2021年05月17日

ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦・米川一夫・阪東宏訳『ローザ・ルクセンブルク ヨギヘスへの手紙 第1〜4巻』

たわしの読書メモ・・ブログ555
・ローザ・ルクセンブルク/伊藤成彦・米川一夫・阪東宏訳『ローザ・ルクセンブルク ヨギヘスへの手紙 第1〜4巻』河出書房新社1976-77
 ローザ・ルクセンブルクの学習20〜23冊目です。これで、ローザ学習は一段落です。
 ローザは「手紙魔」とでもいうべく、いろんな手紙を出しています。そして、手紙は読みやすく、またそのなかでローザの感性のようなことを出しているので、手紙からローザに入るひとが多いようです。わたしも今回のローザ学習シリーズを二つの手紙から始めました。「たわしの読書メモ・・ブログ538 ・ローザ・ルクセンブルク/川口浩・松井圭子訳『ローザ・ルクセンブルクの手紙』岩波書店(岩波文庫)1932」と「たわしの読書メモ・・ブログ539 ・ローザ・ルクセンブルク/秋元寿恵夫訳『ローザ・ルクセンブルク 獄中からの手紙』岩波書店(岩波文庫)1982」です。前者は、「カウツキー夫妻」宛、後者は、ローザが死ぬ間際でかなり行動を共にしていた同志カール・リープクネヒトの連れ合いのゾフィ宛の手紙です。そして、その手紙のなかで一番膨大な量なのは、この四巻本(原書は三巻)の「ヨギヘス」あての手紙です。
わたしは今回は、ローザ学習の一応の最後だったので、最初からこの四巻本を三つの目的をもって読もうとしていました。ひとつは、ローザがヨギヘスとの関係に示される、内包する、性差別的なことフェミニズム的なことをどうとらえていたのかということです。二つ目は、運動的なこと、ローザは民衆の運動の自然発生性に依拠する運動を進めようとしていて、そこでの運動の展開ということを現実的にどうすすめようとしていたのかということを、この書簡のなかでとらえ返せないかということ。そして、三つ目に、ローザの理論的な試行錯誤を含めた、理論の道行きをこの書簡の中からとらえ返すこと。
 その問題意識に沿って、この本には書簡番号がふってあるので、その番号のところに、わたしの問題意識に沿ってどのような内容なのかを、鉛筆で書き込みしていきました。
すなわち一番目の内容のあるところはa、二番目ところはb、三番目の内容があるところはc、として書き込みをし、特に留意すべきところは、○a、○b、○cと丸囲い文字で書き込んでいます。今回も、切り抜きメモを残すのですが、それは丸囲い文字のところだけ。
さて、何のことかわからない文になっていると思いますので、若干の補足説明をしておきます。
まず、aに関わることから。これはわたしにとっては対象化のむずかしいことで、フェミニズムの実践家たちからのとらえ返しに期待したいのですが、自ら対象化できないとしたままではすまされないことで、あえて、簡単な表題にすぎないようなコメントを残します。
 ローザは1918-19年のドイツ革命のなかで、以前はローザ自身がドイツ社会民主党の中でいたのですが、ドイツ社会民主党は議会での議席を増やす中で変節し、その主流派(右派)が政権の中に入り、その下で動いていた右翼の民兵的組織によって拉致され虐殺されました。そのとき一緒にいたのがカール・リープクネヒトで、二人はアジテーターとして有名です。二人はドイツ革命のなかで、ペアで語られることもあったのですが、二人の間には恋愛的・性愛的関係はなかったようで、ローザの当初の恋愛的・性愛的パートナーはヨギヘスだったのです。ですが、その恋愛的・性愛的パートナー関係は破綻し、ローザは一時、ヨギヘスにストーカー的なことを感じていて、一時的には、距離を置こうとしていたようなのですが、そこから、革命闘争のパートナーとして関係を築き直したのです。
次にb。そもそも、ローザとヨギヘスとの間には分業のようなことがありました。その分業は、@ローザがドイツを軸に、ヨギヘスがポーランドを軸にということ、Aローザが演説と理論、ヨギヘスが運動と組織化(そしてローザの理論化のヒントを与える)、Bローザがきめ細かい働きかけ、ヨギヘスがリーダーシップをとった運動の推進。勿論、こういう分業の成立のなかで、その分業故の弊害のようなこともあったのですが、ともかく、そういうところで、互いに支え合っての運動だったようです。これがb。この書簡は1914年で切れています。ですから、運動ということでは、一番肝心のところでの叙述はありません。ですが、これは他の手紙や、ローザの機関紙原稿で追えること、この書簡は「革命運動序章の日記」とも言える内容になっています。
 そしてcとして、この書は、最初性愛的パートナーとしてあったところで、赤裸々に感情と率直な意見ぶつけ合い、そしてエスプリの効いたユーモアーをもった辛辣な批判をなす中で、ローザの書や他のひとへの手紙には出ない、まとまりきらぬままの理論的な試行錯誤をぶつけています。それゆえにローザの理論的な道行きがとらえられるのです。その端的な例をあげておきます。わたしは、ローザも「政治とは権力の行使である」というようなことを書いていると、「通信」の巻頭言の文章の中に書いたのですが、ローザは、政治への忌避のようなことを書いているのです。階級社会の政治は「政治とは権力の行使である」と押さえて、そのことの批判のなかでの自らの政治、政治を否定する政治を推進しようとしているということだと、少なくともそのようなことがローザのなかにはあったのだと押さえ直しています。その他、レーニンがローザ批判として「ローザ・ルクセンブルクはポーランド独立問題で誤りをおかし、一九〇三年にはメンシェヴィズムの評価で誤りをおかし、資本蓄積論の理論で誤りをおかし、一九一四年七月には、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデ、カウツキーその他とともに、ボルシェヴィキとメンシェヴィキの統合を擁護するという誤りをおかし、一九一八年に獄中の著作で誤りをおかした(ただし、彼女自身出獄後、一九一八年の終りか一九一九年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した)。」(「政論家の覚え書」、一九二二年二月末、『レーニン全集』第十三巻、大月書店)ということへの真偽を問題にし、反論を示しうるだろうとも考えています。これに関しては、わたしのとりわけの問題意識「なぜ、ローザ・ルクセンブルクは、個別差別を取りあげなかったのか?」という表題をつけて、「(追記)」として最後に文を書き置きます。
 さて、今回は切り抜きメモは最小限に留めて、各巻でa、b、cと内容的に押さえたことで、特に留意する○a、○b、○cのところを簡単な内容把握を記すだけに留め、書簡番号をあげて、簡単な内容項目を記します。とりわけ肝心な処だけ切り抜きを残します。
 それでは具体的なメモに入ります。
「1巻」
 序文(編者フェリクス・ティフの文)・・・これだけは切り抜きを多用します。しかし、ほとんど前半のところだけ。後半は、本文の中に書かれていることや、伝記を含んだ歴史に関わること。よくまとまった歴史になっているので、関心を持たれる方は読んでください。
「それゆえに、この書簡集は、ポーランドならびに国際労働運動の第一級の人物であり、また当時のもっともすぐれた婦人(ママ)の一人、もっともすぐれた思想家、活動家の一人であって、その作品が、当時、同時代人の間でそうであったと同様に、今日なお人びとの情熱をかきたて、研究者や政治家たちの間に論争をまきおこす人物の自伝――この主のものとして、また事実や心理記述のゆたかさにおいて唯一の個人的・政治的自伝なのである。」9-10P・・・この書簡の大切さ
「ローザ・ルクセンブルクのある種の見解、とりわけ民族問題での誤った理論が、他のどの国の労働運動にもまして、ポーランドの労働運動に否定的な結果をもたらしたのは事実である。」14P・・・「民族問題でのローザの誤り」の編者の指摘。具体的なローザがもたらした「否定的な結果」とは、何を示しているのか、確かにリスアニアの自治を認めないなど論理的一貫性がないというようなことがあったにせよ、編者はレーニンの民族自決権とローザの自治論との議論で、レーニンに引きずられているのでは?
「一八九二年パリでポーランド語で発行された、五月一日(メーデー)に関する宣伝パンフにはじまって、一九一九年一月に、彼女の死の数日前に、「秩序がベルリンを支配する」という表題の下に書かれた有名な論説に終るローザ・ルクセンブルクの著作は、時代の諸問題を実に豊富にふくんでいるので、歴史家も、経済学者、哲学者、社会思想史研究家、政治活動家もそれぞれに、この女性活動家にして思想家(「イデオローグ」のルビ)の作品の中に、貴重な資料を見出すことができるのである。」15P・・・理論・著作活動のはじめとおわり、「貴重な資料」
「ここに発表される書簡からは、意図されたものではないが、書簡の筆者の実に繊細な心理的自画像が自ずから浮かび上がってくるのであって、その文学的価値は、まさしくよい文学のあらゆる愛好者を楽しませることであろう。」16P・・・「心理的自画像」
「おそらく、この書簡集の全体は、なにがしかの程度、この偉大な女性活動家の姿の“素顔をあらわにする”こととなり、しばしば複雑な感情をよびおこすことであろう。しかし、同時に、結局のところそれが、このすぐれた革命家の像を普通の人間の基準によって示すことになるであろう。」16-7P・・・素顔
「研究者にとっては、この書簡集を読むことは、きわめて本質的な認識上の幕(「とばり」のルビ)を開くことになろう。というのは、この書簡集は、ポーランドやドイツやロシアの労働運動に関する、また第二インターナショナルの現実に関する知識にとって不可欠の原資料であり、わたしたちの判断と考察にとって、他のいかなる資料にも見ることのできないような事実や材料を提供しているからである。というのは、この書簡集は、たいてい、公式資料にはほとんど影をとどめていない、そしてほとんど一度も印刷されたこともない政党内部の生活や事件の領域に関連しているからであって、まさにこれらの事件の知識が、政治的グループの行動のメカニズムを理解する上でどれほど大きな意味をもっているかは、歴史家たちのよく知るところである。」17P・・・運動論的なところからのとらえ返しの問題としての「資料」
「きわめて個人的な要素と政治的な要素のこのような驚くべき結合は、書簡の受取人が書簡の筆者ときわめて親密な個人的絆で結ばれていたばかりでなく、共同の闘争によっても結ばれていた人物であった、という例外的な事情のなかではじめて起こりえたものである。つまり、書簡の受取人[ヨギヘス]はもっとも身近かな同志であり、彼女の企画や政治的イニシァティーヴの共同創造者であり、彼女の政治的伝記の事実上の共同創作者だったのである。」17P・・・「縦糸」を対的な感情、「横糸」を運動的つながりとした織物のような活動
「それはたんに書簡の筆者と受取人の間の感情的緊張の力の大きさ、つまりかくも大きな感情のエネルギーを生みだした“落差”によるばかりでなく、前述したような、いかなる構え(「ポーズ」のルビ)からも、政治的もしくは道徳的な習慣を顧慮する必要性からも解き放たれた自然な正直さによるのである。」18P・・・赤裸々な、そしてエスプリのきいた感情のぶつけあい
「当時の社会主義運動に関する知識の百科全書をなしている。」19P
「しかしながら、書簡に述べられている多くの見解が、もっとも親しい人びととの文通にしばしばあるように、手短な印象や、その時どきの意見であるということをたえず考慮しておかなければならない。それらは書簡の受取人とすでにたびたび議論されていた事柄であり、また見解を等しくしている事柄であって、ただ新たな観察を何かちょっとつけ加えるといった事柄なのである。このためにまた、それらはしばしば意識的にいくぶん戯画化された印象ともなる。したがって、ティシカ宛の書簡にみられるローザ・ルクセンブルクの多くの見解を彼女の完全な見解とみなすことはできない。・・・・・・しかし、同時にそれがまたここに刊行する書簡集の大きな価値でもある。というのは、歴史に残っている人物たちとの接触や、ポーランドならびに国際的な運動にとってももっとも本質的な事柄を決定した状況との接触からもたらされたローザ・ルクセンブルクの観察の直接的な成果が、彼女の個人的・政治的に比類なく敏感なプリズムを通して、直接、“生々しく”伝えられているからである。」19-20P・・・公式見解としてあるわけではなく、途中のまとまりきれたままに、吐くことば、逆にそのなかに、理論的深化の糸口になることもありうること。
「ローザ・ルクセンブルクのL・ヨギヘス=ティシカ宛の書簡は、明らかに、いわば六つの基本的部分から構成されている。現存する書簡の基本的な部分をなすのは――一八九三〜九六年にパリからスイスに宛てて書かれた約四〇通、L・ヨギヘスがまだスイスに滞在し、ローザがすでにベルリンに移住していた一八九八年五月〜一九〇〇年八月の間に書かれた約二八〇通、ヨギヘスがアルジェリアに三ヶ月間(一九〇一年一二月〜一九〇二年三月)滞在した間にベルリンから送られた約一〇〇通、一九〇五年四月〜一〇月にクラクツとワルシャワのティシカに宛てて送られた一〇〇通以上、そして最後に、一九〇七〜一九一四年に書かれた約一五〇通であって、ここにさらに、主として同じ町の中――ベルリン――の一地域から他の地域に宛てて書かれた手紙をもつけ加えておこう。その他に、かなり短い一連の書簡と、ローザ・ルクセンブルクがさまざまな会議や集会や講演などのための数日間の旅行期間中に書いた一通ずつの書簡がある。」20-1P・・・書簡の構成
「これらの書簡自身が――たしかに完全なものではないが――この人物[ローザ・ルクセンブルク]のために書かれた最良の本よりもさらに魅力的な伝記となっているのである。」21P
シャルル・ラパポールの描いたヨギヘス像「L・ヨギヘスは、ヴィルノにおいてもっとも活動的な革命家の一人であった。……しかし、ヴィルノの革命的サークルサークルの中では、その極端に潜行した行動と、傲慢な態度のために人気はなかった。……強い意志をそなえ、賢い人であったが、しかし我儘で強情な人であり、全情熱を傾けて革命活動に献身し、実際すぐれた秘密活動家であった。密輸業者たちとの接触をよく組織し、国境を通るすべての秘密の密輸網をすばらしくよく知っていた。自閉的であったが、実際には外見ほど気むずかしくも、近づきがたいほどでもなく、好むときには非常にユーモラスに振舞うことも知っていた。実際、彼の冗談はいつでも辛辣で、毒をふくんでいた」25P ・・・ローザのヨギヘスへの手紙の辛辣さは、ヨギヘスの辛辣さへの相互性の応答から来ているのかもしれません。
註(13)45-46P・・・アクセリロートのヨギヘスへの回想・・・ロマンティストのユニークな孤高の「有能な」地下活動家
一八九三年
一八九四年
15○a○b・・・ちゃんと返事を書かないこと、コミュニケーションをとらないことへの批判   20 ○a○b・・・出版物の費用や自分の「浪費」のことなど、なぜ笑わないのかという問いかけ   A○ab○c「わたしは全部あなたのものですもの。」93P(・・・「一体化」の希求?)、「自立という言葉は、考え方の混乱をまねき、しかも表向きはごく一般的にしか使えないだけにますます混乱をまねくので、いま使うことは有害でしかないでしょう。だから、この言葉はある時期まで取っておく必要があると思います。」95P(・・・なぜ自治論を展開したのか?)、「わたしは意を決して、簡単明瞭に、説明抜きで、われわれのスローガン――それは憲法だ、と書いたのです。」95P   21○ab・・・「わたしはあなたとの再会を夢みています。それがわたしの唯一の幸せ。」96P(・・・ローザには後に現れるように、きっぱりと「自立」するようなことがあり、額面通りとらえられないのですすが、・・・以下同じ)   23○ab・・・「あなたのもとに行きたい。もうこれ以上がまんできない。」98P   25○a○b「もちろんこの連中は鷲ではなくて、たんなる鵞鳥です。でも、どんな場合でも、かれらは「票群(「シュティムフイー」のルビ)」をなすのであり、それはわたしたちには必要なものです。」106P(・・・身内的な手紙で出てくること)、「なぜならわたしのすべてはあなたのもので、わたしはがあなたとともに生き、あなたによって、またあなたのために働いていることをあなたはご存知でしょうから」106P(・・・以下、恋愛的・性愛的なことの文の引用は、特に同じ内容の場合は略)   
一八九五年
30b○c「この号を出せば、ちょうど「イギリスにおける労働者階級の状態」の中でエンゲルスが引いた手紙のように、全世界に強い印象をあたえることでしょう。これは全世界にセンセーションをまき起こします。」115P・・・労働者のおかれている現状とそれに対する怒りのようなことを表しています。これが自然発生性の依拠の理論へつながっているのではと思いました。   31○ab「そして、帰ったら、あなたがヒーヒーいうほど手厳しくあなたの性根を叩き直してやります。見てらっしゃい! 徹底的に恐怖政治(「テロリズム」のルビ)を行ないます。」119-20P・・・ローザの冗談、こういう「わるい」冗談が言えるほどの親密さ   32○ab・・・しゃれた文   33a○b「わたしはこの号を労働者大衆を事実に即して忠実に反映するものに編集しました。・・・・・・広範な大衆の素朴な不満や考えを率直に現わしたもので、その他の中には、政府や検閲や社会主義や組合に関する意見がそこここにちりばめてあります――短い数行の中に。・・・・・・労働者の生活からの恐るべき事実が山とあります。すべての記事が、生活と真実とまことの姿の息吹に満ちています。・・・・・・これはわたしの考えでは、イデオロギー的な観点から見てもっともすぐれた記事です。わたしは一語も書き加えなかったのよ!・・・・・・この号はきっとこの内容によってインテリに強烈に印象をあたえ、われわれの関係がどんなに幅広いかを知らせて感心させることでしょう。一方労働者たちにとっては、きっとこれはもっともすぐれた煽動力のある号の一つとしていつまでも価値を失わないことでしょう。」131-2P・・・民衆の自然性的な意識のとらえ返し
一八九六年
41○ab「わたしが成功して、公的な場所にでればでるほど、あなたの自尊心と猜疑心のためにわたしたちの関係は悪くなることでしょう。・・・・・・――わたしは前者(運動から身をひく)を選びます。」150-1P・・・現実にはありえなかったこと。
一八九七年
46○a・・・文学的   
一八九八年
51○a   54○b・・・綿密な情況報告と確認の作業   56○b「アウアーのところにはイーレル(女性運動の「指導者」)と一緒にいけ、とは、ジョオジョ、あなたは何とつまらないことを考えたものでしょう。吹き出したくなるほど。もちろんわたしはアウアーに、最初の機会にはっきり言っておきました――<わたしは婦人運動とは何の関係もありません>と。これは明らかにかれの承認をえたようです。」207-8P・・・くくられる事への反発と批判はあるにせよ?   60○ab・・・冷めてしまった「甘えん坊」 恋愛ドラマ 姉の弟に対する姿勢のようなこと214P   64a○b・・・感性と理論的提起、ヨギヘスの「指令」   72○a○b・・・なだめ、冗談、計画と主導性、理論家としての自己評価234P   113 ○b・・・註(1)ヨギヘスの否定的見解に対するローザの応答、ザクセン労働新聞の編集長辞任←ヨギヘスが最初から反対していた読みの正しさ294P

 書簡全体を通じた赤裸々な本音トーク、相手を立てて、時には冗談めかしてけちょんけちょんに批判するという手法(ヨギヘスは「指令」、ローザはいろんな指示)手のひらに乗せてあやつるような・・・博士論文をめぐる衝突、意見を訊くけど、その意見を時にはけちょんけちょんに批判する、親しい間だからこそ、そういう批判の仕方ができる?

「2巻」
一八九九年
133b○c「まずいことは、あなたも知っているように、農業問題についてはわたしはまだ何も考えてなく、そのために批評の視点をもっていないこと。」11P・・・農業問題の弱さをローザは、その後どこまで克服し得たのか?   136b○c・・・世界情勢の分析とその共有化   139○ab「亭主がのろまなんだから。だから自分で天才的な思想を考えださなければ。」・・・おそらく、ヨギヘスの冗談的辛辣さに合わせた応答。   140○a○b「あなたのロシア革命に対する態度はすべてわたしに奇妙で不愉快です。結局、自分自身はそれよりもましなことはなにもしないくせに、なにもかも批判し、なにごとにも不平を言うということは無意味だと言わざるをえません。」25P「だってあなたは原則として、かつてあなたに声をかけてきたすべての者を嘲弄し、あなた自身が言っていたように、“唾と頬打ち”で迎えたのだから。それでかれらが一体どんな方法であなたに声をかけられるというの?」26P「ここ数年来あなたが頑固に取り続けてきたこの態度をさらに続けることは、あなたにはまったくありうべからざることです。」27P・・・ヨギヘスの運動への姿勢への批判   142○b「ブランキズムに関しては、今日までまだ何もわからない唯一のテーマ。」・・・ローザはマルクスの流れからアナーキズムを批判していたけれど、かなりその近さをもっていました。農業問題とともに、その対象化をその後どこまでなしえたのかという問題がここにもあるのです。   153○ab「(それからその上に、もしかしたら可愛い、ほんとに可愛いあかちゃんは? 絶対に許されないことかしら?・・・・・・ああ、ジョオジョ、わたしは赤ちゃんは絶対に持てないのかしら?!)」   161○ab「あなたはわたしが判断を求めるたった一人の人だし、事柄に通じているたった一人の人なのだから」73P   168○b「七人半の人間だけでやってきたわたしたちのポーランド=ロシアの芝居小屋で通用したあなたの方法を百万の党に通用する方法に変えなさい、とわたしはあなたにすでに何度も書こうと思ったのです。あなたのやり方は何もかも押し(「シーベン」のルビ)の一手で、誰を説得し、かれをせき立て、もう一人に元気をつける等々。わたし自身もつい最近K・K[カウツキー]とベーベルを訪ねるまではこの方法でやってきました。でも今は、それじゃ駄目(「ムンピッツ」のルビ)だとわかった。小手先では何もできません。まず自分の仕事をしなくては、それには学問が必要です(「ダス・イスト・ディ・ガンツェ・ヴィツセンシャフト」のルビ)。それに舞台裏の策動(「ドラートツイーエライ」のルビ)は役に立ちません! ともかく皆に自由に喋らせる(「ラス・ジー・ドツホ・シーデン」のルビ)こと。」89P  174○a○b「かれらと接触する度ごとにかれらの汚らしさ鼻につき、かれらの性格の弱さやいやらしさ等々が目につくので、大急ぎでわたしの鼠穴に逃げ帰るのです。」96P「でも、もちろんハノーヴァで事がうまく行った途端に、かれ(ベーベル)もK・Kもすぐに冷淡になって、わたしを<テーブル>から遠ざけようとするのです。」97P・・・ヨギヘスと何でもはなせる関係、党内の人間関係――切り捨てられる予感   176○b「しかも、わたしは自分の仕事を批判に限定するつもりは全然なく、それどころか個人をではなく、運動全体を積極的に押しすすめて(「シーベン」のルビ)、われわれの仕事全体、宣伝活動や実践活動そのものをも再検討して新しい道を指し示し(その道が見出されることは疑いなし)、旧習(「シュレンドリアン」のルビ)との闘いをすすめる等々、一言でいえば、運動にたえず活力をあたえることをやりたいと思っているのです・・・・・・残念ながらわたしの参加が遅すぎた先の州議会選挙の問題は、党を強力に指導できるような人物が一人もいないことを示しています。でもこういう問題はこれからもまだ、年に百回も起こることでしょう。現に関税問題、対外政策の問題、産業別労働組合の問題――とあなたは三つの手つかずの問題(「エンバチャートイツウーグラ」のルビ)を取りあげたでしょう。次は古い形式にこり固まってしまっていてほとんどもう誰も動かせないような口頭や文書の宣伝全般に新しい方向を与え、党の新聞や集会やパンフレットに全般的に新しい生命を吹き込むことです。・・・・・・というのは、ポーランド=ドイツでのすべての革命的実践活動を通してわたしが到達した最高の原則(「スプレマ・ラチオ」のルビ)は、周囲や他人を気にせずつねに自分自身に忠実であれ、ということなのだから。だからわたしはドイツの運動のなかでも、ポーランドの運動のなかでも、同様に理想主義者だし、こんごも理想主義者であり続けたいと思っているのです。・・・・・・自分が持っている限りの自分自身の“才能”に頼る以外は、いかなる手段に頼る必要もないわけです。」103-4P・・・運動論的なこと   205○b・・・クラーラ評   P○a・・・父の介助   Q○a・・・父の介助・続き   235○ab「わたしたちはどうしていつも同じことを考えるのか、何だか不思議ね。・・・・・・あなたの意見はほとんどすべて、わたし自身が考えていたことと同じです。わたしの見るところでは、よい論文になりそうです。」・・・ヨギヘスとの共振   256○ab「かれらはベルリンのポーランド人とは資金を与える以外には、何の関係ももっていないことがわかりました。・・・・・・かれらにとって大事なことは、明らかにわたしを選挙の際やその他一般的に、時々グールヌイ・シロンスクに行かせることで、・・・・・・」191P・・・ポーランドの運動に対するSPDの関わり方、ローザはドイツに着いてすぐから選挙の応援演説にかり出され、重宝がられたのです。   257○b・・・ローザの利用   T○b「夕食の際に、ベーベルがわたしにむかって直接(テーブルの向こう側から)大声でよびかけてきました。なぜわたしが婦人運動ではなにもしないのか! と。この問題では何もできないし、何もわからないからだ、とわたしが言うと、かれは大変な驚きようみせ(冗談なのか真面目なのかわからない)、こうしめくくりました――<われわれがそのことをハノーヴァでしっていたらなあ!>(これはつまり、わたしをやっつけてやったのに、ということ)・・・・・・」196P・・・「婦人運動」をめぐるかわし?(参照、たわしの読書メモ・・ブログ547 ・J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5 「ローザは演説の中で労働者民衆に呼びかけるときに「父親」ということばを使い、ベーベルから「母親ではないのか」というヤジを受けたりしています。」)   259○ab・・・一方通行的ローザのヨギヘスへの思い  260○ab・・・前に続く一方通行的   Va○b・・・SPDのひとたちとの交流   261○b・・・ローザはブルジョア出版物の性差別的な戯画の対象になっていました。   265○abc「わたしの親愛なるあなた、どうかお願いだから、あなたの手紙に下線を引かないで。この強情な下線を見ただけでもう神経が痛むから。言葉の下に引かれた太い傍線で頭をどやされてはじめて書かれた事柄の重要性理解するようなバカ(ママ)によって全世界ができているなんて考えないでください。」217P・・・ヨギヘスのこれみよがしの指摘へのいらだちと辛辣な批判?   270a○b・・・KKとの蜜月   
一九〇〇年
275○b「こうしたうちとけた話しあいは、わたしのためにも、事業のためにも、大衆集会より、ずっと有益でした。」234P・・・民衆との打ち解けた話しあいの意義   277○b註(1)・・・ヴィルヘルム・リープクネヒトの党内における(なかんずく、ローザに対する)性差別の指摘   279○a・・・ヨギヘスの説教癖(教訓)   290○b・・・ポーランドの国内運動との連結のきざし   298○a・・・離別の一時的決意(ローザの切り替え的予感)   299○a○b・・・続き、これからの運動   300○ab・・・「自立」的動き(元々あった?)、「浮気」問題?   306ab○c註(3)「民族問題における見解の相違が、R・ローザ・ルクセンブルクをして、SDKPiLの国内組織の再建という困難な課題をみずからに課したグループの思想上の方針に、嫌厭の念をもって対されることになった・・・・・・」283P・・・民族問題での現地とのローザの齟齬   307a○bc「PPSにわたしが入党したことは、わたしの人生において並はずれて重要な行動だったのと同時に、これまでわたしがなし、また、これからさき、なすであろう行為のうちでも、もっとも愚かな行為だったという、結論に達せざるをえませんでした。」284P」・・・判断の誤りと自批   324○a○b・・・一体化の希求、LV(ライプチヒ民衆新聞)との決別   

「3巻」
一九〇一年
一九〇二年
359a○b註(1)・・・「ヴジェーシニャ事件」ドイツ人教員によるポーランド人子どもへの体罰という形での民族差別   361a○b「まったく、議員連中の痴呆(ママ)症状もきわまれりというところです。この言葉の正真正銘の意味でもって(「ヴィー・エス・イム・ブツヘ・シュテート」のルビ)。」42P・・・「精神障害者」差別   380○b・・・フェミニズム的課題をめぐる講演の後での交流会の話、女性が妊娠して仕事をすることへの議論へのローザのコメント   394b○c「かれ(メーリング)は、四巻目にある、ポーランド問題についてのマルクスの草稿をわたしに見せてくれたのです。むろんのこと、PPSがとびあがって喜びそうなことばかり書いてあるやつです。そのことで、きょう、わたしは、こうした見解がどんなに古めかしいものかということを、とっくりと説明してやったのです。」120P・・・マルクスのポーランド論(批判)   
一九〇三年
一九〇四年
一九〇五年
457b○c「ただ心配なのは、マルクスと対立するわれわれの立場をあまりにも強調しすぎている点ですが、この心配も、わたしに言わせれば、とりこし苦労でしょう。このことでは、それこそまったくだれ一人として、おぞけをふるったりするものなどあるわけがありませんし、それに、全体としてみれば、結局のところ、マルキシズムの勝利の歌なのですからね。また、率直な「修正意見」は、わが国の青年をむしろいっそう魅惑する結果になるのではないでしょうか。」189-90P・・・マルクスを教条化しない批判としてのマルクスの継承   459○b註(1)「アドルフ・ヴァルスキの筆による」アジ文のスローガンを(ローザは)「時期尚早のものと見た。」194P註(4) 「檄文の配布」や、「情勢の楽観的に判断している」ことをローザが、「「はねあがり」とみなしていた」195P   496○b「それに、忘れてもらっては困るのですけど、すべての人に「すべて」がわかるようにすることなど、とてもではない、できない相談なのですからね!……」255-6P・・・ローザの実践志向のスタイル   507○b註(1)・・・ブントとの交渉における譲歩しすぎるとの批判と、ヨギヘスの独断的活動での党内衝突   511○b「つぎ、かれはエアフルト綱領を種本にしており、そこには何故か欠落している婦人のための諸要求その他が書かれていません。」279P・・・・ローザにもフェミニズムの個別的とらえ返しはなかったわけではない。   524○ab・・・恋愛的・性愛的関係での不和   534○b・・・フォアヴェルツ編集部をめぐる策動、締め出しと抵抗、「親愛なるラコフスキー!」302Pベーベルのローザの男名での呼びかけ文・・・カウツキーも使っていた。「男並(対等)」に活動するというところでのローザの評価   543○b註(8)・・・パルヴスのミソ(ゴーゴリーの戯曲の著作権料の「パルヴスの浪費」をめぐる衝突)でのローザとの相談   546○b・・・ベーベル、カウツキーとの衝突の前徴   547b○c「「武装蜂起を準備する」とはどういうことなのか、の部分は意図的に記述しました。さもないとわれわれはレーニンの露払い(「シルトクナッペン」のルビ)のように見られるおそれがあるから。かれは武装蜂起を国会(「ドウーマ」のルビ)参加に対立させ、その対立が武装にほかならないと理解している。こういうわけだ、わたしとしてはこのくだりをあなたが決議文に採り入れたことに抵抗を感じました。決議文はそのためにいく分“ボリシェヴィキ的”色合い(「フェルブング」のルビ)を帯びますから。」127P(註(2)も参照)・・・レーニン武装蜂起論との対峙   548○b「カール[カウツキー]は国会(「ドウーマ」のルビ)の件でひっくり返ってしまった(「グリエントリヒ・ウムゲファレン」のルビ)。」329P・・・カウツキーとの対立   549○a○b○c「昨夜、妙なきっかけで母や父のさいごの手紙やアンジャとユージョ(ローザの兄たち)の当時の手紙の入った文箱をとりだし、それらを読み、涙が涸れるほど泣きました。そしてもう眼が醒めなければいいと切に願いながら寝たの。とりわけ(「インスベゾンデレ」のルビ)憎たらしく思ったのは、すべて“政治”なるものです。・・・・・・昨日はすんでのところで、呪われた“政治”の全体(「ゴットフェアダムテ・ポリティーク」のルビ)、というよりむしろわたしたちが営んでいる血なまぐさい“政治”生活のまね事(「パロディア」のルビ)をひと思いに投げ棄て、世界に向けて口笛を吹き鳴らす(「ウント・ブツアイフェ・アウツ・ディー・ガンツェ・ヴェルト」のルビ)ことにしようと決心するところでした。政治とは愚かなバールの勤行のようなもので、人間的存在全体が自分自身の硬化――馬にたとえれば精神の鼻疸病――という犠牲に向かって突進することに外なりません。もしわたしが神を信じていれば、神はこの苦業のためにわたしたちをきびしく罰すると確信することでしょう。」(追伸で、ポチョムキンの水兵の婚約者の誤認識による「後追い」自死事件)331P・・・ローザの感性と政治批判の政治   554○c「あなたの指摘については徹底的に考えましたが、そのうちのひとつ、つまり民族文化への考慮だけを自治の論拠にすることにわたしたちとしては同意できない、という点はおおいに正当だと認めます。ここでもわたしたちにとって第一義的なのは、あなたがあいまいに「経済的分散性」と言っているものではなく、階級闘争およびその「地域的」性格(資本の分散化(「デツエントリザイツア・カピタウ」のルビ))の強化です。・・・・・・わたしたちは階級闘争の党であって、「歴史的諸権利」の党などではない。」339-40P「全体の基礎として第一にすべての特権の廃止、すべての民族集団の同権をおき、その細目、系としてのみ自治を認めるのがわたしの考えです。それこそ自治にかんするPPS等々の立場とわたしたち[SDKPiL]の立場を区別する核心です。わたしたちにとっては諸民族の一般的、連帯的利益=国家全体のなかのプロレタリアートの利益こそ出発点であり、連中にとってはわたしたち[ポーランド人の]分離性が出発点なのです。」「PPSのような地方割拠的な党派ではなく、全国的党派(「オプシチゴスダルストヴェンノイ」のルビ)の一分肢であり、したがってわたしたちの綱領はその各項目の基礎に全[国的](「オプシチゴスダルストヴェンヌイ」のルビ)性格を堅持すべきことをお忘れなく。この鋭い思想のひらめき(「ドウルヒ・ディーゼ・シューラークリヒテル」のルビ)であなたもおめざめ? ハッ?」340P「わたしの考えでは、「ロシア国家に移住するすべての民族の市民権の同権、および民族的言語、文化、学校の自由の保障、ポーランドとリスアニアの国家的自治」です。」341P・・・差別という処から階級概念のとらえ返しの必要性   555○b「ですが、そのためにはポーランドとロシアの新聞を読みあさり、世間で何が起こっているかに精通し(「オー・クーラン」のルビ)党の仕事と接触(「フユールング」のルビ)を保っていなければだめです。さもないと、何を書いても生彩のないきまり文句の屑を吐きだすだけで、「的を射る(「インス・シュヴァルツェ・トレツフェン」のルビ)」わけにいかない。しかも現代は党の積極的な見解を煽動の形で論述(「イズラガーチ」のルビ)すれば住む時代ではありません、いまはひとつひとつの問題が党派闘争の対象です。・・・・・・どうやってわたしにこれができます?」344P・・・文自体はやっている時間がないがないという話ですが、内容的に党派闘争のイデオロギー的せめぎあいと必要性の話   556○b・・・ラーデクへのきめ細かい対応の提起   

 3巻の時は、一緒に生活し始めたころで、それでも、ヨギヘスが兄弟の看病でアルジェリアにいるときとか、ロシア領ポーランドに潜入して動いていたときの書簡のやりとりです。ローザは、「親愛なるジョオジョ」とか、文末の「あなたのわたし」とか、「抱擁」とか書いていたのです。この後、二人がポーランドに潜入して一緒に動いていたときに一緒に逮捕され、その後、釈放の後、ふたりの恋愛的・性愛的パートナーの関係は解消されたのです。ローザは、きっぱりと転換しています。それで、運動的なことをめぐって資料の共有化などで、完全にきれないのですが、そこで、ローザはヨギヘスの行動にストーカー的なことを感じている時期があります。
 ローザやその仲間たちは、休暇旅行や避暑にでかけています。差し迫った事態に至るまでは、インテリゲンチャとしての「中産階級」な生活をしていて、ローザのような実力があれば左翼文筆業で生活ができる情況があったようです。

「4巻」
一九〇八年
一九〇九年
591b○c註(5)アドルフ・ヴァルスキが自らの論文のなかで「ローザ・ルクセンブルクが・「民族問題と自治」と題して『PS』に連載した論文は、実は完結しなかった。「著者にとって、歴代のツァーリ国家における民族問題、ないし諸民族の問題に関する、みずから納得のゆく解決のためには、あきらかに何かがまだ不足していた」からである。」44P・・ローザの論難   603b○c「無政府主義なるものはルンペン・プロレタリアートのイデオロギーであることは、わたしの記憶によれば、すでにプレハーノフがドイツ語小冊子のなかで述べています。・・・・・・ある理論なり政策なりの評価には、それを誰が考えついたのか、はまるで関係のないことですし、・・・・・・」56P   604b○c「自治に関する仕事のプランは次のとおり。これまでの部分は中央の権能に属すべき領域に関して、その根拠を論じました。これからは自治的権能の根拠を論ずることになる。後者が欠かせないのは、さもないと、中央議会の権能を広範に究明したあと、地方議会には何ひとつ残らないのではないか、われわれの“自治”なるものはほらにすぎないのだ、という印象を与えることになるからです。そこで、われわれの自治要求に具体的な内容を与えるためにも、わたしは自治の積極的内容を具体的に展開するつもりです。それゆえ学校制度については二度記述しなければなりません。まず一般的な基盤は全国家的であるべきことを論証し、つぎに、諸原則の執行と適用は自治的であるべきことを明らかにする、というふうに。」61P(・・・自治の中身)。ボクダーノフとの接触62P・・・レーニンのマッハ主義・ボクダーノフ批判も、マッハ主義のとらえ返しの中で再検討(マッハの物理学は量子論への架け橋で、関係論的とらえ返しへの過渡的な物理学版)   613○ab註(4)「R・ルクセンブルクは当時、ティシカに人称形で言及することを避け、非人称形で書くのがふつうであった。」74P・・・非人称形の呼び方――ヨギヘスがいる場所などで表す(705○aで変化)   621○a・・・ヨギヘスの「ストーカ的行為」に対するローザの指弾   
一九一〇年
644○b註(1)・・・ロシアの党派間闘争での資金問題   646○b註(2)・・・ロシアの党的紛争   650○b・・・ローザの甥「カチンの森」で死去  651○b註(4)(5)・・・カウツキーとの分岐、大衆ストライキをめぐって    652○b・・・ヨギヘスとの秘密の共有化進行、連携して動く   704○b註(1)・・・ローザの民衆を沸き立たせる演説   707○b「どうやら編集部どのは紙面の単調さは注意して避けるべきであり、読者というものは惹きつけるべきもので、脅迫してはならないということをまるで気になさらないようです。」160P・・・編集のあり方   728○b註(1)・・・テロ・武力の行使の問題(日本の問題との類似)→688で「追放など考える余地がない」といっていたことの撤回的なこと   
一九一一年
766○b註(8)・・・モロッコ問題でのSPD指導部との論争   777○b註(1)・・・指導部批判を封じ込めようとする編集部との衝突・せめぎあい   782○b註(1)・・・民衆の熱気   
一九一二年
792○b註(2)「きのうレーニンが訪れ、きょうまでにもう四回も会いました。彼と話すのは楽しいです。・・・・・・」(コスチャ・ツェトキーン宛の手紙)224P・・・レーニンとの共鳴   794○b註(3)「ただしこれは当時の彼女を悩ませていた政治不安、すなわち選挙での社会民主党の大勝利が、党内の日和見主義的傾向、議会主義の幻想、彼女の表現によれば“議会主義クレチン病(ママ)”の強化をもたらさないかという不安の間接的表現であった。」225P・・・議会主義批判と分裂問題、「通達」   
798○b・・・きめ細かい対応   806○b註(3)(・・・メーリングの合流)、註(7)(8)スパイ問題   809○b・・・SDKPiLのロシアの党の対立問題に関する見解   
一九一三年
851○b註(9)・・・ローザとカウツキーの対立の本格化   869○b・・・「親愛なる方」の復活(ただし複数形)・・・性愛的関係の解消から、ほぼ書簡のやりとりのない時期を経て、同士的関係としてかなり共鳴しながら動いていく関係を再構築
一九一四年

 一応ここで書簡は終わっています。この後ローザは獄中にあり、検閲との関係もあって、ヨギヘス宛の手紙は出していないようです。一九一八年のドイツ革命の最中で釈放されます。書簡は「革命序説」というところで終わっています。ドイツ革命の最中での文は、機関紙などに書いた文を『ローザ選集』から読み取れます。
 いくつかの押さえきれなかったことを書き置きます。
ローザはクラーラの息子コンスタンティーン(他の本では、ローザの新しい恋人と書いているところもあります。ただし、引用している文面の範囲内では、そのような気配は出てきません)との手紙のやりとり、この本の中で註として引用していて、かなりの分量にもなっています。
 ローザはロシアの党の統一にこだわり、レーニンはボルシェヴィキとしての核的な純化を進めようとしました。レーニンの方針は、結局党独裁の布石になったのではないでしょうか? ただし、レーニンの路線でしかロシア革命は遂行されなかっただろうということで、当初レーニン組織論を批判していたトロツキーが、メンシェヴィキの方に入り、独自のグループを作り「暗躍」し(ローザはこれに不快感をもっていたようです)、レーニンと対立していたのにレーニン(ボリシェヴィキ)に合流したのは、まさにこの思いに至ったからではと、わたしは推測しています。また、すでに順を追って切り抜きの中で書いているのですが、ローザはレーニンの批判をしつつ、ボリシェヴィキとメンシェヴィキの間で、ドイツの修正主義批判の流れから、ボリシェヴィキよりだったのですが、レーニンは、ローザも含むロシア社会民主党の統一を働きかけを盛んに批判しています。そしてSDKPiL(ポーランド王国・リスアニア社会民主党)の内部分裂のさいには、ローザとヨギヘスと対立していたグループを応援したりもしています。しかし、ローザは、レーニンの理論をいろんな側面から批判しつつも、レーニンとかなり共鳴しています。ローザ評論の中で出てくるレーニンのローザ批判の妥当性は、根源的にとらえかえしていくと、何も残っていないと思うのですが、ローザがマルクスの流れのなかの武装蜂起――権力奪取――プロ独論を維持している限り、その路線での革命の勝利の可能性を追求していく限り、ローザも限りなくレーニンに接近していくしかなかったのだと押さえています。
ローザは、この書簡に度々出てくるパルヴスとかなり接触していて、トロツキーともともに永続革命論を共有化していたのですが、パヴルスは、そのインパクトを与えた革新的論攷のなかでも、結局右傾化していったのですが、パルヴスとの接触や働きかけ合いのようなことがこの書簡の中でかなり出てきます。
また、レーニンが『唯物論と経験批判論』のなかでロシアのマッハ主義者として批判していたボクダーノフとの接点とかも出てきます。レーニンのマッハ主義批判では、廣松さんが指摘する物理学における相対性理論に与えたマッハの影響ということからとらえかえしていくと、実体主義批判としての社会分析が活かせなくなっているということもあります。そういうところでのマッハの理論の意味を、レーニンは押さえていないところで、レーニン理論の硬直化としてあらわれてたのではないかと思います。それでもレーニンは現実的政治で臨機応変的に対処していったのですが、それは結局歪曲されていく革命の道筋もレーニンの理論のなかにあったのだとも思います。
さて、以前「政治とは権力の行使である」ということをローザも言っていたと書いていたのですが、ローザは一方で政治そのもの、権力の行使を批判することも書いています。政治を否定する政治となるのです。マルクスの流れから出発した者としてのプロ独論なり、武装蜂起論なり、階級闘争への従属という政治主義がでているのですが、それを深化してとらえ返す作業が必要になっています。このあたりは、反差別というところからのとらえ返しが必要になっています。これは追記でちょっとまとめてみます。
その他、ラデークの金銭の着服問題など、ほとんど表に出ていないドイツ革命やロシア革命の裏面史ことがこの書簡のなかで明らかになっていました。
 全体を通して、かなり細かい編者の註がついていて、本文より註が多いくらいで、理解するのに役立ちました。人物索引はあるのですが、ひとの名前が覚えられないわたしとしては、トロツキーの『ロシア革命史』のような、人名辞典のような人物索引が欲しかったのですが、自分でそういうものも作りながら、ローザ学習を深めていけたらと思ったりもしていたのですが、とてもそんなことは果たせそうにはありません。最後にまた追記を残します。

(追記)「なぜ、ローザ・ルクセンブルクは、個別差別を取りあげなかったのか?」
 わたしはこの問いかけをローザ学習のなかで持ち続けていました。
 その答えのようなことが、ローザのこのヨギヘスへの手紙のなかで、ローザの試行錯誤の思いも込めた赤裸々な文の中で、それなりにとらえられてきました。
レーニンとローザの民族問題をめぐる論争
レーニンの有名なローザ批判のひとつは、民族自決権をめぐる論争としてありました。反差別を進めようとするひとたちの多くにとって、この民族自決権論争では、レーニンが正しくローザの誤りが指摘されてきました。ですが、レーニンの中央集権制においては、階級闘争に従属する民族解放闘争となり、それはレーニン自身が書いていることですし、ローザが指摘しているように中央集権制と民族自決権は矛盾します。アンチノミーに陥るのです。実際に、ロシア革命で、食料の調達というところで、ウクライナに中央軍を侵攻させたことや、ブレスト=リトフスク条約の締結というドイツに各地域を切り離して譲渡するという、民族自決権という概念からしてありえないことをやりました。自決権ということが、単に民族差別による分断による階級支配を阻止するためのお題目となっていたことを示しています。民族自決権は虚構である、というより、そもそも民族概念自体がひとつの物象化された概念にすぎないこととしてあったのです。レーニンは、スターリンの民族政策で、そしてその専制的支配の徴候をとらえ危機感をもち最後の闘争を試みましたが、結局敗北してスターリンの粛正体制を生み出すのを阻止しえませんでした。ですが、そもそもレーニンの自決権自体が虚構としてあることを、スターリンは実行しただけというようにしかわたしにはとらえられません。今日それは、自決権をめぐる破綻の例示としてユダヤ人の自決権としてのイスラエル建国とシオニズムという他の民族の抑圧情況の創出として端的に現れています。それは、歴史的に差別されてきた民族としてのユダヤ人が、差別されるのはいやだというところから、すべての差別を排する反差別運動として展開するのではなく、差別されるのはいやだけど、差別するのは良い、差別する側になりたいというところに陥ったのです。それは民族というところでは被差別集団としてあったとしても、階層的にはかなり差別する側にあるとか、インテリゲンチャ的にむしろ相対的に優位な層としてあったところで、反差別を総体的根源的にとらえられないところから生じた問題でもあったのです。
レーニンの自決権とローザの自治論
 さて、レーニンの民族自決権にローザは反対したと言われますが、単に反対したのではなく、民族自治論として展開したのです。では、自決権と自治論とではどう違うのでしょうか? このあたりローザもすっきりと整理し得ているようには思えません。この本の中でも、書簡591のアドルフ・ヴァルスキの言葉として残っています。わたしは、それはローザの反戦とインターナショナリズムの思想を国家主義批判として展開するところで押さええるのではないかと思います。これは、レーニン国家論のとらえ返しの中でも出てくることです。レーニンは、マルクス/エンゲルス(以下「マル・エン」)の『ドイツイデオロギー』を、まだ遺稿が整理されないなかで読んでいず、その中での国家=共同幻想規定を知らなかった、そこでレーニン国家論の著『国家と革命』の中でも、軍事的・官僚的統治機構としての国家=暴力装置という側面のみが展開されることになっているという批判が出ています。実は、わたしはレーニン学習の過程で、マル・エンの書簡集のなかに、国家の共同幻想規定があり、それをレーニンが引用しているので、まったく知らなかったわけではないと押さえています。しかし、それを自らの国家論のなかに組み込んでいません。マル・エンにしても、その後の階級闘争の情況分析の本のなかで、武装蜂起――権力奪取――プロ独論として展開していた流れがあり、まさにそこからレーニンの革命論が出て来ているのです(最晩年にエンゲルスが議会主義に陥ったかのような側面もあるのですが、これに関してはローザがドイツ社会民主党右派のエンゲルスの政治利用と編集改編批判として取りあげています)。ローザは、マル・エンの理論を教条主義的にとらえず、マルクスの『資本論』第二巻の拡大再生産表式の批判に踏み込んでいます。ただ、国家論に関することは、マル・エンを踏襲しています。これは、マル・エンがアナーキズムとの論争とせめぎ合いのなかで、自らの共産主義論を展開していったことから、国家主義批判に踏み込むとアナーキズムに陥るということでの、「踏みとどまり」があったのではないかと、わたしは押さえています。このあたりのもう一段のとらえ返しが必要になっています。それがローザの陥ったアポリアから解決の途を探っていく作業になるのではないかと思います。
従属論の誤り
レーニンは、差別は(それは当時は民族問題と性差別の問題でしかなかったのですが)、「階級支配の手段」とか、「階級支配の道具」としてとらえていました。実は、ローザも同じようなことを書いています。そこでは、階級闘争に従属する反差別運動というようになります。また、逆から照射すると反差別運動は階級闘争の手段となり、そこから個別反差別運動の階級闘争への政治利用のようなことも生み出されてきました。また一方で、個別差別ということは分断をもたらすやっかいな問題として対象化をさけるということも起きていました。そして階級闘争一元論での前衛党論のなかで、個別差別に関しては、前衛党は前衛ではなく、せいぜい後衛で、ときには反対側の差別抑圧する側に立ってることさえ生み出されていたのです。
 そこで問題になっているのは、階級という概念自体をとらえ返す作業であり、そもそも階級も差別の問題のひとつであるという押さえをすることです。
そもそも階級とは何か。
そもそも階級という概念は、私有財産制による生産手段の所有からの排除と、分業による知的資源の資本主義的占有からの排除と労働能力の個人への内自有化から来る位階(ヒエラルヒー)として押さええます。今日「障害者運動」のなかで、優生思想や能力主義批判の中で、この労働(能)力をマルクス『資本論』を物象化という観点から読み解く中で、物象化批判としてとらえ直す作業が出てきています。「労働能力」ということもひとつの差別の問題であり、このことで作られるヒエラルヒーを差別として批判していくことが、資本主義社会の根源的な差別、唯一のマジョリティの差別の問題なのです。
問題は、階級問題をマルクスの流れからは、ブルジョアジーとプロレタリアートの敵対的矛盾とその解決として切り詰めたことから発します。階級なり位階(ヒエラルヒー)ということでの社会の矛盾がとらえられなくなり、単純化したところでプロ独論が出てしまうのです。そもそも他の差別がとらえられなくなってしまうのです。
今日のサヴァルタン論なり、「マルチチュード」という概念からすると、プロ独論などというのは、過去の遺物でしかないのです。
階級概念を認識論的に掘り下げる
さて、階級の物象化の問題を、わたしがその独自の物象化論として展開している廣松物象化論からとらえ返す作業をしておきます。廣松さんは物象化批判、すなわち実体主義批判をするために「函数連関」という概念を突き出しています。函数と変数の関係の関係は、「f(x,y.z)という函数は、 x,y,zという変数からなりたっている」という定式で表せます。この時、個別差別をx,y,zとして押さえ、f(x,y.z)を関係性の総体なり、差別の構造(変動する「構造」、実体主義的にとらえない「構造」)というところで押さえることになります。
 階級問題に個別差別が従属するというということは、変数を固定数=定数として実体化することになってしまっていて、関係性総体を狭義の階級に置き換えてしまっていることからきています。だから「階級闘争に勝利することによって、個別差別も解決する」という構図がうまれてしまっています。狭義の階級概念というのは、生産手段の私的所有すなわち、生産手段の所有からの排除(共有の否定)がもたらす格差を指します。これによるヒエラルヒー=位階が生じます。ここで、押さえねばならないのは、位階=ヒエラルヒーはさまざまな差別においても存在するということです。そのひとつとして、労賃の格差となってあらわれる「労働能力の格差」(資本主義的生産関係における「労働力」という物象化=「「能力」を実体(主義)化した「個」という「実体」に内自有化させた錯認」)も財産的な格差のみならず「労働能力」というところでの位階という意味での階級の存在がそこにあります。その他個別差別は、差別による労働力市場に参入できない、相対的下位におかれるなどの狭義の障害問題ともリンクする仕方で、「差別の構造」ということを形成していくのです。
これらのこと、マルクスの思想の流れのなかでは、階級闘争を資本主義生産様式のなかにおける搾取という概念から、結局ブルジョア階級とプロレタリア階級の闘いとしました。それは、初期の単純生産においてはそれなりに有効性を持っていたのですが、ローザはマルクスの『資本論』第二巻の拡大再生産におけるマルクスの表式批判をなしました。これは当時「帝国主義論」と言われているところで、植民地支配による収奪や搾取なしには、マルクスの拡大再生産表式は成り立たないと批判したのです。これは資本主義成立時の本源的蓄積概念をおさえる中で、それが資本主義の継続のための、継続的本源的蓄積論としての搾取や収奪の概念として出されたのです。これは植民地の独立の時代――ポストコロニアリズム時代には、グローバリゼーションという概念で、単に植民地支配の理由付けとして機能した人種民族差別だけではなく、帝国中枢国内においても、性差別、障害差別、民族人種差別、中央の地方に対する差別という様々な差別なしには資本主義は継続し得ないという理論に結実しています。
もうひとつ、書き置きますが、ローザは『資本蓄積再論』で、表式をめぐる議論になかで、結局表式化を放棄しました。これは、表式ということ自体が実体主義的なところにおちいっていくことをさけるという意味も持っていたのだとわたしは考えています。ローザがそのことを意識していたかは別問題ですが。
各差別における「ナショナリズム的」運動
「ナショナリズム」とは、民族概念です。そもそも、民族ということで対立・紛争が起きていました。そもそも、民族概念自体があいまいで、「民族とは虚構である」という突き出しさえ出ています。わたしも民族概念を物象化概念から押さえ返そうとしています。だから、そもそも民族という突き出しをするのを止めようという論理さえ出てきます。ただ、民族差別を受けるひとたちがいます。だから、その事の対象化と差別からの解放を求める運動も起きてきます。わたしは障害問題からのとらえ返しで、「「障害者」差別を受けるものが「障害者」である」という一見同義反復的にとらえられる規定の意義を押さえて、民族も「民族差別を受ける者(集団)が民族である」という規定の有効性を突き出しています。ユダヤ人について民族か否かの論争があるのですが、ナチスドイツのホロコーストにあっているわけで、そういう意味で、民族差別を受けている者(集団)であるのです。ただ、差別されると同時に差別するものとしても現れる構図があります。財産やインテリゲンチャとしてのかなり相対的優位の階層として存在することがあるわけです。そういう対立の構図を「ナショナリズム」と押さえて批判しているのです。
これらのことは狭い意味でのナショナリズム=民族の突き出しだけでなく、他の被差別事項においても存在し得ます。たとえば、フェミニズムの運動が、白人中産階級の知識人の運動として、民族・人種差別やそして他の差別、そして理論的後発の障害差別においても、「産む−産まないは女が決める」というスローガンが「障害児」の中絶問題として対立的な様相を呈しました。また性的マイノリティ、今日的にLGBTQと突き出している人たちと旧来のフェミニズムとの軋轢も生じてきます。
「なぜ、ローザ・ルクセンブルクは、個別差別を取りあげなかったのか?」
ローザの時代に他の差別の問題はまだほとんど対象化されていず、民族的な本来の意味でのナショナリズムやフェミニズムの問題としてありました。そして、レーニンの民族自決権は、被差別者の民族自決権を問題にし、差別する側のナショナリズムは否定するという論理なのですが、どこでその線が引けるのでしょうか? ひとつの民族に対して被差別者的にあり、もうひとつの民族に対して差別する側にあるということがあり得るのです。だからこそ、そのような錯綜したところで、民族自決権を突き出していけばどうなるのかということの例示が、ユダヤ人のイスラエル建国によるパレスチナ人への抑圧の構造として端的に現れているのです。ロシア革命においても、ユダヤ人のブントという組織が存在しました。ローザはポーランドの運動の中で、「仲間集団」を形成したのですが、ヨギヘスも含めてローザもユダヤ人で、その「仲間集団」には多くのユダヤ人がいました。ですが、その「仲間」は、時には共闘はしましたが、ユダヤ人組織のブントに入ることはありませんでした。いわば、ローザはそのインターナショナリズムにおいて、ナショナリズム間の衝突の構図をとらえて、そして反戦国際連帯という処での、国家主義的突き出しの陥穽ということをとらえていたが故に、民族自決権の批判をしていたのだと思います。ですが、自治という形で突き出したのは、そこまで明確に言葉化したのかは、あやふやなのですが、国家主義にとらわれない自己決定の尊重というところでの突き出し、もしくはそのことの内包だったのではないかと思っています。
さて、フェミニズムに関しては、当時は男社会に、ローザは男と対等にやりあうというところからむしろ運動のリーダーシップさえとっていたのですが、女性であることを突き出さないことに終始しています。ヨギヘスとの恋愛的・性愛的なところでの、当時のジェンダー意識へのとらわれがあるのですが、それも、ヨギヘスの性抑圧的なところから自立して、同志的関係を結び直しました。これがローザにとってのフェミニズムだったとも言えるでしょうか? もうひとつ、クラーラ・ツェトキンがフェミニズムの課題で動いていて、その間に分業的な関係を取り結び、金銭的援助ということも含めて、ローザはクラーラの要請で「婦人集会」で演説したり講演したりしています。そして、カール・カウツキーとの家族ぐるみの付き合いから、カールとの対立のなかでも、その連れ合いのルイーゼ・カウツキーとのシスターフッドともいうべき関係を続けていました。
なぜ、ローザは個別反差別をとりわけ突き出さなかったのか、それは、個別差別をとりあげて、そこに集中していけば、そこにとらわれて差別の総体的根源的とらえかえし、あえていえば「差別の構造」のそのものを打つ運動にならないということがあったからだと言いえます。もちろん、「自らの被差別で闘えない者は、(広義の意味の)階級闘争(――すなわち差別の構造)を闘うことはできない」という定式があり、それは有効であり、自らの被差別での闘いをくぐる必要があるのですが、ローザは当時まだ課題にもあがっていなかった障害問題以外では、明らかにくぐっています。当事者の問題ではラジカルなのに、他の問題では差別的だとなり、結局総体的に差別主義に陥る、わたしはローザはそういうところに陥らないで、個別被差別でくぐったところで、反差別というところを確立し、個別差別だけに留まらないで総体的に差別を問題にし、差別の構造というところまで根源的にとらえかえすこととして、闘ったのだと思います。まだ理論的深化というところでのあいまい性はあったにせよ、です。それだからこそ、ローザの継続的本源的蓄積論が、今日の反差別運動の、そして広義の意味での階級闘争の理論として評価されている事態が創出しているのだとも言いえるでしょう。


posted by たわし at 00:35| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする