2020年12月17日

J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』

たわしの読書メモ・・ブログ547
・J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5
 ローザの学習9・10冊目です。ここからローザ・ルクセンブルクへの評論3・4冊冊目。上・下に分かれていて、実に精細に資料を当たり、かなり独自の分析も生み出した意欲的な書です。ただ、前の二つの評伝が、運動サイドからの書であるのに対して、このひとは運動とはほとんど関わらなかったひとです。下の「訳者あとがき」に「ネットル自身が、直接に社会主義運動の党派といっさい関係を持たず、したがって、ローザ評価の上でも政治的な意味あいでの「価値判断自由」の立場にあったことである。・・・・・・私生活から政治生活にいたる人間ローザの全貌を、「あくまでもひとつの人生とそれをとりまく世界の叙述」として描ききっている。」516Pとあります。それで、著者は、ローザの人物像を描き出しています。まあ、客観主義的というところで、それを客観的と読むところで、この書の評価が高くなっている面もあるのですが、「かなり独自の分析」の中には、おかしいと思えるところが多々あります。
 まずは、ローザの容姿やふるまいとか感情的になることなどをいろいろ書いているのは、わたしがローザに反差別論から接近し、ローザの中にそれを読み解こうとしていることからすれば、確かに、いろいろ自身も差別社会の中で生きていて、差別的なことはひきずってはいても、むしろそれらのなかで、どう運動を評価するのかと言うことにおいて、むしろ話の焦点をずらしているのではと思っています。また、「カウツキー氏をなやました最初の出来事のひとつはユダヤ人的な焦点の定まらない話と、大喰いであることであった。」下435Pなどという記述に、著者のヘイト的差別的なことを感じています。さらに、著者はスターリンの民族政策とローザの民族自決権批判が似通っているということを書いているのですが、それはローザが、民族差別を越えたインナーナショナリズムを突き出していて、確かに個別差別をきちんと突き出してはいないのですが、潜在的に反差別という姿勢は基本的に持ち続けていたし、それに対してスターリンは、レーニンから引き継いだ中央集権制によって、レーニンの民族自決権などは言葉だけにして、現実的に民族抑圧する立場に立ってしまっています。根本的にローザとスターリンは別の位相にあるとしかとらえられません。
そして、フレーリヒのことを転向者というようなことも書いているのですが、それはフレーリヒが運動の本流からはじき出されて、著作や編集などの仕事をしていたことを、何をもって転向者というような規定をするのか、よく分かりません。
感情的なこと、秘書を叱りつけたというところ、それのひとつの理由は猫のはなし、それから民族的なことを出したという話、これは ローザの危惧した民族的な突き出しがイスラエル建国――シオニズムとなって現れたことをとらえると、ローザがユダヤ人として、ユダヤ民族の突き出しがどのようになるのかを想定していたこととも相俟っているのかもしれません。ちなみに、この本の訳者が、「実践的な問題で、ピーター・ネットルが関係したものがあるとすれば、それはイスラエル問題である。かれがイスラエルを支援している事は、はっきりと言わずとも態度にあらわれていた。」518Pということが書かれています。要するに民族問題でローザの論をこの著者がどこまで理解していたのか、共鳴していたのか、どうも分からないのです。この書は、著者の探究心で客観主義的にローザをとらえ返そうしていて、わたし自身の運動の立場からすると、運動の総括とかその中における苦悩とかいうような側面が感じられない書になっていて、何か違うということを感じながら、いろいろ論攷自体にも疑問を持っていました。
 それらのことから発して、もっと著者の論攷を吟味しつつ、テキストクリティークしながら、この本で使われている膨大な資料を読み解きながらを再構築していく必要があるのでは感じていました。ただ、語学に弱いわたしには、とてもその力はありません。
 それでも、ローザの資料としてはとても大切で、少しでも特に大切なところをいくらかでも抜き書きしておこうかという思いはあったのですが、そもそも抜き書きした資料の評価、著者の臆断のようなことの吟味のための資料の読み込みができそうにありません。で、今回は抜き書きを止めます。
 で、評伝がここで一段落しますので、あくまで中間的なこととして、ローザの現時点でのとらえ返し、とりわけレーニンとの対比でもローザへの批判の項目をあげるというところから初期的なとらえ返しをしておきます。この本自体の読書メモからかなり逸脱してしまいます。
 さて本題に入ります。
ローザは、反戦、反帝国主義、インターナショナリズム、修正主義批判というところで、その論攷を展開しています。
わたしのローザに対する疑問は、なぜ、ローザはいくつもの自らの抱えている被差別事項――女性、「障害者」、ユダヤ人、ポーランド人――があるにも関わらず、それを突き出ししなかったのか、ということです。そのことを最大の課題にしつつ、レーニンとの対比、レーニンのローザ批判、そしてローザの「ロシア革命論」で指摘したところを少し対比しておこうかと思います。
読書メモ545からの再引用です。
「「パウル・レヴィ(ローザとリープクネヒト亡き後にドイツ共産党を牽引したひと)は、いまローザ・ルクセンブルクがまちがいをおかしているまさにその著作を再版することによって――ブルジョワジーに、したがってその手先である第二および第二半インターナショナルにとくに奉仕しようとのぞんでいる。われわれはそれに対して、ロシアのある適切な寓話の一句でこたえておこう。それは、鷲は牝鶏よりひくくおりることもあるが、しかし牝鶏はけっして鷲のようには飛びあがれない、ということである。ローザ・ルクセンブルクはポーランド独立問題で誤りをおかし、一九〇三年にはメンシェヴィズムの評価で誤りをおかし、資本蓄積論の理論で誤りをおかし、一九一四年七月には、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデ、カウツキーその他とともに、ボルシェヴィキとメンシェヴィキの統合を擁護するという誤りをおかし、一九一八年に獄中の著作で誤りをおかした(ただし、彼女自身、出獄後、一九一八年の終りか一九一九年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した)。しかしそうした誤りにもかかわらず、彼女はやはり鷲であったし、いまでも鷲である。そして彼女についての記憶が、つねに全世界の共産主義者にとって貴重であるだけでなく、彼女の伝記と、彼女の著作の全集(このことでは、ドイツの共産主義者は、がまんのできないほど立ちおくれており、ただ、彼らの苦難の闘争での前代未聞の多くの犠牲ということで、わずかにいくらか言いわけされるだけである)は、全世界の共産主義者の多くの世代を教育するうえに、もっとも有益な教訓となるであろう。<一九一四年八月四日以後、ドイツ社会民主党は悪臭紛々たる屍である>――ローザ・ルクセンブルクのこの名文句とともに、彼女の名は、世界労働運動の歴史にのこるであろう。」(「政論家の覚え書」、一九二二年二月末、『レーニン全集』第十三巻、大月書店)」431-2P
ここで、レーニンはローザが「自分の誤りの大半を訂正した」とか書いているのですが、この著者は憲法制定議会の問題だけ撤回しただけだということを書いています。ただ、ブログ545フレーリヒの本の中で、「仲間」が、ボルシェヴィキのロシア革命の批判をするのに対して、ロシアの事情のようなことを語って、ボルシェヴィキの革命を成功させるための自分たちの革命の任務の話をしているところがあり、このあたりが「訂正」としてとらえられるようなのですが、これは例えば、ボルシェヴィキが農業問題で、当初農地の分配を批判し、共同所有を主張していたのに、革命の過程で社会革命党(実は、それが影響力をもつ農民を)を自分たちのところに引きつけておくために、土地の分配に応じたとかもあったわけです。そのようなレーニンの現実主義の理解を、ローザがまさにドイツ革命の真只中で現実主義的なところもとらえ返したということがあったのかもしれません。このあたりトロツキーが、ローザと同じようにレーニンの中央主権制批判をしていたのに、結局レーニン――ボルシェヴィキと合流していったことにも通じていきます。それは、この時代に革命の可能性として、武装蜂起――国家権力の奪取――プロレタリア独裁というころでしか革命の可能性がとらえられないということがあったのだと思います。ローザには反戦の思想があり、武装蜂起のイメージがつかめていず、むしろ、それは反戦の思想からする武力的なことへの忌避のようなことがあったのではないかと言いえます。このあたりは、レーニンの現実主義とローザの原則主義という対比でとらえられ、ローザは原則主義(批判派からすれば、「理想主義」とか「ロマン主義」)ということになるし、レーニン的な流れから言えば、「原則主義的なことを言っていたから、ドイツ革命は敗北した」となるし、ローザの流れからすれば、「現実的なことを追い求めていった結果、スターリン主義なところまで行ってしまった」という批判になると言いえるでしょう。ポーランド時代からの「仲間集団」がロシア革命に参入した、そのひとりのジェルジェンスキーが初代秘密警察のチェーカーの長官になったということはローザにとってショックだったという記述を著者はしています。
反戦ということでいえば、「戦争はおんなの顔をしていない」という本のタイトルにもなった突き出しがあるのですが、これはジェンダー的なことで納得できないわたしなりに言い換えると、「戦争はひとの顔をしていない」。それで、「反戦はおんなが紡ぎ出してきた」と押さえたいのですが、そこからすると、レーニンの「帝国主義戦争を内乱に」なり、その展開形の「帝国主義間戦争を革命戦争に」ということになるのですが、ローザからは、そのような突き出しは出てきません。ローザは、フェミニズムの思想それ自体を対象化していませんでした。で、「男と対等に活動する」という段階に留まっていました。で、ローザは演説の中で労働者民衆に呼びかけるときに「父親」ということばを使い、ベーベルから「母親ではないのか」というヤジを受けたりしています。このあたりは、ヨギヘスとの恋愛関係から、ヨギヘスが男の女に対する支配のようなことで、ストーカー的になっていくことに悩みながら、一旦拒絶し自立していき、最後にはヨギヘスとの分業のようなところで、ヨギヘスは組織者として、ローザは理論とアジテーターという同志的関係として修復できたようです。この著者は、漠然としてそのあたりの関係をつかんでいるのですが、フェミニズムというところから、二人の関係をきちんとおさえる作業ができていません。このあたりは以前読んだ『女たちのローザ・ルクセンブルク』という本があります。ローザの一連の学習で最後からひとつ前に、再読してメモを残します。最後は、フェミニズムに特に留意しつつ読む予定の、ローザの『ヨギヘスへの手紙』。
 このあたり、フェミニズム的な展開があれば、反戦というところから、蜂起−プロ独ということをどうとらえなおしていたのでしょうか? もっとも植民地支配時代の暴力支配の横行する時代において、根源的反暴力主義はあっても非暴力主義にはならないのかもしれません。
 さて、ざっと書いてきたのですが、課題ごとにまとめて、それに少しコメントを添えておきます。ここに書くことはあくまで過程としての仮説的な提言です。ただし、仮説とか過程ということは、そもそも論はそのような意味でしかないということで、それでも過程として突き出す必要、そして、とりわけ、わたしは今、新しく論形成の試行錯誤をしているところで、特に仮説、過程という意味を強調しておきます。そして、ここでの展開にあたって、きちんと書かれていることを指摘していく必要があるのですが、ここで問題にしているのは、わたし自身のとらえ返し、とりあえず、記憶が苦手なわたしの記憶違いがあるかもしれないと危惧しつつも、論攷をさきにすすめたいという思いで、いろんな語弊を生むことを恐れず、あえて問題を含みつつも展開しておきます。あくまで過程として。
(1) 民族問題――インターナショナリズム
そもそも、「民族」概念とは何かということがあります。「民族」概念は、被差別民族が差別を告発するときに、有効です。差別する側の「民族」概念は、ナショナリズム批判として否定するしかないことです。レーニンは、一応その問題を押さえて、被差別民族の「民族自決権」を突き出し、ローザはそれを批判しました。ただ、レーニンは一方では、中央集権制を突きだしていて、ローザはそれと「民族自決権」は矛盾すると指摘しています。ローザは、ポーランド社会党の民族独立の方針を批判して、ポーランド社会民主党で動いていました。これは、ポーランド社会民主党で動いていた部分が、ロシア革命に参画し、かなりの位置を占めていたというところからすると、わたしはレーニンがポーランド問題でローザを批判した意味を理解できません。ただ、ヨーロッパ内の民族自決権とは違った、アジア・アフリカでの、民族独立運動を、ローザ的立場で否定できるのかという批判は起きてきます。サイードの「オリエンタリズム」も、その端的な批判例になっています。
これらのことは結局レーニンの矛盾を、スターリンは「民族自決権」を口先だけのごまかしととらえて、民族的抑圧を進め、レーニンが危機感を覚え、遺書でスターリン排斥を指示したというところに至ります。それはレーニンの死によって、その後の党内闘争で、スターリン支配体制が作られることによって、民族、いやそれだけななく、民衆総体への管理支配体制が作られて、この問題は押さえ込まれてしまいます。
現在的に、植民地支配から脱して、それでも経済的に支配される構図からすると、独立が良いのか、それとも内包された中での、拒否権というところで定立するのが良いのか、という問題が出て来ます。ローザは後者の考え方に至りついています。それは過程で、いっさいの差別を許さないというところで、改めて再構築されるべき事だということになっていきます。
(2) メンシェヴィキとの合同問題――運動の分裂批判
 これはレーニンは、革命闘争の核を作るとして、ずっと独自の党建設理論をもっていました。それで、ドイツ社会民主党や他の左翼的な国際的な働きかけとしてのメンシェヴィキとの統一の働きかけにうんざりしていたということがありました。勿論、レーニンは、現実主義者として、時としてそれらの働きかけも使いつつ、時にはメンシェヴィキ左派や社会革命党左派との利用主義的連帯を策動しました。その場としてのソヴィエトということがあり、そこでのソヴィエト独裁という突き出しがあり、それなくしてロシア革命はなしえなかったとも言いえます。ローザは原則主義者として、力を大きくすると言う意味で統一を提起していました。むしろ、それよりも、ドイツ社会民主党は、議論の場の保障という意味で、そして、異論を排除しないということで、ローザたちが除名されないで、党の中に居続けられたという側面が大きいのでしょう。それで、ドイツ社会民主党から分離しないで居続け、中央派が社会民主党から分離して、独立社会民主党を結成し、それに参加するまで社会民主党に居たのですが、独立社会民主党においても、長く分離しないままスパルタクスブントという形で中に居たのですが、ローザの反対の中でロシアと連帯していたラデクや内部的な分離の働きかけの中で、ドイツ共産党という形でやっと分離します。このあたり、武装蜂起自体がローザの意向に反して一揆主義的に動いてしまったという面もあるのですが、このあたりのとらえ返しが必要になっています。これは、(4)からのとらえ返しが必要です。
 ここで、押さえておくことは、ローザは結局メンシェヴィキ的なことを主張していたという批判が出ているのですが、メンシェヴィキは革命を抑止する方向で動く修正主義的なことの中にあったのに対し、ローザは修正主義、日和見主義批判を続けていたという明らかな違いがあります。
(3)資本蓄積論――帝国主義論――継続的本源的蓄積論
ローザの『資本蓄積論』はマルクスの『資本論』第二巻の資本の蓄積、資本の再生産論へのローザの読み込みになっています。レーニンは、マルクス――エンゲルスの思想の継承者を自認していましたが、ローザには過去の理論を検証にかけて、そのまま受けいれる姿勢はレーニンより薄かったようです。そこでの『資本論』第二巻の批判です。これに対しては、トニー・クリフが批判しています。しかし、その批判もちょっとちがうのではないかとわたしは思っています。それは、ローザは、マルクスの『資本論』第一巻の第一章の商品の価値形態論をどう押さえるのかというところでの「抽象化」ということと同じように、ここでも抽象化を行っているということをローザはおさえ損なっているということです。ただ、それを押さえて、その上でローザが提起していることを、次のステップとして、すなわち「帝国主義論」として別の巻なりで展開していく必要があったのです。それがなかったので、後に、マルクスには「帝国主義論を十分に展開し得ず、レーニンがその「帝国主義論」を書いたのだ」というマルクス――レーニン主義の定説の話につながっています。ちなみに、レーニンの「帝国主義論」も、植民地支配時代の「帝国主義論」で、これも現在的に不備を抱えています。むしろローザの『資本蓄積論』を継続的本源的蓄積論として、新自由主義的グローバリーゼーションの時代に、その支配の構造に必須的に差別ということで組み込まれたことをとらえ返すなかで、まさに、『資本蓄積論』が現在的な有効性をもったものとして浮かびあがっていると、わたしにはとらえられるのです。
(4)自然発生性への依拠(――拝跪)
 ローザの「自然発生性」の理論は、このあたり、レーニンの批判の対象にもなっているのですが、レーニンの批判とは別に「決定論になっていると」いう批判もなされています。このことは、そもそもマルクスの唯物史観からきていて、革命的情況のないときには革命が出来ないというはなしです。このあたり、「自然」という概念とリンクしていくのですが、今西進化論の、「変わるべきして変わる」ということにもリンクしていきます。ローザは、ロシア革命は起こるけれど、最後は敗北に終わる、敗北の中から何をつかんでいくかということを考えていたようで、それはドイツ革命の敗北も予感しつつ、一旦、動き出したからには止められないとして、革命に殉じたようなのです。レーニンも、ドイツ革命から世界革命に連動しなければロシア革命は敗北に終わると考えていたようです。それを、新経済政策として資本主義的な経済を導入し、理念だけは「社会主義」を装っていました。それをスターリンが党独裁、スターリン独裁の体制を作り、全体主義的に国家資本主義として延命させたのですが、60年を経て結局終焉しました。
 この自然発生性の理論は、自然発生性への依拠と拝跪の弁証法としてとらえかえす作業が必要です。
(5)修正主義批判
 レーニンがローザとの論争で唯一の自分が間違っていたとしたのは、カウツキーへのローザの修正主義・日和見主義批判を押さえきれていなかったということでした。ローザは、ドイツ社会民主党内でおきてくるベルシュタインの修正主義批判から始まり、つねに、この修正主義・日和見主義批判をしてきました。だから、(2)のメンシェヴィキと同様だという批判はとんでもない勘違いです。それぞれの置かれてきた状況の違いという事があり、そしてまたそこからくることも含めた、党組織論の違いということも押さえねばなりません。このあたりは、一応違いを押さえた上で、わたしとしては、単に学的探究心としてこのことを論じているわけではないので、現在的な組織のあり方、運動の作り方、関係性の作り方の問題として、このあたりのことを検証しつつ現実的に方針をだしていくしかありません。
(6)反戦――反暴力主義、武装蜂起とプロ独問題
 さて、ローザの特徴であげなければならないのは、ローザは反戦のひとだったということです。レーニンが「帝国主義戦争を内乱に」というテーゼと、そこから出てくる「帝国主義間戦争を革命戦争に」ということと、はっきりした違いが出ています。このあたり、『ローザ・ルクセンブルクの手紙』のなかででてくる水牛の話にあるローザの感性の問題があります(これに関する水牛の痛みに関する勘違いの指摘が出ていますが、それこそ勘違いで、ここで問題になっているのはローザの感性です)。そういう意味でローザは反暴力主義と言いえるでしょう。ですが、そもそも専制政治の中でひとが殺され、差別という暴力ということも含めて暴力支配ということのなかで、「反暴力は非暴力になりえるのか」という問題が出て来ます。とりわけ、植民地支配の中の暴力支配のなかにおいて、非暴力になり得ないという事の中で、武装蜂起論がマルクスの流れの中で武装蜂起論が出ていました。ローザもそこまではマルクスの主張の批判はしていません。その延長線上にプロ独の問題があります。プロ独の問題は、次の(7)にリンクしていくのですが、現在的には、新自由主義的グローバリゼーションのなかでの、継続的本源的蓄積論で差別というところで、資本主義の延命の途をもとめていく社会において、確かに差別というところではっきりした多数派としてある労働者への差別の問題、生産者手段の私的所有からの排除と労働力の価値というところでの差別分断があるにしろ、もはや、プロレタリアートの問題だけで、そこに一元化することで革命が語れないということがあります。
 このあたりのこと、むしろむき出しの暴力支配の時代に戻る可能性とそれに対抗する闘い、という問題も含めて、考えていく必要があります。
(7)個別反差別運動なき階級闘争への統一論(一元論)
 レーニンが差別=階級支配の道具論を突きだしています。実はローザにも同じような規定があります。で、レーニンの民族自決権という突き出し自体は並立論になるのですが、中央集権制を唱えているところでは、階級闘争への反差別運動の従属論になってしまいます。ローザは民族自決権に反対し、個別反差別運動をとりあげていません。反戦ということを押さえたところで、インターナショナリズムというところで、階級闘争への統一、一元論になっているのではととらえ返しています。歴史的限界性という規定性――枠組みもあるのですが、ローザ自身が性差別においては、男並みに活動できるというところで、差別を超越しようとしていた、他差別においても、革命的インテリゲンチャとして超越しようとしていたことがあります。わたしはこのことを、むしろ、逆に、階級の問題を生産手段の所有からの排除と労働力の価値を巡る差別の問題として押さえています。そこから、階級闘争は、唯一のマジョリティの問題として(男と女の関係は、「性的少数者」――マイノリティのLGBTの問題があるのですが、ほぼ同数です)ひとつの大きな柱としてあるのですが、むしろグローバリゼーションの中における国・地域的な格差の拡大や環境問題も含めてさまざまな矛盾を差別としてトータルにとらえ返す反差別運動が必要になっているととらえています。
(8)永続革命論
 トロツキーの永続革命論は有名なのですが、著者はトロツキーより先にローザとパルヴスが永続革命論を出していたということを書いています。
トロツキーは革命の後にも革命が続いていく必要という意味で、「永続革命論」を展開していたのですが、ローザの場合は、ロシア革命もドイツ革命も一旦敗北に終わる、そこで、改めて革命闘争を展開していく必要として「永続革命論」を展開していたのではないと考えています。ローザの継続的本源的蓄積論からして、まだ資本主義は延命するということが予期されていたわけで(これはローザがはっきりとして押さえていたかは別にして、ローザの理論を発展的にとらえ返したときに出てくる理論として、です)、それは今日的、新自由主義的グローバリゼーションが差別ということを組み込んで延命を図る構図からして、ローザの「継続的本源的蓄積論」の意義が浮かびあがってくるのです。
(9)議会主義(議会制民主主義)批判――国家主義批判とインターナショナリズム
 ローザの修正主義批判は同時に議会主義批判となっていました。エンゲルスは最晩年に、ドイツ社会民主党右派の要請で、『フランスにおける階級闘争』への序文を書いて、それをローザが批判しています。もっともエンゲルスは以前に「民主主義とは階級支配の道具である」という規定をしています。ここでの「民主主義」は、議会制民主主義のことで、それを支配の構造として読み解いていたのです。そもそも、国家にはネーション概念があるのですが、ネーションには民族という意味もあります。まさに国民国家として、マルクス的に言えば、国家や民族の共同幻想へのとらわれがあります。レーニンは、『ド・イデ』のなかの国家=共同幻想規定を読んでいないとされているのですが、マルクス――エンゲルスの往復書簡のなかには、そのような内容が書かれています。ただ、専制国家ロシアのむき出しの暴力支配のなかで、共同幻想的側面をとらえ損ねたとしか思えません。その国民国家の国家主義的なところが各国左派の戦争への加担のなかで、第二インターナショナルの崩壊をもたらしました。今日、ITの普及のなかで、いつまでうそとごまかしの間接民主主義体制を続けねばならないのか、少なくともより民意の反映できる直接民主制への意向が可能になっているのです。民主主義の反対語は、封建制とか専制とかに一般にとらえられていますが、国家主義ではないかと考えています。国会は、まさに「国」という名を冠しているところで、そもそも共同幻想としての国家にとらわれていく、国益とかいう概念にとらわれていくのではないかとも思っています。まさに民衆の利益というところをとらえ返す、そういう意味での国家主義批判での民主主義概念の脱構築とあらたな構築が必要になっているのではないでしょうか? キーになるのは「反国家主義をかかげ国境を越えた民衆の連帯」ということではないかと考えています。
(10)まとめ
 今日、ソヴィエト連邦の崩壊と東欧の「社会主義国家」の消滅、中国の改革開放路線の突き出しのなかで、マルクス葬送の流れが形成されました。そもそもロシア革命の評価自体を押さえ損なっています。ロシア革命は、プロリタリアートの独裁――ソヴィエト独裁として革命を果たしました。しかし、その革命をイデオロギー的に領導したレーニンらは、革命的インテリゲンチャで、外部注入論的なところでの牽引でした。ソヴィエトはすぐに機能を停止し、他党派を排除し共産党独裁の体制を作り、ドイツ革命の敗北のなかで、孤立無援の反革命の干渉戦争にさらされました。そこで、経済も新経済政策をとり、資本主義の体制に戻ってしまいました。社会主義への移行に失敗したのです。その中味は国家資本主義です。国家が労働者を搾取するという支配機構です。そして、そもそも最初から秘密警察を作り、それをKGBという体制にしていき、巨大な管理支配機構で、党内闘争におけるスターリンの粛正も生み出す、全体主義的国家を形成し、社会主義とは無縁の体制を継続させました。それらのことから、「社会主義」批判が出ているのですが、もう一度、きちんとしたとらえ返しが必要になっています。マルクスの思想は、他の思潮から出たサルトルやデリダが言うように、資本主義社会では乗り越え不可能な思想なのです。今日、マルクス葬送の流れで、出てくる社会の分析は、こっそりマルクスを密輸入しないところでは、論としてきちんと成立し得ません。そういう意味での、ロシア革命以降の、「社会主義――共産主義」運動のとらえ返しが必要になるのです。そして、差別――反差別というとことをキーワードにして情況を読み解いていくことが今必要になっているのだと思っています。方向性として反差別共産主義論として提示できるのではと。
 ローザのレーニンと対比させた読み込みの中から、そのようなことを考えています。


posted by たわし at 04:26| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする