2020年09月16日

ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・野村修・田窪清秀・片岡啓治訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第3巻(一九一一――一九一六)』

たわしの読書メモ・・ブログ543
・ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・野村修・田窪清秀・片岡啓治訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第3巻(一九一一――一九一六)』現代思潮社1969
 ローザの学習五冊目です。ローザ・ルクセンブルクの選集三巻目。二巻のメモがあまりにも膨大になったので、少しセイブします。
 まず、目次を上げます。
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――モロッコ問題についての討議のなかで/T 一九一一年九月一一日/U 一九〇五年九月一二日/V 一九〇五年九月一四日
イェーナでの党大会を終えて
貧民収容施設で
三月のあらし
婦人選挙権と階級闘争
政治的大衆ストライキ――ベルリン第四選挙区の党員大会での演説
理論の御用化
ツァーベルン事件の決算
きたるべき報復
御用組合の奴隷まつり
ミリタリズム、戦争、労働者階級――フランクフルト刑事裁判所での弁論
判決に対する回答
メダルの裏表
党の規律
インターナショナルの再建
社会民主党の危機(ユニウス・プロシェーレ)
<付録>国際社会民主党の任務に関する指針


さてメモに入ります。(表題の後に来る記号で、○は、巻を通しての帯に各巻の紹介で上げられていた論攷です。◎はその内で、わたしが再読が必要と押さえた論攷。□は○ではないが、重要な論攷。)
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――モロッコ問題についての討議のなかで/T 一九一一年九月一一日/U 一九〇五年九月一二日/V 一九〇五年九月一四日 ○
 これはドイツ社会民主党内でのローザの修正主義者との大会での論争の記録です。
T
 ライプツィヒ人民新聞でのローザの論攷への「党の最高機関」の批判への反批判
 内容は、モロッコ問題への国際ビューローへのドイツ社会民主党の不参加――会議が流れたことへのローザの批判を、「「おびただしい混乱」を招いた」8Pとの「党の最高機関」の批判(その内容は@モルケンブーアの個人的意見を党の意見とローザが批判したAベーベルが賛成したのを押さえていないBモルケンブーアの意見を書くことによって党内部の問題である秘密の漏洩をなした)に対するローザの批判@に対しては、結局党は他のはっきりした意見を出さず、なにひとつ手を打たなかったから、モルケンブーアの意見が党の意見ととられた。Aベーベルは最初賛成意見を出したが、後に覆した。Bそもそもモルケンブーアが街頭演説でその意見を述べていたので、それは漏洩にはあたらない。
「たんなる形式の問題ではない。党執行部が背任の罪をおかしたかどうか(笑い声)帝国主義にたいして一大抗議行動をおこす義務をおこたったかどうか、という問題なのだ。」10P
「ここ数年来、なにごとにつけ、行動を起こしたり起こさなかったりするすべての根拠が、国会選挙のための配慮であることは、これまでいやというほど聞かされているのである。」11P
「わたしは、あなたがたをゆるし、父親のようにやさしく(「母親のようにだろう」とベーベルのヤジ。満場爆笑)あなたがたに忠告しよう。改めるにはばかることなかれと。(活発な拍手と抗議の声)」13P・・・ローザの男性に互する立場での演説、被差別の観点がない。ベーベル(『婦人論』の著者)の批判も対等さを求めるローザの立場性のとらえかえしと、自らの差別する立場の自批がない。
U
「T」へのモルケンブーアとベーベルの批判に対する反批判。「さしあたり」15Pという常套的ごまかしへの批判
V
 モロッコ問題へのローザ提案の「付帯決議」の提案
 「付帯決議」の内容は「われわれは、まず、文明国間(ママ)の戦争に反対している第一節において、同時に、われわれが非文明国(ママ・・・サイードの批判)にたいする戦争にも反対であることを、宣言し、明確な態度を示しておくことが必要である、と考えている。」「モロッコにおいて、すでにかなり久しい以前から、原住民族にたいする戦争がつづけられていることを忘れてはならない。この戦争にたいしても、われわれは、文明国間(ママ)の戦争にたいすると同様に反対しなければならないはずだ。」「ミリタリズムに反対するわれわれのアジテーション一般において、きわめて有効かつ重要な主張、すなわち、軍備それ自体がすでにきわめて危険な現象であり、軍拡競争によって、戦争の危険は、けっして除去されるものではなく、ますますたかめられてゆく、という主張は、つらぬかれていない。決議には、また、ミリタリズム一般の問題とモロッコ問題のあいだの関連も示されていないが、両者は、けっして切り離すことができない問題である。われわれは、決議の鉾先を、たんに二、三の資本家一味に向けるだけでなく、現在の戦争の危険にたいして、責任を負っている政党、すなわち、ミリタリズムを支持している政党にも向けることが、とくに必要だと考える。」18P「最後に、とくに重要なことは、決議が、いまの案では、戦争の危険だけを対象としていることである。しかし、戦争の危険は、たんに一時的なものではありえない。戦争が勃発しなくても、一般的な意味でおなじように危険で有害な現象がうまれることもあるのだ。なかでも、平和的な方法で、国民や国民の立法府での代表にかくれて、外交上の問題として、ふつうに行われている、利権と結びついたドイツ植民地の拡大など、きわめて危険である。」19P・・・ローザの反戦、ミリタリズム批判、インターナショナリズム

イェーナでの党大会を終えて □
T ロシア革命のなかでの革命的状況下での前のイェーナ党大会での大衆ストライキの決議が危うくなってきていて、改めて討議する必要を説いています。大衆ストライキの決議が全面的に行き渡っていたわけではない――労働組合ケルン大会にみられる――労働組合指導部の「官僚主義的保守主義」23Pの問題。
「一九一〇年以来、帝国主義コースの圧力が加わるようになって、ふたたび政党意欲がめざめはじめ、もっと尖鋭な手段にたちかえろうとする気運が盛りあがってきた。帝国主義の攻撃にたいしてわれわれの党の側の行動があまりにも不充分ではないか、とする議論が、一九一一年の党大会に特別の刻印をのこした。」24P
「大衆ストライキにかんする討議が、一切の抵抗を排除して、党大会において行われたということ、そしてこの討議が現在ふたたびすべての党集会にもちこまれ、大衆がこの問題ととりくむということ、さらにまた、党であれ、組合であれ、指導部からなにを期待できるかを、大衆がはっきり知り、党の戦闘方法を前進させるためには、自分たち自身の圧力で下から火を燃やさなければならないということを、はっきり見きわめる機会となったこと、これらすべては、まぎれもなく少数派が獲得した成果であった。少数派は、自分たちの決議案を多数派によって否決されたけれども、この点では自分たちのとった立場のおかげで、あきらかに勝利をおさめたのである。」26P・・・敗北のなかの勝利
U これまだ対象化できてこなかった税という新しい問題
ミリタリズムへの飲み込まれ、「泥沼派」30Pという押さえ、その内容は、@権威主義的なところへのひきずられA「停滞分子」31Pの煽動に乗るB「最高審議機関」(「マルクス主義主流派)32Pの動向にひきずられる
「イェーナでの党大会から生じてきたつぎの課題は、「泥沼派」にたいする系統的な対抗処置、すなわち党内の精神的保守主義にたいする措置である。このばあいも、唯一の有効な手段は、広汎な党員大衆の動員であり、大衆ストライキや税金問題等(すべての戦術上の意見の相違)にかんする論争を、党の集会や労働組合の集会、あるいは機関誌のなかにもちこむことによって、人びとのこころをよびさますことである。・・・・・・イェーナでの党大会が、党内における勢力関係をはっきりさせ、泥沼派と右派のブロックにたいして、左派をはじめてかたく団結させたことは、これからさきの発展のよろこばしいはじまりとして、ほんとうに歓迎すべきことである。」33P・・・実際には敗北の始まり、その総括
貧民収容施設で
「市立浮浪者収容施設における集団中毒事件の発生」34P問題での論攷
「大量の患者を出した原因はどこにあるのか。流行病なのか。それとも腐敗食品による中毒なのか。警察当局は、善良な市民の不安をとりのぞくために、これが伝染性の病気ではない、といそいで言明した。つまり中流以上のまともな市民層には危険がない、というのである。大量死にみまわれた範囲史は、いわゆる「浮浪者地域」に限られている。クリスマスにも、くさりかかった「格安」の燻製にしんと毒性の強い安酒しか買えない連中にかぎられているのだ。・・・・・・」34-5P
「いかなる労働者といえども、浮浪者収容施設にまいこまないという保証はない。有毒の燻製にしんや安酒を買わないという保証はない。きょうはまだ元気で勤勉で、ひとから信用されている労働者も、あす首をきられてしまえば、どうなるかわからない。」38P
「公共の救貧制度は――カール・マルクスが「資本論」のなかで述べているように――就業労働者の廃兵院であると同時に失業者の死重(「デッド・ウエイト」のルビ)になっている。社会的貧困の発生は、仕事につけない労働者予備軍の発生とわかちがたく結びついている。これは、両方ともひとしく必然的なものであって、資本主義的生産と富の増大の必須条件なのである。」41P
「一八四八年三月一八日のバリケード戦のあとで、ベルリンの労働者は死者をたかだかともちあげ、宮城のまえまで運んで、そこでは圧制者をして犠牲者のまえに脱帽せしめたのであった。いま、われわれも、血と肉をわけたわれわれの仲間であるベルリンの浮浪者の死体を数百万のプロレタリアの手で抱きあげ、あたらしい闘争の年に向かって運びこもうではないか。そしてこのような惨事を生み出す忌まわしい社会秩序を倒せ、と声たかく叫ぼうではないか。」42P
三月のあらし ○
「プロレタリアがこれまでの歴史にのこしてきた道程をふりかえってみる」43Pとして、標題の「三月のあらし」のふたつの三月一八日を取りあげています。「三月一八日は、インターナショナルな労働者階級のために、まるでふたつの燃えさかるかがり火のように、一九世紀後半の道程を照らしているふたつの歴史的な事件を記憶によみがえらせる。それは、一八四八年の革命と一八七一年のパリ・コンミューンである。」44P
「ふたつの世界のプロレタリアにとって、神聖な大きな伝統が芽ばえ、一万人の血であがなわれたふたつの教訓がしっかりと根をおろした。ブルジョア社会秩序の制約のなかでは、プロレタリアートによる政治支配の余地はない、ということと、しかし、また、時が熟するまでは、この制約をとりのぞく可能性も存在しない、という、このふたつである。」46P
 この後「資本主義の発展」の歴史とそれに対抗するプロレタリアートのストライキの出現を書き、最後にローザのアジテーション的まとめ「こんどのストライキが成功するかどうか。そんなことを考えるのは、ひまつぶしの仕事である。闘争そのものが、すでにそれだけで労働者の勝利なのだ。なぜなら、闘争は、労働者の実力と階級意識と連帯の告知であり、さらにつぎの闘争への呼びかけであり、インターナショナルなプロレタリアート全体の最終的な未来の勝利への約束なのである。」49P
婦人選挙権と階級闘争 ◎
 ローザには性差別の問題への論攷が少ない。しかも、階級闘争の一環論・手段論になっているように感じます。このあたり他の個別差別の問題も含めて、とらえ返しの作業をしていきます。
「プロレタリアの婦人大衆が最近一五年間に、政治の面でも組合活動の面でも、いちじるしくめざめてきたが、それが可能となったのは、はたらく人民のなかの婦人層が、法律上の不平等を無視して、自分たちの階級の政治活動や議会闘争に活発に参加してきたからである。プロレタリアの女は、いままでも、男たちの選挙権に食いこんで、間接的ではあるが、事実上、選挙に参加してきたのだ。」50-1P・・・対等でない、非対称的参加などに、なぜ甘んじるのか?
「政治上の決定的な権利である選挙権、すなわち投票を行ない、立法と行政の機関への代表者を決めたり、あるいは選ばれてこうした機関に参加する権利だけは、国家は、どうしても婦人たちに認めようとはしない。」51P
「今日、数百万のプロレタリアの婦人層が「婦人参政権を認めよ!」と、自覚と抗議の叫びをあげているのは、こうした婦人たちの運動の不可避的な結果であり、論理的帰結であるにすぎない。」52P・・・論理的帰結の問題ではなく、現実に置かれている被差別の相対的な差別も含めた情況の問題
「目標は、婦人参政権の確立である。婦人選挙権の確立である。だが、そのための大衆運動は、婦人だけの問題ではない。男女を問わず、プロレタリア階級全体の問題である。じっさい、婦人に当然の権利が与えられていないということは、今日のドイツにおいては、人民の生活を束縛している反動の鎖の一環にすぎない。」52P・・・「すぎない」とはなにか、一環論ということで階級闘争への従属論に陥っていく。婦人参政権は過程でしかない。
「この状態が人民の利益に逆行するための強力な道具となっているからである。玉座や祭壇のうしろにも、女性の政治的奴隷化の背後にも、現在プロレタリアートを酷使し、搾取している残忍非道の怪物のかおがのぞいている。専制君主制と婦人にたいしする権利制限は、資本主義の階級支配のもっとも重要な道具となっているのである。」「婦人参政権は、今日の資本主義国家にとって恐怖のたねである。この選挙権のうしろには、国内の敵である革命的社会民主主義を強化する数百万の婦人がひかえているのだ。」53P
 ブルジョアジーのおんなたちの残虐さの記述51P
「社会民主主義は、けっして「不正」ということを論拠として、たたかったりはしない。われわれとふるいセンチメンタルなユートピア社会主義との根本的な相違は、まさに、われわれが支配階級の公正さに頼ったりしない、という点にあるのだ。われわれがたのみとするものは、ただひとつ、労働者大衆の革命的な力であり、この力の基礎となる社会の発展の動向だけである。」56P・・・実は、この「不正」ということには差別の問題が含まれていて、これがローザが差別の問題をとりあげない論拠になっているのでは?
「現在展開されている婦人の政治的権利平等のための大衆闘争は、プロレタリアート全体の解放闘争の一表現であり、その一部をなすにすぎない。そして、まさしくこの点にこそ、この闘争の力と未来がひそんでいるのである。普通、平等、直接の婦人選挙権は――女子プロレタリアートのはたらきによって――プロレタリア階級闘争をたくましく前進させ、階級闘争をいっそう激しいものにするだろう。」57P・・・差別の問題の押さえ損ない、手段論、政治利用主義。「マルクス主義」の流れにおける差別の問題に関する限界。
政治的大衆ストライキ――ベルリン第四選挙区の党員大会での演説 ○
 政治的大衆ストライキの意義や位置付けに関する演説
 一九〇五年ロシアでの大衆ストライキをドイツでも有効としたイェーナ党大会決議から三度繰り返される議論58P
運動のいきずまりを大衆ストライキで突破しようという「フランクの発言は、人が大衆ストライキにたいしてとるべきでない態度の、よい見本である。」「大衆ストライキは、そのための歴史的な諸条件があたえられるときに、はじめておこなわれうる。」60P「階級対立が激化し、政治情勢が尖鋭化してきたとき、絶対的必然性をもって現れる手段が大衆ストライキである。」「議会に重点をおくような政策と大衆ストライキとは、まるで結びつかない。」61P
ベルギーの例にみられるように「大ブロック政策と結びつけられた大衆ストライキは敗北しかもたらさない・・・・・・」61P
繰り返される「ドイツで大衆ストライキをプロパガンダするのは時期尚早である」という話62P
「党執行部が総評議会と連絡をとって大衆ストライキを準備すべきだ、という声にたいしては、大衆ストライキは人為的には作れない、と言っておかねばならぬ。しかしそのような声があがること自体は必然である。われわれは大衆ストライキがドイツにおいて不可避となる情勢に迫られていることを自覚しなければならない。」63P
 ローザの情勢分析63P「もはやリベラル派をあてにしてはならぬという教訓」
「われわれは本来をてんとうして事をはじめてはならない。技術的に大衆ストライキを準備してはならない。状況が熟すれば、大衆ストライキの戦術もおのずから形をととのえてくる。」64P「大衆がかたちづくる組織では、指揮棒は大衆の手になければならない。」64-5P「大衆がイニシャチヴをとって党の船を推進せねばならないのだ。そうなってこそわれわれは安んじて未来を見ることができる。歴史は確実に歴史の仕事をはたすだろう。あなたがたもまた、あなたがたの仕事をりっぱにやりとげてほしい。」65P
理論の御用化 ○
 変節したカウツキーに対する批判
T ローザの持論の展開
「大衆ストライキは人工的に上からの指令によってこさえあげたりはできぬものであり、また大衆ストライキは適切な状況すなわち経済的・政治的な諸条件が現に与えられているときにのみ、大衆の革命的なエネルギーの効用のなかから嵐のように不可抗力的なストライキが捲きおこるときのみ、真に有効なものとなりうることである。」68P
(社会民主主義は)「闘争の社会的条件を理論的に洞察することによって、プロレタリアートの階級闘争をかつてないほどに意識的なものとし、その闘争に明確な目標と遠大な可能性をあたえた。労働者の持続的な大衆組織をはじめて作りだし、それによって階級闘争にしっかりした背骨をとおしたのは、社会民主主義である。」70-1P
「社会民主党の成立にもかかわらず世界史の生きた実質は依然として人民大衆なのであり、この人民大衆と組織された中核とのあいだに活潑な血液循環がはたらいて両者が同じ鼓動にいきづいているときにのみ、社会民主党は党もまた大きい歴史的行動の役にたつことを実証しうるのだ。」71P
「見られるとおり、どの点においてもわたしの見解のオリジナルとそれのカウツキーによる模写との関係は、ちょうどマルクシズムの理論および戦術とそれのいわゆる修正主義的な叙述との関係に似かよっている。われわれの修正主義者たちは「貧困化の理論」とか「絶対反対主義」とか「実際的な仕事」の軽視とかいったカカシをまず立てておいてから、カカシを切り伏せてかれらの批判のやいばの切れ味を示し、したり顔をするのが例だが、カウツキーのやりくちはこれとまったく同じだ。かれはわたしの明晰なことばを、わたしの論述の傾向全体をねじまげて、かってに一枚のカリカチュアをこさえあげ、その上で祖国を救えとばかりにかれ一流のもみけしの技術をふるうのである。」71-2P
U カウツキーの独特の大衆ストライキ理論の批判、以前のカウツキーの叙述を引き合いに出しながら、変節したカウツキーの批判
 カウツキーの大衆ストライキの類型化73P以前は共鳴していたカウツキーのロシア批判へのローザの批判「わたしはロシア労働者やロシア革命にかんするカウツキーの叙述はその他のプロレタリアートにたいする誹謗である、と述べた一九一〇年のときのわたしのことばをもう一度、カウツキーにつきつけないわけにはいかない。」73-4P
未組織大衆から支持を得ることの必要性「以前からあらゆる大規模な労働組合闘争は未組織大衆の支持を頼みにしているし、また以前から組織の大きな拡大は未組織大衆の協力がえられた大闘争のなかからしか生じていない。未組織大衆の協力がなければ労働組合の重大な闘争はまったく考えられず、この闘争がなければ、組織の生長はまったく考えられない。」76P
「カウツキーはたしかに鉱山労働者のストライキをひきあいに出して、このストライキは「われわれはわれわれ自身の組織以外のなにものもあてにしてはならない、ということを明確に示した」という。だが鉱山労働者のストライキが失敗したのは、むしろかなりの程度まで指導部の責任ではなかったかどうか、まだ研究の要がある。それは臆病でブレーキをかけるばかりが能の指導部のせいではなかったのか。指導部はここ数年来、大規模な対決が目前に迫るたびごとにそれを日のべし、戦闘がもちあがればそれを局地化し、闘争から政治的性格を抹消することにうきみをやつしているが、そうすることによってけっきょく大衆から高揚を消し去り確信を奪いとっているのだ。」77-8P
 結論のようなこと「しかし、そうだとしたら、プロレタリアートの階級意識をもつ組織部分としては、たんに受動的に「激動期」を持ってばかりいないで、指導的な前衛の役割を能動的に確保してゆくことこそが、その明確な任務となるのではないか? そして社会民主党としては、党のあらゆる行動によって未組織大衆への影響力を最大限に強めることこそが、すなわち果敢な前進・大胆な攻勢によって広汎な人民大衆の信頼をかちうると同時に、党自体の組織構造を大規模な大衆行動の要請にこたえて改善してゆくことこそが、その歴史的課題となるのではないか?」79P
V カウツキーの議会主義的なところへののめり込み批判
「これ(「ドイツ型大衆ストライキ」)に到達するには、カウツキーによれば、つぎのような紆余曲折を経ねばならぬ。プロイセン選挙法問題で大衆ストライキが可能となるには、まずプロイセン大衆が普通選挙権の利益を正しく把握して選挙法を自己の死活問題とみなすに至っていなくてはならない。」80P
「国会が日を追って不毛な存在と化しつつあること、それはとうから労働者階級への贈りものとしてはパンならぬ石しか持ち合わせがないこと、またわれわれの社会改良なるものが日を追って労働者を守るものから労働者を攻めるものに変じつつあることは、いまや社会民主主義のもっとも穏健なアジテーターさえもの常識となりきっている・・・・・・」81P
 かつてベーベルが議会主義にたいして語っていたことの評価できることとしての引用82-4P
「つまりわれわれが選挙ごとにますます多くの支持者を獲得してきたのは、国会での「ポジティヴな仕事」によってでなく、国会での啓蒙的なアジテーションによってなのだ。」84P
「(カウツキーのいう)、国会選挙、議席の獲得――これが万能薬であり、アルファでありオメガである。議会主義プラスゼロ――これがカウツキーがこんにち党にたいして自信をもって勧告できる唯一のものなのだ。」85P
W カウツキー批判のまとめ
「前進への意欲がわれわれの戦列のあいだに現在ほど活溌に湧きおこったことは、ここ数年見られなかったことだ。あらゆる機会を捉えて敵を威圧することのできる戦術を編みだすと同時に、われわれの組織の構造をいっそう機動性のある構造に汲みあげてゆこうとする意欲が、いまほど盛りあがったことはない。」85-6P
「組織人員数や機関紙の部数は、われわれの党の結成いらい最低の伸びを示している。」86P
「組織人員数・機関紙購読者数の減少さえ、カウツキーの哲学者的静観者的な平静をみだすことはできない」87P
「カウツキーといえば、組織されている人々だけを頼りとし、かれらのみをひきいて階級闘争のあらゆる戦闘をたたかおうとしている男である。かれは組織をプロレタリアートの意識的な中核であり指導的な前衛であると見なすよりもむしろ、階級闘争および歴史を動かす唯一のものであると見なす。そのカウツキーが、ほかでもなく組織人員数の減少が確認されたとなると、みょうなことにとたんに泰然たるおちつきを発揮してみせるのだ。」88P
「マルクスの精神からすれば理論的認識は、行動のあとにのこのこついてゆくために存在するものでもなく、社会民主党の「上部官庁」がじぶんの行動なり怠慢なりについていつでも手前ミソを並べられるようにしておくために存在するものでもない。その逆であって、理論的認識が存在するのは党の行動よりも前に出て行動を指導するためであり、党のたえざる自己批判をうながすためであり、運動の欠陥や弱点をあきらかにするためであり、区々たる仕事の谷間からは見えない新しい道路や広い地平線をさししめすためである。」89P
「国会選挙! これがカウツキーの唯一の戦術上のスローガンだった。」89P
カウツキーの主張「これまでのドイツの歴史上に類例を見ない政治情勢がうまれてきている。われわれの政治的発展はこんごも主として議会内でなされること、議会闘争は現情勢ではわれわれの歩みを大幅にすすめうるものであること」
「制止する指導者たちがやがて、嵐となって進む大衆の手でわきにおしのけられてしまうのは確実だ。とはいえ手をこまねいて、確実に「時が熟した」徴候であるこの喜ばしい決着をのうのうと待つことは、孤独な哲学者にしかふさわしくない。革命党の政治指導部としてはそれは無能の証拠であり、倫理的な破産を意味する。社会民主党の任務、したがってその指導部の任務は、事態にひきずりまわされることではない。事態に意識的にさきだち、発展の方向を展望して、発展の歩みを意識的な行動によって捷径にみちびき、それを促進することこそ、その任務である。」92P
「ここ三年間のカウツキーの戦術上の指示ほどに早くかつ徹底的に、現実の発展によってほうむられてしまったものは、ほかに例がない。議会主義一本槍に帰着するかれの「消耗戦略」は、いまでは党員の大多数からはぜんぜんかえりみられないし、かれの「武装抛棄」は冥府に没してしまった。・・・・・・前へ進もうとする大衆に役だつのではなく、前進にブレーキをかけるのに役だつような理論を待ち受けている運命は、実践によってたちまち追いこされ、さっさとわきへおしのけられることでしかない。」92P
ツァーベルン事件の決算
ツァーベルン事件とは、(註から)「一九一三年一一月、プロイセンの士官たちがエルザスの小都市ツァーベルンの住民たちに挑発的な攻撃をかけたことに端を発して、その地の住民の暴動が起こり、一時この年に戒厳令が布かれるにいたった事件をいう。」288P
議会主義のなかで、リベラルとの共闘は、いろいろな弾圧に関して怒りの抗議をなしえなくしている。
「しかし、階級意識をもつプロレタリアートにとっては、ドイツ・ミリタリズムのかげの犠牲者たちも戦争犠牲者たちも、どんな民族に属しどんな言語を話す人々であれ、エルザスの市民たちが身近であるように身近な人々である。」97P
「つまりかれらにすれば、惨虐行為が外国の人民や闘争するプロレタリアートにたいして行われるときは、それはしごく当然のことなのである。/メダルのこの裏面を容赦なく摘発し強調することこそ、社会民主党の任務である。社会民主主義にとって、帝国主義が日毎にますます直接のもっとも危険な敵となってきているだけに、われわれは手をゆるめてはいられない。」97P
きたるべき報復
「歴史はつねに制度の最大の教師である。現代史はしかも従来よりももっと明瞭な実物教育をしてくれている。」98P
「歴史の弁証法はまたしても、煩瑣な形式になりさがったリベラリズムの顕著な矛盾を――すなわち絶対主義と議会制度とをくっつけ合わせかっこうよく綜合して、議会制度を軍国主義的絶対主義のうすぺらないちじくの葉にしている、という矛盾――を見ているわけだ。」「ブルジョア議会主義は、ブルジョア階級と封建貴族階級との間に深刻な階級対立が存在していて大規模な階級闘争がたたかわわれているところでのみ、真に政治的な力をもちうる。」99P
 保守派の動き99-100P
「しかしブルジョア野党が最終的に排除されてしまったことの必然の結果は、ほかでもなく、支配的反動と労働者大衆との直接の対決が仮借なく迫ることである。法治国を破壊し議会制度を破壊する野蛮なふるまいが、じつに労働者に、正義と法をまもるために労働者の無限の力をふるいおこすことを余儀なくさせるのだ。」101P
「この対決は議会の法制という狭い枠のある不安定な地盤の上でおこなわれるのではない。不文の法である歴史の法と労働者階級の現実の力とがともにそこに根ざしているところの、強固な地盤の上で、この対決はたたかいぬかれるのだ。」101P
「運動が大きく拡がって大衆的なものとなればなるほど、大衆の徹底性も生長する。大衆の運動そのものが大衆の徹底性なのだ、と、マルクスは語っていた。労働者階級がブルジョア法治国を目標として闘争すれば、闘争は労働者的・革命的な階級的性格を帯びざるをえないし、労働者階級がブルジョア議会制度を擁護すれば、同時にブルジョアの階級支配を力のかぎり揺さぶらずにはおかない。」102P
御用組合の奴隷まつり
「資本家階級やブルジョア・ジャーナリズムは、御用組合組織の「未曽有の成功」に気をよくしている。」103P
「経済権力をほしいままにして利得をむさぼる連中は、経済権力を利してたんにレモンをしぼるように物理的に労働者をしぼりあげて私腹をこやしてきたばかりではない。連中は経済権力を利して、むかしから労働者を道徳的にも踏みにじってきた。労働者の人間としての品位を嘲奔しつづけてきたのだ。」103-4P
「こんにち御用労働組合組織が演じている役割は、資本の鞭のうなりのもとで、歓声をあげて気ちがいじみた(ママ)ダンスをおどる奴隷たちや、精神的に奴隷であって唯々諾々とじぶんの仲間を懲戒するロシアの農民たちが演じていた役割と、そっくりそのままである。」105P
「しかし御用組合の生長の急激性こそが、まさにそれが短命であることのもっとも確実な徴候である。労働者階級の知的な認識、内的な確信・自由な決意に依拠する運動は、ゆっくりと成熟するものだし、ふかい思慮をもって粘りづよく前進するものだ。現代プロレタリアートの持つ階級闘争の意識も、その組織も、強靱で不屈な努力のすえに一歩一歩たたかいとられてきたのである。」106P
「ちょうど資本主義社会で恐慌の時期に続いて数年後には経済活動のあらたな飛躍がおこるように、宿命的な必然性をもって、目下の御用運動の満潮期にも容赦なく退潮期が続くにちがいない。御用組織のさしあたっての繁栄が資本家階級の鞭によってにぎやかなものにされればされるほど、かえってそれだけはやく、それだけ徹底的に、御用組合がほんの一時の泥水の波だちにすぎないことが曝露されるだろう。これにたいして自由労働組合は、革命的な階級闘争に鼓舞され社会主義の理念に照らされて、たえまなく沈澱してくるものをあつめながら、歴史の豊饒な土壌を形成している。これから未来の種子が芽ぶくのだ。」107P
ミリタリズム、戦争、労働者階級――フランクフルト刑事裁判所での弁論 ○
「判事どの、もしもあなたがたが、あの集会に出席していた何千人という人々のなかから、教育をうけたことのない、平凡な労働者をひとり、えらびだして、かれに尋ねたのだったら、かれはきっとあなたがたに、まったく別の模様を、わたしの同じ演説からうけたまったく別の印象を、語ってきかせただろう。じっさい、働く人民のなかの素朴な男女は、わたしたちの思想を苦もなく理解してくれる。ところが、その同じ思想が、プロイセンの検事の頭脳のなかでは、できそこないの鏡にうつった映像のように、すっかり歪んでしまうのだ。」109P
「またわれわれ社会民主党員が、演説や文書をつうじてつねにおこなっていること、それは――啓蒙活動をひろめ、働く者の大衆にかれらの階級的利害と歴史的使命を自覚させることであり、かれらに歴史的発展の壮大な進路をしめし、今日の社会の胎内で育ってゆく、経済的、政治的変革への傾向を、その発展が一定の高さまで達すれば、現在の社会秩序をうちくだき、それを、より高度の社会主義的社会秩序でおきかえずにはおかない。そのきびしい必然性をしめすことである。」「われわれ社会民主主義者にとっては、あらゆることがらが、おなじひとつの、調和的、統一的な、科学に基礎づけられた世界観に帰着する。」110P
「かれら(祖国防衛論のおえら方)にとって祖国防衛は第一義的な問題ではなく、第二義的な問題ですらないからだ。かれらに必要なのは帝国主義的侵略戦争であって、この侵略戦争を遂行するためには、民兵制度はまったく役にたたないのだ。さらに支配階級は、働く人民の手に武器をゆだねることを、かたく拒んでいる。」112P
「すなわち、人民の大多数が、戦争は野蛮な、きわめて非人間的な、反動的で反人民的な現象であると確信するようになれば、もはや戦争は不可能である。」114P
ミリタリズムに対するインターナショナル大会の決議・声明の歴史。116-9P
 一八六六年のインターナショナル・ブリュッセル大会「・・・・・・万一自国が戦争にまきこまれたばあいには、それぞれの国々の労働者は、ただちに仕事を放棄するよう、勧告する」116-7P
一八九三年チューリヒ大会「・・・・・・階級支配の根絶とともに、戦争もまた消滅する。帝国主義の崩壊は、世界平和を意味する」117P
一八九六年のロンドン大会「世界平和樹立への真剣な意欲をもやすことができるのは、またそれに必要な権力をとることができるのは、労働者階級だけである。それゆえ、労働者階級は、つぎの要求をかかげる。/一 あらゆる国々の現存兵力の即時撤廃と、民兵制度の採用。/二 法的拘束力のある決議権をもった国際仲裁裁判所の設置。/三 政府が国際仲裁裁判所の決定に服さないばあいには、直接人民が、戦争か平和かの最終決定をくだすこと」117-8P
一九〇〇年のバリ大会「社会主義諸政党は、ミリタリズムにたいする闘争を強化するため、いたるところにおいて、青年の教育と組織化に着手し、全力をあげてそれを成功させなくてはならない」119P
一九〇七年のシュトゥットガルト大会「・・・・・・これらの事例はすべて、プロレタリアートの力の成長と、断乎たる行動によって平和をまもりぬこうとする、労働者階級の熱意の高まりを、証明するものである」118-9P
「今日の社会情勢の発展過程における一時期を画するものとしての大衆ストライキは、人為的に「ひきおこす」ことのできないものだ、ということである。・・・・・・階級闘争の一段階である。大衆ストライキにかんする、われわれ社会民主党員の任務は、もっぱら、この発展の必然のなりゆきを労働者階級に意識させる点にある。こうした意識によって、労働者は、かれらの任務の偉大さにふさわしく、よく訓練された、規律ただしい、かたい決意をいだいて、いささかもたじろぐことのない、勇敢に行動する、人民大衆となるのだ。」12P
判決に対する回答
「ローザ・ルクセンブルクがフランクフルトでの抗議集会にあらわれたことを報せる新聞記事(一九一四年二月二二日)」」123P
「今日のミリタリズムに反対するアジテーションは、国家の中枢にたいする攻撃なのである。現在の国家の中枢をなすものは、大衆の福祉でも、祖国への愛でもなく、むきだしの銃剣だということが、これではっきりしたとおもう。」124P
「ミリタリズムに反対するというこの一点にかんするかぎり、われわれはみんな一致しており、いかなる分派も存在しない。(拍手)この点では、われわれはひとつづきの壁となって、現在の社会に向きあっているのである。(ながくつづく拍手)」
メダルの裏表
「ウルスターとその周辺でおきていることは、イギリスの社会生活全般が、政治的破局におちいっていることをしめす、さまざまの徴候を帯びている。この破局の基本的意義は、他の国々でおこったこれと類似の現象――すなわち、有名なフランスのドレフェス事件、およびドイツのツァーベルン事件――と比べてみるとき、はじめて鮮明に浮彫りにされる。」126P
「フランス第三共和国、古い伝統を負うイギリスの議会政治、ドイツの半絶対主義、といったさまざまの相異なる政治形態の国が、個々別々の動機から、同じ軍事独裁の危機を経験したという、この事実は、すでにそれだけで、この現象の根深さと、それが社会秩序の根本にかかわるものであることを、物語っている。」「「軍隊は政治に手出ししてはならない」――この命題は、他のもうひとつの命題、すなわち、「軍隊は祖国防衛に奉仕すべきものだ」という命題とともに、あらゆる国々における現存の軍隊の役割を規定する根本原則である。」127P
「軍隊にたいする政治的中立の要求にしろ、または、今日ブルジョアジーがおこなっている、「政治づいた将校」にたいする闘争にしろ、それらはいずれも、今後軍隊は、ブルジョアジーの階級支配を援け、外敵にたいしても、また国内においても、かれらの誠実で従順な道具であれ、という要求にほかならない。」127P
「勃興する労働者階級にたいして、事あるごとに、「祖国防衛の砦」である軍隊をさしむけ、経済的搾取と政治的弾圧に軍隊を利用するブルジョアジーが、その同じ軍隊にむかって、いかなる政治闘争にも手出しするな、ひたすら「法律」に従え、と要求するということは、ブルジョア社会の悲劇的な矛盾のあらわれである。」128P
「これらすべての紛争の背後によこたわる、メダルの裏表というべき事柄の真相は、本来の軍隊である兵士大衆が、将校にたいする服従の義務から、かれらにとって神聖な、戦闘的プロレタリアートの権益を攻撃するために出動させられる、ということである。」「すなわち「軍隊か人民大衆か?」の問題が、ますます大きく前面におしだされてくる。」129P
「軍隊が民兵に置換えられ、名実ともに、自由主義の原則にいうところの「祖国防衛の機関」となったとき、そのときはじめて、軍隊と人民との対立は克服される。」129P・・・そもそも国家主義自体の批判が必要
党の規律
 戦争反対の綱領に反して、リープクネヒト以外が戦争予算に賛成票を投じたことを巡る党の規律問題
「わが社会民主党の規律と、これらの工場なり軍隊なりの規律とは、その本質においても、その基盤においても、まったく正反対のものである。軍隊の規律、あるいは資本主義的工場経営の規律は、外からの強制によってつくられたものだが、社会民主党のそれは、党員の自発的な従属を基礎にしている。前者は、人民大衆にたいする少数者の専制に奉仕し、後者は、デモクラシーに、すなわち、個々の成員を、啓蒙された人民大衆の意志に従わせることに奉仕する。」131P
「プロレタリア大衆の大多数、豊かな経験と、徹底的な公開討論にもとづいて決議する、何百万の党員の意見や意志を基準にするべきである。」133P
「社会民主党の従来からの方針、性格、目的を骨抜きにする重大な規律違反が、平然と行われている。これがいつわらぬ実状である。党に所属する機関が、全党の意志すなわち綱領に奉仕することをわすれ、勝手に全党の意志をねじまげること、それが規律違反なのだ。」134P
インターナショナルの再建 ○
T ドイツ社会民主党の変節、愛国主義・国家主義へののみこまれ
「一九一四年八月四日、ドイツ社会民主党は政治的に破産し、同時に社会主義インターナショナルは崩壊した。」135P
「世界大戦の勃発とともに、言葉は肉体となり、歴史的な傾向を示すだけだったこの定式が、たちまち政治状況そのものとなった。いちはやくこの二者択一を認識し、すすんでそれを人民の意識にもたらした社会民主党は、みずからこの政治状況の場に立たされると、さっさと矛を収め、一戦も交えないで、帝国主義に陣地をあけわたしてしまったのである。」135P
「いわゆる「マルクス主義の中道」を標榜するカウツキー――あるいは、政治的に呼べば、泥沼派の理論家カウツキー――は、すでに何年もまえから、マルクス主義を、「最高審議機関」公認の実践活動に仕える忠実な侍女(ママ)の地位におとしめ、そのことによって、今日の党の壊滅にすくなからず貢献したが、いままた新たな理論を考案して、しきりにこの壊滅を美化し、正当化しようとしている。」「ドイツ社会民主党の今日の混迷を、ため息まじりに慨嘆してみせ、戦時における社会主義にふさわしい唯一の政策は「沈黙」であり、平和の鐘が鳴りわたる暁には、社会主義もまた活動を再開するだろう、などと言っている。」135P
「戦争に賛成か反対かの二者択一をせまられた社会民主党は、「反対」をあきらめた瞬間、きびしい歴史の必然性が命じるままに、天秤のもう一方の皿へ、つまり賛成の側へ、まるごと乗りうつってしまった。」「社会民主党が国会に送りだしたかれらの選良とともに、戦争支持へ踏みきるやいなや、他のいっさいの事柄が、もはやとりかえしのつかない歴史の流れに乗ってうごきだした。」「八月四日の国会で、ドイツ社会民主党は、「沈黙」をはるかにとびこえて、きわめて重大な歴史的役割を演じた。それは、こんどの戦争における帝国主義のタイコモチという役割である。」137P
 社会民主党が陥った誤り137-9P
U 変節者の弁明――史的唯物論のねじ曲げ
「労働者党の今日の行動と昨日の言葉とのあいだの小さな不一致をつぎのように弁明する。すなわち、社会主義インターナショナルは、戦争勃発を阻止する問題についてはずいぶん論じてきたが、いったい戦争がはじまってしまったあとでどうするかの問題は、すこしも検討しなかった、というのだ。」「共産党宣言の世界史的アピールは、いまやカウツキーによって本質的な点を補足され、つぎのように訂正された――万国のプロレタリアートよ、平和の時代には団結せよ! だが戦時にはたがいに相手の喉ぶえにくらいつけ!・・・・・・インターナショナルは「その本質において平和の器」であり、「戦時において有効なはたらきをはたすことはできない」のである。」140-1P
「今日までの歴史上の事実は、この修正された史的唯物論をまっこうから否定する。歴史は、戦争と階級闘争との対立というこの斬新な着想に背をむけ、戦争から階級闘争へ、階級闘争から戦争への、不断の弁証法的発展と、両者の本質的な一致を、いきいきとえがいて見せる。・・・・・・抽象的、純理論的に考えてみても、カウツキーの史的唯物論がマルクス主義とは縁もゆかりもないものであることは、かんたんに検証できる。」142P
「まさしく戦争は――カウツキーが好んで引用するクラウゼヴィッツの言葉どおり――「べつの手段による政治の継続」にすぎない。しかも、いまや帝国主義の局面をあらわした資本の支配は、軍拡競争をつうじて、ミリタリズム独裁にほかならない戦争を無期限に継続させ、平和をたんなる一片のイリュージョンにかえてしまった。」143P
「八月四日以後の道徳的破滅をもたらした「己れじしんの弱さと不徹底を、容赦なく、根本的に侮辱しつくす」ことによってのみ、すなわち、八月四日以後の戦術のすべてを精算しくすことによってのみ、はじめてインターナショナル再建の端緒をつかむことができる。この方向への第一歩は、速やかな戦争の終熄、および、インターナショナルなプロレタリアートの共通の利益にのっとった平和の樹立、をめざす行動である。」144P
V その後の二つの動きと再建のためのアピール
「平和の問題にかんしては、今日までのところ、党の戦列で、二通りの動きが前面にあらわれている。」144P
ひとつ「党幹部のメンバーのシャイデマンはじめ、かなりの数の国会議員や党の機関紙によって代表されるもので、政府の声を口うつしにして、「堅忍持久」の標語をひろめ、平和獲得の運動を、祖国にとって軍事的にマイナスだとか、自宣を得ないとかの理由で、攻撃する。またかれらは、戦争継続に賛成し、つまり客観的には、支配階級の思惑どおり、「勝利が、支払った犠牲を償うまで」、あるいは「保障された平和」が得られるまで、戦争をつづけることに骨折っている。」145P
ふたつめ「あらゆる国々において、即時停戦を要求する運動がしだいに勢いを得てきた。これらの平和思想や平和祈願のすべてに特徴的な点は、終戦と同時に、綿密に計画された平和の保証を要求しようとすることである。」「八月四日の壊滅によって証明されたことは、なによりもまず、有効な平和の保証、戦争を阻止する真の防波堤は、けっして、支配階級めあての信心ぶかい祈願や、巧妙に立案された処方や、ユートピアまがいの要求などではなく、もっぱら、プロレタリアートの行動的意志、その階級政策、帝国主義のいかなる襲撃に遇ってもびくともしないインターナショナルなプロレタリアートの団結だという、世界史的な教訓である。」145P「ただひとつ抜けているのは、「願望」ではなく行動によって、平和を獲得するのだという宣言、またいかに行動するのかの説明である!」「戦争の継続のための物質的手段を承認し、その舌の根が乾かぬうちに、あらゆる祝福の言葉とともに即時停戦の悲願をうったえる――「一方の手で政府に剣を手渡しながら、もう一方の手で、平和の棕櫚の葉をインターナショナルの頭上にかざす――これこそ、「ノイエ・ツァイト」の同じ号にその理論的な宣伝文を掲載している泥沼派の、現実的政策とやらの傑作である。」146P
「あらゆる国々の社会主義政党の共有財産となりうるもの、またそうしなければならないものは、インターナショナルの現状を打破するための突破口、およびインターナショナル崩壊の原因を、認識することだ。平和と共にインターナショナルの再建をめざす決定的な行動は、交戦国の社会主義政党からしかうまれてこない。平和とインターナショナル再建のための第一歩は、いまただちに、社会帝国主義路線を逆転させることである。」147P
「マルクス主義は、近代の労働運動史上はじめて、理論的認識とプロレタリアートの革命的行動力とを組みあわせ、この二つの要素がたがいに他の一方によって照明をあてられ、豊かにされるようにした、社会主義の科学である。この二つの要素は、ともにマルクス主義のもっとも深い本質に根ざしたものであって、一方を他方から切り離してしまえば、それはもはや、マルクス主義ではなく、マルクス主義のみじめな漫画にすぎない。」147-8P「ドイツ社会民主党は、模範とされた理論的認識と強大な組織をかかえたまま、滔々と流れる歴史の渦に巻きこまれ、たちまち、舵を失った難破船さながら、錐もみ状態になり、帝国主義の突風にさらされた。この突風に逆らって船を操り、向うの島に、社会主義の前進基地を築くはずだったのに。インターナショナル全軍の敗北は、もっとも訓練のゆきとどいた、強大な精鋭であるこの「先進部隊」の遭難によって、他の一切の失敗がなかったとしても、もはや動かしがたいものとなった。」148P
「インターナショナルも、プロレタリアートの利益にもとづく平和も、ともにプロレタリアートの自己批判と、自己権力にたいする自覚からしかうまれない。この権力は、八月四日、嵐に打たれて、柔軟な葦のように折れ伏したが、ひとたびその真の偉大さにたちかえるならば、千年をけみした社会不正の樫の大木を倒し、山をも動かす歴史的使命を帯びているのだ。権力への道――紙上の決議ではなく――は同時に平和への道であり、インターナショナル再建への道である。」149P
社会民主党の危機(ユニウス・プロシェーレ) ◎
T インターナショナル運動の概括とそのなかにおけるドイツ社会民主党の位置
第二インターナショナルの崩壊「国際社会民主党の降服」152P
「パリ・コミューンの墳墓は、ヨーロッパ労働運動の第一の段階を画し、第一インターナショナルを終焉させた。」153P
「ドイツの労働者は、第二の局面における前衛となった。ドイツの労働者は前衛となった。ドイツの労働者は、倦むことをしらぬ細心の努力による無数の犠牲をはらいながら、もっとも強力な模範的な組織を作りあげ、最大の機関紙を創設し、もっとも活溌な教化啓蒙の手段を生みだし、最強力な選挙民大衆を自己の周囲に結集させ、もっとも数多く国会議員を獲得していたドイツ社会民主党は、マルクス主義的社会運動のもっとも純粋な具現とみなされた。ドイツ社会民主党は、第二インターナショナルの教師、指導者としての特別な地位をもち、それを要求した。」153P
「しかるに、重大な歴史的試練がおそいかかってきたとき、われわれは、ドイツにおいて、何を経験したのか。それは、じつにはなはだしい転落、じつに激烈な崩壊であった。どの国であれ、ドイツにおけるほど、これほど徹底的に、プロレタリアートの組織が帝国主義の走狗となりはて、これほど無抵抗に戒厳状態が甘受され、また、これほどに轡がはめられ、これほど世論が圧殺され、これほど徹底的に労働者階級の経済的、政治的闘争が放棄された国は、どこにもなかった。」154-5P
 これまでのドイツ社会民主党の反戦の姿勢157-161P
「わが党の公式パンフレット「帝国主義か社会主義か」」157-8P「前回の国会議員選挙のために、一九一一年発行された公式文書「社会民主党選挙人必携」158P一九一一年八月四日
ロンドンにおける国際会議158-9P一九一二年一一月バーゼルにおけるインターナショナルの会議におけるヴィクトル・アドラーの発言159Pトレルストラの「小民族」またベルギーの立場での発言159-60Pジョレスのインターナショナル事務局の名での発言160P一九一二年一二月三日社会民主党議員団のダヴィッドのドイツ帝国主義議会での演説160-1P一九一四年七月三〇日のドイツ社会民主党中央機関161P
「かくて一九一四年八月四日、未曽有の出来事、前例のない大事件がおとずれた。」161P
「たしかに、人間がその影を飛びこえられないのと同よう、われわれは歴史的発展を飛びこえることはできない。とはいえ、われわれがその発展を速め、またおくらせることは、充分に可能なのである。/社会主義は、人類の社会的行為のなかに、意識的な精神、計画的な思考、それに伴って、自由な意志をもたらすことを目的に据え、歴史によってその使命を課せられた、世界史上で最初の民衆運動である。」162P
「今日、われわれは、一時代、四〇年前に、フリードリッヒ・エンゲルスが予言したように、帝国主義の勝利と、古代ローマにおけるがごとき、あらゆる文化の没落、人口絶滅、荒癈、退化、一大墳墓か、さもなければ、社会主義の勝利、すなわち、帝国主義とその手段である戦争にたいする国際プロレタリアートの意識的な戦闘行為か、の選択の前に立たされているのである。」163P
「またもし、プロレタリアートの現在の指導者・社会民主党が学ぶことを理解せぬとあれば、そのときには、「新しい世界にふさわしい人びとに席を譲るために」社会民主党は亡びるであろう。」164P
U ドイツ社会民主党の愛国主義への転落
ドイツ社会民主党の戦争支持の声明164-5P「われわれは、危急の時に、祖国を見棄てはしない」164P・・・飲み込まれのキーワード「国」
「八月四日、党国会議員団は、この声明によって、戦時中のドイツ労働者の態度を規定し支配すべきスローガンをあたえた。「危難の祖国、民族防衛、生存と文化と自由のための国民戦争」――これが、社会民主党国会議員たちの発した、スローガンであった。」165P
「近代労働者運動が発生して以来、ここに始めて、プロレタリアートの国際連帯の鉄則と、諸国民の自由と民族的存立の利益との間に深渕が開く。そして、われわれは、諸民族の独立と自由は、諸国のプロレタリアートの相互的な殺戮剿減を絶対的に要求する、という事実をはじめて発見することとなる。」166P
かつての戦争反対の主張「社会民主党の指導者たちは、その戦争に関して、民族の死活の利害と国際プロレタリアートの階級的利益は一つのものであり、両者はともに戦争は反対するとの立場を代表した。民族的自由か――国際社会主義か! などというジレンマは、今度の戦争、一九一四年八月四日付の社会民主党議員団の声明が、はじめて発見したものでしかない。」166-7P
 皇帝演説と首相演説167-8P
「これらのすべてのことも、社会民主党には、上述のように、八月四日に、突如として明らかになったのであった。その日に至るまで、戦争勃発のその前夜まで、社会民主党が口にしてきたことはすべて、議員団声明とは正反対の事柄であった。」169P
 間近までの社会民主党の戦争反対の主張169-173P
「七月二五日、この戦争の導火線となった、セルビアにたいするオーストリアの最後通達が発せられたとき、「フォル・ヴェルツ」」169P「七月二四日、「ラインプツイガー・フォルクスツァイトトゥンク」」「同日、「ドレスドナー・フォルクスツァイトトゥンク」」170P「七月二五日「ミュンヒナー・ポスト」」「七月二四日、「シェレスウィヒ・ホルスタイニッシェ・フォルクスツァイトトゥンク」」「七月二五日、「マグデブルガー・フォルクスシュティンメ」」171P「七月二四日、「フランクフルター・フォルクスシュティンメ」」「同日、「エルバーフェルダー・フライエ・ブレッセ」」172P「ゾーリンゲンの「ベルギッシュ・アルバイターシュティンメ」」173P
「戦争勃発のわずか一週間前まで、我が党の全機関紙が例外なしに、戦争をこのように評価していた。それらの論じていたのは、ドイツの存立と自由ではなく、オーストリア主戦派の無法な冒険であり、また正当防衛、民族防衛、自己の自由の名においての強いられた聖なる戦争ではなく、軽率な戦争挑発、他国セルビアの独立と自由にたいする恥しらずな威嚇であった。」173P
 なぜ社会民主党の急変が起きたのか?「ドイツ政府が国会に提出した白書」173-4P「(政府から知らされた)ドイツ軍がすでにベルギーに侵入しているということ」175P
「社会民主党議員団は、これらすべてのことから、事態は、外国の侵略にたいする防衛戦争であり、祖国の存立、分化にかかわるものであり、ロシアの専制政治にたいする自由戦争である、との結論を引き出したのであった。」175-6P
 しかし、過去の教訓「わが党は、すでに、ドイツの二つの大戦争を体験し、その両者から、意味深い教訓をくみとりえているのである。」「一八六六年の対オーストリア戦争」176P「そればかりでない。引きつづいて、一八七〇年に、フランスとの戦争がおこった。・・・・・・当時、「いかにして戦争が作られるか」を曝露し、人民大衆に示すことを、自らの使命として、義務としていたのは、まさに老リープクネヒトであり、ドイツ社会民主党であった。」178P
「単に、脅威にさらされた祖国の防衛だけを目的とする「戦争でっち上げ」は、別に、ビスマルクの発明にかかるものではない。彼は、ブルジョアの古く、まつたく国際的な慣行を、彼独特な厚顔なやり方で、踏襲しただけのことでしかない。そもそも、いわゆる世論なるものが、政府の画策に一役買うようになって以来、どの戦争指導部であれ、敵の卑劣な攻撃にたいして、だただ、祖国と正義の防衛を念じつつ、心痛のうちに、剣を抜いた、といわないような戦争などが、いつ、どこに存在したか。こうした伝説は、火薬や鉛と同よう、戦争をするには、なくては叶わぬしろ物なのである。こんな芝居は、古臭い。ただ、新しいのは、社会民主党がこの芝居に一枚加わったということ、それだけである。」178P
V 戦争へ至る政治・経済状況
「より深い連帯と、より徹底した識見のみが、わが党に、この戦争の本質、その現実的目標を洞察し、いかなる点からしても、この戦争によって不意打ちをくわされないだけの準備をさせた。一九一四年八月四日をもたらした事の成り行きと、その推進力は、いささかも秘密ではない。世界戦争は、数十年来、まったく公然と、白日のもとに、一歩一歩、一刻一刻、準備されてきた。」178-9P・・・「秘密外交」という論説に対する批判
「最近の歴史における発展の二つのコースが、まっしぐらに現在の戦争をもたらした。その一つは、いわゆる民族国家、つまり、近代資本主義諸国家形成の時期・ビスマルクの対フランス戦争に端を発したものである。」179P
「ビスマルクの軍隊がまだフランスに駐屯していた当時に、マルクスは、ブラウンシュヴァイク委員会にあてて、次のように書いている。」179P 内容179-180P・・・世界大戦を適格に予想する内容
「ビスマルクの置き土産が、今日の世界的大火の第一歩になったとすれば、それは、むしろ、一面では、ドイツとフランス、それに伴って、全ヨーロッパが、軍国的軍備競争の急坂へと突きおとされたこと、他面では、フランスとロシア、そしてまた、ドイツとオーストリアの同盟が不可避の帰結としてもたらされた、という意味においてなのである。」181P
「この支配とグループ分化には、それ以来の歴史的発展によって、まったく新しい内容が盛られている。すなわち、現在の世界戦争に連なる(179Pの「二つのコース」の内の)第二の線は、マルクスの予言でみごとに証明されているとはいえ、マルクスがもはや自ら識るに由なかった国際的な事態の進行、すなわち、最近二五年間における帝国主義の発展に起因しているのである。」181P 帝国主義の動き181-3P
「ドイツでは、最短期間に凝結された帝国主義の出現が、純粋培養の状態で看取されうる。帝国設立以後の大工業と通商の前例のないほどの飛躍は、この国で、八〇年代に、資本蓄積の、特徴的な、独特な、二つの形態を出現させた。すなわち、ヨーロッパで最強のカルテルの発展、ならびに、全世界でも最大規模での銀行の成熟と集中が、それである。」183P
「さらに、きわめて強力ではあるが、政治指導の点で無定見きわまりない個人的支配と、きわめて弱体で、いかなる反対能力ももたない議会制度、ならびに、労働者階級には結束して険しく対立しながら、政府の庇護頼みとしている全ブルジョア階層を、これに加えれば、この若く力まかせでどんな障害も物ともしない帝国主義、すでに世界がほとんど分割され終った時に、途方もない食欲をもって世界の舞台に登場した帝国主義が、いかに、急速に、全般的不安の不可測の要因とならずにすまなかったかが、了解されよう。/このことは、すでに、九〇年代末における帝国の軍事政策の急激な転換、すなわち、一八九八年および一八九九年におけるいずれも緊急の建艦計画によって、予告されていた。」183-4P
「今や、「ドイツは、陸上でも、海上でも、第一の強国たるべし」というまったく新しいプログラムが提示されたのである。」184P
「沿岸警備とか、布教とか、通商などという体裁のいい言葉をはぎとってしまえば、残るのは、より偉大なドイツ、すなわち、他国民にたいする鉄槌の政策という感銘直截なプログラムだけである。」185P
「両国(ドイツとイギリス)によって一五年間つづけられてきた海上での角遂は、ついには、ドレッドノード級船艦の熱病的な建造となる。それは、すでにして、ドイツとイギリスのあいだの戦争であった。一八九九年一二月一一日の建艦計画は、ドイツの宣戦布告であり、一九一四年八月四日、イギリスはこれを受けて立ったのである。」186P
「いわゆるホッテントット選挙(ママ)とよばれる、一九〇七年の国会議員選挙は、一つの旗印しのもとに固く結束した帝国主義的熱狂の発作(ママ)のただ中にある全ブルジョア・ドイツ、世界に鉄槌として登場することを自らの使命と心得るフォン・ビューローのドイツを、さらけ出した。この選挙は――その精神的な集団殺戮の雰囲気からして――八月四日のドイツの前奏曲であり――単に、ドイツ労働者階級にたいしてのみならず、爾余の資本主義諸国家にたいする挑戦であり、特定の何者かにむけられたのではなく、すべてをひっくるめた全体にたいして突き出された拳だったのである。」188P
W 世界大戦に至る、「ドイツ帝国主義」と「各国帝国主義」との衝突、および「各国帝国主義」間の衝突
「ドイツ帝国主義のもっとも重要な作戦地帯となったのは、トルコであり、この地でのそのペース・メーカーとなったのは、ドイツ東方政策の中心に立つ、ドイツ銀行、ならびに同行のアジアにおける巨大企業である。」188P
「それゆえ、ドイツ帝国主義としては、古くはイギリス人の手によるエジプト、新しくはフランス人の手によるモロッコの場合のように、トルコが、ドイツ資本によって、内部から喰い尽され、やがて熟した果実になってドイツの手の内に転げこむ時まで、その限りにおいて、「独立したトルコ国家」、トルコの「保全」を維持することを、必要とみなしたのである。」191P
「(ドイツ社会民主党は)「トルコの保全」なるものを、ヨーロッパ反動の一遺産として、決定的に非難した。青年トルコ政権の内的社会的不毛とその反革命の性格を、ドイツ社会民主党機関紙ほど、迅速かつ正確に認識したものは、どこにもなかった。」194P
「ドイツ帝国主義の態度――その中核をなすものは、ドイツ銀行の利益である――は、ドイツ帝国を、東方において他のすべての国家、わけてもイギリスと対立させるにいたった。」194P
「ドイツの東方政策は、一八九九年に着手された海軍政策の具体的説明となったのである。」「オーストリアのボスニア併合に引きつづいておこなわれた、イタリアのトリポリ遠征は、第一次バルカン戦争の口火を切るものであったと同時に、すでに、イタリアの拒絶を意味するものであり、この方面からしても、三国同盟の分裂とドイツの政策の孤立が示されたのである」196P
モロッコ危機で問題になったのは、「復讐」などではなくて、「ここでは、まったく新しい対立があらわれており、その対立は、ドイツ帝国主義がフランス帝国主義の勢力圏内に割りこんできたことによって作り出されたのである。この危機の結果として、ドイツは、仏領コンゴ地方を手に入れて満足し、そのこと自体によって、モロッコには、何ら独自の利害を所有せず、またそれを保持しえなかったことを承認した。」198P
「一方には、緩慢な工業発展、停滞的な国民、辛うじてまとめられている巨大な植民地帝国を包含し、外国にたいする金融事業を主たる仕事とする利息国家。他方には――若く、強力で、第一等の地位をえようと汲々とし、植民地をあさって世界に乗りだしてきた資本主義。イギリスの植民地を征服することは、考うべくもない。とすれば、ドイツ帝国主義の渇望は、アジア・トルコを別とすれば、まずフランスの遺産に向けられる以外にはなかった。」198P
 ドイツのロシアに対する排外主義は、ロシア・ツァーリズム専制政治の自由に関わる批判として進んだこと200-5P
「粗野な本能、また、賤民(ママ)相手の、民族主義的煽動新聞の大げさな合言葉に迷わされず、政治的見地をじっくりと検討する人びとには、ロシア・ツァーリズムがドイツ併合を企てうるなら、同ように、月の併合をも企てられる、ということが明らかとなるに違いない。」202P
「実際に、ロシアとドイツの間で問題になっていたのは、まったく別の対立である。国内政策の領域では、彼らは、ぶつかり合うことはなかった。それどころか、彼らの共通の傾向と内的類似性が、両国家の古く伝統的な親密さを、一世紀にわたって基礎づけてきた。しかも、その国内政策の連帯性に反して、それがあるにもかかわらず、彼らは――外交上の、世界政策の角遂の場で、衝突したのである。」203P・・・それでもロシアのツァーリズム的専制の特殊性をとりあげながら、一方で近代的ブルショア的な性格も有してきているということを書いています。203-5P
 ロシアは日本との戦争での敗北(一九〇四年)からバルカンに焦点が移動し「東方において、ロシア帝国主義は、すでにイギリスがそうであるのと同ようにして、ドイツ帝国主義と――トルコの崩壊の際には特権的受益者となる役割を堅持しながら、ポスポラス地区においてトルコを看視しつつあるドイツ帝国主義と、対じすることとなった。/しかし、バルカンにおけるロシアの政策は、ドイツ以上に、オーストリアと、直接に衝突した。」206P
「ビスマルクは、オーストリアのバルカン志向には、ドイツの南アフリカ取得と同よう、反対であった。」207P
「オーストリア・ハンガリアが弱体化した場合(それは、トルコの即時的解体と、ロシア、バルカン諸国家、イギリスのひじょうな強化に同義である)、たしかに、ドイツの民族的統一と強化が実現されはするであろうが、ドイツ帝国の帝国主義政策は、その声明の灯を消されることとなろう。それゆえ、トルコの維持が、ドイツ帝国主義の主たる課題であったとすれば、ハプスブルグ帝国の救済と維持が、ドイツ帝国主義にとって、それに次ぐ課題となったことは、論理の当然の帰結である。」208P
「オーストリアのバルカン政策は、要するに、セルビアを絞め殺すことを目標としたのである。」「オーストリア帝国主義は、・・・・・・バルカン諸国家の存立と発展の可能性を、たえず脅かした。・・・・・・この国(セルビア)は、その成立の最初の時から、帝国主義的敵対諸国の陰謀にもてあそばれる一箇のボールにすぎなかったのである。」209P
「こうして、オーストリアの帝国主義的政策は、近々一〇年間に、バルカンにおける正常な前進的発展のブレーキとなり、おのずから、ハプスブルグ帝国か、バルカン諸国家の資本主義的発展か、という回避できないディレンマをもたらした。トルコの支配から解放されたバルカンは、さらにオーストリアの妨害を排除するという、より以上の課題のまえに立たされているのをみた。オーストリア・ハンガリアの精算は、歴史的には、トルコの崩壊の継続にすぎず、それと並んで、歴史の発展過程の一要請なのである。/しかし、このディレンマには、戦争、しかも、世界戦争による以外に、いかなる解決方法もない。すなわち、セルビアの背後にはロシアがあり、ロシアは、東方におけるその帝国主義的全政策を断念しないかぎりは、バルカンにたいするその影響と、その「保護者」たる役割を抛棄しえない。」210P
「しかも、オーストリアのバルカン政策は、さらに、オーストリアならびにトルコの精算によってひじょうな利益をうるイタリアとの対立をもたらして。イタリア帝国主義は、バルカンで新しい秩序を形成するに当たって、アドリア海をへだてて対岸にあるアルバニア海岸に、その膨張の鉾先をむけていたのであるが、その膨張の欲望をかくすのに一番手近で、一番人気があるがゆえに一番手頃な口実として、イタリアにあるオーストリア領を利用した。・・・・・・ドイツ帝国主義は、二個の腐れ果てた屍体にからみつかれたまま、世界戦争への道をまっしぐらに突っ走ったのである。」211P
「最後に、サラエヴォの暗殺がやってきた。」211P
「しかし、サラエヴォの幕間劇は、単なる口実を与えたにすぎない。さまざまな原因が、さまざまの対立が、長い間戦争に至るべきすべてのものを成熟させてきた。われわれが現在体験している状況は、すでに一〇年来、準備されていたのである。」212P 具体的内容212P
「こうして、現在の世界戦争は、八年来、懸案となっていた。それが、毎回、先に延ばされてきたのは、いつでも、関係諸方面の一方の軍備が充分に整っていなかったから、というだけの理由によっていた。」212P
「ドイツ軍がベルギーに進撃し、ドイツ国会が、戦争と戒厳状態の既成事実をつきつけられた時、それらすべては、青天の霹靂でもなければ、前代未聞の状況でもなく、その出来事の政治的諸条件は、社会民主党国会議員団にとっては、別に驚倒させられるほどのことでなかった。」214P
「そして、事実、この戦争にとって問題になっているのは、社会民主党議員団声明のいうような「ドイツの存立と自由な発展」などでは勿論なく、社会民主党機関紙の述べるドイツの文化でもない。肝心なのは、まさにアジア・トルコにおけるドイツ銀行の当面の利益であり、モロッコにおけるマンネスマンとクルップの将来の利益であり、・・・・・・この「組織された腐敗の塊り」の存立と反動であり、ハンガリアの豚とスモモであり、また、フリードマン・プロハスカの文化であり、小アジアにおけるトルコ義勇兵支配とバルカンにおける反革命の維持である。」214P
 ローザのマルクスの「文明と野蛮」というとらえ方の流れから来ている、「野蛮」批判としてマオリ族を例に出していること214-5P・・・反差別というところからのイズム論のとらえ返しの必要性
X 進歩・文化・自由対ツァーリズム(野蛮)という誤魔化し(マルクスの「遺言」の曲解)
「だが、ツァーリズムは! これこそは、疑いもなく、わが党の態度を、とくに戦争の最初の瞬間に、決定させたものであった。社会民主党議員団は、その声明で、スローガンをあたえた。すなわち、ツァーリズム反対! 社会民主党機関紙は、そこから直ちに、全ヨーロッパのために「文化」を守る闘いをでっちあげた。」215P 内容215-9P
「ドイツ政府は、戦争の初めごろ、差しのべられた助けを受け入れ、ヨーロッパ文化の解放者という月桂冠を、不精無精兜に飾った。まさにドイツ政府は、目に見えて不快げであり、かなりぎこちなく愛嬌をふりまきながら「諸民族の解放者」の役割を引きうけた。」「そして必要に迫られたドイツ帝国主義のこうした悪行のすべてを、社会民主党機関紙は共にしたのであった。」219P
「社会民主党国会議員団が、戦争に、ドイツの民族と文化の防衛という性格を貼りつけた後をうけて、社会民主党機関紙は、この戦争に、外国民族の解放という性格までも添え物にした。かくて、ヒンデンブルグは、マルクス・エンゲルスの遺言の執行者となった。」220P
「しかし、ここで、この「修正」(「レヴィジョン」のルビ)を評定し、三月革命から生まれたこの合言葉を、やく七〇年の歴史的経験に照らして検証するのが妥当である。」221P
 マルクスの遺言の内容の検証221-3P「ロシア六〇年代の改革は、ブルジョア的・資本主義経済の財源によってのみ、実行されうるものであった。そして、この財源は、西ヨーロッパ資本――ドイツとフランスから、供給された。それ以来、今日までつづいているところの新しい関係、つまり、ロシア絶対主義が西洋ブルジョアジーによって維持される、という関係が結ばれた。」222P「ロシア人民そのものの胎内から、絶対主義に反対する革命的諸力が高まるにつれて、それら諸力は、脅威にさらされたツァーリズムを背後から精神的、政治的に力づける西欧からの抵抗に、ますます強く衝突する。」「絶対主義は、爾来上昇の一途をたどる国内の革命運動の激流との闘いのなかで、この両方(ドイツとフランス)の財源から力を借りながら、辛うじてその存在を保ってきた。」223P
「ドイツ革命に反対してのロシアの援助は、ロシア革命に反対してのドイツの援助で埋め合わせがつけられる。スパイ政策、国外追放、政治犯引き渡しなど――神聖同盟の聖なる時代以降、公然化された「煽動者狩り」は、ドイツ国内でも、ロシアの自由闘士たちに容赦なく適用され、彼らは、ロシア革命勃発のその時まで、迫害をうけた。こうした迫害は、一九〇四年のケーニヒスベルグ事件で、その頂点に達したというにとどまらない。迫害は、この事件において、一八四八年以来の発展の歴史的な全行程を、ロシア絶対主義とヨーロッパ反動との関係の内幕を、一瞬完全に暴露してみせた。」223-4P「ヨーロッパ反動、わけても、プロシャ・ユンカー反動は、今や、ロシア絶対主義の砦となった。ロシア絶対主義は、その砦によって、辛うじて維持されているとはいえ、また、その砦の中で、死の運命に見まわれることともなろう。ロシア革命の運命が、やがてそれを確認するはずである。」224P
「一九〇五年〜一九〇六年のロシアの蜂起は、その革命的な、目的の明確さと頑強さの点で、比類ない暴動であるにもかかわらず、その敗北の理由として、二つをわれわれに明らかにしている。」224P その一つ「革命そのものの内的な性格のうちにある。・・・・・・一九〇六年におけるその革命の敗北は、革命の破産ではなく単に、第一章の自然な終熄にすぎず、自然法則の必然性に従って、それは後の章につづかずにはいない。」224-5P第二の原因「ふたたび外的な性質のものであった。すなわち、その理由は、西ヨーロッパにあった。ヨーロッパ反動は、窮地に立たされたその被保護者を助けるために駆けつけた。」「この国で開かれた挑戦的な死者の祝宴に列席したこの時、ドイツ社会民主党は完全に沈黙を守り、一八四八年に際しての「われわれが旧師の遺言」をまったく忘れてしまっていたのである。」225P「しかも、まさに一九一〇年ヨーロッパにおける、ツァーの勝利の巡遊こそし、打倒されたロシアのプロレタリアートが、自国の反動のみならず、外国における反動の「砦」にぶつかって血を流したのであったという事実を、他の何ものにもまさって、はっきりと曝露した。」226P
「希望をはらんでひるがえった革命の旗は、没し去った――とはいえ、それは名誉に包まれて、没したのであり、やがてまた、荒涼たる殺戮のなかから、はためき上がるであろう――「ドイツの銃劍」にかかわりなく、戦場におけるツァーリズムの勝敗にかかわりなく。」227P
「ロシアにおける諸民族の蜂起も、否定し去られた。「諸民族」が、ドイツの社会民主党ほど、ヒンデンブルグの軍団の解放の使命なるものにたぶらかされなかったことは、明らかである。」227P
「しかも、この戦争に関して、ドイツ社会民主党が、マルクスの遺言なるものを楯にとっていいたてる解放の伝説はたちの悪い冗談などではすまされぬもの、それは、もってのほうのたわ言である。マルクスにとって、ロシア革命は一つの世界的転回であった。かれの政治的、歴史的展望にはすべて、「その時までに、ロシアに革命が勃発していない限りで」という留保がつけられていた。マルクスは、ロシア革命を信じ、彼がまだ農奴制ロシアを眼の当りにしていたころにさえも、それを期待していた。やがて革命は訪れた。・・・・・・その時、ドイツの社会民主主義者どもは、突如として「ドイツの銃劍」をもって迫り。ロシア革命は無であり存在しないものである、と宣言し、それを歴史から抹殺する。彼らは、突如として、一八四八年の記録を引き合いにだし、「対ロシア戦争万歳!」と呼号する。」228P
「ロシア革命とマルクスの予言についての、このような血なまぐさい歴史的茶番、これより野卑な嘲笑は、到底考えることはできない。それは、戦争中の社会民主党の政治的態度のなかでも、もっとも暗いエピソードになっている。」229P
「戦争の初めごろのレトリックが帝国主義の散文的な直截な言葉でぶちやぶられるや、ドイツ社会民主党の態度についての、たったひとつの、弱々しい説明などは、雲散霧消してしまったのである。」229-30P
Y 社会民主党の城内平和――階級闘争の中止
「社会民主党の態度における他の一面は、城内平和の正式の承認、すなわち、戦争継続中の、階級闘争の中止であった。八月四日、国会で読みあげられた議員団声明は、この階級闘争放棄の最初の行動でさえあった。その語句は予め、帝国政府およびブルジョア諸政党の代表者たちと一致するようにされていた。八月四日の仰々しい振舞いは、国民と外国に見せるために、舞台裏で仕組まれた愛国的な見世物であり、社会民主党は、前もって引き受けた役を、他の役者たちと一諸にそこで演じただけの話である。」230P
「それゆえ、階級闘争は、一九一四年八月四日以降、将来の平和締結の日まで、存在しない、と社会民主党によって宣告された。ドイツは、クルップの大砲がペレギーにその最初の一撃を放った時から、階級的協調と社会的調和の奇蹟の国に化した、というわけである。」233P
「周知のように階級闘争は、一箇の発明、社会民主党の自由な創造物ではなく、社会民主党の気のむくままに、一定の期間だけ中止しうるものではない。・・・・・・社会民主党が、最初に近代プロレタリアートを階級闘争にみちびいたわけではない。むしろ階級闘争のさまざまな地域的、時期的諸断片に目的意識と関連をもたらすために、階級闘争によって、社会民主党が生み出されたのである。」233P
「労働者階級の「国内の敵」・資本主義的搾取と抑圧が厳存しているにもかかわらず、労働者階級の指導者・社会民主党と労働組合は、愛国的なおうようさで、労働者階級を、戦争継続中、この敵に、闘いもせずに引き渡してしまったのである。支配階級がその所有・支配権で完全に武装を固めている一方、プロレタリアートは、社会民主党に「武装解除」を命じられたのである。」234P
「階級調和、近代ブルジョア社会におけるあらゆる階層の協調の奇蹟は、すでに一度――一八四八年フランスで体験されている。」234P マルクスの引用234-5P 「つまり、一八四八年二月に、パリのプロレタリアートは、素朴な幻想をいだいて、階級闘争をも中止したが、注目すべきことに、その後、自らの革命的行動によって七月王制を破壊し、共和国を強制した。一九一四年八月四日、それは逆立ちした二月革命であった。その階級的諸原則の抛棄は、共和国のもとにではなく、軍事帝国主義のもとに、反動にたいする国民の勝利の後にではなく国民にたいする反動の勝利の後に、自由、平等、友愛の宣言と新聞の自由の絞殺と憲法停止ののもとに、おこなわれたのである。政府はおごそかに城内平和を宣言し、全政党が、それを正直に守るべく手を打った。しかし、政府は、老獪な政治家として、この約束をまともに信用せず、――軍事独裁という簡明な手段によって――「城内平和」を確保した。社会民主党議員団は、何一つ抗議も抵抗もせずに、それさえも受けいれた。」235P
「国会議員団の仰々しい声明は、軍事公債承認を基礎づけるために、社会主義的原理・民族自決権を援用した。この戦争におけるドイツ民族の「自決」の第一歩は、社会民主党が押しこめられた。戒厳状態という狂人(ママ)用緊衣であった。一箇の政党がこれほどに自己嘲弄した例は、歴史上、かつてない。」236P
「城内平和受諾によって、社会民主党は、戦争継続中、階級闘争を否認した。・・・・・・社会民主党は、戦争継続中、積極的政治的政党としての、労働者の政策の代弁者として自己を解任した。・・・・・・戒厳状態のもとで治安の維持にあたる、つまりは、労働者階級の憲兵の役割を演じることで満足したのである。」236P
「しかし、社会民主党は、またさらに、ドイツの自由の問題を、議員団声明によれば現在クルップの大砲がその保護に当たっているという、ドイツの自由の問題を、現在の戦争の継続期間もはるかにこえて、あとあとまでも、極度に傷つけた。社会民主党の指導層内では、労働者階級の民主主義的自由が戦後いちじるしく拡大され、戦時中の愛国的態度の報酬としてかれらに市民的平等が与えられるだろう、と少なからず期待している…………現実には、社会民主党は、自らの態度によって、ドイツにおける将来の政治的自由の拡大を確実にしたどころか、戦前にもっていたものでさえも、破壊してしまった。」236-7P
「しかし、政治的に成熟した国民は、生きている人間が呼吸を「放棄」できないのと同よう、ほんの「一時的」にも、政治的諸権利と公共生活を放棄することはできない。一国民が、自らの態度によって、戦時中、戒厳状態が必要であると認めることは、同時に、政治的自由も一般に必要ない、と認めたことである。」239P
「すなわち、帝国主義戦争が軍事的に勝利に終るかぎりでの、その戦争の不可避の論理的な帰結にたいして、大げさに抗弁していた一政党が、人民大衆、また、公共の世論を自党の精神にもとづいて動員し、それによって有効な圧迫を加え、戦争を制御し、平和を結ばせるに役立つあらゆる手段と武器を、城内平和の受諾と同時に、喪失した。」239P
「この戦争における社会民主党の態度は、あらゆる点で、この「巨大な緊張」を和らげる方向に作用し、この憂慮を一掃し、帝国主義の滔々たる奔流をせきとめていた唯一の堤防を破壊した。しかり、社会民主党の陣営から、「戦争継続」、すなわち、人間虐殺の継続が叫ばれるに及んで。ペルナルディが、また、ブルジョア政治家が夢にも考えなかったような事態が起こった。そして、数ヶ月来戦場をおおう無数の犠牲者は、われわれの良心を責め苛むのである。」242P
Z 民族防衛という虚構
「たしかに、国内の敵に降伏する政党が軽蔑されるべきであると同よう、外敵に降伏する国民も、軽蔑されるべきである。しかし、この「燃えている家」の消防夫たちは、ただ一つのことを忘れていた。それは、すなわち、社会主義者がいうところの祖国防衛とは、帝国主義ブルジョアジーの命令下に大砲の餌食になる役目とは異なる別のものを意味していた。・・・・・・ブルジョア愛国主義と戒厳状態の警察的論理によれば、あらゆる階級闘争は、民族の国防力を損い弱める恐れがあるから、国の防衛上の利益にたいする犯罪である、ということである。この叫びによって、公式の社会民主党は恫喝されてしまった。しかし、ブルジョア社会にとって、外敵の侵入は、今日その社会にとって描き上げられているような脅威などというものではなく、もっぱら「国内の敵」にたいして好んで用いられる効果的な手段であることは、ブルジョア社会の近代史が、如実に示している。・・・・・・カール・マルクスにとつては、すでに四五年前、近代ブルジョア諸国家の「民族」戦争なるものをペテンとして曝露するのに、こうした歴史的経験だけで充分であった。彼は、パリ・コミューン敗北に際してのインターナショナル総会の有名な演説で、次のように述べた。」243-4P マルクスの引用244-5P 「それゆえ、侵略と階級闘争は、ブルジョアの歴史のなかで、官製の作り話のように対立しあうものではなく、一つのものであり、互いが他の手段であり、他の発現なのである。支配階級にとって、侵略というものが、階級闘争にたいする効果的な手段を表現しているとすれば、向上に努める階級にとっては、もっとも尖鋭な階級闘争は、それだけ侵略に反対する最上の手段であったことが証明されてきた。・・・・・・それゆえ過去数世紀が証明しているように、戒厳状態ではなく、仮借ない階級闘争こそが、人民大衆の自覚と犠牲的勇気と道義的な力、すなわち、外敵にたいする最良の国土庇護、最上の防衛を振いおこさせるのである。」245-6P
「社会民主党は、今次の戦争における自らの態度を理由つけるために、民族自決権を援用したとき、彼らは、同ように悲劇的な錯誤[誤認]を犯した。社会主義が、あらゆる国民に、独立と自由の権利、自己の運命を自主的に処理する権利を認めていること、それは正しい。しかし、今日の資本主義諸国家が、この民族自決権の表現として措定されているならば、それはまさしく社会主義を愚弄するものである。そもそも、現在に至るまで、これら諸国家のいずれにおいて、民族が、自らの民族的、政治的、また、社会的存在の形式と条件を決定しているか。」246P・・・ローザは、自決権一般ではなく、被差別の立場における自決権の問題をどう押さえていたのか、反差別ということでの展開の必要性をどうとらえていたのでしょうか?
「一八四八年のドイツの愛国者の遺児たる社会民主主義者たちが――「民族自決権」の旗印しを手にひるがえしつつ――現在の戦争の䞣くことのうちには、じつに歴史の悪魔的な狡智がひそめられている! あるいはまた、四つの大陸に植民地を領有し、二つの大陸において植民地虐待をおこなう第三共和国が、フランスの民族的「自決」の表現であるというのか。またあるいは、五〇〇万有色人種にたいし、一〇〇万の白人をもって、インドならびに南アフリカを支配する大英帝国が、そうであるというのか。またあるいは、トルコが、ツァー帝国がそうであるというのか。支配人種のみを民族とみなすような、一箇のブルジョア政治家のみが、植民地国家一般において、「民族自決権」などということを云々しうるにすぎない。植民地諸国民をいくら国民と数え、国家の基幹と称したところで、一民族の国家的存立が他国民の奴隷化のうちに成り立っている限り、民族自決という概念の社会主義的意味においては、自由な民族は存在しない。国際社会主義は、自由な、独立の平等な諸民族の権利を承認する。しかも、この国際社会主義のみが、そのような諸民族を創造しうるのであり、それのみが、諸国民の自決権を現実化しうるのである。社会主義のこの合言葉もまた、他のすべてのそれと同よう、現存するものを、聖化する言葉ではなく、プロレタリアートの、革命的、変革的、積極的政策のための道しるべであり、励ましである。資本主義国家が存立するかぎり、とくに、帝国主義的世界政策が諸国家の内的、外的生活を規定し、形成するかぎりにおいて、民族自決権は、戦時と平時とを問わず、それらのものの実状とは、いささかのかかわりもないのである。」247P・・・ローザの「民族自決権」批判。ただし、被差別者の「自決権」の問題は、「自決権はまやかし」であるとしても無視はできないこと。
「歴史的事実として確認されなければならないのは、この戦争が、ドイツ帝国主義によって、その世界政策的目的のために、数年前から準備され、一九一四年夏、ドイツならびにオーストリアの策謀によって、目的意識的に遂行された予防戦争である、という事実である。・・・・・・ドイツが、いささかも自己防衛でないとするならば、フランスとイギリスもまた同ようである。というのは、彼らが「防衛する」ものは、彼らの民族的地位ではなく、彼らの世界政策的地位、ドイツの成り上り者の打撃によっておびやかされた、彼らの古い帝国主義的資産だからである。」248P
「それらの諸現象は、その包括的巨大さのゆえに、罪と罰、防衛と攻撃などという概念をまったくとるにたらぬものにしてしまう。」「帝国主義政策は、いずれか一国、あるいは、数カ国の制作物ではなく、資本の世界的発展の一定の成熟段階の産物であり、本来的に一箇の国際的現象であり、ひとつの不可分の全体であり、その全体は、その全交互関係の中でのみ認識されえ、いずれかの国家一つがそれから脱け出すわけにはいかない。」249P・・・ネグリ/ハートの「<帝国>」の考え
「資本主義は、小国家分立、経済的、政治的細分化とは両立しえない。資本主義はその発展のためには、できる限り大きな、内的に結合された領域と精神的文化を必要とし、それがない場合には、社会の需要は、資本主義的商品生産に照応した水準にまで高められず、また近代ブルジョア的階級支配のメカニズムは機能しえない。」249-50P・・・EU
「それ以後、帝国主義は、古いブルジョア的・民族主義的プログラムを完全に葬り去り、同時に、帝国主義は、民族的限界をこえ、民族的諸事情を、一切考慮しないような膨張を、あらゆる国のブルジョアジーのプログラムにのぼせた。民族的きまり文句は、たしかに残されている。しかし、その現実の内容、その機能は偽薬の方向にむけられている。それは、ただ、帝国主義的努力の間に合わせのかくれみのとして、帝国主義的拮抗のときの声として、また帝国主義戦争のなかで大砲の餌食としての役割を果たさせるために人民大衆を捉えられるような、唯一の、最後のイデオロギー的手段として、作用している。」「その場合、現在の資本主義的政策の一般的傾向は、経済的競争の法則が個々の企業家の生産諸条件を絶対的に規制するのと同ように、圧倒的盲目的(ママ)支配の法則のようにして、個々の国家の政策を支配する。」250P
「どうあっても、戦争が、現在の諸条件のもとでは、まったく機械的に、不可避的に、帝国主義的な世界再分割へと発展してゆかざるをえなかったことを理解しうる。」251P
「かくて、わが党議員諸氏や編集者たちの念頭をはなれぬ。謙虚な、徳義的な、愛国的防衛戦争という概念そのものが、純粋なフィクションとなる。」252P
「いずれかの国家が、あらゆる外的、形式的目安からして、民族的防衛の権利を、自らの側にもっているとするならば、セルビアがそれである。(・・・そもそも植民地支配の構図のなかにある国々)・・・・・・セルビアは、たしかに、形式的には、民族的防衛戦争行っている。しかし、この国の王族とその支配階級の傾向は、今日のあらゆる国家における支配階級の努力と同よう、民族的境界を意に介さぬ膨張を目ざし、それによって、攻撃的な性格を得ている。・・・・・・しかし、主要な問題は次のこと、すなわち、セルビア民族主義の背後にはロシア帝国主義が立っている、ということにある。」253P
「国際社会民主党は、バルカン戦争に対して一切の精神的、政治的協力を断乎として拒否し、この戦争の真の相貌を曝露したことに関して、バルカン社会主義者たちにも、バーゼルで熱狂的な拍手をおくり、それによって、国際社会民主党は、今日の戦に臨んだときのドイツならびにフランスの社会主義者たちの態度を、あらかじめ、指し示したのであった。」254P
「カウツキーもまた、わずか数年前、一九〇七年、ライプツィヒで出した、その著「愛国主義と社会民主主義」のなかで、次のように書いている。」255P カウツキーの引用255-6P
「ブルジョア社会のあらゆる大きな危機に際して、支配階級を前方へと駆り立て、危機そのものに自らを乗りこえさせるような独自の階級的政策を打ちたてること、これこそが、闘うプロレタリアートの前衛としての社会民主党の任務である。それゆえ、偽って帝国主義戦争に民族的防衛のかくれみのをかけてやったりせず、まさに、諸国民の自決権ならびに民族的防衛とまともに取り組み、それを帝国主義戦争に対立する革命的な槓杆たらしめることが、肝要であった。民族的防衛のもっとも基本的要請は、民族がその防衛を自らの手中に掌握すること、それである。そのための第一歩は、民兵(ミリツ)である。それは、すなわち、国民中の青年男子をすべて即座に武装させるにとどまらず、何よりもまず、国民が戦争と平和について決断を下すことであり、さらにいうならば、国民的防衛の基礎として最大の政治的自由が必要とされるがゆえに、あらゆる政治的な権利剥奪を即刻廃棄することである。民族的防衛のこれら現実的諸方策を宣言し、その実現を要求すること、それこそが社会民主党の第一の課題であった。」257P・・・当時の軍事情況としての「民兵」問題
「国際プロレタリアートの教師たちは、祖国防衛を、まったく別様に理解した。一八七一年、プロシャの攻囲下にあるパリで、プロレタリアートが権力を奪取したとき、マルクスは、彼らの行動に感激しつつ、次のように書いた。」258P マルクスの引用258P
「フリードリヒ・エンゲルスは、大戦争に際して、プロレタリアートの党に課せられる政策の基本線について、一八九二年、次のように書いた。」259P エンゲルスの引用259P (エンゲルスの文)「要するに平和は、ほぼ一〇年以内に、ドイツ社会民主党の勝利を保証する。戦争は、二ないし三年以内に、社会民主党に勝利をもたらすか、さもなければ、少なくとも一五ないし二〇年以内に完全な廃墟をもたらすであろう。」259P
「彼(エンゲルス)は、真の闘士たちが、発展のテンポを過大視するきらいがあるのと同ように、ドイツにおける諸事情の成熟と社会革命への見通しを過大視した。しかし、こうしたことすべてにもかかわらず、彼の叙述からじつに明瞭にうかがわれるのは、エンゲルスが、社会民主党の政策の意味での民族的防衛ということを、プロシャ的・ユンカー的軍事政権とその司令部の支持とは理解せず、フランス・ジャコバン党員の先例にならった革命的行動と理解していた、という事実である。」260P
「一九一四年八月四日の声明で「われわれは、危急の時に、祖国を見捨てない」と揚言しながら、同じその瞬間に、自らの言葉を否定した、まさにそのことにある。社会民主党国会議員団は、最大の危機の時に、その祖国を見捨てた。けだし、この時に当たって祖国にたいする第一の義務は、この帝国主義戦争の真の背景を祖国に示し、祖国にたいする陰謀を仕組んだ、うず高い愛国主義的、外交的虚偽を打ち破り、この戦争の勝利も敗北も等しくドイツ国民には不吉な運命となることを声高に明瞭に告げ、戒厳状態による祖国の緊縛に徹底的に抵抗し、即刻の人民武装、ならび、戦争と平和にたいする国民の決断の必要を宣言し、国民代表による政府のまた、国民による国民代表の監視と規制を確保するために、戦争継続中は国民代表者会議の常置を極力要求し、最後に、オーストリアとトルコの遺児、すなわち、ヨーロッパならびにドイツにおける反動を志向する戦争の帝国主義的プログラムに反対し、一八四八年年の愛国者と民主主義者の真に民族的な以前のプログラム、マルクス・エンゲルスとラッサールのブログラム、すなわち統一ドイツ共和国のスローガンをかかげること、以上のことにあったからである。」260-1P
「社会民主党は、――その指導者たちのお陰で――一つの虚偽の政策をとったというより、むしろ、全体としてまったくの無政策だったのである。社会民主党は、独自の世界観をもつ独特の階級政党であることを止め、外には帝国主義戦争の、内には軍事独裁の恐るべき凶運に国土を委ね、あまつさえ、戦争にたいする責任までをも自らの身に背負いこんだ。」261P
「大規模な民衆運動あるいは大衆行動が、その形態の如何を問わず、現実に行われるかどうかを決定するのは、経済的、政治的、心理的諸要素の全体であり、階級対立のその時点における緊張、啓蒙の度合い、対私有の闘争気分の成熟であって、それは計測しえないものであるとともに、なんらかの政党によって人工的に作り出されうるものではない。」262P
「それゆえ、階級意識あるプロレタリアートの前衛としての社会民主党の指導者があたええるべきものは、技術的性質をもつおこがましい指令や処方箋ではなく、政治的スローガン、すなわち、戦時におけるプロレタリアートの政治的諸課題と利害を明らかにすること、にあった。」263P ローザの「大衆ストライキ、党、および労働組合」からの引用265-6P
「「しかし、それにたいし、何をいうべきか」――イグナツ・アウエルは、一八九五年、セダン祝賀に関するその演説に中で、率直に語った――「全世界を獲んとする政党は、いかなる危険がそれに伴なおうとも、自らの諸原則を高く掲げねばならぬ。もしその党がそれ以外の行動をとるならば、その党は滅びるであろう!」、と。」264P
老リープクネヒトの引用265-6P
「彼ら(老リープクネヒトとベーベル)は持場に踏みとどまった。そして、ドイツ社会民主党は、当時、党が敵の世界に対して示したところの道徳的な力によって、四〇年を生きながらえたのである。」266P
「戦争が進展するにつれて、留まるところをしらぬ大量殺戮にたいする覚醒があらゆる国に広まるにつれて、戦争の帝国主義的な馬脚がますます明瞭に曝露されてゆくにつれて、血に飢えた投機者どもの市場争奪がますます破廉恥になってゆくにつれて、生命あるもの、誠実なもの、人道的なるもの、進歩的なものすべては、社会民主党の旗のもとに結集するであろう。この時、何よりもます、ドイツ社会民主党は、全般的な混乱、堕落、崩壊の中にあって、荒れ狂う(ママ)大海の中の岩のように、インターナショナルの高々とそびえる燈台となり、やがて、他の労働者政党はすべて、これによって方針を定めることとなったであろう。ドイツ社会民主党が一八一四年八月四日まで、全世界のプロレタリアの中に享受していた偉大な道徳的権威が、この全般的混迷をも、早急に変化させたであろうことは、疑いをいれない。それによって、平和の要望と平和を求める人民大衆の圧力は、あらゆる国に湧きおこり、大量殺人の終結を早め、その犠牲者の数を減じせしめたであろう。ドイツ・プロレタリアートは、社会主義と人間解放の監視者でありつづけたであろう――そして、それこそが、マルクス、エンゲルス、ラッサールの弟子たるにふさわしい、一つの愛国的な業績なのである。――」267P
[ 労働者の新しい国際連帯
「軍事独裁と印刷物検閲にもかかわらず、社会民主党にたいする否定にもかかわらず、同胞殺戮の戦争にもかかわらず、「城内平和」のなかから、階級闘争は根源的な力をもって立ち現われ、戦場の血煙りのなかから、労働者の国際的連帯が高まる。それは古いインターナショナルに人工的に話をいれようとする弱々しい試みや、戦争が終った暁にはすぐまたくっつき合おうとして、あちこちで更新される誓約の中になどにはない。否、現在戦争のさ中に、戦争そのものから、万国のプロレタリアは一つの同じ利害をもつという事実が、まつたく新たな力と重みをもって、蘇る。戦争そのものが、自らが作りだした欺瞞を否定し去るのである。」267-(P
「全体としての現在の世界戦争は、その歴史的客観的意味を突きつめると、すでに完全開花に達した資本主義が、世界支配をめぐって、残された世界の非資本主義的部分の搾取をめぐって行う競り合いである。」269P・・・当時の資本主義の段階
「勝利しようと、敗北しようと、最後に決算した場合、こうした結果はいささかも変えられるものではなく、むしろ、逆に、純粋に軍事的な解決は一般にあやふやになり、結局、あらゆる面にわたっての衰弱によって戦争が終息させられるであろうという可能性がますます大きくなる。こうした状況のもとでは、勝誇るドイツも――その帝国主義的戦争煽動者たちが、あらゆる敵を完全に屈服させるまで大殺戮をほしいままにし、彼らのたわけた夢想が、いつか実現されたとしても――空しい勝利をうるだけのことでしかない。」269-70P
「ドイツ国民が、愛国的な国民代表の前貸しで「可決」された戦争予算を後で実際に支払わねばならない。つまり、「勝利」が残す唯一明瞭な成果としての強化された軍事的反動と併せて、ぼう大な租税負担をしょいこまねばならないのである。/さてまた、敗北のもっとも惨めな結果を予想するとしても、――帝国主義の併合の場合を別とすれば――勝利の場合に不可避の結果としてもたらされるものと同じような光景が、次々とあらわれる。戦争行為そのものの諸作用は、今日、きわめて深く広汎な性質のものであるので、軍事的結末は、それらの諸結果をほとんど変化させえない。」270P
「ドイツ資本主義が、フランス資本主義の負担において強力になろうとも、経済闘争におけるプロレタリアートの立場にとっては、結局の所、まったく同じ損失である。」271P
「それゆえ、この面からしても、勝利は、新たな熱病的な軍備を、あらゆる国家に――もちろん、敗北したドイツは、その先頭にたつ――広め、それによって、新たな世界戦争を終局目的とする、軍国主義と反動の一体となった支配の時期を、全ヨーロッパに開くこととなる。」273P
「帝国主義とそれに奉仕する軍国主義は、国際的プロレタリアートがその革命的交渉によって計画を破綻させるという、唯一の場合を除いて、この戦争では、勝つと負けるとにかかわりなく、充分な満足をうるであろう。/それゆえ、現在の戦争が教える、プロレタリアートの政策のためのもつとも重要な教訓は、ドイツにおいてであれフランスにおいてであれ、イギリスにおいでてあれロシアにおいてであれ、勝利か、敗北か、というスローガンの無批判的な復唱はなされるべきでなく、このスローガンは、帝国の立場からしてのみ唯一の現実的内容をもつものであり、このスローガンは、どの大国にとっても、世界政策上の勢力配置、領土併合、植民地、ならびに、軍事的優越の利害得失の問題と同義である、という確固たる事実である。今日、ヨーロッパ・プロレタリアートの全体にとって、その階級的見地からすれば、交戦している陣営のいずれの勝利また敗北も、等しく禍いにみちたものである。戦争はまさに、それ自体として、どのような軍事的結末がもたらされるにせよ、ヨーロッパ・プロレタリアートにとって考えうる限りで最大の敗北を意味するものであり、プロレタリアの主要問題のために唯一の勝利をもたらしうるものは、プロレタリアートの国際的戦闘行為によって、戦争を打倒し、緊急に平和を強制することである。」273-4P
「戦争は、諸国家相互間の、また、社会内の諸階級の関係にいちじるしい変動をもたらし、幾多の古い幻想と権威を亡ぼし、幾多の新しい衝動と課題を作りだしたので、敗北させられた革命の後でさえも、革命前の状態に逆行することが不可能であるのと同よう、一九一四年八月四日以前にあったような古いヨーロッパに逆行することはまったく不可能となったのである。」274-5P
「世界戦争が社会主義的諸党派にたいして提起し、労働運動の今後の運命がその解決の如何にかかっているところの、根本問題は、帝国主義に反対する闘争におけるプロレタリア大衆の行動能力である国際プロレタリアートは、要求、プログラム、スローガンには、事欠かない。欠けているのは、行動であり、効果的な抵抗であり、決定的な瞬間、まさに戦争において帝国主義を攻撃し、「戦争に反対する戦争」という古いスローガンを実践にうつす能力である。此処こそは、まさに飛ぶべきロドスであり、此処これは、プロレタリアの政策とその後の未来の結節点なのである。」275-6P
「歴史的弁証法はまさに諸矛盾のなかに運動し、あらゆる必然にたいしてはまた、その反対物を世界へと送り出す。ブルジョア的階級支配は疑いもなく一箇の歴史的必然である。しかし、その階級支配にたいする労働者階級の反乱もまた、同ようである。・・・・・・」276P
「この世界における資本の野蛮な勝利の進撃も、明るい面を一つもつている。それは、すなわち、この進撃が、自らの決定的な没落の先行諸条件を作り出し、社会主義的世界革命のみがその後を引き継ぎうるところの、資本主義的世界支配を生みだしたこと、それである。」277P
「・・・・・・平然としてそれらを見送った「文化世界」――この「文化世界」は、今はじめて、帝国主義の野獣どもの牙がいかに致命的であり、その吐く息がいかにいとわしいものであるかを、さまざまと知ったのである。・・・・・・」278P
「しかし、ヨーロッパの地における帝国主義的野蛮(ママ)の現在の狂乱(ママ)は、さらにもう一つの作用を及ぼしたのであるが、それに対しては、「文化世界」は、驚きの目を見はりもせず、心も痛めもしなかった。それは、すなわち、ヨーロッパ・プロレタリアートの大量的破滅である。」278P
「しかも、ここにおいて、現在の世界戦争はまた、大規模な殺戮であるにとどまらず、ヨーロッパ労働者階級の自殺であることを曝露する。」280P
「ドイツで、フランスで、イギリスで、またロシアで、労働者たちがその陶酔から醒め、互いに友愛の手を差しのべ合う時、はじめて、その狂気(ママ)は終り、血まみれの地獄の亡霊は姿を消すであろう。帝国主義戦争煽動者どもの野蛮な合唱と、資本主義のハイエナどもの嗄れた叫びを、労働者の古く力強い鬨の声が圧し去る時に。「万国のプロレタリアは団結せよ!」という鬨の声が。」281P
<付録>国際社会民主党の任務に関する指針 ◎
ローザの起草になる文で、スパルタクス団によって採決された。ローザは獄中にあり、その議論には採決し参加していない。インターナショナリズムに関する参照していく文になっていて、これからも援用されていくべき文ではないかと思えます。

 この選集には、編集者・訳者の解説が付けられていません。各巻共通の「付記」があるだけです。ですが、訳者か出版社がつけたと思われる各巻の帯が参考になるので、抜き書きしておきます。
(この巻の帯)
「国際社会主義運動への果敢なる使嗾 ようやく昂じてきた資本主義的帝国主義とその獣性の露呈たる第一次世界大戦に忽然毅然と対峙するローザ・ルクセンブルク。愛国主義的社会民主主義と袂を分かちスパルタクス団結成(1916年)に参加しつつ、インターナショナルなかつ妥協なき階級闘争へ熱情滾らす一巻」



posted by たわし at 03:51| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする