2020年02月17日

イマニュエル・ウォーラーステイン他/若森章孝他訳『資本主義に未来はあるか──歴史社会学からのアプローチ』

たわしの読書メモ・・ブログ524
・イマニュエル・ウォーラーステイン他/若森章孝他訳『資本主義に未来はあるか──歴史社会学からのアプローチ』唯学書房 2019
この本は、「歴史社会学」の五人の共著です。この本も新聞の書評欄で見て買い求めた新しい本です。著者の最初に名前が出てくるイマニュエル・ウォーラーステインは、「世界システム論」で有名で、一時期まとめ読みをしました。かなり、刺激を受けていたのですが、客観主義的な分析と予想というところでの論攷で、何か違うという思いをもつて離れて行ったのです。今年8月末に亡くなったという情報が入り、かつ、この本の書評が新聞に載っていて、タイトルが丁度関心事と重なって買い求めました。
 これは一応「世界システム論」的なところを軸にして共著です。ただ、マンは「システム」という言葉に違和をもっているようで、そもそも「システム」ということを機能的にとらえるのか、実体主義的にとらえるのかの問題があります。このあたりの哲学的な押さえが書かれていないので、議論の深化がなしえていません。これは、「世界システム」を関係性の総体というところでとらえたところで、実体主義批判から押さえていくのか、国民国家やその関係の総体を実体主義的にとらえるのかの、認識論的なとらえ返し―パラダイム転換的なとらえ返しが必要になっているのだと思います。そのあたりから、対話自体を深化させていく必要も感じています。
 もう一つは、五人の内のひとりは、旧ソ連邦出身者なのですが、「共産主義国家」という概念を出しています。共産主義と国家はアンチノミーのはずなのですが、この共著者の共通の概念として、ソ連邦と東欧の「社会主義」は崩壊した後、資本主義の次に「社会主義国」がくるという未来図がなくなった、という押さえです。そもそもソ連邦を「社会主義国」として定立したという押さえが間違えているのだと思います。ロシア革命は、ソビエト独裁としてのプロ独の段階で、党の独裁になり、また他国の革命との連動の途が閉ざされ、新経済政策(ネップ)の導入の時点で、更にスターリンの一国社会主義建設路線で、明らかに「国家資本主義」になったのであり、それをどうも、この共著は「国家社会主義」と押さえるところで、そもそも間違えているのだとわたしは押さえています。そのあたりの定式化はかなり進んできていると思っていたのですが、この共著者たちは、そのような情勢をどのように対話しているのでしょうか?
 改めて、共産主義とは何かというところから議論を起こし深化していく必要性を感じています。
反差別共産主義論という論攷をしていこうというわたしの立場からすると、ウォーラーステインは余りにも学者的・客観主義的だととらえるようになっていたのですが、この著は最晩年の著で、未来を想うというところで、かなり社会の動態を押さえようとしていて、刺激的な本になっているのですが、もっと運動的観点からの提起が必要になっているのだと思います。もちろん、過去の運動の総括の中ですが。
ですが、やはりこれは未来社会の予想、しかも、はっきりしなくなったという予想で、運動サイドからすると、問題はこの社会の矛盾がどこにあり、それをどう解決していけるかということなので、そもそも学者のひとたちと問題意識が違っていて、何か実りのない議論になっているとしか感じられないのです。もちろん、分析は分析として、批判しつつ使えるところは使っていくということになるのだとは思うのですが。
 さて、ちょっと各章で冒頭コメントを挟みつつも、いきなり切り抜きという形でメモを残します。キーワード的メモにしようとしていたのですが、結局文のコピー的な引用が多くなりました。わたしにはマルクスやウォーラーステインのことがそれなりに入っています。で、そのあたりですでにつかんでいたことは読み流しています。新しくつかんだ情報や異論のあるところを中心にしたメモになってしまっています。むしろ、そのあたりの基礎的なことが必要なひとがいて、切り抜きが恣意的だと批判されるかもしれません。そのあたりは、実際に本をよんでもらうしかないとも思います。
なお、「序章 5人の連名「次の大きな転換」」と本の書名と同じタイトルを付けた「訳者あとがき」は、省きます。大体の内容紹介になっています。訳者の「あとがき」とか解説は、よくまとまった俯瞰図になっているので、わたしはいつも最初に読んでから本文を読むようにしています。ただ、今回は訳者と著者の間であまり対話を深化させているようには思えないので、直接わたし自身の著者へのとらえ返しも含んだメモにして、この部分へのコメントは省きます。
第1章 イマニュエル・ウォーラーステイン「構造的危機―なぜ資本家はもはや資本主義に報酬を見いだせないのか」
 ニューヨーク生まれ。世界システム論というひとつの流れを作った中心人物です。
「私の分析は二つの前提に基づいている。第一の前提は、資本主義はシステムであるが、総てのシステムには寿命があり決して永遠のものではない、ということである。第二の前提は、ほぼ五〇〇年間にわたる存続を通じて一連の独自のルールで作動してきたがゆえに資本主義はシステムである、ということである。」16P
(イリア・プリゴジンを援用して)「すべてのシステムは、質的に異なる三つの期間――存在を生み出す期間、「正常な」寿命を通じてそれが機能する期間(最も長い期間)、存在が消滅期間(構造的危機) ――から構成されるものとして分析されなければならない。」16P
「歴史システムが資本主義システムと見なされるには、「無限」の資本蓄積の永続的な追求――より多くの資本を蓄積するための資本の蓄積――がその主要な決定的特徴でなければならない。」18P
(コンドラチェフ循環)「システムの「正常な」機能の期間として私たちが思いつくのは、均衡に戻ろうとする圧力の方が均衡から離れようとする圧力よりも大きい時期である。」19P――「市場が国家の関与から「自由」でない場合にのみ準独占が存在しうるのである。」「実質的な利益を得ようとすれば、自由市場に対する制限、すなわち準独占が必要になる。」20P・・・[「均衡に戻る」⊃「均衡から離れる」]ところで、「正常な機能」――「世界経済の全域で「成長」の拡大が引き続き起こる。」20P・・・利益的には「覇権的循環(ヘゲモニー・サイクル)」⊃「コンドラチェフ循環」(ただし、一時的では?)
「国家は、このような準独占を作り出しそれを保護するために多くのことができる。例えば、特許制度やその他のいわゆる知的財産権を保護する形態で準独占を合法化することもできるし、研究開発において準独占産業に直接的な援助を行うこともできる。また、往々にして国家は、引き上げられた価格で買う主要な購買者になりうる。さらに国家は、地政学的強みを利用して、他国の生産者と思われる者による準独占の侵害を阻止しようと試みることもできる。」21P・・・最後のところ、トランプのファーウェイ排除
「企業家が無限の資本蓄積を遂行できるのは、ただ、資本家が「世界経済」――その内部にはさまざまな国家がある――の中に位置する場合だけなのである。/このことはまた、コンドラチェフ循環よりもかなり長いサイクルである、いわゆる覇権循環がなぜ存在するのか、ということについて説明する。世界経済における 覇権(ヘゲモニー)とは、一つの国家が――世界システムに相対的秩序があるようにするために――他のすべての国家の活動に一連のルールを押しつける力を意味する。」25P
「地政学的大国の準独占」26P
地政学的大国の準独占は解消に向かう、その理由@勝利の限定性A出費の拡大による国内的矛盾B他の国の台頭26-7P
 循環の説明27-8P
「冷戦構造」を作ったヤルタ協定の「三つの要素」@ソ連の軍事力で境界線A経済的分離B冷戦体制30P
 第三世界の台頭32P
 アメリカ一国準独占のほころび――競合者の台頭33P
 一九七〇代に始まる構造的危機@際限のない蓄積の破綻A中道リベラル派による支配の危機的終焉34P
「三つの異なった水準で働く人びと」35P――@未熟練・半熟練労働者A熟練労働者および幹部B首脳経営陣35P
費用の外部化@有毒廃棄物の処理A原材料の再生B輸送・通信に必要なインフラの建設に要するコスト37P
 大きな変化@「グリーン」「有機栽培」環境問題への関心A再生可能な資源への関心Bインフラの整備C課税の上昇37-9P
「生産の三つの基本的費用が上昇して、システムは五〇〇年にわたって機能してきた多様なメカニズムでは均衡に復帰できないような漸近線に近づいている、・・・・・・」40P
「資本主義的生産者にとっての利潤の圧縮はとてつもなく大きな文化的変化によって悪化したが、これは地政文化における中道主義的自由主義の終焉を意味する。」40P
一九六八年の運動の三つのテーマ@覇権権力に関する事A旧左翼に関する事B忘れられた人びとに関する事(差別の問題)43-4P
 中道主義自由主義の終焉46P
「一九六八年の世界革命は、途方もない政治的成功であるとともに大きな政治的失敗でもあった。」46P
「旧左翼の運動は、何らかの根本な変革の担い手としては解体されることになった。」46P
「BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)」50P
「ブローバック(外交政策が原因となって自国に引き起こされる、テロ行為などの予期できない負の結末)」50-1P
 刷新の不可避性――新しいシステムへの移行52P
「ダボスの精神」と「ポルトアレグレの精神」54P
「システムはつねに均衡から離れている。これが構造的危機の定義である。」――「バタフライ効果」54P
 四つの集団55-6P
 システムの混沌と変革の混沌55P
「相対的民主主義と相対的平等主義」56P
「後に来るシステムを巡って闘争が展開される構造的危機のなかに生きているのである。」57P
「私たちにできるのは、歴史的選択肢を分析して、望ましい結果をもたらすような道徳的選択をし、そこに至る最適な政治的戦術を評価することである。」57P・・・「評価」?問題は変革することー
第2章 ランドル・コリンズ「中産階級の仕事の消滅―もはや逃げ道はない」
 テネシー州生まれ。ソヴィエト連邦の崩壊を予想したということで有名になったひとの様です。巻末の著者紹介に「現代の代表的なマクロ歴史社会学および紛争理論の研究者」とあります。中産階級の没落と失業問題から資本主義の終焉を押さえようとしています。
「結局のところ私は経済危機の結果としての国家奪取の理論でも、それ自体、革命の理論でもなく、革命の原因に関して社会学者が何を学んできたのかを議論することになるだろう。それは社会主義の未来について考えるものではあるが、社会主義の理論ではない。また、社会主義を過去においてよりもうまく未来に機能させようとするものでもない。それは何よりも危機の理論である。」62P・・・結局資本主義の枠組みでの議論になってしまっているのではないでしょうか?
「ここで、私が強調したいのは、技術的な労働代替を通じての資本主義の最終的崩壊など存在しないということである。マルクスとエンゲルスは労働の技術的代替を強調したけれど、ホワイトカラーの被雇用者や管理労働者、高学歴の専門職といった大量の中産階級の出現を予想しなかった。」62-3P・・・マルクスとエンゲルスが主に強調したのは、生産力の発達と生産様式の間の矛盾では?
「地球規模または国家間規模におけるこのようなメカニズムの自由主義的解釈が近代化理論または開発理論である。」70P
「世界システム論における中心/半周辺/周辺というパターンは、覇権の交代によって複雑になる。覇権の交代は、大きな戦争によって画期づけられ、世界市場の相対的な拡大と停滞というコンドラチェフ長期波動と連動する。しかし、連続的な覇権の循環――スペイン、オランダ、イギリス、アメリカ。それに中国が続く、と想定されている――は、周辺部が枯渇して地球のすべての地域が完全に資本主義市場に移動すれば、論理的に終焉する。もはや、安全弁も搾取のための地域も存在しなくなり、資本主義の利潤は枯渇することになる。」71P・・・後は格差拡大と排外主義、中心部における収奪の強化という差別による体制の維持が図られる
「私が強調したいのは、市場のグローバリゼーションが今や中産階級の職を奪っていることである。」71P
「金融のメタ市場がさらにピラミッド化していけばいくほど、それらはより不安定になって危機を招きやすくなり、低レベルでの物質的経済で生じていることとまったく釣り合わなくなって急騰と暴落が生じる。」76P
「すべてが自動化される未来に、あらゆる人びとが金融投資家、つまり賭博人生のギャンブラー予備軍として生涯を過ごすということなど、考えられるだろうか。すべての人が投資家として人生を送りカネを儲け続けることなど、できはしない。」78P・・・そもそも、投資という資本主義の枠組みで論を進めること事態への疑問
「基準失業率が三倍ないし五倍にもなりうるコンビューター化された未来についても考察しなければならない。大量失業の危機という状況に対して政府は福祉国家的な道で対応することを選んだが、その道への障害については容易に推察できる。」82P――「反税運動」「失業者と不安定就業者の要求」83P・・・そもそも「福祉国家」も能力主義から抜け出せていないという矛盾
「教育の内実は、主に技術的要請によって決定されるのではない。最先端のスキルを含むほとんどの技術スキルは、仕事をするなかで、あるいは暗黙のネットワークを通して学習されるのであって、教育の官僚的組織は、せいぜい、確信されたスキルを一般的に標準化しようとするだけである。」88P
「福祉国家がイデオロギー的に不人気なところでは、教育神話が隠された福祉国家を推進する。初等教育、中等教育、高等教育の数百万の教師と彼らの管理者を増やすなら、教育インフレという隠されたケインズ主義が資本主義を実際に浮揚し続けることになる、と言ってもいいだろう。」89P
「教育の膨張は・・・・・・ハイテクと能力主義という旗印のもとで膨張していくのである。」89P
「教育を通しての救済が次第に政府によって維持されるようになるなら、教育という名のもとでの社会主義に到達する可能性が出てくる。自由主義政府が、さもなければ失業してしまう人びとを養うために教育システムの拡大を維持し、それをケインズ主義的安全弁、および、被雇用者の減少しつつある部門や資本からの移転支出の形態として用いる、ということが考えられるからである。しかし、そのような政府が持てるようになるには、おそらく資本主義に対する革命的と言えるほどの幻滅感が必要とされるだろう。」92-3P・・・教育に対する過大な位置づけ、実際は愛国心教育や、競争主義的なところで、資本主義的イデオロギーを注入していく場になっている。
「失業率が労働可能人口五〇%あるいは七〇%に達するとき、資本主義システムは、過少消費と政治的動揺の両面から、維持できないような圧力のもとに置かれるに違いない。」94P・・・「失業率増大革命論」? そもそも産業構造の大きな変化という中で、失業率は増大しないで、構造変革的な革命に至るのでは?
「一九七〇年代以来、革命論は大きくつくり変えられている。スコチポル[Skocpol,1979]やゴールドストーン[Goldstone,1991]、ティリー[Tilly,1995]などの著者は、国家体制の盛衰に関する比較研究を通して、国家崩壊的革命論と呼びうるものを確立した。」95P
「歴史は多様な要因によって動かされており、未来は、五つのサイコロが同時に六という数字になるのを待つ中国のゲームのヤッツィーのように、複数のサイコロを転がすゲームに似ている。つまり、国家の崩壊と戦争の敗北、技術代替による世界の至るところでの失業という三者の絶妙な組み合わせを通して、全般的な反資本主義革命が未来のある時点で生じうるのである。」97P・・・ヤッツィーのような確率なのか? 実体的独立項ではないのではないか?
「民主主義的ポスト資本主義と比べてファシスト的解決の試みが実現する可能性がとれほどなのか私たちには分からないが、ウォーラーステインはフィフティ・フィフティになるだろうと推測している。」98P
 構造的危機の複雑的展開@グローバルな不均衡A他の次元の闘争のために資本主義的危機が曖昧になることB戦争C環境的危機99-107P→この@に関しては、「このようなシナリオ(覇権国の介入など)は、もっと大きなプロセスのなかではあまり大きな意味を持たなくなる。資本主義の構造的危機は普遍的傾向なのであり、たとえ地域的な滞りが生じるとしても、あらゆる種類の労働のコンピュータ化と排除の進展は至るところで続いていくだろう。このような条件のもとでは、資本主義的な覇権国が長く生き残ることはできない。」101PAについて「宗教的問題」「人種的/民族的/国民的アイデンティティに関する問題」102P「構造的危機をさらに重要なものにするのは、それが構造的だということであり、そのことは、社会的生活の存続の物的・組織的基板に影響を与える制度的配置をめぐる不可避的な争いに関係する。構造的問題は、スキャンダルと違って立ち消えにはならず、しばらくの間無視されることがあってもその影響をもたらしていくのである。」102P「民族的、宗教的、ライフスタイル的な闘争、そしてその他のあらゆる闘争は(ジェンダーに関する闘争も)、ポスト資本主義的な移行期が問題を解決する危機を、動員された政治的勢力が最終的に結集するまで引き延ばすのであり、移行が起きるかどうかではなく、移行にどれくらい時間がかかるかということが長期的問題になるのである。」103P・・・わたしは差別の問題としてとらえ返すB「戦争は概して、とりわけ敗北した側で革命を促進させる。」「戦争のシナリオは、ポスト資本主義的移行を遅らせるだけである。」104PC「環境的危機が資本主義危機とからみ合うことはありえるが、環境危機が資本主義の生き残りを助けるというオルタナティブの可能性はとても考えられない。」105P「環境危機に関する周到な予測によれば、二一〇〇年頃に人間の居住の大きな破壊が起き、この時、海面はゼロメートルの沿岸地域を水没させるほど上昇する。そして、大きな人口密集地では農業が衰退し、水不足が差し迫ったものになる。しかし、資本主義の危機の到来はもっと早く二〇三〇年から二〇五〇年になるだろうと予測され、それは環境危機よりも影響力が大きいと考えられる。というのも、資本主義の危機の方が最初に深刻化するからである。」106-7P・・・コリンズの「予想」
「ポスト資本主義的制度は、おそらく国家社会主義による二〇世紀の古典的実験よりも分極化された形態で形成されると思われる。」107P「私たちが二〇世紀におけるさまざまな社会主義体制の歴史から学んだことは、それらの体制には固有の闘争が内包されているのであまり多くを期待してはならないということである。」108P・・・「社会主義国」なるものは、人類の歴史上未だに存在したことがない、プロレタリア独裁から「社会主義」への移行に失敗し、「一国社会主義建設」という理論的にありえない誤った道に迷い込み、党の独裁――監視国家――全体主義国家を形成した、すなわち「社会主義国」(「共産主義国」)を標榜する、国家の名の下に労働者を搾取する、国家資本主義の国だった。
「未来の世紀は資本主義的形態と社会主義的な形態との間の一連の揺れを経験することになるだろう。」108P・・・「社会主義」を「共産主義の初期的段階」と規定するならば、そこへ踏み入る事が出来たら、資本主義への揺り戻しなど起きようがないと思われます。
第3章 マイケル・マン「終わりは近いかもしれないが、誰にとっての終わりなのか」
 イギリス・マンチェスター生まれでアメリカに移ってきたひと、巻末紹介「英語圏で最も影響力のある歴史社会学者の一人」とあります。この著者の中では、ウォーラーステインの「世界システム論」とはちょっと距離がある、というより、なぜこの共著者となっているのか疑問を感じさせるひとです。たぶん、「世界システム」という概念はほりさげないというところで、成立したのだと思いますが。マンの議論は、絶望の出口なき議論になっています。
「マルクス主義者やシステムの理論家にとって予言の困難性はだ一つ、資本主義の後をつぐものは何かという問いのなかにある(なぜなら、彼らの多くが、将来は社会主義であるという信念を失ってしまったからである)。」117P・・・そもそも「社会主義」は成立していないのだから、信念の中味が間違っていた、にしか過ぎないこと。
「私は、楽観的であれ悲観的であれ、これらの確信に満ちた未来に関するビジョンをできるならば共有したいと思うが、そうできない三つの理由がある。」117P――@「第一に、人間社会についての私の一般的モデルである。私は社会をシステムとしてではなく、多様に重なり合うネットワークの相互作用として把握している。その中で最も重要なのはイデオロギー的力関係、経済的力関係、軍事的力関係、政治的力関係という四つのネットワークである。そしてこれらの四つに、地政学的関係を・・・・・・付け加えることができる。」117-8P
「これらの動態は相互に作用するけれども、システムを形成する仕方で作用し合うわけではない。」118P・・・そもそも「相互作用論」の間違いA「第二に、お互いにかなり異なる諸国民国家とマクロ的地域がきわめて大きな地球という惑星のなかに存在しているという事実によって複雑さが高まる。」119PB「核兵器の出現に、諸国家やマクロ的地域の間のいかなる敵対関係も戦争では解決できないだろうということが、世界の歴史において初めてはっきりした。と言っても、戦争が起こりえないわけではなく、そのことが第三の複雑さを提起する。」119P
(小見出し)「システムと循環」120-5P・・・ウォーラーステインへの批判
(小見出し)「大恐慌」126-9P「二〇〇八年の景気大後退」129-138P「アメリカの覇権とアメリカの悩み」138-143P・・・マンの分析
「これまで私は、資本主義にはシステム的危機をもたらす一般的「運動法則」があるという考え方に疑問を呈してきた。」143P・・・?景気循環の否定
地球が経済的市場の限界に達するというモデルへのマンの批判145P・・・?グロバリーゼーションは貧富の格差を広げるし、周辺国の需要は伸びない
コリンズ批判として経済的拡大は続いている147-8P・・・?成長率は頭打ちになってきている
「コリンズによる悲観的想定は正しい。この想定には資本主義の崩壊よりありうると思われる。」149P――二つのオルタナティブの未来を生み出す可能性@「第一は、構造的失業が高いままで「三分の一/三分の二」社会が実現するようなかなり悲観的な資本主義のシナリオである。」149P・・・そのようなことはありえない。あくまで資本主義の枠組みで考えている(どうしようもない学者の思考)、そのようになる前に資本主義は崩壊するA「第二のオルタナティブのシナリオは、もつと楽観的である。それは資本主義市場が地球を埋め尽くすことで利潤と成長率が低下するだろうということに同意する。そして利潤と低成長率の低下は持続的低成長率の資本主義として安定する、・・・・・・」151P・・・資本主義は悪無限的利潤の追求を求め、各国間の各国内の格差の拡大によって利益を追い求めようとする、そのことをどのように否定しうるのか? 資本主義に倫理などない(倫理をつきだすごまかしはあるにせよ)、そのことが矛盾の拡大をもたらす、変革の可能性もー
「革命的変革を妨げるものは、まだある。資本主義のオルタナティブとしての共産主義革命とファシズム革命は、大惨事を引き起こした。」152P(・・・基本的認識の間違い――共産主義革命どころか、社会主義革命もなかったー)――「反資本主義革命運動は、規模を問わず世界に存在しておらず、革命はありそうもないシナリオのように思われる。終焉が近いのは、実際のところ、革命的社会主義の方なのである。」153P・・・なんという客観主義
アメリカの破綻と相対的地位の低下154P
グローバルな脅威@核戦争の軍事的脅威A環境破壊154-6P
「人類が温室効果ガスの排出を大幅に削減する行動に立ち上がろうとするなら、過去一〇〇年を通じて大きな成功を達成してきた三つの大きな制度[資本主義、国民国家、消費者の市民権]に根本的異議を唱え、それらを改革する必要がある。」156P・・・変わらないといいつつ、このような提起は、出口のない議論として絶望しかもたらさない、それともサルトル的に「絶望からすべてが始まる」とするのか?
「国家社会主義」156P・・・ヒトラーの「第三帝国」を指す? 「社会主義」の提起をきちんとなしていく必要、「共産主義の初期的段階としての社会主義」という意味では、ソ連は社会主義ではなかった。
「消費の市民権」158P・・・資本主義的悪無限的欲望による消費活動
「新しいタイプの市場から国家への揺れであるそれは、社会主義的なものでなくて、新しい形態の市場規制的な超国家集産主義である。しかし、そのようなことが生じる可能性は薄いように思われる。」159P・・・何をいわんとしているのかよく分からないのですが、国民国家とその連合としての国際機関において、「市場規制的な超国家集産主義」などそもそも起きないのではないでしょうか?
「これら(「新しいグリーンテクノロジーを中心とする創造的破壊の段階」)の可能性の兆しは見えていない。」160P・・・若い人たちの環境問題での大人への告発が起きている
「そう(楽観的なシナリオとして、規制が働くことに)ならない場合には、さまざまな悲惨なシナリオ――北の相対的に恵まれた諸国家と裕福な諸国家による「要塞資本主義」の大きな障壁の構築、「要塞社会主義」、世界の他の地域に敵対する「環境ファシズム」、大量の難民の飢え、資源戦争(核保有国間の戦争ではないだろうが)――が予想される>」161P
「何より私が主張したいのは、近代社会と近代資本主義はシステムでないということである。」161P・・・マンへの最初のコメント、なぜ、マンはこの本の共著者になっているのかの疑問につながる文
「これは、人口の一〇%から二〇%程度の、排除されたマイノリティの階級を伴うことを除けば、世界にとってかなり幸福な展望であろう。」162P・・・「程度の」と言って、切り捨て得る論理の恐ろしさ
「通常私たちは、短期的には合理的に行動するが、時として、感情的に、またイデオロギー的に、非合理的行動をする。」165P・・・ここの「感情的に」は差別的な利益の追求として読み解くところ
第4章 ゲオルギ・デルルギアン「共産主義とは何であったか」
 ソ連邦・北コーカサス生まれ。まだソ連邦が存在しているときにKGBの目をかすめ、ソ連では禁書の著者ウォーラーステインと連絡を取り、世界システム論を吸収した歴史社会学者です。
「共産主義国家」166P・・・「共産主義」と「国家」はアンチノミー
「ソヴィエト連邦は、終わりに近づくにつれ、本質的には企業の新興財閥(オリガーキー)に支配される高度産業社会になっていったのだが、このことから、発達した西欧資本主義の崩壊が起きるとすればどのような類似性があるのか、経験的な知識に基づいて問題を議論することができるだろう。とりわけ仮定上の反資本主義革命が一九一七年の古典的パターンを辿っていくのか、それともむしろ、一九八九年の市民動員型に似た展開をすることになるのか。」167P・・・この論者のこの共著への関わりの動因。「高度産業社会」というあいまいな表現。むしろ資本主義的純化と表すところ。
「この本の著者であるイマニュエル・ウォーラーステインとランドル・コリンズの二人は共に、現在の時点で資本主義の終焉を予想しているが、彼らが一九七〇年代にそれぞれ異なる理論からソヴィエト連邦における共産主義の没落を予測していたことは、特筆に値する。」167P・・・繰り返しになりますが、「共産主義」ではありません。
「アメリカの生え抜きの外交官の息子でもあるランドル・コリンズは、この文脈のなかで核軍縮とデタントの継続を主張したのであった。しかし、この優雅な勧告は、単なる理想主義的な平和主義から生まれたのではなく、マックス・ヴェーバーが初めて発展させた地政学理論に由来していた。」169P――ここから177Pまで地政学的論攷
(小見出し)「要塞社会主義」177-186P
「転換を指導したのは、ノーメンクラツーラと呼ばれる、特殊な任命登録名簿に基づく党幹部であった。ノーメンクラツーラという呼び名は、最終的には鈍感な官僚制に対する蔑称となったが、その最初の世代は、百戦錬磨の若い人民委員や革命的カリスマ、そして意欲的な精神に満ちた非常事態の管理者から構成されていた。」181P
「要するにロシアの革命派は、前例のないカリスマ的な官僚制になることで戦闘に勝利したのであった。・・・・・・それは高度の個人崇拝と繋がることになった。」182P
「ソヴィエトはアファーマティブ・アクション[弱者集団の不利な状況を是正するための優遇策]のパイオニアであり、開発と広範な包摂によってそのパイオニアであることを実際に証明したのであった。」185P・・・ロシアのアファーマティブ・アクションは、主に民族自決権から出て来ているのですが、他の差別の問題から根源的にとらえ返していくと、差別の解消に向かっていくことではないと考えています。
「コリンズの地政学的過剰拡大と、ウォーラーステインの資本主義世界システムの構造的要請がそれであるが、二人の予測は、興味深い仕方で互いを強化し合っていた。」187P
「イマニュエル・ウォーラーステインは長い間(物議を醸しだしながら)、共産主義国を、ストライキ中に労働組合が押収した工場と比較してきた。」188P・・・余り良い例ではない、ロシアでは現実に労働組合が闘うべき相手は「共産主義国家」になっていたのではないか?勿論それは、「共産主義」ではないがゆえに。
「しかし、生まれつつある民主化が専制的なノーメンクラツーラを圧倒するには、さらに第三の、明らかに政治的な条件が必要であった。それは自由主義的なインテリゲンチャと、新たに能力を付与された労働力を有する専門家集団との同盟あった。」194P
「だが、成熟した産業社会における階級対立は、古典的マルクス主義の表現と違って、二大陣営的な対立ではなく、むしろ、ソヴィエトの企業経営陣営、自由主義的インテリゲンチャ、労働者というトライアングルのなかで展開されていた。それゆえ、ノーメンクラツーラにとって最善の選択は、インテリゲンチャを犠牲にして労働者を買収することであった。」195P
「ソヴィエトでは数十年もの長きにわたって政策論争が抑圧されてきたために、極端で激しいイデオロギー的な二極対立が生み出されていて、儀式主義的で生彩のない党の議論と、それに異議を唱える人びととの抽象的なヒューマニズムとの間に、理念や実践的解決の空洞が存在していた。」197P
「しかしながら、指導者パーソナリティや彼らの政治スタイルに見られる中国とソヴィエトとの相違は、共産主義のあり方に由来するものではない。両者には多くの構造的相違があったが、それらの大部分は歴史的に継承された経路依存的なものであって、共産主義にそのものとは概して無関係だったのである。」198-9P・・・著者の地政学的観点。ただし、そもそもそれらが共産主義革命ではなかったが故に、共産主義と「無関係だったのである」という話。
「ケ小平のような人たちにとっては、権力が銃からまれるという観念は単なる比喩ではなかったのだった。」200P
「世評によれば、ゴルバチョフは情報公開(グラスノスチ)にも内部機関における策略にも極めて熟達しており、ソヴィエト体制の三つの制度的柱である共産党・中央官庁・秘密警察を融合させてそれらの機能を停止させた。」202P
「ノーメンクラツーラは、(民族自治を含む)領域的政府、経済部門の中央官庁、秘密警察および党のイデオロギー的「尋問」の中央統制機構という、三つの交差する階層性のなかで生きていた。」203P
「ソヴィエトの工業資産は、何らかの法律を通して民営化が認可される前に、各種の残酷で単純な政府計画による私的統制(明らかに盗まれたということの穏健な言い方である)によって強奪されてしまった。」204P
「世界資本主義に関するマクロ的見方に立っているウォーラーステインの理論は、基本的には正しかったが、マクロ的な見方であるがゆえに、ソヴィエトのエリート自身の最善の歴史的機会を求める共同的行動が困惑した政治的失敗に終わることなど予期できなかった。」208P
「実際、二人のアプローチを結びつけることで、中国の共産主義からの幸運な脱出の構造的要因がうまく説明できる。」209P・・・「幸運」?――習近平路線は?
「それでも帝国の中国は、主に地政学的理由から、歴史において最初の資本主義的列強にはならなかったのだが、それは第一に、帝国が永続的に内的調和を維持して遊牧民の攻撃を防ぐことに大きな関心を抱いていたからである。ローマ帝国の崩壊後の西側では新しく帝国が生まれることはなく、そのため西欧の資本家は、当初は都市国家間のシステムとして、後には近代国民国家として自らを保護し強化するように強制されることになった。」209P
「農民を犠牲とするソヴィエト方式の工業化を立ち上げようとした毛沢東の試みは大飢饉をもたらし、党の秩序内の政治内紛の一〇年を引き起こすことになった。」209P
「さらに、中国の市場経済への方向転換は、忠実で適切に義務を遂行するクライアントを腐敗・汚職への公的粛正から免除する一方で、個人的利得の機会を提供する支援を通じて地方の幹部を巧みに制御するのに役立つ、ということは明らかだった。中国では共産主義が崩壊しなかったどころか、公式の共産主義イデオロギーさえもが「穏やかな」バージョンで生き残っている。」210・・・唯物史観と矛盾する国家資本主義の土台の上の「共産主義」
「このことは、共産主義者が、外国資本と国内労働との実用主義的媒介者として世界資本主義を喜んで受け入れるだろうというイマニュエル・ウォーラーステインの長期的予測を実現するものだった。」210-1P・・・少し古くなった分析
(小見出し)「資本主義とその二〇世紀の挑戦」211-7P・・・いくつもの分析がズレているー
「もう一度強調するが、共産主義は、マルクスの思想から生まれたものでも、ロシアや中国の土着の伝統から生まれたものでもない。それは特定の左翼の潮流であるロシアのボリシェビキ党の成果である。」212P・・・何度目かの強調になるのですが、ロシア革命が生み出したものは、ソヴィエト独裁からプロレタリアの一時的独裁までであり、それはボリシェヴィキ――共産党の独裁であり、共産主義のみならず社会主義にも至らなかったー
「イラン革命」の評価――その結果生まれたのは、中世的なカリフ体制[予言者ムハマンドの後継者を意味するカリフによって統治される、政教一体の体制]というより、むしろソヴィエト型の体制に酷似した本質的に近代的な革命国家であった。」212P・・・?イスラム原理主義国家が、なぜ近代的革命国家なのか?
「彼ら(アルカイダ)の戦略が思い起こさせるのは、ボリシェビキではなく、おそらく一九世紀のロシアのナロードニキであろう。」213P・・・テロリズムという共通性はあっても、ロシア専制君主制に対する闘いは一応左派の行動であり、アルカイダ系の自爆テロは宗教的な右派で、表層にとらわれて分析を間違えているー
「経済計画や大量消費、警察の監視がある程度まで共有されていたこの傾向は、比較的寛大であるスカンジナビアの社会民主主義体制やアングロ・アメリカ[アメリカとカナダ]の自由主義的民主主義にも含まれていた。」214P・・・資本主義体制は階級社会であり、当然監視社会的傾向はもつし、能力主義社会であり、優生思想にもとらわれる社会であるー
「ファシズムと共産主義は、ナショナリズムと社会主義という一九世紀の二つの対抗的な政治潮流が、第一次世界大戦の激動の経験により解き放たれて急激に拡大したことを意味した。」214P
「社会的平等としての正義と人類の統一性は、通常社会主義と呼ばれてきたが、偉大な知的伝統と持続的な魅力を享受しているのは、言うまでもなくオリジナルな啓蒙主義の理想である。しかし、政治のレベルでは、このプログラムは容易に維持されることは決してなかった。」215P・・・そもそも啓蒙思想の人権論は架空の理論であり、ブルジョア民主主義を支える理論でしかなかったー
「共産主義とファシズムは、二〇世紀初頭の帝国主義的・産業主義的戦争から生まれたイデオロギー的対立者であり、道徳的敵対者であった。共産主義もファシズムも、よく知られているそのような形態で再浮上することはないだろう。」215P・・・?何を根拠に
「不快な移民排訴運動」「全面的強制と監視機構」×「リベラルな左派のプログラム結集する政治連合」216-7P
「戦争を回避できるならば、二一世紀はおそらく極左や極右の暴力革命も独裁も避けることができるだろう。」217P・・・言葉の使い方があいまい、極左という言葉は革命をなしえない戦略の左派でしかない、自分で極左を名乗る党派はない。極右はファシズム勢力として登場してくる可能性は否定できないー
「以上の分析が正しいなら、一九一七年のボリシェビキ革命は幸いに、資本主義の終わりがどうなるかを予測するのにあまり適していない。むしろ、一九六八年のプラハの春のような大衆的市民蜂起や、一九八九年に頂点に達したソヴィエトのペレストロイカの方が参考になるだろう。」217P・・・「プラハの春」も「ペレストロイカ」も敗北の「革命」、総括なしには対置できないー
「未来について責任をもつて大胆に考えることには、大きな危機に直面する過渡期の不確実性を最小化できるような政治的・経済的プログラムや、連合と妥協の可能性についての考察が含まれている。究極的には、このことが共産主義の最も有益な教訓となりうると思われる。」217P
第5章 クレイグ・カルフーン「いま資本主義を脅かしているものは何か」
 イリノイ州生まれ。社会学者。この著では総体的俯瞰図的なことを書いています。全体的に資本主義の延命論的になっているし、現代資本主義論に収束してしまっている感じが否めません。世界システム論の「予想学」的な側面が出ている論攷です。
「決定的に重要なことは、資本主義は市場の大きな混乱や過度のリスクテイキング、あるいは銀行の管理の不十分さだけでなく、戦争とか、環境破壊や気候変動、社会的連帯や福祉の機器にも影響されやすいということである。」221P
「資本主義の実際の現実は、つねに非資本主義的な経済活動や政治的、社会的、文化的要因との接合を含んでいるのである。」221P・・・?グロバリーゼーションの進行の中で外部の内部化も進んで行っているー
「資本主義の長期的未来が保障されているわけではない」理由@「システム危機の問題、および金融と他の経済部門とのバランスの問題・・・・・・」A「資本主義の収益性は、その活動の費用――人間的、環境的、金融的費用――を外部化することに依存しているから・・・・・・」B「資本主義は、経済内部の要因や制度的要因によってばかりか、気候変動や戦争のような外的要因によっても傷つけられやすいから・・・・・・」222P
「しかし、ソヴィエトが社会主義とは別物であり、それゆえ資本主義と何らかの直接的類似性があることを認識しなくてはならない。ソヴィエトはもっと独特の秩序のものなのである。」224P・・・ここで言う「ソヴィエト」はソヴィエト連邦を指しているのか、それともソヴィエト(評議会)運動を指しているのか? そもそもソヴィエト連邦は名前だけで、ソヴィエト独裁からボリシェビキ――共産党の独裁になってしまった。
「この統合された組織における基本単位は国民国家であり、経済主体は政治権力によって提供される関係と条件に決定的に依存している。」224-5P・・・国民国家の位置をネグリ/ハートよりも押さえている。
「諸国家は、企業と市場に法的および貨幣的基礎を提供するだけでなく、さまざまな企業や産業や部門の間の相互依存関係を管理したり、それを管理するための環境を整えたりする。いかに不完全であっても時おりであっても、市場を規制し文化的・社会的相互信頼の構造を組織することによって、諸国家は労働力や消費者市場や信頼を組織する。「国民国家」という用語は「政治と社会文化的相互信頼を国民国家の観点から組織する努力」の省略的表現にすぎないと思われるが、資本主義の時代と国民国家の時代とは一個同一であった。」225P・・・国民国家の定義と機能、ナショナリズムが機能するところ
「これら(OECD)の諸国は、過去の「福祉国家」制度を空洞化させ、費用を削減して直接的競争力を追求する一方で、住民の長期的な福祉や保障、将来の経済的参加を可能にする集合的投資を無視してきたのであった。」226P・・・「福祉国家」も資本主義から逃れ得ていない。
「にもかかわらず、私は資本主義か崩壊する可能性は高いとは考えない。」227P
「封建制が崩壊し、その過程において近代資本主義が生み出されたという言い方――『共産党宣言』で示された定式――は、あまり現実的ではない。というのも、第一に、封建制は近代資本主義と同じような意味で「システム的」ではないからであり、第二に、封建制的関係あるいはそれと関連する制度が崩壊した特定の時期というものは存在しなかったからである。」227P
「資本主義時代の終焉が起きるとすれば、それはかなり厳しく不均等に、また、途中では識別することが難しい仕方で到来するだろう。そして、取引や生産や投機を中止する必要のない、おそらくかなり多くの企業を含むさまざまな事業団体が存続することになるだろう。」228P・・・緩やかな変革、構造主義的革命論?
(小見出し)「資本主義一般と金融主導型資本主義の特殊性」228-235P
「ここで言う危機とは、過剰生産や過少消費といった「古典的」な資本主義危機ではない。それは、製造業や消費のような「実物」経済に広範な影響を及ぼす危機であり、何よりも金融危機であった。」230P
「これらの問題が完全に取り除かれるなら、私たちが知っているような資本主義は終わりを迎えることになるだろう。資本がより大きな収益を求めて諸投資の間を移動することができなくなれば、そして、イノベーションと蓄積を推進する生産性上昇をめざした再投資への需要がなくなれば、資本主義はもはや存在しなくなるだろう。」234P
(小見出し)「危機から考える」235-246P・・・世界の俯瞰図的情勢分析
「そして、救済措置の利得がどれだけ金融産業や大きな資本資産を持つ人びとの手に入っているのかを忘れてしまっている。」238P
EUの情況分析――民衆運動は「不満を新しい政治プログラムに転換させていく道をまだ見出せておらず、単に古いものに抗議しているにすぎないのである。」「右派のポピリズムは、移民敗訴的な、また他の反動的なプログラムでチャンスをつかんだ・・・・・・」240-1P・・・学者的客観主義的分析
「ソブリン債務」243P
「重要なのは、何らかの経済危機の影響だけでは資本主義がそう簡単に終わりそうにないということである。資本主義をもっとも脅かすものは経済的危機と政治的危機が交差することであり、成長の追求において人びとが社会あるいは環境への破壊を受け入れる暗黙の妥協が崩壊することである。ヨーロッパは成長なき資本主義――これはほとんど形容矛盾である――という妖怪を生み出しているが、それにどのように対処するのかははっきりしていない。」245P
「資本主義はそれが依存するいずれの条件に対しても破壊的であるが、極端な金融化と新自由主義はこのような傾向をさらに激化させる。資本主義が未来において生き残る可能性は、資本主義を廃絶することなく、こういった破壊的傾向を制限したり逆転させたりする方法を見出すことができるのかどうか、ということにかかっている。」246P
「すなわち、環境的・社会的費用は企業だけの負担にならず、インフラ投資に必要な費用の大部分が政府によって支払われるのである。」247P
「資本主義は巨大な富を産出するけれども、つねに深刻な「悪」(汚染され貧困に打ちひしがれた一九世紀のイングランドにおいて、ジヨン・ラスキンが用いた用語)を副産物として生み出している。資本主義は、悪が許される限りでのみ富を算出し続けることができるのである。国家は富と貧困とのトレードオフを管理しようと努めるが、資本主義にその費用を支払うだけの課税を課せば、国際競争力を低下させて資本主義の富を生み出すダイナミズムを潜在的に排除することになる。」247-8P
「カール・ポランニーが二〇世紀の不況と競争の最中に、一九世紀を振り返りながら未来を見つめて議論したように、暴走する資本主義の発展は、その存続の社会的諸条件と社会全体の利益をつねに破壊してきた。新しい制度的支援を構築する努力は、資本主義システムを安定させ、資本主義的成長の収益のより効果的な分かち合いを支えることを可能にするのである。」250P・・・「持続可能な資本主義論」
「この一九七〇年代以後の自由主義は、一九世紀の自由主義に多くを負っているが、大きな違いは、自由主義の後続版である新自由主義が、成熟資本主義の構成要素として設置された一連の社会的保護と経済的配置を破壊しようとしていることである。」252P
「これまでの四五〇年を通じて国家資本主義は例外であったが、それより一般的なものになっていくように資本主義が変容していく可能性がある。すでにソヴィエトの共産主義が国家資本主義的なものを伴っていたことはほぼ間違いないし、ファシズムは確かにそうであった。」254P・・・「ソヴィエトの共産主義」は、共産主義ではなかった。「伴っていた」のでなく、むしろ国家資本主義そのものであった。
「軍事的安全保障(または優位)を確保することや社会保障を提供することは、国家主導の資本投資や、それをもっともらしいモデルにするための、グローバル市場における緩衝装置が持つ利点と結びついている。」254P
(小見出し)「希少資源と自然環境の劣化」255-260P
「環境的・気候的課題への取り組みは、「自然」のこれまでの理解のされ方によって困難になっている。自然は長い間、とりわけ西側で、また西側以外の人間社会においても、征服されるべき障害として見なされてきたが、そのことは、私たちもまた自然的存在であって自然の一部として生きる他ないという事実を覆い隠してきた。まさに「自然」を資源と考えてきたことこそが、資本主義的興隆を特徴づけるものであった。これまでの自然は資本主義に利用され搾取されるべきものとして存在してきたが、そのような自然の搾取の例は、森から水に至るまで枚挙にいとまがない。」255P
「冷戦の四五年は、さまざまな意味で、地政学的な紛争と再構築の長い歴史の幕間として現れることになる。」260P・・・「幕間」?戦争は続いていた、冷戦下の代理戦争的な意味ももってー
(小見出し)「インフォーマル・セクターと非合法資本主義261-5P・・・マフィア、ボランティア、闇市、講・結い、起業
インフォーマル・セクターを含んだ資本主義の脆弱性264-5P
「これまでのところ、資本主義的金融機関を守るために緊縮政策を課する国家を打倒できるような社会運動が現れる兆しはほとんどない。」267-8P・・・必ずしも緊縮政策だけではない(アベノミクス・・・現在の資本主義経済を知らない論外の誤政策?)、学者の客観主義的ペシミズムは救いようがないが、ペシミズムのなかからこそ民衆の運動は立ち上がるー
「最初に主張したように、資本主義が数世代の間に見分けがつかない形で転換していくことは少なくとも確かだろう。」270P・・・どのような転換なのか何も語っていない、わたしには資本主義に資本主義としての出口はないとしか思えませんー
終章 5人連名「目を覚ませ」
 さて、討論してまとめた終章なのですが、意見の違いはそのままで、誰がまとめる作業をして、この文を書いたのか明らかにしていません。まあ、最終確認をして出しているので、内容的には異論がないのかもしれませんが、もっと対話、そして他の流れのひとたちとの対話も必要になっていると感じていました。
「何十年も続くと思われる波乱に満ちた暗い時代に世界が入ったということにおいては、執筆者たちの意見は一致している。」274P
「私たちはみな、マクロ的歴史社会学の分野で蓄積された学問――大まかに言えば、社会的力と社会紛争の構造を明らかにしようとするマルクス的・ヴェーバー的伝統を継承する、過去と現在の比較研究――に基づいて議論しているからである。因果関係のさまざまに次元に敏感な私たちは、資本主義や国家政治、軍事的地政学、イデオロギーが作用する仕方の多様な特徴について同意しているが、意見の違いは、主に因果関係の多様な次元が交差するところで生じる。」275P・・・因果論的思考なのか? 地政学は、梅棹『文明の生態史観』と、それに論及した廣松の『生態史観と唯物史観』参照
「この終章では、第一に、現在のグローバリゼーションの起源とそのありうるべき未来を描写するマクロ社会学的方法の要点を述べる。後半の部分では、ほとんど行き詰まった現状にある社会科学と、近い将来により有効になっていくその可能性について述べる。換言すれば、ここで描こうとしているのは、世界のもっと現実的な描写であり、これについて議論する方法として執筆者たちが考えていることである。」275P
「良き時代は、一九七〇年代に突然崩壊した。」278P
「旧左翼の革命的民兵とは反対に、ニューレフトの比較できないほど平和的で市民的な戦術は、国家安全保障組織を暴力対決の標的にすることを否定したのかもしれない。」281P・・・事実認識が間違えている。二一世紀の現在はという話、しかしそれをニューレフトと呼ぶのか、という問題がー
「政治的反動はアイデンティティの旗を掲げたが、アイデンティティの問題は非妥協的で交渉の余地がなくなる傾向があるために、敵意ある激しい攻撃を政治に持ち込むことになったからである。ニューライトは、実践のうえではしはしば融合している二つのアイデンティティの色をまとって現れた。民族愛国的ないし宗教愛国的原理主義と自由主義的市場原理主義がそれである。」283P・・・アイデンティティ論の危うさ――「精神障害者」への抑圧性と民族・人種差別の動因
「しかし、歴史が示すように、自由市場の理想型はいかなる経験的状況においても見られない。それはイデオロギー的な幻想なのであり、私たちは、フェルナンド・ブローデルとヨーゼフ・シュンペーターの資本主義観に従って、持続的な利潤はある程度の国家保護と市場独占を必要とする、と主張する」284P
「この新しい規律訓練制度[フーコの概念]のリストには、タックス・ヘイブン[租税回避地]として機能するマイクロ管轄権を有する、世界各地に存在する群島を通じたマネーロンダリングの非合法な機会が付け加えられるべきだろう。少数の残存する不従順で非妥協的な「ならずもの国家」は悪の枢軸として追放されて、極悪な他者としてのイデオロギー的機能を首尾よく果たしたのだった。」286P
「民主化は、過去の二世紀にわたって動かし難い傾向ではなかったけれども現実であり、現在秩序に極めて忠誠な人びとを含む大多数の国民が自分たちの人生に三つのことを期待するようになったことを意味する。その第一は長期の教育、第二は安定した適度な報酬のある雇用、そして第三は、老齢年金である。この期待リストに住宅を加えることもできるが、・・・・・・」288P・・・この「住宅」の「・・・・・・」は現在の若者にほとんど夢になったという話が続く
「グローバリゼーションは何よりも、国民国家という規制された領域を超える大量の資本の脱出を意味した。大多数の政府には、資本の脱出と課税収入への圧力に対して三つの不愉快な選択が残されているだけだった。通貨の増刷、負債の増大、直接的な警察暴力と穏やかな経済緊縮政策による抑圧の拡大、がそれである。」289P
「資本主義拡大の自己限定というウォーラーステインの理論は、地政学的拡大の今日の限界というマンの議論と歩調を合わせている。」290P
(小見出し)「システムの限界か、あるいは資本主義の際限のない強化か」295-306P・・・5人の意見の違いから、見出しに沿った展開をしています。
 マンとカルフーンは環境危機の先行、ウォーラーステインとコリンズは資本主義の危機の先行297-8P
「彼(マン)は、気候変動を生み出す三つの悪者――資本主義のみならず、国民国家、および大量消費をする普通の市民を含む――を指摘し、これらの三つの要因を抑制して改革することが危機に対する解決策になるだろう、と主張するのである。」298P
「マンによれば、環境危機はすべての人を終わりに導いていくのであって、極端に言えば、二つのオルタナティブではなく、三つの危機について考えなければならない。つまり、世界システムとしての資本主義の最終的危機、古い資本主義的覇権国の衰退と新しい覇権国による交代、地球規模の環境的衝撃がそれであり、それらから生じる転換を描いていく必要があるのだ。」299P
「資本主義には、すべての複雑なシステムと同じように、関連する諸構造や動態があり、それゆえ、その最終的な限界があるはずである。」299P・・・世界システム論の「システム」はやはり実体主義に陥っているのではないでしょうか?
「マンの予想(あるいは未来の見積もり)とコリンズやウォーラーステインの予想との違いは、進化論的人類学者が開発した人間社会の動態的発展モデルの二つの側面に照応している。専門用語で言えば、それは、人類生態学の「人口支持力」[各生態系、具体的にはその土地に居住できる人口の限界]と「生物生産力の上昇」との対立である。このモデルによれば、これまで存在した人間社会すべてには、結局のところ、彼らの環境または環境の人口支持力を枯渇させてしまう傾向があった。これらの限界から生じる危機はまったく異なる三つの可能性がある。」300P――@単純な死A多様化――開発「第二の可能性は多様化であり、それは、北極のツンドラや熱帯諸島、草原地帯や砂漠、山岳、森林に至るまで人類が地球の隅々に新しい地理的フロンティアを発見し、適応して移住できるよう、私たちの祖先を導いてきた。」301PBイノベーション「第三の可能性は、一般に進歩と呼ばれるもの(すなわち、技術的手段の質的な強化・増大)で、人間が資源からさらに多くのものを獲得できるようにすることである。進歩と言われるこのような破局からの脱出は、人間社会の進化的イノベーションの主要な原動力であった。」301P
「同じことは、世界的流行病にも妥当するように見える。多くの病気を鎮圧したと思われる、ここ一〇〇年ほどの世界の医学の途方もない全身は、また同時に、古くからの人類の敵である病原菌が生き残るための新しい道を見つけるに違いない事態をつくり出している。私たちの知識は卓越しているように見えてもトータルに考えれば実は惨めなほど小さい、ということがここで再認識される。私たちは、時間との戦いにおいていかに速く学習し、また、生き残るためにどれほど多くの誤りを捨てて学び直さなければならないのだろうか。」304P
「執筆者全員が同意している一つの大問題は、世界の政治経済の慣れ親しんだ構図が、これから数十年のうちに、まだはっきりしていないが重要な仕方で変化せざるをえないだろう。」306P
「異議を申し立ててきた人は相変わらず腹立たしく感じているだろうが、しかし、誰に抗議すべきか、何を要求すればいいのか、どのように組織するのか、誰と連帯していくのか、彼らは確信を持てないだろう。」306P・・・客観主義
「私たちは、「国家」はもちろん「世界国家」をより良い未来の政治構造と呼ぶことに躊躇している。」312P・・・そもそも「国家は死滅していくもの――させるもの」で、「世界国家」など存在のしようがないー
「現存する国際組織がより良い未来の構造のプロトタイプ[原型]になるだろうとは、本書の著者たちのほとんど誰も思っていない。」313P・・・現存する国際諸組織は、資本主義国家――国民国家の同盟であるから言わずもが、のことですー
「私たちは誰も、無政府主義をきわめて現実的な戦略とは考えていない。それでも、左派であろうと右派であろうと、一九六八年の既成体制打破の精神が無政府主義のもっとも持続的な精神が無政府主義のもっとも持続的な依存の一つを明らかにしたことを認めねばならない。」313P――ここから民衆の下からのいろいろな取り組み、地域における共同性の話も出てくる、これらのことが反政府や国家主義批判があるとしても、それは無政府主義としてあるわけではないー
「社会理論はしはしば、私たち人間の行動の型を識別させるさまざまにカットされたレンズと結びついている。レンズがただ一つの信条を正しいと確認し、それに対立するものを何でも非難するようにカットされているのであれば、そこから生まれるビジョンはきわめてイデオロギー的になる。そのようなレンズは、一般に政治と公的論争によって擦り切れてしまい、目隠しのように機能するようになる。」315P・・・「ひとは色眼鏡を通してしか世界を見れない」、だから、弁証法という対話――批判という手法で議論を深めていくことなのだと思うのですー
「私たちは、方法論的多元主義であるが、だからといって完全に相対主義であるわけではない。」315P・・・いろいろな観点のひとたちと対話を通じて論を深めていくということは、「方法論的多元主義」なのでしょうか?
「ポストモダニズムの運動は、多くの停滞していた水をかき混ぜたものの、それを濁ったまま放置してしまった。」218P・・・ポストモダニズムは文化運動で政治的な運動にはなりえない、イデオロギーのせめぎ合いに過ぎない、しかし、固定観念を突き崩すというところでは貢献しているー
 新古典派経済学と中世の占星術との対比――資本家の不安(「資本家の心配事は、不確実な投資の選択や市場の乱高下、彼らの企業活動が時々生み出す民衆の犯行から生じる」)に応答すると言う意味において318P
「売買することができない土地、貨幣、人間の生命のような「擬制商品」に関するカール・ポランニーの考えを、私たちは真剣に受け止めている。二一世紀において、「土地」は広く環境を意味し、「貨幣」はグローバル金融を、そして「人間の生命」は適切で入手可能なヘルスケアや教育、住宅、年金、とりわけ都市の物理的安全などを通しての社会的再生産の費用の国際化を表している。」319-320P
「資本主義の終わりは、究極的には希望が持てる未来像である。しか、資本主義が終わるということにはそれ固有の危険が伴っている。私たちは、危機に対する反資本主義的オルタナティブを育成しようとする二〇世紀初頭の試みが全体主義的傾向を発展させて官僚主義的惰性に終わったことについて、思い出さなければならない。」322P
「ポスト資本主義が死のような停滞の時代を招き入れていると心配する人びとは、おそらく間違えている。ポスト資本主義が固有の危機もなく永続的な楽園を与えると喜んでいる人びとも、また同じように間違えている。危機の後――執筆者の何人かが予測したように、二一世紀中頃のポスト資本主義的移行期の後に――、きわめて多くのことが起きるだろう。うまくいけば、多くが良いことであるだろうが、それについてはまもなく分かるだろう。」322-3P

posted by たわし at 03:43| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする