2007年12月17日

「たわし」のこと

たわしの雑感@
「たわし」のこと
 以前、「反障害通信」に「たわしの読書ノート」を書いていたときに、「通信」を送っているひとから、「「わたし」を「たわし」と打ち間違えていますよ」という指摘をしてもらいました。
 確かに、最初「わたし」と打つところを、「たわし」と打ってしまったことから「たわし」は始まったのです。
 差別の問題を考えていると、一人称代名詞に何を使うかということが問題になってきます。これは差別に関する本を読んでいるときに出会った、福岡安則さんの『マルクスを<読む>』(三一書房)の中でも指摘していることです。
 「私」の禾(のぎへん)は囲うという意味があり、柵を作ってこれがわたしの土地だと宣言していく、差別の根拠として大きな意味をもつ私有財産制の発生の根拠となっていくこと。「僕」は下僕の僕で使いたくないのです。「自分」は、自らを分けるということで、特異化していくことにつながり、軍隊用語的でもあるし、・・・。
そんなこんなやらで一人称代名詞をどうするか考えているときに、手紙のやり取りをしているひとで「わたし」を使っているひとがいました。単にひらがなにしても「私」という漢字につながってしまうのですが、それでも、「私」よりは「わたし」が良い、ということでわたしも「わたし」を使っていました。今でも、使っています。
で、酔っ払って親しいひとにメールをしているときに、「わたし」を何回か「たわし」と打ち間違えて、校正もしないまま出しているうちに、「これは使えるなぁ」と思った次第です。それに、「たわし」という物に対するわたしのイメージがあります。汗をかくのをおしまない作業をしよう、生き方をしたいものだ、という決意も込めて、わたしの自ら名づけたニックネーム的に使おうと思ったのです。
要するに一人称代名詞とわたしのニックネーム的なところをミックスさせて「たわし」にしたのです。
勿論、公文書などや、公的な文では使いません。それなりに親しいひとや、タイトルで「使える」だけです。
ということで、何も説明しないまま始めたタイトルの今更ながらの説明です。
「また、分けの分からこと考えているのねー」と笑われるようなことですが・・。

posted by たわし at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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