2020年12月17日

NHKEテレ「ハートネットテレビ 京都ALS嘱託殺人事件」

たわしの映像鑑賞メモ045
・NHKEテレ「ハートネットテレビ 京都ALS嘱託殺人事件1 視線でつづった586日」2020.11.3
・NHKEテレ「ハートネットテレビ 京都ALS嘱託殺人事件2 “安楽死”をめぐって」2020.11.4
この番組は、043でとりあげた事件で、1で嘱託した当事者の心の軌跡と彼女と接触した周りのひとの反応を追い、2で“安楽死”ということからこの問題を当事者や学者、“安楽死”問題を「障害者」の親の立場から追いかけてきたフリーライター(註1)の話でつなげています。そして、「患者」や介護に関わるひと、一般のひとの意見も織りばめています。しかし、それは必ずしも、当事者が生きるという方向になっていないのです。
1で印象に残ったのは、テニス鑑賞の趣味でSNSで友達になって、死へ誘われている当事者をなんとか翻意させようとしていたひとがビデオで出ていました。そのひとが、当事者が亡くなった後で、SNSで「死ねて良かった」とそしていう投稿が出ていて、むしろそちらが多数派だったというようなこと話していました。この話は、そもそも、一般的に「延命処置を望むか?」というアンケートに8割のひとが「望まない」と答えることとか、介護資格を取得する民間の講座で、受講生に「延命処置を望むか?」と質問すると、8割のひとが「望まない」と答える話(註2)にもつながっています。要するに、「安楽死」ということばは、今回2の学者のひとの話として、そもそも死ぬときに安楽なのかというはなしが出ていた、あいまいな概念なのですが、それに変えて、「尊厳死」という更にごまかしの言葉も出ています。これは、そもそも、「障害者」の介助や高齢者の介護がきちんとなされないなかで「尊厳がない状態にされる」(註3)というところで、「尊厳死」などいう言葉が出てくるのではないかと思います。それに、そもそも「他者の世話になって生きる」こと自体を否定的にとらえる現代社会(資本主義社会)の否定的な考え方があります。「障害者」に対する差別的な観念がこの社会全体に広く行き渡っているのです。だから、生まれたときから「障害者」であったひとたちは、生きるために、そのような思想に対峙し開き直って生きる術を獲得していくひとも出てくるのですが、中途「障害者」たる、「患者」や高齢者は、この社会に広く行き渡っている、「身辺自立」とかQOL(生活の質)とかいう「健全者幻想」(註4)にとらわれて生きて来たことから転換することが容易ではありません。今回の嘱託殺人の「依頼者」当事者も、まさにそういった社会一般にある、人間像や世界観にとらわれたところで、「できない」――「できなくなる」ということを巡る優生思想的なところにとらわれたところでの「死にたい」という思いにとらわれたのだと思います。
わたしは「障害の社会モデル」のとらえ返しをしています(註5)。その考え方からすると、この社会に広がる優生思想的なところに殺されたのだということができます。
NHKは、そもそも政権擁護なのですが、福祉に関わることはそれなりに踏み込んではいますが、報道の中立性にとらわれ(註6)、両論併記で問題提起に留まっていて、出口のない閉塞感にとらわれる番組作りに終わっています。
 わたしは決して、出口がないとは思っていません。まず、「ALS」の当事者と家族の会は、喀痰吸引や胃瘻の注入が医療者や家族でないとできないとされていたことを、交渉を積み重ね、介護者の資格をもつひとに拡げました。ただ、制度を作っても、利用するひとの意識、介護をするひとの質量の保障がなければ、生きがたくなります。そもそも、この社会の「障害者」や「難病者」へのとらえ方が否定的であれば、そのことに、当事者も介助者も規定されていきます。
 そもそも、自死したいというひとがいて(註7)、実際に実行しているひともいます。この社会がそもそも多くのひとにとって生きがたい社会になっています。「中途障害者」の自死願望や高齢者の「ポックリ死にたい」という事が出て来るのは、その極としてあるのです。なぜ、そのような事が出てくるのかをとらえねばなりません。この社会、資本主義社会では労働力の生産・再生産に関わること自体がコストなのです。だから、福祉に関わることが切り捨てられ、抑えこまれるのです(註8)。だから、そもそも根本的に社会を変えようということの中でしか展望は出てこないのです。一時、オルターグロバリーゼーションということが叫ばれ、「もうひとつの世界は可能だ!」というスローガンが叫ばれ、反サミットということでいくらかの盛り上がりがありました。しかし、その運動はしぼんでいきました。なぜか、「もうひとつの世界」のイメージがつかめなかったからです。そもそも、資本主義批判の中で、マルクスが共産主義の概念を突き出しました。その流れが、ロシア・東欧、そして中国において「社会主義国家」を建設したとされていました。しかし、それはそもそもプロレタリア独裁が党の独裁になり、また社会主義への移行に失敗した国家資本主義に陥ったのです。それを「社会主義」と称して、それを維持するために監視社会、全体主義的な国家になってしまいました。それを「社会主義」として曲解することから、「社会主義」への幻滅が広がっていきました。そのような曲解の下で、出口のない厭世主義的な閉塞感が広がっていったのです。そのようなところを押さえたところで、きちんと社会変革運動の過去のとらえ返しをしながら、改めてきちんと情況をとらえ返して、社会変革の道筋を示していくことのなかにしか、閉塞感を脱する道はないのでと言いえます。わたし自身、微力ながらそのような作業に取り組んでいます(註9)。


1 児玉真美さん、自分の「障害児」の子どものことで本を出し、その後いくつの著作を出し(「読書メモ」 240,242,243,249にブログ)、ヨーロッパの安楽死――尊厳死の問題でインターネットで情報を発信続けています。
2 これは高齢の母を看取った後に、その反省と介助の勉強をしておきたいと通った、高齢者介護の講座で、実務者研修のコースでの講師の話。
3 昔の介護の研修では、講習生におむつの中で、排尿・排便をしてみる、という体験から、介護の必要性の自覚をさせるということをしていました。それが、現在では、講習では差し込み便器とか、尿瓶の講習もあるのですが、すでに介護の仕事をしている講習生から「現実にそんなことやっていない」という話も出ています。
4 「健全者幻想」とは、青い芝のひとたちが中心になって突き出した概念。そもそも殆どのひとが「健全」などない、理念的なことなのに、「障害」がないという幻想的なことを追い求めることを、「健全者幻想」と言います。それだけでなく「障害者」自身も子どもが生まれたとき、「五体満足」か、思わず見てしまう。自らの存在を否定する、内なる「健全者幻想」にとらわれてしまうもことを、問題にしてとらえ返しをしていました。
5 以前出した本(『反障害原論』)の中で書いて、その後「『反障害原論』への補足的断章」という形で文を書いています その一連の論攷は、次のURLから
  https://hiro3ads6.wixsite.com/adsshr-3/c
6 そもそも「中立幻想」ということがあります。「安楽死――尊厳死」を合法化する法律を作る運動があり、そのことをきちんと批判しないマスコミは、批判と推進の両論併記しようとする動きになってしまい、結局、このような事件のとき、結局、「死にたい」という思いがどこからきているのかを押さえた、それを抑止する報道はなしえません。
7 わたし自身、マージナルパーソン的な「障害者」当事者として、優生思想にとらわれる中で、「自死願望」にとらわれた思春期をおくりました。そのことの反省の中で、みずからもとらわれた優生思想への批判と、「障害者」の存在を否定する論攷への批判をなしきろうという試みの中で、文を書き連ねています。
8 このことは、マルクスが『資本論』を中心にした著作の中で、展開していたことです。これを、コストにしないためには、そもそも経済体制を変え、基本生活保障をきちんと確保する体制をつくらねばなりません。
9 これはよりよい社会を作ろうという社会変革志向の運動が陥った矛盾――ときには暴虐の歴史の総括なしにはなしえません。その運動はマルクスの思想の流れから、その踏み外しとして出てきています。それがどういうことなのかを押さえるためにも、マルクスの思想の流れの論攷を読み解く作業をしています。そこから、わたしとしては、その運動の端っこで参画していたにすぎないことですが、それでも主体性はもっていたところで、現代の運動の総括に進んでゆくつもりです。それがわたしの学習の一つの柱になっています。


posted by たわし at 04:43| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローザ・ルクセンブルク/岡崎次郎・時永淑訳『経済学入門』

たわしの読書メモ・・ブログ549
・ローザ・ルクセンブルク/岡崎次郎・時永淑訳『経済学入門』岩波書店(岩波文庫)1978
 ローザの学習12冊目です。ローザ自身の著作で、経済学書2冊目。
これはローザが党学校で講義しているときに作ったノートを経済学入門書として分冊として出版化しようとしていた何度かの試みの中で、結局生前中には果たせずいた(一部(1章)は印字されていたようなのですが)、草稿のままになっていた未完の書。何度か、その草稿をまとめる形で出版化されているようなのです。これは原書のタイトルをそのまま訳すると、「国民経済学入門」となるのでしょうが、中味としては「国民経済学批判としての経済学入門」となっています。ローザが暗殺されたときも、この草稿を書いていて、暗殺部隊によってその原稿が破棄されたとも言われ、まさにいくつもの欠落部分のある草稿です。ローザの経済学書には主著ともいうべき『資本蓄積論』があり、その影に隠れてしまうのですが、この草稿群もきちんと残っていたなら、マル・エンの草稿「ドイツ・イデオロギー」のように編集論議がなされることではなかったかもと思われるのです。
この本は、ローザは、この本を労働者にとっても分かりやすい入門書として書いているので、現実にとらえられる現象のようなところからとらえ返し、そこからマルクス派の経済学につなげようとして本で、マルクス派の経済学にそのような「入門書」はなかったので、翻訳も含めかなり読まれていたようです。
さて、訳者が解説でかなり分析してくれているように、三つの原稿に分かれるようです。まず最初が、「国民経済学とはなんであるのか?」というところの押さえ、経済学史的なところを展開しているところ、その中でマルクス派の社会主義の理論的前史といわれるような展開もあり、本源的蓄積論の草稿的な内容も書かれていて、ローザの理論はインターナショナリズムというところから、世界はつながっているというところで、国民経済学批判を展開しています。
二つ目が、原始共産制から経済的なことを基礎にして体制の歴史を押さえる作業をしているところ。これは、ローザの民族自決権批判には、ヨーロッパ内での植民地的支配の問題で展開しているところで、アジアやアフリカ、アメリカでの植民支配の観点が抜け落としているというようなわたしも含めたとらえ返しがあったのですが、ここでは、しっかりと、植民地支配の苛酷さを描いていて、それへの怒りも含めたとらえ返しがなされています。
三つ目が、『資本論』の第一巻のところのわかりやすい展開を試みたところ、マルクスの展開を、かなりかみこなした展開をしているので、『資本論』が頭に入っているひとにとっては、対比させてそのかみ砕いているさまも伝わってきます。ただ、部分的に疑問をいだくところもあるのですが、ともかく、これは最初の計画からも欠落したところがあり、また、そもそも、資本論総体からすると、ローザがこの書を書き上げていたら、どうなっていたかを考えてしまいます。
ちなみに、ローザはこの書を書きながら、第二巻への疑問が湧いていき、『資本蓄積論』に至ります。それは、「国民経済学」という範疇で収まらない、植民地支配など、外部のとされることをローザはインターナショナリズムの観点から、つながっていることとしてとらえ、その理論が継続的本源的蓄積論の展開につながっています。このあたり、マルクスには「帝国主義論の展開が希薄である」とされていることから、レーニンの帝国主義論の展開につながっていくのですが、現在的な植民地支配から脱したポストコロニアル時代、すなわち新自由主義的グローバリゼーションの時代には、むしろローザの継続的本源的蓄積論が活かせる理論になっているのではと思います。その継続的本源的蓄積論を反差別論から読みといていくことによって、社会変革の新しい理論として活かしていけることではないかと考えています。この書は、ローザのインターナショナリズムの経済的根拠を示しているとも言いえます。
さて、いつもの切り抜きメモですが、今回はテーマとページ数を章ごとに上げるにとどめます。
第1章 国民経済学とはなんであるか?
「このように巨大に発展している相互的交換に直面していながら、いったいどうして人々は、一国民の「経済」と他の一国民のそれとのあいだに境界線を引いたり、同様に多数の「国民経済」などと言ったりして、それらが経済的にまったくそれだけとして考察されるべき諸領域であるかのように言うのであろうか?」31P「この日々にますます緊密になり強固に合生して行って、あらゆる国民と国土とを一つの大きな全体として結合する経済的基礎と、諸国民を境界標や関税壁や軍国主義によって人為的にそれだけ多くの無縁な敵対的な諸部分に分裂させようとする諸国家の政治的な上部構造とのあいだの、広がりつつある矛盾ほど、今日目につくものはなく、これほど今日の社会的および政治的生活の全容にとって決定的な意義をもつものはない。」73P・・・連動する世界
5は本源的蓄積論から読み解く
分業とフェミニズムに関する事で押さおくこと79P
「もちろん、中央集権的官僚的諸大国家の確立は資本主義的生産様式の不回避的な一前提だったのではあるが、しかし、その確立はまたそれはそれとして同じ度合いでただ新たな経済的諸要求の一つの結果にすぎなかったのであって、・・・・・・すなわち、政治的中央集権の形成は「本質においては」成熟しつつある「国民経済」の、すなわち資本主義的生産の、一つの成果なのである、と。」105P・・・二面性、弁証法
「実際には、まったく別な諸力が、中世末期におけるヨーロッパ諸国民の経済生活における大きな変動が、新たな経済様式の到来を開始するために、働いていたのである。」106P・・・本源的蓄積論
国民経済学は、封建制批判から近代資本主義国家の定立としてイデオロギー的定立という意味108P
最初は商業資本109P
資本主義の定立112P
マルクス――エンゲルスの「共産党宣言」に至る社会主義の理論的前史116-8P
理念としてのイズムから経済学的な革命の必然性の理論へ120P
「いまや、なぜマルクスが彼自身の経済学説を公認の国民経済学の外に置いて、それを「経済学批判」と名づけたのか、ということは明らかである。」121P・・・外に置く
 国民経済学の最終章は世界革命122P
第2章 経済史的事実(T)
1 原始共産制 土地の共同所有
 モーガン147P
 グローセの単線的発達史観批判へのローザの批判166P・・・今日的なとらえ返しの必要
3 分配の方式 「文明」が実は「野蛮」
 革命思想との接続204P
4 経済的諸関係の標識
 人間の相互関係208P
生産手段へのひとの関係208P209P
第3章 経済史的事実(U)
1 マルク共同体的なこと
植民地支配と被支配地・抑圧の中での共同性
 インカのホロコーストと奴隷制と隷属
農地の割替223P・・・日本においてもあった
デモス(民衆)227P
マルク共同体(註)「数千年にわたる搾取と隷属の制度の強固な耐久的基盤として示されていただけではなくて、この制度そのものがまたやはり共産主義的に組織されていた、・・・・・・」233-4P・・・被抑圧民衆がいる中での共同性は「共産主義的」と言いえるのか? ギリシャの奴隷制の基礎に立つ市民の民主主義との対比
 原理の統一性のなさ235P・・・共同体内部の共産制ということと、抑圧の構造に組み込まれているという矛盾が「原始的諸制度」にあって、それを今日的な共産制ということが解体されたところで、「原理」的にとらえ返せない
 暴力の存在236P
 ロシアにおける土地の割り当ては租税のための義務272P
3 マルク共同体の解体とアジア的支配とヨーロッパ的支配の違い
 軍事の分業的析出による共同性の解体285P・・・軍事が共同性を解体する
 平等と民主主義のないところでは共同性が解体される291P
 回教徒の支配は政治に介入しない貢租と軍事支配293P
 ヨーロッパ人の支配は土地の収奪や奴隷化294P
第4章 [商品生産]
 労働299P・・・?労働⊂生産活動(仕事)
物々交換の世界316P-・・・『資本論』の価値形態論における論理的抽象の世界からのとらえ返し
 サブシステンスとしての必要な生産物320P
 第三項排除としての貨幣――家畜328P
「労働しない者は、食料を手に入れることもないであろう。」352P・・・「社会主義」(カギ括弧を付けているのは、反差別ということが押さえられていないという批判的意味で)の理念として、「働かざる者は食うべからず」ということがあるのですが、これは「労働」という概念自体のとらえ返しがなされない中で、障害差別的な言辞になっています。「障害者」は存在自体で仕事をしているという押さえをわたしはしています。
3 交換と分業/私有財産制
「共産主義社会を一夜のうちに破壊して自由な私的生産者たちの社会に転化させた突発的な破局としてわれわれが叙述してきた経過、この経過は、実際は数千年を要したのである。」330P
「すでに共産主義的共同体の胎内で、すべての可能な労働部門は専門化されていたということ、すなわち、社会内部の分業は非常に高度な発展を遂げていたということ、したがって、共同所有を廃止して交換を伴う私的所有が発生したときに、すでに分業は交換の基礎としてできあがっていたということ。」332P
「共産主義的な原始共同体では、まさに私的所有こそが排除されていたのであり、歴史が示すように、私的所有は、交換と労働の特殊化の結果としてはじめて成立したのである。」333P
「最初の交易も、共同体または部族の内部ではなく、その外部で、同一部族・同一共同体の構成員間でではなく互いに接触するに至った種々の部族や共同体のあいだで、行なわれた。」336P
第5章 賃労働
4 労働予備軍
5 相対的貧困
 相対的収奪を解決するのは革命しかない408P
第6章 資本主義経済の諸傾向
グロバリーゼーションの時代の予期436P・・・この論攷が最初のインターナショナリズムの話に回帰している

(追記)
ローザは、マルクスの思想をそのまま踏襲するのではなく、自ら他の文献をあたり、テキストクリティークしながら論を形成しています。この書の2章・3章はローザの古代社会ノート的展開になっていて、ローザの植民地支配批判や反暴力主義・反戦思想ともリンクしていきます。ただ、ローザの反暴力主義・反戦思想からすると、マルクスの思想の流れから出てくる、武装蜂起―国家権力の奪取―プロ独から社会主義への移行ということが、当時の植民地支配や専制支配のなかで、対抗的に出てくるとはいえ、なぜ、「政治とは権力の行使である」というところにとらわれて行ったのかを考えています。そのあたりは、反差別ということを個別に取りあげない「普遍主義」のようななかで、「男並みに活動していく」ということから脱せず、反暴力主義の徹底化ができなかった側面もあるのではと思ったりしています。誤解のないように書いておきますが、わたしは反暴力主義者ですが、非暴力主義者ではありません。すでに、差別という暴力も含め暴力に支配されているなかで、非暴力主義は「戦術」論的にしかありえません。


マルク共同体
ゲルマン社会および中世ドイツにおける共同用益地 (森林,放牧地,沼沢など) の用益,管理を担当する組織をさす。古ゲルマン社会で,個々の家族に属さず,個々の家族の所属するある定住団体が所有し,その団体成員によって共同に利用される土地をマルクと呼んだ。一つの村落がマルク共同体を形成したり,あるいは数個の村落がマルク共同体を形成していたと考えられている。森林その他の共同地が相対的に狭くなり,その用益統制が必要になった時代に,いろいろな定住団体を主体として形成されたと考えられている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)




posted by たわし at 04:34| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローザ・ルクセンブルク/肥前栄一訳『ポーランドの産業的発展』

たわしの読書メモ・・ブログ548
・ローザ・ルクセンブルク/肥前栄一訳『ポーランドの産業的発展』未來社1970
 ローザの学習11冊目です。もう一度、ローザ自身の著作。しばらく経済学書。
これはローザの亡命中でチューリッヒ大学に提出された学位論文。この書の訳者解説にも書かれているのですが、レーニンの著で同じくらいの時期に出された『ロシアにおける資本主義の発展』があり、レーニンの『帝国主義論』が出された時期にローザは「帝国主義論」の内容で『資本蓄積論』を書いています。二人の問題意識の重なり合いが読み取れます。レーニンは、『ロシアにおける資本主義の発展』で、後発の資本主義の成立から、工場制機械生産をとりいれることによって、かなり資本主義が発達し、単なる専制国家的(アジア的)帝国主義ではなく、資本主義的帝国主義の内容をもっていて、後の労農同盟によるプロレタリア革命の可能性の途を探り、それが一九一七年の二月革命の後の四月テーゼから、十月革命に結びついていきます。
一方、ローザのこの著は、ポーランドの資本主義の発達情況を押さえています。レーニンとローザの間での論争で、レーニンはポーランドの問題でローザが押さえ損なったと批判していることがあります。レーニンは、民族自決権を突きだしています。レーニンは抑圧民族は民族主義的なことを突きだしてはならないけど、被抑圧民族は、むしろ植民地支配から脱する民族主義的な突き出しが必要だとしています。そこで、ポーランドをロシアの植民地というような押さえ方をしているのですが、ローザはむしろポーランドの方が資本主義的に進んでいて(進んでいる面もあって(註1))、ロシアとの間で分業と交換がなされていた(ような面もあった)というような逆批判をしています。そのような突き出しに、この書が元になっているのです。さて、レーニンの民族自決権といわれることに対して、ローザはレーニンが組織論として出している(それは体制論にもなるのですが)超中央集権制と相反すると批判しています。いわば虚構としての民族自決権になっています。このあたりは、ローザも中央集権制そのものは否定していないし、前衛党の主導する武装蜂起革命――国家権力の奪取――プロレタリア独裁というマルクス以来の流れに棹さしているのですが、このあたりは二人の生きた時代は、植民地支配と再分割の帝国主義間戦争という暴力支配が横行していた時代で、そこから、前衛党による武装蜂起革命論が出て来ているとも言いえます。ローザが自然発生性という処を突きだしているところで、ローザも肯定的に書いている前衛党論や中央集権制、国家権力の奪取、プロ独というながれ自体を現在的にとらえ返すことが必要です。勿論、右翼やファシストはテロリズムを常套手段にしているところで、非暴力主義はありえないのですが(勿論、「戦術」としての非暴力主義を否定するものではありません)。
さて、この書で、ローザはポーランドがいかに資本主義として成長しているかを書いています。特にロシアとの関係においてです。そして、ロシアもアジア的帝国主義支配や関税などの政治的支配をポーランドに対して(かならずしも)しかけていないとしています。このあたり論争は、訳者解説で、ヴィニアルスキ/ローザvsヘッカー/カウツキー/エス・ゲー/シュルツェ=ゲヴァーニッツとなっているのですが、両論併記になっていて、そのかみ合わせ、ローザの批判は書かれているのですが、それと批判されている側からの、論攷が真逆になっていてローザが批判しているのに、ローザに対する反批判は余りなされていません(註2)。
さて、レーニンとローザの間で民族自決権の議論が軸になっているのですが、これは双方もマルクスの流れに棹さしているので、それからする唯物史観的とらえかたからする、経済的とらえ返しとしての両者の資本主義の発展段階を押さえる作業が重要な位置を占めます。ローザはロシアの植民地としてのポーランドというとらえ方を批判しています。もうひとつ、政治的なことからすると、ローザの「仲間」(註3)たちがロシア革命の中で、かなりいろんな位置を占めていて、それは植民地支配されているひとたちの動きにはなっていないし、その「仲間」が民族自決権批判の考え方をだいたい維持し続けたということからも、植民地ポーランドという押さえ方は出てこないのではとも言いえます。
ここで、民族自決権ということを押さえておくと、ローザは主にポーランドとロシア関係から、この民族自決権批判をしているのですが、他の関係から押さえる必要があります。とりわけ、欧米の「帝国主義」とアジア・アフリカの植民地支配していた国の独立運動をどうとらえるのかということが重要になってきます。ローザもロシア――ポーランド関係とは別の関係を必ずしも考えていなかったわけではありませんが、今のところ、そのことに言及した論攷を見いだし得ていません。このことも含めた民族自決権のとらえ返しが必要になってきます。
ただ、今日的には、ユダヤ人のイスラエル建国によるシオニズムによるパレスチナ人抑圧をとらえ返すと、民族自決権のもっとも醜悪な例として押さええます。ローザもユダヤ人で、世界に分散したユダヤ人に民族自決権という発想はでてきません。そういう意味でも、民族自決権の批判をしたのではないかとも言いえます。
さて、帝国主義論を巡るレーニンとローザの論争ですが、わたしは、レーニンの「帝国主義論」は植民地支配時代の革命論でしかなくなるのですが、ローザの「継続的本源的蓄積論」は、差別という処から読み解いていくと、新自由主義的グローバリゼーションに対抗する反差別共産主義論として定立し得ると考えています。しかも、ローザの思想を深化させていくと、民主主義は封建制・王制に対峙するものとして生まれたにせよ、現代的には民主主義に対峙しているのは、国家主義ではないかとも言いえます。そのことを押さえた上で、マルクス、レーニンの時代の革命論も生み直しが必要となっているのではないでしょうか?
さて、ここから切り抜きメモに入るところなので、それなりの準備をしていたのですが、前の読書メモと同じように、もやもやとした部分があまりにも多く、うまくメモをとれそうにありません。メモをとらないと頭に入ってこないので、メモをとってきた経緯もあるのですが、民族問題で、再読の本『民族問題と自治』もあり、先を急ぎたいので、ここでは禁欲しておきます。


1 斜文字は、ローザとその批判者の対話がかならずしもかみあっていず、ローザの主張を再検討する意味で曖昧化させた表現をとって置きます。以下括弧内の斜文字は同文。
2 ナフサの価格の高値に関する批判は出ています。これは、どちらの理論に正当性があるのか、よく分かりません。現在的にも石炭が生き残っているという面からすると、ローザへの批判は必ずしもあたらないと思っています。その他は文献をちゃんと読んでいないわたしが探し出せていないだけかもしれませんが。
3 この概念は、ネットルが出していることで、かなりのひとがユダヤ人でポーランド人、そして民族自決権批判の立場を持ち続けてたグルーブなのです。


posted by たわし at 04:31| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』

たわしの読書メモ・・ブログ547
・J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5
 ローザの学習9・10冊目です。ここからローザ・ルクセンブルクへの評論3・4冊冊目。上・下に分かれていて、実に精細に資料を当たり、かなり独自の分析も生み出した意欲的な書です。ただ、前の二つの評伝が、運動サイドからの書であるのに対して、このひとは運動とはほとんど関わらなかったひとです。下の「訳者あとがき」に「ネットル自身が、直接に社会主義運動の党派といっさい関係を持たず、したがって、ローザ評価の上でも政治的な意味あいでの「価値判断自由」の立場にあったことである。・・・・・・私生活から政治生活にいたる人間ローザの全貌を、「あくまでもひとつの人生とそれをとりまく世界の叙述」として描ききっている。」516Pとあります。それで、著者は、ローザの人物像を描き出しています。まあ、客観主義的というところで、それを客観的と読むところで、この書の評価が高くなっている面もあるのですが、「かなり独自の分析」の中には、おかしいと思えるところが多々あります。
 まずは、ローザの容姿やふるまいとか感情的になることなどをいろいろ書いているのは、わたしがローザに反差別論から接近し、ローザの中にそれを読み解こうとしていることからすれば、確かに、いろいろ自身も差別社会の中で生きていて、差別的なことはひきずってはいても、むしろそれらのなかで、どう運動を評価するのかと言うことにおいて、むしろ話の焦点をずらしているのではと思っています。また、「カウツキー氏をなやました最初の出来事のひとつはユダヤ人的な焦点の定まらない話と、大喰いであることであった。」下435Pなどという記述に、著者のヘイト的差別的なことを感じています。さらに、著者はスターリンの民族政策とローザの民族自決権批判が似通っているということを書いているのですが、それはローザが、民族差別を越えたインナーナショナリズムを突き出していて、確かに個別差別をきちんと突き出してはいないのですが、潜在的に反差別という姿勢は基本的に持ち続けていたし、それに対してスターリンは、レーニンから引き継いだ中央集権制によって、レーニンの民族自決権などは言葉だけにして、現実的に民族抑圧する立場に立ってしまっています。根本的にローザとスターリンは別の位相にあるとしかとらえられません。
そして、フレーリヒのことを転向者というようなことも書いているのですが、それはフレーリヒが運動の本流からはじき出されて、著作や編集などの仕事をしていたことを、何をもって転向者というような規定をするのか、よく分かりません。
感情的なこと、秘書を叱りつけたというところ、それのひとつの理由は猫のはなし、それから民族的なことを出したという話、これは ローザの危惧した民族的な突き出しがイスラエル建国――シオニズムとなって現れたことをとらえると、ローザがユダヤ人として、ユダヤ民族の突き出しがどのようになるのかを想定していたこととも相俟っているのかもしれません。ちなみに、この本の訳者が、「実践的な問題で、ピーター・ネットルが関係したものがあるとすれば、それはイスラエル問題である。かれがイスラエルを支援している事は、はっきりと言わずとも態度にあらわれていた。」518Pということが書かれています。要するに民族問題でローザの論をこの著者がどこまで理解していたのか、共鳴していたのか、どうも分からないのです。この書は、著者の探究心で客観主義的にローザをとらえ返そうしていて、わたし自身の運動の立場からすると、運動の総括とかその中における苦悩とかいうような側面が感じられない書になっていて、何か違うということを感じながら、いろいろ論攷自体にも疑問を持っていました。
 それらのことから発して、もっと著者の論攷を吟味しつつ、テキストクリティークしながら、この本で使われている膨大な資料を読み解きながらを再構築していく必要があるのでは感じていました。ただ、語学に弱いわたしには、とてもその力はありません。
 それでも、ローザの資料としてはとても大切で、少しでも特に大切なところをいくらかでも抜き書きしておこうかという思いはあったのですが、そもそも抜き書きした資料の評価、著者の臆断のようなことの吟味のための資料の読み込みができそうにありません。で、今回は抜き書きを止めます。
 で、評伝がここで一段落しますので、あくまで中間的なこととして、ローザの現時点でのとらえ返し、とりわけレーニンとの対比でもローザへの批判の項目をあげるというところから初期的なとらえ返しをしておきます。この本自体の読書メモからかなり逸脱してしまいます。
 さて本題に入ります。
ローザは、反戦、反帝国主義、インターナショナリズム、修正主義批判というところで、その論攷を展開しています。
わたしのローザに対する疑問は、なぜ、ローザはいくつもの自らの抱えている被差別事項――女性、「障害者」、ユダヤ人、ポーランド人――があるにも関わらず、それを突き出ししなかったのか、ということです。そのことを最大の課題にしつつ、レーニンとの対比、レーニンのローザ批判、そしてローザの「ロシア革命論」で指摘したところを少し対比しておこうかと思います。
読書メモ545からの再引用です。
「「パウル・レヴィ(ローザとリープクネヒト亡き後にドイツ共産党を牽引したひと)は、いまローザ・ルクセンブルクがまちがいをおかしているまさにその著作を再版することによって――ブルジョワジーに、したがってその手先である第二および第二半インターナショナルにとくに奉仕しようとのぞんでいる。われわれはそれに対して、ロシアのある適切な寓話の一句でこたえておこう。それは、鷲は牝鶏よりひくくおりることもあるが、しかし牝鶏はけっして鷲のようには飛びあがれない、ということである。ローザ・ルクセンブルクはポーランド独立問題で誤りをおかし、一九〇三年にはメンシェヴィズムの評価で誤りをおかし、資本蓄積論の理論で誤りをおかし、一九一四年七月には、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデ、カウツキーその他とともに、ボルシェヴィキとメンシェヴィキの統合を擁護するという誤りをおかし、一九一八年に獄中の著作で誤りをおかした(ただし、彼女自身、出獄後、一九一八年の終りか一九一九年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した)。しかしそうした誤りにもかかわらず、彼女はやはり鷲であったし、いまでも鷲である。そして彼女についての記憶が、つねに全世界の共産主義者にとって貴重であるだけでなく、彼女の伝記と、彼女の著作の全集(このことでは、ドイツの共産主義者は、がまんのできないほど立ちおくれており、ただ、彼らの苦難の闘争での前代未聞の多くの犠牲ということで、わずかにいくらか言いわけされるだけである)は、全世界の共産主義者の多くの世代を教育するうえに、もっとも有益な教訓となるであろう。<一九一四年八月四日以後、ドイツ社会民主党は悪臭紛々たる屍である>――ローザ・ルクセンブルクのこの名文句とともに、彼女の名は、世界労働運動の歴史にのこるであろう。」(「政論家の覚え書」、一九二二年二月末、『レーニン全集』第十三巻、大月書店)」431-2P
ここで、レーニンはローザが「自分の誤りの大半を訂正した」とか書いているのですが、この著者は憲法制定議会の問題だけ撤回しただけだということを書いています。ただ、ブログ545フレーリヒの本の中で、「仲間」が、ボルシェヴィキのロシア革命の批判をするのに対して、ロシアの事情のようなことを語って、ボルシェヴィキの革命を成功させるための自分たちの革命の任務の話をしているところがあり、このあたりが「訂正」としてとらえられるようなのですが、これは例えば、ボルシェヴィキが農業問題で、当初農地の分配を批判し、共同所有を主張していたのに、革命の過程で社会革命党(実は、それが影響力をもつ農民を)を自分たちのところに引きつけておくために、土地の分配に応じたとかもあったわけです。そのようなレーニンの現実主義の理解を、ローザがまさにドイツ革命の真只中で現実主義的なところもとらえ返したということがあったのかもしれません。このあたりトロツキーが、ローザと同じようにレーニンの中央主権制批判をしていたのに、結局レーニン――ボルシェヴィキと合流していったことにも通じていきます。それは、この時代に革命の可能性として、武装蜂起――国家権力の奪取――プロレタリア独裁というころでしか革命の可能性がとらえられないということがあったのだと思います。ローザには反戦の思想があり、武装蜂起のイメージがつかめていず、むしろ、それは反戦の思想からする武力的なことへの忌避のようなことがあったのではないかと言いえます。このあたりは、レーニンの現実主義とローザの原則主義という対比でとらえられ、ローザは原則主義(批判派からすれば、「理想主義」とか「ロマン主義」)ということになるし、レーニン的な流れから言えば、「原則主義的なことを言っていたから、ドイツ革命は敗北した」となるし、ローザの流れからすれば、「現実的なことを追い求めていった結果、スターリン主義なところまで行ってしまった」という批判になると言いえるでしょう。ポーランド時代からの「仲間集団」がロシア革命に参入した、そのひとりのジェルジェンスキーが初代秘密警察のチェーカーの長官になったということはローザにとってショックだったという記述を著者はしています。
反戦ということでいえば、「戦争はおんなの顔をしていない」という本のタイトルにもなった突き出しがあるのですが、これはジェンダー的なことで納得できないわたしなりに言い換えると、「戦争はひとの顔をしていない」。それで、「反戦はおんなが紡ぎ出してきた」と押さえたいのですが、そこからすると、レーニンの「帝国主義戦争を内乱に」なり、その展開形の「帝国主義間戦争を革命戦争に」ということになるのですが、ローザからは、そのような突き出しは出てきません。ローザは、フェミニズムの思想それ自体を対象化していませんでした。で、「男と対等に活動する」という段階に留まっていました。で、ローザは演説の中で労働者民衆に呼びかけるときに「父親」ということばを使い、ベーベルから「母親ではないのか」というヤジを受けたりしています。このあたりは、ヨギヘスとの恋愛関係から、ヨギヘスが男の女に対する支配のようなことで、ストーカー的になっていくことに悩みながら、一旦拒絶し自立していき、最後にはヨギヘスとの分業のようなところで、ヨギヘスは組織者として、ローザは理論とアジテーターという同志的関係として修復できたようです。この著者は、漠然としてそのあたりの関係をつかんでいるのですが、フェミニズムというところから、二人の関係をきちんとおさえる作業ができていません。このあたりは以前読んだ『女たちのローザ・ルクセンブルク』という本があります。ローザの一連の学習で最後からひとつ前に、再読してメモを残します。最後は、フェミニズムに特に留意しつつ読む予定の、ローザの『ヨギヘスへの手紙』。
 このあたり、フェミニズム的な展開があれば、反戦というところから、蜂起−プロ独ということをどうとらえなおしていたのでしょうか? もっとも植民地支配時代の暴力支配の横行する時代において、根源的反暴力主義はあっても非暴力主義にはならないのかもしれません。
 さて、ざっと書いてきたのですが、課題ごとにまとめて、それに少しコメントを添えておきます。ここに書くことはあくまで過程としての仮説的な提言です。ただし、仮説とか過程ということは、そもそも論はそのような意味でしかないということで、それでも過程として突き出す必要、そして、とりわけ、わたしは今、新しく論形成の試行錯誤をしているところで、特に仮説、過程という意味を強調しておきます。そして、ここでの展開にあたって、きちんと書かれていることを指摘していく必要があるのですが、ここで問題にしているのは、わたし自身のとらえ返し、とりあえず、記憶が苦手なわたしの記憶違いがあるかもしれないと危惧しつつも、論攷をさきにすすめたいという思いで、いろんな語弊を生むことを恐れず、あえて問題を含みつつも展開しておきます。あくまで過程として。
(1) 民族問題――インターナショナリズム
そもそも、「民族」概念とは何かということがあります。「民族」概念は、被差別民族が差別を告発するときに、有効です。差別する側の「民族」概念は、ナショナリズム批判として否定するしかないことです。レーニンは、一応その問題を押さえて、被差別民族の「民族自決権」を突き出し、ローザはそれを批判しました。ただ、レーニンは一方では、中央集権制を突きだしていて、ローザはそれと「民族自決権」は矛盾すると指摘しています。ローザは、ポーランド社会党の民族独立の方針を批判して、ポーランド社会民主党で動いていました。これは、ポーランド社会民主党で動いていた部分が、ロシア革命に参画し、かなりの位置を占めていたというところからすると、わたしはレーニンがポーランド問題でローザを批判した意味を理解できません。ただ、ヨーロッパ内の民族自決権とは違った、アジア・アフリカでの、民族独立運動を、ローザ的立場で否定できるのかという批判は起きてきます。サイードの「オリエンタリズム」も、その端的な批判例になっています。
これらのことは結局レーニンの矛盾を、スターリンは「民族自決権」を口先だけのごまかしととらえて、民族的抑圧を進め、レーニンが危機感を覚え、遺書でスターリン排斥を指示したというところに至ります。それはレーニンの死によって、その後の党内闘争で、スターリン支配体制が作られることによって、民族、いやそれだけななく、民衆総体への管理支配体制が作られて、この問題は押さえ込まれてしまいます。
現在的に、植民地支配から脱して、それでも経済的に支配される構図からすると、独立が良いのか、それとも内包された中での、拒否権というところで定立するのが良いのか、という問題が出て来ます。ローザは後者の考え方に至りついています。それは過程で、いっさいの差別を許さないというところで、改めて再構築されるべき事だということになっていきます。
(2) メンシェヴィキとの合同問題――運動の分裂批判
 これはレーニンは、革命闘争の核を作るとして、ずっと独自の党建設理論をもっていました。それで、ドイツ社会民主党や他の左翼的な国際的な働きかけとしてのメンシェヴィキとの統一の働きかけにうんざりしていたということがありました。勿論、レーニンは、現実主義者として、時としてそれらの働きかけも使いつつ、時にはメンシェヴィキ左派や社会革命党左派との利用主義的連帯を策動しました。その場としてのソヴィエトということがあり、そこでのソヴィエト独裁という突き出しがあり、それなくしてロシア革命はなしえなかったとも言いえます。ローザは原則主義者として、力を大きくすると言う意味で統一を提起していました。むしろ、それよりも、ドイツ社会民主党は、議論の場の保障という意味で、そして、異論を排除しないということで、ローザたちが除名されないで、党の中に居続けられたという側面が大きいのでしょう。それで、ドイツ社会民主党から分離しないで居続け、中央派が社会民主党から分離して、独立社会民主党を結成し、それに参加するまで社会民主党に居たのですが、独立社会民主党においても、長く分離しないままスパルタクスブントという形で中に居たのですが、ローザの反対の中でロシアと連帯していたラデクや内部的な分離の働きかけの中で、ドイツ共産党という形でやっと分離します。このあたり、武装蜂起自体がローザの意向に反して一揆主義的に動いてしまったという面もあるのですが、このあたりのとらえ返しが必要になっています。これは、(4)からのとらえ返しが必要です。
 ここで、押さえておくことは、ローザは結局メンシェヴィキ的なことを主張していたという批判が出ているのですが、メンシェヴィキは革命を抑止する方向で動く修正主義的なことの中にあったのに対し、ローザは修正主義、日和見主義批判を続けていたという明らかな違いがあります。
(3)資本蓄積論――帝国主義論――継続的本源的蓄積論
ローザの『資本蓄積論』はマルクスの『資本論』第二巻の資本の蓄積、資本の再生産論へのローザの読み込みになっています。レーニンは、マルクス――エンゲルスの思想の継承者を自認していましたが、ローザには過去の理論を検証にかけて、そのまま受けいれる姿勢はレーニンより薄かったようです。そこでの『資本論』第二巻の批判です。これに対しては、トニー・クリフが批判しています。しかし、その批判もちょっとちがうのではないかとわたしは思っています。それは、ローザは、マルクスの『資本論』第一巻の第一章の商品の価値形態論をどう押さえるのかというところでの「抽象化」ということと同じように、ここでも抽象化を行っているということをローザはおさえ損なっているということです。ただ、それを押さえて、その上でローザが提起していることを、次のステップとして、すなわち「帝国主義論」として別の巻なりで展開していく必要があったのです。それがなかったので、後に、マルクスには「帝国主義論を十分に展開し得ず、レーニンがその「帝国主義論」を書いたのだ」というマルクス――レーニン主義の定説の話につながっています。ちなみに、レーニンの「帝国主義論」も、植民地支配時代の「帝国主義論」で、これも現在的に不備を抱えています。むしろローザの『資本蓄積論』を継続的本源的蓄積論として、新自由主義的グローバリーゼーションの時代に、その支配の構造に必須的に差別ということで組み込まれたことをとらえ返すなかで、まさに、『資本蓄積論』が現在的な有効性をもったものとして浮かびあがっていると、わたしにはとらえられるのです。
(4)自然発生性への依拠(――拝跪)
 ローザの「自然発生性」の理論は、このあたり、レーニンの批判の対象にもなっているのですが、レーニンの批判とは別に「決定論になっていると」いう批判もなされています。このことは、そもそもマルクスの唯物史観からきていて、革命的情況のないときには革命が出来ないというはなしです。このあたり、「自然」という概念とリンクしていくのですが、今西進化論の、「変わるべきして変わる」ということにもリンクしていきます。ローザは、ロシア革命は起こるけれど、最後は敗北に終わる、敗北の中から何をつかんでいくかということを考えていたようで、それはドイツ革命の敗北も予感しつつ、一旦、動き出したからには止められないとして、革命に殉じたようなのです。レーニンも、ドイツ革命から世界革命に連動しなければロシア革命は敗北に終わると考えていたようです。それを、新経済政策として資本主義的な経済を導入し、理念だけは「社会主義」を装っていました。それをスターリンが党独裁、スターリン独裁の体制を作り、全体主義的に国家資本主義として延命させたのですが、60年を経て結局終焉しました。
 この自然発生性の理論は、自然発生性への依拠と拝跪の弁証法としてとらえかえす作業が必要です。
(5)修正主義批判
 レーニンがローザとの論争で唯一の自分が間違っていたとしたのは、カウツキーへのローザの修正主義・日和見主義批判を押さえきれていなかったということでした。ローザは、ドイツ社会民主党内でおきてくるベルシュタインの修正主義批判から始まり、つねに、この修正主義・日和見主義批判をしてきました。だから、(2)のメンシェヴィキと同様だという批判はとんでもない勘違いです。それぞれの置かれてきた状況の違いという事があり、そしてまたそこからくることも含めた、党組織論の違いということも押さえねばなりません。このあたりは、一応違いを押さえた上で、わたしとしては、単に学的探究心としてこのことを論じているわけではないので、現在的な組織のあり方、運動の作り方、関係性の作り方の問題として、このあたりのことを検証しつつ現実的に方針をだしていくしかありません。
(6)反戦――反暴力主義、武装蜂起とプロ独問題
 さて、ローザの特徴であげなければならないのは、ローザは反戦のひとだったということです。レーニンが「帝国主義戦争を内乱に」というテーゼと、そこから出てくる「帝国主義間戦争を革命戦争に」ということと、はっきりした違いが出ています。このあたり、『ローザ・ルクセンブルクの手紙』のなかででてくる水牛の話にあるローザの感性の問題があります(これに関する水牛の痛みに関する勘違いの指摘が出ていますが、それこそ勘違いで、ここで問題になっているのはローザの感性です)。そういう意味でローザは反暴力主義と言いえるでしょう。ですが、そもそも専制政治の中でひとが殺され、差別という暴力ということも含めて暴力支配ということのなかで、「反暴力は非暴力になりえるのか」という問題が出て来ます。とりわけ、植民地支配の中の暴力支配のなかにおいて、非暴力になり得ないという事の中で、武装蜂起論がマルクスの流れの中で武装蜂起論が出ていました。ローザもそこまではマルクスの主張の批判はしていません。その延長線上にプロ独の問題があります。プロ独の問題は、次の(7)にリンクしていくのですが、現在的には、新自由主義的グローバリゼーションのなかでの、継続的本源的蓄積論で差別というところで、資本主義の延命の途をもとめていく社会において、確かに差別というところではっきりした多数派としてある労働者への差別の問題、生産者手段の私的所有からの排除と労働力の価値というところでの差別分断があるにしろ、もはや、プロレタリアートの問題だけで、そこに一元化することで革命が語れないということがあります。
 このあたりのこと、むしろむき出しの暴力支配の時代に戻る可能性とそれに対抗する闘い、という問題も含めて、考えていく必要があります。
(7)個別反差別運動なき階級闘争への統一論(一元論)
 レーニンが差別=階級支配の道具論を突きだしています。実はローザにも同じような規定があります。で、レーニンの民族自決権という突き出し自体は並立論になるのですが、中央集権制を唱えているところでは、階級闘争への反差別運動の従属論になってしまいます。ローザは民族自決権に反対し、個別反差別運動をとりあげていません。反戦ということを押さえたところで、インターナショナリズムというところで、階級闘争への統一、一元論になっているのではととらえ返しています。歴史的限界性という規定性――枠組みもあるのですが、ローザ自身が性差別においては、男並みに活動できるというところで、差別を超越しようとしていた、他差別においても、革命的インテリゲンチャとして超越しようとしていたことがあります。わたしはこのことを、むしろ、逆に、階級の問題を生産手段の所有からの排除と労働力の価値を巡る差別の問題として押さえています。そこから、階級闘争は、唯一のマジョリティの問題として(男と女の関係は、「性的少数者」――マイノリティのLGBTの問題があるのですが、ほぼ同数です)ひとつの大きな柱としてあるのですが、むしろグローバリゼーションの中における国・地域的な格差の拡大や環境問題も含めてさまざまな矛盾を差別としてトータルにとらえ返す反差別運動が必要になっているととらえています。
(8)永続革命論
 トロツキーの永続革命論は有名なのですが、著者はトロツキーより先にローザとパルヴスが永続革命論を出していたということを書いています。
トロツキーは革命の後にも革命が続いていく必要という意味で、「永続革命論」を展開していたのですが、ローザの場合は、ロシア革命もドイツ革命も一旦敗北に終わる、そこで、改めて革命闘争を展開していく必要として「永続革命論」を展開していたのではないと考えています。ローザの継続的本源的蓄積論からして、まだ資本主義は延命するということが予期されていたわけで(これはローザがはっきりとして押さえていたかは別にして、ローザの理論を発展的にとらえ返したときに出てくる理論として、です)、それは今日的、新自由主義的グローバリゼーションが差別ということを組み込んで延命を図る構図からして、ローザの「継続的本源的蓄積論」の意義が浮かびあがってくるのです。
(9)議会主義(議会制民主主義)批判――国家主義批判とインターナショナリズム
 ローザの修正主義批判は同時に議会主義批判となっていました。エンゲルスは最晩年に、ドイツ社会民主党右派の要請で、『フランスにおける階級闘争』への序文を書いて、それをローザが批判しています。もっともエンゲルスは以前に「民主主義とは階級支配の道具である」という規定をしています。ここでの「民主主義」は、議会制民主主義のことで、それを支配の構造として読み解いていたのです。そもそも、国家にはネーション概念があるのですが、ネーションには民族という意味もあります。まさに国民国家として、マルクス的に言えば、国家や民族の共同幻想へのとらわれがあります。レーニンは、『ド・イデ』のなかの国家=共同幻想規定を読んでいないとされているのですが、マルクス――エンゲルスの往復書簡のなかには、そのような内容が書かれています。ただ、専制国家ロシアのむき出しの暴力支配のなかで、共同幻想的側面をとらえ損ねたとしか思えません。その国民国家の国家主義的なところが各国左派の戦争への加担のなかで、第二インターナショナルの崩壊をもたらしました。今日、ITの普及のなかで、いつまでうそとごまかしの間接民主主義体制を続けねばならないのか、少なくともより民意の反映できる直接民主制への意向が可能になっているのです。民主主義の反対語は、封建制とか専制とかに一般にとらえられていますが、国家主義ではないかと考えています。国会は、まさに「国」という名を冠しているところで、そもそも共同幻想としての国家にとらわれていく、国益とかいう概念にとらわれていくのではないかとも思っています。まさに民衆の利益というところをとらえ返す、そういう意味での国家主義批判での民主主義概念の脱構築とあらたな構築が必要になっているのではないでしょうか? キーになるのは「反国家主義をかかげ国境を越えた民衆の連帯」ということではないかと考えています。
(10)まとめ
 今日、ソヴィエト連邦の崩壊と東欧の「社会主義国家」の消滅、中国の改革開放路線の突き出しのなかで、マルクス葬送の流れが形成されました。そもそもロシア革命の評価自体を押さえ損なっています。ロシア革命は、プロリタリアートの独裁――ソヴィエト独裁として革命を果たしました。しかし、その革命をイデオロギー的に領導したレーニンらは、革命的インテリゲンチャで、外部注入論的なところでの牽引でした。ソヴィエトはすぐに機能を停止し、他党派を排除し共産党独裁の体制を作り、ドイツ革命の敗北のなかで、孤立無援の反革命の干渉戦争にさらされました。そこで、経済も新経済政策をとり、資本主義の体制に戻ってしまいました。社会主義への移行に失敗したのです。その中味は国家資本主義です。国家が労働者を搾取するという支配機構です。そして、そもそも最初から秘密警察を作り、それをKGBという体制にしていき、巨大な管理支配機構で、党内闘争におけるスターリンの粛正も生み出す、全体主義的国家を形成し、社会主義とは無縁の体制を継続させました。それらのことから、「社会主義」批判が出ているのですが、もう一度、きちんとしたとらえ返しが必要になっています。マルクスの思想は、他の思潮から出たサルトルやデリダが言うように、資本主義社会では乗り越え不可能な思想なのです。今日、マルクス葬送の流れで、出てくる社会の分析は、こっそりマルクスを密輸入しないところでは、論としてきちんと成立し得ません。そういう意味での、ロシア革命以降の、「社会主義――共産主義」運動のとらえ返しが必要になるのです。そして、差別――反差別というとことをキーワードにして情況を読み解いていくことが今必要になっているのだと思っています。方向性として反差別共産主義論として提示できるのではと。
 ローザのレーニンと対比させた読み込みの中から、そのようなことを考えています。


posted by たわし at 04:26| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする