2020年03月04日

レーニン「資本主義の最高段階としての帝国主義」

たわしの読書メモ・・ブログ525
・レーニン「資本主義の最高段階としての帝国主義」(『世界の名著〈第52〉レーニン )』中央公論社1966所収)
この本は「マルクス主義」関係で最初に読んだ2冊目の本、一冊目は次の読書メモでとりあげる『国家と革命』です。この2冊はほぼ同時期に読んだのですが、読んでしばらくして、日本でスターリン批判をしたひとのひとり(日本のスターリン主義批判は世界に先駆けていたという話もあります)、三浦つとむの『レーニンから疑え』を読み、そもそもわたしは全共闘的な「自己否定の論理」のようなところで、インテリゲンチャの前衛党論のようなところへの違和があり、「レーニンなんか」という思いを持ってしまいました。で、その後のレーニン学習は、差別の問題関係の学習過程で、「民族自決権」に関する本を2冊読んではいたのですが、とりわけレーニン主義の核心的なと言われ、運動論的組織論的論攷は読まずじまいでいました。で、そもそも現在的な社会変革志向の運動の衰退は、過去の運動の総括をきちんとなしえていないからだという思いを強くし、そして、日本の左翼的政治党派のほとんどがとらわれた「マルクス―レーニン主義」ということへの批判が必要ではないかという思いを抱き始め、レーニンの第二次学習をしていました。読書メモ423〜433あたりです。で、まだ結論的なことを書かかぬまま、第三次学習です。で、レーニンの必読書とされる本、2冊の再読です。ちょっと誤解をうみそうなことを書いたので、断り書きをしておきますが、わたしはサルトルやデリダも言っているように、「マルクスの思想は現代社会(資本主義社会)で乗り越え不可能な思想」と思っています。ですので、わたしの思想のベースにマルクスがあるとは自認しています。だから、「わたしはマルクス派」という言い方はします。ですが、ひとをカリスマ的にもちあげる、ひとの名前を冠した○○主義という言い方は、批判的な意味を込めるときにしか使わないようにしています。マルクスとレーニンは一応切り離すことですが、左翼のほとんどの党が、「マルクス―レーニン主義」を自称するかその流れの中にありました。ですから、批判的な意味をこめて「マルクス―レーニン主義」と言う言葉は使っています。
さて、話をこの本に戻します。再読と書きましたが、最初読んだのは岩波文庫の『帝国主義―資本主義の最高の段階としての』か、国民文庫です。今回、岩波文庫で読もうとしていたのですが、タイトルにあるように、『世界の名著〈第52〉レーニン )』中央公論社1966を使いました。リード文を書いた江口朴カさん(ブログ423・江口朴郎「レーニンと現代の課題」 (『世界の名著〈第52〉レーニン )』中央公論社1966所収))が文の最後に、「後記」として岩波や国民文庫は第四版で、この訳は第五版で、「スターリンの時代に出された第四版の欠陥を改め、新たに多くの資料をおぎなった、現在見られる最も完全な版である。」52Pと書いています。スターリンは、反対派との論争過程で、原書を改ざんしたということは有名なことです。で、これを使いました。
さて、そもそも「帝国主義」ということば自体の使い方が、変わってきています。レーニン自体が、この本の中でも、「資本主義的帝国主義」という言葉で、「帝国主義」という言葉が別の使われ方があるというニュアンスを出しています。ひとつ前の読書メモの本の共著者のウォーラーステインが「世界システム論」の中で、「帝国主義」ということをアジア的専制国家の侵略的支配という脈絡に限定した使い方を提起しています。そのことがかなり浸透して、先進資本主義(世界システム論では「中枢国」)の後進国 (同じく「周辺国」)支配という意味では「帝国主義」ということばは使われなくなっています。更にネグリ/ハートは、訳語ですが‘<帝国>’という表記を使い出して、さらに「帝国主義」という言葉が使われなくなってきています。
そもそも、レーニンの評価の一つとして、マルクスはその時代の制約性として「資本主義の最高段階として帝国主義」ということを押さえていなかった不備を、レーニンは、補足し新しく展開したのだという事がありました。ですが、今日的にとらえると、レーニンの「帝国主義論」は、侵略と植民地時代の支配の形態で、戦後の民族解放闘争の中で、ほとんどの国が植民地支配を脱し(「新植民地主義」という言葉を出すひとはいますが)、グローバリゼーションンというところで、多国籍企業という形の資本の輸出が、もはや「輸出」という概念を解体するほどますます進み、レーニンの時代は金融―銀行支配ということがあったのですが、株式会社の金集めの形態も多様化し、多国籍企業自体が大きくふくらみ、ヘッジファンドというところでの株式操作も出て来、そして国家が金利の操作や、年金などの公的資金を株価操作や公債の売買に使うという禁じ手も使い出すほど、「レーニンの「帝国主義論」も古い」となっているのだと思います。もちろん、レーニンがマルクスの不備ということで指摘していたこともマルクスは一応出していたこと、それと同じように、レーニンがこの著の中で出していたことは、基本的枠組みとしてまた有効性があることはあるのですが、「帝国主義」的なことと別の可能性を当時としてはありえないとしていたことが、現在的に進行している面もあるようです。さて、レーニンにはそもそもロシア的な資本主義の発展を押さえたブログ433でとりあげた・レーニン『ロシアにおける資本主義の発展 (上)(中)(下)』岩波書店(岩波文庫) 1978-81があります。この本は、そこからさらに展開し、カルテル――シンジケート――トラストという「独占」をとらえ、侵略戦争と植民地支配という「帝国主義」を押さえた論攷です。
さて、ここで押さえておきたいことは、レーニンの「帝国主義論」と同時代的に出された、ローザ・ルクセンブルクのレーニンの「帝国主義論」に対置された、「資本蓄積論」の「継続的本源的蓄積論」です。そこから、世界システム論やネグリ/ハートの『<帝国>』あたりにつながっていっているのですが、ネグリ/ハートは国民国家の過小評価に陥っています。それらのことをわたしは反差別論として読み解こうとしていています。とても、現代経済学の本格的学習まで手をひろげられそうにはないのですが、誰も反差別論からの掘り下げたコミットメントをしてくれません。ともかく、基礎的対話くらいはなしえたいとは考えたりしています。
さて、切り抜きメモを残し、その中でもう少し対話を試みます。
「この国では、大工業における独占の誕生に集荷がおよぼす影響は、結晶体のような純粋さであらわれている」293-4P→これには訳者注がついていて、注(1)時代とともに変化する歴史社会の法則に対して、恒久不変の法則をさす。」295P・・・これは社会的関係と自然的関係としてとらえかえすことができて、まさに「社会的関係を自然的関係としてとらえる」という錯認としてのマルクス的な物象化論の指摘とつながっている、とわたしサイドで読み込みました。
「独占体の歴史を基本的に総括すると、結局つぎのとおりとなる。/(1) 一八六〇年代と一八七〇年代――自由競争の発展の頂点。独占体は、かろうじて認めうる萌芽でしかない。/(2) 一八七三年の恐慌以後。長期にわたるカルテルの発展期だが、カルテルはなお例外的存在である。それはなお、永続的なものではなく、一時的な現象である。/(3)十九世紀末の紅葉と一九〇〇〜〇三年の恐慌。カルテルは、経済的生活全体の基礎の一つになっていく。資本主義は、帝国主義に転化した。」296P
「独占者の団体が「組織」づくりに用いる現代的な、最新の、文明的な闘争手段の一覧表を、ざっとでも見ておくと、教えられることが多い。/(1)原料の剥奪 /(2)「同盟」による労働力の剥奪/(3)輸送の剥奪/(4)販路の剥奪/(5)もっぱらカルテルとのみ取引きするという、購買者との協定/(6)計画的な価格引き下げ/(7)信用の剥奪/(8)ボイコットの宣言」(注解省略)300P
「細かい網の目のような水路が、国中をおおい、すべての資本と貨幣収入を集中し、数千数万の分散した経営を単一の全国民的な資本主義経済へと、さらには、世界資本主義経済へと、転化させつつある」306P・・・銀行資本の支配の水路
「銀行が幾人かの資本家のために当座勘定の口座をひらくのは、純然たる技術的な業務、あるいは、もっぱら補助的な業務をおこなうことであるかのようだ。だが、この業務が巨大な規模にまで成長すると、全資本主義社会の商工業取引きが、一握りの独占者に従属させられることになる。」308P
「自由競争の支配する古い資本主義に独占の支配する新しい資本主義がとって代わったことは、一つには、証券取引所の意義が低下したことにあらわれている。」312P・・・これは銀行支配ということなのですが、現在的には株式による株の持ち合いとか、ヘッジファンドの登場とか、巨大な多国籍企業の登場とか、国による公的資金の株株式への投入、金利操作とか、銀行支配という側面は、レーニンの時代に比べてすくなくなっているのではと思えるのですが。
「銀行と産業との「人的結合」を補っているのは、これらの銀行や会社と政府との「人的結合」だ。・・・・・・したがって、資本主義的大独占をいわばつくりだし、仕上げるのは、あらゆる「自然的」および「超自然的」な方法によって全速力で進められているのだ。」316P
・・・「自然的」――まさに物象化論的把握
「資本の輸出国は、比喩的な意味では、世界を自分たちのあいだで分割した。しかし金融資本は、まさに世界の直接的分割をもたらしたのだ。」140P
「X 資本家団体による世界の分割」340-9P・・・電気と石油、そして運輸、鉄道からレール製鉄業
「資本主義国の植民地政策化がわが地球上のあいている土地の侵略を完了したという意味だ。だから、このあとに来るのは再分割だけだ。」350P・・・再分割として二度の帝国主義間戦争としての世界大戦、そして植民地支配からの独立闘争を経ての「帝国主義論」から世界システム論への転換やネグリ/ハートの「<帝国>」概念の登場
「したがって、独占資本主義段階への、金融資本への資本主義の移行が、世界分割をめぐる闘争の激化と結びついているということは疑いのない事実だ。」351-2P
「われわれは、ここから一八七六年をとる。これはすこぶる選択の当を得た時点だ。なぜなら、全体として見れば、まさにこの時期までに、独占以前の段階の西ヨーロッパ資本主義の発展は完了した、と見ることができるからだ。」354P
「こうして、第14表(354P)のような総括表が得られる。/この表からは、十九世紀と二十世紀の境に世界の分割が「完了した」のが一目瞭然である。」355P
「植民地政策と帝国主義は、資本主義の最新の段階以前にも存在したし、資本主義以前も存在した。奴隷制に立脚したローマは、植民地政策を推進して帝国主義を実現した。しかし、社会経済的構成体の根本的な相違を忘れたり、それを軽視して、帝国主義について「一般的」に論じるなら、「大ローマと大ブリテン」を比較するというような、空疎このうえない俗論や駄ぼらになってしまうのは避けられない。資本主義の従来の諸段階の資本主義的植民地政策でさえ、金融資本の植民地政策とは本質的に異なっている。」356-7P・・・資本主義以前の帝国主義と資本主義的植民地支配の帝国主義、金融資本支配下の植民地主義的帝国主義と、植民地からの独立後のグローバリゼーションン下の「帝国主義」――これは、世界システム論では、(アジア的)帝国主義、グローバリゼーション下の中枢国―周辺国という二分法になっています。ネグリ/ハートの「<帝国>」概念は、これらを架橋する概念。
訳注(1)「レーニンは、『帝国主義ノート』(第四版、三十九巻、七〇〇ページ)で、世界の国々を、(1)金銭的にも政治的にも自立した国、(2)金銭的には自立していないが、政治的には自立している国、(3)半植民地、(4)植民地と政治的従属国、の四つのグループに分けている。第一のグループにはイギリス、ドイツ、フランス、アメリカがあげられているが、第二のグループにはロシア、オーストリア、トルコ、西ヨーロッパの小国、日本、中南米の一部があげられている。だから、ここではアルゼンチンとかポルトガルが出されているが、ほんとうはロシアのことを頭においているのである。」361P
(帝国主義のついてのまとめ)「帝国主義は、資本主義一般の基本的属性の発展、その直接の継続として成長した。しかし、資本主義がついに資本主義的帝国主義になったのは、その発展の、きわめて高度な一定の段階でのことであって、資本主義のいくつかの基本的属性がその対立物に転化しはじめ、資本主義からより高次の社会経済的制度へ移る過渡期の諸特徴があらゆる面で形成され、表面化したときのことである。/この過程において経済面で基本的なことは、資本主義的独占が資本的自由競争にとって代わったことである。自由競争は資本主義と商品生産一般の基本的属性であり、独占は自由競争の直接の対立物である。ところが、この自由競争が、われわれの眼前で独占に転化しはじめた。すなわち、大規模生産をつくりだして小生産を駆逐し、大規模生産を巨大規模の生産で置き換え、生産と資本の集積を推し進め、そこから独占体が、つまり、カルテル、シンジケート、トラスト、そしてこれらと融合し数十億の金を動かしている十行かそこらの銀行の資本が、成長したし、いまも成長しつつあるところまで到達させたのだ。そして同時に、独占は、自由競争のなかから成長しながらも自由競争を排除せず、自由競争のうえに、これと並んで存在し、このことによって一連の、とくに鋭くはげしい矛盾、摩擦、衝突を生みだしている。独占は、資本主義からより高次の体制への過渡なのである。/もし帝国主義をできるだけかんたんに定義する必要があるとすれば、帝国主義とは資本主義の独占段階のことだと言うべきだろう。この定義には、最も主要なものが含まれている。というのは、一方では、金融資本とは、産業家の独占団体の(産業)資本と融合した、独占的に少数の巨大銀行の銀行資本だからであり、他方では、世界の分割とは、まだどの資本主義強国によっても侵略されていない領域へ自由に拡張される植民政策から、くまなく分割しつくした地球上の領土を独占的に領有する植民地政策への移行だからである。」362P
「あらゆる定義一般のもつ条件つきで相対的意義を忘れずに、つぎの五つの基本的標識を含むような、帝国主義の提起を与えねばならない。/(1)生産と資本の集積が高度の発展段階に達して、経済生活で決定的役割を演じる独占体をつくりだしたこと。/(2)銀行資本が産業資本と融合し、この「金融資本」を基礎として金融寡頭制がつくりだされたこと。/(3)商品輸出と区別される資本輸出が、とくに重要な意義をおびること。/(4)資本家の国際的独占団体が形成され、世界を分割していくこと。/(5)最大の資本主義列強による地球の領土的分割が完了したこと。/帝国主義とは、独占体と金融資本の支配が成立し、資本輸出がきわだった意義をおびるにいたり、国際的トラストによる世界の分割が始まり、最大の資本主義諸国による地球の全領土分割が完了した、という発展段階の資本主義のことである。」363P
「もし基本的な純経済的概念[いま述べた(前の文章)定義はこれに限定したものである]だけでなく、資本主義一般に対して資本主義のこの段階が占める歴史的な位置とか、労働運動における二つの基本的な傾向と帝国主義との関係とかを考慮に入れるならば、帝国主義にはこれとは異なる定義を下すことができるし、下さなければならない。ただ、ここでは、右に(横書きでは上に)指摘した意味で理解される帝国主義が、疑いもなく、資本主義の特殊な発展段階をなすということに、注意しておかねばならない。」363P
「帝国主義にとってまさに特徴なのは産業資本主義ではなくて、金融資本主義なのだ。」364P
「カウツキーが帝国主義の政治を帝国主義の経済から切り離して、領土併合を金融資本の「好む」政策だと解説し、それに対置される別のブルジョワ的政策が同じ金融資本の土台に立っても可能であるかのように主張している点にあるのだ。そういうことなら、経済における独占は、政治における独占ではない、暴力的ではない、侵略的ではない行動様式と両立しうるということになる。つまりは、まさに金融資本の時代に完了し、最大の資本主義国家間の競争の現代の形態の独自性基礎をなしている地球の領土的分割は、帝国主義的でない政策と、両立しうるということになるのだ。」366-7P・・・カウツキーの分析はその時代には間違えていたとしても、植民地が独立した現代のグローバリゼーションンの時代の経済体制ということでは、当てはまることがあるのでは?――単一の中枢国による植民地ではなくて、グローバリゼーションンの時代の多国籍企業の支配も含んだ経済従属体制というところでの政治的従属関係となっている。
「ところが、二十世紀の初めにあたる歴史=具体的な時代としての金融資本の時代の「純経済的」条件について語るのならば、「超帝国主義」という死んだ抽象[これはもっぱら、存在している諸矛盾の深刻さから注意をそらすという極反動の目的に役だつものだ]に対する最良の答えは、現代社会の具体的=経済的現実をそれに対置することである。」368P・・・前のメモと同じ
「金利生活者の収入が、この世界一の「商業国」(「大英帝国」)の貿易収入を五倍も上まわっている! ここにこそ、帝国主義と帝国主義的寄生性の本質があるのだ。/「金利生活者国家[Rentnerstaat]あるいは高利貸国家という概念が、帝国主義に関する経済的文献のなかで一般的に用いられるようになりつつあるのは、このためである。世界は一握りの高利貸国家と圧倒的多数の債務者国家とに分裂した。」374P
「この著者(ホブスン)の見解によれば、つぎの2種類の事情が旧来の諸帝国の力を弱めてきた。すなわち、/(1)「経済的寄生性」/(2)従属的諸民族からなる軍隊の編成/である。」376P
「帝国主義本国(中枢国)」の第一産業と第二次産業の空洞化377P
「ヨーロッパ合衆国」378P――訳注(1)「大戦の初期にボリシェヴィキのなかで「共和制的ヨーロッパ合衆国」というスローガン出された。レーニンもはじめはそれを支持したが、一九一五年なかばになり、資本主義、帝国主義に手をふれないでヨーロッパ合衆国を追求するのは誤りだと、これをしりぞけた。レーニンは「社会主義的世界合衆国」を考えている。」379P・・・そのようなことが成立したら、国家という概念ではなくなるのでは?
「ここでは、原因と結果がはっきりと指摘されている。/原因は、(1)この国による全世界の搾取、(2)世界市場におけるその独占的地位、(3)その植民地独占、である。/結果は、(1)イギリス・プロレタリアートの一部のブルジョワ化、(2)プロレタリアートの一部がブルジョワジーに買収されているか、すくなくとも彼らから金をもらっている連中の指導に甘んじていること、である。」382P
「だから日和見主義は、こんにちでは、十九世紀後半のイギリスで勝利を得たように、数十年の長きに渡って一国の労働運動を完全に支配することはできない。しかし、日和見主義は、幾多の国で、成熟しきって熟しすぎ、さらには腐りはて、社会排外主義となって、ブルジョワ政治と完全に融合してしまったのである。」382P・・・レーニンの時代の「中枢国」では、「融合」は可能だったとしても、グローバリゼーションンの時代には、「融合」は可能なのか? 「労働貴族」の没落
「現在のいわゆるドイツ「社会民主」党の幹部は、正当にも「社会帝国主義者」――すなわち、口先では社会主義者、実際は帝国主義者――という名前で呼ばれているが、ホブスンは、速くも一九〇二年に、イギリスには日和見主義的な「フェビアン協会」に属する「フェビアン帝国主義者が存在している、と指摘していた。」383-4P・・・いろいろな「帝国主義者」
「外国の支配下にあるアジア・アフリカ・ヨーロッパの諸民族の代表者が集まって、一九一〇年六月二十八〜三十日にひらかれた従属民族人種会議」384P――訳注(3)「ロンドンのウェストミンスターで開かれた。エジプト、インド、モロッコ、グルジア、アフリカの黒人、南米のインディオ、アイルランド、ポーランドの代表が集まった。」385P・・・この時代から反「帝国主義」運動が始まっていることに留意―
「帝国主義の諸矛盾を分析してその深刻さをあばきだすのではなく、これらの諸矛盾を回避し、言いのがれをしようという改良主義的な「無邪気な願望」――これが、われわれの見る唯一のものなのだ。」386-7P
「輸出の上昇はまぎれもなく金融資本の詐欺的行為と結びついているのであり、この金融資本はブルジョワ道徳などすこしも気にせず、一頭の牛からも二枚の皮をはぐのである。つまり、最初は、借款から利益を得、つぎは、借款がクルップの製品や製鋼シンジケートの鉄道用材の買いつけ等々にあてられるとき、その同じ借款から利益を得るわけである。」391P・・・ODAとか、世銀支配とかにも繋がる常套手段
「帝国主義は金融資本と独占の時代であり、この金融資本と独占は、いたるところに、自由を求める渇望ではなく、支配を求める渇望をもってまわる。」395P
「ここでとくに、問題としているこの時代の特徴をなす独占の主要な四つの現象を、指摘しておかねばならない。」――「第一に、独占は、生産の集積のひじょうに高度な発展の段階において生産の集積のなかから成長した。これは、資本家たちの独占団体――カルテル、シンジケート、トラストである。」――「第二に、独占体は、最も重要な原料資源の略奪を強化させた。」――「第三に、独占は銀行から成長した。銀行はひかえめな仲介者的企業から金融資本の独占者に転化した。」――「第四に、独占は植民地政策から成長した。」397-8P
「この点で何よりも危険なのは、帝国主義との闘争は、日和見主義との闘争と切っても切れないように結びつけられていなければ、空虚な、偽りの空文句にすぎないということを、理解したがらない人々である。」400P
「この点で示唆ぶかいのは、「からみあい」や「や「孤立性の欠如」等々が、最新の資本主義について記述しているブルジョワ経済学者たちの流行語となっている。」――「それでは、この「からみあい」という言葉は何をあらわしているのか。それは、われわれの眼前で進行している過程の最も目につく特徴だけをつかんでいるにすぎない。それは、観察者が木を見て森を見ないことを示している。それは、外面的なもの、偶然的なもの、無秩序なものを、ただそのまま書き写していただけのことだ。それは、素材に圧倒されて、その意味も重要性もさっぱりわかっていない人間であるあることを暴露している。」――「このようなときには、われわれの眼前にあるものは、生産の社会化なのであって、たんなる「からみあい」などではけっしてないということ、私経済的関係および私的所有者的関係は、もはやその内容にそぐわない外皮をなしていること、そしてこの外皮はこれを取り除くのが人為的に引き延ばされるばあいにはかならず腐敗するということ、それは比較的長期間[最悪のばあい、日和見主義の腫れものを治してしまうのが遅れるばあいには]腐敗状態のままでいることがあるが、それでもやはり、結局はかならず取り除かれるであろうということが、明白になるのである。」401-2P・・・ブルジョワ・イデオローグ達の無理解と、ものごとをあいまいにさせる目くらまし的虚言


posted by たわし at 00:43| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする