2020年10月17日

ローザ・ルクセンブルク/田窪清秀・高原宏平・野村修・救仁郷繁・清水幾太郎訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻(一九一六――一九一九)』

たわしの読書メモ・・ブログ544
・ローザ・ルクセンブルク/田窪清秀・高原宏平・野村修・救仁郷繁・清水幾太郎訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻(一九一六――一九一九)』現代思潮社1970
 ローザの学習六冊目です。ローザ・ルクセンブルクの選集四巻目。これまでのメモがあまりにも膨大になったので、少しセイブします。
 まず、目次を上げます。
あれかこれか
三月二四日の教訓
犬の政策
リープクネヒトはどうなるか
リープクネヒト
リープクネヒトはなんのために闘い、なぜ禁固刑をうけたか?
ロードス島
二つの復活祭教書
革命のはじまり
陳腐な手
国民議会
無謀なくわだて
万国のプロレタリアに
動き出したアケロン
破滅への道
「未熟な」大衆
執行評議会をめぐって
堡塁のうえへ
国民議会か評議会政府か
エーベルトの私兵
国民議会のための選挙
綱領について
指導部は何をしているか
忘れられた任務
指導部の無知ぶり
空中の楼閣
ベルリンの秩序は維持されている
ロシア文学論
ロシア革命論


さてメモに入ります。(表題の後に来る記号で、○は、巻を通しての帯に各巻の紹介で上げられていた論攷です。◎はその内で、わたしが再読が必要と押さえた論攷。□は○ではないが、重要な論攷。)
あれかこれか ○
 反対派の中でも対立が生じていることに対して、統一を説くひとに対する、ローザのむしろ右往左往するような中身のない統一は意味がないとして、「あれか、これか」を求める提言。
「だが、みなさん、これはそんなものではないのだ。この分裂をひきおこしたきっかけは、党の政策にかんする原則的な問題であり、こんにちの党がおちいっている絶望的な状況からわれわれを救い出し、まっとうな状態へ導いてゆくための手段や方法にかんする見解のちがいなのだ。」2P
「このような深刻な打撃からたちなおるためには、隙のない、明確で、右顧左眄しない政策だけが、唯一の救いになりうるということだ。生半可な方法、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする、おっかなびっくりのブランコ政策ではどうにもならない。いまこそすべての人が「あれかこれか」の問を発しなくてはならない。」3P
「ガイヤーの仲間は、原則のうえでは、多数派共通の地盤にたっている。したがって、かれらは、この戦争がそもそもの初めから、国境をまもるための防衛戦争として出発したとする、卑劣なペテンを支持しているのだ。かれらを多数派から区別する点は、だから、戦争にたいする立場の原則的なちがいではなく、戦況にたいする判断のずれにすぎない。」4P
 他の国のプロレタリアートの立場からとらえるという観点の必要性5P
「・・・・・・将来ふたたび一九一四年八月四日の壊滅をくりえすまいとするなら、われわれにとって救いになりうる道はひとつしかない。それはプロレタリアートのインターナショナルな団結といううたい文句を、嘘っぱちでない、苦難にみちた、神聖な生活指針とすることこそ、社会主義インターナショナルという看板を、現実の力にかえ、それが巨大なダムとなって、帝国主義の落水へ悲惨させるようにすることである。」10P
「同志のみなさん! 統一こそ力であるという、ききなれたうたい文句にだまされてはならない。党幹部会のシャイデマンやエーベルトも、このうたい文句を行商してまわっているのだ。いかにも、統一は力である。だが、それはゆるぎない確信に支えられた統一であって、たがいに反目しあう諸要素を機械的につなぎあわせただけの、表面的な統一ではない。」12P
三月二四日の教訓 ○
「一八名の国会議員を社会民主党国会議員団から追放するきっかけをつくった、三月二四日の国会での事件は、党最高指導機関が、一九一四年八月四日以来一貫して採用して来た政策を、もはや維持できなくなったことのあきらかな徴候である。」14P
「一九一五年一二月二一日、累計四〇〇億マルクにのぼる戦費予算案の採決にさいして、ついにかれらは、国会でこれに反対投票し、それと同時に、予算拒否の理由をのべた声明文を発表した。声明文は、ドイツの国境が安全であることを指摘して、議員団多数派の原則的な立場をうけいれている。」14-5P・・・理由は欺瞞
「党の裏切者にたいする譲歩、忍耐、寛容、服従は、党にとって必要な切開手術をおくらせ、適切な処置を怠る以外の、いかなる結果もうまないことを、三月二四日の事件は、雄弁に物語っている。ハーゼ、レーデブーアのまわりの一八名は、党の規律とか、統一とかいう、デマゴーギッシュなスローガンに眩惑され、二年間ものあいだ、多くの矛盾と曖昧さをふくむところのカカシ的存在に甘んじてきたが、結局は、かつてのリープクネヒトが終始一貫、男らしく(ママ)、党の原則をまもりぬいたことによって蒙ったのと同じ処置をうけたわけだ。」16P
「一八名の国会議員のうえにふりかかった事件は、低姿勢と中途半端の政策は何ものももたらさず、党を救いうるのは、原則にのっとったエネルギッシュな政策だけだということを、決定的な明らかにした。」17P
「活動家、国会議員、編集局員らが党なのではない。党とは、組織された労働者大衆であり、社会主義的階級闘争の精神である。あなたがたが党なのだ!」18P
犬の政策
「国会みずから、そのメンバーである国会議員(リープクネヒト)を、軍事法廷に突きだしたのである。/その後数日を経ないうちに、喜劇の第二幕がつづいた――国会は、リープクネヒトが、野獣のような暴行にさらされるのを見ながら、国会議員であるかれを庇おうとはしなかったのである!」21P
「「社会民主党員」ダーフィットは、国会内委員会で発言し、カール・リープクネヒトについてこう言った――「やかましく吠える犬はけっして噛みつかない」」22P・・・この文の標題、「犬」にたとえる者が、権力の「犬」になっているという話。
「大衆じしんの行動、大衆の果敢なイニシャティヴ、前戦線における力づよい高揚のみが、われわれをあの道へ、すなわち、人民殺戮や、軍事独裁や、人民の緩慢な餓死を止めさせる道へ、連れてゆくことができる。」23-4P
リープクネヒトはどうなるか ○
「軍事独裁は、もっとも手強いその敵対者を、牢獄に閉じこめようとしている。リープクネヒトにたいする軍事「裁判」は、目睫の間に迫った。/裁判を装った卑劣なコメディー!
裁判は非公開でおこなわれるという。弁護活動も極度に制限されている。「判事」として裁判を進めるのは、上級将校である。つまり、リープクネヒトによって徹底的に攻撃された、党の軍事独裁の代表なのだ!/公訴の内容は、卑劣さの極みとしか言いようがない。起訴状は、戦場における計画的な利敵行為についてのべている。五月一日当日、リープクネヒトは戦場には居らず、ベルリンのポツダム広場に居た。にもかかわらず、かれは「戦場における」メーデー・デモストレーションに力をかした、というのだ。かれは、国会議員として、人民代表として、ベルリンで活動していたにもかかわらず、兵士として法廷に立たされる。」25P
「はっきりしすぎるほどはっきりしている――政府とその一味は、カール・リープクネヒトにたいして、計画的なでっちあげ裁判をたくらんでいるのだ! 断乎たる労働者階級の味方であり、社会主義の旗手であるかれは、敵の憎しみを一身にあびて、報復をうけようとしている。」26P
「リープクネヒトは、われわれみんなのために闘った。かれは、プロレタリアートため、インターナショナルな社会主義のために、自己の一身をなげうっている。かれは、ドイツにも、社会主義の信念に生きる人間が居ることを示した。リープクネヒトは、労働者階級の解放のために、最後の血の一滴まで捧げようとしている。」「労働者のみなさん! リープクネヒトの身の上におこっていることは、あなたがた自身の問題である。リープクネヒトをとおして、かれらはあなたがたに襲いかかり、あなたがたをだまし討ちにし、あなたがたの口をふさぎ、大手を振って人民殺戮をつづけようとしている。かれらは、リープクネヒトとともに、戦争という犯罪行為にたいするドイツ・プロレタリアートの反抗を、踏みつぶそうとしているのだ。あなたがたはこれをほうっておくのか?」28P
リープクネヒト
「信じられないことが、ついにおこった。政府は恥しらずにも、リープクネヒトにたいする判決をさらにきびしくして、禁固刑のほかに、公民権の停止を、すなわち、国会と州会における議席の剥奪を、つけくわえた!・・・・・・判決はかれの全活動にたいする報復である。」30P
「もしも、開戦いらいドイツ社会民主党員が犬のように匍いつくばい、その卑屈さによって権力者を甘やかす、ということがなかったら、かれらとしても、あえてこのような厚顔無恥の判決を下さなかったろう。」30P
「いったいリープクネヒトは何をしたのか? かれはただ、インターナショナル大会の決議、綱領、党大会決議などが、すべての社会主義者に義務として課していることを、おこなっただけである。・・・・・・いま、リープクネヒトは、この自明の理を遂行したために、禁固刑を言いわたされたのである。どうしてこんなことがおこりえたか? それはほかでもなく、公認の社会民主党が、革命的な階級闘争を放棄したからである。インターナショナルなプロレタリア階級闘争の党が、支配政党になった、すなわち、帝国主義的階級支配のための足台にされてしまったからである。」31P
「リープクネヒトの「利敵行為」とは、かれが平和のために闘ったということである。」31P
「労働者階級の歴史的課題にとって、一九一四年八月四日の崩壊以後における、第二の決定的試練は――開戦を阻止できなかったこの戦争を、労働者じしんの力で終結させること、すなわち、帝国主義ブルジョアジーの手から、秘密外交の成果としての平和をうやうやしく受けとるのではなく、逆に、ブルジョアジーに平和を強要し、ブルジョアジーからそれを闘いとることが、できるかどうか、である。」32P
「平和獲得の闘争とは、労働者階級の断乎たる実力行使によって、国内においても、人民殺戮の継続を不可能にすることであり、リープクネヒトのように、いかなる犠牲や危険にもひるまず、国内平和を粉砕して、軍事独裁の首根っこを抑えることである。」33P
「また、このような、平和獲得の果敢な大衆闘争だけが、リープクネヒトを監房から連れ出すことができる。」33P 監獄の開放の歴史、一七世紀のイギリス、フランスのバスティーユ解放、一九〇五年のロシア革命33P
ローザのアジテーション文34P
リープクネヒトはなんのために闘い、なぜ禁固刑をうけたか?
「一一月四日、リープクネヒトにたいする最終審判決がおりる。リープクネヒトは、八月二三日の第二審においても、有罪の判決をうけた。第一審の有罪判決は禁錮二年半だったが、それすらすでに、全世界の人びとの憤激をかった。ところが、戦時高等裁判所は、原判決をうわまわる四年の禁固刑を課し、おまけに六年の公権剥奪をこれにつけくわえた。つまり、リープクネヒトは、計一〇年間、国会、州会の代表権をうばわれることになる。・・・・・・いったい、なぜか? 理由はただひとつ、かれが、言葉のうえでも、実行においても、社会主義の訓えと労働者階級の利益をあくまでも忠実にまもり抜いたためである。」36P
「リープクネヒトは、社会主義の旗のもとに留まった少数の人びとのひとりである。はやくも一九一四年一二月、かれは、国会議員のなかでただひとり、戦費予算案に反対投票した。その後さらに二度の反対投票を重ねたのち、ついに一九一五年一二月、他の多くの議員たちが、ためらいがちにではあったが、かれの模範にならった。/さらにリープクネヒトは、国会および州会において、つねに先頭に立って戦い、国内平和というコメディーを有名無実のものにし、帝国主義の傀儡にすぎない擬制兄弟党の顔から仮面を剥ぎとり、帝国主義の犯罪行為を全世界のまえにあばきだした。かれは、「小質問」を、階級闘争の武器として用い、何度も政府を狼狽におとしいれ、痛手をおわせた。」37-8P
「一言にして言えば、リープクネヒトは、大衆の心に生きている、一九一四年八月四日いぜんの、古くからの社会民主党を体現した・・・・・・」38P
「リープクネヒトは、すでに二度の判決をうけた。だがこれで終ったのではない。第三審の判決が目前に迫っている。戦時法廷はさらに新しい判決をくだすだろう。だがこんどは人民の側からも、言いたいことを言わせてもらおう。/労働者階級が、時期を失せず、いますぐ、大衆的抗議、デモストレーション、大衆ストライキ等、軍部独裁にプロレタリアートの実力をはっきり思い知らせる行動にたちあがるならば、その圧力によって、これまでリープクネヒトにたいして下した判決をことごとく破棄させ、裁判を最初からもう一度やり直しさせ、その結果、カール・リープクネヒトを刑務所の門から連れ出すことも可能なのだ。大衆的抗議の圧力、国内や塹壕のなかにおける騒動の気配、それのみが、首切り役人を動かし、犠牲者の釈放に踏み切らせることができる。」41P
「労働者がいまも期待しうるのは、じぶんじしんだけである。労働者じしんの大衆行動、抗議運動の高まり、大衆ストライキの波状攻撃――これらの行動によって、労働者じしんの実力をのばしてゆくよりほかない。リープクネヒトにたいする恥しらずな判決が、人民殺戮は反抗するドイツ労働者階級の脇腹に突きつけられたドスであるならば、この判決にたいする抗議、リープクネヒトの釈放を要求する運動は、とりもなおさず、労働者階級じしんの名誉をまもる闘いである。/リープクネヒトの処罰に反対する抗議運動は、とりもなおさず、戦争、戒厳令、大衆的飢餓にたいする反抗である。リープクネヒトをまもる闘いは、平和、人民のインターナショナルな連帯、社会主義による解放、のための闘いである。」42P
「いっぽう、数百万にのぼる生命が、塹壕のなかで日夜葬り去られてゆく事実をどう見るのか? しかもそれは、労働者階級の奴隷化と、他人の儲けのためなのである。ドイツのプロレタリアは、資本の命令で命をすてることはできても、自分の名誉のためには、いかなる犠牲も払いたくないというのか?」43P
ロードス島 ○
「するどい風が国じゅうを吹きまくっている。軍部独裁は、まるで舞踏蜘蛛に刺されでもしたように、じたばたするばかりである。家宅捜査、逮捕、政治裁判が、ベルリン、シュトゥットガルト、ライプツィヒ、ハンブルグ、ブレーメン等においては、日常茶飯事のこととなった。反対派のすべてのリーダー、すなわち、インターナショナル社会主義の原則をまもって、犯罪的な人民殺戮をやめさせるために力のかぎりはたらいてきた人びとは、鉄格子の奥か、それとも、光栄ある「祖国防衛」軍のなかに、ほうりこまれた。・・・・・・「国内平和」は、ついに、社会民主党指導部が軍部独裁と腕をくんで、大衆とたたかうために、あからさまな十字軍を結成する、という新たな汚辱のなかに終わろうとしている。大衆が自分たちの利害や課題をふかく考え、飢餓や大量殺戮や、鉄輪のように首をしめつける戒厳状態にたいして、公然と反抗しはじめたからだ。」45P
「そして、党の「垣の外」の事情は、そのまま「垣の内」にもあてはまる。党組織は完全に解体しはじめたのだ。・・・・・・シャイデマン・エーベルト一派の負託を受けたグローガーやトゥーロウの策動や、「匿名のマキビラ」に対抗しようとするあのいわゆる「党執行部」のビラは、かれら「堅忍持久派」の計画がなにをめざしているかを、きわめて明瞭に示している。かれらは、転向者特有の自暴自棄的な勇気にかられて、栄誉ある過去につながるすべての橋を焼きはらってしまったのだ。かれらは、すすんで、帝国主義政府の支柱としての決議をおこなった。すなわち、八月四日の路線を社会民主党の永続的な政策として、ドイツの労働者階級を社会主義インターナショナルから切りはなし、ドイツのブルジョアジーの車輛に結びつけるか、それとも――党の組織を徹底的に破壊しつくすか、ふたつにひとつだというのである。そして、この計画は、ためらうことなく、ねばりづよく、系統的に、実行に移されている。」46P
「かれらは、ドイツ最大の地区において、数万をかぞえる党員大衆全体に対抗して、このみせかけの組織を足かがりに、この数万のプロレタリアの現実の財産――すなわち地区の金庫全体を、手中に握ることに成功したのである。」46-7P
「ドイツ社会民主党のばあいは、ちょんぎられたしっぽのほうがもとになって、からだ全体が「補充」されるのである。」47P
「シャイデマンやエーベルト一およびその一味は、かれらのポストと権力を維持するために、かれらのポストから生じるあらゆる権力手段を徹底的に利用し、党がもしこれに反抗するようなことがあれば、そのときには、党を陰謀や密告や分裂や陽動作戦などのアナーキーのうちに破滅させてしまおう、と決めたのである。」47-8P
 日和見主義者の欺瞞48P
「今日においては、大衆にたいして、もはや国会からなにひとつ期待できないということ、すべては大衆自身によってしか期待できないということを、はっきり示す以外に、意味も目的ももちえないのだ。ことばと実例によって、大衆をこうした自主的な行動へ煽り立て、かりたててゆく以外に、意味も目的もないのだ。」50P
「ほんとうの反対派を決定する第一のことばは、むしろつぎの認識と信念でなければならない。すなわち、戦争と平和とか、インターナショナルの問題とか、大衆飢餓などについて、最後の骰子を振る場所は、国会のなかではなく、工場のなかであり、作業場のなかであり、街頭においてである、という認識と信念なのである。」51P
「自分たち自身以外のところから救いを求めてはならぬ。これは、同志たちに向かって、いくどくりかえして言ってもいいことばである。同志諸君が、盛りあがる大胆な大衆行動の力を信じ、危険をおそれず、犠牲をものともせず、全面的に実力行使にふみきったときにのみ、そのときにのみ、党をエーベルトとシャイデマン一味の手から救いだし、平和と自由を、残忍な帝国主義の混沌(「カオス」のルビ)のなかから創りあげることもできるのだ。ここは、ロードスの島、もはや跳ぶほかない。」52P
二つの復活祭教書
「ネヴァ河のほとりでの雄大な世界史劇のおそなえものとしては、あまりにもグロテスクな茶番劇が――シュプレー河畔でくりひろげられている。ロシア革命の影響をうけて、プロイセン・ドイツも、いよいよ「近代化」にとりかかろうというのである。」53P
「これが、自分たち自身の問題、すなわち、ひとつであって分けることのできないインターナショナルなプロレタリアート全体の問題であり、このプロレタリアートが、ロシアにおいて、いよいよ、資本による階級支配との世界史的な全面対決へのスタートを切ったのだ、ということを理解していない。」54P
「つまり、ロシアでは革命をやっているが、ドイツでは、これにたいして、議会のなかで「たたかう」のだ、いう叡知が、まぎれもなく、かれらの奉ずる信条なのである。」56P
「ドイツでは、社会民主主義研究会(社会民主党反対派)がプロレタリア大衆に別の役割を押しつけている。・・・・・・議員団は、つねに大衆との「緊密な接触」を保ち、国会におる選良の議会主義的行動にさいして、大衆の「協力」を得るように努めなければならない。・・・・・・ロシアでの経験からふかい教訓を汲みとったつもりなのだ。」56-7P
「まったく実直な自由思想の精神から、「社会民主主義研究会」の指導者たちは、ロシア革命を、たんに老朽化したツァーリズムにたいするブルジョア・リベラリズムの修正であると見ている。これが同時に、世界史的な影響力をもった最初の過渡的プロレタリア革命であることなどは、ゆめにも知らないのである。」57P・・・ローザの卓見
「平和問題にしろ、インターナショナルな社会主義の未来にせよ、すべては、ドイツの労働者階級が、いまこそ、過去数十年にわたる公認ドイツ社会民主主義の目かくしをはずすかどうかにかかっている。」58P
革命のはじまり ◎
「革命がはじまった。これまでの成果に歓声をあげたり、敵の屈服に凱歌をあげたりするときではない。はじまったばかりの仕事をつづけてゆくために、きびしい自己批判と緊密なエネルギーの結集が必要なのだ。じっさい、これまでの成果はわずかであり、敵はまだ完全に屈服してはいない。/これまでに、なにがなしとげられたであろうか? 専制君主制は一掃された。政治の最高権力は、労働者・兵士代表の手にうつった。しかし、この専制君主制は、結局本来の敵ではなかったのである。それは、たんに帝国主義の表玄関であり、吊看板であるにすぎなかった。ホーエンツォレルン一家だけが世界戦争を煽りたて、世界のすみずみに放火し、ドイツを破滅の渕に追いこんだわけではない。専制君主制も、すべてのブルジョア政体と同様、支配階級の代理人であったにすぎない。人民殺戮の責任を問われるべき真の犯罪者は、帝国主義ブルジョアジーであり、資本主義的階級支配である。/現代における革命の歴史的テーマは、資本の支配を廃絶することであり、社会主義の社会秩序を実現することであ、それ以下のものでは、だんじてありえない。」59P
「革命の道は、革命の目標から、自然にくっきりと浮かびあがってくる。方法は、課題のなかから、おのずから生まれる。権力のすべてを、はたらく人民大衆の手に、労働者・兵士評議会の手に! たえずすきをうかがっている敵にたいして、革命の成果をまもれ! 革命政府がとらねばならぬすべての施策の基本線は、このふたつである。/革命政府がふみだす一歩一歩、革命政府の行動のひとつひとつは、磁針のように、はっきりとこの方向を指し示していなければならない。」60P
 目標・課題・方法について具体的提起60-61P
「最初の一歩はふみだされた。今後のことは、もはや、革命の進行をとどめ、世界史の車輪をおしもどそうとする小人(ママ)たちの手にはない。今日の世界史の日程にのぼっているのは、社会主義の究極目標の実現ということなのだ。ドイツ革命は、すでに、このかがやかしい星辰の軌道にはいりこんでいるのである。革命は一歩一歩、疾風怒濤をついて、闘争と苦悩と窮迫と勝利のなかを、目的に向かって進んでゆくであろう。/これは動かしがたい必然である!」63P
陳腐な手
内容的にはデマの流布ということ
「こうしたガヤガヤうるさい噂とか、こっけいな空想やばかばかしい創りばなし、あるいは恥しらずなデマの背後には、しかし、いいかげんに捨てておけない重要なプロセスがかくされている。系統的なものがひそんでいる。煽動が計画的におこなわれているのだ。ちゃんとした目的にそって噂がつくりだされ、公衆のなかにばらまかれる。でたらめなつくりばなしによって俗物たちの気分を恐慌におとしいれ、世論を混乱させ、労働者や兵隊をおびえさせ、まどわせて、大虐殺でもおこりそうな雰囲気をかもしだし、広汎な大衆がスパルタクス路線の政策と目的を理解することができないうちに、スパルタクスを政治的に圧殺してしまうことが、そのねらいである。/これはふるくからある陳腐な手だ。」65-6P
「かれらは革命がこれ以上進展することをはばもうとし、ブルジョアの財産、資本主義的搾取制度を救おうとしているのである!」66-7P
国民議会
「・・・・・・(スパルタクス以外のひとたちは)異口同音に、国民議会をひらけ、と叫びたて、その反面、これまで全員一致して、権力を労働者階級の手に! というイデーには、恐怖の叫びをあげている。」69P
「これらの深遠なマルクス主義者たちは、しかし、社会主義のABCを忘れている。/かれらは、ブルジョアジーが、たんなるひとつの議会政党ではなく、すべての経済的、社会的権力手段をにぎった支配階級である、ということを忘れている。」70P
「階級闘争ぬきで、議会主義的多数決によって、社会主義を導入することができる、というような考えは、こっけいな小市民的イリュージョンである。」71P
「国民議会は、これまでのブルジョア革命からうけついだ時代おくれの遺産であり、中味のない容器にすぎない。「国民の統一」とか、ブルジョア国家の「自由、平等、博愛」といった、小市民的イリュージョンの時代に由来する小道具であるにすぎない。/今日、国民議会に頼ろうとするものは、革命を、意識的、無意識的に、ブルジョア革命の歴史的段階にまで、ねじもどそうとするものである。それは、偽装したブルジョアジーの手先であるか、小市民階級の無意識的イデオローグである。」72P
「今日、問題となるのは、デモクラシーか独裁か、ということではない。歴史の日程にのぼっている問題は、ブルジョア・デモクラシーか社会主義デモクラシーか、という問題である。つまり、プロレタリアートの独裁、それは社会主義の意味でのデモクラシーにほかならないのだ。プロレタリアートの独裁は、けっして、資本家の利潤の番人たちが明確な意図をもってねじまげていうような、砲撃や暴動や騒乱や「アナーキー」のたぐいではない。それはあらゆる政治権力を――プロレタリアートの革命的多数決という意味で、またその意志により、したがって社会主義デモクラシーの精神において――社会主義の実現のために、資本家階級の財産没収のために行使することなのだ。」72-3P
無謀なくわだて
「有産階級は、千年の歴史のなかで、かれらの奴隷たちが暴動をおこしたばあい、それがどんなに小さな暴動のばあいであっても、私有財産と階級支配という「秩序」の守護神をまもるためには、いかなる暴力行使をも、またいかなる卑劣な行為も辞さなかった。そのかれらも、しかし、むかしから、奴隷たちの暴力やテロルとなると、大声でわめきたてるのである。」74P
「テロルと恐怖政治は、ほかならぬブルジョア革命のなかで、特定の大きな役割を演じた。」75P
「大革命を、自由、平等、博愛、というスローガンの形式的、観念的側面にのみ釘づけにし、産業と金融資本による支配という、そのリアルな内容にはあくまで反対しようとしたこころみであった。ブルジョア革命の最小限必要な成果を確保するための突撃隊としての役割はとっくに終わっているのに、小市民大衆は、まだ権力の座にしがみつき、革命の過渡期を究極目標と考え、スローガンを内容とし、手段を目的にしていたのである。」75P
「ひとことでいえば、テロルと恐怖政治は、ブルジョア革命において、歴史的イリュージョンをうちやぶる手段であるか、あるいは、歴史のながれにさからって、まったく望みのないことをまもろうとする手段であった。」76P
「社会主義プロレタリアートは、しかし、科学的社会主義の理論のおかげで、なんらのイリュージョンもなく革命にはいって行く。自分自身の歴史的使命の最終的な帰結と、ブルジョア社会全体にたいする宥和しがたい対立、敵対関係をしっかり見抜いているのである。プロレタリアートが革命のなかにつきすすんで行くのは、歴史のあゆみにさからって、あたまのなかにえがいたユートピアの幻影を追いまわすためではない。社会の発展を規定する鋼鉄のような動力装置をふまえて、歴史の時間が告げる至上命令をはたし、社会主義を実現するためである。社会主義プロレタリアートは、大衆として、圧倒的多数を擁するはたらく人間の集団として、自己の歴史的使命を遂行するのである。」76P
「しかし、今日、テロルや恐怖政治をなによりも必要とする連中がいる。それは、ブルジョア諸氏であり、資本主義経済の寄生虫たちである。かれらは、自分たちの財産が、特権が、利潤が、支配権が、奪われはしまいかと、たえずびくびくしているのだ。アナーキーな暴動がおこるぞ、とでたらめなでっちあげをばらまいて、社会主義的プロレタリアートにたいする根も葉もない恐怖をあおりたてているのは、この連中だ。」76P
万国のプロレタリアに ○
 ドイツでは、いよいよ革命が到来した。四年間、資本家の利益のために、屠殺台に送られていた兵士たち、四年間、搾取され、おしつぶされ、飢餓にくるしめられてきた労働者たち、かれら大衆が起ちあがったのだ。おそろしい抑圧の道具であったプロイセン軍国主義、この人類にたいする非道の笞は、へし折られ、地にたたきつけられた・プロイセン・ミリタリズムのもっとも顕著な代表者たち、こんどの戦争に責任のある犯罪者たちのなかでいちばん眼につく皇帝と皇太子は、国外に逃亡した。いたるところに、労働者・兵士評議会がつくられた。」79P
「この大事業は、しかし、ドイツのプロレタリアートだけでは、けっして達成することはできない。全世界のプロレタリアの連帯を呼びおこして、はじめてたたかいに勝利をおさめることができるのだ。」80P
「プロレタリアは、戦争が、やがてきみたちの国のばあいも、政府によって巨万の富をもった金持のためにおこなわれたものであることを、はっきり認識したし、この認識を今後ますます深めてゆくだろう。」80P
「すべての国々の帝国主義には、「諒解」などということばはない。帝国主義が知っているただひとつの正義は、資本の利潤であり、ただひとつの言語は、剣であり、ただひとつの手段は暴力である。」81P
「万国のプロレタリアよ! 今度の戦争で、戦争は、どうしても最後にしなければならない。これは、一二〇〇万の殺された犠牲者にたいし、われわれの子どもにたいし、人類にたいして、われわれが負わねばならぬ義務である。」81P
「永続する平和の偉大な砦を礎き、人類がうけた無数の傷をいやし、戦争という黙示録の騎士の更新によってふみにじられたヨーロッパの沃野を花咲く園に変え、破壊された生産力のかわりにいままでの十倍の新しい生産力を生みだし、人類のすべての肉体的、精神的エネルギーをよびさまし、憎悪と不和のかわりに兄弟のような連帯をよみがえらせ、人間の相貌を帯びたすべてのものにたいする協和と尊敬をつくりだすことができるのは、社会主義以外にはない。」82P
「万国のプロレタリアの代表が社会主義の旗のもとに、平和をつくりだすために、手をさしのべあうときには、平和はただちに結ばれるだろう。・・・・・・そのときには、ひとつの正義しかない。あらゆる人間の平等という正義である。そのときには、ひとつの目的しかない。万人のための福祉と進歩という目的である。」82P
「ドイツは、社会革命を胎内にはらんでいる。しかし、社会主義を実現しうるのは、世界プロレタリアート意外にはない。」83P
「空疎な宣言やプラトニックな決議やかおりたかいことばの時代は、終わった。行動の時をつげる金がインターナショナルのために鳴りわたっている。われわれは、きみたちに要請する。あらゆる場所で、政治権力をつかみ、われわれとともに平和をつくりだす労働者・兵士評議会を選出せよ、と。」83P
動き出したアケロン
「アケロンの河が動きだしたのだ!」「ストライキがはじまったのだ!」86P・・・「アケロンの河」とは日本で言う三途の川
「大衆は、政府のおめでたい布告やありがたい国民議会の決議を待ったりしてはいない。すなわち、資本にたいする闘争! これ以外にはない。政府は、いままでのところ、全力をふりしぼって、革命を、いわば去勢し、「安寧秩序」をまもれ、とわめきながら、諸階級の調和をはかろうと努めてきた。/プロレタリア大衆は、しかし、この革命的階級調和などという積木でつくった夢の城を平気でひっくりかえし、おそろしい階級闘争の旗をひるがえすのである。/いまはじまったストライキ運動は、政治革命が社会の基盤をゆさぶりはじめた証拠である。」87P
破滅への道
「われわれは、もちろん、これまでハーゼやデイットマンやカウツキー諸氏を別に重視してきたわけではない。それどころか、戦争中、かれらがいつも口をもぐもぐ動かせていただけでなく、ときには、それもいざというときには、きまって脚までぶるぶるふるわせているのを、見てきたのだ。ところで、いっぴきの兎が一夜にしてライオンになるわけがない。帝国主義のガタピシ車が、革命の狼わなに向かってごろごろころげて行ったときに、政治的にブレーキの役目をするにいたったカウツキーやシュトレーベルのグループが、タービンとなり、前進力となるわけがない。」91P
「制憲議会か、労働者・兵士代表中央評議会か、歴史は、このふたつのことなった階級組織の基本形態を、きわめて適切に、まぎらわしいところのない明瞭さで、はっきり対立させた。このふたつのうちのどちらか一方がただしいのだ。それを決定しなければならない。そして、その決定のためには、一切を賭けなければならない。ところが独立派には、その勇気がない。」92P
「「労兵評議会の組織は拡大され強化される」と述べられている。ところが、そこから、現在考えられるただひとつの、権力のすべてを労働者・兵士評議会に! という結論は、ひきだされない。逆に、そこから、ブルジョアジーの領域である制憲議会のほうに、大胆にひょいととびこんでしまうのだ。」93P
「このところ、独立派がおこなってきたこと、そしてまたこの呼びかけでしていることは、およそ政治といえるしろものではない。それは、方向感覚を失って、ぐるぐるおなじところをまわりながら、子どものころのお祈りをたいくつな一本調子でつぶやいている老人の身ぶりである。」93P
「未熟な」大衆
「「フォアヴェルツ」は、しかし、大衆をもういちど「憲法制定国民議会」という手段によって教育しなおそうとしているのだ。」97P
「その看板のうえには、もちろん「諸君は成熟していない。諸君が成熟することは、まず、ありえまい。『根本的欠陥』があるのだ。諸君には指導者が要る。その指導者は、われわれだ」と書かれている。」98P
「世界のいかなるプロレタリアートも――ドイツのプロレタリアートもおなじである――数千年つづいた隷属の傷あとを、シャイデマンその他の一味がかれらにかぶせた鎖のあとを、きょうからあすのうちに、するりと拭い去れるものではない。プロレタリアートの政治的状態も、精神的状態も、革命の第一日目に最高のものとなるわけはないのだ。革命のなかでのかずかずの闘争があってはじめて、プロレタリアートは、あらゆる意味で、真の成熟にまでたかめられてゆくのである。」98P
執行評議会をめぐって
「反革命の陰謀や挑発や裏切りでごったがえしているこの混乱のただなかで、革命の今後の運命にとってきわめて重要な意味をもつひとつの事実がつくられてきている。労兵評議会執行評議会が政治の場から締めだされ、もはや権力もなく、なんらの重要性をもたなくなった、という事実である。/革命がはじまったころの事態が、どのようなものであったか、思い出してみよう。一一月九日の革命をおこなったのは、労働者と兵士だった。労働者評議会の結成は、革命の第一歩であり、最初の永続的成果であり、眼にみえる最初の勝利のしるしだった。労兵評議会は、どこにおいても、帝国主義ブルジョアジーの支配が廃止され、労働者と兵士からなりたっている広汎な人民大衆の、あたらしい政治的社会的秩序がはじまる、という事実の具体化であった。」100P
「革命のはじめから、執行評議会と併行し、人民委員評議会、すなわちエーベルト・ハーゼ「政権」ができあがっていた。」103P
「もちろん、「人民委員評議会」すなわち、エーベルト・ハーゼもまた、他のすべての国家機関とおなじく、執行評議会に従属しなければならない、ということであった。エーベルト・ハーゼ内閣は、執行評議会とその意志の遂行機関であるほかなかったはずである。/じじつ、これが、ふたつの組織が生まれた最初の瞬間にすべての人びとが抱いていた意見だった。/しかし、この状態はながくつづかなかった。はやくも翌日には、エーベルト内閣を独立の機関として、まずはじめは執行評議会と対等にならべ、それから一歩一歩、執行評議会のうえにおこうとする、シャイデマン一派のあからさまな策動がはじまった。」102P
「かれらの熱心な策動の頂点ともいうべき、最終的な行動は、エーベルト独裁を宣言し、執行評議会を排除しようとした一二月六日の暴動であった。そして、防衛隊のベルリン入城が、この行動を完成させた。」103P
「そうだ。こうした行動、こうした誓約は、そこから執行評議会が完全に締めだされている以上、あきらかに、執行評議会を敵視しているものと思われる。防衛隊の入城、その武装、その誓約、すべては、まずなによりも労兵評議会に対抗するためのエーベルト内閣のデモストレーションであり、実力の誇示であり、威嚇であった。」104P
「しかし、そのために苦労しなければならないのは、労働者大衆のほうである。ちかくひらかれる労兵評議会の全国会議において、あたらしい執行評議会をつくり、その執行評議会が、もはや影のような存在であることをやめて、エーベルト商会の反革命的策動によってぬすみとられた権力を自分たちのたくましい拳でうばいかえすことができるかどうか、すべて労働者大衆の問題なのだ。もしも、全ドイツの労兵評議会がシャイデマンやエーベルトの巣窟を根こそぎにしてしまうのを、いささかでもためらうならば、すぐにまた、現在の執行評議会と同様に、政治の場から締めだされてしまい、最後には、勝ちほこる反革命によって息の根をとめられてしまうことになるだろう。」104-5P
堡塁のうえへ
「あす、ベルリンにおいて、全ドイツの労働者・兵士評議会の中央評議会が結集されることになった。ともかく、組織的に見て、労働者であれ、兵隊であれ、全ドイツの革命的プロレタリアートにとって、すくすくと生長してゆく革命の若木に咲いたもっともうつくしい花というべき、ひとつの組織が、結成されるのである。」106P
「反革命のたくらみも、露骨になってきている。かれらは、エーベルト・シャイデマン一派をかれらの手先として政府のなかに送りこみ、その革命的エネルギーを麻痺させて、その政治的エルルギーをうまく反革命の軌道にのせることに成功したときから、はやくも活動しはじめていたのだ。」107P
「しかし、評議会が弱いということは、革命が弱いということにはけっしてならない。革命は、政府がどんな小細工をつかおうと、おさえつけられたり、つぶされたりするものではない。革命は、生長している。いまようやく、その本来のすがた、すなわちプロレタリア革命に移行しようとしているのだ。ストライキは燃えひろがっている。」109-10P
「革命は、評議会がなくても、生きつづけるだろう。しかし、評議会は、革命がなければ死んでしまう。」110P
「中央評議会がこれまでのおくれをとりかえし、中央評議会の名にふさわしい地位を確保するために、緊急にはたさなければならない仕事が四つある。」110P 四つの具体的内容110-1P@「エーベルト・ハーゼ内閣を倒さなければならいない。」A「エーベルト・ハーゼ内閣の私兵と化した、すべての前線部隊の武装解除をしなければならない。」B「エーベルト・ハーゼ内閣によってつくられた白衛軍の武装解除を要求し、赤衛軍を創設しなければならない。」C「国民議会を、革命と労兵評議会にたいする陰謀であるとして、あくまで拒否しなければならない。
国民議会か評議会政府か ○
「これが、労兵評議会全国集会の議事は日程の第二点であり、これが、じっさい、いまの瞬間における革命の中心問題である。国民議会か、労兵評議会の全権把握か、すなわち、社会主義をあきらめるか、ブルジョアジーにたいしてプロレタリアートの完全武装による最大級の階級闘争をはじめるか。これは、ディレンマである。/議会主義的な方法で、単純多数決によって社会主義を実現しようなどというプランは、夢ものがたりにすぎない。空の高みのユートピアならともかく、この世のものならぬこうしたファンタジーが、プロレタリア革命の特殊性はおろか、ブルジョア革命の歴史の経験さえ、なにひとつ考慮に入れていないのは、まことに残念だ。」112P ブルジョア革命の経験――イギリス一六四九年とフランス一七八九年112-3P
「現在の闘争は、したがって、搾取制度が存続するか、消滅するか、人類の歴史の転換がなされるかどうか、という最後的な大闘争なのだ。この闘争には、逃げ口もなければ、妥協もない。しかなる容赦もありえない。/過去にその例をみないほど重大な課題を負ったこの最後的な闘争は、これまで、いかなる階級闘争も、いかなる革命もなしとげえなかったことを、なしとげようとしているのである。二つの世界のこの死闘を、議会内での論戦や多数決などというのどかなざわめきのうちに雲散霧消させてしまうことなど、できることだろうか?」114P
「革命的な行為とは、つねに、ありのままを語りつくすことである。このラサールのことばが、いまほどあてはまるときはない。現在、ありのままのこととは、労働と資本の全面的対峙関係、それだけである。生きるか死ぬかの場所で、善意の話しあいなどというおためごかしは成りたたない。こちら側か、向こう側か、ただそれだけしかない場所に、共通の問題の勝利などありえない。明確に、公然かつ率直に、そしてこの明確さと率直さに自信をもって、プロレタリアートは、いまこそ、階級としてみずからを構築し、全政治権力を手中に集めねばならない。」115P
「たしかに、いまこそ、このことば(「政治的権利の平等、デモクラシー!」)は、現実のものとなるだろう。なぜなら、「政治的権利の平等」ということばが血肉をそなえるのは、経済上の搾取が根こそぎ完全に廃絶された瞬間からであるはずだし、「デモクラシー」すなわち人民の支配がはじまるのは、はたらく人民が政治的権力をにぎったときからであるはずだ。」115P
「これまで、権利の平等とかデモクラシーとみなされていたもの、議会、国民議会、平等選挙用紙など、すべては、まったくの欺瞞であり、でたらめであったと。資本主義を粉砕する革命の武器として、すべての権力をはたらく人民大衆の手に――これのみが、ほんとうの意味での権利の平等であり、これのみが、真のデモクラシーなのである!」116P
エーベルトの私兵
「労兵評議会の全国大会の最後の仕上げは、まったくこの集まりにふさわしいものであった。この集会は、エーベルトの反革命参謀本部にきわめて強力な支持を与え、街頭にあふれる革命的プロレタリア大衆にたいし、みずからをとざしたのち、労兵評議会にとどめをさして、自殺をとげてしまったのである。/エーベルト一派は、労働者・兵士代議員が議場のかけひきに不慣れで未熟なところをたくみに利用して、この会議を、まるで人形でもあやつるように自在に動かしたが、・・・・・・」117P
「労兵評議会そのものは、政治的権力として、けっして解体させられていないし、また解体させられる性質のものでもない。各地の労兵評議会が存在しているのは、けっしてなんらかの大会のおかげではない。労兵評議会は、一一月九日の革命のなかから直接うまれてきたのだ。革命的人民大衆は、いくら自殺をしろとすすめられても、自殺をしたりしない。」120P
「執行評議会が立法権に関与する一切の可能性を奪われ、権力も勢力もない、たんなる「監査機関」としての存在に変えられてしまったという事態に直面して、独立社会民主党のフラクションは、今後、執行評議会に参加することはできない、と声明した。したがって、執行評議会は、今後、エーベルト一派のものだけで占められることになる。エーベルト政府にたいするエーベルトの監査! 悪魔が悪魔のしゅうとめ(ママ)に監査される、というわけか。政治の全権とその一切の機関は、シャイデマン一派の手中におさまったのである……」120-1P
国民議会のための選挙
「評議会の全国大会でのかがやかしい「勝利」のあとで、エーベルト一派は、労兵評議会の権力とプロレタリア革命および社会主義にたいする、かれらの陰謀の成功を信じた。/だが、それは、かれらの見込みちがいになるだろう。現在、この反革命の計画を粉砕し、資本主義防衛軍の行動を大衆の革命的行動によって寸断することが必要である。」123P
「国民議会への参加といっても、今日では、革命や社会主義の真の闘士にとって、いわゆる「プラスの成果」をかちとるために「議会を利用しつくす」などというむかしながらの伝統的な図式とは、なんのかかわりもあるはずがない。旧態依然たる議会主義ではどうにもならない。いくつかの法律案によって、わずかばかりのつぎや膏薬をはりつけようとしてもだめだ。」123P
「現在、われわれは、革命のただなかに立っているのだ。そして、国民議会は、革命的プロレタリアートをたおすために築かれる反革命の砦である。したがってわれわれとしては、この砦を炎上させ、粉砕しなければならないのだ。大衆をこの国民議会に反対するために動員し、もっとも尖鋭な闘争を呼びかける、ただそのためにのみ、この選挙を利用しなければならない。ただそのためにのみ、国民議会の舞台を利用しつくさねばならない。」124P
「重点は、ただ議会外での行動にひそんでいる。それのみが、反革命の門をはげしくゆさぶることができるのだ。しかし、すでに選挙そのものも革命に役立たせねばならない。そして議会内部の大衆の真の革命的代表者の行動も、革命の事業に役立つようにしなければならない。いわゆる神聖なる議会のありとあらゆる権謀術数を容赦なく大声で弾劾し、議会内の反革命的行動ひとつひとつ、大衆の面前であばき出し、大衆自身が決定をくだし、大衆自身が直接介入するように呼びかけること、これが国民議会への参加にさいしてのわれわれの課題である。」125P
「国民議会の正面玄関に殺到する大衆、議会のなかでは、革命的プロレタリアートのかたい拳が突きだされ、旗をふる。その旗には、すべての権力を労兵評議会へ! という炎の文字がかがやいている。これが、国民議会へのわれわれの参加のすがたなのだ。」126P
綱領について ○
KPD(スパルタクス・ブント)創立党大会での演説 一九一八年一二月三〇日
 これは単に綱領問題だけでなく、その中味として、まず、マルクス――エンゲルスが「共産党宣言」で社会主義革命を訴えたことを、後に状況を読み違えていたとして、撤回していたことを押さえています。それは、エンゲルスの『フランスにおける階級闘争』の序文の問題として現れています。ドイツの議会主義者たちが、当時のアナーキーな運動への批判としてエンゲルスに頼み込んで書いてもらったという背景があり、そこで出てきた文ということがあるにせよ、とにかく、今は、ロシア革命も起こり社会主義革命の可能性が出て来ている、そのようなこととして、社会主義革命を謳う綱領を出す必要があるという論旨です。しかも、ローザも知らなかったこととして、編集過程で、エンゲルスの意向をねじ曲げて、議会主義的なところに収束する文にしたという話です。要するに、「共産主義宣言」に回帰して、活かせるという時代になっている、そのなかでの綱領提起です。
 少し引用しておきます。
「かれら(ドイツの議会主義的な指導者たち)は、そのころ国外に生活していて情報をかれらの断言に頼らざるをえなかったエンゲルスにむかい、現在のもっとも緊急の必要時はドイツ労働運動をアナキスティックな逸脱から救いだすことだと説きつけ、強引にあのような序文を書かせてしまった。・・・・・・序文は議会主義プラスゼロの宣言となったのだ。」134P
「ところで同志たち、われわれはこんにち、われわれはふたたびマルクスとともにマルクスの旗のもとにいる、ということができる時点に際会している。・・・・・・社会主義を心理とし行動として、資本主義を根絶することである、と言明するとすれば、とりもなおさずわれわれは、マルクスとエンゲルスが一八四八年に立っていた地盤の、そして二人がその後も原則的にはけっして離れることのなかった地盤の上に、立つことになるのだ。」136P
「大資本の発達したこの七〇年の期間だけですでにわれわれは、資本主義を世界から放逐することに本気でとりくめるところにまで、到達したのだ。いや、われわれはこんにち、資本主義追放の課題に本気でとりくみ、これを解決しうる状況にあるばかりではない。われわれがこの課題を解くことは、むろんプロレタリアートにたいするわれわれの義務をはたすことであるが、ただそれだけでなく、こんにちではこの解決だけが、人間社会の存立を救う唯一の方法ともなっている。」137P
「われわれは、最近七〇年間の発展の総決算をつけ、そこに世界大戦の直接の結果を精算することによって、エアフルト綱領の立場に意識的に対立する。われわれにとっては、いまや最小限綱領も最大限綱領もない、ただひとつ社会主義があるのであって、社会主義こそわれわれがこんにち貫徹せねばならないものの最小限をなしているのだ。」138P
「われわれが一一月九日に経験したものは、新しい原理の勝利というよりは、むしろ四分の三まで、原稿の帝国主義の崩壊である。(賛同の声)なんてことはない、粘土の足の巨人にすぎぬ帝国主義が、内側から腐って崩れざるをえなくなっただけのことだ。」140P
「世界革命の最初ののろしをあげたのがロシア革命であることを、否むわけにはいかないのだ。われわれは確信をもって言い切ることができる、ドイツについでいかなる国にプロレタリア革命が突発しようとも、革命の最初の動き、労働者・兵士評議会の形成だろう、と。これは全局を睨めばおのずからあきらかである。(「そのとおり!」)/まさにこの事実のなかに、われわれの行動をインターナショナルに結ぶきずながある。労働者・兵士評議会の形成こそ、われわれの革命を過去のあらゆるブルジョア革命から完全に区別する指標なのだ。」140-1P
「以上の事実に照らしてあきらかなことは、第一に、こんにちの革命が抗らいがたい歴史的必然の法則のもとにあること、したがってわれわれのありとあらゆる困難や錯綜や内部的欠陥を持つにもかかわらず、一歩一歩われわれの目標に到達してゆくのは歴史的必然によって保証されていることであり、しかし第二に――評議会をという明確なスローガンと、それに続いた不十分な実践と対比してみれば、われわれはこう言わざるをえない――革命がやっと立って歩きはじめた幼児の段階にあったこと、そして最初にかかげたスローガンを完全に実現しうるまでに生長するには、まだなすべき莫大な仕事があり、行くべき長途の行程があったことである。」141P
「一一月九日の革命の内部的な弱さをもっともよく示すものは、革命が爆発する二時間まえまで革命の悪口雑言を並べて革命を不発にすることをおのれの職務とこころえていた連中を、つまりエーベルト=シャイデマンやハイゼを運動の頂点に浮かびださせることが、革命の最初の結果だった、という事実である。」142P
「このように各所に、各種の幻想があった。そしてこれらの幻想が、最近のいろいろの出来ごとをも生んだのである。いまや、幻想はことこどく無に帰した。「社会主義」を看板としたハーゼとエーベルト=シャイデマンとの連合が現実には、まったく反革命的な政策を蔽いかくすための、いちじくの葉でしかなかったことは、もはや明瞭だ。われわれはすでに主観的幻想から覚めたあらゆる革命において人民が目覚めてきたように。革命は、一定の方式をもって人民を幻想から目覚めさせる。残念ながらこの目覚めは、人民の流血であがなわれるのだ。過去のどの革命でもそうだったし、こんどもそうだった。」142P・・・自分たちの流血に至った甘さ
「同志たち、ハーゼやディットマンのような連中は、さまざまな化粧や扮装をさせた革命を、社会主義という名の商品を、人のところに連れてゆくことを考えていた。連中はあきらかに、反革命のとりもち屋だったのだ。いまではわれわれは、かれらごのみの、どっちつかずの曖昧さとは手を切った。れいの商品はエーベルト=シャイデマンという野蛮でお粗末なかっこうで、ドイツの人民大衆の眼のまえにさらされている。こんにちでは、どんなに眼がきかない(ママ)者でも、およそ見まちがえるということはありえない。れいの商品は、どこをどう見ても反革命なのだ。」145P
「こうなった以上は、このさきエーベルト=シャイデマンに、どんな道がありえよう? かれらは、社会主義的政策と称するコメディーを、あわてふためいて舞台からおろしてしまうだろう。かれらが新しく発表したプログラムを読んでみれば、かれらが第二段階へ――むきだしの反革命の段階へ、というよりむしろ、過去の、革命以前の諸関係の復活へ――まっしぐらに駈けこんでゆくことは明瞭だ。」146P
「ずっと尖鋭な対決がおこなわれる理由は、たんに、わたしが数えあげたいくさかの政治的モメントから必然に、革命と反革命のあいだに、幻想を持たぬ真正面からの闘争が展開される、ということだけではない。理由はほかにもある。なぜなら新しい火が、新しい焔が底のほうからしだいに燃えさかってきているからだ。それは経済闘争の火である。」147P
「ストライキはますます大きく生長して、しだいに革命の中心となり、革命の重点とならねばならない。(「そのとおり!)そのことは、まさにこの革命の本質にかなうのだ。革命はそれによって経済革命となり、それによって社会主義革命となる。社会主義実現のための闘争は、大衆によって、直接に資本主義とまっこうから向かいあって、たたかいぬかれるほかはない。」147-8P
「社会主義は法令によって作られるものではない。もっとずっと立派な社会主義政権ができても、法令で社会主義は作れない。社会主義は大衆の手で、ひとりひとりのプロレタリアの手で、作りだされねばならぬ。資本の鉄鎖は、人がそれに繋がれている場所で、破壊されなくてはならない。別のしかたで社会主義は作れないのだ。」148P
「では、社会主義のための闘争の外的な形態は、どうか? それがストライキであり、だからこそわれわれはいま、革命の第二期に、経済的な位相が発展の全景に出てきたのを見ているわけだ。・・・・・・われわれスパルタクス・ブント、ドイツ共産党だけが、ドイツの全政党のうちでただひとつ、ストライキをもってたたかう労働者の側に立っている。」148P
「われわれは、資本主義政権を打倒してそれを別のもので置きかえれば社会主義革命は片づく、といった幻想を、つまり第一段階の幻想・一一月九日の幻想を、いまさらくりかえして育ててなどはいられない。プロレタリア革命を勝利にみちびこうとするかぎり、われわれは逆に底辺から始めねばならぬ。すなわち、プロレタリアートの社会的・革命的大衆闘争をいたるところに捲き起し、それによってエーベルト=シャイデマン政権のよってたつ基盤をこそ、まずゆるがさねばならないのだ。・・・・・・一一月九日の革命が主として政治面の革命だったこと、だが今後は重点が経済面に移されねばならぬことを、わたしはすでに論じた。しかし革命の欠陥はその点にあるだけではない。それは都市の革命でしかなかったのであり、いままでのところ、農業地帯はほとんど手を触れられていない。農業をぬきにして社会主義を実現できると考えるとしたら、迷妄だ。社会主義経済の立場からすれば、社会主義的に再組織された農業との直接の結合なくしては、もとより工業の変革も考えられぬ。社会主義的な経済秩序を考えるなら、都市と農村との分離・対立を解消することを考えねばならない。・・・・・・われわれに対立しわれわれの努力に対抗する反革命の、最後の予備軍は何かを考えたが、ここではさらに、もうひとつの予備軍を考慮に加えねばならぬ。つまり農民層であって、それはいままで手を触れられずに放置されてきたため、いまも反革命ブルジョアジーの予備軍なのである。・・・・・・この反革命の勢力に対抗するには、手段はただひとつしかない。すなわち階級闘争を農村に波及させることであって、われわれは土地を持たぬプロレタリアートを、貧農層を動かし、富農層にたいして立ちあがらせねばならぬ。」155-7P
「すなわち、われわれは何を措いても、労働者・兵士評議会の、将来は主として労働者評議会のシステムを、あらゆる方面にわたって押し拡げてゆかねばならない。われわれが一一月九日に所有するにいたったものは、貧弱な初歩的なものでしかなかった。のみならず、革命の第一段階ではわれわれは、ひとたび握った権力手段を大幅に手離しさえしたのである。あなたがたがよく知っているように、反革命は、労働者・兵士評議会システムの制限を、絶えずくわだててきた。・・・・・・われわれはさらに、農業労働者たち、零細農たちをも、この評議会システムのなかに組みこんでゆかねばならない。われわれは権力を獲得せねばならないが、権力獲得の問題は、つぎのように問われねばならぬ。すなわち――ドイツ全土のすべての労働者・兵士評議会はそれぞれ、何をするか、何をなしうるか、何をすべきか? (「ブラヴォー!」) 権力はそこにしかありえないのだ。われわれは公的な権力を、立法と行政を、もはや分離することなく結合しつつ、いたるところで労働者・兵士評議会の手中に収めることによって、ブルジョア国家を底辺から、土台を掘りくずしてしまわねばならない。」157P
「エーベルト=シャイデマン政権ないしそれに類似の政権を倒したところで、それが最後の幕とはなりえない。だから権力の獲得は一回限りで済むような仕事ではなく、連続的な仕事である。われわれはブルジョア国家の内部へ力づくで踏みこんでゆき、要点という要点を押さえ、ぜがひでもそれらをまもりぬかねばならぬ。そして経済闘争もまた、わたしやわたしに近い同志たちの考えでは、労働者評議会によって遂行されるべきものだ。労働者評議会は、経済上の対決の指導権を、そしてこの対決を広い分野に展開させていく指導権を、その手に握る必要がある。労働者評議会こそが、国家のすべての権力を握らなくてはならないのだ。」158P
「われわれは先ず大衆に熟知させねばならない――労働者・兵士評議会こそが国家機構を自在に動かすべきであること、評議会こそがあらゆる力を手中に収めて、それを残らず社会主義的変革の路線へと集中する使命を持つことを。・・・・・・大衆は権力を行使することによってのみ、権力を行使することを学ぶのである。ほかに学習の手段はない。」158-9P
「いまはプロレタリアが社会主義を学ぶのに、そんなもの(ビラやパンフレット)はこれっぽっちも必要ではない。プロレタリアが学ぶのは、みずから行動することによってである。(「そのとおり!」)いわば、初めに行動がある。まず行動があってこそ労働者・兵士評議会は、その使命を自覚しつつ、国内で唯一の公的な力となってゆくことを学ぶのであり、そしてこの方法によってこそわれわれは、資本主義社会の土台を掘りくずし、やがてわれわれの仕事の頂点となるべき逆転を準備することができるのだ。」159P
「われわれの革命はブルジョア革命とは違って、中央の公的な権力を打倒して数人か数十人の人間を入れかえさえすれば片づくような、お手軽なものではない。われわれは底辺から工作せねばならぬのだ。このことは、社会構造の根底を変革することを目標とするわれわれの革命の大衆的性格からすれば、当然である。われわれは政治権力を、こんにちのプロレタリア革命の性格にふさわしく、上からでなく下から獲得しなくてはならない。」159P
「いまは何をなすべきか? 目覚めた意識をもってプロレタリアートの全力を資本主義の基底にぶつけることである。われわれは底辺から――すなわちそれぞれの企業家とかれの賃金奴隷たちとが対峙しているところから、また政治面での階級支配を執り行うあらゆる機関と、支配を執り行われる客体たる大衆とが、直接に向かいあっているところから――支配階級の持つ暴力手段をしだいに奪い取り、われわれの手中に収めねばならない。」160P
「革命というものは、すさまじい速さで仕事を遂行するものである。わたしは、どれだけの日数がかかるか、といった無責任な予言はしない。われわれのうちの誰が、そんな計算などにかかずらおうか。仕事をなしとげるのにわれわれの生涯が足りさえすれば、それで十分ではないか。重要なことはただ、何をなすべきかを、われわれは明瞭に、正確に知ることである。」160P
指導部は何をしているか
「革命の白熱した雰囲気のなかでは、人も、ものごとも、ものすごいスピードで成熟してゆく。たった三週間ほどまえに労兵評議会の全国会議が閉会したときには、エーベルト=シャイデマンはその権力の絶頂に立っているように見えた。全国から集まった革命的労働者・兵士大衆の代表たちが、盲目的(ママ)にも彼らの指導部にひきずられるままだったからである。・・・・・・一一月九日の成果は投げ棄てられ失われてしまったかと見えた。ブルジョアジーはほっと安堵の息を洩らしていたし、武装を解除された大衆は、さめやらぬ憤怒と湧きおこる疑念のなかで途方にくれていた。そしてエーベルト=シャイデマンはじぶんたちこそが権力の頂点にいるとうぬぼれていた。」161P
「きのうのズィーゲス・アレーの大衆的デモストレーションに加わって、大衆からほとばしり溢れでるところの、革命者としての揺るがぬ確信・潑溂たる意気・強い行動力を感じとった人ならば、誰であれ、かならずつぎの結論に到達したにちがいない――、プロレタリアは、ここ数週間のいろいろな出来ごとをつぶさに経験して、政治的にいちじるしく生長した。大衆は自己の権力を自覚しはじめたのだ。大衆としては、あとはこの権力を実際に行使するばかりである。」162P・・・権力の行使としての政治?
「労働者の代議員たちはたぶん徹底的に、詳細に協議をつくしているのかもしれぬ。しかしいまは行動こそがもとめられててるのだ。」163P
「他方にはまた、すもものように軟弱な分子がいて、「交渉」の道を拓いて妥協に歩み寄ろうと、早くも動きまわっている。この連中は、労働者・兵士大衆とエーベルト政府との間に口を開いた血みどろの深渕上に橋を架けて、革命を、革命の不倶戴天の敵との「和解」という誤った方向へ、ひきこもうとしているのだ。」163P
忘れられた任務
「一一月九日以降、革命の波は周期的に高まっているが、そのたびにぶちあたる障壁が、エーベルト=シャイデマン政府である。衝突の誘因や形式や範囲は、この三ヶ月のあいだに幾度もおとずれた革命的な激動期のそれぞれにおいてことなっていいたけれども、エーベルト=シャイデマンを倒せという叫びは一貫して、それらの革命の怒濤のすべてをつらぬくライトモチーフだったし、またそれらの怒濤が収斂してゆくところのスローガンだった。このスローガンは、ますます高い、一致した、叫びとなって大衆のあいだからひびきわたっている。」165P
「この当面の課題を避けて通ることはできない。革命の二ヶ月のあらゆる経験は、ことごとくこの課題を指し示している。エーベルト政府の横暴きわまる挑発のかずかず――一二月六日の事件、防衛隊に宣誓をさせたこと、一二月二四日の事件、そして今回の、警視庁への闇討ち――は、すべて、革命的大衆の眼のまえにむきだしで、妥協の余地も斟酌の
余地もない二者択一をまっすぐにつきつけてきたものだ。いまや革命は、そのプロレタリア的な性格を、社会主義的な使命を抛棄することをのぞまないかぎり、必然に、エーベルト=シャイデマンをその取り巻きもろとも権力の座から追っぱらってしまわなくてはならぬ。」166P
「エーベルト=シャイデマン政権を除去するということは、首相官邸に乱入して少々の人間を追い払ったり捕まえたりすることではない。それは何よりもまず、じっさいに権力の陣地であるものをことこどく占取するだけでなく、さらにそれを確保し、使用することである。」166P
 いろいろな大衆の占拠事件に対する、四点にわたる詳細な押さえ167-8P
「大衆に明確なスローガンをあたえねばならぬ。首尾一貫した断乎たる態度を見せねばならぬ。指導機関が、その機関の政策が、固い決意と明確な目標とを保持することによってのみ、労働者たちの理想主義も、兵士たちの革命への献身も、いっそう深まるのである。こんにち必要なのは、腰のふらついた中途はんぱな政策ではない。必要なのは、エーベルト=シャイデマンを倒せ! こんりんざい忘れねえぞ! というライトモチーフを、ひとすじにつらぬく政策である。」169P
「組織的ファナチズム」169・・・「ファナチズム」は「熱狂」とかいう意味、ファシズムにつながる概念
「この三日間の経験は、労働者階級の指導機関にむかって、はっきりとこう呼びかけている――、演説は無用だ! いつまでも協議ばかりしているな! 交渉でなく、行動を!」169P
指導部の無知ぶり
「しかしあらゆる努力・あらゆる試みは、けっきょくあの集団の腰のふらついた(ママ)臆病な態度のために、失敗に終った。かれらの革命的リーダーは、完全に指導性を喪失していて、大衆の意欲も闘争力もすばらしく高揚していた四日間をむなしく費消してしまった上でようやく、そして二度までもエーベルト=シャイデマン政権との交渉を画策して革命闘争の未来に重大な損失をあたえ、政府の地歩をきわめて効果的に強化してやった上でようやく、水曜から木曜にいたる夜、交渉をうちきって各所でいっせいに闘争を開始することを、決定した。ゼネラルストライキの指令が発せられ、武器をとれ! という叫びがあげられた。/しかしそれが、革命的リーダーたちの唯一の、せいいっぱいの奮起だった。」170-1P
「しかし、このばあい、労働者たちは踊らされているのだ。背後で糸を引いているのは、ハーゼ一派のオスカー・コーン、ディットマンその他である。この連中は悪辣なデマゴーグであって、「統一」とか「流血を避けよう」とかいった愛用の殺し文句を用いて工作しながら、大衆の闘争力を麻痺させ、大衆のなかに混乱の種を播き、革命の決定的な転換点をなしくずしに反革命とのだらしない妥協へ持って行こうとつとめているのだ。」171P
「そのときかれらの救いとして出現したのが、交渉であり、それに加えて統一の運動だった。これがかれらに時を稼がせた。こうしてUSPはまたしても、反革命の救いの神であることを実証した。ハーゼ=ディットマンはエーベルト政権から脱退したものの、野にあってなお、シャイデマンどものいちじくの葉としての役割をもつ政策を続行しているのである。/そしてUSPはまたしても左派までが一枚加わって、その政策を支持している!先日決定された対政府交渉にあたって、USP側の要求条項を――そしてこれは革命的リーダーたちの承認を受けたが――起草したのはレーデブーアなのだ。この派の人たちは、労働者の降伏とひきかえに、エーベルト、シャイデマン、ノスケおよびランツベルク各個人が政府からしりぞくことを、主要な交換条件としている。」172P
「ドイツではまず、ブルジョアジーの防壁となっているシャイデマン=エーベルトを精算してしまうことから始まる。そしてシャイデマンどもを精算するにはエーベルト=シャイデマンの防壁として機能しているUSPをまず片づけてしまわねばならない。」173P・・・?
空中の楼閣
USPの「統一」への動きと反革命の軍事的動き
「同時に、ノスケ直属の防衛隊の隊長ラインハルト大佐は、自分は即決裁判をやる、じぶんは誰からも――政府からさえも――命令を受けることを要しない、じぶんは軍人であって独自の決定権をもつのだ、と声明しているし、また防衛隊第三連隊は独断で、連隊は国民議会を「武力をもって開会させることを決定」した、という声明を発している。ベルリンおよびその周辺地域では、将校どもが、じぶんらの一存で人々を逮捕しはじめている。」176P・・・この延長上にローザとリープクネヒトらの殺害
「このように、反革命的な将校団が、エーベルト政府にたいし反乱の火の手をあげて、政府の完全な見こみ違いを政府に思い知らせている。つまり、ブルジョアジーのために火中の栗を拾う役目を仰せつかったのがエーベルト=シャイデマンだったのであって、その逆ではなかった。」177P
ベルリンの秩序は維持されている ○
これは、ローザが殺される一日前の発刊の機関紙への投稿。
「「ワルシャワの秩序は維持されている」と、一八三一年、パスキェヴィッチュのひきいる暴兵どもが、ポーランド首都郊外のプラガに怖るべき攻撃を加えたのち、首都に侵入して、叛乱者たちをむごたらしく殺戮していたとき、フランスの議会で外相セバスチアーニは発言した。/「ベルリンの秩序は維持されている!」と、いま勝ち誇って告げているのは、ブルジョア・ジャーナリズムであり、エーベルトおよびノスケであり、「無敵の軍」の士官どもである。そしてベルリンの街頭では、プチブル的なモップが、軍隊に歓呼をあびせ、ハンカチをふっている。」181P
「「ワルシャワの秩序は維持されている!」「パリの秩序は維持されている!」「ベルリンの秩序は維持されている!」このように半世紀ごとに、つぎつぎと世界史的な闘争の中心になった町々から、「秩序」の番人どもの報告があいついでいる。」182P
「革命はむだにしてよい時間を持ってはいない。革命は、その偉大な目標にむかって、進むに進む――まだ土をかぶせられていない墓をのりこえ、「勝利」とか「敗北」とかをのりこえて。革命の進路を意識的に追究することは、インターナショナルな社会主義のためにたたかう戦闘者の、唯一の任務である。」183P
「兵士大衆の大多数は低地農業地帯の出身だが、その地帯のほとんどは依然として革命の未開発拓地にとどまっている。いまにいたるまでベルリンは隔絶していると言ってよい。」183P
「これまでのすべての事件のときと同様に、一二月六日や一二月二四日と同様に、政府側の乱暴な挑発から始まったのだ! 以前にはショセー・シュトラーセで素手のデモ隊にたいする虐殺行為から始まったように、また水兵たちにたいする虐殺行為から始まったように、今度はベルリン警視庁にたいする陰謀からはじまった。・・・・・・革命の敵もまたイニシャチヴを持っている。どころか、機先を制してくるのはたいてい敵側であって、革命側ではない。/エーベルト=シャイデマンからのあつかましい挑発を眼のまえにつきつけられて、革命的労働者たちは、武器をとることを強いられた。そうなのだ、ただちに全力をあげて的の攻撃を撃退することは、革命の名誉の問題だった。進出の機をうかがっている反革命の鼻っぱしらをくじき、プロレタリアートの戦列をかため、インターナショナルでのドイツ革命の倫理的な信用(?)をまもるためには、ほかに道はなかった。/即刻の反撃は、ベルリンの大衆のあいだから自発的に、いとも強力に、捲きおこった。このことを見ても、倫理的な勝利(?)ははじめから、あきらかに「街頭派」の手にあった。」184P
「ここにあらわれる矛盾――すなわち課題の尖鋭化と、課題の解決のための諸前提の不備とのあいだの矛盾――から、革命の発展の初期の段階においては、個々の革命闘争が形式的には敗北をもって終る、ということが起こる。しかし革命は、一連の「敗北」によってのみ、その究極の勝利が準備されうるものなのだ。この点で革命は「戦争」とは違う。これもまた革命に特有な運動法則だ。」185P・・・敗北の予期、敗北の積み重ねのなかから、という論理はあるにせよ、ドイツ革命の敗北はインターナショナルな世界史的な敗北になった。
 革命の敗北の歴史の総括184-5P・・・敗北の積み重ねの中から
「上述の歴史的な問いにてらしてみて、こんどの、いわゆる「スパルタクス・ウイーク」の敗北は、どうだろうか? それは、嵐のような革命的エネルギーを持ちながら、状況が十分に熟していないために、敗北したのだろうか? それとも、そうでなくて、もっぱら行動の弱体性のため、中途はんぱさのために敗北したのだろうか?/その両方だ。この激動期は分裂的性格を示している。すなわちベルリンの大衆の強力な、断乎とした、攻勢に出た行動と、ベルリン指導部のふんぎりの悪さ、臆病さ、中途はんぱさとのあいだの矛盾が、今回のエピソードの特徴である。」187P
「指導部は失格した。しかし、指導部は大衆によって、大衆のなかから新しく作りだされうるし、作りだされねばならない。決定的なものは大衆である。大衆こそが、その上に革命の勝利が築かれる岩盤なのだ。大衆は先頭に立った。・・・・・・/「ベルリンの秩序は維持されている!」 ほざくがよい、鈍感な権力の手先どもよ! おまえたちの「秩序」は砂の上の楼閣だ。あすにも革命は「物の具の音をとどろかせてふたたび立ちあがり」、トランペットを吹きならして、おまえたちの驚愕をしりめに、こう告げるだろう――/
Ich war, ich bin, ich werde sein !/(わたしたちはかつて在り、いま在り、こんごも在る)」188P・・・ローザの「最後の」アジテーション。ローザの思想は今も生き続けているという意味では、「こんごも在る」。
ロシア文学論 ○
 ――コロレンコ「わが同時代人の歴史」の自訳ドイツ語版への序文――
 ロシア文学の内容が、わたしの中に入っていないのでほとんどコメントしきれないのですが、ローザの感性的に拡がる側面がとらえ返せる論攷です。
T 総論&各論 U コロレンコ V コロレンコと色々な事件と色々なひととの絡み合い W コロレンコと他の作家(ゴーリキ、ドフトエフスキー、トゥルゲーネフ)
 障害問題で関係論的な論攷が出ています。「「・・・・・・ご存知のとおり、いつも私が考えているのは、もともと人間には幸福でいる義務があるということです。」さらに彼は「一つの逆説」という短編の中で、生まれつき手のない不具者(ママ)にこういわせている――「鳥が飛ぶために生まれついたように、人間は幸福を得るために創造されたのだ。」不幸な、生まれながらの不具者(ママ)の口から洩れた、この金言は、明らかに「逆説」である。しかし、数千、数百万の人々についてみても、やはり同じように、人間の「幸福への使命」を逆説的に思わせるものがある。それは偶然の肉体的不具(ママ)ではなくて、社会的関係である。」「すなわち、異常な社会的関係――結局、異常なのは、社会的不平等に基づくすべての関係であるが――においては、種々さまざまな精神的な不具化(ママ)が大量現象と化さざるを得ない。圧迫、専横、不正、貧困、従属、さらには永続的な制度としての、一方に偏した専門化を生みだす分業などが、人間を一定の方式で型にはめてしまう。しかもそれが両極に分かれさせる。すなわち、圧迫者と被抑圧者、暴君と屈服者、成金と寄生生活者、わき眼もふらぬ努力家と無為の怠け者、衒学者と道化役者など、彼らの関係の産物であり、犠牲である。」200P・・・ 障害関係論的なとらえ返し。ローザは自らの「障害者」としての立場を、笑い飛ばすというところまで到達していたのかもしれないと思い始めていますー
「身体の不具はただエピソード的にしか扱われていない。」209P・・・現在的には差別語ではあるとしても、当時として差別的ではない異化としての「エピソード」という概念
ロシア革命論 ◎
T 導入部――革命は紆余曲折しつつ進む ロシア革命をドイツからとらえる
「ロシア革命の運命は、完全に世界革命に依存していた。徹頭徹尾、ボリシェヴィキがその政策をプロレタリアートの世界革命の上に据えたのは、正に、彼らの政治的達見、彼らの原則的確実性、彼らの政策の大胆を見事に証明するものである。」228P
「ドイツ・プロレタリアートの歴史的行動能力というものは、万歳気分の創造によって生まれ得るものではなく、反対に、大衆が恐るべき全現実と問題の全体的な複雑性とを洞察することによって、また、政治的成熟と精神的自立性とによって、また、ドイツ社会民主党が種々の口実の下に年久しく永続的に息の根をとめて来た批判的判断力によってのみ生まれるものである。すべての歴史的関連を含めて、ロシア革命を批判的に検討することは、現代の状況から生まれつつある課題に向かってドイツおよび世界の労働者を鍛え上げる最良の方法である。」229-30P
U ロシア革命の道行き
「三月にロシア革命が勃発してから一〇月の叛乱に至る第一期は、その大体の経過から見ると、イギリス大革命およびフランス大革命の発展の図式と正確に照応するものである。それはブルジョア社会の懐に生まれた革命的勢力と旧社会の桎梏との最初の大規模な全体的対決がすべて辿るところのティピカルな行程である。」230P
「ロシアでは、勝利と土地という具体的な緊急問題から生じたが、それを解決する道は「ブルジョア」革命という枠の中には存在していなかったのである。」233P
「どの革命でも、前方に駆り立てるスローガンを出し、それを完全に実行する勇気のある政党だけがリーダーシップと権力を握るものである。」235P
「レーニンは真に革命的な政党というものの任務と義務とを理解していた唯一の政党、一切の権力をプロレタリアートと農民の手に、というスローガンによって革命の発展を確保した唯一の政党であった。」235P
「その上、ボリシェヴィキは、直ちに、この権力獲得の目的として、ブルジョア民主主義の確保などということでなく、社会主義の実現を目的とするプロレタリアートの独裁という偉大な革命的プログラムの全体を掲げた。」236P
「歴史的瞬間における政党というものが、勇気、行動力、革命的達見、徹底性という点で為し得る限りのことを、レーニン、トロッキー、その同志は完全に成し遂げた。西方の社会民主党に欠けていた一切の革命的な名誉と行動力とは、ボリシェヴィキによって代表された。一〇月の暴動のうちにあったのは、単にロシア革命にとっての事実上の救済のみでなく、また、国際的社会主義の名誉の救済なのであった。」236P
V 農業問題
「農民の直接的な土地獲得と社会主義経済とは何一つ共通のものを持っていないということである。」237P
「経済関係の社会主義的な改革には、農業関係において二つの前提がある。――第一に、大土地所有は、農業生産の手段および方法の技術的に最も進歩した集中なのであるから、その国有化こそ農村における社会主義的経済様式の出発点たり得るということである。・・・・・・つまり、何は措いても、所有権を国民へ――社会主義政府の場合には、同じことになるが、強いて言えば――国家へ移さねばならないのである。なぜなら、それによって初めて、偉大な統一的社会主義的見地によって農民生産を組織する可能性が保証されるのであるから。/しかし、第二に、こういう改革の一つの前提は、ブルジョア社会の著しい特徴である農業と工業との分裂が廃止されなければ、両者の相互的な浸透および融合も統一的見地による農業生産と工業生産との発展も可能にはならないということである。・・・・・・何れにしても、前提は、中心によって実施される統一的な改革ということであり、また、その前提になるものは、土地の国有化ということである。大土地所有および中土地所有の国有化、工業と農業との結合、これはすべて社会主義的経済改革の二つの基本的見地であって、これがなければ、いかなる社会主義も存在しない。」237-8P
「しかし、権力を握った社会主義政府は、何れにしろ、一つのことは行なわねばならない。すなわち、今後における農業関係の社会主義的改革の基本的前提を目指す方策に着手するということだ。つまり、少なくとも、社会主義政府は、この方策の邪魔になるものは全て避けねばならないということだ。」238P
「「君たちの土地を手に入れろ!」というレーニンおよび彼の同志の直截明快なスローガンに従って農民が土地を獲得したけれども、これは、突如、大土地所有が混乱のうちに農民の土地所有に移ったというに過ぎない。創造されたのは社会的財産でなく、新しい私有財産であった。」238P
「ロシアの農民は、自力で土地を獲得した後は、ロシアというものを、また自分たちに土地を与えてくれた革命というものを守ろうなどとは全く考えなかった。自分たちの新しい土地に夢中になって、革命をその敵に、国家を崩壊に、都市を飢餓に委ねたのであった。」「レーニンは、工業における集中化の必要、銀行、商業、工業の国有化について演説しているが、なぜ、土地の国有化については演説しないのか。この点では、逆に、分散と私有財産とが説かれている。」「レーニンの農業改革は、新しい有力な人民の層を社会主義の敵として農村に生み出すことになり、その抵抗は貴族的大土地所有者の抵抗より遙かに危険且つ強靱なものになるであろう。」240P
W レーニンの民族自決権批判
「敗戦からロシアの崩壊と分裂が起こったのには、ボリシェヴィキに一部の責任がある。情勢の客観的困難ということはあったが、ボリシェヴィキは、彼らがその政策の全面に押し出したいわゆる民族自決権――という言葉の陰に隠れた真実は、ロシアの国家的分裂だ――というスローガンによった、みずからこの困難を著しく増大させたのである。」241P
「最初、レーニンとその同志とがこのスローガンを固執する頑迷固陋の態度に接してビックリするのは、それが、彼らが他の政策において示して来た明白な集中主義ともひどく矛盾しているし、また、彼らが他の民主主義的原則に対してとって来た態度ともひどく矛盾するという点である。彼らは立法議会に対して、普通選挙権に対して、出版および集会の自由に対して、要するに、相寄ってロシアにおける「自決権」を形作る人民大衆の民主主義的な基本的自由の全機構に対して、甚だ冷たい軽蔑を示しておきながら、諸民族の自決権をまるで民主政治の貴重品のように取扱い、そのためには現実的批判の一切の実際的見地が沈黙せねばならぬかのような調子である。」241P
「どういう国にしろ、政治生活の民主的形態ということが、事実上、社会主義政治の最も貴重な、いや欠くべからざる基礎であるのに対して、評判の「民族自決権」というのは、プチ・ブル的なからっぽな空語であり寝言であるに過ぎないから、益々理解に苦しむのである。/実際、この権利は何を意味するというのか。社会主義政治があらゆる種類の抑圧と戦う以上、一民族の他民族に対する抑圧とも戦うというのは、社会主義のイロハである。」242P
「レーニンとその同志とは、ロシア帝国内部の多くの異民族を革命の理想、社会主義的プロレタリアートの理想に惹きつけるのには、革命と社会主義との名において、みずからの運命を処理する絶対無制限の自由を彼らに保証する以外、確実な手段のないことを考慮していたのであろう。これは、ロシアの農民に対するボリシェヴィキの政策と似ているもので、貴族の土地の直接獲得というスローガンによって農民の土地所有力に満足を与え、これによって、彼らを革命とプロレタリア政府という旗に惹きつけようとしたのであった。残念なことに、この場合も、計算は全く間違っていたのだ。」242P
「これらの「諸民族」は、一つ一つ、この与えられたばかりの自由を利用して、ロシア革命の仇敵となり、ロシア革命を向こうに廻してドイツ帝国主義と同盟し、その庇護の下に反革命の旗をロシアそのものに担ぎ込むに至ったのである。」243P
「ボリシェヴィキは、彼ら自身および革命にとっての最大の損失を通じて、資本主義の支配下にあってはいかなる民族自決もないこと、階級社会ではその民族の各階級がそれぞれ別の「自決」へ向かうものであること、ブルジョア階級にとっては民族の自由という観点が階級支配の観点の背後にまったく霞んでしまうものであることを思い知らせねばならなかった。」243P
「総じて、民族的要求とか独立への傾向とかいう問題を革命的闘争の中に投げ込むどころか、ブレストの講和会議でこれを前面に押し出し、しかも、これを社会主義的革命的政策の合言葉とするに至ったため、社会主義の戦列に最大の混乱が持ち込まれ、それこそ、近隣諸国のプロレタリアートの地位が動揺させられてしまったのである。」244P
「ボリシェヴィキは、民族主義の要求によってロシアそのものの分解を招き寄せ、準備し、こうして、みずから敵の手に、ロシア革命の心臓を刺すナイフを握らせたのであった。」246P
X 立法議会の解散について
「ボリシェヴィキの政策に於いて大きな役割を果たしたのは、一九一七年一一月に行われた有名な立法議会の解散である。この政策は、その後のボリシェヴィキの地位にとって決定的なものであり、ボリシェヴィキの戦術の転換点とも見るべきものであった。一〇月の勝利まではレーニンとその同志とが立法議会の招集を強く要求していたのは事実であるし、・・・・・・」248P
「これは全く立派な、大変にもっともな議論である。ただ、不思議に思うのは、レーニンやトロツキーのような賢明な人たちが、右のような事実から生ずる明白な結論に気づかなかった点である。立法議会が一〇月革命という決定的転換点の遙か以前に選ばれ、[実際に選挙が行われたのは革命直後]その構成のうちに新しい状況の姿でなく、古びた過去の姿を映しているのであってみれば、この時効にかかった、死んで生まれた立法議会を解散して、時を移さず、新しい立法議会のための改選を公示するという結論が自然に生じた筈であろう!・・・・・・そこで、直ちに、それに代えて、生まれ変わった、進んだロシアから生まれた議会を招集することだけが必要であった。/そうはせずに、トロツキーは、一〇月に召集された立法議会の特殊な欠陥から一切の立法議会が不必要であるという結論を下し、更に、この欠陥を一般化して、普通選挙によって生まれた国民代表一般が革命期には無能力であると説くに至った。」249-50P
「民主主義制度一般のメカニズム」250P
「前に選挙された人々と選挙民との間の生きた精神的関連、両者の間の不断の相互作用は、ここではすべて否認されている。」「歴史的経験がわれわれに示しているのは、国民の気分と生きた流れが絶えず議会を洗い、それへ流れ込み、それを左右するということである。」250P
「革命こそ、その熱によって、あの微妙な、律動する、敏感な政治的空気を作り出すものであり、この空気の中で、国民の気分の波や国民生活の脈搏が、一瞬、議会に不思議な影響力を振うのである。」251P・・・このあたりのとらえ方が、ローザの「自然発生性への依拠」の根拠になっている。むしろ硬直した間接民主主義は生きていないこととして、桎梏になっていく側面? ローザのオプュティズム? 自然発生性の依拠と拝跪の弁証法の必要
「トロツキーやレーニンが発見した薬、つまり民主主義は一般の除去というのは、それが癒すという病気よりももっと悪いものである。なぜなら、それは、ただ一つ、社会制度に内在する一切の欠陥を正し得る生命の泉そのものを、すなわち、広汎な人民大衆の積極的な、自由な、精力的な政治生活を潰してしまうものであるから。」252P
Y ソヴィエト政府の選挙法
「トロツキーおよびレーニンが民主主義制度に加えている批判から見れば、彼らが普通選挙による議会を原則的に否認し、ただソヴィエトを基礎にしようとしていることは明らかである。その後になって、なぜ 普通選挙権法というものが定められたのか、これは全く判らない。この選挙法が実施されたということも知らない。この選挙法に基づいて、一種の国民代表機関のための選挙が行われたという話も全くない。恐らく、これは単に理論的な産物、いわば官僚仕事なのであろう。しかし、実際、これがボリシェヴィキの独裁理論の甚だ注目すべき産物なのである。」252P
「実際には、この選挙法は、経済的組織によって何一つ労働強制の実施の手段を与えられていないプチ・ブルおよびプロレタリアートの広汎な、日増しに増加する層を無権利にならしめるものである。」253P「これは選挙法というものを、社会の現実から切り離された、ユートピア的な創造の産物と見る愚行である。正に、それゆえに、選挙法はプロレタリア独裁の真剣な道具ではないのである。すでに完成した社会主義的な経済的基礎に相応しく、プロレタリア独裁という過渡期には相応しくない法的状態を先取するものであり、アナクロニズムである。」254P
「だが、立法議会や選挙権の問題は以上に尽きるものではない。労働者大衆の健康な公共生活および政治活動に関する極めて重要な民主主義的保証の廃止、すなわち、ソヴィエト政府の一切の反対者が出版の自由、結社や集会の自由を奪われているという点をまだ論じなかったからである。・・・・・・むしろ、自由奔放な出版なく、何物にも妨げられぬ結社や集会という活動がない時、広汎な人民大衆による支配が全く考えられないというのが、明々白々なる事実である。」254-5P
Z 政治的自由
 ブルジョア国家は労働者階級弾圧の道具である、とレーニンは言う。それでは、逆立ちした資本主義国家のようなものに過ぎない。この単純な見方は、本質的な事柄を逸している。・・・・・・プロレタリア独裁にとっては、全人民大衆の政治的な訓練や教育が生命の源であり、空気なのであって、これがなければ、プロレタリア独裁は存在することが出来ないのだ。」255P
「彼らは、公共生活の抑圧を通じて政治的経験の泉を塞ぎ、高まり行く発展の泉を塞いだのである。そうでないとすれば、ボリシェヴィキが権力を獲得するまでは経験や発展は必要であったが、それが最高頂に達した後は、もう余計なものになってしまった、と考えねばなるまい。・・・・・・/実際は反対なのである! ボリシェヴィキが勇気と決意をもって立ち向った巨大な課題こそ、大衆の最高度の政治的訓練と、政治的自由がなければ断じて不可能な経験の集積とを必要とするものなのであった。」255P
「レーニン・トロツキー的意味の独裁論の暗黙の前提は、社会主義革命というのは、その
完全な処方箋が革命政党のポケットに入っていて、後はただエネルギーで実現すればよい問題であるということである。だが、残念なことに――むしろ、仕合せなことに――そういうものではないのだ。経済的、社会的、法的制度としての社会主義の実践的実現は、ただ適用すればよい完全な処方箋の寄せ集めなどではなく、全く未来の霧に包まれている問題なのである。われわれが綱領として持っているものは、政策を進めるべき方向を指示する僅かの主要な道しるべに過ぎず、しかも、主として否定的性格のものである。社会主義経済への道を開くのに、先ず、何を取り除いておかねばならないか、その概略をわれわれは知っているだけであって、反対に、経済、法律、一切の社会関係に社会主義の原則を導き入れるのに必要な大小無数の具体的な実際的政策については、いかなる社会主義政党の綱領も、いかなる社会主義教科書も教えてはくれないのだ。これは欠陥ではなくして、ユートピア的社会主義に対する科学的社会主義の長所である。・・・・・・究極のところ、有機的自然の一部である歴史(?物象化)は、現実の社会的要求とともにその充足の手段をも、問題とともに解決をも生み出すという優れた慣わしを持ち、この点では、有機的自然と全く同じである。しかし、そうである以上、その本質から見て、社会主義が強要されたり、命令によって実施されたりするものではないことは明らかである。・・・・・・全人民大衆がそれに参加せねばならない。そうでなかったら、社会主義は一ダースのインテリによって上から命令され、強制されることになるであろう。」256-7P・・・ローザの民衆への信頼に基づく、「民主主義」論。レーニン主義批判の核心。
[ ルンプロとの闘い
「プロレタリア革命は、反革命の道具であるこういう敵と格闘しなければならないであろう。/そうは言うものの、この点でも、テロというのは鈍い剣、しかも両刃の𠝏である。峻厳な軍法会議も、ルンペンプロレタリアが暴行を始めた場合には効力がない。いや、戒厳状態が続けば、否応なしに、必ず専制になるし、専制は必ず社会を堕落させる。この点でも、プロレタリア革命の手中にある唯一の有効な手段は、政治上および社会上のラディカルな政策である。すなわち、大衆の生活の保証を一刻も早く変更すること――革命的理想主義を鼓吹することであって、この理想主義は、無制限の政治的自由のうちにおける大衆の緊張した積極的な生活を通じてのみ、長期に亘って維持されるものである。」259P
「唯一の解毒剤は、大衆の理想主義と社会的積極性、無制限の政治的自由である。」260P
\ 強制と民主主義
「正に、レーニン・トロツキー理論の根本的誤謬は、彼らが、カウツキーと何ら異なるところなく、独裁を民主主義に対立させている点にある。「独裁か、それとも、民主主義か」という形で、カウツキーと同様、ボリシェヴィキにあっても問題は提出されている。もちろん、カウツキーは民主主義支持の立場を決めているが、それはブルジョア民主主義のことであって、彼はこれこそ社会主義革命に代わるものと称している。反対にレーニン・トロツキーは民主主義に対して独裁を支持しているのだが、一握りの人間の独裁、つまり、ブルジョア的規範に従う独裁である。これは二つの対極、何れも本当の社会主義政策から同じように遠く離れたものである。・・・・・・プロレタリアートは、直ちに、極めて精力的に、断乎、仮借なく社会主義政策に着手すべきであるし、また、そうせざるを得ないであろう。つまり、独裁を行なうのであるが、これは階級の独裁であって、政党や派閥の独裁ではない。最も広汎な公共性における、国民大衆の極めて活溌な自由な参加における、何物にも妨げられぬ民主主義における独裁である。「マルクス主義者である以上、われわれは一度も形式主義的民主主義の偶像崇拝者であったことはない」とトロツキーは書いている。確かに、われわれは形式主義的民主主義の偶像崇拝者であったことは一度もない。われわれは、社会主義やマルクス主義の偶像崇拝者であったことも一度もない。」261-2P・・・ローザのプロ独の規定
「社会主義的民主主義は、階級支配の破壊と同時に、社会主義の建設と同時に始まるものである。社会主義政党の権力獲得と同時に始まるものである。それがプロレタリアートの独裁にほかならぬ。/然り、独裁である! だが、この独裁は、民主主義の適用方法であって、その廃棄のことではない。ブルジョア社会が見事に獲得した権利や経済的関係――これを欠いては社会主義革命は実現され得ない――に対する精力的な断乎たる侵害のことではない。しかし、この独裁は、階級の活動たるべきものであって、階級の名の下に行われる少数指導者の活動たるべきものではない。すなわち一歩一歩、大衆の積極的参加から生まれ、大衆の直接的影響力の下に立ち、全公衆の統制に従い、人民大衆の政治的訓練の進歩の中から生まれるべきものである。」262P・・・承前 プロ独自体は社会主義への過渡
強いられたことの側面262P
「彼らが、苦し紛れにやったことを美徳にし、その宿命的な条件によって強いられた戦術の全部を後に理論的に固定化して、国際的プロレタリアートに社会主義的戦術のモデルとして模倣させようとする時に、危険は始まるのだ。」263P
「われわれはすべて歴史法則の下に立っており、社会主義的社会秩序は国際的にしか実現されないものである。ボリシェヴィキは、彼らが、歴史的可能性の限界のうちで純粋な革命的な政党が為し得る限りのことを残らず行なったということを示した。彼らが奇蹟を行なおうとしたとは考えられない。孤立し、世界戦争で疲れ、帝国主義によって絞め殺され、国際的プロレタリアートにとって裏切られた国における模範的な完全なプロレタリア革命というのは一つの奇蹟であろうから。」263P
「大切なのは、ボリシェヴィキ政策のうち、本質的なものを非本質的なものから、核心になるものを偶然的なものから区別することである。全世界に亘る決定的な最後的な闘争を眼前に控えた現在(?)、社会主義の最も重要な問題は、正に次のような現下焦眉の問題であったし、今もそうである。すなわち、戦術上の一々の問題ではなく、プロレタリアートの行動能力、大衆の行動力、社会主義権力そのものへの意志という問題である。この点、レーニン、トロツキー、その同志たちは、身をもって世界プロレタリアートの先頭に立った最初の人たちであり、今日も以前として、フッテンとともに「私は敢えて行なった!」と叫び得る唯一の人たちである。」264P

 この選集には、編集者・訳者の解説が付けられていません。各巻共通の「付記」があるだけです。ですが、訳者か出版社がつけたと思われる各巻の帯が参考になるので、抜き書きしてきたのですが、いずれも古本で購入し、この巻は後から追加して購入したので、帯がありませんでした。いつか、探し出して、抜き書きしたいと思っています。


posted by たわし at 03:55| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする