2020年12月17日

ローザ・ルクセンブルク/肥前栄一訳『ポーランドの産業的発展』

たわしの読書メモ・・ブログ548
・ローザ・ルクセンブルク/肥前栄一訳『ポーランドの産業的発展』未來社1970
 ローザの学習11冊目です。もう一度、ローザ自身の著作。しばらく経済学書。
これはローザの亡命中でチューリッヒ大学に提出された学位論文。この書の訳者解説にも書かれているのですが、レーニンの著で同じくらいの時期に出された『ロシアにおける資本主義の発展』があり、レーニンの『帝国主義論』が出された時期にローザは「帝国主義論」の内容で『資本蓄積論』を書いています。二人の問題意識の重なり合いが読み取れます。レーニンは、『ロシアにおける資本主義の発展』で、後発の資本主義の成立から、工場制機械生産をとりいれることによって、かなり資本主義が発達し、単なる専制国家的(アジア的)帝国主義ではなく、資本主義的帝国主義の内容をもっていて、後の労農同盟によるプロレタリア革命の可能性の途を探り、それが一九一七年の二月革命の後の四月テーゼから、十月革命に結びついていきます。
一方、ローザのこの著は、ポーランドの資本主義の発達情況を押さえています。レーニンとローザの間での論争で、レーニンはポーランドの問題でローザが押さえ損なったと批判していることがあります。レーニンは、民族自決権を突きだしています。レーニンは抑圧民族は民族主義的なことを突きだしてはならないけど、被抑圧民族は、むしろ植民地支配から脱する民族主義的な突き出しが必要だとしています。そこで、ポーランドをロシアの植民地というような押さえ方をしているのですが、ローザはむしろポーランドの方が資本主義的に進んでいて(進んでいる面もあって(註1))、ロシアとの間で分業と交換がなされていた(ような面もあった)というような逆批判をしています。そのような突き出しに、この書が元になっているのです。さて、レーニンの民族自決権といわれることに対して、ローザはレーニンが組織論として出している(それは体制論にもなるのですが)超中央集権制と相反すると批判しています。いわば虚構としての民族自決権になっています。このあたりは、ローザも中央集権制そのものは否定していないし、前衛党の主導する武装蜂起革命――国家権力の奪取――プロレタリア独裁というマルクス以来の流れに棹さしているのですが、このあたりは二人の生きた時代は、植民地支配と再分割の帝国主義間戦争という暴力支配が横行していた時代で、そこから、前衛党による武装蜂起革命論が出て来ているとも言いえます。ローザが自然発生性という処を突きだしているところで、ローザも肯定的に書いている前衛党論や中央集権制、国家権力の奪取、プロ独というながれ自体を現在的にとらえ返すことが必要です。勿論、右翼やファシストはテロリズムを常套手段にしているところで、非暴力主義はありえないのですが(勿論、「戦術」としての非暴力主義を否定するものではありません)。
さて、この書で、ローザはポーランドがいかに資本主義として成長しているかを書いています。特にロシアとの関係においてです。そして、ロシアもアジア的帝国主義支配や関税などの政治的支配をポーランドに対して(かならずしも)しかけていないとしています。このあたり論争は、訳者解説で、ヴィニアルスキ/ローザvsヘッカー/カウツキー/エス・ゲー/シュルツェ=ゲヴァーニッツとなっているのですが、両論併記になっていて、そのかみ合わせ、ローザの批判は書かれているのですが、それと批判されている側からの、論攷が真逆になっていてローザが批判しているのに、ローザに対する反批判は余りなされていません(註2)。
さて、レーニンとローザの間で民族自決権の議論が軸になっているのですが、これは双方もマルクスの流れに棹さしているので、それからする唯物史観的とらえかたからする、経済的とらえ返しとしての両者の資本主義の発展段階を押さえる作業が重要な位置を占めます。ローザはロシアの植民地としてのポーランドというとらえ方を批判しています。もうひとつ、政治的なことからすると、ローザの「仲間」(註3)たちがロシア革命の中で、かなりいろんな位置を占めていて、それは植民地支配されているひとたちの動きにはなっていないし、その「仲間」が民族自決権批判の考え方をだいたい維持し続けたということからも、植民地ポーランドという押さえ方は出てこないのではとも言いえます。
ここで、民族自決権ということを押さえておくと、ローザは主にポーランドとロシア関係から、この民族自決権批判をしているのですが、他の関係から押さえる必要があります。とりわけ、欧米の「帝国主義」とアジア・アフリカの植民地支配していた国の独立運動をどうとらえるのかということが重要になってきます。ローザもロシア――ポーランド関係とは別の関係を必ずしも考えていなかったわけではありませんが、今のところ、そのことに言及した論攷を見いだし得ていません。このことも含めた民族自決権のとらえ返しが必要になってきます。
ただ、今日的には、ユダヤ人のイスラエル建国によるシオニズムによるパレスチナ人抑圧をとらえ返すと、民族自決権のもっとも醜悪な例として押さええます。ローザもユダヤ人で、世界に分散したユダヤ人に民族自決権という発想はでてきません。そういう意味でも、民族自決権の批判をしたのではないかとも言いえます。
さて、帝国主義論を巡るレーニンとローザの論争ですが、わたしは、レーニンの「帝国主義論」は植民地支配時代の革命論でしかなくなるのですが、ローザの「継続的本源的蓄積論」は、差別という処から読み解いていくと、新自由主義的グローバリゼーションに対抗する反差別共産主義論として定立し得ると考えています。しかも、ローザの思想を深化させていくと、民主主義は封建制・王制に対峙するものとして生まれたにせよ、現代的には民主主義に対峙しているのは、国家主義ではないかとも言いえます。そのことを押さえた上で、マルクス、レーニンの時代の革命論も生み直しが必要となっているのではないでしょうか?
さて、ここから切り抜きメモに入るところなので、それなりの準備をしていたのですが、前の読書メモと同じように、もやもやとした部分があまりにも多く、うまくメモをとれそうにありません。メモをとらないと頭に入ってこないので、メモをとってきた経緯もあるのですが、民族問題で、再読の本『民族問題と自治』もあり、先を急ぎたいので、ここでは禁欲しておきます。


1 斜文字は、ローザとその批判者の対話がかならずしもかみあっていず、ローザの主張を再検討する意味で曖昧化させた表現をとって置きます。以下括弧内の斜文字は同文。
2 ナフサの価格の高値に関する批判は出ています。これは、どちらの理論に正当性があるのか、よく分かりません。現在的にも石炭が生き残っているという面からすると、ローザへの批判は必ずしもあたらないと思っています。その他は文献をちゃんと読んでいないわたしが探し出せていないだけかもしれませんが。
3 この概念は、ネットルが出していることで、かなりのひとがユダヤ人でポーランド人、そして民族自決権批判の立場を持ち続けてたグルーブなのです。


posted by たわし at 04:31| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする