2020年08月16日

ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・田窪清秀・野村修。河野信子・谷川雁訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第2巻(一九〇五――一九一一)』

たわしの読書メモ・・ブログ542
・ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・田窪清秀・野村修。河野信子・谷川雁訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第2巻(一九〇五――一九一一)』現代思潮社1969
 ローザの学習四冊目です。ローザ・ルクセンブルクの選集二巻目。主要論文だけピックアップして読もうかと思ったのですが、簡単なメモにとどめて全部読みます。
 まず、目次を上げます。
ロシアでの革命
第一幕のあと
「弱小民族」の問題
革命の火照り
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――メーデーに関する討議のなかで/T 一九〇五年九月二一日/U 一九〇五年九月二一日/V 一九〇五年九月二二日――政治的大衆ストライキにかんする討議のなかで
極端な挑発
問題の解決
ドイツ社会民主党マンハイム大会での演説/T 政治的ストライキについての討議のなかで/U 労働組合と党の関係についての討議のなかで
労働組合政策の二つの方式
メーデー
ドイツ社会民主党ロンドン大会での演説/T 挨拶/U 一九〇七年五月二五日の演説/V むすびの言葉
社会主義インターナショナル・シュトゥットガルト大会での演説/T ミリタリズムと国際紛争との問題にかんする委員会での演説
SDPニュールンベルク大会での演説/T 党学校にかんする討議のなかでの演説/U メーデーにかんする討議のなかでの演説/V 予算案承認にかんする討議のなかでの演説
つぎはなにを
種まきの時期
SDPマクデブルク大会での演説/T バーデン州予算承認にかんする討議のなかで/U 選挙権問題にかんする討議のなかでの第百号議案提案理由の説明
政治的大衆ストライキと労働組合/ハーゲンにおける自由労働組合連合の総会での演説
モロッコをめぐって
モロッコ問題のパンフレット
大衆的ストライキ・党および労働組合


さてメモに入ります。(表題の後に来る記号で、○は、巻を通しての帯に各巻の紹介で上げられていた論攷です。◎はその内で、わたしが再読が必要と押さえた論攷。□は○ではないが、重要な論攷。)
ロシアでの革命
 1905年ロシア革命の直後に書かれた文です。
「革命の勝利は、ただの一撃だけで期待できるものではない。」1P・・・長い助走の始まり
「ロシアのプロレタリアートはこの日はじめてひとつの階級として政治の舞台に立った。ついに戦場に姿をあらわしたこの階級こそ、ツアーリズムをロシアから駆逐し、文明の旗をたかくかかげる歴史的な使命をはたすことができる唯一の勢力なのである。」2P
ロシア革命の前史2-4P
「ロシアにかぎらず、いかなる世界においても、自由と社会の進歩にかかわることがらは、すべて、階級意識をもったプロレタリアートの手中にある。われわれはわれわれの任務をはたさなければならない。」4P
第一幕のあと ○
「多数の大衆が行動を起こすにつれて、マルクスのいう大衆の行動がもつ「徹底性」(註『神聖家族』の言)も深められている。」5P・・・運動の中での徹底性の深化
「それは、いまでは有機的な行動能力をもった全体であり、共通の意志と階級意識に結ばれたひとつの政治的階級である。」6P
「いまこそ、この革命的状況を永続させるための社会民主党本来の任務がはじまるのである。ようやくほんとうの革命がはじまろうとしているときに、闘争の終結と敗北しか見ることができないのは、政治的近視眼(ママ)にほかならない。」10P
「ロシアだけでなく、どの国のばあいもおなじであるが、社会民主党は、乳くさい口先だけの革命屋が創造するのとちがって、歴史をうごかす動機や状況を人為的につくり出したりしない。ただ、プロレタリアートの立場から、現在の状況の歴史的意味づけを行い、それからひき出せる帰結を意識化し、それを今後の闘争の動機へ発展させるのである。社会民主党がなしうることは、また、なさなければならないことは、どのような状態であれ、状況をどこまでも利用しくすことなのだ。」11P・・・自然発生性への依拠(レーニン主義からすると、拝跪)
「社会民主主義は、つねにあらゆる個別的要因をこえた最終目的をはっきりかかげている。したがって一局面の直接的勝利や敗北に眼がくらんで、世界の終末を見たりすることは、けっしてありえない。要するに、社会民主党にとって、労働者階級が政治的自由という目的のための手段であったりするわけはない。逆に、政治的自由が労働者階級解放のための手段なのである。」11-2P
「弱小民族」の問題 □
 この論攷はローザのナショナリズム的なとらえ返しで留意する論攷。階級闘争至上主義になっているのでは?
「インターナショナルな労働者階級を資本主義の軛から解放するためには、どうしてもそのまえに、まず、このもっともおくれた近代資本主義国家の中世紀以来の鉄の襁褓を脱がさなければならない。」13P
弱小民族の列挙14P・・・ローザのインターナショナルなところで、ナショナリズムの否定の指向。インターナショナルは民族差別に対するたたかいを抜きにして定立しえるのでしょうか?
「ことばや宗教を異にする労働者が、ツァーリズム妥当のたたかいのために、ひとつに団結したのである。」17-8P
「今日ロシアで市民的自由を擁護し諸民族観の平和を実現するものは、階級意識をもったプロレタリアート以外にありえない。」「ロシアにおいても、市民的自由の問題は、けっしてナショナルな問題にぶつかって崩れてしまうものではない。逆に、ナショナルな問題が健康をとりかえすために、プロレタリアートの革命的階級闘争のなかから生まれる市民的自由が必要なのだ。」19P・・・市民的自由→階級闘争という図式。階級闘争至上主義になっているのでは? 民族問題を位置付け直す必要。
革命の火照り
 ブルジョア民主主義革命の課題として出てくる8時間労働制と社会主義の実現、他の国の影響での運動の速度を速める。
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――メーデーに関する討議のなかで/T 一九〇五年九月二一日/U 一九〇五年九月二一日/V 一九〇五年九月二二日――政治的大衆ス
トライキにかんする討議のなかで ○
T
 シュミット批判。以前の(日和見主義へ転ずる前の)カウツキー編集の「ノイエ・ツァイト」の編集を巡り、シュミットの党と労働組合の対立の図式に対するローザの批判。シュミットは労働組合主義。
U
労働組合――党の分裂ではなくて、労働組合内部と党の内部の分裂。
V
 日和見主義的な運動への制御の動き――状況も読めない、理論もない戯言
「現在、必要なのは組織化ということではなく、なによりもまず革命的啓蒙精神である。このほうがはるかに大切なのだ。」35P
「今、大衆は闘争をとおして、一歩一歩、組織をかためている。強力な組織がつくられてからでなければ闘争ができないというのは、弁証法(?)を知らぬ、まったくの機械論にすぎない。逆に、組織は、闘争そのもののなかで、階級対立についての明確な認識とともにうまれてくるのだ。」35-6P・・・運動――闘いのなかでこそ育つというローザの運動論
極端な挑発
 ドイツの艦隊法案の議会主義をかなぐり捨てた拡張主義的な動き批判
註でモロッコを巡るフランスとのせめぎ合いでのドイツ政府の和解政策への転換は、「戦いの準備ができていなかった」から、という押さえ。
問題の解決
「プロレタリアートが、革命の指導的な役割をはたす使命をになうのは、その階級的立場から見て、当然である。つぎに、農民よりさきに都会のプロレタリアートの側に立ったのは、陸軍よび海軍の軍隊であった。」42P
「かれらは(日和見主義者は)、革命にともなう外面的な戦闘の騒音に圧倒されて、革命のもつもっとも強力で社会的歴史的にもっとも重要な側面、すなわち革命の政治的教育効果ということを見おとしている。革命によって教育されるのは、プロレタリア大衆のほか、広範囲の農民や小ブルジョア層だけではない。人民大衆のなかで「王のおしきせ」を着ている部分でも、この教育は行われるのである。」43-4P
「あたらしい政治問題や社会問題を投げかけかける革命は、それらの問題解決をすでにみずからの胎内にはらんでいる。ロシアでの革命の経過は、このことをくりかえし証明した。ドイツの支配階級は、現在、新しい陸軍法案や艦隊法によって、亡霊どもを社会の表面に呼び出そうとしているが、やがてかれら自身のこの亡霊どもに手をやくときがくるであろう。ロシア革命は、こうした支配階級にたいする警告であると同時に、われわれの陣営のなかの小心な日和見主義に向けられた警告でもある。」45P
ドイツ社会民主党マンハイム大会での演説/T 政治的ストライキについての討議のなかで/U 労働組合と党の関係についての討議のなかで ○
T
「ロシア革命は、闘争のなかなかから力づよいプロレタリア組織がつぎつぎに生まれ、たくましく成長することを、はっきり証明している。」47P・・・ローザの運動の意義の強調
U
「この問題で(労働組合と党の関係で)、労働組合に直接役立つためといって、われわれが不和をわれわれの隊列にもちこむのは、無責任ではないだろうか。」50P
「党の幹部会が提案しているように、無政府主義的社会主義者を党からだたちに排除するというのなら、われわれが左のほうの限界線をひくことには断乎としてエネルギーを傾けながら、右のほうにいつでもひろく門をあけている、といった悲しむべき例をつくることになってしまう、・・・・・・」50-1P
「アナーギズムは、われわれの戦列における右傾化への反動としての極左なのだ。(「そのとおり!」)アナーキズムの克服にさいしては、意見の相異によって何人も党から排除されない、というあの昔からの組織原則を忠実にまもっていただきたい。われわれは、日和見主義者と正面から対決することによってのみ、これらの人びとの力をそぎ、アナーキズムの運動全体をほり崩すべきだと思う。なぜなら日和見主義者こそ、すべてのアナーキーなはねあがりの温床なのだ。極端な右よりの偏向者をだれも除名しなかったのなら、われわれには極左を排除する権利はない。(さかんな拍手、異議の声)」51P・・・ローザが「極左的」アナーキズムの登場を日和見主義との関係でとらえていること
労働組合政策の二つの方式
 ドイツの比較的待遇の良かった印刷労働者組合(イギリス的体制内化)とロシアの印刷労働者組合の比較、闘いのなかでの一挙の闘う労働者組合化
「革命にしろ、革命的闘争にしろ、もちろんどんな「善意」をもってしても、人為的に他国に移植できるものではない。しかし、すくなくとも卑屈な追従が唯一の救いの道であるというようなくだらぬ信仰は、隣国の革命の範例と教訓にぶつかって、根底からゆさぶられたほうがよい。」57P
メーデー
メーデーを巡る位置づけと変遷。
「メーデーは、国際的なプロレタリア階級闘争の、生きた歴史の一断面である。したがって、そこには、ほぼ二〇年来の階級闘争のあらゆる局面、あらゆる要素が、正確に反映されている。」「メーデーは、プロレタリアの闘いの脈絡を伝えているのだ。メーデーは労働運動とともに生き、したがって労働とともに変化する。メーデーの思想、その気風、その緊張は、階級闘争の諸状況とともに、うつりかわりを示している。」58P
メーデーの歴史58-61P
「おそかれはやかれ避けることのできないこの時期に備えて成長をとげること、みずからの役割と力との自覚をもってこの時期に応ずる準備をととのえること、これこそ現在のプロレタリアートの課題である。大衆の直接的示威としてのメーデーは、そのための一手段にほかならない。」「それと同時に、メーデーのもうひとつの要素が新しい力をおびて前面に現れてくる――すなわち、労働者の問題の国際性である。」60P「しかも今日、万国の労働者の先頭に立っているのはロシアのプロレタリアート、革命の国のプロレタリアートである。ロシア・プロレタリアートの革命闘争、そのさまざまな経験や、かれらが提起した問題は、将来の戦闘にそなえるわれわれにとっても、すぐれた歴史の手引なのである。」61P
「こうして、今年の五月一日は、新たな突風を巻きおこしながら近づいてきた。最初の時期のように、ふたたび、ブルジョアジーは憎悪と恐怖をもってこれをむかえ、労働者大衆はだんこたる闘志をいだいてこれをむかえる。八時間労働制と世界平和のためのプロレタリアのデモストレーションとして出発するメーデー、それはやがてプロレタリア革命のためのデモストレーションとなってゆくだろう。メーデーがこれから向かう道は、下降ではなくて、予想もつかぬような飛躍発展なのだ。この飛躍と発展の担い手は、すでにブルジョア社会の表層を吹きたてている暴風である。この暴風は、われわれをもっとも熾烈な闘いへ、そしてまた決定的な勝利へと導くであろう。」61P
ドイツ社会民主党ロンドン大会での演説/T 挨拶/U 一九〇七年五月二五日の演説/V むすびの言葉 ◎
T
 ロシア革命の評価とロシア社会民主党の統一のための提起
「大衆的ストライキに関するイェーナ党大会の決議は、われわれの党(ドイツ社会民主党)
がロシア・プロレタリアートの闘争から引き出した最初の重要な結論であった。・・・・・・一九〇五年までは、ドイツ社会民主党内では、大衆ストライキに関して絶対否認の態度が支配的であった。党は、大衆ストライキを、純然たるアナーキストのスローガンであり、したがって、反動的で有害で空想である、とみなしていた。しかし、ドイツのプロレタリアートは、ロシアの労働者の大衆ストライキが、ひとつの新しい闘争形態であることを見ぬきはじめた。大衆ストライキは、政治闘争に対立するものではなく、政治闘争におけるひとつの武器として運用されるべきものであり、また、一挙に社会主義体制への移行をなしとげる奇跡の手段ではなく、現代の階級国家において、最も基本的ないくつかの自由を獲得するための、階級闘争の一手段として運用されねばならないものである。」62-3P
「ドイツのプロレタリアートが従来の闘争形態に新しくつけくわえた戦術スローガンは、もはや議会活動をあてにせずに、広範なプロレタリア大衆自身の直接の行動をめざすものである。」63-4P
 一九〇五年以降の歴史64-5P
「ブルジョア自由主義と民主主義は、革命的プロレタリアートに対抗する闘争において、決定的最終的に、反動の側に味方するものとなった。」65P
「プロレタリアートは、ブルジョア国家の民主的な諸形式を擁護して闘う唯一の戦士たることを避けることはできないのである。」66P
「ロシア革命の利害は自分たち自身の問題なのだという意識なのである。ドイツのプロレタリアートがロシアのプロレタリアートに期待するもっとも重要な点は、プロレタリア戦術の拡大と多様化であり、階級闘争の諸原理を全く新しい歴史的状況下に適用することなのである。」68P
 一八四八年革命のマルクス68-70P・・・ブルジョアジーを追い込むブルジョア革命
「現在のロシアにおいて、あなたがたがマルクスと同じ地点から出発してはならないことは明白である。あなたがたの出発点は、一八四九年にマルクスの政策が到達した地点、つまり、プロレタリアートの明瞭な刻印をおびた自主的な階級闘争の立場である。今日ロシアのプロレタリアートは、一八四八年のドイツのような萌芽状態にはなく、ひとつに団結した。めざめた政治勢力である。ロシアのプロレタリアートは、今日の戦闘において、自分たちを孤立した一軍隊と考えてはならない。それは全世界のプロレタリアートをつなぐ国際軍の一部隊なのである。ロシアのプロレタリアートは、自分たちの現在の革命闘争が孤立した局地戦ではなくて、国際規模における階級闘争の全過程のなかでの一大会戦であることを、忘れてはならない。」70-1P・・・ローザのインターナショナリズム
「あなたがたはインターナショナルなプロレタリアートに対して重大な責任を負うているのだ。ロシアのプロレタリアートがその使命の偉大さにふさわしい党であることを示しうるためには、その闘争形態、確固たる態度、目的の明瞭な意識、戦術の幅、などにおいて、全般的な国際情勢の進展を見きわめ、資本主義社会全体が到達している成熟の度合を熟慮することが不可欠であろう。」71P
「ロシア革命は、一九世紀における一連のブルジョワ革命のなかでの最終行動ではなく、むしろ、新たな系列をつくるべき未来のプロレタリア革命の先触れであり、これらの革命指導することは、自覚したプロレタリアートと、その前衛である社会民主党の歴史的役割であることを示させばならぬ。」71P
「ロシア社会民主党がこれらの役割を成功裡になしとげるために、欠くことができないひとつの条件がある。それは党の統一という条件である。」72P
U
 ロシア社会民主党の左右他への批判
「史的唯物論に特徴的な弁証法的思考は、さまざまな現象を、固定したものとしてではなく、運動の状態において考察することを求めている。五八年前にマルクスとエンゲルスによって示された、ブルジョアジーの役割の特徴を引き合いに出して、これをいまの現実に適用するのは、形而上学的な思考のいちじるしい例であり、歴史を生き続けている「宣言」の言葉を、硬直したドグマに変えてしまうものと言わねばならない。」74P・・・教条主義に陥らないローザの思想
「ついに、翌年一月九日、ペテスブルクのプロレタリアートが街頭に出た。そして、この革命で、真の前衛であり、「教師」の使命をおびた者は誰であるかを示した。ブルジョア自由主義の死骸のかわりに、力強い生きた人間が登場したのである。」75P
「自由主義がはっきり肝に銘じなければならなかったのは、ロシアのプロレタリアートは彼らの手先で操ることのできる人形ではないということである。プロレタリアートは、いつもブルジョアジーの身代わりとしてその弾よけになってくれるわけのものではなく、かえってひとつの勢力として、この革命では自分自身の道を進み、行動にさいしては、自由主義者たちの運動とは独立に、自分自身の運動の法則と論理にしたがうものだ、ということである。」76P・・・力をなくして右往左往するブルジョア自由主義
「権力をめざす革命的な自由主義は、現実のロシアには存在しない。ひとびとはわれわれにむかって、この存在しない自由主義に適応するプロレタリアートの戦術をたてよと言い、そのためにプロレタリアートの要求を制限しようとしている。これはまったく空想の産物であり、思いすごしであり、幻影である。(拍手)そして形骸化した図式と幻想的な情勢の上に築かれたこの政策、現在の革命におけるプロレタリアートの特殊な課題を考慮しないこの政策が、「革命的リアリズム」と自称しているのである。」77P
「場あたり的な」の羅列――パリ・コミューンの蜂起77-8P、「あの有名な六月のフランスのプロレタリアートの蜂起」78P、「フランス大革命におけるプロレタリアートの公然たる行動」78P、「「独立した階級としてのプロレタリアートの歴史的な誕生」78P、「さらに、ロシア革命の発展の歴史そのものが、プロレタリアートにとって、こうした「場あたり」を避けることが、問題の性質上いかに不可能なことであるかを、示してはいないだろうか?」78P・・・「場あたり的」ということのなかにおける自然発生性への依拠
 食いつぶしと引き離しというなかでの革命の進行「プロレタリアートはブルジョアジーを喰いつぶして成長し、ブルジョアジーから徐々に自己を解放しながら、かれらをほうむる最後の勝利へと近づいてゆくのだ。とくに、現在のロシアにおいてプロレタリアートがこの戦術を変えることは、だんじてできないのである。」78-9P
「ロシア社会民主党は、現在の状況をいささかも過小評価してはならない。現在の階級闘争が、どんな議会政治よりも、はるかにすばらしい教育的意味をもっていることを理解するには、党の最近の歴史をふりかえってみさえすればよい。一九〇五年までの、あの一月九日までのロシア社会民主党と、今日の党とのそれぞれの実態を思いおこしてみさえすればよい。一九〇五年一月以降半年間の革命運動と革命的ストライキ運動は、党をひと握りの革命家の集まりというひ弱な一セクトから大衆政党に変えた。党の数々の労苦は、階級闘争の「口実」を見つけ出す困難さのためでなく、反対に、巨大な階級闘争によって切り開かれた途方もない活動分野を掌握し、これを徹底的に利用することの困難さのために注がれている。」81-2P
「もちろん、真のマルクス主義は、議会政治の一面的な過重評価から遠く隔たっていると同様に、革命の機械的な把握や、いわゆる武装蜂起の過重な評価かからも遠く隔たっている。この点では、ポーランドの同志たちやわたしたちじしんは、ボリシェヴィキの同志たちと意見を異にしている。」82P「われわれは広範な人民大衆を非合法に武装させるという計画も、また、いわゆる武装蜂起にそなえて、そのための組織をあらかじめこしらえておくという計画も、ともにユートピア的な冒険であると考える。社会民主党の任務は、専制に対する大衆闘争の技術的準備ではなく、その政治的な準備である。もちろん政治的啓蒙は、もっと広範なプロレタリア大衆にむかってなされねばならない。武装した反動勢力と大衆の直接の衝突が、つまり全般的な人民蜂起だけが、革命闘争に決着をつけるのである。そのときはじめて、プロレタリア大衆の勝利が保証される。」82-3P「社会民主党は、革命についての機械的な見方、すなわち党が爆発的な革命行動を「つくり出し」て、これを決戦と「名づける」のだと考えるような見方を、もちろん警戒しなければならないが、しかしそれ以上に、党は、力をつくし、決意をあらたにして、党の戦術の広大な政治路線をプロレタリアートに明示しなければならない。」83P・・・ロシア十月革命を経て、そしてソ連邦の崩壊のなかでの再度のとらえ返し
 戦術における動揺と無定見84P
「マルクス主義は二つの本質的な要素を含んでいる。それは、分析ないし批判という要素と、革命の動因となる、労働者階級の行動的意志という要素である。だから分析ないし批判を行為にうつしかえただけでは、マルクス主義ではなく、それはこの学説のみじめな、片ちんば(ママ、自らの当事者性の「障害」問題さえ押さえていないローザの限界)のパロティにすぎない。」84P・・・実践の理論としてのマルクスの思想
「われわれにそれが可能なのは、プロレタリアートの自主的な革命的階級政策という原理がドイツでは確固不抜のものになっており、党の圧倒的大多数がそれを支持しているために、われわれの陣営におけるひと握りの日和見主義者たちの存在も、かれらの策動も、全く無害だからである。いや、それどころか、討論の自由と意見の多様性とは、運動を大規模にひろげるためには、必要でさえあるのだ。」85P
「この政策の、特殊な、ボリシェヴィキ的形態においてではなく、ポーランド社会民主党が把握し遂行しているような形態、ドイツ社会民主党の精神にもっとも近いあの形態において、すなわち、真のマルクス主義の精神で。」86P・・・ドイツ社民党では議論が成立しているところからのとらえ返し
V
 ローザへの批判への応答、とりわけ農民や小ブルの位置付け問題
「農民階級は反動的小市民的な階層であるという定義を、革命期における農民階級の役割についても、機械的に転用することは、うたがいもなく史的弁証法に対する罪悪である。」90P
「明らかに、目下のロシアにおいては、農民階級の混沌とした運動を政治的に指導し、これを自己の影響下におくことは、自覚したプロレタリアートにとって当然の歴史的課題である。」91P
「プロレタリアートはあらゆる無産者のために闘う戦士となるべき使命をもつ、と語ったマルクスの言葉を思いおこそう。」91-2P
「階級闘争の革命的高揚にともなうプロレタリアートの敗北は、世界を蔽いつくすプロレタリアートの前進運動という総体から見れば、たんにその局所的な、一時的な現象形態にすぎず、最終的に社会主義の勝利にゆきつくためには、これらの敗北が避けがたい歴史的段階であることを、ロシアのプロレタリアートは決して忘れないだろう。」94P・・・敗北の中でつかみ取る運動の前進
社会主義インターナショナル・シュトゥットガルト大会での演説/T ミリタリズムと国際紛争との問題にかんする委員会での演説
 大衆ストライキの意義と戦争テーゼ
「革命をうらぎろうというのでないかぎり、まなぶのをおこたるべきではあるまい。前回のアムステルダム大会(一九〇四)で大衆ストライキの問題が論じられ、大衆ストライキを実現するにはわれわれはまだ未熟で準備不足である、と述べた決議が採択されたが、そのときアードラーが、自信たっぷりに依拠した唯物弁証法が、われわれが不可能と述べたことを、たちまちに実現したのである。わたしはフォルマルに、遺憾ながらベーベルにも、反対せねばならない。われわれの現状からすればこれまで以上のことはなしえない、とかれらは言うけれども、しかし、ロシア革命はどうだったのか。それはたんに戦争を契機として起こっただけではない、戦争を終熄させるのにもあずかってちからがあったのだ。」95-6P
「わたしはマルクス主義者であり、だからこそマルクス主義的見解が硬化した宿命論的な型にはめこまれることを、大きい危険とみなす。」96P・・・まさにスターリンが陥った道
「戦争が起こったばあい、われわれのアジテーションが戦争を終熄させる方向に向けられることのみならず、戦争を利用し、戦争を階級支配一般の崩壊を促進する景気に転化する方向に向けられることをも、のぞむものである。」97P
SDPニュールンベルク大会での演説/T 党学校にかんする討議のなかでの演説/U メーデーにかんする討議のなかでの演説/V 予算案承認にかんする討議のなかでの演説
T
「学校のなかで、党員学生たちとの不断の接触のなかで、しだいにわたしは、このあたらしい施設をたかく評価するようになった。いまは確信をもって言い切ることができる、われわれはあたらしいなにものかを創造した、その効果の全体は展望しくせないが、それは党に利益をもたらすはずのものだ。」98P
「授業プランの筆頭には国際社会主義の歴史がおかれてしかるべきだろう。」99P
「かれらには(アイスナーやマウレンプレッヒャーのような連中)大衆がまるきりわかっていない。プロレタリアートは日常の生活からすでに材料を知っている。「材料」ならアイスナーよりずっとよく知っているのだ。(つよい賛同の声)大衆が必要とするものは、全般にわたる啓蒙であり、理論である。理論こそが材料を体系化して、それを敵の死命を制する武器にきたえあげる可能性を、われわれにあたえる。(つよい賛同の声)党学校の必要性、つまり社会主義理論の理解をわれわれの戦列のなかにひろげてゆくことの必要性を、わたしに確信させたものがあるとすれば、それはほかでもなく、アイスナーの批判である。」101P
U
「これまでのドイツの、またあらゆる国のメーデーの経験の示すところによれば、犠牲者の出るのを予防する道は、ただひとつしかない。それは救援態勢の整備という道ではない。メーデーのできるかぎりの拡大という道である。参加者の数がおよそ処分を不可能にするほどに莫大となるときにのみ、つまり、階級意識をもち組織をもってたたかう労働者階級の現実の力量が、その全力をあげて資本家階級と対決するときにのみ、そのときに資本家階級は、われわれにたいして処分をふりかざすこともできなくなるのだ。」「だからわれわれは参加者の救援方法という問題のみをことこまかにあげつらうことによっては、正しい道を見いだしえない。」103P
「唯一の解決は、あれこれと救援を規約化してみることとはきっぱり手を切って、メーデーの思想を強力にプロパガンダしてゆくことである。」104P
V
「以前からわれわれは、ほとんど毎回の党大会で、原則上のまた戦術上の根本問題について活発な論争をかわしてきた。・・・・・毎年のようにくりかえしている。・・・・・・わたしの考えでは、党がもし修正主義に譲歩するならばひっきょうどんな羽目になるかを今回の討議ほどにするどくはっきりと、まざまざとうかびあがらせた討議は、これまでに例がなかった。」「南ドイツに代表される修正主義的傾向の線を辿ってゆけば、さきゆきわれわれは、ブルジョア的改良政党かフナーキズムか、という二者択一のまえに立たされてしまう、ということである。」105P
「わたしの考えでは、もしわれわれがこれまで主としてちっぽけなポジティフな成果ないしけちな社会会利用によって、支持者たるプロレタリア大衆をあがないとったかのように、事態を想像するとすれば、その想像には、ドイツ・プロレタリア大衆にたいする論外の不当な中傷がふくまれているのみならず、われわれの社会主義の最終目標の魅力にたいする法外な蔑視がふくまれている。」108P
「今後のドイツにおいては、ますます先鋭化していく政治的対立の不可避の結果として、社会改良のポジティフな成果はますます僅少となり、ついには不可能となるだろう。」108P
「もし団結が、民主的な党の絶対多数が多数意見をまとめて全党員を拘束する規約をつくるという基本的な権利を抛棄することによって、あがなわれるものとしたら、そんな団結はまやかしである。かれらの行動に妥協することはゆるされない。党内の団結をまもらなければならぬ。われわれの政治的ならびに組織的な破滅をもたらす修正主義的傾向にたいしては、いまこそつよく呼びかけねばならない、もういいかげんにしたまえ、と。」109P
つぎはなにを ○
T
 デモについて
「プロイセンの選挙法の改革は、議会的な手段によって解決されうる問題ではなく、議会外の直接的大衆行動によってのみなんらかの変革がもたらされうる問題である――という認識が、一方に数次にわたるはじめての街頭デモを経験し、他方にプロイセン州議会の選挙法委員会でのいつくかの場面を見てきたいまは、生き生きとしたかたちで確立している。」110P
「われわれの党は、すでに開始されている大衆運動を眼のまえにして、党によって点火されたこの大衆行動を今後どのように指導し前進させてゆくか、明確なプランをもたねばならぬ。」110-1P
「デモというものが有効な圧力となりうるのは、必要ならば先鋭な闘争手段にうったえるぞという真剣な決意と用意とが、デモの背後にひかえているばあいに限られる。だから、街頭デモがその直接の目的を十分に達成しえないことがあきらかないまでは、何よりも必要なのは、以後の行動の明確なプランである。」111P
「この最初の経験は、大衆示威にはそれ自体の論理と心理があること、そしてそのことを計算に加えることが示威を指導しようとする政治家にとっては焦眉の急務であることを、われわれの党に指示し警告しているものといえよう。つまり、政治闘争における大衆の意志の表現は、機械的にいつまでも同一の水準に維持しておけるものではないし、いつまでも同一の形態にはめこんでおけるものでものでもない。それは高揚し、先鋭化し、あらたな、より有効な形態をとってゆくのでなければならぬ。ひとたび点火された大衆行動は、推進されねばならないのだ。指導的な党が、あたえられた瞬間において、必要なスローガンを大衆に手渡す決意に欠けるならば、大衆が一種の幻滅にとらわれることは避けがたい。そうなれば高揚は消え、行動は挫折する。」111-2P
「ベルギー、オーストリア=ハンガリア、ロシアにおける類似した闘争例も、おなじ経験をうらがきする。これらの例のばあいもそれぞれ、大衆行動のなにものにも阻まれぬ高揚と前進が見られ、高揚によってはじめて、行動が政治的効果をもちえたのであった。/さらにもうひとつの事情が、適切な明瞭な警告としてやくだつ。つまり街頭デモ一本槍は、社会民主主義者のとるべき手段としては、事態の進展に追いつけないものとなる、という事情である。」114P     
U
大衆ストライキについて
「原則上の問題としてはすでに、五年まえイェーナでの党大会の正式決議によって、われわれの党は、政治的大衆ストライキはドイツでも適用しうる闘争手段のひとつである、と述べている。」115P
「しかし、現在の大衆運動の過程で大衆ストライキを実施することを可とするものは、とくに大衆ストがいま進行中で拡大中の大衆行動からほとんどおのずからに帰結される、自然な、不可避的な発展段階の行動である、という事情である。・・・・・・しかし、数ヶ月にわたって拡大に拡大をつづけてきた労働者大衆の壮大な示威運動のなかから生まれてくる大衆ストは、そして同時に、いかなる犠牲をはらっても前進するかそれとも継続中の大衆行動をむなしく挫折させるかというジレンマに、三百万人の党が直面させられている状況から生まれてくる大衆ストは、すなわち、めざめた大衆の内的欲求と決断とから、同時に政治状況の激化から生まれてくる大衆ストは、生まれてくる資格を十分にそなえており、また確実な効力をそなえている。」116P
「大衆ストは、それ自身の内的発展・論理・段階・帰結をもっている大衆行動そのものの外的な形態にすぎないのであって、政治状況およびその推移に密接な関連をもっている。大衆スト、ことに短期の一回かぎりの示威ストライキとしての大衆ストは、たしかに、いま進行している政治的大衆行動の最後のことばではない。しかしそれが 現段階における最初のことばであることは、まったく確実である。・・・・・・それでもなお、数百万を指導する党の責任者として、党によって点火された闘争をそれのみがさらに前進させるようなスローガンを、だんことして出してゆく、党に課せられている状況が、現に存在するのだ。」116P
「言うまでもなく、大衆ストのような性格と規模をもつ行動は、組合ぬきで党だけで実現することはありえない。ふたつの組織が協力し団結しておこなう働きかけがなくては、全国的な強大な行動ははじまらないし、行動は強大でなくてはもともとはなしにはならぬ。」117P
「プロレタリアートの大きな大衆運動では、つねに無数の政治的要因と経済的要因とが、結びつきあって作用している。まずふたつの要因を人為的に切りはなし、杓子定規に区別しておこうなどとするのは、むだであり有害であろう。」118P
「現実にはわれわれの組合組織がおかすと見える危険ないし冒険は、ただそう見えるだけだからである。現実には、健全な強力な組織は、先鋭な闘争のなかでのみ確立されるものであり、試練のたびごとにあらたな生命力を生みだして、生長してゆくものだ。」119P
「大衆の直接行動の決定は、大衆自身によってのみなされるものなのだ。労働者階級の解放は労働者階級自体の仕事でしかありえない――という「共産党宣言」のなかのことばは、小さな、個々のばあいにも、指標としての意味をもつ。プロレタリアートの階級党の内部においても、重大な決定的な運動はすべて、ひとにぎりの指導者のイニシャチヴにではなく、党員大衆の確信と決意とに、もとづくものでなければならない。」121P
「あらゆる都市あらゆる地域において、党および組合の同志たちは、現在の状況下の諸問題にたいする態度をきめ、そして組織労働者大衆の意見が全体として聞かれるようにするために、かれらの意見ないし意志を、明確に率直に言いあらわさなくてはならぬ。そしてそれがなされるならば、われわれの指導者たちも、もちろん勇気をふるいおこすだろう。これまでつねにふるいおこしてきたように。」121-2P・・・民衆に領導される「指導者」
種まきの時期 ○
「こうして敵が、われわれのために千べんも土壌を鋤きかえしてくれた。ゲスラーのような人々もめざめさせ、無関心な人々をも怒らせ、怠惰な人々も反省させた。いまこの土壌に、ふんだんに啓蒙の種子をまくことが、われわれの任務である。」123P
「あらゆる成人の、性別にかかわらない、普通・平等・直接選挙権が、まず第一の目標である。」124P
「すなわち、強力な打撃こそ最良の防禦、にしたがってわれわれは、ますますあつかましくなってきている支配者反動の挑発にたいして答えるために、アジテーションの鉾先を転じて、全戦線にわたって、激しい攻撃に移らねばならない。攻撃がもっとも明瞭な具体的なかたちで、簡潔で有勁なかたちで展開されるには、われわれの政治プログラムの第一段をなす要求、すなわち共和制の要求を、はっきりとアジテートしてゆくことが第一だろう。」124-5P
「闘争は、反ミリタリズムや反君主制やそのほかもろもろのプチブルジョア的「イズム」に分散することなく、一貫して反資本主義として生長した。それは、ときに共和制ときに君主制のかくれみのをまとう現体制にたいする、あらゆる奇型ないし形式をとってあらわれる現体制にたいする、不倶戴天の敵であった。ドイツではこんにち、最良のブルジョア共和制といえども現在の君主制におとらぬ階級国家にほかならず、資本主義的搾取をまもる堡塁にほかならぬという確信が、したがってプロレタリアートの状態を本質的に変革しうるものは賃銀方式の廃止のみであり、言いかえればあらゆる形態における階級支配の廃止のみであって、ブルジョア共和制のもとの外形ばかりの「民主政治」ではないという確信が、啓蒙されたプロレタリアの確乎たる財産となっている。このことは四〇年間にわたる徹底的な啓蒙活動の成果であった。」125P
「ドイツのブルジョア自由主義のおそるべき頽廃は、さまざまなかたちで見られるが、君主制への追従という点に、とくに露骨にあらわれているからだ。この点において自由主義ブルジョアは、保守的なユンカー層さえ、いわば鼻ひとつかふたつの差だけおさえて、前に出ている。」「しかし共和制のスローガンの効用は、それだけではない。ドイツの国内政策・対外政策の最近のありかたから見れば、支配的反動の焦点は、ないし少くとも外から見えるかぎりでの尖端は、あきらかに君主制である。個人支配をおこなう半絶対君主制が、うたがいもなく四半世紀以来、そして現在ますます、ミリタリズムの支点となり建艦政策の動力となり、世界政策上の冒険の指導精神となっているし、同時にそれが、プロイセンのユンカー層のとりでとなり、ドイツ全域のなかでのプロイセンの政治的後進性の優位を維持する堡塁となっている。」「このスローガンは、ドイツのミリタリズム・植民地政策・世界政策・ユンカーの優位・プロイセン化にたいする、事実上の挑戦状なのだ。」126P
「不満をもつ人々、搾取になやみ圧政にくるしんでいる人々の尨大なむれば、われわれの集会に、テクノロジーにくわわろうと駆けつけてきているが、かれらにむかってわれわれの語りかけることばは、たんにプロイセン=ドイツの支配的反動にたいする痛烈な批判で終ってはならない。さらに社会主義の福音が、あたらしい社会主義社会の諸原理が、語られねばならぬ。」127P
「もしもわれわれが、現在の激烈な格闘の時期を、大衆をゆさぶりおこして立ちあがらせることにのみならず大衆を啓蒙することに、また味方の兵力を大きく拡大することのみならず大衆の社会主義的な意識を強化し深化することに、十分に利用することができるならば、プロレタリアートの事業は、この大衆運動から、勝利者としての歩をすすめてゆくことになるだろう。われわれは、すでに耕されている土壌のなかに、ふんだんに社会主義の種をまきつけよう。収穫はとおからずわれわれのものとなるのだ――どんなことがあろうとも。」127P
SDPマクデブルク大会での演説/T バーデン州予算承認にかんする討議のなかで/U 選挙権問題にかんする討議のなかでの第百号議案提案理由の説明
T
議会主義者たちの妥協に対する批判
U
 大衆デモと大衆的ストライキについて
「われわれが、戦闘的な大衆を選挙闘争に動員し、力づよいデモストレーションを組織するやいなや、たちまち大衆じしんのなかから、つぎの問いがうまれたのである――「つぎはどうするのだ?」・・・・・・」135P
「プロイセン選挙権闘争をすすめるにあたっては、あらゆる不測の事態に備えなくてはならない。(「そうだ、そうだ!」)われわれは、街頭デモストレーションへ動員した大衆にたいして、さいしょに、明確な、動揺することのない保障を与えなくてはならない――「きみたちは無防備のまま、サーベルをがちゃつかせる野蛮や反動の挑発のまえにほうり出されるのではない。緊迫した情勢のもとでは、挑発にたいして直ちに反撃する手段を、われわれはもっているのだ。その手段とは、ふたたび労働忌避である、政治的大衆ストライキである」」136P
「大衆ストライキの問題について討論すれば、たちまち人為的に大衆ストライキをひきおこすことになるなどという妄想を根絶すること、これまたわれわれの提案の重要な任務である。」137P
「政治的、経済的情勢の成熟から、大衆ストライキはおこるのである。大衆ストライキを実現するための条件がなければ、いくら大衆ストライキについてかぎりなくおしゃべりをつづけたところで、なにもおこりしはしない。」137P
「サンジカリストたちがたえずゼネラル・ストライキをとなえている国フランスは、実際にはもっともまれにしかゼネラル・ストライキがおこらない国なのである。」137P
「これらの点を綜合すれば、あなたがたも、わたしたちがいま言ったような大衆ストライキの宣伝は、大衆を社会主義へと教育するための絶好の教材であることをみとめるにちがいない。」139P
「したがって、大衆に、自己の任務にたいする自覚をうながし、ひとたび情勢が成熟したならば、大衆が、ただ感情的に、怒りをこめて大衆ストライキに参加するだけでなく、政治的に訓練された階級闘争の戦士として、社会民主党の指導のもとに、大衆ストライキの武器を行使するよう、いまから備えておくことは、うたがいもなくわれわれの義務である。」139P
政治的大衆ストライキと労働組合/ハーゲンにおける自由労働組合連合の総会での演説 ◎
「現在の時点では、ドイツの労働組合の集会のテーマとして、大衆ストライキと労働組合、というテーマ以上にアクチュアルなテーマはありえない。」142P
「このたたかいは妻ぐるみ家族ぐるみの、おそらく一〇〇万におよぶ人々の戦いであり、最強の労働組合と思いあがった強大資本とのあいだの、生死をかけたたたかいである。」143P・・・「妻ぐるみ家族ぐるみ」という表現は、ローザが男並みに闘う女性という状況になっているところで、男たちに訴えている性差別的な当時の情況
「現代のプロレタリア階級のたたかいは、本に書かれたような、学説のていさいをととのえた、できあがった図式のとおりに、はこばれるものではない。現代の労働者のたたかいは歴史のひとこまであり、社会発展のひとこまであって、われわれはうごく歴史のなかで、発展のなかで、闘争の方法をまなびとってゆくのだ。・・・・・・莫大なはたらく人民大衆事態が戦闘に立って、じぶん自身の意識から、じぶん自身の確信から、またじぶん自身の理解から、じぶん自身の解放のための武器をきたえあげてゆくのである。」143-4
「われわれのような政治的戦闘者第一にまもるべきことは、時代の発展に一歩たりともおくれぬこと、現代世界の変化を、また、われわれの闘争戦略の変化を、つねにはっきりと究明しておくのをおこたらぬこと、である。」144P
 ストライキの歴史144-6P
アナーキズム批判146-8P
「紋切型のアナーキズムがロシア革命のなかでどのようなかたちで現れたかというと、そのかたちはただひとつであって、ルンペンプロレタリアートの、こそどろやならずものやごろつきの、かつぎまわる看板だったのである。」147P・・・マルクスのルンペンプロレタリアート規定の流れ、犯罪者差別など、現在的に底辺労働者やホームレスの人たちに対する位置づけのし直し
「アナーキストにとっては、大衆ストライキのイデーは、政治闘争のための政治行動とは、まったく正反対のものだったしかし、現在、われわれはかれらとは逆に、大衆ストライキを政治的武器とみなしている。これは人民が政治的な諸権利を獲得してゆこうとするばあいに、もっともよく役にたつ武器なのだ。」148P
「これまでの大衆運動がわれわれに教えているのは、前進の一歩一歩は、街道に進出した強力な労働者大衆の圧力によってかちとってゆくほかない、という事実である。」150P
「支配者どもは、三月六日にはベルリンでやったように、かれらの大砲を、実弾をこめたかれらの小銃を、大衆につきつけたければつきつけてみるがよい。われわれが用意している武器にたちむかうには、大砲もきれあじのいいサーベルも、ものの役にたちはしない。」150P
「だから、政治的大衆ストライキという平和で平穏な武器こそが、もっとも鋭利な武器である。反動的な支配階級があいかわらず気ちがい(ママ)じみたぎまん策をとりつづけるかぎり、われわれがこの武器をとって立ちことは、おそらく必然だろう。われわれは、こんにちの政治的発展のなかでは、基本的な政治的諸権利を獲得するために、ますます大衆ストライキの武器にうったえざるをえない。だからこそ、労働組合運動の政策は、まさにこの方向におしすすめられているのだ。」151P
「いうまでもなく、いまわれわれにむかって意識的、計画的にとてつもない力だめしをいどんでいるのは、資本家たちである。」151P
「こうして資本家や経営者自身が、連合した暴力装置の擁護のもとでロックアウトをかけて、思いのままに大衆ストライキを労働者におしつけることができるとすれば、われわれの組合組織としては、団結権をまもるための闘争がやがて不可能となることを予想して、大衆ストライキの武器の使用を考慮しておくことは、あきらかに緊急の必要である。だからいま、いちばん実践的課題とは、未来のイメージをはっきりつかまえることだ。たしかに、プロレタリア大衆が状況の全体を明確に把握し、かれらの直面している偉大な課題を自覚することによって、大闘争をたたかいぬくだけの用意をととのえればととのえるほど、この闘争に勝利するチャンスが、それだけ多くなるのである。」151-2P
 大衆ストライキを実施することへの日和見主義者の反対意見の内容。@「大衆スト、とくに政治的ストライキをおこなうばあい、われわれはたいへんな冒険をおかすことになる。われわれの労働組合組織はそのために大きな危険にさらされるだろう。激突の結果、われわれの組織はばらばらにくずれてしまうかもしれない。」152PA「われわれはなかまでありながら敵側に組織されている大衆をどうするか、このたいへんな問題をまず解決しておかねばならない。」154PB「われわれは労働組合組織のちからの主因をなすものを、すなわちわれわれの金庫を、資金を、試験台にのせることになるわけだが、どんな組合にしろ、巨大な大衆運動ないし巨大な大衆ストに直面したときに、われわれの組合には十分な資金があるから、幾十万の人間が賃金カットされても、長期にわたってやしなってゆける、とすすんで断言できるような組合は、ひとつとしてない。」155P
これへのローザの反論
@へのローザの反論
「情勢というものは、うごくものだ。たとえ諸条件はおもわしくないにしても、闘争にたちあがらなければ、組織化された労働運動の名誉さえまもれない」152P
「われわれの組織は、たたかいのなかでしか存在しえず、たたかいのなかでのみ生長する。」153-4P
「労働組合組織を強化し拡大するためには、大規模な大衆的な闘争の時期ほどによい時期はない」153P
Aへのローザの反論
「このような懸念を口にする人々は、まさにこの点で歴史の弁証法(?)かれらの主張とは正反対にはたく、ということを認識する必要がある。」154P
「共同の行動にほんとうに意味をもたせるためには、われわれのほうが共同行動の門戸をひろくあけはなち、あけはなった門戸を政治的に活用して、いまなおブルジョア的指導者にひきまわされている大衆に、かれらほんらいの、本質的利害や任務についての理解を、あたえてゆかねばならないのだ。」155P
Bへのローザの反論
「われわれはたんに在庫金額の見地から、政治的大衆ストライキのような巨大な運動を考えることはできない。」「いま、われわれの目前にせまっているような大闘争は、金庫だけをたよりにしては、けっして勝ちぬけない。」「われわれの歴史を見ると、大衆の理想主義に期待して期待がうらぎられたことは、これまで一度もない。大衆は極度の苦難にも耐えぬいた。近代プロレタリアートの解放闘争の過程には、その実例(下線引用者)が無数にありはしないか。」155P「実例」155-7P
「大衆の犠牲的精神を、理想主義をよびおこすためには、くだくだしいことを言う必要はない。現在おこなわれている闘争や、目前にせまっている大衆ストライキのすべてが、ほかでもなく、資本主義からの究極的な解放にいたる、社会主義的な社会体制にいたる、ひとつの必然的な歴史的段階なのだ、ということをくりかえし指摘しさえすればよいのだ。」157P
「同志たち! ロックアウトのひとつひとつが、前進の一歩になる。資本主義体制の柩にまたしてもうちこまれる、一本の釘になるのだ。ロックアウトの方法が、プロレタリアートを負かせる方法でもにないのに、流行していることこそ、現在の社会体制がもはや未来をうしない、あやうくゆらいでいること、別の社会体制に席をゆずらねばならぬことの、よい証拠である。そして、大衆ストライキのひとつひとつは、現体制の除去という方法での一歩前進ではないか? 同志たち、マルクス・エンゲルスの有名な「共産党宣言」の結語は、「プロレタリアートは鉄鎖のほかにうしなうものをもたない、獲得するものは全世界である」と言っているわれわれがいま、まもなくはじまる大戦闘にそなえて武器をととのえているとすれば、労働組合に組織されたプロレタリアのひとりひとりが、使命を自覚して社会民主党にむすびつくことが必要であり、また社会民主党員であるプロレタリアのひとりひとりが、当然ながら社会主義の啓蒙的文献をおのれの血肉とし、組織労働者賭して組合活動をすると同時に、社会主義的な解放のため、確乎とした目的意識をもってたたかうことが必要である。プロレタリアの最後のひとりまでが、われわれのうしなうものは鉄鎖だけであり、獲得するものは全世界であることを理解するときにのみ、われわれはこのことばを旗じるしとして、これからのたたかいを、勝利にみちびくことができよう。」157-8P・・・まさに革命戦争の論理
モロッコをめぐって
 モロッコ問題で、国際主義ビューローが会議を呼びかけているのに、選挙に不利になるとして、応えようとしなかったドイツ社民党執行部に対するローザの批判。
「反動勢力がモロッコをえさにして利を占めようとしていることが予測されるのならば、われわれ自身がそのけちな背景や、そこで問題になるさもしい資本の利害を、できるだけはやく、できるだけ徹底的に人民大衆にむかってあきらかにしてゆくことこそ、かれらのスローガンの効力を無にし、かれらの計略をうちやぶるための、唯一の手段であるだろう。資本主義反動のあらたな攻勢に反撃するわれわれ自身の論究やアジテーションが、どうしてわれわれを敗北にみちびくおそれがあるのか、わけがわからない。」163P
「一八七〇年にベーベルとリープクネヒトは、盲目(ママ)的な愛国主義の荒れ狂う(ママ)なかで平和と人民の友好によせるわれわれの信念を、臆せず公然と語った。」163P
「あやまった態度の決定は、われわれのスローガンの強力さにたいする信頼がまったく欠けていることの結果であるが、同時に他面それは、資本の利害の影響力を平和の保証として過大評価していることの結果でもある。」163-4P
「したがってわれわれの考えでは、世論をしずめるのではなくて、反対に世論をゆりうごかし、いまの世界のこうした冒険にひそんでいる危険を警告することが、社会民主党の責務である。」164P
「国会選挙をわれわれは「すばらしい局面」のなかにむかえていると、喧しく言われている。同時に、この「局面」をなんらかの無謀な行動のために棒に振ってはならない、と忠告する声が、くりかえしきこえてくる。かつてはプロイセンの選挙法闘争が無謀だったが、いまはモロッコのごたごたに反対するアジテーションがそれにあたる、というわけらしい。われわれの考えによれば、「すばらしい局面」なるものは、無思慮な行動によってだいなしになりかねぬような、表面的偶発事態などではない。それは過去数十年にわたるドイツ内外の歴史的な展開の全体の結果である。だから、もしわれわれが、党活動の全体と階級闘争の課題のすべてとを、投票用紙というせまい視野のなかでだけ眺めはじめることさえなければ、われわれはこの有利な「局面」を棒に振ることはありえない。」165P
モロッコ問題のパンフレット
 前の論攷のモロッコ問題で社民党執行部が作った、パンフレットの批判
「戦争の挑発に反対して行動する決意が、はやくから、なんのためらいもなくなされていたら、そしてこのパンフレットがわずか一日か二日のやっつけ仕事でなかったら、おそらくもっと使いようのあるものができていたであろう。ところが数十万の大衆にばらまかれたこのパンフレットは、いまのかたちのままなら、むだ骨おりにちかい、と残念ながらいわざるをえない。」166P
「党のパンフレットは、世界政策の本質やそれと資本主義の関連について、われわれの見解のアルファでありオメガであるものについて、一言もふれていない。国際的な現象としての世界政策は、ぜんぜん問題にもされていないのだ。」「全体にわたっておそろしく浅薄であるためか、社会民主党による大問題の分析というよりは、むしろ社会民主党の床屋政談といった印象をあたえる。」「一般的世界政策が、個別的にはモロッコの紛争がドイツの内的発展、軍国主義、大海軍主義、財政・税務政策、社会政策面における停滞と反動、国内のあらゆる状況の不安定性などとどのように関連しているかについて、少くともふれてみる必要があったと思われるが、しかしパンフレットのどこをさがしても、これにふれたことばは一言もみあたらない。」167P
「さらに党は、プロレタリアートの階級闘争の観点からではなく、むしろプロレタリアートと「有産階級の大衆」とのいわゆる利害の一致を旗じるしにして、資本主義的な世界政策や軍国主義とたたかう役目をもひきうけているのだ!」168P
「ここでは、植民地政策はだれにとっても損のゆく事業だ、というありきたりの図式しかつかわれていない。この図式によると、われわれは、植民地政策がもうからないから、ただそれに反対しているのであり、大衆に植民地政策を嫌悪させるためには、それがもはや実際にもうからないことを証明すればよい。こうした見解の反面として、世界政策にたいするブルジョアジーの利害関係が、直接の現金収入やその日その日のふところ勘定と同一視されている。」169-170P
「パンフレットは植民地の民族や土着民、かれらの権利や利害、世界政策によるかれらの苦悩について、一言ものべていないし、「イギリスのかがやかしい植民地政策」についてはなんども語るが、飢餓によるインド人の定期的な発疹チフス、オーストラリア原住民の絶滅、エジプト農民の背中をうちたたく皮の鞭については、なにひとつ言及していない。パンフレットは、モロッコ問題に関するキダーレンの決定をまるで幼児のように待ちわびているドイツ人の恥ずべき状態について、一言ものべていないし、帝国議会のみじめな役割とその召集の必要性について、君主制の私的統治機構と世界政策におけるその役割について、そして最後に――社会主義とその目標について、一言ものべてはいない!」170P
「このようなパンフレットではわれわれの任務が正しく遂行されないことはたしかだし、また他方、もしわれわれが冷静に徹底的に考え、批判的に吟味しながら、けっしてあわてふためくことなく行動をおこしていたなら、はるかに有用な、よく考えのねれたパンフレットができていたであろうことも疑いない。」170P
大衆的ストライキ・党および労働組合 ◎
 ローザの民衆運動の自然発生性を評価し依拠するというところが如実に表れている論攷
T エンゲルスの大衆ストライキに対する見解のローザの押さえとロシア革命がエンゲルスの見解を乗りこえたこと(覆したこと)
 「大衆ストライキ問題にかんするこれまでの国際的社会主義の著作や意見は、この闘争手段が最大の規模でもちいられた最初の歴史的実験であるロシア革命以前のものが、ほとんどすべてである。したがって、大部分が時代おくれになっていることも明らかだ。これは一八七三年にフリードリヒ・エンゲルスがスペインにおけるバクーニン主義者の革命いじりを批判してつぎのように書いたのと本質的におなじ立場に立っている、と自認している。」172P
エンゲルスの引用172-3P
エンゲルスの文「じつは、ここにおとし穴がある。一方では、とくに大衆が政治にたいして控えめな態度をとっているばあい、政治はそれをかさにきて、労働者が組織や資金を強化することなど許さないだろう。また他方では、プロレタリアートが理想的な組織と巨額の闘争資金をまだととのえていなくても、政治上の事件や支配階級の横暴な干渉をきっかけに、労働者の解放が実現されてしまうかもしれない。しかし、かりにプロレタリアートに組織と資金ができたとすれば、目的を達するためには、もはやゼネラル・ストライキのような廻り道など必要ではない。」173P
これを論拠としてインターナショナルな社会民主主義者がとってきた態度「この論拠は、労働者階級の日常的な政治闘争に反対して社会革命誘発のための手段としてのゼネラル・ストライキを提唱するアナーキストの理論にたいして、真っ向から対決したものであるが、要するにつぎのような両刃論法でいいつくされる――もし、全プロレタリアートにまだ強力な組織と資金がそなわっていないならば、ゼネラル・ストライキを実行することはできないし、他方、プロレタリアートがすでに充分に強力な組織をもっているのならば、ゼネラル・ストライキなど必要ではない、というのである。」173P
このことへのローザの押さえ「この論拠は、たしかにしごく単純なものであり、四分の一世紀ものあいだ、アナーキストの妄想に対抗する武器として、また広汎な労働者層へ政治闘争の観念を浸透させる有効な手段として、近代労働運動にめざましく貢献したのであった。あらゆる近代国家における最近二五年間の労働運動の偉大な発展は、バクーニン主義に反対してマルクスとエンゲルスが強調していた政治闘争の戦術の正しさをりっぱに証明している。そして、ドイツ社会民主党が今日の力量をそなえ、インターナショナルな労働運動のなかの前衛の立場をまもっているのも、じつはこの戦術の徹底的なきびしい適用から生まれてきた結果にほかならない。」173-4P
それらを覆し乗りこえること「ところが、ロシア革命が以上の論拠に根本的な修正を加えるにいたのである。ロシア革命は、階級闘争の歴史のなかで、はじめて大衆ストライキの観念や、さらには――後章で詳述するように――ゼネラル・ストライキの観念を現実にはなばなしく実らせ、労働運動の発展に新紀元をひらいた。もちろん、このことは、マルクスやエンゲルスが提唱した政治闘争の戦術や、また、かれらがアナーキズムに加えた批判がまちがっていた、ということにはならない。反対に、今日、ロシア革命のなかで階級闘争のまったくあたらしいモメントとあたらしい条件をつくり出したのは、マルクス・エンゲルスの戦術やドイツ社会民主党のこれまでの実践の基礎になっていたのと、まったく同じ思考過程であり、同じ方法である。ロシア革命、典型的な大衆ストライキの最初の歴史的な実地試験ともいえるこの革命は、アナーキズムの名誉回復などにけっしてつながるものではない。それどころか逆に、アナーキズムの歴史的精算を意味している。」174P
「プロレタリアートがなんらの政治的権利をもたず、極度に劣弱な組織しかなかった国、いりみだれた混乱した利害をもつ多様な階層の雑多な錯綜、人民大衆の乏しい教育、さらに支配体制側のきわめて残忍な暴力行使、これらすべての条件は、アナーキズムが、おそらくは短命であるとしても、急激な勝利をおさめるのにうってつけと思われた。そのうえ、なんといっても、ロシアはアナーキズムの歴史的発祥地であった。しかしながら、事実は、パクーニンの祖国がかれの教理の墓地にならざるをえなかったのである。ロシアでは、アナーキストは、大衆ストライキ運動の先頭に立たなかった。もちろん、いまも立っていない。」175P
「アナーキズムは、ロシア革命のなかでは、もはや戦闘的プロレタリアートの理論ではなく、反革命的ルンペン・プロレタリアートの看板イデオロギーであるにすぎない。かれらは、革命の戦艦を追ってうようよと集まってくる蚊の一群に似ている。このようにして、アナーキズムの歴史的生命は、ほとんど終りを告げているのである。」176P
「他方、ロシアにおける大衆ストライキは、労働者階級の政治闘争とくに議会闘争を回避して、急転直下、いきなり社会革命にとびこむための手段などではけっしてなく、なによりもまず、プロレタリアートのために、日常の政治闘争の条件、とくに議会闘争の条件をつくり出す手段だったのである。大衆ストライキをもっとも重要な武器としてきたロシアの革命的闘争は、はたらく人民とりわけプロレタリアートが、政治上の諸権利や諸条件をかちとるために行なう闘争であった。この労働者の政治上の諸権利や諸条件が、労働者階級の解放闘争においていかに必要であり、いかに大きな意義をもっているかは、マルクスとエンゲルスがいちはやく指摘したところであり、かれらが第一インターナショナルでアナーキズムに対抗して全力をあげて闘ったのも、まさしくこのためであった。したがって、これまでの大衆ストライキの観念と不可分に結びついていたアナーキズムが、今日では大衆ストライキの実践そのものと対立することになってしまい、逆に、これまでプロレタリアートの政治活動に対立するものとしてつよく非難されていた大衆ストライキが、今日では政治上の諸権利を獲得するための政治闘争のもっとも強力な武器だと考えられるにいたったが、このことはマルクス的社会主義の全教理の基盤ともいうべき史的弁証法の必然的な帰結であるといえよう。ロシア革命が大衆ストライキについてのマルクス主義の古い立脚点に根本的な修正を加えることを余儀なくさせたとしても、そのさい、一般的な方法と観点をあたらしい形態に適合させることで勝利をおさめるのは、マルクス主義者だけである。」176P
U アナーキストの大衆ストライキと自然発生的ストライキ
「かれら(アナーキスト)の「革命的」思考の素材的前提条件としては、ただ二つのことがあるにすぎない。ひとつは、空想的気分、そしてもうひとつは、今日の資本主義の涙の谷から人類を救い出そうとする善意と勇気である。この空想的気分にひたった思弁のなかから、すでに六〇年もまえに、大衆ストライキこそ、よりよい社会へもっとも手近で確実で、もっとも容易な手段である、という考えが生まれていた。また最近では、組合闘争だけが真の「直接的大衆行動」であり、これが唯一の革命的闘争である、といった考えも、このおなじ空想的気分のなかから生じている。とくに後者は、フランスやイタリアの「サンジカリスト」の最新の珍案としてよく知られているものである。これはアナーキストにとって致命的なことであるが、空想的気分にひたって思いついた闘争方法などは、いつも、とらぬ狸の皮算用であり、純然たるユートピアであるにすぎないばかりか、かれらは、このいやしくて醜悪な現実をいささかもかえりみようとしないために、この醜悪な現実のなかでは、革命的な投機性によって、しらずしらずのうちに、実際には、かえって反動のために協力するという結果になっている。」177-8P
「ロシア革命がわれわれに何かを教えるとするならば、それは、なによりもまず、大衆ストライキは、けっして人為的に「行使」されたり、盲󠄃めっぽう(ママ)に「決議」されたり、「宣伝」されたりするものではなく、歴史的必然性をもって、一定の契機ののもとに、社会的諸条件のなかから生まれてきたひとつの歴史的現象である、ということであろう。/それゆえ、問題を的確にとらえ、討議するためには、大衆ストライキが可能であるとか、不可能であるとか、有用であるとか、有害であるとか、抽象的に思弁をもてあそぶことではなく、階級闘争の現段階で大衆ストライキが起きた契機と社会的諸条件を追究するほかない。換言すれば、願望の見地から大衆ストライキに主観的判断をくだすことではなく、歴史的必然の見地から大衆ストライキの源泉に客観的な検討を加えることが必要なのである。」180P(下線は、本文では斜め傍点、以下同様)
「いまでは、大衆ストライキは、ドイツをはじめインターナショナルな労働者階級のいきいきした関心の的になっている。なぜなら、これは、まったくあたらしい闘争形態であり、つまり階級闘争の条件のふかい内的な変化の確実な徴候となっているからである。ドイツのプロレタリアートが――組合指導者の頑迷な抵抗などを無視して――このあたらしい問題にきわめてつよい関心を示しているのは、かれらの健康な革命的本能といきいきとした知性を証明している。」181P
「イェーナ大会の決議の核心は、ドイツの現状では国会議員選挙権にたいする反動的支配層のやみうちがかならず嵐のような政治闘争の時期への契機と合図になるであろうし、そのときにはドイツにおいても、闘争手段としての大衆ストライキがはじめて使用されるようになるであろう、ということである。」181-2P
「イェーナ大会の決議のなかで、ドイツ社会民主党は、ロシア革命がプロレタリア階級闘争のインターナショナルな条件におよぼした根本的変化を公式に承認し、階級闘争のきたるべき局面でのあらたな要求にたいして、党には適応能力と革命的発展能力があることを表明したのである。ここにイェーナ大会の意義がある。」182P
V ロシアにおける大衆ストライキの歴史
 ドイツとロシアの比較。ドイツにおける政治ストとして計画、更に大衆ストライキ182-3P
 ロシアにおける大衆ストライキの概略183-4P
「ロシア・プロレタリアートの内面的、政治的発展をしっているものは、だれでも、現在の大衆闘争時代の歴史が、このペテルスブルクでの一連のゼネラル・ストライキにはじまったものであることを認めるだろう。このゼネラル・ストライキは、その後さまざまな大衆ストライキのあらゆる主要なモメントを萌芽としてふくんでおり、すでにそれだけでも大衆ストライキ問題にとって、きわめて重要なものである。」184P
一八九六年のペテルスブルクのゼネラル・ストライキ184-6P
「・・・・・・一八九六年の最初のゼネラル・ストライキ以来、ロシア国内に激しい労働組合闘争がはじまったことである。この闘争の波は、ペテルスブルグからやがて他の地域にひろまり、社会主義のアジテーションと組織化に、まったくあたらしい局面をひらき、それによって、その後の、表面上は墓場のように静まりかえってしまった時期にも、地下運動を通してプロレタリア革命を準備することになった。」186P
 一九〇二年の三月のコーカサス地方での革命186P
 一九〇二年一一月、最初の真に革命的な反響としてのドン河畔のロストフのゼネラル・ストライキ186-7P
 一九〇三年春のゼネラル・ストライキ187-90P
「偉大な革命のながれがこの偽りの旗をかかげた小舟を方向転換させ、否応なく革命的プロレタリアートの小艦隊の先頭に立たせたのである。」188P
「ストライキ中の鉄道労働者は、ただちにこの二名の釈放を要求したが、受けいれられなかったので、列車を市から出さないとことを決議した。停車場にはストライキ中の労働者が全員家族をつれて線路に座りこんだ。それは、まるで人の海だった。かれらは、一斉射撃の警告をうけると、胸をひらいて「射て!」と叫んだ。銃弾は無抵抗に座っている群衆にあびせられ、婦人や子どもをまじえた三〇から四〇の死体が地上に横たわった。この知らせが伝わると、キエフ全市は、その日のうちにストライキに起ちあがった。群衆は、虐殺された人々の死体を抱きあげ、大衆行進をはじめた。」189P
「ニコライエフでは、軍隊が演習のために町から出てゆくまで運動の開始を見合わせよう、という社会民主党委員会の反対にもかかわらず、・・・・・・」189-90P・・・党の抑止をはねのけて民衆は進む、ほとんど自然発生性としての進展、ロシア十月革命のレーニン――トロッキーの武装蜂起を例外として。
「部分的な経済闘争やちょっとした「偶発的」な事件の無数の小さな水路から、革命は、合流して、たちまちのうちに大海原と化し、帝政ロシアの南部全域を数週間にわたって奇怪な革命的労働者共和国に変えてしまった。」190P
 一九〇四年の初めの戦争の勃発と大衆ストライキ運動の休止期190-1P
「こうして数年間、ブルジョア自由主義が政治の舞台の前面を占領し、プロレタリアートは、影の部分に追いやられていた。」191P
 一九〇四年一二月、バクーのゼネラル・ストライキから一九〇五年一月のペテルスブルクの大衆ストライキ191-6P
「プティロフ工場の二人の労働者が合法的なズパトトフ労働者同盟のメンバーであるという理由で馘首された。この処置が一月一六日、この工場の一二〇〇〇の全労働者の連帯ストライキをひきおこしたのである。」「ペテルスブルグのプロレタリアートとの革命的連帯こそゼネラル・ストライキの原因であり目的であることが強調された。」192P
「このばあいでもまた、あらかじめ組まれた計画や組織的な行動が、まず存在していたとは言えない。なぜならば、諸政党のアピールは、大衆の自然発生的高揚とはほとんど歩調をあわせることはできなかったし、指導者たちは嵐のように進むプロレタリアートの大群衆のためにスローガンをつくろうとしても、とうていおいつけなかったのである。さらに、いままでの大衆ストライキやゼネラル・ストライキは、個々に発生して合流した賃金闘争からおこったものであって、革命的情勢の一般的気分と社会民主主義的アジテーションの影響によって、賃金闘争が急速に政治的な示威行動に成長した。経済的契機と組合の分散的状態が出発点であり、包括的な階級行動と政治的指導はその結果であった。しかしこんどの運動は、ちょうどその逆である。一月から二月にかけてのゼネラル・ストライキは、あらかじめ社会民主党の指導のもとに革命的な統一行動として起こされた。」192-3P
「この闘争は、あらゆる小ブルジョア的自由職業――商店員、銀行員、技術者、俳優、芸術家――をとらえ、また家僕、下級警察官からルンペン・プロレタリアート層にまで浸透し、同時に都市から田舎へ流れこみ、兵営の鉄門さえも打ち砕いたのである。」193P
「計画と図式による「整然とした規律のある」闘争を愛好する連中の理論、とくに、遠くから「いかになさるべきであったか」を見きわめることができると自認している連中の理論によれば、一九五〇年一月の政治的ゼネラル・ストライキが無数の経済闘争へ四分五裂したことは、明らかに「大きな誤算」であり、そのためにあの大行動は「衰退」し、「燃えあがった藁の火」のような一時の興奮におわってしまったのだ、ということになるロシア社会民主党は、革命に参加したのであって、革命を「創造」したのではない。革命の法則は、革命の過程そのもののなかではじめて学びとられるものなのだ。たしかに、社会民主党も、ゼネラル・ストライキの当初の激浪がなんらめざましい成果もなく潮のようにひいてしまったので、一時は困惑におちいった。しかし、このいわゆる「大きな誤謬」をおかした歴史は、お節介な学校教師の推論などにおかまいなく、じつは、このとき、不可避的であると同時に、その結果を予想することもできないほど大きな革命の偉業をなしとげたのである。」193-4P・・・党の後衛的性格
「ペテルスブルグ事件の強力な衝撃をうけて、一月にとつぜんおこなわれたプロレタリアートの一斉蜂起は、外に向かっては、絶対主義にたいする革命的宣戦布告を意味する政治行動であった。しかし、この最初の全面的、直接的な階級行動は、電気衝撃のように、幾百万の人びとにはじめて階級的感情と階級意識を呼びさまし、この意味で労働者階級の内部にきわめて強力な影響をのこした。幾百万をかぞえるプロレタリア大衆にとって、これまで数十年間資本主義の鎖にしばられて辛抱してきた自分たちの社会生活、経済生活の耐えがたさが、とつぜん痛切に意識されるようになったのは、この階級的感情のすみやかな覚醒のあらわれであった。ここから、この隷属の鎖をゆさぶり、ひきちぎろうとする全労働者の運動が自然発生的におこってくるのである。近代プロレタリアートのかぎりない痛苦は、かれらに血のとまらない古傷を思い出させた。」195P
「経済闘争も、ここでは、実際上、行動の崩壊や分散ではなく、たんに戦線の移動にすぎない。すなわち、絶対主義にたいする最初の全面的衝突が急速かつ自然に資本との総決算に移行したのであり、このたたかいの性格にふさわしく、個々の分散的な賃金闘争の形態をとったのである。政治的階級行動は、一月にゼネラル・ストライキが経済的ストライキに分散したから崩壊したのではない。むしろ逆である。与えられた情勢と与えられた段階のもとで可能な政治行動の中身を使いはたしてしまったのちに、政治的階級行動は経済的活動に分散し、いや、むしろ転化したのだ。」195P
「絶対主義は、ロシアでは、プロレタリアートによって打倒されねばならない。しかしそのためには、プロレタリアートが高度の政治教育と階級意識をもつことが必要である。これらの条件は、しかし、パンフレットやリーフレットの類いよって充たされるものではない。生きた政治の学校、つまり、現実の闘争から、そしてその闘争のなかでのみ、革命の発展過程のなかでのみ、習得できるのである。さらにまた、絶対主義は、「充分」な「努力」と忍耐がありさえすれば、いつでも打倒できるというものではない。絶対主義の没落は、ロシアの社会の社会的・階級的発展のたんなるあらわれにすぎないのである。」195P
「革命の社会的過程の底をながれる多様な底流は、たがい交錯し、堰きとめあい、革命の内的矛盾を増大しながら、それによって結局は爆発を促進し、また爆発の力を相乗的に増大するにいたるのである。」196P
「絶対主義の打倒というという、外見上はきわめて明白でまったく機械的なこの問題は、しかし、このようにひとつの長期的な社会的過程の全体を必要とし、社会的な土台の完全な掘りかえしを要求するのである。最下位のものが上位に、最上位のものが下位に置きかえられ、外見上の「秩序」は混沌に、外見上の「無政府的」混沌はあたらしい秩序に転化する。」196P・・・運動のドラスティク性
一九〇五年春から夏の経済闘争の時期
「賃労働と資本のますます激化した全面的相互対立は、人民諸階層ならびにブルジョア諸階層の境界をはっきりと区分するために、また、革命的プロレタリアートとならんで自由主義的および保守的ブルジョアジーの階級意識をつくり出すために、ひとしく役立ったのである。都市の賃金闘争が強力な専制主義的モスクワ産業党の結成に寄与したのも事実であれば、リヴォニアの激しい農民蜂起の焔が有名な貴族的農本主義のゼムストヴォ自由主義を急速な破綻に導いたのも事実である。」196P
「社会民主主義の活発なアジテーションと指導によって、おくればせながら都市プロレタリアートに一月のプロローグの全教訓を身につけさせ、革命の今後の課題を明確に把握する可能性を与えた。しかし、これと関連して、なお、永続的な社会的性格をそなえた他の成果があらわれている。すなわち、経済的、社会的、知的、各面にわたるプロレタリアートの生活水準の全面的向上である。」197P
「このような、外から見れば革命の停滞期とみえる時期に、実際は、ロシア全土の内部において、革命の偉大な地下運動が、連日、休みなくつづけられているのだ。たえまない、はげしい経済闘争は、急速な近道をとおって、原始的蓄積ないし家父長的掠奪農業の段階から近代文明の段階へ資本主義を移行させた。現在では、ロシアの産業の実際の労働時間は、一一時間半労働を決めているロシアの工場法よりも前進しているだけではない。ドイツの現実の状態をすでに追いこしてしまっている。」199-200P
「今日は八時間労働、明日は大量ロックアウトと数十万の労働者の飢餓。このはげしい急速な革命的上昇と下降のなかで、永続的であるがゆえにもっとも貴重なものは、革命が与える精神的影響である。プロレタリアートの飛躍的な知的文化的成長、それが政治闘争や経済闘争のなかでの、かれらのたえまない前進のための確かな保証を提供するのである。しかし、それだけではない。労働者と経営者の関係そのものが顛倒することを忘れてはならない。一月のゼネラル・ストライキ、およびそれにつづいた一九〇五年のストライキは、資本家的「家父長支配」の原則を事実上撤廃させた。すべての重要な産業中心地の大工場では、労働者委員会の制度がおのずから設けられ、この機関だけが経営者と協議し、あらゆる争議を解決した。最後に、もっとも重要なことがある。すなわち、外見的には混沌としたストライキであり、「無組織的」な革命的行動と見えるものが、一月のゼネラル・ストライキ以来、熱狂的な組織活動の出発点になったことである。歴史は、ドイツ労働組合という幸福の家の戸口で、気むずかしい顔をして見張り番をしている官僚的俗物どもの鼻を、遠くから笑いながら、つまんでみせた。万一、ドイツで大衆ストライキのこころみがおこなわれるようなことがあるとすれば、そのばあい、絶対不可欠の前提条件として、あらかじめ組織を難攻不落の砦のようにかためておかねばならない、と言われているが、このような堅固な組織は、ロシアでは、逆にむしろ大衆ストライキのなかから生まれてきたのである。またドイツの労働組合の守護者たちは、たいてい、革命の旋風のなかにまきこまれると、組織は貴重な陶器のようにこなごなに砕けるのではないか、と懸念しているが、ロシアの革命は、それとはまったく反対の光景をわれわれに見せてくれた。大衆ストライキと市街戦の旋風と嵐のなかから、火焔と閃光のなかから、労働組合は、ちょうどヴィーナスが波のあいまからあらわれるように、生まれ出てきたのである。新鮮で若々しく、力づよくはれやかに……」200-1P
組合の形成201-5P
「このようにして、一月のゼネラル・ストライキに端を発し、今日になってもまた終わらない、この大きな経済闘争は、革命の広大な背景を形成して、外にあらわれたさまざまな事件とアジテーションとを相互に関連させながら、あるときは、いくつかの地点で個々の爆発をひきおこし、またあるときは、大規模なプロレタリアートの一斉行動をもたらしたのである。そして、この背景のなかからつぎつぎに、はげしい焔が燃えあがった。」205P
 一〇月のペテルスブルグの八時間労働の強行をともなう実験「この八時間労働制は、そのときまで出来高賃金制のもとで一一時間労働していた組織労働者にとって、いちじるしい賃金低下を意味した。だが、かれらはすすんでこれを受けいれたのである。こうして、一週間のうちに、八時間労働制は、ペテルスブルグのあらゆる工場、あらゆる職場を制し、   労働者のよろこびは限りないものであった。」206P
その後のストライキ206-8P
「しかし、その間、一〇月には、ブリギンの提出した国会法案にたいする回答として、第二回目の強力な全面的大衆ストライキが、鉄道従業員を先頭にして帝政ロシア全土にひろがった。この第二回目のプロレタリアートの革命的大行動は、一月の第一回目のものとは、すでに本質的にことなった性格をそなえている。政治意識という要素がこんどは、はるかに大きな役割を演じていたのである。」206-7P
「みじかい憲政の夢とおそろしい覚醒のあとの騒然たる情勢は、ついに一二月、帝政ロシア全土にわたって、三度目の全面的大衆ストライキを爆発させるにいたった。このときは、経過も結果も、前二回のばあいとは完全にことなっていた。政治闘争がもはや一月のときのように経済闘争に急激に分散することはなかったが、一〇月のときのように迅速な勝利をおさめることもなかった。」207P
「こんどの大衆ストライキはあからさまな蜂起に転化し、モスクワでは武装労働者によるバリケード戦と市街戦が見られた。モスクワの一二月は、政治行動と大衆ストライキ運動の上昇線の絶頂に達したまま、多事多端だった革命の第一年をとじたのである。」207-8P
「モスクワでの事件は、同時に、全体としての革命運動の論理的発展の現在のすがたと未来を示す、ひとつのテストケースであった。すなわち、革命運動は、不可避的にあからさまな一斉蜂起によって一応の結末に達するが、しかしこの一斉蜂起といえども、その前提となる一連の部分的蜂起を通らなければ、現実には起こりえない、ということを示している。そしてこれらの部分的蜂起は、それが部分的であり過渡的であるがゆえに、一応は外からみて部分的「敗北」に終わり、個々別々にとりあげて考えると「尚早」であったように見えるかもしれないのである。」208P
 一九〇六年ドゥーマをめぐる動きと空白208-9P
「自由主義者の幕間劇は終わったが、プロレタリアートの劇はまだ再開されていない。舞台はしばらく空いたままである。」208-9P
W 大衆ストライキの生命をもった躍動
「この歴史(ロシアにおける大衆ストライキの歴史)を一瞥しただけでも、ドイツで通常なされている議論とはかけらほども似ていない光景が見えるはずである。最高委員会の決定にもとづいて慎重な計画のもとに実施される政治「行動」などという、ひからびた図式ではない。大衆ストライキとは、そんな硬直した空疎な図式ではなく、血と肉をそなえた、脈動するひとつの生命なのだ。それは、革命の巨大な骨組から切りはなすことのできないものであり、また逆に、無数の血管をとおして、革命の末端にまでむすびついている。」209P
「ストライキ行動こそ、革命の脈動であり、もっとも強力な歯車なのだ。ひとことで言えば、ロシア革命に見られるような大衆ストライキは、プロレタリアートの闘争の効果をたしかめるためにぬけめなく考案された策略や手段ではなく、プロレタリア大衆の運動方式であり、革命のなかでもプロレタリアートの闘争の現象形態である。」210P
 大衆ストライキ問題を評価するための四つの一般的観点
一、 個別的示威行動と有機的に結合されたストライキ
「大衆ストライキを一個の行為ないし個別的行動と考えることは、完全な顛倒である。大衆ストライキは、むしろ、幾年、幾十年にわたる階級闘争の長い道程をあらわす指標であり、ひとつの集合概念である。」210P  個別的政治的活動的な例として210-1P
「純粋に政治的示威的ストライキが演じる役割は、あくまでも副次的なものであり、いわば巨大な平面と平面のあいだに囲まれた個々の小さな点の役割にすぎない。・・・・・・示威的ストライキは、闘争的ストライキとはちがって、きわめて高度の、党派性をもった規律と意識的な指導と明確な政治思想を見せてくれるものであり、したがって、図式どおりにゆけば、大衆ストライキとしては、最高の、もっとも成熟した形態であるはずなのだが、現実には、運動の初期にはたす役割がいちばん大きい。」211-2P 例として212-3P
「労働組合ケルン大会で「びっこの駄馬」(ママ)と名づけられたメーデーではあるが、・・・・・・」212P・・・ローザのまさに当事者性の問題なのに!?
二、政治的要因と経済的要因の関係
「今日のロシアにおけるプロレタリア的行動の本来の担い手である闘争的ストライキをしっかり観察してみると、このストライキのばあい、経済的要因と政治的要因をはっきり切りはなすことなど、とうてい不可能であることが、おのずからわかってくる。ここでもまた、現実のすがたから遠くへだたっているのである。純粋に政治的なストライキを論理的には労働組合的ゼネラル・ストライキから演繹し、そのもっとも成熟した最高の段階であるとしながら、同時にこの二つをはっきり区別しておこうとするペダンチックな見解は、ロシア革命の実際の経験によって根本的に否定された。」213P  例として213-4P
「運動は、全般的に見て、たんに経済闘争から政治闘争へという方向にすすんでいるのではなく、逆のばあいもある。大規模な政治的大衆行動は、いずれも、政治的な面で行けるところまで行きついてしまうと、あとはきわめて雑多な経済的ストライキに急変してしまうものである。このことは、大規模な大衆ストライキのひとつひとつについて言えるばかりでなく、革命全体にもあてはまる。政治闘争が拡大し、明確なかたちをとり、強化されていくにつれて、経済闘争のほうも、後退するどころか、むしろ政治闘争と歩調をあわせて、拡大し、組織をかため、強化されてゆく。両者のあいだには、完全な交互作用が存在するのである。/政治闘争のあらたな盛りあがりとあらたな勝利は、つねに経済闘争の強力な動因に転化し、経済闘争が起こりうる外的条件をつくりあげる一方、自分たちの状態を改善しようとする労働者の内的要求や労働者の戦闘意欲をたかめるものである。政治行動のあわだつ波のあとには、かならず、地味を肥やす沈殿物がのこり、ここから、経済闘争の無数の芽がもえでてくる。こんどは、逆のばあいを考えてみよう。労働者と資本の、やむことのない経済的戦争状態は、すべての政治闘争が休止しているときにも、闘争のエネルギーを持続させ、いわば、プロレタリア階級の活力をつねにみずみずしくたたえた貯水槽となって、政治闘争にたえず新鮮なちからを供給している。経済的側面においてたゆまず続けられているプロレタリアートの鑿岩工事は、たえず個々の地点で尖鋭な衝突をひきおこしているが、予知できない大規模な政治闘争も、こうした個々の衝突のなかから爆発するのである。/ひとことで言えば、経済闘争は、政治闘争のひとつの結び目からつぎの結び目への媒介者であり、政治闘争は、経済闘争の土壌をゆたかにするための周期的な施肥である。原因と結果は、ここでは、あらゆる瞬間にその位置をかえる。したがって、大衆ストライキ時代の経済的契機と政治的契機は、ペダンチックな図式が主張するように、きれいに分離したり、排除しあったりするものではなく、むしろ。ロシアでのプロレタリア階級闘争のもつ、からまりあったふたつの面をかたちづくっているのである。そしてこの両面の統一体こそ、大衆ストライキにほかならない。」214-5P・・・経済的契機と政治的契機の相作性
三、大衆ストライキと革命
「ロシアでの経過は、大衆ストライキが革命から分離できないものであることを教えている。ロシアでの大衆ストライキの歴史は、そのままでロシア革命の歴史にほかならない。」215P
「革命を市街戦や暴動、すなわち「無秩序」という観点からのみ眺めようとするのは、警察の立場にほかならない。科学的社会主義の立場は、これとことなり、革命を、なによりもまず、社会の階級関係の徹底的、根本的な顚覆であるとみなしている。」216P
「階級社会の厚い壁と社会的基盤がゆらぎ、たえず変化しはじめる革命の時代であれば、プロレタリアートがおこなういかなる政治階級行動でも、従来無関心だった労働者層をまたたくまに傍観的な状態から奮起させることができる。」217P
「大衆ストライキという表現形態をとりながら、経済闘争を政治闘争に、政治闘争を経済闘争に直接転化することのできるような社会的条件は、革命によってはじめてつくり出せるのである。」217P
「現実には、大衆ストライキが革命を生むのではなく、革命が大衆ストライキを生み出すのである。」217P
四、大衆的ストライキの指導のイニシャチヴの問題
「大衆ストライキが個々の行動ではなく、階級闘争のひとつの時期全部を意味し、また、この時期が革命の時期と一致しているという以上、かりにきわめて強力な社会民主党の最高機関が決定をくだしたとしても、大衆ストライキが任意にひきだせるものでないことは、明らかである。自己の判断にもとづいて革命を演出したり、とりやめたりする決定権が社会民主党の手中にないかぎり、社会民主主義者の諸集団がいかに大きな情熱をもち焦燥感にかられているとしても、それだけでは、とうてい、ほんとうの大衆ストライキの時代を力づよい生きた民衆運動として展開することはできない。」217-8P
「ほんとうの革命的ストライキの時代からは区別されるべきものである。たんなる規律と情熱のなかから生まれた大衆ストライキは、せいぜいのところ、ひとつの挿話として、つまり労働者階級の戦闘機分のあらわれとしての役割をはたすだけで、ストライキがすめば、状況はまたもとの平和な日常性のなかに逆もどりしてしまうのである。」218P
「ロシアでのすべての大衆ストライキにおいて、推進力としてであれ、抑圧力としてであれ、例外なく自然発生的な要因が大きな役割を演じた。これはロシアの社会民主党がまだ若く、弱体だからではない。ひとつひとつの行動において、予測できないきわめて多くの経済的・政治的・社会的要素、全般的・地方的要素、物質的・心理的要素が同時にはたらいており、どのひとつの行動をとってみても、計画問題のように式を立ててかんたんに解くことなど、とうてい不可能である。革命とは、社会民主党を先頭にプロレタリアートが指導的な役割を演じているばあいでも、けっしてプロレタリアートの野外演習のようなものではなく、すべての社会的基盤を休みなく粉砕し、解体し、移行させつづける、はげしい不断の闘争なのである。要するに、ロシアの大衆ストライキにおいて自然発生的要因が主要な役割を演じたのは、ロシアのプロレタリアートが「無教育」だったからではない。革命というものが教師づらをゆるさないからである。」219P
「革命の時代そのものが、この一見どうしようもない難問を解決してしまうとは、いったいどういうことなのか。それは革命と同時に大衆のなかにあふれんばかりの理想主義が呼びさまされ、いかに激烈な苦痛をもわすれさせてしまう、ということにほかならない。」220P
「社会民主党は、革命時代のさなかにおいてもやはり政治的な指導はひきうけねばならない。闘争にスローガンと方向を与え、政治闘争の戦術をりっぱにととのえることが、このばあい、大衆ストライキの時期における「指導」のもっとも重要な課題である。つまり、党は、プロレタリアートの内在している力、すでに発現し活動しはじめたすべての力が、闘争のあらゆる局面、あらゆる時点で現実の力となり、しかも、その力が党の戦闘態勢のなかで発揮されるようにしなければならないし、また、党の戦術を、果断さと尖鋭さという点から見て、けっして実際の力関係の水準以下に立てることなく、むしろこの力関係に先行させなければならない。こういった指導は、もちろん、ある程度まではおのずから技術的な指導に変化する。社会民主党の、断乎として前進をめざす首尾一貫した戦術は、大衆に信頼感と自信と闘争意欲をよびさますものだし、逆にプロレタリアートの力の過小評価にもとづいた、不確かな弱々しい戦術は、大衆をまどわし、意志消沈させてしまうものである。」221P
X ロシアの教訓のドイツへの適用(違いの強調への批判)
 まず一般的に押さえられていること222-3P
「ロシア革命では政治闘争と経済闘争のあいだにきわめて密接な内的連関があり、この二つを統一する表現形態が一連の大衆ストライキであった。しかし、これは、たんにロシアの絶対主義から生じた結果なのではあるまいか。労働運動のあらゆる形態とあらゆる表現が禁止され、ごく単純なストライキでさえ政治的な犯罪とみなされてきたような国である。経済闘争がつねに政治闘争になってしまうのは、論理的に当然の帰結といえよう。」「ロシアの労働者のいままでの生活水準がきわめて低く、しかもこの労働者の状態を改善するために、まともな経済闘争がひとつもなされていなかった、というロシアの状況のたんなる結果なのだ。」「ロシアが政治的に立ち遅れていて、なによりもまず東洋的専制主義を顚覆する必要があったわけだし、他方から見れば、ロシアのプロレタリアートに組織と訓練が欠如していたとも言えるのである。」222P  
問題の順次考察223-30P
「ロシアでの経済闘争が革命と同時にはじまったとするのは、根本的にまちがっている。」223P「革命前の帝政ロシアのプロレタリアートが例外なく窮民の生活状態にあったという観念にも、かなりの誇張が含まれる。」224P
 ロシアとドイツの差異の検証として、ドイツ側の検証225-30P
「ドイツの労働者の実際の生活水準のほうをすこしつっこんで眺めるならば、両者の差異はさらに小さなものになる。」225P ドイツの「鉱山労働者の窮乏」225P「繊維労働者の窮乏」「家内労働者の窮乏」「既製服仕立工の窮乏」「電気労働者の窮乏」「鉄道従業員と郵便従業員のかがやかしい窮乏」226P「農業労働者の窮乏」228P
「われわれが、労働組合に組織された種々の工業部門や手工業部門の一覧表から眼を転じて、完全に労働組合闘争の外側におかれているプロレタリアートとか、あるいはかれらの特殊な経済状態を労働組合の日常闘争の狭い枠のなかにおしこめきれないでいるプロレタリアートの大群を眺めるならば、ドイツのプロレタリアートがロシアのプロレタリアートにたいして経済的に優位に立っているなどという俗説は、いちじるしく形を変えねばならぬはずである。」228-9P
「革命的な情勢から生まれた、工業プロレタリアートの真の強力な仮借ない闘争ならば、どん底の階層もただちに反応し、正常な泰平な時代には労働組合の日常闘争の圏外に立っていたすべての労働者階級が、嵐のような全面的経済闘争にまきこまれてゆくことは疑いない。」229P
「詳細に検討するならば、現在の革命のなかでロシアのプロレタリアートがおこなっている経済闘争のすべての問題点は、ドイツのプロレタリアートにとってもまた、きわめてアクチュアルであり、労働者としの存在の傷口にふかく触れるものばかりである。」230P
「経済闘争と政治闘争の交互作用は、ロシアにおける今日の大衆ストライキの内的原動力であると同時に、プロレタリアートの革命的行動のいわば一種の調整機関となっているが、ドイツでも、これは状況そのもののなかから、ごく自然的なかたちで生じてくるはずである。」230P

Y ドイツにおける大衆ストライキ問題と組織の関係
「この問題についての多くの労働組合指導者の態度は「大衆ストライキなどという、そんな冒険的な力だめしをしてみせるにはわれわれの実力はまだ充分ではない」といった主張に言いつくされている。」231P
「しかし、一方、労働組合というものは、その他あらゆるプロレタリア闘争組織と同様、闘争による以外には、みずからを維持することができないのである。」232P
「ロシアにおけるこのような現象のみごとな実例を見た。ロシアでは、それまでにほとんど組織されていなかったプロレタリアートが一年半の嵐のような革命闘争のなかで、広汎な組織網をつくり出したのである。」232-3P
「闘争のなかでみずからの力をためし、闘争のなかからあらたに再生するという、これこそ、プロレタリアートの階級組織にふさわしいプロレタリアート独自の成長方法なのである。」233P
「ともかく大衆闘争が成功するためには、なによりもまず、これが真の民衆運動になること、つまりプロレタリアートのもっとも広汎な層を闘争にひきいれることが必要である。議会主義の枠のなかでさえ、プロレタリアートの階級闘争の力の根源は、中核にあたる組織労働者ではなく、広汎な周縁部の革命的プロレタリア層なのである。」233-4P
「組織が戦闘部隊をつくり出すだけでない。闘争が組織のために新兵をつくり出すことのほうがはるかに重要である。」234P
「労働者階級の組織的中核としての社会民主党がすべてのはたらく人民の指導的前衛部隊であり、この組織が労働運動の統一や力や政治的透徹性の源泉となっているとしても、プロレタリアートの階級闘争を少数の組織労働者の運動として理解することは、けっして許されないことである。現実のすべての偉大な階級闘争は、かならず、もっとも広汎な大衆の支持と協力に根ざしている。この協力を計算にいれず、たんにプロレタリアートの軍隊の少数部分がくりひろげるみごとな分裂行進だけを目安にして階級闘争の戦術を編み出したとしても、そんなものは、はじめからみじめな失敗に終わるに決まっているのである。」234P
「組織され、教育され、意識のすすんだ、ドイツの、あるいは他の西ヨーロッパ諸国の労働者階級にくらべて、無教育で、意識もおくれ、組織もほとんどつくられていない、若いロシアのほうが、はるかに強烈な階級的本能をもっている、ということにほかならない。」235-6P
「社会民主主義によって植えつけられた階級意識は、あくまで理論的なものであり、潜在的ものである。ブルジョア議会主義が支配する時代には、この階級意識が直接的な大衆行動となって発現することは、原則的にありえない。ここでは階級意識とは、要するに、選挙闘争のあいだ、四〇〇の選挙区で併行的におこなわれる同数の地域的行動と数多くの部分的な経済闘争、およびそれに類したその他の闘争の、観念的な総和にすぎない。階級意識が実践的なものとなり、積極的なものとなるのは、大衆自身が政治の舞台に姿をあらわす革命のなかにおいてである。三〇年間の選挙闘争や労働組合闘争がドイツのプロレタリアートに与えることのできなかった「教育」を、ロシアのプロレタリアートは革命の一年で自然に身につけてしまった。」236P
「ドイツにおける諸条件がこのような時代を成熟させる段階にさしかかったときには、今日まだ組織されていない遅れた層が、前衛分子にひきずられてゆくどころか、闘争のなかで、ごく自然に、もっとも急進的でもっとも精悍な要素となるであろう。」237P
「党や労働組合の人為的な指令のもとに少数の組織労働者がおこなう示威的大衆ストライキなどというペダンチックな図式を棄てて、階級対立と政治状況が極度に尖鋭化したところから原初的な力もって発生し、嵐のような経済的政治的大衆闘争、大衆ストライキに爆発する、真の民衆運動の生きたイメージを思い浮かべるならば、社会民主党の任務が、大衆ストライキの技術的準備や指導にないことは、おのずからわかってくるはずである。社会民主党の任務は、なによりもまず、運動全体の政治的な統率にあるのだ。」237P
「社会民主党は、最大の啓蒙性と階級意識をそなえたプロレタリアートの前衛である。われわれが運命論者のように手をこまねいて、「革命的状況」が到来し、自然発生的民衆運動が天から降ってくるのを待つことは、できもしないし、許されてもいない。反対に、われわれは、事態の発展にさきんじて、現実の動きを促進しようと努力しなければならない。これは、われわれが勝手なときに、やぶからぼうに大衆ストライキの「呼びかけ」をおこなうことで、はたせる問題ではない。われわれは、なによりもまず、広汎なプロレタリア層にたいし、この革命的な時代の到来の必然性や、この時代を用意する社会的要因とその政治的帰結などを明らかにしなければならない。できるかぎり広汎なプロレタリア層が社会民主党の政治的大衆行動に参加し、逆にまた、この大衆運動のなかで社会民主党が真の指導権を確保し、政治的な意味において運動全体を統率すべきあるとするならば、党は、きたるべき闘争の時期には、首尾一貫した決然たる態度でドイツのプロレタリアートのために、あくまでも明快な戦術と目標を示すことができなければならない。」237-8P
Z ロシアの大衆ストライキとドイツの連動性
「ロシア革命は、絶対主義の除去とブルジョア議会主義による近代的立憲国家の樹立を当面の課題にしている。」「この二つの西欧ブルジョワ革命(ドイツにおける三月革命とフランス大革命)と今日の東欧のブルジョワ革命のあいだに、資本主義の発展の一周期が完全に経過しているという事情であろう。」238P
「あくまでもブルジョア革命であるこの革命(ロシア革命)が、主として、階級意識をもつ近代的プロレタリアートによって、それもブルジョア民主主義の没落を特徴とするインターナショナルな環境のなかで、遂行されるということである。」239P
「ロシア革命のこの二重性(絶対主義への闘いとプロレタリアートの「人間らしい生活の確立」を目指す)は、経済闘争と制度闘争のふかい結合と交互作用というかたちをとっていた。この交互作用は、ロシアでのかずかずの事件を実例にして、われわれがすでに見てきたところであるが、これを適切に表現しているのが、ほかならぬ大衆ストライキであった。」239-40P
「大衆ストライキが広汎なプロレタリア層を行動に結集させ、大衆を革命化し、組織するための、ごく自然な手段として登場する。これはふるい国家権力を土台からくつがえすと同時に、資本主義の搾取を阻止する手段となっているのだ。現在では、都市の工業プロレタリアートがロシア革命のたましいである。しかし、なんらかの直接的な政治行動を大衆的な規模で遂行するためには、プロレタリアート自身がまず結集しなおして、大衆を形成しなければならない。プロレタリアートは、この目的にために、工場や仕事場や鉱山や精錬所から出てきて、かれらが日々資本の桎梏につながれながら、個々の職場において分断され粉砕されている現状を、まず克服しなければならない。大衆ストライキは、このようにして、プロレタリアートのあらゆる偉大な革命行動がとる第一の自然な衝動的形態となるのである。」240P・・・ここから現代的に生み出す新しい方法は?
「こう見てくると、大衆ストライキが絶対主義から生まれたロシア特有の産物などではなく、資本主義の発展と階級関係の現段階から生じたプロレタリア階級闘争の一般的な形式であることは、明らかである。」241P
「(ロシアの)ブルジョア革命がまったく弁解の余地のないほど遅れてしまっていたために、かえって、このもっとも立ち遅れた国が、ドイツその他のもっとも進んだ資本主義諸国のプロレタリアートにたいして、これからの階級闘争の道筋と方法を教えているのである。」242P
「ドイツの労働者は、ロシア革命を自分自身の問題と考えることを学ぶべきである。それも、たんにロシアのプロレタリアートにたいするインターナショナルな階級連帯の意味においてではなく、なによりもこの革命をみずからの社会史および政治史の一章と考えることをまなばねばならない。」242P
「ロシア革命は、インターナショナルな労働運動、とくにドイツの労働運動の実力と成熟度をはっきり映し出しているのである。」243P
「ドイツではもはやブルジョア革命など問題となりえない。したがつて、ドイツで公然たる政治的人民闘争の時代がはじまったばあい、歴史的必然の最終目標として問題になりうるのはプロレタリア独裁しかないのだ。」245-6P
「しかし、われわれが描いた展望には大きな矛盾がなかっただろうか。一方では、きたるべき政治的大衆行動の時期には、なによりもまず、農民労働者、鉄道員、郵便局従業員など、ドイツ・プロレタリアートのもっとも遅れた層が、団結権を獲得し、搾取という最悪の癌をまず除去しなければならない、ということであった。他方、この時期の政治課題は、はやくもプロレタリアートによる政治権力の奪取である! という。一方には、もっと身近かな利益のため、労働者階級の物質的向上のための経済的組合闘争があり、他方には、すでに社会民主主義の究極目標がある。たしかに、たしかにこれは大きな矛盾である。しかし、これは、われわれの論理の矛盾ではなくて、資本主義の発展そのものの矛盾なのだ。資本主義は美しい直線をえがいて進むものではない。稲妻のような嶮しいジグザグをえがいて進むのである。さまざまな資本主義国家がさまざまな発展段階を示すと同様に、個々の国の内部のでも同一の労働者階級にさまざまな層がある。しかし、歴史は、おくれた国とおくれた層がもっとも進んだものに追いつき、全体が密集した隊列のようにシンメトリックに動きだすことができるまで、我慢づよく待ちはしない。状況が成熟するやいなや、最先端の露出した地点で、はやくも爆発を惹き起こすのである。そして、革命時代のあらしのなかで、わずかな日月のあいだにいままでの遅れをとりもどし、不均等を均等化し、全社会の進歩の足どりをまたたくまに突撃のかけ足に転じさせてしまうのである。」246P
「ロシア革命においては、発展の全段階とさまざまな労働者層の利益が社会民主党の革命綱領に結合され、無数の部分的闘争がプロレタリアートの大規模な全面的階級行動に結合されたが、ドイツにおいても、状況が熟するならば、同様の結果がみられるだろう。そのときの社会民主党の任務は、戦術の基準を発展のもっとも遅れた段階にあわせることではなく、もっとも進んだ段階にあわせることになるであろう。」246-7P
[ ドイツのこれから、党と労働組合との関係
「ドイツの労働者階級が待ちこがれている偉大な闘争の時期は、遅かれ早かれ、いずれ到来するであろうが、そのときになって、首尾一貫した確呼たる戦術とならんで、なによりも必要とされるものは、できるかぎりの行動力である。」247P
「ところが、大規模な大衆行動を準備する段階の最初のごくおとなしいこころみさえ、この点(統一の必要)ですでに重要な欠陥があることをさらけだしてしまった。欠陥とは、つまり、社会民主党と労働組合という労働運動の二つの組織が完全に分離し、独立している、という事実である。」247P
「労働者階級の階級闘争に経済闘争と政治闘争という二種類の闘争があるわけではない。ただひとつの階級闘争があるだけなのだ。それはブルジョア社会の枠の中で資本家の搾取を制限することをめざすと同時に、搾取はもちろん、ブルジョア社会そのものを一挙に廃止することをめざす闘争である。」248P
「これらは、たんに労働者階級の解放闘争の二つの局面、二つの段階をあらわしているにすぎない。労働組合の闘争は労働運動の現在の問題を包括し、社会民主党の闘争は未来の問題を包括しているのだ。」249P
「労働組合が社会民主主義の一部であるという理論上の関係が、そのまま模範的なかたちで現実の生きた実践のなかに見いだされる国は、ほかならぬこのドイツなのである。」251P
 このことを三つの面からの考察「第一に挙げなければならないのは、ドイツの労働組合は直接に社会民主党から生まれたということである。」251-2P「第二に、社会民主主義の理論が労働組合の実践の核心をなしている」「第三に、労働組合の指導者たちの意識からしだいに薄れて来ているが、数量的な面からみても、労働組合が現在もっている力は、社会民主主義の運動と社会民主党のアジテーションの結果である。」252P
「これらのすべてのことが、階級意識をもった普通の労働者に、かれらが労働組合に組織されることが、そのまま労働者政党に所属することであり、社会民主主義的に組織されることだ、という感じを与えるまさしくこの点にドイツ労働組合独自の宣伝力の秘密がひそんでいるのである。労働組合の中央諸団体が今日の勢力に達しえたのは、けっして中立主義的な外見のためでなく、労働組合の本質がじじつ社会民主主義的であったからである。」254-5P
「ドイツでは、社会民主党のほうが、労働組合の新兵養成機関になっているのである。」256P
「社会民主党と労働組合のあいだの、いわゆる対立などは、このような状況のもとでは、組合職員の上層部と社会民主党のあいだのけちくさい対立にすぎない。しかし、これは同時に、労働組合の内部では、労働組合指導者の一部と組合に組織されたプロレタリア大衆の対立でもあるのだ。」257P
「しかしながら、発展の弁証法(?)によれば、労働組合の成長に必要なこの促進手段も、やがて組織が一定の大きさに達し、諸条件が一定の成熟段階に達すると、その後の生長を阻害するような正反対のものに、変質してしまうのである。」257P
「労働組合職員は、組合幹部としての活動が専門職業化し、平穏な時代の分散した経済闘争のなかで、当然、視野も狭く(ママ)なり、官僚主義におちいりやすく、融通のきかない考えをしがちである。」258P
「社会民主主義は、真実の全体をとらえるのであって、当面の活動とその絶対的必要性を強調すると同時に、この活動の批判と限界をも重要視しなければならない。ところが、この真実の半分しか見ようとせず、全体のなかから日常活動の積極面だけをとりあげて、のこりは適当に切り捨ててしまうのである。」258-9P
「ゾンバルト教授」259P
「警察が労働組合にむりやり押しつけた、いわば強制的な政治の「中立性」のなかから、のちには、この中立ということが労働組合闘争の本質そのものに根ざした必然的なものであるという、いわゆる自然的中立の理論が出てきた。労働組合の技術的独立のほうも、元来は社会民主主義的に統一された階級闘争の内部での実践的分業にもとづいていたものが、やがて労働組合を社会民主主義の思想と社会民主党の指導からひきはなす継起となり、いわゆる社会民主党にたいする「同権」に変質したのである。」260-1P
「このようにして、ここに、独特の事態が生まれ、下部、すなわち広汎なプロレタリア大衆のあいだでは、社会民主党となんらことなるところのない同じ労働組合運動が、上部、すなわち上級管理機構では、社会民主党から分裂し独立した第二勢力として、社会民主党と対立することとなったのである。したがって、ドイツの労働運動は二重ピラミッドという特殊な形態をとり、その底辺と主要部分は強固な一枚違和から成り立っているが、二つの地要点は、遠くはなればなれになっているのだ。」262P
「労働運動の真の統一のための確証は、上部の労働組合指導部やその同盟機関ではなく、下部の組織されたプロレタリア大衆のなかに存在している。百万の労働組合員の意識のなかでは、党と労働組合は、事実上、一体であり、この二つの組織は、いわば社会民主主義のプロレタリア解放闘争がことなった形態をとってあらわれたものであるにすぎない。社会民主党と労働組合のあいだの摩擦をとりのぞくためには、当然、両者の関係を、こうしたプロレタリア大衆の意識に適合させる必要がある。言いかえれば、労働組合をもう一度社会民主主義に結びつけることが必要なのだ。」263-4P
「社会民主主義的労働者大衆は、そろそろ、自分たちの判断能力と行動能力を表現することを学んでもいい。そして、大きな課題をもった、きたるべき偉大な闘争の時代に立ち向かう資格が、自分たちに充分あることを、いまこそ、はっきり示すべきである。その時代のなかで行動の大合唱をおこなうのは、かれら大衆であり、指導部は、たんなる「スポークスマン」すなわち大衆の意志の代弁者でしかないのである。」264P

 この選集には、編集者・訳者の解説が付けられていません。各巻共通の「付記」があるだけです。ですが、訳者か出版社がつけたと思われる各巻の帯が参考になるので、抜き書きしておきます。
(この巻の帯)
「政治的大衆ストを領導しうる前衛党の建設へ 1905年、遂にロシア革命が爆発した。ドイツに革命が近づいている! 指導者は何をしているのか。ローザの激しい弾劾がつづく――大衆的ストライキ(マッセンスト)への大胆緻密な理論を展開しつつ労働組合のアナルコサンディカリズムを越え、大衆蜂起の地平を拓く。」・・・ローザの理論は、ローザも「前衛党」という文言は使っているのですが、「前衛党論」にはなっていないのでは? 「マルクス―レーニン主義者」からのとらえ返しになっているのでは?

posted by たわし at 04:25| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

三上智恵/大矢英代共同監督「沖縄スパイ戦史」

たわしの映像鑑賞メモ042
・三上智恵/大矢英代共同監督「沖縄スパイ戦史」2018
この映画は、劇場公開のときに両監督のアフタートーク付きで観ました。そもそもこの映像鑑賞メモのはじまりは三上さんの劇場公開第一作映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」2015(映像鑑賞メモ001)で、その後の劇場公開の映画を観続けています。(三上さん関係の映像鑑賞メモは後004、006)しかし、この映画劇場上映の時は、昼夜逆的になっていて、朝一番の回で睡眠不足で観たこともあったのですが、何かもやもやとしたことがあって、よく内容をつかめませんでした。で、メモを残せなかったのです。で、今回はケーブルテレビの「日本映画チャンネル」で放映したのでやっと再度観れました。
この映画は二冊の本になっているので、その本を読んでメモを残しています(読書メモ、536・537 「反障害通信」96)。
この映画はインタビューを元に構成されているドキュメンタリー映画で、戦争の被害と加害が交差する映画です。話の内容は、墓場まで持って行きたいような語り難い内容で、三上さんの本の中で、書かれていた証言をするひとたちの「明るさ」のようなこと、それが何か、というような心の機微のようなことを映像から読み取ろうとしました。結局、それ自体で一本のドキュメンタリー映画が作れるようなことです。とてもつかみきれないのですが、自分が他者から注目されるということでの晴れがましさのようなことも少しはあるのでしょうが、それよりも、重い思いを背負ってきた立場を生き抜いてきたところで、そこから反転するような明るさなのかもしれません。
「もやもや」ということを書いたのですが、今回テレビで見ていても、そのもやもや観にとらわれていました。8月は原爆忌、終戦ということがあり、悲しい体験が語られるとき、そのことを封印したいという思いに駆られます。そんなことがあるのかも知れません。
戦争ということのとらえ返しは、三上さんが本のなかで素敵な文で書かれているので、ぜひそれを読んでもらいたいと思っています。わたしとしては、なぜ国家などという幻想にとらわれていくのか、今、世界のリーダーたちがまさに国家主義的なところで対立を煽っていく現状で、わたしたちはこの国家主義と対峙しているのだと思いをもち、そこから起きる戦争や、そもそもなぜ軍隊などもとうとするのか、というようなことまでこの映画を観ながら思いを馳せていました。
この映画は、いろんな賞を取っています。そして、異例的にケーブルテレビにもとりあげています。そして、ケーブルテレビを見れないひとは、劇場映画館で再上映も決まっているようです。関東圏は、「ポレポレ東中野」8/22(土)〜9/4(金) 時間帯調整中 『沖縄スパイ戦史』
劇場のホームページをhttp://www.mmjp.or.jp/pole2/を確認して、観に行ってください。


posted by たわし at 17:59| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

榊原賢二郎編著『障害社会学という視座―社会モデルから社会学的反省へ』

たわしの読書メモ・・ブログ541
・榊原賢二郎編著『障害社会学という視座―社会モデルから社会学的反省へ』新曜社2019
 この本は出された直後に買ったのですが、丁度、障害学関係の集中学習を終えて、他に転じていたときで、榊原さんの本は単著を一冊読んでいて、立岩さんとの論争のようなことも押さえていたので(註1)、新しく始めていた集中学習の後にと、積ん読していました。
 で、わたしが参加しているメーリングリスト(「障害学研究ネットワーク」のML)で、この本を読んだひとが「「障害学はもう終わっている」のでしょうか?」という刺激的な投稿をしていているのを見て、そもそもこの本を読まないまま「学」にあるまじき、「そもそも、社会モデルは過渡の理論なのです」という応答をしてしまいました。
「「学」にあるまじき」と書いたのですが、「学研究」という性格のMLです。それに合わせることが要求されると言う意味で、そんなことを書いたのですが、わたしは元より「学者」ではありません。「障害者運動」サイドから、運動の理論的整理が必要と学習しています。もともと実践志向で、事務的なことにやりがいを見出していた立場です。ですが、そもそも70年代の日本の「障害者運動」のなかで、かなり感性的に鋭い提起がなされていたのに、それがきちんと理論化されないまま、80年代に入って、外国からの運動や理論が入ってきて、まるでそのあたりで断絶が起きたかのように、それまでの日本の運動がなかったかのようになってしまいました(註2)。誰も整理の作業をするひとがいないから、やむにやまれぬ思いで、この作業をしているのです。たとえば、今、ここで問題になっている「障害の社会モデル」にしても、70年代から「障害個性論」(これも過渡の理論です)の脈絡ですが、「わたしたち(「障害者」)が変わるのではなく社会を変えよう」というスローガンが突き出されていました。これが、「社会モデル」の「走り」のひとつではないかとわたしは思っています。(註3)
理論の未整理はイギリス障害学の「社会モデル」でも出ています。第2世代といわれるひとたちの第1世代と言われるひとたちへの批判が出てきて、その論点が整理されないままに、議論が進行する中で、たとえば、WHOの障害規定のICIDHの改定の議論が進み、それがICFという形で出され、「障害者権利条約」という形で進んでいったのですが、「権利条約」は、障害の規定さえなしえぬままに、結局その中身は、アメリカ障害学の内容になってしまったとしか思えません。そのことは‘障害者’の英語表記のdisabled peopleではなくて、米語のpersons with disability が採用されていることに端的に表れています。(註4)
 さて、権利条約の締結から、日本で批准するに当たって、国内法の整備が進められました。そして、そのなかで、「障害の社会モデルに基づく、法改正」とかいう文言があったのですが、出てきた、例えば「改正障害者基本法」では、その障害概念は、少なくとも、イギリス障害学の「社会モデル」ではありませんでした。しかも、「障害は医学モデル、「社会モデル」は障壁」という内容でした。どう見ても、相も変わらず医学モデルを基調に、「環境的要因」も入れ込んだという論理になっているとしかわたしには思えません。
 さて、この本の話に戻ります。この本はイギリス障害学の第2世代の第1世代への批判の内容を押さえて、新たなステップへの展開の試みだとわたしは押さえています。これを、社会学や哲学的なところからとらえ返す作業をしています。哲学など持ち出すとよけい難しくなるということがあるのでしょうが、一度押さえると、そこからいろいろな難問を解きほぐしていく作業に使えます。そのようなこととして、かじった程度の哲学的知識を「素人の恐れ知らず」で、いろんなジャンルの哲学を、間違っていたら、識っているひとから指摘してもらい、「間違っていたら、余計対話の深化に役に立つ」という意味も含んで、使ってみます。(註5)
 まず、ヘーゲルの弁証法の、テーゼ――アンチテーゼ――ジーンテーゼという概念を利用してみます。これは、医学モデルをテーゼにして、そのアンチテーゼとしてイギリス障害学の「社会モデル」、そしてジーンテーゼがこの本の中では、「社会学的反省」となります。医学モデルにアンチテーゼとしてイギリス障害学(第1世代)を置いたときには、著者のジーンテーゼは「障害社会学」となります。また、イギリス障害学の第1世代をテーゼに、アンチテーゼを第2世代として、著者の試み「社会学的反省」がジーンテーゼの試みとなります(註6)。わたしには著者の試みの中での、言葉使い的にちょっと不明な点が出て来ます。障害学はいろいろあって、アメリカ障害学の社会モデルの存在があり、そのことがこの一連の論攷に当てはまるのかの問題があります。そしてそもそもイギリス障害学の意味と意義を押さえられないなかで、医学モデルとの区別がたっていないひとたちとかいます。そもそも、障害学の会ということ、流れ的には障害学研究会(今の「障害学研究ネットワーク」の前身)から障害学会という流れで、障害学研究会の‘障害’は「社会モデル」的‘障害’であるという話は出ていたし、暗黙の了解のようなこととしてあったと言いえるでしょう。ただし、そもそも、「障害規定はしない」という中心メンバーももいたし、「学会」が形成される前に「社会モデルはおかしい」と言い出していた中心メンバーもいました。それに、もっとも根本的なことは、「障害の社会モデル」の意味と意義が押さえられていたのだろうかということがあります。もし押さえられていたら、わたしは、もうゆくにまかせて、この議論から身をひけたとも思っています。そもそも学会のひとも含めて、‘障害’という言葉が、ほとんど医学モデル的に使われ続けていました。さらに、著者が新しい概念として突きだそうとしている「障害社会学」ということを、通常の概念の使い方を越えて自らの規定の学として出してきています。障害学は社会学の一ジャンルです。二つのことばをくっつけると僭称というか占称という問題が起きます。障害を社会学からとらえ返すとか、社会学の一ジャンルとして障害学という様な意味になりますが、著者のこの「障害社会学」を自らの新しい学の創出というところで、占称しているようになっています(註7)。そもそも「社会とはなにか」の問題があります。(註8)
 さて、もうひとつは、イギリス障害学(第1世代)は、impairmentをかっこでくくって、「障害の社会モデル」突き出したと言われていることがあります(註9)。これは、フッサール現象学のエポケー(「現象学的還元」)という手法なのです。何かというと、「本質」(註10)たる差別ということを析出させる、つかむための手法なのです。たぶん、これは当人たちが意識的に現象学的な手法を用いたというよりも、後に、現象学的なところからとらえかえしたひとから見てそうなっていたという話だと推測しています。この括弧でくくるということへの批判として、第2世代が、個々の抱えている問題を捨象して社会を持ち出してきているという批判をしているわけです。そこで、モリスらの第2世代の提起は、いわば括弧を外せということになるのだと思いますが、わたしはこの論の道行きは坂道を上る作業に例えるのですが、括弧を外すということをサイドブレーキを外して、しかもアクセルを踏まないということに例えます。そうしたらどうなるか、バックします。医学モデルに戻ることになります。ではどうするのか?
ここで、かなりのスペースをとって論じられている構成主義とか構築主義なることをとりあげます(註11)。括弧を外したときに、同時にすることはimpairmentの脱構築という作業です。具体的な作業は固定観念を崩す問いかけ(脱構築する)で示し得ます。これは、たとえば、立岩さんが「ないにはこしたことはないか」という形で問いかけをしています。それはわたしサイドからすると、「なぜ、できないといけないとされるのか、どのようなできないことが問題となるのか、ひとりでできないといけないとされるのか」という問いかけをしています。これらが、脱構築の作業としてあるのです。これはイデオロギー的なせめぎ合いです。これが構築主義とかいわれることの限界でもあるのです。実は、そのようなイデオロギー的せめぎ合いの中身を問うことが問題になるのです。それはこの本の中で「註[7]ここに挙げた様な疑義が、国際生活機能分類(ICF)(WHO2001)における損傷の統計学的な規定にも妥当することを、筆者(榊原2016: 47-53)は指摘した。」196-7Pと書かれていることにヒントがあります。著者がこのことをどういう意味で書いているのかの意味が、いまひとつはっきりしないのですが、わたしなりのとらえ返しをしてみます。わたしはこの議論の元になっているICIDH−2の本を読んだときに、そのなかで「標準的」という言葉が繰り返し出てくることに気がつきました。それを日本訳の本を買ったときに、意見を募集していたので、意見集約している団体に書き送ったのですが、この「標準的」ということ、すなわち「標準的人間像」ということが障害差別のイデオロギー的根拠としてあるのではないかということです。これはイデオロギー的な問題にとどまりません。この「標準的」という言葉でわたしが想起したのは、マルクスが『資本論』の中の「標準的人間労働」という概念です。これが「標準的人間像」というイデオロギーの土台(経済的根拠)としてあるのです。マルクスなどの名を出すと、マルクスなどもう過去のひとだという話が出て来ますが、脱構築論のデリダもそしてかつて哲学的な潮流としてあった「実存主義哲学」で有名なサルトルも「マルクスの思想は現在社会(資本主義社会)では乗りこえ不可能な思想」という提起をしています。マルクスを葬送してしまうと、分析のための重要な概念を使えなくなります。今回の「反障害通信」97の巻頭言の中で、障害問題の専攻研究のフェミニズムにおける「マルクス主義フェミニズム」をとらえ返した「マルクス派障害学」の定立を提起しています。そのようなことも含めて、いろいろな対話をなしながら、障害問題のとらえ返しの作業をしていきたいと思っています。さて、日本における「社会モデル」の走りのような話として、「わたしたちが変わるのではなく、社会を変えよう」という提起をだしましたが、「わたしたちを変えない」という意味ではありません。むしろ、社会を変えようという運動のなかで、自らがとりわけ意識的に変わっていく必要も迫られていきますし、運動主体の確立という意味での変革は推進されることです。ですが、モリスらの第2世代の第1世代(テーゼ)への批判(アンチテーゼ)を、ヘーゲル弁証法のテーゼとアンチテーゼとの関係で押さえると、第1世代への第2世代の批判はアンチテーゼとしてきちんと定立していないのではないか、ということです。その批判の中身自体がまさに医学モデルに陥っているのではないかという検証が必要です。その批判の提起で使っているいろいろな概念自体を脱構築していかないと、アンチテーゼ自体として定立しないのではないかと思えるのです。論形成を坂道で車で上る例を出して、サイドブレーキを外し、アクセルも離すと坂道を下って逆戻りして行くという話を書きましたが、アクセルとブレーキを同時に踏むとエンジンブレーキがかかります。むしろバックにギアをいれてアクセルを踏んだことなのかも知れません。わたしも「社会モデル」の不備は押さえています。「社会を変えよう」だけでは運動になりませんし、現実に差別してくるのは個人として表出してきます。それをどうしていくのかの対処もできなくなります。そういう意味で、モリスらの提起も意味があるのですが、現実的に第2世代の論攷は「医学モデル」の陥穽に落ちているのではないかと思えます。さて、そのあたりはわたしはジーンテーゼとして障害関係論をだしています。これに関しては後述します。
 
 さて、この本に話を戻します。この本の目次を示します。
 目次
まえがき  榊原賢二郎
1章 「女性に髪の毛がないこと」とは、どのような「障害」なのか―スキンヘッドで生活する脱毛症の女性を事例として 吉村さやか
2章 発達障害を捉えなおす―制度的支援の場における当事者の実践  浦野茂
3章 障害社会学の立場からの障害者スポーツ研究の試み―「非障害者スポーツとしての障害者スポーツ」  樫田美雄
4章 何が知的障害者と親を離れ難くするのか―障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族  染谷莉奈子
5章 蝙蝠を生きる―進行する障害における能力と自己の肯定  石島健太郎
6章 “気詰まり”を生きる吃音者―言語障害と相互行為儀礼  渡辺克典
7章 障害社会学と障害学  榊原賢二郎
あとがき  榊原賢二郎
 1〜6章の実際的な具体的課題は、個々の具体的体験を元にした論攷です。それは、そもそもの障害に関する事の原点です。それはひとの数ほど語られていく、そして語るひとにとっては、唯一無二の体験なのです。ですが、それを元にどのようなつながり、関係性をとらえ返していくのかが、問題にもなっていきます。わたしは、この6つの章の論攷を読んで、共通のこととして想起したのは、「マージナルパーソン」(註12)という概念でした。ですから、この本の最後に「障害問題におけるマージナルパーソン研究」という形で最終章が書けるとの思いも持ちました。マージナルパーソンというのは、あえて日本語に訳すると「境界人」と訳されるでしょうか? 昔「軽度障害者」の集まりを作ろうという動きがありました。まさに医学モデル的なところでの「重い障害」――「軽い障害」ということで、なぜ、わざわざ「軽度」という突き出しをするのかというと、「重度」のひとたちとの抱えさせられている問題の違いということがあります。わたしはかつて、それを受ける差別の形態の違いとして読み解きました(註13)。わたしは排除型の差別――抑圧型の差別とその違いを押さえる作業をしました。「軽度の障害者」や「中途障害者」は、「障害をなくする」「障害を軽くする」――「障害の克服」という抑圧型の差別に取り込まれていきます。まさに医学モデル的な地平に取り込まれてしまうのです。別の言葉で書くと適応論に陥りやすい立場ということになります。この本の5章に「蝙蝠」ということばができます。イソップ童話の鳥類と哺乳類の間で揺れ動く、どっちつかずの立場を表すのですが、これがまさにマージナルパーソンという概念の分かりやすい表記になっています。ひとつだけ、障害問題そのもののマージナルパーソンというところから外れる論攷があります。それは4章の「何が知的障害者と親を離れ難くするのか―障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族」で、「障害者」を抱え込んで行く親の立場をとらえ返そうという論攷です。ただ、これも、「障害者」と非「障害者」の間にいる親という意味でのマージナルパーソンになっています。
 さて、これらのマージナルパーソンということは、イギリス障害学の第1世代を批判した第2世代のモリス的な立場に近い存在になっていて、まさに、その第1世代への批判の上に、7章が据えられているとしてわたしは押さえています。
 具体的な各章ごとの押さえは、むしろこういう考えもできるという側面的なとらえ返しとして書きます。適応論的な側面が強くなっている論攷が多く、それに対してわたしは、むしろ違ったとらえ方もできるというところでのコメントを軸にメモを残します。わたしは脱構築論自体に疑問をもっているのですが、脱構築論が一般的に広がっている現状に鑑み、脱構築概念で問題を提起していきます。
1章の「女性に髪の毛がないこと」とは、どのような「障害」なのか―スキンヘッドで生活する脱毛症の女性を事例として 吉村さやか
「脱毛症」とかつらやスキンヘッドの問題ですが、これは「見た目」差別とか言われてもいます。わたしも一時「形態差別」というような概念を使っていました。能力的にできないということではない、すなわちimpairmentのよく使われていた「機能障害」という訳には当たらないということです。これはいわゆる「美意識」に関わる差別です。ひとの美意識にはかなりの幅があります。時代的な変遷もあります。また美意識は視覚的なことだけでなく、他の感覚における問題もあります。「全盲」といわれる立場からの美意識の脱構築の作業が必要です。また、その時代その社会(通時的・共時的な)の共同主観的美意識の形成があり、そこで、市場経済における美の商品化のようなことが起きてきます。そういう意味での美のイメージの機能と(その「障害」)いう概念を含んできます。それは先に書いた標準的人間像(註14)の形成の中での「逸脱」としての「障害」ということを生みだしていきます。この論攷は、運動的観点もあって、スキンヘッドのひとがそのまま、自分出せる環境作りという突き出しをしています。ただ、それをそのままストレートに出せたわけではなく、子育てが一段落して出せたというような周りとの関係に左右されてもいます。そういうせめぎ合いのようなことを描いています。これに関しては、さまざまな語りがあり、また「脱毛症」だけでなく、ここでも少し書かれているガン患者の抗がん剤の副作用における脱毛の問題もあります。わたしはガンになって薬の副作用として毛が抜けて、かつらなどつけないで、それまでの性格とは真逆の悟りを開いた尼僧のようになって、生き亡くなったひとのことを想起していました。そのさまざまな生き方のひとつとして、この論攷があるのだと押さええます。
2章 発達障害を捉えなおす―制度的支援の場における当事者の実践  浦野茂
「発達障害」と言われていること。これは医学モデルに基づく、比較的に新しい「障害」概念ですが、現在社会で「役割期待――役割遂行」ということで、「できない」「できにくい」ことがあるとして「障害者」と規定されていくひとたちです。で、自分が何が「できない」か「できにくい」かをつかんで周りのひとたち(「社会」)にニーズを出していく、また周りのひとたちもニーズをつかんでいく必要があるとされます。そして、そのためにも自分が「発達障害者」であることをつかみ、周りにもカミングアウトしていくことが必要だとされます。しかし、両刃の剣的なことがあり、差別にさらされることも出て来ます。適応論にもっとも取り込まれる(適応論的なところで抑圧される)可能性が高いひとたちです。もちろん、いろんな情況下で千差万別的なこともあるのであるのでしょうが。わたしは、まだ「発達障害」という概念が広がる前に、ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』新潮社1993という本を読みました。著者は適応的なことではなくて、自分の世界で生きるというようなことを選択したりしています。誤解のないように書いておきますが、どちらが良いとか、適応しようとすること自体を否定しているわけではありません。さまざまなことがあり、そのことを通底する問題もあり、そのような幅広い観点をもって問題をとらえ返していく、「どう適応するか」というようなことを一端脱構築することではないかという話をしています。
 3章 障害社会学の立場からの障害者スポーツ研究の試み―「非障害者スポーツとしての障害者スポーツ」  樫田美雄
「障害者スポーツ」の話です。ここでは、単に非「障害者」社会への参入ではない独自の「障害者スポーツ」も取り上げています。スポーツというのはからだをめぐり、できるようになることを追い求めていくことです。「能力」とか「できる」という言葉のなかにある、「障害者」抑圧の論理を感じとる「障害者」の仲間がいます。わたし自身も「できる」という言葉に出会うと脱構築の作業をしてしまいます。断っておきますが、わたしは「できる」ということ自体を否定的に批判するわけではありません。それは何々をしたいということで、それは否定しようもないのです。もちろん「できるべきだ」という抑圧の論理は全否定的に批判します。ですが、○○をしたいということの中身が、「ひとはこうあるべきだ」という標準的人間像やさらに、「理想的人間像」のようなこととつながっている面があるのです。わたし事に踏み入りますが、わたしは「吃音者」としての被差別の体験や、友達がいじめのようなことを受けそのなかで自分が何もなしえなかったという自責の念とか、そして受験競争の中での、成績の序列のようなことで差別ということを考え、そしてその底にある競争ということを考え、競争から降りるという指向が生まれ始めました。だから、そもそもスポーツはわたしは「負け組」だったのですが、それ以前に勝つとか負けるというスポーツのあり方自体に疑問を感じ始めました。もちろん、自分を磨くという意味での「できるようになりたい」とか、勝ち負けを超越することもスポーツにはあるのでしようが、おおまかプロ化していくスポーツには勝敗にこだわらないということはなくなっていきます。差別の底には、競争原理があり、そのことがいかに「障害者」に抑圧的に働くかということで、パラリンピックの抑圧性が語られてきました。そういうところでスポーツということ自体に違和を感じ続けています。それは、スポーツだけでなく、将棋とかの勝ち負け争うことを忌避していくことにもつながっていきます。○○できるようになりたいという欲望自体を否定することではなく、それが勝ち負けに結びつくことを問題にしているのです
 4章 何が知的障害者と親を離れ難くするのか―障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族  染谷莉奈子
「知的障害者」を家族が抱え込むという話です。ですが、そもそも抱え込めなくなった、早くに切り捨てた親もいます。また、子どもの自立ということで模索している親もわたしは知っています。きちんと運動的視点がないと抱え込む、そして抱え込めなくなってしまうということになるという話です。だから、確かに多数派なのかもしれませんが、一面的論攷になっているのではないでしようか?
 5章 蝙蝠を生きる―進行する障害における能力と自己の肯定  石島健太郎
「進行性の障害」と言われていること。ALSのひとの、「できなくなる」ことの思いをめぐる論攷なのです。丁度この文を書いているときに、ALSのひとが医者二人に嘱託殺人で殺されたという事件の報道がありました。この医者二人ともまさにやまゆり事件を起こした被告と同じような優生思想の持ち主だったということが明らかになってきていて、ひとの命を救うはずの医者が殺人をする事態になってきていること。それは公立福生病院事件で、透析に使う血管の分路(シャンテ)が詰まって、手術を受けるために行った病院にいったところ、「透析は延命治療だ」という考えの医者から、透析離脱の選択肢を示され、「患者」は一旦透析から離脱したのですが、苦しくなってその同じ病院に担ぎ込まれたのですが、「透析を再開して」という「患者」の意志表示を無視して死に至らしめた事件がありました。医療自体がおかしな方向になっていると震撼しているのですが。
ここで問題にしているのは、「できないこと」が増えていく中で、どうして「できない」ことに対する切り替えができなかったという問題です。この「できない」ことが現在社会のなかで、いかに追い込まれていくのかという問題を考えていました。もうひとつ、「進行性の障害」と言われることで「障害者」にとって大切なのは、生きるために「できないこと」に対する考えの転換をしていくのに必要なのは、当事者の語りと連帯です。運動をしている当事者と結びつきが必要になっていきます。
この本の一連の論攷は運動サイドと切り離し、しかも当事者学でなくても学はありえるというような話も出ているのですが、わたしは当事者学こそが必要になっているのだと、この事を通して考えていました。
 6章 “気詰まり”を生きる吃音者―言語障害と相互行為儀礼  渡辺克典
わたしの当事者性の問題の「吃音」問題です。ここでキーになっているのは「気詰まり」ということばですが、著者は、「気詰まり」の解消という適応論に流れていきます。「気詰まり」自体の脱構築へ行かないのです。わたしは、この「気詰まり」は、「吃音者」側の「吃らないで話さないといけない」という思いと、非「吃音者」側の「倫理的沈黙」の中で起きることだと思います。「倫理的沈黙」というのは、人権意識の広がりのなかで、「障害者」に対して否定的な反応をしてはいけないという倫理のなかで、「反応をしない」というところでの沈黙です。「吃音」ということを知らないひとは、笑ったりしますし、差別主義者との間では「気詰まり」など起きません。「ちゃんと普通に話せよ」と露骨な差別にさらされることがあります。さて、「吃音」ということは、二つの標準的人間像の言語規範の中で否定的なこととして析出します。ひとつは、「ひとは音声言語で話すものだ」ということであり、もうひとつは、「標準的流暢性をもって話すこと」です。これから逸脱しているとして「吃音者」と規定されるのです。わたしは、運動的な観点から手話を学びました。手話話者の世界へ参入すると、手話ができないことが異化します。音声言語の「吃音」は異化しません(註15)。
 さて、7章の問題の掘り下げに入る前に、1〜6章までの論攷がモリス的提起に引き寄せられているということで、6章のわたしの当事者性の問題で、モリス的提起を構築してみます。勿論、わたしはモリス的論攷を脱構築する必要を説いているのですが、あえて、対話を深めるために構築してみます。それは、モリスが第1世代に突きつけた、「個別「障害者」の抱えている問題をちゃんととらえようとしない」という批判からおきてくることとして、「吃音者の言葉が出ない、自分の言おうとすることが伝わらないことの苦しさを理解しようとしない」という表現を構成してみました。これにたいする応答、脱構築的な作業として、いろいろなことを示し得ます。まず、以前、「吃音者」の団体に「聴覚障害者」のひとが来て、「なぜ、音声言語で話すことにこだわるのか、わたしたちが使っている言語=手話を学んで、手話通訳を使って話すということも考えたらどうか?」という話をしたことがありました。また、「吃音」の教育関係に関わる非「吃音者」が、「なぜ、話すことにこだわるのか、筆談でもいいじゃないか、わたしも列車の切符を買うときに実際にやってみた」(註16)というような話をしたことかありました。実は、これは前述したマージナルパーソンの問題なのです。「吃音者」は差別されることから逃れたいということで、パッシングしようとします。実際の被差別の体験からそのようなことに追い込まれるのです。実はそのようなことを越えて、やりたいようにやるという地平に到達している当事者の言もでています。ただし、揺らぎや、深層心理的なとらわれからどこまで抜け出せるのでしょうか? これは運動的観点なり、当事者学の必要性にもかかわっていることとしてここで書いています。このような様々な形での脱構築論を展開してみました。
 さて、1〜6までの論攷の問題の掘り下げとしての7章の編者の榊原さんの論攷に入ります。
 7章 障害社会学と障害学  榊原賢二郎
冒頭に「「障害学はもう終わっている」のでしょうか?」という投稿があったことを書きました。たぶん、榊原さんの文「このように、イギリス障害学の核である障害の社会モデルは、バトラーの批判やOG問題の存在によって致命的に毀損されたと考えられる。一般に非構築物と構築物を区別する形の構築主義は成立しえない。障害の社会モデルはそうした構築主義の一種である以上、維持することはできない。」180Pから来ているのでしょうが、これは、逆に言えば前述したように、impairmentの脱構築に踏み込めば、構築主義的には「維持できる」ということではないでしょうか?(註17)
 ここでいう、障害学は「社会モデルに基づく障害学」のようです。ただ、前述したようにイギリス障害学の「社会モデル」が、ちゃんと定立していたのかどうかが問題になります。そもそも、どこの国の障害関係法規でも、全て医学モデルから抜け出せていません(註18)。資本主義社会が資本主義社会である限り、その法体系においては医学モデルから抜け出せることはないと言いえます。資本主義社会の成立とともに登場してきた近代知の近代的個我の論理と連なっているのです。それは個人が能力をもっているという実体――属性という実体主義的な世界観に根ざしているのですが、以前読んだ本、竹内章郎『いのちの平等論―現代の優生思想に抗して』 岩波書店 2005の中で、著者は「「能力を個人がもつ」とは考えない」という、脱構築的な考えを示しました。それは特許という考えを崩しますし、資本主義社会を崩壊させる考えなのですが。
話を戻します。もちろん、学的世界では医学モデル批判は登場してきますし、「社会モデル」の不備を止揚した新しいヘーゲル弁証法のジーンテーゼ的な試みも出てくることだと思えます。わたしは、医学モデル批判をきちんとやりきる必要性を考えています。前にも書きましたが、わたしは障害関係論をジーンテーゼとして突き出しています。(註19)
榊原さんは社会学的理論のいろんな論を引っ張り出して、それとの対話の中から、自らの障害社会学を突き出そうとしています。わたしは、社会学を専門領域として論を展開していく時間はありません。つまみ食い的に参考にさせてもらえることもあるのですが、むしろ、基礎となる哲学的なことや世界観的なことからコメントさせてもらいます。
今、もっとも哲学的に使われているのは「構築主義」ということで、モリスらの第2世代の第1世代への批判の第1世代側からの応答としてもこの構築主義が出て来ます(註20)。しかし、脱構築論を展開するときは、問いかけという形ではっきりさせていくことでしょうが、問いかけ自体を脱構築していく姿勢が必要です。反照的規定という言葉になるのでしょうか? 榊原さんの再帰性という概念とつながるのでしょうか? 
それに、構築主義の脱構築論は永続脱構築論になり懐疑論的な事に陥っていきます。これでは、論の形成にはなりません。これは榊原さんと立場が違うのですが、運動的観点から論を問題にしているわたしサイドからすると、運動に使えないとなります。またこれは懐疑論や不可知論に陥ることで、確かなことはなにもないというところから運動自体の消滅に結びつきます。
 ゴフマンやレイベリング理論に関しては、「あるもの」に烙印を押すとかレイベリングするということはすでにあるものに対する働きかけですが、むしろ「あるもの」が異化すること自体を問題にする物象化論(註21)を押さえている立場からすると、これも実体主義に陥っていると批判していることです。
さて、榊原さんの論攷で、わたしとの立場の違いを感じたことのひとつですが、榊原さんは、障害を「障害者」がかかえさせられている問題に限って論攷を進めようとしています。わたしはむしろ、幅広く障害概念を捉えようとしています。もともと、障害とは生きがたさの問題としてとらえられ、そもそも障害ということは、「障害者」が抱えさせられている問題だけを意味してはいません。「障害物競走」とか「生きる障害」ということばが使われてきました。生きる上での、障壁と抑圧です。なぜ、医学モデルに戻した意味で、障害概念を使っていくのでしょう? わたしは運動的にマイノリティの問題ではなく、そこに通底する問題として広がりを求めます。社会モデルは、「犯罪の社会モデル」「貧困の社会モデル」などなどと拡げていくことができます。障害という概念は差別という概念とかさなるのです。こんな話をすると福祉を求めていく上で、「障害者」を限定していく必要があるという話が出て来ます。そしていろいろな損害を受けているひとたちの補償の問題に絡めて、対象者を限定していく必要があるという論理になっています。それは確かに、「現実的に」という陥穽の問題としてあるのですが、原理的な話としては、個別の保障はしない、けれど必要なニーズには応える、でいいのです。これは「基本生活保障」という概念で示し得ます。これも実現されたら、資本主義の終焉をもたらすことでしょう。逆に言うと、だから、今「現実的にどうするのか」ということで論点がずらされていくのでしょう。(註22)
もうひとつ、当事者性を超えていく指向が榊原さんにはありますが、榊原さんの当事者学批判は、感情的なことに左右されない客観的学の定立ということがあるのかも知れないのですが、差別の問題に関わることは、当事者の被差別の痛みと差別に対する怒りこそが、問題を掘り下げて行くエンジンになります。固定観念からの脱出のエネルギーにも。
さて、わたしも「社会モデル」の不備は押さえています。しかし、榊原さんの論攷が、本人がそこまで意識しているかどうかは分かりませんが、わたしサイドからのとらえ返しですが、ジーンテーゼを生み出そうとしていることの中での模索だと思っています。ただ、イギリス障害学を巡る応答からきていることだと思うのですが、障害社会学というネーミイグはよく分かりません。名が体を表すという意味で無内容だからです。榊原さんの論は障害再帰性社会学ということになっているのでしょうか? 「反省的規定」というところでは、わたしは、ヘーゲル弁証法から発した当事者意識と学的意識の入れ子型の認識の深化の進展を想起していました。(註23)
 いろいろ、まとめきれず、ごちゃごちゃ書いてきましたが、とにかく、榊原さんの新しい突き出し、障害社会学(わたし的にとらえれは、障害再帰性社会学)の中身的なところからのとらえ返しのなかで、新しい切り開きを願っています。


1「反障害通信」78号 http://www.taica.info/adsnews-78.pdf
2 日本にも自立生活運動はあり、青い芝の流れの「運動」の中では、いろんなラジカルな突き出しがなされていました。たとえば、「介助を受けるとき、腰を上げるのも労働だ」「労働は悪だ」(註24)とかいうことを出していたのです。80年を前後してだと思うのですが、日本の「障害者」がアメリカに留学してその自立生活運動の考えが持ち込まれました。また、国際障害者年やWHOの障害規定のICIDHが出されたこともありました。今回、問題になっているイギリス障害学など、外国からの理論的なことが日本の「障害者運動」の理論的なことを凌駕していった感があります。
3 この本なかでイギリスの「障害者団体」UPIASが出した障害の定義159Pも、オリバーが「障害の社会モデル」突き出す前のはしりといいえることかもしれません。
4 これは、杉野昭博さんが「障がい者制度改革推進会議」に提出している(ヒアリング作成された)資料の中にも、アメリカ障害学とイギリス障害学の違いというところ書かれています。昔作ったメモを引き出します。
第26回(H22.11.22)障がい者制度改革推進会議の資料2として提出された「障害」の表記に関する作業チーム「「障害」の表記に関する検討結果」の「2.障害学における英米の社会モデルについて−杉野昭博教授(関西学院大学人間福祉学部)からのヒアリング(要約)」の「3)障害者権利条約における「「障害」の表記」で、「障害者権利条約は、個人と社会的障壁との相互作用論であるという点、タイトルにpersons with disabilities と、個人の属性としての障害というのが用いられているという意味では、アメリカ社会モデルを基本としている。」とあります。杉野さんの当該の文全体は、次のURLで見れます。
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_26/pdf/s2.pdf
5 わたしの哲学的学習は、マルクス―エンゲルス『ドイツイデオロギー』の編集翻訳をした廣松渉というひとの著作を軸にして、そこから波及する形で進めてきました。すごい博学のひとで独自の哲学も生み出してきています。いろんな哲学との対話もしているので、そこから原典にも少しは当たっています。日本語・翻訳文で、しかも「少し」でしかないのですが。「廣松読書ノート」をわたしの晩年の仕事にしたいとも思っています。
6 実際にジーンテーゼになっているのかは、榊原さんの書かれている文献の読み込みや、今後の論攷の読み込みなしにはやれないことなので、そのことにはここでは触れえません。
7 第2世代のモリスらの「フェミニズム障害学」の突き出しは、まさにフェミニズム障害学の占称になっているのではないかと、わたしは押さえています。本号(「反障害通信」97)の巻頭言を参照してください。
8 そもそも、わたしの第1世代への批判は、「社会の実体化に陥っている」というところで、障害関係論を宣揚しているので、社会という概念をあまり使いたくないのです。
9 文献をしめさねばならないのですが、読書メモをきちんととっていない時期の本だったので、書けません。  
10 本質という概念は、構築主義の文献をあたる中で、「反本質主義」ということがあり、わたしはもうほとんど使わなくなりました。  
11 わたしはフェミニズムの学習をしているときに、ポスト構造主義と言われていた流れがあり、その流れがかなり使えるのではないかと留意して、そこで出てくる文献でデリダの名がかなり頻繁に出て来ていたので、デリダの学習をそれなりにやりました。ですが、そもそもデリダの脱構築論は、永続脱構築論になり、固定観念をつぶすには有効ですが、わたしは運動のための理論をしようとしていたので、構築主義は個別差別の問題での論攷の読み込みはしましたが、新しい構築主義の学習にまで、拡げ得ていません。ただ、このながれは不可知論や懐疑論に陥っていくのではという思いも出て来ています。 
12  マージナルパーソンということは、昔はマージナルマンと表記されていました。その時代に書いたわたしの文があります。校正が必要なのですが、アーカイヴとして載せているのでそのままにしています。http://www.taica.info/akbmmk.pdf
次の註の本の中でも、129-133P。
13 これに関しては、三村洋明『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために――』世界書院2010の第8章で書いています。
14  繰り返しますが、それは「標準的人間労働」という経済的土台の上に形成され、そこから一定独自性をもってきている上部構造です。
15 手話の世界にも、音声言語の「言語障害」に比することがあります。たとえば、手で表せない・表しにくいひとはどうするのかとか、手話の流暢性とかもあったりします。手話を国際共通語にと提起するひとがいるのですが、何かに統一するということで起きてくる抑圧性の問題も考えて、むしろ多様性を追求していくことだと考えたりしています。
16 切符の話は、自動販売機とかインターネットでの購入とかあって、今の若いひとにはわかりにくくなっているのですが、以前はこの切符を買うということが「吃音者」にとって一番多い悩みでした。実はこの話の後に、「吃音学」を当事者として切り拓いたひとが同じような話をしました。非「吃音者」のひとが、同じ事を言っているのに、なぜ、わたしの話が響かないのかという話をしていたのですが、非「吃音者」がそういうことをするのはひとつのパーフォーマンスで、当事者がするとそれはひとつの「開き直り」なのです。そこに位相の違いがあります。当事者学の必要性がそこにもあるのです。
17 もちろん、構築主義の不可知論や懐疑論的陥穽を押さえ、同時に第1世代の「社会が障害をもっている」というときの「社会」の実体主義批判をなす作業とともにですが。
18 わたしは日本に於いて、権利条約の批准に伴う国内法の整備として出された「改正障害者基本法」において、‘障害’ということばを、きわめて単純化して、「「障害者」が障害をもっている」を個人モデル・医学モデルとして、「社会が障害をもっている」を「社会モデル」として、分析してみました。すると、そもそも「‘障害’は医学モデル、社会モデルは‘障壁’」と分けられています。そして‘障害’は21文字ありましたが、いずれも医学モデルとしかわたしにはとらえられません。そして‘障壁’は3文字。その他‘障害者’という言葉は多数あるのですが、話の全体の脈絡として医学モデルともとれるのですが、この法律の対象者・主語という意味もあるのでそれを考察の対象から除外しているのですが、それでも、明らかに医学モデルでしかないと想定される‘障害者’と言う言葉が10個あります
19 わたしは本を出したとき、本の題名を「反障害原論」としました。これは「社会モデル的な意味での反障害です。これは、「障害の社会モデル」をまずアンチテーゼとして確立させるという意味合いももっていました。その後、もっと直裁に関係モデルとして突き出す方法もあったかなと思ったりしています。関係モデルについて、今の時点でわたしが一番まとめた論攷は、「障害の医学モデルと「社会モデル」の統合という錯誤―障害の関係モデルの宣揚のために―」
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20 これはジョン スウェイン編著『イギリス障害学の理論と経験―障害者の自立に向けた社会モデルの実践―』明石書店2010
この本のわたしの「書評」投稿は、『図書新聞』3011号 2011.4.23「書評」タイトル:「障害問題のパラダイム転換をなしたイギリス障害学-障害概念の分析、国際的視点、性差別、教育の問題点など俯瞰図的に描く」
21 物象化論は、もっと遡ることができるのでしょうが、わたしはマルクスの『資本論』の第1章商品の最終節(第4節)「商品の物神的性格とその秘密」からとらえ返しています(ちなみに、『資本論』は物象化ということで貫かれている、ともされています)。物象化を絶対化したことが物神化です。マルクスの物象化論は「ひととひととの関係をものとものとの関係と錯認する」とか「社会的関係を自然的関係と取り違える」とか定式化されています。註5に書いた廣松さんは、それを更に異化ということ、端的には言葉が生まれ出ずるところに拡張した概念として使っています。これについては、わたしの本第5章補節90-95P
22 このことは、著者が突き出しているOG(オントロジカル・ゲリマンダリング(存在論的詐術))177Pとリンクしていきます。著者の、このOGの具体的事例の説明文が出ているのですが、よく意味が分からないのです。ここで出ているのは、体罰――しつけ問題と、マリファナ問題ですが、以前同じような議論が出ていました。それは河野勝行『日本の障害者―過去・現在および未来』ミネルヴァ書房1974という本の中で、「障害児」の赤子が生まれたときの間引きを、当時としては差別ではないと書いているのですが、これは次の註23とつながるのですが、弁証法を使うとはっきりしてきます。当時の当事者意識としては差別ではなくても、現在的な第三者意識として、あきらかに差別なのです。
23  入れ子型とは、弁証法の概念です。そもそも弁証法は「対話」ということを語源にしているのですが、これは「für es」(当事者意識)と für uns(第三者(学的)意識)の対話による、認識の深化の道行きです。深化はほぼ質的な事ですが、それを量的なことに置き換えて、認識の深化を量な拡大にあえて置き換えて論じてみます。これを蓋のない箱を、大きさをずらして小さな箱に大きな箱をかぶせていくことで、認識の拡大(ほんとは深化)をしていく手法です。当事者意識に第三者意識を対峙し、これはヘーゲル弁証法のテーゼに対するアンチテーゼをなし、さらにジーンテーゼを生み出す。そこから、それをテーゼとしてまた新しいアンチテーゼを提示していく、そのことを通して認識の深化を拡大していくという作業です。かぶせるということが入れ子していくことになることから生まれた概念なのです。
24そもそも労働をどのように規定するのかの問題がありますが、わたしは他者のためにする(労働賃金をもらって会社のためするetc)ことを労働、みんなのためにする活動を仕事と規定しているので、ここは‘仕事’という言葉に置き換えることではないかと思っています。


posted by たわし at 03:10| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする