2021年04月15日

田村雲供/生田あい編著『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』

たわしの読書メモ・・ブログ554
・田村雲供/生田あい編著『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』社会評論社1994
 ローザ・ルクセンブルクの学習19冊目です。これも再読です。
 ローザ・ルクセンブルクは性差別の問題でほとんど文を書いていませんし、運動的にもあまりとりくんでいません。それは性差別の問題だけでなく、他の差別の問題にも及びます。そもそも、レーニンとの民族自決権を巡る論争にも、個別被差別を超えた連帯の志向があります。
 それにも関わらず、なぜ、女性たちのこの本が成立したのか、これまでのローザ・ルクセンブルク学習からすると、@ローザ・ルクセンブルクは女性であり、女性との間でシスター・フッド的な関係を形成していったこと、そこでのこの本の著者たちとのシスターフッドA女性の感性で方針を出していったということがあります(例えば反戦の思想)、しかし、女性の立場できちんと運動しなかったがゆえの徹底性をもちえなかったということ(武装蜂起的なところでのとりこまれ)もあるのですが、Bローザ・ルクセンブルクの継続的本源的蓄積論の理論のなかに反差別の思想があり、女性のみならず、被差別者の立場が、その事の中に含み込まれています。これも、きちんと現実的にとりこまなかったがゆえ、男たちの発達史観――進歩史観にとりこまれたことや、民族自治論の不徹底などということもあるのですが。とにかく、今日的に反差別運動のなかで留意されています。この本のなかで、そのあたりの展開も一部なされています。
 さて、早速、読書メモに入ります。最初に目次をあげます(詳細なタイトルは省略)。
      目次
序論 ローザ・ルクセンブルクとフェミニズム     田村雲供
第1部
女(わたし)の目で読み解くローザ・ルクセンブルク 寺崎あきこ
――性・民族・階級を考える手がかりとして
斃れた者への祈禱                  富山妙子
 ――ローザ・ルクセンブルクとケーテ・コルビィッツ
ローザ・ルクセンブルク再考            足立眞理子
 ――資本蓄積・<女性労働>・国際的-性分業
私のロシア革命論                  生田あい
 ――“生の賛歌”としての社会主義
ドイツ・バイエルン革命とフェミニストたち      田村雲供

第2部
社会主義と家族                   水田珠枝
 ――コロンタイを手がかりに
社会主義の挫折とフェミニズム            大沢真理
日本資本主義とその文化イデオロギー         大越愛子
フェミニズムから「国家」論を読み解く  江原由美子+生田あい
資本主義と女性抑圧の文化構造        フリッガ・ハウク
女たちのレーテを            コーネリア・ハウザー

ローザ・ルクセンブルク邦語文献目録
あとがき
執筆者略歴

序論 ローザ・ルクセンブルクとフェミニズム     田村雲供
 この文は最初に読んだときは、ざっと読み流していたのですが、今回はすごくインプットされました。論点をかなり出してくれています。切り抜きメモを出して、いつものように斜文字でわたしのコメントを書き添えます。
「つまり、ローザ・ルクセンブルクに「女」を発見していく過程を素描し、女たちとローザ・ルクセンブルクとの出会い、そしてドイツの新しい第二波フェミニストの提起した問題からローザを逆照射してみることである。同時にこの作業は、本書におさめた女性たちの論稿にみられる問題意識とそれぞれに重なるものであろう。」7P
「ローザ・ルクセンブルクはいうまでもなく女性であった。しかし彼女の思想や行動は、男という名の人間に伍して、渡りあってきたから、評価なり批判なりがなされてきた。女性であるにもかかわらず男性に肩を並べて論争し行動した「男なみである」ことにたいし、男女を問わず人びとが感嘆した時代があった。この感嘆のなかには、女であることを否定的劣勢の要素と認める暗黙の了解がある。しかし、歴史は反転を可能にした。反転の経過をみることにしよう。」7P・・・反転しきれたことと、しきれなかったこと。フェミニズムを押さえたところで、反差別という地平から反転の作業には入れていない。ひとは時代を超えて生き得ないとしても・・・。
「まず、ローザ・ルクセンブルクの女性性が積極的に強調されだしたのは、ルイーゼ・カウツキーやゾフィー・リープクネヒトに宛てた彼女の手紙が公にされたときからである。これはルイーゼ・カウツキーの意図的な行動でもあった。/「暴力と破壊の扇動家」とみなされ、「赤いローザ」とよばれたローザ・ルクセンブルクであるが、じつはきわめて繊細でやさしい心の持ち主であることが手紙の公刊によって証明された。ゆたかなルーマニアの広野から略奪してきた戦利品の牛に・・・・・・」7-8P「市民社会の台頭期には男も女もじつによく泣いたが、男女の性別性格の対照化の定着と社会の安定とがあいまった、情緒・感傷性は女の特性とされていく。男の能動にたいし女の受動、男の理性にたいし女の感情、といった数かずのメルクマールをつらねて、男は外、女は内へと収斂していくなかで、情緒的であることは女の規範の一つとされ、女の本性=自然という意味不明の概念で女が括られることになった。」8P
「この神話を打ち破ったのがJ・P・ネトルである。・・・・・・評伝『ローザ・ルクセンブルク』・・・・・・ローザをその実像に近づけた。政治運動と私的生活はローザ・ルクセンブルという人格のなかで一つの生活となった。」8-9P「ヨギヒェスとの破局以来ローザは女友だちに、さかんに精神的自立を鼓舞している。」9P「この評伝がネトルの意識をこえて、彼の意図しなかったローザ・ルクセンブルクという女性の姿を鮮明にしてくれたのは、質の良いもののみにひそむ一種の「奸智」でもあった。」9P
「ローザ・ルクセンブルクの二項対立的把握をつき崩したJ・P・ネトルについで、更にもう一歩彼女の全体像を視覚的に身近なものにしたのが、映画『ローザ・ルクセンブルク』(西ドイツ映画、一九八五年作品)の監督であるマルガレーテ・フォン・トロッタである。」9P「ローザの生活スタイルは、多少重々しいブルジョア趣味で成り立っている。・・・・・・彼女はプロレタリアートの文化があるだと考えてもいなかった。芸術と政治は無関係であると考えていたわけではないが、二つをはっきり区別していた。フォン・トロッタはローザ・ルクセンブルクのこうした側面もうまく映像化した。」10P「フォン・トロッタは、この映画のライト・モチーフを、「つねに女でありつづけたローザ・ルクセンブルク」である、と明言している。」11P
「同じく、ローザ・ルクセンブルクは「女であることを意識していた」、とのべたのはハンナ・アーレントである。・・・・・・『暗い時代の人びと』・・・・・・しかし、ネトルが強調しながらも、その意味を十分に理解しているとは思えない側面として、ローザの自身が女であることを意識し、自覚していたことを指摘している。」11P(・・・被差別の当事者性は反差別というところからしかとらえ返せない)「さらにまた、政治に目覚めた女たちが組織した女性解放運動、選挙権の平等を求める運動にたいしてもローザは、「わずかな差がうまれるだけだ」と言ったであろう、という。・・・・・・わたしはさらにローザのこの態度から、ドイツ社会民主党をはじめとする官僚体制の現実にたいするローザの批判を読みとりたい。」11P「いずれにしてもアーレントは、女であるローザ・ルクセンブルクをみることによって、彼女の等身大の人格がみえることを強調したのであろう。」11P
「ローザ・ルクセンブルクは女であり、新参者であり、かつポーランド・ユダヤ人であった。まさに「社会的バーリア(賤民)」であった。家をすて、国をすて、伝統を重んじる誇り高きプロイセン社会の安寧を蝕もうとした意識的バーリアを生きたがゆえに、ローザは予言者なりえた。そして現実への鋭い洞察力で真実を語り、世界の全体像を手に入れることができた。それは共同体にたいする「他者」立場を鮮明にしたものであり、なによりも修正主義論争に明確にしめされている。/修正主義論者は資本主義崩壊説に疑問をなげかけ、崩壊ではなく、その存続能力をむしろ認めるべきではないかと主張した。・・・・・・・これにたいしローザ・ルクセンブルクは、「なぜ」資本主義の存続が可能なのか、と問題をたて、存続のメカニズムを解明することで修正主義論をラディカルに論駁した。・・・・・・つまり資本主義の蓄積過程は、たんに資本主義生産を支配する固有の法則の結果である剰余価値の生産からのみ成り立つのではなく、非資本主義の領域が存在し、これを収奪することによってはじめて可能になることをしめした。」11-2P「資本主義とは、それ自体が矛盾を生みだし、「みずからのなかに革命を準備する」ような閉じた体制ではないことを証明したローザ・ルクセンブルクは、非資本主義社会が存在するかぎり、資本主義はその生存と成長をつづけ帝国主義へと発展し、最後には崩壊へといたることを『資本蓄積論』で理論づけた。ここには、彼女の政治論文にはない「理論」があり、この理論こそが六〇年代末の第二波フェミニストをローザ・ルクセンブルクにつないだ回線となった(ドイツのフェミニストで、いち早く第三世界の女性に眼を向けたC・フォン・ヴェールホーフやマリア・ミーズの研究はここから出発している。本書足立論文参照)。市場原理の周縁に位置づけられてきた女性は、非資本主義領域を形成している。そして「性」の収奪と「労働」の収奪にさらされてきた。」12P(・・・中枢国内の差別による収奪も)「しかし『資本蓄積論』は、「なぜ」から展開された首尾一貫した理論として意図されたものであった。したがって理論的、経済的必然性がどのようにして政治的挑戦に転化し、さらには社会的行動を要求するのかについて、ローザ・ルクセンブルクはなにものべていない。ローザには個々の事件であれ、経験であれ普遍化したいという強い要求があったので、「いかに」が脱落しがちであった。たとえばローザにはドイツ植民地、南西アフリカ(現在のナミビア)での残忍な植民地戦略と、先住民についてのパセティックな記述はあっても、先住民の抵抗・蜂起の実態や、ドイツから送りこまれた女性の「性」の手段化や、先住民女性の「性」の収奪、しかも女性間の「性」にヒエラルヒーをもうけて操作し、第二のドイツ帝国の建設をすすめた具体性については言及されることはなかった(拙稿「南西アフリカ、ドイツ植民地への女性輸送」、池本幸三編『近代社会における労働と移住』阿吽社、一九九二年参照)。ここに、植民地政策には欠かせない「人種」と「性」の問題が、ローザから欠落しているのをみることができる。」12-3P・・・障害問題も。
「とはいうもののローザ・ルクセンブルクによって提起された「なぜ」の問いは、いま今日でもその有効性をうしなっていない。問題は、資本主義下の経済還元論的分析、分配にあるのではなく、むしろ資本主義と非資本主義との関係性のなかにあるからだ。それは同時に、「性」によって分断された世界を意味している。歴史、社会は「階級」よりも「性」によって分断されていることを発見した六〇年代末のドイツの新しいフェミニストたちは、時代の政治的うねりのなかでローザに欠けていた「いかに」をどのように経験し、なにを発見していったのであろうか。」12P「革命の年にケルン大学の学生たちは、大学の建物に白いペンキで「ローザ・ルクセンブルク大学」と大きく書いた。」13P「かれらは話せばよどみなく流暢で、運動の指導権をにぎり、外に出ればブロンドや黒髪の魅力的な女性ファンをひき連れて、風をきって闊歩した。こうした光景は同じく運動に参加していた女性に、しだいに違和感をつのらせることとなる。違和感は排除されてあることを女たちに意識させると同時に、さらに徹底して「他者であること」への認識へと導いた。この認識が具体的な「女」を発見していく。ここにローザ・ルクセンブルクの立脚点への回路がある。そして、ついに一九六八年の秋(正確には九月一三日)、女性にとって歴史的に記念すべき「トマト事件」がおこった。」13-4P「男性活動家の「革命の花嫁」(「コンクレート」誌)を演じた女たちは、闘う相手はごく身近にいる男性指導者たちであることを知った。運動のなかの経験が教えたのである。いまや批判に転じた。ハノーファでのSDS代表者会議で、女たちはあの有名なビラ「社会主義のエリートたちを、そのブルジョア的ペニスから解放せよ!」を配った。そして「権力はファロスにある」と宣言した女たちの抗議行動は、左翼の男たちに向けられる一方で、新しい女性運動がさまざまなかたちで組織され、女が家族や社会で経験している不都合や不利益をことごとく明るみにだしていった。」14P「女にとって、「舗装の下には渚がある」わけではないことが明確になった。「女たちの舗装の下にはポルノグラフィーがよこたわっている」。」14P「新しいフェミニストたちはローザの「なぜ」に、「いかに」を接合することによってフェミニズム理論を模索していった。それは所有するものと、これに依存するものとの経済的法律的平等をもとめるよりは、あくまでここで支配する権力関係の無力化・廃棄を志向するものである。「男」をつくり、「女」をつくったのは自然ではなく、まさに権力関係であるからだ。」「本書は、ローザ・ルクセンブルクの生誕一二〇年を記念して東京で開催された国際シンポジウム「ローザ・ルクセンブルクと現代社会」と同時にひらかれた女たちのシンポジウム「今、女たちから世界の変革を」を契機にうまれたものである。」15P
第1部
女(わたし)の目で読み解くローザ・ルクセンブルク 寺崎あきこ
――性・民族・階級を考える手がかりとして
二つの小見出しがついています。内容的に一つ目は伝記ですが、二つ目は、ローザ・ルクセンブルクがおんなであること、そのことから、他の女性とのつながりを書いています。そして二つ目には、更に小さな小見出しがついています。(小さいポイントの太字で表記)
ローザ・ルクセンブルクの生涯
ここはローザの生涯について、年代をおってかかれていること。他の書で読んでいることがあるので、省略します。ただ、一九一四年の第一回の戦時公債でリープクネヒトが反対票を投じたとありますが、フルーレの書では、一回目は社会民主党議員団の党則に拘束されて、賛成しているとなっています。反対票を投じたのは二回目だと。
ローザ・ルクセンブルクと女(「わたし」のルビ)たち
「女だからといって「婦人問題」をやればいいなどと単純に決めつけられてはたまらない、というのが彼女のいつわらざる気持ちだったのであろう。/ローザ・ルクセンブルクの著作で公表されたもののうち、女性を直接的なテーマとしてとりあげているものは「婦人参政権と階級闘争」「女性プロレタリアート」の二点にすぎないまた、ローザと当時のプロレタリア婦人運動のクララ・ツェトキンとの友情についてはよく知られている。ローザはクララが編集長をつとめる女性労働者のための雑誌「グライヒハイト」(一八九一年――一九〇八年)に寄稿したこともあったが、その数は十点にすぎない。寄稿のテーマを一覧すると、いずれも社会情勢、党の路線についてなどのもので、女性問題をテーマにしたものは皆無といってよい。」28P
 ローザと「女性であること」
「まずいえることは、ローザが「女であることに」ハンディを感じていなかったことがある。」28P・・・? この小見出しの最後の引用
パウル・フレーリヒを引用した著者のコメント「「ローザ・ルクセンブルクは、鋭い理解力、行動力、大胆、決断力、自信など、男性的な面を多くもっていた。しかし男性に伍することで有頂天になる青鞜派では決してなかった。つねに自然、率直であるという点で彼女は完全な女性であった」(・・・フレーリヒ自体のジェンダー的とらわれ)。しかし、ローザは「青鞜派」になる必要などなかった。なぜなら、彼女は最初から「男に伍して有頂天になる」以上のことめざしていたからである。」29P・・・「以上」なのか? むしろそんなことにとらわれないで、なのでは?
「しかし、本人が意識していなくても、女性であることを抜きにして周囲が彼女に接していたか、は別の問題である。」29P
「ローザは性差別的言辞や対応が気にならなかったのでもなく、気にしなかったのでもない。それどころか深く傷つくことが、このことも少なくなかったことが、この手紙からも想像できる。しかし、そのことを正面きってとりあげようとしなかった。これらを彼女個人に向けられた攻撃としてとらえていたからである。」30P
 女たちとの関係
「二人(ローザとクララ)の間には一方が支えを必要としているときにはかならず、他方がそれにこたえてくれることを期待できるという強い信頼関係が生まれた。」31P・・・同志的関係を含んだシスターフッド的関係
 ルイーゼ・カウツキーとの関係も書かれています。ここには書かれていませんが、わたしは彼女との手紙のやりとりを見ていると、クララとの同志的な関係を含んだシスターフッドではない、まさにシスターフッド的関係があったととらえられます。
 男との関係
「一九七〇年代に始まったウーマンリブは「プライベートとはポリティカル」といった。公的な政治活動の場だけでなく、「私的」なヨギヘスとの関係においても精力的に孤独な闘いを進めたローザの実践も、その先駆けの一つであったといえよう。/しかし、ローザがヨギヘスとの生活について夢みているものは、伝統的な家庭生活の域を出るものではなかったようだ。・・・・・・」33P・・・初期のヨギヘスとの関係とその事を断ち切った後の関係は違う
「ローザにとって「仕事」と「くらし」は断続的したものではなかった。どちらにしても彼女にとっては人生の重要な構成要素であった。ローザは「革命家」でもあり、「生活者」でもあった。その意味で彼女はその一生を「両性具有的」に生きたといえるだろう。「男の領域」である「仕事」と「女の領域」である「くらし」と…………」33P・・・まさにジェンダーにとらわれている論理
「女性解放のかかわり方には二つのタイプがあるといえよう。第一はもちろん、徹底して女性であることにこだわり、男性の価値観を中心につくりあげられた社会を批判し、変えていくやり方である。第二のかかわり方は、直接女性であるということにこだわらずに(少なくとも意識的には)男性社会の中に入りこんで個人として可能性を探り、自分の地位を確立していくことによって、結果として女性の可能性を拡げていくやり方である。・・・・・・両者は反目しあうのではなく、同じコインの表と裏の関係にあるといえるからである。ローザ・ルクセンブルクは後者の立場を貫いた。」33P
 ローザと「民族」
「彼女はポーランドの独立よりも、労働者の国際的連帯による社会主義社会実現のための運動を優先した。だからといつてもちろん、民族の存在を無視したのではない。ポーランドの研究家の加藤一夫氏によれば、ローザの主張は「国民(民族)国家なしの民族の自立」ということだった。・・・・・・・ローザにとって「この権利(自決権)は社会主義においてはじめて実現できるもの」だったのである。」34-5P
「ローザがインターナショナリズムを構想する際に彼女の頭のなかには、それが可能であるという現実の裏付けとして、ユダヤ人の「インターナショナリズム」(つまりユダヤ教の信仰をきずなとした宗教的民族共同体を一五〇〇年にわたり継続させてきたユダヤ人の実践)があったといえるのではないだろうか。」35P・・・?むしろユダヤ人的な独立国家的志向を否定したが故に、民族自決権を否定したのではないでしょうか?
 性・民族・階級
「しかし、「フェミニズムをになう主体の複数化」についての論争は、白人女性が主流となっている国ほどに、多面的には行われていないのが現状である。性差別にこだわっている日本の女は、同じ日本で性差別よりも民族差別を切実に感じている在日朝鮮人の女性とどのようにつながっていけるのだろうか。それぞれのこだわりを尊重しつつ、たがいが出会い、つながっていくためには、どうすればよいのであろうか。・・・・・・ローザ・ルクセンブルクの場合は、原点はあきらかに民族差別にあったといえよう。・・・・・・階級や民族の支配だけでなく、性による支配構造がみえてきた現在、フェミニズムの視点にも立ちつつ、この複雑に交錯する支配構造全体に視野をひろげていくことが求められている。そのようにして、問題が新たにみえてきた例として、朝鮮人「元慰安婦」の問題がある。」36P
「ローザ・ルクセンブルクはユダヤ人に、女性に、「特別席」を与えようとしなかった。では、性差別に対する闘いは彼女の思想と相入れないものなのだろうか。わたしはそうではないと思う。女たちの闘いは、大衆の自発性を重視したローザ・ルクセンブルクのいう、大衆(といっても「天の半分」ではあるが)の「成熟」(自己発展)の過程そのものといえると思うからである。/マルクス主義者としてのローザ・ルクセンブルクの方法論は、「マルクスを最も重要な思想家として受けいれながら、しかし同時に、その理論が現実に合わないと考えた場合にはためらうことなくそれを修正しながら自分の理論の発展をはか」るというものであった。その意味で女たちの性差別に対する闘いは、女性に「特別席」を与えなかったローザ・ルクセンブルクと相反した道ではなく、その延長線上のあゆみといえるのではないだろうか。」37P
斃れた者への祈禱                 富山妙子
 ――ローザ・ルクセンブルクとケーテ・コルビィッツ
 著者は画家であり、反戦というところからローザと彫刻家だったケーテ・コルビィッツとをつなげる文を、ロマン・ロランをも媒介にしながら書いています。詩的な文です。
ローザとロマン・ロラン
 冒頭書き出し「なぜ、戦争をふせげなかったのであろうか?」43P
「戦争中にわたしは美学生だったが、ほとんどの本が発禁で、手に入る本は限られていた。敗戦後にローザの本をよみ、印象深かったのはフランスの作家ロマン・ロランについてローザがふれている箇所だった。」43P
「戦争をふせぐにはどうすればよいかを示唆されたのも、ロマン・ロランの「国境を越える」思想からであり、知識人や作家の役割を考えはじめたのもロマン・ロランの本からだった。」43-4P
「帝国主義最盛期の時代、国境を越えた友情の連帯があり、ロランからインドのガンヂーやゴタールへコルビィッツの絵から中国の魯迅へ、権力に対峙する自由な魂は砂漠の地下水のカレーズのように脈々と流れていたのだ。戦争をふせげなかったことへの反省をこめて、彼らの思想は次の世代への課題となっている。」45P
 戦争と女の視座
「戦争を体験しての私の美意識は変わりはじめていた。戦争の惨禍と、地獄の形相を見た私は、絵画とは美の追求であるなど、すでに過去のことになっていた。アウシュヴィッツの虐殺や原爆で焼けただれた人たちのことを知ったとき、いったい絵画とは何であったのか。戦争の悲しみを訴えてくるのは、ケーテ・コルビィッツの版画からだった。」45P
「第一次大戦でケーテは最愛の息子ペエターを戦死させた。その母の悲しみが、白黒の版画に、骨をペンとして血をインクとして描いたかのように刻まれている。/「ペエターは臼でひいてはならない種子であった」(『日記』ケーテ・コルビィッツ)。/戦争は何万、何百万の若い生命を、石臼でひき殺したのだ。」45P
「戦争と女について考えるとき、ケートとローザが、私にはもっとも大きな存在であった。/獄舎の中庭で血を流した牛の目の涙を見るローザ、若い生命の「種子を石臼でひいてはならない」と叫んだケーテ――ここに戦争を見つめる新しい女の視座があった。」46P
「一九世紀から二〇世紀初頭にかけて、革命家は芸術家であり、芸術家は革命を夢みた。帝国主義戦争と革命との煮えたぎる抗争のなかで、両者はともに暗夜の道をあゆみ、夜明けをさぐろうとした。だがそこにあるのは斃れた者たちの屍のあとだった。」46P
 斃れた者へ・・・著者の画家としての道行き
「ふりかえってみると、私が描いてきた絵のシリーズは、自由を求めて斃れた者たちに捧げるものが多かった。それもローザやケーテの影響なのだろう――戦争の悲しみや惨禍を見てきた私には、栄光とは犠牲のうえに礎かれた塔のように思われた。」46P
 ベルリンで、ローザとケーテに・・・ドイツ旅行でローザとケーテとの語らい
「八八年、第二次大戦中の強制連行と従軍慰安婦をテーマとした個展を西ベルリンで開いたとき、ようやくクーダムに「ケーテ・コルビィッツ美術館」ができていた。美術館のなかで私はケーテの自画像に語りかけていた。」48P
「これまで私が考えたのは既成の権威や権力となっているものに対する、反権力や反体制としての、対抗文化であり、アジア人として、女としての私には西洋中心の文化や、男性中心の文化に対するオルタナティブの文化だった。」49P
「資本主義も社会主義も、ともに物質の豊かさを求めてきた、表裏でなかったのか。」49P
「それらは新しい「ノアの箱船」のよう。だが、私たちが乗っている先進国という帝国主義の巨船はすでに船体が腐敗し、レーダは壊れ、方向を見失って軌道を狂わせている(ママ)。/私たちは、新しい「ノアの箱船」を作り、港を出るところにきた。どうやら歴史は一世紀くらいの年月を経ないと真相は見えてこないようだ。」49P
ローザ・ルクセンブルク再考            足立眞理子
 ――資本蓄積・<女性労働>・国際的-性分業
 わたしは、忘れることを得意としているので、記憶もはっきりしないのですが、確か、この論稿が、継続的本源的蓄積論に関するわたしの学習の始まりで、ここから世界システム論とフェミニズム世界システム論を学び、そしてネグリ/ハートの『<帝国>』から、オルター・グロバリーゼーションの学習の道行きへと進んだのでした。
 はじめに――<非連続性>の地平にて
ローザ・ルクセンブルクが問題にしているのは「焦点はあくまでも生産的労働をおこなうものとしての女性プロレタリアートであって、プロレタリアの女性ではない。」52P
「しかしながら、マリア・ミーズが述べているように、一九二〇年代に端を発する女性解放運動と、一九六〇年代後半以降の今日のフェミニズムとの間には、その理論的・運動的《連続性と非連続性》が存在する。/ミーズによれば、《連続性》とは女性のリベレーション(Liveration)であり、《非連続性》とは、次の三つの領域にわたるものである。一、身体の政治、二、政治の新たな読み替え、三、女性の労働。すなわち、前述の問いをめぐる困難さとは、この《非連続性》の地平において、今日のフェミニズムは、いかにしてローザ・ルクセンブルクと出逢うのか、その出逢いの可能性を求めるものだからなのである。」53P
「先取りしていうならば、一九六〇年代後半から今日に至るフェミニズムの理論形成・実践において、ローザ・ルクセンブルクの思想は、ある決定的というべき影響を与えている。それは、一九七〇年代の家事労働論争が、フェミニストに不満をもたらしつつ収束して以降の出逢いであり、一九八〇年代の前半においてほぼ形成され今日に受け継がれているとみることができる。」「ならばその《非連続性における出逢い》とは、一体どのようなものなのであろうか。ここでは前述した《非連続性》における三つの領域すべてにわたる、ローザ・ルクセンブルクの再読は、とうていできない。したがって、的を絞り、そのなかの第三点《女性の労働》をめぐる読み替え、とくに資本蓄積と《女性の労働》の関連性、これは広義には生産的労働、搾取、階級というマルクスの基礎概念への、家事労働論争・以降――ここが重要なのだが――のフェミニストによる批判、そして、これをとおして、フェミニストの理論形成は、どのように変貌したのか、を主題としておってみたいと思う。」53P
 同時代――「第三世界」からの異議申し立て
「・・・・・・というのも、フェミニズムはそもそも先進資本主義諸国の女性たちが、自らの解放を求める運動として生まれたのであり、今日でもフェミニズムの多くはそのことを主題としている。」54P
「それは、この時期における「第三世界」の側からの異議申し立てとして形成された「第三世界論」の理論・運動の隆盛であり、そこからのローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』再評価の動きに(他)ならない。」54P
「一九七〇年代のフェミニズム理論のある限界点で、《女性の労働》に係わる資本蓄積概念そのものの見直しとして、果たされたのである。そして、この時はじめて、フェミニズムは、自らの出生を記す“先進国中心主義”あるいは“ヨーロッパ中心主義”への内在的批判への糸口をつかむのである。」54P
「しかし、この出逢いの後、ローザ・ルクセンブルクの《資本蓄積》概念を受容したフェミニストによる、《家父長制的資本主義社会》における《女性の労働》に関する分析枠組みを、従来の抽象的な「社会」、事実上の一国主義から、資本主義世界システムへと転換させる、新しい分岐が形成されていったといえるのである。/したがって、ここで私達は、留意されるべき第二の問題が存在することに気付くであろう。それはフェミニズムが出逢った《資本蓄積》概念とは、すでに「第三世界」の視座から読み直されたものであるという点にほかならない。」55P
 「第三世界」からの『資本蓄積論』再評価
「バーバラ・ブラッドビーは、ローザ・ルクセンブルクが、マルクスの再生産表式の前提そのものを疑い、そこから非資本主義的“外部”の必要性を説くにあたって、そこには二つのテーゼ、一、強いテーゼ――(拡大再生産における)剰余価値不可能性、二、弱いテーゼ――自然経済の破壊、が存在していると述べている。」56P――この後バーバラ・ブラッドビーのローザへの批判。これについては、『資本蓄積論』の学習過程で、すでに出ていた議論。
「この中にみられる、資本主義はその成熟段階といえども非資本主義的環境におよび社会層(Non-capitalist milieux and strata)へ依存している、というこの主張は、資本の社会的再生産の歴史的・現実的過程における「資本の生産」への、従来とは異なる局面を切り開くものであった。つまり、「非資本主義的環境および社会層」への依存が、社会的過程としての資本蓄積にとっては決定的とみなした点である。」57P
「つまり、いうまでもなくマルクスにあっては資本主義の前史としてのみ考察された資本の本源的蓄積過程が、第二循環の終わり以降においても、すなわち、資本――賃労働対抗関係として資本の本来的蓄積過程の遂行と、並行・継続して存続しうること、そしてこのような蓄積の両側面の考察こそ、社会的過程としての資本蓄積の分析に不可避であり、その舞台は世界、ローザ・ルクセンブルクにあっては文字どおり《地球》、であることを主張したのである。/そして、この点こそ、ローザ・ルクセンブルクにたいして、アンドレ・グンター・フランクが、世界資本主義と低開発に関する研究における半世紀以上も前の、「唯一の際立った例外」と述べ、サミール・アミンが「偉大な才能」とよんだ点にほかならない。」57P
 資本の源始的蓄積過程――《女性の労働》・国際的-性分業
「衆知のように一九六〇年代後半のイタリア・フェミニズムによる家事労働への賃金要求は、その後、イギリスCSEを中心とする《家事労働論争》へと展開した。この《家事労働論争》の過程は、広義には、家父長制と資本主義の相互連環性への新たな認識と論争を生み出す過程であったが、狭義には、マルクス労働価値説から家事労働概念の排除の確認をもたらした。この過程の詳述は今は避けるとして、ここでの問題を極めて限定的に取り出すならば、ダラコスタらの「女性は無償の家事労働をおこなうことによって資本主義から《搾取》されている」という主張は、なんら根拠のないものと再認されたことである。」59P・・・そもそも「マルクス労働価値説」自体が物象化された相でとらえられていること、さらに「家事労働」概念自体がジェンター概念と同じ位相にあり、その後、マルクスの流れのフェミニズムは、ひとの生きる営為が、なぜ、労働と家事と「個人的営為」ということに分離していったのかということ自体を問題にしてきました。
「マリア・ミーズは、この家事労働論争(一九七三――一九七九)において、極めて重要な視点が欠落していたことを指摘している。ダラコスタらが主張した家事労働への賃金要求は、女性のおこなう家事労働が、非賃金労働(Non−wageLabour)の一形態であることを示している。しかしながら、家事労働論争においては、この、家事労働の非賃金労働としての性格を、他の領域の非賃金労働――生存経済のもとの小農民、小商品生産者、周辺化された人々、「第三世界」に、そして一部は「先進諸国」に――との、共有される問題としては議論されなかったという点である。・・・・・・そこには深くヨーロッパ中心主義が潜んでいた。しかしながら、論争をとおして発見された、資本主義一般の分析においては排除される、資本主義下の家事労働の非賃金労働の性格は、「第三世界」におけるさまざまなタイプの非賃金労働の世界資本主義にたいする関係と共有される側面を有している。」59-60P
「このことは逆に、この排除、すなわち家事労働を《労働》とはみなさない排除の社会的・現実的力能をとおしてこそ、家事労働はいわば《植民地化》され、非公式な隠蔽された《搾取》の源泉となる、というメカニズムを発見するものであった。そしてこの発見は、「第三世界」、植民地経済における、二重に自由な賃労働以外のさまざまな形態の賃労働――不自由賃労働(unfree wage labour)、不自由非賃労働(unfree non−wage labour)の資本蓄積にたいして取り結ぶ諸関係に目を開くのであり、そこにおける共有されるものと異質なものへの分析こそ、課題とするべきことが理解された。」60P
「とくに、クラウディア・フォン・ヴェールホーフは、この点を「経済学批判の盲点」とよび、資本――家父長男性の二重に自由な賃労働対抗関係のみを資本主義的生産関係とみなす古典理論を批判し、家事労働と「第三世界」の生存維持労働(subsistence labour)という非賃金労働関係は《特権的》(男性)賃労働関係の前提条件であるとみなし、この非賃金労働を基礎とする従来とは異なる他の生産関係を規定しようと試みた。そして、この試みは、ヴェールホーフ、ヴェロニカ・ヴェンホルト−トムゼン、ミーズによって、 世界規模での資本蓄積における、家事労働を包含する非賃金労働関係とその位置の分析にむかわせた。そして、この分析の中において、ローザ・ルクセンブルクの、資本蓄積おける“非資本主義的環境および社会層”(non−capitalist milieux and strata)への歴史的・現実的依存と、そこにおける資本の本源的蓄積過程の継続というテーゼは、資本主義下の家事労働を含む《女性の労働》の問題へと初めて適用されたのである。」60P
「そして、続けて、「私は、全くマルクスの理論の精神において、『資本論』第一巻の前提――これはそこではすぐれた役目を果たした――を今や放棄して、総過程としての蓄積の研究を、資本とその歴史的環境のあいだの物質代謝という、具体的な基礎の上に据えることが、必要だと思う。」」61P・・・そもそもマルクスも物象化概念でそのことを基底的にはとらえていた。
「ここでローザ・ルクセンブルクが示しているものを、ヴェールホーフは次のように述べている。「すなわち、『労働』および『生産』の概念が、そのもっとも広い意味において、賃労働と工場生産に限定されることなく理解されるような過程である。この、動態的で世界的な資本蓄積過程は、ローザ・ルクセンブルクが定義しているように、資本主義的性格を帯びた、巨大で継続的な本源的蓄積過程としてとらえることができる」。そして、この継続的な本源的蓄積過程は、ヴェールホーフによれば、三つの関係――一、中心―周辺関係、二、都市−農村関係、三、報酬−無報酬労働関係(その典型としての自由賃労働と家事労働)における、基本的構成要素のひとつである。それゆえ、従来、国際分業《中心―周辺》として扱われてきた、社会的分業に、性的分業《男性―女性》を含めなければならない。そしてこのことをとおして初めて、周辺部が、農村部が、家族―世帯が、本源的蓄積過程の生じる場として現われることが理解される。」61P・・・すでに述べたように、労働と家事と「個人的営為」の分離という観点からとらえ返す必要。
「以上のような、ローザ・ルクセンブルクのテーゼへの《女性の労働》の適用は、これ以降極めて重要であると考えられる三つの視点をもたらすものであった。」61P――第一に、“非資本主義的環境と社会層”に《女性》含めること61-3P第二に、性別役割分業論の読み替え63-6PP第三に、「国際労働力移動における移民女性労働者の問題」と「そのことによるリストラクチュアリングとあいまって、これが中心部の中における《周辺》の形成をよび、これが女性内部の階層分解と密接な連環をもつ」66P
「ミーズは、可視的な資本主義システムのもっとも不可視なアンダーグラウンドを構成するものとして《家父長制》という概念を用いており、ミーズによれば、家父長制なしには、資本主義は資本蓄積の限りなき過程を遂行することは不可能である。」62P
「非賃金労働としての《女性の労働》あるいは他の非賃金労働としておこなわれる生命・労働力の再生産および生存維持的労働なくしては、賃労働は《生産的》ではありえず、前者は後者の恒久的基礎をなしている。したがって、マルクスとは異なって、資本主義的生産過程を、二つのものからなる一つのものとして考察する。すなわち、非賃金労働(女性、植民地、農民)の《超−搾取superexploitation》と、それによって可能となる賃労働の搾取の過程、つまり、ミーズは、本源的蓄積過程の源泉である、非賃金労働としての《女性の労働》は《超―搾取》されているものとみなすのである。」63P
「むしろフェミニスト・セオリーは、《女性の問題》をただ一つの概念に収斂してしまうこと、たとえば階級一元論ないし性支配一元論、への絶えざる拒否のうちにあるように、私には思われる。また、ミーズが《超―搾取》という用語を選択するのは、「第三世界」の女性の現実により則することを配慮しているように見受けられる。/つまり、逆説的にいえばここで問題にされているのは、賃労働とともに資本主義のただ中で出現してくる非賃金労働(無報酬労働)と、資本蓄積の関連にあるからなのである。」63P
「従来の性別役割分業は、「先進諸国の内部における近代的核家族の妻と夫の性役割に基づいた分業」を意味しており、また労働市場における女性の位置の分析は、近代的性別役割分業の労働市場への反映(たとえばナタリー・ソコロフによる労働市場における《母役割》など)とみなされることが多かったと考えられる。しかしながら、前述したようなローザ・ルクセンブルク理論の継承は、その分析を資本主義的世界システムに広げるものであり、ここに性分業を一国内部のものとしてではなく、国際分業あるいは世界市場とむすびつけて把握する方向を生み出した。」63P
「このNDIL(新国際分業The New International Division of Labour 64P)の成立の条件は、次の三点、一、世界的規模での潜在的労働力のプール(reservoir)の形成、二、技術と労働組織の発展による「非熟練」労働においても可能な生産過程の単位工程への分割、三、通信・情報技術の進歩による、生産立地と管理の地域的制約からの解放、であるが、この場合、重要なのは、現代においてこの三つが、「フルセット」で登場したことにあるといわれている。」65P
「つまり、労働力の再生産様式における社会的―性分業(socio−sexual division of labour)のもつ性差ヒエラルヒーがこの垂直統合を可能とする、ひとつの規定因になっているのである。」65P
「つまり、資本主義世界システムの外延的拡大における自由労働以外の多様な労働力の統合として、ジェンダーに規定された《不自由賃労働》の増大過程であり、これをミーズ、ヴェールホーフらは、女性の自由賃労働への転化ではなく、賃労働の風化、賃労働の《疑似―主婦》化、《主婦化の世界化international housewifization》と呼んでいる。」66P
「今日の世界的構造再編と《女性の労働》における家事労働、インフォーマル労働、フォーマル労働、三者の連環性が課題となっており、周辺諸地域のみならず、アメリカ合衆国など中心部において、今日、女性は三重の任務(triple shifts 家事労働とインフォーマル・フォーマル労働)についている。」67P
「そして、このことは、今日の《女性の労働》の分析は、一国内部におけるジェンダーのみを差異の機軸として分析するのではなく、中心−周辺/ジェンダー/人種・民族の要素が、どのように関連しあっているのか、それが《女性の労働》に与えているインパクトを分析することの重要さを示しているといえるであろう。」67-8P
 最後に――<今の時――通路(パサージュ)>
 ここはまとめとして、著者の「わたしにとってのローザ像」68Pという文。実はわたしの観点からすると「体罰」的な話で、どうしようもなくそのようにしてしまうという虐げられた者の行動とはいえ、そこにシンクロしているローザの感性と、それになぜ著者が共鳴したのか、ちょっとつかめませんでした。
私のロシア革命論                  生田あい
 ――“生の賛歌”としての社会主義
この論稿を読んだのは、ローザ・ルクセンブルク関係の最初の本で、ロシア革命はトロツキーの『ロシア革命』と断片的な知識しかなく、最初に読んだときは、読み流してしまったのですが、フェミニズムの観点から、ロシア革命とマルクス自体のとらえ返しをしている文です。また、生田さんは運動の理論を問題にしているひと、差別というところから問題をとらえ返えそうとしているわたしにとって、とても刺激的な文です。現在的にたどりついたわたしの理論やロシア革命に対するとらえ方とかなり重なる部分があります。ですが、わたしが一番の課題にしている障害問題はまったく出てきませんし、また反差別論総体への展開もここではなされていません。もっと、とりわけ労働や生産ということをとらえ返すときに、そのことは必要になってきます。
一九九四年、モスクワにて
「マフィア的資本主義の途上」72P
「首都モスクワは、社会主義の廃墟の上に「既存社会主義の悪弊」と「資本主義の悪弊」が相互的に自乗作用しあって、なんともいえない無残な状態となっています。」72P・・・そもそも「社会主義とは何か」という規定が必要です(わたしの規定は、(追記)参照)。ロシアは社会主義の定立に失敗したとしかわたしには思えません。
「今回のモスクワ訪問で出会った「共産党」再建派のリーダーたちは思いのほか謙虚であったものの、「ソビエトの再建」を掲げているにもかかわらず、「何がソ連邦を崩壊させたのか」「なぜこれまでの社会主義が悲劇に終わったのか」について、その過去の七四年間の歴史の総括、とりわけ共産主義者としての自己責任の明確化と自己批判がいまだになされていないということを強く感じました。」73P
「「ソ連邦の消滅」に象徴される「二〇世紀社会主義の敗北」がもたらしているもっとも深い問題は、「男女(「ヒト」のルビ・・・?「ひと」)」が生きることの意味を、生きるありかたの価値基準を喪失させたことではないでしょうか。結果として「人間として生きる」ことを売り渡し、「金、貨幣」で生きる方向へと「人倫」を荒廃させているように思えます。」73P
「偽物の「豊かさ」の中に「明るく腐っていく」日本に帰ってきた私の中にふくれあがってくるものは、マロニエや菩提樹の美しい風景でなく、光を失った人々の「眼」です。この「眼」は、存在それ自体で他人を傷つけてしまい、そのことに逆に傷ついているような「痛み」を私の中にどんどん育てつつあります。」74P
方法としてのローザ
「一九八九年の世界史的大変動は、「イデオロギーの行きづまりと危機」を、つまり産業文明中心、西欧中心の発達史観、社会進化論を軸とする近代イデオロギー総体の歴史的終焉をしめしました。」74P
「生きることに値する新しい価値観の創造と、西欧中心、男性中心の近代文明に代わる新しいパラダイムの転換、人類を滅亡させない二一世紀への世界を展望するヴィジョンをあらためて追求することが求められる所以です。」74P
「もう一度、一からやり直しです。その際、「私」の解放を社会主義革命に重ねて求めてきた一人の女性として、私にとっては「ソ連社会主義の敗北と消滅」の総括の課題を避けて通ることができません。」74P
「「ソ連社会主義とは何だったのか、なぜ敗北したのか、その敗北の原因や根拠は何か、それはどのような歴史的過程をたどったのか。・・・・・・私が『ロシア革命論』を書く問題意識もこの点にあります。この作業を私は、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』を手掛かりに考えてみたいと思います。」75P
「つまりローザは、ロシアプロレタリアート、ボルシェビキと一つの心臓で脈を打ち一つの肺で呼吸しているかのようにその革命的熱狂と解放感を共有し、同時に彼らが直面した巨大な課題に共に悩み、深く洞察しています。」76P・・・ボルシェビキとの共振はさほどあったのでしょうか?
「また、ローザはロシア革命の未熟はドイツプロレタリアートの未熟であり、ロシアの革命の運命に対する国際プロレタリアートの責任、とりわけドイツのプロレタリアートの責任を強調し、「労働者階級独裁を伴ったこの最初の世界史的実験」において、無批判な弁護論ではなく、思慮深い批判、その課題の恐るべき重大さをその歴史的関連の中で洞察することが、「経験と教訓の宝庫を開く」ことになるといっています。」76P
「さらに、ローザが官僚専制政治、一党独裁政治に対置させて、社会主義政治を「何の拘束もない、沸きたつような生活」「人民大衆の広範な無制限の政治的自由」こそが、誤りをただすことのできる生き生きとした泉として描きだしていることを重視したいと思います。つまり、わきたつような大衆の「生活」をキイワードとして、社会主義の政治、党、権力をとらえているその思想と方法について、ここにこれまでの「公認」のマルクス主義が、ローザを「自然発生性への拝跪」としてローザの欠陥としてみてきたものを、私の考える“生への賛歌”としての社会主義に対する先駆的な視点として、ローザの社会主義政治と思想の核心をよみかえたいのです。」76P
ソ連邦の変質とローザの警告
ソ連における八月クーデターの意味
「私は、一九七〇年代半ばより、ソ連は社会主義ではなく、官僚制国家資本主義、つまり口先では社会主義をいうが、本質は資本主義であり、「ノーメンクラツーラ」と呼ばれる党官僚、国家官僚の支配する官僚専制の国家だと考えてきました。」76-7P・・・そもそも社会主義として定立しなかったと、わたしは押さえています。
「「圧政か民主か」の限りにおいて、民主とは歴史の前進を意味し、この民主なくして「ソ連」がふたたび社会主義新生の道へ接近することはありえないからです。」77P・・・そもそも「前進」という進歩史観的陥穽
変質の時期と特徴
「共産党が後の一党独裁への変質を開始する制度的出発点は、一九二一年のクロンシュタットの反乱への弾圧と軌を一にするロシア共産党一〇大会における「分派の禁止」に始まると私はみます。」79P・・・そもそもレーニンの中央集権制から。「上からの革命と下からの革命」とも対比。
「ミール共同体」――「村ソビエト」80P
 ローザの警告の位置と意義
「ローザの批判の重要な点は、たんに憲法制定会議の解散にとどまらず、普通選挙法や労働者大衆の公共生活と政治活動を民主主義的に保障する出版、結社、集会の権利が、ソビエト政府に対立する者にはすべて停止されていた時に、この「ソビエト政府の反対者」とはじつは「ボリシェビキへの反対者」にすりかわりつつあることを鋭く見抜いたことです。」82P
「ロシア社会主義革命の「人民主権」→「ソビエト主権」→「党主権」の経過こそ、社会主義権力(決して国家ではない)と民主主義の関係への今日的問題を逆照していないでしょうか。」83P
「しかし、ローザの警告の意義は、社会主義革命への始まりへの熱狂(ママ)の只中に、「アリの一穴」ともいえる決定的な、後の「権力と党」の変質の芽をつかみ出していることです。」84P・・・「一穴」どころではない、ローザには見えた大きな陥穽。
「ローザもまた、よくもわるくも、「戦争と革命の時代の二〇世紀」に生き、革命を構想した歴史的限界をというものから自由ではないからです。」84P
 世界史の中のロシア革命
 ロシア革命とはなんだったのか
「だからこそ、ロシア社会主義革命には、フランス革命で達成されたブルジョア民主主義はいうまでもなく、それを乗り超えるプロレタリア社会主義的民主主義を創造することが問われていたのですが、ローザの批判にあったように、そこに一歩踏み込んだところでその課題は未解決のまま残されています。」85P・・・「一歩」――「社会主義」の看板だけの踏み込み
「資本主義の世界システムの周辺で起きたロシア革命は、その革命の変質、挫折によって、「社会主義」を名乗った男性中心の「近代化革命」に終わったといえます・・・・・・」85P・・「変質」というよりも、そもそもの誤り?
「ロシアはヨーロッパと東洋のはざまで、不断にヨーロッパへの帰属と西欧志向(「一つのヨーロッパ」)の方向と、タタール(モンゴル)の支配がロシア農民に刻印し、ロシア正教に支えられた独自のスラヴ的共同体精神の堅持の方向との、二つの志向の分裂と分岐の中にあったのです。・・・・・・この分岐の中でみれば、レーニンらボルシェビキの革命ヴィジョンもまた反スラヴ・ヨーロッパ志向派に位置することはいうまでもありません。」86P
「マルクスとエンゲルスが、『ザスーリチへの手紙』で、これに(ミール自治に)共感しつつ「もしロシア革命が西欧のプロレタリア革命に対する合図となるならば、両者がたがいに補いあうならば、ロシアの共同体は『共産主義発展の出発点』になろうといっていたことを今日的視点から、ロシア的特殊性の問題として再検討するべきでしょう。」86P
「スターリンのそれは、ロシアを「アジア的野蛮」から引き離そうとして、ピョートル大帝の西欧化への手法と似た「国家」をこの近代化の担い手とする社会を国家化する方向にすすみ、ついには共産党の一党独裁の中に、「アジア的専制」をくっつけた「党官僚専制」をつくりだしてしまったといえます。その結果、農村の「旧ミール共同体」は、「共産主義的発展の出発点」とならず、かつてツアリーの補完物であったように、「一党独裁」の補完物へと再編されたのです。」87P
「こうしてみると。「ロシアの近代化」に行き着く根っこには、レーニンをはじめロシアマルクス主義者の中に、東=ロシアの野蛮対ヨーロッパの文明という通俗的な西欧中心の文明観があることを指摘しておかねばなりません。」87P
「このようにみると、ローザの『ロシア革命論』もまた、その今日に至る輝きとともに、「時代の子」として、マルクス主義の中にある西欧中心史観から自由でなかったのではないか、一面でそうした視点でみることが必要ではないかと考えます。」87P
 ロシア革命は何に敗北したのか
「つまり、ロシア革命の変質の初期――革命と内戦から脱して、帝国主義包囲下の“息つぎ”を得て、クロンシュタット反乱を機に、新経済政策(ネップ)をとり、国家資本主義への戦略的退却をおこなった時に、「ソビエト権力+全国の電化=共産主義」建設へのヴィジョンがそれまでとってきた「ソビエト権力+ドイツ国家独占資本主義モデル」ではいけなくなったという問題です。」87-8P
「アメリカ資本主義のモルガン財閥からの外資導入」88P
「レーニンは、ネップ下での国家資本主義への政策の中で、このアメリカ型テイラー・システムの導入、出来高払い生の導入、ブルジョア専門家の登用、企業長制などによる資本主義的成長の方策をとりました。」88P
「このようにしてみると、グラムシなどに比較して、レーニンはもちろんのこと、ローザの『ロシア革命論』には、実はロシアの社会主義革命(その生命線であるヨーロッパ革命も)が闘っている真の敵は、アメリカ資本主義に移行しつつあるのだという認識の欠如があり、ですからアメリカ資本主義との闘争とそのモデルを追求すること自身の中に潜む決定的な問題への自覚が欠落していたといわなければなりません。」88-9P
 誤りはどこにあるか
「社会主義革命の変質の最大の中心問題は、共産党が変質して国家となり、勤労大衆のソビエトが、形式が存在していようとその本質において党官僚独裁(ノーメンクラツーラ独裁)に転化したことにあります。」89P
「この責は、社会主義の理想の反対物に転化したものを社会主義としてきた共産主義者、社会主義革命を領導した「マルクス・レーニン主義」にあります。」89P
「その思想的、理論的問題について、ここでは、二つだけ挙げます。」89P――第一に、国家主義批判89-90P、第二に、生産力至上主義90-1P
第一に
「文字通り、ロシア社会主義革命の変質の現代的意味は、「国家と市民社会の分裂」を、国家の立場か、社会の立場か、どちらで止揚していくのか――その分岐の問題だろうと考えます。」90P
「つまり、問題の核心は、本来の社会の主人公である(生産し、再生産し)生活する男女の民衆自身が、この<生産――再生産>(流通、分配、消費、廃棄まで)の万般のことを実態として自己決定し、自己管理し、自治しているのか、そこにこそ社会主義とその政治のメルクマールはあるということです。」90P
「ローザがいう「社会主義的民主主義」の創始や、大衆の「無制限の自由」の提起を、私はこうした「国家権力を社会へ再吸収」していく思想と政治の脈絡の中に再把握するべきだと考えます。」90P・・・むしろ共同幻想としての国家の解体と、共同体・共同性の獲得
第二に
「今ではすでに「常識」となっていることですが、誤りの根源にあるマルクス主義の唯物史観の生産力主義的傾向(スターリン主義はその極大化、俗流化)の問題です。それは二つの生産のうち、生(生命、生活)の側面を切り捨て、生活資料など物的生産の量的側面のみに社会的発展の原動力をみる傾向で、この結果として、社会主義のメルクマールを「資本主義へ量的に追いつけ追い越せ」におき、アメリカ資本主義の大量生産・大量消費の生産・生産様式(ライフスタイル)を追い求めることとなっていきました。」90P
「唯物史観のこうした弱点は、これを「導きの糸」として、ブルジョア社会=市民社会の解剖学としての『資本論』――資本主義批判が、「市民社会の奴隷制」批判として、市民一般ではない、プロレタリアートという主体を発見しながらも、生活の本質的主体である女性、その労働と生活、その質の向上への志向を欠落させているというフェミニズムからの批判と重なっています。つまり、近代のこれまでの社会主義思想が依然として男性中心主義を越えていないということをはっきりさせておかねばならないのです。」90-1P・・・これは「唯物史観」の中の生産力至上主義の問題で、タダモノ史観と言われていること。唯物史観とは一応区別すること。「生活の本質的主体である女性」はジェンダーになっています。勿論そうなっているという被差別の立場からの反撃はあるとしても。「本質」は脱構築すること。他の被差別の立場からの反撃としても。
 結びにかえて――“生の賛歌”としての社会主義
「私にとってローザ・ルクセンブルクは、「両端の燃えるろうそくのように」真っすぐに生きて闘った女性社会主義者としての激しくも豊かな生きざまの全体において、「いかに生きるか」を学んだ女性でした。」91P
「革命は人の生きていくことの総体=人生を変えるのであって、たんに国家(権力)や政治や所有関係を変えることだけではないはずです。」91P
「したがって、私は社会主義は「固定した体制」ではなく、自然と人間の共生と人間の「協同社会」に向かう「主体的、能動的な継続革命、幾百、幾千万大衆の資本主義を揚棄していく運動およびその大衆的創造物」なのだと。つけ加えれば、革命は人間と自然、人間と人間の関係の質、労働、生活の質を問い、つまり人が生きていくことの総体を変えるのであって、たんに国家権力、政治、所有関係を変えることだけでない。目的と手段をとりちがえてはならないのだと。」91-2P
「今、私はこの総体を“生の賛歌”としてとらえる社会主義の新生への構想を考え始めています。」92P
「コロンブス以来の近代五〇〇年の西欧中心(先進国中心、男性中心、自民族中心)の文明史観とそれを可能にしてきた価値規範に対して資本主義世界と社会の「外部辺境」に追いやられてきた人々や、現代の切実な課題から出されている「異議申し立て」の中で獲得されている世界史的な地平とのマルクス主義の格闘と進化の中に発見されるべきだということです。」92P
「つまり、フェミニズム・エスニシティ・エコロジー(女性・少数民族・環境[自然])がそれぞれこれまでの社会主義、マルクス主義の欠落部分を批判しつつ、実際に乗り越えつつある点から、マルクス主義者は何を学ぶのかという問題です。」92P――@エコロジー92PAエスニシティ92-3PBフェミニズム93P
「この三つの領域からの問題提起は、それぞれ独自の位相と固有の論理をもちつつも、総じてこれまでのように、階級、経済などへ還元してしまうことを拒否しつつ、マルクス主義の「国家」「政治」などを規定する深い根っこにある「労働」「自然」概念の変革と、それを統一しているところの「生産・再生産」概念の全面的変革の課題を含む資本制生産様式、生活、文化様式の全面的把握の課題を共通して提示していると考えます。」93P
 エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』からの引用93P
「ここ(『家族・私有財産・国家の起源』からの引用)でいう「生の生産・再生産」の「生」というドイツ語Lebenは、単に「生命」の狭い意味ではなく、哲学概念としては「生命・生活・生存・人生・生涯」を意味しており、私は人間の生きることの総体を包括する概念、しかも静止的でなく、マルクスの「ドイツ・イデオロギー」でいわれている生活過程(生活主体、生活活動、生活関係の諸概念を含んだ)と重ねて理解する「生活活動」概念としてとらえたいと考えます。」93-4P
「その後、エンゲルスの定式化の一面性にも規定されて、現実のロシア革命の過程では、生産が物質的生活の生産手段の産出、その量的拡大の面に切り縮められ、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』の「生産力主義」への理論化、固定化となり、これが官僚専制政治と照応してきたのは、みてきた通りです。大なり小なり私たちを含める戦後の一時期まで国際的な社会主義運動を貫いていたのは、このスターリン主義的唯物史観だったと思います。」94P
「こうして「二〇世紀のマルクス主義」は、マルクスの思想に内在していた唯物史観の「生の生産」の二つの内容から一方の「人間そのものの生産」を生産概念からもすっぽりと欠落させたままきました。/また、マルクスにあっても、この「人間の生活する社会的諸制度を規定する」「労働と家族の二つの発展段階」が、どのように内的に「生」を規定しつつ、相互に関連しあい、統一的に存在するのか、そのことは明確にされていません。」94P
「私はこの難題を解く鍵を二種類の生産を統一する内容として「生の生産と再生産」と総括されたその「生」を媒介に、唯物史観の深化と新しい「国家権力」論の創造によって、考えたいと思います。」94-5P・・・これは国家主義批判とのつながるのではないかとわたしは思うのです。
「今、この人間の具体性として、本質的な生活の場からの主体としてもう一つの生産者である女性が名乗りをあげました。その「個別的(私的)なことは政治的である」という女たちの政治テーゼを、国家を市民社会の「労働生活」の中に埋めもどしてくる問題、つまり、「政治の女性化」として読みかえたいということです。」95P
「これまでの社会主義革命が、なぜ女性解放を掲げながら実現できなかったのかを問うとき、マルクス主義の「セックス・ブラインド」を、資本制に並び立つ「家父長制」の発見だけでいくら接木しても、『資本論』の導きの糸となっている唯物史観の根源と資本主義批判の深化を媒介にした「国家・権力論」(国家というものを容認する立場でなく)の全体を貫く新しい内容を問うことがなければ、その実践的帰結はたんなる「女への利用主義」にふたたび終わってしまうのではと考えられます。」95P
「類的存在としての人間存在について、その対自然関係、対自己関係、人間相互関係という三重の規定性、類的生活、類的対象性、類的本質、類的力能の今日的「疎外」としての人間的本質に対する「関係行動」そのものにまで、深く視座をすえた「性の生産と再生産」を中軸とする唯物史観を革めることを通して、家父長制的資本主義批判、「差異の文化(文明)論」の深化と発展が必要なのではないでしょうか。中世の「神」、近代の「理性」に代わる二一世紀へのスーパー・コンセプトは、さきに定義した意味での「生」ではないだろうかと考えます。」95P・・・「類」の強調、フェイエルバッハ。マルクスのフェイエルバッハ批判との対話。革命的ロマン主義。
「そのためにも、女性たちが男性中心につくられてきた「ブルジョア国家や権力、政治」を、日常生活批判を介しながら「生活」の場にひきずりおろし、社会に埋めもどしていく主体として自己を形成していくことが必要です。これまでの「国家(権力)に成り上がっていくことをキーワードとして革命そのものを、文字通り「革命(命を革める)」することが必要なのだということを強調しておきたいと思います。」96P
「こうした見地から『ロシア革命論』でローザが官僚の独裁に対置した社会主義の生命の源泉としての「自由で、何の拘束もない、沸きたつような生活」「公共の政治生活」「社会主義的民主主義」などに象徴される思想こそ、私は“生の賛歌”としての社会主義の先駆的思想としての社会主義の先駆的思想として、新しい社会主義的政治のありようとして読みかえて今日に復権させるべきではないかと考えます。」96P
「これは、ローザにあってはたんに『ロシア革命論』のみならず、『大衆ストライキ論』『党論』にまで貫かれているものだと私は考えます。」96P
[注]
「ローザの歴史の原動力としてのプロレタリア観は、単純な「労働者至上主義」でなく、自らの行動(革命実践)で切り拓く限りにおいてのそれであると理解できます。」97P
(大江氏の指摘として)「ローザ・ルクセンブルクのボルシェビキ批判をとりあげています。ローザの批判を西欧的な「権利=法」と市民的な「公共」を備えた、自律的な社会の伝統に立つ批判として、よくわかるとしながらも、革命期のロシアにとってそのような「公衆」はないものねだりにすぎなかったろうといっています。」99P
「ゲルツェンの思想については、・・・・・・西欧に失望してミールを足場とした農民共同体を中心とするロシア的社会主義の方向を模索しています。」100P
(花崎皋平氏の指摘として)「彼女(ハンナ・アーレント)が、近代国家がその発端において、普遍的理念としての「人権宣言」における人間=個人と国家の主権者としての人民=国民を同一視し統合したところに矛盾と近代国民国家の崩壊の原因があるとしていると紹介しています。つまり、生まれながらの自然権としての人権は主権者としての人民の特殊国民的権利であるとされたときから、ナショナリズムが始まると。だから被抑圧民族は、民族自決権と完全な主権なしに自由はないとして、民族自決権をみとめたところにより近代国民国家の崩壊が始まっているとも。」101P・・・人権という物象化
ドイツ・バイエルン革命とフェミニストたち      田村雲供
 この論稿は、ドイツでローザ・ルクセンブルクがフェミニズム的な動きをほとんどしなかったことと対称的に、フェミニストとしてバイエルンを中心に活動していたフェミニストたちの革命への参画とフェミニズム運動の記録です。バイエルンは、ドイツ革命でもっとも大きな運動になった地域です。ひとつだけ不明なこと、バイエルン革命の地元だったクララ・ツェトキンの名前がなぜか出てきません。
「しかも、バイエルン革命には多くの女性が参加していた。どの政党にも属さず、ラディカルな女性運動を担っていたフェミニスト、社会主義政党に属していた女性、女性教師、多くの一般女性、そしてリカルダ・フーフ(作家)にいたるまでの幅広い分野の女性が積極的にかかわり活躍したが、こうした女性たちの思想については言及されることもなく、「白い斑点」として残ったままである。この小論はローザ・ルクセンブルクの論敵で、「フォーアヴェルツ」に修正主義の論陣をはったクルト・アイスナー(一八六七――一九一九)とともに革命を担ったが、いまだ不可視のなかにいる女たちの思想と行動を革命の経過から追ってみる。しかし、この作業はバイエルン革命に欠けていたもう一つの側面を明かるみに出すことだけでなく、むしろ革命の実体を形成していた労働者、階級、平等、民主主義といった概念が歴史的現実のなかでどのように了解され、意味を獲得し、歴史を形成していたのかを問いなおすことを主眼にしている。すなわち、革命に実体を付与していた諸概念と「性」との関係をみる一つのケース・スタディである。」103P
 ローザ・ルクセンブルクとアニータ・アウグスプルク
「ローザ・ルクセンブルク(一八七一――一九一九)とアニータ・アウグスプルク(一八五七――一九四三)は、当時その名を知られた有名な女性であり、二人は左右をとわず権力の座にあった男たちの目の上の瘤的な存在であった。」103-4P
「ルクセンブルクは、階級闘争によってプロレタリアートの解放を、アウグスプルクは「性階級」からの女性の解放に集中した。変革の必要という点で二人は共通していたのであるが。」105P
「アウグスプルクをはじめドイツの女性たちが反対した新民法典の家族法は、・・・・・・生物学と宿命の組み合わせとして自然から引き出された(とする)男女の性別性格が女に「愛」を、男に「力」を付与したのであり、これは法という形となって、たえず社会で具体的な力を発揮していった。・・・・・・」105P
「一九〇二年を境にはげしい女性選挙権獲得闘争をくりひろげる。この背景には一八九八――一九〇二年にわたる売春と道徳をめぐる闘争で力を発揮したラディカル派の実績があり、これをバネにラディカル派女性は、穏健派女性の政治的忌避とは根本的に異なる政治的、社会的制度の完全な改革をもとめる運動を展開し、政治にコミットする。」105P
「フェミニズム運動と平和運動を結びつけたのがアウグスプルクとハイマンである。」106P
 バイエルン革命と「社会主義女性連合」の結成
「バイエルンに革命が起こった。/一九一八年一一月七日、クルト・アイスナーと一群の男女が州議会議事堂に向かってミュンヒェンの町を急いだ。」106P
「アイスナーの「ミュンヒェン住民へのアピール」にはつぎの内容がもり込まれていた。・・・(内容の記述)・・・「すべての成人男女が選挙権をもつ……」というくだりは、長く女性運動にたずさわってきた女たちにとっては、まさに「青天の霹靂」であった。」107P
「フェミニスト、ハイマンによってここにはじめて女性独自の評議会(レーテ)確立の必要性が明確に主張された。これは後にアウグスプルクによって中央評議会になるが、・・・・・・」108P
「一二月一六日ドイツ劇場で、「社会主義女性連合」(以下「女性連合」とする)の第一回大会が開かれた。」108P
 雑誌からの引用「これ(社会主義女性連合)は、社会民主主義的政党やその分派から独立した最初の自立的社会主義女性団体であり、定款も綱領ももたない。政党に属することなく、社会主義の基盤にたって活動しようとするものは、だれでもこの団体のメンバーになることができる。」109P
「「子ども・教会・台所(Kinder,Kirche,Küche)」の三Kが女性の世界とされ、自ずと政治に関心をもたなくなってしまった。」109P
「女性連合の主導的役割をはたした女性メンバーの簡単なプロフィル」110P――9人
アウグスプルク、ハイマンの立候補
「アイスナーの思想と行動に依存していることを十分に認識していた二人(アウグスプルクとハイマン)は、アイスナーのすべてのアピールや演説を詳細に検討した。そして、かれの行動と見解に賛同した点をあげている。」111P――賛同点の列記――「フェミニストとアイスナーとのあいだに互いの立場を認めあった協力関係が成立した。」111P・・・当時の帝国主義の暴力支配の時代、また右翼のテロやクーデター的策動のなかでの、左派の武装蜂起――国家権力の奪取――プロレタリア独裁路線の中で、修正主義と批判されていた部分の、中身的な検討で区別しつつ、今日的とらえ返しの必要
「選挙後アイスナーは議会の召集を延期していたが、ついに、二月二一日議会を召集し議場へ向かう途上で、二一歳の伯爵アルコ・ヴァリーの銃弾に斃れた。/これに先だち一九一八年一一月、アイスナーは会議のためベルリーンを訪れたさい、リープクネヒトと会い、より穏健な革命党派と手を組むようにと説得している。」113P
「一九一九年二月二五日に労兵農評議会中央委員会が政府権力を引きついだのであるが、三月八日には独立および多数派の両社会民主党の連立によるホフマン政府(ヨハネス・ホフマンは多数派社会民主党員)が成立した。しかし保守派は四月八日に州評議会を開き、ホフマン政府の打倒をもくろんだ。そこで革命派は先手をうって、四月七日早朝にホフマン政府を倒し、「バイエルン評議会共和国」(第一評議会共和国)の成立を宣言する。」114P
女性権利担当部局と評議会システム
「アイスナーの指示で、社会福祉省(後に労働省となる)に女性の権利担当部局が設けられていた。この部局担当者にG・ベーア(アウグスプルクの選挙運動の参謀をつとめた)が推薦された。」115P
「女たちは戦争中、それまで男たちによって占められていた職場で、準備期間もなく、訓練をうけることもなかったのに驚くべき能力をあげてきた。」115P――「しかし、戦争が終わり男たちが帰還してくると、女性はたちまち失業し路頭に投げ出された。」115P
「そして、ついには、政治権力奪取をめぐる政治的錯綜のなかで、この部局の活動は停止せざるをえなくなる。」116P
「さらに、労働者評議会、農民評議会の選挙に際しての選挙のあり方にも問題があった。つまり労働者評議会は九つの職場グループからなり、これらのグループに属している職場の労働者に選挙権があった。ところがこれの職業は典型的な男性の職業であり、かろうじて最後尾に「家事奉公人(女中)」が挙げられていたが、しかし労働者評議会には一人の女中もいなかった。」「そもそも評議会形成についての法案起草の段階で、すでに女性の排除が規定されていたのである。この法案起草では、選挙権行使の除外されている者として、自分の家族の家政でもっぱら家事に従事している家族員を挙げている。」118P
「政治の基盤であり、民主主義の基盤であるはずの評議会の実体は、兵士と労働者からなる男の組織であり、私的領域を生活圏にとする女性だけでなく、女性労働者も排除した制度であった。すなわち、女性を家族・私的領域に不可分のこととして結びつけることで生産労働の概念から女性を追い払ったうえで、生産労働にたずさわる男が「政治」を動かし、「民主主義」を論じたのである。」119P
「女性評議会」設立提案とその否決
「アウグスプルクとハイマンは、一九一九年三月七日の労働者・農民・兵士評議会会議で「女性評議会」設立の提案をし、同時に提案理由をのべた。」119P
「こうしてアウグスプルクは、女性の政治化によって家族生活を政治化し、私的領域の囲い込みを取りはらい、社会生活と家族生活、男と女、権力と愛、といった二項対立志向とそのイデオロギーの無力化を意図した。これらは近代社会が巧みにあみだした装置であり、しかも女性には痕跡の残らない労働を割りあて、これを正当化し効率よく作動させた装置であったのだから。」120P
「否決されるにいたる非論理的で奇妙な過程」120P――内容120-1P――「党組織のヒエラルヒーのなかでの活動を重視する者にとつて「女性評議会」はまさに「始末におえない」のであり、序列をみだす危険性をはらむものであり、排除しなければならないものであった。女性の政治への回路を遮断し、排除したうえに政治的平等がうたわれているのである。隠された不公平や性差のあり方をあらわにすることもなくもちいる「平等」は、やはりイデオロギーでしかないであろう。」121P
「いずれ武装蜂起となることは明らかであった。なんとか流血の惨事を未然に防ごうとして、女性たちは男性指導者の説得工作にのりだす。」122P・・・なぜ説得工作をしたのか?
「アイスナーの無血ではじまった革命は、右派社会民主党とノスケの軍隊によって血のなかで窒息死した。五月末バイエルンはふたたび静けさを取りもどしたが、それは墓地の静寂でしかなかった。」122-3P
むすび
「しかし、革命に際し、女性独自の要求を主張することは異端視された。これはフランス革命以来の近代革命の伝統であった。革命は男のための男の政治であった。」123P
「革命といえば短期的で強力な権力奪取をイメージするブレヒトとは異なって、ローザ・ルクセンブルクは革命は長期的な長い息をもつものとして、しかも武装した陰謀家の一揆としてではなく、大衆行動のより一段と発展した表現としてみなしていた。」123P・・・ローザはロシア革命が権力奪取したので、それが圧殺されないために、ドイツ革命が必要であるという思いのなかで、男たちの一揆的武装蜂起を止められなかった。
「男が理想とする女性とは異なり、女性独自の権利や地位をもとめ、制度そのものの変革を意図したラディカル・フェミニストたちのまえに立ちはだかった困難は、ヴィルヘルム時代の頑迷な枢密顧問官や横柄なユンカー、あるいは保守に凝り固まった因習的な市民を相手にして生じたものではなく、同じく解放をもとめ革命に参加した男たちとの確執であっただけに、女たちが経験した絶望感は深かった。」123-4P
「女たちが行動するにつれ、政治も歴史もそして道徳さえもがじつは男中心の社会を守り機能させる装置であったことがあばき出された。「近代」革命のファンタジーを打ちくだくこと、そして新しい認識でもって歴史を読みとくこと、これこそが女性史の生命であろう。/いま、わたしたちに問われているのは女性史を読みとく歴史認識である。これはまた、ローザ・ルクセンブルクに女性性の断片をさがし求める男のファンタジーを排し、フェミニストの視点でもって女がルクセンブルクを読みとかなければならないことを示しているのである。」124P
[注]
 民法典への批判点・六つ125P R・ケンプの女性の要請・七つ127P

第2部
社会主義と家族                   水田珠枝
 ――コロンタイを手がかりに
 ローザ・ルクセンブルクはレーニンのロシア革命をロシアの「外」から批判し、コロンタイは内から批判したとして名前を残しています。コロンタイは、フェミニズムにも取り組んでいます。ただ、労働崇拝的なところにとらわれています。著者は、そのコロンタイに共鳴しつつ、家族の解体による女性の労働への参画を謳っています。そもそもフェミニズムは「労働と家事と「個人的営為」といわれることをなぜ分けるのか」ということまで突き出していったのですが、ここでは、男が仕事――女は家事(労働も)、というジェンダーが問題になっていることで、男が家事を女性に押し付けることを当然視したところで、そのような家族の解体を謳っているのですが、ここに(マルクス的)物象化があり、そのこと自体を批判していくことをしないで、家族の解体を謳うのは、何かおかしいと言わざるをえません。そもそも、労働と仕事を分けてとらえるという今日的な観点からすると、そこでの家族のあり方がどうなるのか、それはさまざまで、解体あるべしという問題でもないと言いえます。このあたりは、子どもを産むことからの解放を女性の解放として夢想した『性の弁証法』のファイアストーンの物象化にも通じる事があります。コロンタイの理論の硬直性は、労働崇拝的なところによる全体主義的な国家というようなことも感じられ、スターリンとの一定の共鳴も感じてしまいます。まあそれでも、フェミニズムという観点からの批判が、コロンタイの生き方と論稿の批判的ラジカリズムを、持ちえているとも言いえるのですが。
 家族の変化
「その家族は外側から共同体によって規制され、さらにその上に領主権力が成立していたのであり、人びとは家族のなかで差別的位置づけされるとともに、家族ぐるみ身分的秩序に組み込まれていた。」133P
「このような家族は、資本主義の導入によって土台が掘り崩されていった。・・・・・・生産と再生産という家族の二つの機能のうち、生産の機能が家族から脱落したのである。この場合、男性は土地から分離されると同時に共同体規制や領主権力からも解放され、自由な労働者となったのに対し、女性はそうでなかった。家族には再生産の機能が残り、女性は家長の権威のもとでその負担を負わされたからである。ここから、生産と再生産、社会と家族、社会と家族、市場と非市場、公と私、男性と女性の分離が、それぞれ前者の優位のもとに成立する。/しかし資本主義の発達は、家族の再生産をも浸食していく。家族内で女性が果たしてきた衣食住にかかわる家事労働、育児、教育、看護、介護の労働を市場化(ないしは公益事業化)し、それとともに、家族に拘束されていきた女性を労働者として市場にひきだす。女性自身も、生活費を獲得する必要から、また男性への従属から脱出し経済的自立を要求する運動に刺激され、家庭から出て職業労働に従事するようになる。こうなると、家族は生産と再生産の両方の機能を失い、物質的基盤を喪失することになる。」134P・・・生産を物質的商品生産に切り詰めていて、生の生産・再生産の問題を切り落としています。そこからする生産概念自体があいまいになっています。
「コロンタイが継承し発展させようとした理論は、女性の職業労働による自立・解放を再生産機能の社会化による家族の衰退を通して実現しようというものであった。ところが社会主義政権がとった政策は、女性を職業労働に動員しながら、家族を社会の基礎単位と位置づけ、再生産にかかわる労働の多くを女性に負担させた。」135P・・・労働の概念がそもそもおかしい。家事労働は商品生産化された労働で、シャドーワークの活動は労働(ラバー)でなく、仕事(ワーク)。
 女性労働と家族の消滅
「一九一七年、ロシアで二月革命が開始されたことを知ったコロンタイは帰国し、レーニンが示した全権力をソヴィエトへという内容の「四月テーゼ」を、最初にただひとり支持した。・・・・・・かの女は、党の権威主義・官僚主義に対して下からの労働者の自主性を主張して「労働者反対派」の立場に立ち、また経済活動に自由化を持ち込んだネップ(新経済政策)に対し、女性を苦境に陥れたと批判的姿勢を示した。こうした事情にくわえて、性の解放を主張したかの女は、党内から非難され、中央の政治から追われて、ノルウェー、メキシコ、スウェーデンで外交官をつとめることになった。一九四五年に帰国、外務省顧問として働き、一九五二年、心臓発作のため死亡した。」136P・・・オールド・ボルシェヴィキがスターリンに粛清されるなかで、それから逃れ得た数少ないひと。そこに、逆説的にスターリンの性差別的なこともあったとも言われています。
「コロンタイの基本姿勢は、『経済の発展における女性労働』(一九二三年)に書かれた「女性の地位は常に経済的職分によって決定された」という言葉に表現されている。」137P
「これ(エンゲルス、ベーベルの理論)に対しコロンタイは、私有財産を性差別の直接の原因としない。・・・・・・したがって私有財産の成立は、性差別の原因ではなく、それ以前から存在した男女の分業を促進し、女性の状態を悪化させたというのである。」137-8P・・・因果論的なとらえ方ではないところで、分業の先行性・重要性の指摘に留意。
「障害の最大のものは、女性が拘束され負担を追わされている家族であり、その解体が重要課題だと、コロンタイはみるのである。」138P・・・物象化的錯認。家族ではなく、ジェンダーの問題。
「コロンタイは、家族の消滅は歴史の必然であり、国家によって強制的に破壊されるのではないというが、社会主義のもとで家族が自然消滅するとは見ていないのであって、政府による家族消滅の積極的政策が必要だとしている。」139P
「社会主義国家が重視するのは、夫婦というカップルではなく、その結果として生まれてくる子どもである。子供を保護し育成する任務は、両親から労働者集団に移される。」139P・・・全体主義的志向
「コロンタイによれば、社会主義における性関係は、第一に国民の健康と衛生への配慮、第二に国民の経済力に対応した人口の増減という、二点を基礎にしている。・・・またかの女は、ベーベルの『女性と社会主義』を引き合いにだし、性欲は恥辱でも罪深いものでもなく自然の欲求であり、空腹や喉のかわきと同様に満足させられるべきもので、その抑制も乱用も有害だとして批判する。さらに、人間は健康的で自然の欲求を満足させるべきだという原則のもとに、社会主義の結婚形態として、一夫一婦制を設定することにも多夫多妻制を設定することにも反対する。」140P
「コロンタイは共産主義的道徳とは、男女の結合よりも労働集団の結合を、カップルの利益よりも労働集団の利益を優先させるものだという。「恋愛は生活の一面にすぎないのであって、・・・・・・ふるい観念は『すべてを愛するひとのために』であった。共産主義道徳はすべてを集団のためにと要求する」」140P・・・共産主義のはき違え
「しかし、排他的愛を否定し、多面的愛と性の関係を肯定するかの女は、乱婚を容認し道徳を破壊するとして攻撃されるようになる。」141P・・・性的な愛と同志的愛の混同
 恋愛よりも労働を
「男性と女性に異なった教育が課せられ、異なった道徳が押しつけられることが性差別の重要な原因であることが、一八世紀末イギリスのウルストンクラフト以来指摘されてきた。この意味で社会主義者コロンタイは、西欧の近代的フェミニズムの継承者であったといえる。」141P・・・「近代的フェミニズムの継承者」と「社会主義者」という規定がどう重なるのか? 「社会主義」の概念規定が必要。
「「われわれ[女性]は、恋愛が人生の主要目標ではないことを理解し、いかにして労働を人生の中心に置くかを知るようになった。」」142P・・・労働崇拝
「女性との対等な関係がつくれないのは、ネップによって堕落した男性だけではない、社会主義革命の著名な指導者もそうであったことを、コロンタイは『転換点に立つ女性』のなかの「偉大なる恋」で書いている。」144P――この後、レーニンとクループスカヤと「レーニンの愛人」との関係を書いています。
「男性は自分と自分の活動のために女性を利用し、女性の活動を犠牲にすることに痛みを感じない。こうした意識を革命家も持っていたのであり、それを変革することが社会主義のこれからの課題であると、コロンタイはいうのである。」144P
 未完の社会主義革命
「扶養費に代わってコロンタイが提案するのは、ひとつは結婚契約の締結であり、もうひとつは、全国的な保険基金の設立であった。」146P
「一九二六年一一月、男性に女性を扶養させる(女性を従属させる)改正婚姻法は成立し、翌年はじめに公布された。/戦争と革命、さらにネップによってもたらされた国民生活の混乱をのりきろうとする政府にとって、女性の自立、エロスの飛翔、家族の消滅を説くコロンタイの思想は障害となった。」146-7P
「女性部の若いメンバーであったパウリーナ・ヴィノグラードスカヤは、コロンタイはマルクス主義者ではなくプチブル・インテリゲンチャであり、ジョルジュ・サンド主義、無政府主義の影響を受け、性の闘争を階級闘争に優先させ、共産党女性運動の指導者としての資格を欠いていると非難した。・・・・・・」147P・・・この批判こそが、マルクス主義者の差別の問題を対象化しえない、反差別運動の階級闘争への従属論になっています。ただ、コロンタイの理論が社会主義的であるかどうかは別問題です。
「レーニンはこういった。ソ連ではいま青年のあいだに性は自由だという風潮が広がり、それは共産社会では性欲を満たすのは水を飲んで渇きをいやすのと同じように小さなことだという「一杯の水の理論」に基礎をおいている。「わたしは、『一杯の水の理論』は完全に反マルクス主義的であり、それどころか反社会主義的であると考える」。このような反撃のなかで、コロンタイは一九二六年、メキシコに派遣され、翌年にはノルウェーの大使に復帰した。」147P
「スターリンの権力掌握とともに、ソ連では「家族のテルミドール反動」といわれる時代がやってきた。反対派をつぎつぎと粛正し、農業の集団化をはかり重工業重点の政策をすすめたかれは、女性を労働力として利用すると同時に出産・育児・家事という再生産の担い手として利用するために、家族のきずなの強化をはかった。家族は国家の基礎単位と位置づけられ、革命初期の男女の自由と平等を保障しようとした政策は塗り替えられていった。」147P
「社会主義は、労働者階級による国家権力の樹立を通して、資本主義を廃棄し、生産手段の公的所有・公的管理、生産の計画化、分配の平等を実現する、思想、運動、社会体制とされてきた。エンゲルスやベーベルが社会主義における家族と女性に言及しているとはいえ、社会主義の理論家や運動家は、これらを周辺の問題だとみていた。むしろかれらの多くは、性別役割分業による家族を望んでいたのであり、スターリン体制は、それを国家規模に拡大したものだといえよう。」148P
「スターリン時代に、女性に労働者と再生産の負担者という二重の重荷を負わせて、生活を荒廃させ社会主義解体の原因をくったことを考えれば、コロンタイの思想をもう一度見なおして、社会主義とは何かを検討してみる必要があるだろう。社会主義は破産したというよりは未完なのである。」148P・・・未完というより、むしろ定立しなかった、といいえること。
「だが、家族をめぐる多様な論争にもかかわらず、どのフェミニズムも家族の将来について明確な展望を示していない。この点では、コロンタイの思想は示唆に富んでいる。かの女は、一八世紀以来のブルジョア的というレッテルをはられてきたフェミニズムを継承し、マルクス主義の歴史観を土台とし、性差別の組織としての家族に批判の焦点をあわせ、女性の労働者化、再生産の社会化、男女の意識変革によって家族の消滅を予想した。そこには、現代フェミニズムの諸潮流の主張がとりこまれている。包容力に富んだコロンタイの主張を、現代のフェミニズムも検討してみる必要があるだろう。」149P
社会主義の挫折とフェミニズム            大沢真理
 男支配や更に社会批判というところからレスビアン・フェミニズムの宣揚という論というところまで至り着いています。このあたり、ヘーゲルの概念を援用するとまさにアンチとしての鋭さなのですが、これでは分離主義に陥ってしまいます。ジーン・テーゼとしては、「当事者同士の対等な関係での、多様性を認めあう関係性を構築していく」となります。ただし、今の社会は差別社会で、対等な関係など架空のはなしになります。「自己決定は幻想である」という批判が出てくるのです。ですから、対等な関係を作るというところで、とりわけ土台からの社会変革が求められているのです。それが社会主義だったのですが、それを体系的に提起したマルクスの流れの思想は、反差別ということをきちんと提起できなかったのです。
「この小文は、一九九一年一一月四日に、ローザ・ルクセンブルク東京国際シンポジウムの特別規格として開催されたパネルディスカッション「今、女たちから世界の変革を」において、私が主催者側の問題提起におうじておこなったコメントにもとづいている。」153P
 社会主義と女の解放
「マルクス経済学も徹底的に一九世紀的な「生産主義」の経済学であって、「生活」を周辺に押しのけていたのである。ヒトのヒトに対する働きかけであるサービス労働、とりわけ家庭内の自家消費的な労働は、「生産」的でない営みとして軽視された。」155P・・・むしろ生産概念のとらえ返しと、労働概念からのとらえ返しが必要。
「(ウォーラスティンの指摘)「驚くべきは、いかにプロレタリア化が進行したかではなくて、いかにそれが進行しなかったか、なのだ」。しかも、ローザ・ルクセンブルクの流れが汲むフェミニスト、クラウディア・フォン・ヴェールホーフが注意を促すように、種々の非賃金労働はいわば前期的遺物として消滅する過程にあるのではなく、パートタイマー化に代表される近年の先進国諸国の「雇用の女性化」は、むしろ「賃労働の風化」をもたらしている。」155P
「フェミニズムが明らかにし、主張してきたのは、二〇世紀も終わろうとしている今日なお、「妻」は自分の労働者の立場を確立していない、夫である男に所有される存在でありつづけている、ということだったのではないか。」156P
「たとえば、フランスのクリスティーヌ・デルフィは、結婚が奴隷制ないし農奴制と類似した不払い労働による「生産関係」であると指摘し、「家事労働論争」に重要な一石を投じた。」156P・・・「家事労働」という概念自体をとらえ返すことが必要
「他方、イタリアのジョヴァンナ・フランカ・ダラ・コスタは、奴隷と女と賃金労働者のそれぞれの状態について、興味深い比較対象をおこなっている。」156P――この「比較対象」を元に著者の作った表157P
 解放へのフェミニスト・アプローチ
「つぎに、第二の問題――女のラディカルな解放のための政治は、人間解放の総体的計画としてのみ表現され、実行される。では、女の視点から、人間解放の総体的計画にどんな切り口、内容が提示しうるか、またされるべきか――について。まずこの問題設定の前段に賛成したい。以上述べてきたような理由から、女こそは、「社会のあらゆる領域から自分を解放し、それを通じて社会の他のあらゆる領域を解放することなしには、自分を解放することができない一領域」だろうと考えるからだ。」156-8P
「逆に、いままでの種々の解放運動において、外に向かっては解放の本筋争い、内に対しては、一枚岩的締め付けの側面がありはしなかったか、そのために解放運動の内部に抑圧と差別、とくに女性差別を再生産してはいなかったか、そういう問題意識にフェミニズムは立脚していると私は考える。」158P・・・「差別の構造」ということをとらえ返したところでの、被差別者の解放運動との連帯と結合
「つぎに、解放に向けての女の視点からの切り口であるが、私は、性を自由化し、家族の解体も恐れることなく再生産機能を社会化すべきだという、水田珠枝の報告での提案に賛成する。ただその場合に、自由化されるべき「性」の内容が問題ではないかと考えている。・・・・・・性別役割分業を前提とした家族の重視や結婚という枠が、自由で対等な性愛を窒息させてしまうという面だけでなく、婚外であれなんであれベッドのなかにこそが性支配の発祥地であるという面もみなければならないというのである。ようするに性の自由化という場合に、まず男女の性愛、「ヘテロ・セクシュアリティ」というものが根本的にといなおされなくてはならない。」158-9P
「この点は、ハウクが提案したエコロジーの重視という論点にも関連する。キャロリン・マーチャントらの科学史研究が明らかにしたのは、自然や物質を「女」として擬人化し、人間(=男)の科学技術によって開発され利用されるべきものとみなすことが、資本主義的工業化の基礎となって、現代の地球環境問題にも連なっているということだった。・・・・・・そこで私は、とくに女のからだのエコロジー、女のセクシュアリティの自立性を強調したい。」159P・・・前段と後段は矛盾するのではないか? 差異の突き出しのエコ・フェミ的突き出し?
「たとえば労働者階級出身者のなかにこそ厳しい労働者蔑視があったり、エスニック・マイノリティの内部に一段と強固な女性差別があったりするというように、差別や抑圧はそういう自動的な拡大再生産の構造をもつのであって、性差別もその例外ではない・・・・・・」159-160P
「私自身は、女の自己愛、自己尊重を中心としながらもそこに限定されない大きな広がりをもつ概念として、「ウーマン・ラヴィング」を提唱している。概念の広がりの第一は、「ウーマン・ラヴィング」の担い手として男性も含めること、つまり分離主義(「セパラティズム」というルビ)をとらないということ、第二は「ウーマン」のなかに自然をはじめとするもろもろの「擬人化による女たち」を含めているということである。そのようなウーマン・ラヴィングこそ、人間のエゴではなく、あらゆる生命への愛と尊重でありうるような、まったく新しい人類愛につながる変革の原理とはいえないだろうか。」160P
「ところで、ドイツから見ると、日本に果たしてフェミニズム運動があるかどうかも心許なく映るようだ。日本女性にかんする情報は外国ではきわめて乏しい。まして、レスビアン・フェミニズムなどは欧米諸国だけのものと思われているだろう。・・・・・・」160P
日本資本主義とその文化イデオロギー         大越愛子
 この論稿は冒頭に、当時マルクス主義フェミニズムを宣揚していた上野千鶴子さんの現象学的フェミニズムというべき論稿を展開していた江原由美子さんへの文化主義批判を取りあげています。「私ごと」を書いておきますが、冒頭にも書いたようにこの本は再読ですが、この論稿の目次には、「?」というか、批判すべき点があるという、「▽」マークを付けています。わたしはフェミニズム学習をマルクス主義フェミニズムを宣揚していた上野千鶴子さんから入っていきました。上野さんは「私はマルクス主義者ではない」と言っていました。そのような言葉は、マルクス理論の影響を受けた多くのひとが言っていましたし、いろんなニュアンスがあります。上野さんはマルクス主義フェミニズムから、構築主義的フェミニズムに移行していきました(わたしは一時「マルクス主義フェミニズムと構築主義的フェミニズムに両足をおいて理論展開している」というようにとらえていたのですが、今は、移行したのだと押さえています)。結局上野さんの理論をよくよくとらえ返していくと、上野さんは近代主義的性差別反対論者だと、現在的にとらえ返しています。江原さんは現象学のサイドからフェミニズムをとらえ返していますが、現象学が意識やイデオロギーに留意するなかで、差別=差別イデオロギーというとらえ方になっています(現象学の流れ総体がそのようなところに陥っていくのかは、現象学を深くとらえ返していないわたしにはわかりません)。だから、文化主義という批判が有効になっていくのです。大越さんは、どうも上野――江原論争でそこで何が問題になっているのかを深くとらえ返さないまま、上野さんの相手を打ちのめすように論破していくことに反発しつつ批判をしているようなのですが、皮肉なことに上野さんが後に転換していく脱構築派の議論に棹さしているようなのです。もっとも、大越さんも差別を「システム」というところでとらえる観点はあるのですが、その「システム」とイデオロギーの関係を押さえていないのです。これはそもそもマルクスの唯物史観のとらえ返しの欠落・不充分さの問題なのです。マルクス派のフェミニズム理論(一般に「マルクス主義フェミニズム」と言われています。わたしは反差別論の権威主義批判の立場から、ひとの名を冠したイズムは批判的な意味でしか使いません)は、家事を労働力の生産・再生産過程ととらえました。教育の問題や、ひとが生きていく営為そのものも、そういった側面をもっています。これはシャドーワークということで、賃金が発生しないこととしてあったのです。問題はワーク=仕事とラバー=労働との混同が、「家事労働」概念を突き出すことから起きていることです。フェミニズムはすでに、「なぜ、労働と家事と「個的生きる営為」が分離しているのか」ということを問うています。もっとも、これのことも、家事や教育の労働化ということで進んでいます。このあたりのとらえ返しが必要になっています。
さて、話を著者の論稿に戻します。著者には、マルクスの唯物史観ということがきちんと入っていないので、「システム」と「イデオロギー」の関係をとらえようとしていません。
 さて、もうひとつ、この本が出て来たときは、まだ日本的資本主義経営戦略の優位性の論調が残っていたのですが、今日的に新自由主義的グローバリゼーションということで、日本的経営戦略を駆逐してきています。まさに土台(下部構造)が第一義的に上部構造(イデオロギー)を規定していくということの進行なのです。
 確かにイデオロギー的なことの経済的なことへの規定性も押さえていくことも必要なのですが、その唯物史観的関係性を押さえ直す必要があるのだと、この論稿を読みながら考えていました。
 はじめに
「九〇年代初頭に行われた陳腐なフェミニズム論争の一つとして、下部構造重視派のマルクス主義フェミニズムと上部構造重視の文化派フェミニズムの対立という構図があった。」163P・・・これは「陳腐」ではなくて、差別=差別意識ということへの、マルクス主義フェミニズムの流れからの唯物史観からする、文化主義批判の注目すべき論争としてあったのです。
「実際、欧米における近年のフェミニズム理論の発展はめざましい。躍進著しいフェミニズム文化批評の領域では、マルクス主義をテクスト解釈実践の罠の中へ誘うことで、現代資本主義の重層的差別構造分析を試みるという果敢な理論実践が行われている。」163P
(スピヴァックの引用)「・・・・・ジェンダー、人種、階級という概念の実在的な固定に抵抗させ続けてくれるのもまた、脱構築的見地である。私はむしろ、状況に左右されるこれらの概念の生産という、反復される協議事項と、そのような生産におけるわれわれの共謀関係に眼を向けている。脱構築のこのような局面は、覇権的なフェミニズムの<全地球的理論>を確立することを許さないのだ」163-4P
「スピヴァックによれば、現代資本主義の重層的差別構造は、階級や性、人種、地域などのどれか一項に固定された教条的理論においてはとうてい明らかにされえないほど複雑怪奇である。それはむしろさまざまな観点が交差する、絶えざるテクスト解体実践へと曝されていくなかでのみ、その複雑な毛細血管状権力に呪縛された姿をあらわにしていくといえる。文化や人種、階級などを捨象して、画一的な普遍的な性差別のみを問題化しようとするフェミニズムを、彼女は覇権主義的と批判している。普遍的な性差別という抽象的なものはありえず、それは常に特定の地域の特定の文化背景の下で、特定の権力関係のなかで生じる問題である。普遍性の契機があるとすれば、この特定の状況下で起こる性差別をテクスト化していくことで、特定を突破しうる開かれた状況を生み出していく実践の普遍性しかないのである。/このようなスピヴァックの立場は、私が主張している文化解体派フェミニズムに近い。」164P・・・「実践の普遍性」は文化(上部構造)解体運動へ切り詰められないのでは? 「(追記)」の最後の文参照
「現実的に起こる性差別事象は、性的要因のみならず、文化的要因、階級的要因、ときには民族的、人種的要因が複雑にからまった重層的なものである。こうした重層性を無視して問題を一元化していく社会学的理論装置に対して、私は懐疑的である。」165P・・・いろんな被差別事項を羅列するのではなく、それらを関係性総体からとらえかえしていく分析が必要。
 ローザ・ルクセンブルクからの問題提起
「固定した理論で現実を切っていくのではなく、現実の文化的、歴史的、社会的状況の分析を通して、現実に鋭く切り込んでいく闘争的理論を形成していくことこそ、私がローザ・ルクセンブルクから学んだ問題意識である。」165P
「ルクセンブルクの『資本蓄積論』は、周知のように、マルクスの『資本論』の批判として書かれている。」165P・・・著者自身もこの後書いているように、これは『資本論』が国民経済学批判や政治経済学批判として書いた「批判」とは意味が違い、マルクス思想の発展的継承としての批判です。
ローザ・ルクセンブルク「マルクスの蓄積表式は、資本支配がその最後の制限に達する瞬間についての理論的表現にほかならぬのであって、その限りでは、それはまた、資本制的生産の出発点を理論的に定式化する単純再生産表式と同じく、科学上の虚構である。だか、ほかならぬこの二つの虚構の間にこそ、資本蓄積およびその法則にかんする精確な認識が含まれている。」166P・・・「虚構」ではなくて、物象化的上向的展開における「抽象化」
「この場合の彼女のいう非資本主義的生産様式は、主に植民地としての収奪の対象となった非西洋世界の農民経済を示唆しているようだが、現代のドイツのマルクス主義フェミニズムは、この視点を女性の行なう無償労働として搾取されてきた家事労働に拡大解釈して、資本主義の重層的収奪の構造の解明に新たな光を投げかけた。」166P・・・「重層的」という言葉は、著者の場合並列的になってしまっているのではないでしょうか?
 ヴェルホーフ「ローザ・ルクセンブルク自身は、逆説的なことに、その著書『資本蓄積論』の中で植民地問題との関連において事実上女性問題をもあつかっていたことをはっきり認識していなかったが、それにもかかわらず、彼女こそは今日の論争の大部分をはやくも先取りしていた。」166P・・・確かにそうですが、なぜ、彼女が個別被差別事項を取りあげなかったのかの問題を考えるべき。
「このような非資本主義的関係にからめとられた周辺労働の搾取を本源的蓄積として、可視的な資本主義は成立すると分析するのである。」167P・・・中枢――周辺というところでの、まだからめとられていない、からめとられつつある非資本主義地域と、すでに資本主義にからめとられている被差別的なというところでの周辺性は区別されること。性差別は封建制という意味での家父長制ではなく、資本主義化された性差別構造。部落差別の封建遺制というとらえ方の誤りとそれは通じること。グローバリゼーション下の資本主義的性差別の構造をとらえ返すこと。
「ルクセンブルクからヴェルホーフへの道は、マルクス理論を現実に直面させて大胆に書きかえ、情況に切りこんでいく際の実践的理論たらしめんとする、闘争する女たちの果敢な批評実践の道程ともいえる。」167P・・・著者は、所詮イデオロギー的せめぎ合いとしてしかとらえていない。ローザ・ルクセンブルクは革命の実践家だったはず。
「搾取的な生産関係と共存しつつ、搾取的な生産関係を隠蔽してしまう強力な磁場として、文化イデオロギーの大きな意味が看過されるべきではない、ということを主張せずにはおれないのである。」167P・・・まさに文化主義、家父長制を文化としてとらえ、それが資本主義的に再編されていることを押さえていない。たとえば、優生思想は単なる文化ではなく、労働力の価値をめぐるヒエラルヒーのなかに、組み込まれている経済的問題でもあります。
「それは、その地域の、文化の、社会の非資本主義的関係を資本主義的関係のためにもっとも効率よく利用すべく画策するからである。その際、もっとも高率のよい戦略は、各地域、各文化、各社会に残存する差別イデオロギーを再利用とすることであろう。普遍的な差別イデオロギーとしては、女性差別がある。それゆえ、マルクス主義フェミニズムが分析するように、資本主義は女性労働をその本源的搾取の対象とした。」167P・・・差別を封建遺制の問題としてとらえて、またレーニンやローザ・ルクセンブルクも陥っていた、階級支配の道具・利用論に陥っています。差別は資本主義成立の必須条件としてあるということが、ローザ・ルクセンブルクの「継続的本源的蓄積論」のもつ意味だったはずなのです。著者は、「継続的本源的蓄積論」を単にイデオロギーの問題としてとらえているのでしょうか? これはまさに経済学的問題でもあるのです。
「またアミンなどの第三世界の理論家が指摘するように、資本主義は人種差別、民族差別を利用して、植民地化搾取を敢行した。さまざまな地域差別、階級差別ももちろんその戦略対象である。こうした高率のよい搾取正当化としての差別の利用の隠蔽のために用いられるのが、さまざまな文化イデオロギーである。各資本主義は、文化イデオロギーで粉飾することで、差別を不可視のものとなし、意味内容をずらした形での差別を再生産することで、肥え太っていくのである。こうしたあくどい資本主義の戦略を明らかにし、差別システムを明示化していくためにも、文化イデオロギーの解体実践が必要である。日本資本主義に対決する際にも、それが重要な課題となることはいうまでもない。」167-8P・・・社会の矛盾、そして差別の根拠は、分業と私有財産制というところから発していて、単にイデオロギーの問題ではない、これがマルクス思想の押さえのイロハなのです。
 日本資本主義と日本的近代化の問題
「日本資本主義について分析した経済学の理論書は数多いが、そこで気づかされるのは、女性労働や差別された立場にあった人々の労働への言及が非常に少ないことである。・・・・・・マルクス主義のみならず近代経済学者も汚染されている男性労働中心主義、雇用労働中心主義において、いかに多くの問題が隠蔽、消去されてしまっているかを明らかにしていくことが必要であろう。」168P
「近代主義的見解に対して、現代のマルクス主義フェミニズムや、第三世界のマルクス主義理論は、資本主義の成立が、女性の無償の家事労働の搾取や海外植民地の奴隷労働の搾取の隠蔽の下に行なわれ、しかもそのことを逆説的に正当化するような文化イデオロギーが作成されたことを問題化し始めている。」168P・・・「搾取」の概念が間違えています。これは「収奪」概念。
「だがそうした萌芽をもぎとるような強権的な開国によって、弱肉強食の資本主義世界システムの中へ放り出された日本のとる道は、下からの内発的世紀を抑圧する強権的な近代化政策と、国家主導型の資本主義育成しかなかった。」169P
「近代個人主体からなる近代市民社会の成立という欧米資本主義の必要予件を欠落して出発した日本資本主義は、それに代わるものを捏造する必要性に迫られていた。ウェーバーのいう神を内面化したプロテスタント的労働主体に代わるのとして、天皇を親として平等に献身する天皇制隷属主体が、また個人の権利を尊重するという社会契約に基づく市民社会に代わるものとして、個を否定し一体的な和の原理の下でつながっていく家族主義的国家観念が、日本の近代化の文化イデオロギーとして、ここに登場したのである。」169P・・・この天皇制に関する論攷は留意。
「それは、日本の近代化を前近代的で未熟であると批判していく丸山眞男流の近代主義的立場でも、日本の近代化の前近代性に居直る日本主義風文化特異論的立場でもない。日本の近代化の現実相をできるだけ赤裸々に浮き彫りにしていくことで、その差別システムに亀裂を引き起こすことをめざすテクスト解体実践としての、脱構築的な試みである。/欧米近代化と異なる日本の近代化の特質は、天皇制を頂点とする家族主義にみられる前近代的なる虚構の捏造である。」169-70P
「このような日本的近代化の国家戦略は、帝国主義列強に囲まれた国家的危機の下に、急激な育成を余儀なくされた日本資本主義の要求と合致しており、かくて国家と資本主義は手を携えて、比類なき差別的文化イデオロギーを量産しつつ、収奪と搾取の体制を形成してきたこと、その際に特に犠牲の標的であったのが、女性をはじめとする被差別者たちであったことを、明らかにしていくのが私の狙いである。」170P
 日本資本主義の成立
「ルクセンブルクやヴェルホーフなどのマルクス主義フェミニストが指摘したように・・・・・・」170P・・・ルクセンブルクはフェミニズ的なことを自らは突き出していません。フェミニストと書くのは虚偽。
「だが日本の資本主義は、女性の身体の搾取を粉飾するための近代的性別役割分業イデオロギーも、日本外部の大地の侵略を正当化するための開発文化帝国主義イデオロギーも新たに形成する余裕がなかった。苦肉の策として彼らが代わりに担ぎだしたのは、男尊女卑的「女の力」イデオロギーであり、天皇制を頂点とする家族主義国家イデオロギーであった。」171P
「日本の近代化において、国家は天皇制家族主義イデオロギーを採用し、国民の滅私奉公的献身を要求したが、その中でももっとも自己否定的存在としての役割を担わされたのが女性であった。彼女らは文字どおり自らの肉体で、国家に献身することを求められたのである。その端的な現われが海外への女性の人身売買的出稼ぎによる外貨獲得であった。」172P
日本的差別システム
「天皇制の確立の下でいったん身分制度から解放されたとされながら、隠微な形で新たな差別システムに組み込まれていった被差別部落の底辺労働者である。」173P・・・「新身分制」(資本主義的再編)の確立
「日本資本主義の場合は、炭鉱労働などにおける被差別部落民の搾取、紡績業における貧困な農村出身の女工の搾取が、そして後には植民地労働者の苛烈な搾取がそれに相当したといえるであろう。」174P
「天皇制ファシズムの暴力体制といわれるものを現実に支えていたのが、一見温情的にみえる家族主義的経営であったこと、そこにこそ、抵抗や反発を萎えさせてしまうような巧妙な罠があったこと、そこに日本資本主義の恐ろしさがあることなどが徹底的に明らかにされていく必要があるのである。」176-7P
 日本的家族主義という経営戦略
「日本主義が短期間の間に飛躍的な発展をとげた原因として、それが欧米流の自己主張型個人主義ではなく、自己滅却型集団主義に依拠してことが、しばしばとり挙げられている。間(間宏)は、この集団主義を高く評価する文化イデオロギーとして機能したのが経営家族主義であって、それは実体的な家族経営とはまったく異質なものであるこることを強調して、次のように述べている。」177P――間の引用。
「それは、資本家と男性労働者との一体的労働関係をつくりあげることで、その関係から排除された女性労働者や、被差別労働者に対する差別関係を隠蔽するものである。現実に存在しない融和的労使関係のイメージの内面化を強要することで、階級的、性的、民族的、身分差別システムを不可視にし、経営者に都合のよい職場秩序を捏造しているのである。/経営家族主義を潤滑に機能させるエートスとしてしばしば利用されるのが、「恩」「和」「分」などの精神主義である。」178P
「日本のマルクス主義が下部構造中心主義に足をすくわれて、自分たちを蝕む文化イデオロギーを相対化できなかったこと、その体質が現在なお続いていることは、彼らの多くの性差別に対する鈍感な姿勢に如実に現われているといわざるをえない。」179-80P・・・差別意識を取りあげることは必要なことはいうまでもないのですが、差別を上部構造としてとらえているのでしょうか? 問題は差別=階級支配の手段論。
「資本主義の貪婪な欲望は、その発展のためにいかに次々と欺瞞的な文化イデオロギーを捏造していくかの典型的な例を、私たちここにしかと目撃することができる。こうした問題の究明はいまだ不充分にしか行なわれていないが、これこそが私たち文化解体派フェミニズムの今後の理論実践の課題であることを付記しておきたいと思う。」180P
 現代の課題
「戦前以来の差別システムを温存したままの表面的な自由競争社会の成立で、差別隠蔽の文化イデオロギー戦略はより巧妙になり、それに取りこまれた側とそこから脱しようとする側との対立は、たえず微妙にずらされて、人々の意識の拡散化を招きよせ、そのため問題点の鮮明な浮上化は常に先送りされていた。」180P
「あからさまな帝国主義的海外侵略と異なった形の資本主義の世界戦略が、苛烈な競争とともに現在展開されている。その中で生活者としての民衆にとって今後大きな課題となるのは、環境レイシズムの問題である。」181P
「過去の歴史的経験において明らかなように、資本主義は絶えざる差異化、差別化を作り出し、それを培養土として肥え太ってきた。日本資本主義もその例にもれないのであって、この飽くなき日本資本主義の野望が日本の近代化の推進力であったといえる。日本の近代化は、温存された差別システムとそれを隠蔽するイデオロギーの錯綜した関係を解明することによって、はじめてその全貌をあらわにする。現代においても事情は同じである。」181-2P
フェミニズムから「国家」論を読み解く  江原由美子+生田あい
 これは対談です。一応生田さんが江原さんの意見を引き出すという形になっていますが、実際は対等な対談です。前の論攷の冒頭で問題になっていた江原さんと、共産主義的運動を担う理論家の生田さんの意見のぶつけ合いなのですが、お互いに自分の言いたいことを言い、「国家」論的なところでの一定の共振はあるにせよ、お互いの理論的前提からきちんと話をかみ合わせる批判をしていないので、互いの思いを披露し合うことで終わっているとしか、感じられませんでした。ただ、いろんな情報が込められていた対談になっています。わたしがこのかみ合わない議論を読みながら感じていたのは、資本主義体制と家父長制というところで進んできたフェミニズムの議論で、そもそも性差別を家父長制という概念で押さえてきたことにフェミニズム理論の混乱があるのでないかということです。家父長制ということは封建制的性別的関係性から出てきた概念で、それが資本主義社会のなかで、どのように新たに組み込まれていったのかの問題で、「家父長制」という概念では、そのことを深化して押さえていく作業にはなりません。
 なぜラディカルフェミニズムから権力論なのか
江原「つまり、なぜ女性が再生産労働に従事するかを説明する概念として、家父長制という言葉が出てくるのですが、その家父長制の内実が書いてないわけです。上野千鶴子さんも引用していますが、家父長制をソロコフはこう定義しています。「男性が女性を支配することを可能にする社会的権力関係の総体」(『家父長制と資本主義』)。」185P・・・同義反復的規定。家父長制の中身は、性別役割分業からする支配の問題では?
江原「マルクス主義フェミニズムの議論は、その点においてマルクス主義にとてもよくにていると私は思います。マルクス主義は階級支配の内実を剰余価値収奪のメカニズムとしておいた。それをなくすことが階級支配を絶つことだと。マルクス主義フェミニズムも同様に、女性支配の内実を女性の不払い労働に求める。不払い労働をなくすことが性支配を断つことだと。でも問題がここで二つあります。一つは、マルクス主義フェミニズムの不払い労働論が、マルクス主義の剰余労働論に批判してあまりうまくいっていないこと。二つめは、仮にうまくいっているとしても、不払い労働をなくすということのイメージが充分でないことです。」186P・・・「家事労働に賃金を」ということへの批判が当時から起きていて、さらに、家事を労働ととらえることへの批判も起きています。そもそも労働概念自体も問題にされていること。階級支配は単に経済的支配だけでもないし、また剰余価値収奪のしくみが隠蔽されている(マルクスがそれを明らかにした)としても、国家ということでの支配があります。そもそも資本制生産様式と国家の暴力的かつ共同幻想的支配ということも押さえる必要があります。
江原「労働者が主体であるある国で、国家所有であれば、それだけで剰余価値収奪はないとされる。」186P・・・「社会主義国」と言われていた国が、そもそも国家資本主義だったという押さえが今日的になされています。この後著者が展開しているところは、問題が何ら掘り下げられていません。そもそも、ひとの生きる営為が、労働と家事と「個人的営為」に分断されているところを批判し、労働の廃棄から仕事への転化という形でとらえ返す作業が必要ではないかと思っています。そういうところでの新しいマルクス派のフェミニズムの再生が必要になっているのだと思います。
 江原「このような多様な制度の連環としてある「家父長制」について充分分析せず、あたかも一枚岩的な「男性の命令権」が「家父長制」であるかのような、従来の「家父長制」論は不充分ではないか。あるいは小倉利丸さんのように「家父長制」を「貨幣権力」とおいて、お金のあるなしということのみを「家父長制」としてしまうのも不充分ではないか。「家父長制」とは、社会全域において効果を発揮するような制度の連関であり、またそのような連関を生み出してしまうような「知」のあり方なのではないか。」187P・・・「またそのような連環を生み出してしまうような「知」のあり方なのではないか。」というのは唯物史観的には逆転しているのです。制度が「知」を規定する方が規定性が大きいのです。そのあたりが逆転しているから、文化主義という批判があったのです。
 生田「上野さんにしても、先ほど江原さんが引用された本の中で、「家父長制の物質的基盤とは、男性による労働力の支配のことである」といったすぐあとで、家父長制の廃棄は、個々の男性が態度を改めたり、意識を変えたりすることによって到達されるようなものではない。現実の物質的基盤――制度と権力構造――を変更することでしか達成されないといっていますね。まず「男性による女性の労働力の支配」ということに狭く還元してしまっていいのか、家父長制の廃棄が「現実の」、たぶんここでは現実の社会でのという意味だと思うのですが、制度と権力構造の中身、その相互関係が曖昧なままで、なぜその廃棄でしか達成されないのかはっきりしませんね。フェミニズムが提出した「家父長制」という問題を、資本制との関係で「一元か、二元か」とそのレベルだけで争う「出口なき論争」からの脱出口を含めて解く鍵は、この問題だと思うのです。」187P・・・唯物史観的立場からの提起が必要です。
 生田「江原さんが「新しい社会理論としてのフェミニズム試論[二]」(『情況』一九九二年九月号)で、後期マルクス主義フェミニズムの意義と限界は、家父長制の物質的基礎を明らかにしただけで、その家父長制の内実についてはラディカルフェミニズムから借りてきているだけで、その具体的中身はないということを述べていらっしゃるですが、そのことにつながっていきますね。」187-8P
 江原「社会生活のすみずみに徐々に浸透してくるような社会的権力というもの、近代になって強化されてきているような権力、こういう力を充分に書きつくせない今の社会理論の一九世紀的な状況がある。これを乗り越えないとフェミニズムは、ラディカルフェミニズムといったとしても、実質をもたないと考えているのです。」188P
 江原「このフェミニズムの出発点にある人権、あるいは市民的権利の内容そのものが不充分であり、その不充分性を指摘したのが、ラディカルフェミニズムだと考えるからです。すなわち従来の市民的権利においては、セクシュアリティの問題はネグレクトされていると思っています。セクシュアリティとは何かというと難しいのですが、人間の性的活動にともなうさまざまな行為、狭義においては性交行為や妊娠・出産等の生殖活動、広義においてはそれに付随する社会的活動すべてや性生殖に係わる意識や態度を含むと考えてよいと思います。」189P・・・マルクス主義フェミニズムには人権概念は当てはまらないのです。
 江原「人権/市民権といった理念そのものの未完成を意味するのです。」189P・・・そもそもブルジョア民主主義概念自体をマルクス主義フェミニズムは批判しています。
 江原「これが近代市民社会形成期の人権/市民権といった理念の中では充分ではないのです。だからこの部分の規範をつくり始めたのが、第二波フェミニズムであり、セクシュアリティに関わる人権侵害を告発してそのルールをつくりつつあるのが、第二波フェミニズムだと思うのです。」190P・・・「知」や人倫の問題に切り詰める文化主義、文化主義批判をなぜするのかというと、意識をかえることによって社会を変えられるという志向におちいるからです。ものごとはそんなに単純ではないのです。社会を変えるという運動のなかで、社会を変えつつ意識を変えるというように進むしかないのです。これは規定性の第一次性の問題なのです。
 生田「その「セックス・ブラインド(ママ)」をついたところに、おっしゃるように、ラディカル・フェミニズムの、近代思想を越えていく一つの位置と役割をみます。」191P
 家父長制と「見えない支配」
 生田「(江原さんの書いていること)それは「見えない支配」とも。だからラディカルフェミニズムから「権力論」というものに接近していく場合のキー概念として、「見えない支配」ということがあると思うのですね。これは非常に重要でかつ面白い問題提起だと思うのですが、もう少し具体的につっこんで発展させてみるとどういうことなのでしょう。」←江原@言語――「男女間の言語構造の差異」192PA言語行動そのものの問題193P――「男性中心主義的な概念装置を変えただけではダメだろうと感じています。とくに無意識的に行っている女性の行動様式への自覚、特にそれが自己の決定権というものをいかに浸食しているのかをはっきりさせなければならないと思います。」194P(←生田「初めてフェミニズムからの問題提起を受けいれて「自己決定権」ということをたてているし、日本でもそれは確実にフェミニズムの中で重要な問題の一つになってきています。だからこそ、それを言葉だけのことにしてはならないと思うのです。」194P)「労働時間にしろ、産む/産まないにしろ、それは社会的関連をもつ行為ですから、他者の協力が不可欠。でもその協力を得るために必要な話しあいそのものが、さまざまな理由で男女不平等に行われるとしたら、「自己決定権」をもつということは、たんに「自分で決めたんだから、それはお前の責任」といったいい方に利用されるだけになってしまうかもしれない。」195P(←生田「こういう「自由時間革命」ともいえることは、「社畜」とまで呼ばれている男性の「企業戦士」「会社人間」からの離脱なしにはありえないし、・・・・・・男女の「労働への解放、労働における解放、労働からの解放」の三位一体がさきほどいわれたような、女性の出産や家事労働を「消費」とか「余暇」ということにくくっているような「男性労働中心主義」を根本から変えることから考えられねばならない。そうしないと「女の働く権利」と「男の再生産権(養育権)」という今日的問題を解決していくことはできないと思いますね。」195-6P)B「ルールそのものの是非を判断する場をつくる」196P
 生田「家父長制というものを、たんなる上部構造の家族制度(?)の問題とか、あるいは逆に経済主義的に、たんなる経済的単位としての家族とそれを物質的基盤としてのみとらえるとかではなく、もっと全社会的な構造の中で資本制と共にモヤモヤと存在していて、真綿で首をしめるように、女性の考え、行動をそちらへ方向づけてしまうような支配の実態的なものをさすということだと……。」196P
江原「社会が言語を通じて再組織化してくるだろうと感じています。私たちは自律的な生活様式を失いつつあって、国家的な規模の言語共同体にまきこまれつつある。それは文化共同体でもありますしね。」196P
江原「概念装置というと観念的なものと考えられますが、実際のことなのです。概念装置や言語などのコンセプトを通じて組織が運営され、その諸組織が実際に私たちの生活を支援している。だから、それは私たちにふりかかってくる支配のことなのです。」197P・・・物象化的なことの機能
 生田「また、最近、山本哲士さんがフーコーの『セクシュアリティの歴史』の中の「知の意志」を読みといて、国家と権力を戦略的に分けて、支配階級と被支配階級との二元対立だけでなく、「下から毛管状にやってくる」という「関係性に内在する」権力のとらえ方を、「個人的なものと全体的なもの」の結合としてしめしています。それは旧来の伝統的なマルクス主義の「国家論」が、たんなる抑圧装置であるとか、「土台――上部構造」式に考えてきたものに対する大きな問題提起として考えられますね。」197P
 江原「上野さんの「文化――物質」図式に基づいたままで文化的権力といわれると困るのです。私は文化を積極的に他と区別できる概念としてはたてませんから。」197P・・・「文化」に対峙しているのは「物質」ではないのです。
 江原「「家父長制」とは、そうした近代社会総体が女性をとりあつかう方法のことだと思うのです。」198P
 生田「江原さんの場合は、非常に生活者的な発想でたてていると思いますね。・・・・・・別のいい方をすれば、政治的・経済的・文化的と権力をとらえても、女のあり方にとってはすべり落ちてしまうものをすくおうとしている、といっていいかな。それで「生産諸関係の再生産」を国家論に導入したフーコーを想い出したんです。」198P・・・フーコーも意識分析主義、制度とか経済的なことの規定性をあまり押さえようとしなかった。
 生田「さらには、「家父長制」が「支配」であるのなら、それは力なのであり、その力は「いま――ここ」に作動しているのであるから、そうであればそれはどこか遠い過去に起源をもつ「いま――ここ」を規定する「原因」としてでなく、「いま――ここ」において見出されるべきであると。/「いま――ここ」にある権力という発見は、第二波フェミニズムの「個人的なことは政治的である」という中心スローガンと重ねて考えてみると非常な大きな意味を受けとれる。従来、政治問題とは考えられなかった家族内の男女関係の、性別役割分担や性支配の問題を、全社会的領域の中の男性の支配の問題に拡大させながら、なおかつ、その「見えない支配」「権力」を、日常性とは無縁の政治権力の問題として、あるいは国家の本質的な支配一般の問題として一般的に解消、還元してしまわないで、個人的身体性の「経験」の中に、生きている場としての生活の中にひきずりおろしてくる。日常性の中で権力をつかまえるという意味で。/だから、フェミニズムからの「「家父長制問題の発見が第一級の社会理論上の革新に連なる発見」ではないかという江原さんの評価に加えて、「いま――ここ」にある権力といった問題意識も、「第一級の国家論上の核心に連なる」問題提起ではないかとさえ考えるのですが。」198-9P
 フェミニズム「国家論」の可能性
 生田「伝統的マルクス主義国家論の限界の克服が、マルクスの「国家の社会への再収録」の復権、深化としてつきつけられてきたといえるのです。それはそのかえす刀で、「西欧化=資本主義化=近代化」という「近代国民国家」の限界を同時に越えることでもあるわけですが。」200P・・・「国家の社会への再収録」?――国家の死滅
 生田「そこで、こういう意味での「市民社会に国家を再吸収する」「国家を無化」していくということとの関連で、私は、ラディカルフェミニズムが出した象徴的なスローガンである「個人的なことは政治的である」という問題提起を発展させて深めて考えてみることは、フェミニズムから「国家」論と権力論を発展させてことになるのではないかと思ってきたのです。」200P
江原(生田の「もう少し、「いま――ここにある権力」について、聞かせていただけませんか。」201Pの提起を受けて)「「家父長制」の概念がわかりにくいということは、いろいろなひとが指摘しています。私もそう思うんですが、でも、実のところ、それは、問題を解くための概念であるよりも、何が問題かを明らかにするための概念であるから、分かりにくいのだと思うのです。」201P
江原「つまり、「法」に基づかない(税法などの一見無関係に思われる法には存在していますし、まだ現実の判例などにおいては存在しているのですが)性差別体制、性役割分業体制を、「男性中心主義」や「男性優位主義」のような「イデオロギー」に還元してしまったことです。・・・・・・「家父長制」とは、どこかにある「イデオロギー」(それは遠い過去からひきついでいるとよくいわれるのですが)ではなく、「いま――ここ」にあると、/その含意は、@「「家父長制」とは制度連環の中にあるということ」――「税法や年金や福祉や医療や労働や家族やそれらのすべてが、一定の方向しか選択できないような形で、女性を追いこんでいる。その詳細が明確化されなければならない。「家父長制」は一つ一つの制度でなく、それら総体の機能連関にこそある。」201-2PA「一定の方向を選択しなければならないように追いこまれること」――「それは「いま――ここ」にある現実の力として存在している。・・・・・・個々の女性はやはり必死に選択しているんですね、いろいろな可能性の中から最善の道を。にもかかわらず一定の方向しか選択できないような制度連関がある。・・・・・・女性の観点からすれば「わけのわからない」了解不可能な社会的経験はいくらでもあり、それを言語化していくことが必要なわけです。」202PB「言語化そのものを抑圧する構造が存在する」――「コミュニケーションの問題」――「かつて「からかいの政治学」という文章を書いたことがありますが、そういう扱い方、女性の言葉をとりあつかう方法、そういうものがかなり普遍的に存在する。性別カテゴリーは言語的相互行為において、現実に力として作用していますね。そこにも権力が存在するんです。」202-3PC「暗黙の「方法」としてのみ存在」――「こういうコミュニケーションの問題は、実のところ、たんに対面的相互行為の場において存在するだけでなく、あらゆる専門領域の中での言語実践の中にも存在します。それは明確な「イデオロギー」の形式をとっておらず、暗黙の「方法」としてのみ存在しています。・・・・・・それを明らかにせずに遠い過去の歴史的過程のむこうに「家父長制」の起源をみつけても、あるいは、遠い未来に「家父長制イデオロギーの消滅」を展望しても何にもならない。今、自分をこの場において拘束しているさまざまな力、それは現実の他者の評価の予期や、具体的な言語実践や、分類や、例外判定や、何が重要かといった判断や、紙面のつくり方や課題の設定や、そういう具体的な一つ一つのことを明確にしていくことこそが必要だと思うんです。」203P・・・「いまここにある」というところで、それを唯物史観的なところからとらえ返したのが、マルクス主義フェミニズムと言われているとらえ返し、そのことを江原さんは押さえ損なっていて、結局「イデオロギー」に還元してしまっている。「C」の「家父長制」概念は、そもそも封建時代の概念を援用したこと自体の問題があり、今日的には「ジェンダー――性別(差別)役割分業(体制)という概念に置き換えられてきたのではないかと考えています。
 生田「「家父長制」とは、男性が女性を支配することを可能にする「社会的権力関係の総体」だとすれば、女性を「再生産労働」にしばりつけ、「市民」から排除してきたこの社会的権力関係は、どこで「生産され、再生産」されるのかということです。その現実的中心は、フランスのルフェーブルがスターリン主義との格闘の中から「発見」した「日常生活のなか」なのだと思う。」203P
生田「また、権力が不断に上座にあって、女たちが「飛び上がり」成り上がっていれてもらっていくのではなく、文字通り権力関係としての社会的関係の再生産の場である日常の「生活」の方へ、権力をひきずりおろし、ここを変えることで、権力の根を切り、それを無化し、埋めもどしていくことととらえています。・・・・・・マルクス主義フェミニズムは、「資本制」から学び、かつ、その限界を批判しましたが、この国家に関する思想からも学び、かつその歴史的形態として革命が創造したソビエト・レーテなど、「プロ独裁論」を乗り越えてもよいのではないかと思っています。」204P・・・反差別論からは「プロ独裁論」批判が出てきます。
生田「つまりローザは旧来の資本主義の外部に主体を発見し、しかも性分業も含めてそれを一国的でなく世界大のシステムとしてとらえたのです。この非資本主義部分(不生産的労働―「再生産労働」を含む)の存在を強制し、かつ、それを収奪して、資本主義の生存と成長へ転化し、その資本―非資本関係を再生産し続ける力は何かということです。それが国家とか権力であることを、女たちは理論的に明らかにすることができると思うのです。」204P・・・障害問題からの優生思想から、労働能力の価値という概念の脱構築も
生田「「いま――ここにある権力」というのは、女たちの「日常生活」にありながら世界を凝縮し、写し出している権力として、逆に日常生活が水平に世界に拡がっていく質としてもつかまえられねばならないと思うのです。」205P
江原「国家論といった時に、古典的な二つの図式がありますよね。国家機関説と国家共同体説。廣松渉さんが『唯物史観と国家』で述べていらっしゃるような。前者は支配のための装置としての国家というイメージで、後者は実質的な共同連関を含む国家のイメージ。同一民族とか共同言語とかを含むイメージです。・・・・・・私自身は、この二つは必ずしも一致する必要はないと思います。けれど、なんらかの統治機構、すなわち、法をつくり、その法の効力を確保する機関は必要ですよね。ですから、もし「国家の死滅」を考えるならば、共同連関をもつ地域の幅が広がっている現在可能な唯一の方向は、民族共同体、言語共同体を超えた政体を創っていく方向しかない。」205P・・・そもそもマルクスが『ド・イデ』の中で展開した、「共同幻想としての国家」の押さえが必要です。
 江原「「国家の死滅」といった時、一番よくイメージされるのは、地域がごく小さい単位でまとまり、相互にあまり影響しあわない形で共存するというイメージだと思うのですが、私はこのイメージは不可能だと思います。」←生田「それは経済と自治の単位を小さくしていく、いわゆる地域分権体制ということかしら? どうして不可能ですか?」←江原「私はコミュニケーション、すなわちコトバとモノとヒトの共同連関はますます大きくなっていくし、地域をこえた共同連関を少なくしていくことは不可能だと思います。不可能だというのは、産業とか、人口だとか、生産力だとか、いろいろ考えた時にそう思うのです。共同連関を少なくすることは、現実にはその地域内での「残酷な強権発動」なしにはできないだろうということです。すなわち、その地域内の国家への権限集中が起こってしまう。だから難しいだろうなあと。むしろ可能性のあるのは、共同連関をもつ地域の拡大に対応して、より広域の政体、民族共同体や言語共同体を超えた、政体をつくることだろうと思います。終局的には、地球規模の政体のようなものでまとまっていく方が可能性があると思う。」206P
生田「「国連」というのは、帝国主義間のブロック的同盟であると同時に、国際的共同権力として機能し始めています。これは、資本主義の世界化と対応したものです。そしてかつ、地球規模での環境破壊、核問題とかとも見合っているわけです。だから、実践的というか、運動論的いうか――結論からいえば、江原さんのいうように、もう旧来の一国的な近代国民国家ではない、国際的な共同体、政体で、資本の国際性を物質的基盤に、資源・食料・環境など万般のことを、第三世界と先進国間の、中心と周辺の矛盾を解決する国際機関・政体が必要だと。しかも、民衆の側のそれは、国境をこえてどんどん拡がりつつあります。それは、いわゆる非常に狭義の意味の革命――国家権力を根本的に革めるという――を不可欠にすると思います。その必然性の予感のようなものを、江原さんは、「残酷な強権発動」なしに巨大な連関を小さなものにしていくことができないとおっしゃいました。先に挙げた「国家を市民社会に再吸収する」というテーゼは、その権力における革命の狭義の問題を含まないで考えられるとしたら、それは、観念的なものになるでしょうね。と同時に、「地球規模で考え、地域で行動する」(考えはグローバルに、行動はローカルに)というスローガンがありますが、この点とも矛盾しない。」206-7P
生田「この「市民社会」の日常生活における「本質的主体」である女たちが、どのような社会を構想し、「いま―ここにある権力」をつかまえ、それを日常生活の中に埋めもどし、自らの自己決定権に基づく水平的な「自治」を創り出していくか、そのことが「フェミニズムに問われる権力論」の創造だと思います。」207P
資本主義と女性抑圧の文化構造        フリッガ・ハウク
 この論稿は性別役割分化(分業)ということを書いています。現在的にはジェンダー論とかいう展開になるのでしょうか?
生産関係としての両性関係
「両性関係」ということば自体がLGBT(Q)の運動が起きるなかで使われなくなっているように感じています。二分法自体の脱構築のひとつです。
文明モデルとしての資本主義的父権制
「女性抑圧は資本主義よりもはるかに古いということは、すくなくともこの十年来、常識となった。家族に対して父がふるう権力という意味でもちいられる父権制(家父長制)ということばでは、あまりにも狭義であるとして、明らかな男性支配をともなうこのシステムを概念的にどのように把握しうるのか、という問題の分析はまだわずかにしか行われていない。理由はあげられていなくとも、「資本主義的父権制」といえば、重点がどちらにおかれているかは明らかである。」210P・・・女性抑圧は資本主義との先行性の関係で考えることではなくて、分業と私有財産制の発生との関係で考えること。
 その秘密
「我々は、社会が四つの主要なグループに分割されていることを知る。秘儀を授けられて統治し、計画する男たちとその妻たち(なぜ、今日に至るまで政治をするのに男が年をとりすぎることは決してないのに、年をとった女はいずれにせよ、社会にとっては余計な負担となるのか、よくわかる)。そしてその他民衆の男たちとその妻たち。とはいえ、秘儀を授けられた者の妻たちは、秘儀を授けられない者の妻たちとは異なったかたちで、組みいれられている。」211P
市場の快楽
「実際、フェミニズムの視点からみることによって、そうでなければ理解しにくい、この市民社会における一連の正当化について、さらに洞察が得られるのである。生活、身体およびそれらの私的組織(中絶、家族、結婚、離婚、売春、ホモセクシュアリティ、子どもの世話、年金等々)の問題を規制すべく存在している所有に関する無数の法は、この社会全般が市場と利潤の原理によって規制されていて、それが一般的な人間行為として有効性をもたされているところから、必然的にうみだされた。このような原理では足りない、あるいはそれが正反対に働いてしまうところには、一連の法律が介入しているのである。」213-4P
「つまり、この種の人類の再生産の複合体は、資本主義的父権制文明モデルにおいては、まったく予見されていないこと、それゆえ、女性はそのような問題を法というかたちで、私的に、自分の身体と生命とを用いて引き受けなければならない。法律が、社会に支配的な生産、業績、賃金、利潤の原則に従って行動するように、という誘惑から女性を退けているのである。」214P
モラル・セクュアリティ・戦争
「教育、学校、教会となどをただちに思い浮かべさせる、モラルの領域からはじめよう。モラルとは、法が及んでいないところで、行為を導く価値が社会契約的に個々の人間を社会的にしばりつけておく形式である。神に依拠して善と悪の区別を教え、個々人が内面的道徳律を身につけるようにする。利害が対立している以上、支配的なモラルは「上」を認め、「下」を貫くことはあきらめるように、と我々に告げるのである。・・・・・・徳、礼儀、名誉、恥、欺瞞、勇敢さなど、これらはすべて性によって違った意味をもっている。これらが経済的、政治的領域で意味をもつ場合は男性の側に、身体やセクシュアリティの領域で意味を持つ場合は女性の側に押しつけられている。」215P
「ナンシー・ハートソック(前出)は、両性自体を社会的に構築されたものとみなすのは無意味であり、これはセクシュアリティの領域についてもいえるが、男性特有、あるいは女性特有のセクシュアリティとされているものについては、あてはまらないとしている。」215P
「たとえば、男性のセクシュアリティは攻撃的、暴力的、孤独であると同時に、あるいはそれゆえに主体性のあるものと見なされている。これを補完するために、自由に客体、あるいはたんなる身体、またその一部として自由にできるようにさせられている女性的なものが対応している。男性のセクシュアリティは鉄のような意志によって牽制されていなければならない。それゆえ、彼には人間性(と錯綜されていることが)が優先される。/一方、女性のセクシュアリティは、たえず受けいれる用意があり、欲望に従属させられていると同時に、たんに存在しているだけで自己の意志を必要としない。この緊張関係のなかで、女性は非人間、身体として、プラトニックな男は人間として、身体を克服した者/身体を征服した者として成立している。」215-6P
「女を性対象化(セクシュアリゼーション)するなかでは(これは、自発的な社会化の文化的プロセスとも考えなければならない)、男への従属と同時に、社会的なマージナル化も書きこまれる。その反対に、男は意志と精神として登場し、死の可能性としての自分の身体性と闘う。男は英雄であり、就業している。自然は生産的に征服され、支配されなければならない。彼はたえず、他人との競争関係の渦中にある。競争とは区別すること、アイデンティティをうみだすこととする考えもまた、西洋の社会理論の歴史における共同体の考え方を規定しているのである。」216P
「ここまでの議論をまとめてみよう。我々が資本主義的父権制と名付けるのは、一つの文明モデルである。それは、効率、他者との競争、永続する作品の創造を通しての死との競争、生きている―身体的―日常的なものの抽象などの形態をとって、社会的に構築された男らしさが、市場と利益の調整形態と結びついている文明モデルである。このような社会形態は、身体労働する者の従属、また、社会的なもの、人間性の発達、自然に対する関係としてのエコロジーなどの分野を同時的におろそかにし、マージナル化すると同時に、女性の抑圧および女性のマージナル化を必然的にともなうのである。」217P
代理性とクォータ制
「みずからを保護者としての指導部ととらえているような党をもつ社会主義は、そもそも社会主義ではありえないということを知っていた。労働運動のなかのごく少数の人間のひとりが、ローザ・ルクセンブルク、女性であったことは驚くに値しない。」218P
「しかし、経済の生産部門など、実際に業績が重要な役割を演じている領域では、業績として定義されているもの、つまり労働生産性(力と時間)は――自然の再生産をのぞけば――あきらかに男性的に定義されているので、またもや女性は期待される成果をあげるわけにはいかない。「彼」がそう機能できるということが、究極的には彼女をうちまかすのである。ここでは、女性が行うことを見えなくし、計算にいれないことをふまえて、男性の領域がうちたてられている。」219P
「あらゆるポジションで、女性をより広範に、男性と同じ程度に進出させるクォータ制が、博愛(兄弟愛)という高邁な原理をまったく締めだしてしまうことは、特別に強調する必要もない。男性はつねに性的な身体としての女性と関わることに慣れているために、かれらは女性を同じと認識することができないだけではない。また、男と男の、兄弟的な関係もそのままというわけにはいかなくなるのである。」219-20P
「自由とは、最終的にはなんらかの方法で自己決定に関係していること、およびそれを認識するには、すでに秘儀を授けられており、そこに属していて、そのきまりを知り、他人にもそれを適用できなければならないという男たちの合意が、女性のためのクォータ制を、システムと矛盾する強制経済を不当に要求することと勘違いさせているのである。」220P
はりめぐらされた網の目
「女性の抑圧があるのは、家族内か、職場か、政治の世界か、という場を特定するする話ではない。まさにその全体が問われているのである。わたしは、資本主義的父権制とは、その調整の原理が女性の従属を基盤に築きあげられた生産様式であることを示そうと試みてきた。交換、市場、利潤、成長をともなったこの支配的な経済は、就業労働力にとどまらず、同じ原理で生産することができない他の(第三)世界をも包括的に搾取すること、そして愛ゆえに、「人間性」ゆえに、生命の世話を行い、それゆえ「平等」として取り扱われることのない人間にゆだねることに賭けている。・・・・・・それゆえ、女性はこの関係のなかではどこにも、たんなる人間として登場することができない。文化的、政治的、経済的領域であろうと、あるいは家族の領域であろうと、場合によって支配従属関係がある、またはない、というように変わっていく関係性のなかに女性は存在しているのではない。つねに、あらゆるところで、女性は両性関係のなかに生きている。それゆえ、生活を人間的なものにしていくためには、あらゆるレベルで変えていかなければならないのである。」220P
女たちのレーテを            コーネリア・ハウザー
 伝統的な解放の戦略とフェミニズム
「一、両性関係と女性の抑圧とはこれまで、どの国でも、どの理論でも体系的な研究の対象とはなっていなかった。」221P
「二、これまでの解放理論はつねに解放理論の論理でその論法で、政治的主体がそのなかでどのように行動するかを考えていた。」――「もう一つの領域は公的社会(パブリック)である。批判的社会科学ののなかに重みを占めており、政治的な調整原理を備えているこの社会領域は、賃労働と同じように男性的に構成され、支配されている。・・・・・・解放のプロセス、両方の領域のなかで女性の抑圧をともなってのみ、もっときつくいえば、女性を抑圧することによってのみ達成することができる。」221P
「三、第三の点として、社会主義的な構想においても、性別役割分業がとりいれられていることをあげたい。」――「性別役割分業は、支配的な側面がその決め手となりうるにもかかわらず、社会全般の解決策としてとり入れられることとなったのだ。」222P
「四、男女関係の「自然さ」は、解放理論のなかでも問い返されることのなかった点である。」222P(・・・マルクスの物象化論からのとらえ返し)――「女性という社会的構築されたもの(ジェンダー)はつねに、どこにおいても従属、不利、資源と権力への(男と比べて)不均衡なアクセスとに結びついているということは、世界的にいえることである。・・・・・・性の社会的構築との闘いから直接的な利点を引き出すのは唯一、女性だからである(たとえば、生活手段の生産のなかで別のものと分類されている理性が間接的に与える利点は、ここでは視野に入れていない)。フェミニズムなくして解放された社会は考えられないのです。」223P
「では、なにをなすべきか。・・・・・・ヒエラルヒー的な知の概念と前衛的な真理の独占が存在していた労働者運動の伝統に対して、女性の運動は知と認識とを複数化した。ヒエラルヒー的政治モデルに対して、女たちは網の目のようなものを対置した。唯一の社会問題に対して、女たちは同時的に女性のあらゆる問題を水平的に闘った。女の運動は学びの運動だった。女たちは争って知を得た。男たちに支配されていた認識の神殿からそれをひったくりとった。女たちは新しい知を生み出した。/このような見解で、フリッガ・ハウクとわたしは、数年前から女のレーテという政治モデルをうみだした。基本となっている考えは、個人的なものはより政治的に、政治的なものはより個人的なものにすることができるということ、そして明確な政治領域の闘いに足を踏み入れるために、われわれは女性だけの闘いの場を必要とするということである。・・・・・・女のレーテとは、政治的な権力関係に水平的に作用する構造をとり入れさせるための一つの可能性である。」223-4P
[資料]女のレーテ
「女たちが独自に国会に進出しようというアイデアがドイツにおいて論議の対象となったのは、すでに一九一九年のこと、当時の女性運動においてであった。・・・・・・/その最大の目的は、女性議員の数を増やそうというものであったが、このリストが実現することは一度もなかった。」224P
「政治という場の戦場に入りこむためには、我々は女性のための闘いの場を別にしつらえなければならない。/我々の求める政治の形態はさまざまな領域の間をむすびつけるものである。いいかえればそれは個人的なことをより政治的にすることであり、また政治的なことをより個人的にすることである。/ここでひとつの提案をしてみよう。女たちは市民社会において結集し、女のレーテを設立しよう。」226P
「レーテのもっとも重要な使命は、――これはせいぜい国会活動によって上手にサポートされるだろうが、国会がここに肩代わりをすることはできないだろう――一般に強化されつつある再私有化の措置を組織的に拒否し退けることである。」227P
「彼女たちがどう決断するかは、これからリストがどのように発展するかにかかっており、個人個人が相反するものの一方を選択するということになるだろう。つまり現にある政治組織や労働組合組織において闘うか、または女性として独立した組織を共同で設立するかという選択なのである。」228P
ローザ・ルクセンブルク邦語文献目録
 読めていない本が多く、ローザの本格的学習をするには、5年か10年が必要ではないかと思っています。わたしのローザ学習は目的があって、その過程での学習なので、そこまでやりきれません。学習のほとんどが中途半端なものになっていくことに、「内心忸怩たる思い」にとらわれていきます。
あとがき
「ローザ生誕一二〇年を記念して、女だけで企画し、準備した「今、女たちから世界の変革を」と題したシンポジウムの意図は、次のような「よびかけ」に表現されています。/「東欧に続くソ連の激変は、ロシア革命に始まる世界の『社会主義の一時代』の終わりとその危機を示しています。それはある意味で男たちの『これまでの社会主義と文化』の崩壊であり、女たちがその責をひとり男たちに委ね、傍観する事はできず、世界を救う可能性を秘めて、人間として、己の人生を考え、社会の変革を求めて動き出してゆく時代の始まりといえないでしょうか。(中略)私たちの解放への希望とその模索のために、遠い日透徹した眼と、気高く、しなやかな魂をもって、真っ直ぐに生ききったローザと出会い、これを機会に、私たちの『今』を問うてみようではありませんか」」233P・・・繰り返していますが、ある部分に差別的な社会体制を「社会主義」とは呼べません。

(追記)
(社会主義の定義)
・労働者の搾取がないこと、消滅する方向で進んでいること
・差別が解消される方向で進んでいること
・生産手段の私的所有が廃止されるか、解消される方向で進んでいること
・共同体・共同性において、共同的決定から排除されることがなくなること、なくなる方向で進んでいること
・すべてのひとが、生きる保障が対等になされること、その方向で進んでいること

(反差別と階級闘争)
差別の問題を総体的にとらえ返し、個別被差別を越えた反差別の連帯を希求しながら、個別差別も問題にしていくこと。反差別は、自らの被差別事項に反対するだけでなく、すなわち差別されるのは嫌だというだけでなく、差別する、差別するのも(より)嫌だということから、差別の問題を掘り下げてとらえて、「差別の構造」のようなことをつかみ、その「構造」自体を解体していく闘いが必要になっています。

「社会主義勢力」のなかでは、歴史的に差別の問題をとりあげたのは(階級闘争)右派でした。(階級闘争)左派は階級闘争至上主義に陥って、反差別闘争にとりくみませんでした。階級も差別の問題であるということをとらえ、継続的本源的蓄積のなかでは、差別の問題に階級差別がしわ寄せされる・転化させられる構造をとらえ返すなかで、反差別の闘いにとりくむ必要があります。

ローザをなぜフェミニストは取りあげようとするのか、@ローザが男と対等に渡り合えた革命家――正負A反戦思想――「戦争は女の顔をしていない」Bフェミニズムをつきだしていないけれど、「継続的本源的蓄積論」のなかに、反差別の思想があるから。(ただし、「男並みに」というところから、男たちの武装蜂起――権力奪取という論理にひきづられた)

(フェミニズムと反差別)
「マルクス主義フェミニズム」は、家事や教育ということを労働力の生産・再生産活動と押さえました。そのことの中にはマルクスの流れから出た唯物史観的観点があったのです。その活動をシャドーワークとして押さえたのですが、それを「家事労働」として突き出すことから混乱が生まれました。ワークとラバー(商品生産活動)は区別されることです。資本主義社会では、労働者が労働力商品になるという物象化的錯認があるのですが、それを批判する立場で、その物象化批判が必要なのです。
もうひとつ、混乱をもたらしたのは、家父長制概念です。「マルクス主義フェミニズム」は、性差別を資本制と家父長制という二元論的把握をしたのですが、そもそも家父長制という概念は封建主義的性差別関係としてでてきたことで、それが遺制として残っているというとらえ方になってしまいます。これは「封建遺制」的な概念をどうとらえるのかというところで、日本資本主義論争として展開されました。これはわたしは部落差別のとらえ返しのなかで学ぼうとしたのですが、部落差別は資本主義の成立のなかで、資本主義的身分制度の中に組み込まれていったのです。ですから、家父長制を封建主義的な残存として語るのではないとき、新しく形成されていった差別というところからとらえかえす必要があります。今日的には、すでに家父長制概念から切り替わったジェンター論、性別役割分業論として押さえ直す必要があります。ただジュディス・バトラーが突き出した「ジェンダー・トラブル論」から、これも脱構築の対象になっています。わたしは、むしろマルクスから出てきて、廣松渉さんが新しい展開に踏み込んだ、「物象化批判フェミニズム」ということとして展開していくことではないかなどと考えています。わたしは一時期、わたしの個別被差別事項当事者であった障害問題から、反差別論総体の学習のために、とりわけわたし自身が実践的に対象化できないこととして、みずからの差別性の止揚をせめて理論的に押さえるとしてフェミニズム学習にとりくみ、一時期障害問題の本よりもフェミニズム関係の蔵書が多いということもあったのですが、とても、「物象化批判フェミニズム」までふみこめそうにありません。フェミニスト当事者やLGBTQ当事者の登場を待つしかありません。

(上野――江原論争)
この本(『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』)で取りあげられている、上野――江原論争は、実はマルクスの唯物史観をめぐる論争であったのです。わたしの場合は、差別の問題の学習での初期に八木晃介さんの反差別論を読みながら、この反差別論が、差別=差別意識ということになっているとして批判し、マルクスの唯物史観からする反差別論を展開しようとしてきたのです。実は、このあたりは、マルクスが上部構造への働きかけよりも、土台(下部構造)の変革を求めてたところで、武装蜂起――プロ独論を突き出したことともつがっています。このあたりは、必ずしも二者択一的である必要はなく、たとえば、イタリアの協同組合運動という土台と上部構造を連関させる運動もあるわけで、この連関をつかんだところの運動展開が必要になっていると言いえるでしょう。この話は大越論文の「スピヴァックの実践の普遍性」につながることです。



posted by たわし at 18:51| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする