2020年11月17日

トニー・クリフ/浜田泰三・西田勲訳『ローザ・ルクセンブルク』

たわしの読書メモ・・ブログ546
・トニー・クリフ/浜田泰三・西田勲訳『ローザ・ルクセンブルク』現代思潮社1968
 ローザの学習8冊目です。これはローザ・ルクセンブルクへの評論2冊目。
 実は評論、この本がコンパクトにまとまった本で、こちらを先に読もうとしていたのですが、原書の出版順にしました。最初のフレーリヒの本は、ローザの足跡を追う伝記的なことも含めた本になっていて、理論的なこと、レーニンとの論争のようなことも押さえているので、もうこちらの本はさらっと流そうとしていたのですが、理論的には哲学的なことや経済学的なことを、こちらの方が掘り下げた論攷になっています。前の読書メモ、註に書き込みをしていく新しい手法をとったのですが、結局読みにくくなってしまったので、こちらは、章だけを目次であげて、切り抜きメモという形で、それにコメントを書き添えます。まだ、本格的な掘り下げは、後に回します。
  目次
第一章 ローザ・ルクセンブルク その伝記的スケッチ
第二章 社会改良か社会革命か
第三章 大衆ストライキと革命
第四章 帝国主義と戦争に対する闘い
第五章 自然発生性、意識と組織
第六章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題
第七章 ローザ・ルクセンブルクの政権獲得後のボルシェヴィキに対する批判
第八章 資本蓄積論
第九章 ローザ・ルクセンブルクの歴史的位置
ローザ・ルクセンブルクの蓄積論/ラーヤ・ドゥナエフスカヤ
ローザ・ルクセンブルクとスパルタクス団/浜田泰三
訳者のことば

この本の著者は、「訳者のことば」でも紹介されていないのですが、インターネットで検索すると「トロツキスト」という表記が出てきます。訳者の浜田泰三さんの方が、ローザ・ルクセンブルクにより共鳴しているひとなのかもしれません。
いきなり切り抜きに入り、その中で対話を進めます。
第二章 社会改良か社会革命か
「しかし、ローザ・ルクセンブルクは、労働者たちが搾取と枠圧に対して、革命的暴力に頼らざるをえないことを理解しながらも、流される血の一滴ごとにはげしい痛みを味わったのだ。」29P
第三章 大衆ストライキと革命
「ローザ・ルクセンブルクは革命時代には、経済闘争は政治闘争へと成長すること、そして、その逆も同じことを明らかにした。「運動は、経済闘争から政治闘争へという一方通行ではなく、反対方向へも向う。あらゆる主要な政治的大衆行動は、その頂点に達すると、その経済的大衆ストライキを生む。そして、この法則は、単に個々の大衆ストライキに適合するだけでなく、革命全体についても適合する。」36-7P
第五章 自然発生性、意識と組織
「一八七一年、パリの労働者は、新しい形式の国家をうちたてた。――常備軍も官僚制度も持たず、すべての公務員の給与は労働者の平均賃金であり、またすべての公務員をリコールすることができる等々の新しい形を持った国家を。」55P・・・「国家」なのか?
ローザ「ここではまた、無意識が意識に先行し、客観的な歴史の発展の論理が、そのにない手の主観的論理より前にある。」56P
「(きわめて正当な話だが)労働階級の創造能力をこのように強調しながら、ローザ・ルクセンブルクは、必然的に結局、保守的な組織が大衆闘争に与えうる、遅延と妨害の効果を過小評価することに傾むいていった。」57P
「ローザ・ルクセンブルクの、組織の役割に対する過小評価の可能性と、または、自然発生性の役割の過大評価の可能性の根底を理解するには、彼女が働らいていた状況を見なければならない。」その内容@「何よりも、彼女は、ドイツ社会民主党の日和見主義と闘わなければならなかったのだ。」A「ローザ・ルクセンブルクが争わなければならなかった、いま一つの労働運動の一翼はポーランドPPSだった。PPSは愛国主義的組織であり、その公約はポーランド民族独立だった。」(・・・民族主義・愛国主義との争い)B「ローザ・ルクセンブルクの闘った三番目の労働運動の傾向は、労働組合におけるサンジカリズム、(その個人主義を除いて組織に過大な力点をおいた)アナーキズムとの混合物であった。」58-61P
「ローザ・ルクセンブルクが自然発生的要素の過大評価と組織的要素の過小評価をしたことの主な理由はおそらく、改良主義に対する火急の闘いで、すべての革命の第一歩としての自然発生性を強調する必要があったことにあろう。」61P・・・民衆の革命性への依拠
「彼女のもちつづけた強さは、歴史における労働者の主導性への完全な信頼のうちにひそんでいたので。//革命における自然発生性の指導性との間の連環をみつめる、ローザ・ルクセンブルクの位置に何らかの不充分さを指摘するにしても、革命運動内の彼女の批判者たち、なかでもレーニンが、あらゆる点で、彼女よりも正確な安定したマルクス主義的分析に近かったと結論を下すには、慎重であるべきだ。」64P・・・ローザは日和見主義と闘い、レーニンは無定型な経済主義と闘った
「スターリニストやそれにいわゆる非スターリニストの輩の、レーニンの数多いエピゴーネンどもは、発展段階がどうであろうが、すべての国のすべての運動に《まったく》適用しうるものとして、どんなにかしばしば、『何をなすべきか』『一歩前進二歩後退』を引用して来たことだろう。//レーニンは、それらのレーニン主義者どもとは大ちがいだ。一九〇三年にはもう、レーニンは、第二回ロシア社会民主党大会で『何をなすべきか』の所定式の、ある種の誇張を指摘している。/「いままでわれわれはみな、経済主義者が一方に曲げたことを知っている。棒をまっすぐに伸ばすためには、棒を他のがわに曲げかわす必要があった。そこで私はそうしたのである。」67P・・・レーニンは現実主義者であり、自らのジャコバン主義的なことからの離脱する傾向があり、レーニンはレーニン主義者ではなかった。
「労働者階級の解放が労働者自身の手によってしかもたらされないということを強調したのと同じように、ローザ・ルクセンブルクは、大衆運動と大衆組織からの脱落という形で現れる、あらゆるセクト主義的傾向に我慢できなかった。」72P
「一九一八年十二月二十九日、ドイツ革命の勃発後、はじめて、団はUSPDとの連携を断ち、独立政党――ドイツ共産党(スパルタクス)を樹立した。」75P
 レーニン「ローザ・ルクセンブルクは正しかった。彼女はずっと以前に、カウツキーが、党内多数派に奉仕する、要するに日和見主義に奉仕する、御用理論家であることをはっきりと覚っていたのだ。」79P・・・ローザとの論争でのレーニンの自批
「自然発生性と組織の関係を見つめるローザ・ルクセンブルクが立っていたところは、保守的な官僚主義によって支配されている労働運動に革命家たちを立ち向わせる、火急の必要の反映であり、レーニンの本来の――一九〇二年―四年の――立場は、おくれた半封建的専制体制下で、発展の第一段階の、生命力あふれた闘う革命運動が、明確な形をもたなかったことの反映なのだ。//進歩した工業国家におけるマルクシストたちには、レーニンの本来的立場は、ローザ・ルクセンブルクのそれが、自然発生性への過大評価をしているにもかかわらず、その指標として役立つほどには、役立てることができないのだ。」80-1P
第六章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題
「彼女の姿勢は、民族問題についてマルクス、エンゲルスが教えたものの継承でもあり、また、その転換でもあった。そこで、それを適確に理解するめには、この問題に対するマルクス、エンゲルスの態度を――ごく簡単にでも――見ておくことが必要となる。//マルクス、エンゲルスは、ヨーロッパの資本主義の成長期、ブルジョア民主主義革命の時代に生きた。彼らによれば、ブルジョア民主主義の体制は民族国家であり、したがって、社会主義者の任務は、/「ブルジョアジーと同盟して、絶対専制主義に、封建的土地所有とプチ・ブルジョアに対して」闘うことだった。・・・・・・・」82-3P
「マルクス、エンゲルスは、ツァーリのロシアがからむあらゆる戦争で、中立の立場をとることも、相闘う陣営のどちらかに反対する立場をとることもせず、ロシアだけに対して好戦的な反対の立場をとった。」85P
「マルクス、エンゲルスのあとを追って、ローザ・ルクセンブルクは、主としてヨーロッパの民族主義運動を考察しており、アジア・アフリカの民族運動には、ほとんど重要性を与えなかった。彼女もまたマルクス、エンゲルスのように、民族独立闘争を判断する絶対的な基準などがあるとは信じなかった。だが、彼女は、科学的社会主義の創始者の言葉をくりかえすだけのエピゴーネンではなかった。/その政治的生活のごく始めの頃に、彼女は、一般的にはヨーロッパの、特殊的にはロシアの情勢が十九世紀末になって大きく変化し、ヨーロッパの民族運動に対するマルクス、エンゲルスの立場が支持しがたくなって来ている、ということを指摘していた。」87-8P
「つまり社会主義のもとでは、民族的抑圧はもうありえなくなって、人類の国際的結合が実現されることとなろうから、民族独立のスローガンをいれる余地はないことになる。こうして、資本主義下にはポーランドの真の独立は実現できず、また、それに向うどの段階も何ら進歩的な意義をもたない、一方、社会主義のもとではそんなスローガンの必要はなくなる。故に、労働階級はポーランド民族自決のための闘争を必要とせず、また、そのような闘争は事実、反動的闘争なのだ。労働階級の民族的スローガンは、その文化生活における民族性の自主性の要求に限定されるべきだ。」90P・・・ローザの民族問題の論攷は原理主義。国家主義批判からすると民族自決権の自治国家論はありえなくことに通じるのですが、それでも被抑圧性において、みずからの問題における拒否権の行使は必要になるのでは?
「民族問題におけるレーニンとローザ・ルクセンブルクの間の相違は次のように要約できよう。すなわち、一方でローザ・ルクセンブルクはポーランド民族主義に対する闘いから生じた結果として、民族問題についてややニヒリスチックな態度に傾いていったのに対して、レーニンは被抑圧者の立場と抑圧民族の間には違いがあり、同じ問題についての態度も異なるに違いないと、現実的に見ていた。このようにして、違った、相反する状況から出発して、彼らは反対の方向から国際的労働者の団結という同一点に近づいていったのだ。第二に、ローザ・ルクセンブルクは民族自決権問題を階級闘争と両立しないものとしていたが、レーニンは、それを階級闘争に従属させていた。(彼が他のあらゆる民主主義闘争を、全般的革命闘争の武器として利用したのと同じやり方だ。)ローザ・ルクセンブルクには欠けていた、民族問題へのレーニンのアプローチの源泉は、弁証法だった。彼は民族抑圧と従属という部分――民族独立闘争――から、全体――社会主義への国際的闘争――へという、対立の綜合を見ていたのだ。」94-5P・・・情況規定性、史的唯物論的なとらえ方。レーニンの差別=階級支配の道具論批判。ローザの階級闘争一元論批判。今日的な国家主義批判の立場からすると、反差別共産主義論として綜合して展開していくこと。
「バルカン諸民族の場合には、その民族闘争に対するローザ・ルクセンブルクの態度は、ポーランドの態度は、ポーランドに対するそれとは大いに違っていたのだった。//ローザの生き生きとした思考の独自性は、それにもかかわらず、すでに扱って来たいくつかの問題で見て来たように、自分の直截の経験から、それを他の労働運動にも、あまりに早く一般化してしまうその傾向のうちにひそむ弱点によって、弱められてしまうのだ。」96-7P
第七章 ローザ・ルクセンブルクの政権獲得後のボルシェヴィキに対する批判
「ローザ・ルクセンブルクは政権獲得後のボルシェヴィキが、次の諸点でその政策を誤ったと考えて批判を加えた。/1 土地問題、/2 民族問題、/3 憲法制定会議、/4 労働者の民主的権利。」102-3P・・・これはレーニンのローザ批判とほぼ重なっていて、ローザのレーニン批判の一部撤回にもつながっています。
第八章 資本蓄積論・・・付録のラーヤの論攷に詳しく展開されています。
「ローザ・ルクセンブルクが扱った問題は、次のようなものだった。拡大再生産すなわち増大していく生産なるものが、非資本主義国が存在しない、あるいは、資本家と労働者以外にいかなる階級も存在しないような、抽象的な、純粋な資本主義の諸条件のもとでありうるだろうかというものだった。」121P・・・これはマルクスの論理的抽象という手法の問題とそれを理解し得なかったローザという問題、さらに「マルクスには帝国主義論がなかった」という問題。
「資本主義の内部の矛盾の強調ないし緩和における、非資本主義的領域のもたらす効果と、そして、資本主義を帝国主義的拡張に押しやる諸要素との上に、新たな光を投じるかも知れない。」122P
「ローザ・ルクセンブルクは、資本主義が、制限された市場という、資本蓄積に対する絶対的障害から逃れうる要素は、資本主義産業の非資本主義的領域への侵入である、と主張したのであった。」146-7P・・・今日的には、グローバリゼーションの行き詰まりまで至りついていること。
第九章 ローザ・ルクセンブルクの歴史的位置・・・ロシアとドイツの違い、レーニンとロシアの違い
「中・西部ヨーロッパでは、保守の修正主義ははるかに深く根を張っており、労働者たちの思想や気分に、ずっと受けとり易い影響を与えていた。修正主義者どもの論証は、よりすぐれた論証によって答えられねばならなかった。そして、ここにおいて、ローザ・ルクセンブルクはすぐれていたのだ。これらの国々では、彼女の小刀の方が、レーニンの大槌よりもはるかに有効だったのだ。」156-7P
「革命的組織の構造についての、ローザ・ルクセンブルクの考え方――それは下から上に、一貫して民主主義的な基礎の上に作らなければならないという考え方――は、先進国の労働運動には、世界のスターリニストどもによって、官僚的なねじまげを与えられ加えられた、レーニンの一九〇二――四年の考え方よりも、はるかにぴったりとその必要に適している。」159P
「ローザ・ルクセンブルクは、社会主義の勝利が必然不可避なものだ、とは考えなかった。資本主義は、社会主義の控えの間でもあるし、また、追いつめられはバーバリズムともなりうる、と彼女は考えていた。」160P
「戦争と資本主義との間に結ばれた、断ち切ることのできない絆についての、ローザ・ルクセンブルクの明確な分析と、平和への闘いを社会主義への闘いから分つことはできない、という点に対する固執から、学びとるより以上のことはできないだろう。」161P
「マルクスの真の弟子として、彼女は、その師から独り立ちして、考え、行動することができた。・・・・・・彼女は、思想闘争を、真実に近づく方法として愛したのだ。」161-2P
「彼女のもっとも親しい友人として、クララ・ツェトキンは、その弔辞のなかに書いた。/「社会主義の理想こそ、ローザ・ルクセンブルクのなかでは、その心と頭脳の双方を支配する力強い情熱、やむことなく燃えつづけた真に創造的な情熱となっていました。この驚くべき女性の果たした大きな仕事と、圧倒的なねがいは、社会革命に至る道を整え、社会主義へと歴史がたどる路を明らかにすることでした。革命を経験し、その闘いを闘うこと――それが彼女にとって至高の幸福だったのです。言葉にいえない意志と決断と無私と献身をもって、彼女はその全生涯と全存在を社会主義に捧げました。彼女は社会主義をもたらすために、自分のすべてを与えたのです。その悲劇的な死においてだけではなく、何十年もの闘いを通じて、その毎日毎時間の全生涯を……。彼女は鋭い剣でした。革命の生きた焔でした。」」163-4P
ローザ・ルクセンブルクの蓄積論/ラーヤ・ドゥナエフスカヤ
 ラーヤ・ドゥナエフスカヤのローザ・ルクセンブルクの資本蓄積論批判は、トニー・クリフが本文中で批判している内容をより詳しく展開した内容になっています。レーニンがローザの資本蓄積論を批判した内容とも重なっています。要するに、マルクスが『資本論』第二巻で展開した拡大再生産論をおさえそこなかったという話です。そのことをわたしサイドのとらえ返しも含めて押さえると、マルクスの『資本論』で展開している、「抽象」という作業をとらえられないで、それをそのまま現実の社会としてとらえ、不備を指摘したのですが、そもそも1章の価値形態論においても、その「抽象」の作業があり、要するに弁証法的な入れ子型の構造として展開していることです。これらのことは、レーニンが、『資本論』を真に理解するにはヘーゲルを理解する必要があると言ったことにもつながっています。要するに、第二巻の拡大再生産論はそのままにして、「その上にたって」と、いうことを重ねていく形で、むしろ別のところで、展開することだったという話で、その内容自体は、そのようなところで、大切な提起になっているのです。
「マルクスにとっては、資本主義社会の基本的衝突は、資本と労働とのあいだの衝突であって、そのほかの全ての要因は従属的なものなのだ。」167P・・・他の差別の問題の従属という理論
「一方、ルクセンブルクは次のように主張した。歴史からの「正確な証拠」が示すところによると、拡大再生産は、閉鎖された社会で行われたことはまた一度もなく、むしろ「非資本主義的階層や非資本主義社会」への分布やそれらの収奪を通じて行われた、と。ルクセンブルクは、まちがって、現実を理論に対置させた。彼女の批判は、理論的には、このひとつの基本的誤りからでてきたのだ。彼女は、そのころ進みつつあった帝国主義の強力な歴史的発展に欺かれて、資本と労働の関係の代わりに資本主義と非資本主義の関係をもってきた。そのために、彼女は閉ざされた社会というマルクスの前提を否定することになった。彼女が、ひとたび、マルクスの理論全体のこの基本的前提を放棄してしまうと、彼女には、もう交換と消費の領域に進む以外には道はまったく残されていなかった。」176-7P・・・「交換と消費の領域に進」んだのではない。別の領域の問題に飛躍してしまった。
「彼女の『蓄積論』のなかのいくつかの最もすぐれた記述は、彼女が「現実の」蓄積過程――・・・・・・・――について述べている部分にあらわれている。ルクセンブルクは、彼女の時代の強力な帝国主義的現象に目をくらまされ、それらすべてのことは『資本論』第二巻――それは、理想的な資本主義社会では剰余価値はどのようにして実現されるかということを扱っている――提出されている問題とはまったく関係がないということをみることができなかった。」177P・・・「理想的な」というより抽象的なという弁証法の問題。
「あとで見るように彼女は、すべてのブルジョア経済学と手をたずさえて、価値生産のすべての特徴を抹殺してしまうのだ。」178P・・・マルクスの「帝国主義論」的な不備を左から出しどころを間違え批判したことで、右からの批判と一緒にはできない。
「蓄積は二つの生産部門のあいだの内部的関係であるばかりではない。何よりもまず(下線ラーヤ)、資本主義的環境と非資本主義環境とのあいだの関係なのだ。」179P・・・「何よりもまず」ではなくて、論理的抽象の後にくること。そこからの最初のことへの規定性も考えていくこと。
「ここでもまた、ルクセンブルクは、彼女が出発点でおかした。ひとの、そしてただひとつの基本的まちがい――「現実」を理論に対置すること――のために、こんな姿勢に陥ったのだ。」190-1P・・・ここも同じ
「簡単に言うと、これらすべてのことは次のようにせんじつめることができる。つまり利潤率の低下は、可変資本に対する不変資本の優勢からからおこり、この資本=労働の関係を廃止することによってでなければ解決することができないか、でなければ、利潤率の低下は、外部の力、つまり有効需要からおこり、したがって、労働に対する資本の生産の外部で治療することができるか、のどちらかだ。」200P・・・継続的本源的蓄積は生産の外部だけでおきるのではない。別のルール(それは差別というところからとらえ返される)がプラスされる。
「いうまでもないことだが、ルクセンブルクは、資本主義を治療する方法をさがしていたわけではない。だが、彼女がひとたびマルクス主義の蓄積理論を否定すると、彼女は、どうしても最近のブルジョア的経済理論の先鞭をつけるような結論に達せざるをえなかったのだ。」201P・・・「蓄積理論を否定した」のか、『資本蓄積論』の読み直しをします。
「もっとも、ひとり(フレーリッヒ)だけは、大胆にも、次のように言った。彼女の蓄積理論は、「マルクスの巨大な力をさえ疲れ果てさせた」問題を解決した。そして、彼女の本によってはじめて、「社会主義の思想はユートピア主義の最後のあとかたを脱ぎ捨てた」と。」203P・・・「マルクスには帝国主義論がない」という問題の解決。
「ローザ・ルクセンブルクは革命家だった。運動に対する彼女の偉大な奉仕や、トロツキーが彼女の輝ける精神とよんだものは、第四インターナショナルの不滅の伝統として、いつまでも残るだろう。だが、まさにそのためにこそ、彼女の蓄積論でおかしたまちがいを、彼女の革命活動や彼女の改良主義反対闘争から解きはなすことは、必要だったのだ。彼女のまちがった理論をはっきり解明することによって、はじめて、われわれは、スターリン主義者がこの革命的殉教者のまちがいを彼ら自身の極悪な目的のために利用することを防げるだろう。」205P・・・まさに間違いの中味と、そこにおけるローザの意図を読み取る必要。
ローザ・ルクセンブルクとスパルタクス団/浜田泰三
「彼らのおかれた歴史的情況はぜひとも明らかにされていなければならない。それはたんに、これによって党組織論をめぐるレーニンとローザの論争の、より深い理解が可能になる、というだけの意味からではない。これに加えて、まぎれもなく、先進工業国家のうちに生きるわたしたちにとって、なによりもまず、SPDとその背後の労働者組織の強大な官僚主義と、その日和見主義的・没理想主義的指導とたたかわなければならなかった彼らの立場がけっして他人事として見過ごすことのできないものと考えられるからだ。帝国主義戦争の死の脅威の下で、革命によってこれを打倒しようとするプロレタリアートの前衛として、彼らは、まさに二重のたたかいを遂行しなければならなかった。」213P
「インターナショナリズムの堅持と大衆の力への依拠、それがスパルタクス・ブントの原則だった。」216P
「すでに述べたように、スパルタクス・ブントのおかれていた情況は、ボルシェヴィキのそれとは著しく異なっていた。強大な官僚的組織の下に、組織ボケ(ママ)していた党と労働組合を前に、彼らのなすべきことは、なによりも「全能の指導部と劣弱な大衆」という考え方」の徹底的粉砕であり、「改良主義に対する火急の闘い」において「すべての革命の第一歩としての自然発生性を強調する」ことだった。」217P
「この若い前衛党の敗北の原因は、もちろん単純ではない。が、その主要なひとつとして、USPD左派とのとりわけ、労働組織のなかから発生し着実に根を張っていたほとんど唯一のグループ「革命的オプロイテ」との結集に失敗したことをあげるのは(その理由は彼らがスパルタクス急進派の一揆主義を警戒したからだった)多くの論者の一致するところだ。」217-8P
「一九一八年末、ローザによって書かれた『ドイツ共産党(スパルタクス)のプログラム』は、つぎのようにいう。「スパルタクス団は、労働階級の上に立って、あるいは、労働階級によって、政権をとろうという政党ではない。スパルタクス団は、ただ、その目的をもっとも確信する労働階級の部分に過ぎない。それは広汎な労働運動を、画段階において、その歴史的任務に向ける部分なのだ。革命の全ての段階で、それは社会主義の究極の目的を明示し、また、すべての民族的問題のなかで、プロレタリア世界革命に役立つものを明らかにする。スパルタクス団は、ドイツ労働階級の大多数の明白な意志を通ずる以外にけっして政治的権威を僭取しない……スパルタクス団の勝利は始めにではなく、その終りにある。それは何百万の社会主義プロレタリアート大衆の勝利と同じい」」218P
「「ここでは、無意識が意識に先行し、客観的な歴史発展の論理が、そのにない手の主観的論理よりも前にある」とローザはいった。とすれば、前衛とは、その無意識を意識へ、客観的歴史発展の論理を主観的論理へと、行動のうちに展開させる任務を帯びた、大衆の部分、大衆とけっして分つことのできない部分にほかならない。そのような前衛として、彼女とリープクネヒトは、革命的大衆行動のさなかに「逃亡」することをみずからに許さなかった。二人を律したこの前衛の倫理は、みずからの少市民性を通じては、小市民的信義の名残りとみえる。そして、二人の理想主義的な、大衆の自然性への確信も、ブルジョア的リズムをもってすれば幻想以外のものとはみえはしない。/ローザの最後の文章はこう結ばれている。「『ベルリンの秩序は維持されている!』ほざくがよい、鈍感な権力の手先どもよ! おまえたちの秩序は砂の上の楼閣だ。あすにも革命は『物の具の音をとどろかせてふたたび立ち上り』トランペットを吹きならして、おまえたちの驚愕をしりめに、こう告げるだろう。Ich war,ich bin,ich werde sein!(わたしはかつて在り、いま在り、こんごも在るだろう)」と。/永久革命の確信を告げるその言葉と「革命の名誉」のためのその献身の行為において、ローザとスパルタクス・ブントの前衛の神話は、半世紀をへだてたいま、新たな衝撃をもってよみがえろうとしている。」220P


posted by たわし at 04:59| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする