2019年12月17日

『季刊 福祉労働164号 特集:介護する/される関係を問いなおす 暴力・パワハラ・セクハラ』

たわしの読書メモ・・ブログ515
・『季刊 福祉労働164号 特集:介護する/される関係を問いなおす 暴力・パワハラ・セクハラ』現代書館 2019
これはこの読書メモが掲載される時点での最新号です。少し遅れ気味、なんとかまとめ方も整ってきています。もう少し吟味も必要かもしれません。前号の読書メモまえがきのように、メモを残します。今回の介護特集は何か総体的に違和を感じてしまいました。わたしの母の介護の反省記をオープンにしなくてはと考え始めています。

巻頭クラビア:みんな、ぷかぷかさんのところへ行こうよ。
 「NPO法人ぶかぶか、相模原殺傷事件を考える上映会を開催」
 理論的なことよりも一緒に楽しみながら、出会いを大切にしていくという企画の報告です。

特集:介護する/される関係を問いなおす――暴力・パワハラ・セクハラ
● 介護──ふたつの身体がまじわるところ 深田耕一郎(女子栄養大学専任講師)
 ふたつの身体がまじわるところ―人間交差点というところからの介護のとらえ返しです。漫画の連載で「人間交差点」というのがあるのですが、そもそもひととひととの出会うところはみんな「人間交差点」なのですが。身体のふれあうところで、暴力・パワハラ・セクハラが起きやすくなります。ただ、そもそも理念が喪失しているのではとも思われます。
 
● ご利用者・ご家族からのハラスメント:日本介護クラフトユニオン調査──介護現場におけるその実態と防止について  村上久美子(日本介護クラフトユニオン政策部門長)
この文はよく分かりませんでした。そもそも、介助者と被介助者の社会的関係性の問題がまずあります。次に、そのことから来る反作用として、被介助者が開き直り的に強く当たるという問題があります。更に、介助労働が、サービス商品化する中で、被介助者がサービス提供下で、お客様的な錯認を起こし、クレーマー的に対応するひとが出てくるという問題があります。これは差別の構造をとらえ返したところで、どう反差別の共同性を作って行くのかという問題と、資本主義的労働の止揚の問題だとわたしは考えるのです。

● 介護現場に蔓延する相互暴力 ──「支援する側/される側」その境界を越えて  白崎朝子(ヘルパー/作家)
 相互暴力の問題、著者は自分が子どものときに性被害にあった経験から、被害の問題を深くとらえ返しています。そして、介助をするひと−受けるひとが、差別的な考え方をもっていたところで、介助を受ける「弱い」立場、介助労働自体が差別的なところで見られるところから―逆に差別する心性が働き、セクハラ、パワハラに入り込んでいく構造がとらえられます。著者は的確に問題をとらえています。「性暴力はエロスの発露ではない。性暴力とは、種に男性が担ってきた支配と暴力の問題だ。その認識をきちんともたない限り、本質的な解決策は生み出されない。」31P介助労働の現場で「セクハラなんて仕事のうち」32Pという意識が、セクハラを許していく構造を生み出していること。制度的なところからもとらえ返しています。「利用者と職員間の「相互暴力」は、介護保険制度の構造的問題が要因だ。市場原理が貫徹した介護保険が生み出した人手不足で現場は年々荒廃。暴力のない体制を作るには管理者の徹底した教育、介護保険の構造的欠陥を修正するしかない。そして、その世論をつくるのは介護保険ユーザーだ。」そして、否定的な話だけでなく、被介護者との素敵な出会いも書いてくれています。

● 外国人がケアすること・外国人をケアすること 小川玲子(千葉大学社会科学研究院教員)
 移民政策もきちんと作らないで、介護制度の不備もそのままにして、外国人ケア労働者のケアもちゃんとしないまま、外国人ケア制度を導入していった問題点を指摘しています。
借金をして来日し、「人身売買」的な労働になっている局面も押さえています。複層的な外国人ケアラー制度の種別の表が41P
著者は必ずしも、外国人介助労働の導入を否定しているのではなく、「「差異」や「対立」は新しいものを生み出す契機となる。個人を個人としてとらえて対話力を磨き、異文化に対する理解を深め、信頼関係が構築できれば、外国人介護士は大きな力を発揮してくれる。外国人にとって働きやすい施設は、日本人にとっても働きやすい。外国人が満足しているかどうかは、施設を見る際の一つのものさしとなる。」40P

● 甘え甘えられ、そして甘える関係  天畠大輔(日本学術振興会特別研究員) 
 著者は「あかさたな話法」という独特のコミュニケーション方法を産みだしたひと。介助者を交換可能なひとと見るのではなく、彼の場合は「先読み」できる介助者、自薦ヘルパーを自分で育てるとしています。「お友達以上介助者未満」ということをキーワードとして示しています。

● 安楽死問題と障害者介助の経験  高橋慎一郎(日本自立生活センター)
 NHKで放送された難病の女性が渡航し、安楽死するドキュメントが放送されました。「死を支援する制度が各国でつくられてきた。」として各国の情況を60Pに記載しています。
まさに「すべりやすい坂」61Pになっているのです。
「ALSの人や言語障害の重い重度身体障害者の人たちの介護に入っていると、その独特のゆっくりした時間の流れにふと同化することがある。」64Pと、それを「瞑想の時間」とも書き、詩的な文でそれを書き記してくれています。最後に「能力や自律が生存の条件になるのはおかしい。能動的な生だけが全てではない。受動的に見えるようでいて、充足した生がある。自律をゆるやかに喪失していく生も新しく世界と接続し直すことができる。この生の様式も障害者自立生活運動や地域にとどまった難病の人たちが蓄積してきたものかもしれない。未来をひきよせたい。」64P

● なぜ、「介護労働者の権利宣言」運動なのか? ──ケアは社会関係を基礎づけた「共感の労働」/介護労働への誇りを変革の力に 水野博達(ケアワーカーズユニオン)
 介助の現場で働く労働者「の生活や権利について十分な検討がなされてきたとは言い難い」として、討論を積み重ね三度にわたって修正してきた「介助労働者の権利宣言」69-75P掲載されています。けっこうすごい宣言になっています。ただひとつだけ気になったのは、介助労働の被介助者に対する抑圧性の観点が希薄なのではと感じていました。

インターチェンジ 交差点
施設から ホームN通信・四回目の誕生日C――存在のないこどもたち 佐藤陽一
行政の窓口 地域共生社会への取り組み――子ども生活・学習支援の現場から 千野慎一郎
教室の中で ともに過ごす子どもたち  川口久雄
保育所の庭 誰でも受け入れることのできる人に  芝木捷子
障害者の権利条約とアジアの障害者 第三十五回  中西由起子
権利条約の政府報告I 第二十八条 相当な生活水準及び社会的な保障
 さまざまな国のさまざまな福祉のあり様、というのは、項目ごとの国のありようでは、ひとつの国の現状がつかみにくく、連載が終わった時点で、著者が今度は国ごとに福祉の現状を書いてもらうか、著者との対話の中で編集し直すかしかないのではと、以前書いたことの繰り返しの感想です。
障害学の世界から 第八十三回  長瀬 修
続・殺害された<国際障害者年の父>―マンスール・ラシッド・キニア:遺された家族と帰還
「国際障害者年の父」と言われたマンスール・ラジッド・キニアが亡命している中で、リビアのカダフィ政権から拉致され殺害されていた話で、もうひとりの犠牲者、ジャッバラー・・マタールの話、そして家族の話、とつながっていきます。映画や著作、詩の掲載など、残された家族が「帰還」のための作業をしていることを伝えています。エピソード的に、「キニアのような拉致被害者を生み出さないようにするための人権条約である強制失踪者防止条約が国連総会で採択されたのは、障害者権利条約が採択されてからわずか一週間後だった。」88Pとあります。

季節風 
「地域生活にこだわる意志力――「津久井やまゆり園事件を考え続ける・対話集会U」報告」柏井宏之
「やまゆり」を考え続ける集会の報告です。はびこる優生思想のはなしをしています。わたしは日常的な意識の中における優生思想からとらえ返していく必要があると思っています。「地域に出る」という話が出ていますが、施設がなぜあり続けるのかという問いかけが必要です。この事件は、「障害者」との出会いがないひとが事件を起こしたのではなく、マスコミ志望者のひとの発言にもあるように、なぜ、親が施設を求めるのかというところからのとらえ返しが必要なのです。
「東京と大阪、東西の入所施設への取り組み」松浦武夫
施設という枠組みの中での改良のとりくみ、前の文のところ、施設がなぜあり続けるの
かという問いかけも必要になっているのだと思います。
「映画『生きるのに理由はいるの?』―津久井やまゆり園事件が問いかけたものは―」澤則雄
映画制作者がいろんな「障害者」に会いに行き、古いドキュメンタリー映画を見ながら
「やまゆり」の映画を作ったという話です。ことばがうわすべりしている、自分の立場から、自分の問題としてとらえるということを書いています。
「尊厳死は社会的死である」堀利和
この雑誌の編集長の堀さんの文です。NHKで作られた海外で「安楽死」をしたドキュメント番組を取り上げています。自然死や事件での犠牲と区別された「尊厳死」」から区別し「社会的」死としているのですが、そもそも「犯罪」も「障害の社会モデル」から演繹されえる「犯罪の社会モデル」の「ほとんどの犯罪は差別の反作用である」としてとらえると、自然ってなんだろうというとらえ返しができます。高齢者も、延命処置を巡って優生思想から逃れ得ていないのではないでしょうか? そのことからのとらえ返しが今必要になっています。
車椅子で宇宙(うみ)をわたる(第一回)  安積宇宙
はじまりの話――私にとつての「家」と「障がい」
 前回までの安積遊歩さんの対談シリーズから、娘さんの宇宙(うみ)さんのエッセーに引き継がれたシリーズです。遊歩さんは幅広く差別を問題にし、優生思想を深くとらえ返していたひと、その家庭でシェアハウスのような関係で育った宇宙さんは、まさにその世界観も受け継いでいます。世界に開いている隔絶された空間でないところでの観点から文書を綴っていくようす、期待しています。これは、わたしたち世代の責任ですが、「社会モデル」の議論が整理されていない、届いていないと感じていました。届くように議論の深化と広がりをやっていかなくてはと思っていました。すてきな文でいろいろ引用して伝えたいのですが、エッセーは切り取るようなことではないので、実際に雑誌を読んでくださいー
現場からのレポート
新里宏二「旧優生保護法は違憲、しかし、請求は棄却」
 旧優生保護法で不妊手術をうけたひと損害賠償裁判です。立法不作為の話で、請求が棄却になりました。あわてて、国会で法律を作ったのですが、知り得ていなかったとして、請求が棄却されたのですが、意味が分かりません。知り得ていなかったというのは、すでにいろいろ意見が出されていて、検討するとかいう文言もあったのに、「知り得ていなかった」という話が通るのかという話です。更に、「知らなかった」ですむなら、「なんでもあり」の世界になります。
 日本の裁判は三権分立が機能していなくて、司法が行政・立法の裁量権を尊重するとして独自の判断を下すことを躊躇する判決がでてくるのです。それでも、世論の盛り上がりの中で、それなりの判断を下し法律を変えるということはやってきました。HIV訴訟とか、ハンセン病訴訟とかの判決から、救済のための法律を作るということをやっています。今回は、判決の前に先手を打って救済法を作りました。ただ、賠償額が極めて少額で、それで済ませようという魂胆のようです。仕切り直しの中で適切な判決と、再度の法改正が求められることです。
川見公子「透析患者に死の選択肢は許されるのか!?―公立福生病院事件を考える院内集会の報告」
 公立福生病院事件で、医者が死の誘導をしたという話です。死の誘導をした医者は、明らかに透析に否定的な考えをもっていて、透析患者がつらい思いをしている事態につけ込み、死の誘導をしたとか思えません。そもそもインフォームドコンセントという観点からしても、むちゃくちゃな話です。最近リビングウィルとか、アドバンス・ケア・プランという考え方が出ているというか、押しつけのようなことが起きています。そもそも、ひとは痛みの中や実際問題として自分の身におきたことで、元気な時の意志に反して、生きようという意志が働くという基本的なことを無視した政策なのです。医療費の削減とかいうところで政治自体が死への誘導をしている中で、医者もそれに合わせた動きをしているそんな中で起きたことです。優生思想の問題にもつながって、きちんとひどい医療を変えていく取り組みの中にも位置づけて行かなくてはと思います。わたしも母の介護の中で、医療関係者のひどい対応に怒りをもったことがあります。その問題とからめて、この裁判支援に関わりたいと思っています。
柳原由以「川崎市からの反論に見える「合理的配慮」への無理解――医療的ケア児の就学裁判から」
「障害者の権利条約」とその批准のための国内法整備の中で、インクルーシブ教育ということのとらえ返しのズレが明らかになっていました。それでも、当事者と家族の意志の尊重という流れは作られてきました。その流れを無視するところの川崎市の「特別支援学校」を「適」とする決定です。裁判になっています。そもそも、インクルーシブ教育のとらえ方自体も問題になって行かざるをえないとも言い得ます。きちんと流れを作りながら、そもそも教育総体がおかしなことになっている中で続いていくこと、その底からの変革も求めていかなくてはと思います。
宇野和博「読書バリアフリー法成立の意義と今後の課題――だれもがいつまでも本と親しめるように」
「二〇一九年六月二十一日、国会で「視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律」(読書バリアフリー法)が成立した。」以前からいろいろ動いている中で、政権が変わる中で頓挫していた中で、「一三年六月、国連の世界知的所有権機関が「盲人、視覚障害者その他の印刷物の判読に障害のある者が発行された著作物を利用する機会を促進するためのマラケシュ条約」を採択したことを機に、一四年に再スタートした。当時は日本盲人会連合・DPI日本会議・弱視者問題研究会の三団体で協議を開始し、一六年から全国盲ろう者協会も加わり、本を「買う自由」と「借りる権利」を目標の柱に掲げ、今日まで運動を進めてきた。」128Pというところでの本稿です。この問題の対象者は「視覚障害者、読み書きに困難のある学習障害者、上肢障害のために本がもてなかったり、ページがめくれない身体障害者、眼球使用困難者である。」128Pとあります。
著作権法とかそういうことを超えて、きちんと情報・コミュニケーション・アクセス保証をしていくシステムを作っていかなくてはなりません。わたしも不勉強で、この法が作られたことを知りませんでした。自分の文書の出し方、ホームページの作り方ということも含めていろいろ勉強していきたいと思っています。
投稿
三家本里美「保育現場における虐待と保育士の離職――保育のあり方や質を求めて」
 この間、待機児童の問題で大きな声があがり、保育の現場からの発言も出ています。「保育士の平均給与月額は二二万二九〇〇円と低く、二〇万円以下で見ると四割にものぼるという。」134Pという中で、待遇の悪さということは、過労や離職者の続出、職場環境の悪化の中で、パワハラとか、子供への虐待にまで至り、「子どもの安全がないがしろにされ、改善を求めても聞き入れられなかった。」134Pという深刻な事態になっているようです。いろいろな事例が書かれていて、政府が問題になると「雀の涙」的なところで対応してやった観だけ出す、いうことではどうしようもない情況が伝わってきます。少子高齢化と言われて久しく、一体「少子」というところを根本的に考えていくことが今こそ必要になっているのだと思うのです。

編集後記
父親の介助で、いろいろ困惑しつつ、周りのひとからのサポートを得ていろいろ学んで
いく様子と、自らの思いを書いています。自分のことになると、今までの障害問題からス
トレートにとらえ返せない、という側面も素直に吐露しつつの編集後記です。


posted by たわし at 22:20| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『季刊 福祉労働163号 特集:障害者権利条約・パラレルレポートの重要論点』

たわしの読書メモ・・ブログ514
・『季刊 福祉労働163号 特集:障害者権利条約・パラレルレポートの重要論点』現代書館 2019
何回か、逐一のコメントを書こうとしていました。でもわたしはわたしの関心事でしか文を書けません。逆にほとんど共鳴するが故に、書く必要もないこともあります。いろいろ課題を抱えていて、先をいそいでいることもあります。とにかく、かなり恣意的な、しかも対話に重点を置いたメモに切り替えます。また、エッセー的な文はそのひとの感性的なことの表出で、コメントするようなことでもないので、特に気になったこと以外は、表題だけあげて置きます。むしろ、これらの文の方が、「障害者」との出会い、そして障害問題で世界観を転換していくにはインパクトがあるのではとも思っています。また、現場から関係性総体を変えていく積み重ねにもなるのではと。実際に雑誌を手に取って読んでください。このメモを掲載するのは十二月、すぐに新しい号がでるので、季刊雑誌の二シーズン遅れです。こんどからできるだけ、出て間近に読むようにします。
巻頭クラビア:写真展「THIS IS ALS」 「難病ALSを生きる人たちの、見えない思いを伝えたい」武本花奈
 表紙に続くクラビアでALSのひとたちの写真をとり続けているひとの写真展が取り上げられています。それは「障害者」に美を感じるように世界観を転換させたひとの写真展なのだと思えます。わたしもカメラをいじっていたので、また写真をやってみたいと思ったりしていました。
特集:障害者権利条約・パラレルレポートの重要論点
●条約の実施体制と日本障害者の置かれている基礎的な社会状況から見た評価
東 俊裕(熊本学園大学教授)
 この論文の中で、災害時の対応で、車椅子用トイレがない、「精神障害者」「発達障害者」の「障害」に対する、総体的な「障害者」に対する無知、無理解、無関心ということを著者は書いています。それを分離教育から来ていることと押さえているのですが、確かに、共生教育の中で、出会いの中で、世界観を変える可能性はありえます。ですが、相模原事件のように、出会っていても、差別的なひとはいるのです。そもそも、この社会をなり立たせている論理自体が差別的なのです。そのことをきちん押さえないと、「障害者運動」はまえに進みえません。結局人権とか、倫理で差別を抑え込むしかなくなります。それを建前として本音が出てきたときに対処しえなくなるのです。もっと根本的なこの社会を成り立たせている差別的な論理から批判していく必要をわたしは感じています。
 
●市民社会と障害者組織の役割:パラレルレポート、ブリーフィング、ロビーイング
長瀬 修(立命館大学教授)
 長瀬さんの文の中で「冷戦下のイデオロギーの東西対立で機能不全の面が強かった人権条約の審査体制は、1989年に西洋諸国が勝利し、冷戦が終わったことによって、・・・」29Pと審査体制が進んでいったという主旨の話です。それを見ながら、長瀬さんがかつて職員を務めた国連は、資本主義的国民国家の同盟、利害の調整機関だと再認識しました。アメリカのフクヤマさんが資本主義の勝利宣言をしたのですね。それに対して、「誰も勝利していない」という批判の文も出ていました。資本主義も混迷を深めていき、新グロバリーゼーションの進行の中で格差は広がり、侵略戦争は幾度も繰り返されたし、テロ戦争という形の泥沼の武力衝突も起きてきました。どういう社会を作って行くのかという議論の前提自体を壊す環境破壊は進んでいます。その規制の話も進みません。核兵器禁止条約さえ、核保有国の反対で、有効性を失っています。一体「西洋諸国の勝利」ってなんだったのでしょう?
 最近観た「新聞記者」という映画の中で、内調の上司が部下に「民主主義って、形だけでいいんだ」という台詞がありました。日本は一体今まで、いくつの政府レポートを出し、そしていくつの勧告を受けたのでしょう?
国連を巡って、「障害者運動」的な攻防を展開しようとするとき、そもそもそのことを押さえておかねばなりません。そもそもこの社会で、障害差別の存在構造とは何かという観点を押さえないと、勧告を勝ち取っても、現実は変わらないという次第になります。

●障害者権利条約パラレルレポートと成年後見制度
池原毅和(弁護士)
 この論攷では、成年後見制度ということを、「意思」や「自己決定」というところからとらえかえそうとしています。そもそも「「意思」は個人のものだ」という見方からとらえ返そうとしています。このあたり、「障害を障害者がもっている」という医学モデル批判になっています。そして「「意思」は対話的で相互的な関係から形成されなければならない」という関係論的な観点を出しています。そしてそのことを障害問題にとどまらない普遍的な関係として突きだそうとしています。読み応えのある共鳴できる論攷でした。

●第九条 アクセリビリティの完全実施に向けた課題
川内美彦(アクセスコンサルタント/一級建築士)
 表1として「わが国のアクセビリティに関する法律などの歩み」が載っています。これからみんなで引用していける表になると思います。その法体系が、特にハートビル法という名前からして「アクセビリティを権利として考えるのではなく、人々の心情に訴えかけよとした法律であった。」49Pとあります。また、「しかし、当時国は障害のある人の公共交通機関の利用することを権利だとするとは認めていなかったし、現在も認めていない。」50Pともあります。また、「しかし立法府である国会が批准したその条約の内容を、国交省が「社会的コンセンサス」が得られていないとして認めていないのである。」51Pと続きます。条約は批准された、「しかし」の政治です。著者はそのことを「理念なき整備」57Pとしていますが、むしろ理念は「民主主義は形だけでいいんだ」ということなのだと思います。まあ、こういうのは理念とは言わないのでしょうが。今、右翼から「人権などという実体はない」という声が出ています。確かに、人権は「差別ということをなくす」という共通認識の上で、それを物象化した言いに過ぎないのですが、その共通認識を巡って議論を闘わし、そこから運動を起こしていくことが必要になってくると思います。

●第六条 障害のある女子に関するパラレルレポートについて
藤原久美子(DPI女性障害者ネットワーク代表)
 複合差別ということがキー概念になっています。
 いくつかの統計的データーが出ています。これから使っていけることなので、メモ的に残して置きます。
「なお、各自治体の自立支援協議会における障害女性の割合が、今年四月に初めて数字で示された。九二三自治体のうちの六八二自治体(七四%)において障害女性がいない実態がわかった。」61P
「二〇一二年度から障害者も集計するようになったDV相談件数は、障害者の相談件数の約九九%が女性であり、障害のない人の八倍のペースで件数が増加している。」61P
「(不妊手術は)男性の方が手術費用も安く入院日も短いにもかかわらず、女性が68%を占めている。男女どちらにしても人権侵害だが、この差は大きい。月経介助軽減のために、法の目的や術式も逸脱した子宮摘出や放射線照射が行われてきた。」63P
「(これまでの条約間での認識の違いを超えて)昨年八月「すべての女性、取り分け障害女性の、性と生殖の健康の権利を保障する」権利条約委員会と女性差別撤廃委員会との共同宣言が出された。」65P
「(障害のあるなしに関わらず日本の女性が置かれている状況として)男女格差指数(Gender Gap Index)は、経済、教育、健康、政治などの分野における男女格差を数値化したものであるが、日本は一四九カ国中一一〇位であり、G7加盟国では最下位、アジア諸国の中でも下位に位置している。」66P
 この国の首相は、「女性の活躍」を謳っているのですが、どうも口先だけのようです。その厚顔ぶりは世界的な恥さらしなのですが、そもそも性差別がどこから来ているのかの認識を問う必要があるのではとも思っています。
最後に「障害のある女性が脆弱なのではなく、脆弱な立場に置かれているだけであって、・・」66Pとあります。「脆弱」ということばを著者がなぜ否定的にとらえているのか分からないのですが、とにかく、関係論的な観点が出ているのではないかととらえ返していました。

●第二十四条 教育に関するパラレルレポートについて
一木玲子(公教育計画学会)
 このパラレルレポートは、公教育計画学会と「障害児を普通学校へ・全国連絡会」二団体で協働作業として作成したとのことです。
「権利委員会は特別学級や特別学級の増加に懸念を示し、普通学級でのインクルーシブ教育に転換するよう各国に勧告をしている。」69P
各学校の在席数のグラフ1―表1で転載されています。70P
「文部科学省は、障害者権利条約批准に際し、障害児は原則として特別支援学校に就学するとした従来の制度をとりやめるとしたが、導入された「インクルーシブ教育システム」は障害者権利条約の趣旨を損ね意図的に誤訳しているものである。文部科学省は、条約に書かれている「一般教育制度」には特別支援教育が含まれていると解釈し、「インクルーシブ教育システム構築のために、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある多様な学びの場を用意することが必要」と権利委員会とは異なった定義をしている。」72Pとありますが、「意図的に誤訳」ということにとどまりません。政府はそもそも「標準規則」の時から、条文をいかようにも解釈できるように改ざんすることをもとめ、更に、改釈の背景説明として、「そういう議論があった」ということで利用してきたのです。黒を白というような論理性なのです。
 パラレルレポートの概要、「参考」として政府に求める勧告案が掲載されています。
資料「調査対象は全国の公立小・中学校で、結果として、日常的に校舎内において障害のある児童生徒に付き添っている保護者の人数は一八九七人、このうち、保護者等が医療的ケアを行っている割合は二〇%(三八八件)、三八八件のうち八四%(三二六件)は、看護師が学校にいない又は常駐ではないことによる付添い。一八九七人のうち、医療的ケアを行わない付添いは八〇%(一五〇九件)、保護者等が、日常生活上の介助(三四%)、学習支援(二二%)、健康・安全確保(二〇%)等を行っている。」80P

●第十九条 自立した生活に関するパラレルレポートの主な論点
崔 栄繁(DPI日本会議)
 パラレルレポートは、JDF(日本障害者フォーラム)としてやっていて、施設の問題とか分離教育に関する意見の違いをまとめる作業の大変さが伝わってきます。逆に言うと、まとめようとして、差別に対する闘いの運動がなしえなくなっているのではとも思えます。
いくつか論攷として大切なこと。
「個人の選択と自律が失われることを問題にするものとし、百人を超える入居者を抱えた大規模施設も入居者が五〜八のより小規模なグループホームも、施設を特徴付ける要素があれば、自立生活施設と呼ぶことができない、としている。」84Pとあります。確かに規模の問題ではないのですが、規模によって内容が規定されていくこともあります。そもそも、自立生活運動の理念から当事者によって作られたグループホームか、それとも非「障害者」サイドで作られた施設なのか、当事者によって作られても管理が非「障害者」に移行してしまっているのかの問題が大きいのだと思えるのですが。
「パラグラフ四六では、差別禁止と合理的配慮義務は漸進的義務ではない、としている。」84Pとあります。ただ、日本の判例では、各種条約の条文に付いている「斬新的に」の条項で負けていき、最高裁の判例で裁量権の問題でことごとく退けられてきた歴史があります。そこから覆していかないと。
課題として「@地域移行が進んでいないことA地域以降のための効果的な中・長期計画や戦略の不在B地域社会支援サービスの不足及び抱える問題」86-7Pとして@の中味として精神医療の問題として「国際的に観ても最悪の状況にある精神科病院の社会的入院などの問題については、精神病床在院日数が平均二五〇・五日であること、一年以上入院している患者が約六〇%で一〇年以上の入院患者は約二〇%もいること、精神病床が約三五万床(世界の精神病床の約二〇%ともいわれている)もあること、などである。その背景には約七割が私立の精神科病院であり、経営が優先され精神障害者の権利回復に向けた抜本的な見直しが後回しにされてきたことがある。」Bとして「地域での生活を支えるための「重度訪問介護」などでは「通勤や就業中」「通学や学校内」「運転中」の利用が認められていないなどサービス利用の様々な制限の問題」

●精神障害者の入院時の自由が脅かされている状況について
山田悠平・桐原尚之(全国「精神病」者集団)
 権利条約の条文自体を素直に読むと、二つ前のインクルーシブ教育と「精神医療の特異な状況(身体拘束、通信の自由、権利保障の枠組み)」90Pの問題が権利条約を活かせる内容になっているはずで、「障害者運動」が集中して取り組むべき課題にもなっていることなのです。ところが、現実的に、そうなっていない、「精神障害者」の問題でも、誤解釈の話が出ています。二つ前にも書きましたが、単なる誤解釈の問題ではないと思っています。どうして、日本の長期入院、拘禁・拘束が続けられるのかの、根底的とらえ返しからの反撃が必要になっているのだとも考えています。

●JDFパラレルレポート作成までの道のり
赤松英知(きょうされん)
 赤松さんは、政府側にいて(障がい者制度改革推進会議担当等で政策企画調査官)そこから運動的なところに入ってきたひとのようです。この文は、二つ前の崔さんの文とつながっています。役人としての調整能力で各団体のまとめ役をして、文の作成とかになっていたようです。どういうわけか崔さんにあった精神医療の問題も落ちています。こういう形では運動にはむすびついていかないとも思っているのですが。

インターチェンジ 交差点
保育所の庭 全盲の子ども達との統合教育  芝木捷子
施設から ホームN通信・四回目の誕生日B――無国籍・無戸籍の子ども 佐藤陽一
行政の窓口 地域共生社会への取り組み――地域支えあい協議体の現場から 千野慎一郎
街に生きて 虐待を見逃さない  実方裕二
 
障害者の権利条約とアジアの障害者 第三十四回  中西由起子
権利条約の政府報告H 第二十二条 プライバシーの尊重
 アジアの各国の条項に沿った現状を書き記してくれている連載です。
季節風 
「生まれようとしている命を選別しないで――出生前診断とゲノム編集」佐々木和子
 出生前診断の歴史「羊水検査に始まり(一九六八年)、超音波検査(一九八〇年)、母胎血清マーカー検査(一九九六年)、受精卵診断の承認(一九九八年)、NIPT(母体血を用いた出生前遺伝学的検査) (二〇一二年)」112P
ゲノム編集と出生前診断に対する声明文113-4P
「退所、通所施設、そして自立へ――「津久井やまゆり園事件」から三年のあゆみ」平野泰史
 津久井やまゆり園事件後の退所者のその後の三年の歩みの記録をお父さんが書いていま
す。
「2019年四月十日、きようだいの日(シブリングデー)制定にちなんで」藤木和子
‘きょうだい’は当事者の非「障害者」の表記、‘兄弟姉妹’が「障害者」同士の兄弟姉妹、
もしくは、非「障害者」同士の兄弟姉妹として使われているようです。‘きょうだい’は英
語では、‘シブリング’という造語も使われているようです。ここでは兄弟が抱えている問
題、三大問題として、結婚・恋愛、進路・職業選択、「親亡き後」をあげてくれていて、か
なり深刻な状況を書き記しています。また著者は、「聴覚障害者の弟」がいるきょうだいの
立場で、SODAソーダーの会を紹介し、青い芝の「強力な自己主張」と「ろう文化宣言」
とか学習していったことを書き記しています
「書評 『障害者権利条約の実施』」佐藤久夫
新しく出された本の書評です。「本書は、条約の内容と精神をよく理解されている各分野
の二二人の専門家(おそらく紙幅の制限をあまり意識せず)、条約の内容と日本の課題を深く
分析したもので、一度に何冊もの本を読んだ印象を得た。「はしがき」で編者が書いている
ように、「まさに「アカデミックパラレルレポート」といえる。」120P

社会を変える対話──優生思想を遊歩する 第十二回(終)  小田博志×安積遊歩
優生思想に傷つけられた心を癒やしたもの――平和学の視点から
 遊歩さんの「福祉というのは、戦争がない状態が前提でなければあり得ないと、私はずっと考えてきました。しかし、戦乱、戦争がない一見平和な世界にも、不公平、不公正が存在していて、差別が襲いかかっています。その源に、優生思想的な価値観があって、これを平和学の立場から小田さんがどうみていらっしゃるのかお聞きしたいと思いました。」121Pという話から対談が始まります。小田さんはお祖父さんの話をします。なにも自分で決められないひとだったけど、召集令状が来て新兵の訓練に行って、「祖父の身体が軍隊を拒否した」というところで、除隊になったという話です。そのお祖父さんの話を聞いて、今の自分があるという話です。そんな話を読みながら、差別がある状態を平和とか言えないわけで、昔、小学生が銃と大砲の代わりに鉛筆と消しゴムをもって戦争していると、受験戦争から降りるとして自死した小学生の子どもの話を思い出しました。わたしは、遊歩さんも書いているように、「戦争がない」だけでなく、「差別がない」状態ということで定式化することを考えています。
小田さんはNGO関係でコソボに行った経験があり、ナチ・ドイツの時代のT4計画に反対の活動をしたクライシヒの話とかも出ています。そういう中で、遊歩さんは「優生思想とレイシズムはコインの裏表」という話もしています。ナチは民族の優生思想でユダヤ人虐殺をしたのです。優生思想は、日常のちょっとした優劣関係の意識の中にこそ根を張っているのではとも思ったりしていました。
 北海道のアイヌと和人の分断の話も出ていました。遊歩さんは「障害者」の問題だけでなく、差別を幅広くとらえ返しているひとです。
 最後に小田さんから「今の学校はいのちを育む場所ではありません。いのちは多様になっていくのが自然の姿ですね。優生思想を超えていくには、それぞれのいちのをありのままに尊重し、多様に表現できる場を開くことが本当に大きな鍵です。いのちが躍動して、多様なものが多様なままに関わり合う、自然の森のような場を開いていきたいですね。」という話が出て、遊歩さんの「多様性の尊重のためには、歴史を知り、痛みを受けた人の心に耳を傾けるという作業が必要だということですね。」ということで話がまとまっています。
 長く続いた対談連載の最後です。次回から娘さんのエッセー的文の連載になるようです。

現場からのレポート
東奈史「塩田さんに下された不当判決について――吹田市での知的障害者公務員労働裁判」
 吹田市の非常勤職員として働いていた塩田さんが、お父さんが亡くなって、成年後見制度を吹田市と相談して取得したら、欠格条項にひっかかり解雇されたということで裁判を起こしました。で、裁判の中で、欠格条項が問題になっていたのに、判決は、非常勤職員はいつでも解雇できるとして、敗訴になったとのことです。そもそも、「障害者雇用促進法」とか「差別解消法」がある中で、公的機関でなぜ、そんなことが起きるのか分かりません。もうひとつ、広がる非正規雇用の問題もあります。一体、どうしてこんなことが起きるのでしょうか?

浜島恭子「緊急集会「安楽死・尊厳死の問題点と介助者確保について」報告―延命治療中止・不開始の危機」
 冒頭「二〇一八年十一月二十八日、東京の憲政記念会館で、全国脊髄損傷者連合会、ALS/MNDサポートセンターさくら会、DPI日本会議・尊厳生部会、全国自立生活センター協議会、全国頸髄損傷者連絡会の共催による「安楽死・尊厳死の問題点と介助者確保について」緊急集会が開催された。」135Pとあります。講演者の安藤さんの話として「さらに地域生活の手立てに関する知識が乏しい医療の場で「体よく死なせる方向」に向けACPやリビングウィルという形で患者の「死の自己決定」が促されるという状況は、レストランに例えれば、極端に高価な食品ばかりがメニューに並ぶなか手頃な値段のものが一品しかない場合にはそれを注文せざるを得ないが、この「選択」を「自己決定」とは言えないだろうと説明した。」136Pという話や、医者でALSの患者の武田主子さんが、「皆がいずれ呼吸器を付けるか否かに直面するALS患者のうち付ける者はわずか三割であること、その裏には介護の問題が密接に関係していることを説明した。」136Pの話が印象に残りました。昔は二割りという記述がありました。まだ圧倒的多数の人の命が切り捨てられていく現実があるのですが、それでも、人工呼吸器をつけるひとが増えたのは、運動の効果なのでしょうー

竹迫和子「障害児・者の高校進学2019年、春」
 定員割れの中、不合格になる高校進学の事例を書いてくれています。いつまで、排除が続いていくのでしょうか?

松森俊尚「感じ続けた「違和感」の正体――日教組第68次教育研究全国集会・インクルーシブ教育分科会の報告」
 教員をやめてから七年近くなって、現状を知りたいと教研集会に逡巡しつつ参加した感想記。
「私の中に、単純だけど日増しに深く根を伸ばす疑問があります。それは、障害者基本法を改正し、障害者差別解消法が成立・実施され、障害者権利条約が批准されたというのに、特別支援学校や特別支援学級の在籍数は減少するどころか、権利条約批准以前よりも増えて、今後さらに増加することが予想されているということです。」146Pで、このあたりのこと、著者だけでなく、他の参加者の中にも違和を感じているひとがいて、それは特別支援学校サイドからのレポートが主役になっていて、「コミュニケーションスキル」とか「シーシャルスキル」「トレーニング」「つなぐ」とかいう語が頻繁に出てくるとのこと。で、著者は変わるべきは「障害者」の方ではなく、教室の方でないかということを書いています。友達との関係の中で、生きていく、過ごしていく、そして子ども総体が生きる道筋をつかんでいけるという話なのでしょうー
最後に「「インクルーシブな教室という理想郷」があるわけではありません。「ともにいるインクルーシブな教室」が当たり前の現実なのです。だからこそ、様々な問題が起こります。問題が起こるから、子どもは学習に取り組むのです。問題を解決するバイパスを作ることばかりに目を奪われてはなりません。問題と真摯に向き合う誠実さと勇気を、教員のみなさんに期待せずにおられません。」152Pと書き記しています。

遺稿集
古込和宏「筋ジス病棟を出て暮らす」 立岩真也=解説
 ずっと病院で暮らし、四十を過ぎてから地域で生きたいと動き始め、情報とサポートを得て、わずかでも地域で暮らしたひとの記録です。ずっと昔、千葉で筋ジスのひとが退院して自立生活運動を始めて、何年か充実した人生を過ごせたと亡くなったひとがいました。「難病者」の自立生活運動の走りだったのですが、何十年もして、四十すぎて、京都で自立生活運動に入ったという記録です。この解説は立命の生存学の立岩さんが書いているのですが、まさに立岩さんがしてるのは、そういう記録を残すことによって、もっと情報を早く得ることができるようにという思いがあるのでしょうーただ、この千葉の記録がホームページから探せません。わたしの探し方が悪いだけかもしれませんが。
 病院という閉ざされた空間の中での医療関係者とのやりとり苛立ちの記録を書いています。最後に親との関係を断ち切るように自立生活運動に入り、遅すぎたことも相俟って、残された時が少なかったけれど、遺言のような文を遺しています。「施設や病院での生活に疑問や閉塞感を抱き自分の生き方に疑問を感じるなら行動を起こし、迷いながらも行動し続けてください。施設や病院の職員の方には、「ここで生活していれはお金の苦労をしない」とか「地域で生存するのは難しい」などといった発言で結論付けるのではなく、自立したいという本人の気持ちに寄り添ってほしいものです。」162P

編集後記
いつもは、誰かひとりか二人くらいのひとが後記を書いているのですが、今回は、一挙
に四人、いろんな立場からの関わりが伝わってきました。


posted by たわし at 22:16| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする