしいまえから自分こそ七月王制の政党の後継者だと思っていた共和主義的ブルジョア分派は、このようにして、自分の理想以上の成功を見た。が、しかし、かれらが支配権にたっしたのはルイ・フィリップの治世で夢見ていたような王冠にたいするブルジョアジーの自由主義的反乱によってではなく、資本にたいするプロレタリアートの蜂起が鉄砲だまで鎮圧されたことによってであった。かれらがもっとも革命的な事件として思いえがいていたことは、実際におこってみるともっとも反革命的な事件であった。果実は、かれらのふところにおちた、だが、知恵の木からであって、生命の木からではなかった。」33P――「知恵の木」「生命の木」の註は183P
「しかし、どれにもいつもながら但書きがついていて、自由が無制限なのは、「他のものの同一の権利ならびに公共の安全」によって、もしくは、まさにこの点の調和をはかるべき「法律」によって制限されるのではないかぎり、とされている。」34P
「そこではかのすべての自由は、ブルジョアジーがこれらの自由を享受するにさいし他の階級の同一の権利のためにじゃまされない、というように調整されていた。」35P
「「公共の安全」(つまりブルジョアジーの安全)」35P
「このように用意周到なやり方でこの憲法は不死身にされていたが、それでもアキレウスのように、一つの点できずつけることができた。ただし、かかとではなく、頭で、いや二つの頭で、すなわちこの憲法がまよいこんだ立法議会という頭と大統領という頭で。」35P
カヴェニャックのパリの戒厳状態の中での憲法制定作業――結局軍事支配39P
第三章
「ブルボン家のもとでは大土地所有が自分の坊主と従僕とともに支配していた。オルレアン家のもとでは大金融、大産業、大商業、つまり資本が、弁護士、教授、能弁家を引きつれて支配していた。」53P・・・ブルジョアジー支配階級の利害の分裂からする旧勢力との結びつき、上部構造・イデオロギーよりも利害、唯物史観的とらえ返し
「それぞれのがわがわが相手に対抗して自分の王家の王政復古をなしとげようとした場合には、それはブルジョアジーを二分している二大利害集団――土地所有と資本――がそれぞれ自分の主権と相手の従属を復活させようとこころみた、ということにほかならなかった。われわれはブルジョアジーの二つの利害集団というが、そのわけは大土地所有がその封建的な厚化粧と血統の誇りにかかわらず現代社会の発展によって完全にブルジョア化してしまったからである。」54P・・・秩序の党としての統一
「連合した王党諸派は、・・・・・・しかし、公の舞台、つまり彼らの国事劇のなかでは、議会の大政党として、自分の尊敬する王家を単に敬意を表すことでかたづけ、王政復古を無制限に(in infinitum)延期した。」55P
「共和制はたしかにかれらの政治的支配を完成するが、同時にこの支配の社会的基礎をほりくずすものであることを、本能がかれらにおしえた。」55-6P
「ところで連合王党は、自分らに対立する王位僭望者たるボナパルトと衝突するごとに、かれらの議会的全能が執行権力によっておびやかされたと思うごとに、それゆえに自分の支配の政治的称号を強調しなければならなくなるごとに、かれらはいつもきまって共和主義者としてたちあらわれ、王党派としてはあらわれない。」56P
 小ブルと労働者の連合としての社会民主党。小ブルの議会代表としての山岳党、山岳党と社会主義者の連合56-7P
「秩序党は国民議会がひらかれるとただちに山岳党を挑発した。いまやブルジョアジーは民主的小ブルジョアをかたづける必要をかんじた。ちょうど一年前革命的プロレタリアートの強みは街頭にあったが、小ブルジョアのつよみは国民議会それ自体ののなかにあった。したがってかんじんなことは時と機会がかれらの足場をかためないうちに、かれらを国民議会から街頭へさそいだし、われとわが手でおのれの議会的な努力を破壊させることであった。山岳党はまっしぐらにわなのなかにとびこんだ。」58-9P
 イタリア・ローマ砲撃が「誘いの餌」59P
ボナパルトとその大臣の問責の否決から議会の解体59P
「指導者はその民衆にたいして、逃げたという罪をかぶせたことで満足し、民衆はその指導者に、だましたという罪をおわせたことで、満足していた。」60P
 議会と街頭闘争の乖離60-1P
「だが民主党は小ブルジョアを代表している。ところが小ブルジョアというものは過渡的階級であって、そこでは二つの階級の利害が同時ににぶくなるのである。だから民主派はおよそ階級対立というものを超越しているのだと思いこむ。」61-2P
「だが、六月十三日ブルジョアジーが議会の建物なかで自分の全能を確保したとき、かれらは、この議会のもっとも人気のある部分を追いだすことによって執行権力や民衆にたいして、いやしがたい弱みを議会そのものにせおいこませたのではなかったか。かれらは、多数の議員を検事局の引き渡し要求にむぞうさにゆだねたことによって、自分じしんの議会の不可侵性を廃棄した。」64P
「かれらは(秩序党は)、立憲制度擁護の反乱に、無秩序な、社会転覆をめざす行為というやき印をおしたが、かれらはそのことによって、執行権力がかれらにたいして憲法を侵害しようとするような場合にはすぐに反乱をよびかけることを、自分じしんに禁じたのである。」64P
「すなわち議会の休会を永久のものとし、共和国の看板たる自由、平等、友愛のかりに一点のあいましさもない言葉、歩兵、騎兵、砲兵! をもってくることが。」68P
第四章
「いつもおなじ合言葉がくりかえされ、主旨はいつもおなじ、判決は、いつもちゃんとできあがっていて、いつもかわらずこうである「社会主義だ!」」74-5P
「ブルジョア階級の支配が完全には組織されておらず、自己を純粋に政治的に表現するところまでゆかないかぎり、他の階級との対立もまた純粋にいらわれることができなかったし、またあらわれたところで、それが危険な方向転換をなして、国家権力にたいする攻撃をすべて資本にたいする攻撃に転化させてしまうことはありえなかったのである。」76P
「だからブルジョアジーは以前「自由主義的」だと讃えたものをいま「社会主義的」だとそしることによって、つぎのことを白状しているのである。すなわち、かれらじしんの利害が、自分で統治することの危険からのがれよと命じていること、国内に静穏をとりもどすためには、まずかれらのブルジョア議会が静穏にされねばならず、かれらの社会的な力が無傷のまま維持されるためには、まずかれらの政治的な力が破壊されねばならないこと、個人としてのブルジョアは、自分の階級が他の階級とならんで平等に政治的ゼロの状態におとしめられるという条件のもとでのみ、他の階級を搾取しうるし、財産・家族・宗教・秩序を一〇〇%享受しつづけることができること、自分の財布をすくうために、王冠がかれらの頭からうちおとされ、かれらをまもるはずの剣が同時にダモクレスの剣のようにかれらの頭上につるさねばならないこと、を。」77P
「これ以上低俗に大衆の低俗さをあてにして思惑をした王位僭望者はいまだかつていなかった。」78P
第六章・・・クーデターへの道。経済状態からの政治状況の分析、唯物史観
「ブルジョア属」113P・・・というようなものの形成
「いったい秩序党は、すべての矛盾の解決をだれに期待していたのか。日めくりに、資源のなりゆきに、である。」119P
「[沙漠]駝鳥は[砂のなかに]頭をかくして、それで的に見えないつもりになるというが、つまりかれらはそんな駝鳥議会をほっしたのである。」123P
「・・・・・・このブルジョアが、合同、改正、延長、憲法、陰謀、同盟、亡命、主権横領、そして革命という何ともいいようのない騒々しい紛糾のなかで自分の議会共和国にむかって気ちがい(ママ)のようにさけびたてたわけが、わかるだろう。――「終りのない恐怖より、恐怖のついた終りの方がましだ!」」129P――そのような情勢の中での、大統領の満期の一八五二年五月の第二日曜日という「終り」を睨んだボナパルトの決意
「クーテターはつねにボナパルトの固定観念であった。」130P
「ブルジョア独裁」136P
年代表・・・重要136-7P
第七章
「社会共和国は、二月革命の幕あきに、文句として予言としてあらわれた。それは一八四八年の六月事件に、パリ・プロレタリアートの血のなかで窒息させられたが、このドラマの以下につづく各幕を通じて幽霊となってうろつく。民主共和国が名乗りでる。・・・・・・一八五一年十二月二日「共和国ばんざい!」という連合王党の悲鳴のうちに埋葬される。」138P
「フランス・ブルジョアジーは、労働するプロレタリアートの支配をあくまでも阻止して、ルンペン・プロレタリアートを支配の座につけた」「かれらはサーベルを神に祭りあげた。」138P
弾圧は自らの上に139P
クーデターの性格139-40P
「老いたるモグラ」142P――註212P
軍事的・官僚的統治機構142P
「分業の増大」142P
 ボナパルトの下での国家の完全な自立143P
「しかしそれでも国家権力は空中にうかんでいるのではない。ボナパルトは一階級を、フランス社会のもっとも数の多い階級、分割地農民(Parzellenbauer)を代表している。」144P
「したがって分割地農民の政治上の勢力は、ぎりぎりのところ、執行権力が社会をおのれに従属させるばあいにもっともよくあらわれるのである。」145P
「それは農民の開化ではなく迷信を、卓見ではなく偏見を、未来ではなく過去を、減退のセヴァンヌではなく現代のヴァンデを代表する。」146P――註214P
「しかし十九世紀がすすむにつれて、封建領主のかわりに都市の高利貸が、土地についた封建義務のかわりに[土地]抵当が、貴族階級の土地所有のかわりにブルジョアの資本があらわれた。」149P・・・農民への支配者の変遷
「ナポレオン思想」152P・・・二度目は茶番
「今となってはぬすみだけが財産を、偽善だけが宗教を、私通だけが家族を、無秩序だけが秩序を、すくいうるのだ!」「だから原因は生かしておかねばならないが、あらゆる結果はなくしてしまわねばならない。しかし原因と結果のちょっとしたとりちがえなしには、このことはおこなわれない。」「しかしボナパルトは自分を何よりも十二月十日会の大将、ルンペン・プロレタリアートの代表者とこころえている。」154P
不正と欺瞞155P
「しかしやがて皇帝のマントがルイ・ボナパルトの肩におちかかるときには、ナポレオンの銅像はヴァンドーム柱のてっぺんからころげおちるであろう。」158P――註167P・・・結びのことば
解説
「・・・・・・ボナパルティズムのある意味での今日的形態でともいえるファシズム独裁の危険はけっして少なくはない。」235P・・・ボナパルティズムとファシズムの関係


posted by たわし at 00:54| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月17日

ハナ・アーレント『全体主義の起原3 ――全体主義』

たわしの読書メモ・・ブログ588
・ハナ・アーレント『全体主義の起原3 ――全体主義』みすず書房1974
この本は、ハナ・アーレントの『全体主義の起源』という三部作の3巻目です。
アーレントのオリジナリティは、全体主義の概念にファシズムだけでなく、スターリン主義を織り込んだと指摘されている事です。そもそも、ドイツのナツィズム、イタリアのファシスト党の運動――狭義のファシズム、日本の天皇制ファシズム、その他スペインのフランコのファシズム等々を総称して、広義のファシズムとしてとらえられるのが、一般的なファシズムの定義になっているようです。日本型ファシズムはファシズムではないという議論もあるようなのですが、後にファシズム規定をしますがわたしは明らかにファシズムの一つだと押さえています。
ファシズムと全体主義は同意語的にとらえられているようですが、必ずしも重ならないところがあります。それは、スターリン主義といえども、マルクスの思想から出てきたことで、いわばマルクスの鬼っ子なのですが、マルクスの思想の流れのファシズムの押さえとして、「一つの階級の独裁的支配政治が揺らいでいるときに階級を超えた、「全有産階級の突撃」という形での全体主義的支配」となるのですが、スターリン主義――国家資本主義の社会では、国家が労働者を搾取するという構図になっていて、ブルジョア階級なき社会になっています。たしかに官僚・テクノラートという支配的階層的存在はあるのですが、一応「階級なき社会」になっているので、「階級を超えた突撃」という概念はあてはまりにくくなります。アーレントはこの本の中で、専制や独裁とファシズムや全体主義を区別しています。
さて、肝腎のファシズム規定です。ファシズムは次の内容を満たしているとわたしは押さえています。@差別排外主義A民衆的イデオロギー運動と行動B拡張的・覇権的「汎」の突き出し(汎ゲルマン民族主義、汎スラブ主義、汎アジア主義、……)C階級を超えたナショナリズム(国家主義・民族主義)もしくは人種主義(アーリア人種の形成・発展……)Dテロリズムと民衆を巻き込んだ秘密警察的組織による恐怖支配Eデマゴギーや報道規制・抑圧による情報操作。
さて、アーレントがこの3巻本で全体主義として押さえているのは、主にナツィズムとスターリン主義、その前段階のボルシェヴィキズムです。わたしは、むしろ実はファシズム論なり、全体主義論をやらねばならぬという思いから踏み込んでいるのは、日本型のファシズムの押さえと現在的ファシズムの隆起・芽として出てきていることを押さえるための学習なのです。具体的にいえば、日本会議などの民間レベルでの動きと、維新の会、自民党右派清和会とりたてて安倍元首相周辺の動きです。わたしは一般にファシズムと規定されている具体的例から(その中にはこのアーレントの論攷も含むのですが)、ファシズム規定をなしながら、逆にその規定自体から具体的ファシズムを検証していくという相作的な弁証法的詰めを行おうとしています。
そういうところから、戦前戦中の「日本型のファシズム」は、まさに上記の6項目総てに当てはまり、まさにファシズムなのです。維新の会や維新の会が発足当時秋波をおくっていて、今もシンクロしている安倍元首相とその周辺ですが、これは、まだ@差別排外主義というところで、周辺からすでに出てきていて、それをはっきり非難するなり・切り捨てることをしていないのですが、嫌中・嫌韓的なことは出しているのですが、安倍元首相は、自民党から抜け出すのではなく、自民党のそれなりに幅広い支持を得るというところで、差別主義的なことは突き出していません。橋下元大阪府知事元大阪市長自身が被差別者の立場があることもあり、これは内包していても、明確にはなっていないというところです。後は、「Dテロリズムと民衆を巻き込んだ秘密警察的組織による恐怖支配」は、そのものとしては出てきていませんが、Eとも絡んだ脅迫政治的な動きが出ています。それらのことから、わたしは「ファシズムの芽」という押さえ方をしています。
もうひとつ、マルクスがボナパルティズムと規定した「後進国ファシズム」とも規定される存在との関係を押さえなければなりません。マルクスの思想からどういうファシズム論が出てくるか、そのことからのアーレントとの対話が必要になります。これはマルクスの歴史三部作のひとつとされている『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』をこの後再読します。
さて、3巻読み終えて、つながりの検証をしておく必要があります。前の2巻(「反ユダヤ主義」「帝国主義」)と最後(「全体主義」)が繋がらないという意見もあるようなのですが、これはナツィズムとボナパルティズムという全体主義については、繋がっています。
2巻目の「帝国主義」については、今日的には「新自由主義的グロバリーゼーション」の時代といわれることの、ファシズムとの親和性の問題があります。アーレントのこの本を書いた時代には、まだ植民地支配のまっただ中でした。今日的には、「自己責任論」や弱肉強食の優生思想に根ざした競争原理的なことが、「A民衆的イデオロギー運動と行動」として出ています。今日的には、ポストコロニアリズム時代で、「帝国主義」と言われることは、「<帝国>」と言われるグロバリーゼーションといわれる多国籍企業の経済的支配の構造に変化してきているのですが、「B拡張的・覇権的「汎」の突き出し(汎ゲルマン民族主義、汎スラブ主義、汎アジア主義、……)」の政治的覇権を巡る攻防が続き「C階級を超えたナショナリズム(国家主義・民族主義)もしくは人種主義(アーリア人種の形成・発展……)」についても、国家主義な突き出しが出ています。トランプのアメリカファーストやアベ政治の「世界で一番……」という突き出し、そして今起きているプーチンのウクライナ侵攻はまさにB的な突き出しになっています。民主主義を標榜する国において、否定すべきDは、戦争がなくならない世界ということにおいて否定されているとは言い難く、Eも少なからず出ています。そして、@は、資本主義の維持・延命のためには、ローザ・ルクセンブルクの「継続的本源的蓄積論の要」としての差別がなくなるわけではありません。そういう意味で、「新自由主義的グロバリーゼーション」的な突き出しか、トランプのようなむしろ国家主義的な突き出しか、どちらにせよファシズム的なこととの親和性が続いていくのだと思います。
最後に押さえて置くべき事、翻訳の問題。一般的に使われている「ナチ」がこの3巻本では「ナツィ」になっています。一般的に「エリート」とされているところが「エリット」などとされているなどの、発音に表記で違和を感じたところの問題があります。理論的なこととしては、一般的には「国家社会主義」と訳されていることが、「国民社会主義」と訳されていることには疑問に感じました。アーレントとしては、国家を超える運動としての「ナツィズム」というところから、ナショナルの訳を国民と訳しているのですが、日本的な国家主義の突き出しとしてのファシズムをとらえると、国家の国民支配の構造をとらえると、ここは「国家社会主義」と訳しておいた方がいいのではとの思いを持ちました。
だいぶ、この本から離れた対話をしてきましたが、この本に沿った対話に入ります。まず目次をあげておきます。
 緒言 
第一章 階級社会の崩壊
   1 大衆
   2 モッブとエリットの一時的同盟
第二章 全体主義運動
   1 全体主義のプロパガンダ
   2 全体主義組織
第三章 全体的支配
   1 国家機構
   2 秘密警察の役割
   3 強制収容所
第四章 イデオロギーとテロル
エピローグ
 訳者あとがき
参考文献
 牽引

 さて、具体的な対話に入るのですが、かなり膨大になるので、切り抜きメモを出来るだけ少なくして要点をまとめたメモにします。
緒言 
 スモレンスク文書viP・・・ロシアの粛清の記録
個人崇拝 客観的敵 完全な受動性xviP
 医師団陰謀 「スターリンは自分自身が企てた犯罪をいつも架空の敵に転嫁(ママ)して告訴していた。」xxivP・・・スターリン的手法
 制度化されたテロル ユダヤ人世界陰謀説xxvP
第一章 階級社会の崩壊
   1 大衆
「ヒットラーが「無条件の尊敬」を捧げたのは「天才スターリン」に対してだけだった。」7Pスターリンが意識的に「指導者」と呼ばせることをヒットラーから学んだ11P・・・ヒットラーとスターリンの共鳴
 法の前の平等とは差別し合う関係において成立する13P
階級社会の崩壊13P・・・?階級を超えた全体主義的突撃、ナショナリズムを越えた汎ゲルマン民族的全体主義
 モッブ――十二月十日会、屠殺者部隊、黒百人組、汎民族運動16P
大衆――階級的基盤を持たない、時代精神の体現16P・・・?階級的観点を捨象した概念 大衆と民衆の違い、民衆には中身がある 
 ヒムラー「忠誠こそがわが名誉」38P
「止まることのない運動」としての全体主義40P
「運動の実践上の目標は、可能な限り多くの人々を運動の中に引き入れ、組織し、高揚させることである。」40P
2 モッブとエリットの一時的同盟
「戦争は、そこでは個人間の一切の差異が消え失せる最も壮大な大衆行動として経験されたため。今や苦しみすら――伝統的に苦しみとは、各個人を他とは異なった交換のきかない運命が襲うことによって、人間を相互に区別するものであったのだが――「集団的苦しみ」として「歴史的進歩の手段」とされてしまった。」45P・・?ナショナリズム的なことへのとらわれとしての共同幻想
 サド46P
 戦争体験と暴力性と行動主義48P
「全体主義運動の魅力は単にスターリンやヒットラーの嘘を吐く名人芸にあったのではなく、彼らが大衆を組織し操作して自分たちの嘘を現実へと変え得たという事実にあった。」52P
 第二章 全体主義運動
   1 全体主義のプロパガンダ
「プロパガンダとテロルは同じメダルの表裏のように相互に補完し合うものだということが、全体主義体制の批判者の側からも主張されてきたが、これは限られた意味でしか正しいとは言えない。」63P――プロパガンダには威嚇を含んでいるという意味で。理論とか真理とか、理論とか、綱領とかではない、不定型な(感情的な)プロパガンダ。ポピュリズム
「力のプロパガンダ」68P――テロルへの恐怖、脅迫・・・「維新」政治
 科学主義と全体主義71-2P
 ロアンのいう利害72P
科学迷信73P
(病者の殺戮は)戦争遂行のための口減らしではなく、戦争が大量殺戮のチャンス
 ここにはそれとして書かれていないT4計画だけでなく不治の病も(註17)74P
利害ということが働くのは集団化・大衆化されていない社会で、全体主義化すれば意味はない74P・・・?それでも、そこに利害関係が、階級的利害を超えた利害という意味?
 勝利か破滅か74P
 世界観と運動が党よりも重要75P
 ヒットラーとスターリンの予言と実行76P
殺す者を死にかけている者と定義――(似而非)科学と法則性77P
事実無視78P
「ネイション」という語の自分たち(ナツィ)の語彙から抹殺92P
 シオンの賢者の議定書93-4P
 ドイツ的→ゲルマン的→アーリア的93P
   2 全体主義組織
SAは平和主義(民主主義)と闘う手段108P
レームは軍事的ファシズム、ヒットラーは党――思想・運動的ファシズム110P
 全世界・全社会を代表すると称するナツィズム112P・・・グロバリーゼーションとの共振
 全体主義者の反転した(悖理の)職業的意識――法律家(――触法者)、医者(――殺人者)、学者(――無知)112-3P
 ヒムラー「或る事柄を決してそれ自体のために行わない」という全体主義的観点114P
 共通の犯罪と共通の理想115P・・・共犯幻想
 秘密結社121P
 スターリンの一党独裁――全体主義126P・・・レーニンの中央集権制と分派の禁止から
 ナツィズムのSSの核はレイシズム136P
ナツィのレイシズムは蚤の駆除という、科学ではなく感情的なこととして137P
第三章 全体的支配
「マルクスとエンゲルスはいわゆるナショナルな問題なるものに理論的関心をもたなかった――ということは、彼らは世界革命の真の実践的=戦略的問題を避けて通ったということにほかならない――し、また一つには、第一次世界大戦と第二インタナショナルの崩壊は、全世界の社会主義政党は取るに足らぬ分派にいたるまで他のあらゆる種類の政党に劣らずナショナルであり、これらの社会主義政党のインターナショナリズムは政治的には無意味であることを疑う余地のないまでに証明したからである。」141P・・・?「共産主義者には国境がない」というマルクス/エンゲルスの提言をおさえていない。アーレントには社民と共産主義の区別がついていない。
 ユダヤ人とイスラエル問題143P註(1)・・・差別される立場としてのナショナリズムと国家・国民のないところでのインターナショナリズム、グロバリーゼーションと国家主義の関係として押さえる必要
   1 国家機構
「ヒットラーが<道徳>という言葉を、良心ではなく組織的な<訓練>によってすべてのドイツ人に全生涯にわたって叩き込まれた国民社会主義の世界観と解していた・・・・・・」150P
 国家と党の間の軋轢150P
ナツィズムの構造的なことの否定としての運動158P・・・ファシズムの機能としての行動的ファシズムとイデオロギー的ファシズム
総てのことの上位としてある総統の意志160P
 家族・伝統・権威の三位一体のヒエラルヒー――ただし、個人崇拝的なところで、機能停止168P
 権力および命令権の最高指導者の絶対的独占169P
ベリヤ169P
 全体主義≠専制政治171P
「彼(ヒットラーとスターリン)自身は政権掌握の前後を問わず徒党の一つに属してはいないのである。」171-2P
 ヒエラルヒーの欠如――後継の喪失174P
 SSのモットー――「いかなる任務もそれ自身のために存在するのではない175P
 千年単位の計算――「千年王国」というイデオロギー179P――運動を利すること⊃国民を利すること181P
ドイツ人≠支配人種、「ドイツ人種」という言葉を使ってはならない180P
アーリア人種という数百年後に形成される人種――戦争の勝敗よりも大切180P
 優生思想的なところでドイツ人種も抹殺189P・・・T4計画自体については書かれていない
 全体主義的政治は古い権力政治ではない――理念をもっている190P
「全体的支配というものの持つ無構造性、あらゆる物的因子や利害の無視、合目的的な考慮や権力欲にわずらわされぬこと、これらのことは、政治というものが何よりもまず物的な幸福安全のためにできるかぎり合目的的に配慮をおこなうべきものと理解されているこの社会において、一切の政治的行動をまったく予測不可能なものにしてしまった。」192P・・・?そのようにとらえられるという意味
   2 秘密警察の役割
 全体主義は単一政党制193P
国家の名による粉飾――党そして運動が中身194P
秘密警察194P――党と国家の真の統一195P註
 全体主義体制と専制政治の違い――民衆運動・支持の有無196P
 反対派がいなくなったときに、むしろ有効性を発揮する秘密警察196P――テロルは現象的には最初だけ、ルーティン化された機械的処理
 統治ではなく運動としての全体主義203
国家の中の国家――他のすべての政府機関に対する優位205P
 専制政治における被疑者と全体主義的政治における被疑者の違い――でっち上げ、<客観的敵>205P
 全体主義のフィクション――可能性のあるとしたことを事実として作り出す210P
 <国家の中の国家>ではなく、世界観、イデオロギーの体現としての秘密警察212P・・・?権力者の意向の体現
日常的住民の相互監視体制217P
山師たち、「社会のクズ」の暗躍が常道になった――そして失墜220P
「全体的支配は犯罪と栄誉、罪と無罪の概念を、われわれがすでに知っている独裁政治もしくは専制政治のように自分にとって都合のいい方針に従って<一変(「レヴオルツイオニーレン」のルビ)>したのではなかった――こうした概念をまったく破棄し、そのかわりに<望ましからぬ者>および<生きる資格のないもの>という新しい概念をもって来たのだ。」222P
一人の人間の記憶からも抹殺225P
   3 強制収容所
自発性の除去は強制収容所の中でのみ可能な社会理想232P
 死ぬことも生きることもひとしく実質的にさまたげられている239P
「断末魔」244P
 そもそも人間というものが何であり、人間というものにどういう価値があるかを示す見本250P
 道徳的人格の殺害255P
. ルサンチマンによる拷問――人間的に理解し得る態度の最後の遺物のように思える256P
「こうなればもはや収容所は人間の姿をした獣の、つまり本来なら精神薄弱者のホームなり癲狂院なり監獄なりに入るべき人間どもの運動場や娯楽場ではなかった。」257P・・・「歴史的限界性」とはいえ、アーレントの障害問題での差別性
「人間の人格の個体性、その唯一性というものは、自然と意志と運命の三者が相寄って形造られ、その無限の多様性において一切の人間関係のきわめて自明な前提をなしていて、そのためにわれわれは瓜二つの双児を見ただけで或る戸惑いをおぼえるほどである。この個体性、唯一性の破壊は、法的・政治的人格のおぼえる怒りや道徳的人格が味わう絶望などよりもはるかに深い戦慄を我々に感じさせる。結局のところすべての人間はひとしく動物であると――いかにも尤もなことだが――主張する、強制収容所体験を普遍化したこのニヒリズムはここにはじまるのである。」257-8P
 パブロフの犬――自発性の抹殺258P
 強制収容所が民衆のアパシーを形成260P
 人間をまったく無用にする――ヒト科の動物262P
<超意味>――現実性と事実性への蔑視263P
 死の工場――人類が共通に担う罪業という枠をすら超えている266P
第四章 イデオロギーとテロル
 全体的支配は、一つの新しい、史上いまだかってない<国家形式> 268P・・・?
 過去の責任と連帯性270P
 本質的に新しいもの、すなわちこの支配を実際に全体的な死に至らしめるものを見据えることが必要270P
 歴史の因果律は迷信270P・・・そもそも因果律自体の問題性
 こんなことがあってはならないはず――歴史の連続性とわれわれの政治的思考の概念および範疇を粉砕してしまう271P
「実際に制定された法に代わっていらわれて来るのは権力者の全能の恣意ではなく、<歴史の法則>もしくは<自然の法>である。」271P
「その中に住む人間とは人間たちとは無関係にそれ自体として合法則的であり、世界を本当に支配している法則に順応して動く・・・・・・」272P
「全体主義の法律は最初から運動法則として、一つの運動に内在する運動法則として、一つの運動に内在する掟たることを定められている。」273P
 ナツィの人種法則――ダーウィンの思想の影響273-4P
「歴史法則を信じるボルシェヴイキーの信念の規定には、ますます速度を増しながらその終点にむかって疾走し、結局この世界から歴史としての自己の存在を抹消する巨大な歴史過程の結果として人間社会を見るマルクスの観念がある。」274P・・・アーレントも発達史観的マルクスのとらえ方に同調
「このように法律(法則)(「ゲゼツッ」のルビ)という語すらも全体主義の用語法ではその意味を変えたのである。それはもはやその相対的な安定性自由の場――そのなかで人間の運動や行動がおこなわれる――を作り出し保護する法の垣を意味しない。それはまず第一に、そして本質的に運動を意味するのである。法という言葉はこの意味ですでにさまざまのイデオロギーによって、すなわち、一つの前提から出発してあらゆる事象を解く鍵を握っていると主張するさまざまの世界観によって用いられていた。これらの世界観のなかで弁証法的唯物論と人種主義のみが政治的重要性を持つにいたった理由の一つは、他のすべてのものよりも首尾一貫したこの二つの世界観が、運動――自然の運動もしくは歴史の運動――として人類を貫き、すべての個人を否応なしに曳きずって行く超次元的な力(単に圧倒的な力というだけではなく)を前提としたことにあると思われる。」274P・・・弁証法的唯物論(ステロ化したマルクス)批判――法則の物象化批判と運動としての人種主義
 エンゲルス「マルクスは歴史科学のダーウィン」275P・・・進歩史観としての共鳴
 自然の領域は歴史的なものの領域を圧倒275P・・・?スターリンの「自然弁証法の基礎の上に立つ史的唯物論」――法則の物象化としての
「他方、階級闘争というマルクス主義の歴史法則も、マルクスにおいては生産関係の発展は人間の労働力の発展に起源し、その労働力はまた人間と「自然との物質代謝」として、すなわちそれによって人間が自分自身の存在と人間という種の存続とを保証する生物的・自然的な力として定義されている以上、究極的には一つの自然法則に依拠している。」275P・・・アーレントのマルクスのスターリン主義的曲解
「彼らは彼らを通じて急速に動いて行く自然もしくは歴史の巨大な超人間的過程の代弁者として絶えず運動を強いられるのである。」276P
「法治国家が不変のjus naturale(自然法)を、もしくは永遠の神の命令を、もしくはまた太古以来の、それ故神聖化された慣習や伝統を実現するために実定法を必要とするように、全体主義の支配は歴史あるいは自然の過程を発進させその運動法則を人間社会のなかで貫徹させるためにテロルを必要とする。」275P
「古典的な理論に従って法の支配のうちに立憲政治の真の本質を見るとすれば、テロルというものは全体主義の支配の固有の本質として定義することができる。」277P
「テロルは或る目的にための手段ではなく、自然的もしくは歴史的過程の絶えず必要とされる執行(「エクセクツイオーン」のルビ)なのだ。」278P・・・「これまでの歴史は・・・・・・階級闘争の歴史である」という意味において
 homo faber(工作人)279P
「行為の原理は心理的動機と行動されてはならない。行為の原理というものはむしろ、公的・政治的な行為――それ以外のものではない――のみにそれによって計られる尺度なのである。」282P
全体主義政治においても「実際上問題になる行為の原理はすべての専制政治におけると同様に恐怖であるように見える。」283P
「歴史と自然が自分の手中にある人間に運命として与えたとされ、そしてテロルがその執行に当る運動法則を、いかに理解すべきかを人間に教えるものを持ち出すのだ。」283P
「この準備は、全体主義支配においてはイデオロギーによっておこなわれる。」284P
「展開し切ったイデオロギーとしての人種主義を以前の人種観念と区別するのは、前者においては人種の概念そのものが運動――人種闘争の過程、しかじかの人種の勝利と滅亡、等――を含んでいるということ、換言すれば人類の歴史過程が人種イデオロギーから論理的に展開されて行くということである。」285-6P
「人種主義と共産主義が二十世紀の決定的イデオロギーとしてあらわれたのは、これらがそれ自体として他のさまざまな主義よりも<全体主義的>だったからではなく、もっぱら最初からそれらの根柢にあった経験要素、すなわち地球の覇権をめぐる人種闘争と国内の政治権力をめぐる階級闘争が、他のすべてのイデオロギーよりも政治的に重要であることが判明したからにほかならない。・・・・・・一方またすべてのイデオロギーは、全体主義運動によって完全に展開させられただけで全体主義的要素を含むことになる。だからこそ、人種主義と共産主義のみが全体主義的であるかのように見えるのである。」286P・・・アーレントはスターリン主義と共産主義を同一化している。共産主義ではなく歪められた「共産主義」
 「すべてのイデオロギー的指向の特徴をなす三つの全体主義特有の要素@「イデオロギーはこの場合、存在するものではなく,もっぱら成るもの、生成消滅するものを説明しているにすぎない。イデオロギーは最初から運動の要素を自己のうちに持っている。なぜならイデオロギーはそもそも動くもののみに、つまり通常の意味での歴史というもののみにかかわっているからである。」286P・・・「歴史のみにかかわっている」という物象化A「一切の経験に依存しなくなる。」287P・・・行為するイデオロギーと上部構造としてのイデオロギーのごちゃまぜB「それ自体としては、現実を変える力を持たないイデオロギーは、経験および経験された現実からの思考の解放を、その独特な論証方法に頼っておこなった。イデオロギー的思考は、確実なものとされた前提から完全な一貫性もって――ということは勿論、現実には決して見られることのない斉合性をもってということだが――その先のすべてを演繹するというやりかたで現実の事実を処理する。演繹は単に論理的にも、あるいはまた弁証法的にもおこなわれ得る。いずれの場合にもそれは合法則的に信仰する論理のプロセスであって、これはプロセス的思考として、自然もしくは歴史の超人間的過程の運動を洞察し得るものとされる。この場合洞察は、悟性が論理的もしくは弁証法的プロセスをたどりつつ、科学的に確認されているという運動を模倣し、この模倣によってその運動に順応するということによっておこなわれる。論理的演繹のみを事とするイデオロギーの論証は、前に挙げたイデオロギーの二つの構成要素、すなわち運動の要素と現実および経験からの解放という要素を次のことによって両立させる。つまり、一つにはそれ自身本質的に自己運動的思考であることであり、また一つには、前提のなかで与件として認められている唯一の論点――ただしこの論点だけはまだ経験された現実にもとづいている――に立脚してこの運動過程を展開させていることである。――尤もここから展開された運動はその後の一切の経験によっていささかも変えられることはないのだが。一旦その前提が、その出発点が確定すると、イデオロギー的思考は原則的にいかなる経験からも影響を受けないし、いかなる現実からの教訓も受けつけない。」287-8P
「この世界の中でいかに生きるかについてのオリエンテーションは消滅して、超人間的な自然もしくは歴史の強大な流に身をゆだねねばならぬとする自分自身への強圧がそのかわりにあらわれた。」288P   
「過激な全体主義運動がイデオロギーからその政治行動の原理を得て来るようになってはじめて、イデオロギーに常に内在する論理的要素が圧倒的に優勢になり、そうしてイデオロギーそのものの本来の実体――労働階級もしくは民族――は純粋な演繹の一貫して斉合的な運動のなかで磨りつぶされてしまうのである。」288P・・・問題はなぜ全体主義に陥ってしまうのかの分析
「ヒットラーとスターリンはいつも、世間でよく使われている「Aと言った以上Bと言わなきゃならない」という言い方で彼らの議論を固めることをとりわけ好んだが、この理屈が「鉋をかければ木屑が落ちる」の諺とまったく同じように現代人を納得させたことは疑いない。」290P
 組織の物神化291P
「新規まきなおしに事をはじめる」292P
「テロルの外的矯正は自由の空間を破壊するとともに人間のあいだの一切の(有機的)関係をなくしてしまう。」292P
「テロルの鉄の箍によって締めつけられながらも保護され、まったく抽象的な論理的推論の決してあやまつことのない一貫性によってかりたてながらもまた常にそれによって支えられている彼らには、その未来への更新のなかで実在する現実の世界との出逢いをことごとく拒まれているかわりに、また人間生活のすべての経験を――<無用なもの>や<有害なもの>をテロルの過程にゆだねることも結局は彼らの決めることだとすれば、自分自身の死の経験すらをも――彼らは免れているのである。」293P
 モンテスキウ「君主制の――そして実はすべてのヒエラルヒー的秩序を持った国家形式の――根柢にあってその政治を決定している基本的経験は、われわれはその出生によって他の人間とは異なり、人間の優劣は自然によって決定されているという経験である。」(・・・差異の自然性という物象化)「共和制において基準となる基本的事実は人間の同一性であり、しかもこの事実が公的行動の基礎をなす政治的事実である以上、この同一性は神の前での万人の同一性でも死の前でのすべての人間の運命の同一性でもなく、人間の力の同一性なのである。」294P・・・資本主義社会では人間の力は労働力の価値として測られ、同一的なものとしてとらえられていない
ホッブズ「同一性を人を殺す能力の平等性《equality of ability》と定義」294P
「恐怖は本来行動の原理では決してなく、反対に、行動し得ないという絶望なのだ。」295P
「市民は同一性の上になりたつ政体には一転して専制に変る危険が特に大きいというのは、古代以来の古い洞察である。」295P
「全体主義の支配が専制の近代的形態以外の何ものでもなかったとすれば、この支配は専制と同様に、人間の政治的領域を破壊し、つまりは行動を妨げ無力を生み出すことだけで満足しただろう。全体主義の支配は、この支配に服する人々の私的・社会的生活をテロルの鉄の箍にはめた瞬間に真に全体的になる。」296P
「全体主義的支配のなかで政治的に体得される人間共存の基本的体験は見捨てられることVerlassenhの経験なのである。」297P
エピローグ
この本はドイツ語版を基調にして訳していて、初刊の英語版に書かれていることを書き足しているのですが、「第四章 イデオロギーとテロル」がドイツ語版と英語版が余りにも違っているので、英語版を異文として訳しだしたものです。
「全体主義的統治の本性」(・・・およそ、本性とか本質とかいう概念自体が脱構築されること)――全体主義の組織の今までに前例のないまったく新しい形式と行動路線は、人間が共同で何らかの公共の事柄に関与するときにいつも遭遇するはずのいくつかの基本的な経験の一つに依拠していると考えなければならない。」302P
 オルタナティヴ――「法による統治か法なき統治か、専制的権力か合法的権力かのオルタナティヴである。」302P
(全員の合意による法の承認) 」304P・・・「憲法より上位の民衆の意志」――臨時革命政府の樹立の根拠
「人間と法とのこの同一化は、古代以来の法思想の悩み種だった合法性と正義との差を解消するもののように見えるが、これはlumen naturale(自然の光)もしくは良心の声とは何一つ共通するものを持たない。Ius naturale(自然法)もしくは歴史を通じて啓示された神の掟の権威の源泉としての<自然>もしくは<神>は、lumen naturaleもしくは良心の声を通じて、その権威を人間自身の内面に告知すると考えられているのだが、しかしこのことは決して人間を法の生きた具現にはせず、反対に法は人間に同意と服従を要求する権威として人間とは異なるものとされていたのである。実定法の権威の源泉としての<自然>もしくは<神>は永遠不易のものと考えられていた。」304P・・・まさに物象化
「マルクスの最も進歩した階級が生き残るという法則」305P・・・マルクスの歪曲。マルクスは階級の死滅を提起していた。マルクス主義を全体主義イダオロギーにしたこと@国家主義――中央集権制Aヒエラルヒーの形成とそれを止揚できなかったことB進歩史観――優生思想にとらわれたこと(反差別の思想がなかったこと)
「この発展の動力が自然と呼ばれたか歴史と呼ばれたかは、どちらかといえば二義的なことである。」305P・・・自然と歴史の二分法と物象化
「法というものが<自然>であれ<歴史>であれ何らかの超人間的な力の運動法則であるならば、テロルは合法なのだ。」307P
 モンテスキウの指導原理の基準――君主制は名誉、共和制は美徳、専制は恐怖308P
「全体主義的支配がまだ全地球を征服せず、テロルの鉄の箍によって一人々々の人間を全体としての人類の部品に変えてしまっていないうちは、統治の本質および(行動ではなく)運動の原理としてのテロルの二重の機能は完全に発揮され得ない。」309P
 意志の喪失――自然法的エネルギ――テロルと鉄の箍の支配310P
 ヒットラーとスターリンの登場――「全体主義的な支配にとってイデオロギーが無気味なまでに役立つ存在」311P
「歴史の運動がそれによって一つの首尾一貫した過程として説明される<観念>であるにすぎない。」「この弁証法的手法をもってすればさまざまの事実的矛盾を同一の一貫した運動のさまざまの段階として説明してのけることができるということである。」312P・・・ヘーゲルの絶対精神の自己展開としての弁証法でしかない
 すべてのイデオロギー・思考に特有の三つの特殊的全体主義的要素
 孤立はテロルの始まり318P
 loneliness(ロウンリネス)と孤立の違い318P――「孤立は人間生活の政治的領域に関係するにすぎないが、lonelinessは全体としての人間生活に関係する。」320P
「テロルを生む一般的な地盤であり、全体主義的統治の本質であり、そしてイデオロギーもしくは論理性にとっては、その執行者および犠牲者を作り上げるものであるlonelinessは、産業革命以来現代の大衆の宿業(「しゅくごう」のルビ)となっていた、そして前世紀末の帝国主義の興隆および現代における政治制度および社会的伝統の崩壊とともに鮮明になった、根を絶たれた余計もの的な人間の境遇と密接に関係している。」320P
「物質的感覚的な所与の世界についての私の経験すらも、私が他の人々と接触しているということに、つまり、他のすべての感覚(「センス」のルビ)を規制し統制しているわれわれの共通感覚(common sense・常識)に依存している。」320P・・・共同主観性
「始まりとは実は一人々々の人間なのだ。」324P


posted by たわし at 05:11| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハナ・アーレント『全体主義の起原2 ――帝国主義』

たわしの読書メモ・・ブログ587
・ハナ・アーレント『全体主義の起原2 ――帝国主義』みすず書房1972
この本は、ハナ・アーレントの『全体主義の起源』という三部作の2巻目です。実は1巻目の序文をカール・ヤスパースが書いていて、その中で最初に3巻目をよんでアウトラインを押さえてから、1巻目、2巻目と読むと良いと書いていたのですが、あえて順番通り読んでいました。この本2巻目を読みながら、やはり3巻目を押さえないとアウトラインをつかめないことが分かって来ました。必要とあらば、3巻目を読んでから、もう一度2巻目を読み直します。ただ、最初から抱いていたアーレントへの違和感が膨らんでいっています。まずは、アーレントはハイデッガーやヤスパースに師事していた実存主義哲学の系譜のひとで、わたしは、マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」の(一一) 「哲学者たちはただ世界をさまざまに解釈してきたすぎない。肝腎なのは、世界を変革する事である。」[マルクス/エンゲルス 廣松渉編訳/小林昌人補訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』岩波文庫(岩波書店)2002]240P(下線は本の中では傍点)を想起してしまったのです。違和のもうひとつは、ソヴィエトロシアやその周辺のそして毛沢東の中国など「社会主義」を自称していた国を「社会主義国家」としてとらえ、それをドイツ・ナツィやイタリア・ファシスト党と同等にとらえていることです。確かに、全体主義という用語からすると、それらのスターリン主義国家は、全体主義国家なのですが、社会主義やまして共産主義が全体主義ではないのです。スターリンのみならず、レーニンも、そしてマルクス/エンゲルスの理論も時代拘束的とはいえ不備の責任があり、その継承者が整理深化できなかった責任はあるのです。マルクス派、そしてマルクスを語りながら踏み外した運動を「歪められた革命」として押さえ、そもそもそれを整理深化(止揚)していけば、むしろ全体主義とは逆方向に行くことを、一緒くたにして批判しているアーレントの論理がどうしても理解できないのです。
 これはサブタイトル通り、「帝国主義」の押さえで、国家論、人種・民族問題の押さえにもなっています。そこから、ナツィのユダヤ人虐殺につながる3巻目のサブタイトルになっている全体主義へ繋がっていくのです。
 さて、この本の中で、そしてそこから波及する形でわたしが抱いていたことの修正と加筆をなしてみます。
 ずっと、全体主義とファシズムの違いということを考えていたのですが、電子辞書などをひいていくと、ファシズムはもともとイタリアのファシスト党、その語源からして「束」という意味をもって発しています。そしてそれがドイツではナツィ(ナチ)として現れたのですが、それと日本におけるファシズムをまとめて、ファシズムという規定になっています。尤も、日本のファシズムはファシズムなのかという疑問も出ているようです。それは、この本のアーレントの全体主義の押さえ方、国民国家の「解体」という概念や軍事的官僚的統治機構を越えてでてくるという概念には日本型のファシズムは外れています。日本の場合、天皇制を軸にした軍事的なところでファシズムが台頭してきたからです。第1巻の最後に仮の提起としてファシズム規定を出していたのですが、わたしはむしろ日本型のファシズムに引きずられていたようです。わたしはファシズムを規定していく上でキーワードになるのは、ネイションという概念です。これは国家と民族両方の意味を持っています。アーレントは、汎民族主義ということで国民国家の枠組みを超えて膨張する運動として押さえていますが、それがまさに、この2巻目のサブタイトルの帝国主義なのです。それは必ずしも国民国家という枠組みを解体することにはならないと考えています。民族や人種という概念が前面に立つのか、国家という概念が前面にでるのか、どちらにしてもネイションで、ナショナリズムなのです。アーレントの全体主義という概念は、スターリン主義を全体主義として規定していますが、それはもともと「共産主義には国境がない」というところで、ネイションという枠組みにはとらわれない、むしろ批判しているわけで、それをスターリンが一国社会主義建設は可能だとして進め、一党独裁体制をひいたので、「社会主義として定立できなかった」、歪められた、革命的理念が解体された「社会主義」で、社会主義の定立に失敗したのです。それを全体主義ということでは押さええるとしても、ファシズムと一緒くたにはできません。もうひとつ、マルクス派のファシズム規定で、階級支配のゆらぎのなかでの、「全有産階級の突撃」という階級構造からの分析がアーレントには弱いということがあり、それで、「社会帝国主義」型の全体主義をファシズムと同一化することになってしまうのではとも、わたしサイドからのアーレント批判(対話)です。
 この本のサブタイトルは「帝国主義」です。帝国主義が人種・民族差別を強化拡大していく構図があります。
 さて目次をあげておきます。
 緒言 
第一章 ブルジョワジーの政治的解放
   1 膨張と国民国家
   2 ブルジョワジーの政治的世界観
   3 資本とモッブの同盟
第二章 帝国主義時代以前における人種思想の発展
   1 貴族の「人種」 対 市民の「ネイション」
   2 国民解放の代替物としての種族的(「フェルキッシュ」のルビ)一体感
   3 ゴビノー
   4 「イギリス人の権利」と人権との抗争
第三章 人種と官僚制
   1 暗黒大陸の幻影社会
   2 黄金と血
   3 帝国主義的伝説と帝国主義的性格
第四章 大陸帝国主義と汎民族運動
1 種族的(「フェルキッシュ」のルビ)ナショナリズム
2 官僚制――専制の遺産
3 政党と運動
第五章 国民国家の没落と人権の終焉
   1 少数民族と無国籍の人々
   2 人権のアポリア
 参考文献
 牽引
さて、最初に書いたように、3巻目を読んだ後に再読する可能性があるので、簡単なメモに極力とどめた備忘録を残しておきます。
 
1884-1914帝国主義の時代1P
祖国は手段であり、征服が目的(アルカーリの言)6P
国民国家と帝国主義の矛盾6P・・・?アンチノミーなのか?
 イギリスの帝国主義支配は自治、フランスは同化、オランダは混合、ベルギーは国王の意思
 帝国は帝国建設ではなく、膨張は征服ではない14P
 概念の区別16P(註20)
まきこまれ17-8P
 ナショナリストより帝国主義者の方が国民国家の限界をしっていた20P
 (註30)マルクス国家論への言及29P・・・?「ド・イデ」の国家の共同幻想規定の読み落とし
 ホッブス30P
 ブルジョアジーの態度とその生みの子モッブ34P
 国家は財産を保護するために存在する(ホッブス)36P
 膨張こそがすべてである38P
 グロバリーゼーション的行き詰まり38P
権力崇拝者ホッブス40P
 本源的蓄積44P
 ローザ批判45P・・・?ローザ・ルクセンブルクの理論はマルクス回帰と一部その理論の発展、マルクスを捨てることではない ローザのマルクス『資本論』第二巻批判は、今日的とらえ返しの中で、ヘーゲル弁証法との対話の中での、入れ子型の上向的展開を押さえそこねている
 アーレントのマルクス批判「もっと本質的な原因は、帝国主義がマルクス主義の経済理論では歯の立たない最初の現象だったことにある。なぜならマルクス主義にとってはモッブと資本との新しい同盟はいかにも不自然であり、階級闘争の教義に反するものだったため、帝国主義的実験の直接の政治的危険、つまり人類を支配人種と奴隷人種、有色人種と白色人種に分け、階級に分裂した民族をモッブの世界観を基礎に統一しようという企てには、彼らは全然気付きさえしなかったからである。戦争勃発に際しての国際連帯の崩壊すら社会主義者に教訓を与えなかったし、プロリタリアートに対する彼らの信仰を揺るがせもしなかった。帝国主義政策がとうに経済法則のレールを離れ、経済的要因がとうに帝国的要因の犠牲とされていた時になっても、まだ社会主義の理論家は帝国主義の「合法則性」を発見しようと躍起になっていた。南アフリカ自体では一切の合理的利潤計算がとうに「人種要因」の犠牲になっていたのに、その後もまだ利潤率の侵すべからざる権利を信じていたのは、財界上層部のお偉方のほかはマルクス主義者だけだった。」49-50P・・・?帝国主義論の経済的中身、反差別論からのアーレント、マルクスへの批判。マルクスの思想的深化展開していくことと「マルクス主義」の混同。
官僚52P
 帝国主義の災厄54P
 イギリス型の帝国主義54P・・・<帝国>的展開
 モッブは全階級的脱落者55P・・・?むしろ階級を超えて出てくる
 継続的本源的蓄積論との対話56P
 モッブの強さはフランスよりドイツで、ナツィ
 モッブと帝国主義57P
人種思想の起源は18C初め58P
実践の中で確固たる理論になる59-60P
 マルクスの階級闘争理論と進化論と共鳴した進歩史観が反差別論とならないところで人種闘争との共鳴というアーレントの指摘60P
原因は政治的なこと61-2P
「力は正義なり」62P
人種イデオロギーと階級イデオロギー62P
人種思想はナショナリズムの否定63P・・・?
 ゲルマン民族の優越性はフランス人のフランス批判のなかで69P
 ドイツの人種思想70P
 教養俗物根性76P
「個性」の観念は差別へ向かうこと76P
 中欧・東欧のナショナリズムと個性・天才崇拝の結合78P
 ゴビノー79P
 滅亡の歴史――法則性 ゴビノー79-80P
 歴史を自然科学の諸部門の一つとする80P・・・物象化そのもの
 19C中頃進歩思想の只中80P
 イギリス人の優越意識89P・・・優生思想の始まり
 ダーウィニズム92P
 能力主義とのリンク96P
 ブーア人117P
 人種概念 アフリカとオーストラリア121P
 実存主義的論攷122P
 ブーア人の逆戻り135P・・・先住民への同化
 3章3ロード・クローマー(エジプト)とセシル・ローズ(南アフリカ)
 ローレンス151-8P
 汎ゲルマン主義と汎スラブ主義161P
 汎民族主義運動の帝国主義への先行性162P
 拡大された民族主義164P
 panとtotal 167P
 帝国主義――モッブと資本の同盟168P
 大陸ナショナリズムと種族ナショナリズム――反ユダヤ主義171P
 国民国家は解放されたヨーロッパ農民階級に正確に対応する政治体174-5P
 西欧型ナショナリズムは農民階級をベースに175P
「人間の姿をした原始的部族」185P・・・?ヨーロッパでの「歴史なき民族」論
 ファシズム的党は国家を破壊する運動として220P・・・日本型ファシズムには当てはまらない
 少数民族条約――人種的、宗教的、および言語的少数派240P
 亡命者と無国籍者の問題――国民国家の枠組みでは解決できない問題270P
 人権のアポリア――個の確立と全体主義の陥穽272P
 人権という物象化273P
「生まれながらに人間に具わる人権というものがそもそも存在するのならば・・・」275P
 人権の定義――アメリカとフランス278P
「文明」の浸透が無国籍者の人類からの追放になった281P
 制度が奴隷を人間でなくすようにさせる282P
 人間としての特質の喪失として現れる無国籍者282P
 18C歴史からの人間の解放――20C以前からの人間の解放284P・・・?という錯誤
 人権は無意味な「抽象」285P
 自然法はネイションから生まれる――イスラエル建国285P・・・そもそも人権論自体の幻想性
「裸の未開人」の権利よりイギリス人の権利という論理286P・・・サイードの西洋中心主義批判
「人権だけしか存在しない自然状態と、人権以外のすべての権利が失われた無国籍状態・・・・・・」287P
「人間は世界の主人公であるかもしれないが決して世界の創造者でないということを忘れた事に対する罰なのである。」289P・・・?神の想定


posted by たわし at 05:05| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハナ・アーレント『全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義』

たわしの読書メモ・・ブログ586
・ハナ・アーレント『全体主義の起原 1 ――反ユダヤ主義』みすず書房1972
この本は、ハナ・アーレントの『全体主義の起源』という三部作の1巻目です。2巻目のサブタイトルは「帝国主義」で人種民族差別の土台となる「帝国主義」の問題をとりあげ、3巻目は「全体主義」になっていて、全体のまとめになっています。この構成自体が興味深いのですが、それについては、3巻を読み終えた後にコメントします。著者は実存主義の流れの中からでてきたひとで、わたしの問題の掘り下げ方が違うということを予期していたので、なかなか読めずにいました。今日、ファシズム的なことが隆起していて、この三部作は、全体主義を語る者の必読書ともいうべき本になっていて、ずっと気になっていました。実は「ハンナ・アーレント」というDVDを観ていたので、伝記的には一応押さえつつ、映像鑑賞メモも残せないままでした。本の方でやっととっかかることができました。
 まだ一冊目なのですが、アーレントの分析のそれなりのすごさのようなことは感じられます。ただ、マルクスの思想の流れにあるわたしからすると、アーレントの全体主義批判の中身として「社会主義国家」を全体主義と規定して批判しているのですが、今日的には、それは国家資本主義の全体主義国家で、ロシア革命は社会主義の定立に失敗したとなっていたたというとらえ方が出ていて、そのロシア国家資本主義の全体主義国家はスターリン主義として批判されているのですが、アーレントは、それを共産主義批判にまでリンクさせています。そもそもマルクス派の総括のようなことがきちんとなされていない、その試行がまだきちんと出ていなかったこともあり、アーレントの流れとマルクスの流れとの対話が今後必要になっていくのだと言いえます。
さて、マルクスとアーレントとの具体的対話ですが、三部作の中で、何度もマルクスの名が出ています。ただ、その押さえはどうも、マルクスを理解しているとは思えません。やはり、「マルクスは、資本主義社会では乗り越え不可能な思想」という、サルトルやデリダの提言は生きているとわたしは押さえています。この本の中で、マルクスの『ユダヤ人問題によせて』にふれて、「マルクスは勿論ユダヤ人に反対する自分の議論によって、・・・・・・マルクスはこの青年期の論文の後には二度とふたたびユダヤ人問題について公的に発言しなかったということは、・・・・・・・」62Pここに出てくる『ユダヤ人問題によせて』は再読しようと思っています。
アーレントの政治情況分析にはそれなりの鋭さがあるのですが、マルクスとの対話のなかで、唯物史観的とらえ返しがなく、そしてその中で、反差別論的深化もなしえていません。掘り下げが止まっているのです。
この三部作には索引があり「マルクス」で検索ができます。これも、そこで対話への対話をしたいのですが、これも後回しにして、三部作を読み上げます。

 さて、この本自体との対話に戻ります。
 最初に目次をあげておきます。
 緒言
 序文          カール・ヤスパース
 まえがき
第一章 反ユダヤ主義と常識
第二章 ユダヤ人と国民国家
   1 解放の曖昧さとユダヤ人の御用銀行家
   2 プロイセンの反ユダヤ主義からドイツにおける最初の反ユダヤ主義政党まで
   3 左翼の反ユダヤ主義
   4 黄金の安定期
第三章 ユダヤ人と社会
   1 例外ユダヤ人
   2 ベンジャミン・ディズレイリの政治的生涯
   3 フォブール・サン=ジェルマン
第四章 ドレフェス事件
   1 ユダヤ人と第三共和国
   2 軍・聖職者 対 共和国
   3 民衆とモッブ
   4 大いなる和解
 参考文献
 牽引

各文に沿ったメモを書き置きます。
「緒言」でこの本の流れを展開しています。ここで、概略を押さえることができます。
「第二章 ユダヤ人と国民国家」
反ユダヤ主義が生まれたのは、国民国家の形成の中で、ユダヤ人が同化という動きを見せた19世紀の中葉からであること、またユダヤ人の選民思想ということを押さえる必要があることなど。
さて、離散ディアスポラのなかで、ユダヤ人が国境を越える民族のような存在になり、ユダヤ人の中の例外ユダヤ人といわれるようなひとたちが金融業を営み、たとえばロスチャイルド家のように国家の枠組みを超えて国家の財政を支えたというところでの、財政的な暗躍に対する民衆の批判と反発があり、民衆の反ユダヤ主義を形成していったという歴史が押さえられています。
「わたしは差別されるのはいやだ、差別する側になりたい」という反差別的な展開にならない被差別者の動きを押さえ批判していたのですが、「差別されるから差別する側になりたい」ということを越えて、そもそも選民思想というところがもたらす、差別性の存在が問題になります。これはディアスポラというところでの相作性でもがあるのですが、反差別というところを貫いていかないと、差別する側と差別される側の相互性という事が生み出され、差別の構造自体が維持され強化されていくという構図があり、そこから抜け出せなくなるのです。
 選民思想というのは、ユダヤ人に限ったことではありません。中国の中華思想、日本の「日出ずる国」や「神の国」思想などもありますが、ユダヤ人の選民思想はディアスポラの中で、国家をもたなかった歴史があり、そういう意味で、ホロコーストのような苛酷な被差別にさらされていったのです。
切り抜きメモいくつか
「こうして、これまでの数世紀のユダヤ人の運命を支配して来た曖昧性――特権賦与という含みをもって与えられた同権という曖昧性――にもう一つの矛盾が加わるように見える。つまり、国民国家的に編制されたヨーロッパの崩壊は、ほかでもなく唯一の非-国民的集団、住民のなかで唯一の国際的な分子に最も手ひどい打撃を与えたのである。この矛盾はしかし見かけだけのものでしかない。これが矛盾であるのは、没落して行く国民国家の過激化した盲目(ママ)的愛国主義(「ショーヴィニスム」のルビ)に目を奪われて、ネイションとは本来何であったかをわれわれがあまりにも簡単に忘れてしまうことによる。」37-8P
「ロベスピエールからクレマンソーにいたるジャコバン主義者と、メッターニッヒからビスマルクにいたる反動主義者は、常に或る一点では共通していた。すなわち彼らはヨーロッパにおける力の均衡を望み、この均衡を自国に有利なように操作しようと試みるときにも、自分らはヨーロッパ内部でそれを操作するのであり、自分がヨーロッパそのものであるとかヨーロッパを支配するとかということはあり得ないということを心得ていた。ユダヤ人を彼らはこの均衡のために利用した。だからこのネイションとして纏まっていない一つの民族が共同の利益の、いや、均衡そのものの象徴となり得たのである。」38P
「だからまた、ヨーロッパ諸民族の破局的な敗北がユダヤ民族の破局とともにはじまったことは偶然ではない。絶えず危険にさらされているヨーロッパの力関係の均衡を、ユダヤ人を排除することによってかきみだすことは格別容易だったが、このことが特に狂信(ママ)的なショーヴィニスムの爆発、もしくは(古い偏見)の再生以上のものを意味することを理解することは格別困難であった。」38P・・・第三項排除による国民統合のスケープゴートとしてのユダヤ人
 ロスチャイルド家48P
「第三章 ユダヤ人と社会」の「1 例外ユダヤ人」ですが、これは、マージナルパーソン研究の対象になるような文です。そのタイトルで、深化したとらえ返しをして、論攷を展開していくところですが、ここでは先を急ぐので、とりあえずその個所を抜き出しておきます。
例外ユダヤ人「あなたは例外だという奇妙なお世辞を言われるユダヤ人たちは、自分の得ている社会的地位は或る曖昧さのおかげであるよく知っていた。つまりユダヤ人でありながらユダヤ人みたいではないようにしなければならぬということである。そしてこれが、彼らが「同時にユダヤ人でありたいとともにユダヤ人でありたくないと思った」理由である。社会が要求したのは、彼らが自分らと同じ<教養>を持ちながら<普通のユダヤ人>として自分らと異なる行動をすること、しかも普通の人間であるかのようにではなく、何か少々普通でないものであるかのように――何と言っても彼らはやはりユダヤ人なのだから――行動することだった。/西ヨーロッパの同化ユダヤ人の社会的行動を決定したのはこの原則的な曖昧性だった。彼らはもはやユダヤ民族に属することを望まず、また許されもしなかったが、しかしユダヤ人としてとどまることを望んだし、またとどまらねばならなかった――つまり、ユダヤ民族の例外者として。彼らは非ユダヤ人社会において或る役割を演ずることを望み、また演じ得たが、非ユダヤ民族のなかに紛れて行くことは望みもせず、できもしなかった。それ故彼らは非ユダヤ人社会の例外者にもなったのである。彼らは「おもてでは一人の人間、自分の家ではユダヤ人」であり得ると主張した。だが実は彼らは、おもてでは自分らが他の人間とは異なったもの、つまりユダヤ人であると感じ、自宅では他のユダヤ人とは異なるもの、つまり自民族の大衆よりも基本的に優越したものであると感じたのである。」105-6P・・・西ヨーロッパの「同化」ユダヤ人のマージナルパーソンとしての形成
「ユダヤ人はすべての人間は人間であるということの証明になった。」107P
「ユダヤ人の身分の正常化にとっては、例外ユダヤ人、例外的な人間というこの評価――この評価はユダヤ人自身とは関係のない啓蒙主義の歴史からしか理解し得ないものである――は非常に有害なものだった。ユダヤ民族から距離は置かねばならぬというユダヤ人にとっては堪えがたい要求には、他のすべての人間とは違っており、しかもすべての人間より優れていなければならぬという、実現されたとしても欺瞞でしかないような条件が結びついていた。」109P
「近代の反ユダヤ主義は、その用語もその論拠も含めてまさに同化の時にはじまる。」118P
「十九世紀のユダヤ人共同体を代表する権利を独占していた富の例外的ユダヤ人はどうしてもユダヤ人としてとどまらねばならなかったが、それと反対に、第一の世代と第二の世代に属する教養の例外ユダヤ人はほとんどすべて洗礼してキリスト教に改宗する道をたどった。しかしそれだからといって彼らは、自分自身の意識においても周囲の社会の判断においても、ユダヤ人であることをやめたわけではなかった。」125P・・・マージナルパーソンは、差別の構造の解体なしには被差別者であることから抜け出せるわけではない。
「最初の二三世代にあってはこの「人類の新しい見本」は例外なく叛逆者となった。自分たちを卑しめ辱めていると彼らの感じているその国家がユダヤ人の金持の物質的利益をきわめて鷹揚に保護し、当然またこの金持たちは反動的政府を支持しその財政を引受けていたから、今言ったような叛逆はユダヤ人の世界にも持ちこまれた。マルクスとベレネの反ユダヤ主義的言説はこのユダヤ民族内部の相剋の発言としてのみ理解され得る。こうした言説のうちにユダヤ人の<自己憎悪>を発見できると思う人はまったくこの言説を誤解しているのである。」126P
「ユダヤ人富者とユダヤ人の教養人との対立は、ドイツにおいてのみはっきりと表に現れているのである。」126P
「ユダヤ人が賤民(「パリア」のルビ)の身分から抜け出したいと思うならば「ユダヤ人であると同時にユダヤ人ではないことを望ま」ざるを得なかった。ユダヤ人ありながらしかもなお<ユダヤ人一般>とは違うようにしようとするこの努力は同化ユダヤ人に独特の性格を与え、謂わばユダヤ人タイプと呼びうるもの、一定の明確な心理的問題性と社会的態度を持った一つの人間性を生み出した。ユダヤ人は周囲の社会にとっても彼ら自身の意識においても、或る特定の血統、或る特定の宗教に属する人間であることをやめ、そのかわりにユダヤ的と呼ばれる特定の性質を持った人間になった。ユダヤ人であることはユダヤ性、つまり或る特定の心理的特質となり、ユダヤ人問題は個人の問題となった(された)。このユダヤ的なタイプは、反ユダヤ主義者が拵え上げた<ユダヤ人一般>とも、ユダヤ人弁護論がまきちらした<ユダヤ的人間>ともひとしく無関係だった。尤もこの<ユダヤ的人間>には、ユダヤ人がしばしば実際に持っていた性質――なぜならそれは賤民(「パリア」のルビ)しか持っていない性質であるから――、つまり人間性、善良さ、偏見のなさがあるとされていたのも事実だし、<ユダヤ人一般>のほうはその厚かましさや阿諛追従や品のなさでしばしば本当の(とされる)ユダヤ人に似ていたことも事実である。なぜならこうした性質は、何かをやってのけようとする成上りユダヤ人なら誰でも身につけねばならぬものだったからだ。誹謗される民族もしくは階級というものが存在するかぎり、このようなどの世代でもまったく変りばえもせずにごく自然に拵え上げられて行くのである。」127-8P・・・マージナルパーソンの心理的マージナリティ
「ユダヤ的人間が個人として(とされて)担っている問題性は、彼らの一人々々がいかなる時代においても自分はパリアとして社会の外にとどまるか、あるいは成上り者となって――カール・クラウスがいみじくも言ったように――「自分がユダヤの血を引くことを秘するか、もしくは出生の秘密とともに血統の秘密をも打明けるかしなければ生かしておいてもらえない」社会に入る権利を手に入れるかの決断を、謂わばくりかえし改めてくださねばならぬということにあった。」128P・・・『破戒』の主人公の心理、心理的マージナリティという葛藤
「成上り者になれなかったというパリアの悔しさと、自分の属する民族を裏切り、自分の出生を否認し、万人のための正義を捨てて個人的な特権を採ったという成上り者のうしろめたさは、十九世紀の半ば以来平均的なユダヤ人の複雑な心的性向なるものの基礎をなしていた。」128P・・・心理的マージナリティの葛藤
「十九世紀の偉大な叛逆者たちは時代のあらゆる問題について口をはさんだ。なぜなら彼らはユダヤ人であり、自分らは抑圧されているのだからと堂々と言明することができたからである。」129P・・・コスモポリタンとしてのユダヤ人、マルクス、エンゲルス、ローザ・ルクセンブルクと仲間集団、トロツキー
「2 ベンジャミン・ディズレイリの政治的生涯」これは、スティグマなりケガレという概念には反転した正的な意味も懐胎していることを想起させます。まさにディズレイリが、そこで政治的活躍を果たした、しかし、かれは非ユダヤ人社会でもユダヤ人社会でもアウトサイダーであったということなのです。
この反転というところ、抜き書きメモを残します。
悖徳という反転したひきつけ136P
イギリス人――成り上がり者、ユダヤ人――純粋な血138P・・・反転
「彼がイギリス女王を皇帝にしたからではなく、異民族を適度に抑圧するのに必要な理論をそれと同時に提供したからこそ、われわれはディズレイリを帝国主義の父と呼ぶことができるのである。」141P
「反ユダヤ主義者は「シオンの賢者」の陰謀という妄想を抱いてユダヤ人を攻撃したが、ディズレイリにとってはユダヤ人の世界制覇の野心は彼らの優秀さを証明するものだった。だから評価の方向(プラス・マイナス)は反対になっているというのである。」149P・・・反転
「3 フォブール・サン=ジェルマン」
これは、例外ユダヤ人といわれるようなひとたちが「上流階級」のサロンに参加するようになったという話です。
メモをひとつだけ
「人々がユダヤ人らしくあることの<悖徳>がいかにおもしろいかを快い戦慄とともに発見したときにはじめて、ユダヤ人であることは内翻足やせむしのような生まれつきの宿命となった。」165P・・・むしろ<悖徳>の美という反転――「内翻足」三島由紀夫の『金閣寺』の柏木
「第四章 ドレフェス事件」は19世紀末ヨーロッパを震撼させた、スパイえん罪事件です。ドレフェスは例外ユダヤ人のまさに例外としてフランスの情報将校になったのですが、反ユダヤ主義の只中でえん罪をかけられます。そこでの知識人や政治家(ゾラとかクレマンソー)がドレフェス派として動き出し、また恩赦をもとめるという形でのドレフェス本人や家族の動きがあり、軍やカトリック教会などが反ドレフェス派として動き、民衆のなかからもモッブなどのテロ的な動きも出てくるのです。これはまさに、ナツィの動きの前哨的なこととしてあったのです。この問題は、結局パリ万国博覧会開催がボイコットを受けないようにと、恩赦という形で収束させられ、それが万博の開催後また反故にされるなどの動きの中で、あいまいなままにされてしまい。そのことが、反ユダヤ主義のナツィの台頭を許すことに繋がったとも言いえるのではないかと考えています。そのことの中に、人種・民族差別の根深さのようなことがあることも指摘できるのでしょうが。
 ここもメモを少し
「反ドレフェス派という標語で一切の反共和主義的、反民主主義的、反ユダヤ的主義的なもの――「アクシオン・フランセーズ」の君主主義からドリオの国家ボルシェヴィズムおよびデアの社会ファシズムまで――が言いあらわされる。」178P
「しかし結局のところフランスは、人種というものが依然としてまさにこの国民の名誉の一部をなしていると見る、クレマンソーを最後の代表者とするあのジャコバン主義的愛国主義によっては、国内からファシズムを生み出すという汚辱から守られなかった。この愛国主義によってフランスは第一次世界大戦にはまだ勝つことができた。しかし平和を獲得するにはもはやこの愛国主義では不充分だったのである。」180P・・・?愛国主義と人権はリンクしない、むしろアンチノミー
「ヨーロッパのあらゆる悪を集大成したナツィはイェズス会士にも学んでいる。」196P
「モッブは主として零落した中産階級から成っていた。」204P
「まだ国民国家の時代なのに、一切の愛国主義に徹底的に背を向けたこれらのショーヴィニストの、すでにイデオロギー的に行き着くところまで行き着いて解体した基本的原則のなかでは、民衆とモッブと、ネイションと人種、国民感情とショーヴィニズムの区別が失われていったのである。/モッブを民衆と混同することへの恐るべき誘惑からはクレマンソーも免れていなかった。」213P・・・愛国主義や国家主義こそがショーヴィニズムを生み出していくのではないでしょうか?
 社会主義者のショーヴィニズムへのとらわれ214P
 クレマンソー214P・・・クレマンソーのドレフェス派としての役割の大きさと一方での政治家としての傲慢さ
 ゾラ216P
 クレマンソーの悖理218P
「すべての近代的権力政治は諸国民の植民地をめぐる角遂の上に立たねばならぬことをイェズス会は当時すでに認識していた。だから彼らは他にさきがけて反ユダヤ主義を帝国主義政策と結びつけ、ユダヤ人はイギリスの政策の手先であるときめつけ、そして反ユダヤ主義とフランス人の排英熱とを融合させた。」221P・・・イェズス会の植民地支配の結びつきと反ユダヤ主義
「クレマンソーはユダヤ人が近代史上において得た少数の真の味方の一人だった。ユダヤ人名士や成上りユダヤ人が決して認識しようとしないこと、すなわちユダヤ民族は全体としてヨーロッパの被抑圧民族に属しているということを理解していたかどうかによって、ユダヤ人の真の味方かどうかは大抵識別され得る。」224P
「フランスがドレフェス事件において世界の前で演じて見せたドラマは悲劇ではなく茶番劇(「ファルス」のルビ)にすぎなかったということは、最後になってようやくあきらかになる。内部分裂した国を統一し、城内平和を強い、そして極右から社会主義者にいたるまでのすべての人間を一致せしめたものは一九〇〇年の万国博覧会だった。」224P
 シオニスト運動「[十九世紀の底に動いていた諸力が記録された歴史の証明をまともに浴びた唯一のエピソードはこうして終る。唯一の目に見える結果は、これによってシオニスト運動が――ユダヤ人が反ユダヤ主義に対して与え得た唯一の政治的回答であり、その名においてユダヤ人が闘いを引受けた(そしてその闘いによって彼らは世界の動乱の中心に立つ)唯一のイデオロギーであるシオニスト運動が誕生したことであった。]」226P・・・被差別・被抑圧民族の反転した差別性、この問題こそが焦点化されること、著者は簡単にしかふれていない。選民思想とディアスポラと被差別の相作性によって作られたシオニズム

 さて、これは3巻目の後に書くことですが、まだ読み終えるまでに時間がかかり、記憶が苦手が故に一応メモ的に書いておくのですが、わたしは、そもそもこの本を読まねばならないと思い続けていたのは、反ファシズム論の基本文献であるということにおいてですが、そこで問題になるのは全体主義とファシズムとの関係です。わたしはこれをイコール的にとらえていたのですが、アーレントの「全体主義」の概念では、いわゆる「社会主義国家」を全体主義ととらえているのです。たしかに、これが党の独裁から監視国家的になっていて、非民主主義的になっているところで、わたしもこれに同意します。全体主義⊃ファシズムなのです。ついでに書いておくと、全体主義⊃ファシズム⊃ボナパルティズム(後進国ファシズム)という構図まで押さえて、問題はファシズムの定義です。これは3巻目を読んだ後にします。
 これもメモとして、ファシズムの中身的規定としては@全体主義的専制政治Aショーヴイニズム・国家主義Bレイシズム・民族人種差別主義C優生思想・競争原理へのとらわれと宣揚(「障害者」差別主義)
 ここまで、3巻を読み終えないままのとりあえずの論攷です。


posted by たわし at 05:00| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月17日

マルクス エンゲルス/大内兵衛 向坂逸郎訳『共産党宣言』

たわしの読書メモ・・ブログ585
・マルクス エンゲルス/大内兵衛 向坂逸郎訳『共産党宣言』岩波文庫(岩波書店)1951
二つ前583でマルクスの論攷を取り上げました。で、改めてマルクスの読み直しをしたいと思い始めていました。それで、最初はこの『共産党宣言』、マルクス/エンゲルスの基本的文献中の基本の本です。わたしもマルクスを読んだのは確か、この本が最初でした。もう一度、基礎を押さえ直すとして読み直しをした記憶があります。今回、この本をとりあげたのは、マルクスの「いくつかの転換」が語られていて、そのことに関連してこの本が取り上げられています。その転換、まずは『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の間での転換、そしてもうひとつは、『資本論』草稿作成過程で、同時並行的に進めていた「『古代社会』ノート」とか、過去の共同体研究から『資本主義生産に先行する諸形態』で展開したアジア的生産様式の発見から、単線的発達史観を捨てたといわれている転換です。これは、反差別論を展開しようとしているわたしにとって、サイードの西洋中心主義批判からするマルクス批判や、最近のマルクスの全否定ではない「マルクスを現在的に活かす」とする読み直し作業にもリンクしていきます。これをわたしの反差別論的に押さえ直す作業なのです。それで、この『共産党宣言』が二度目の転換する以前のマルクスの論攷として、批判の例として上がっているのです。さて、具体的に書くと、「未開――文明」という図式、もうひとつは、「書かれた歴史」という記述です。
先ず前者の「未開――文明」という図式の話。書かれているところを抜き書きすると、「ブルジョア階級は、すべての生産用具の急速な改良によって、無制限に容易になった交通によって、すべての民族を、どんなに未開な民族をも文明のなかへ引きいれる。かれらの商品の安い価格は重砲隊であり、これを打ち出せば万里の長城も破壊され、未開人のどんなに頑固な異国人嫌いも降伏をよぎなくされる。かれらはすべての民族をして、もし滅亡したくないならば、ブルジョア階級の生産様式を採用せざるをえなくする。かれらはすべての民族に、いわゆる文明を自国に輸入することを、すなわちブルジョア階級になることを強制する。一言でいえば、ブルジョア階級は、かれら自身の姿に型どって世界を創造するのである。」45Pとあります。実は、これは書簡の中の話とリンクして、二人の限界という話になっていて、この文自体は、直接に文明を持ち上げるという図式にはなっていないのですが、多分、後期マルクスなら、こういう図式には陥らなかっただろうと言える話です。
後者の話は、「歴史なき民族」論とリンクしていきます。具体的に書かれているところを抜き書きします。本文冒頭の有名なフレーズ「今日まであらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である。」の「歴史」につけられた原註(一八八八年英語版へのエンゲルスの註)「すなわち、あらゆる書かれた歴史である。一八四七年には、社会の前史、すなわち記録された歴史に先行する社会組織は、全然といっていいほど知られていなかった。その後、ハクストハウゼンは、ロシアにおける土地の共有制を発見し、マウラーは、土地の共有制がすべてのチュートン部族の歴史的出発の社会的基礎であったことを立証した。そして次第に、村落共同体は、インドからアイルランドにいたるあらゆるところで、社会の原始的形態であること、あるいはあったことが発見された。そして氏族(「ゲンス」のルビ)の真の性質および部族に対するその関係についてのモルガンの称賛すべき発見によって、原始共産主義社会の内部組織の典型的な形が明らかにされた。この原始時代の共同体の解体とともに、別々の、ついには対立する階級への分裂がはじまる。私は、この解体過程を、『家族、私有財産および国家の起源』(第二版、シュトゥトガルト、一八八六年)において追求しようと企てた。」38Pこれ自体も、後期マルクスなら、たぶんこういう図式には陥らなかっただろうと言えるくらいの話ですが、これも書簡とか他の論攷とリンして、「歴史なき民族」は、民族自決権の対象にはならないというというところの差別性として批判されているのです。これに関しては、マルクスがアイルランド問題から民族問題でも転換したという話に繋がっています。ただし、エンゲルスの転換はなかったとされていることもあります。このエンゲルスの註が、まさにそのようなことも示しています。
さて、この『共産党宣言』には、訳とか新版があり、そこで後で付けられた序文があります。そこで、転換後のマルクスのロシアの農村共同体(オプシチナ)に対する評価のようなことも書かれています。1890年ドイツ語版に引用されている82年マルクス/エンゲルス連名の文。具体的に抜き書きしておくと「『共産党宣言』の課題は、近代のブルジョア的所有の崩壊[没落]が不可避的に迫りつつあることを布告することであった。しかしロシアでは、資本主義[的体制]のぺてんが急速に栄え、ブルジョア的土地所有がいまようやく発達しつつあるが、またそれと並んで、土地の過半は農民の共有となっている。そこで次のことが問題となる。ひどく分解しているが太古からの土地所有の一形態[原生的共有の形態]であるロシアの農民共同体(「オプシチナ」のルビ)は、共産主義的共有のより高い形態[土地所有のより高い共産主義的形態]に直接移行しうるであろうか? それとも反対に、そのまえにそれは西ヨーロッパの歴史的発展においておこなわれたと同じ崩壊過程を通過しなければならないであろうか?/この問題に対して今日可能な唯一の解答は、次の如くであろう。もしロシア革命が西ヨーロッパにおけるプロレタリア革命への合図となり、その結果両者がたがいに補いあうならば、現在のロシアの土地所有制は、共産主義的発展の出発点として役立つことができる。」14P
最初目次をあげておきます。
目次
ドイツ語版への序文
 一八七二年(マルクス・エンゲルス)
 一八八三年(エンゲルス)
 一八九〇年(エンゲルス)
   ――一八八二年ロシア語版への序文を含む――
英語版への序文(一八八八年 エンゲルス)
ポーランド語版への序文(一八九二年 エンゲルス)
イタリー語版への序文(一八九三年 エンゲルス)
共産党宣言
第一章 ブルジョアとプロレタリア
第二章 プロレタリアと共産主義者
第三章 社会主義的および共産主義的文献
  一 反動的社会主義
   a 封建的社会主義
   b 小市民的社会主義
   c ドイツ社会主義または「真正」社会主義
  二 保守的社会主義またはブルジョア社会主義
  三 批判的・空想的社会主義および共産主義
第四章 種々の反対党に対する共産主義者の立場

 校注
 一八八八年英語版との対照
 解説

今回は、反差別論の立場から読み直す作業として進めていたのですが、読み直す過程で、改めてマルクスの提言のラジカルさ(根源性)への共鳴というところで、いくつか特に論点になりそうなことの抜き書きを残します。
「だが、どんな国でも、ブルジョア階級の支配は、国民的独立なしには不可能である。」33P・・・ブルジョア階級支配は近代国民国家の成立の中で
「共産主義者は、他のプロレタリア党から、次のことよって区別されるにすぎない。すなわち、一方では、共産主義者は、プロレタリアの種々な国民的闘争において、国籍とは無関係な、共通の、プロレタリア階級全体の利益を強調し、それを貫徹する。他方では、共産主義者は、プロレタリア階級とブルジョア階級のあいだの闘争が経過する種々の発展段階において、つねに運動全体の利益を代表する。」57P・・・共産主義者には国境はない
「現在の家族、ブルジョア的家族は、何に基礎をおいているか? 資本に、私的営利にである。完全に発達した家族は、ブルジョア階級にしか存在しない。しかも、そういう家族を補うものとして、家族喪失と公娼制度とがプロレタリアに強いられる。/ブルジョアの家族は、この補足がなくなるとともに自然になくなる。そして両者は資本の消滅とともに消滅する。」63P・・・少し粗い論攷
「労働者は祖国をもたない。」65P
「以上見てきたところによれば、労働者革命の第一歩は、プロレタリア階級を支配階級にまで高めること、民主主義を闘いとることである。」68P
闘いの獲得目標10「一、土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。/二、強度の累進税。/三、相続税の廃止。(?相続の廃止)/四、すべての亡命者および反逆者の財産の没収。/五、国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、信用を国家の手に集中する。/六、すべての運輸機関を国家の手に集中する。/七、国有工場、生産用具の増加、共同計画による土地の耕地化と改良。/八、すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために。/九、農業と工業の経営を結合し、都市と農村の対立を次第に除くことを目ざす。/一〇、すべての児童の公的無償教育。今日の形態における児童の工事用労働の撤廃。教育と物質的生産との結合、等々、等々。」 68-9P・・・運動を現実に進めるための当面の獲得目標。初期の過渡期政策としても。
「ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である。」69P
シスモンディ 小ブルジョア的社会主義73P
グリューン「真性」社会主義78-9P
プルードン 保守的ブルジョア的社会主義79P
サン・シモン、フーリエ、オーウェン 空想的社会主義81P
空想的社会主義者の中身「一般的な禁欲主義と荒けずりの平等主義を教える」81P「きたるべき世界史は、かれらにとっては、かれらの社会計画の宣伝や実際的遂行となってしまう。/かれらはもちろん、かれらの計画において、主としてもっとも苦しむ階級としての労働者階級の利益を代表すべきことを意識している。かれらにとっては、もっとも苦しむ階級というこの見地にのもとにのみ、プロレタリア階級は存在する。」「だからかれらは、すべての政治的な、特にすべての革命的な行動を拒否する。かれは、かれらの目標に平和的な方法で達しようとし、もちろん失敗に終るが小さな実験によって、実例の力によって、あたらしい社会的福音に道をひらこうとする。」82P
以下、結語の部分87P
「一言でいえば、共産主義者はどこにおいても、現存の社会的ならびに政治的状態に反対するあらゆる革命運動を支持する。」
「このようなすべての運度において、共産主義者は、所有の問題を、それが多かれ少なかれどれほど発展した形態をとっていようとも、運動の基本的問題として強調する。」
「最後に、共産主義者はどこにおいても、すべての国の民主主義諸政党の結合と協調に努力する。」
「共産主義者は、自分の見解や意図を秘密にすることを軽蔑する。共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命においてくさりのほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。//  万国のプロレタリア団結せよ!

解説 向坂逸郎
一 いきさつ
共産主義者同盟(ブント)の綱領的宣言としてふたりに委任された(110P)。1848年革命の前に出された。これが革命に直接影響したということではないけれど(110P)、ちょうど時代情況と相即的に書かれた文です。それは、マルクスの「フランスの階級闘争」というマルクスの歴史三部作のひとつとしてあげられている本として押さえられています。
もうひとつ押さえて置きたいのは、同盟の前史で「通信委員会」という形で進めていたこと。これは、KFの「通信委員会」という前史とダブっています。この話は『宣言』2章にも出てくるのですが、ローザを媒介し「マルクスへ帰る」という内容をもっているのではないかとわたしは押さえ直しています。この話は、KFの「共産主義者前衛論」ともリンクしています。もっとも、それが有効かどうかのことの検証が必要になっているのですが。これについては、別のところでコメントしています。
二 内容
三 訳の歴史

posted by たわし at 03:11| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

白崎朝子『Passion ケアという「しごと」』

たわしの読書メモ・・ブログ584
・白崎朝子『Passion ケアという「しごと」』現代書館2020
この本は、わたしが『福祉労働』の著者の文にコメントしたのを見て、この本が出されたときに、メールをもらい早速買っていたのですが、気になりつつ積ん読してしまっていた本です。ケアについて書かれたエッセー的文であり、論攷的な文でもあるのです。ちなみに「Passion」というのは、一般的に「情熱」と訳されるのですが、著者は「受難」という訳を付けています。
さて最初に、もくじを上げて置きます。
はじめに
1章 かけがえのない記憶の結晶
2章 介護・介助現場の暴力の諸相
「本当に」殺したのは誰なのか?
支援が支配と暴力に変容するとき
現場に蔓延する「相互暴力」
女性ヘルパー、いのちがけの妊娠・出産
戦争を生き延びた高齢者――沖縄からの宿題
沖縄への旅――高齢者介護の現場を歩いて
3章 彼女・彼たちの魂の物語――ともに生きるための挑戦
エピローグ――ケアという「しごと(mission)」
あとがき

プロローグ――私の受難(Passion)と祈り
「受難」という否定的なことが、反転してむしろ問題を明らかにし、問題解決の途を指し示していくということ、そして回復ではない、「恢復」――注に「傷ついたものが元に戻る「回復」とは異なり、「恢復」には「「小さくなったものが大きく広がって元に戻る」という意味がある。」―― という概念を出して、ひととのつながり、ともに生きるということが、小さきことを膨らませていくということになるという、著者の思いをその言葉に託しています。
はじめに
著者は、自分自身がこれまで抱えさせられてきたこと――母子家庭問題、セクハラ・パワハラ問題、性被害など――からケアラーになったという自分のエネルギーときっかけを書いています。すなわち、「助けてあげる」というところではない、むしろ、自分か助けられてきたのだという、自分のケアラーとしての出発点、立脚点を明らかにし、そして、原発問題など、社会の矛盾を幅広くとらえそれに対して活動している市民活動家(社会運動家)です。
1章 かけがえのない記憶の結晶
ここでは、これまでの介助・介護の経験を書き綴っています。これは『女のしんぶん』に掲載されていた文です。
2章 介護・介助現場の暴力の諸相
ここでは、情況として介助・介護が軽ろんじられ、そして介護保険制度の改悪のなかで、さまざまな矛盾が露呈していることを書き記しています。
3章 彼女・彼たちの魂の物語――ともに生きるための挑戦
著者は運動家らしく、2章のような矛盾を書き記すことによって絶望的なことに陥ることはしません。この章は、「プロローグ」の「恢復」という言葉につながり、矛盾の中で運動を進めるひとたちが、その結びつきによって、新しい関係性を築いていくことを示しています
エピローグ――ケアという「しごと(mission)」
これは、プロローグにつながり、個人的思いをリンクさせ、被差別者の心理を深くとらえ返そうという著者の姿勢と鋭い感性が表出した文です。

この本は、エッセーとしても、論攷としても、著者の自らを深い反省のなかでとらえ返そうとしている珠玉の文です。わたしの文とは違って(笑い)読みやすい本です。ぜひ、手に取って読んでください。


posted by たわし at 03:08| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カール・マルクス「論文『プロイセン国王と社会変革――一プロイセン人』(『フォルヴェルツ!』第六〇号)にたいする批判的論評」

たわしの読書メモ・・ブログ583
・カール・マルクス「論文『プロイセン国王と社会変革――一プロイセン人』(『フォルヴェルツ!』第六〇号)にたいする批判的論評」1844(『マルクス=エンゲルス全集 第1巻』大月書店1959 所収)
これは「シュレージエンにおけるプロレタリアート蜂起による衝撃力」がマルクスをプロレタリア階級の立場に立たせたとして紹介されていた文献です(註1)。で、そのことを当たるために読みました。
かの一プロイセン人の論攷というのは、「シュレージエンにおけるプロレタリアート蜂起」は、国王に衝撃力は与えていない、これはキリスト教的心情で解決されること」としているのですが、マルクスはここから、困窮や失業が犯罪とされた時代の救貧制度の批判を展開しています(わたしの要約)。
さて、かのマルクスの転換ですが、それを示す箇所は「シュレージエンの蜂起は、フランスとイギリスの蜂起のおわったところから、つまりプロレタリアートの本質の自覚からはじまっている。」1巻441P(本では下線は傍点、以下同じ)という指摘から「ちょうど、イギリスのプロレタリアートがヨーロッパの経済学者であり、フランスのプロレタリアートがその政治家であると同じように、ドイツのプロレタリアートはその理論家であることをみとめるに違いない。」442P(註2)という文があり、「哲学的国民は、社会主義のなかにはじめて、自分にふさわしい実践を見いだし、したがってプロレタリアートのなかにはじめて、自分を解放する活動分子を見いだすことができるのである。」442Pと書いています。「哲学的国民」のところを「理論家」――「マルクス」にすると、指摘にあたります(註3)。
なおこの文は、同時期に書かれた「ユダヤ人問題によせて」での「国家と市民社会の分離」という論攷とも関係しているし、「国家の廃棄」438Pという展開にも及んでいるので、その観点での読み直しも必要なのですが、冒頭に書いた問題意識からの論考に留めました。

(註)
1 「たわしの読書メモ・・ブログ583」参照 
2 これはマルクス思想の三つの源泉。すなわち、イギリスの国民経済学、フランスの社会主義運動、ドイツの哲学、という事とリンクしているように感じられます。
3 実は、1の註で挙げているところの問題――論点はプロレタリアートの立場への転換ではなくて、「共産主義者前衛」への転換であって、位相の違いがあります。マルクスがここで書いているのは「プロレタリアートの立場への転換」論です。


posted by たわし at 03:03| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう レフト3.0の政治経済学』

たわしの読書メモ・・ブログ582
・ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう レフト3.0の政治経済学』亜紀書房2018
この本は、左翼批判を始めた「障害者」が、共感的に紹介していた本です。
そもそもタイトルからして疑問を懐きます。<>が付いている「<経済>」は何をさすのでしょうか? 従来の論理からすると近代経済学なのですが、それを松尾さんは「マクロ経済政策」312Pと規定しています。マクロ経済学というのは、テレビによく出ている森永卓郎さんも名乗っている流れです。森永さんが、「昔はマル経と近経という二つの流れがあったけれど、マル経は大学の講座から殆ど消えていった。」と話していました。要するにマル経が消える中でその穴を埋めるように出てきた流れなのでないかとわたしは押さえています。
一方左派は、それは大方マルクスの流れですが、マルクス派には唯物史観の考えがあり、むしろ経済を語ることを充分にやってきたのです。前述したように経済学はかつては、マルクス経済学と近代経済学とに分離していました。なぜ分離していたのかというと、資本主義体制をどう維持していくのかというところでの経済政策を問題にする近代経済学と、資本主義の分析をしてそれをどう止揚するかとたてるマルクス経済学とは水と油のように分離していくからです。
松尾さんは「数理マルクス経済学者」を自認しているようです。要するにマルクス経済学でマルクスが資本主義社会の分析をなした、その理論を資本主義社会の政策論で、労働者階級や弱者の立場から批判しようという試みです。そういう道に踏み込んだのは、松尾さんにとって構造改革的革命論があり、ブレイディみかこさんにはアナルコサンディカリズムな観点があり、社会学者北田さんのライツトーク批判296Pがあり、三人に共通するのは「明日の飯」で、このことで語ろうということです。
さて、「飯の話」とは何でしょうか? そもそもストライキを打っている労働者に対する切り崩しとして、かけられるのがこの「飯の話」です。また、大学で「教養」の科目でマル経を教えている教員が、学生弾圧の先頭に立ち、学生から思想性を問われて、「わたしには、妻や子どもがいて、生活がある」と居直るのがこの「飯の話」なのでした。誤解のないように書いておきますが、「飯の話」も必要です。そもそも食わなければ生きていけないし、例えばストライキを打って解雇されたひとの生活の保障をどうするのかを労働組合として考えていくということにおいて。ただ、「飯の話」は「転向の勧め」として出てくることを押さえねば運動など出来ないのです。
さて、この本のなかで、人権や倫理を上部構造の問題として、そんなことでは飯が食えないし、運動も成立しない、としてもう一度ちゃんと下部構造――経済を語ろうというような話を持ち出しているのですが、ここで持ち出しているのは「金融政策」と言われていること、政治は、政策は上部構造なのです。人権や、倫理は確かに上部構造の問題です。そもそも人権とは、差別のない関係の物象化であり、共同幻想なのです。そもそも人権という概念は資本主義体制を維持するための概念で、そんなことを振り回すこと自体をわたしは批判してきました。またわたしは倫理主義批判もしてきました。またゲゼルシャフト(利害社会)では、ひとは倫理では動かない、利害を巡って動くのだと。そして、これが唯物史観の定式としてわたしは押さえてきました。だから、「人権や倫理でなくて・・・」ということ自体には共鳴できることもあります。わたしは、それをきちんと差別ということで押さえ直すようにと提起してきました。差別ということは上部構造に限定される問題ではないのです。差別ということをきちんとおさえないところで、こんな非論理的な話になっていくのです。
さて、もうひとつ、この本の中で、興味深いはなしが出ていました。ポピュリズムとポピュラリズム(人気主義)の区別です。ポピュリズムは一般に「大衆迎合主義」と訳されますが、ブレイディみかこさんが、「庶民の意見や願いを代表することを標榜する政治のタイプ」という定義を持ち出しています257P。ですが、一般に使われているポピュリズムが「大衆迎合主義」と訳されるのは、民衆の感情的な意識に、すなわち時には、非論理的な意識に合わせて政治するということなのです。そのようなことは左派の運動としては有効な運動になりえません。有効なその感情的意識のひとつが、右派の差別主義的意識への迎合ということで問題になるのです。
この本のキーワードは「反緊縮」ということです。反緊縮ということは何を意味しているのでしょうか? これはこの著者たちにとっては、経済成長政策リフレによって必要な福祉の財源を確保しようということです。
ところがアベノミクスに端点に現れているように反緊縮リフレは、福祉や労働者の生活をよくするものにはなるとはいえません。切断が起きているのです。安倍元首相は、日本を企業が世界一活動しやすい国にするということを言っていました。資本主義にとって、労賃をあげるということは、原理的にはコストなのです。ですから、アベノミクスは、大企業と金持のための政策になって、著者たちのいう福祉の増進にはなりませんでした。
そもそもマルクスの思想の流れでは、世界システム論やグローバリゼーションというところへと行き着いています。この三人の議論にはそんな話が出てきません。マル経の話でなくて近経の話として進んでいるのです。グローバリゼーションが行き渡った世界において、新しい市場がなくなり、総需要が頭打ちになるのです。ですから、持続可能な資本主義というところで緊縮政策が出てきているのです。
問題は緊縮か反緊縮かではなくて、ひとが生きる条件を保障しろ、福祉に金を出せということなのです。それをそもそも行き詰まっているからもう資本主義を止めようという反資本主義の立場を突き出さないで、資本主義的政策論にとりこまれて議論をしているから、話がおかしな方向に行ってしまうのです。
さて、実は松尾さんは構造改革革命論の話を持ち出しています282P。で、実は松尾さんの本を以前に読んでいて読書メモを残しています。「たわしの読書メモ・・ブログ311/・松尾匡『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』PHP 研究所(PHP新書)2014」。わたしも、構造改革的革命論の検討をする必要があると、最近考えだしています。ただ、構造改革革命論をいうとき、きちんとした方針をもって展開していくのでなければ、これは単に資本主義社会に埋没していく事になってしまいます。自らの構造改革的革命論の道筋を何も出さないで、経済政策の話をしても、実際に福祉の予算の確保ということで進んで、命をつなぎえても、構造改革的革命がすすむわけではありません。そのような話はどこにもこの本の中ではでてきません。革命志向の左派とは話がかみあいません。この本のタイトルが単に、マル経から近経への転向の勧めになりかねないのです。
ヨーロッパの反緊縮の動きも、ヨーロッパ共産主義的運動の社民化と言われている、すなわち体制内化といわれている中で、結局保守と社民の政権交代をなしつつ、結局、何も構造改革革命的なところが蓄積されないことになっています。すなわち松尾さんの、構造改革革命というところでは内容がないところに収束してしまっています。
さて、否定的な事ばかり書いてきましたが、この本から特に、ブレイディみかこさんのイギリスを中心にしたヨーロッパの「金融政策」とヨーロッパ政治の話は情報として得ることが多々ありました。
もうひとつ、この本のサブタイトルの話、「レフト3.0の政治経済学」の話、「1.0」「2.0」「3.0」の話は興味深いことでありました。これは色々な位相で語り得るのです。わたしなりの解釈を含めて書くと、「1.0」が既成左翼、「1.5」が新左翼、「2.0」がそれまでの左翼を批判して出てきたリブや反差別の運動、「3.0」は「1.0」「2.0」を統合して改めて階級闘争を展開していくこと。
さて、松尾さんはこの後、MMT理論に踏み込みますます混迷していったのです。そして左翼陣営や、野党サイドでこの理論を使おうとするひとが出ていて、ますます混迷を深めています。こんがらがった結び目を解く作業が必要になっているのだと思うのです。その作業を遡るという意味でも、この読書メモがいくぶんなりとも意味をなしえけばと願っています。


posted by たわし at 02:59| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月17日

平井潔/古沢友吉『解放史上の三女性 マルクス夫人・ローザ・ルクセンブルク・レーニン夫人』

たわしの読書メモ・・ブログ580
・平井潔/古沢友吉『解放史上の三女性 マルクス夫人・ローザ・ルクセンブルク・レーニン夫人』東洋経済新報社 1956
この本は、「日本の古本屋」というサイトで、「ローザ・ルクセンブルク」と検索すると出てきた本です。ちょっと惹かれたのですが、そこまで読書を広げられないと買うのを躊躇していたのですが、シスターフッド的なところから、やはり読んで置こうと買い求め、一連の学習の付録的に読んだのですが、いろいろ収穫がありました。
タイトルにあるように三つの文から構成されています。前の二つが古沢友吉さんの文。最後が平井潔さんの文です。いずれも、ベタベタのマルクス・レーニン主義者(註1)の文です。
「マルクス夫人」――イェニー
兄弟の関係で2人は幼なじみで、長年結婚を誓い合っていた中です。何か恋愛ドラマになるような2人の人生です。これはイェニーや家族を、家族的にいたひとたちを描くことによってマルクスを描くという構図にもなっています。「家族的にいたひとたち」には、エンゲルスの存在があります。エンゲルスとマルクスの関係が描かれています。エンゲルスは、そもそも当初は互いに刺激し合っていて、エンゲルスが先行していた面もあったのですが(註2)、後にはマルクスが論的深化を担い、エンゲルスが編集や分かりやすい解説者の役割を担っていく分業のようなことが出ていて、後期エンゲルスと後期マルクスの食い違いのようなことの指摘も出ています。このあたりのことは、マルクス・レーニン主義者である著者には望むべきもないのですが、触れられていません。
マルクスにはいろいろ批判がなされています。たいがいは反共産主義的な誹謗中傷なのですが、マルクスが一緒に活動していたひとと次々に仲違いして決別していったということをマルクスの性格問題として批判している事があるのですが、そもそも左派にとって、思想の違いが析出していけば決別していくことは常道で、むしろそんな批判をしているひとが思想ということの意味が分からないひとなのです。ただ、この本の中で指摘されているのは、エンゲルスの連れ合いが亡くなったときにエンゲルスの気持ちを察しないで、お金のはなしをして、エンゲルスとの軋轢が生じたという話が出ています。わたしはこの話、「瀕すれば窮する」ということで、家庭生活をもってからのマルクスの生涯は、困窮の生活で、エンゲルスがその生活を援助するという面もあったところで、そこで、貧困の中でプロレタリアート的なことをつかんでいったという面もあるのかもしれません。
一方、エンゲルスがアイルランド人の連れ合いとの籍を入れなかったとか、遺骨を海に流すようにと遺言を残したとか、「自由人」としての魅力を感じさせるひとのようだったようです。
マルクスの子どもは、男二人、女四人で、男の子はみんな早死にし、女性も一人が早死し、二人が自死、ひとりはマルクスより早く死んでいます。
さて、マルクスには、もうひとり男の子どもがいたという話があります。それはイェニーが結婚するときに、母親がつけた「家政婦」のヘレーネ・デムートとマルクスの間に生まれた男性。里子に出されたようなのですが、マルクスを巡るスキャンダルとして出てきます。東南アジアの中産階級で、共働き家庭に「家政婦」がいるという話があるのですが、ローザ・ルクセンブルクも「家政婦」がいた話は有名なのですが、そういう中で、活動に専念できた、イェニーもマルクスの秘書的なことや、それからかなりマルクスの周りのひとたちへの働きかけに大きな役割をはたしたことがあったようです。ただ、プロレタリア革命理論を展開していたひとの家で家事労働者を使っているということに違和を感じるのはわたしだけでしょうか?
「ローザ・ルクセンブルク」
この文を書いたひとは、ローザの感性の鋭さという性格的なことは、すごく評価しているのですが、理論的なことは、まさにマルクス・レーニン主義のローザ批判の教科書のようなところから批判しています。ローザとヨギヘスの関係も押さえていないし、ローザの理論の現在的な意味も、わたしはとらえ返そうとしていたし、それなりにやってきたのですが、そのあたりは著者は真逆の評価になっています。これまでの読書メモで、書いてきたことなのですが、改めて別稿でまとめてみようと思っています。
「レーニン夫人」――クループスカヤ
 この文は、「レーニン夫人」となっているのですが、レーニンの評伝のようなことが主になってしまっています。レーニンはカリスマ的にとらえがちですが、この文では、むしろ民衆の中に分け入って権威的ではない対話するレーニンを描いています。スターリンのレーニン評価の文も出て来ますが、スターリン的なとらえ方には、まさにスターリン的な偏向でのレーニン伝になっていると感じているのですが、この著者にはそもそもスターリン批判がないようなのです。レーニンが二月革命の後に封印列車でロシアに帰った話も、曖昧にしてきちんと書いていない等、どうもスターリン的なごまかしの手法をとっています。レーニンがスターリンに仕掛けた最後の闘争は、スターリンがクループスカヤをこけにするようなことをしたところで、レーニンがスターリンの性格を見切ったというようなところから発しているという話があるのですが、このあたりレーニンとクループスカヤとの一体感のようなことで取り上げることなのですが、まだ時代的にスターリン批判が広がっていない時代で、スターリン批判がない著者にはそんな押さえもありません。勿論、レーニン批判は何も出てきません。
クループスカヤは、教育の問題に特化した形で、活動していて、レーニンへの影響や対話もあったようです。
 さて、ローザの場合には、ローザとヨギヘスとの関係は逆バージョンで、ローザが前面に出ていて、それでも性差別的なところに曝され続けた歴史があります。一方で、イェニーもクループスカヤも「○○夫人」とされ、「内助の功」とか「助手」「秘書」的存在とされるような存在を、フェミニズム的にどうとらえるのかというところで、スポットを当てて読み解きたいという思いがありました。そもそも「○○夫人」とかいうタイトルを付けてしまうところで、やはり期待外れだったのですが。でも、それなりに、スポットが当てようとしているところで、もう一段、フェミニストサイドからの論攷が出てくることを期待するしかないとも思っています。
(註)
1 マルクス・レーニン主義というのは、ほぼスターリン主義と重なるのです。スターリンとレーニンを切断しようということもあるのですが、レーニンがスターリンを生み出したという側面は否みようもないのです。これについては、すでにいろいろ書いています。
2 二人の共同作業の『ドイツ・イデオロギー』はエンゲルスの文にマルクスがコメントし、さらに対話していくという形式で進められています。また、経済学の学習の必要性を提起したのはエンゲルスだと言われています。


posted by たわし at 01:59| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦訳『友への手紙』

たわしの読書メモ・・ブログ578
・ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦訳『友への手紙』論創社1991
ローザ・ルクセンブルクは多くの手紙を残しています。活動家として実にきめ細かい「配慮」の中で、さまざまな「手紙魔」とも言いえる手紙を出しています。だいたい四つの内容的パターンがあります。まず、@運動的なところでの手紙、Aシスターフッド的なところでの共鳴の手紙、B運動的なところで同志を支えるところからする、また同志の関係者を支える主旨での手紙、Cそして恋愛的な手紙。この『友への手紙』はそれぞれすべての内容を網羅しているようです。
それにしても、ローザ・ルクセンブルクの感性、クラシック音楽を愛し、絵画を愛し、文学的なところへの関心を持ち、草花や小動物を愛し、それでも革命家として活動し死していった、そのことを思うと、もうひとつの生き方ということを思わざるを得ないのです。もちろん、そんなことが適うはずもなく、それがローザ・ルクセンブルクの生と死であったのですが。


posted by たわし at 01:53| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦・丸山敬一訳『ロシア革命論』

たわしの読書メモ・・ブログ577
・ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦・丸山敬一訳『ロシア革命論』論創社1985
この本は、選集の中の第4巻に収められていた「ロシア革命論」の別の編集版の翻訳と、ローザの他のロシア革命に関する論攷を掲載し、訳者の伊藤成彦さんの解説を三点セットとして本にしたものです。この本の存在は知っていたのですが、「ロシア革命論」は選集で読んでいたのと、他の論攷が入っているということを押さえていなかったので、パスしていました。
 最初に目次をあげておきます。

はしがき
第T部 ロシア革命論――獄中書簡から
 1 ロシア革命のために
 2 戦争、民族問題、革命についての断片
第U部 ロシア革命論説――『カンプ』『スパルタクス書簡』から
 1 ロシア革命
 2 ロシアの革命
 3 ロシアの問題
 4 老いたるもぐら
 5 二つの復活祭教書
 6 焦眉の時局問題
  T 戦争と平和
  U プロレタリアートの独裁
  V ストックホルム
  W 二者択一
 7 歴史的責任
 8 破局に向かって
 9 ロシアの悲劇
第V部 ローザ・ルクセンブルクとロシア革命 伊藤成彦
 1 二月革命の報せ
 2 二つの復活祭教書について
 3 労働者、水兵の反応
 4 ローザ・ルクセンブルク救出計画
 5 十月革命前夜
 6 「ロシア革命論」草稿
 7 社会主義民主主義の原則

 さて、「第T部 ロシア革命論――獄中書簡から」は、これまでのレヴィ版は草稿の写しから編集したもので、「かなりの誤りや脱落個所があった。」(「はしがき」)@P、それをおぎなったヴァイルの完全版は、「本文とノートの区別がつかなかった。」APものであり、東ドイツの「マルクス・レーニン主義研究所」編集1974の版が、この訳の底本になっているとのこと、「なお、この東ドイツ版には、草稿に関する注と、草稿の中の事項や主張に関する編集者の注とが一緒につけられているが、翻訳にあたっては性格を異にする二種類の注を分離して、草稿に関する注は本文中に収め、事項や主張に関する注は、参考として草稿の後に付してある。」APとあります。で、図らずもか、図ったのか、「編集者」の注が、「マルクス・レーニン主義研究所」らしく、マルクス・レーニン主義的な注になっていて、それを検討すること自体が、レーニンとローザの論争の検証になるのではと思ったりしています。
 さて、目次に沿って、読書メモを簡単に残します。まず、ロシア革命論草稿の「第T部 ロシア革命論――獄中書簡から 1 ロシア革命のために」ですが、これは、伊藤さんが「第V部 ローザ・ルクセンブルクとロシア革命」の「6 「ロシア革命論」草稿」の中で、「「ロシア革命論」草稿でローザ・ルクセンブルクがボリシェヴィキの政策の誤り、あるいは歪みとして具体的に指摘したのは、農地改革・農民政策、民族自決・講和問題、制憲議会の解散の三点であった。」204Pとしていますが、わたしはレーニンとローザの論点を七点抜き出しました。
@ 土地分配問題
A 民族自決権
B 憲法制定議会の解散
C プロレタリア独裁論の中身――民衆が革命の中から学び発展していくこと40P・・・自然発生性への依拠
D 強制や命令でなく民衆の創造性への依拠(これはレーニンも書いていた)40P
E 政治生活の抑圧25Pと一握りの政治家たちの独裁46Pの進行批判――独裁と民主主義の対立図式(カウツキーも同じ)の批判――カウツキーはブルショア民主主義、レーニンとトロツキーはブルジョア的独裁46P――プロレタリア独裁の規定「階級の独裁とは、つまり、もっとも広く公開され、人民大衆がこの上なく活発、自由に参加する、何の制限もない民主主義の独裁である。」47P――社会主義的民主主義48P――階級の仕事=一握りの政治家たちの仕事ではない
F 情況規定性からの負の制約を正当化することへの批判49P――奇蹟は起こせないとして、レーニン/トロツキーの一定の擁護と、ドイツ国際的運動の自己批判50P――問題はロシアだけで解決できない、国際的に解決51P
わたしの付記、@もAも他党派の関係やそこにおける民衆の要求のとりあげとして出てきたこと、レーニンの現実主義。ただ、Aは英語のnationの民族と国家という両義的な意味における国家主義批判として押さえ直すこと(民族主義は国家主義にからめとられることへの批判)が、肝要。
 ローザも「歴史なき民族」論にとらわれていた58P
 この草稿に関しては、とりわけ民族自決権について、「第V部 ローザ・ルクセンブルクとロシア革命 伊藤成彦」の「6 「ロシア革命論」草稿」で、伊藤さんがレーニンを引用しつつコメントしています。「(レーニン)社会主義の利益が民族自決の利益に優先することを否定することはできないだろう。」208P「むしろその後のポーランド戦争から最近のアフガニスタン侵攻までの歴史を考えるとき、ロシア社会主義の歴史の中で、レーニンの民族自決の原則が果たして本当の意味で守られたことがあったのか、という問題こそが 問われなければならない。」209P・・・民族自決権の虚構とそもそも中味のない「社会主義」、社会主義は定立していなかった。
 さて、ローザのレーニン批判が、変遷しているのか、一貫しているのかという論争があるのですが、レーニンの現実主義的な決定を、そのように追いこまれていくことを理解しつつ、でも、それが未来に何を残すか、またその定式を他の国や地域にも適用するとどうなるのかというところで、原則主義的な批判をしつつ(まさにその論争は、現実主義と原則主義の弁証法なのですが(註)、自分たちのとりわけドイツにおける革命を起こさねば、それぞれの国や地域での連動する革命をおこさねば、ソヴィエト・ロシアは崩壊すると押さえていたようです。これは、ローザの運動家としての基本姿勢ですが、繰り返し自分たちの責任ということを強調していたのです。また、レーニンとも思いを共通していたのですが、それはローザの予測がことごとく当たっていたのです。ただ、スターリンの反民主主義の全体主義的独裁体制が70年も続くとは想起していなかったようです。レーニンも死の直前には、スターリン体制の行き着く先を想起し、スターリン排除を試みる最後の闘争に踏み込むのですが、果たせぬままに亡くなります。時は、70年を経て、「社会主義国」が崩壊したという説もあるのですが、「社会主義国家」と自称していたのは、「国家資本主義」だったということが左派の間で、そして右派の間でも定説化されてきているようです。わたしは、そもそも「プロ独」から社会主義の移行に失敗した、未だ果たせ得なかった「社会主義革命」だったのだ、言いえるのではないかと押さえています。レーニンは、「民主主義的なことをやっていたのでは、革命をやるには百年かかる」と言っていたのですが、むしろ百年経って、あのロシア革命は、むしろ社会変革運動の桎梏になっているのではないかとさえわたしには思えるのです。改めて、ロシア革命を初めとするこれまでの社会変革運動の総括が必要になっているのではないでしようか?
 さて、U部以降は、1から6までが二月革命から十月革命までに書かれた文書、7から9が十月革命を経て書かれた文書です。ローザの姿勢は一貫していて、ボリシェヴィキの方向で進め行くと、必ず矛盾を抱え込んでしまうという批判と、それでもそうせざるを得ないことに追いこんでいる、ドイツを初めとする国際的運動の責任を問うて、ロシア革命との連帯を訴えるものです。いくつかの注目すべき個所だけメモを残します。
「第U部 ロシア革命論説――『カンプ』『スパルタクス書簡』から」
「4 老いたるもぐら」は、ほとんどアジ文です。老いたるモグラとはドイツ社会民主党の主流派批判の揶揄のようです。「国際ブルジョアジーとロシア・プロレタリアートの間の葛藤は、世界状勢の現段階を次のような二者択一として表現しているのである。全般的な出血死に至るまでの世界戦争か、プロレタリア革命か――帝国主義か社会主義か。」93P「老いたるもぐら、歴史よ。お前は立派に仕事をした! この瞬間において、国際プロレタリアートの上に、ドイツ・プロレタリアートの上に、世界史の転換期の偉大な時のみがもたらしうるあのスローガン、あの警告叫び声が鳴り響く。帝国主義か社会主義か! 戦争か革命か! 第三の道はないのだ!」94P
「5 二つの復活祭教書」この文書は、ドイツで進む議会主義的な動向に対する批判の文書です。「ベルリンの「協同作業団」(カウツキーらの独立社会民主党右派)の復活祭教書は、プロイセン選挙法改革に関する皇帝の復活祭教書とあまりにもぴったりと符合している。両者とも、かびくさい気の抜けた政治感覚の産物であって、世界戦争と世界的激動にもかかわらず、何ものにも学ばす、何ものも忘れなかったことだけを真に誇っているのである。」100P
「6 焦眉の時局問題」は、「T 戦争と平和」で戦争の解決にはプロレタリア革命が必要であり、それは「U プロレタリアートの独裁」として成し遂げられる、そして「V ストックホルム」でなされている議論、元の状態への復帰とか民族自決権をめぐっての議論に、ローザは民族自決権批判をなしてきた立場で批判し「民族自決権は資本主義国家の領域内、その支配下では決して実現されない。民族自決のための唯一の現実的前提は、社会主義革命、すなわち、あらゆる民族に本来の大衆としての労働者階級の政治的・経済的自決である。」117P。最後に「W 二者択一」で、「戦争か革命か! 帝国主義か社会主義か!」123Pと二者択一的な提起をしています。
「7 歴史的責任」は、ロシアとドイツの単独講和批判の話です。ですが、それを情況規定的とも押さえ、「全面講和は、ドイツにおける支配権力の打倒なしには達成されえない。」131Pとしています。もうひとつ、ボリシェヴィキを「ペテルスブルクのジャコバン派」129Pと規定しているところにも留目。
「8 破局に向かって」は、ドイツの「帝国主義的発展」と崩壊を押さえています。その論攷は、ナチズムの隆起と次の世界大戦を予期させるような文にもなっています。
「9 ロシアの悲劇」は、単独講和の批判なのですが、「いかなる過失も犯さない革命など存在しはしないのである!」145Pとして(レーニンもローザの過ちを指摘しているので、その対話の深化が必要なのですが)、情況規定性を押さえ「ボリシェヴィキの過ちに対する責任は、結局のところ国際プロレタリアート、ドイツ社会民主党の比類なき卑劣さにある。」147P「ロシア革命の名誉を救うことは、この運命の時において、ドイツ・プロレタリアートの名誉と国際社会主義の名誉を救うことに等しいのである。」148P
「第V部 ローザ・ルクセンブルクとロシア革命 伊藤成彦」
「1 二月革命の報せ」では、ローザが二月革命をどう押さえたのかということで、三点上げています。@「第一の特徴は、二月革命を一九〇五年――七年のロシア革命の継続、発展と見たことである。」156P「したがって、ローザ・ルクセンブルクが一九一七年二月に始まったロシア革命を一九〇五年――七年の革命の継続とみたということは、二月革命を「ヨーロッパでこれからはじまる一連の新しいプロレタリア革命の先駆者」とみたということであり、この革命では「階級意識をもったプロレタリアートが指導的で推進的な要素」をなしている、とみたということを意味するものにほかならない。」157PA「ロシア・プロレタリアートへの動向への注目」157P――「ツァー打倒以後の革命の発展は、戦争遂行に利益を求めるブルジョアジーと帝国主義戦争の終結を求めるプロレタリアート先鋭的な対立にすすまずにおかない、と彼女は展望した。」158PB「ローザ・ルクセンブルクは、このようなロシア革命の分析と展望に基づいて、参戦国のプロレタリアート、とりわけドイツ・プロレタリアートのロシア革命に対する重大な責任を指摘した。」158P
「2 二つの復活祭教書について」は、ロシア二月革命の隆起のなかで、ドイツで起きた動きを押さえた文です。「ロシア革命の報せを受けたドイツ国内で、ロシア革命の影響を受けて起こった際立った動きとしては、次の三つの事柄を挙げることができる。第一には、一九一四年八月四日以来「城内平和」政策によって帝制と一体化してきた社会民主党指導部への批判を強めていた党内反対派による独立社会民主党の結成(一九一七年四月六日――八日)、第二に、プロイセンの三級選挙法の廃止と直接・秘密選挙制の導入等の戦後の改革を宣言したヴィルヘルム二世の復活祭教書(四月八日)、第三に、ベルリンとライプツィヒの軍事産業の金属労働者を中心に三十万人が参加して行われた四月ストライキ(四月十六日――二十三日)の三つを。」162P「ここでローザ・ルクセンブルクは、勅令を発したドイツ帝制を「中世からのかかし」と皮肉るとともに、どこまでも議会主義に立ってスパルタクス集団に反対する協同作業集団を「何と見事な議会主義的クレチン病(ママ)の精華」とからかい、とくに後者に対して、「ロシア革命をただ老朽化したツァーリズムに対するブルジョア自由主義的修正だとみなして、これが同時に世界史的な影響力をもった最初の過渡的プロレタリア革命であることなど思いも及ばないのだ」と批判した。ローザ・ルクセンブルクのこの批判は、勅令と協同作業団の行動綱領という“二つの復活祭教書”の本質を見事に射抜いて、ロシア革命がドイツに波及せずにはおかないことを、当時、もっとも鋭く見通したものであった。/しかし同時にこの時ローザ・ルクセンブルクは、「ドイツのプロレタリアートも全体としてはまた呆然として、革命がロシアで起こった、これは隣国におけるよろこばしくもためになる見世物だ、くらいにしか思っていない」と書いていたが、おそらくこの時獄中のローザ・ルクセンブルクは、四月ストライキに向けての労働者の動きをまだ知らなかったのであろう。ではロシア革命に対してドイツの労働者階級はどのように反応したか。」169-70P
「3 労働者、水兵の反応」は、前の「2」の最後のところを精細に展開した文です。
「4 ローザ・ルクセンブルク救出計画」では、ローザが体調を崩していることもあって、早く獄中から出そうという動きを書いているのですが、ローザが獄中からいろんな手段を用いて、連絡をとろうとしていることがあって、その中で、獄中のローザに当てられた秘密文書を掲載しています。
「5 十月革命前夜」は、「U」の「6」から「9」の解説文です。
「6 「ロシア革命論」草稿」は、最初の「T」の解説文。ローザとレーニンの対話ですが、すでに「T」の読書メモで挙げていた内の、二点「農地改革・農民政策、民族自決・講和問題」について展開しています。「農」の問題は、なぜ、そのように陥ったかを、ローザも押さえていないわけではないのですが、農業問題に対するボリシェヴィキの弱さがあり(ローザ自身もそうですが)、それで社会革命党が農民・農業問題に取り組んでいて、そこで労・農ソヴィエトを作ったことから、社会革命党の要求をのまざるをえなかったということです。民族自決権については、「T」の本文中に書きました。
「7 社会主義民主主義の原則」では、前の三点の残りの一つ「制憲議会の解散」問題です。この問題はプロ独の中身の問題につながっています。「(ボリシェヴィキの論理)革命の利益は憲法制定議会の形式的権利に優先する。」216P(・・・これはすべてに当てはまり、現実的必要性で、原則が踏みにじられることになってしまいます。)「つまり、ローザ・ルクセンブルクがここで問題にしていたのは、単なる制憲議会の解散の可否ではなく、社会主義による民主主義の新しい発展であった。制憲議会の解散からエス・エルの弾圧にいたるボリシェヴィキの一党独裁をすすめるものではないか、とローザ・ルクセンブルクは見たのである。そしてこのような誤りの根源を、彼女は独裁と民主主義を対立させる「レーニン・トロツキーの理論」に求めた。エーベルト、シャイデマンからハーゼ、カウツキーにいたるドイツの社会民主主義者たちは、独裁と民主主義を対立させることによって独裁、つまり社会主義革命を否定し、一方レーニン、トロツキーは等しく誤った問題の立て方をすることによって民主主義の否定に陥っているのではないか。しかし「プロレタリアートの歴史的使命は、権力を握った時に、ブルジョア民主主義の代わりに社会主義的民主主義を創始することであって、あらゆる民主主義を廃棄してしまうことではない」――「社会主義的民主主義こそはプロレタリアートの独裁にほかならない」――「それは大衆の積極的な参加すら一歩一歩生まれ、大衆の積極的な影響下にあり、全公衆の統制をうけ、人民大衆の政治的練習のたかまりの中から生まれてくるものでなければならない」。これがローザ・ルクセンブルクが懐いていた社会民主主義の原則であった。そして社会主義革命に対するローザ・ルクセンブルクのこの原則的な考え方は、ドイツ革命の中でもいささかも変わらなかった。」217-8P(・・・ローザの原則主義)「このように社会主義革命における大衆の自立性、自発性、創造性とそのための自己変革を強く主張したローザ・ルクセンブルクが同時に強く否定したのは、指導者と大衆の二元論に立って大衆を客体視、手段視する考え方であった。政党の綱領としてはまことに異色のものであろうが、「スパルタクスブントは何を求めるか?」の終りに、彼女は「スパルタクスブントは労働者大衆を超えて、あるいは労働者大衆によって支配しようとする党ではない」(傍点(線)は伊藤)と書いて、つねに労働者大衆とともにあることを公約していたのである。」219P
 ここの最後には、「T」の文の出版に関する議論について書かれています。そもそも、最初にこの『ロシア革命論』を公開したレヴィは、ロシア革命に打撃を与えるから出すべきではないとローザを説得したという話があります。伊藤さんは「「ロシア革命論草稿」は、ロシア革命に対する否定的批判ではなく、肯定的、積極的な批判だったからである。」222Pとして、ローザが出す必要を訴えていたことが正しかったとしています。

 レーニンがローザを現実的で自分が原則的だと、批判していることもあるのです。それは民族自決権をめぐる論争です。ただそのレーニンの民族自決権は、中央集権主義や、差別の階級支配の道具論や、社会主義革命の優先論よって、空論になっています。だから原則主義ではなくて、空論的理念主義なのです。


posted by たわし at 01:50| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月18日

ナオミ・クライン『貧困と不正を生む資本主義を潰せ 企業によるグローバル化の悪を糾弾する人々の記録』

たわしの読書メモ・・ブログ575
・ナオミ・クライン『貧困と不正を生む資本主義を潰せ 企業によるグローバル化の悪を糾弾する人々の記録』はまの出版2003
ナオミ・クラインさんの本、環境破壊――気候変動問題で、「読書メモ570・ナオミ・クライン/幾島幸子・荒井雅子訳『これがすべてを変える――資本主義vs.気候変動 上・下』岩波書店2017」を読んでいます。この本は、そこから波及して買ったというわけではなく、スーザン・ジョージさんの本の連続学習をしているときに買っていた本です。積ん読していたのですが、わたしの蔵書をチェックしていて発見し、読んでおこうと引っ張り出しました。この著者は、ジャーナリスト的に動く中で、運動的にも参画していったひとです。この本はまさに、新自由主義的グロバリーゼーションの進行の中でまさに資本主義の矛盾が激化していくなかで、その矛盾に対して立ちあがった、反サミットやさまざまな企業や資本側の国際機関の会議への反対運動が20世紀末から起きました。その闘いの記録のような本です。前に読んだ本は、その中から、気候変動問題を見ないようにしていたことがあり、そこから転換して、気候変動問題に留目して書いた本です。それ以前は、幅広く反新自由主義的グローバリゼーション批判をやっていたのです。
 さて、スーザン・ジョージさんの本は、経済学的なところを押さえながら、新自由主義的グローバリゼーションとか<帝国>的グローバリゼーションとかいわれることの批判を展開して、それを「オルター・グロバリーゼーション」ということで突き出し、「もうひとつの世界は可能だ」というスローガンを突き出しもしています。この本の中で、この本の著者は、ATTACというグループを引っ張って動いていたスーザン・ジョージさんをマルクス主義のインテリゲンチャという規定をしています。わたしは、スーザン・ジョージさんの本の学習の中で、「もうひとつの世界は可能だ」という突き出しをしても、そのイメージが湧いてこない、むしろ1990年を前後するソ連邦の崩壊と東欧の「社会主義」を自称する「衛星国」の崩壊の中で、マルクス葬送の流れが出てくる中で「マルクス主義」隠しをしているのではないか、というようなことを書き、ちゃんと「マルクス主義」の流れから出てきた運動の総括が必要だというようなことを書きました。
 さて、この著者は経済学的な押さえは、スーザン・ジョージさんより弱いのですが、運動的なことを紹介している本なので、スーザン・ジョージさんの本を読んでいてわからなかった運動的なことをこの本で押さええました。
 まず、あの時期に、二〇〇一年「9・11」起きたのです。丁度、この本はそれを挟んで雑誌に書かれた原稿を集めた本なのです。ですから、わたしは反サミット運動がどうしてしぼんでいったのか、よくつかめなかったのですが、「9・11」後の「テロとの戦い」の中で、この運動の実力闘争的展開自体をテロ規定をして、戒厳令的に強権的につぶしていったという過程がこの本から明らかになります。著者のこの本の論攷にも、「テロとの戦い」という名目に誤魔化されているような、引きずられさも出てきています。
 さて、この反サミット的運動の特徴は、いろいろな団体がいろんなテーマを掲げて活動しているということです。この本の中で、メキシコのサヴァニスタの運動が取り上げられています。マルコス副司令官(「副」です)はマスクをして匿名的に動き、しかも政権を倒したら身を引くというようなスタイルです。これまでの、国家権力の奪取という運動形態を否定しています。確かに、必ず反革命的巻き返しが起きることがあり、それをどうするのかという問題があるのですが、そもそも、以前の権力奪取型の運動ではない運動として突き出しています。そのあたりは、同時に、政治中枢の制度要求的な運動と、草の根的な運動の相作論的な運動の展開として、新しい可能性がそこにあると思います。
このあたりは、「議会制民主主義は支配の一形態」というエンゲルスの規定で、民主主義批判があったのですが、「民主主義とは国家主義の反対語」というところでの、民主主義の意義を見出していくというわたし自身の変遷や、インターネットによる直接民主主義への道というところでの、新たな民主主義論の展開をわたしは考えています。
なお、この本の原著のタイトルは「Fences and Windows」です。かなり隠喩的、文学的表現で、それが本文中にも出てくるのですが、残念なことにそれが消し去られています。それらを、「資本主義を潰せ」という展開にしているのですが、内容的にそうなっているかどうか、もう少し、「資本主義」ということの内容展開からする、反資本主義的展開もと、いつものないものねだりです。


posted by たわし at 02:24| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

椎名重明『農学の思想―マルクスとリービヒ』

たわしの読書メモ・・ブログ574
・椎名重明『農学の思想―マルクスとリービヒ』東京大学出版会1976
この本は、エコロジー関係の本を読んでいたときに、何人かの著者が引用したり、参考文献にあげていた本です。そしてリービヒは前の読書メモの本の斎藤さんも触れています。
 リービヒの「物質代謝」という概念は、エコロジー的にキー概念になっています。また、農業による土地の肥沃の掠奪という概念は、マルクスが自然概念や土地問題や資本家の労働者・民衆からの搾取・収奪概念ともリンクさせて、『資本論』やその他の著作、書簡などで引用していることがあります。そのことをこの著者も指摘しています。また使用価値ということが商品生産活動だけから生まれるのではない、土地の自然の使用価値ということから、ひとのよって立つ基盤のようなところから、私有財産制の止揚ということにも繋がっていきます。リービヒの理論自体が自然科学だけではなく、自然科学と社会科学をリンクさせた科学として注目されているのです。リービヒは有機質説に対置させて無機質説を突き出し、ミネラルというところで鉱物的なところに留意したのですが、そのあたり、現代農学からとらえかえしてどうなるのか、リービヒ自体は19世紀のひとです。今日の生態学的な観点に通じる事もあり、また有機農法的なところからリービヒをどうとらえ返すか、現代農学を押さえて置きたいとの思いも出てきます(思いに終わるでしょうが)。そして、自分に対する批判を、水車を回す水に譬えて、対話の中で論的深化に進んで行く、その学的な姿勢のようなこともとても参照されることです。
 目次を出しておきます。
まえがき
序章 日本の農業と西洋の農業
 一 ドイツ人のみた幕末の日本農業
 二 日本式「有機農業」の問題点
第一章 リービヒの農学――その思想と科学
 一 リービヒの再評価
 二 自然の循環に関するリービヒの思想
 三 無機質説
 四 合理的農業論
 五 有機説批判
 六 窒素説批判
 七 資本主義農業批判
第二章 ローズおよびギルバートに代表される近代農業論
 一 農業の基本的性格
 二 ロザムステッドにおける実験
 三 近代的農業のイデオロギー
 四 イギリスのリービヒ
 五 アメリカのリービヒ
 六 日本のリービヒ
第三章 国民経済学的地力概念――J・コンラートのリービヒ批判
第四章 土地に関する思想――歴史的考察
 一 土地囲い込みの自由――近代的自由の消極面に関連して
 二 農村共同体と自然
 三 改良農業と資本主義の精神
 四 農学と地力概念――歴史的概観
第五章 マルクスとリービヒ
 一 思想と科学
 二 人間と自然との物質代謝
 三 土地の自然力と経済的肥沃度
 四 洗練された掠奪農業
 五 資本主義と自然力
 [補論T] モンショットの物質代謝概念について
 [補論U] 玉野井芳郎氏のダヴィッド的・ポランニー的物質代謝について

 さて、ここでは、主に生態学的観点や、マルクスとの関係に留意して、切り抜きメモを残しておきます。
「つまり自然界の生命現象は人間を含む「動物と植物との物質代謝」Stoffwechselの過程であり、「人間がいなくても存続する」とはいえ、「人間の加わりうる巨大な循環」ein großer Kreislauf をなしている。したがって、「補充の法則――すなわち、諸現象はそのための諸条件が回帰し同じ状態を保持するばあいにのみ永続するということ――こそ、自然法則のなかで最も普遍的なものである。」15-6P
「すなわち当時の「フムス説」が無機質と区別された有機質肥料の効用をいっていたのではなく、すぐれた農学者シュヴェルツSchwerzですら「ときほぐせないゴルディウスの結び目gordischer Knotenであり、自然科学の限界である」といっていたように、有機質肥料の効用を「不思議でわからないもの」としていたのに対し、リービヒは化学的「無機質説」を展開しなおかつその観点から有機肥料の重要性を説いたといってよい。」34P
「マルクスのいうように、「労働はすべての富の源泉ではない。自然もまた労働と同じ程度に、使用価値の源泉である」ばかりか、「労働そのものも一つの自然力すなわち人間労働力の発現にすぎない」。いいかえるならば、「自然を人間の所有物として取り扱うかぎりでのみ、人間の労働は使用価値の源泉となり、したがって富の源泉となる」のであって、労働をすべての富の源泉とするのは、はじめから「労働がそれに必要な対象と手段をもっておこなわれる、と仮定する……ブルジョア的な言い方」にすぎない。」52P(マルクス『ゴータ綱領批判』)
「つまり、リービヒの批判は、土地――その自然力――は国民の富の源泉であり或いは人類の財産であるとする彼の基本的立場に立脚するものであったし、彼がそのような立場にたつことを可能ならしめたものは、自然を人間の所有物として取り扱う経済学や法学の立場をはなれ、人間が加わらなくても継続する自然の巨大な循環の中に、自然的存在としての人間をおくという彼の科学的思想だったのである。」54P
「しかし、「合理的農業」というばあい、自然科学的合理性および経済的合理性を問題にせざるをえないように、農学なるものは、自然科学と社会科学――経済学――という二つの異なる科学による基礎づけをもって成立するものといわなければならない。/そもそも農業においては、対象たる自然が、耕地とか牧草地、或いは改良された穀物とか家畜というように、すでに「人間化された自然」であると同時にそれらに働きかける人間が一定の社会関係のもとにある「類的存在」としての人間である以上、それは当然であろう。/ところでまた、農業においては、自然科学的に合理的であることが必ずしも経済的に合理的ではない以上、農学は科学をこえる思想としての性格をもたざるをえない。農学の思想は、農学において二つの科学が統一せしめられるかなめであり、さまざまな理論取捨選択――価値判断――の基準をなす。」59-60P
「「自由とは、他人を害しない限りは何をしてもよい、ということにある」というのは、フランス革命の人権宣言の中核をなす部分である。そしてそのばあい、「自由」の主体的意味は、「人間の自然に備わった諸権利の行使」の自由を意味するのであった。」113P
「たとえば、近代プロレタリアートの「二重の意味における自由というのは、本来は自然的・類的存在である人間が、土地から切り離され、共同体から自由となって「無保護なプロレタリア」vogelfreier Proletarierと化した状態をいうものにほかならない。なぜなら、近代的プロレタリアートのいわゆる「人格的・身分的自由」(=封建的支配・隷属関係からの自由)というのは、とりもなおさず資本の自由の歴史的前提であり、或いは、資本のもとに包摂された労働力の社会的存在状態を表現するものであるにすぎないのであって、したがって彼らが「無保護」であるのは、彼らが共同体から自由であると同時に「生産手段――なかんずく土地――から自由」であることに基づいているからである。」113-4P
 フランス革命における「人権宣言」批判114-7P
「市民社会の奴隷制……の外見が「自由」にほかならない。」117P(マルクス『聖家族』)
「人間は、自然に働きかけ自然をかえることによってみずからの自然をかえてきたのであって、そのかぎりでは、自然からの自由(=自然法則すなわち必然の洞察)は人類の歴史の一面をなす。しかし、自然との絶えざる交流の中でのみ生きうる人間は、自然から切り離され、自然の破壊によってみずからの自然力が失われようとするとき、自分が自然的存在であることを意識する。土地の囲い込みや共同地の収奪に対する共同体農民の反抗に現れた自然法的土地共有思想や、社会の変革期(たとえばイギリス革命、フランス革命、十九世紀末「大不況」、ロシア革命等々)に際して、くりかえしあらわれた、自然法思想に基礎づけられた土地公有論は、まさにそのような意味での「自然からの自由」に対する批判という面をもっていたのであった。」117-8P
「そして実は、「土地は本来人類の共同財産である」という自然法思想に基礎をおく土地公有論には――それぞれの時代におけるイデオロギー的夾雑物をはらいのけてみれば――、資本主義或いは近代的市民社会における生産諸力のあり方(とりわけ、土地や人間の諸自然力が資本の生産力としてあらわれるという仕組み)に対する批判という面が一貫していることがわかる。すなわち、生産手段(なかんずく土地)と結合した直接生産者たちが、自己の労働の生産物を交換し合う共同体社会という理念(ある種の農工結合体理念)には、時代逆行的な消極面と同時に、近代批判という積極面があったのであって、その意味では、それは、社会変革の過程でやぶれ去った少数派の思想という次元にとじ込めてしまうわけにはいかないものである。」118-9P
 エンクロウジャー批判119-122P
「そして、近代農業における技術的発展が多かれ少なかれ土地の自然力を奪うためのものであったように、農業における資本の自由は、結局のところは地力掠奪の自由――すなわち共同体や地主的規制からの自由と自然法則からの自由(=自然法則の無視) ――にほかならなかった。」121-2P
「人間が対象たる自然を変えることによってみずからの自然を変えるということは、簡単にいえば、人間と自然――とりわけ土地――とのかかわり合い方の変化は、人と人との関係の変化をもたらしながら、人間自身の自然観をも変化させるということである。」124P
「生産の「人間的側面」と「自然的側面」との分裂が、「私的所有の最初の結果」であるというならば、資本主義的所有とは、他人の労働にもとづく「剰余価値」の取得であり分配であって、資本の能力としてあらわれる自然の諸力は、すべて資本家自身のものであるということが前提されている。だから「労働はすべて富の源泉である」という「ブルジョア的な言い方」が可能となる。」125P
「実際、ロシアの「偉大な未来のために役立たせることのできる諸制度(注・農村共同体)を救う」ことを意図したマルクスやエンゲルスやナロードニキ、エス・エルの構想は、プレハーノフやストルーヴェ等よってのみならず、レーニンやスターリンによっても「ユートピア」視された。」145P・・・「ユートピア」として切り捨てられたけれど、マルクスの進歩史観的なところからの転換としての意味はもっています。やっと、現在的に晩期マルクスの転換としてとらえ返しの作業がなされています。
「そのような改良農業が、各地の多くの人びとによって、収穫増大のためのすぐれた農耕方法であるというように確認されたとき、農学は、いわば経験科学的なものとして、その歩みを開始したといってよい。」150P
「フランドルやブランバン地方からイギリスに導入され、そこで発展せしめられた後フランスやドイツがイギリス経由で自国に導入したものは、資本制農業であり、その技術的基礎をなした「新穀草式」農法および「輪栽式」農法であった。したがって「改良農業」とは、資本主義的価値判断とそれに適合的地力概念と密接不可分のものであり、そのようなものとしての農学に導かれて発展したということができる。」151P
「第一に、いずれのばあいであれ、「改良」とは収益の増大にほかならなかったし、したがって第二に、あらゆる改良は土地の囲込み=土地利用の自由に結びついていた。」152P・・・収穫の自由と囲い込み  
「「自然科学の立場からの近代農業の消極的側面の展開は、リービヒの不朽の功績の一つである」というのは、『資本論』のなかのマルクスの言葉であるが、このようなマルクス(およびエンゲルス)の評価とはまったく対照的に、科学者や農業経済学者、歴史家たちは、十九世紀半ば以降今日にいたるまで、ほとんど一様にリービヒを非難しつづけてきた。」167P
「マルクスが、「人間と自然との間の物質代謝Stoffweehsel」というとき、それは、人間が自然的・類的・意識的存在として自然との不断の交流過程のなかで生きるということであり、したがって、動物のばあいとは異なって人間のばあいには、単に彼の肉体的生活が自然とつながっているだけではなく、彼の「精神的生活が自然と連関」しているということ、そしてさらに、自然とのかかわり合いそのものが「労働過程」を媒介として行なわれるということを意味している。」171P
「マルクスにとっては、社会的生産のいずれの「歴史的形態からも独立させ」て、「諸使用価値の生産」過程として「抽象的に考察された」労働過程論は、「労働の……社会的な生産諸力と同様、その自然によって制約された生産諸力も……資本の生産力として現象する」資本制生産様式そのものの理論的・歴史的解明のために必要であったのであるが、そればかりではない。それは、彼の人間解放の思想にとっての基本的資格を与えるものでもあった。そのことはたとえば、労働過程は「人間と自然との物質代謝の一般的条件であり人間生活の永遠的な自然条件」であるという彼の言葉、あるいは、そうした物質代謝過程をもって結びついている人間の自然力(=労働力)と土地の自然力こそは人類の永遠の「富の源泉」なのであって、したがって、労働のみが「すべての富の源泉である」というようにいうことは、「人間があらゆる労働手段と労働対象との第一の源泉たる自然にたいして、はじめから所有者として対し、この自然を人間の所有物として取り扱う」「ブルジョワ的ないい方」にすぎないという彼の批判にあらわれている。」173P
「人間にとっての自然と人間自身の自然が、人間の歴史のなかでどのように生成してきたのか、そしてどのように生成していくのかという点の把握が彼の人間解放の思想の基本的立脚点であったとすれば、そのような彼の自然認識において、とりわけ人間と土地との物質代謝の把握において、リービヒの思想と科学が充分に生かされるのであった。」174P
「いいかえれば、リービヒにおいては、自然は人間を含む動物と植物との物質代謝過程として「生きている自然」であり、そのような意味で、「人間がいなくても継続する」とはいえ「人間が加わりうる巨大な循環ein großer Kreislauf」として把握される。したがって、「自然諸法則のなかで最も普遍的なもの」である「補充の法則」Gesetz des Ersatzes――すなわち「諸現象はそのための諸条件が回帰し同じ状態を保持するばあいのみ永続しうるという法則」――こそは、人間と自然との物質代謝過程とりわけ人間と土地との物質代謝過程の根幹をなす農業のあるべき姿を判断する準拠をなす、ということになる。/マルクスが「リービヒの不朽の功績の一つ」とした「近代農業の消極的側面の展開」――すなわち資本主義農業の自然科学的批判――は、すでに述べたように、リービヒと彼の論敵との激しい論争の過程で次第に明確化してゆくのであるが、しかし、上述のような、人間および動物、植物の生命諸条件の完全な循環=補充という彼の農学に一貫している基本的思想からすれば、そうなる必然性は初めからあったといってよい。」175P
「すなわちリービヒは、自然の循環に基礎をおく彼の思想を、「すべて経験主義的」に、したがって、「処方箋だけで作用の説明がない」東洋的な形で展開するのではなくて、科学的裏づけをもって展開するのであった。」176P
「リービヒのばあいは、それを「有機質的自然と無機質的自然との間に存在」する「驚異的な連関」――つまり自然の循環――の謎をとく鍵として位置づけ、しかも、そのようなものとしての「植物栄養の化学的過程」に関する理論をもって、当時支配的であった肥料の効用に関する「腐敗説」Humustheorie――およびそれに代わって登場してきた「窒素説」Stickstofftheoric――を科学的に批判するのであった。」179-80P
「つまり、「私の水車に対する最大の給水源は私の論敵の方にある」というリービヒにとっては、一〇年以上にもわたる論争およびそれにともなう実験が、彼の「無機質説」の内容を豊富にし明確にする結果になったと同時に、ある種の肥料をもって収穫とりわけ利潤の増大のみを計り、土地の自然力の荒廃などには関心をもたない近代的農業者への批判としての性格を明確にする結果にもなったのである。なぜなら、人間と土地との物質代謝が「無機質論」的に明確にされるということは、当然のことながら「合理的農業」論の「無機質論」的展開を意味するものであったからである。そして、リービヒの「合理的農業論」を基準とする現状認識が、資本制農業批判として展開されたとすれば、彼の歴史認識が過去の農業――とりわけ休閑とか輪作とか厩肥――に対する批判となってあらわれるのであった。」182-3P
「実際、リービヒのいう「収穫漸減の法則」とは、彼の「最小養分律」――すなわち、土壌中の各種植物栄養素のうち、それぞれの必要量に対して最小量しか存在しない栄養素が「収穫の量および収穫可能年数を規定する」――と密接に関連している自然科学的性格のものであり、「二倍の労働は二倍の養分を吸収可能にするわけではない」ということなのであった。」183-4P
「それゆえ、リービヒによれば、土地の肥沃度は「特定作物の生育に必要な植物栄養素のすべての量に比例」するものであり、したがって肥料は土壌と作物の性質に応じて適正な比率をもって配合される必要があるし、農産物の販売によって失われるそれぞれの養分の量と各種肥料の必要量とを「経営管理のうまくいっている工場の会計簿のように……正確に記録」しておきさえすれば――そのために化学者と農業経営者が協力すれば――「合理的農業に到達しうる」ことになる。」184P
「・・・・・・さきの個所でマルクスが引用しているリービヒの言葉――「さらに細かく粉砕し、繰り返し犁耕することによって、有孔性土壌内部での空気の流通は助長され、空気の作用をうける土壌面は拡大され更新されるが、しかし、容易に理解されるように、耕地の収穫増大は充用される労働に比例するものでありえず、ずっと小さい割合で増加するにすぎない」という指摘――は、むしろマルクスが同じ個所の本文でのべていること――すなわち、「資本制農業のあらゆる進歩は、ただ労働者から掠奪する技術における進歩であるだけでなく、同時に土地から掠奪する技術の進歩であり、また、ある与えられた期間内に土地の豊沃度を高めるためのあらゆる進歩は、同時に豊沃度の耐久的源泉を破壊せしめるための進歩である」といういわばリービヒ思想の真髄――につながるものであることがわかる。」184-5P
 ロシアの土壌学者のリービヒ無理解185P・・・マルクス・レーニン主義者的無理解?
「有機質論」=「フムス説」188P――必ずしも否定ではない195P註(5)
「したがって、リービヒ流儀にいえば、「三圃制」とは三年分の収穫を二年でとることであり、「厩肥農業」Stallmistbetriebは、農産物を販売せず、人間および家畜の糞尿、麦わらなどをすべて肥料として土地にかえす自給自足の経営を前提するかぎりにおいては、完全に「合理的経営」たりうる――すなわち 完全に地力を維持できる――性格のものである。」189P・・・自給自足的でないと、「合理的農業」たりえない?
「――すなわち、収穫高だけで肥料の効用をはかる――「実際的農業者」や多くの化学者たちが、ますます窒素肥料万能論的傾向を強めていくからであった。」191P・・・窒素肥料万能論批判
「彼ら(ローズおよびギルバート――リービヒの論敵、「風車の水」)にとっての唯一の現実である資本主義的農業にとっては、誰がつくったものでもない――したがって、経済学的な意味における価値をもたない――自然力が計算に入らないのは当然だったからである。」193P
「そしてマルクスは、すでに見たようにリービヒの「農業史に関する概観に……卓見」を見出すと同時に、とりわけ彼のこのような「近代農業の消極的側面の展開」を「リービヒの不朽の功績の一つ」とし、さらに『資本論』の草稿を書きおえた後においてもなお、「鉱物肥料論者と窒素肥料論者とのあいだの論争」のその後の経過に関心をよせたのであった。それはいうまでもなく、リービヒの農業史に関する概観が、ラスパイレスのいうような意味で「唯物史観」的だったからではなく、人間と土地との物質代謝という観点からする彼の農業の発展過程に関する把握をマルクスが評価したからであり、そしてまた、同じ観点からするリービヒの資本主義的農業の現状認識が、『経済学・哲学草稿』以来の――とりわけ『資本論』における――マルクスの資本主義批判あるいは経済学批判の基本的視角に通じる面をもっていたからであった。」193P・・・マルクスのリービヒ評価のまとめ的文
「・・・・・・「自然にたいしてはじめから所有者として対し、この自然を人間の所有物として扱う」のが、ブルジョワ的な自然把握だからである。」196P
「テナント・ライト(tenant right)の補償」197P
「ところで、人間と自然との物質代謝そのものが商品形態をもって行われるというところに資本制生産の基本的特徴があるというならば、その基礎をなす「都市と農村との分離」は、「人間と土地との間の物質代謝を……攪乱する」第一の要因であるばかりか、ひいては「都市労働者の肉体的健康と農業労働者の精神生活を破壊する」ことになる。」198P――203P註(16)エンゲルス「人間の解放は都市と農村の対立が廃止されてはじめて完全となる」
「それは要するに、農業そのものを人間と土地との間の物質代謝過程として把握するリービヒの「無機質論」が、論争と実験を通じて行われた現実とのかかわり合いのなかで、土地――その自然力――は人類全体の財産であるという視点を獲得したとき、いわばその必然的な結論として展開することになった資本主義的農業の消極的側面に対する自然科学的批判であったといえる。」200P
「公害や自然破壊の深刻化とともに、人びとはいま「有機農業」を再認識し、エコロジーに再び関心をよせている。第二次世界大戦中における食料増産その他による牧草地の開墾や輪栽式農業(すなわちヨーロッパ的「有機農業」)破壊に対する反省がエコロジーの発展となったとすれば、「フムス論」的有機農業論も、それ自体資本主義批判のあらわれであるにちがいない。しかし、公害等の本質的批判のためには、リービヒを引用しつつマルクスが、平均労働時間を一〇時間に制限したイギリスの工場法(一八五〇年法)をグアノ肥料にたとえたことを思い出してみる必要があるであろう。」201-2P――註(26) 「工場労働の制限は、イギリスの耕地にグワノ肥料を注がせたのと同じ必然性の命ずるところだった。一方の場合には土地を疲弊させたその同じ盲目(ママ)的な掠奪欲が、他方では国民の生命力の根源を侵してしまった」204P


posted by たわし at 02:19| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月17日

斎藤幸平『人新世の「資本論」』

たわしの読書メモ・・ブログ573
・斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社(集英社新書)2020
この本は、インターネットで話題になっていて、この著者はときどきテレビに出ています。経済学者の森永卓郎さんが、学術会議任命拒否事件が起きていたときに、「かつて、経済学には近経とマル経という二大潮流があったのだけど、マル経が大学の講座から消えてしまった」という話をしていたのですが、このひとはまさにマル経で、大学の教員をしていて、しかも、マルクスの『資本論』を冠したこの本が30万部以上も売れ、しかも、テレビにまで出ています。流れが変わってきているのでしょうか?
 この読書、急遽情況への発言として対話的に、急遽挟み込む読書として、当初の予定から、前々回の上野さんのミソニジー論、吉留さんの中国で粛正された朝鮮人革命家の話に続いて読んだのです。実は、上野さんの本は挟み込んだと言えるのですが、それでも、マルクスの思想を切り捨てたらどうなるのか、というところで繋がっています。もちろん反差別というところでは、基底的に繋がっていきます。今、エコロジーというところからとらえ返す作業をしていて、3回前のナオミ・クラインの本とこの斎藤さんの本は、ダイレクトに繋がっています。実際、斎藤さんのこの本の中で、ナオミ・クラインさんの本を紹介しています。そして、前回の吉留さんの文の読書メモにも書きましたが、吉留さんは文の最後に、この斎藤さんの本を紹介しています。まさに、マルクスの読み直しの必要性として。
 マルクスは、晩期にその主著『資本論』の執筆にあたりつつ、1巻を出しただけで、自ら完成し得ませんでした。その間に、膨大なメモと、学習ノートを残しています。これまでに『マルクス=エンゲルス全集』というものがあり、日本語訳も出されていたのですが、それは実は、『全集』とは言い難い、『著作集』に過ぎないもので、今新しいMEGAと略称される全集の編集作業が国際的に行われていて、この著者も参加しています。この国際的な作業に、もうひとり、この読書メモで「物象化論」というところから切りこんでいるととりあげた佐々木隆治さんも、参画を書いていました。この本の中でもそのことが紹介されていました。この作業で、今、日本語に翻訳されているのは、『資本論草稿集』があります。そこに収められている、「経済学批判要綱」とかその中にある『資本主義に先行する諸形態』とかは、もうずっと前に翻訳されていました。
さて、著者が書いているように、なぜ、マルクスが『資本論』執筆に集中しなかったのかというと、まさに自然科学的なことを含めた膨大な学習のノートがあり、晩期マルクスの中で転換のようなことが起きていたということで、作業の遅れと未完成があったと著者は指摘しています。さて、斎藤さんの編集作業への参画は主に、切り抜きメモなどの研究ノートの部分を担当しているようです。
さて、晩期マルクスの転換の指摘は、すでにいろんなひとからなされています。まず、著者がこの本の中でも展開していることを指摘しておけば、インドやロシアの農村共同体研究、「ザスーリッチへの手紙」の中でのロシアの共同体ミールの評価、そして、ここでは書かれていないこととしては、『資本論草稿集』に載せられていて、文庫本ですでに出されている『資本主義に先行する諸形態』で押さえられていたアジア的生産様式論の発見による単線的発達史観の止揚。「共産党宣言」や書簡などに書かれていた、イギリスのインド支配を「野蛮の文明化」というようなところでとらえていたことを、その共同体が資本主義的発展を経ないでも、社会主義への道とリンクしえるのではないかと考えたこと。また、この本の中では書かれていないのですが、アメリカの先住民の研究からなされたモーガンの『古代社会』を中心とする古代社会の研究からする、マルクスの「古代社会ノート」(これは旧「全集」にもあります)で、古代社会の共産主義的な内容を押さえていました。それらのことから、そして「野蛮の文明化」とか「歴史なき民族」というとらえ方からする、民族植民地問題をとらえられなかったことから、アイルランド問題を押さえることによっても、マルクスのなかで、『資本論』の執筆過程で、単線的発達史観、進歩史観のようなことから脱することとして、あったのだと言いえます。
さて、話をこの本に戻します。このタイトルにある「人新世」ということ、不勉強なわたしには初めて知ったのですが、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(「ひとしんせい」のルビ)」(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。」4Pとあります。経済学的に言えば、グロバリーゼーションということにリンクすることなのです。
この本のキーワードは、「脱成長のコミュニズム」という突き出しなのですが、マルクスは直接的には、脱成長ということは言っていません。そもそも、マルクスは生産力の発展の中で生産様式との矛盾、そして利潤率の低下法則からする資本主義の崩壊を想起し、論攷していました。そこで、生産力の発展が共産主義革命につながるということでの生産力至上主義に陥っていたのです。それはまだ、マルクスの時代は、「帝国主義的」植民地支配がまだ進行途中であったときで、「帝国主義論」的なことはまだきちんと展開するに及んでいません。マルクスは、資本主義の発生時の本源的蓄積論を取り上げていましたが、「帝国主義」時代の継続的本源的蓄積論を押さえていたのか、著者はそれはマルクスにはあったとしているのですが、確かに、マルクスにも「帝国主義論」的な展開の指向は出ていたのですが、充分には展開し得ていません。マルクスが自ら『資本論』を完成できなかったことも、そこからくるひとつのゆえんではないかとも言いえます。そのあたりのことを展開したのが、ローザ・ルクセンブルクの「継続的本源的蓄積論」です。そのながれから従属理論や世界システム論、そしてネグリ/ハートの『<帝国>』も出ています。そして、植民地の独立運動の中で、新しいシステムとしてのグローバリゼーションということが出てきます。グローバリゼーションの時代は、経済成長ということを追い求めると、「後進国」からの収奪の激化、矛盾を「後進国」といわれるところに転化するしかありません。それだけでなく、国内的にも貧富の拡大、収奪の激化、そして差別主義的なことの激化しかもたらしません。そのことのひとつが、とりわけ、「後進国」や貧しいひとたちに被害を集中化させる気候変動問題や環境問題として現れているのです。ですから、この本の冒頭に書かれているSDGsということも、「持続可能な開発」なり「持続可能な経済成長」という意味では、そもそも「経済成長」などは、より矛盾を激化させるものでしかなく、破綻していく代物でしかないのです。
この本の中で、著者がマルクスの押さえとして出しているのは、生産力至上主義のようなこと、それまでの進歩史観的なことからの転換なのです。
 資本主義の精神は、この本の中でも書かれていますが、「洪水よ、我が亡き後に来たれ」ということなのです。今、気候変動問題で若いひとたちが立ちあがっています。自分たちの生きる社会がなくなってしまうという危機にさらされているからです。そもそも、資本主義は私有財産制の相続で成り立っているので、「洪水よ、我が亡き後に来たれ」ということでは何のために、金儲けするのかという意味を問われるのですが、資本主義とは同時に「人格の消失」でもあるのです。この本に書かれている、コロナということでも環境破壊の中でおきていることや、惨事便乗資本主義などなど(SDGsということもその一端に過ぎないのですが)、資本主義の矛盾の極大化を読んでいると、わたしには「資本主義止めますか、人間止めますか」との標語が浮かんできます。
気候変動の問題とか、社会は変わらないという絶望から考えないようにするという指向が働きます。「今だけ、ここだけ、自分だけ」で余計な事は考えないという指向が働きます。それは、過去の運動の否定的なことがきちんと総括もなされないまま残っているからです。若いひとたちにはそんなとらわれはないのかもしれませんが、運動の行き詰まりや議論過程でそんなことが出てきます。この本の最後のまとめがオプティズムに陥ってしまっていると感じてしまいました。この本は気候問題や環境問題から資本主義そのものの矛盾を批判しているのですが、運動の総括から運動の展望のようなことも示さないと、結局絶望に陥っていきます。それで、前の読書メモとリンクしていきます。今こそ、運動的な総括が問われてもいるのです。
さて、著者は気候変動や環境問題に焦点をあてて、マルクスの読み直しから、新しい社会像を模索しているのですが、マルクスの読み直しはいろんなベクトルからなされています。物象化論的に脱構築論的に既成の考え方を問題にしていく、国家主義的なところや差別ということから権力にとりこまれていく構図があり、そこからの脱出の模索もあります。わたしは、障害問題を軸に反差別論的にマルクスをとらえ返す作業をしています。競争原理批判や優生思想批判というところから著者の「脱成長コミュニズム」と共鳴していくのです。
 この本は資料的に貴重で、更に学習を深めていく文献の紹介をしています。ですから、索引的にキーワード的に抜き書きをしようかという思いも出ていました。とても、そんな時間は作れそうもありません。ですから、キーワード的なことを書き置き、それに簡単なコメントを付けるに留めます。この本は、大切な本です。世界観が変わるようなこともあるかという貴重な本です。また学習会などに使える本、読んで欲しいと思います。
 リービッヒ156P・・・次回の最初の読書メモとリンク
カール・フラース162P
「資本主義が「科学主義との闘争状態」にある」――「西洋社会において資本主義が「闘争状態」にある科学とは、リービッヒやフラースのように環境へのまなざしをもった「科学」のことである。つまり、エコロジーだ。」188P・・・むしろ科学(技術)が資本主義的収奪・搾取に使われてきた側面も押さえる必要。科学主義と人間主義の対立は、進歩史観と倫理主義の対立という意味ももってしまっている。
脱成長コミュニズム198P
「マルクスは自分の理論的転換があまりにも大きすぎたために、死期までに『資本論』を完成できなくなったしまった。」204P
 加速主義207P
アンドレ・ゴルツの「開放的技術」と「閉鎖的技術」226P
「潤沢さ」230P
「ローダデールのパラドックス」――「私財(private riches)の増大は。公財(public wealth)の減少によって生じる」――「「公富」と「私財」の違いは、「希少性」の有無である。」224P・・・希少性を創り出す――資本になる
「他人を犠牲にして私腹を肥やす」245P・・・資本主義の精神
「新自由主義の緊縮経済は近いうちに終わるかもしれない。しかし、新自由主義であろうがなかろうが、資本主義が続く限り、「本源的蓄積」は継続する。」250P・・ローザの継続的本源的蓄積論、逆に言えば、継続的本源的蓄積がなければ、資本主義は破綻する。差別はその中身のひとつ、反差別運動の持つ意味。
惨事便乗型資本主義252P
コモンの再建258P
「<市民>営化」259P
 ワーカーズ・コープ262P
「私たちは、十分に生産していないから貧しいのではなく、資本主義が希少性を本質とするから、貧しいのだ。これが「価値と使用価値との対立」である。」――「人工的希少性に依拠した資本主義」268-9P
「自己抑制」という罠276P
「クーロンやゲノム編集もやりすぎてしまえば、・・・・・・」275P・・・?科学主義的。これらはひとの存在を危うくする技術で封印すること。「通信」112巻頭言参照。
「マルクスは社会的生産・再生産の次元にこそ焦点を当てたのである。」292P・・・再分配の問題ではなく
 人新世時代のマルクスのアップデート5点「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」「エッセンシャル・ワークの重視」299P
加速主義ではなくて、減速主義で300P
「労働の廃棄」「労働からの解放」批判306P・・・?マルクスの労働概念をとらえ直した今村仁司さんの「労働から仕事への転換論参照、ジョブやラヴァーとワークの違い?
「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)vs.エッセンシャル・ワーク」314P・・・サブシステンス概念からも
「ブエン・ビビール(良く生きる)」321P
「ファイアレス・シティ」328P
「気候正義」336P
「従来の地方自治が閉鎖的であったのと対照的に国際的に開かれた自治体主義」――「ミュニシパリズム」338P
「息ができない」のつながり347P
「革命の「梃子」はアイルランドにある」348P・・・マルクスの民族・植民地問題の転換もアイルランド問題から
「グローバル・サウスから学ぶ」349P
  政治、経済、環境の三位一体性355P
「三・五%」362P・・・変革の発端・始まり


posted by たわし at 18:26| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉留 昭弘「『アリランの歌』再考」

たわしの読書メモ・・ブログ572
・吉留 昭弘「『アリランの歌』再考」(『反戦情報』所収)2020-1
この本は中国のスターリン主義への反対派のひとたちを取り上げた、「たわしの読書メモ・・ブログ510・吉留 昭弘『陳独秀と中国革命史の再検討』社会評論社 2019」の著者の『反戦情報』という雑誌に9回に渡って連載された論攷です。コピーをもらって読みました。
『アリランの歌』は、ニム・ウェールズ(エドガー・スノーのつれあい)が、中国革命に参加した朝鮮人のキム・サン(ニム・ウェールズが付けたニックネーム、本名:張志楽)にインタビューして書いた共著本です。そもそも中国共産党の傘下にあったひとにインタビューできたのは、毛沢東とエドガー・スノーの関係があったからのようですが、このインタビューをした後、共著本が出される前に、キム・サンは粛正にあっています。スターリンの反対派への粛正の中で、その余波が中国にも及び、そういう中での常套的でっち上げ的粛正だったのですが、この論攷を読みながら、わたしが想起したのは、ロシア革命やドイツ革命に参画したポーランドの社会主義者のことです。ひとつ違いを感じたのは、ポーランドのひとたちは、それなりに、位置を占めたし、ドイツ革命においては主導したのですが、朝鮮人革命家たちは使い捨て的な待遇にあっているということです。ポーランド人たちも、多くはスターリンの粛正から逃れ得なかったのですが。
 さて、この連載は、単にキム・サンのことだけでなく、その背景としてのロシアでの党内闘争な粛正を押さえ、中国内の整風運動という名で行われた粛正、さらに文化革命や天安門事件まで押さえています。前に書いた吉留さんの本の読書メモの中で、だいたい押さえていることがよく整理されていました。そもそもロシア革命、中国革命とはなんであったのか、その負の遺産のようなことを感じざるをえません。
 この論攷の文は、たまたま丁度次の読書メモの本を読んでいる間に挟んで読んだのですが、その本の紹介がこの文の最後にされていました。斎藤幸平『人新世の『資本論』』です。その本の中で、マルクスのとらえ直し、晩期マルクスが進歩史観的なところから脱していくことを、気候変動・環境破壊問題とからめてマルクスの読み直しの作業を展開しているのです。わたしはそのマルクスのとらえ返しとリンクさせて、スターリンや毛沢東の粛正を、単に個人的な性格の問題として押さえるのではなく、スターリン主義や毛沢東主義のみならず、レーニンやトロッキーやローザ、他の革命家たちとの論争にまで遡った運動の総括のようなことがいまこそ必要になっているのだと思えます。トロツキーやローザが、そもそも、レーニンの中央集権制論を批判していたこと、その中央集権制論の延長線上にレーニンの「分派の禁止」という方針提起と党の決定が出てきて、まさにスターリンの粛正の道を拓いたこと。また同時に、レーニンの民族自決権も虚構になり、レーニンのそのあたりの押さえ切れなさがスターリンの民族自治国家論での自治潰しを招いたこと。プロ独論がなぜ党の独裁に変節したのか、そこにおける国家論との関係、すなわちマルクスが『ゴーター綱領批判』で、社会主義への転換を国家の死滅への道を歩み始めることとしていたのに、レーニンは国家は社会主義でも継続していくとしたことがスターリンの一国社会主義の建設論につながり、党の独裁の道を進んだこと。ローザがコミンテルンの形成がロシア共産党・ボルシェヴィキの路線の押しつけになると反対していたこと。まさにそれらの当初議論していた「レーニン主義」の集大成として、スターリン主義への道を招いてしまったこと。
 今、共産党や共産主義・社会主義を名乗る党や党派がいまだに、マルクス・レーニン主義の運動論や革命論の総括がなされていないことこそが問題なのだと思えるのです。その作業をなしえないことには、未来社会の展望が切り開けないのだと思うのです。


posted by たわし at 18:23| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上野千鶴子『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』

たわしの読書メモ・・ブログ571
・上野千鶴子『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』紀伊國屋書店2010
 この本はずっと積読していた本です。小田急電鉄で傷害事件(註1)が起きて、それに「小田急フェミサイド」という批判が女性たちから起きていました。「フェミサイド」というのは、フェミニスト・フェミニズムのフェミとジェノサイドをくっつけた造語で、サイドには殺害という意味があるようです。かつて、フェミニズムの学習をしたひとからは、「ミソジニー」という言葉も出ていました。その時に、江原由美子さんから「ミソジニーは、女嫌いではない」という解説も出ていたのです(註2)。わたしの記憶と認識では、「ミソジニー=女嫌い」で、しかもこの言葉が広がったのは、確か上野千鶴子さんが、「ミソジニー」をタイトルにした本を出したからという認識がありました。上野さんと江原さんの間では、かつて大昔前ですが、上野さんからの文化主義批判での論争がありました(註3)。何故、江原さんが上野さんの本のコメントもしないで「ミソジニーは、女嫌いではない」という解説を出したのか、そもそも上野さんはかの本の中で、何を書いていたのか確かめねばと、急遽、読書計画の中に入れ込みました。
 わたしが反差別論の学習の中で、フェミニズム・女性学の学習をしなければと、一時期はわたしの被差別の当事者性の障害問題よりも、多くの本を読んでいました。勿論、差別の総体的学習で性差別の問題を外せないということがあったのですが、わたしは元々自らの総体的差別性を自覚していて、すくなくともその差別性を実践から克服できないまでも、理論的に押さえて置かねばと性差別の問題の学習に取りかかっていたのです。そういう中で、その学習の導き手が上野さんでした。上野さんは、コピーライターのような刺激的なことばを紡ぎ出し、歯に衣着せない鋭さの批判をしていました。勿論、学者世界のルールから逸脱はしないのですが、それでも、「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」というタイトルの本が出るくらいでした。
 上野さんはマルクス主義フェミニズムの日本における紹介者でした。自身もマルクス主義フェミニズムの流れの中にあることを自認していました。ですが、「私はマルクス主義者ではない」という主張もしていました。そもそも「私はマルクス主義者ではない」という主張は、あちこちで起きていました。@ひとの名を冠した○○主義ということばが、ひとのカリスマ性を強調するドグマとなる傾向がありそれに対する批判としてA「マルクス主義」が学問の世界で排撃されていく中で、「マルクス主義」を名乗ることの不利益性としてBそもそも「マルクス主義」名乗るひとや集団が差別の問題をとらえていないというところで、マルクス主義批判の脈絡にて。わたし事を書いておきますが、わたしは@とBにおいて、わたしも「わたしはマルクス主義者ではない」ということを書いたりしています。ただし、わたしは学者ではないのでAの立場は関係ないので、わたしはマルクスの思想に影響を受け、マルクスの思想を全否定するとわたしの思想は成立しないという意味で、「マルクス派」ということは自認しています。
 さて、何故こんなことを書くのかというと、サルトルやデリダが「マルクスの思想は現在社会(資本主義社会)では乗り越え不可能な思想」と突き出したことと繋がっていきます。わたしは上野さんの出される本をずっと追っていました。その勢いで行くと、過去の絶版になっている本も探しだし、そして雑誌に掲載された文も追うつもりだったのですが、何かおかしいと感じ始めました。それは論考の掘り下げが止まっているということに気付いたのです。それは、先のAのことから来ているのではと思っていたのです。それで、後に上野さん自身から構築主義関係の本が出されるに及んで、わたしは、上野さんのことを「マルクス主義フェミニズムと構築主義フェミニズムの二つの土台に足をかけてフェミニズムの旗を振っている」というイメージを持ち続けていた(二つの立場でフェミニズム理論を展開していると押さえ続けていた)のです。ところが、その押さえの間違いに気づいたのは、インターネット上のシールズの若者との対談で、「資本主義はなくならない」「市場経済はなくならない」ということで共鳴し合っていたのを読んで驚愕したことから始まります。「驚愕した」「始まります」という言葉は適当ではないかもしれません。わたしは、上野さんの論攷が、すでに近代合理主義的リベラリズムに陥っているのではないか、不合理・不条理な差別は許さないというところで性差別をとらえることに陥っている、不徹底な反差別に陥っていると考えだしていました。先に、上野さんの本を追おうとしていたと書きましたが、あるときから違和を感じ始めていました。それは、論考が心理学的ミクロの分析の展開になってきたからです。この本を買って積読してしまったのも、それから何冊か買うのもパスしたのも、そのようなところからで、今からとらえ返すと、先に書いた上野――江原論争で文化主義批判をしていたのに、心理学的・文化的論攷に上野さん自身が陥っていったのではないでしょうか? この本も、文芸評論、文化批評的な展開になっています。
 そもそもマルクス主義フェミニズムは、家事労働(家事を労働としてとらえるのはこれもまさに物象化なのですが、これまでの定式化されたマルクス主義フェミニズムでは家事を家事労働としてとらえています)を労働力の生産・再生産過程としてとらえています。そして、家事を担うのを主に女性とすることによって、そして労働第一主義の中で、そのことから規定されて性差別が発動します。さて、ここで上野さんがマルクス否定に陥ったところで、近代合理主義的リベラリズムに陥ったと先に書いたのですが、そのことは中身的に何かというと、競争原理へのとらわれなのです。ここで、やっとこの本に戻って来れました。
 この本でミソジニーとして展開されていることの分析が上野さんでは、フロイト的心理学主義に陥りがちです。そもそもフロイトの心理学は生物学的性欲ということに規定されるひとの行動になっているのですが、そもそも他の生物には、フロイト的心理学は適用されません。近親相姦を避けるということはあるにしてもそれは本能の類いです。心理的という概念は出て来ません。
 ミソジニーで何が問題になっているのか、上野さんがいまひとつ、ミソジニーを押さえ切れていないというのは、それは競争原理を前提にして論を進めている、競争原理自体を脱構築しようとしていないことなのです(競争原理の物象化批判)。断っておきますが、上野さんはマルクスを潜っていますから、物象化概念がないわけではありません。そのことは、「男の欲望は断片化(「パーツ」のルビ)された女の記号にたやすく反応してしまえるほど、自動機械のようなフェティシズムを身体化しているように見える。誤解を避けるために付け加えれば、フェティシズムとは、動物的なものではなく、高度に文化的なものだ、高度に文化的なものだ。「パブロフの犬」でさえ、お約束を「学習」した結果なのだから。」9P(註4)「性を科学にまでおしあげたのはフロイトだが、フロイトこそは、同性愛を「病理化」し、ペニスの有無という解剖学的偶然を「宿命」に変換した張本人だった。だからこそ、フェミニストはこの「解剖学的宿命(Anatomy is destiny)」と闘わなければならなかったのだ。」113Pという文がまさに物象化という意味だということで表し得ます。ところが、ここでマルクスを否定した上野さんは、「マルクス(の物象化)」という言葉は出て来ません。ですから、物象化というところから論を貫き通して展開するということは生まれようがないのです。そういうことの一つとしてホモソーシャルという概念が出てきます。これは主に男同士が互いに認めあうということが、「欲望の三角形」260Pにまで及ぶのですが、この規定に男同士の競い合う――認め合うという競争原理があるのです。その競争原理の物象化批判(脱構築)がなされていません。然して、ミソジニー論が掘り下げられず、ミソジニーということ、性差別ということが、結局ひとのもつ宿命というようなことに収束していくのです。「資本主義はなくならない」「市場経済はなくならない」とおいたことの帰結がここにも及ぶのです。
 一つだけ誤解のないように書いておきますが、競争原理ということは資本主義にそれが極的に展開されるのですが、それ以前からありました。これも、マルクスが共産主義を「分業と私有財産制の止揚」とおいたこと、すなわちあらゆる差別が「分業と私有財産制」から発していること、そのことと相即的に競争原理も出て来ることを押さえられることです。マルクスを否定するとそのことが出てきません。マルクスを否定すると、その批判は資本主義の分析とその批判から論攷を進めるという道を閉ざしてしまうことになります。そして、まさに物象化にとらわれ、宿命論に陥っていくのです。
 この本が出されて十年経っています。まだまだ総体的相対的に差別の構造の根強さはありますが(それは資本主義的さらには分業と私有財産制から来る競争原理から逃れない限り、逃れる道に踏み出さない限り離脱不能なことだとも言いえます)、その間に、LGBTQの問題が性の多様性の突き出しという中で、少なくともリベラルの段階まで認めあうこととなってきていますし、上野さんがこの本の中で「ブス」という言葉を多用しているのですが、そのことをルッキズムと批判する突き出しがフェミニストから出ています。そしてシスターフッド的な女性同士の連帯も顕著になってきていて、それに共鳴する男性も出てきていると思います(わたしもそのひとりです(註5))。また、遅れてきた反差別運動、障害問題からのとらえ返しも出てきます。たとえば、上野さんは「コミニケーションスキルを磨け」というような突き出しをして、批判されたことに反批判されていますが、コミュニケーション障害と規定される「障害者」の存在を考えているのでしょうか?(註6) そもそも、上野さんはフェミニズムの立場から、反差別ということで「個人的努力は止めよう」と提起していたのです。それに、わたしは「障害者運動」の理念として突き出されていた「わたしたちが変わるのではなく、社会を変えよう」という突き出しとの共鳴を見、上野さんの論攷に惹かれていたのですが、それがどこで変わったのでしょう? また、『構築主義とは何か』という本を出された後に、中西正司さんと『当事者主権』岩波新書2003という共著本を出されているのですが、その時にはすでに「障害概念の脱構築」という意味ももった「障害の社会モデル」が出ていたのですが、そのようなことが共著本には皆無ということもありました。
 上野さんは、今、高齢者の当事者性のなかで、介護の問題に踏み込まれているのですが、この問題でも、資本主義自体の批判はしないという立場なのか、介護の先進的とりくみばかりに眼を向けられ、また中産階級的な一定程度お金のあるひとの介護保険制度というところで問題を楽観的にとらえられていて、この資本主義社会では介護や医療や福祉はコストであり、いかに切り詰め得るかというところで進んでいるシステムをとらえようとされていません。わたしは「いつもないものねだりをしている」と笑われているのですが、いまいちどマルクス主義批判も含めマルクスに立ち返って、論攷の立て直しをされることを願ってしまいます。
さて、いろいろ否定的なことを書いたのですが、先に書いたように上野さんのコピーライターのようなひらめきがこの書の中にも出て来ます。そのことをもう一段掘り下げることをわたしは提起しているのですが、それでも現象的な押さえでも、意味をもつているので、いくつかキーワード的にメモを残して置きます。
最初にこの本のタイトルになっているミソジニーに関する上野さんの冒頭の規定として、長目の切り抜き「ミソジニー。「女性嫌悪」と訳される。「女ぎらい」とも。ミソジニーの男には、女好きが多い。「女ぎらい」なのに「女好き」とはふしぎに聞こえるかもしれない。それならミソジニーにはもっとわかりやすい訳語がある。「女性蔑視」である。・・・・・・/性別二元性のジェンダー秩序に深くふかく埋め込まれた核が、ミソジニーだ。このシステムもとで男になり女になる者のなかで、ミソジニーから逃れられる者はいない(?註7)。・・・・・・/だが、ミソジニーは男女にとって非対称的に働く。男にとっては「女性蔑視」、女にとっては「自己嫌悪」。・・・・・・」7-8P・・・女好きの、女性蔑視の女性嫌悪の表出――ミソジニー
女を描きながら実は男である自分を描く18-9P
非対称性20P
女性の男に従属した覇権ゲーム24P
ホモソーシャル24P
ホモソーシャリティ――ホモフォビア――ミソジニー29P
「・・・・・・「第三の性」とまちがって呼ばれているカテゴリーは、男と女の中間にある性ではなく、性別二元制のもとでのサブカテゴリーだということだ。男だけが「第三の性」に移行することがありえ、女が「第三の性」に移行することがないのは、逆に性別二元制がいかに強固であるかを証明する。・・・・・・」30P・・・Das Manという概念、共同主観性の形成における排除性 これはドゥールズ、ガタリの「n個の性」からの論攷、LGBTQの問題からのとらえ返しが出てこない?
男語り33P
男の性的主体性――ミソジニー42P
母の特別視と二重規範――聖女と娼婦43P
コミュニケーション・スキルの勧め56P・・・?障害差別
欠性対立88P
ミソジニーとホモフォビア――コインの裏表90P
 女は関係を求め、男は所有を求める107P
復縁殺人108P
 シンボルとしてのファロス122P
「家父長制とは、自分の股から生まれた息子を自分自身を侮辱すべく育てあげるシステムのことである。」「家父長制とは、言いかえれば、女と子どもの所属を決めるルールのことである。」128P
「・・・・・・わたしは、日本版近代家族を「みじめな父」「いらだつ母」「ふがいない息子」「不機嫌な娘」からなる関係として記述した。」131P・・・近代家族のジレンマ的矛盾の極限 あまりにもジレンマ的な側面を強調しすぎ
「そのカテゴリーから「遅れて登場する」人々」139P・・・被差別者として規定される被差別者の有り様
「ミソジニーから出発しなかったフェミニストはいない。」「「女」という強制されたカテゴリーを、選択に変える――そのなかに、「解放」の鍵があるだろう。」139P
「そして「承認を与える者」の背理は、「承認を求める者」に深く依存せざるをえないということにある。ミソジニーとは、その背理を知り抜いた男の、女に対する憎悪の代名詞でなくてなんだろうか。」223P
「ブス」225P・・・現在的にルッキズムという差別の指摘と批判
 神話と神と自然「ここで「神話」というのは「根拠のない信念の集合」の別名である。性を「自然化(naturalization)」したこともまた、セクシュアリティの近代の主要な特徴だった。それは「神」に代わって、「神」の座に「自然」を代入する近代の帰結だったからである。」243P・・・神はむしろ自然の物神化から出てきたこと
 性の私秘化242P
プライバシー244P・・・?
フーコのセクシュアリティの歴史化、脱自然化249P
ジェンダーが権力関係の用語249P
民法772条の意味256P・・・?逆になっている
「守る」という言葉の「権力のエロス化」254P
 ミソジニーとホモフォビアの「権力のエロス化」255P・・・変え得る、変わってきているのでは?
「男になる」――「女になる」の非対称性257P
イヴ・セジウィックのホモソーシャル、ホモフォビア、ミソジニーの三点セット258P
 ジェンダーのカテゴリー化259P
尊敬・愛着・競争――「欲望の主体」260P・・・いずれも自然性ではなく物象化されたもの、特に競争の物象化批判
ルネ・ジラール「欲望の三角形」260P・・・むしろ、Das Manから来る共同主観性の問題からのとらえ返しの必要
「女同士のホモソーシャルな絆は、あったとしても脆弱なものとなるだろう。」262P・・・むしろ、シスターフッドとしての強固さ
 フェミニストのミソジニー266P・・・?フェミニストとは内なるミソジニーも含めて、ミソジニーと闘うひとであるという運動的観点
 デカルト的肉体と精神の二分法からくる男の身体嫌悪268P・・・男の自己嫌悪は競争原理へのとらわれから起きてくるのでは?
「フェミニズムは女にとって自分自身と和解する道だった。男にとっても自分自身と和解する道がないわけではないだろう。それは女性と同じく、「自己嫌悪」と闘うことのはずだ。そしてその道を示すのは、もはや女の役割ではない。」272P・・・?「和解」?闘いだったのでは? それこそ男の役割と女の役割はコインの裏表の相作的なこと。共に闘うのは競争原理。


1 小田急線刺傷事件(おだきゅうせんししょうじけん)は、2021年8月6日に小田急電鉄小田原線車内で発生した無差別刺傷事件である 。乗客の20歳の女子大生が重傷を負ったほか、合わせて10人が怪我をした 。加害者の男が「幸せそうな女性を見ると殺してやりたい」などと発言していることから、「ミソジニー犯罪」や「女性へのヘイトクライム」、「フェミサイド」の可能性が指摘されている 。(インターネットの記事)
 これは、後から出ている記事を読んでいると、この事件を起こしたひとも被差別者であり、要するに差別の反作用としての事件のようです。これはたとえば、コロナウィルス感染症の広がりの中でトランプ大統領が嫌中的なことを煽り、それからアジア系住民に対する暴力事件が頻発した問題で、それが防犯カメラの映像をテレビで流しているのを3件ほど見たのですが、何れも加害者はアフリカ系のひとのようでした。要するに被差別者が他の被差別者をヘイト・差別する構図なのです。プアーホワイトのひとたちが、往々にして人種差別的だと言われることにも通じます。
 小田急刺傷事件も、記事が適格であるとすればなのですが、性差別的なところで、男よりも下にいるべき女性が上にいるようなことを許せないというような差別的心理が読み取れるのです。それはまさにミソジニーのひとつのパターン――「ねたみ」差別なのです。
2 SNSで引用されていた江原さんの発言ですが、よく内容がわかりませんでした。上野さんも、「女好きの女ぎらい」というようなことを書いているので、単なる、女嫌いではないという意味かと押さえていたのですが。
3 上野さんは当時、マルクス主義フェミニズムの立場だったので、唯物史観的なところで、フェミニズムを押さえようとしていて、現象学的文化や心理のような処で論を展開していた江原さんを批判していました。今日的に、上野さんが文芸評論や心理的な評論を書いているのを見ると、あれは何だったのだろうと思うのですが。
4 「パブロフの犬」も動物の話なので、この最後のセンテンスはまさに蛇足だとわたしは思うのです。
5 「オカマ」と自称するひとの女性に対するシスターフッド的関係もあります。わたしは、恋愛関係的なところから降りるなり、競争原理的なところから降りたところでは(降りきることができるかどうかはあるのですが)、男女関係なく「友情的」な関係が作り得るのではと思うのですが。そのあたり実体験のようなこと書いてみようかと思ったりしています。
6 わたし自身、「言語障害者」と規定される立場で、コミュニケーション障害の当事者です。「障害者」と規定されるのは、努力ではその立場がなくなるわけではないから、「障害者」と規定されるのです。今日、「コミ障」という言葉が出てきているのですが、要するに「空気が読めないひと」という意味ですが、それはエゴイズム的なところから来るひともいて、そのことをどうするのかという問題と、「役割期待――役割遂行」を苦手にしていて「発達障害者」と規定されるひともいるのです。そのあたりの障害問題を上野さんは抜け落としているのです。
7 すでに本文中に書きましたが、上野さんはざっくりすっきりわかりやすい文を書くので、そこで響く文を書けるのですが、そうでない当てはまらないひとの存在を無視しています。これは競争原理から降りたひとにはあてはまりません。わたしたちは競争社会の中で生きて来たので、どこまで降りきれるのかということがあります。そんなところも加味して文を書かないと、論理的厳密性に欠けるのです。尤も、そんな文を書いているから、読みにくく伝わらない文になるのだと、反批判されるのかもしれませんが。


posted by たわし at 18:18| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする