2021年01月17日

NHKGテレ「NHKスペシャル 患者が“命を終えたい”と言ったとき」

たわしの映像鑑賞メモ046
・NHKGテレ「NHKスペシャル 患者が“命を終えたい”と言ったとき」2020.12.27
テレビの番組欄には「命の終わりを望む患者 そのとき医師は家族は 京都ALS事件の衝撃 命をめぐる葛藤の記録」とありました。NHKは京都ALS嘱託殺人事件を追っているのですが、それを医療の側から、とりわけ「鎮静」という、緩和医療と「安楽死」の境界線のようなことをとらえ返した番組です。
SNSで、この番組について事前にコメントしていたひと、わたしのSNSの「友達」は「障害者運動関係者」がほとんどなので、どういう番組になるか不安を訴えていました。途中、顔をしかめながら観ていたのですが、一応最後は、「生ききるということに向かい合う」ということでまとめていたので、それ自体は「生ききる」側に傾いているのですが、やはり、マスコミの両論の併記の中立性で、そうなると、だいたい世論調査にでている。「8割のひとが延命処置をもとめない」というところに引きずれるのではないかと思ってしまいました。
そもそも「葛藤」ということが、障害問題を考えてきた立場から分からないのです。「患者に引き込まれる」という話が出ていたのですが、医療の「ひとを生かせるのが医療で、死なせる医療など医療の存在矛盾だ」ということで、余計なことを考えないで、医療の論理に徹すれば、迷いとか葛藤とか生じることではないのです。まあ、医療という空間は真空空間ではないので、結局「世間」に拡がった意識に引きずられたりします。吉本隆明というひとが「自立」という概念を突き出していました。わたしは吉本さんに余り共鳴はしていないのですが、それでも「自立」の概念は使ええて、この社会の「命の軽視」ということから「自立」した考えをもつことを主張できます。だから「余計なことを考えざるを得ない」というところでは、もっと徹底的に考えることから「自立」を求めていくしかありません。それはとりわけ「障害者運動」が突き出していたことをとらえ返していけば、それが可能になるのです。それはイギリス障害学の「社会モデル」とか、日本においても、「青い芝の会」が突き出したこととか、「障害者運動」が突き出した優生思想批判のことを是非押さえて欲しいと思うのです。わたしはなぜ、医療従事者がなぜ迷いや葛藤に陥るのか、分からないのです。
(追記)
ただし、そもそも障害を巡る議論自体の混乱も起きています。その例は、障害モデルを巡る議論があります。イギリス障害学の「障害の社会モデル」――「障害とは、社会が「障害者」と規定するひとたちに作った障壁である」というフレーズで示しえます――が出てきて、「障害者」に開き直り方の途を示しました。ですが、そもそもこれは医学モデルのアンチテーゼ的な提起で、煮詰められていませんでした。ですから、揺り戻しや転換のやりきれなさも出てきました。それは、「障害者」の表記を、‘障がい者’‘障碍者’という表記に置き換えるひとが出ていて、そういう置き換えをするひとは「社会モデル」を知らないひとだという提起が出ている中でも、以前として、そのような表記が出続けています。そのようなことにもその混乱が示されていました。
この障害のモデルの話、わたしが『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために』世界書院2010で、パラデイム転換論として転換をなしきろうとしてきたこと。このとき、そもそもアウトラインを示していたし、不備も自覚して、とりあえず「社会モデル」への転換を提起していたのですが、そもそも直裁に、「障害関係論」として突き出すべきだったと反省しています。そのことを、今『障害関係論原論』としてまとめようとしています。そのような理論的な深化と広がりのなかで、葛藤や迷いのようなことから脱していくことが、今改めて必要になっています。

posted by たわし at 18:55| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする