2021年04月15日

田村雲供/生田あい編著『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』

たわしの読書メモ・・ブログ554
・田村雲供/生田あい編著『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』社会評論社1994
 ローザ・ルクセンブルクの学習19冊目です。これも再読です。
 ローザ・ルクセンブルクは性差別の問題でほとんど文を書いていませんし、運動的にもあまりとりくんでいません。それは性差別の問題だけでなく、他の差別の問題にも及びます。そもそも、レーニンとの民族自決権を巡る論争にも、個別被差別を超えた連帯の志向があります。
 それにも関わらず、なぜ、女性たちのこの本が成立したのか、これまでのローザ・ルクセンブルク学習からすると、@ローザ・ルクセンブルクは女性であり、女性との間でシスター・フッド的な関係を形成していったこと、そこでのこの本の著者たちとのシスターフッドA女性の感性で方針を出していったということがあります(例えば反戦の思想)、しかし、女性の立場できちんと運動しなかったがゆえの徹底性をもちえなかったということ(武装蜂起的なところでのとりこまれ)もあるのですが、Bローザ・ルクセンブルクの継続的本源的蓄積論の理論のなかに反差別の思想があり、女性のみならず、被差別者の立場が、その事の中に含み込まれています。これも、きちんと現実的にとりこまなかったがゆえ、男たちの発達史観――進歩史観にとりこまれたことや、民族自治論の不徹底などということもあるのですが。とにかく、今日的に反差別運動のなかで留意されています。この本のなかで、そのあたりの展開も一部なされています。
 さて、早速、読書メモに入ります。最初に目次をあげます(詳細なタイトルは省略)。
      目次
序論 ローザ・ルクセンブルクとフェミニズム     田村雲供
第1部
女(わたし)の目で読み解くローザ・ルクセンブルク 寺崎あきこ
――性・民族・階級を考える手がかりとして
斃れた者への祈禱                  富山妙子
 ――ローザ・ルクセンブルクとケーテ・コルビィッツ
ローザ・ルクセンブルク再考            足立眞理子
 ――資本蓄積・<女性労働>・国際的-性分業
私のロシア革命論                  生田あい
 ――“生の賛歌”としての社会主義
ドイツ・バイエルン革命とフェミニストたち      田村雲供

第2部
社会主義と家族                   水田珠枝
 ――コロンタイを手がかりに
社会主義の挫折とフェミニズム            大沢真理
日本資本主義とその文化イデオロギー         大越愛子
フェミニズムから「国家」論を読み解く  江原由美子+生田あい
資本主義と女性抑圧の文化構造        フリッガ・ハウク
女たちのレーテを            コーネリア・ハウザー

ローザ・ルクセンブルク邦語文献目録
あとがき
執筆者略歴

序論 ローザ・ルクセンブルクとフェミニズム     田村雲供
 この文は最初に読んだときは、ざっと読み流していたのですが、今回はすごくインプットされました。論点をかなり出してくれています。切り抜きメモを出して、いつものように斜文字でわたしのコメントを書き添えます。
「つまり、ローザ・ルクセンブルクに「女」を発見していく過程を素描し、女たちとローザ・ルクセンブルクとの出会い、そしてドイツの新しい第二波フェミニストの提起した問題からローザを逆照射してみることである。同時にこの作業は、本書におさめた女性たちの論稿にみられる問題意識とそれぞれに重なるものであろう。」7P
「ローザ・ルクセンブルクはいうまでもなく女性であった。しかし彼女の思想や行動は、男という名の人間に伍して、渡りあってきたから、評価なり批判なりがなされてきた。女性であるにもかかわらず男性に肩を並べて論争し行動した「男なみである」ことにたいし、男女を問わず人びとが感嘆した時代があった。この感嘆のなかには、女であることを否定的劣勢の要素と認める暗黙の了解がある。しかし、歴史は反転を可能にした。反転の経過をみることにしよう。」7P・・・反転しきれたことと、しきれなかったこと。フェミニズムを押さえたところで、反差別という地平から反転の作業には入れていない。ひとは時代を超えて生き得ないとしても・・・。
「まず、ローザ・ルクセンブルクの女性性が積極的に強調されだしたのは、ルイーゼ・カウツキーやゾフィー・リープクネヒトに宛てた彼女の手紙が公にされたときからである。これはルイーゼ・カウツキーの意図的な行動でもあった。/「暴力と破壊の扇動家」とみなされ、「赤いローザ」とよばれたローザ・ルクセンブルクであるが、じつはきわめて繊細でやさしい心の持ち主であることが手紙の公刊によって証明された。ゆたかなルーマニアの広野から略奪してきた戦利品の牛に・・・・・・」7-8P「市民社会の台頭期には男も女もじつによく泣いたが、男女の性別性格の対照化の定着と社会の安定とがあいまった、情緒・感傷性は女の特性とされていく。男の能動にたいし女の受動、男の理性にたいし女の感情、といった数かずのメルクマールをつらねて、男は外、女は内へと収斂していくなかで、情緒的であることは女の規範の一つとされ、女の本性=自然という意味不明の概念で女が括られることになった。」8P
「この神話を打ち破ったのがJ・P・ネトルである。・・・・・・評伝『ローザ・ルクセンブルク』・・・・・・ローザをその実像に近づけた。政治運動と私的生活はローザ・ルクセンブルという人格のなかで一つの生活となった。」8-9P「ヨギヒェスとの破局以来ローザは女友だちに、さかんに精神的自立を鼓舞している。」9P「この評伝がネトルの意識をこえて、彼の意図しなかったローザ・ルクセンブルクという女性の姿を鮮明にしてくれたのは、質の良いもののみにひそむ一種の「奸智」でもあった。」9P
「ローザ・ルクセンブルクの二項対立的把握をつき崩したJ・P・ネトルについで、更にもう一歩彼女の全体像を視覚的に身近なものにしたのが、映画『ローザ・ルクセンブルク』(西ドイツ映画、一九八五年作品)の監督であるマルガレーテ・フォン・トロッタである。」9P「ローザの生活スタイルは、多少重々しいブルジョア趣味で成り立っている。・・・・・・彼女はプロレタリアートの文化があるだと考えてもいなかった。芸術と政治は無関係であると考えていたわけではないが、二つをはっきり区別していた。フォン・トロッタはローザ・ルクセンブルクのこうした側面もうまく映像化した。」10P「フォン・トロッタは、この映画のライト・モチーフを、「つねに女でありつづけたローザ・ルクセンブルク」である、と明言している。」11P
「同じく、ローザ・ルクセンブルクは「女であることを意識していた」、とのべたのはハンナ・アーレントである。・・・・・・『暗い時代の人びと』・・・・・・しかし、ネトルが強調しながらも、その意味を十分に理解しているとは思えない側面として、ローザの自身が女であることを意識し、自覚していたことを指摘している。」11P(・・・被差別の当事者性は反差別というところからしかとらえ返せない)「さらにまた、政治に目覚めた女たちが組織した女性解放運動、選挙権の平等を求める運動にたいしてもローザは、「わずかな差がうまれるだけだ」と言ったであろう、という。・・・・・・わたしはさらにローザのこの態度から、ドイツ社会民主党をはじめとする官僚体制の現実にたいするローザの批判を読みとりたい。」11P「いずれにしてもアーレントは、女であるローザ・ルクセンブルクをみることによって、彼女の等身大の人格がみえることを強調したのであろう。」11P
「ローザ・ルクセンブルクは女であり、新参者であり、かつポーランド・ユダヤ人であった。まさに「社会的バーリア(賤民)」であった。家をすて、国をすて、伝統を重んじる誇り高きプロイセン社会の安寧を蝕もうとした意識的バーリアを生きたがゆえに、ローザは予言者なりえた。そして現実への鋭い洞察力で真実を語り、世界の全体像を手に入れることができた。それは共同体にたいする「他者」立場を鮮明にしたものであり、なによりも修正主義論争に明確にしめされている。/修正主義論者は資本主義崩壊説に疑問をなげかけ、崩壊ではなく、その存続能力をむしろ認めるべきではないかと主張した。・・・・・・・これにたいしローザ・ルクセンブルクは、「なぜ」資本主義の存続が可能なのか、と問題をたて、存続のメカニズムを解明することで修正主義論をラディカルに論駁した。・・・・・・つまり資本主義の蓄積過程は、たんに資本主義生産を支配する固有の法則の結果である剰余価値の生産からのみ成り立つのではなく、非資本主義の領域が存在し、これを収奪することによってはじめて可能になることをしめした。」11-2P「資本主義とは、それ自体が矛盾を生みだし、「みずからのなかに革命を準備する」ような閉じた体制ではないことを証明したローザ・ルクセンブルクは、非資本主義社会が存在するかぎり、資本主義はその生存と成長をつづけ帝国主義へと発展し、最後には崩壊へといたることを『資本蓄積論』で理論づけた。ここには、彼女の政治論文にはない「理論」があり、この理論こそが六〇年代末の第二波フェミニストをローザ・ルクセンブルクにつないだ回線となった(ドイツのフェミニストで、いち早く第三世界の女性に眼を向けたC・フォン・ヴェールホーフやマリア・ミーズの研究はここから出発している。本書足立論文参照)。市場原理の周縁に位置づけられてきた女性は、非資本主義領域を形成している。そして「性」の収奪と「労働」の収奪にさらされてきた。」12P(・・・中枢国内の差別による収奪も)「しかし『資本蓄積論』は、「なぜ」から展開された首尾一貫した理論として意図されたものであった。したがって理論的、経済的必然性がどのようにして政治的挑戦に転化し、さらには社会的行動を要求するのかについて、ローザ・ルクセンブルクはなにものべていない。ローザには個々の事件であれ、経験であれ普遍化したいという強い要求があったので、「いかに」が脱落しがちであった。たとえばローザにはドイツ植民地、南西アフリカ(現在のナミビア)での残忍な植民地戦略と、先住民についてのパセティックな記述はあっても、先住民の抵抗・蜂起の実態や、ドイツから送りこまれた女性の「性」の手段化や、先住民女性の「性」の収奪、しかも女性間の「性」にヒエラルヒーをもうけて操作し、第二のドイツ帝国の建設をすすめた具体性については言及されることはなかった(拙稿「南西アフリカ、ドイツ植民地への女性輸送」、池本幸三編『近代社会における労働と移住』阿吽社、一九九二年参照)。ここに、植民地政策には欠かせない「人種」と「性」の問題が、ローザから欠落しているのをみることができる。」12-3P・・・障害問題も。
「とはいうもののローザ・ルクセンブルクによって提起された「なぜ」の問いは、いま今日でもその有効性をうしなっていない。問題は、資本主義下の経済還元論的分析、分配にあるのではなく、むしろ資本主義と非資本主義との関係性のなかにあるからだ。それは同時に、「性」によって分断された世界を意味している。歴史、社会は「階級」よりも「性」によって分断されていることを発見した六〇年代末のドイツの新しいフェミニストたちは、時代の政治的うねりのなかでローザに欠けていた「いかに」をどのように経験し、なにを発見していったのであろうか。」12P「革命の年にケルン大学の学生たちは、大学の建物に白いペンキで「ローザ・ルクセンブルク大学」と大きく書いた。」13P「かれらは話せばよどみなく流暢で、運動の指導権をにぎり、外に出ればブロンドや黒髪の魅力的な女性ファンをひき連れて、風をきって闊歩した。こうした光景は同じく運動に参加していた女性に、しだいに違和感をつのらせることとなる。違和感は排除されてあることを女たちに意識させると同時に、さらに徹底して「他者であること」への認識へと導いた。この認識が具体的な「女」を発見していく。ここにローザ・ルクセンブルクの立脚点への回路がある。そして、ついに一九六八年の秋(正確には九月一三日)、女性にとって歴史的に記念すべき「トマト事件」がおこった。」13-4P「男性活動家の「革命の花嫁」(「コンクレート」誌)を演じた女たちは、闘う相手はごく身近にいる男性指導者たちであることを知った。運動のなかの経験が教えたのである。いまや批判に転じた。ハノーファでのSDS代表者会議で、女たちはあの有名なビラ「社会主義のエリートたちを、そのブルジョア的ペニスから解放せよ!」を配った。そして「権力はファロスにある」と宣言した女たちの抗議行動は、左翼の男たちに向けられる一方で、新しい女性運動がさまざまなかたちで組織され、女が家族や社会で経験している不都合や不利益をことごとく明るみにだしていった。」14P「女にとって、「舗装の下には渚がある」わけではないことが明確になった。「女たちの舗装の下にはポルノグラフィーがよこたわっている」。」14P「新しいフェミニストたちはローザの「なぜ」に、「いかに」を接合することによってフェミニズム理論を模索していった。それは所有するものと、これに依存するものとの経済的法律的平等をもとめるよりは、あくまでここで支配する権力関係の無力化・廃棄を志向するものである。「男」をつくり、「女」をつくったのは自然ではなく、まさに権力関係であるからだ。」「本書は、ローザ・ルクセンブルクの生誕一二〇年を記念して東京で開催された国際シンポジウム「ローザ・ルクセンブルクと現代社会」と同時にひらかれた女たちのシンポジウム「今、女たちから世界の変革を」を契機にうまれたものである。」15P
第1部
女(わたし)の目で読み解くローザ・ルクセンブルク 寺崎あきこ
――性・民族・階級を考える手がかりとして
二つの小見出しがついています。内容的に一つ目は伝記ですが、二つ目は、ローザ・ルクセンブルクがおんなであること、そのことから、他の女性とのつながりを書いています。そして二つ目には、更に小さな小見出しがついています。(小さいポイントの太字で表記)
ローザ・ルクセンブルクの生涯
ここはローザの生涯について、年代をおってかかれていること。他の書で読んでいることがあるので、省略します。ただ、一九一四年の第一回の戦時公債でリープクネヒトが反対票を投じたとありますが、フルーレの書では、一回目は社会民主党議員団の党則に拘束されて、賛成しているとなっています。反対票を投じたのは二回目だと。
ローザ・ルクセンブルクと女(「わたし」のルビ)たち
「女だからといって「婦人問題」をやればいいなどと単純に決めつけられてはたまらない、というのが彼女のいつわらざる気持ちだったのであろう。/ローザ・ルクセンブルクの著作で公表されたもののうち、女性を直接的なテーマとしてとりあげているものは「婦人参政権と階級闘争」「女性プロレタリアート」の二点にすぎないまた、ローザと当時のプロレタリア婦人運動のクララ・ツェトキンとの友情についてはよく知られている。ローザはクララが編集長をつとめる女性労働者のための雑誌「グライヒハイト」(一八九一年――一九〇八年)に寄稿したこともあったが、その数は十点にすぎない。寄稿のテーマを一覧すると、いずれも社会情勢、党の路線についてなどのもので、女性問題をテーマにしたものは皆無といってよい。」28P
 ローザと「女性であること」
「まずいえることは、ローザが「女であることに」ハンディを感じていなかったことがある。」28P・・・? この小見出しの最後の引用
パウル・フレーリヒを引用した著者のコメント「「ローザ・ルクセンブルクは、鋭い理解力、行動力、大胆、決断力、自信など、男性的な面を多くもっていた。しかし男性に伍することで有頂天になる青鞜派では決してなかった。つねに自然、率直であるという点で彼女は完全な女性であった」(・・・フレーリヒ自体のジェンダー的とらわれ)。しかし、ローザは「青鞜派」になる必要などなかった。なぜなら、彼女は最初から「男に伍して有頂天になる」以上のことめざしていたからである。」29P・・・「以上」なのか? むしろそんなことにとらわれないで、なのでは?
「しかし、本人が意識していなくても、女性であることを抜きにして周囲が彼女に接していたか、は別の問題である。」29P
「ローザは性差別的言辞や対応が気にならなかったのでもなく、気にしなかったのでもない。それどころか深く傷つくことが、このことも少なくなかったことが、この手紙からも想像できる。しかし、そのことを正面きってとりあげようとしなかった。これらを彼女個人に向けられた攻撃としてとらえていたからである。」30P
 女たちとの関係
「二人(ローザとクララ)の間には一方が支えを必要としているときにはかならず、他方がそれにこたえてくれることを期待できるという強い信頼関係が生まれた。」31P・・・同志的関係を含んだシスターフッド的関係
 ルイーゼ・カウツキーとの関係も書かれています。ここには書かれていませんが、わたしは彼女との手紙のやりとりを見ていると、クララとの同志的な関係を含んだシスターフッドではない、まさにシスターフッド的関係があったととらえられます。
 男との関係
「一九七〇年代に始まったウーマンリブは「プライベートとはポリティカル」といった。公的な政治活動の場だけでなく、「私的」なヨギヘスとの関係においても精力的に孤独な闘いを進めたローザの実践も、その先駆けの一つであったといえよう。/しかし、ローザがヨギヘスとの生活について夢みているものは、伝統的な家庭生活の域を出るものではなかったようだ。・・・・・・」33P・・・初期のヨギヘスとの関係とその事を断ち切った後の関係は違う
「ローザにとって「仕事」と「くらし」は断続的したものではなかった。どちらにしても彼女にとっては人生の重要な構成要素であった。ローザは「革命家」でもあり、「生活者」でもあった。その意味で彼女はその一生を「両性具有的」に生きたといえるだろう。「男の領域」である「仕事」と「女の領域」である「くらし」と…………」33P・・・まさにジェンダーにとらわれている論理
「女性解放のかかわり方には二つのタイプがあるといえよう。第一はもちろん、徹底して女性であることにこだわり、男性の価値観を中心につくりあげられた社会を批判し、変えていくやり方である。第二のかかわり方は、直接女性であるということにこだわらずに(少なくとも意識的には)男性社会の中に入りこんで個人として可能性を探り、自分の地位を確立していくことによって、結果として女性の可能性を拡げていくやり方である。・・・・・・両者は反目しあうのではなく、同じコインの表と裏の関係にあるといえるからである。ローザ・ルクセンブルクは後者の立場を貫いた。」33P
 ローザと「民族」
「彼女はポーランドの独立よりも、労働者の国際的連帯による社会主義社会実現のための運動を優先した。だからといつてもちろん、民族の存在を無視したのではない。ポーランドの研究家の加藤一夫氏によれば、ローザの主張は「国民(民族)国家なしの民族の自立」ということだった。・・・・・・・ローザにとって「この権利(自決権)は社会主義においてはじめて実現できるもの」だったのである。」34-5P
「ローザがインターナショナリズムを構想する際に彼女の頭のなかには、それが可能であるという現実の裏付けとして、ユダヤ人の「インターナショナリズム」(つまりユダヤ教の信仰をきずなとした宗教的民族共同体を一五〇〇年にわたり継続させてきたユダヤ人の実践)があったといえるのではないだろうか。」35P・・・?むしろユダヤ人的な独立国家的志向を否定したが故に、民族自決権を否定したのではないでしょうか?
 性・民族・階級
「しかし、「フェミニズムをになう主体の複数化」についての論争は、白人女性が主流となっている国ほどに、多面的には行われていないのが現状である。性差別にこだわっている日本の女は、同じ日本で性差別よりも民族差別を切実に感じている在日朝鮮人の女性とどのようにつながっていけるのだろうか。それぞれのこだわりを尊重しつつ、たがいが出会い、つながっていくためには、どうすればよいのであろうか。・・・・・・ローザ・ルクセンブルクの場合は、原点はあきらかに民族差別にあったといえよう。・・・・・・階級や民族の支配だけでなく、性による支配構造がみえてきた現在、フェミニズムの視点にも立ちつつ、この複雑に交錯する支配構造全体に視野をひろげていくことが求められている。そのようにして、問題が新たにみえてきた例として、朝鮮人「元慰安婦」の問題がある。」36P
「ローザ・ルクセンブルクはユダヤ人に、女性に、「特別席」を与えようとしなかった。では、性差別に対する闘いは彼女の思想と相入れないものなのだろうか。わたしはそうではないと思う。女たちの闘いは、大衆の自発性を重視したローザ・ルクセンブルクのいう、大衆(といっても「天の半分」ではあるが)の「成熟」(自己発展)の過程そのものといえると思うからである。/マルクス主義者としてのローザ・ルクセンブルクの方法論は、「マルクスを最も重要な思想家として受けいれながら、しかし同時に、その理論が現実に合わないと考えた場合にはためらうことなくそれを修正しながら自分の理論の発展をはか」るというものであった。その意味で女たちの性差別に対する闘いは、女性に「特別席」を与えなかったローザ・ルクセンブルクと相反した道ではなく、その延長線上のあゆみといえるのではないだろうか。」37P
斃れた者への祈禱                 富山妙子
 ――ローザ・ルクセンブルクとケーテ・コルビィッツ
 著者は画家であり、反戦というところからローザと彫刻家だったケーテ・コルビィッツとをつなげる文を、ロマン・ロランをも媒介にしながら書いています。詩的な文です。
ローザとロマン・ロラン
 冒頭書き出し「なぜ、戦争をふせげなかったのであろうか?」43P
「戦争中にわたしは美学生だったが、ほとんどの本が発禁で、手に入る本は限られていた。敗戦後にローザの本をよみ、印象深かったのはフランスの作家ロマン・ロランについてローザがふれている箇所だった。」43P
「戦争をふせぐにはどうすればよいかを示唆されたのも、ロマン・ロランの「国境を越える」思想からであり、知識人や作家の役割を考えはじめたのもロマン・ロランの本からだった。」43-4P
「帝国主義最盛期の時代、国境を越えた友情の連帯があり、ロランからインドのガンヂーやゴタールへコルビィッツの絵から中国の魯迅へ、権力に対峙する自由な魂は砂漠の地下水のカレーズのように脈々と流れていたのだ。戦争をふせげなかったことへの反省をこめて、彼らの思想は次の世代への課題となっている。」45P
 戦争と女の視座
「戦争を体験しての私の美意識は変わりはじめていた。戦争の惨禍と、地獄の形相を見た私は、絵画とは美の追求であるなど、すでに過去のことになっていた。アウシュヴィッツの虐殺や原爆で焼けただれた人たちのことを知ったとき、いったい絵画とは何であったのか。戦争の悲しみを訴えてくるのは、ケーテ・コルビィッツの版画からだった。」45P
「第一次大戦でケーテは最愛の息子ペエターを戦死させた。その母の悲しみが、白黒の版画に、骨をペンとして血をインクとして描いたかのように刻まれている。/「ペエターは臼でひいてはならない種子であった」(『日記』ケーテ・コルビィッツ)。/戦争は何万、何百万の若い生命を、石臼でひき殺したのだ。」45P
「戦争と女について考えるとき、ケートとローザが、私にはもっとも大きな存在であった。/獄舎の中庭で血を流した牛の目の涙を見るローザ、若い生命の「種子を石臼でひいてはならない」と叫んだケーテ――ここに戦争を見つめる新しい女の視座があった。」46P
「一九世紀から二〇世紀初頭にかけて、革命家は芸術家であり、芸術家は革命を夢みた。帝国主義戦争と革命との煮えたぎる抗争のなかで、両者はともに暗夜の道をあゆみ、夜明けをさぐろうとした。だがそこにあるのは斃れた者たちの屍のあとだった。」46P
 斃れた者へ・・・著者の画家としての道行き
「ふりかえってみると、私が描いてきた絵のシリーズは、自由を求めて斃れた者たちに捧げるものが多かった。それもローザやケーテの影響なのだろう――戦争の悲しみや惨禍を見てきた私には、栄光とは犠牲のうえに礎かれた塔のように思われた。」46P
 ベルリンで、ローザとケーテに・・・ドイツ旅行でローザとケーテとの語らい
「八八年、第二次大戦中の強制連行と従軍慰安婦をテーマとした個展を西ベルリンで開いたとき、ようやくクーダムに「ケーテ・コルビィッツ美術館」ができていた。美術館のなかで私はケーテの自画像に語りかけていた。」48P
「これまで私が考えたのは既成の権威や権力となっているものに対する、反権力や反体制としての、対抗文化であり、アジア人として、女としての私には西洋中心の文化や、男性中心の文化に対するオルタナティブの文化だった。」49P
「資本主義も社会主義も、ともに物質の豊かさを求めてきた、表裏でなかったのか。」49P
「それらは新しい「ノアの箱船」のよう。だが、私たちが乗っている先進国という帝国主義の巨船はすでに船体が腐敗し、レーダは壊れ、方向を見失って軌道を狂わせている(ママ)。/私たちは、新しい「ノアの箱船」を作り、港を出るところにきた。どうやら歴史は一世紀くらいの年月を経ないと真相は見えてこないようだ。」49P
ローザ・ルクセンブルク再考            足立眞理子
 ――資本蓄積・<女性労働>・国際的-性分業
 わたしは、忘れることを得意としているので、記憶もはっきりしないのですが、確か、この論稿が、継続的本源的蓄積論に関するわたしの学習の始まりで、ここから世界システム論とフェミニズム世界システム論を学び、そしてネグリ/ハートの『<帝国>』から、オルター・グロバリーゼーションの学習の道行きへと進んだのでした。
 はじめに――<非連続性>の地平にて
ローザ・ルクセンブルクが問題にしているのは「焦点はあくまでも生産的労働をおこなうものとしての女性プロレタリアートであって、プロレタリアの女性ではない。」52P
「しかしながら、マリア・ミーズが述べているように、一九二〇年代に端を発する女性解放運動と、一九六〇年代後半以降の今日のフェミニズムとの間には、その理論的・運動的《連続性と非連続性》が存在する。/ミーズによれば、《連続性》とは女性のリベレーション(Liveration)であり、《非連続性》とは、次の三つの領域にわたるものである。一、身体の政治、二、政治の新たな読み替え、三、女性の労働。すなわち、前述の問いをめぐる困難さとは、この《非連続性》の地平において、今日のフェミニズムは、いかにしてローザ・ルクセンブルクと出逢うのか、その出逢いの可能性を求めるものだからなのである。」53P
「先取りしていうならば、一九六〇年代後半から今日に至るフェミニズムの理論形成・実践において、ローザ・ルクセンブルクの思想は、ある決定的というべき影響を与えている。それは、一九七〇年代の家事労働論争が、フェミニストに不満をもたらしつつ収束して以降の出逢いであり、一九八〇年代の前半においてほぼ形成され今日に受け継がれているとみることができる。」「ならばその《非連続性における出逢い》とは、一体どのようなものなのであろうか。ここでは前述した《非連続性》における三つの領域すべてにわたる、ローザ・ルクセンブルクの再読は、とうていできない。したがって、的を絞り、そのなかの第三点《女性の労働》をめぐる読み替え、とくに資本蓄積と《女性の労働》の関連性、これは広義には生産的労働、搾取、階級というマルクスの基礎概念への、家事労働論争・以降――ここが重要なのだが――のフェミニストによる批判、そして、これをとおして、フェミニストの理論形成は、どのように変貌したのか、を主題としておってみたいと思う。」53P
 同時代――「第三世界」からの異議申し立て
「・・・・・・というのも、フェミニズムはそもそも先進資本主義諸国の女性たちが、自らの解放を求める運動として生まれたのであり、今日でもフェミニズムの多くはそのことを主題としている。」54P
「それは、この時期における「第三世界」の側からの異議申し立てとして形成された「第三世界論」の理論・運動の隆盛であり、そこからのローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』再評価の動きに(他)ならない。」54P
「一九七〇年代のフェミニズム理論のある限界点で、《女性の労働》に係わる資本蓄積概念そのものの見直しとして、果たされたのである。そして、この時はじめて、フェミニズムは、自らの出生を記す“先進国中心主義”あるいは“ヨーロッパ中心主義”への内在的批判への糸口をつかむのである。」54P
「しかし、この出逢いの後、ローザ・ルクセンブルクの《資本蓄積》概念を受容したフェミニストによる、《家父長制的資本主義社会》における《女性の労働》に関する分析枠組みを、従来の抽象的な「社会」、事実上の一国主義から、資本主義世界システムへと転換させる、新しい分岐が形成されていったといえるのである。/したがって、ここで私達は、留意されるべき第二の問題が存在することに気付くであろう。それはフェミニズムが出逢った《資本蓄積》概念とは、すでに「第三世界」の視座から読み直されたものであるという点にほかならない。」55P
 「第三世界」からの『資本蓄積論』再評価
「バーバラ・ブラッドビーは、ローザ・ルクセンブルクが、マルクスの再生産表式の前提そのものを疑い、そこから非資本主義的“外部”の必要性を説くにあたって、そこには二つのテーゼ、一、強いテーゼ――(拡大再生産における)剰余価値不可能性、二、弱いテーゼ――自然経済の破壊、が存在していると述べている。」56P――この後バーバラ・ブラッドビーのローザへの批判。これについては、『資本蓄積論』の学習過程で、すでに出ていた議論。
「この中にみられる、資本主義はその成熟段階といえども非資本主義的環境におよび社会層(Non-capitalist milieux and strata)へ依存している、というこの主張は、資本の社会的再生産の歴史的・現実的過程における「資本の生産」への、従来とは異なる局面を切り開くものであった。つまり、「非資本主義的環境および社会層」への依存が、社会的過程としての資本蓄積にとっては決定的とみなした点である。」57P
「つまり、いうまでもなくマルクスにあっては資本主義の前史としてのみ考察された資本の本源的蓄積過程が、第二循環の終わり以降においても、すなわち、資本――賃労働対抗関係として資本の本来的蓄積過程の遂行と、並行・継続して存続しうること、そしてこのような蓄積の両側面の考察こそ、社会的過程としての資本蓄積の分析に不可避であり、その舞台は世界、ローザ・ルクセンブルクにあっては文字どおり《地球》、であることを主張したのである。/そして、この点こそ、ローザ・ルクセンブルクにたいして、アンドレ・グンター・フランクが、世界資本主義と低開発に関する研究における半世紀以上も前の、「唯一の際立った例外」と述べ、サミール・アミンが「偉大な才能」とよんだ点にほかならない。」57P
 資本の源始的蓄積過程――《女性の労働》・国際的-性分業
「衆知のように一九六〇年代後半のイタリア・フェミニズムによる家事労働への賃金要求は、その後、イギリスCSEを中心とする《家事労働論争》へと展開した。この《家事労働論争》の過程は、広義には、家父長制と資本主義の相互連環性への新たな認識と論争を生み出す過程であったが、狭義には、マルクス労働価値説から家事労働概念の排除の確認をもたらした。この過程の詳述は今は避けるとして、ここでの問題を極めて限定的に取り出すならば、ダラコスタらの「女性は無償の家事労働をおこなうことによって資本主義から《搾取》されている」という主張は、なんら根拠のないものと再認されたことである。」59P・・・そもそも「マルクス労働価値説」自体が物象化された相でとらえられていること、さらに「家事労働」概念自体がジェンター概念と同じ位相にあり、その後、マルクスの流れのフェミニズムは、ひとの生きる営為が、なぜ、労働と家事と「個人的営為」ということに分離していったのかということ自体を問題にしてきました。
「マリア・ミーズは、この家事労働論争(一九七三――一九七九)において、極めて重要な視点が欠落していたことを指摘している。ダラコスタらが主張した家事労働への賃金要求は、女性のおこなう家事労働が、非賃金労働(Non−wageLabour)の一形態であることを示している。しかしながら、家事労働論争においては、この、家事労働の非賃金労働としての性格を、他の領域の非賃金労働――生存経済のもとの小農民、小商品生産者、周辺化された人々、「第三世界」に、そして一部は「先進諸国」に――との、共有される問題としては議論されなかったという点である。・・・・・・そこには深くヨーロッパ中心主義が潜んでいた。しかしながら、論争をとおして発見された、資本主義一般の分析においては排除される、資本主義下の家事労働の非賃金労働の性格は、「第三世界」におけるさまざまなタイプの非賃金労働の世界資本主義にたいする関係と共有される側面を有している。」59-60P
「このことは逆に、この排除、すなわち家事労働を《労働》とはみなさない排除の社会的・現実的力能をとおしてこそ、家事労働はいわば《植民地化》され、非公式な隠蔽された《搾取》の源泉となる、というメカニズムを発見するものであった。そしてこの発見は、「第三世界」、植民地経済における、二重に自由な賃労働以外のさまざまな形態の賃労働――不自由賃労働(unfree wage labour)、不自由非賃労働(unfree non−wage labour)の資本蓄積にたいして取り結ぶ諸関係に目を開くのであり、そこにおける共有されるものと異質なものへの分析こそ、課題とするべきことが理解された。」60P
「とくに、クラウディア・フォン・ヴェールホーフは、この点を「経済学批判の盲点」とよび、資本――家父長男性の二重に自由な賃労働対抗関係のみを資本主義的生産関係とみなす古典理論を批判し、家事労働と「第三世界」の生存維持労働(subsistence labour)という非賃金労働関係は《特権的》(男性)賃労働関係の前提条件であるとみなし、この非賃金労働を基礎とする従来とは異なる他の生産関係を規定しようと試みた。そして、この試みは、ヴェールホーフ、ヴェロニカ・ヴェンホルト−トムゼン、ミーズによって、 世界規模での資本蓄積における、家事労働を包含する非賃金労働関係とその位置の分析にむかわせた。そして、この分析の中において、ローザ・ルクセンブルクの、資本蓄積おける“非資本主義的環境および社会層”(non−capitalist milieux and strata)への歴史的・現実的依存と、そこにおける資本の本源的蓄積過程の継続というテーゼは、資本主義下の家事労働を含む《女性の労働》の問題へと初めて適用されたのである。」60P
「そして、続けて、「私は、全くマルクスの理論の精神において、『資本論』第一巻の前提――これはそこではすぐれた役目を果たした――を今や放棄して、総過程としての蓄積の研究を、資本とその歴史的環境のあいだの物質代謝という、具体的な基礎の上に据えることが、必要だと思う。」」61P・・・そもそもマルクスも物象化概念でそのことを基底的にはとらえていた。
「ここでローザ・ルクセンブルクが示しているものを、ヴェールホーフは次のように述べている。「すなわち、『労働』および『生産』の概念が、そのもっとも広い意味において、賃労働と工場生産に限定されることなく理解されるような過程である。この、動態的で世界的な資本蓄積過程は、ローザ・ルクセンブルクが定義しているように、資本主義的性格を帯びた、巨大で継続的な本源的蓄積過程としてとらえることができる」。そして、この継続的な本源的蓄積過程は、ヴェールホーフによれば、三つの関係――一、中心―周辺関係、二、都市−農村関係、三、報酬−無報酬労働関係(その典型としての自由賃労働と家事労働)における、基本的構成要素のひとつである。それゆえ、従来、国際分業《中心―周辺》として扱われてきた、社会的分業に、性的分業《男性―女性》を含めなければならない。そしてこのことをとおして初めて、周辺部が、農村部が、家族―世帯が、本源的蓄積過程の生じる場として現われることが理解される。」61P・・・すでに述べたように、労働と家事と「個人的営為」の分離という観点からとらえ返す必要。
「以上のような、ローザ・ルクセンブルクのテーゼへの《女性の労働》の適用は、これ以降極めて重要であると考えられる三つの視点をもたらすものであった。」61P――第一に、“非資本主義的環境と社会層”に《女性》含めること61-3P第二に、性別役割分業論の読み替え63-6PP第三に、「国際労働力移動における移民女性労働者の問題」と「そのことによるリストラクチュアリングとあいまって、これが中心部の中における《周辺》の形成をよび、これが女性内部の階層分解と密接な連環をもつ」66P
「ミーズは、可視的な資本主義システムのもっとも不可視なアンダーグラウンドを構成するものとして《家父長制》という概念を用いており、ミーズによれば、家父長制なしには、資本主義は資本蓄積の限りなき過程を遂行することは不可能である。」62P
「非賃金労働としての《女性の労働》あるいは他の非賃金労働としておこなわれる生命・労働力の再生産および生存維持的労働なくしては、賃労働は《生産的》ではありえず、前者は後者の恒久的基礎をなしている。したがって、マルクスとは異なって、資本主義的生産過程を、二つのものからなる一つのものとして考察する。すなわち、非賃金労働(女性、植民地、農民)の《超−搾取superexploitation》と、それによって可能となる賃労働の搾取の過程、つまり、ミーズは、本源的蓄積過程の源泉である、非賃金労働としての《女性の労働》は《超―搾取》されているものとみなすのである。」63P
「むしろフェミニスト・セオリーは、《女性の問題》をただ一つの概念に収斂してしまうこと、たとえば階級一元論ないし性支配一元論、への絶えざる拒否のうちにあるように、私には思われる。また、ミーズが《超―搾取》という用語を選択するのは、「第三世界」の女性の現実により則することを配慮しているように見受けられる。/つまり、逆説的にいえばここで問題にされているのは、賃労働とともに資本主義のただ中で出現してくる非賃金労働(無報酬労働)と、資本蓄積の関連にあるからなのである。」63P
「従来の性別役割分業は、「先進諸国の内部における近代的核家族の妻と夫の性役割に基づいた分業」を意味しており、また労働市場における女性の位置の分析は、近代的性別役割分業の労働市場への反映(たとえばナタリー・ソコロフによる労働市場における《母役割》など)とみなされることが多かったと考えられる。しかしながら、前述したようなローザ・ルクセンブルク理論の継承は、その分析を資本主義的世界システムに広げるものであり、ここに性分業を一国内部のものとしてではなく、国際分業あるいは世界市場とむすびつけて把握する方向を生み出した。」63P
「このNDIL(新国際分業The New International Division of Labour 64P)の成立の条件は、次の三点、一、世界的規模での潜在的労働力のプール(reservoir)の形成、二、技術と労働組織の発展による「非熟練」労働においても可能な生産過程の単位工程への分割、三、通信・情報技術の進歩による、生産立地と管理の地域的制約からの解放、であるが、この場合、重要なのは、現代においてこの三つが、「フルセット」で登場したことにあるといわれている。」65P
「つまり、労働力の再生産様式における社会的―性分業(socio−sexual division of labour)のもつ性差ヒエラルヒーがこの垂直統合を可能とする、ひとつの規定因になっているのである。」65P
「つまり、資本主義世界システムの外延的拡大における自由労働以外の多様な労働力の統合として、ジェンダーに規定された《不自由賃労働》の増大過程であり、これをミーズ、ヴェールホーフらは、女性の自由賃労働への転化ではなく、賃労働の風化、賃労働の《疑似―主婦》化、《主婦化の世界化international housewifization》と呼んでいる。」66P
「今日の世界的構造再編と《女性の労働》における家事労働、インフォーマル労働、フォーマル労働、三者の連環性が課題となっており、周辺諸地域のみならず、アメリカ合衆国など中心部において、今日、女性は三重の任務(triple shifts 家事労働とインフォーマル・フォーマル労働)についている。」67P
「そして、このことは、今日の《女性の労働》の分析は、一国内部におけるジェンダーのみを差異の機軸として分析するのではなく、中心−周辺/ジェンダー/人種・民族の要素が、どのように関連しあっているのか、それが《女性の労働》に与えているインパクトを分析することの重要さを示しているといえるであろう。」67-8P
 最後に――<今の時――通路(パサージュ)>
 ここはまとめとして、著者の「わたしにとってのローザ像」68Pという文。実はわたしの観点からすると「体罰」的な話で、どうしようもなくそのようにしてしまうという虐げられた者の行動とはいえ、そこにシンクロしているローザの感性と、それになぜ著者が共鳴したのか、ちょっとつかめませんでした。
私のロシア革命論                  生田あい
 ――“生の賛歌”としての社会主義
この論稿を読んだのは、ローザ・ルクセンブルク関係の最初の本で、ロシア革命はトロツキーの『ロシア革命』と断片的な知識しかなく、最初に読んだときは、読み流してしまったのですが、フェミニズムの観点から、ロシア革命とマルクス自体のとらえ返しをしている文です。また、生田さんは運動の理論を問題にしているひと、差別というところから問題をとらえ返えそうとしているわたしにとって、とても刺激的な文です。現在的にたどりついたわたしの理論やロシア革命に対するとらえ方とかなり重なる部分があります。ですが、わたしが一番の課題にしている障害問題はまったく出てきませんし、また反差別論総体への展開もここではなされていません。もっと、とりわけ労働や生産ということをとらえ返すときに、そのことは必要になってきます。
一九九四年、モスクワにて
「マフィア的資本主義の途上」72P
「首都モスクワは、社会主義の廃墟の上に「既存社会主義の悪弊」と「資本主義の悪弊」が相互的に自乗作用しあって、なんともいえない無残な状態となっています。」72P・・・そもそも「社会主義とは何か」という規定が必要です(わたしの規定は、(追記)参照)。ロシアは社会主義の定立に失敗したとしかわたしには思えません。
「今回のモスクワ訪問で出会った「共産党」再建派のリーダーたちは思いのほか謙虚であったものの、「ソビエトの再建」を掲げているにもかかわらず、「何がソ連邦を崩壊させたのか」「なぜこれまでの社会主義が悲劇に終わったのか」について、その過去の七四年間の歴史の総括、とりわけ共産主義者としての自己責任の明確化と自己批判がいまだになされていないということを強く感じました。」73P
「「ソ連邦の消滅」に象徴される「二〇世紀社会主義の敗北」がもたらしているもっとも深い問題は、「男女(「ヒト」のルビ・・・?「ひと」)」が生きることの意味を、生きるありかたの価値基準を喪失させたことではないでしょうか。結果として「人間として生きる」ことを売り渡し、「金、貨幣」で生きる方向へと「人倫」を荒廃させているように思えます。」73P
「偽物の「豊かさ」の中に「明るく腐っていく」日本に帰ってきた私の中にふくれあがってくるものは、マロニエや菩提樹の美しい風景でなく、光を失った人々の「眼」です。この「眼」は、存在それ自体で他人を傷つけてしまい、そのことに逆に傷ついているような「痛み」を私の中にどんどん育てつつあります。」74P
方法としてのローザ
「一九八九年の世界史的大変動は、「イデオロギーの行きづまりと危機」を、つまり産業文明中心、西欧中心の発達史観、社会進化論を軸とする近代イデオロギー総体の歴史的終焉をしめしました。」74P
「生きることに値する新しい価値観の創造と、西欧中心、男性中心の近代文明に代わる新しいパラダイムの転換、人類を滅亡させない二一世紀への世界を展望するヴィジョンをあらためて追求することが求められる所以です。」74P
「もう一度、一からやり直しです。その際、「私」の解放を社会主義革命に重ねて求めてきた一人の女性として、私にとっては「ソ連社会主義の敗北と消滅」の総括の課題を避けて通ることができません。」74P
「「ソ連社会主義とは何だったのか、なぜ敗北したのか、その敗北の原因や根拠は何か、それはどのような歴史的過程をたどったのか。・・・・・・私が『ロシア革命論』を書く問題意識もこの点にあります。この作業を私は、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』を手掛かりに考えてみたいと思います。」75P
「つまりローザは、ロシアプロレタリアート、ボルシェビキと一つの心臓で脈を打ち一つの肺で呼吸しているかのようにその革命的熱狂と解放感を共有し、同時に彼らが直面した巨大な課題に共に悩み、深く洞察しています。」76P・・・ボルシェビキとの共振はさほどあったのでしょうか?
「また、ローザはロシア革命の未熟はドイツプロレタリアートの未熟であり、ロシアの革命の運命に対する国際プロレタリアートの責任、とりわけドイツのプロレタリアートの責任を強調し、「労働者階級独裁を伴ったこの最初の世界史的実験」において、無批判な弁護論ではなく、思慮深い批判、その課題の恐るべき重大さをその歴史的関連の中で洞察することが、「経験と教訓の宝庫を開く」ことになるといっています。」76P
「さらに、ローザが官僚専制政治、一党独裁政治に対置させて、社会主義政治を「何の拘束もない、沸きたつような生活」「人民大衆の広範な無制限の政治的自由」こそが、誤りをただすことのできる生き生きとした泉として描きだしていることを重視したいと思います。つまり、わきたつような大衆の「生活」をキイワードとして、社会主義の政治、党、権力をとらえているその思想と方法について、ここにこれまでの「公認」のマルクス主義が、ローザを「自然発生性への拝跪」としてローザの欠陥としてみてきたものを、私の考える“生への賛歌”としての社会主義に対する先駆的な視点として、ローザの社会主義政治と思想の核心をよみかえたいのです。」76P
ソ連邦の変質とローザの警告
ソ連における八月クーデターの意味
「私は、一九七〇年代半ばより、ソ連は社会主義ではなく、官僚制国家資本主義、つまり口先では社会主義をいうが、本質は資本主義であり、「ノーメンクラツーラ」と呼ばれる党官僚、国家官僚の支配する官僚専制の国家だと考えてきました。」76-7P・・・そもそも社会主義として定立しなかったと、わたしは押さえています。
「「圧政か民主か」の限りにおいて、民主とは歴史の前進を意味し、この民主なくして「ソ連」がふたたび社会主義新生の道へ接近することはありえないからです。」77P・・・そもそも「前進」という進歩史観的陥穽
変質の時期と特徴
「共産党が後の一党独裁への変質を開始する制度的出発点は、一九二一年のクロンシュタットの反乱への弾圧と軌を一にするロシア共産党一〇大会における「分派の禁止」に始まると私はみます。」79P・・・そもそもレーニンの中央集権制から。「上からの革命と下からの革命」とも対比。
「ミール共同体」――「村ソビエト」80P
 ローザの警告の位置と意義
「ローザの批判の重要な点は、たんに憲法制定会議の解散にとどまらず、普通選挙法や労働者大衆の公共生活と政治活動を民主主義的に保障する出版、結社、集会の権利が、ソビエト政府に対立する者にはすべて停止されていた時に、この「ソビエト政府の反対者」とはじつは「ボリシェビキへの反対者」にすりかわりつつあることを鋭く見抜いたことです。」82P
「ロシア社会主義革命の「人民主権」→「ソビエト主権」→「党主権」の経過こそ、社会主義権力(決して国家ではない)と民主主義の関係への今日的問題を逆照していないでしょうか。」83P
「しかし、ローザの警告の意義は、社会主義革命への始まりへの熱狂(ママ)の只中に、「アリの一穴」ともいえる決定的な、後の「権力と党」の変質の芽をつかみ出していることです。」84P・・・「一穴」どころではない、ローザには見えた大きな陥穽。
「ローザもまた、よくもわるくも、「戦争と革命の時代の二〇世紀」に生き、革命を構想した歴史的限界をというものから自由ではないからです。」84P
 世界史の中のロシア革命
 ロシア革命とはなんだったのか
「だからこそ、ロシア社会主義革命には、フランス革命で達成されたブルジョア民主主義はいうまでもなく、それを乗り超えるプロレタリア社会主義的民主主義を創造することが問われていたのですが、ローザの批判にあったように、そこに一歩踏み込んだところでその課題は未解決のまま残されています。」85P・・・「一歩」――「社会主義」の看板だけの踏み込み
「資本主義の世界システムの周辺で起きたロシア革命は、その革命の変質、挫折によって、「社会主義」を名乗った男性中心の「近代化革命」に終わったといえます・・・・・・」85P・・「変質」というよりも、そもそもの誤り?
「ロシアはヨーロッパと東洋のはざまで、不断にヨーロッパへの帰属と西欧志向(「一つのヨーロッパ」)の方向と、タタール(モンゴル)の支配がロシア農民に刻印し、ロシア正教に支えられた独自のスラヴ的共同体精神の堅持の方向との、二つの志向の分裂と分岐の中にあったのです。・・・・・・この分岐の中でみれば、レーニンらボルシェビキの革命ヴィジョンもまた反スラヴ・ヨーロッパ志向派に位置することはいうまでもありません。」86P
「マルクスとエンゲルスが、『ザスーリチへの手紙』で、これに(ミール自治に)共感しつつ「もしロシア革命が西欧のプロレタリア革命に対する合図となるならば、両者がたがいに補いあうならば、ロシアの共同体は『共産主義発展の出発点』になろうといっていたことを今日的視点から、ロシア的特殊性の問題として再検討するべきでしょう。」86P
「スターリンのそれは、ロシアを「アジア的野蛮」から引き離そうとして、ピョートル大帝の西欧化への手法と似た「国家」をこの近代化の担い手とする社会を国家化する方向にすすみ、ついには共産党の一党独裁の中に、「アジア的専制」をくっつけた「党官僚専制」をつくりだしてしまったといえます。その結果、農村の「旧ミール共同体」は、「共産主義的発展の出発点」とならず、かつてツアリーの補完物であったように、「一党独裁」の補完物へと再編されたのです。」87P
「こうしてみると。「ロシアの近代化」に行き着く根っこには、レーニンをはじめロシアマルクス主義者の中に、東=ロシアの野蛮対ヨーロッパの文明という通俗的な西欧中心の文明観があることを指摘しておかねばなりません。」87P
「このようにみると、ローザの『ロシア革命論』もまた、その今日に至る輝きとともに、「時代の子」として、マルクス主義の中にある西欧中心史観から自由でなかったのではないか、一面でそうした視点でみることが必要ではないかと考えます。」87P
 ロシア革命は何に敗北したのか
「つまり、ロシア革命の変質の初期――革命と内戦から脱して、帝国主義包囲下の“息つぎ”を得て、クロンシュタット反乱を機に、新経済政策(ネップ)をとり、国家資本主義への戦略的退却をおこなった時に、「ソビエト権力+全国の電化=共産主義」建設へのヴィジョンがそれまでとってきた「ソビエト権力+ドイツ国家独占資本主義モデル」ではいけなくなったという問題です。」87-8P
「アメリカ資本主義のモルガン財閥からの外資導入」88P
「レーニンは、ネップ下での国家資本主義への政策の中で、このアメリカ型テイラー・システムの導入、出来高払い生の導入、ブルジョア専門家の登用、企業長制などによる資本主義的成長の方策をとりました。」88P
「このようにしてみると、グラムシなどに比較して、レーニンはもちろんのこと、ローザの『ロシア革命論』には、実はロシアの社会主義革命(その生命線であるヨーロッパ革命も)が闘っている真の敵は、アメリカ資本主義に移行しつつあるのだという認識の欠如があり、ですからアメリカ資本主義との闘争とそのモデルを追求すること自身の中に潜む決定的な問題への自覚が欠落していたといわなければなりません。」88-9P
 誤りはどこにあるか
「社会主義革命の変質の最大の中心問題は、共産党が変質して国家となり、勤労大衆のソビエトが、形式が存在していようとその本質において党官僚独裁(ノーメンクラツーラ独裁)に転化したことにあります。」89P
「この責は、社会主義の理想の反対物に転化したものを社会主義としてきた共産主義者、社会主義革命を領導した「マルクス・レーニン主義」にあります。」89P
「その思想的、理論的問題について、ここでは、二つだけ挙げます。」89P――第一に、国家主義批判89-90P、第二に、生産力至上主義90-1P
第一に
「文字通り、ロシア社会主義革命の変質の現代的意味は、「国家と市民社会の分裂」を、国家の立場か、社会の立場か、どちらで止揚していくのか――その分岐の問題だろうと考えます。」90P
「つまり、問題の核心は、本来の社会の主人公である(生産し、再生産し)生活する男女の民衆自身が、この<生産――再生産>(流通、分配、消費、廃棄まで)の万般のことを実態として自己決定し、自己管理し、自治しているのか、そこにこそ社会主義とその政治のメルクマールはあるということです。」90P
「ローザがいう「社会主義的民主主義」の創始や、大衆の「無制限の自由」の提起を、私はこうした「国家権力を社会へ再吸収」していく思想と政治の脈絡の中に再把握するべきだと考えます。」90P・・・むしろ共同幻想としての国家の解体と、共同体・共同性の獲得
第二に
「今ではすでに「常識」となっていることですが、誤りの根源にあるマルクス主義の唯物史観の生産力主義的傾向(スターリン主義はその極大化、俗流化)の問題です。それは二つの生産のうち、生(生命、生活)の側面を切り捨て、生活資料など物的生産の量的側面のみに社会的発展の原動力をみる傾向で、この結果として、社会主義のメルクマールを「資本主義へ量的に追いつけ追い越せ」におき、アメリカ資本主義の大量生産・大量消費の生産・生産様式(ライフスタイル)を追い求めることとなっていきました。」90P
「唯物史観のこうした弱点は、これを「導きの糸」として、ブルジョア社会=市民社会の解剖学としての『資本論』――資本主義批判が、「市民社会の奴隷制」批判として、市民一般ではない、プロレタリアートという主体を発見しながらも、生活の本質的主体である女性、その労働と生活、その質の向上への志向を欠落させているというフェミニズムからの批判と重なっています。つまり、近代のこれまでの社会主義思想が依然として男性中心主義を越えていないということをはっきりさせておかねばならないのです。」90-1P・・・これは「唯物史観」の中の生産力至上主義の問題で、タダモノ史観と言われていること。唯物史観とは一応区別すること。「生活の本質的主体である女性」はジェンダーになっています。勿論そうなっているという被差別の立場からの反撃はあるとしても。「本質」は脱構築すること。他の被差別の立場からの反撃としても。
 結びにかえて――“生の賛歌”としての社会主義
「私にとってローザ・ルクセンブルクは、「両端の燃えるろうそくのように」真っすぐに生きて闘った女性社会主義者としての激しくも豊かな生きざまの全体において、「いかに生きるか」を学んだ女性でした。」91P
「革命は人の生きていくことの総体=人生を変えるのであって、たんに国家(権力)や政治や所有関係を変えることだけではないはずです。」91P
「したがって、私は社会主義は「固定した体制」ではなく、自然と人間の共生と人間の「協同社会」に向かう「主体的、能動的な継続革命、幾百、幾千万大衆の資本主義を揚棄していく運動およびその大衆的創造物」なのだと。つけ加えれば、革命は人間と自然、人間と人間の関係の質、労働、生活の質を問い、つまり人が生きていくことの総体を変えるのであって、たんに国家権力、政治、所有関係を変えることだけでない。目的と手段をとりちがえてはならないのだと。」91-2P
「今、私はこの総体を“生の賛歌”としてとらえる社会主義の新生への構想を考え始めています。」92P
「コロンブス以来の近代五〇〇年の西欧中心(先進国中心、男性中心、自民族中心)の文明史観とそれを可能にしてきた価値規範に対して資本主義世界と社会の「外部辺境」に追いやられてきた人々や、現代の切実な課題から出されている「異議申し立て」の中で獲得されている世界史的な地平とのマルクス主義の格闘と進化の中に発見されるべきだということです。」92P
「つまり、フェミニズム・エスニシティ・エコロジー(女性・少数民族・環境[自然])がそれぞれこれまでの社会主義、マルクス主義の欠落部分を批判しつつ、実際に乗り越えつつある点から、マルクス主義者は何を学ぶのかという問題です。」92P――@エコロジー92PAエスニシティ92-3PBフェミニズム93P
「この三つの領域からの問題提起は、それぞれ独自の位相と固有の論理をもちつつも、総じてこれまでのように、階級、経済などへ還元してしまうことを拒否しつつ、マルクス主義の「国家」「政治」などを規定する深い根っこにある「労働」「自然」概念の変革と、それを統一しているところの「生産・再生産」概念の全面的変革の課題を含む資本制生産様式、生活、文化様式の全面的把握の課題を共通して提示していると考えます。」93P
 エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』からの引用93P
「ここ(『家族・私有財産・国家の起源』からの引用)でいう「生の生産・再生産」の「生」というドイツ語Lebenは、単に「生命」の狭い意味ではなく、哲学概念としては「生命・生活・生存・人生・生涯」を意味しており、私は人間の生きることの総体を包括する概念、しかも静止的でなく、マルクスの「ドイツ・イデオロギー」でいわれている生活過程(生活主体、生活活動、生活関係の諸概念を含んだ)と重ねて理解する「生活活動」概念としてとらえたいと考えます。」93-4P
「その後、エンゲルスの定式化の一面性にも規定されて、現実のロシア革命の過程では、生産が物質的生活の生産手段の産出、その量的拡大の面に切り縮められ、スターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』の「生産力主義」への理論化、固定化となり、これが官僚専制政治と照応してきたのは、みてきた通りです。大なり小なり私たちを含める戦後の一時期まで国際的な社会主義運動を貫いていたのは、このスターリン主義的唯物史観だったと思います。」94P
「こうして「二〇世紀のマルクス主義」は、マルクスの思想に内在していた唯物史観の「生の生産」の二つの内容から一方の「人間そのものの生産」を生産概念からもすっぽりと欠落させたままきました。/また、マルクスにあっても、この「人間の生活する社会的諸制度を規定する」「労働と家族の二つの発展段階」が、どのように内的に「生」を規定しつつ、相互に関連しあい、統一的に存在するのか、そのことは明確にされていません。」94P
「私はこの難題を解く鍵を二種類の生産を統一する内容として「生の生産と再生産」と総括されたその「生」を媒介に、唯物史観の深化と新しい「国家権力」論の創造によって、考えたいと思います。」94-5P・・・これは国家主義批判とのつながるのではないかとわたしは思うのです。
「今、この人間の具体性として、本質的な生活の場からの主体としてもう一つの生産者である女性が名乗りをあげました。その「個別的(私的)なことは政治的である」という女たちの政治テーゼを、国家を市民社会の「労働生活」の中に埋めもどしてくる問題、つまり、「政治の女性化」として読みかえたいということです。」95P
「これまでの社会主義革命が、なぜ女性解放を掲げながら実現できなかったのかを問うとき、マルクス主義の「セックス・ブラインド」を、資本制に並び立つ「家父長制」の発見だけでいくら接木しても、『資本論』の導きの糸となっている唯物史観の根源と資本主義批判の深化を媒介にした「国家・権力論」(国家というものを容認する立場でなく)の全体を貫く新しい内容を問うことがなければ、その実践的帰結はたんなる「女への利用主義」にふたたび終わってしまうのではと考えられます。」95P
「類的存在としての人間存在について、その対自然関係、対自己関係、人間相互関係という三重の規定性、類的生活、類的対象性、類的本質、類的力能の今日的「疎外」としての人間的本質に対する「関係行動」そのものにまで、深く視座をすえた「性の生産と再生産」を中軸とする唯物史観を革めることを通して、家父長制的資本主義批判、「差異の文化(文明)論」の深化と発展が必要なのではないでしょうか。中世の「神」、近代の「理性」に代わる二一世紀へのスーパー・コンセプトは、さきに定義した意味での「生」ではないだろうかと考えます。」95P・・・「類」の強調、フェイエルバッハ。マルクスのフェイエルバッハ批判との対話。革命的ロマン主義。
「そのためにも、女性たちが男性中心につくられてきた「ブルジョア国家や権力、政治」を、日常生活批判を介しながら「生活」の場にひきずりおろし、社会に埋めもどしていく主体として自己を形成していくことが必要です。これまでの「国家(権力)に成り上がっていくことをキーワードとして革命そのものを、文字通り「革命(命を革める)」することが必要なのだということを強調しておきたいと思います。」96P
「こうした見地から『ロシア革命論』でローザが官僚の独裁に対置した社会主義の生命の源泉としての「自由で、何の拘束もない、沸きたつような生活」「公共の政治生活」「社会主義的民主主義」などに象徴される思想こそ、私は“生の賛歌”としての社会主義の先駆的思想としての社会主義の先駆的思想として、新しい社会主義的政治のありようとして読みかえて今日に復権させるべきではないかと考えます。」96P
「これは、ローザにあってはたんに『ロシア革命論』のみならず、『大衆ストライキ論』『党論』にまで貫かれているものだと私は考えます。」96P
[注]
「ローザの歴史の原動力としてのプロレタリア観は、単純な「労働者至上主義」でなく、自らの行動(革命実践)で切り拓く限りにおいてのそれであると理解できます。」97P
(大江氏の指摘として)「ローザ・ルクセンブルクのボルシェビキ批判をとりあげています。ローザの批判を西欧的な「権利=法」と市民的な「公共」を備えた、自律的な社会の伝統に立つ批判として、よくわかるとしながらも、革命期のロシアにとってそのような「公衆」はないものねだりにすぎなかったろうといっています。」99P
「ゲルツェンの思想については、・・・・・・西欧に失望してミールを足場とした農民共同体を中心とするロシア的社会主義の方向を模索しています。」100P
(花崎皋平氏の指摘として)「彼女(ハンナ・アーレント)が、近代国家がその発端において、普遍的理念としての「人権宣言」における人間=個人と国家の主権者としての人民=国民を同一視し統合したところに矛盾と近代国民国家の崩壊の原因があるとしていると紹介しています。つまり、生まれながらの自然権としての人権は主権者としての人民の特殊国民的権利であるとされたときから、ナショナリズムが始まると。だから被抑圧民族は、民族自決権と完全な主権なしに自由はないとして、民族自決権をみとめたところにより近代国民国家の崩壊が始まっているとも。」101P・・・人権という物象化
ドイツ・バイエルン革命とフェミニストたち      田村雲供
 この論稿は、ドイツでローザ・ルクセンブルクがフェミニズム的な動きをほとんどしなかったことと対称的に、フェミニストとしてバイエルンを中心に活動していたフェミニストたちの革命への参画とフェミニズム運動の記録です。バイエルンは、ドイツ革命でもっとも大きな運動になった地域です。ひとつだけ不明なこと、バイエルン革命の地元だったクララ・ツェトキンの名前がなぜか出てきません。
「しかも、バイエルン革命には多くの女性が参加していた。どの政党にも属さず、ラディカルな女性運動を担っていたフェミニスト、社会主義政党に属していた女性、女性教師、多くの一般女性、そしてリカルダ・フーフ(作家)にいたるまでの幅広い分野の女性が積極的にかかわり活躍したが、こうした女性たちの思想については言及されることもなく、「白い斑点」として残ったままである。この小論はローザ・ルクセンブルクの論敵で、「フォーアヴェルツ」に修正主義の論陣をはったクルト・アイスナー(一八六七――一九一九)とともに革命を担ったが、いまだ不可視のなかにいる女たちの思想と行動を革命の経過から追ってみる。しかし、この作業はバイエルン革命に欠けていたもう一つの側面を明かるみに出すことだけでなく、むしろ革命の実体を形成していた労働者、階級、平等、民主主義といった概念が歴史的現実のなかでどのように了解され、意味を獲得し、歴史を形成していたのかを問いなおすことを主眼にしている。すなわち、革命に実体を付与していた諸概念と「性」との関係をみる一つのケース・スタディである。」103P
 ローザ・ルクセンブルクとアニータ・アウグスプルク
「ローザ・ルクセンブルク(一八七一――一九一九)とアニータ・アウグスプルク(一八五七――一九四三)は、当時その名を知られた有名な女性であり、二人は左右をとわず権力の座にあった男たちの目の上の瘤的な存在であった。」103-4P
「ルクセンブルクは、階級闘争によってプロレタリアートの解放を、アウグスプルクは「性階級」からの女性の解放に集中した。変革の必要という点で二人は共通していたのであるが。」105P
「アウグスプルクをはじめドイツの女性たちが反対した新民法典の家族法は、・・・・・・生物学と宿命の組み合わせとして自然から引き出された(とする)男女の性別性格が女に「愛」を、男に「力」を付与したのであり、これは法という形となって、たえず社会で具体的な力を発揮していった。・・・・・・」105P
「一九〇二年を境にはげしい女性選挙権獲得闘争をくりひろげる。この背景には一八九八――一九〇二年にわたる売春と道徳をめぐる闘争で力を発揮したラディカル派の実績があり、これをバネにラディカル派女性は、穏健派女性の政治的忌避とは根本的に異なる政治的、社会的制度の完全な改革をもとめる運動を展開し、政治にコミットする。」105P
「フェミニズム運動と平和運動を結びつけたのがアウグスプルクとハイマンである。」106P
 バイエルン革命と「社会主義女性連合」の結成
「バイエルンに革命が起こった。/一九一八年一一月七日、クルト・アイスナーと一群の男女が州議会議事堂に向かってミュンヒェンの町を急いだ。」106P
「アイスナーの「ミュンヒェン住民へのアピール」にはつぎの内容がもり込まれていた。・・・(内容の記述)・・・「すべての成人男女が選挙権をもつ……」というくだりは、長く女性運動にたずさわってきた女たちにとっては、まさに「青天の霹靂」であった。」107P
「フェミニスト、ハイマンによってここにはじめて女性独自の評議会(レーテ)確立の必要性が明確に主張された。これは後にアウグスプルクによって中央評議会になるが、・・・・・・」108P
「一二月一六日ドイツ劇場で、「社会主義女性連合」(以下「女性連合」とする)の第一回大会が開かれた。」108P
 雑誌からの引用「これ(社会主義女性連合)は、社会民主主義的政党やその分派から独立した最初の自立的社会主義女性団体であり、定款も綱領ももたない。政党に属することなく、社会主義の基盤にたって活動しようとするものは、だれでもこの団体のメンバーになることができる。」109P
「「子ども・教会・台所(Kinder,Kirche,Küche)」の三Kが女性の世界とされ、自ずと政治に関心をもたなくなってしまった。」109P
「女性連合の主導的役割をはたした女性メンバーの簡単なプロフィル」110P――9人
アウグスプルク、ハイマンの立候補
「アイスナーの思想と行動に依存していることを十分に認識していた二人(アウグスプルクとハイマン)は、アイスナーのすべてのアピールや演説を詳細に検討した。そして、かれの行動と見解に賛同した点をあげている。」111P――賛同点の列記――「フェミニストとアイスナーとのあいだに互いの立場を認めあった協力関係が成立した。」111P・・・当時の帝国主義の暴力支配の時代、また右翼のテロやクーデター的策動のなかでの、左派の武装蜂起――国家権力の奪取――プロレタリア独裁路線の中で、修正主義と批判されていた部分の、中身的な検討で区別しつつ、今日的とらえ返しの必要
「選挙後アイスナーは議会の召集を延期していたが、ついに、二月二一日議会を召集し議場へ向かう途上で、二一歳の伯爵アルコ・ヴァリーの銃弾に斃れた。/これに先だち一九一八年一一月、アイスナーは会議のためベルリーンを訪れたさい、リープクネヒトと会い、より穏健な革命党派と手を組むようにと説得している。」113P
「一九一九年二月二五日に労兵農評議会中央委員会が政府権力を引きついだのであるが、三月八日には独立および多数派の両社会民主党の連立によるホフマン政府(ヨハネス・ホフマンは多数派社会民主党員)が成立した。しかし保守派は四月八日に州評議会を開き、ホフマン政府の打倒をもくろんだ。そこで革命派は先手をうって、四月七日早朝にホフマン政府を倒し、「バイエルン評議会共和国」(第一評議会共和国)の成立を宣言する。」114P
女性権利担当部局と評議会システム
「アイスナーの指示で、社会福祉省(後に労働省となる)に女性の権利担当部局が設けられていた。この部局担当者にG・ベーア(アウグスプルクの選挙運動の参謀をつとめた)が推薦された。」115P
「女たちは戦争中、それまで男たちによって占められていた職場で、準備期間もなく、訓練をうけることもなかったのに驚くべき能力をあげてきた。」115P――「しかし、戦争が終わり男たちが帰還してくると、女性はたちまち失業し路頭に投げ出された。」115P
「そして、ついには、政治権力奪取をめぐる政治的錯綜のなかで、この部局の活動は停止せざるをえなくなる。」116P
「さらに、労働者評議会、農民評議会の選挙に際しての選挙のあり方にも問題があった。つまり労働者評議会は九つの職場グループからなり、これらのグループに属している職場の労働者に選挙権があった。ところがこれの職業は典型的な男性の職業であり、かろうじて最後尾に「家事奉公人(女中)」が挙げられていたが、しかし労働者評議会には一人の女中もいなかった。」「そもそも評議会形成についての法案起草の段階で、すでに女性の排除が規定されていたのである。この法案起草では、選挙権行使の除外されている者として、自分の家族の家政でもっぱら家事に従事している家族員を挙げている。」118P
「政治の基盤であり、民主主義の基盤であるはずの評議会の実体は、兵士と労働者からなる男の組織であり、私的領域を生活圏にとする女性だけでなく、女性労働者も排除した制度であった。すなわち、女性を家族・私的領域に不可分のこととして結びつけることで生産労働の概念から女性を追い払ったうえで、生産労働にたずさわる男が「政治」を動かし、「民主主義」を論じたのである。」119P
「女性評議会」設立提案とその否決
「アウグスプルクとハイマンは、一九一九年三月七日の労働者・農民・兵士評議会会議で「女性評議会」設立の提案をし、同時に提案理由をのべた。」119P
「こうしてアウグスプルクは、女性の政治化によって家族生活を政治化し、私的領域の囲い込みを取りはらい、社会生活と家族生活、男と女、権力と愛、といった二項対立志向とそのイデオロギーの無力化を意図した。これらは近代社会が巧みにあみだした装置であり、しかも女性には痕跡の残らない労働を割りあて、これを正当化し効率よく作動させた装置であったのだから。」120P
「否決されるにいたる非論理的で奇妙な過程」120P――内容120-1P――「党組織のヒエラルヒーのなかでの活動を重視する者にとつて「女性評議会」はまさに「始末におえない」のであり、序列をみだす危険性をはらむものであり、排除しなければならないものであった。女性の政治への回路を遮断し、排除したうえに政治的平等がうたわれているのである。隠された不公平や性差のあり方をあらわにすることもなくもちいる「平等」は、やはりイデオロギーでしかないであろう。」121P
「いずれ武装蜂起となることは明らかであった。なんとか流血の惨事を未然に防ごうとして、女性たちは男性指導者の説得工作にのりだす。」122P・・・なぜ説得工作をしたのか?
「アイスナーの無血ではじまった革命は、右派社会民主党とノスケの軍隊によって血のなかで窒息死した。五月末バイエルンはふたたび静けさを取りもどしたが、それは墓地の静寂でしかなかった。」122-3P
むすび
「しかし、革命に際し、女性独自の要求を主張することは異端視された。これはフランス革命以来の近代革命の伝統であった。革命は男のための男の政治であった。」123P
「革命といえば短期的で強力な権力奪取をイメージするブレヒトとは異なって、ローザ・ルクセンブルクは革命は長期的な長い息をもつものとして、しかも武装した陰謀家の一揆としてではなく、大衆行動のより一段と発展した表現としてみなしていた。」123P・・・ローザはロシア革命が権力奪取したので、それが圧殺されないために、ドイツ革命が必要であるという思いのなかで、男たちの一揆的武装蜂起を止められなかった。
「男が理想とする女性とは異なり、女性独自の権利や地位をもとめ、制度そのものの変革を意図したラディカル・フェミニストたちのまえに立ちはだかった困難は、ヴィルヘルム時代の頑迷な枢密顧問官や横柄なユンカー、あるいは保守に凝り固まった因習的な市民を相手にして生じたものではなく、同じく解放をもとめ革命に参加した男たちとの確執であっただけに、女たちが経験した絶望感は深かった。」123-4P
「女たちが行動するにつれ、政治も歴史もそして道徳さえもがじつは男中心の社会を守り機能させる装置であったことがあばき出された。「近代」革命のファンタジーを打ちくだくこと、そして新しい認識でもって歴史を読みとくこと、これこそが女性史の生命であろう。/いま、わたしたちに問われているのは女性史を読みとく歴史認識である。これはまた、ローザ・ルクセンブルクに女性性の断片をさがし求める男のファンタジーを排し、フェミニストの視点でもって女がルクセンブルクを読みとかなければならないことを示しているのである。」124P
[注]
 民法典への批判点・六つ125P R・ケンプの女性の要請・七つ127P

第2部
社会主義と家族                   水田珠枝
 ――コロンタイを手がかりに
 ローザ・ルクセンブルクはレーニンのロシア革命をロシアの「外」から批判し、コロンタイは内から批判したとして名前を残しています。コロンタイは、フェミニズムにも取り組んでいます。ただ、労働崇拝的なところにとらわれています。著者は、そのコロンタイに共鳴しつつ、家族の解体による女性の労働への参画を謳っています。そもそもフェミニズムは「労働と家事と「個人的営為」といわれることをなぜ分けるのか」ということまで突き出していったのですが、ここでは、男が仕事――女は家事(労働も)、というジェンダーが問題になっていることで、男が家事を女性に押し付けることを当然視したところで、そのような家族の解体を謳っているのですが、ここに(マルクス的)物象化があり、そのこと自体を批判していくことをしないで、家族の解体を謳うのは、何かおかしいと言わざるをえません。そもそも、労働と仕事を分けてとらえるという今日的な観点からすると、そこでの家族のあり方がどうなるのか、それはさまざまで、解体あるべしという問題でもないと言いえます。このあたりは、子どもを産むことからの解放を女性の解放として夢想した『性の弁証法』のファイアストーンの物象化にも通じる事があります。コロンタイの理論の硬直性は、労働崇拝的なところによる全体主義的な国家というようなことも感じられ、スターリンとの一定の共鳴も感じてしまいます。まあそれでも、フェミニズムという観点からの批判が、コロンタイの生き方と論稿の批判的ラジカリズムを、持ちえているとも言いえるのですが。
 家族の変化
「その家族は外側から共同体によって規制され、さらにその上に領主権力が成立していたのであり、人びとは家族のなかで差別的位置づけされるとともに、家族ぐるみ身分的秩序に組み込まれていた。」133P
「このような家族は、資本主義の導入によって土台が掘り崩されていった。・・・・・・生産と再生産という家族の二つの機能のうち、生産の機能が家族から脱落したのである。この場合、男性は土地から分離されると同時に共同体規制や領主権力からも解放され、自由な労働者となったのに対し、女性はそうでなかった。家族には再生産の機能が残り、女性は家長の権威のもとでその負担を負わされたからである。ここから、生産と再生産、社会と家族、社会と家族、市場と非市場、公と私、男性と女性の分離が、それぞれ前者の優位のもとに成立する。/しかし資本主義の発達は、家族の再生産をも浸食していく。家族内で女性が果たしてきた衣食住にかかわる家事労働、育児、教育、看護、介護の労働を市場化(ないしは公益事業化)し、それとともに、家族に拘束されていきた女性を労働者として市場にひきだす。女性自身も、生活費を獲得する必要から、また男性への従属から脱出し経済的自立を要求する運動に刺激され、家庭から出て職業労働に従事するようになる。こうなると、家族は生産と再生産の両方の機能を失い、物質的基盤を喪失することになる。」134P・・・生産を物質的商品生産に切り詰めていて、生の生産・再生産の問題を切り落としています。そこからする生産概念自体があいまいになっています。
「コロンタイが継承し発展させようとした理論は、女性の職業労働による自立・解放を再生産機能の社会化による家族の衰退を通して実現しようというものであった。ところが社会主義政権がとった政策は、女性を職業労働に動員しながら、家族を社会の基礎単位と位置づけ、再生産にかかわる労働の多くを女性に負担させた。」135P・・・労働の概念がそもそもおかしい。家事労働は商品生産化された労働で、シャドーワークの活動は労働(ラバー)でなく、仕事(ワーク)。
 女性労働と家族の消滅
「一九一七年、ロシアで二月革命が開始されたことを知ったコロンタイは帰国し、レーニンが示した全権力をソヴィエトへという内容の「四月テーゼ」を、最初にただひとり支持した。・・・・・・かの女は、党の権威主義・官僚主義に対して下からの労働者の自主性を主張して「労働者反対派」の立場に立ち、また経済活動に自由化を持ち込んだネップ(新経済政策)に対し、女性を苦境に陥れたと批判的姿勢を示した。こうした事情にくわえて、性の解放を主張したかの女は、党内から非難され、中央の政治から追われて、ノルウェー、メキシコ、スウェーデンで外交官をつとめることになった。一九四五年に帰国、外務省顧問として働き、一九五二年、心臓発作のため死亡した。」136P・・・オールド・ボルシェヴィキがスターリンに粛清されるなかで、それから逃れ得た数少ないひと。そこに、逆説的にスターリンの性差別的なこともあったとも言われています。
「コロンタイの基本姿勢は、『経済の発展における女性労働』(一九二三年)に書かれた「女性の地位は常に経済的職分によって決定された」という言葉に表現されている。」137P
「これ(エンゲルス、ベーベルの理論)に対しコロンタイは、私有財産を性差別の直接の原因としない。・・・・・・したがって私有財産の成立は、性差別の原因ではなく、それ以前から存在した男女の分業を促進し、女性の状態を悪化させたというのである。」137-8P・・・因果論的なとらえ方ではないところで、分業の先行性・重要性の指摘に留意。
「障害の最大のものは、女性が拘束され負担を追わされている家族であり、その解体が重要課題だと、コロンタイはみるのである。」138P・・・物象化的錯認。家族ではなく、ジェンダーの問題。
「コロンタイは、家族の消滅は歴史の必然であり、国家によって強制的に破壊されるのではないというが、社会主義のもとで家族が自然消滅するとは見ていないのであって、政府による家族消滅の積極的政策が必要だとしている。」139P
「社会主義国家が重視するのは、夫婦というカップルではなく、その結果として生まれてくる子どもである。子供を保護し育成する任務は、両親から労働者集団に移される。」139P・・・全体主義的志向
「コロンタイによれば、社会主義における性関係は、第一に国民の健康と衛生への配慮、第二に国民の経済力に対応した人口の増減という、二点を基礎にしている。・・・またかの女は、ベーベルの『女性と社会主義』を引き合いにだし、性欲は恥辱でも罪深いものでもなく自然の欲求であり、空腹や喉のかわきと同様に満足させられるべきもので、その抑制も乱用も有害だとして批判する。さらに、人間は健康的で自然の欲求を満足させるべきだという原則のもとに、社会主義の結婚形態として、一夫一婦制を設定することにも多夫多妻制を設定することにも反対する。」140P
「コロンタイは共産主義的道徳とは、男女の結合よりも労働集団の結合を、カップルの利益よりも労働集団の利益を優先させるものだという。「恋愛は生活の一面にすぎないのであって、・・・・・・ふるい観念は『すべてを愛するひとのために』であった。共産主義道徳はすべてを集団のためにと要求する」」140P・・・共産主義のはき違え
「しかし、排他的愛を否定し、多面的愛と性の関係を肯定するかの女は、乱婚を容認し道徳を破壊するとして攻撃されるようになる。」141P・・・性的な愛と同志的愛の混同
 恋愛よりも労働を
「男性と女性に異なった教育が課せられ、異なった道徳が押しつけられることが性差別の重要な原因であることが、一八世紀末イギリスのウルストンクラフト以来指摘されてきた。この意味で社会主義者コロンタイは、西欧の近代的フェミニズムの継承者であったといえる。」141P・・・「近代的フェミニズムの継承者」と「社会主義者」という規定がどう重なるのか? 「社会主義」の概念規定が必要。
「「われわれ[女性]は、恋愛が人生の主要目標ではないことを理解し、いかにして労働を人生の中心に置くかを知るようになった。」」142P・・・労働崇拝
「女性との対等な関係がつくれないのは、ネップによって堕落した男性だけではない、社会主義革命の著名な指導者もそうであったことを、コロンタイは『転換点に立つ女性』のなかの「偉大なる恋」で書いている。」144P――この後、レーニンとクループスカヤと「レーニンの愛人」との関係を書いています。
「男性は自分と自分の活動のために女性を利用し、女性の活動を犠牲にすることに痛みを感じない。こうした意識を革命家も持っていたのであり、それを変革することが社会主義のこれからの課題であると、コロンタイはいうのである。」144P
 未完の社会主義革命
「扶養費に代わってコロンタイが提案するのは、ひとつは結婚契約の締結であり、もうひとつは、全国的な保険基金の設立であった。」146P
「一九二六年一一月、男性に女性を扶養させる(女性を従属させる)改正婚姻法は成立し、翌年はじめに公布された。/戦争と革命、さらにネップによってもたらされた国民生活の混乱をのりきろうとする政府にとって、女性の自立、エロスの飛翔、家族の消滅を説くコロンタイの思想は障害となった。」146-7P
「女性部の若いメンバーであったパウリーナ・ヴィノグラードスカヤは、コロンタイはマルクス主義者ではなくプチブル・インテリゲンチャであり、ジョルジュ・サンド主義、無政府主義の影響を受け、性の闘争を階級闘争に優先させ、共産党女性運動の指導者としての資格を欠いていると非難した。・・・・・・」147P・・・この批判こそが、マルクス主義者の差別の問題を対象化しえない、反差別運動の階級闘争への従属論になっています。ただ、コロンタイの理論が社会主義的であるかどうかは別問題です。
「レーニンはこういった。ソ連ではいま青年のあいだに性は自由だという風潮が広がり、それは共産社会では性欲を満たすのは水を飲んで渇きをいやすのと同じように小さなことだという「一杯の水の理論」に基礎をおいている。「わたしは、『一杯の水の理論』は完全に反マルクス主義的であり、それどころか反社会主義的であると考える」。このような反撃のなかで、コロンタイは一九二六年、メキシコに派遣され、翌年にはノルウェーの大使に復帰した。」147P
「スターリンの権力掌握とともに、ソ連では「家族のテルミドール反動」といわれる時代がやってきた。反対派をつぎつぎと粛正し、農業の集団化をはかり重工業重点の政策をすすめたかれは、女性を労働力として利用すると同時に出産・育児・家事という再生産の担い手として利用するために、家族のきずなの強化をはかった。家族は国家の基礎単位と位置づけられ、革命初期の男女の自由と平等を保障しようとした政策は塗り替えられていった。」147P
「社会主義は、労働者階級による国家権力の樹立を通して、資本主義を廃棄し、生産手段の公的所有・公的管理、生産の計画化、分配の平等を実現する、思想、運動、社会体制とされてきた。エンゲルスやベーベルが社会主義における家族と女性に言及しているとはいえ、社会主義の理論家や運動家は、これらを周辺の問題だとみていた。むしろかれらの多くは、性別役割分業による家族を望んでいたのであり、スターリン体制は、それを国家規模に拡大したものだといえよう。」148P
「スターリン時代に、女性に労働者と再生産の負担者という二重の重荷を負わせて、生活を荒廃させ社会主義解体の原因をくったことを考えれば、コロンタイの思想をもう一度見なおして、社会主義とは何かを検討してみる必要があるだろう。社会主義は破産したというよりは未完なのである。」148P・・・未完というより、むしろ定立しなかった、といいえること。
「だが、家族をめぐる多様な論争にもかかわらず、どのフェミニズムも家族の将来について明確な展望を示していない。この点では、コロンタイの思想は示唆に富んでいる。かの女は、一八世紀以来のブルジョア的というレッテルをはられてきたフェミニズムを継承し、マルクス主義の歴史観を土台とし、性差別の組織としての家族に批判の焦点をあわせ、女性の労働者化、再生産の社会化、男女の意識変革によって家族の消滅を予想した。そこには、現代フェミニズムの諸潮流の主張がとりこまれている。包容力に富んだコロンタイの主張を、現代のフェミニズムも検討してみる必要があるだろう。」149P
社会主義の挫折とフェミニズム            大沢真理
 男支配や更に社会批判というところからレスビアン・フェミニズムの宣揚という論というところまで至り着いています。このあたり、ヘーゲルの概念を援用するとまさにアンチとしての鋭さなのですが、これでは分離主義に陥ってしまいます。ジーン・テーゼとしては、「当事者同士の対等な関係での、多様性を認めあう関係性を構築していく」となります。ただし、今の社会は差別社会で、対等な関係など架空のはなしになります。「自己決定は幻想である」という批判が出てくるのです。ですから、対等な関係を作るというところで、とりわけ土台からの社会変革が求められているのです。それが社会主義だったのですが、それを体系的に提起したマルクスの流れの思想は、反差別ということをきちんと提起できなかったのです。
「この小文は、一九九一年一一月四日に、ローザ・ルクセンブルク東京国際シンポジウムの特別規格として開催されたパネルディスカッション「今、女たちから世界の変革を」において、私が主催者側の問題提起におうじておこなったコメントにもとづいている。」153P
 社会主義と女の解放
「マルクス経済学も徹底的に一九世紀的な「生産主義」の経済学であって、「生活」を周辺に押しのけていたのである。ヒトのヒトに対する働きかけであるサービス労働、とりわけ家庭内の自家消費的な労働は、「生産」的でない営みとして軽視された。」155P・・・むしろ生産概念のとらえ返しと、労働概念からのとらえ返しが必要。
「(ウォーラスティンの指摘)「驚くべきは、いかにプロレタリア化が進行したかではなくて、いかにそれが進行しなかったか、なのだ」。しかも、ローザ・ルクセンブルクの流れが汲むフェミニスト、クラウディア・フォン・ヴェールホーフが注意を促すように、種々の非賃金労働はいわば前期的遺物として消滅する過程にあるのではなく、パートタイマー化に代表される近年の先進国諸国の「雇用の女性化」は、むしろ「賃労働の風化」をもたらしている。」155P
「フェミニズムが明らかにし、主張してきたのは、二〇世紀も終わろうとしている今日なお、「妻」は自分の労働者の立場を確立していない、夫である男に所有される存在でありつづけている、ということだったのではないか。」156P
「たとえば、フランスのクリスティーヌ・デルフィは、結婚が奴隷制ないし農奴制と類似した不払い労働による「生産関係」であると指摘し、「家事労働論争」に重要な一石を投じた。」156P・・・「家事労働」という概念自体をとらえ返すことが必要
「他方、イタリアのジョヴァンナ・フランカ・ダラ・コスタは、奴隷と女と賃金労働者のそれぞれの状態について、興味深い比較対象をおこなっている。」156P――この「比較対象」を元に著者の作った表157P
 解放へのフェミニスト・アプローチ
「つぎに、第二の問題――女のラディカルな解放のための政治は、人間解放の総体的計画としてのみ表現され、実行される。では、女の視点から、人間解放の総体的計画にどんな切り口、内容が提示しうるか、またされるべきか――について。まずこの問題設定の前段に賛成したい。以上述べてきたような理由から、女こそは、「社会のあらゆる領域から自分を解放し、それを通じて社会の他のあらゆる領域を解放することなしには、自分を解放することができない一領域」だろうと考えるからだ。」156-8P
「逆に、いままでの種々の解放運動において、外に向かっては解放の本筋争い、内に対しては、一枚岩的締め付けの側面がありはしなかったか、そのために解放運動の内部に抑圧と差別、とくに女性差別を再生産してはいなかったか、そういう問題意識にフェミニズムは立脚していると私は考える。」158P・・・「差別の構造」ということをとらえ返したところでの、被差別者の解放運動との連帯と結合
「つぎに、解放に向けての女の視点からの切り口であるが、私は、性を自由化し、家族の解体も恐れることなく再生産機能を社会化すべきだという、水田珠枝の報告での提案に賛成する。ただその場合に、自由化されるべき「性」の内容が問題ではないかと考えている。・・・・・・性別役割分業を前提とした家族の重視や結婚という枠が、自由で対等な性愛を窒息させてしまうという面だけでなく、婚外であれなんであれベッドのなかにこそが性支配の発祥地であるという面もみなければならないというのである。ようするに性の自由化という場合に、まず男女の性愛、「ヘテロ・セクシュアリティ」というものが根本的にといなおされなくてはならない。」158-9P
「この点は、ハウクが提案したエコロジーの重視という論点にも関連する。キャロリン・マーチャントらの科学史研究が明らかにしたのは、自然や物質を「女」として擬人化し、人間(=男)の科学技術によって開発され利用されるべきものとみなすことが、資本主義的工業化の基礎となって、現代の地球環境問題にも連なっているということだった。・・・・・・そこで私は、とくに女のからだのエコロジー、女のセクシュアリティの自立性を強調したい。」159P・・・前段と後段は矛盾するのではないか? 差異の突き出しのエコ・フェミ的突き出し?
「たとえば労働者階級出身者のなかにこそ厳しい労働者蔑視があったり、エスニック・マイノリティの内部に一段と強固な女性差別があったりするというように、差別や抑圧はそういう自動的な拡大再生産の構造をもつのであって、性差別もその例外ではない・・・・・・」159-160P
「私自身は、女の自己愛、自己尊重を中心としながらもそこに限定されない大きな広がりをもつ概念として、「ウーマン・ラヴィング」を提唱している。概念の広がりの第一は、「ウーマン・ラヴィング」の担い手として男性も含めること、つまり分離主義(「セパラティズム」というルビ)をとらないということ、第二は「ウーマン」のなかに自然をはじめとするもろもろの「擬人化による女たち」を含めているということである。そのようなウーマン・ラヴィングこそ、人間のエゴではなく、あらゆる生命への愛と尊重でありうるような、まったく新しい人類愛につながる変革の原理とはいえないだろうか。」160P
「ところで、ドイツから見ると、日本に果たしてフェミニズム運動があるかどうかも心許なく映るようだ。日本女性にかんする情報は外国ではきわめて乏しい。まして、レスビアン・フェミニズムなどは欧米諸国だけのものと思われているだろう。・・・・・・」160P
日本資本主義とその文化イデオロギー         大越愛子
 この論稿は冒頭に、当時マルクス主義フェミニズムを宣揚していた上野千鶴子さんの現象学的フェミニズムというべき論稿を展開していた江原由美子さんへの文化主義批判を取りあげています。「私ごと」を書いておきますが、冒頭にも書いたようにこの本は再読ですが、この論稿の目次には、「?」というか、批判すべき点があるという、「▽」マークを付けています。わたしはフェミニズム学習をマルクス主義フェミニズムを宣揚していた上野千鶴子さんから入っていきました。上野さんは「私はマルクス主義者ではない」と言っていました。そのような言葉は、マルクス理論の影響を受けた多くのひとが言っていましたし、いろんなニュアンスがあります。上野さんはマルクス主義フェミニズムから、構築主義的フェミニズムに移行していきました(わたしは一時「マルクス主義フェミニズムと構築主義的フェミニズムに両足をおいて理論展開している」というようにとらえていたのですが、今は、移行したのだと押さえています)。結局上野さんの理論をよくよくとらえ返していくと、上野さんは近代主義的性差別反対論者だと、現在的にとらえ返しています。江原さんは現象学のサイドからフェミニズムをとらえ返していますが、現象学が意識やイデオロギーに留意するなかで、差別=差別イデオロギーというとらえ方になっています(現象学の流れ総体がそのようなところに陥っていくのかは、現象学を深くとらえ返していないわたしにはわかりません)。だから、文化主義という批判が有効になっていくのです。大越さんは、どうも上野――江原論争でそこで何が問題になっているのかを深くとらえ返さないまま、上野さんの相手を打ちのめすように論破していくことに反発しつつ批判をしているようなのですが、皮肉なことに上野さんが後に転換していく脱構築派の議論に棹さしているようなのです。もっとも、大越さんも差別を「システム」というところでとらえる観点はあるのですが、その「システム」とイデオロギーの関係を押さえていないのです。これはそもそもマルクスの唯物史観のとらえ返しの欠落・不充分さの問題なのです。マルクス派のフェミニズム理論(一般に「マルクス主義フェミニズム」と言われています。わたしは反差別論の権威主義批判の立場から、ひとの名を冠したイズムは批判的な意味でしか使いません)は、家事を労働力の生産・再生産過程ととらえました。教育の問題や、ひとが生きていく営為そのものも、そういった側面をもっています。これはシャドーワークということで、賃金が発生しないこととしてあったのです。問題はワーク=仕事とラバー=労働との混同が、「家事労働」概念を突き出すことから起きていることです。フェミニズムはすでに、「なぜ、労働と家事と「個的生きる営為」が分離しているのか」ということを問うています。もっとも、これのことも、家事や教育の労働化ということで進んでいます。このあたりのとらえ返しが必要になっています。
さて、話を著者の論稿に戻します。著者には、マルクスの唯物史観ということがきちんと入っていないので、「システム」と「イデオロギー」の関係をとらえようとしていません。
 さて、もうひとつ、この本が出て来たときは、まだ日本的資本主義経営戦略の優位性の論調が残っていたのですが、今日的に新自由主義的グローバリゼーションということで、日本的経営戦略を駆逐してきています。まさに土台(下部構造)が第一義的に上部構造(イデオロギー)を規定していくということの進行なのです。
 確かにイデオロギー的なことの経済的なことへの規定性も押さえていくことも必要なのですが、その唯物史観的関係性を押さえ直す必要があるのだと、この論稿を読みながら考えていました。
 はじめに
「九〇年代初頭に行われた陳腐なフェミニズム論争の一つとして、下部構造重視派のマルクス主義フェミニズムと上部構造重視の文化派フェミニズムの対立という構図があった。」163P・・・これは「陳腐」ではなくて、差別=差別意識ということへの、マルクス主義フェミニズムの流れからの唯物史観からする、文化主義批判の注目すべき論争としてあったのです。
「実際、欧米における近年のフェミニズム理論の発展はめざましい。躍進著しいフェミニズム文化批評の領域では、マルクス主義をテクスト解釈実践の罠の中へ誘うことで、現代資本主義の重層的差別構造分析を試みるという果敢な理論実践が行われている。」163P
(スピヴァックの引用)「・・・・・ジェンダー、人種、階級という概念の実在的な固定に抵抗させ続けてくれるのもまた、脱構築的見地である。私はむしろ、状況に左右されるこれらの概念の生産という、反復される協議事項と、そのような生産におけるわれわれの共謀関係に眼を向けている。脱構築のこのような局面は、覇権的なフェミニズムの<全地球的理論>を確立することを許さないのだ」163-4P
「スピヴァックによれば、現代資本主義の重層的差別構造は、階級や性、人種、地域などのどれか一項に固定された教条的理論においてはとうてい明らかにされえないほど複雑怪奇である。それはむしろさまざまな観点が交差する、絶えざるテクスト解体実践へと曝されていくなかでのみ、その複雑な毛細血管状権力に呪縛された姿をあらわにしていくといえる。文化や人種、階級などを捨象して、画一的な普遍的な性差別のみを問題化しようとするフェミニズムを、彼女は覇権主義的と批判している。普遍的な性差別という抽象的なものはありえず、それは常に特定の地域の特定の文化背景の下で、特定の権力関係のなかで生じる問題である。普遍性の契機があるとすれば、この特定の状況下で起こる性差別をテクスト化していくことで、特定を突破しうる開かれた状況を生み出していく実践の普遍性しかないのである。/このようなスピヴァックの立場は、私が主張している文化解体派フェミニズムに近い。」164P・・・「実践の普遍性」は文化(上部構造)解体運動へ切り詰められないのでは? 「(追記)」の最後の文参照
「現実的に起こる性差別事象は、性的要因のみならず、文化的要因、階級的要因、ときには民族的、人種的要因が複雑にからまった重層的なものである。こうした重層性を無視して問題を一元化していく社会学的理論装置に対して、私は懐疑的である。」165P・・・いろんな被差別事項を羅列するのではなく、それらを関係性総体からとらえかえしていく分析が必要。
 ローザ・ルクセンブルクからの問題提起
「固定した理論で現実を切っていくのではなく、現実の文化的、歴史的、社会的状況の分析を通して、現実に鋭く切り込んでいく闘争的理論を形成していくことこそ、私がローザ・ルクセンブルクから学んだ問題意識である。」165P
「ルクセンブルクの『資本蓄積論』は、周知のように、マルクスの『資本論』の批判として書かれている。」165P・・・著者自身もこの後書いているように、これは『資本論』が国民経済学批判や政治経済学批判として書いた「批判」とは意味が違い、マルクス思想の発展的継承としての批判です。
ローザ・ルクセンブルク「マルクスの蓄積表式は、資本支配がその最後の制限に達する瞬間についての理論的表現にほかならぬのであって、その限りでは、それはまた、資本制的生産の出発点を理論的に定式化する単純再生産表式と同じく、科学上の虚構である。だか、ほかならぬこの二つの虚構の間にこそ、資本蓄積およびその法則にかんする精確な認識が含まれている。」166P・・・「虚構」ではなくて、物象化的上向的展開における「抽象化」
「この場合の彼女のいう非資本主義的生産様式は、主に植民地としての収奪の対象となった非西洋世界の農民経済を示唆しているようだが、現代のドイツのマルクス主義フェミニズムは、この視点を女性の行なう無償労働として搾取されてきた家事労働に拡大解釈して、資本主義の重層的収奪の構造の解明に新たな光を投げかけた。」166P・・・「重層的」という言葉は、著者の場合並列的になってしまっているのではないでしょうか?
 ヴェルホーフ「ローザ・ルクセンブルク自身は、逆説的なことに、その著書『資本蓄積論』の中で植民地問題との関連において事実上女性問題をもあつかっていたことをはっきり認識していなかったが、それにもかかわらず、彼女こそは今日の論争の大部分をはやくも先取りしていた。」166P・・・確かにそうですが、なぜ、彼女が個別被差別事項を取りあげなかったのかの問題を考えるべき。
「このような非資本主義的関係にからめとられた周辺労働の搾取を本源的蓄積として、可視的な資本主義は成立すると分析するのである。」167P・・・中枢――周辺というところでの、まだからめとられていない、からめとられつつある非資本主義地域と、すでに資本主義にからめとられている被差別的なというところでの周辺性は区別されること。性差別は封建制という意味での家父長制ではなく、資本主義化された性差別構造。部落差別の封建遺制というとらえ方の誤りとそれは通じること。グローバリゼーション下の資本主義的性差別の構造をとらえ返すこと。
「ルクセンブルクからヴェルホーフへの道は、マルクス理論を現実に直面させて大胆に書きかえ、情況に切りこんでいく際の実践的理論たらしめんとする、闘争する女たちの果敢な批評実践の道程ともいえる。」167P・・・著者は、所詮イデオロギー的せめぎ合いとしてしかとらえていない。ローザ・ルクセンブルクは革命の実践家だったはず。
「搾取的な生産関係と共存しつつ、搾取的な生産関係を隠蔽してしまう強力な磁場として、文化イデオロギーの大きな意味が看過されるべきではない、ということを主張せずにはおれないのである。」167P・・・まさに文化主義、家父長制を文化としてとらえ、それが資本主義的に再編されていることを押さえていない。たとえば、優生思想は単なる文化ではなく、労働力の価値をめぐるヒエラルヒーのなかに、組み込まれている経済的問題でもあります。
「それは、その地域の、文化の、社会の非資本主義的関係を資本主義的関係のためにもっとも効率よく利用すべく画策するからである。その際、もっとも高率のよい戦略は、各地域、各文化、各社会に残存する差別イデオロギーを再利用とすることであろう。普遍的な差別イデオロギーとしては、女性差別がある。それゆえ、マルクス主義フェミニズムが分析するように、資本主義は女性労働をその本源的搾取の対象とした。」167P・・・差別を封建遺制の問題としてとらえて、またレーニンやローザ・ルクセンブルクも陥っていた、階級支配の道具・利用論に陥っています。差別は資本主義成立の必須条件としてあるということが、ローザ・ルクセンブルクの「継続的本源的蓄積論」のもつ意味だったはずなのです。著者は、「継続的本源的蓄積論」を単にイデオロギーの問題としてとらえているのでしょうか? これはまさに経済学的問題でもあるのです。
「またアミンなどの第三世界の理論家が指摘するように、資本主義は人種差別、民族差別を利用して、植民地化搾取を敢行した。さまざまな地域差別、階級差別ももちろんその戦略対象である。こうした高率のよい搾取正当化としての差別の利用の隠蔽のために用いられるのが、さまざまな文化イデオロギーである。各資本主義は、文化イデオロギーで粉飾することで、差別を不可視のものとなし、意味内容をずらした形での差別を再生産することで、肥え太っていくのである。こうしたあくどい資本主義の戦略を明らかにし、差別システムを明示化していくためにも、文化イデオロギーの解体実践が必要である。日本資本主義に対決する際にも、それが重要な課題となることはいうまでもない。」167-8P・・・社会の矛盾、そして差別の根拠は、分業と私有財産制というところから発していて、単にイデオロギーの問題ではない、これがマルクス思想の押さえのイロハなのです。
 日本資本主義と日本的近代化の問題
「日本資本主義について分析した経済学の理論書は数多いが、そこで気づかされるのは、女性労働や差別された立場にあった人々の労働への言及が非常に少ないことである。・・・・・・マルクス主義のみならず近代経済学者も汚染されている男性労働中心主義、雇用労働中心主義において、いかに多くの問題が隠蔽、消去されてしまっているかを明らかにしていくことが必要であろう。」168P
「近代主義的見解に対して、現代のマルクス主義フェミニズムや、第三世界のマルクス主義理論は、資本主義の成立が、女性の無償の家事労働の搾取や海外植民地の奴隷労働の搾取の隠蔽の下に行なわれ、しかもそのことを逆説的に正当化するような文化イデオロギーが作成されたことを問題化し始めている。」168P・・・「搾取」の概念が間違えています。これは「収奪」概念。
「だがそうした萌芽をもぎとるような強権的な開国によって、弱肉強食の資本主義世界システムの中へ放り出された日本のとる道は、下からの内発的世紀を抑圧する強権的な近代化政策と、国家主導型の資本主義育成しかなかった。」169P
「近代個人主体からなる近代市民社会の成立という欧米資本主義の必要予件を欠落して出発した日本資本主義は、それに代わるものを捏造する必要性に迫られていた。ウェーバーのいう神を内面化したプロテスタント的労働主体に代わるのとして、天皇を親として平等に献身する天皇制隷属主体が、また個人の権利を尊重するという社会契約に基づく市民社会に代わるものとして、個を否定し一体的な和の原理の下でつながっていく家族主義的国家観念が、日本の近代化の文化イデオロギーとして、ここに登場したのである。」169P・・・この天皇制に関する論攷は留意。
「それは、日本の近代化を前近代的で未熟であると批判していく丸山眞男流の近代主義的立場でも、日本の近代化の前近代性に居直る日本主義風文化特異論的立場でもない。日本の近代化の現実相をできるだけ赤裸々に浮き彫りにしていくことで、その差別システムに亀裂を引き起こすことをめざすテクスト解体実践としての、脱構築的な試みである。/欧米近代化と異なる日本の近代化の特質は、天皇制を頂点とする家族主義にみられる前近代的なる虚構の捏造である。」169-70P
「このような日本的近代化の国家戦略は、帝国主義列強に囲まれた国家的危機の下に、急激な育成を余儀なくされた日本資本主義の要求と合致しており、かくて国家と資本主義は手を携えて、比類なき差別的文化イデオロギーを量産しつつ、収奪と搾取の体制を形成してきたこと、その際に特に犠牲の標的であったのが、女性をはじめとする被差別者たちであったことを、明らかにしていくのが私の狙いである。」170P
 日本資本主義の成立
「ルクセンブルクやヴェルホーフなどのマルクス主義フェミニストが指摘したように・・・・・・」170P・・・ルクセンブルクはフェミニズ的なことを自らは突き出していません。フェミニストと書くのは虚偽。
「だが日本の資本主義は、女性の身体の搾取を粉飾するための近代的性別役割分業イデオロギーも、日本外部の大地の侵略を正当化するための開発文化帝国主義イデオロギーも新たに形成する余裕がなかった。苦肉の策として彼らが代わりに担ぎだしたのは、男尊女卑的「女の力」イデオロギーであり、天皇制を頂点とする家族主義国家イデオロギーであった。」171P
「日本の近代化において、国家は天皇制家族主義イデオロギーを採用し、国民の滅私奉公的献身を要求したが、その中でももっとも自己否定的存在としての役割を担わされたのが女性であった。彼女らは文字どおり自らの肉体で、国家に献身することを求められたのである。その端的な現われが海外への女性の人身売買的出稼ぎによる外貨獲得であった。」172P
日本的差別システム
「天皇制の確立の下でいったん身分制度から解放されたとされながら、隠微な形で新たな差別システムに組み込まれていった被差別部落の底辺労働者である。」173P・・・「新身分制」(資本主義的再編)の確立
「日本資本主義の場合は、炭鉱労働などにおける被差別部落民の搾取、紡績業における貧困な農村出身の女工の搾取が、そして後には植民地労働者の苛烈な搾取がそれに相当したといえるであろう。」174P
「天皇制ファシズムの暴力体制といわれるものを現実に支えていたのが、一見温情的にみえる家族主義的経営であったこと、そこにこそ、抵抗や反発を萎えさせてしまうような巧妙な罠があったこと、そこに日本資本主義の恐ろしさがあることなどが徹底的に明らかにされていく必要があるのである。」176-7P
 日本的家族主義という経営戦略
「日本主義が短期間の間に飛躍的な発展をとげた原因として、それが欧米流の自己主張型個人主義ではなく、自己滅却型集団主義に依拠してことが、しばしばとり挙げられている。間(間宏)は、この集団主義を高く評価する文化イデオロギーとして機能したのが経営家族主義であって、それは実体的な家族経営とはまったく異質なものであるこることを強調して、次のように述べている。」177P――間の引用。
「それは、資本家と男性労働者との一体的労働関係をつくりあげることで、その関係から排除された女性労働者や、被差別労働者に対する差別関係を隠蔽するものである。現実に存在しない融和的労使関係のイメージの内面化を強要することで、階級的、性的、民族的、身分差別システムを不可視にし、経営者に都合のよい職場秩序を捏造しているのである。/経営家族主義を潤滑に機能させるエートスとしてしばしば利用されるのが、「恩」「和」「分」などの精神主義である。」178P
「日本のマルクス主義が下部構造中心主義に足をすくわれて、自分たちを蝕む文化イデオロギーを相対化できなかったこと、その体質が現在なお続いていることは、彼らの多くの性差別に対する鈍感な姿勢に如実に現われているといわざるをえない。」179-80P・・・差別意識を取りあげることは必要なことはいうまでもないのですが、差別を上部構造としてとらえているのでしょうか? 問題は差別=階級支配の手段論。
「資本主義の貪婪な欲望は、その発展のためにいかに次々と欺瞞的な文化イデオロギーを捏造していくかの典型的な例を、私たちここにしかと目撃することができる。こうした問題の究明はいまだ不充分にしか行なわれていないが、これこそが私たち文化解体派フェミニズムの今後の理論実践の課題であることを付記しておきたいと思う。」180P
 現代の課題
「戦前以来の差別システムを温存したままの表面的な自由競争社会の成立で、差別隠蔽の文化イデオロギー戦略はより巧妙になり、それに取りこまれた側とそこから脱しようとする側との対立は、たえず微妙にずらされて、人々の意識の拡散化を招きよせ、そのため問題点の鮮明な浮上化は常に先送りされていた。」180P
「あからさまな帝国主義的海外侵略と異なった形の資本主義の世界戦略が、苛烈な競争とともに現在展開されている。その中で生活者としての民衆にとって今後大きな課題となるのは、環境レイシズムの問題である。」181P
「過去の歴史的経験において明らかなように、資本主義は絶えざる差異化、差別化を作り出し、それを培養土として肥え太ってきた。日本資本主義もその例にもれないのであって、この飽くなき日本資本主義の野望が日本の近代化の推進力であったといえる。日本の近代化は、温存された差別システムとそれを隠蔽するイデオロギーの錯綜した関係を解明することによって、はじめてその全貌をあらわにする。現代においても事情は同じである。」181-2P
フェミニズムから「国家」論を読み解く  江原由美子+生田あい
 これは対談です。一応生田さんが江原さんの意見を引き出すという形になっていますが、実際は対等な対談です。前の論攷の冒頭で問題になっていた江原さんと、共産主義的運動を担う理論家の生田さんの意見のぶつけ合いなのですが、お互いに自分の言いたいことを言い、「国家」論的なところでの一定の共振はあるにせよ、お互いの理論的前提からきちんと話をかみ合わせる批判をしていないので、互いの思いを披露し合うことで終わっているとしか、感じられませんでした。ただ、いろんな情報が込められていた対談になっています。わたしがこのかみ合わない議論を読みながら感じていたのは、資本主義体制と家父長制というところで進んできたフェミニズムの議論で、そもそも性差別を家父長制という概念で押さえてきたことにフェミニズム理論の混乱があるのでないかということです。家父長制ということは封建制的性別的関係性から出てきた概念で、それが資本主義社会のなかで、どのように新たに組み込まれていったのかの問題で、「家父長制」という概念では、そのことを深化して押さえていく作業にはなりません。
 なぜラディカルフェミニズムから権力論なのか
江原「つまり、なぜ女性が再生産労働に従事するかを説明する概念として、家父長制という言葉が出てくるのですが、その家父長制の内実が書いてないわけです。上野千鶴子さんも引用していますが、家父長制をソロコフはこう定義しています。「男性が女性を支配することを可能にする社会的権力関係の総体」(『家父長制と資本主義』)。」185P・・・同義反復的規定。家父長制の中身は、性別役割分業からする支配の問題では?
江原「マルクス主義フェミニズムの議論は、その点においてマルクス主義にとてもよくにていると私は思います。マルクス主義は階級支配の内実を剰余価値収奪のメカニズムとしておいた。それをなくすことが階級支配を絶つことだと。マルクス主義フェミニズムも同様に、女性支配の内実を女性の不払い労働に求める。不払い労働をなくすことが性支配を断つことだと。でも問題がここで二つあります。一つは、マルクス主義フェミニズムの不払い労働論が、マルクス主義の剰余労働論に批判してあまりうまくいっていないこと。二つめは、仮にうまくいっているとしても、不払い労働をなくすということのイメージが充分でないことです。」186P・・・「家事労働に賃金を」ということへの批判が当時から起きていて、さらに、家事を労働ととらえることへの批判も起きています。そもそも労働概念自体も問題にされていること。階級支配は単に経済的支配だけでもないし、また剰余価値収奪のしくみが隠蔽されている(マルクスがそれを明らかにした)としても、国家ということでの支配があります。そもそも資本制生産様式と国家の暴力的かつ共同幻想的支配ということも押さえる必要があります。
江原「労働者が主体であるある国で、国家所有であれば、それだけで剰余価値収奪はないとされる。」186P・・・「社会主義国」と言われていた国が、そもそも国家資本主義だったという押さえが今日的になされています。この後著者が展開しているところは、問題が何ら掘り下げられていません。そもそも、ひとの生きる営為が、労働と家事と「個人的営為」に分断されているところを批判し、労働の廃棄から仕事への転化という形でとらえ返す作業が必要ではないかと思っています。そういうところでの新しいマルクス派のフェミニズムの再生が必要になっているのだと思います。
 江原「このような多様な制度の連環としてある「家父長制」について充分分析せず、あたかも一枚岩的な「男性の命令権」が「家父長制」であるかのような、従来の「家父長制」論は不充分ではないか。あるいは小倉利丸さんのように「家父長制」を「貨幣権力」とおいて、お金のあるなしということのみを「家父長制」としてしまうのも不充分ではないか。「家父長制」とは、社会全域において効果を発揮するような制度の連関であり、またそのような連関を生み出してしまうような「知」のあり方なのではないか。」187P・・・「またそのような連環を生み出してしまうような「知」のあり方なのではないか。」というのは唯物史観的には逆転しているのです。制度が「知」を規定する方が規定性が大きいのです。そのあたりが逆転しているから、文化主義という批判があったのです。
 生田「上野さんにしても、先ほど江原さんが引用された本の中で、「家父長制の物質的基盤とは、男性による労働力の支配のことである」といったすぐあとで、家父長制の廃棄は、個々の男性が態度を改めたり、意識を変えたりすることによって到達されるようなものではない。現実の物質的基盤――制度と権力構造――を変更することでしか達成されないといっていますね。まず「男性による女性の労働力の支配」ということに狭く還元してしまっていいのか、家父長制の廃棄が「現実の」、たぶんここでは現実の社会でのという意味だと思うのですが、制度と権力構造の中身、その相互関係が曖昧なままで、なぜその廃棄でしか達成されないのかはっきりしませんね。フェミニズムが提出した「家父長制」という問題を、資本制との関係で「一元か、二元か」とそのレベルだけで争う「出口なき論争」からの脱出口を含めて解く鍵は、この問題だと思うのです。」187P・・・唯物史観的立場からの提起が必要です。
 生田「江原さんが「新しい社会理論としてのフェミニズム試論[二]」(『情況』一九九二年九月号)で、後期マルクス主義フェミニズムの意義と限界は、家父長制の物質的基礎を明らかにしただけで、その家父長制の内実についてはラディカルフェミニズムから借りてきているだけで、その具体的中身はないということを述べていらっしゃるですが、そのことにつながっていきますね。」187-8P
 江原「社会生活のすみずみに徐々に浸透してくるような社会的権力というもの、近代になって強化されてきているような権力、こういう力を充分に書きつくせない今の社会理論の一九世紀的な状況がある。これを乗り越えないとフェミニズムは、ラディカルフェミニズムといったとしても、実質をもたないと考えているのです。」188P
 江原「このフェミニズムの出発点にある人権、あるいは市民的権利の内容そのものが不充分であり、その不充分性を指摘したのが、ラディカルフェミニズムだと考えるからです。すなわち従来の市民的権利においては、セクシュアリティの問題はネグレクトされていると思っています。セクシュアリティとは何かというと難しいのですが、人間の性的活動にともなうさまざまな行為、狭義においては性交行為や妊娠・出産等の生殖活動、広義においてはそれに付随する社会的活動すべてや性生殖に係わる意識や態度を含むと考えてよいと思います。」189P・・・マルクス主義フェミニズムには人権概念は当てはまらないのです。
 江原「人権/市民権といった理念そのものの未完成を意味するのです。」189P・・・そもそもブルジョア民主主義概念自体をマルクス主義フェミニズムは批判しています。
 江原「これが近代市民社会形成期の人権/市民権といった理念の中では充分ではないのです。だからこの部分の規範をつくり始めたのが、第二波フェミニズムであり、セクシュアリティに関わる人権侵害を告発してそのルールをつくりつつあるのが、第二波フェミニズムだと思うのです。」190P・・・「知」や人倫の問題に切り詰める文化主義、文化主義批判をなぜするのかというと、意識をかえることによって社会を変えられるという志向におちいるからです。ものごとはそんなに単純ではないのです。社会を変えるという運動のなかで、社会を変えつつ意識を変えるというように進むしかないのです。これは規定性の第一次性の問題なのです。
 生田「その「セックス・ブラインド(ママ)」をついたところに、おっしゃるように、ラディカル・フェミニズムの、近代思想を越えていく一つの位置と役割をみます。」191P
 家父長制と「見えない支配」
 生田「(江原さんの書いていること)それは「見えない支配」とも。だからラディカルフェミニズムから「権力論」というものに接近していく場合のキー概念として、「見えない支配」ということがあると思うのですね。これは非常に重要でかつ面白い問題提起だと思うのですが、もう少し具体的につっこんで発展させてみるとどういうことなのでしょう。」←江原@言語――「男女間の言語構造の差異」192PA言語行動そのものの問題193P――「男性中心主義的な概念装置を変えただけではダメだろうと感じています。とくに無意識的に行っている女性の行動様式への自覚、特にそれが自己の決定権というものをいかに浸食しているのかをはっきりさせなければならないと思います。」194P(←生田「初めてフェミニズムからの問題提起を受けいれて「自己決定権」ということをたてているし、日本でもそれは確実にフェミニズムの中で重要な問題の一つになってきています。だからこそ、それを言葉だけのことにしてはならないと思うのです。」194P)「労働時間にしろ、産む/産まないにしろ、それは社会的関連をもつ行為ですから、他者の協力が不可欠。でもその協力を得るために必要な話しあいそのものが、さまざまな理由で男女不平等に行われるとしたら、「自己決定権」をもつということは、たんに「自分で決めたんだから、それはお前の責任」といったいい方に利用されるだけになってしまうかもしれない。」195P(←生田「こういう「自由時間革命」ともいえることは、「社畜」とまで呼ばれている男性の「企業戦士」「会社人間」からの離脱なしにはありえないし、・・・・・・男女の「労働への解放、労働における解放、労働からの解放」の三位一体がさきほどいわれたような、女性の出産や家事労働を「消費」とか「余暇」ということにくくっているような「男性労働中心主義」を根本から変えることから考えられねばならない。そうしないと「女の働く権利」と「男の再生産権(養育権)」という今日的問題を解決していくことはできないと思いますね。」195-6P)B「ルールそのものの是非を判断する場をつくる」196P
 生田「家父長制というものを、たんなる上部構造の家族制度(?)の問題とか、あるいは逆に経済主義的に、たんなる経済的単位としての家族とそれを物質的基盤としてのみとらえるとかではなく、もっと全社会的な構造の中で資本制と共にモヤモヤと存在していて、真綿で首をしめるように、女性の考え、行動をそちらへ方向づけてしまうような支配の実態的なものをさすということだと……。」196P
江原「社会が言語を通じて再組織化してくるだろうと感じています。私たちは自律的な生活様式を失いつつあって、国家的な規模の言語共同体にまきこまれつつある。それは文化共同体でもありますしね。」196P
江原「概念装置というと観念的なものと考えられますが、実際のことなのです。概念装置や言語などのコンセプトを通じて組織が運営され、その諸組織が実際に私たちの生活を支援している。だから、それは私たちにふりかかってくる支配のことなのです。」197P・・・物象化的なことの機能
 生田「また、最近、山本哲士さんがフーコーの『セクシュアリティの歴史』の中の「知の意志」を読みといて、国家と権力を戦略的に分けて、支配階級と被支配階級との二元対立だけでなく、「下から毛管状にやってくる」という「関係性に内在する」権力のとらえ方を、「個人的なものと全体的なもの」の結合としてしめしています。それは旧来の伝統的なマルクス主義の「国家論」が、たんなる抑圧装置であるとか、「土台――上部構造」式に考えてきたものに対する大きな問題提起として考えられますね。」197P
 江原「上野さんの「文化――物質」図式に基づいたままで文化的権力といわれると困るのです。私は文化を積極的に他と区別できる概念としてはたてませんから。」197P・・・「文化」に対峙しているのは「物質」ではないのです。
 江原「「家父長制」とは、そうした近代社会総体が女性をとりあつかう方法のことだと思うのです。」198P
 生田「江原さんの場合は、非常に生活者的な発想でたてていると思いますね。・・・・・・別のいい方をすれば、政治的・経済的・文化的と権力をとらえても、女のあり方にとってはすべり落ちてしまうものをすくおうとしている、といっていいかな。それで「生産諸関係の再生産」を国家論に導入したフーコーを想い出したんです。」198P・・・フーコーも意識分析主義、制度とか経済的なことの規定性をあまり押さえようとしなかった。
 生田「さらには、「家父長制」が「支配」であるのなら、それは力なのであり、その力は「いま――ここ」に作動しているのであるから、そうであればそれはどこか遠い過去に起源をもつ「いま――ここ」を規定する「原因」としてでなく、「いま――ここ」において見出されるべきであると。/「いま――ここ」にある権力という発見は、第二波フェミニズムの「個人的なことは政治的である」という中心スローガンと重ねて考えてみると非常な大きな意味を受けとれる。従来、政治問題とは考えられなかった家族内の男女関係の、性別役割分担や性支配の問題を、全社会的領域の中の男性の支配の問題に拡大させながら、なおかつ、その「見えない支配」「権力」を、日常性とは無縁の政治権力の問題として、あるいは国家の本質的な支配一般の問題として一般的に解消、還元してしまわないで、個人的身体性の「経験」の中に、生きている場としての生活の中にひきずりおろしてくる。日常性の中で権力をつかまえるという意味で。/だから、フェミニズムからの「「家父長制問題の発見が第一級の社会理論上の革新に連なる発見」ではないかという江原さんの評価に加えて、「いま――ここ」にある権力といった問題意識も、「第一級の国家論上の核心に連なる」問題提起ではないかとさえ考えるのですが。」198-9P
 フェミニズム「国家論」の可能性
 生田「伝統的マルクス主義国家論の限界の克服が、マルクスの「国家の社会への再収録」の復権、深化としてつきつけられてきたといえるのです。それはそのかえす刀で、「西欧化=資本主義化=近代化」という「近代国民国家」の限界を同時に越えることでもあるわけですが。」200P・・・「国家の社会への再収録」?――国家の死滅
 生田「そこで、こういう意味での「市民社会に国家を再吸収する」「国家を無化」していくということとの関連で、私は、ラディカルフェミニズムが出した象徴的なスローガンである「個人的なことは政治的である」という問題提起を発展させて深めて考えてみることは、フェミニズムから「国家」論と権力論を発展させてことになるのではないかと思ってきたのです。」200P
江原(生田の「もう少し、「いま――ここにある権力」について、聞かせていただけませんか。」201Pの提起を受けて)「「家父長制」の概念がわかりにくいということは、いろいろなひとが指摘しています。私もそう思うんですが、でも、実のところ、それは、問題を解くための概念であるよりも、何が問題かを明らかにするための概念であるから、分かりにくいのだと思うのです。」201P
江原「つまり、「法」に基づかない(税法などの一見無関係に思われる法には存在していますし、まだ現実の判例などにおいては存在しているのですが)性差別体制、性役割分業体制を、「男性中心主義」や「男性優位主義」のような「イデオロギー」に還元してしまったことです。・・・・・・「家父長制」とは、どこかにある「イデオロギー」(それは遠い過去からひきついでいるとよくいわれるのですが)ではなく、「いま――ここ」にあると、/その含意は、@「「家父長制」とは制度連環の中にあるということ」――「税法や年金や福祉や医療や労働や家族やそれらのすべてが、一定の方向しか選択できないような形で、女性を追いこんでいる。その詳細が明確化されなければならない。「家父長制」は一つ一つの制度でなく、それら総体の機能連関にこそある。」201-2PA「一定の方向を選択しなければならないように追いこまれること」――「それは「いま――ここ」にある現実の力として存在している。・・・・・・個々の女性はやはり必死に選択しているんですね、いろいろな可能性の中から最善の道を。にもかかわらず一定の方向しか選択できないような制度連関がある。・・・・・・女性の観点からすれば「わけのわからない」了解不可能な社会的経験はいくらでもあり、それを言語化していくことが必要なわけです。」202PB「言語化そのものを抑圧する構造が存在する」――「コミュニケーションの問題」――「かつて「からかいの政治学」という文章を書いたことがありますが、そういう扱い方、女性の言葉をとりあつかう方法、そういうものがかなり普遍的に存在する。性別カテゴリーは言語的相互行為において、現実に力として作用していますね。そこにも権力が存在するんです。」202-3PC「暗黙の「方法」としてのみ存在」――「こういうコミュニケーションの問題は、実のところ、たんに対面的相互行為の場において存在するだけでなく、あらゆる専門領域の中での言語実践の中にも存在します。それは明確な「イデオロギー」の形式をとっておらず、暗黙の「方法」としてのみ存在しています。・・・・・・それを明らかにせずに遠い過去の歴史的過程のむこうに「家父長制」の起源をみつけても、あるいは、遠い未来に「家父長制イデオロギーの消滅」を展望しても何にもならない。今、自分をこの場において拘束しているさまざまな力、それは現実の他者の評価の予期や、具体的な言語実践や、分類や、例外判定や、何が重要かといった判断や、紙面のつくり方や課題の設定や、そういう具体的な一つ一つのことを明確にしていくことこそが必要だと思うんです。」203P・・・「いまここにある」というところで、それを唯物史観的なところからとらえ返したのが、マルクス主義フェミニズムと言われているとらえ返し、そのことを江原さんは押さえ損なっていて、結局「イデオロギー」に還元してしまっている。「C」の「家父長制」概念は、そもそも封建時代の概念を援用したこと自体の問題があり、今日的には「ジェンダー――性別(差別)役割分業(体制)という概念に置き換えられてきたのではないかと考えています。
 生田「「家父長制」とは、男性が女性を支配することを可能にする「社会的権力関係の総体」だとすれば、女性を「再生産労働」にしばりつけ、「市民」から排除してきたこの社会的権力関係は、どこで「生産され、再生産」されるのかということです。その現実的中心は、フランスのルフェーブルがスターリン主義との格闘の中から「発見」した「日常生活のなか」なのだと思う。」203P
生田「また、権力が不断に上座にあって、女たちが「飛び上がり」成り上がっていれてもらっていくのではなく、文字通り権力関係としての社会的関係の再生産の場である日常の「生活」の方へ、権力をひきずりおろし、ここを変えることで、権力の根を切り、それを無化し、埋めもどしていくことととらえています。・・・・・・マルクス主義フェミニズムは、「資本制」から学び、かつ、その限界を批判しましたが、この国家に関する思想からも学び、かつその歴史的形態として革命が創造したソビエト・レーテなど、「プロ独裁論」を乗り越えてもよいのではないかと思っています。」204P・・・反差別論からは「プロ独裁論」批判が出てきます。
生田「つまりローザは旧来の資本主義の外部に主体を発見し、しかも性分業も含めてそれを一国的でなく世界大のシステムとしてとらえたのです。この非資本主義部分(不生産的労働―「再生産労働」を含む)の存在を強制し、かつ、それを収奪して、資本主義の生存と成長へ転化し、その資本―非資本関係を再生産し続ける力は何かということです。それが国家とか権力であることを、女たちは理論的に明らかにすることができると思うのです。」204P・・・障害問題からの優生思想から、労働能力の価値という概念の脱構築も
生田「「いま――ここにある権力」というのは、女たちの「日常生活」にありながら世界を凝縮し、写し出している権力として、逆に日常生活が水平に世界に拡がっていく質としてもつかまえられねばならないと思うのです。」205P
江原「国家論といった時に、古典的な二つの図式がありますよね。国家機関説と国家共同体説。廣松渉さんが『唯物史観と国家』で述べていらっしゃるような。前者は支配のための装置としての国家というイメージで、後者は実質的な共同連関を含む国家のイメージ。同一民族とか共同言語とかを含むイメージです。・・・・・・私自身は、この二つは必ずしも一致する必要はないと思います。けれど、なんらかの統治機構、すなわち、法をつくり、その法の効力を確保する機関は必要ですよね。ですから、もし「国家の死滅」を考えるならば、共同連関をもつ地域の幅が広がっている現在可能な唯一の方向は、民族共同体、言語共同体を超えた政体を創っていく方向しかない。」205P・・・そもそもマルクスが『ド・イデ』の中で展開した、「共同幻想としての国家」の押さえが必要です。
 江原「「国家の死滅」といった時、一番よくイメージされるのは、地域がごく小さい単位でまとまり、相互にあまり影響しあわない形で共存するというイメージだと思うのですが、私はこのイメージは不可能だと思います。」←生田「それは経済と自治の単位を小さくしていく、いわゆる地域分権体制ということかしら? どうして不可能ですか?」←江原「私はコミュニケーション、すなわちコトバとモノとヒトの共同連関はますます大きくなっていくし、地域をこえた共同連関を少なくしていくことは不可能だと思います。不可能だというのは、産業とか、人口だとか、生産力だとか、いろいろ考えた時にそう思うのです。共同連関を少なくすることは、現実にはその地域内での「残酷な強権発動」なしにはできないだろうということです。すなわち、その地域内の国家への権限集中が起こってしまう。だから難しいだろうなあと。むしろ可能性のあるのは、共同連関をもつ地域の拡大に対応して、より広域の政体、民族共同体や言語共同体を超えた、政体をつくることだろうと思います。終局的には、地球規模の政体のようなものでまとまっていく方が可能性があると思う。」206P
生田「「国連」というのは、帝国主義間のブロック的同盟であると同時に、国際的共同権力として機能し始めています。これは、資本主義の世界化と対応したものです。そしてかつ、地球規模での環境破壊、核問題とかとも見合っているわけです。だから、実践的というか、運動論的いうか――結論からいえば、江原さんのいうように、もう旧来の一国的な近代国民国家ではない、国際的な共同体、政体で、資本の国際性を物質的基盤に、資源・食料・環境など万般のことを、第三世界と先進国間の、中心と周辺の矛盾を解決する国際機関・政体が必要だと。しかも、民衆の側のそれは、国境をこえてどんどん拡がりつつあります。それは、いわゆる非常に狭義の意味の革命――国家権力を根本的に革めるという――を不可欠にすると思います。その必然性の予感のようなものを、江原さんは、「残酷な強権発動」なしに巨大な連関を小さなものにしていくことができないとおっしゃいました。先に挙げた「国家を市民社会に再吸収する」というテーゼは、その権力における革命の狭義の問題を含まないで考えられるとしたら、それは、観念的なものになるでしょうね。と同時に、「地球規模で考え、地域で行動する」(考えはグローバルに、行動はローカルに)というスローガンがありますが、この点とも矛盾しない。」206-7P
生田「この「市民社会」の日常生活における「本質的主体」である女たちが、どのような社会を構想し、「いま―ここにある権力」をつかまえ、それを日常生活の中に埋めもどし、自らの自己決定権に基づく水平的な「自治」を創り出していくか、そのことが「フェミニズムに問われる権力論」の創造だと思います。」207P
資本主義と女性抑圧の文化構造        フリッガ・ハウク
 この論稿は性別役割分化(分業)ということを書いています。現在的にはジェンダー論とかいう展開になるのでしょうか?
生産関係としての両性関係
「両性関係」ということば自体がLGBT(Q)の運動が起きるなかで使われなくなっているように感じています。二分法自体の脱構築のひとつです。
文明モデルとしての資本主義的父権制
「女性抑圧は資本主義よりもはるかに古いということは、すくなくともこの十年来、常識となった。家族に対して父がふるう権力という意味でもちいられる父権制(家父長制)ということばでは、あまりにも狭義であるとして、明らかな男性支配をともなうこのシステムを概念的にどのように把握しうるのか、という問題の分析はまだわずかにしか行われていない。理由はあげられていなくとも、「資本主義的父権制」といえば、重点がどちらにおかれているかは明らかである。」210P・・・女性抑圧は資本主義との先行性の関係で考えることではなくて、分業と私有財産制の発生との関係で考えること。
 その秘密
「我々は、社会が四つの主要なグループに分割されていることを知る。秘儀を授けられて統治し、計画する男たちとその妻たち(なぜ、今日に至るまで政治をするのに男が年をとりすぎることは決してないのに、年をとった女はいずれにせよ、社会にとっては余計な負担となるのか、よくわかる)。そしてその他民衆の男たちとその妻たち。とはいえ、秘儀を授けられた者の妻たちは、秘儀を授けられない者の妻たちとは異なったかたちで、組みいれられている。」211P
市場の快楽
「実際、フェミニズムの視点からみることによって、そうでなければ理解しにくい、この市民社会における一連の正当化について、さらに洞察が得られるのである。生活、身体およびそれらの私的組織(中絶、家族、結婚、離婚、売春、ホモセクシュアリティ、子どもの世話、年金等々)の問題を規制すべく存在している所有に関する無数の法は、この社会全般が市場と利潤の原理によって規制されていて、それが一般的な人間行為として有効性をもたされているところから、必然的にうみだされた。このような原理では足りない、あるいはそれが正反対に働いてしまうところには、一連の法律が介入しているのである。」213-4P
「つまり、この種の人類の再生産の複合体は、資本主義的父権制文明モデルにおいては、まったく予見されていないこと、それゆえ、女性はそのような問題を法というかたちで、私的に、自分の身体と生命とを用いて引き受けなければならない。法律が、社会に支配的な生産、業績、賃金、利潤の原則に従って行動するように、という誘惑から女性を退けているのである。」214P
モラル・セクュアリティ・戦争
「教育、学校、教会となどをただちに思い浮かべさせる、モラルの領域からはじめよう。モラルとは、法が及んでいないところで、行為を導く価値が社会契約的に個々の人間を社会的にしばりつけておく形式である。神に依拠して善と悪の区別を教え、個々人が内面的道徳律を身につけるようにする。利害が対立している以上、支配的なモラルは「上」を認め、「下」を貫くことはあきらめるように、と我々に告げるのである。・・・・・・徳、礼儀、名誉、恥、欺瞞、勇敢さなど、これらはすべて性によって違った意味をもっている。これらが経済的、政治的領域で意味をもつ場合は男性の側に、身体やセクシュアリティの領域で意味を持つ場合は女性の側に押しつけられている。」215P
「ナンシー・ハートソック(前出)は、両性自体を社会的に構築されたものとみなすのは無意味であり、これはセクシュアリティの領域についてもいえるが、男性特有、あるいは女性特有のセクシュアリティとされているものについては、あてはまらないとしている。」215P
「たとえば、男性のセクシュアリティは攻撃的、暴力的、孤独であると同時に、あるいはそれゆえに主体性のあるものと見なされている。これを補完するために、自由に客体、あるいはたんなる身体、またその一部として自由にできるようにさせられている女性的なものが対応している。男性のセクシュアリティは鉄のような意志によって牽制されていなければならない。それゆえ、彼には人間性(と錯綜されていることが)が優先される。/一方、女性のセクシュアリティは、たえず受けいれる用意があり、欲望に従属させられていると同時に、たんに存在しているだけで自己の意志を必要としない。この緊張関係のなかで、女性は非人間、身体として、プラトニックな男は人間として、身体を克服した者/身体を征服した者として成立している。」215-6P
「女を性対象化(セクシュアリゼーション)するなかでは(これは、自発的な社会化の文化的プロセスとも考えなければならない)、男への従属と同時に、社会的なマージナル化も書きこまれる。その反対に、男は意志と精神として登場し、死の可能性としての自分の身体性と闘う。男は英雄であり、就業している。自然は生産的に征服され、支配されなければならない。彼はたえず、他人との競争関係の渦中にある。競争とは区別すること、アイデンティティをうみだすこととする考えもまた、西洋の社会理論の歴史における共同体の考え方を規定しているのである。」216P
「ここまでの議論をまとめてみよう。我々が資本主義的父権制と名付けるのは、一つの文明モデルである。それは、効率、他者との競争、永続する作品の創造を通しての死との競争、生きている―身体的―日常的なものの抽象などの形態をとって、社会的に構築された男らしさが、市場と利益の調整形態と結びついている文明モデルである。このような社会形態は、身体労働する者の従属、また、社会的なもの、人間性の発達、自然に対する関係としてのエコロジーなどの分野を同時的におろそかにし、マージナル化すると同時に、女性の抑圧および女性のマージナル化を必然的にともなうのである。」217P
代理性とクォータ制
「みずからを保護者としての指導部ととらえているような党をもつ社会主義は、そもそも社会主義ではありえないということを知っていた。労働運動のなかのごく少数の人間のひとりが、ローザ・ルクセンブルク、女性であったことは驚くに値しない。」218P
「しかし、経済の生産部門など、実際に業績が重要な役割を演じている領域では、業績として定義されているもの、つまり労働生産性(力と時間)は――自然の再生産をのぞけば――あきらかに男性的に定義されているので、またもや女性は期待される成果をあげるわけにはいかない。「彼」がそう機能できるということが、究極的には彼女をうちまかすのである。ここでは、女性が行うことを見えなくし、計算にいれないことをふまえて、男性の領域がうちたてられている。」219P
「あらゆるポジションで、女性をより広範に、男性と同じ程度に進出させるクォータ制が、博愛(兄弟愛)という高邁な原理をまったく締めだしてしまうことは、特別に強調する必要もない。男性はつねに性的な身体としての女性と関わることに慣れているために、かれらは女性を同じと認識することができないだけではない。また、男と男の、兄弟的な関係もそのままというわけにはいかなくなるのである。」219-20P
「自由とは、最終的にはなんらかの方法で自己決定に関係していること、およびそれを認識するには、すでに秘儀を授けられており、そこに属していて、そのきまりを知り、他人にもそれを適用できなければならないという男たちの合意が、女性のためのクォータ制を、システムと矛盾する強制経済を不当に要求することと勘違いさせているのである。」220P
はりめぐらされた網の目
「女性の抑圧があるのは、家族内か、職場か、政治の世界か、という場を特定するする話ではない。まさにその全体が問われているのである。わたしは、資本主義的父権制とは、その調整の原理が女性の従属を基盤に築きあげられた生産様式であることを示そうと試みてきた。交換、市場、利潤、成長をともなったこの支配的な経済は、就業労働力にとどまらず、同じ原理で生産することができない他の(第三)世界をも包括的に搾取すること、そして愛ゆえに、「人間性」ゆえに、生命の世話を行い、それゆえ「平等」として取り扱われることのない人間にゆだねることに賭けている。・・・・・・それゆえ、女性はこの関係のなかではどこにも、たんなる人間として登場することができない。文化的、政治的、経済的領域であろうと、あるいは家族の領域であろうと、場合によって支配従属関係がある、またはない、というように変わっていく関係性のなかに女性は存在しているのではない。つねに、あらゆるところで、女性は両性関係のなかに生きている。それゆえ、生活を人間的なものにしていくためには、あらゆるレベルで変えていかなければならないのである。」220P
女たちのレーテを            コーネリア・ハウザー
 伝統的な解放の戦略とフェミニズム
「一、両性関係と女性の抑圧とはこれまで、どの国でも、どの理論でも体系的な研究の対象とはなっていなかった。」221P
「二、これまでの解放理論はつねに解放理論の論理でその論法で、政治的主体がそのなかでどのように行動するかを考えていた。」――「もう一つの領域は公的社会(パブリック)である。批判的社会科学ののなかに重みを占めており、政治的な調整原理を備えているこの社会領域は、賃労働と同じように男性的に構成され、支配されている。・・・・・・解放のプロセス、両方の領域のなかで女性の抑圧をともなってのみ、もっときつくいえば、女性を抑圧することによってのみ達成することができる。」221P
「三、第三の点として、社会主義的な構想においても、性別役割分業がとりいれられていることをあげたい。」――「性別役割分業は、支配的な側面がその決め手となりうるにもかかわらず、社会全般の解決策としてとり入れられることとなったのだ。」222P
「四、男女関係の「自然さ」は、解放理論のなかでも問い返されることのなかった点である。」222P(・・・マルクスの物象化論からのとらえ返し)――「女性という社会的構築されたもの(ジェンダー)はつねに、どこにおいても従属、不利、資源と権力への(男と比べて)不均衡なアクセスとに結びついているということは、世界的にいえることである。・・・・・・性の社会的構築との闘いから直接的な利点を引き出すのは唯一、女性だからである(たとえば、生活手段の生産のなかで別のものと分類されている理性が間接的に与える利点は、ここでは視野に入れていない)。フェミニズムなくして解放された社会は考えられないのです。」223P
「では、なにをなすべきか。・・・・・・ヒエラルヒー的な知の概念と前衛的な真理の独占が存在していた労働者運動の伝統に対して、女性の運動は知と認識とを複数化した。ヒエラルヒー的政治モデルに対して、女たちは網の目のようなものを対置した。唯一の社会問題に対して、女たちは同時的に女性のあらゆる問題を水平的に闘った。女の運動は学びの運動だった。女たちは争って知を得た。男たちに支配されていた認識の神殿からそれをひったくりとった。女たちは新しい知を生み出した。/このような見解で、フリッガ・ハウクとわたしは、数年前から女のレーテという政治モデルをうみだした。基本となっている考えは、個人的なものはより政治的に、政治的なものはより個人的なものにすることができるということ、そして明確な政治領域の闘いに足を踏み入れるために、われわれは女性だけの闘いの場を必要とするということである。・・・・・・女のレーテとは、政治的な権力関係に水平的に作用する構造をとり入れさせるための一つの可能性である。」223-4P
[資料]女のレーテ
「女たちが独自に国会に進出しようというアイデアがドイツにおいて論議の対象となったのは、すでに一九一九年のこと、当時の女性運動においてであった。・・・・・・/その最大の目的は、女性議員の数を増やそうというものであったが、このリストが実現することは一度もなかった。」224P
「政治という場の戦場に入りこむためには、我々は女性のための闘いの場を別にしつらえなければならない。/我々の求める政治の形態はさまざまな領域の間をむすびつけるものである。いいかえればそれは個人的なことをより政治的にすることであり、また政治的なことをより個人的にすることである。/ここでひとつの提案をしてみよう。女たちは市民社会において結集し、女のレーテを設立しよう。」226P
「レーテのもっとも重要な使命は、――これはせいぜい国会活動によって上手にサポートされるだろうが、国会がここに肩代わりをすることはできないだろう――一般に強化されつつある再私有化の措置を組織的に拒否し退けることである。」227P
「彼女たちがどう決断するかは、これからリストがどのように発展するかにかかっており、個人個人が相反するものの一方を選択するということになるだろう。つまり現にある政治組織や労働組合組織において闘うか、または女性として独立した組織を共同で設立するかという選択なのである。」228P
ローザ・ルクセンブルク邦語文献目録
 読めていない本が多く、ローザの本格的学習をするには、5年か10年が必要ではないかと思っています。わたしのローザ学習は目的があって、その過程での学習なので、そこまでやりきれません。学習のほとんどが中途半端なものになっていくことに、「内心忸怩たる思い」にとらわれていきます。
あとがき
「ローザ生誕一二〇年を記念して、女だけで企画し、準備した「今、女たちから世界の変革を」と題したシンポジウムの意図は、次のような「よびかけ」に表現されています。/「東欧に続くソ連の激変は、ロシア革命に始まる世界の『社会主義の一時代』の終わりとその危機を示しています。それはある意味で男たちの『これまでの社会主義と文化』の崩壊であり、女たちがその責をひとり男たちに委ね、傍観する事はできず、世界を救う可能性を秘めて、人間として、己の人生を考え、社会の変革を求めて動き出してゆく時代の始まりといえないでしょうか。(中略)私たちの解放への希望とその模索のために、遠い日透徹した眼と、気高く、しなやかな魂をもって、真っ直ぐに生ききったローザと出会い、これを機会に、私たちの『今』を問うてみようではありませんか」」233P・・・繰り返していますが、ある部分に差別的な社会体制を「社会主義」とは呼べません。

(追記)
(社会主義の定義)
・労働者の搾取がないこと、消滅する方向で進んでいること
・差別が解消される方向で進んでいること
・生産手段の私的所有が廃止されるか、解消される方向で進んでいること
・共同体・共同性において、共同的決定から排除されることがなくなること、なくなる方向で進んでいること
・すべてのひとが、生きる保障が対等になされること、その方向で進んでいること

(反差別と階級闘争)
差別の問題を総体的にとらえ返し、個別被差別を越えた反差別の連帯を希求しながら、個別差別も問題にしていくこと。反差別は、自らの被差別事項に反対するだけでなく、すなわち差別されるのは嫌だというだけでなく、差別する、差別するのも(より)嫌だということから、差別の問題を掘り下げてとらえて、「差別の構造」のようなことをつかみ、その「構造」自体を解体していく闘いが必要になっています。

「社会主義勢力」のなかでは、歴史的に差別の問題をとりあげたのは(階級闘争)右派でした。(階級闘争)左派は階級闘争至上主義に陥って、反差別闘争にとりくみませんでした。階級も差別の問題であるということをとらえ、継続的本源的蓄積のなかでは、差別の問題に階級差別がしわ寄せされる・転化させられる構造をとらえ返すなかで、反差別の闘いにとりくむ必要があります。

ローザをなぜフェミニストは取りあげようとするのか、@ローザが男と対等に渡り合えた革命家――正負A反戦思想――「戦争は女の顔をしていない」Bフェミニズムをつきだしていないけれど、「継続的本源的蓄積論」のなかに、反差別の思想があるから。(ただし、「男並みに」というところから、男たちの武装蜂起――権力奪取という論理にひきづられた)

(フェミニズムと反差別)
「マルクス主義フェミニズム」は、家事や教育ということを労働力の生産・再生産活動と押さえました。そのことの中にはマルクスの流れから出た唯物史観的観点があったのです。その活動をシャドーワークとして押さえたのですが、それを「家事労働」として突き出すことから混乱が生まれました。ワークとラバー(商品生産活動)は区別されることです。資本主義社会では、労働者が労働力商品になるという物象化的錯認があるのですが、それを批判する立場で、その物象化批判が必要なのです。
もうひとつ、混乱をもたらしたのは、家父長制概念です。「マルクス主義フェミニズム」は、性差別を資本制と家父長制という二元論的把握をしたのですが、そもそも家父長制という概念は封建主義的性差別関係としてでてきたことで、それが遺制として残っているというとらえ方になってしまいます。これは「封建遺制」的な概念をどうとらえるのかというところで、日本資本主義論争として展開されました。これはわたしは部落差別のとらえ返しのなかで学ぼうとしたのですが、部落差別は資本主義の成立のなかで、資本主義的身分制度の中に組み込まれていったのです。ですから、家父長制を封建主義的な残存として語るのではないとき、新しく形成されていった差別というところからとらえかえす必要があります。今日的には、すでに家父長制概念から切り替わったジェンター論、性別役割分業論として押さえ直す必要があります。ただジュディス・バトラーが突き出した「ジェンダー・トラブル論」から、これも脱構築の対象になっています。わたしは、むしろマルクスから出てきて、廣松渉さんが新しい展開に踏み込んだ、「物象化批判フェミニズム」ということとして展開していくことではないかなどと考えています。わたしは一時期、わたしの個別被差別事項当事者であった障害問題から、反差別論総体の学習のために、とりわけわたし自身が実践的に対象化できないこととして、みずからの差別性の止揚をせめて理論的に押さえるとしてフェミニズム学習にとりくみ、一時期障害問題の本よりもフェミニズム関係の蔵書が多いということもあったのですが、とても、「物象化批判フェミニズム」までふみこめそうにありません。フェミニスト当事者やLGBTQ当事者の登場を待つしかありません。

(上野――江原論争)
この本(『女たちのローザ・ルクセンブルク―フェミニズムと社会主義』)で取りあげられている、上野――江原論争は、実はマルクスの唯物史観をめぐる論争であったのです。わたしの場合は、差別の問題の学習での初期に八木晃介さんの反差別論を読みながら、この反差別論が、差別=差別意識ということになっているとして批判し、マルクスの唯物史観からする反差別論を展開しようとしてきたのです。実は、このあたりは、マルクスが上部構造への働きかけよりも、土台(下部構造)の変革を求めてたところで、武装蜂起――プロ独論を突き出したことともつがっています。このあたりは、必ずしも二者択一的である必要はなく、たとえば、イタリアの協同組合運動という土台と上部構造を連関させる運動もあるわけで、この連関をつかんだところの運動展開が必要になっていると言いえるでしょう。この話は大越論文の「スピヴァックの実践の普遍性」につながることです。



posted by たわし at 18:51| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月17日

加藤一夫『アポリアとしての民族問題―ローザ・ルクセンブルクとインターナショナリズム』

たわしの読書メモ・・ブログ553
・加藤一夫『アポリアとしての民族問題―ローザ・ルクセンブルクとインターナショナリズム』社会評論社1991
 ローザの学習18冊目です。ローザの『民族問題と自治』の訳者の著作で、ローザ論の著。これも再読です。
 ローザの民族問題での論争の背景や、道行きのようなことを展開してくれています。ただ題名にもあるように「アポリア」=論難として、いろいろな矛盾を抜き出してくれているのですが、解決の道筋をしめしてはくれていません。わたしはこの道筋を反差別ということをキーワードにして、探っていく作業をしているのですが、まだきちんと提起できないまま、試行錯誤しています。この読書メモの最後に追記として、わたしなりの現在的とらえ返しを書き置きます。
 冒頭に書いているようにこの本は再読です。一回目に書いた時に、簡単なメモを最後に残していました。「民族問題、長期的利害と短期的利害の対立」「レーニン、従属論、手段論=道具論」「アポリア――アキレス腱」「民族問題=やっかいな問題」――左翼(社会変革を志向する集団)は、民族問題のみならず、差別の問題をやっかいや問題としてとらえたり、差別=階級支配の道具論に陥り、その裏返しの政治利用や切り捨てに陥ってきた歴史があります。そのことの総括が今問われています(長期的利害とは社会主義革命への課題で、短期的利害とは反民族差別の運動と規定できます)。
 この本は、著者が過去にいろんなところに掲載した論文を本にしたものです。したがって、各論攷はかなり独立性を持っています。ですので、各章・各節に沿った、コメントと切り抜きという形で進めます。ここでは、簡単に押さえる作業をします。この本を最初に読んだときに、第一章に留意していました。そして、第二章は、前の読書メモで訳者解説として掲載されていて、留意していた論攷。ですから、その2つには、かなり詳しいメモを残します。他は、歴史に関する事、歴史を押さえるときに必要になるのですが、民族問題の議論においては、歴史は背景的なことです。ということで、ここのところメモが尨大になっているので、かなりはしょります。
 最初に目次を上げます。レイアウトは変えています。
         目次
はしがき
序章 社会主義の転換とローザ・ルクセンブルク●ルクセンブルク思想の再検討
 1 ローザ・ルクセンブルク再検討のための課題
 2 組織と体制の民主主義をめぐって
 3 ルクセンブルクの民族問題は把握とインターナショナリズム
第一章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題●民族問題論争史ノート
  はじめに
1 Nationについて
 2 マルクスとエンゲルスの民族問題把握
 3 ポーランド問題――論争の開始
 4 オーストリア・マルクス主義と民族自治
 5 「民族問題と自治」の論文について
 6 レーニンの反論――論争の展開
  むすびにかえて――若干の問題提起
第二章 ローザ・ルクセンブルクの民族理論●「民族問題と自治」をめぐって
  はじめに
 1 ポーランド社会主義運動の二つの潮流
 2 「ポーランド問題」論争
 3 一九〇五年革命と綱領問題
 4 「民族問題と自治」論文の執筆過程
 5 民族自決権の否定と国内自治の論理
 6 レーニンとの論争
 7 ルクセンブルクの民族論の悲劇
  結びにかえて
第三章 諸君とわれらの自由のために●ロシア革命とポーランドの解放
  はじめに
 1 革命的連帯思想(インターナショナリズム)の展開
 2 ロシア革命と国際主義者の活動
 3 「辺境問題」とポーランド解放
 4 国際主義の限界――結びにかえて
第四章 ポーランド史における自治●「連帯」運動の問題提起に即して
  はじめに
 1 シュラフタ共和制と自治――多元主義と分立主義の起源
 2 ポーランド解放闘争と自治――社会主義運動と独立・自治論争
 3 第二共和制における自治――地域的自治制の確立と破綻
 4 戦後ポーランドにおける自治――労働者自主管理と社会的自治の再生
 5 「連帯」運動が切り開いた自治の地平――自治共和国への展望
  結びにかえて
補論 ローザ・ルクセンブルクの「ポーランド」論
書評 1972-90

序章 社会主義の転換とローザ・ルクセンブルク●ルクセンブルク思想の再検討
 1 ローザ・ルクセンブルク再検討のための課題
 この著は、丁度、ソビエト連邦の崩壊時に書かれていて、著者は最初に、その「社会主義」と言われていることについてオーソドックスな批判的コメントをしています。14P・・・わたしはそもそもそれは括弧付きの「社会主義」であって、社会主義の定立に失敗したのだと押さえています。
 ローザ・ルクセンブルクは「マルクス――レーニン主義」の異端として、「マルクス――レーニン主義」を批判していました。その中身は@組織と体制の民主主義に関する批判A民族問題把握批判B「帝国主義論」に関する批判15-6P
 2 組織と体制の民主主義をめぐって
前節の後段の@について、『ロシア社会民主党の組織問題』での、レーニン組織論批判、『大衆ストライキ、党、労働組合』での、「大衆の自発性」の論攷20P
「ルクセンブルク自身は「大衆・民衆の政治参加」を強調しているのだが、その前提にある知の過剰、理論過剰に大きな問題があるように思われるからである。」22P・・・そもそも「参加」ではなくて革命主体の話なのですが、そもそもローザも革命的インテリゲンチャで、彼女自身がとりこまれた「前衛党論」はこの問題を抱えています。当時の知の格差ということがあったのですが、このことは、繰り返しおきてくることで、前衛党論自体からみなおしていく必要があるのだと思えます。
 3 ルクセンブルクの民族問題把握とインターナショナリズム
「ルクセンブルクにとって民族という概念を特定の経済的共同体とは考えず、言語・文学・芸術、習俗、宗教のような精神文化の諸特徴と財の総体と考えた。・・・・・・ルクセンブルクにとって、国民国家とはブルジョア国家に過ぎず、例えばロシア帝国やハプスブルグ王国に併合されている現在の少数民族が独立国家を形成することに反対した。国民(民族)国家なしの民族の自立、これがルクセンブルクの主張である。」24P
「ロシア革命以後、民族自決権と革命の利益は鋭く衝突した。」25P・・・中央集権主義的運動と民族自決権はアンチノミーになるということ。
「おそらく、彼女のインターナショナリズム思想の根底には、かつてのI・ドイッチャーが規定した「非ユダヤ人的ユダヤ人」の自意識というものが投影されているのではないだろうか?」29P
第一章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題●民族問題論争史ノート
 この論攷は、著者の論攷のアウトラインを示す章になっています。ここでは、著者の論攷に直接沿う形ではなく、著者の論攷とのわたしの対話も含めて、わたしの自身の押さえも含んだ作業をしてみます。
  はじめに
1 Nationについて
「はじめに」とここの節で、いろいろ本文の中でも本の紹介がされています。この本は再読なのですが、最初にこの本を読んで、この本で紹介されている本を買い求め、読んでいったことを思い出していました。この民族問題も、学習半ばで棚上げにし、わたし自身のはっきりした民族問題の押さえをなしえていなかったのですが、この読書メモの最後のノート的な文で、中間的な押さえをしておきたいと思います。
 さて本題に入ります。
Nationの訳語は、民族、国民、国家ということ。で、民族の規定は、マルクス―レーニン主義では、ロシアでは、レーニンよりも「グルジア人」という少数民族の出であったスターリンの民族規定が先行したようです。そのスターリンの民族規定は、「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を基礎として生じたところの歴史的に構成された人々の堅固な共同体である。」36Pとなっています。それで、著者は、この系譜は、マルクス/エンゲルス、カウツキー、レーニンの国民国家論――単一民族国家論的な展開になっていて、それとは別のオーストリア・マルクス主義者の複合民族国家論の系譜があり、ローザもこの系譜にあるとの指摘をしています。そして「前者が、西洋的な近代国家のイメージがあるが、後者は西欧外世界、「第三世界」の国家のイメージをもっている。」37-8Pと押さえています。
「単一民族などは、あくまで資本主義発展の理念型でしかなく、現実には存在したことはない。現在の西欧先進諸国においても、多くの外国人労働者を抱えており、ますます複雑な他民族国家の様相を強めている。」38P
「多民族国家意識から出発すること、これがルクセンブルク民族理論を明らかにする前提であり、それを解明する方法である。」38P
 2 マルクスとエンゲルスの民族問題把握
 マルクス/エンゲルスが「帝国」の植民地支配を、進歩の助長としてとらえる、進歩史観や発達史観と言われるところから民族の問題をとらえていたことがあります。それで、エンゲルスはその考えを維持し続けたという著者の主張ですが、マルクスは、単一的発展史観といわれることを修正していったということがあります。それらのことを、古代社会ノートやインドやロシアの共同体研究の中で、なしていったのです。ここで、著者は、マルクスの「アジア的」という語の差別性の話を書いているのですが、これは『資本論』草稿の中の「アジア的生産様式論」を指すのであれば、むしろ、逆で、そのことをつかむことによって、単一的発達史観から脱したと言われていることで、これは著者の勘違いのようなことです。
「マルクスもエンゲルスもNationについて厳密な検討もせず、明確なイメージももたず、単に、当時の西欧において支配的であった国民意識に、己の感性を合致させた思想を形成したとすれば、なおさら再検討を要する問題である。このことは、マルクス主義は解放の思想なのか、あるいは覇権の思想なのか、その初源において問うことを意味するからである。」42P
 3 ポーランド問題――論争の開始
マルクス/エンゲルスのポーランド論「ポーランドは、西欧ブルジョア民主主義革命にとって利用しうる価値がある、というという理由から評価されていたのであった。これが、いわゆるポーランド防壁論である。」44P・・・むしろ発達史観――進歩史観による、歴史の歯車を前に進めることを支持するというマルクス/エンゲルスの主張。
 ルクセンブルクのトルコに対するマルクス/エンゲルスと反対の主張――独立の旗を掲げるべき、ポーランドでの論争と逆48P・・・「資本主義的融合」や「資本主義的発展」の論理。スラヴとゲルマン――西欧のどちらの方に身を寄せていたかの違い。「オリエンタリズム」の問題も。
「ルクセンブルクにとって国民国家は、カウツキーが主張するように進歩的なものではなかった。それは、最初から他民族を抑圧するものでしかなかった。」48P
「ここから、彼女はその後、国民国家を形成する独立に反対する一方で、各民族の同権の保証を強調し、そこからポーランドの民族文化=民族性を擁護するというプロレタリアートの任務を、ポーランド自治論として提起し、展開していくことになる。」49P
 4 オーストリア・マルクス主義と民族自治
 オーストリアは多民族国家であり、その国家の維持のために、自治的な自由を求めるというオーストリア社会民主党の方針。
 カール・レンナーの民族的連邦主義とオットー・バウアーの文化共同体論(地域と言語を民族の構成要因にしない)
「このようなオーストリア・マルクス主義の提起した政策は、いわゆる民族的・文化的自治制として、ロシアや東欧の多民族国家の社会主義政党に大きな影響を与えた。中でも、ユダヤ人の労働者党ブントに大きな影響を与えることになった。バウアーは、地域や言語を問わぬ個人原理に立った文化共同体を民族だとして、ユダヤ人も民族として認知したのである。」52P
「カウツキーは、またバウアーの個人原理に反対し、地域を指標とする地域原理を対置した。さらに、彼は、何よりも民族にとって重要なのは、言語の共通性であると主張した。したがって、民族共同体とは、何よりも言語共同体なのである。これに地域の共有制と共通の経済圏という要素が加われば、ひとつの言語共同体に複数の民族が含まれることも可能となる。この言語と地域から、カウツキーは、ユダヤ人を民族とは見なさなかった。/カウツキーの思想は、マルクスとエンゲルスの民族国家形成の思想を継承し、また「経済外要因」としての言語の問題によって、これを発展させたといえるが、重要なこことは、この思想がまっすぐにレーニンとスターリンに継承されたということである。後にスターリンは、このカウツキーの主張を下敷きにして、自らの民族概念を引き出すことになる。」52-3P
 崩壊前のソ連邦では、カウツキー――レーニンの流れが建前になっていて、連邦主義的になっているという話53P・・・そもそもレーニンの自決権が建前――虚構でしかなかったのでは?
「さて、このような背景の下で、ローザ・ルクセンブルクは、今度はバウアーの理論の方に身を寄せて、自らの民族自治論を展開するのである。」53P
 5 「民族問題と自治」の論文について
 ローザの民族問題でのいろいろな矛盾を著者はここで取りあげています。確かに、ローザもレーニンと同じように民族解放闘争を階級闘争に従属させていますので、そのあたりから、他の民族問題でのいろいろな矛盾する論攷が出てくるようです。
「しかしながら、結論からいえば、彼女は結局、民族自決権を否定する論理と国内自治を要求する論理とを結びつけることはできなかった。なぜなら、国内自治が何らかの地域的区分を要求するとすれば、資本主義融合による一体化、すなわち、地域的区分の否定という前者の論理に矛盾してくるからである。民族を非政治的な文化概念にとどめたはずが、そこまでいくと政治的な役割を付与されてしまうからである。/また、ポーランドのみに地域を限定したことにより、リトアニア、ウクライナ、白ロシアの民族を否定することになったことも問題であった。これは、ある意味で、「文化なき民族」の主張で、別の見方からすると、民族性次元ではマルクスの「歴史なき民族」の再版になってしまう。結局、ルクセンブルクは、論理の内的な整合性を失って、この論文の完成は挫折してしまうのである。」58P
 6 レーニンの反論――論争の展開
 レーニンは、「われわれの綱領における民族問題」で、「民族問題を階級闘争の一環として捉えることを強調し、民族自決権を、この階級の利益に従属させることを要求した。さらに、彼は、問題をブルジョア民主主義の一環に位置づけて・・・・・・」59P
「当初、民族問題を当面する課題に位置づけて論じたのはスターリンであった。・・・・・・つまり彼(スターリン)は(『マルクス主義と民族問題』で)、バウアーの「民族的性格」を接木して「心理状態の性格」をつけ加えたのだった。」60P
 レーニンは「カウツキーの主張こそが正しい」としてローザの批判を「民族自決権について」で行う。その内容は@「民族問題を抽象的に捉えるのでなく、歴史的具体的に捉えねばならない」60-1PA「ルクセンブルクが民族自決を政治的自決としてみないで、経済的な自立にすり変えてしまっている」62PB「民族と階級の関係について。民族を階級に解体してしまった」62PC「ルクセンブルクの実際主義に対する批判」62P――「ここで、レーニンはもっぱらルクセンブルクの民族自決権否定の側面に焦点をあてている。ルクセンブルクの自治論には、なぜかまったく触れていない。」62-3P・・・レーニンの方が一般的には「実際的」、レーニンの自決権も階級闘争の従属論
 ローザは『資本蓄積論』で(植民地領有への批判として)「現代の「第三世界」と帝国主義本国との関係を先駆的に示唆した・・・・・・」64P――『資本蓄積論』からの引用「資本蓄積は資本主義的生産様式と前資本主義的生産様式とのあいだで行われる資本転換の過程である。前資本主義的生産様式なしには、資本の蓄積は実現されないが、しかし、蓄積はこの面からみれば同時に前資本主義的生産様式の咀嚼と同化によって実現される。」64-5P・・・部分引用、ここにはローザの傍点、傍点のあるところの切り抜き
「この問題意識は、今日の低開発理論との関係において重要である。なぜなら、A・G・フランクがいうように、現在の低開発は、資本主義の発展過程の数世紀にわたる関係の結果であり、低開発は、世界的発展そのものによって創出され、中枢部との絆が強いところほど、今日、最も低開発状態にあるからである。アメリカの民族問題家H・B・デーヴィスは、この点から、マルクス主義の民族理論を対象化したうえで、ルクセンブルクの理論が今日、より有効であるとしている。」65P
「(レーニンも)原則問題から現実的な政策問題になる中で、彼の「最後の闘争」として提起される連邦主義への妥協も、スターリンの「自治化案」に対する抵抗も、原則を一歩後退させたところの譲歩にすぎなかった。今日(この本が書かれた一九九〇年前後)、ソ連で発生している構成諸民族の運動が、レーニンのこの時の態度の動揺に関連しているといっていいであろう。長い民族問題論争で出されてきた多様な問題が、その後も未解決のままに投げ出されているのである。」65-6P・・・そもそもレーニンの自決権は、中央集権主義との関係で「建前」や虚構になっていくしかなかったこと。
  むすびにかえて――若干の問題提起
「民族の問題は、歴史を動かす主要な動力であるとともに、歴史的社会的諸矛盾の結節点でもある。今日、世界中のどこを見まわしても、この問題から自由な国はないといっていい。」66P
 著者の問題提起@「Nation意識の転換、すなわち、民族(国民)国家意識を他民族国家意識のなかで相対化すること。」68PA「民族問題を階級との関連で捉えること。」――「民族問題のなかにおける支配の構造を明らかにする重要性を指摘したい。階級の問題を無視するなということである。」68PB「以上の前提に立って、社会主義国における民族問題の再検討を行う必要がある。」69PC「民族自決権思想の現代的有効性を再検討する事。」69P――「帝国主義が建前として、形式として独立国家を維持させながら、経済的に従属させるという新しい支配と抑圧の様相が深まっている・・・・・・」70P(・・・「従属論」や今日的なグローバリゼーション論)D「民族自治論の再検討」――「ルクセンブルクの理論的挫折も、その意味や理由について詳しくみる必要があろう。彼女が提起した、資本蓄積論と民族問題との関連についても、現代的視点で捉え直すことが重要である。これについては最近の従属論の展開が期待されよう。」70P
第二章 ローザ・ルクセンブルクの民族理論●「民族問題と自治」をめぐって
 これは、『民族問題と自治』の邦訳の訳者解説として書かれていたものの掲載。
  はじめに
 ここは、原文からかなり書き改められています。
 1 ポーランド社会主義運動の二つの潮流
 マルクス/エンゲルス(民族問題では、独立志向のポーランド社会党の流れ)とポーランド社会主義者たち(ポーランド社会民主党の流れ)との認識の違い――一八三〇年一一月蜂起五〇周年記念集会へのマルクス/エンゲルスの連名での書簡で、「彼らは、ポーランドの蜂起と西欧における階級闘争との関係について、従来の見解を繰り返し、ポーランド独立再生を目指す闘いに支援を送ることを強調して、「古くからの叫び『ポーランド万歳!』を繰り返す一つのきっかけになるだろう」と結んでいた。」←「これに対して、ヴァリンスキは、「万国のプロレタリアート団結せよ!」というスローガンを、ブルジョアジーも引きつける「ポーランド万歳!」に結びつけるような政治的組み合わせは、しだいに意味を失いつつあり、ポーランド人の闘いは、国家再生ではなくて国際的な階級闘争の一環であるとして、「ポーランド万歳!」に「社会革命万歳!」を対置したのだった。彼によれば、自分たちは「ポーランドよりも、もっと不幸な『国民』であるプロレタリアートという『国民』のメンバー」なのであった。彼の主張は、ポーランドとロシアのプロレタリアートの革命的な連帯により、ロシア帝国全体の民主主義革命を遂行し、そこでポーランドの自治を獲得することであった。」75-6P・・・この流れが「プロレタリア党」から「社会民主党」の流れになっていきます。
 2 「ポーランド問題」論争
「争点が第二インターナショナルの場に持ち出された・・・・・・オーストリア社会民主党のブリュン(ブルーノ)綱領(一八八九年九月に採択)」――「重要な論点として、多民族国家の民族問題を、国家の枠組みを崩さずに具体的に解決する方向に関する提案があった。とりわけ、この問題を解決するために、K・レンナーやO・バウアーが提起した個人原理にもとづく「民族的・文化的自治」の論理は、その後、ロシアとポーランドの社会主義運動に決定的影響を与え、民族問題の重要な論点になっていった。」78P
 3 一九〇五年革命と綱領問題
ポーランドの社会民主党の流れの党の歴史
「このような状況の中で、ルクセンブルクは、党内におけるイデオロギーの調整と組織のあり方を再検討する必要に迫られることになった。これにはまず、「プロレタリアート党」以来、なお党内に残存している古い党のイデオロギーを克服しなければならなかった。このため彼女は、一九〇三年に、『社会民主主義評論』に、「『プロレタリアート党』の追憶に寄せて」という一文を書き、ヴァリンスキの国際主義思想を批判的に検討し、この党がマルクス主義とブランキズムとの接木であり、「政治綱領をもたぬ西欧の社会民主党であると同時に、農村共同体をもたぬロシアの『人民の意志』党であった」と総括した。」84P
「一九〇五年革命は新たな展望を切りひらいた。と同時に、この革命は、党とルクセンブルク自身にいくつかの贈り物を与えた。彼女自身もまた、この革命から多くを学んだ。何よりも重要であったのは、革命は東から起こるという可能性を確認させたことであった。しかし、この時でもまだ、ドイツの社会主義者たちは、ロシア革命の可能性を信じていなかった。」86P
 4 「民族問題と自治」論文の執筆過程
「一九〇七年、彼女(ローザ)は、やっとフィンランドからドイツにもどってきた。・・・・・・だが、この時、「民族問題と自治」が緊急の政治論文として浮上するようになった。その背景として」89P――@「一九〇五年の革命以後、事実上やりかけていて中断していた綱領問題を解決すること、特に、ポーランドの国内自治の内実を明確にする必要があったこと」89PA「これとの関係で、すでに全体党との組織的な関係を明らかにする必要があったこと」(特に、レーニンの無署名論文がでていたこと)89PB「一九〇七年八月の第二インターナショナル・シュトットガルト大会でこのレーニンと出会い、・・・・・・軍国主義と帝国主義に反対し・・・・・・修正案を共同で起草したこと」90P(・・・レーニンとの一定の共鳴)C「この時、次のような新たな民族問題論争が起きたこと」――「次の」内容、O・バウアー(「民族の本質を「運命共同体から生じた文化共同体および性格共同体」と規定」、「文化的共通性という「心理主義立場に立」つ」、「属人主義の原理」、「民族的・文化的自治」の論理の主張」90P)vsカウツキー(「バウアーが「言語や地域といった民族形成の重要な要因を無視している」ことに異論を立て」、「民族は何よりも、言語共同体からなる地域の共有性であるといういわゆる属地主義(・・・・・・)の原則に基づく地域共同体であると主張」、「バウアーの「民族的契機の過大評価と国際的契機の無視」について批判」、「民族文化ではなく国際文化の重要性を指摘」91P)。「このカウツキーの考えは、後にレーニン(そして、・・・・・・スターリン)の民族理論に引きつがれていく。」vs「ルクセンブルクは、この論争からは、どちらかというとバウアーのイメージに身を寄せて彼女の民族理論を展開していくのであるが(・・・ローザは誰よりもインターナショナリストだったから、必ずしもバウアーと共鳴していない。『資本蓄積再論』でのバウアー批判も)、いずれにしても、こうした背景を背にして大論文「民族問題と自治」を急遽執筆することになった。」91P
「しかしながら、彼女は、予想外にこの論文の執筆に苦しむことになった。それは、単に、その時作業中であった経済学の著作の執筆による時間不足だけではなかったように思われる。一九〇五年以来考え続けていた「自治」という難問に悪戦苦闘しなければならなかったからである。」92-3P
 5 民族自決権の否定と国内自治の論理
「一九世紀末のロシアや、中東諸国などの多民族国家で生まれつつあった様々な民族解放闘争には、ある共通するスローガンがある。民族自治のスローガンである。とりわけ、「諸民族の牢獄」といわれていたロシア帝国内の諸民族の動きのなかに、それが顕著にみられる。」93P
「ポーランドにおいても、初期の社会主義運動のなかに同じようなスローガンがみられる。だが、ポーランドの場合は、「歴史的民族」という使命をもち、国家の再生という課題を掲げてツアーリ帝国に挑戦した歴史的な経験と、一九世紀の七〇年代に始まる民族(国民)主義運動の広般な影響のもとにあったから、民族自治の問題をたんに非政治的・文化的な枠組みにとどめずに、政治的な課題として考察しなければならなかった。これは、国家独立を否定し、所与の国家の民主化=ブルジョア民主革命を目標に掲げた、国際主義の潮流に沿う社会主義運動が解決せねばならない難問であった。このために民族(国民)と国家、政治と文化の相克や相互関係を深く考察しなければならなかった。」93-4P
「いわば彼女は、ポーランド人の民族性を擁護しつつも、ポーランド革命ではなく、ロシア帝国全体の革命を、ロシアのプロレタリアートとともに遂行するという課題をそこで提起したのだった。逆からいえば、彼女の主張するポーランドとロシアの資本主義的な融合、ないしは、「有機的合体」の論理も、この戦略的な前提によって規定されて理論づけられていたともいえよう。だが、急いでつけ加えるならば、彼女はその論理だけを全体から切り離して強調したのではない。民族自治、ポーランドの国内自治との相互関係のなかでそれは提起されたのである。後年、この自決権否定の論理をもって彼女の民族理論の本質と評価されるが、これはまったくの一面的な評価でしかない、ということをここで強調しておかねばならない。」94P
 民族問題での論点@「民族ないし国民の概念についての規定」95P――「彼女は、民族をオーストリア・マルクス主義者の非政治的・文化的なイメージで捉え、カウツキーの政治概念としての国民とある程度区別していることが明らかになろう。」95PA「資本主義の発展と国民国家の問題である。」95P――「そこで、彼女は、国家的な分離=個々の国民国家の形成を求めずに、巨大国家の枠内で、その国家の民主化を目指し、諸民族の同権にもとづく政治的自由の獲得がプロレタリア国際主義の重要な課題となり、逆にトルコのように巨大国家へ向かう前提がないような国では、構成諸民族が独立して国民国家を形成すべきだと主張した。」96P(・・・ローザのブレ)B「自治の問題である」96P――「そして実際、すでに述べたように、SDKPiL第五回大会(一九〇六年九月)では、この綱領草案に沿って、それまで承認していたリトアニアの自治を否定している。なぜ国内自治は、ポーランドにのみ承認されるのか。おそらく彼女は、リトアニアの自治をポーランドと同じ理由で承認すれば、他の民族も同様な要求を出してくるにちがいない。そうすれば、彼女の「有機的合体」の論理が全面的に破綻する恐れがあると考えたのであろう。そこで、国内自治が成立する要件として、文化的自治という理由づけを使用することになったのである。」98PC「この民族文化が問題になる。」98PD「彼女の農民に対する把握そのものについて簡単に触れておく必要があるであろう。以前から彼女は、「農民層は、総じて何の政治的相貌ももっていない」と指摘していた。そして、農民世界の伝統、保守性、地域的閉鎖性などから、その文化を近代的なブルジョア文化とは無縁なものとみなしていた。」99-100P(・・・ローザの農民問題のとらえ方は、マルクスの流れの発達史観――進歩史観からきているととらえられます。)
「国内自治を具体的に実現していく過程で、独立国家否定の論理と明らかに矛盾する問題が生じ、しかも文化的な発展の論理によってポーランドだけに国内自治を限定したことによって、かつてエンゲルスが主張した「歴史なき民族」の存在を承認することになり、民族的同権と矛盾する差別の論理に行き着いてしまう。」100P
 ローザの僚友ヴァルスキーの提言「・・・・・・著者(ローザ)はそれに答えられなかったが、いずれにせよ、著者は、この問題を記憶から消そうと考えてしまったようである。・・・・・・」101P
 6 レーニンとの論争
 レーニン自体のゆらぎと変遷102P
「その後、レーニンの民族問題への関心は、オーストリア社会民主党のレンナーやバウアーが提起した「民族的・文化的自治」批判へと向けられた。・・・・・・彼は階級意識をもつ労働者の任務として、すべての民族的圧迫とすべての民族的特権に反対するとともに、すべての民族の労働者の統一と融合を主張することになった。そこから、カウツキーに依拠して、「われわれは、ブルジョア民主主義のスローガンのひとつとしての民族文化に反対する、われわれは、最後まで民主主義的で、また社会主義的プロレタリアートの国際文化を支持する」ことを強調した。」102-3P
「一九一四年四〜六月、同じ機関紙(四〜六号)に、レーニンは、今度はルクセンブルクを真っ向から批判する大論文を発表した。これが後に有名になる「民族自決権について」という論文である。」105P
「レーニンは、まずここで、「『民族自決』とは、ある民族が他の民族の連合体から国家的に分離することを意味して」いること、すなわち、「マルクス主義者の綱領における『民族の自決』は、歴史的=経済的見地からいって、政治的自決、国家的独立、民族国家の形成以外のどんな意味をももちえない」とはっきり断言することから始めている。そして、この視点から、彼は次のような批判の論拠を挙げている。」105P――@「民族問題は、ルクセンブルクのように抽象的かつ形而上学的に捉えるのでなく、歴史的・経済的かつ具体的に捉えねばならない。(著者の意見――この点から、レーニンはカウツキーと同様に、近代資本主義の発達が国民(民族)国家を必然的なものにするとみている。)」(・・・結局近代国家を前提にした民族問題にしてしまっている。)A「ルクセンブルクは、ブルジョア社会における諸民族の政治的自決、すなわち諸民族の国家的独立の問題を、経済上の独立や自立の問題とすりかえている。」(・・・レーニンも階級問題に従属する民族問題と置くことで、政治的自立を無にしている。)B「ロシアにおける民族問題の具体的特殊性を無視して、民族問題を一般的に階級の問題に解消している。」(・・・レーニンも階級問題に従属する民族問題にしている)C「民族問題における原則的な権利要求と、その実際的承認とは別の問題である。したがって、彼女の「実際主義」批判は当たっていない。レーニンはいう。「プロレタリアートにとって民族的要求は、階級闘争の利害に従属。ブルジョア民主主義を完成させるのが、ある民族の他の民族からの分離であるか、それとも、他の民族との同権であるかを理論的にまえもって断言することはできない」」(・・・「階級闘争の利害」への従属論では、虚構としての自決権にしかならない)106P
「民族自決権をめぐるレーニンの批判は、ルクセンブルクの否定の論理とまったく噛み合っていない。その主な理由は、二人の立場の違いからきているように思われる。すなわち、ルクセンブルクは、すでにこの時、「国民経済学」の批判的な検討を通して、帝国主義的発展の遠心的な方向を萌芽的にうち出し、そこから、「民族自決」の権利を否定的に論じているのに対して、レーニンは、まだブルジョア民主主義の権利の一つとして、それを肯定的に論じているからである。」106P・・・レーニンの民族自決権は、ブルジョア民主主義としての自決権、ローザの自治論は社会主義の理念としての自治論。民族問題における反差別は帝国主義の時代のブルジョア民主主義では成り立たない。
 レーニンの「自決に関する討論の決算」でのローザへの接近。107-8P
 7 ルクセンブルクの民族論の悲劇
 ローザはこの論文をきちんと煮詰め得なかったし、その後、いろいろな議論はあったが、この論争をきちんと煮詰める作業も出てこず、スターリンの支配の中で、ローザの理論は異端の位置に落とし込められた。
  結びにかえて
「一九八〇年の夏、バルト海に面する古い商工業都市グダンスクから起こった「連帯」(ソルダルノスチ)運動は、またたく間にポーランド全土に拡大し、体制を根本から揺り動かした。この運動は、八一年一二月の戒厳令によって圧殺され非合法化されてはいるが、運動は今なお、地下で生き続けており、地上への噴出を狙っている。/この運動が提起したのは、「自治(原語略)」の思想であり、「自治共和国」のユートピアであった。ある意味では、ルクセンブルクの思想にギリギリまで接近したといっていい。だが彼女の名前が、この運動のなかから公然と出ることはつい一度もなかったのである。」115P・・・これが第四章につながる文になっています。
「また、資本主義諸国でも、今、例えばフランスのような典型的な「国民国家」においてさえ、社会の地割れ現象が起こっており、地域主義の動きや少数民族の復権運動が高まっている。また、西ドイツでも「緑の人々」の運動のように、高度経済発展に伴う様々な歪みに対する批判や、中央集権的な管理体制に対する異議申し立ての動きが起こり、それは世界的な規模で拡大している。日本も例外ではないであろう。ルクセンブルクの民族論も、このような状況のなかで批判的に再吟味されるべきであろう。」115P 
[註]の最初の文は、「ローザにとつての民族問題」として辞書の項目になりそうな文です。
第三章 諸君とわれらの自由のために●ロシア革命とポーランドの解放
「ポーランド革命史」、とりわけ「ロシアとの関係においてのポーランド革命史」というような内容です。
  はじめに
「一八三〇年蜂起の敗北で、パリに逃れたポーランドの急進的な愛国者J・レレベルの一八三三年の「ロシア人への呼びかけ」の結びのことばの引用。
 1 革命的連帯思想(インターナショナリズム)の展開
 ローザのインターナショナリズムの背景にあるポーランド自体のインターナショナリズム。
 「さらに、重要なことは、彼ら(マルクスとエンゲルス)が、この時、「他民族を抑圧する民族は自由たりえない」という命題を確認したことであった。」137P
「革命的連帯を民族的責任の論理によって行動の中で獲得すること、これが彼(バクーニン)の主張であった。」138P
「ところで、ポーランドの分割についてふれる時、これが同時にウクライナの分割(ドニュプル右岸と東ガリツィア)とリトアニア・白ロシアの「統合」でもあることに注意しなければならない。・・・・・・連帯の思想とは、たんなる一般的な共闘のスローガンではない。民族と民族との間の具体的な関係に他ならない。シュラフタの蜂起の思想には、この点が欠落していたといえる。」139P
 ポーランドの社会主義運動の2つの流れ、リマノフスキ――社会党――ピウスツキvsヴァリンスキ――「プロレタリアート党」→社会民主党――ローザ・ルクセンブルク140-1P
「・・・・・・ローザ・ルクセンブルクは、彼女の生きている時代状況に基づいてマルクスやエンゲルスの見解を批判的に受け継ごうと考えた。そこで彼女は、ポーランドの位置に立って、「ポーランドにおける民族的努力のもつ内的社会的性格を、ヨーロッパにおける国際関係で果たすポーランドの役割に従って判断する」として、ポーランドの解放を、「社会的発展過程の物質的諸関係」の分析を通して提起した。」141-2P
「その(ローザ・ルクセンブルクの)理論の生みだした時代背景と理論との関係について簡単に触れるにとどめたい。」142P――@「先に述べた民族運動の特殊性とその規模の大きさである。具体的にはポーランド語をめぐる非合法的な文化運動がある。」142PA「次に移民問題がある。」143PB「一九〇五年に発生したロシア革命は、これまでの闘争の形態を根底から変えてしまった。」143PC「しかし、ポーランドの一九〇五年は、単なる工業プロレタリアートの革命運動ではなかった。民族主義者による広汎な学校ストライキ運動や農民運動の拡大など、いわば全国的な規模での社会の闘争であった。その意味では、ポーランドで「蜂起的様相」を呈していたといえる。この点からみると、ルクセンブルクやSDKPiLの評価は一面性を免れえない。」144PD「この時期には(一九〇五年革命後)、SDKPiLの活動家が国際主義者として、西欧やロシアで活躍していた。彼らは、「革命の使者」として、国際的な場で、その思想を実践活動に移していた。」144P
 2 ロシア革命と国際主義者の活動
 ロシア革命のなかで、「仲間集団」がロシア革命自体に内在し動いていくのですが、その独自的「仲間」集団がバラバラにされていく状況も書いています。
「しかしながらウクライナ問題から、この点に若干の変化が生じ始める。第三回ソヴィエト大会(一九一八年一月)で報告者のスターリンは、ウクライナの民族自決に関して、「民族ブルジョアジーでなく、勤労者大衆の自決として了解する必要がある」と述べた。この点と、西部ロシア諸国との関係はどうか、という質問に対して、彼は「ウクライナにはソヴィエトがあるが、リトアニアやポーランドにはない」と返答している。」150P
「民族自決権の原則にはある局面で矛盾が起こる可能性を確かに孕んでいた。レーニンもその点を意識していて、「民族自決権と社会主義を比較した場合は、社会主義の方が優先する」「社会主義の方が明らかに弱い時に、ソヴィエト社会主義共和国を帝国主義の打撃に委ねることは許されない」、それ故に即時の講和が必要なのだと強調していた。しかしロシアにいたSDKPiLは、一九一八年一月に声明を出し「民族自決権を勤労者の自決と解釈し」「プロレタリア・ロシアとポーランドの結合のために、革命戦争はあくまでも遂行する」のが正しいと主張して、ボリシェヴィキ内の同志たちに通告した。SDKPiLも同じ態度を明らかにした。」151P・・・レーニンの自決権は虚構になってしまった。
「しかも、レーニンの承認を受けたというチチェーリンの次の発言は重要な意味をもつていた。彼は、「労農国家」とドイツとの平和的な関係の重要さを指摘して、「体制の大きな相違にもかかわらず、常に、労農国家の目的であった両国人民の平和的な共存は、現在ドイツの支配階級にとっても同様に望ましいものである」と述べた。世界革命を志向しながらも、危機の状況の中では、「現実的な政策」をとらねばならないソヴィエト政府の矛盾がここには表現されている。/しかし、在ロシアのポーランド国際主義者たちは、自己の原則的な立場から、それはポーランドと西欧諸国のプロレタリアートを裏切ることになる、という危惧を明らかにした。すでに七月に、国際主義者の政治拠点である「委員部」は、「原因不明なままで」活動を停止していた。拠点を失った彼らは、ポーランド革命派の連帯活動に唯一の希望を託さねばならなかった。」154-5P
 3 「辺境問題」とポーランド解放
 ロシアの「辺境」のひとつとしてのポーランドと他の「辺境」地域との関係。
「辺境」の問題には、マージナル・パーソンの問題を孕んでいて、そこからポーランド論をとらえ返すことも必要。
「しかし、すでに述べたように、彼ら(在ロシア・ポーランド国際主義者)の政治的な拠点である「委員部」が活動を停止してからは、その活動の中心は、ソヴィエト赤軍と共同行動をとるポーランド軍隊の内部における活動であった。したがって、活動の範囲は限定されていた。/この間、顕著な動きを示したのは、ベールゴロド革命軍の解体後に生まれたワルシャワ赤色革命連隊であった。」155P「農民革命の中心であったこの地方に、「最も意識の高い」外人部隊である連帯を派遣して鎮圧にあたらせたことは大きな問題があろう。」156P
「ローザ・ルクセンブルク以来、党派間の共闘の場合も、国際主義者はポーランドの党の自立性を神経質なまでに強調していた。しかし一一月の臨時協議会で、彼らは革命ロシアを無条件に防衛するために、ソヴィエトの各機関に人民委員、軍事コミサール、非常委員会委員(チェーカー)、外交代表など一四〇人の活動家を送ること、ソヴィエト権力を防衛するために反革命を鎮圧することなどに無条件に協力することを決定した。」156P・・・そもそも何が革命で、何が反革命だったのか?
「すでに触れたように、この地域、特にリトアニア、白ロシア、ウクライナは、ポーランドとロシアの歴史的な係争地帯であるとともに、革命的連帯の躓きの石でもあった。この問題をめぐる両者の見解の違いの中にこそ、ポーランド社会主義運動の内部対立の根源があった。」157P
「国際主義者の祖ヴァリンスキは、一七七二年国境問題を、「労働者階級の民主的な権利を獲得する世界大の闘争」の過程で、「自然に解決する」問題だと位置づけた。彼の思想の多くを継承したと思われるルクセンブルクは、資本主義の発展過程から、この地域の後進性に注目しつつ、独自の歴史と文化については、かなり軽視的ないしは否定的な態度をとっていた。このため、国際主義者の辺境認識は、かなり薄いか、あるいは欠落していたといっていい。」157P
「他方レーニンは、かれの民族自決権理論を構築した時、この地域の複雑な民族構成を自己の中央集権的組織原理にどのように組み入れるか、という問題意識が常に念頭にあった。現に、彼に反対したのは、まさにこの地域を活動拠点にしていたユダヤ人組織(ブント)と国際主義者のSDKPiLであった。両者は、民族主義と国際主義という相反する方向を追求しながらも、被抑圧民族の視角から民族同士を結ぶ原理として自治を強調する点では一致していた。彼らは一様に「連邦主義」を唱えていた。これに対してレーニンは、抑圧者で自己の大ロシア人としての視角(レーニン自身、その出自はロシア人ではないといわれている)から、民族自決権を「分離の権利」として、中央集権的結合の不可欠な「例外」原理として主張した。ロシア革命の後に、この辺境地域の解放が現実の課題となってきた時、まさに、ソヴィエト政府は、この原理を反革命の攻勢という状況の中で適用しなければならなかった。この地域を、この原理に従って、「社会主義共和国」の中に、革命の側に引き入れるのか、あるいは、ピウスツキの「連邦主義」原理に従ってポーランド側に引き入れるのか。この対抗関係こそ、内戦後期の革命と反革命の対抗関係であり、一九二〇年のソヴィエト・ポーランド戦争の重要な論点でもあった。」157-8P・・・レーニンの苦闘、自決権の破綻。
「もっとも、彼(レーニン)は、行き過ぎには警戒していた。一一月末に赤軍司令部にあてた書簡の中で、彼は、国境地域にソヴィエトを作ることを強調し、そうしなければ、「ウクライナ、リトアニア、ラトビア、エストニアの排外主義者たちは、わが軍の攻勢を占領と受けとるだろう」とし、その場合、「何よりも、占領諸国における赤軍の立場は極めて悪くなり、住民は、わが軍を解放者として迎えないだろう」と注意を促している。「辺境地域」の解放は、いずれにせよ、軍事的な配慮が優先し、その解放にソヴィエト赤軍が決定的に重要な役割を果たすことになった。」160P
「リトアニアや白ロシアの解放にあっては、軍事的な戦略が民族問題の処理に優先したことを、ソ連の研究者も認めている。」161P
「こうして、ロシア革命とポーランドの解放を結びつけるという国際主義者の目的は達することができなかった。その後ソヴィエト・ロシアが一国社会主義の枠内に入った時、ポーランドの社会主義者たちは、広大なロシアの大地の彼方に姿を消してしまった。」162P
 4 国際主義の限界――結びにかえて
「すでに述べたように、国際主義(インターナショナリズム)とは、被抑圧階級の連帯の原理である。具体的には、その原理は、ある国家と他の国家との関係、一つの民族と他の民族との関係、ある人間と他の人間との関係、とのなかで生きている。ポーランドの国際主義者たちは、「プロレタリアート」の連帯を強調した。その場合、彼らのいう「プロレタリアート」とは、純化され理念化された歴史的主体を示していた。その主体は、彼らの見解によれば、資本主義の発展の程度に応じて形成される、というものであった。当然、そのために、彼らの目は西欧世界を向いていた。西欧諸国こそ、資本主義の最も発展している部分だった。ロシア革命との連帯も、ロシアが西欧を向いている限りにおいて成立するものであった。西欧を向かず、したがって経済的にも後進的民族からなる「辺境諸国」に対しては、冷淡にならざるを得なかった。なぜなら、そこには「プロレタリアート」なるものは存在していないからである。ここには、現に生きている「生身の人間としてのプロレタリアート」への認識は希薄であり、現実的な連帯の視点を欠いている。ここに、彼らの致命的な限界があるといえるかもしれない。」163P
「しかし、ロシア革命やポーランド解放において重要だったのは、辺境の地でうまれ。そこに住み、そこで死ぬ人々にとって国際主義とは何かという問題であった。例えば、ウクライナやアメリカに革命後に移住した農民たちの一般的な声はアメリカの社会学者の研究などから拾い出すことができるが、それは、ドイツ軍によって乱暴に奪われた土地をロシア革命が奪い返すものと期待していたが、赤軍もまたドイツ軍以上に乱暴にふるまったことにたいする疑問や不満である。彼らにとってロシアとは一体何であったのか。/現在、アジア諸国の民族解放闘争との関連で、ロシア革命の再検討と再評価が要求されているが、その重要な視点をこの問いに置かねばならないであろう。このような人々の素朴な対応を「反革命」だとか「反ソ的な空文句」だとして切り捨てるのではなく、現代に生きる人間の声として受けとめなければならないであろう。この点から、歴史の激動の中で見逃されてきた少数民族の解放、小民族国家の自立の問題も、その解放の内側から検討しなおす必要がある。」164P・・・国家は消滅させていくこと
第四章 ポーランド史における自治●「連帯」運動の問題提起に即して
 ここは、ローザの生きていた時代を超えて、ソヴィエト連邦の崩壊に至る過程のポーランドの歴史をとらえ返しています。有名な「連帯」の運動に関するコメントも出ています。
  はじめに
「一九八〇年八月の末から八一年一二月までの約一六カ月間にわたって展開されたポーランド「連帯」運動の突き出した重要な論点の一つに自治=自主管理の問題がある。八一年九〜一〇月に開かれた独立・自治労組「連帯」第一回大会で採択された綱領は、「自治共和国」を目標として掲げた。これは、すでに硬直化している社会主義体制を内側から変革し、下の方から市民社会の再組織化を目指す新しくユニークな戦略を示している。」166P・・・「社会主義体制」はそもそも定立に失敗した「社会主義」だった。
 自治のマルクス派的理念「ところで、自治とは一体何か。社会主義(マルクス主義)の理念からいえば、かつて、マルクスが一八七一年のパリ・コミューンのなかで発見した、支配する者とされる者、管理する者とされる者といった抑圧と従属の関係を取り払い、各人がすべての点で対等に生きることができ、おのれの経済的かつ文化的な生活を自立的に営むことができ、そして、それを通して国家の機能を規制し弱め解体し消滅させていくといった社会の原理が、イメージとしてまず浮かんでこよう。」166P・・・パリ・コミューンの社会主義のイメージ←著者は「しかしながら、今日、自治をこんなバラ色の理想のイメージで語ることはとてもできない。」166Pとしている。・・・このことの探求
 二〇世紀における自治――「ロシア革命におけるソヴィエト、挫折したドイツ革命のレーテやハンガリー革命のタナーチ」、「スペイン革命の中でも」――「ただし、それは制度として確立することなく、大部分は失敗するか空洞化し、あるいは国家体制の付属物となって終わっている。」166-7P
「そればかりではない。体制としての社会主義の歴史をみれば、民衆による自治の発展どころか、共産党独裁になって逆に自治が押さえ込まれていくという歩みを辿ってきた。そして、今や、社会主義体制なるものは、少数の政権党官僚による勤労大衆の抑圧。搾取システムとして完成しており、ソ連にみられるように異論をもつ人々を収容所や刑務所、精神病院に閉じ込めるという極めてネガティヴなイメージをわれわれに与えている。何が自治か、という疑問がわいてこざるをえない。」167P・・・「体制としての社会主義」などなかった。
「当然のことではあるが、いかなる国においても自治は、その国の歴史と伝統から無縁ではない。例えば、社会主義体制の枠内で、経済と社会を自治の原理で組織して、この間、世界の注目を集めてきたユーゴスラヴィアにおける自治=自主管理制度も、一九世紀末のセルビア、クロアチア、スロベニアにおける民族解放闘争と労働者運動の独自性、さらにそれを踏まえ第二次世界大戦時の反ナチス・パルチザン闘争の経験のなかから生まれてきたものであり、いわば歴史的伝統の蓄積が背景にあるのであって、単なる理論家や政治家の思いつきや、机上の白紙の上で生まれるものではない。ポーランドにおける自治の論理も同様である。ここでは他の国とは異なる歴史的経験としての挫折と敗北が累々と積み重なっている。」167-8P
この章の課題は(「はじめに」の最後に書かれている)「この章ではポーランドにおける「自治」の概念、その形成と展開、それに現在の問題について歴史的なパースペクティヴのなかで捉えてみることにしよう。」168P
 1 シュラフタ共和制と自治――多元主義と分立主義の起源
かつてロシアにつぐ第二の大国としてのポーランド168-9P
 ヨーロッパにおける絶対主義王制169P
絶対主義王制とは別の道をとったポーランド――シュラフタ共和制169-170P
「この国家体制のもつ特徴や問題的のいくつかを挙げ、当時の封建的自治の性格と、その歴史的な意味について考えてみよう。」170P――@「ポーランドの共和制国家の主体であるシュラフタ」、「一六世紀がシュラフタの全盛期で、・・・・・・・「黄金の自由」の謳歌」」、「当時、人口の八パーセントのシュラフタが、共和国の土地全面積の六〇パーセントを占有していた」170P、A「シュラフタの特権的地位を支えるのに重要な役割を演じた議会の存在」171P――「一五〇五年にはアレクサンデル国王が、「ニヒル・ノヴィ憲法」で、二院制議会の立法権を正式に承認し、国王の後継者も議会の承認なしに決定できないことになった。」、「ホーランドの選挙王制が確立」171P、「国王とシュラフタの対抗関係は、この時代のヨーロッパにあった身分制度と性格は同じである。」、「ポーランドの議会は、逆に国王を抑え込んでいった。したがって、国王中心の中央集権化をポーランドでは実現できなかった。」172P、B「この議会と密接に関連しながらも、その他の所属領地にあったシュラフタの特権である連名結成権」173P――「この権利は、もともと中世都市の自治のなかから生まれてきた各人の抵抗権で、一般的にはヨーロッパ各国で散見される。しかし通常、それは王権と協調的で、その後王権によって形成された自治という形をとっていくのに対して、ポーランドの連盟は、国王をチェックする役割を果たすことになった。」、「国王在位期に結成された連盟は、必然的に国王に対する反乱権という性格をもつた。これも合法的なものであった。連盟は、個々人の自発的な参加によって生まれ、一定の政治的な目標が掲げられていた。そして、その目標が達成されると解散されるのが普通であった。」173P、「現在の「ポーランド人民共和国」における「連帯」運動は、労働者の連盟であり、ある意味では連盟の現代版といえるかもしれない。」174P、C「ポーランドの国家連合的性格」174P――「一三八五年の「クレヴォ連合」によって、ポーランドはリトアニアと連合国家を形成した。さらにその後、ドイツ騎士団と戦うために、その連合関係を強め、一五六九年の「ルブリン連合」によって、リトアニアのみならず、ウクライナの一部を併合して、独自の諸民族複合国家を生み出すことになった。」174P、「当時の国際環境におけるポーランドの位置」174P――「ポーランドはイスラム教などの異教徒からキリスト教の世界を守る防壁の役割を果たしてきた。そこでは、単に軍事的な力だけでなく、西ヨーロッパ文化の流入やキリスト教文化の定着が重要な意味をもっていた。」174P
 一七世紀以後の動乱の時代175-6P――三回にわたる分割
 ルソーのポーランドに対する「連邦政府」構想177P
 2 ポーランド解放闘争と自治――社会主義運動と独立・自治論争
ポーランドの民族解放闘争のそのものの近代史の歴史の展開の節
 二つの方向と路線の相互に関連し合う歴史――二つの内容@「急進的なシュラフタを中心とする武装蜂起の路線である。」178PA「啓蒙・教育活動を通して、解放の主体を地道に形成していくという方向である。すなわち学問や芸術の振興を通して、ポーランド文化を民衆のなかに広め、ポーランドの民族性を確認してゆく運動である。」 (――一八七〇年代のポジティヴィズム運動、ポーランド近代史の「有機的運動」) 179P
 前述の二つの方向は、独立と自治、「理想主義」と「現実主義」(・・・これはとらえ方<例えば、国家主義批判の立場>によっては反転するのでは?)、ナショナリズムとインターナショナリズムとして対置される。179-180P
 分割して消滅した後の闘いの歴史
 フランスのナポレオンのもとでのポーランド軍団(実際には、傭兵となってハイチやスペインの民衆と敵対、ポーランド解放にはならない)、ナポレオンの敗退の後また分割されてウィーン体制の結び目としての位置、一八二五年のデカプリストの反乱で反ロシア蜂起、その後の一八四八年ヨーロッパ革命・一八七一年パリ・コミューンなどヨーロッパ革命の戦場を「革命の戦士」として生き抜く、一一月蜂起の指導者J・レベルの思想はマルクスとエンゲルスにも影響、一一月蜂起でロシアとの「革命的連帯」→ロシア革命に連動「諸君とわれらの自由のために」、一八六三年一月ロシアへの反旗、ポーランドの新しい道の模索としての「ポジティヴィズム運動」・同時に資本主義の隆起、二つの流れの形成・社会党と社会民主党180-6P
 著者のローザへの自治論のあいまい性への二つの批判@文化の非政治性――実際に政治性が含まれているA民族文化の把握の問題性――農民の切り捨てと他民族の切り捨て186-7P
 3 第二共和制における自治――地域的自治制の確立と破綻
 一九一八年社会党右派のピウスツキ政権での愛国主義と民族主義の奇妙な合同のなかでのポーランド国家の再生189P―――ポーランドとロシアとの「革命的連帯」とインターナショナリズムの敗北
「ラーダ運動は、結局、中央権力と対峙し、それを打倒する勢力にはならずに終わっている。」――「南部の炭鉱地帯ドンヴローヴァ」を例外、これも中央から派遣された軍隊に潰される190P
 共産主義労働者党(後にポーランド共産党と改名)の結成――ローザの影響が強く、民族問題と農民問題を欠落191P
 ポーランドと東欧諸国は「ベルサイユ国家」――ロシア革命の西欧への波及の防疫を担う国家191P
 ピウスツキ政治――独裁からファショ的政治→サナツィア体制――国際的ファシズム運動の影響←地方自治の構想(ファシズムの隆起、また古い地域主義の残存で機能せず)191-5P
ポーランド共産党の対ソ従属の教条主義への陥穽でサナツィア体制の外在的批判者にとどまる195P
 スターリン支配のなかで、ポーランド共産党(KPP)の解体で「ポーランドとソ連との革命的連帯の思想、革命的自治の思想、インターナショナリズムの思想が根底から一掃された・・・・・・」195P
 ナチスドイツのポーランド侵攻で、ポーランド第二共和国の崩壊196P
 4 戦後ポーランドにおける自治――労働者自主管理と社会的自治の再生
 一九四五年、ソ連軍によるナチスドイツからの解放、その後ソ連の後押しで、体制の再編196
「カチンの森事件」やワルシャワ蜂起でのソ連の「裏切り」197P
「自治の観点から、戦後体制の見直し」における問題点198-204P@「地域自治制の解体と統合の問題」A「労働者自主管理の発生・挫折・再生の問題」B「社会的発展を求める運動の発展」198P・・・中央集権的政治とのせめぎ合いと規定性
 自治の概念についていろいろ書かれているのですが、そもそも中央集権的支配に組み込まれた自治と、あらゆるひとのひとに対する支配――差別に反対する自治(社会主義の理念)とを区別すべきこと、勿論、過渡的な問題はあるにせよ、その方向性に向かうかどうかを検証すること。自治概念との議論を再度深化することきに、ここをとらえ返すこと。
 5 「連帯」運動が切り開いた自治の地平――自治共和国への展望
「連帯」の運動の中で出てきた、声明の中の一文「国家は私有財産制の存在と発展を保障する。」212P・・・まさに社会主義とは真逆の論理
「ところで、「連帯」運動の最終段階に現れた自治=自主管理の発展を支えた思想はなんであるのか。それはマルクス主義、社会主義ではなかった。・・・・・・ポーランドの民衆にとって、社会主義とは抑圧的な体制とそれを支えるイデオロギーでしかないのである。」213P・・・ブルジョア民主主義のなかにおける自治は、支配の構造のなかの自治であり、そもそも支配の構造のなかでの虚構の自治にしかならない。社会主義的自治は、共産主義――あらゆる支配関係の止揚、その一歩としての、共産主義に向かう社会主義的自治には、支配関係を止揚していこうということを含んでいる自治を考える事が必要
  結びにかえて
「社会主義共同体において、インターナショナリズムというのは建前にすぎず、実際には不要なものなのである。ここで現代社会主義の悲劇をみることができよう。」214P・・・そもそも「社会主義」で、社会主義ではなかった。
補論 ローザ・ルクセンブルクの「ポーランド」論
 これには副題「J・P・ネトルの所論に寄せて」が付いています。ネトルの本は一応読んでいるので、ここでは、著者のネトルから派生した、もしくは離れた「ポーランド論」を押さえる作業としてのメモを残します。この著者は、ここでかなりの独自的なローザの「ポーランド」論を展開しています。
[1] ネトルが突き出したこと
「しかし、ネトルの場合は、いわば、非政治的価値判断自由という学問的スタンスから史料を駆使し、複眼的視点と多角的な研究方法によって、これまでの政治的な把握を超えたルクセンブルクの全体像を描き出そうとしている。」218-9P
[2] ローザとポーランド
 ポーランド党派史のような文になっています。全部抜き出すと年表になるのですが、ここでは、全部を切り抜くのではなくて、注目すべき文だけメモします。
「(七〇年代)「有機的労働」の綱領を掲げたポジティヴィズム運動が起こってくる。・・・・・・この運動は、女性の平等やユダヤ人への差別反対などをスローガンに掲げていたが、初期のナロードニキ運動の実践も同時に影響しており、社会の底辺で労働すること、底辺の民衆、とりわけ農民の救済や啓蒙活動を通じて農村自治を確立することを主要な目標としていた。これは、また、従来のロマン主義的な民族蜂起の思想を否定し、実利を重視する現実主義的な改良=近代化を追求する試みであった。」220P
「しかしながら、分割諸国に対する極端に忠誠的な姿勢ゆえに、八〇年代以後になると、この運動を批判する二つの運動が登場してくる。民族主義運動と社会主義運動がそれである。/前者は(国民民主党の流れ)・・・・・・/・・・・・・その内部では少数の異質的なものを切り捨てて、多数の同質性を結集することによって、差別と抑圧の構造を形成・確立していったことに注意しなければならない。反ユダヤ主義思想と活動が、この運動のなかから発生していくのである。(・・・ナショナリズムは差別主義的になっていく傾向)。/後者の社会主義運動もこのような時代状況の産物であった。(社会党と社会民主党の二つの流れ、後者の前身の「プロレタリアート」)・・・・・・」221-2P・・・「プロレタリアート」結成者のL・ヴァリンスキの「・・・・・・われわれは『ポーランドよりももっと不幸な』国民であるプロレタリアートという国民の同胞であり、メンバーなのだ。」223P――民族と階級の相作的関係と、どちらがということで比べられない問題。時には、民族差別ということで顕在化する階級問題もある。
「歴史変革の運動において、ある時代状況を共有した世代の役割を軽視することはできない。とりわけ、ポーランドのように、東西ヨーロッパの谷間にあって多様な文化が交錯していた「辺境」ではそれが重要な意味をもっている。実際、多くの試みが、彼らの手でなされている。近代化運動のなかで推進された学問研究や教育活動、世界語の普及によって民族抗争を克服・解決せんとしたエスペラント運動、ユダヤ人解放運動の始まり、女性解放の自覚の深まりと発展、少数民族の覚醒、そしてもっとも重要なものとして、農民の闘争と農民の経済移民(エクソダス)の開始など……。ルクセンブルクの思想の芽は、このような時代の流動状況のなかで生じてきたものといえる。」223P
「それゆえ、私は、その一部を、彼女が強調している民主主義論によってみることにしたい。これは、ある意味で、彼女のなかに「ポーランド的なもの」あるいは「スラヴ的なもの」を発見する試みでもある。/彼女の民主主義の原理は、自発性と連合的な結合である。彼女にとって民主主義とは、単なる制度ではなく鼓動の思想、ないしは精神に近い。後のボリシェヴィキ批判の根本的な方法になっていく精神である。」224P・・・「真の」民主主義者としてのローザ・ルクセンブルク
「シュラフタ民主主義」224P――ルソーの「ポーランド統治論」におけるコメント――「ポーランド民衆蜂起(原語略)は、シュラフタの抵抗権の行使という意味を内包していた。この民主主義の理念の特徴は、国家(原語略、男と女の意味)とは、あらゆる構成部分の自発的な連合の総体であって、国家そのものが伸縮変形自在な人為的な創造物として意識されていた。さらにその場合、国家を構成し歴史を動かす主体であるシュラフタの権利の枠内ですべてが処理され、他の階層、とりわけ農民はまったく無縁な他者として意識されていた。特に前者については、たんにポーランド固有のものとしてよりも、スラブ民族の創意の結晶であるとしたM・バクーニンの連合思想に継承された部分でもある。彼はその思想によって、革命的汎スラブ主義からアナーキズムへと走り抜けたのだった。かれが主張したロシアとポーランドの革命的な連帯の核心にそれがあった。また、当時のナロードニキの思想家にも連合思想が「ロシア的なるもの」、あるいは、「スラブ」の論理として定着していた。」225-6P・・・古代ギリシャの奴隷制に支えられた「市民」を想起させる、ポーランドのシュラフタ。
[3] ローザの民族問題
「しかしここでは、ルクセンブルクの民族と国家にかんするイメージとそこからポーランド解放と世界革命のイメージは何かという視点で彼女の民族論そのものの中身をみてみたい。/東欧諸国における国家と民族の関係(いわゆるNation)は、西欧とは若干内容が異なっている。西欧では、フランス革命以後のブルジョア革命が資本主義の発展条件としての国民(民族)国家を形成していった。ここでは、民族と国家の区別はそれ程意識されることはなかった。そこでは国家に構成される人間集団と民族性を共有する人間集団との領域がある程度一致していたからである。ところが東欧諸国では民族と国家の領域が一致せず、国家の内部に多様な民族を包み込んだいわゆる多民族国家となっている。ここから民族問題という困難な課題が生まれてきた。ここからまた東欧諸国のマルクス主義者たちやその政党が、この問題を党の重要な方針としてとりあげねばならなかった必然性があった。」228P
「・・・・・・彼女は国家と民族とを区別して論じているように思われる。つまり、彼女は歴史の主体を、国家に構成された人間集団である人々(国民)とし、民族性を共有する人間集団である人々(民族)の役割は、非政治的で文化の次元にとどめておくべきものと考えた。/彼女にとって、国家とは歴史的な創造物であっても、形と内容は人為的にかえることのできるものであった。ところが民族とは自然的な属性を有する集団であり、人為的に変えうるのではなく、歴史によって乗り越えねばならないものであった。」229P・・・国家は物象化された「もの」。ローザ・ルクセンブルクにははっきり自覚的意識化されないまでも、そのような意識があったのではないでしょうか? ローザの論理を深化させれば、民族も結局は同じ。
「・・・・・・文化概念としてのポーランド問題におけるプロレタリアートの役割とは何か。/このことについて、彼女は、各民族の同権と民族文化=民族性の擁護としている。」230P
「しかし、彼女の場合はたんに、既存の国家の枠内で民族問題を解決しようとしたのではなかった。彼女の場合は、ポーランドの独立国家の再生を否定することによって、この問題をヨーロッパ革命のイメージと結びつけようとした。」230-1P
「周知のように、マルクスとエンゲルスは、ポーランドの独立を支持した。その論拠は、ポーランド民族は西欧の諸民族と同様に、国民国家=民族国家を形成できる権利と能力をもっていたこと、反動の牙城であるロシアに対する防壁として戦略的に重要であることなどであった。それが限定つきであったことは、五〇年代のエンゲルスの発言にあるように、ポーランド民族は「ひとつの手段としてしか役に立たないつまらない民族」であるとか、革命の瞬間から「何の存在価値もない民族」といったネガティヴな評価のなかに表れていた。」231P
「この論文(「ポーランドの産業的発展」)は、実は経済的手法で書かれた政治文書なのである。・・・・・・・マルクスとエンゲルスの「ポーランド論」に対して、ポーランドの内側から反論したのである。この点からみると独立は、両国の資本主義の発達を阻害する反動的なスローガンでしかない、と彼女は強調している。/ここから、彼女の民族自決権否定の論理が登場してくる。後になって、この論理をしばしば余りにも一般化したかのように批判される。確かにそのようにとれる部分もないではない。だが彼女は、あくまでもポーランドとロシアとの関係のなかで問題を一般化したのであって、それ以上に範囲を拡大したのではなかった。彼女にとっては、国民(民族)国家は、資本主義に適合する国家形態ではなかった。それは、大国家・征服国家であった。」232P・・・ネグリ/ハートの国民国家の過小評価と通底
ロシアに対するポーランドの自決権の否定。トルコにおける、南スラヴ民族の自決権の肯定232-3P
「ルクセンブルクにとっては民族自決権とは、すでに述べたように、Nationの概念に従って、本来的に国家構成された人々の自己決定権であって、そうであれば当然、同時に階級原理に従ってプロレタリア階級の自決をも意味することになる。これは当然ながら、資本主義では実現は不可能であって、社会主義国家においてのみ可能なものであった。彼女はレーニンのように、自決権を資本主義における民主主義的な諸権利の一つとしては承認しなかった。それは、あくまでも、歴史の具体的な状況のなかで出されるべき原則であった。」233P・・・この問題は、さらに、レーニンとローザ・ルクセンブルクがどこで決定権を問題にしているのか(レーニンはブルジョア民主主義、ローザは社会主義)の違いにまで及んでいくー
「ところが、一九〇六年になって彼女は、SDKPiLの綱領を検討する際に、ポーランドのみの自治を主張した。/この主張は、民族問題についての彼女の論理矛盾を露呈させた。国内自治を一般化すると、ロシア帝国のすべての民族がこれを要求するかもしれず、そうなると民族を政治的な国家の形成原理にしないという原則に反するし、ポーランドだけを例外にすると民族同権に反する。この論理矛盾をどのように解決すべきか、という点で、後者の立場で解決せんとして書かれたのが「民族問題と自治」論文であった。たがこの論文は、矛盾の迷路に迷い込んだままで終わっている。彼女はこの論文において、ポーランドを例外とする論理は、ポーランドの資本主義の発達から生まれた高度な文化発展ゆえであって、資本主義の発達が遅れている低文化地域は国内自治を保証する十分な基礎になりえないと主張している。/ここにはあきらかに差別の論理が出されている。これはルクセンブルクの民族理論の致命的な弱さを示すものと考えられる。」233-4P
「つまり彼女のイメージは、民族国家の独立を通して社会主義革命へというものではなく、既存の国家のなかのプロレタリア階級の結合をとおして、一挙になしうるものであって、その国家は、各民族のプロレタリアートの自治的な連合からなっており、その段階では民族問題はすべてが解決されるというものである。このイメージは、彼女がPPSとの対立のなかで否定した民族国家の連合を、プロレタリア・インターナショナリズムのなかで再生させたものということができるのである。」234P・・・国家を超える民衆の連帯のイメージ
「ルクセンブルクにとってプロレタリアートとは、アプリオリに国境を越えた存在であった。だが、実際には、プロレタリアートも資本主義の所産である以上、そこに民族性の問題が貼りついている。ルクセンブルクは、これを文化の次元にとどめた。だが、文化もまた政治と無縁ではない。/事実、ポーランドNDの活動は、この文化を政治的に組織することによって、近代ポーランド民族(国民)としての意識を形成する運動を展開していた。すでに述べた民族問題についての彼女の矛盾は、この文化概念そのものにも原因がありそうである。彼女もやはり、歴史的に規定された階級闘争の本質的な問題としてよりも、党の政策としての民族問題の解決という枠を出ていないように思われる。/さらに、ルクセンブルクは、民族問題の担い手としての民衆、とりわけ住民の多数を占める農民を完全に視野から切り落としている。(この点でもシュラフタ民主主義の理念と似ているともいえる)。この点が、現代のアジアにおける民族解放闘争との結びつきを極めて困難にしている。/・・・・・・彼女は民族の独立よりも、プロレタリアの革命を専攻させ、それによって民族問題を克服しようとしたのである。」235-6P・・・時として階級よりも、民族が差別的に顕在化することもある。そもそも民族と階級の相作性の問題もある。彼女の民族問題での対応の違いという矛盾は、マルクス派の流れのなかの発達史観――進歩史観から来ているのでは?
[4] ローザの「仲間集団」と「組織論」
「ネトルは、社会学的な方法によって、SDKPiLの 第一次集団的な組織の特徴を発見し、これを「ピア・グループ」(仲間集団)と名づけている(第七章)。/彼はこの集団の特徴を次のように規定する。すなわち、綱領を中心に機能的に組織に結合した人間集団ではなく、理念に燃えた同時代人の対等で自発的な協力から生じた統一体、特定の目的のためだけの協力体で、その構成員が進んで受けいれる以上のことは何も要求しない団体、内部に意見の対立があっても、外から攻撃されるような場合は、常に互いに防衛し合うという特徴をもった団体であり、「組織を動かす場合は、個人の創意と能力のみ依存し、組織内部の団結とは、規律とか、なんらかの意志に基づく自覚的な行為の問題ではなく、なんらかの重要な問題にかんする合意の産物であり、戦略や戦術については、単に一致しているということをこえて共通の行き方とでもいえるようなものであった」、・・・・・・」237P
「ネトルの最大の功績は、ヨギヘスを歴史の忘却の淵から救ったことだと私は思う。」237P
「これらの組織の行動のイメージにシュラフタ民主主義の「連合」の原理がかなりの程度継承されているということである。つまりこれは歴史の回路を通って形成された、民衆のポーランド的な存在様式の表れでもあった、といえるのではないだろうか。」238P
「ルクセンブルクは、自らの組織原理については、とりたてて発言しているわけではない。しかし、対ロシア統一党とSDKPiLとのなかで強調した両組織の自立的な結合の主張に、その原理が白明の前提として顔を出している。そして、この原理は、彼女の民主主義観の「自発性」の原理にも反映している。レーニンの組織論を批判したのは、この立場からであった。/ルクセンブルクの組織論の原則は、組織は単に人為的な形成物ではなく、階級闘争の歴史的な産物であり、その行動は、階級闘争のなかから必然的に生まれてくるという点にあった。この点から社会民主主義をロシアという絶対主義国家の内部で創造するという課題を背負っていた<ロシア社会民主労働党の原語、略>は、必然的に中央集権制を生まざるを得ないと主張した。/彼女はこの中央集権制そのものを批判したのではなかった。彼女の批判は、<ロシア社会民主労働党の原語、略>のレーニンの主張のなかにブランキ主義的な要素が復活していることの危険性に向けられたのである。組織は、労働者階級それ自身の運動のなかから生まれるが、組織そのものは常に保守的な存在でしかない。組織と大衆運動についても、運動の高揚は、すべて大衆の自発性から自然発生的に生ずるもので、組織が作り出すものではない。党組織の指導性はわずかな役割しか演じない。だから革命的な行動のための組織は、水のなかで水泳を学ぶように、革命のなかで学ばねばならない。/党の戦術も同じように運動によって作られる。それゆえ、党の個々の組織には十分な行動の自由が必要であり、それが当面の状況に対して闘争の高揚をもたらす革命的イニシアティヴを可能にするであろう。しかしレーニンの主張は、積極的な精神ではなく夜警根性によって支えられている。これは、組織の結実ではなく締めあげである。ルクセンブルクは、このように主張した。(第八章)」238-9P
「ルクセンブルクにとって、プロレタリアート独裁は民主主義の適用方法であって、かつ無制限の民主主義を伴う支配形態のことであった。この原則に基づいてのボリシェヴィキ批判は、そのままボリシェヴィキ党の運命を予言することになった。」240P・・・「民主主義」と「支配」ということの矛盾。支配は「反動」に対してとしても、どこで線を引けるのか?
「彼女が見たのは大衆そのもののダイナミックな動きそのものであって、その動きのなかで創られる実体ではなかった。それゆえ彼女には、その実体であるソヴィエトというものは重要ではなかった。大衆ストライキのダイナミズムこそが大衆運動の表現形態であった。」240-1P・・・実体主義ではない、モーメント的な内容。ただ、組織論がない。
「だが大衆は、様々な社会的条件に規定された状況のなかで主に行動する。大衆の自然発生的ダイナミズムに対する過剰な思い入れが、そこから規定された状況の枠を突破し、さらなる状況を創る階級形成に至る組織論にまで深められていないのである。このような大衆に対して、党組織による何らかの指導はやはり必要である。後のドイツにおいて、かのスパルタクス団がついに大衆を獲得しえなかった要因の一つに、この問題があるといっていいであろう(第一六章)。/そして、これこそが、彼女の悲劇の重要な原因となったのである。つまり彼女が虐殺されたのは、単に手を下した数人の反革命的な軍人だけでなく、背後にそれを承認し支持した大衆が存在していたのである。このヤヌスの双神のような大衆の顔を十分に凝視しなかったところに、ルクセンブルクが敗北した原因があるといっていい。」241P・・・組織論がない、ラーダの形成に至らなかった。果たしてローザは「大衆の顔を十分に凝視しなかった」のでしょうか?
[5] ネトルの「ローザの思想方法とその構造」分析の問題点
 ローザの実践のための理論。
「彼(ネトル)は、ルクセンブルクの個人生活と政治活動を一緒にした、生きた人間として彼女の全体をできるだけ完全に描き、ある問題や出来事に対してその態度を様々な角度と観点から考察したとして、・・・・・・」242P
「ところが、彼女の政治活動については、尨大な史料を使って、あらゆる方向から検討しているにもかかわらず、ルクセンブルクの主張の複雑な歴史状況を表面的に整理したという側面が強く、その主張のなかに彼女の生身の人間が十分に入り込んでいないという感じがする。これは一体どういうことなのだろうか。/問題は彼の方法にある、と私は思う。彼女の中心思想であるマルクス主義とは、学問レベルにおいても諸学問批判の方法であり、さらにいえば、ブルジョア社会に奉仕する諸学問を解体する武器であり、諸学問を綜合する方法では決してなかった。マルクス主義とは、もともと「野」の科学なのである。これが若いルクセンブルクの原点でもあった。研究者たちは「専門家」として、アカデミズムの高みから、いとも気軽にマルクス主義を云々するが、この原点を忘れると、ブルジョア諸学問の一味違うだけの学問として同一平面に並べられるだけだ、と彼女はいっているように思える。このことを意識的に追求することが彼女の方法論につながると私は考える。/ルクセンブルク自身、実際そのことを意識していた。・・・・・・・『国民経済学入門』は、ルクセンブルクが研究していた経済学の単なる「業績」ではなく、自己の実践活動を鍛えそれを理論家するための経済学批判なのである。ルクセンブルクは、このなかで「国民経済」概念「ブルジョアジーの利益を図る学問的欺瞞である」として懸命に否定して、これは「資本主義支配の学問的門衛」が「ブルジョア国家の使命に対する信仰から『国民国家』という彼らの牙城の門前に馳せ参じてこれを死守しようとする」ところから生まれたのだと述べている。/この本を、単に専門分化した経済学の立場で分析しても、彼女の魂に触れることはできないであろう。彼女にとって「国民経済」否定の論理こそ、プロレタリア国際主義の実践にとって必要不可欠なものであったのである。彼女にとって経済学とは、資本主義の発生と共に新興ブルジョアジーの思想的な武器として誕生し、社会主義の実現とともに終焉するものであったのである。」242-3P・・・実践からの理論・実践のための理論
「ルクセンブルクにとって、マルクス主義研究の自己完結は無意味であったし、また無縁でもあった。」244P
「ネトルの方法からは、対象への多様な「情報」が出てくるだけである。だが、その情報は多ければ多いほど、事実性は後退していく。自己と事実の間をも遠ざけてしまうことが多い。それは現在の社会状況をみれば明らかであろう。」244P
「ビスマルク以後のドイツ市民社会の合法性の枠内で拡大してきたSPDは、その相似形ゆえに、この社会の内部の主要構成要素となるという現実的な要請が必要であった。この要請を現実的な効果で測定することで、マルクス主義の理念を捨てたのがE・ベルンシュタインだったのである。」245P
「すなわち、行動する者の思想とは、一つの主張の選択が、それによって生命を捨てることもありうる、という生き方の選択であった。/しかし、ネトルの分析からは、論争の俯瞰図はみえてきても彼女の生き方は見えてこない。」246P・・・ネトルは社会主義的な活動に関わったひとではなかった。
「だが、彼(ネトル)にとってこの三国(ロシア、ポーランド、ドイツ)の関係は、横に同一平面上に並べられる対等の位相にある関係として描かれている。歴史の現実からみれば、ポーランドはロシアとドイツに分割され支配されており、当然ここに差別と抑圧の関係構造ができている。この構造は、そこで生きる人間にとっては自己のアイデンティティに関わる問題である。」246-7P・・・それをなぜ、ローザは実践的方針として提起しなかったのか? という問いに立ち戻る。
「彼女の思想と実践を、手慣れた職人的な歴史家(しかも専門分化された)の史料操作だけで解明するという歴史学的方法では、捉えることができない部分が非常に多い。彼女の思想は非常にパースペクティヴが長いからである。」247P
「それは彼女の方法と自己が連なる方法の発見によって始めて実現可能なものになる。それを可能にするのは、歴史の現場へと不断に関わる自己の当事者性の獲得にあるのではないか、と私は思う。そのことは、自己と自己とを取り巻く歴史の現状況と不断の緊張関係を保つことを意味するとともに、その状況に主体的にどう関わるかという姿勢の獲得でもある。」247-8P・・・実践の姿勢の立場からのとらえ返し
「つまり、ポーランドの重要性は、東西ヨーロッパを同時に対象化しうる位置におかれているということである。これは、単に、地理的かつ文化的な位置の問題ではない。歴史をつくりあげてきた人間主体の問題でもある。近代ヨーロッパ革命のなかで、ポーランドの革命家たちは、革命のバリケードのなかで闘い、そして倒れた。ルクセンブルクの実践もその伝統を継承している。彼女は、ポーランド固有の歴史的な役割を自覚しながら、プロレタリア革命によって東西のヨーロッパを結びつけようと努力した。その意味で、彼女の死は、同時にヨーロッパのその後の悲劇をも表現しているととることができる。/今日、彼女の思想の再評価は、これまで検討してきた思想の根であるポーランド論と民族論を起点に据えてヨーロッパ革命(もちろんロシア革命をも含み)を対象化する視点からと同時に現代のアジアにおける民族解放闘争の担い手の動きから再検討されねばならないだろう。ネトルの評伝は、その意味で貴重な参考書になっている。」248P
書評 1972-90
 この項の各著作の表式とわたしが今まで使ってきた表式が違うのですが、わたしの読書メモの表式に変更して表します。
 この書評を見ていると、読んでいない本の方が多く、ちゃんとローザ・ルクセンブルク論をやるならば、先は長いのですが、わたしは、社会主義論――共産主義論として、ローザに留意しているので、ローザ論は、時間が許せばまた帰ってくるというところで、予定通りの読書計画を進めます。
ここでは、特に注目すべき文だけ、切り抜きメモを残します。著作の太字は既読本です。
・アイザック・ドイッチャー/山西英一訳『レーニン伝への序章、その他遺稿集』岩波書店 1972
「一九二六年五月のピウスツキ・クーデター支持をめぐる「五月の誤謬」論争は、党内に泥沼的な状態をもたらしていたが、若きドイッチャーが入党し、ポーランドの革命運動に加わったのは、まさにこの時であった。」258-9P
「ドイッチャーのポーランド革命への視点で注目されるのは、ローザ・ルクセンブルクが提起した古典的命題を継承し、インターナショナルな社会主義への「有機的統合」を確認していることである。だが、現代ポーランドとソ連の関係をみる時、この理念との溝はあまりにも深い。/ロシア革命に対する彼の視線は、自己のこの体験に基づいた古典的なポーランド・マルクス主義者のそれであり、一九世紀末の彷える亡命革命家とパトスを共有している。そして、この点に彼の鋭さと共に限界がある。未完の革命に対する透徹した分析力と、それを人類史上に位置づける深い洞察力にもかかわらず、農民や被抑圧民族のエネルギーについては、その根源にまで立ち入ってはいない。中国革命への彼の評価を一面的なものにしているのはこの点である。」259-60P
「彼がスターリンの政治的評伝から三部作を構成したことは示唆的である。この政治的怪人物に勝利をもたらした現実主義の女神を、彼は自己の政治的体験を踏まえて冷静な眼で凝視している。しかし、トロツキーに対しては、中傷され、迫害され、誤解され、敗者として捨て去られる人間として、彼を歴史の正当な位置に引き戻そうとする止むに止まれぬ思念といったものが感じられる。この精神と意思とを、未来に向けて生き抜いた予言者トロツキーの悲劇的な生涯に、ポーランドの悲劇を背負って生きる自己とを重ね合わせている。」260P
・フリッツ・フィッシャー/村瀬興雄訳『世界強国への道――ドイツの挑戦、一九一四〜一九一八年 T』岩波書店 1972
「第一次世界大戦におけるドイツの戦争目的と、それに関連する戦争責任の所在をめぐって展開された、いわゆる「フィッシャー論争」がドイツそのものの把握について、貴重な問題提起を行い、大きな波紋を投じたことはよく知られている。/この本は、この論争の発火点たるF・フィッシャー自身の問題の書(ただし要約版、一九六七年)の前半部分の翻訳である。」260-1P
「すなわち、第一次世界大戦は、ドイツに「押し付けられた」、それゆえに防衛的な性格の戦争ではなく、また「ずるずるとはまり込んだ」戦争でもなく、一貫した戦争目的のもとで、ドイツが積極的で決定的な推進役を演じた侵略的性格の帝国主義戦争であったことを、著者は膨大な資料を駆使して明らかにしている。」161P
「私は、「中央ヨーロッパ」の理念を日本の「太平洋戦争の」政治目的たる「大東亜共栄圏」の理念と重ね合わせて本書を読んだ。」264P・・・ポーランド史と韓国史との対比
「今再び、新たな装いをもとってアジアへの進出が行われている時、フィッシャーの政治的前衛のイデオロギーに安易に身を寄せぬ、緻密に史料を駆使して権力構造を照射するストイックな態度に私は大きな感銘を受けた。それは、歴史を学び研究するものが、現実政治にどう係わるのか、あるいは係わらないのかという問題に関連している。わが国の歴史家たちも事後反省が改めて要求されているのではあるまいか。」264P
・J.P.ネットル(ネトル)/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5(たわしの読書メモ・・ブログ547)
「しかし、にもかかわらず、著者の目は、ルクセンブルクの個人生活と政治活動とを結合する思想の根にまで到達していないように思われる。その主な理由は、「諸学問の総合としてのマルクス主義」という著者の方法論にある。マルクス主義とは、単に様々な学問の総合でではなく、その批判的な論究の武器なのである。これは、ルクセンブルクの思想方法でもあった。修正主義論争において、彼女は理論を捨て現実の社会に同化することで勢力の拡張をめざした党に、自己の生き方の原則としてのマルクス主義を対置した。彼女こそ、真の意味でのマルクス主義の継承者なのである。/彼女の一貫した方法によって、後にロシア革命の変質をも的確に予言することができたのである。ネトルの把握は、概念的な次元の主張レベルで整理されており、その方法がルクセンブルクの方法と結びついていない。そのため、結局、彼女の思想の内部に入れきれず、外面を撫でたにとどまっている。」267P
・J・ジョル/池田清・衹園寺則夫訳『第二インター 一八八四――一九一四』木鐸社 1976 
「本書は、一九五五年の初版以来、小著ながら密度が濃く、研究者の間で信頼できると定評のある、J・ジョルの第二インター[ナショナル]通史の翻訳である。」268P
「この点に関して、レーニンのよく知られた評価がある。彼は、コミンテルンの成立という状況の中で、第一インターを「プロレタリアートの国際闘争の土台」とし、第二インターを「運動が多くの国で広範かつ大衆的に拡大する地盤を準備した時代」の産物だが、その後、日和見主義と排外主義の堕落によって、その革命的水準を低下させ、崩壊をもたらしたとして、第三インターこそが、これらの問題を克服することで「プロレタリアート独裁を実現し始めた」と位置づけたのだった。/しかしながら、本書は、こうした発展段階的な見方を排し、諸勢力や各系争点を相対化する観点から、第二インターそれ自体の固有の世界像を明らかにしている。ここには著者のリベラルな歴史観が貫かれている。」268-9P
「著者の視角から欠落ないし軽視」269-270P――四点
・B・ラジッチ/M・M・ドラコヴィチ/勝部元・飛田勘弐訳『コミンテルン人名辞典』至誠堂 1980
・いいだもも編訳『民族・植民地問題と共産主義――コミンテルン全資料・解題』社会評論社 1980
1 はじめに、状況
「最近、コミンテルン(第二インターナショナル)についての関心が世界的に高まっている。」271P
「こうした問題状況の中で、出版されたのが、ここに取りあげるコミンテルン関係の二冊の訳書である。これはまた、コミンテルン結成六〇年を日本で記念する基本的な参考文献でもあるといえる。」272P
2 『コミンテルン人名辞典』
「この本は、コミンテルンだけでなく、各国の共産主義運動の動向を調べる者にとっても大いに活用できる便利な事典である。」273P
3 『民族・植民地問題と共産主義――コミンテルン全資料・解題』
「いいだもも編訳の『民族・植民地問題と共産主義』は、民族植民地問題からコミンテルンの活動を総括した資料集である。」273P
「そして、結論的にいえば、コミンテルン解散の真の原因が、ヨーロッパ革命の挫折やファシズムの台頭、それに、ソ連共産党内の権力闘争だけではなく、まさに、植民地従属国の民族解放闘争そのものにあったことを、本書から確認できるのである。」274P
「何といっても重要なのは、その創設理念の思想性と活動方針をめぐる論争であろう。創立大会でトロツキーが起草した宣言は、先進諸国の労働者国家権力を掌握した時にはじめて、植民地人民も独立の獲得と維持のチャンスがあるとして、「社会主義ヨーロッパが植民地に自己の技術、組織、精神的影響によって援助の手をさしのべる」と述べているが、これはヨーロッパ革命なしには植民地革命なしという思想性の表明であった。しかし、これが第二回大会(一九二〇年七月)の「民族・植民地についてのテーゼをめぐる論争と、民族問題論争の主要なテーマになるのである。/周知のように、レーニンの問題意識は、彼の民族自決権思想と帝国主義認識から出されているが、その核心は、すべての共産党が「植民地や後進国の革命運動(ブルジョア民主主義運動)を援助しなければならない」というものであった。これは、民族解放運動を支援するテーゼであって、指導するテーゼではない。その思想性は、トロツキーのそれと同じである。」274-5P←「ところが、これに対して、インドのM・N・ロイは「植民地で得られる超過利潤は、現代資本主義の頼みの綱である。そして、現代資本主義がこの超過利潤という頼みを剥奪されないかぎり、ヨーロッパ労働者階級にとって、資本主義秩序を転覆することは容易でないだろう」と反論した。ここは逆に、植民地革命なしに先進国革命なし、という思想性が提起されている。ロイの「補足テーゼ」から落ちた「植民地の諸民族は、経済的、工業的に立ちおくれているから必ずブルジョア民主主義段階を経過しなければならないという想定は誤りである」というセンテンスは、その後の革命運動の運命を予告しているかのようである。」275P
「レーニンのテーゼが、戦術的に植民地・後進国のブルジョア民主主義運動と一時的に提携したり同盟を結ぶという統一戦線の問題や、民族ブルジョアジーの役割評価をめぐる問題から、かの中国革命やトルコ革命の挫折という致命傷に結びついていくのだが、ロイの反論は一貫して、共産党が植民地革命を独自に組織することで、プロレタリアートのヘゲモニーを貫徹することにあった。」――「マヌイルスキーの「民族・植民地についての報告」とこれらに対するロイの批判と反論の中に、レーニンとロイの思想的相違が浮き彫りにされている。」275P
「本書の、もうひとつの重要な貢献は、中国、朝鮮、日本の共産主義運動を国際的に位置づけたことであろう。とりわけ、日本共産党結成の背景をより広い視野から明らかにしていて興味深い。」276P
「コミンテルンに関するこの二冊の本は、最近の無責任なマルクス主義批判を克服する意味でも、また「第三世界」の生きた動きを捉え、新たな闘いの方向を模索する実践的な指針を手に入れるためにも、大変貴重で基本的な参考文献である。」276-7P
・S・アミン/山崎カヲル訳『階級と民族』新評社 1983
 この本は、ずっと前に読んでいます。忘れることを得意にしているわたしの記憶がはっきりしないのですが、この本から、従属理論や世界システム論の存在を知ったのです。それは、ネグリ/ハートの『<帝国>』に繋がる道だったのです。当時はちゃんとしたメモをのこしていませんでした。
「S・アミンについては、一九六〇年代のいわゆる「従属論争」以来「第三世界」の周辺的視座から世界資本主義システムを確立したマルクス主義経済学者として世界で最も注目を集めており、今更多言を必要としないであろう。/わが国でも、彼の主著『世界的規模での蓄積』、『不均等発展』、『帝国主義と不均等発展』、『価値法則と史的唯物論』、『アラブ民族』など、大部分がすでに邦訳され、各分野に大きなインパクトを与えている。これらの著書でアミンは、A・G・フランクの従属理論を発展的に継承し、A・エマニュエルとの不等価交換論争を通して、世界資本主義の中枢・周辺部構造を壮大なパースペクティヴで捉え、独自の「周辺資本主義論」を打ち出したことは、よく知られている。」277P
「マルクス以来の中枢的視座に立つ西欧中心主義の単線的発展段階論を排し、周辺部の視座からまず社会編制態と生産様式を峻別しつつ、次のような複合的発展段階論を提示している。/・・・・・・」278P・・・複合的発展論の始まりは、マルクスのアジア的生産様式論であり、そのことを押さえる必要。レーニン――ロイ論争の飛び越しの問題も出ていない。
「しかし、本書では、一八〇〇年の「普遍的歴史」の誕生以来、中枢部資本制社会編制態の成立から現代まで、従来、個別的に論じられてきた民族問題の歴史を広い歴史的視野で俯瞰し、多元的かつ総合的に捉えており、一九世紀末以来の「民族問題論争」の世界的な位置づけがよく理解できるようになっている。この問題をアミンは、資本制中枢諸国の不均等発展とその後の帝国主義システム中枢・周辺構造の中で立体的に明らかにしており、本書の最大の価値は、まさにこの点にあるといえるであろう。」278-9P
 アミンの「民族」規定「歴史のあらゆる段階に現れる社会的現象」「共通な言語の使用によって強化され、その文化的表現によって確認される地理的に緊密な関係をもつといった基本的諸条件が重合しているだけでなく、国家的な中央機関を管理し、その共同体の生活における経済的統一性を保証する一階級が社会構成体の中に存在している時に現れる。」「民族現象は逆行もしうる過程である」279P(・・・これまでの民族規定論争を踏まえているとは思えません)「ここでは社会主義と民族の関係は、まだ依然として曖昧なままに残されている。」279P
「ソ連社会の本性についても「民族主義がソ連社会の基本的絆である」として「社会主義ではなく国家的生産様式」を基盤にした新しい官僚=テクノクラートによる新しい階級社会としただけで、その先については言及していない。」280P
「その点で評者は、アミンの理論を絶対的・体系化することではなく、例えば、アメリカの社会学・歴史学者E・ウォーラスティンが構築しつつある「世界システム論」との対比の上で相対化していくべきではないかと思う。いずれにしても、本書は、世界史認識の新たな転機転換を迫る問題提起の書であり、マルクス主義の再検討にとっても必読文献の一つである。」280P・・・その後、世界システム論から、ネグリ/ハートの『<帝国>』が出てきている。
・L・バッソ/伊藤成彦・他訳『ローザ・ルクセンブルク論集』河出書房新社 1984
「ローザ・ルクセンブルクの思想は、現代において果たして蘇るだろうか?」281P「本書は、こうした問いを前提にして、一九七三年にイタリアで開かれたルクセンブルクに関する国際会議の報告記録をまとめたものである。」281P
「報告者は、マルクスとエンゲルスの西欧中心の世界史像から、植民地領有を「進歩」と見なした歴史的な限界を鋭く指摘した上で、彼女が提起した資本主義と「非資本主義的社会環境」との関係を、現代の帝国主義的支配構造に関する総体的な見解の萌芽として評価している。」281P
「だが、その後の問題状況は、マルクス主義を、その祖マルクスの思想まで遡及して再検討しなければならないことを示している。」282P
「結論をいえば、本書は、ルクセンブルク思想の重要性を単に再確認したに過ぎない、だから、彼女本来の繊細な重層的な思想構造そのものに迫っていない。だが、これこそ、無用の体系化を拒否し革命的な大衆闘争の真っただ中でのみ生き、革命の死と共に死ぬという思想の特質ではなかろうか。」283P
「彼女の思想の再検討が同時に今日、社会主義体制のあり方をも、また帝国主義世界で重症の「議会主義的クレチン病(ママ)」にかかっている社会主義運動も不可避に対象化しよう。自己の存在基盤そのものを見つめ直すこの視点なしに、彼女の思想的蘇生はありえないであろう。」283P
・高梨純夫『民族問題とレーニン――民族自決権批判』BOC出版 1987
「一九八七年はロシア革命の七〇周年にあたる。すでに栄光ある輝きを失ってしまった感のあるこの革命を、今いかなる角度から捉え直すべきなのか。ロシア革命は、歴史の凡庸な一つのエピソードに過ぎなかったのだろうか。/まさに、この時期にロシア革命の再検討を、レーニンの民族理論の展開に即して試みたのが本書である。」284P
「著者の問題意識は、「あとがき」の「人類の解放の思想として登場したマルクス主義が僅々一五〇年を経る中で抑圧の思想に転化しつつあるとすれば――それはなぜか」という問いに明確に表現されている。」284P
「内容は、全体で六章からなり、・・・・・・問題点を究明している。」285P・・・各章の紹介
「ブルジョア民主主義的な権利の一つとして提示されたレーニンの民族自決権の思想は、・・・・・・」285P・・・レーニンは「ブルジョア民主主義的な権利の一つ」として自決権を突き出したのなら、ローザは社会主義的インターナショナリズムの中で「民族自治」を突き出した。そもそも前提が違って話がかみ合わなかった。結局ロシア革命は、社会主義を看板に掲げつつ、ブルジョア民主主義としての民族問題でしかなく、当然「民族自決権」は、社会主義の定立の失敗とともに破綻することになった?
「そして、レーニンの理論展開に大きな制約をもたらしたのは帝国主義認識の遅れであったと主張している。この他、前半では民族運動を階級闘争に従属させながらも、「政治的自決」と「経済的自立」とを区別するというレーニン民族論の二元的性格から生まれる矛盾、民族文化への認識不足などを鋭く分析している。」285P
「「レーニン・ロイ論争」では、植民地革命をめぐって双方に原則的な次元での対立が存在していたことを強調し、レーニンのヨーロッパ中心主義思想のもつ限界について指摘しながらも、この論争を通して「ブルジョア民主主義革命を経過せずして社会主義革命へ至る可能性」を展望する、新しい世界認識を獲得する主要な要因になったとして、高く評価している。」285P――「しかし、革命後の外交政策のなかで、・・・・・・」285-6P――民族問題に関する外交政策の失敗、「ソヴィエト・ポーランド戦争」「英ソ通商協定」「イランのギーラーン革命」「最後のグルジア問題」「カムチャツカ半島をめぐる問題」――著者が書き落としていると評者の指摘「ブレスト・リトフスク講和」――さらに評者も指摘し落としている革命直後の「ウクライナ侵攻」
「彼(レーニン)の「遺書」のなかでは、力点が「分離(独立)の自由」から「民族間の平等」へと移行していることに注目し、「レーニンの民族理論はここに至って、多民族国家内の結合を強調する民族間の平等へ変質していった」と述べている。これはたしかに重要な指摘であろう。なぜならレーニンおいても「革命の擁護」から「革命国家の擁護」へとしだいに重心が移り、社会主義の大義の実現よりも、「労働者の祖国ロシア」を守るという後年の「変質」がすでに萌芽的に準備されていたことを示唆しているからである。」286P・・・レーニンの国家論的とらえ返しの不備
・松岡利通『ローザ・ルクセンブルク――方法・資本主義・戦争』新評論 1988
「・・・・・・かつてローザ・ルクセンブルクが提起した資本主義批判と、その克服の理論を、どのように継承・発展させていくべきか、本書はこのような問題意識に沿ってまとめられた著者のルクセンブルク研究の集大成である。」288P
「内容は、序論、本論、補論の三部構成になっており、序論ではルクセンブルク研究の最新動向が丹念にフォローされている。特に、中国や東ドイツでの再評価が注目される。またユダヤ人としての観点、フェミニズム運動からの視角と、従来見過ごされてきた部分からの視点も重要であろう。」288P
「さて、本論の第T編は、ルクセンブルクの思想と方法について、その展開過程を歴史的に追求したもので、初期のポーランド問題論争における方法から、ドイツ社会民主党内の論争(マルクス・ラサール問題)をくぐり、理論と実践の統一の論理を組み立て、後期方法論を確立するまでのプロセスが明らかにされている。」――「当然ながら、彼女の問題関心は『資本論』との格闘であった。つまり、それを「原点」にして、マルクスを当時の状況の中で批判的に読み直し、マルクスを超えて、マルクス主義を深めていくことであった。徹底した自己批判に基づく歴史主体としてのプロレタリアート批判、非資本主義領域に住むアメリカ・インディアン(ママ)やアフリカ黒人などへのまなざしによって資本主義社会を歴史的に相対化するこの方法は、人民大衆の自発性に基づく「下からの革命」の問題提起、そして後の「ロシア革命論」草稿への理論的前提をなす重要な論点である。著者はここで、彼女の思想と方法における理論的一貫性を確認している。」288P
「第U編は、まさに本書のハイライトをなす部分で、ルクセンブルクの帝国主義論の生成過程の詳細な分析である。」――この後、各著作の流れとつながりを書いています。289P
「『資本蓄積論』も、今日の世界資本主義論や周辺部資本主義論から捉え直していかねばならないであろう。なぜなら、六〇年代末以後、ルクセンブルクの『資本蓄積論』を世界資本主義のトータルな把握として高く評価してきたのは、いわゆる「第三世界」の論者たちであったからである。」290P
・「丸山敬一『マルクス主義と民族自決権』(信山社 一九八九年)に寄せて」
 著者に宛てた手紙形式の書評です。
「ところで、すでに抑圧と虚偽の専制体制でしかない現存社会主義が崩壊しつつあるのですから、それ自体は喜ばしいことだと思いますが、でも、この革命は歴史の流れからみて、社会主義への新たな進展ではなく、むしろ脱社会主義、あるいは資本主義への回帰ともいえるものですね。つまり、マルクス主義の歴史発展の展望からみると「逆の流れ」のようにみえます。」292P・・・そもそも発達史観自体から批判していくこと
「・・・・・・一般的かつ絶対的権利としてこの原理(民族自決権)は提起されたのではなく、歴史的な状況の変化に応じて内容が変わっていることをマルクスやエンゲルス、レーニン、スターリンなどの民族理論から明らかにしたものですね。」293-4P
「民族自決権否定の一般化、ポーランドにのみ適用可能とした民族自治論の矛盾、帝国主義時代の民族戦争の否定など。でも、彼女の帝国主義論の論理の広がりに照らしてどうなのでしょうか。私自身ももう一度違う角度から調べ直す必要があるなという感じをもっています。」294P
「ただ、「プロレタリア・インターナショナリズムはいかに可能か」(補論2)で展開されている点についていえば、民族の自決権とプロレタリアートとの自決権が背景にある歴史的状況を捨象して画然と峻別できるものなのか。多少疑問も感じます。私自身もマルクス主義者と自己規定したことはありませんが、状況とのかかわりや運動や闘争の接点強調するマルクス主義の方法を採用するため、状況に密着し過ぎる傾向があります。今後は、その方法について考え直さねばと思っています。」295P
「つまり民族自決権の現時点における意味が展開されていないように思います。」295P・・・わたし自身にとっては、「障害者運動」の地平の「自己決定権」を巡る議論からもとらえ返すこと
「ロシア革命からすでに七三年、現在のゴルバチョフらの民族政策の理論的な核には何があるのか。私は、現在の民族政策は、レーニンでもなくバウアーでもなく、ましてルクセンブルクでもなく、やはりスターリンの影を引きずった場当たり主義的政策のような気がします。」296P


(追記) 民族問題に関するテーゼ
民族や人種ということ、そして付随する国家や自決権(自己決定)自体がきちんと定義されないまま論争があいまいになっています 。
(民族に関する定義)
民族問題は、国家の共同幻想規定につながること。しかし、幻想と言い切れない部分、それは階級問題とリンクすること、言語・文化の違い、これも共同幻想である宗教の違いなどがあります。それは、国家でも、官僚的・軍事的支配機構ということがあるということに通じています。

民族差別を受ける集団があれば、それが民族。(全障連の「「障害者」とは、「障害者」差別を受ける者である」という規定との共振)

スターリンの民族定義「みんなあてはまる必要」という規定は逆、どれかひとつでもあれば、民族として定立する場合もあり、それは差別ということに照らすこと。

民族概念そのものを(「虚構」として)とらえ返す三つの系譜。@共同幻想概念(吉本隆明共同幻想論、ただし、唯物史観とのリンクが必要)A構築主義――脱構築概念B物象化論(実体主義批判)

(「民族」に関係する概念の定義とそれと民族の関係)
現実的に民族問題が階級問題よりも顕在化的により浮かびあがる場合があり、しかし、民族問題が階級問題として転化していく構図もあります(民族の階級への従属論の誤り)。

民族を幻想や虚構として押さえるか、実体主義的なこととして押さえるかが、自決権論争の背景にあります。そして前者は、差別の構造というところからとらえ返し、どう反差別運動を展開していくのかということが問題になっていきます。

「自治」と「自決権」の違いは、後者が、国家という概念からでてきていて、国家主義的になっているという問題です。それはスターリンの一国社会主義建設の中で、幻想としての「自己決定」になっているということにつながっていきます。カウツキー/レーニン/スターリンの流れの属地主義は、空間的独立――国家主義につながっています。

階級支配があるがゆえに国家はあると言いえます。階級における非対称性のひとつとして、民族概念があるのです。  

民族問題は階級支配との関係で、さまざまな差別との関係も出てきます。

階級における「民族」の非対称性、階級的位階における非対称性のひとつとしての「民族」。すべての被差別事項は、階級の問題に収束していく傾向があります。(「キング牧師」の公民権法制定の後の「これからは貧困の問題」という提言。)

民族自決権は、レーニンの中央主権主義とアンチノミー。

(差別の問題としての民族)
民族の違いがゆえに差別されるのではなく、差別がなければ民族という概念はほぼない、と言いえます。そこに残るのは、言語・文化違い、それはそれとして解決の途は建てられます。

「差別があるから民族がある」というテーゼが建てられます。ユダヤ人差別はかならずしも経済的優位にあるものから劣位にあるものへの差別とはなっていません。歴史的に刻印されたスティグマとしての差別、差別の歴史による民族としての析出。

(民族問題の解決の方向性)
反差別と、反差別の連帯というところから、インターナショナリズム的に民族をとらえる必要。

多言語多民族多様性の「受楽」という意味での民族の継承。金太郎アメ的な同一性ではないのです。(デザインベービーに対するアンチ・ファシズム的な批判に通じること)

「自治」というローザが陥ったアポリアは、障害問題での「自己決定権」を巡る議論から解決の道筋を探ることができます。

民族問題で、階級問題には集約されない一番の問題は、言語の問題。そこにおける言語教育の必要性の問題は、その言語を第一言語にしているひとがいるのかどうかという問題。ただ、第一言語ではなくても、研究の補助は必要。

左翼(社会変革を志向する集団)は、民族問題のみならず、差別の問題をやっかいや問題としてとらえたり、差別=階級支配の道具論に陥り、その裏返しの政治利用や切り捨てに陥ってきた歴史があります。そのことの総括が今問われています。

差別されたくないというところから、個別利害にとらわれた差別する側になりたいということではなく、あらゆる差別をなくしていく、共産主義的反差別の立場に立つこと、それが共産主義的立場、その一歩としての社会主義の内容です。(内糾闘争における戦線の対立の図式の総括の必要)

一つ一つの差別問題をとりあげてくと個別被差別者同士の衝突が起きてくることがあるという問題は、反差別の総体的深化的とらえ返しから解決していくこと。

(ローザの民族問題に関する押さえ)
ローザの民族理論――自治論は、ポーランドの歴史にかなり規定されています。ローザは社会主義社会実現、社会主義(註 そもそも社会主義の規定が必要)への道に向かうかどうか、というところから、(当初のマルクス思想の流れで)進歩史観的に民族問題をとらえてしまいました。大きな国家への統一、資本主義の発展の方向、文化として残るか否か、というところから各民族自治の可能性を立てて、他の民族への抑圧の論理に陥っています。

ローザ・ルクセンブルクが民族自決権、さらに個別差別をとりあげなかった、強調しなかったのは、個別被差別における排外主義的なことを排するため? アンチにとどまる反差別は排外主義に陥る、これをどう止揚するか、ということが問題になっています(これは拒否権の綱領で救済可能?)

ローザの民衆の自然発生性への依拠の論理は、民衆主義とも言えることであり、これはローザの民主主義論であり、そこから、民主主義に対峙する国家主義の、国家なるものを否定しようという志向が生まれています。だから、国民国家の論理で進む民族自決権批判へと進んでいったのです。しかし、これらのことは潜在的にあったということであり、ローザははっきりとこのことを自覚していません。だから中央集権主義や国家権力の奪取からするプロ独論を維持しています。

(レーニンの民族自決権とローザ・ルクセンブルク)
レーニンの民族自決権をローザは、「レーニンの超中央集権主義と矛盾する」と批判していました。そもそもの農民問題での弱さも含めて、食料調達のためのウクライナへの、他民族部隊による侵攻というところで、レーニンの民族自決権は、すでに破綻を露呈していました。そもそも、民族問題の階級闘争への従属論では、民族自決権は虚構になってしまいます。

レーニンの民族自決権はブルジョア民主主義、ローザは社会主義の立場から、自決権を批判しました。それは、同時にレーニンは国家主義的なとらわれから、独立国家の必要性を出してしまいました。それは、国家の死滅へ向かう社会主義の理念に反しています。しかし、ローザも、進歩史観や西欧中心主義へのとらわれから、民族自治の問題で、民族抑圧的な立場にたってしまっています。

(ローザの誤り)・・・補追
民族自治論を立てたのに、それをすべての民族に適用するとたてませんでした。当初のマルクスの「歴史なき民族論」に通じる事です。

ローザも民族問題を階級闘争に従属するものとたて、階級闘争一元論的傾向に陥っています。そのことは、他の被差別事項にもあてはまります――共産主義、社会主義のイメージを描けなかったのです(特に反差別共産主義論として)。

反戦――反暴力の姿勢を、「政治とは権力の行使である」という政治の批判をなしきれませんでした。これも、マルクス的な流れでの国家権力の奪取としてのプロ独論からの脱却ができなかったのです。

マルクスの進歩史観的なとらわれから資本主義の発展図式、第一次産業→第二次産業→第三次産業というとらえ方をし、第一次産業−農業の意義・重要性を押さえ損なっていました。「農民の保守性」の問題も、トロツキーが『ロシア革命史』のなかで展開した、「保守」ということの革命性の問題も届いていません。それ故に、農民の表面的保守性を深化してとらえきれなかったのです。

ローザには組織論と反差別運動論がなかったのです。前者はソヴィエトやレーテやラーダなどの形成をしなかった問題としても現れています。


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2021年02月17日

ローザ・ルクセンブルグ/加藤一夫・川名隆史訳『民族問題と自治』

たわしの読書メモ・・ブログ552

・ローザ・ルクセンブルグ/加藤一夫・川名隆史訳『民族問題と自治』論創社1984

 ローザの学習17冊目です。ローザ自身の著作で、ローザが論争の対象になった民族問題の書。これは再読です。加藤一夫さんの訳者解説で「この論文は、彼女が主導していたポーランド王国・リトアニア社会民主党の理論機関誌『社会民主主義評論』(一九〇八――一九〇九年)に、六回にわたって連載されたもの・・・・・・」318Pとあり、またローザ自身はこれを本にしていないし、後でこれについてコメントすることもなかったようなのです。ローザは反戦というからみで、民族問題を論じていますが、日本語版の選集にも民族問題そのものを論じた文は少ないようです。わたし自身、ずっと、ローザは、いろんな被差別事項を抱えているとされる立場(女性、「障害者」、ユダヤ人、ポーランド人)で、なぜ個別差別の問題を取りあげなかったのかということを、一つの課題としてローザを読み解いているのですが、確かに、レーニンと同様に「差別=階級支配の手段論――道具論」に陥っているということ、そこから来る階級闘争一元論的なことへのとらわれているとも言いえるのですが、それよりも、反戦・インターナショナリズムと、そこからする差別を越えた連帯という志向をもっていた故なのだと言いえます。ローザの「原始的蓄積論」を、「継続的本源的蓄積論」として読み解くなかで、今日的<帝国>的グローバリゼーションとか新自由主義的グローバリゼーションと言われていることをテコとして差別ということが大きな位置をしめ、それに対抗するためにも反差別運動の必要性が問題になってきます。また、社会主義革命主体をプロレタリアートだけでなく、マルチチュードやサヴァルタンということからすなわち「被差別民衆」的な概念で押さえる作業も出てくるなかで、プロレタリアートの問題も、被差別事項で唯一のマジョリティということなのですが(数的にはほぼ同数の「女性」――「男性」関係がありますが)、生産手段の所有からの排除と労働力の価値ということでの序列化――差別というところでプロレタリアートの問題も読み解いていく必要があると思います。わたしはこのことを反差別共産主義論――運動論としてまとめようとしています。

 さて、この本の第一章に当たるところで、そもそも民族自決権論争ということがあり、ローザは民族自決権の批判をしているのですが、レーニンがその批判を反批判しています。それはマルクス――レーニン主義の定式では、レーニン正しく、ローザの民族自決権批判はおかしいとされています。

 さて、この自決権、ローザのレーニン批判は、レーニンが中央集権制を主張していることと矛盾しているのではないかという批判があります。そもそも、この批判は、レーニンが社会民主労働党の綱領として、組織論としての中央集権制として突き出したのですが、それは「国家機構」としての中央集権制にも、当てはめて議論されることで、後者に関しては、ローザの批判は及んでいず、むしろ同じような主張する論攷もあります。レーニンの党の組織問題から「国家機構」に及ぶ中央集権制を、ローザは超中央集権主義として批判しています。確かにそのローザの「矛盾している」という批判はあたっていて、レーニンの自決権はまやかしでしかないのです。だから、レーニン主義を引き継いだとするスターリンが民族問題で、レーニンの生前にさえおかしなことをしていて、レーニンがスターリンを排除しようとして果たせず、遺書を残したことがあります。それも実行されなかったのですが。

 その自決権、わたしは差別の問題を障害問題を軸にして考え、その中における「自己決定権」を巡るごまかしとして指摘する議論に当たりました。「安楽死――尊厳死」の問題、延命処置をするかしないかというところで、「リビングウィル」とか「ACP」とか「人生会議」とかいろんな形でのごまかしの論理で、医療・福祉の切り捨てがなされます。「自己決定」という名目で、死なせることへの取り込まれ、「死へ誘う医療」さえ行われているのです。そのことは、延命処置をしないと希望するひとが8割を占めるという世論調査に端的に表れています。そもそも、この社会の労働崇拝的なイデオロギーで、「仕事や家事ができなくなったら、他者に迷惑をかけないでポックリ死にたい」というような広く行き渡っているイデオロギーが、ひとの命を救うための存在である医者を含めて、死への誘いを招いているのです。

 さて、わたしが手話を勉強しているときに、手話通訳者として活躍しているひとの講演会がありました。手話通訳ということは専門性が必要で、その専門性に特化したひとが多数派なのでしょうが、その講演者は問題を掘り下げた話をしてくれました。「自己決定ということはおかしいのでないか、むしろそれは自治として押さえることではないか」という話です。もうひとつ、「自決権」ということで、「障害者運動」の流れででている議論として押さえておくことは、「わたしたちのことを、わたしたち抜きに決めるな」という突き出しのことです。これは、そうさせないためのシステム作りが必要になってきます。これは一般に言われる「自治」――地方自治という概念ではなく、また障害差別だけでなく、あらゆる被差別の問においても当てはまることで、それは議員選出におけるクォーター制導入とか、また党組織における被差別者集団の拒否権の問題とかで議論されていたことがあります。

 さて、この話を思い出したのは、ローザがまさに「自己決定権」を形而上学的なことして、この本の中でも批判していることがあります(第一章)。そもそも、「自己決定権」のベースにあるのはルソー的な人権論で、これはキリスト教的な文化圏での、「天賦人権論」から来ているのです。サイードが「オリエンタリズム」論で、欧米中心主義のその差別性を批判していることにも通じます。

 さて、実はローザは「自決論」を批判しつつ、この本の最終章で、「自治」という概念を出しています。「自治」を否定しているわけでなく、その「自治」の中味を具体的に展開しています。これは、第六章で展開されています。ですが、「自治」ということでも、中央集権国家や中枢――周辺という概念が存在するところで、解決の途は見いだせません。だからこそ、ローザはインターナショナリズムと社会主義の実現ということに解決を見いだそうとしたのだと言いえます。

 さて、マルクス批判の中で、「マルクスには人権思想がない」という論説が出ています。これはそもそもマルクスの思想が、フランスの啓蒙思想批判として出てきていることを押さええない曲解と言いえることです。このことは、「人権」概念は差別のない社会の物象化といいえることで、人権という概念自体も幻想に過ぎないことというしかありません。勿論、現在の法体系の中で人権という概念が、反差別ということでそれなりの有効性を持っていると言うことの中で、使えるものは使うということを妨げる事ではないのですが。すでに、差別主義者たちが、「人権とは幻想である」ということを突き出してきているわけで、その批判をするためには、人権論に依拠して反批判はできません。人権という概念から出てきている「自己決定」という概念のとらえ返しが必要になります。ただ、被差別者の当事者主体ということがあり、「自己決定」を蔑ろにすることは、抑圧となりかねません。それらのことのとらえ返しも含めて、改めて、反差別論というところからきちんと批判していく必要が出ています。

 さて、もうひとつこの総論的なところで押さえておくことは、この時代のマルクスの流れとして、生産力の発達が、生産様式の変換をもたらすというところで、マルクスが晩年はそのことに疑問ももった単線的発達史観や進歩史観への疑問が現在的に出てきています。ローザも、マルクス学徒として、単純にマルクスをそのまま受けいれたわけではなく、むしろ、マルクス――エンゲルスの批判もなしつつも、マルクスの流れからする発達史観や進歩史観ということへ依拠しています。そのことから産業の進歩ということへの無前提な評価ということも出ているし、特に、農業から工業への産業の移動という事への資本主義的進歩としての受け入れのようなことも書いています。またそこから農業ということへの軽視もでて来ています。それは科学の発達ということへの評価の問題にも出ています。今日、農業ということをサブシステンス概念からとらえ返す作業も起きていることや、公害ということやエコロジー的な観点から、科学ということのとらえ返しの作業も出てきています。そのようなことも含めて、今日的にローザの論攷をとらえ返す必要があります。

 マルクス――エンゲルスの民族問題の論攷は歴史を前に進めるという進歩史観や発達史観の上に立って、「民族紛争」を押さえるという作業をしている感があり、ローザもそのような押さえ方をしているのですが、ローザは反戦ということでの、そして時代的な流れの中で出てくる帝国主義間戦争批判で「民族紛争」を押さえています。戦争で、どちらの国を支持するかという観点で論じていません。ローザの論争を一歩進めると、今日的には国家主義批判としての民主主義――民衆主義ということが出てくるのではと思えます。このあたりは、そもそもマルクスの思想形成において、アナーキズム各派との論争があり、そこから、国家主義批判に至り着かなかったとも言いえるかもしれません。このあたり、後に読む予定のグラムシの読み込みの中で整理してみたいと思っています。

 さて、最初に目次を出しておきます。

第一章 諸国民の自決権

第二章 国民国家とプロレタリアート

第三章 連邦制、中央集権制、地方分立制

第四章 中央集権制と自治

第五章 民族と自治

第六章 ポーランド王国の自治

 訳注

 訳者解説 ローザ・ルクセンブルクの民族理論 加藤一夫

 あとがき


 ここで、各章ごとにコメントをしつつ、切り抜きメモを、わたしの問題意識に沿って、になってしまい、かなりまだら模様になってしまうのですが、極めて簡単に残します。(<編集後追記>また、増えてしまいました。)

第一章 諸国民の自決権

この文は、レーニンが民族自決権というところで、批判した文です。なぜ、「民族」ではなく、「諸国民」という言葉を使ったのかを考えます。そもそも「民族」は被差別の中での共同幻想としてあるのではないかというイメージが出てきます。そもそも、「国家」もマルクスが『ド・イデ』の中で、共同幻想規定しているのですが。ローザが実際にどこまで、それらのことを意識化していたかは分からないのですが、そのようなところへ展開していく可能性を考えさせる論攷になっています。

T 

「ロシア帝国における革命は、とりわけ民族問題を討議の場に引き出した。これまでこの問題はヨーロッパ諸国家のなかでは、オーストリア・ハンガリーでのみ差し迫った問題であった。だが、今やロシアでも現実的な問題となった。」2P

 ロシア社会民主労働党における民族問題に関する綱領の条項3P

 一八九六年のロンドンの国際社会主義労働者大会の決議8P

「(ロンドン大会の)決議の前半部で定式化されている諸国民の自決権という原則は、国際社会主義の原則と目的を実現する過程で初めて、また窮極目標が達成された後になって(?)初めて実現されうるということが明確に強調されている。」9P

「だが、民族の抑圧に抗議し、それと闘うという義務は、プロレタリアートの階級政党にとって、決して特別な「諸国民の権利」などから引き出されるものではない。・・・・・・一言でいうならば、社会主義の原則的な立場そのものから引き出されるものである。・・・・・・いかなる形態の民族抑圧をも打破しなければいけないという義務は、・・・・・・一言でいえば、「諸国民の自決権」という公式は、結局のところ、民族問題における政治的かつ綱領的な指針ではなく、ある種の問題の回避でしかない。」11-2P・・・人権論から発生する「権利」ではなく、「義務」という概念からとらえ返す。

U

「あらゆる国、あらゆる時に一律に適用できるような「諸国民の権利」などというものは、「人権」とか「市民権」といった類いの形而上学的な空文句以外の何ものでもない。」12P・・・マルクスの流れはフランス啓蒙主義の「人権論」批判を押さえていて、そもそも「人権」概念は、差別のない関係性の物象化、共同幻想に過ぎない。「形而上学」という概念を「共同幻想」や「物象化」という概念からとらえかえす。

「さらに、史的唯物論は、これらの「永遠の」真理だとか権利だとか公式とかの本当の内容をそのつど決定するのは、常に、ある所与の状況、所与の歴史的時代の物質的な社会的関係に他ならない、ということをわれわれに教えている。」12P

「一八四八年の革命期に、マルクスとエンゲルスがチェコとポーランドの国民的要求にまさに正反対の立場をとったことは、この点(「自決権」を支持するかどうか)についてのもうひとつの例を提供している。・・・・・・マルクスによれば、チェコは死滅しつつあり、かつまもなく死滅する運命にある民族であったから、・・・・・・/マルクスが、この革命期の民族問題を、一切の感傷的態度とも無縁な冷徹な現実主義で考察したことは、まさに彼のポーランドとチェコの問題の扱い方に示されている。」17P――「今日の事態は、六〇年前にチェコ民族の滅亡を予言したマルクスが、今やその生命力によって、オーストリアがますます窮地に陥っていることからみて、どれほど誤っていたか――また反対に、マルクスが当時始まっていたポーランドの内的発展によって没落へと運命づけられていたポーランド民族主義の国際的な意義を過大に評価したことで、どれほど誤っていたかを明らかにしている。だが、この歴史的な誤謬は、マルクスの方法そのものの価値を少しも減じるものではない。・・・・・・・しかし、まさにマルクスやエンゲルスが、かつて、チェコ人やポーランド人の民族運動について、またトルコや南スラヴ人の問題でとっていた立場こそ、これらの科学的社会主義の創始者たちが、あらゆる民族問題をひとつのモデルを使用したり、あらかじめ用意されたひとつの決まり文句にしたがって解決することなど、全然考えもしなかったことを示しており、また彼等がヨーロッパの発展の具体的な物質的諸問題の方が重要だと見なしていたから、諸国民の形而上学的な「権利」などにまったく心をまどわされることがなかったということを示している。」20-1P・・・教条主義的受け売りではない、ローザのマルクスのとらえ返し。形而上学批判と唯物史観的なとらえ返し。

「最後に、近代の社会主義政策の創始者たちによって、民族問題がどのように取り扱われたかを示すもっとはっきりした例として、すでに純粋に歴史的なものになっていて、現実の政治の様相や情熱などにはまったく影響されない評価、すなわち一四世紀のエルヴェシア人の解放運動に対する彼らの評価をとりあげてみよう。」21P――「彼ら(マルクスとエンゲルス)は、この二つの場合に、当然マジャール人よりもエルヴェシア人に多く味方するはずの「諸国民の自決権」の公式を用いて自分の立場を決めたのではなく、もっぱら、歴史的・政治的視点から運動を現実的に分析することによって立場を決めたのである。」23P・・・その中身としての「歴史的進歩の要因」23P――マルクスのイギリスのインド支配を、「文明化」と押さえたことへのサイードの批判――社会主義への定式というところを越えて、反差別というところから社会主義概念をとらえ返す必要→これに関しては、ローザが「V」の冒頭でコメントを書いています。

V

「ところで、このような立場をとっているマルクスとエンゲルスは、外見的には、党派エゴイズムあるいは階級エゴイズムに忠誠を誓い、かつすべての国民を西欧民主主義の要請と展望の犠牲に供したように見えるかも知れないが、実際は決してそうではなかった。/もちろん社会主義者が、現実に今、抑圧されているすべての国民に対して普遍的かつ全世界的に自由のための大赦を呼びかけるならば、それはひどく高潔な響きをもち、それ以上に若い「インテリゲンチャ」の賑やかな空想に、自由とか平等とか、またその類いの幸せを手に入れる権利を、机上で気前よく与えたがる性癖は、まさに社会主義運動の幼年期のものであり、せいぜいのところ無政府主義の空虚な大言壮語を特徴づけるものでしかない。/近代労働者階級の社会主義、すなわち社会的科学主義は、社会問題や民族問題の解決方法について、できるだけ急進的で高邁な響きをもった方がいいなどとは考えておらず、何よりもまず、これらの課題の現実主義的な諸条件を分析するのである。」24P・・・少なくとも、ローザはサイード的な批判を押さえていなかったわけではないのですが、ただし、その原則主義ではアナーギズム批判の論理に陥り、現実的に解決の途にはならないとして退けています。ここで、ローザはレーニン的現実主義批判をしつつ、それでも現実主義の立場をとっています。

「すべての民族問題を、資本主義のもとで、全ての民族、人種、種族に「自決」の可能性をもたらしたり、保証したりすることによって解決しようとする希望も、同様にまったくのユートピアである。」27P・・・ここでは、原則主義に陥っています。原則主義と現実主義の弁証法から検証の必要。このことは、ローザも批判しつつ、反差別論というところから原則主義に立ち返るということになっていくのではないでしょうか? それがアナーキズム的に見えるとしても、アナーキズムではない途になるのではと考えています。

「われわれはかなり以前から、南スラヴ人に関するマルクスの見解には与しなくなってしまったが、歴史的発展、とりわけ、現代の資本主義的発展が、あらゆる民族に自立した存在をもたらすのではなく、むしろその逆の方向に進んでいるという一般的事実は『新ライン新聞』の時代とまったく同じように、今日でもはっきりと認められている。」29P・・・しかし、この後、時代的に大きな「民族独立運動」が起きています。ただし、独立しても従属関係が変わりはないという意味では、この論攷の正当性はあります。

「資本主義発展の擁護者で、自己の経済的・政治的自立の維持に不可欠な物質的・精神的な手段を保持しているいくつかのきわめて強大な国民とならんで、弱小な国民が「自決」し、自立した存在を維持することなど、幻想であるし、今後ますますそうなるであろう。」33P

「だから、一見例外でしかないように見えるものでも、より注意深く分析してみると、結局は、近代の資本主義発展は、すべての民族の実際の独立とは決して一致することができないという結論を確認することになる。」38P

「すなわち、現存の制度のもとで、この「権利」の実現を望むことは、社会民主党がその存在の基盤おいている資本主義的発展の傾向に、まさに真向から対立するユートピアだということである。なぜなら、現存のあらゆる国家をすべて民族単位に分割し、それらを大小の国民国家の形に裁断することは、まったく見込みのない、歴史的にみて反動的な企てだからである。」39P

W

「「諸国民の自決権」について語る時、われわれは、「国民」という概念を、ひとつの全体として、統一的な社会的・政治的単位として使用している。だが、「国民」についてそのような概念は、まさにブルジョア・イデオロギーの範疇のひとつであって、マルクス主義の理論は、これを徹底的に再検討して、「市民的自由」だとか、「法の前の平等」などの概念と同様に、薄いヴェールをまとったなかに、いつでもまったく特定の歴史的内容が潜んでいることを明らかにしたのである。/階級社会には、社会的・政治的統一的な全体としての「国民」などは存在せず、反対に、おのおのの国民のなかに、敵対的な利害と「諸権利」を持った諸階級が存在している。」40P・・・「国民」概念を(――そこから「国家」概念も当然)問い直す志向のあるローザ

「社会科学と哲学の領域でも、ブルジョア的な諸学派とプロレタリアートの立場を代表する学派は、互いにはっきりと対立していて、有産階級とその世界観は、観念論、形而上学、神秘主義、折衷主義を代表し、近代プロレタリアートは、自分の学説――弁証法的唯物論――をもっている。」40-1P

「このように形造られている社会の中では、集約された統一的な意思とか、「国民」の自決など問題になりえない。われわれは、近代社会の歴史の中に、「国民」運動とか「国民的利益」のための闘争を見るが、通常それらは、ある程度まで他の階層の人々の利益を代表しえたブルジョアジーの支配層の階級運動であり、しかも、それは、彼らが「国民的利益」という形で、歴史的発展の進歩的な形態を擁護する限りにおいて、また、労働する階級がまだ、このブルジョアジーによって指導されている「国民」大衆から、自立的な意識をもつ政治的な階級へと分離していない限りにおいてなされたことである。」41P

「一言でいえば、社会は、その経済生活とその生産の諸条件について意識的に決定できるようになって初めて、自身の国民生活に関して事実上自由に決定できるようになるのである。人間社会が、その社会過程を統御するようになった時、「諸国民」も自身の歴史的な存在を統御するのである。」44P・・・過渡の問題をどうするのかということも立てる必要があります。

「結社、集会、言論、出版などの権利とは、ブルジョア社会の、法的に形造られた成熟した存在形態である。これに対して、「諸国民の自決権」は、ブルジョア社会においてはまったく実現不可能なものであって、社会主義体制という基盤の上でのみ実現可能な理念を形而上学的に定式化したものにすぎない。/しかし、今日の実践においては、社会主義は、あらゆる神秘的で「高貴な」「美しい」要求の貯水池などではなく、まったく特定の諸条件の、すなわち近代プロレタリアートの、ブルジョアジーの支配に対する階級闘争の政治的な表現であり、また今日の生産形態を廃棄する目的でプロレタリア階級の独裁を導入しようとする要求の政治的表現なのである。これこそが、プロレタリアートの党である社会主義政党にとって主要な指針的な課題であり、それが社会生活の個々の問題のすべてに対して、党のとる立場を決定するのである。」44-5P

「「国民」が自決の「権利」をもつべきだとしてみよう。だが、「国民」とはいったい誰なのか。誰が「国民」とその意思を代弁できるのか。・・・・・・」46P

「したがって、「国民意思」とか国民の多数者とかいうのは、社会民主党にとっては、その前にひざまずくような崇拝の対象などではまったくなく、反対に、社会民主党の歴史的使命とは、何よりも、「国民」、つまりその勤労人民の多数者の意思を作りあげ革命化することにある。だがブルジョア社会のなかで、国民の多数、したがって勤労する諸階級も含めて、その多数が示している意識の伝統的形態は、通常は、社会主義の理想や要求に敵対するブルジョア的な意識形態である。」48P

X

「ここから、以下のようなかなり奇妙な結論が引き出される。つまり、ロシア社会民主労働党はポーランド問題の解決をポーランド「国民」に委ねるが、ポーランド社会主義者はそうしてはならず、全力をあげてプロレタリアートの利益と意思にもとづいてこの問題を解決するように努力しなければならない、という結論である。」53P・・・レーニンの被差別側の民族自決権として押さえる必要があるとの論理を押さえる必要。

「(ロシア社会民主党は)次の二つのどちらかをとることになるであろう。まずひとつは、ロシア社会民主党にとっては、「諸国民の自決権」が、事の本質からして、民族問題に関する当該の民族のプロレタリアートの決定、すなわち、当該の民族の社会民主党の民族綱領と一致していなければならないという態度である。だが、この場合には、ロシアの党綱領のなかの「諸国民の権利」という公式は、階級的な立場を言い換えて人をけむに巻くものでしかない。もうひとつは、ロシア・プロレタリアートが、それにふさわしく、実際にロシアによって抑圧されている民族の国民的多数派の意思のみを――たとえその党外の「諸国民」のプロレタリアートが、自身の階級綱領を持ち、その多数派の意思に反対しているとしても――ひたすらに承認し、尊重しなければならないという態度である。だが、この場合、それは奇妙な政治的二元主義となり、帝国全体の労働者の立場と、それを構成する個々の民族の党との間の確執という形で、「国民的な」立場と階級的な立場との不一致をすっかりさらけ出してしまうことになるであろう。」55-6P

「他方、このような立場は、科学的社会主義の創始者たちが、民族問題を考察するに際して唯一の指針と見なしたプロレタリアートの階級利害と社会の革命的発展の擁護という、社会民主党の本来の使命と衝突することになる。」59-60P

「そして、このプロレタリアートの階級闘争の利益こそ、全体党においても、その構成部分である諸党においても、党の立場を統一し、一貫したものにしうる唯一の観点なのである。」60P・・・これでは、民族問題は、反差別運動は、階級闘争の従属論になってしまいます。階級と民族の対立の図式。

第二章 国民国家とプロレタリアート

 この章は、階級闘争と「国民国家」というところでの民族概念との関係を論じている章です。

T この問題での総論

「(カウツキーの言葉の引用)「全ヨーロッパで、近代国家の成立に伴って」登場した(カウツキーの言葉の引用)「近代的な国民理念の根源」をなす三つの要因とは(カウツキーの 言葉の引用)「まず、自らの商品生産のために国内の販売市場を確保しようとするブルジョアジーの願望、次いで、政治的自由と民主主義への願望、最後に、国民文学と国民教育の一般人民層への普及」である」66-7P

「だがここでは、政治生活の一現象、いわゆる国民国家形成の衝動の一現象としての国民運動が問題なのであるから、この運動がブルジョア時代と結びついていることに関しては、疑問の余地はない。」67P

「一八三〇――四〇年代に、「国民的再生」の基礎を、逆にブルジョア的発展の諸要素、つまり工業や商業、それに「国内市場」の理論に求めたのである。一八三〇――四〇年代に、ドイツでかくも強力な政治、学問、哲学、文学の思潮を生み出したこの愛国主義運動の物質的基礎となったのは、とりわけ数十もの封建的小国家に細分され、関税や租税の障壁で切り刻まれていたドイツ領域を、大機械工業生産のための充分に幅広い基礎とすべく、一つの大きな統合的な資本主義的「祖国」にまとめ上げる要請であった。」68P

「しかし、近代のブルジョア的な「国民理念」の本質は、まさに、どの国のブルジョアジーもが、何よりもまず「自国民」、「自分の祖国」を商品販売の場として、生まれながらにしてブルジョアジーに奉仕すべく運命づけられ、そのような使命を持った、あたかもマーキュリー神に指定された一人占めできる世襲財産のようなものだと考えている点にある。」69P・・・ブルジョア的理念としての「国民国家」

「カウツキーの定式を文字通りに、すなわち、近代の国民運動の物質的基盤とは、大雑把に言って、「自国の」商品販売に対する産業ブルジョアジーの欲望に他ならないという意味でとらえるならば、それは誤りであろう。資本主義ブルジョアジーは、この販売市場以外に、それと密接に関連するのだが、次のような多くの条件をも必要とする。それは、この「祖国」が不可侵であるための保障としての、また全世界の市場に道をひらくための武器としての強力な軍国主義、さらに、一定の適切な対外関税政策、適切な形態の行政、交通、司法、教育、および適切な財政政策である。一言でいえば、資本主義は、その然るべき発展のためには販売市場ばかりではなく、近代資本主義国家の装置のすべてを必要としている。」69P・・・ここで挙げていることを、六章で自治の要件として、その中身を論じています。

「以上のすべてのことから、ブルジョアジーの階級的利害に合致した国民的要求の特殊な形態とは、国家的独立であるという結論が引き出される。」70P

「ブルジョア的愛国主義は、様々な民族の利害の一致ではなく、その対立に依存するが、その奇妙な両刃的性格は、近代のブルジョア的国民運動の歴史的基層を成しているのがブルジョアジーの階級支配の欲求に他ならず、この欲求が現われる特殊な社会形態こそこそ近代資本主義国家であり、それは、ある特定の民族のブルジョアジーの、国家の[民族的に――訳者注]雑多な住民の全体に対する専横的な支配という意味でまさに「国民的」なのだということを考慮して初めて理解されるのである。・・・・・・このように、国家的な独立とか統一といったものが、ブルジョアジーの国民運動の本来の軸をなしているのである。/この問題はプロレタリアートの利害の観点から見るとまったく異なった様相を呈している。・・・・・・」72P

「ブルジョアジーの歴史的・階級的使命、課題とは、近代的な「国民」国家の創出であり、これに対し、プロレタリアートの歴史的任務は、社会主義制度を導入するために、プロレタリアート自らが意識ある階級として生を享けた資本主義の政治形態であるこの国家を廃絶することである。」73-4P・・・ローザは「国家の廃絶」ということを明確に突き出しています。

「だから、このような側面から見ると、異民族に対する支配と征服の装置としての「国民」国家は、ブルジョアジーにとって必要不可欠でこそあれ、プロレタリアートの階級利害にとっては何の意味もない。/それゆえ、カウツキーが挙げたあの「近代的な国民理念の三つの根源」のうち、階級としてのプロレタリアートにとって原則的に重要なのは、次の二つ、つまり民主主義の諸制度と普通教育だけである。」75P

「さらに、方法の点からしても、前述の推論には、他にもう一つの歴史的な誤解が含まれている。独立した国民国家がいずれにせよ民族としての存在と発展にとっての「最良の」保障だとする推論は、国民国家の概念をまったく抽象的な範疇としての取り扱うことを意味している。もっぱら民族という視点から観察され、また、もっぱら自由と独立の保証・権化とされる国民国家とはすなわち、一九世紀前半のドイツ、イタリア、ハンガリーなど中部ヨーロッパ全体の、とっくに腐敗しきった市民的イデオロギーから引っ張り出した使い古しのボロ雑巾、ブルジョアジー自由主義の腐った宝箱から取り出した空文句である。」76P・・・「抽象的」――むしろ、共同幻想としての「国家」・「民族」

「つまり、近代国家の内容と本質を成しているのは、「民族」の自由でも独立でもなく、単にブルジョアジーの階級支配、関税政策、間接税、軍国主義、戦争、征服にすぎない。国民国家のこの凶暴な歴史的実体を薄いイデオロギーのヴェールで、すなわち「民族の自由と独立」というスローガンのまったく否定的なおめでたさで隠蔽することが、ブルジョア・イデオロギーのもっともな、当時としては実入りの多い階級的な傾向であった。だが、まさにそれゆえに、この瞞着の歴史的・社会的基盤を心に溜めさえすれば、それがプロレタリアートの可能な、またあるべき階級的立場と真向から対立していることがたちどころに理解されるであろう。/他の多くの場合と同様に、ここでも、見かけはブルジョア自由主義に敵対している無政府主義が、実際にはその実子であることを曝露している。」77P・・・無政府主義すべてが敵対しているのでしょうか?

「・・・・・・「国民国家」は、今日では、非民族的な征服国家と同じく、ブルジョアジーの階級支配の道具であり、その形態なのである。そして、そのようなものとして「国民国家」は、まさに征服、戦争、抑圧に向かう傾向、つまり「非民族的なもの」になる傾向を持っている。・・・・・・ブルジョア的発展の要請が「国民国家」をも決定し、無政府主義者に崇拝され、理想化された共和国の形をとった「国民意思」が、征服の有能な道具として資本主義の利害に貢献したのである。」79P

「ここで、われわれの興味をひくのは、すでに独立した「国民」国家となっているこれらの諸国のその後の政治史、「国民的自由」と「人民の意思」という無政府主義な空辞の色鮮やかな実例としてのその歴史である。」79-80P

「このように、ブルジョアジーの階級利害と資本主義の要請という観点からすると、民族問題は、ブルジョア階級にとっては、事の性質上、政治的独立という形態、すなわち国民国家の形態をとるようになる。なぜなら、それがまさに支配と征服の誂え向きの道具だからである。そしてそれだけに、民族問題の文化的な側面と民主主義的な側面が、したがってまた、国民生活のこれらの側面の自由な発展を保証するような政治形態が、労働者階級の利害と原則的に一致することになる。つまり、攻撃的な民族政策という手段を使わず、純粋に防衛的な方法で、歴史的に一つのブルジョア国家に結合された様々な民族が友愛的な共同生活を送れるように国民生活の発展を保障するような政治形態である。諸民族の市民的同権と民族的・文化的発展を保障する政治制度、これこそ、一般的な形をとったプロレタリアートの自然の階級綱領であり、それはブルジョア民主主義とは異なり、プロレタリアートの階級的立場から生ずるものである。」82P

U ポーランド問題

「わがポーランドの国民理念は、ブルジョアジーの階級理念であったことは一度もなく、もっぱらシュラフタのそれであった。」82P

「有機的労働」83P・・・註(10)304P

「ポーランド民族主義は、伝統によって聖化された出来合いのポーランドの社会反動の型式となり、国民理念は、シュラフタ、ブルジョア層、小ブルジョア層などのブルジョア諸階級の陣営全体の反動的欲求を満たす共通のイデオロギー的な旗印となった。ここでも、歴史の弁証法は、「諸国民の権利」などという抽象の砂漠で思惑に耽る政治家たちの紋切り型の硬直した精神よりは、はるかに才気煥発で、柔軟で、多様性にも適用しうるものだということが明らかになった。」87P

第三章 連邦制、中央集権制、地方分立制

 これは後に出てくる「自治」の概念の中味として、連邦制、中央集権制、地方分立制(今日的な概念としては地方自治)を巡る論攷です。

T 連邦制

 冒頭リード文「続いて、民族問題を解決するももう一つの形態である連邦制を考察しなければならない。」94P

U 中央集権制

 冒頭リード文「あらゆる国の資本主義発展の顕著な傾向となっているのは、誰の眼にも明らかなように、内政、経済および資本主義の中央集権化、つまり、経済、立法、行政、司法、軍事などの面で、国家領域をひとつの全体に集中、結合する傾向である。」97P

「絶対主義が、近代の国家中央集権主義の最初の主要な推進者であったという歴史的事情の結果、中央集権主義を一般に絶対主義と、したがって反動と同一視する悲壮な傾向が生じた。絶対主義は、実際には中世末期に封建的分散性や地方分立主義と闘っており、その限りでは、疑いもなく歴史的進歩の表明であった。」98P・・・そもそも「マルクス的な」とされる進歩史観のとらえ返しの必要。絶対主義の歴史の中でのとらえ返しの必要。

「一言でいえば、社会生活のあらゆる分野で、出来るだけ強力に中央集権化するというのが、資本主義の顕著や方向となっている。」99-100P・・・地方の保守性の時代から、逆に現在的な農業の破壊からする革新性の芽や地産地消の革新性のとらえ方、進歩史観批判との同じ根

「それゆえ、資本主義発展の正嫡子(ママ、そもそも?)である近代社会主義運動も、ブルジョア社会やブルジョア国家と同じく、顕著な中央集権化傾向を内包している。したがって、社会民主党は、どこの国でも、地方分立主義にも連邦主義にも断乎反対するのである。」101P

V 地方分立制

 各国の地方分立制――スイス102-4P、アメリカ合衆国104-6P、オーストリア106-115P、ノルウェー115-6P

「連邦主義や政治的分離主義は、実際は民族的欲求の表現でなかったばかりか、まさにその単なる否定、公然たる放棄であった。」110P

W 全ロシア連邦主義者グループ会議に集まった各民族と「会議」の内実

冒頭リード文「連邦制の理念は、すでに六〇年も前に、バクーニンやその他の無政府主義者が、民族問題の解決法として、また一般に国際関係における政治秩序の「理想」として掲げていた。この理念が、今、ロシアの一連の社会主義グループにかくまわれている。この理念と、その今日のプロレタリアートの階級闘争への関わりを如実に示しているのが、最近、革命の最中に開かれた全ロシア連邦主義者グループ会議である。この会議での議論は、詳細な議事録として出版された。/とりわけ興味深いのは、これらのグループの政治的相貌と、その主張する「社会主義」が特異なことである。会議には、グルジア人、アルメニア人、白ロシア人、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人の連邦主義者が参加した。」116P――グルジア人116-8P、アルメニア人118-9P、白ロシア人119P、ユダヤ人120-1P、「ポーランド社会党「革命」派とロシア革命党という二つの組織がまだ残っているが、これらの党は、その素姓や性格からして十分に知れ渡っており、敢えてここで言及するまでもないであろう。」120P、「連邦主義者会議」の内実120-4P「ここではっきりと証明されているのは、あらゆる民族を和解させるという連邦主義の理念など空辞にすぎないこと、そして、これらの雑多な民族主義グループが何ら歴史的な基礎にもとづいていないという、まさにそのような理由から、それら諸グループの間には、利害対立を解消するための基礎を生み出し、根本からこれらの諸グループを一致させる理念など何ら存在しないということである。」122P

「その本質と歴史的内容からして反動的な連邦主義の理念は、今では、帝国全体のプロレタリアートの団結した革命的な階級闘争への反動をなす小ブルジョア的民族主義の疑似革命的な後盾となっている。」124P

第四章 中央集権制と自治

 そもそもローザの民族問題への論考は、中央集権制と民族自決権は矛盾すると立てていて、自治の概念を出して、中央集権制と自治の関係をここで展開しているのです。

T ブルジョア国家の中の地方自治

冒頭リード文「資本主義の全般的な中央集権化傾向にもとづき、それと同時に、ブルジョア社会の客観的発展そのものとその要請から、ブルジョア国家の中に地方自治が生まれてくる。/ブルジョア経済は、国家の全域にわたって、立法、司法、行政、教育制度などが、また可能ならば国際関係さえもが出来るだけ画一化されることを必要とする。だが、このブルジョア経済は、これらの国際機能の行使にあたっては、画一性ばかりでなく精密性や効率性をも必要とする。こうして、近代国家の中央集権主義は、必然的に官僚制と結びつくのである。・・・・・・そうではあるが、他方、中央集権的官僚主義は、このブルジョア経済の側から見ると、重大な欠陥も持っている。販売条件も、また生産条件さえも、無数の社会的影響によって、絶えず、動揺や変化を引き起す。資本主義的な生産と交換の特徴は、それが社会的影響と結びついた不断の変化に対し、最高度の感受性、柔軟性、即応力を持つばかりか、それ自身が変化する能力さえ持つことに示されている。それゆえ、ブルジョア経済は、それが公的機能によって運営される際には、もともと融通のきかない紋切り型の中央集権的官僚主義ではどうにもならないような繊細さと適応力とを必要としている。すでに、ここから、近代国家の中央集権主義の矯正として、住民代表に委ねられる立法と並んで、地域自治が、自然の傾向として、中央集権主義と共にブルジョア社会に生まれてくる。この地域自治は、その地域の多様性な諸条件を考慮し、また、社会が公的な機能に直接影響を及ぼしたり、参加したりすることで、国家装置が様々な社会的要請により良く対処しうる可能性を与える。」128-9P

「・・・・・・資本主義経済は、大量工場生産が支配的になって以来、早急に満たす必要のある、まったく新たな一連の社会的要請を生み出した。とりわけ、大資本と賃労働制の出現によって、伝統的な社会構造全体が動揺し破壊され、プロレタリアートの増大と切り離せない大量失業と大衆貧困という、未曾有の疫病を生み出した。資本の要請である予備労働力の確保のためにも、公共の安寧のためにも、生活手段も働く術も完全に奪われているプロレタリア大衆を、逃げないように縛りつけておく目的で面倒を見ることが、社会にとってどうしても必要なこととなった。こうして、資本主義生産にもとづく社会的機能として、近代的な公共の福祉が発生する。」130P・・・経済的なことが政治の必要性を生み出す。

「この国家の領域の分化と、新しい社会的中心地の形成とが、新たな社会的要請から生み出される近代的な地域自治の枠組を用意した。地域自治や自治体の自治は、特殊なこれらの社会的有機体の要請に対処するのに不可欠なものであって、また、経済的に農村と都市の対抗に依存する資本主義が、一方では近代的な都市を、他方では農村を、このような有機体に作り変えたのである。」132-3P

「このような近代的自治はすべて、決して国家中央集権主義の廃止ではなく、それへの補足にすぎない。そして、この両者が結びついて初めて、ブルジョア国家を余すところなく特徴づけることになる。」132P

「近代のブルジョア的制度から生じる地域自治は、中世の過去から受け継がれた連邦主義や地方分立主義と何も共通なものがないばかりか、まさにそれらに敵対さえしている。中世的な地方分立主義や連邦主義が、国家の政治的機能の分散を意味していたのに対して、現代の自治は、機能を地方的な要請にも対応させること、また住民がそれに参加することを意味しているだけである。したがって、バクーニンの理想である地方分立主義や共同体(「コミューン」のルビ)連合主義が、大国の領域を大なり小なり独立した小領域へと分割する傾向を持つのに対して、今日の自治は、中央集権化された大国の民主化の型式にすぎない。現代の主要国で、古い地方分立主義の墓の上に、それとはっきり敵対して発生した近代的自治の歴史が、このことを最も明瞭に示している。」132P

U 各国の情況

 フランス133-145P、イギリス146-154P、ドイツとオーストリア154-5P、ロシア155-7P、ポーランドとリトアニア157-8P

(イギリス)「これとまったく異なった道をたどったのが、イギリスの自治の歴史である。ここに見られるのは、中世から近代社会への革命的な転換ではなく、反対に、封建的遺物を救い、今日に至るまでそれを保存させた、すでに早期に交わされた妥協である。古い型式を破壊するのではなく、それに少しずつ新しい内容を盛りこむことで、ブルジョア的イギリスは中世的イギリスの中に自らの場を切りひらいてきた。そしておそらく、地域自治の領域ほど、この過程が典型的で興味深い領域はないであろう。月並みな言い方だが、一見して明らかなように、イギリスは、最古の地方自治を持つ国、いやむしろ自治の発祥地であり、古典的な祖国であったから、大陸の自由主義もその要求の模範をイギリスに求めたのだった。」146P

「したがって、もしイギリスの大昔の自治(selfgovernment)を一種の「自治」と見做すことが出来るとすれば、それは州の公的権力を手中に収めた土地貴族の無制限の自治の制度という意味でのみそう言えるのである。/この中世的な行政制度が初めて土台を掘り崩されたのは、エリザベスの時代であった。それは、農村の所有諸関係を動揺させ、イギリスに資本主義時代の幕開けを告げた、あの革命の時代にあたっている。貴族が大規模に農民から土地を強制的に収用したこと、牧羊が農業を駆逐したこと、教会財産が世俗化され、続いて貴族が私物化したこと、それらの結果、突然、巨大な農村プロレタリアートが出現し、続いて、貧乏人、乞食、追剥が現われるに至る。資本の最初の勝利は社会全体の基盤を揺り動かし、イギリスは、大衆貧困という新たな恐怖に直面せねばならなかった。そこで開始されたのが、浮浪者、乞食、泥棒に対する撲滅運動で、これは、血で汚れた一筋の糸のように一九世紀半ばまで続く。だが、牢屋も焼き印も、また絞首台さえ、この新たな疫病にはまったく効き目のない薬であることが判明したため、イギリスには、即決裁判とともに、「公共の福祉活動」が始まり、辻の絞首台のそばに、教区の「救貧院」が作られることになる。」147-8P・・・本源的蓄積と公共的福祉の始まり

「この税の徴収と管理、および扶助組織や救貧組織のために、教区公務の新たな組織が生まれた。さらに、勃興しつつある資本主義経済の要請から生じるもうひとつの重要な公的義務として、道路監督という職務が、まもなくそれに加えられた。以後、この組織は、首席の牧師の他に、教区から選出される二名の教会監督官、治安判事の任命する福祉監督官(overseers of the poor)、同じく治安判事の任命する一名の道路監督官(surveyor of highways)から成っていた。見ての通り、これは、旧来の自治(selfgovernment)の装置を近代の要請に適応させただけのものであった。」148-9P

「トーリー党の政治的特権を打破した一八三二年の選挙制改革は、同時に、近代的意味でのイギリスの自治が始まった日付ともなった。それは、地域行政への住民参加と、中央当局の支配と統制のもとで住民の意志を遂行する役割をもつ有給で責任のある官吏とにもとづく自治であった。国家を州と教区に分ける中世のやり方は、中世的な治安判事職や教区議会と同様、今や新たな編成を示している住民や、地域的な要請と利害にはほとんど対応しなかった。だが、フランスの革命的自由主義が、国土から古くさい州を一掃して、新行政区分を持つ統一的フランスを打ち建てたのに対し、イギリスの保守的な自由主義は、古い区分を形式的にも廃棄せず、その内部に、それと並んで、それと交錯して、新たな行政網を漸進的に作り上げたにすぎなかった。イギリスの自治の特徴は、伝統的な自治(selfgovernment)の枠組があまりに不適格であって最後まで使い尽くすことが出来なかったので、新しい種類の基礎、すなわち、自治の基本的問題をそれぞれ個別に解決するための住民による特別の地域団体を創設したことである。」151P

「イギリスでは、後の整序され近代化された諸関係の時代に「人手」(hands)という要を得た表現が労働者と同義となったように、一九世紀半ばまでは、「貧民」(the poor)が公式に労働者と同義であった。」153P

V カウツキーの自治の問題に関する引用と自治の概念の煮詰め

「この論証を貫く基本思想、つまり、近代の国家中央集権主義を行政のそれと立法のそれに分けること、そして前者を否定し、後者を無条件に承認すること、これらはかなり形式主義的な、あまり顕密でない問題把握であるように思われる。地域自治――州、都市、自治体の自治――は、決して、行政の中央集権主義を廃止はしない。全体としての国家の統治が、スイスのような民主的な国家でさえ、たえず自身の権能を拡大しようとする中央権力の手に留まるのに対し、地域自治は、厳密に地方的な問題のみを担当するのである。」161P 「とにかく、地域の代表機関と行政機関との絶えざる争いの軸になっているのは、被選出機関の立法の権能を絶えず拡大し、被任命機関の行政の機能を絶えず制限しようとする民主的な努力なのである。」163P

「したがって、立法の機能を行政の機能から形式的に区別することよりも、むしろ、資本主義経済やブルジョア的大国家の核を成す社会生活の一定の領域を地域的利害の範囲から区別することによってこそ、国家中央集権制の分野を地方自治の分野から、また同時に、近代的自治を封建的、あるいは小ブルジョア的な地方分立主義から切り離すことが出来るのだとするのがわれわれの見解である。」」164P

「だが、あらゆる資本主義国で、近代的な地域自治が生長してくるのとまさに同じ土台から、特定の諸条件のもとで、内部立法を伴う民族自治が生長してくる。これは、近代の社会発展の自発的表明として現出するのであり、今日の都市会議がハンザ同盟の議会とはまったくの別物であるとの同様に、これも、中世の地方分立主義と何ら共通するものを持たないのである。」164P 

第五章 民族と自治

T 資本主義における民族と階級と文化

冒頭リード文「資本主義は、社会的存在やその形態を、物質的基礎から頂点の精神的な思考形態に至るまで作り変える。」168P

「国内自治は、帝国全体の政治的自由の一部分であり、一言でいえば、ポーランドのブルジョア支配の最も成熟した政治形態なのである。/まさにこういう理由から、自治は、ポーランドのプロレタリア階級にとっても欠くことのできない要求となる。ブルジョアジーの支配が成熟した形をとればとるほど、またそれがあらゆる社会的機能に、そして多肢にわたる精神生活の諸領域へと確実に浸透すればするほど、プロレタリアートの階級闘争はますます戦域を拡大し、その攻撃目標をましていく。また、ブルジョア社会が順調に効率よく進展すればするほど、プロレタリアートの階級意識や政治的成熟度、それに階級的団結も、ますます力強く確実に進んでいく。」176P

「ポーランドのプロレタリアートは、階級闘争のために精神文化のすべての条件を必要とする。また、とりわけ基本的に諸民族の連帯を頼みとし、それを追求するポーランドのプロレタリアートの利害は、民族的抑圧の廃棄と社会的発展を通じて生み出されるこの抑圧から身を守るための保証を必要とする。・・・・・・つまり資本主義発展の進歩的傾向、およびプロレタリアートの階級利害から、この綱領の細目として国内自治は生まれてくるのである。」176P

U 民族の自治

「民族主義の理論家は、通常、民族を一般に社会発展の外にある生まれたままの不変の現象として、また保守的で、いかなる歴史的運命にも抗う現象として理解する。こうした見解に従い、ブルジョア民族主義は、民族の生命力や力の主な源泉を近代的な歴史構成体であるブルジョア的で都市的な文化の中にではなく、もっぱら農村住民の伝統的な生活様式の中に見出している。」177P

「すなわち、それ自身の産業、それ自身の大都市生活、それ自身の「民族」ブルジョアジー、それ自身のインテリゲンチャを持つ固有のブルジョア的な発展がひとたび発生すると――例えばチェコで起こったように――いかに、それが、抵抗力のある民族政治、および、それと関連する活発な政治生活のための基礎となりうるか、ということの例になっているのである。」180P

「これに対し、自治の概念を、このユートピア的・イデオロギー的な基礎から歴史的な基盤に移し、それを、一定の環境のもとにおける資本主義経済に特有の必然的帰結として、また、ブルジョア社会と、その民主的発展の要請とから生ずる一定の社会的機能――物質的かつ精神的な機能――を充足させる形式としてとらえるならば、近代の立憲国家のもとでの国内自治の機能は、その国家の政治的発展の総体、および近代のブルジョア生活の諸形態と離れがたく結びつくことになる。」182P、

他民族から押さえる作業をしています。ユダヤ人184-5P、リトアニア185-191P

「したがって、一般的に言って、ここでは、民族間の関係は、同時に社会階級の関係となっている。」192P・・・逆に、階級の問題が民族的なこととして現れる側面。

「このように、リトアニアをポーランド王国の自治領域に接合したり、あるいは、リトアニアとルーシ地方を、ポーランド人が優位に立つのは避けられないような、ひとつの自治地域に区分したりするのは、民族的な観点からしても、社会民主党にとっては、徹底的に駆逐しなければならない構想なのである。それに、このような形のリトアニアの民族自治の構想は、当該の諸民族間の数的かつ社会的な諸関係からしてユートピア的なものであって、たいていは破産するであろう。」192-3P・・・ここは、ローザが「歴史なき民族」論に陥っているとして批判されているところ。

V カフカスの混在する民族問題

「したがって、ある民族の他の残りの民族に対する支配などなく、あらゆる民族に文化的に生きる自由を保障する民主的な精神、また、カフカスの人種的境界など斟酌しない近代的発展の真の社会的な要請の精神にのっとったカフカスの民族問題の唯一の解決法とは、リトアニアの場合と同様、広汎な地方自治の適用、すなわち、特定の民族の性格を持たない、いかなる民族にも特権を与えない、農村、都市、郡、県の自治を適用することである。このような自治のみが、種々の民族が結集して、その地域の経済的・社会的利害を共同で解決することを可能にし、また他方、各郡、各自治体で諸民族間の多様な関係を自然な仕方で考量することを可能にするのである。」198P

「つまり、一定の最小限以上の人口を持つ少数民族は、その基準に従って、自治体、郡、県に、民族語に依る学校の設置を義務づけるための基礎となり、また、その言語を、地域の公共機関、行政、司法などで、当該の土地で優勢な民族の言語や国家語と併存させるための基礎となるのである。もし、資本主義体制の枠内で、またこういう歴史的諸条件のもとでも、入り組んだ民族問題の解決が一般に可能だとすれば、地方自治の一般原則を特別の立法手段に組み合わせたこのような解決法こそ、各民族の文化的発展の利害や各民族の同権を彼らの密な共存状態の中で満足させるための保障を与えるものであって、彼らを民族自治という障壁で互いに隔絶させることでは、この保障は得られないのである。」199P

W フォルツナートフの構想

「明らかに著者(フォルツナートフ)は、この図表(各国・各地域における各民族の分布の図表)を作成する際、歴史的なものを考えようとしておらず、経済的諸関係、つまり、近代的発展や自然条件によって形成される生産と通商の領域もまつたく無視してかかっている。この種の平板な見方は、敢えて言うまでもないが、マルクスの「教義」である唯物論的世界観に心魂を傾ける人々が政治的に結集するのを妨げるくらいのものだろう。」203P

「フォルツナートフの構想は、根本的には民族性原理の単なる否定であるが、それだけに、無政府主義的な方法の結末を示す興味深い見本となっている。すなわち、こういう客観的な社会発展をまったく無視した民族主義の無政府主義的な方法は、横柄に浮世をのさばり歩いた後に、結局、「直してやろう」と思い立った、まさにその醜悪な現実の歴史と瓜二つの結果、すなわち、「民族の権利」とか民族の平等とかを次から次へと犯す結末を迎えてしまうのである。自由主義や無政府主義のイデオロギーの浸みこんだ民族の「権利」の蹂躙が、それ自体の内面的意義と――最も重要なことだが――革命的弁証法を持つ歴史の発展過程の結果なのだということと、社会的に融合したものを夢中でひきはがしたり、社会的に接合しないものを無理矢理接合したりする革命的民族主義の下手くそな小細工が、結局のところ、もっぱら、政治的な悪ふざけに浮かれた何の意味もない衒学ぶりゆえに、自ら信奉していた民族の「権利」の蹂躙に進んでしまうこととの間には、大きな違いがある。」206P

第六章 ポーランド王国の自治

 ここでは、ポーランドの自治ということで、自治の具体的中身について論じています。これを読んでいくと、ローザは自治そのものを否定しているのではなく、関係の中での自治は、「自決権」という概念にはならないということを論証し、社会主義革命の必要性を論じているのだということが明らかになってきます。

T 総論

 冒頭リード文「これまでに考察した例から次のことが明らかになる。すなわち、民族の自治は、唯一の、そしてすべての民族集団に適用される政治形態でもないし、また社会主義であれば、どんな条件のもとででも目指すであろう純粋に自由な理想でもない、ということである。リトアニアの例が証明しているように、ある場合には、自治の適用が自由と民主主義に反する結果に行きつくこともあり得るのである。住民の民族構成が雑多であるのに、この存在形態を国家組織の基盤として普遍的に適用しようとする考えがいかに幻想的であるかは、将来の自由なロシアにおける自治制度に関するあの「社会革命党」の構想が証明している。・・・・・・近代的発展が、ある与えられた領域の経済的利益を、ある程度まで独自にまとめあげることもなく、また、その民族の独自のブルジョア文化の形成に導くこともないところでは、あるいはまた、様々な民族が地域的・社会的に融合しているために各民族を地域的に区切ることができないようなところでは、それはまったく不可能である。・・・・・・この様な場合には――被抑圧民族の不利益のためにではなく、まさにその民族を守るために――市民的同権と特別な全国家的な言語の権利とを広汎な地域自治に結合することが、ブルジョア社会の諸関係がおよそこのような条件のもとでも諸民族の対立を軽減し緩和させうるとする限りでは、唯一の解決策なのである。」210-1P

「まさにこのような点から、自治は、ポーランドの革命的プロレタリアートの綱領的な要求となる。もちろん、意識あるわが国のプロレタリアートは、このスローガンを表明しつつもわが国のブルジョア諸政党とは反対の見方でそれを表明しているのである。ポーランドの有産階級にとって国内自治とは、何よりも、階級支配のすぐれた道具として願ってもない目標なのである。使い古しの愛国主義的な空辞には、革命期のプロレタリアートの行動に憤激した大地主、工場主、親方、僧侶、それに彼らのイデオロギー的追従者たちが、都市や農村で闘っている労働者と素直に「民族的」で「親密な」話し合いをしたいという露骨な願望が、ただもう稚拙に隠蔽されているにすぎない。」211P

「・・・・・・すでに今日の社会の諸条件のもとでの自治の客観的な内容は、それがとりわけ階級支配の道具以外の何ものでもなく、また何ものでもありえないようにせしめているのである。・・・・・・ヨーロッパ大陸での最初の近代的な憲法で身を飾った「自由・平等・友愛」という崇高な三つのスローガンが、プロレタリアートにとっては――マルクスの言葉によると――「歩兵・騎兵・砲兵」という何の変哲もないものに転化したのと同じである。」212P・・・階級支配の道具論とフランス啓蒙思想批判

「だが、科学的社会主義の冷徹な分析によって、自己を前衛として意識しているわが国のプロレタリアートにとっては、自治の本来の内容についてのどんな幻想も、そのどんな民族主義的理想化も無縁なものでなければならないとすれば、プロレタリアートは、同時に、ブルジョア的発展への無政府主義的な幻滅や無関心とも無縁でなければならない。・・・・・・ただ、それら(「社会民主党は、どの国でも、すべての「ブルジョア的」自由や民主的な制度を最も精力的に主張している」こと)が、この搾取と階級性を持つ形態をより成熟させ進歩したものにし、プロレタリアートを闘争へと啓蒙し組織化するのを容易にし、必然的な勝利を促進するからである。」212-3P・・・進歩史観へのとりこまれ。民主主義の主張は必ずしも「ブルジョア的民主主義」ではないはず。そのあたりのとりちがえが、アナーキズム批判と進歩史観がリンクしているのでは? 次の切り抜きとのリンク

「ここから、プロレタリアートの階級政党にとって、自治とは、何よりも、ロシア全体の民主的な制度を部分的に適用したものとして、全国家的な諸条件の革命的大改革とはほとんど離れがたく結びついているひとつの細目だということになる。国内自治の要求は、社会民主党の綱領のなかでは、帝国全体における共和制の要求と切り離すことはできない。なぜなら、ポーランド王国の自治は、革命が最終的に勝利し、絶対主義的な秩序の全体が崩壊した時にのみ実現可能となるばかりでなく、それとの関連でのみ、自ら国内で社会的発展と進歩の道具となることができるからである。」214-5P・・・道具論と進歩史観とのリンク、反差別論からのとらえ返し

「国家全体の憲法制定会議による国家全体の共和主義的・民主主義的体制の確立を要求しつつ、社会民主党は、この政治体制の原則を細部に至るまで発展させ、完全なものにする立法、したがって、市民の人格的不可侵と法の前の平等、さらに集会、結社、言論と出版、自治体(「グミナ」のルビ)と地方の自治に関する立法をも、国家の全領域の人民代表制もとにおくよう一貫して要求するのである。」216P

「次に、現代の議会立法の確固たる内容を構成している政治生活の現実的な問題を見ると、ただちに、社会民主党のこの原則的な立場から、資本主義経済と今日の階級国家の生きた基盤を成している経済的・政治的な諸問題が中央立法のもとに置かれねばならない、という結論がでてくる。その問題とは、関税・通商政策、近代的な交通・通信手段(鉄道、郵便、電話)、軍制、税制、民法と刑事・訴訟法、および公教育の一般的な基礎である。それではこれらの問題をそれぞれ順に検討することにしよう」216-7P

U 自治の具体的中身――課題

これの内容は、Tの最後のセンテンスにだいたい書かれています。ただし、現実に書かれているのは6つの項目、@関税・通称障壁217-221PA近代的な交通・通信手段221-230PB軍制問題230-4PC国家財政の問題234-240PD公教育240-7PE民法と刑事・訴訟法247-252P

Aの切り抜き「・・・・・・雇用者とは資本主義国家そのもの・・・・・・」229P・・・現在的には、新自由主義的グローバリゼーションの中で、民営化という形で進んでいる

Dの切り抜き「公教育とその方向は、今日の社会では、国政の最も重要な柱のひとつであり、階級支配の最も重要な属性のひとつとなっている。他方、公教育は、ブルジョア社会では、国民文化的な生活の主要領域のひとつでもある。プロレタリアートの階級闘争の代表者としての社会民主党の利害は、この二つの視角からこの問題を調整することを要求している。」240-1P「民族的な特性を考慮に入れても、これと同じ結論となる。民族的平等の利益、自らの社会的条件が国内自治をなすのに十分な基礎となっていない民族の文化的利益の防衛、そして、帝国全域で少数民族の利益の区分のない防衛、これらは言語問題での、またとりわけ教育制度問題での普遍的原則的な調整を必要としている。・・・・・・それゆえ、王国の公教育の問題を帝国全体のそれから完全に切り離すことなど実行不可能であるし、ましてそれは、文化領域における民族的平等を守る闘いが、本来、帝国のプロレタリアート階級全体の統一した圧力の対象でなければならないという、もうひとつの最も重要な観点を無視している。」241P

V 具体的課題@労働者保護立法

 冒頭リード文「労働者保護立法は、プロレタリアート自身にとってばかりではなく、一般に社会の自己保存的利害にとってもぜひ必要なものとして、資本主義経済の基礎の上に生まれる。それは、資本主義の略奪的な経済の破壊的作用のもとにある勤労大衆を、肉体的かつ精神的頽廃から守るための不可欠の保障であり、またプロレタリアートを物質的かつ精神的に再生させ、彼らに階級闘争への能力を発揮させるために必要な槓杆である。・・・・・・だが、この移民と、その結果であるプロレタリアートの間の国際競争は、その時代に達成しうる最高の生活水準を維持し広めていくために、次のことを不可欠なものにしている。すなわち、例えば、労働時間が法的に規制されておらず、いかなる国家保障もない国の労働者が、すでに組合闘争によって九時間労働日や疾病、労災事故などに対する法的な保障を手に入れている国に流入して、その国の労働条件を低下させたりすることのないように、保護立法をすべての資本主義国で均一なものにしようとすることである。最後に、国際的な保護立法によって保証された、あらゆる国のプロレタリアートの出来るだけ均一で、また出来るだけ高い生活水準は、国際的な道でのみ可能になる可能になる社会主義の実現というプロレタリアートの闘争の最終目標の観点からしても不可欠である。」253-4P・・・グローバリゼーションの時代の今日的な労働力の流入を見越したような提言

W 具体的課題A公教育

 冒頭リード文「国内自治の日常の自然の領域を成す分野にすすもうとするならば、まず最初に公教育の全体を考えなければならない。資本主義社会の進歩的な発展の立場からしても、またプロレタリアートの階級的立場からしても必要不可欠である近代的な教育の一般原則を持ち出すまでもなく、公教育の創出、発達、育成といったすべての課題は、当然、国内自治の機能に属しているが、それは次のような二つの決定的な理由によってである。すなわち、第一に、あらゆる文化国家の長年にわたる経験は、ブルジョア社会が不可欠なものとして要請する公教育が、利害関係のある住民の最も積極的な関与のもとで、上から下まで完全に自治的な機関によって行われる以外には、然るべき形で組織されることはできないのだということを証明している。例えば、鉄道のような近代的交通手段の建設が国家の中心から広大な地域へと普及していくのに適しているのに対し、公教育の課題は、当該の社会集団の活発で不断の参加なしには、どうしようもない問題である。第二に、公教育は、民族生活を織りなす横糸、つまり、それぞれの民族の独自の言語や精神文化と解き難く結びついている。したがって、公教育が、当該のそれぞれの民族の積極的な関与にしには創出されないことは明白である。」261-2P

「これがわが国における教育の百年以上にわたる独特な歴史の最終的な結果である。ポーランドの農民に経済的貧困とともに精神的貧困――完全な無知蒙昧――もたらしてきた僧侶とシュラフタの中世的な支配の下から、ポーランドは、絶対主義官僚の厚顔無知な支配の下に入った。・・・・・・その制度の内容とは、すなわち、絶対主義の特殊な財政制度によってもたらされた物質手段の欠如、絶対主義官僚制の全般的な精神的愚鈍(ママ)と徹底的な反啓蒙主義、国内自治、都市自治、農村自治といったあらゆる自治制度の欠如、そして最後に何よりもましてツァーリズムのロシア化傾向である。/このように、公教育の分野、特に初等教育の分野には、とりわけ、帝国の国家機構における全般的な民主主義的変革の上に作られる国内自治が解決すべき大きな焦眉の課題がある。わが国では、自治的な立法と権力は、公教育に関しては――ツァーリーの役人の漫画的な産物が除去された後には――まったくの白紙状態(「タブララサ」のルビ)のもとに置かれるだろう。そして、その上に初めて、土台から先端に至るまで――広汎な人民大衆の直接の参加のもとで――公教育の全体系が建設されなければならない。国内議会は、帝国全体の憲法と立法が確定するはずの、帝国全体に効力を持つ初頭教育の普遍的な原則にもとづいて、民主的で同時に民族的な公教育のあらゆる機関を創出しなければならないだろう。すなわち、普通教育や社会の要請に合致する専門教育の初等、中等、高等の各学校だけでなく、絶対主義の政治によって完全に無視されてき精神文化のすべての機関、つまり、図書館や公共読書室、研究施設や実験施設、研究活動への援助機関、美術学校や美術館などを作り出さなければならない。」283-5P

X 具体的課題B農業、林業、鉱業、水陸交通、医療と公共衛生――文化

ページ数を挙げておくと@農業285-290P、A林業290-1P、B鉱業291-2P、C水陸交通292-4P、D医療と公共衛生――文化294P

@ の冒頭リード文「公教育に続いて、自治議会の機能に属する対象となるはずのものは、

農業問題における調整立法である。帝国全体の所有関係の根本的な改革は、勝利した革命のみが行なえることであって、この場合の対象ではない。国内自治の権限を確定するに際して考慮しなければならないのは、社会生活の継続している日常的な利害である。農業経営の領域では、当然、それは工業生産と比べて一般的にかなり異なっている。」285-6P

「どこの国でも、工業生産は迅速に資本主義的な特徴を身につけ、市場競争によってそれをさらに拡大しながら、生産関係の平均化と、それに続いて出来るだけ広い範囲にわたる経済的な利害の統合と集中を目指している。これに対して農業は、一般に、生産と所有の伝統的な形態を保持し、それによって地方的独自性を広く保存しようとする、はるかに大きな保守性を示している。」286P

「この点で決定的なのは、農業が、食料を生産する抽出生産であり、一方では工業生産のもたらす道具の生産に依存し、また同時に自然条件とも結びついているという事情である。そして、農業のためのこの自然条件の改造――潅漑、沼沢の干拓、化学肥料、水力と電力の利用、そして交通・通信――も工業技術とその進歩に依存している。ここから、工業生産が社会経済の自立的で専門化した一部門として分離した時から、一般に農業生産を特徴づけている受動性と緩慢な発展速度が理解される。また、その時以来、経済的な進歩のあらゆるイニシアティヴがこの工業生産の側から生まれ、さらに、社会的な諸関係における変革がもたらされ、その結果として初めて変革が農業にも波及する。・・・・・・さらに一部では――こういう言い方が許されるとすれば――農業の工業化という直接的な形態をとりつつある。次に、農業生産が現在の世界市場で圧倒的な影響力と意義とを行使しているのに対し、この市場は逆に、これまで農業生産そのものの構造や運命には、それが工業生産の運命に対して作用するのとは比較にならないほど弱い作用しかしていないということを、確認しておかねばならない。世界市場における競争や変革が、個々の国の工業部門を形成したり、破滅させたり、迅速に再建したりして、結局は自らの影響力で最も厚い関税境界の壁を突破するのに対し、農業経営は、少なくともこれまでヨーロッパ諸国では、全体的に見てはるかに強力に世界交易や世界の穀物生産からの影響に対抗しえた。この証明となるのは、例えば、消費者的な性格のドイツや生産者的な性格のロシアという穀物交易に強く依存している二つの国では、ドイツには巨大な、ロシアにもかなり強力な資本主義的工業発展があるにもかかわらず、プロイセンの東エルベの諸関係とか、二〇世紀の革命が始まってやっと解体が終わるロシアの「農村共同体(「オプシチナ」のルビ)」のようなかなりの中世的遺物が保存されているという事実である。この二つの場合とも、明らかに国家が反動的な遺物の保存に強力に寄与したのであるが、この国家という政治的要因の果す役割については、部分的に、農業の生産諸関係そのもののなかで説明される。農業生産のこの相対的な持続性と外面的な不動性は、もちろん、農業においては、日常だれもが必要とし、ほとんど変わることもなく、代用品で置き代えることもできない最も必要不可欠な食料物質が生産されているという事情と関連している。つまり、資料品、家財道具、労働用具、装飾品が文化的な発達に応じて、その形態、素材、普及度に関してかなりの変化をこうむったし、今もそうであるのに対し、消費の基礎としての穀物や肉などの役割については、何千年もの間、何の変化もないままなのである。」286-7P・・・ローザは農業の軽視に陥っているという批判がなされています。むしろ負の変化ということも含めて、多くの変化が農業にこそもたらされているのでは? その軽視という意味も込めて(必要性ということは押さえていても、資本主義的生産制の発達というところに引きずられていて)、ローザも陥っている発達史観は(そのことは、後期マルクスがとらえ返そうとしていたオプシチナを、反動とか中世の遺物ととらえていることに端的に表れています)、ひとの生きるということの最も基本的な農業の軽視ということから来ていて、科学の環境破壊ということをもたらしたことへの批判とともに、サブシステンスという概念とともに現在的なとらえ返しが必要になっています。

A の冒頭リード文「農業と最も密接な関係にあるのは林業であるが、これもまた自治立法

と自治行政による調整を必要としている。」290P

B の冒頭リード文「農業や林業ととともに、当然鉱業も国内の自治権力の権限に属さね

ばならない・・・・・・」291P

「ただ、できるだけ広い意味での技術的・社会的な進歩と発展の傾向を助成することが問題なのである。」292P・・・発達史観的とらえ方

C の冒頭リード文「さらに、工業発展や農業の利害にとっても、また文化的発展全般の点

からも決定的な意味を持つのが水陸交通の問題である。この分野は、その性格からして地域的な問題に属しており、どこの国でもとりわけ広汎な自治機関の側からの保護とイニシアティヴを必要としている。だが、これまで、わが国でも、帝国全体でも、民主的な地方自治の欠如と巨大な全体主義的官僚装置による統治の全体的な性格の必然的な結果として、無視され、破滅の渕に沈み込んでいる。」292P

D の全文「これまで述べてきた諸領域に、公共衛生の立法と、病院やあらゆる種類の医療

機関を包括する公共衛生の領域を付け加えると、自治立法や自治行政の然るべき活動領域として、本来の文化、つまり経済的、社会的、精神的な文化の広汎で多様な分野が出そろうことになる。この文化は、その本質からして、どこでも最も地域的かつ民族的な性格を有し、全住民の日常的な利害に最も直接的に関わっている。この物質的かつ精神的な文化の広汎な利害を、できる限り、革命的な社会発展の立場で、また勤労者人民大衆の立場で処理することが、わが国の自治機構の本来の任務であり、ポーランド王国の労働者階級は、それと連帯した帝国全体のプロレタリアートの階級政党とともに、意識的にこれを掲げねばならない。」294P・・・中央集権化と資本主義的化が発達史感――進歩史観とリンクしていて、それへの批判がないのです。今日的に、環境問題や医療・衛生ということが大きな焦点になってきていて(ローザも「最も直接的に関わっている」と書いていますが)、そのことのとらえ返しが必要になります。

 訳注

 訳者解説 ローザ・ルクセンブルクの民族理論 加藤一夫

 この論攷はリードの文を除き、次に読む予定の加藤さんの本に収められています。そこでメモを残します。とても参考になる文。

 あとがき


(追記)

A 「ろう文化宣言」と(ローザ的な)民族問題把握

「ろう文化宣言」は、手話を音声言語とは別のろう者の言語とするなかで、民族問題からろう者の受ける差別を問題にしたのですが、そこで、内在的に孕んでいる「ろう者の国作り」や自治やコミュニティづくりの問題が出てきます。日本では「ろう者の国作り」の議論は起きていないのですが、「ろう者の国作り」に関しては、グローバリゼーションの時代に自治を獲得しても、下位――従属的関係に組み込まれる、というところでその方法の実現不利性――困難性の指摘があります。このことは、ローザが社会主義というところの必要性を強調して、分離的なナショナリズムを批判したいたことにもつながります。で、わたしは個別課題をそこへ集約しようとするローザの主張を障害概念での議論からもとらえ返ししようとしているのですが、むかし、ある手話通訳者(前述の通訳者とは別のひとです)が、「国際障害者年」の中で突き出されている「完全参加と平等」というスローガンに疑問を呈していたこととわたしの中でリンクしていました。「言葉が逆になっている、平等のないところに完全参加はない」という話です。わたしも「平等」のない参加は同化という抑圧型の差別を招くと押さえています。「ろう文化宣言」も、同化ということを批判しています。でも、そこで分離志向のデフナショナリズム的なことが出てくることも、わたしは批判しています。ただし、「手話は言語であり、情報・コミュニケーション保障はきちんとなさねばならない」という原則の貫徹を主張しています。このあたりのことで、「自己決定」や「自治」という議論が交叉していきます。

B 民族概念のとらえ返し

そもそも民族概念自体のとらえ返しの必要性。民族とは@言語を核とした文化A宗教B人種概念、を変数とする函数的概念。民族や自治概念で、特に必要になるのは、言語と文化の問題。宗教は「自然の不可解性」の物神化。人種は、格差や奴隷制や植民地支配の歴史や経済的収奪の中で起きてくる差別のマルクス的「物象化」概念からとらえ返すことが必要です。

C 社会主義革命と革命のための組織化としての反差別運動

 個別差別を解決するには、社会主義革命が必要であるということと、社会主義革命のためには、その民衆が生きて生活していく必要があり、また革命の組織化のためには個別運動が必要になるという、相作論的な弁証法がそこにあると言いえるでしょう。そのような内容を孕んだ民族自決権とその批判(弁証法では、「批判」は「対話」という原義からきているとされています)が必要です。結局、原則主義と現実主義の対話の中で、方針をだしていくしかないこと。



posted by たわし at 14:48| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月17日

TBS報道特集

たわしの映像鑑賞メモ047
・TBS報道特集20.1.9 17:30-19:00
特番で、コロナ対策に成功している国の一つの台湾のことを報道していました。コロナ対策が巧く行ったのは、政治に肝心なこととしての徹底した情報公開による政府と民衆との信頼関係ということでした。現場の指揮にあたっている陳時中・衛生福利部長(衛生福利相)が毎日質問がなくなるまで記者会見に応じ、自らの責任感において、時には涙しながら答える、というような映像を流していました。この感染症対策で、マスクを売っているお店情報でITを有効に使っているのですが、そのシステムを作ったIT担当大臣はトランスジェンダーのオードリー・タンさんで、これも民主主義の肝要なひとつの「多様性を尊重する」ことらからきていて、蔡英文女性総統の下でなしとげたこと。それらが、台湾の「ひまわり運動」の流れからきているのではないかというような話も出ていました。
 コロナ感染が起きたときに、日本は真逆な政治が進んできていました。安倍政権は、現首相になった菅官房長官と共に、内閣人事局による官僚支配による忖度政治を進めながら、特定秘密保護法、戦争法(安全保障関連法)を強行採決し、共謀罪まで作りました。
 そして、感染症対策も、経済とオリンピックのことに固執し、感染症対策の医療的なことを基礎にして押さえ込まないと、経済も破綻するという、イロハも分からない政治を進め、判断を誤り、感染の波がだんだん大きくなるという事態になっています。菅首相は「一年間で学んだ」と言っていますが、学んだどころではなく、そもそも感染症対策の基礎も未だ押さえていないことが露呈したのです。早期対策、最初に大きな網をかけるということと、真逆の後手・後手の追加対策いうことを繰り返しているのです。
 そして、もつと恐ろしいことは、きっと周りから、「シブ顔の官房長官」から首相になったときに「もっと笑顔を」と助言されたのでしょうか? 感染が広まる最中のインターネット番組で、「ガースーです」と冗談を飛ばしたり、報道ステーションに質問し、「今後感染が広まったときにどうしますか?」と質問された際に、ごまかしの決まり文句の「仮定の質問には答えられません」(註1)と、したり顔の笑顔で答えを返したりするのを見ると、失政の責任からする反省など微塵もなく、自分の失敗で被害を与えることに涙する台湾の担当相とは真逆の、そもそも人間としてのまっとうな感性さえ持ちえていないのだと思わざるをえません。そして、忖度専門家の忖度発言に責任を転化し、小池都知事との間で責任のなすりつけあいをする、どうしようもない政治を行っています。とうとう二度目の緊急事態宣言の発動になったのですが、後手・後手の対策やイロハも分からないような対策、感染がおさまってからやるはずだったGoToキャンペーンをまだ下がりきらないうちに始めて感染を拡げ(註2)、感染対策をゆるめるなどの失政のお詫びから、まず始めることです。もっとも有効な手段は、「ご飯論法」の加藤官房長官をはじめ、ごまかしの政治しかやってこなかった政治家たちを一掃するしかありません。
 丁度、この番組のときに、トランプが煽動した連邦議事堂の占拠事件が起きました。この番組で台湾の「ひまわり運動」の議事堂占拠も流していました。前者はファシズム的クーデターですが、後者は直接民主主義運動という真逆なことです。この「ひまわり運動」は、結局議事場の占拠を解かれ「敗北した」とされ、日本で「アベ政治を許さない」という一連の運動が起きたときに、香港の雨傘運動の「敗北」とともに、その教訓として、「実力闘争はしない」と語られていたのですが、台湾のコロナ対策の成功が、民主化というところからがつながっていたとしたら、それは「敗北のなかの勝利」と言いえることではないでしょうか?
 日本には、一揆的な運動はあったのですが、民衆の力で体制を変革するような運動はいままで起きていません。どのような回路でそれを作り出せるのか、考えていく必要があると思っています。
(註)
1 これは詭弁の類いのことです。そもそも、科学とは、法則という仮説をたてて、それを実証していくという方法をとるわけで、仮説なしに科学などありえないのですが、仮定法の問題性があるにしても、そもそも、想定なしに政治などなりたたないわけです。「仮定の話はしない」というなら、「想定」というところはやっているわけで、質問者はそこで攻めていけることだと思います。
2 「GoToトラベルで感染が拡がったという科学的根拠はない」ということを忖度専門家の言葉尻を引用して、菅首相は言っているのですが、「GoToトラベルでは、感染が拡がらないエビデンスもない」もないわけで、そもそもこれは菅政権が継承するとした安倍首相が詭弁に使った「悪魔の方程式」では、「ないという証明はできない」のです。そもそも、何ら実証しようとしないで、勝手なごまかしの「論理」――詭弁を弄しているにすぎないことです。



posted by たわし at 18:58| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHKGテレ「NHKスペシャル 患者が“命を終えたい”と言ったとき」

たわしの映像鑑賞メモ046
・NHKGテレ「NHKスペシャル 患者が“命を終えたい”と言ったとき」2020.12.27
テレビの番組欄には「命の終わりを望む患者 そのとき医師は家族は 京都ALS事件の衝撃 命をめぐる葛藤の記録」とありました。NHKは京都ALS嘱託殺人事件を追っているのですが、それを医療の側から、とりわけ「鎮静」という、緩和医療と「安楽死」の境界線のようなことをとらえ返した番組です。
SNSで、この番組について事前にコメントしていたひと、わたしのSNSの「友達」は「障害者運動関係者」がほとんどなので、どういう番組になるか不安を訴えていました。途中、顔をしかめながら観ていたのですが、一応最後は、「生ききるということに向かい合う」ということでまとめていたので、それ自体は「生ききる」側に傾いているのですが、やはり、マスコミの両論の併記の中立性で、そうなると、だいたい世論調査にでている。「8割のひとが延命処置をもとめない」というところに引きずれるのではないかと思ってしまいました。
そもそも「葛藤」ということが、障害問題を考えてきた立場から分からないのです。「患者に引き込まれる」という話が出ていたのですが、医療の「ひとを生かせるのが医療で、死なせる医療など医療の存在矛盾だ」ということで、余計なことを考えないで、医療の論理に徹すれば、迷いとか葛藤とか生じることではないのです。まあ、医療という空間は真空空間ではないので、結局「世間」に拡がった意識に引きずられたりします。吉本隆明というひとが「自立」という概念を突き出していました。わたしは吉本さんに余り共鳴はしていないのですが、それでも「自立」の概念は使ええて、この社会の「命の軽視」ということから「自立」した考えをもつことを主張できます。だから「余計なことを考えざるを得ない」というところでは、もっと徹底的に考えることから「自立」を求めていくしかありません。それはとりわけ「障害者運動」が突き出していたことをとらえ返していけば、それが可能になるのです。それはイギリス障害学の「社会モデル」とか、日本においても、「青い芝の会」が突き出したこととか、「障害者運動」が突き出した優生思想批判のことを是非押さえて欲しいと思うのです。わたしはなぜ、医療従事者がなぜ迷いや葛藤に陥るのか、分からないのです。
(追記)
ただし、そもそも障害を巡る議論自体の混乱も起きています。その例は、障害モデルを巡る議論があります。イギリス障害学の「障害の社会モデル」――「障害とは、社会が「障害者」と規定するひとたちに作った障壁である」というフレーズで示しえます――が出てきて、「障害者」に開き直り方の途を示しました。ですが、そもそもこれは医学モデルのアンチテーゼ的な提起で、煮詰められていませんでした。ですから、揺り戻しや転換のやりきれなさも出てきました。それは、「障害者」の表記を、‘障がい者’‘障碍者’という表記に置き換えるひとが出ていて、そういう置き換えをするひとは「社会モデル」を知らないひとだという提起が出ている中でも、以前として、そのような表記が出続けています。そのようなことにもその混乱が示されていました。
この障害のモデルの話、わたしが『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために』世界書院2010で、パラデイム転換論として転換をなしきろうとしてきたこと。このとき、そもそもアウトラインを示していたし、不備も自覚して、とりあえず「社会モデル」への転換を提起していたのですが、そもそも直裁に、「障害関係論」として突き出すべきだったと反省しています。そのことを、今『障害関係論原論』としてまとめようとしています。そのような理論的な深化と広がりのなかで、葛藤や迷いのようなことから脱していくことが、今改めて必要になっています。

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ローザ・ルクセンブルグ/長谷部文雄訳『資本蓄積再論』

たわしの読書メモ・・ブログ551
・ローザ・ルクセンブルグ/長谷部文雄訳『資本蓄積再論』岩波書店(岩波文庫)1935
 ローザの学習16冊目です。ローザ自身の著作で、経済学書6冊目。
これはローザの全集原書で、『資本蓄積論』とセットにして出された著作、岩波文庫では別になっていて、この書の存在を知り古本で新しく購入して読んだ本です。これも随分前の発行で、旧漢字体の本、原語読み「ルクセンブルク」の最後がまだ英語読みの「グ」になっています。『資本蓄積論』の出版後のローザへの批判への反批判として出された書で、『資本蓄積論』のわかりやすい版としても位置付けられているようです。
さて、最初に目次を示しておきます。旧漢字体や旧かな使いが多いので、そこは一応新漢字体、かな使いで打ち込んでいます。
訳者例言
序(編者)
一、 問題の本質と亜流への反批判
二、 オットウ・バウエルへの反批判
一、 バウエルの表式操作と方法
二、 バウエルの人口理論
三、 バウエルの「人口」とは「労働者人口」である
四、 バウエルとマルクスとの対質
五、 バウエルの帝国主義論
 付録、ローザ・ルクセンブルグの『資本蓄積論』の批評(エックシュタイン)

この著の「一、問題の本質と亜流への反批判」が、まさに『資本蓄積論』の入門書的な位置づけがされている、わかりやすい版になっているようなのです。批判への反批判としてさまざまなひとのことを取りあげています。その批判の最後に、「二、オットウ・バウエルへの反批判」でとりあげるオットウ・バウエルへの反批判をなし、同時に「付録、ローザ・ルクセンブルグの『資本蓄積論』の批評(エックシュタイン)」で取りあげられているエックシュタイン批判がなされています。このひとたちは、どうもオーストリア・マルクス主義としてとらえられ、ドイツ社会民主党の中央派といわれるひとたちとつながっているようなのです。
「二、オットウ・バウエルへの反批判」は、オットウ・バウエルへの反批判の詳細。オットウ・バウエルは人口が資本蓄積を規定していくという押さえ方をしています。それに対して、ローザはそれを逆転させて資本蓄積が人口を規定していくというようなとらえ方をしています。バウエルのとらえ方は、ここでは出て来ないのですが、マルサス的なとらえ方です。どちらにしても因果論的なことで、因果論を近代知の地平として批判する(わたしが共鳴している)廣松理論の立場からすると、相作論的なところでの規定の主導性の問題として押さえ直すところです。このあたりはマルクスの唯物史観の「存在と意識の関係」を、規定の主導性として押さえ直す作業に通じることになります。何が、問題になっているのかというと、『資本論』第二巻の拡張再生産の表式をローザが矛盾している、この表式は定立しないと批判していることがあるのです。そもそも、『資本論』は、マルクス自身は病で執筆で半ばで書き上げられず、エンゲルスがマルクスの草稿とその指示を踏まえて編集して一応完成させたのです。それを、ローザはいろいろ不備のある未完の書として押さえています。それは、よく言われる、「(時代制約的なこともふくめて)マルクスには「帝国主義論」がない」と言われていたことにつながることです。その後、「さまざまな「帝国主義論」が出ています。レーニンの『帝国主義』は有名ですが、ローザ・ルクセンブルクの『資本蓄積論』も「帝国主義論」になっています。要するに、「二、オットウ・バウエルへの反批判」、マルクスの拡張再生産の表式は、商品の販路(需要の拡大)をどこに求めるのかというところで、成立しないとローザは批判しています。その成立するかのような解答の一つが、バウエルの「二、オットウ・バウエルへの反批判」の「二、バウエルの人口理論」で問題になっている「人口増」なのです。そこで、ローザが批判しているように、マルクスの理論からしても、成立しません。ちなみに、バウエルは、マルクスの拡張再生産の表式は有効で、帝国主義的収奪はそれに上乗せしているだけだという批判をしています。ローザの主張は、商品の販路(需要)がない限り拡大再生産が成り立たないとしています。オットウ・バウエルの「人口増」以外にもいろいろ考えられるかもしれません。たとえば、イノベーションによる新しい商品の創出とかあるのですが、それも、そもそも労働者は、最低限の賃銀に落とし込められるというところでの、新しい欲求が起きようがない、資本家とその伴食者がそれを使うと再生産の資本が消費されます。そこで、ローザが指摘するのは、「外部」です。
そのひとつとして非資本主義社会という「外部」があります。これがローザの「帝国主義論」になっています。その「外部」は、ローザが『資本蓄積論』の「第二十七章 自然経済にたいする闘争/第二十八章 商品経済の導入/第二十九章 農民経済との闘争/第三十章 国際借款/第三十一章 保護関税と蓄積/第三十二章 資本蓄積の領域としての軍国主義」で、とりあげているところです。
さて、「外部」という概念。当時の植民地支配ということが焦点になっていたのですが、現在的なポストコロニアリズムの時代においては、公害企業の輸出や環境破壊の進行、労賃の格差というところでの資本輸出による収奪的搾取等が進んでいます。また、世界銀行やODAなどを通じた貸し付けなどで、一国内で食を維持していたところに資本主義経済を持ち込み・取り込み、地域の食を支える農業を破壊する中での先進的資本主義国のための単一作物のプランテーション的農業を創出、そのことによる飢餓が生み出される、また負債を通じたその国の経済破壊などが進んでいます。それらのことは、「後進国」のみならず、自然も「外部」としてその収奪、すなわち、「内部」の「外部化」ということ自体が進んでいます。それは未来の生きる環境を破壊するという未来世代からの収奪という事態も進んでいます。
それらのことなしに、拡大再生産を求める悪無限的利潤の追求を行う資本主義はなりたちえないことになります。すなわち、継続的本源的蓄積論なしには資本主義は継続し得ないとなります。
 このことから、わたしがなぜ、ローザの『資本蓄積論』とりわけ、継続的本源的蓄積論に留意しているかという問題にリンクしていきます。そもそも現在社会の矛盾はほとんど資本主義的矛盾としてあるのですが(註)、それでも資本主義が延命していく構造はどこにあるのか、そのことを押さえた上で、どう資本主義を廃棄できるかということを考えているからです。そこで、ローザの「外部」を読み解く作業として「差別」ということをキーワードにして読み解く作業をしています。わたしは、ローザに出会う前に、そもそも差別形態論として、差別の形態各論として「抹殺/隔離(分離)/排除/抑圧/融和/同化」という概念を出していました。継続的本源的蓄積として現れてくることを、ひとつひとつこれらの概念も用いて分析していく必要があると考えています。
 もうひとつ、ローザのマルクス批判は、第一巻の単純再生産の表式でも、貨幣ということをマルクスが二分類の中で、生産手段生産の方に入れたことを、ローザは、三つ目の別の様式を作ることとしたことがあります。ただし、こうすると、マルクスの生産手段の生産と消費財資料の生産がリンクしていたことが、貨幣の生産はリンクしなくなります。
貨幣を生産手段の生産に入れるというのは、貨幣の流通手段と支払い手段という側面では、事務費としては、まさに、生産手段の生産になるのでしょうが、触媒的にしか機能しないという意味で、それをどう扱うのかという問題、表式的には表せるのかという問題が出て来ます。ただし、貨幣の蓄積手段としては生活資料としての奢侈品の宝石と同じ扱いになります。そこで、ローザは別扱いとして第三表式を作ったのでしょう。ですが、それだと表式同士の関係が出てきません。
そもそも、表式は拡張再生産の表式で終わっているわけではなく、固定資本と流動資本の表式、とか利潤率の表式とかに進んでいったわけで、マルクスは、そのあたりをずっと進めていたのですが、帝国主義的な収奪の構造をどう表式化していくかというと、マルクスは、そこまでできていません。ローザも『資本蓄積論』で表式を使ってマルクスの論攷を追っていたのですが、この著では、表式は問題ではないと断念しています。
 さて、残る問題は、マルクスの拡張再生産の表式はローザがいうように誤りと断定できることなのか? ということです。これは前の『資本蓄積論』の読書メモで書いたように、マルクスの「抽象化」というところで、ここでは外部の問題を捨象したということで、後に、「外部」の問題も入れた表式を書ける可能性があったのか? というとらえ返しになります。ただ、そもそもまだ「帝国主義」的なことが熟成しない時代に「帝国主義論」が可能だったのかという問題もあります。『資本論』の中には「帝国主義論」的なことの萌芽はあったと押さえています。
わたしはそもそも運動というところで、読書――学習をしているので、マルクスが何を書いているのかという訓詁の学的ことは、これ以上の論考はやりえません。ローザの「継続的本源的蓄積論」の重要性ということを指摘してこのメモを終えます。
(註)
 例えば、被部落差別を封建遺制というとらえ方をするひとがいました。しかし、それは資本主義的に組み込まれているということで、現在的には、私有財産制を基礎にした家柄意識という形で「新身分制」ともいうべき体制が作られてきています。



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ローザ・ルクセンブルグ/長谷部文雄訳『資本蓄積論 上・中・下巻』

たわしの読書メモ・・ブログ550
・ローザ・ルクセンブルグ/長谷部文雄訳『資本蓄積論 上・中・下巻』岩波書店(岩波文庫)1934
 ローザの学習13〜5冊目です。ローザ自身の著作で、経済学書3〜5冊目。
これは再読です。随分前の発行で、旧漢字体の本、原語読み「ルクセンブルク」の最後がまだ英語読みの「グ」になっています。ローザの主著。ここから、反差別論のキー概念になる「継続的本源的蓄積論」が生まれたとも言いえる著作です。ローザへの批判で、ローザがマルクスの『資本論 第二巻』拡大再生産論の批判をしているところを巡る論争があります。マルクスの段階を追った抽象化の中での「上向法」的展開をとらえていないというローザ批判はあるにせよ、そのあたりが「マルクスには帝国主義論がない」と批判されていることにリンクする面があります。すなわち、「マルクス―エンゲルスには、資本主義の延命としての帝国主義ということがきちんと押さえられていなかった(一応の押さえはあります)」という批判も出ています。そこから、レーニンの『帝国主義論』もローザの『資本蓄積論』も書かれています。ただ、そこから、現在的には、グローバリゼーションという形でのポストコロニアリズムという展開があり、ここでは、植民地支配からの独立を多くの国・地域が果たす中での、世界資本主義の分析として、レーニンの『帝国主義論』ではなくて、ローザの『資本蓄積論』から出た継続的本源的蓄積論という処から読み解いていく流れが形成されてきています。ネグリ/ハートの『<帝国>』もそのような流れから出てきています。しかし、ネグリ/ハートも「国民国家」(国家主義の持つ意味とそれへの批判)というところの押さえや、マルチチュードという概念の突き出しにおいても、いまひとつ、反差別というところでの押さえが希薄になっています。そのあたりを、もうひとつ押さえ直す作業をしていく作業が今問われているのだと思います。
さて、経済学的な学習としては、マルクスの『資本論』の再読と『剰余価値学説史』(これはわたしは未読)と付き合わせて、しかも、マルクスの『資本論草稿』(一部を除いて未読)も読み込みながら、細かいノートをとっていくことなのですが、そこまでやる余裕はわたしにはありません。とりあえず、ローザの『資本蓄積論』を反差別論――共産主義論的意義としての押さえる作業を軸にして読み解いていきます。
まず、全体の目次を出しておきます。旧漢字体や旧かな使いが多いので、そこは一応新漢字体、かな使いで打ち込んでいます。
上巻
序文
第一篇 再生産の問題
 第一章 研究の対象
 第二章 ケネーおよびアダム・スミスにおける再生産過程の分析
第三章 スミスの分析の批判
第四章 マルクスの単純再生産の表式
第五章 貨幣流通
第六章 拡張再生産
第七章 マルクスの拡大再生産表式の分析
第八章 マルクスにおける困難解決の試み
第九章 流通過程の視角から見た困難
中巻
第二篇 問題の歴史的叙述
第一論戦 シスモンディ――マルサスと、セイ――リカアド――マカロックとの間の論争
第十章  シスモンディの再生産理論
第十一章 マカロック対シスモンディ
第十二章 リカアド対シスモンディ
第十三章 セイ対シスモンディ
第十四章 マルサス
第二論戦 ロードベルツスとフォン・キルヒマンとの間の論争
第十五章 フォン・キルヒマンの再生産理論
第十六章 ロードベルツスの古典学派批判
第十七章 ロードベルツスの再生産の分析
第三論戦 スツルーヴェ――ブルガコフ――ツガン・バラノフスキー対ウォロンツォフ――ニコライオン
第十八章 新版における問題
第十九章 ウォロンツォフ氏と彼の「過剰」説
第二十章 ニコライオン
第二十一章 スツルーヴェの「第三者」と世界の三大国
第二十二章 ブルガコフと彼によるマルクスの分析の補足
第二十三章 ツガン・バラノフスキー氏と「不均衡」説
第二十四章 ロシアの「合法的」マルクス主義の終焉
下巻
第三篇 蓄積の歴史的条件
第二十五章 拡張再生産表式の諸矛盾
第二十六章 資本の再生産とその環境
第二十七章 自然経済にたいする闘争
第二十八章 商品経済の導入
第二十九章 農民経済との闘争
第三十章  国際借款
第三十一章 保護関税と蓄積
第三十二章 資本蓄積の領域としての軍国主義

さて、各巻の押さえと篇・章に沿った押さえ、簡単な切り抜きメモに入ります。マルクス派の経済学書としては、一応『資本論』が前提としてあるので、それに沿ったローザの論攷は、読み流しているので、それに関してのメモは少なくなります。ローザは、マルクスを教条主義的にはとらえず、自らテキストクリティークする形で、『資本論』も『剰余価値学説史』も読み込んでいるので、その部分をとりわけ、わたしなりのとらえ返しをします。
上巻
序文
第一篇 再生産の問題
上巻・第一篇は問題のありようを展開しているところです。マルクスの『資本論 第二巻』、これは三巻とともに、マルクスは病の中で完成し得ず、マルクスは書き上げることを断念して、草稿と指示メモなど残していて、それを元にして、エンゲルスが編集したのですが、そもそもマルクス自身も拡張再生産論の論難を感じていて、拡張再生産した商品の販路(需要)はどこにあるのか、そのことが拡張再生産論の表式に書かれていないという問題です。これは、マルクスの第一巻の商品論の書き方からすると、第三巻や別の巻でまさに、「帝国主義論」として展開することで、それをレーニンやローザが書いたのです。これは前述したこと。アウトラインを押さえたところで、各章に入ります。ざっとの過程的論考として書き置きます。
第一章 研究の対象
需要――供給の問題、一致するとしたら価値と価格の一致22P・・・論理的抽象
数式の詰め26P・・・これには更にもう少し詰めが必要だと思っています。
拡張再生産の条件28-9P
  拡大再生産の可能性については、『資本蓄積再論』で、オットウ・バウエル(オットー・バウアー)への反批判の中で出てくる人口論の問題とか、イノベーションとか、いろいろ出てくるのですが、すでに、マルクスの理論、競争のなかでの利潤率の低下の法則の中でその批判ができるのですが、そもそもなぜ資本主義が現在的に延命し得るのかを、押さえ直す必要があります。その一つがグローバリゼーション論なのですが、そのことは、逆に現代革命論として押さえてゆく作業にもなります。
第二章 ケネーおよびアダム・スミスにおける再生産過程の分析
古典的経済学の押さえ
第三章 スミスの分析の批判
「リカアドが、ブルジョア経済に関する彼の一般的自然的な観方に相応はしく、価値を生むということをも、人間労働の・すなわち個々人の個別的具体的な労働の・自然的な一性質だと考えた点にある。」62P・・・マルクスの物象化概念からの批判が必要
「はじめてマルクスは、価値のうちに、一定の社会的諸条件の下で生ずる或る特殊な社会的関係を認識し、かくして、具体的個人的労働および無差別的社会的労働という商品生産労働の両方面を区別したのであって、・・・」63P・・・ローザはマルクスが「抽象的人間労働」と展開しているところを、「無差別的」という書き方をしています。ローザには、マルクスの「抽象的」という概念を押さえていないのでしょうか?
「マルクスは、資本主義経済の謎をとくために、古典派学者とは反対の演繹法をもって、すなわちブルジョア的生産方法の人間的正常性に対する信仰をもってする代りに、それの歴史的一次性への洞見もって、研究に着手せねばならなかった。すなわち彼は、古典派の形而上学的演繹法を、その反対物たる弁証法的演繹法に顛倒せねばならなかったのである。」64P・・・「上向法」といわれていることともリンク
第四章 マルクスの単純再生産の表式
「資本主義的生産の主要な特徴を、すなわち剰余価値の創造および獲得こそは資本主義的生産の本来の目的であり、推進的動機であるという事実を、表はしている。」78P
「単純再生産なるものが、ただに資本主義的生産の立場からしてのみならず、文化的発展一般の立場からしても、一の仮構にすぎないことを、証明するのである。この仮構そのものだけを正確に――表式において――表象するためにも、吾々は、その前提として、それ自身単純再生産には極限されえない・むしろすでに拡張再生産の方向をとった・過去の生産過程の結果を仮定せねばならぬ。」96P
 固定資本の補填の問題「その資本は、年々必要とされるよりも遙かに多くの機会を生産するであろう、というわけは、この消耗は、一定部分は観念的に存在するのであり、そして実在的には、ある一定程度の年数がたった後ちに初めて現物で填補される筈だからである。」99P・・・「観念的」は「抽象的」とも言いえるところ、「抽象的」がここでもない。
「社会は時々、固定資本の大投下をなすために、全体としての単純再生産の前提の下ですらも、周期的に拡張再生産を行わなければならぬのである。」100P・・・固定資本の填補は必ずしも拡大再生産の必要性を生み出さないのでは? 分割的に商品価値の中に織り込むというマルクスの表式。
第五章 貨幣流通
マルクスは貨幣の生産を生産手段の生産Tに含めていたけれど、ローザはVとして、T、Uに関係ないこととして別立てにした112P・・・貨幣は化学反応における触媒的役割では?
マルクスの原理@具体的有用労働と抽象的人間労働A不変資本――生産手段の生産vs可変資本――生活資料の生産120P
スミスとリカアド――ブルジョア的視野121P
「(ケネー)『経済表』と『資本論』第二巻のおける再生産様式とのあいだには、ただに時間的にのみならず、内容的にも、ブルジョア経済学の栄枯盛衰が横たわっているのである。」122P
第六章 拡張再生産
「剰余価値の一部分――しかも益々増加する一部分――を、資本家階級の個人的消費に・または・蓄蔵に・充てる代りに、生産目的に充てるということ、これこそは、資本主義的生産諸関係の下での拡張再生産の基礎である。」124P
第七章 マルクスの拡大再生産表式の分析
社会主義社会における拡張再生産154-8P――社会主義社会においては、窮乏から出発するのではないかぎり、拡張再生産は必要ない、労働を減らすか欲望を減らすかという問題はあるとしても
需要はどこから生じるか?159P――資本主義の外部をとりこんでいく・・・外部がなくなったとき、グローバリゼーションの今日的行き詰まり。競争原理による悪無限的利潤の追求の問題を押さえること。
販路(需要)が必要167-8P――植民地、外部
第八章 マルクスにおける困難解決の試み
蓄積機能としての貨幣169P
「蓄積問題においては、重要なのは、貨幣がどこから来るかということではなくて、蓄積された剰余価値から生ずる追加生産物に対する需要はどこから来るかということである。」182P
 金生産193P――資源の収奪・・・本源的蓄積とのリンク
第九章 流通過程の視角から見た困難
この章のリード文「分析がゆき悩んだのは、マルクスが問題を、「貨幣源泉」に関する問題という間違った形式で解答しようとしたからである(?)。しかし実際に問題なのは、事実上の需要であり、商品の使用であって、その支払のための貨幣源泉ではない。」194P
「だから問題は、剰余価値を実現するための貨幣は何所からくるか? ということではなくて、剰余価値に対する消費者は何所にいるか? ということでなければならない。」200P・・・182Pとリンク
「だが、かように提起された問題は、謂はゆる「原始的蓄積」(本源的蓄積)すなわち資本の歴史的発生に関する章に属するのであって、流通過程ならびに再生産過程の分析の埒外にあるのである。」204P・・・植民地支配の問題も単に経済ではなくて、政治の枠組みからとらえられる。単純――拡張再生産と継続的本源的蓄積。
「ただ二つしか存在しないこれらの社会階級以外での剰余価値の実現は、必要であると同様に不可能なように思われる。資本の蓄積は迷宮にはいった。『資本論』の第二巻では、吾々はどうしても問題の解決が見出せない。」210-1P・・・『資本蓄積論』の原点的疑問。冒頭に書いた内容。
「何よりもまず、『資本論』の第二巻は完結せる著作ではなくて、言葉なかばで中断された原稿だった、という事情が顧慮されねばならない。/殊に第二巻の最後の数章は、その外形を見ただけでも、それらは、読者を啓発するために仕上げられた結果ではなくて、むしろ、この思想家自身の理解のための覚え書だということがわかる。」211P
「かくて、蓄積という他の問題、すなわち、資本化の目的をもってする剰余価値の実現は、後方におしやられて、ついにマルクスによっては殆んど手をつけられなかったのである。」217P
中巻
第二篇 問題の歴史的叙述
この三巻本は古本で買って、中巻にだけ帯が付いていました。そこに「資本蓄積の問題は過去の経済学者たちによってどのように取り扱われてきたのか、三つの論争を取りあげて追究・批判する。」とあります。これは、マルクスの『剰余価値学説史』と重なる内容になっています。実際マルクスがどのように展開しているのか、積ん読したままで、マルクスが他の処で展開している以上は、確かめえていません。
第一論戦 シスモンディ――マルサスと、セイ――リカアド――マカロックとの間の論争
これは初期の拡張再生産の不可能性――不要性と可能性――必要性を巡る論争
第十章  シスモンディの再生産理論
冒頭リード文「資本主義的秩序の精神性にたいする最初の強い疑いは、一八一五年および一八一八――一九年における、イギリスの最初の恐慌の印象ののもとに、ブルジョア的経済学において頭をもたげた。」5P
「しかし、たとえばロシアのマルクス主義者イリインの如き、シスモンディの後年の批評家たちが、総生産物の価値分析におけるこの根本的誤謬を指摘することによって、シスモンディの全蓄積理論を維持されないものとし、「馬鹿(ママ)らしいもの」として、えらそうな嘲笑をもって片づけするものとして信じたとすれば、それによっては彼らはただ、シスモンディが重大視した本来の問題に彼等自身がまったく気づかなかったことを証明したにすぎない。」30P・・・シスモンディはマルクス以前の社会主義的理論家のひとり
 シスモンディの蓄積不可能性、セイ――リカアド――マカロックの無制限の可能性。いずれも不変資本を度外視30-1P
第十一章 マカロック対シスモンディ
冒頭リード文「ヨーロッパにおける資本支配の容赦なき拡張にたいするシスモンディの予言者(「カッサンドラ」のルビ)的叫びは、彼の相手として、三方面から激しい反対論、すなわちイギリスではリカアド学派、フランスではスミスを浅薄化せるJ・B・セイ、およびサン・シモン主義者を、呼び出した。」33P
第十二章 リカアド対シスモンディ
冒頭リード文「リカアドから見れば、シスモンディの理論的意義にたいするマカロックの答弁を以てしては、明らかに問題は解決されなかった。かの商売屋の「スコットランド生まれの大山師」――とマルクスは彼[マカロック]を呼んでいる――とは異なって、リカアドは真理を探究し、そして大思想家の真の節制を守った。」52P
「換言すれば、シスモンディは、後にマルクスが全世界市場をば、専ら資本主義的生産が行われる社会と見做して問題を提起したのと、すっかり同じ前提のもとに、彼の問題を提起したのである。」56P
第十三章 セイ対シスモンディ
冒頭リード文「『ルヴェ・アンシクロベティク』の一八二四年五月号における、リカアドに対するシスモンディの論文は、ついに、当時の「経済学の巨匠」たり、大陸におけるスミス学派の自称代表者たり相続者たり普及者たる、J・B・セイを舞台に誘い出した。」64P
第十四章 マルサス
冒頭リード文「シスモンディと同時にマルサスもまた、リカアド学派にたいする一の部分的論戦をやった。シスモンディは、彼の著述の第二版においても論戦においても、たびたびマルサスを自説の証人としてあげている。」77P
シスモンディは資本主義批判、マルサスは資本主義擁護――自然法則としてとらえる78P
「マルサスは、地代と官禄で食う資本主義的搾取のかの寄生者層の利益の代弁者であり、彼が弁護する目標は、剰余価値のできるだけ大きな割合を、この「不生産的消費者」に提供することである。シスモンディの一般的立場は、主として倫理的であり、社会改良的である、・・・・・・」79P
「最後に、シスモンディの批判の出発点は、再生産過程の分析であり、社会を標準としての資本と所得との関係であった。マルサスは、リカアドにたいするその駁論において、馬鹿(ママ)げた価値論と、それから誘導された俗悪な剰余価値論――これは、資本主義的利潤をば、商品の価値以上の価格つり上げから証明しようとする――とから、出発するのである。」79P
 シスモンディとマルサスの共通点と違い「一、両者とも、リカアド派やセイに反対して、消費と生産との間の予め設定された均衡に関する命題を拒否する。二、両者とも、ただに部分的恐慌のみならず一般的恐慌の可能性を主張する。/たが、共通なのは玆まででお仕舞だ。シスモンディが恐慌の原因を、低い賃銀状態と資本家たちの限られた消費能力とに求めるとき、マルサスは逆に、低い賃銀を人口増加という一の自然法則に転化するのであり、また、資本家たちの限られた消費については、その補いを、土地貴族や僧侶階級――富および奢侈品にたいする彼等の消化力には限りがない、教会の胃の腑は大したものである――の如き、剰余価値の寄生者の消費に見出すのである。」83P
「彼(マルサス)とリカアド学との間の論争においては、剰余価値の寄生者たちの不生産的消費が問題だったのであって、それは、剰余価値の分配に関する口論であり、資本主義的再生産の社会的基礎に関する論争ではなかった。」84-5P
第二論戦 ロードベルツスとフォン・キルヒマンとの間の論争
第一論戦の四半世紀後の同じテーマを巡る論戦
第十五章 フォン・キルヒマンの再生産理論
冒頭リード文「蓄積の問題に関する第二の論戦もまた、その刺激を現実の出来事から受けとった。シスモンディが、最初のイギリスの恐慌、およびこれによって惹起された労働者階級の苦悩に刺激されて、古典学派に抗議したとすれば、ロードベルツスは、殆んど二十五年後に、その間に起った革命的労働運動に刺激されて、資本主義的生産を批判したのである。」86P
「ロードベルツスとフォン・キルヒマンとの視角の相違は、まことに明白である。ロードベルツスは、害悪の根源を、国民生産物の分配の欠陥に見るのであり、フォン・キルヒマンはこれを資本主義生産の市場制限に見るのである。」90-1P
「かくて、以前にシスモンディによって日程にのぼされた問題をいま再びとりあげるのは、フォン・キルヒマンそのひとである。それにも拘わらず、フォン・キルヒマンは、シスモンディによる問題の吟味や解決には決して同意しないのであって、彼はむしろ、シスモンディの反対者の味方である。」91P
「要するにフォン・キルヒマンは、古典派学学者の足跡を追っているのであるが、・・・・・・」91P
「フォン・キルヒマンの秘法とは、曰く――奢侈である!」99P
「だが、資本家たちのこの不適当な節欲は、国民経済学によって誤って奨励されている不道徳から、すなわち、「生産的消費」のために節約せんとする傾向から、生ずるのだ。また曰く、恐慌は蓄積から生ずると、――これがフォン・キルヒマンの主要論綱(「テーゼ」のルビ)である。」100P
第十六章 ロードベルツスの古典学派批判
冒頭リード文「ロードベルツスはフォン・キルヒマンよりも一そう深く掘り下げる。彼は、害悪の根源を社会組織の基礎そのもののうちに求め、そして、支配的な自由貿易学派にたいし激しい戦を宣言する。」103P
 詩の引用「道徳は人知れず酒を飲み、人前では水を説く」106P
 生産性の上昇による労働者の困窮よらない生活の質の向上としての「国民生産物における労働者の分前をば一定不変の部分たらしめる法的規定、これである。彼の経済学的内容をそれ相当に評価するためには、ひとは、この珍奇な妙案によく思いを潜めねばならぬ。」123-4P
第十七章 ロードベルツスの再生産の分析
冒頭リード文「労働者たちの分前の減少は、「ただちに」過剰生産および商業恐慌を惹起するに違いないということは、なかんずく何を意味するものであるか? この見解は、ロードベルツスによっては「国民生産物」が、二つの部分から――労働者の分前と資本家の分前、すなわちv+mから―― なりたち、そしてその一方の部分が他方の部分と交換されるのだ、と考えられているものと前提してのみ、理解することができる。」125P
「だから、「賃銀部分の減少」を立法によって廃除しようとすることは、資本主義経済の存在動機を取り除き、その生命力を絶ち切ろうとするのと同じことである。」136P・・・賃金のベースアップや最低賃金法の問題にも通じること
 シスモンディとフォン・キルヒマンとロードベルツス138-9P
「不変資本という概念を彼(ロードベルツス)は猛烈に攻撃した。」142P
 プルードンとロードベルツス144P
「・・・・・・二つの極――すなわち、総じてただ個別的資本の見地からのみ見るセイ、マカロック流の俗流的見解と、ただ、労働過程の見地からから見る、プルードン、ロードベルツス流の見解と――のあいだを動揺している。そこで初めて、マルクスの単純再生産の表式によって如何に膨大な光明が全問題の上に投ぜられたかを評価することができる、――この表式においては、かの一切の見地が、それらの調和ならびにそれらの矛盾において組合わされ、また非常に錯雑せる無数の諸関係が、驚くほど簡単な二組の数列のうちに解消されているのである。」145P
「ところがロードベルツスは、実に、資本主義的領有を簡単に「略奪」だと説明し、・・・・・・」146P
「とにかくロードベルツスは、かつて「節約」に反対を唱えることによって、資本が剰余価値から発生することを理解しえなかったのと同様に、いまや「所有権」の見地から資本主義的領有に反対を唱えることによって、剰余価値が資本から発生することを理解しえなかったのである。」147P
 まとめ151-2P
第三論戦 スツルーヴェ――ブルガコフ――ツガン・バラノフスキー対ウォロンツォフ――ニコライオン
「最初の二つの論争とはまったく異なった歴史的枠内において、資本主義的蓄積の問題に関する第三の論争が演ぜられた。今度は、上演の時代は、八十年代の初めから九十年代の中頃までであり、その舞台はロシアであった。」153P・・・「異なった」の内容は158-9P
第十八章 新版における問題
「ロシア農民の土地共有制――有名な「オプシュトシナ」――・・・」156P
「今度の問題は、総じてもはや、マンチェスタア社会改良主義との間の討論ではなくて、社会主義の二つの変種の間の討論であった。資本主義的発展の可能性に関する懐疑論は、シスモンディおよび部分的にはロードベルツスの精神において、ロシア社会主義の小ブルジョア的な「人民主義的」=混乱的な変種――だがこれは、度々マルクスを楯にとった――によって代表され、楽観論は、ロシアにおけるマルクス学派によって代表された、かくて、舞台はまったく一変した。」158-9P・・・懐疑論の流れのロシア的な「人民主義」とのリンク
 第三論戦における人脈図159-60P
第十九章 ウォロンツォフ氏と彼の「過剰」説
冒頭リード文「ロシアにおける「人民主義的」理論の代表者たちを資本主義的再生産の問題に導いたものは、ロシアでは資本主義は見込がない、しかもそれは販売市場が欠けているからだ、という彼等の信念であった。W・ウォロンツォフは、・・・・・・」161P
「彼(ウォロンツォフ)は、ロシアの工業の或る種の部門における、資本主義的生産形態の発展の可能性については勿論のこと、外国市場へのロシアからの資本主義的輸出の可能性についてすら、何らの異論も唱えない。」162-3P・・・ウォロンツォフの懐疑論
「かくて、リカアド、マルクス、シスモンディおよびロードベルツスからなる混合料理は、次のような発見――すなわち、もし資本家たちが、剰余価値の資本家を断念して、剰余価値のうちの当該部分を労働者に贈与するならば、資本主義的生産は過剰生産から根本的に救われて、永遠に「繁栄し繁昌する」であろう、という発見をもって、お仕舞いとなる。」171P・・・贈与という善意――人倫による解決、倫理主義
 軍国主義――戦争と外国貿易による活路という矛盾――行き詰まり171-2P
第二十章 ニコライオン
冒頭リード文「「人民主義的」批判の第二の理論家たるニコライオンは、これとは異なった経済学的予備教育および専門知識をもって、仕事にとりかかっている。」173P
「すなわち彼(ニコライオン)の意見に従えば、ロシアを資本主義の洪水から救う唯一の救命板は旧来の「オプシュトシナ」――土地の共有に立脚する農村共同体なのである。これが、一の「社会化された」高度な生産形態の基礎として役だちうるためには、これの上に、――もちろん、依然としてニコライオンの秘法たる基準によって、――近代的大工業と近代的科学的技術との結果が接木されねばならぬ。ロシアは、資本主義的発展から後戻りするかさもなければ没落し死滅する、この二つに一つ以外には、選択の自由はないのである、と。」179-180P・・・単なる暴言ではない
 エンゲルスのニコライオンへの手紙180-1P
 エンゲルスの「オプシュトシナ」の押さえ――オプシュトシナは「とっくの昔にその全盛時代をすぎたのであって、どの現象から見てもその解消に近づいている。」183P
第二十一章 スツルーヴェの「第三者」と世界の三大国
「吾々は今や、ロシアのマルクス主義者によって与えられた、前述の諸見解の批判に眼を転じよう。/ペタル・フォン・スツルーヴェは、・・・・・・」185P
「だから、資本主義的発展の経過は、「人民主義者たち」がシスモンディを手本として描写したのとは、まさに正反対のものである、――――資本主義はその国内市場を破壊するどころか、それは、さしあたり先ず、貨幣経済の普及によって、国内市場をみずから作り出すのである。」186P
エンゲルスのスツルーヴェ批判――ロシアと合衆国の違い189P
「スツルーヴェが、余剰価値の蓄積のための支柱となすものは「第三者」である。・・・・・・それによって彼が、種々の私的および国家的使用人、自由職業、簡単に云えば、有名な「大衆(grand public)を意味していることが分かるのであるが、この大衆なるものは、ブルジョア的俗流経済学者たちが、窮してしまうと何時も怪しい身ぶりで学示するものであり、そしてマルクスによって、それは経済学者に対し、彼が他の方法では説明しえないものを説明する「お役」に立つものだ(ごまかしの論理としての「「お役」に立つもの」)、と云われたものである。・・・・・・これらの「第三者」のすべては、経済的には、大抵――彼等が部分的には労賃の伴食者でもあることが証明されないかぎりは――剰余価値の伴食者である。」189-90P
第二十二章 ブルガコフと彼によるマルクスの分析の補足
 冒頭リード文「「人民主義的」懐疑説の第二の批評家たるS・ブルガコフは、資本主義的蓄積の予備錨としてのスツルーヴェの「第三者」を、直ちに断乎として拒否する。」195P
「これらの人々――ことにウォロンツォフ――は、社会的全生産物は消費資料から成立つものと考え、そして消費は総じて資本主義的生産の目的であるという、間違った前提から出発した。」203P
「この矛盾からの逃げ路は、拡張される生産それ自体が、生産物の追加量のための市場をなす、ということである。「この内的矛盾は、生産の外的領域の拡張によって解決される。」(『資本論』第三巻、一八九頁。)(ここでブルガコフは、マルクスの一命題をまったく反対の意味で引用しているが、このことにはなお後に立ち帰るであろう。)如何にしてそれが可能であるかは、いま示されたばかりである。(ブルガコフは、拡張再生産の表式の分析のことを云っているのだ。)」205P
ブルガコフの引用「・・・・・・マルクスは、初めて、現実の関係の分析を与えた、すなわち彼は、たとえどんな「第三者」が発見されようとも、消費の増大は宿命的に生産の増大に遅れるのであり、また遅れねばならぬ、ということを示した。それゆえに、消費およびその規模は、決して、生産拡張の直接的な限界とは見做されない。資本主義的生産は、生産のこの真の目的[消費]からの乖離を償うに恐慌を以てするのであるが、しかしそれ[資本主義的生産]は消費とは無関係である。生産の拡張は、資本の規模のうちにのみその限界を見出すのであり、そして専らこの後者に依存している」206P・・・「第三者」ということは他にもある。
第二十三章 ツガン・バラノフスキー氏と「不均衡」説
「吾々はこの理論家(バラノフスキー)を最後に取扱う、――彼はその見解をロシア語ではすでに一八九四年に、スツルーヴェやブルガコフに先だって定式化してはいるのだが――、というわけは、一つには・・・・・・また一つには、彼は、最も詳細な結論を引き出しているからである。」215P
「ツガンは、シスモンディの「過小消費」説に立脚すると称せられるマルクスの恐慌理論を修正する、『人口の大多数をなす労働者の貧困は、たえず拡張される資本主義的生産の生産物の実現をば、需要の減退のゆえに不可能ならしめるという、ある程度まではマルクスによっても抱かれている普及した考えは、間違いだと言うことができる。・・・・・・社会的生産が計画的に組織されているならば、生産の指導者が需要に関する完全な知識と、労働および資本を自由に一生産部門から他の生産部門に移す力とを、有っているならば、社会的消費が如何に減退しようとも、商品の供給が需要を超過することはありえないであろう。』・・・・・・」217P・・・需要の無限的拡大性はグローバリゼーションの尽きるまで
「ツガンの証明は、ただもっぱら、拡張再生産に関するマルクスの表式にあるのだ。」219P
「かくて、マルクスが、剰余価値は人間のみが作るのであって機械でさえも作りはしないとか、人間の消費は資本主義的生産にたいする一制限をなすものであり、その結果、今日は周期的な恐慌が、明日は崩壊と終局とが、資本主義的経済の恐怖を伴って起らねばならぬとか、そんなことを考えたのは根本的に間違いであったということが、 明瞭に、正確に、測れるように現われる。・・・・・・この本質たるやマルクスによって理解されないで、ツガン・バラノフスキーによってついに幸いにして開明されたのである。」224P・・・ツガン(ローザも同調)のマルクス批判をひとつひとつとらえ返していく必要
「なお、拡張再生産は初めて資本主義とともにはじまるという主張も、この同じ著者(イリイン)のものである。イリインが前資本主義的生産方法のための法則だと考えた単純再生産を以てしては、吾々は恐らく、今日もなお、古石器時代の削刀の域を脱しなかっただろう、ということには 彼は気がつかなかった。」226P
第二十四章 ロシアの「合法的」マルクス主義の終焉
 冒頭リード文「マルクスの『資本論』第二巻における社会的再生産過程の分析と該過程の表式的説明とを、資本主義的蓄積に関する懐疑派との論戦において科学のために利用したことは、ロシアの「合法的」マルクス主義者の、および殊にツガン・バラノフスキーの、一功績である。だが、ツガン・バラノフスキーは、この表式的説明を問題の定式化とは見ないで、問題そのものの解決と見たので、彼は、マルクス学説の基礎そのものを攪乱せざるをえない結論に到達した。」235P
「すべて三人――スツルーヴェ、ブルガコフ、ツガン・バラノフスキーは、論戦に熱中して、証明さるべきであったよりも多くを証明した。問題は、資本主義は一般的に・また特にロシアにおいて・発展しうるか否かということであった、ところが前述のマルクス主義者たちは、この可能性を根本的に証明して、資本主義の永続の可能性すらも証明したのである。」236-7P
「だが、この多少朦朧たる慰安は、ブルガコフがみずから社会主義に差しのべたこの最後の救命板のことを忘れて、突然にツガン・バラノフスキーにたいし、利潤率の相対的低落は、大資本にとっては資本の絶対的増加によって相殺される、と教えるとき、彼自身によって遂に破られるのである。」238P
「前述の三人(スツルーヴェ、ブルガコフ、ツガン・バラノフスキー)のマルクス主義者は、すべて、彼等が新たに社会主義を基礎づけたかと思うと、もうこれに背を向けたことによって、社会主義の新たな基礎づけなるものが如何に薄弱で浅薄だったかということを、身をもって証明した。」239P
下巻
第三篇 蓄積の歴史的条件
これが、ローザの「帝国主義論」ともいいえるところです。ただし、ローザもあまり「帝国主義」という言葉を使っていません。それは、「アジア的帝国主義」が一般的概念としてすでにあったからで、レーニン的帝国主義は「資本主義的帝国主義」という言い方がされていました。「アジア的帝国主義」は租税や貢ぎ物を求めて、それ以外は自由にさせるという方針でした。「資本主義的帝国主義」は、経済にからめていろんな方式で搾り取るという違いがあります。今日、植民地支配から独立したポストコロニアリズムの時代において、「帝国主義」という概念が使われなくなり、ネグリ/ハートの『<帝国>』が出て以降、「帝国主義」概念が「アジア的帝国主義」ということに絞られて、「帝国主義」という言葉が使われなくなり、グローバリゼーションということで理論的に整理されてきました。そういう中で、継続的本源的(原始的)蓄積論が現在的にも生きる概念として使われています。今日、スーザン・ジョージが世界銀行やIMFを通じた、国際借款を通じた支配の構造の苛酷さを指摘していることは、まさにローザが描いた収奪の構造が、いまだかつて生きていることを明らかにしています。第二十七章から第三十二章にかけての論考が、資本蓄積を如何になしえるか、なしてきたのかの、具体的論考になっています。
第二十五章 拡張再生産表式の諸矛盾
冒頭リード文(これまでのまとめ)5-6P
「むしろ問題なのは、いったい資本家たちは、彼等みずから消費しないで「禁欲」すなわち蓄積する場合には、またそのかぎりでは、誰のために生産するのか? ということである。」13P・・・資本主義では悪無限的利潤の追求、競争の中での生き残りが求められ、拡大(拡張)再生産を求めざるを得ない。だから、資本家みずからのために、そして伴食者のために、生産する。
「では誰が、たえず増大する剰余価値を実現するか? 表式は答える、――資本家たち自身であり、そして彼等だけである、と。また、彼等はその増大する剰余価値をどうするのか? 表式は答える、――彼等はそれを、彼等の生産をますます拡張するために使用するのだ、と。かくてこの資本家たちは、生産拡張のための生産拡張の狂信者(ママ)である。彼等は、それをもって絶えず新たな機械を作るために、つねに新たな機械を作らせるのだ。だが、かかる仕方で吾々が得るもの、それは、資本蓄積なるものではなくて、何らの目的なしの生産手段の生産の増加である。そして、この倦まざる虚空の輪舞が資本主義的現実の忠実な一理論的映像であり、マルクス学説の現実の一結果たりうるものと考えるためには、ツガン・バラノフスキーの勇敢さと珍論癖とが必要である。」13-4P・・・「実現する」と「形成する」の違い
「吾々が『資本論』第二巻で見出すところの、始まるやいなや中絶せる拡張再生産の分析の草案の外に、マルクスは、資本主義的蓄積の特色ある経過に関する彼の一般的な見解をば、彼の全労作において、殊に第三巻において、極めて詳細且つ明白に書き下している。それで、第二巻の終りにおける表式の不充分さを容易に洞見するためには、ひとは、ただ、この見解に思いを潜めてみさえすればよいのである。/拡張再生産の表式をまさにマルクスの理論の見地から吟味するならば、ひとは、それが彼の理論と幾多の点で矛盾していることを、見出すに違いない。/何よりもまず、この表式は、労働の生産性の進展をまったく顧慮していない。・・・・・・」14-5P・・・マルクスは、「労働の生産性」は、絶対的剰余価値の増産に対する相対的剰余価値の増産という概念で別のところで論じている。これらは、ヘーゲルから受け継いだマルクスの弁証法的演繹法をローザがきちんと押さえ切れていないというところでの混乱。レーニンが「ヘーゲル弁証法を学んでいないと『資本論』は理解できない。」と言ったことを参照。
第二十六章 資本の再生産とその環境
この章が、この『資本蓄積論』のクライマックス。
冒頭リード文「だから、マルクスの拡張再生産表式は、蓄積の過程をば、それが現実において進行し、且つ歴史的に自らを貫徹するままには、吾々に説明することはできない。その原因は何か? 表式そのものの諸前提以外の何ものでもない。この表式は、資本家と労働者とが社会的消費の唯一の代表者だという前提のもとで、蓄積過程を説明しようとする。吾々はすでに、マルクスが首尾一貫して、且つ意識的に『資本論』全三巻における彼の分析の理論的前提として、資本主義的生産方法の一般的且つ排他的な支配を仮定していることを、見た。かかる条件のもとでは、もちろん、表式におけると同様に、資本家と労働者の外には何らの社会階級もない、――資本主義社会のすべての「第三者」、すなわち、官吏・自由職業者・僧侶・等は、消費者としては、かの両階級、殊に資本家階級に加算さるべきである。かかる前提は理論的応急手段である、――現実においては、資本主義的生産の排他的支配を伴う自給自足的な資本主義社会なるものは、どこにも存在しなかったし、存在してもいない。」33P
「蓄積の問題を分析したすべての理論家は、リカアドおよびシスモンディからマルクスに至るまで、奇妙にも、まさに、問題の解決を不可能ならしめたこの前提から出発したのである。剰余価値の実現のためには、「第三者」すなわち、資本主義的生産の直接的活動者たる労働者および資本家以外の消費者が、必要だという正しい感情は、その結果として、あらゆる遁辞を生じた。すなわち、マルサスにあっては封建的地主という人物に・ウォロンツォフにあっては軍国主義に・スツルーヴェにあっては「自由職業者」その他の資本家階級の従属者に・体化された「不生産的消費」なるものが現われ、さらに、シスモンディからニコライオンに至る、蓄積についてのすべての懐疑論者にあっては安全弁として優れた役割を演じたところの、外国貿易がもち出されるに至った。他面では、問題が解けないということは、その結果として、フォン・キルヒマンやロードベルツスにあっての如く、蓄積が断念され、あるいは少なくとも、シスモンディおよびロシアにおけるその亜流たる「人民主義者」にあっての如く、蓄積をできるだけ防止することが必要だと称されるに至った。」37-8P・・・中巻のまとめ的文にもなっている
「拡張再生産の表式は、詳しく注意すれば、それのあらゆる関連においてすら、それみずからを越えて、資本主義的生産および蓄積の外部に横たわる諸関係を指示しているのである。」38P
「すなわちまさに、資本主義的生産方法ではなくて前資本主義的生産方法の、その崩壊およびその解消の前進的過程における分泌物としての、非資本主義的諸関係から資本主義的諸関係への労働力の絶えざる移行を、――顧慮していない。だが、ただにヨーロッパの農民経済および手工業の瓦解のみならず、ヨーロッパ以外の国々における、種々様々の原始的生産=および社会形態の瓦解もまた、ここに属する。」54-5P・・・非資本主義的生産様式の資本主義的生産様式へのとりこまれ(とりわけ労働力も)
「マルクスの記述においては、ヨーロッパの資本による植民地諸国の掠奪が、産業資本の発生において顕著な役割を演じている。だが、これはすべて、よく注意をすべきことだが、ただ、謂わゆる「原始的蓄積」の視角のもとでの話である。上述の過程は、マルクスにあっては、ただ、資本の創生紀すなわち誕生時を例証するのみであり、それは、封建社会の胎内からの資本主義的生産方法の誕生に際しての、産みの苦しみを云い表わしているのだ。彼は、資本過程の理論的分析――生産ならびに流通――を与えるや否や、つねに、資本主義的生産の一般的且つ排他的な支配という、彼の前提に立ち帰えるのである。」59P・・・マルク賓スの原始(本源的)蓄積論
「だが、吾々の見るところでは、資本主義は、その十分な成熟においてさえも、あらゆる関連において、非資本主義的な層および社会の同時的な存在を頼りとしている。この関係は、「過剰生産物」にたいする販売市場という露骨な問題――この問題は、シスモンディおよびその後の、資本主義的蓄積の批判家および懐疑論者によって提出されたものだが――によって尽きるものではない。資本の蓄積過程は、その一切の価値的関係および物的関係、すなわち不変資本、可変資本、および剰余価値によって、非資本主義的生産諸形態に結びつけられているのだ。この後者は、かの過程の、与えられた歴史的環境をなしている。資本蓄積は、資本主義的生産方法の排他的且つ絶対的な支配という前提のもとでは、説明されないのであって、それはむしろ、非資本主義的環境なしには、どの点でも考えられないのである。」59-60P・・・ローザの原始(本源的)蓄積論
「だが、剰余価値の実現の条件と、その物的姿態における不変資本および可変資本の拡張の条件との間には、一の重要な差別が存する。資本は、全地球の生産手段および労働力なしにはやってゆけないのであって、その蓄積運動が故障なく発展するためには、資本は全地帯の自然的財寳および労働力を必要とする。」・・・ローザのインターナショナリズムの根拠と継続的本源的蓄積論の「差別」というタームが経済学概念とつながっていることを検証。
「これらのものは、事実上、非常に多く、前資本主義的生産諸形態の桎梏のうちに発見される――これは資本蓄積の歴史的環境である――から、その結果、かの地帯および社会を克服せんとする、資本の猛烈な熱望が生ずる。」・・・「植民地支配」の熱望
「だから、殆ど全一世紀間にわたって国民経済学上の論争の中心をなせるこの問題の解決は、二つの極のあいだに、すなわち、蓄積は不可能だと説明するシスモンディ、フォン・キルヒマン、ウォロンツォフ、ニコライオンの小ブルジョア的な懐疑論と、資本主義は無限に果実を生じうるものであり、したがって――一の理論的結果に外ならぬが――永久に存続するものとなす、リカアド、セイ、ツガン・バラノフスキーの粗雑な楽観論のあいだに、横たわっている。すなわちその解決は、マルクス学説の意味では、弁証法的矛盾――すなわち、資本主義的蓄積は、その運動のためにその環境としての非資本主義的社会組織を必要とし、後者とのたえざる物質代謝において前進し、そして、それがこの環境を見出すかぎりにおいてのみ存続しうるという、弁証法的矛盾のうちに横たわっているのである。」61-2P・・・学説間の押さえと、ローザの解答
「資本主義の国際的発展につれて、剰余価値の資本化がますます緊急且つ不確実となるとすれば、量としての不変資本および可変資本の広汎な基礎は、絶対的に、また剰余価値に比較して、ますますより巨大となる。だから、旧資本主義諸国は、相互にますます大きな販売市場をなし、相互にますます欠くべからざるものとなり、そして同時に、非資本主義諸国との関連における競争者として相互に、ますます嫉妬的に闘争する、という矛盾に充ちた現象が生ずる。剰余価値の実現の諸条件と、総資本の更新の諸条件とは、相互にますます矛盾するに至るのであるが、この矛盾は、とにかく、利潤率の低下という矛盾に充ちた法則の一反映に外ならぬ。」63P
第二十七章 自然経済にたいする闘争
冒頭リード文「資本主義は、歴史的には、非資本主義的な社会的環境のうちに、生まれいで、そして成長する。西ヨーロッパの諸国においては、資本主義は、まず、その胎内から資本主義が生まれた封建的環境――田舎では賦役経済、都市では同業組合的手工業――によって、つぎに、封建制度を脱却したのちには、主として農民的手工業的な環境、すなわち、農業ならびに工業におる単純な商品生産によって、とり囲まれた。ほかに、ヨーロッパの資本主義をとり囲んだものは、ヨーロッパ外の文化をもった巨大な地方であって、そこでは、放浪的な狩猟民たちからなる最も原始的な共産主義的群団から、農民的および手工業的な商品生産にいたるまでの、あらゆる種類の発展段階が見られた。かかる環境のただ中を、資本蓄積は進んできたのである。」64P・・・資本主義的蓄積の出発点
「そのさい、三つの段階が区別されねばならぬ、――資本の自然経済との闘争、商品経済との闘争、および、蓄積諸条件の残部をめぐる世界的舞台での資本の競争戦、がそれである。」64P
「資本主義は、その存在および進展のために、その環境としての非資本主義的生産形態を必要とする。だが、これらの形態のどれもが資本主義に奉仕したのではない。資本主義は、その剰余価値の販売市場として、その生産手段の注文先として、また、その賃銀制度のための労働力の貯蔵所として、非資本主義的な社会層を必要とする。これら一切の目的のためには、資本は、自然経済的生産形態をもってしては、どうすることもできない。」64-5P
「自然経済的社会との戦いにおける経済的目的は、個別的には次の如くである。/一、生産力の重要源泉、たとえば土地、原始林の猟獣。鉱物、宝石および鉱石、ゴムの如き異国植物の産物、を征服すること、二、労働力を「自由」ならしめ、資本のための労働に強制すること、三、商品経済を導入すること、四、農業を工業から分離すること、・・・・・・」66P
「資本は、ただにその創生記においてのみならず今日に至るまで、歴史的過程としての資本蓄積の唯一の恒常的方法たる、暴力以外には何らの問題解決も知らない。だが原始的な社会にとっては、かかる場合にはつねに存亡が問題なのであるから、すっかり力がつきるか剿滅されるまで、生死を賭して反抗し、戦う以外に方法はない。」68P
「だが、かかる社会から生産諸力および労働力を買うために、すなわち、それを商品購買者に転化するために、資本主義は、目的意識的に、独立的な社会的組織としてのかかる社会を破壊しようと努力する。この方法は、資本の見地からすれば最も合目的的な方法である、というわけは、それは最も急速にして同時に最も有利な方法だからである。この方法の他面は、軍国主義の反映であるが、蓄積にたいする軍国主義の意義については、他の関連においてなお後に述べる。」68-9P・・・「後に」は最終章 
「植民地での資本によるこの方法の適用の模範的な例は、インドにおけるイギリス人の政策、およびアルジェリアにおけるフランス人の政策が示している。」69P――インド69-78P、アルジェリア78-92P・・・植民地支配の苛酷さ
第二十八章 商品経済の導入
冒頭リード文「生産手段の獲得ならびに剰余価値の獲得ならびに剰余価値の実現のための、第二の最も重要な全体条件は、自然経済的諸団体の破壊の後およびその際に、それらを商品交易および商品経済の中にひき入れることである。すべての非資本的な層および社会は、資本のために商品購買者とならねばならぬ、そして、資本に自己の生産物を売らねばならぬ。・・・・・・だが、この変革の平和性はただの外観である。東インド会社の香料国との取引関係は、アメリカの資本家たちと彼等が毛皮を買うカナダ・インディアン(ママ)との関係、あるいは、アメリカ・ニグロ(ママ)にたいするドイツ商人の関係が今日そうであるのと同様に、取引の旗のもとでの盗奪、強請、および見えすいた詐偽であった。おくれた社会との、「おだやかな」そして「平和を愛する」商品取引の典型的例は、支那(ママ)の近代史であって、・・・・・・」94P・・・この後、アヘンを巡る幾重もの収奪とアヘン戦争の記述
第二十九章 農民経済との闘争
冒頭リード文「自然経済との闘争の重要な最後の一章は、農業の工業からの分離、農村工業の農民経済からの駆逐である。」107P
「資本主義は、商品経済を生み出した後、これと生産手段・労働力および販路を争うのである。目的は、最初には、生産者を孤立させ、彼をその保護期間たる共同体という団結から引離すことである、次いでは、農業を手工業から引離すことであったが、今や、小さな商品生産者をその生産手段から引離すことが、課題である。」117P
 アメリカ合衆国の場合108-128P カナダの場合128-131P
「世界的舞台における資本支配の行進・・・・・・」131-2P
「まったく別な歴史的範囲における――南アメリカにおける――同じ過程は、小商品生産者と資本家との競争の「平和的な諸方法」を、いっそう明瞭に示している。」132P 南アフリカの場合132-140P
「資本主義と単純な商品経済との間の闘争の一般的結果は、資本が自然経済に代えるに商品経済をもってした後で、資本みずからが単純な商品経済にとって代わるということ、これである。だから、もし資本主義が非資本主義的な構造によって生活しているとすれば、資本主義は、より厳密に云えば、これらの構造の没落によって生活しているのであり、また、もし資本主義が蓄積のために非資本主義的環境を無条件的に必要とするとすれば、資本主義はそれをば、それを犠牲とし、それを吸収することによって蓄積が行われるところの、培養土として必要とするのである。歴史的に把握すれば、資本蓄積は、資本主義的生産方法と前資本主義的生産方法との間で行われるところの、物質代謝の過程である。前資本主義的生産方法なしには資本の蓄積は行われないが、しかし蓄積なるものは、この方面から考えれば、前資本主義的生産方法の咀嚼であり、消化である。従って、資本蓄積は、非資本主義的構造が資本蓄積と両立しないのと同様に、非資本主義的構造なしには存立しえない。非資本主義的構造のたえざる前進的粉砕のうちにこそ、資本蓄積の存在条件が与えられているのである。」140-1P・・・第一章のコメントとのゼロサムではない関係
「だから、マルクスが彼の蓄積表式の前提として仮定したことは、マルクスが彼の蓄積表式の前提として仮定したことは、ただ、蓄積運動の客観的な歴史的傾向、およびその理論上の最後の結果とのみ、一致する。蓄積過程は、いたるところで自然経済に代えるに単純な商品経済をもってし、単純な商品経済に代うるに資本主義をもってし、唯一にして排他的な生産方法をば、すべての国々および部門において絶対的な支配者たらしめようとする、傾向をもっている。」141P
「だがここに袋町がはじまる。ひと度かの最後の結果が達成されると、――しかしこれは理論上の作りごとたるにとどまる、――蓄積は不可能事となる、すなわち剰余価値の実現および資本化は、解くべからざる課題と化する。マルクスの拡張再生産表式が現実と一致する瞬間に、この表式は、蓄積運動の終結すなわち歴史的局限を、かくして資本主義的生産の終局を、示す。蓄積が不可能だということは、資本主義的には、生産諸力のそれ以上の発展が不可能なことを、したがってまた、資本主義の崩壊の客観的な歴史的必然性を、意味する。その結果、資本の歴史的精算のお終いの時代としての、最後の、すなわち帝国主義的な段階の、矛盾に充ちた運動が生じる。」141-2P
「かくて、マルクスの拡張再生産様式は、蓄積が進展するかぎりは、蓄積の諸条件と一致しない。蓄積は、かの表式が定式化せる、社会的生産の二大部門(生産手段の部門と消費資料の部門)の間の固い相互関係および依存関係には、拘束されない。蓄積は、ただに、資本主義経済の両部門間の内部関係であるばかりでなくて、何よりもまず、資本と非資本主義的環境との間の関係であって、この非資本主義的環境においては、二大生産部門のいずれも、部分的には他部門ら独立して自力で、蓄積過程を経過することができるが、その際には、両部門の運動は、再び到るところで交差しあい、相互に縺れあうのである。そのことから生じる複雑な関係、すなわち、両部門の蓄積の進行における歩調や方向の多様性、非資本主義的生産諸形態との蓄積の物的関係や価値関係は、精確な表式で表現することはできない。マルクスの蓄積表式は、資本支配がその最後の限界に達する瞬間についての理論的表現に外ならぬのであって、その限りでは、それはまた、資本主義的生産の出発的を理論的に定式化する彼の単純再生産表式と同じく、科学上の擬制である。だが、外ならぬこの二つの擬制の間にこそ、資本蓄積およびその法則に関する、正確な認識が閉じ込められているのである。」142P
第三十章  国際借款
 借款を通じた支配の構造
冒頭リード文「資本蓄積の帝国主義的段階、あるいは資本の世界的競争の段階は、資本によっての、従来の更新諸国――すなわち、そこで資本が自己の剰余価値を実現した後進諸国――の工業化および資本主義的解放を含んでいる。この段階の特殊な作戦方法は、対外借款、鉄道敷設、革命、および戦争である。」143P・・・剰余価値の実現方法
「革命は、自然経済や単純な商品経済の時代から伝来せる・したがって時勢おくれとなった・国家形態を叩き毀して、資本主義的生産の目的に適した近代国家を作るために、後進国の資本主義的解放の過程で必要である。」143P・・・資本主義的生産様式(賃金奴隷制)へのとりこまれ
「帝国主義時代においては、対外借款は、若い資本主義諸国の独立の手段として、顕著な役割を演ずる。帝国主義的段階のありとあらゆる矛盾は、対外借款の近代的体制の諸矛盾のうちに、手をとるように現われている。」146P
「国際的借款体制のこれらの矛盾は、剰余価値の実現の条件とその資本化の条件とが、時間的にも場所的にも如何に甚だしくちぐはぐであるかということの、最も信頼すべき証拠である。」146-7P
「互いに縺れあっている三列の事実が、十九世紀の後半期におけるエジプトの内部的歴史を特色づけている、――・・・・・・」159P エジプトの歴史159-176P
「いまや農夫は、最後の一滴にいたるまで吸いとられた。エジプト国は、ヨーロッパ資本の手中で吸血器としての自己の機能を果たした。そして不用となった。総督イスマエルは免職された。資本は精算に着手することができた。」171P
「このことは、仮面を被らせる一切の介在物をとり除けて見れば、尨大な範囲にわたるエジプトの農民経済がヨーロッパ資本によって喰いつくされたという、簡単な事実に帰着する、――・・・・・・」173P
「東洋諸国は、熱病的な性急さをもって、自然経済から商品経済への・および商品経済から資本主義経済への・彼等の発展を経験している間に、国際資本によって、喰いつくされるのだ、というわけは、彼等は、国際資本に身を売ることなしには、変革をなし遂げることはできぬからである。」175P
「アジアトルコにおけるドイツ資本の商売は、最近のもう一つのよい例をなしている。すでに早くから、ヨーロッパ資本、ことにイギリス資本は、ヨーロッパとアジアとの間の世界貿易の古い道筋にあたっているこの地方を、征服しようと努力したのであった。」176P
 トルコ、小アジア、中東への支配の歴史176-186P
「商売の結果は、一方では、資本蓄積の進展と、トルコにおけるドイツ資本のなお一そうの政治的および経済的某地用の口実としての、「勢力範囲」の増大とであり、他方では、国家によるアジア的農民経済の急速な分解・破壊および苛斂誅求と、トルコ国家のヨーロッパ資本への金融的および政治的依存性の増大とを基礎としての、鉄道と商品交易とである。」186P
第三十一章 保護関税と蓄積
冒頭リード文「帝国主義は、まだ搾取されていない非資本主義的世界環境の残部をめぐる競争戦における、資本蓄積の過程の政治的表現である。」187P
「資本主義諸国の高度な発展と、ますます激しい競争とに際して、帝国主義は、非資本主義的世界にたいするその攻撃的行動においても、資本主義競争諸国の間の対立の激化においても、その精力と暴虐性とを増す。だが、帝国主義がより暴虐に、より精力的に、より根本的に、非資本主義的文化の没落を計れば計るほど、それはますます急速に、資本蓄積の依って立つ土台を奪うことになる。帝国主義は、資本の生存を延長させる一歴史的方法であると同様に、その生存を最も手早く客観的に抑止する最も確実な一方法でもある。といっても、この終点が杓子定規に達成されねばならぬ、というわけではない。だがすでに、資本主義的発展のこの窮極目標への傾向は、一の破局期への資本主義の最終段階を形成する諸形態となって、現われているのである。」187-8P 
 自由貿易主義と保護貿易主義との間での帝国主義の植民地支配の構造194P-
「ドイツならびにフランス、イタリーおよびロシアでは、保護関税への復帰は、軍備拡張と手に手をとって、そして軍備拡張のために、すなわち、同時に開始されたヨーロッパの軍事競争――初めには陸軍の、後には海軍の――の体制の基礎として遂行された。」196P・・・帝国主義は軍備拡張とともに
「ここでは形式上、平和、所有権および平等が支配的に行われる、だから、如何にして蓄積に際しては、所有権が他人の財産の獲得に変り、商品交換が搾取に変り、平等が階級支配に変るか、ということを曝露するためには、科学分析の鋭い弁証法が必要であった」196P・・・純資本主義(経済的資本主義)の搾取・支配の構造
「資本蓄積の他の一面は、資本と非資本主義的生産形態との間で遂行される。その舞台は世界劇場である。ここでは、植民地政策の方法として、国際的な借款体制、勢力範囲政策、戦争、が支配的に行われる。ここでは、まったく隠すところなく公然と、暴力、詐欺、圧迫、掠奪があからさまに行われる、そして、政治的な暴行や力試しのかかる混沌ののもとで、経済的過程の厳密な法則を発見するのは、骨の折れることである。/ブルジョア的自由主義的理論は、一方の面、すなわち「平和的競争」、技術上の脅威、および純粋な商品取引の領分のみを注目して、他の面、すなわち資本の物々しい暴行の領域を、「対外政策」の多かれ少なかれ偶然的な表現として、資本の経済的な領分から引離してしまう。/実際のところ、政治的暴力は、この場合にも、経済的過程の媒介者に外ならぬのであって、資本蓄積の両方面は、資本そのものの再生産諸条件によって、相互に結びつけられているのであり、それ等が一緒になって初めて、資本の歴史的生涯が生ずるのである。資本は、ただに、「頭から爪のさきまで、すべての毛孔から血と脂とを漏らしつつ」生まれ出るばかりではなく、かくしてまた、一歩一歩と自己を貫徹するのであり、ますます激しい痙攣を起しながら、それ自身の滅亡を準備しているのである。」196-7P
第三十二章 資本蓄積の領域としての軍国主義
植民地支配のところで、暴力――軍事支配の問題はすでに出ていた(69P)のですが、ローザのひとつの柱に、反戦ということがあり、これを最終章においたのは、ローザらしいまとめだととらえ返しています。
冒頭リード文「軍国主義は、資本の歴史において或る確かな機能を果たす。それは、蓄積のあらゆる歴史的段階において、蓄積の歩武につき従っている。いわゆる「原始的蓄積」の時代においては、すなわち、ヨーロッパ資本の端初においては、軍国主義は、新世界の・およびインドの香料産地の・侵略に際し、後には、近代的諸植民地の侵略・原始的諸社会の社会的結合の破壊・およびそれら社会の生産手段の占領・に際し、商品経済にとって障碍となるような社会的構造を有する諸地方における商品取引の強制に際し、土人(ママ)の暴力的プロレタリア化および諸植民地における賃労働の強制に際し、ヨーロッパ以外の領域におけるヨーロッパ資本の勢力範囲の形成および拡張に際し、後進諸国における鉄道利権の強要に際し、また、国際的借款から生ずるヨーロッパ資本の請求権の執行に際し、最後に、非資本主義的文化の領域をめぐっての資本主義諸国相互間の競争戦の手段として、決定的な役割を演ずる。」198P
「その上さらに、もう一つの重要な機能がある。軍国主義は、純経済的にも、資本にとっては、剰余価値を実現するための一流の手段、すなわち蓄積の一領域のように見える。」198P・・・「見える」だけ、軍事費はスペンディング経済に属する。
「寄生者」199P・・・軍事の関係者は伴食者のみならず、戦争を起こし、人を殺すとき、まさに人類の「寄生者」になる。
「いまや吾々は見る、――労働者から搾りとられた租税の、軍需品の生産への充当は、資本にたいし、一の新たな蓄積の可能性を与えるものなることを。」214P・・・軍事費として搾り取られる租税による軍事産業による搾取という重層化
まとめ「資本主義は、普及力をもった最初の経済形態、すなわち、世界に広がって他のすべての経済形態を駆逐する傾向をもった、他の経済形態の併存を許さない、一形態である。だが同時に、それは、独立しては・すなわちその環境およびその培養土としての他の経済形態なしには・存在しえないところの、最初の形態である。すなわちそれは、世界的形態たらんとする傾向をもつと同時に、その内部不可能性ゆえに、生産の世界的形態たりえない、最初の形態である。それは、それ自体において一個の歴史的矛盾であり、それの蓄積運動は、矛盾の表現であり、矛盾の絶えざる解決であると同時に強大化である。ある一定の発展程度に達すると、この矛盾は、社会主義の原理の適用によっての外には、決して解決されえない、――社会主義の経済形態は、もともと世界形態であると同時に、それ自体一の調和的体制である、けだしそれは、地上のあらゆる生産諸力を開発することによって、蓄積ではなしに、労働する人間そのものの生活欲望の充足を、目的とするであろうから。」219P・・・資本主義は他の経済形態を収奪して包含していく、社会主義は生活資料の充実を目的にする。
[追記]
いくつかの修正が必要、植民地支配ということをローザは余り押さえていないということを書いたのですが、この本の中で十分に展開しています。
ローザは、マルクスの『資本論』二巻での表式の矛盾を指摘していて、わたしはそれを別のところで展開することと批判していたのですが、ローザも一応別のところで展開することとしています。
 資本主義の延命の構造としての、人口増や科学技術の発展に関しては、次の読書メモ『再論』でローザ自体が批判しています。


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2020年12月17日

NHKEテレ「ハートネットテレビ 京都ALS嘱託殺人事件」

たわしの映像鑑賞メモ045
・NHKEテレ「ハートネットテレビ 京都ALS嘱託殺人事件1 視線でつづった586日」2020.11.3
・NHKEテレ「ハートネットテレビ 京都ALS嘱託殺人事件2 “安楽死”をめぐって」2020.11.4
この番組は、043でとりあげた事件で、1で嘱託した当事者の心の軌跡と彼女と接触した周りのひとの反応を追い、2で“安楽死”ということからこの問題を当事者や学者、“安楽死”問題を「障害者」の親の立場から追いかけてきたフリーライター(註1)の話でつなげています。そして、「患者」や介護に関わるひと、一般のひとの意見も織りばめています。しかし、それは必ずしも、当事者が生きるという方向になっていないのです。
1で印象に残ったのは、テニス鑑賞の趣味でSNSで友達になって、死へ誘われている当事者をなんとか翻意させようとしていたひとがビデオで出ていました。そのひとが、当事者が亡くなった後で、SNSで「死ねて良かった」とそしていう投稿が出ていて、むしろそちらが多数派だったというようなこと話していました。この話は、そもそも、一般的に「延命処置を望むか?」というアンケートに8割のひとが「望まない」と答えることとか、介護資格を取得する民間の講座で、受講生に「延命処置を望むか?」と質問すると、8割のひとが「望まない」と答える話(註2)にもつながっています。要するに、「安楽死」ということばは、今回2の学者のひとの話として、そもそも死ぬときに安楽なのかというはなしが出ていた、あいまいな概念なのですが、それに変えて、「尊厳死」という更にごまかしの言葉も出ています。これは、そもそも、「障害者」の介助や高齢者の介護がきちんとなされないなかで「尊厳がない状態にされる」(註3)というところで、「尊厳死」などいう言葉が出てくるのではないかと思います。それに、そもそも「他者の世話になって生きる」こと自体を否定的にとらえる現代社会(資本主義社会)の否定的な考え方があります。「障害者」に対する差別的な観念がこの社会全体に広く行き渡っているのです。だから、生まれたときから「障害者」であったひとたちは、生きるために、そのような思想に対峙し開き直って生きる術を獲得していくひとも出てくるのですが、中途「障害者」たる、「患者」や高齢者は、この社会に広く行き渡っている、「身辺自立」とかQOL(生活の質)とかいう「健全者幻想」(註4)にとらわれて生きて来たことから転換することが容易ではありません。今回の嘱託殺人の「依頼者」当事者も、まさにそういった社会一般にある、人間像や世界観にとらわれたところで、「できない」――「できなくなる」ということを巡る優生思想的なところにとらわれたところでの「死にたい」という思いにとらわれたのだと思います。
わたしは「障害の社会モデル」のとらえ返しをしています(註5)。その考え方からすると、この社会に広がる優生思想的なところに殺されたのだということができます。
NHKは、そもそも政権擁護なのですが、福祉に関わることはそれなりに踏み込んではいますが、報道の中立性にとらわれ(註6)、両論併記で問題提起に留まっていて、出口のない閉塞感にとらわれる番組作りに終わっています。
 わたしは決して、出口がないとは思っていません。まず、「ALS」の当事者と家族の会は、喀痰吸引や胃瘻の注入が医療者や家族でないとできないとされていたことを、交渉を積み重ね、介護者の資格をもつひとに拡げました。ただ、制度を作っても、利用するひとの意識、介護をするひとの質量の保障がなければ、生きがたくなります。そもそも、この社会の「障害者」や「難病者」へのとらえ方が否定的であれば、そのことに、当事者も介助者も規定されていきます。
 そもそも、自死したいというひとがいて(註7)、実際に実行しているひともいます。この社会がそもそも多くのひとにとって生きがたい社会になっています。「中途障害者」の自死願望や高齢者の「ポックリ死にたい」という事が出て来るのは、その極としてあるのです。なぜ、そのような事が出てくるのかをとらえねばなりません。この社会、資本主義社会では労働力の生産・再生産に関わること自体がコストなのです。だから、福祉に関わることが切り捨てられ、抑えこまれるのです(註8)。だから、そもそも根本的に社会を変えようということの中でしか展望は出てこないのです。一時、オルターグロバリーゼーションということが叫ばれ、「もうひとつの世界は可能だ!」というスローガンが叫ばれ、反サミットということでいくらかの盛り上がりがありました。しかし、その運動はしぼんでいきました。なぜか、「もうひとつの世界」のイメージがつかめなかったからです。そもそも、資本主義批判の中で、マルクスが共産主義の概念を突き出しました。その流れが、ロシア・東欧、そして中国において「社会主義国家」を建設したとされていました。しかし、それはそもそもプロレタリア独裁が党の独裁になり、また社会主義への移行に失敗した国家資本主義に陥ったのです。それを「社会主義」と称して、それを維持するために監視社会、全体主義的な国家になってしまいました。それを「社会主義」として曲解することから、「社会主義」への幻滅が広がっていきました。そのような曲解の下で、出口のない厭世主義的な閉塞感が広がっていったのです。そのようなところを押さえたところで、きちんと社会変革運動の過去のとらえ返しをしながら、改めてきちんと情況をとらえ返して、社会変革の道筋を示していくことのなかにしか、閉塞感を脱する道はないのでと言いえます。わたし自身、微力ながらそのような作業に取り組んでいます(註9)。


1 児玉真美さん、自分の「障害児」の子どものことで本を出し、その後いくつの著作を出し(「読書メモ」 240,242,243,249にブログ)、ヨーロッパの安楽死――尊厳死の問題でインターネットで情報を発信続けています。
2 これは高齢の母を看取った後に、その反省と介助の勉強をしておきたいと通った、高齢者介護の講座で、実務者研修のコースでの講師の話。
3 昔の介護の研修では、講習生におむつの中で、排尿・排便をしてみる、という体験から、介護の必要性の自覚をさせるということをしていました。それが、現在では、講習では差し込み便器とか、尿瓶の講習もあるのですが、すでに介護の仕事をしている講習生から「現実にそんなことやっていない」という話も出ています。
4 「健全者幻想」とは、青い芝のひとたちが中心になって突き出した概念。そもそも殆どのひとが「健全」などない、理念的なことなのに、「障害」がないという幻想的なことを追い求めることを、「健全者幻想」と言います。それだけでなく「障害者」自身も子どもが生まれたとき、「五体満足」か、思わず見てしまう。自らの存在を否定する、内なる「健全者幻想」にとらわれてしまうもことを、問題にしてとらえ返しをしていました。
5 以前出した本(『反障害原論』)の中で書いて、その後「『反障害原論』への補足的断章」という形で文を書いています その一連の論攷は、次のURLから
  https://hiro3ads6.wixsite.com/adsshr-3/c
6 そもそも「中立幻想」ということがあります。「安楽死――尊厳死」を合法化する法律を作る運動があり、そのことをきちんと批判しないマスコミは、批判と推進の両論併記しようとする動きになってしまい、結局、このような事件のとき、結局、「死にたい」という思いがどこからきているのかを押さえた、それを抑止する報道はなしえません。
7 わたし自身、マージナルパーソン的な「障害者」当事者として、優生思想にとらわれる中で、「自死願望」にとらわれた思春期をおくりました。そのことの反省の中で、みずからもとらわれた優生思想への批判と、「障害者」の存在を否定する論攷への批判をなしきろうという試みの中で、文を書き連ねています。
8 このことは、マルクスが『資本論』を中心にした著作の中で、展開していたことです。これを、コストにしないためには、そもそも経済体制を変え、基本生活保障をきちんと確保する体制をつくらねばなりません。
9 これはよりよい社会を作ろうという社会変革志向の運動が陥った矛盾――ときには暴虐の歴史の総括なしにはなしえません。その運動はマルクスの思想の流れから、その踏み外しとして出てきています。それがどういうことなのかを押さえるためにも、マルクスの思想の流れの論攷を読み解く作業をしています。そこから、わたしとしては、その運動の端っこで参画していたにすぎないことですが、それでも主体性はもっていたところで、現代の運動の総括に進んでゆくつもりです。それがわたしの学習の一つの柱になっています。


posted by たわし at 04:43| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローザ・ルクセンブルク/岡崎次郎・時永淑訳『経済学入門』

たわしの読書メモ・・ブログ549
・ローザ・ルクセンブルク/岡崎次郎・時永淑訳『経済学入門』岩波書店(岩波文庫)1978
 ローザの学習12冊目です。ローザ自身の著作で、経済学書2冊目。
これはローザが党学校で講義しているときに作ったノートを経済学入門書として分冊として出版化しようとしていた何度かの試みの中で、結局生前中には果たせずいた(一部(1章)は印字されていたようなのですが)、草稿のままになっていた未完の書。何度か、その草稿をまとめる形で出版化されているようなのです。これは原書のタイトルをそのまま訳すると、「国民経済学入門」となるのでしょうが、中味としては「国民経済学批判としての経済学入門」となっています。ローザが暗殺されたときも、この草稿を書いていて、暗殺部隊によってその原稿が破棄されたとも言われ、まさにいくつもの欠落部分のある草稿です。ローザの経済学書には主著ともいうべき『資本蓄積論』があり、その影に隠れてしまうのですが、この草稿群もきちんと残っていたなら、マル・エンの草稿「ドイツ・イデオロギー」のように編集論議がなされることではなかったかもと思われるのです。
この本は、ローザは、この本を労働者にとっても分かりやすい入門書として書いているので、現実にとらえられる現象のようなところからとらえ返し、そこからマルクス派の経済学につなげようとして本で、マルクス派の経済学にそのような「入門書」はなかったので、翻訳も含めかなり読まれていたようです。
さて、訳者が解説でかなり分析してくれているように、三つの原稿に分かれるようです。まず最初が、「国民経済学とはなんであるのか?」というところの押さえ、経済学史的なところを展開しているところ、その中でマルクス派の社会主義の理論的前史といわれるような展開もあり、本源的蓄積論の草稿的な内容も書かれていて、ローザの理論はインターナショナリズムというところから、世界はつながっているというところで、国民経済学批判を展開しています。
二つ目が、原始共産制から経済的なことを基礎にして体制の歴史を押さえる作業をしているところ。これは、ローザの民族自決権批判には、ヨーロッパ内での植民地的支配の問題で展開しているところで、アジアやアフリカ、アメリカでの植民支配の観点が抜け落としているというようなわたしも含めたとらえ返しがあったのですが、ここでは、しっかりと、植民地支配の苛酷さを描いていて、それへの怒りも含めたとらえ返しがなされています。
三つ目が、『資本論』の第一巻のところのわかりやすい展開を試みたところ、マルクスの展開を、かなりかみこなした展開をしているので、『資本論』が頭に入っているひとにとっては、対比させてそのかみ砕いているさまも伝わってきます。ただ、部分的に疑問をいだくところもあるのですが、ともかく、これは最初の計画からも欠落したところがあり、また、そもそも、資本論総体からすると、ローザがこの書を書き上げていたら、どうなっていたかを考えてしまいます。
ちなみに、ローザはこの書を書きながら、第二巻への疑問が湧いていき、『資本蓄積論』に至ります。それは、「国民経済学」という範疇で収まらない、植民地支配など、外部のとされることをローザはインターナショナリズムの観点から、つながっていることとしてとらえ、その理論が継続的本源的蓄積論の展開につながっています。このあたり、マルクスには「帝国主義論の展開が希薄である」とされていることから、レーニンの帝国主義論の展開につながっていくのですが、現在的な植民地支配から脱したポストコロニアル時代、すなわち新自由主義的グローバリゼーションの時代には、むしろローザの継続的本源的蓄積論が活かせる理論になっているのではと思います。その継続的本源的蓄積論を反差別論から読みといていくことによって、社会変革の新しい理論として活かしていけることではないかと考えています。この書は、ローザのインターナショナリズムの経済的根拠を示しているとも言いえます。
さて、いつもの切り抜きメモですが、今回はテーマとページ数を章ごとに上げるにとどめます。
第1章 国民経済学とはなんであるか?
「このように巨大に発展している相互的交換に直面していながら、いったいどうして人々は、一国民の「経済」と他の一国民のそれとのあいだに境界線を引いたり、同様に多数の「国民経済」などと言ったりして、それらが経済的にまったくそれだけとして考察されるべき諸領域であるかのように言うのであろうか?」31P「この日々にますます緊密になり強固に合生して行って、あらゆる国民と国土とを一つの大きな全体として結合する経済的基礎と、諸国民を境界標や関税壁や軍国主義によって人為的にそれだけ多くの無縁な敵対的な諸部分に分裂させようとする諸国家の政治的な上部構造とのあいだの、広がりつつある矛盾ほど、今日目につくものはなく、これほど今日の社会的および政治的生活の全容にとって決定的な意義をもつものはない。」73P・・・連動する世界
5は本源的蓄積論から読み解く
分業とフェミニズムに関する事で押さおくこと79P
「もちろん、中央集権的官僚的諸大国家の確立は資本主義的生産様式の不回避的な一前提だったのではあるが、しかし、その確立はまたそれはそれとして同じ度合いでただ新たな経済的諸要求の一つの結果にすぎなかったのであって、・・・・・・すなわち、政治的中央集権の形成は「本質においては」成熟しつつある「国民経済」の、すなわち資本主義的生産の、一つの成果なのである、と。」105P・・・二面性、弁証法
「実際には、まったく別な諸力が、中世末期におけるヨーロッパ諸国民の経済生活における大きな変動が、新たな経済様式の到来を開始するために、働いていたのである。」106P・・・本源的蓄積論
国民経済学は、封建制批判から近代資本主義国家の定立としてイデオロギー的定立という意味108P
最初は商業資本109P
資本主義の定立112P
マルクス――エンゲルスの「共産党宣言」に至る社会主義の理論的前史116-8P
理念としてのイズムから経済学的な革命の必然性の理論へ120P
「いまや、なぜマルクスが彼自身の経済学説を公認の国民経済学の外に置いて、それを「経済学批判」と名づけたのか、ということは明らかである。」121P・・・外に置く
 国民経済学の最終章は世界革命122P
第2章 経済史的事実(T)
1 原始共産制 土地の共同所有
 モーガン147P
 グローセの単線的発達史観批判へのローザの批判166P・・・今日的なとらえ返しの必要
3 分配の方式 「文明」が実は「野蛮」
 革命思想との接続204P
4 経済的諸関係の標識
 人間の相互関係208P
生産手段へのひとの関係208P209P
第3章 経済史的事実(U)
1 マルク共同体的なこと
植民地支配と被支配地・抑圧の中での共同性
 インカのホロコーストと奴隷制と隷属
農地の割替223P・・・日本においてもあった
デモス(民衆)227P
マルク共同体(註)「数千年にわたる搾取と隷属の制度の強固な耐久的基盤として示されていただけではなくて、この制度そのものがまたやはり共産主義的に組織されていた、・・・・・・」233-4P・・・被抑圧民衆がいる中での共同性は「共産主義的」と言いえるのか? ギリシャの奴隷制の基礎に立つ市民の民主主義との対比
 原理の統一性のなさ235P・・・共同体内部の共産制ということと、抑圧の構造に組み込まれているという矛盾が「原始的諸制度」にあって、それを今日的な共産制ということが解体されたところで、「原理」的にとらえ返せない
 暴力の存在236P
 ロシアにおける土地の割り当ては租税のための義務272P
3 マルク共同体の解体とアジア的支配とヨーロッパ的支配の違い
 軍事の分業的析出による共同性の解体285P・・・軍事が共同性を解体する
 平等と民主主義のないところでは共同性が解体される291P
 回教徒の支配は政治に介入しない貢租と軍事支配293P
 ヨーロッパ人の支配は土地の収奪や奴隷化294P
第4章 [商品生産]
 労働299P・・・?労働⊂生産活動(仕事)
物々交換の世界316P-・・・『資本論』の価値形態論における論理的抽象の世界からのとらえ返し
 サブシステンスとしての必要な生産物320P
 第三項排除としての貨幣――家畜328P
「労働しない者は、食料を手に入れることもないであろう。」352P・・・「社会主義」(カギ括弧を付けているのは、反差別ということが押さえられていないという批判的意味で)の理念として、「働かざる者は食うべからず」ということがあるのですが、これは「労働」という概念自体のとらえ返しがなされない中で、障害差別的な言辞になっています。「障害者」は存在自体で仕事をしているという押さえをわたしはしています。
3 交換と分業/私有財産制
「共産主義社会を一夜のうちに破壊して自由な私的生産者たちの社会に転化させた突発的な破局としてわれわれが叙述してきた経過、この経過は、実際は数千年を要したのである。」330P
「すでに共産主義的共同体の胎内で、すべての可能な労働部門は専門化されていたということ、すなわち、社会内部の分業は非常に高度な発展を遂げていたということ、したがって、共同所有を廃止して交換を伴う私的所有が発生したときに、すでに分業は交換の基礎としてできあがっていたということ。」332P
「共産主義的な原始共同体では、まさに私的所有こそが排除されていたのであり、歴史が示すように、私的所有は、交換と労働の特殊化の結果としてはじめて成立したのである。」333P
「最初の交易も、共同体または部族の内部ではなく、その外部で、同一部族・同一共同体の構成員間でではなく互いに接触するに至った種々の部族や共同体のあいだで、行なわれた。」336P
第5章 賃労働
4 労働予備軍
5 相対的貧困
 相対的収奪を解決するのは革命しかない408P
第6章 資本主義経済の諸傾向
グロバリーゼーションの時代の予期436P・・・この論攷が最初のインターナショナリズムの話に回帰している

(追記)
ローザは、マルクスの思想をそのまま踏襲するのではなく、自ら他の文献をあたり、テキストクリティークしながら論を形成しています。この書の2章・3章はローザの古代社会ノート的展開になっていて、ローザの植民地支配批判や反暴力主義・反戦思想ともリンクしていきます。ただ、ローザの反暴力主義・反戦思想からすると、マルクスの思想の流れから出てくる、武装蜂起―国家権力の奪取―プロ独から社会主義への移行ということが、当時の植民地支配や専制支配のなかで、対抗的に出てくるとはいえ、なぜ、「政治とは権力の行使である」というところにとらわれて行ったのかを考えています。そのあたりは、反差別ということを個別に取りあげない「普遍主義」のようななかで、「男並みに活動していく」ということから脱せず、反暴力主義の徹底化ができなかった側面もあるのではと思ったりしています。誤解のないように書いておきますが、わたしは反暴力主義者ですが、非暴力主義者ではありません。すでに、差別という暴力も含め暴力に支配されているなかで、非暴力主義は「戦術」論的にしかありえません。


マルク共同体
ゲルマン社会および中世ドイツにおける共同用益地 (森林,放牧地,沼沢など) の用益,管理を担当する組織をさす。古ゲルマン社会で,個々の家族に属さず,個々の家族の所属するある定住団体が所有し,その団体成員によって共同に利用される土地をマルクと呼んだ。一つの村落がマルク共同体を形成したり,あるいは数個の村落がマルク共同体を形成していたと考えられている。森林その他の共同地が相対的に狭くなり,その用益統制が必要になった時代に,いろいろな定住団体を主体として形成されたと考えられている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)




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ローザ・ルクセンブルク/肥前栄一訳『ポーランドの産業的発展』

たわしの読書メモ・・ブログ548
・ローザ・ルクセンブルク/肥前栄一訳『ポーランドの産業的発展』未來社1970
 ローザの学習11冊目です。もう一度、ローザ自身の著作。しばらく経済学書。
これはローザの亡命中でチューリッヒ大学に提出された学位論文。この書の訳者解説にも書かれているのですが、レーニンの著で同じくらいの時期に出された『ロシアにおける資本主義の発展』があり、レーニンの『帝国主義論』が出された時期にローザは「帝国主義論」の内容で『資本蓄積論』を書いています。二人の問題意識の重なり合いが読み取れます。レーニンは、『ロシアにおける資本主義の発展』で、後発の資本主義の成立から、工場制機械生産をとりいれることによって、かなり資本主義が発達し、単なる専制国家的(アジア的)帝国主義ではなく、資本主義的帝国主義の内容をもっていて、後の労農同盟によるプロレタリア革命の可能性の途を探り、それが一九一七年の二月革命の後の四月テーゼから、十月革命に結びついていきます。
一方、ローザのこの著は、ポーランドの資本主義の発達情況を押さえています。レーニンとローザの間での論争で、レーニンはポーランドの問題でローザが押さえ損なったと批判していることがあります。レーニンは、民族自決権を突きだしています。レーニンは抑圧民族は民族主義的なことを突きだしてはならないけど、被抑圧民族は、むしろ植民地支配から脱する民族主義的な突き出しが必要だとしています。そこで、ポーランドをロシアの植民地というような押さえ方をしているのですが、ローザはむしろポーランドの方が資本主義的に進んでいて(進んでいる面もあって(註1))、ロシアとの間で分業と交換がなされていた(ような面もあった)というような逆批判をしています。そのような突き出しに、この書が元になっているのです。さて、レーニンの民族自決権といわれることに対して、ローザはレーニンが組織論として出している(それは体制論にもなるのですが)超中央集権制と相反すると批判しています。いわば虚構としての民族自決権になっています。このあたりは、ローザも中央集権制そのものは否定していないし、前衛党の主導する武装蜂起革命――国家権力の奪取――プロレタリア独裁というマルクス以来の流れに棹さしているのですが、このあたりは二人の生きた時代は、植民地支配と再分割の帝国主義間戦争という暴力支配が横行していた時代で、そこから、前衛党による武装蜂起革命論が出て来ているとも言いえます。ローザが自然発生性という処を突きだしているところで、ローザも肯定的に書いている前衛党論や中央集権制、国家権力の奪取、プロ独というながれ自体を現在的にとらえ返すことが必要です。勿論、右翼やファシストはテロリズムを常套手段にしているところで、非暴力主義はありえないのですが(勿論、「戦術」としての非暴力主義を否定するものではありません)。
さて、この書で、ローザはポーランドがいかに資本主義として成長しているかを書いています。特にロシアとの関係においてです。そして、ロシアもアジア的帝国主義支配や関税などの政治的支配をポーランドに対して(かならずしも)しかけていないとしています。このあたり論争は、訳者解説で、ヴィニアルスキ/ローザvsヘッカー/カウツキー/エス・ゲー/シュルツェ=ゲヴァーニッツとなっているのですが、両論併記になっていて、そのかみ合わせ、ローザの批判は書かれているのですが、それと批判されている側からの、論攷が真逆になっていてローザが批判しているのに、ローザに対する反批判は余りなされていません(註2)。
さて、レーニンとローザの間で民族自決権の議論が軸になっているのですが、これは双方もマルクスの流れに棹さしているので、それからする唯物史観的とらえかたからする、経済的とらえ返しとしての両者の資本主義の発展段階を押さえる作業が重要な位置を占めます。ローザはロシアの植民地としてのポーランドというとらえ方を批判しています。もうひとつ、政治的なことからすると、ローザの「仲間」(註3)たちがロシア革命の中で、かなりいろんな位置を占めていて、それは植民地支配されているひとたちの動きにはなっていないし、その「仲間」が民族自決権批判の考え方をだいたい維持し続けたということからも、植民地ポーランドという押さえ方は出てこないのではとも言いえます。
ここで、民族自決権ということを押さえておくと、ローザは主にポーランドとロシア関係から、この民族自決権批判をしているのですが、他の関係から押さえる必要があります。とりわけ、欧米の「帝国主義」とアジア・アフリカの植民地支配していた国の独立運動をどうとらえるのかということが重要になってきます。ローザもロシア――ポーランド関係とは別の関係を必ずしも考えていなかったわけではありませんが、今のところ、そのことに言及した論攷を見いだし得ていません。このことも含めた民族自決権のとらえ返しが必要になってきます。
ただ、今日的には、ユダヤ人のイスラエル建国によるシオニズムによるパレスチナ人抑圧をとらえ返すと、民族自決権のもっとも醜悪な例として押さええます。ローザもユダヤ人で、世界に分散したユダヤ人に民族自決権という発想はでてきません。そういう意味でも、民族自決権の批判をしたのではないかとも言いえます。
さて、帝国主義論を巡るレーニンとローザの論争ですが、わたしは、レーニンの「帝国主義論」は植民地支配時代の革命論でしかなくなるのですが、ローザの「継続的本源的蓄積論」は、差別という処から読み解いていくと、新自由主義的グローバリゼーションに対抗する反差別共産主義論として定立し得ると考えています。しかも、ローザの思想を深化させていくと、民主主義は封建制・王制に対峙するものとして生まれたにせよ、現代的には民主主義に対峙しているのは、国家主義ではないかとも言いえます。そのことを押さえた上で、マルクス、レーニンの時代の革命論も生み直しが必要となっているのではないでしょうか?
さて、ここから切り抜きメモに入るところなので、それなりの準備をしていたのですが、前の読書メモと同じように、もやもやとした部分があまりにも多く、うまくメモをとれそうにありません。メモをとらないと頭に入ってこないので、メモをとってきた経緯もあるのですが、民族問題で、再読の本『民族問題と自治』もあり、先を急ぎたいので、ここでは禁欲しておきます。


1 斜文字は、ローザとその批判者の対話がかならずしもかみあっていず、ローザの主張を再検討する意味で曖昧化させた表現をとって置きます。以下括弧内の斜文字は同文。
2 ナフサの価格の高値に関する批判は出ています。これは、どちらの理論に正当性があるのか、よく分かりません。現在的にも石炭が生き残っているという面からすると、ローザへの批判は必ずしもあたらないと思っています。その他は文献をちゃんと読んでいないわたしが探し出せていないだけかもしれませんが。
3 この概念は、ネットルが出していることで、かなりのひとがユダヤ人でポーランド人、そして民族自決権批判の立場を持ち続けてたグルーブなのです。


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J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』

たわしの読書メモ・・ブログ547
・J.P.ネットル/諫山正・川崎賢・宮島直機・湯浅赳男・米川紀夫訳『ローザ・ルクセンブルク 上・下』河出書房新社1974-5
 ローザの学習9・10冊目です。ここからローザ・ルクセンブルクへの評論3・4冊冊目。上・下に分かれていて、実に精細に資料を当たり、かなり独自の分析も生み出した意欲的な書です。ただ、前の二つの評伝が、運動サイドからの書であるのに対して、このひとは運動とはほとんど関わらなかったひとです。下の「訳者あとがき」に「ネットル自身が、直接に社会主義運動の党派といっさい関係を持たず、したがって、ローザ評価の上でも政治的な意味あいでの「価値判断自由」の立場にあったことである。・・・・・・私生活から政治生活にいたる人間ローザの全貌を、「あくまでもひとつの人生とそれをとりまく世界の叙述」として描ききっている。」516Pとあります。それで、著者は、ローザの人物像を描き出しています。まあ、客観主義的というところで、それを客観的と読むところで、この書の評価が高くなっている面もあるのですが、「かなり独自の分析」の中には、おかしいと思えるところが多々あります。
 まずは、ローザの容姿やふるまいとか感情的になることなどをいろいろ書いているのは、わたしがローザに反差別論から接近し、ローザの中にそれを読み解こうとしていることからすれば、確かに、いろいろ自身も差別社会の中で生きていて、差別的なことはひきずってはいても、むしろそれらのなかで、どう運動を評価するのかと言うことにおいて、むしろ話の焦点をずらしているのではと思っています。また、「カウツキー氏をなやました最初の出来事のひとつはユダヤ人的な焦点の定まらない話と、大喰いであることであった。」下435Pなどという記述に、著者のヘイト的差別的なことを感じています。さらに、著者はスターリンの民族政策とローザの民族自決権批判が似通っているということを書いているのですが、それはローザが、民族差別を越えたインナーナショナリズムを突き出していて、確かに個別差別をきちんと突き出してはいないのですが、潜在的に反差別という姿勢は基本的に持ち続けていたし、それに対してスターリンは、レーニンから引き継いだ中央集権制によって、レーニンの民族自決権などは言葉だけにして、現実的に民族抑圧する立場に立ってしまっています。根本的にローザとスターリンは別の位相にあるとしかとらえられません。
そして、フレーリヒのことを転向者というようなことも書いているのですが、それはフレーリヒが運動の本流からはじき出されて、著作や編集などの仕事をしていたことを、何をもって転向者というような規定をするのか、よく分かりません。
感情的なこと、秘書を叱りつけたというところ、それのひとつの理由は猫のはなし、それから民族的なことを出したという話、これは ローザの危惧した民族的な突き出しがイスラエル建国――シオニズムとなって現れたことをとらえると、ローザがユダヤ人として、ユダヤ民族の突き出しがどのようになるのかを想定していたこととも相俟っているのかもしれません。ちなみに、この本の訳者が、「実践的な問題で、ピーター・ネットルが関係したものがあるとすれば、それはイスラエル問題である。かれがイスラエルを支援している事は、はっきりと言わずとも態度にあらわれていた。」518Pということが書かれています。要するに民族問題でローザの論をこの著者がどこまで理解していたのか、共鳴していたのか、どうも分からないのです。この書は、著者の探究心で客観主義的にローザをとらえ返そうしていて、わたし自身の運動の立場からすると、運動の総括とかその中における苦悩とかいうような側面が感じられない書になっていて、何か違うということを感じながら、いろいろ論攷自体にも疑問を持っていました。
 それらのことから発して、もっと著者の論攷を吟味しつつ、テキストクリティークしながら、この本で使われている膨大な資料を読み解きながらを再構築していく必要があるのでは感じていました。ただ、語学に弱いわたしには、とてもその力はありません。
 それでも、ローザの資料としてはとても大切で、少しでも特に大切なところをいくらかでも抜き書きしておこうかという思いはあったのですが、そもそも抜き書きした資料の評価、著者の臆断のようなことの吟味のための資料の読み込みができそうにありません。で、今回は抜き書きを止めます。
 で、評伝がここで一段落しますので、あくまで中間的なこととして、ローザの現時点でのとらえ返し、とりわけレーニンとの対比でもローザへの批判の項目をあげるというところから初期的なとらえ返しをしておきます。この本自体の読書メモからかなり逸脱してしまいます。
 さて本題に入ります。
ローザは、反戦、反帝国主義、インターナショナリズム、修正主義批判というところで、その論攷を展開しています。
わたしのローザに対する疑問は、なぜ、ローザはいくつもの自らの抱えている被差別事項――女性、「障害者」、ユダヤ人、ポーランド人――があるにも関わらず、それを突き出ししなかったのか、ということです。そのことを最大の課題にしつつ、レーニンとの対比、レーニンのローザ批判、そしてローザの「ロシア革命論」で指摘したところを少し対比しておこうかと思います。
読書メモ545からの再引用です。
「「パウル・レヴィ(ローザとリープクネヒト亡き後にドイツ共産党を牽引したひと)は、いまローザ・ルクセンブルクがまちがいをおかしているまさにその著作を再版することによって――ブルジョワジーに、したがってその手先である第二および第二半インターナショナルにとくに奉仕しようとのぞんでいる。われわれはそれに対して、ロシアのある適切な寓話の一句でこたえておこう。それは、鷲は牝鶏よりひくくおりることもあるが、しかし牝鶏はけっして鷲のようには飛びあがれない、ということである。ローザ・ルクセンブルクはポーランド独立問題で誤りをおかし、一九〇三年にはメンシェヴィズムの評価で誤りをおかし、資本蓄積論の理論で誤りをおかし、一九一四年七月には、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデ、カウツキーその他とともに、ボルシェヴィキとメンシェヴィキの統合を擁護するという誤りをおかし、一九一八年に獄中の著作で誤りをおかした(ただし、彼女自身、出獄後、一九一八年の終りか一九一九年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した)。しかしそうした誤りにもかかわらず、彼女はやはり鷲であったし、いまでも鷲である。そして彼女についての記憶が、つねに全世界の共産主義者にとって貴重であるだけでなく、彼女の伝記と、彼女の著作の全集(このことでは、ドイツの共産主義者は、がまんのできないほど立ちおくれており、ただ、彼らの苦難の闘争での前代未聞の多くの犠牲ということで、わずかにいくらか言いわけされるだけである)は、全世界の共産主義者の多くの世代を教育するうえに、もっとも有益な教訓となるであろう。<一九一四年八月四日以後、ドイツ社会民主党は悪臭紛々たる屍である>――ローザ・ルクセンブルクのこの名文句とともに、彼女の名は、世界労働運動の歴史にのこるであろう。」(「政論家の覚え書」、一九二二年二月末、『レーニン全集』第十三巻、大月書店)」431-2P
ここで、レーニンはローザが「自分の誤りの大半を訂正した」とか書いているのですが、この著者は憲法制定議会の問題だけ撤回しただけだということを書いています。ただ、ブログ545フレーリヒの本の中で、「仲間」が、ボルシェヴィキのロシア革命の批判をするのに対して、ロシアの事情のようなことを語って、ボルシェヴィキの革命を成功させるための自分たちの革命の任務の話をしているところがあり、このあたりが「訂正」としてとらえられるようなのですが、これは例えば、ボルシェヴィキが農業問題で、当初農地の分配を批判し、共同所有を主張していたのに、革命の過程で社会革命党(実は、それが影響力をもつ農民を)を自分たちのところに引きつけておくために、土地の分配に応じたとかもあったわけです。そのようなレーニンの現実主義の理解を、ローザがまさにドイツ革命の真只中で現実主義的なところもとらえ返したということがあったのかもしれません。このあたりトロツキーが、ローザと同じようにレーニンの中央主権制批判をしていたのに、結局レーニン――ボルシェヴィキと合流していったことにも通じていきます。それは、この時代に革命の可能性として、武装蜂起――国家権力の奪取――プロレタリア独裁というころでしか革命の可能性がとらえられないということがあったのだと思います。ローザには反戦の思想があり、武装蜂起のイメージがつかめていず、むしろ、それは反戦の思想からする武力的なことへの忌避のようなことがあったのではないかと言いえます。このあたりは、レーニンの現実主義とローザの原則主義という対比でとらえられ、ローザは原則主義(批判派からすれば、「理想主義」とか「ロマン主義」)ということになるし、レーニン的な流れから言えば、「原則主義的なことを言っていたから、ドイツ革命は敗北した」となるし、ローザの流れからすれば、「現実的なことを追い求めていった結果、スターリン主義なところまで行ってしまった」という批判になると言いえるでしょう。ポーランド時代からの「仲間集団」がロシア革命に参入した、そのひとりのジェルジェンスキーが初代秘密警察のチェーカーの長官になったということはローザにとってショックだったという記述を著者はしています。
反戦ということでいえば、「戦争はおんなの顔をしていない」という本のタイトルにもなった突き出しがあるのですが、これはジェンダー的なことで納得できないわたしなりに言い換えると、「戦争はひとの顔をしていない」。それで、「反戦はおんなが紡ぎ出してきた」と押さえたいのですが、そこからすると、レーニンの「帝国主義戦争を内乱に」なり、その展開形の「帝国主義間戦争を革命戦争に」ということになるのですが、ローザからは、そのような突き出しは出てきません。ローザは、フェミニズムの思想それ自体を対象化していませんでした。で、「男と対等に活動する」という段階に留まっていました。で、ローザは演説の中で労働者民衆に呼びかけるときに「父親」ということばを使い、ベーベルから「母親ではないのか」というヤジを受けたりしています。このあたりは、ヨギヘスとの恋愛関係から、ヨギヘスが男の女に対する支配のようなことで、ストーカー的になっていくことに悩みながら、一旦拒絶し自立していき、最後にはヨギヘスとの分業のようなところで、ヨギヘスは組織者として、ローザは理論とアジテーターという同志的関係として修復できたようです。この著者は、漠然としてそのあたりの関係をつかんでいるのですが、フェミニズムというところから、二人の関係をきちんとおさえる作業ができていません。このあたりは以前読んだ『女たちのローザ・ルクセンブルク』という本があります。ローザの一連の学習で最後からひとつ前に、再読してメモを残します。最後は、フェミニズムに特に留意しつつ読む予定の、ローザの『ヨギヘスへの手紙』。
 このあたり、フェミニズム的な展開があれば、反戦というところから、蜂起−プロ独ということをどうとらえなおしていたのでしょうか? もっとも植民地支配時代の暴力支配の横行する時代において、根源的反暴力主義はあっても非暴力主義にはならないのかもしれません。
 さて、ざっと書いてきたのですが、課題ごとにまとめて、それに少しコメントを添えておきます。ここに書くことはあくまで過程としての仮説的な提言です。ただし、仮説とか過程ということは、そもそも論はそのような意味でしかないということで、それでも過程として突き出す必要、そして、とりわけ、わたしは今、新しく論形成の試行錯誤をしているところで、特に仮説、過程という意味を強調しておきます。そして、ここでの展開にあたって、きちんと書かれていることを指摘していく必要があるのですが、ここで問題にしているのは、わたし自身のとらえ返し、とりあえず、記憶が苦手なわたしの記憶違いがあるかもしれないと危惧しつつも、論攷をさきにすすめたいという思いで、いろんな語弊を生むことを恐れず、あえて問題を含みつつも展開しておきます。あくまで過程として。
(1) 民族問題――インターナショナリズム
そもそも、「民族」概念とは何かということがあります。「民族」概念は、被差別民族が差別を告発するときに、有効です。差別する側の「民族」概念は、ナショナリズム批判として否定するしかないことです。レーニンは、一応その問題を押さえて、被差別民族の「民族自決権」を突き出し、ローザはそれを批判しました。ただ、レーニンは一方では、中央集権制を突きだしていて、ローザはそれと「民族自決権」は矛盾すると指摘しています。ローザは、ポーランド社会党の民族独立の方針を批判して、ポーランド社会民主党で動いていました。これは、ポーランド社会民主党で動いていた部分が、ロシア革命に参画し、かなりの位置を占めていたというところからすると、わたしはレーニンがポーランド問題でローザを批判した意味を理解できません。ただ、ヨーロッパ内の民族自決権とは違った、アジア・アフリカでの、民族独立運動を、ローザ的立場で否定できるのかという批判は起きてきます。サイードの「オリエンタリズム」も、その端的な批判例になっています。
これらのことは結局レーニンの矛盾を、スターリンは「民族自決権」を口先だけのごまかしととらえて、民族的抑圧を進め、レーニンが危機感を覚え、遺書でスターリン排斥を指示したというところに至ります。それはレーニンの死によって、その後の党内闘争で、スターリン支配体制が作られることによって、民族、いやそれだけななく、民衆総体への管理支配体制が作られて、この問題は押さえ込まれてしまいます。
現在的に、植民地支配から脱して、それでも経済的に支配される構図からすると、独立が良いのか、それとも内包された中での、拒否権というところで定立するのが良いのか、という問題が出て来ます。ローザは後者の考え方に至りついています。それは過程で、いっさいの差別を許さないというところで、改めて再構築されるべき事だということになっていきます。
(2) メンシェヴィキとの合同問題――運動の分裂批判
 これはレーニンは、革命闘争の核を作るとして、ずっと独自の党建設理論をもっていました。それで、ドイツ社会民主党や他の左翼的な国際的な働きかけとしてのメンシェヴィキとの統一の働きかけにうんざりしていたということがありました。勿論、レーニンは、現実主義者として、時としてそれらの働きかけも使いつつ、時にはメンシェヴィキ左派や社会革命党左派との利用主義的連帯を策動しました。その場としてのソヴィエトということがあり、そこでのソヴィエト独裁という突き出しがあり、それなくしてロシア革命はなしえなかったとも言いえます。ローザは原則主義者として、力を大きくすると言う意味で統一を提起していました。むしろ、それよりも、ドイツ社会民主党は、議論の場の保障という意味で、そして、異論を排除しないということで、ローザたちが除名されないで、党の中に居続けられたという側面が大きいのでしょう。それで、ドイツ社会民主党から分離しないで居続け、中央派が社会民主党から分離して、独立社会民主党を結成し、それに参加するまで社会民主党に居たのですが、独立社会民主党においても、長く分離しないままスパルタクスブントという形で中に居たのですが、ローザの反対の中でロシアと連帯していたラデクや内部的な分離の働きかけの中で、ドイツ共産党という形でやっと分離します。このあたり、武装蜂起自体がローザの意向に反して一揆主義的に動いてしまったという面もあるのですが、このあたりのとらえ返しが必要になっています。これは、(4)からのとらえ返しが必要です。
 ここで、押さえておくことは、ローザは結局メンシェヴィキ的なことを主張していたという批判が出ているのですが、メンシェヴィキは革命を抑止する方向で動く修正主義的なことの中にあったのに対し、ローザは修正主義、日和見主義批判を続けていたという明らかな違いがあります。
(3)資本蓄積論――帝国主義論――継続的本源的蓄積論
ローザの『資本蓄積論』はマルクスの『資本論』第二巻の資本の蓄積、資本の再生産論へのローザの読み込みになっています。レーニンは、マルクス――エンゲルスの思想の継承者を自認していましたが、ローザには過去の理論を検証にかけて、そのまま受けいれる姿勢はレーニンより薄かったようです。そこでの『資本論』第二巻の批判です。これに対しては、トニー・クリフが批判しています。しかし、その批判もちょっとちがうのではないかとわたしは思っています。それは、ローザは、マルクスの『資本論』第一巻の第一章の商品の価値形態論をどう押さえるのかというところでの「抽象化」ということと同じように、ここでも抽象化を行っているということをローザはおさえ損なっているということです。ただ、それを押さえて、その上でローザが提起していることを、次のステップとして、すなわち「帝国主義論」として別の巻なりで展開していく必要があったのです。それがなかったので、後に、マルクスには「帝国主義論を十分に展開し得ず、レーニンがその「帝国主義論」を書いたのだ」というマルクス――レーニン主義の定説の話につながっています。ちなみに、レーニンの「帝国主義論」も、植民地支配時代の「帝国主義論」で、これも現在的に不備を抱えています。むしろローザの『資本蓄積論』を継続的本源的蓄積論として、新自由主義的グローバリーゼーションの時代に、その支配の構造に必須的に差別ということで組み込まれたことをとらえ返すなかで、まさに、『資本蓄積論』が現在的な有効性をもったものとして浮かびあがっていると、わたしにはとらえられるのです。
(4)自然発生性への依拠(――拝跪)
 ローザの「自然発生性」の理論は、このあたり、レーニンの批判の対象にもなっているのですが、レーニンの批判とは別に「決定論になっていると」いう批判もなされています。このことは、そもそもマルクスの唯物史観からきていて、革命的情況のないときには革命が出来ないというはなしです。このあたり、「自然」という概念とリンクしていくのですが、今西進化論の、「変わるべきして変わる」ということにもリンクしていきます。ローザは、ロシア革命は起こるけれど、最後は敗北に終わる、敗北の中から何をつかんでいくかということを考えていたようで、それはドイツ革命の敗北も予感しつつ、一旦、動き出したからには止められないとして、革命に殉じたようなのです。レーニンも、ドイツ革命から世界革命に連動しなければロシア革命は敗北に終わると考えていたようです。それを、新経済政策として資本主義的な経済を導入し、理念だけは「社会主義」を装っていました。それをスターリンが党独裁、スターリン独裁の体制を作り、全体主義的に国家資本主義として延命させたのですが、60年を経て結局終焉しました。
 この自然発生性の理論は、自然発生性への依拠と拝跪の弁証法としてとらえかえす作業が必要です。
(5)修正主義批判
 レーニンがローザとの論争で唯一の自分が間違っていたとしたのは、カウツキーへのローザの修正主義・日和見主義批判を押さえきれていなかったということでした。ローザは、ドイツ社会民主党内でおきてくるベルシュタインの修正主義批判から始まり、つねに、この修正主義・日和見主義批判をしてきました。だから、(2)のメンシェヴィキと同様だという批判はとんでもない勘違いです。それぞれの置かれてきた状況の違いという事があり、そしてまたそこからくることも含めた、党組織論の違いということも押さえねばなりません。このあたりは、一応違いを押さえた上で、わたしとしては、単に学的探究心としてこのことを論じているわけではないので、現在的な組織のあり方、運動の作り方、関係性の作り方の問題として、このあたりのことを検証しつつ現実的に方針をだしていくしかありません。
(6)反戦――反暴力主義、武装蜂起とプロ独問題
 さて、ローザの特徴であげなければならないのは、ローザは反戦のひとだったということです。レーニンが「帝国主義戦争を内乱に」というテーゼと、そこから出てくる「帝国主義間戦争を革命戦争に」ということと、はっきりした違いが出ています。このあたり、『ローザ・ルクセンブルクの手紙』のなかででてくる水牛の話にあるローザの感性の問題があります(これに関する水牛の痛みに関する勘違いの指摘が出ていますが、それこそ勘違いで、ここで問題になっているのはローザの感性です)。そういう意味でローザは反暴力主義と言いえるでしょう。ですが、そもそも専制政治の中でひとが殺され、差別という暴力ということも含めて暴力支配ということのなかで、「反暴力は非暴力になりえるのか」という問題が出て来ます。とりわけ、植民地支配の中の暴力支配のなかにおいて、非暴力になり得ないという事の中で、武装蜂起論がマルクスの流れの中で武装蜂起論が出ていました。ローザもそこまではマルクスの主張の批判はしていません。その延長線上にプロ独の問題があります。プロ独の問題は、次の(7)にリンクしていくのですが、現在的には、新自由主義的グローバリゼーションのなかでの、継続的本源的蓄積論で差別というところで、資本主義の延命の途をもとめていく社会において、確かに差別というところではっきりした多数派としてある労働者への差別の問題、生産者手段の私的所有からの排除と労働力の価値というところでの差別分断があるにしろ、もはや、プロレタリアートの問題だけで、そこに一元化することで革命が語れないということがあります。
 このあたりのこと、むしろむき出しの暴力支配の時代に戻る可能性とそれに対抗する闘い、という問題も含めて、考えていく必要があります。
(7)個別反差別運動なき階級闘争への統一論(一元論)
 レーニンが差別=階級支配の道具論を突きだしています。実はローザにも同じような規定があります。で、レーニンの民族自決権という突き出し自体は並立論になるのですが、中央集権制を唱えているところでは、階級闘争への反差別運動の従属論になってしまいます。ローザは民族自決権に反対し、個別反差別運動をとりあげていません。反戦ということを押さえたところで、インターナショナリズムというところで、階級闘争への統一、一元論になっているのではととらえ返しています。歴史的限界性という規定性――枠組みもあるのですが、ローザ自身が性差別においては、男並みに活動できるというところで、差別を超越しようとしていた、他差別においても、革命的インテリゲンチャとして超越しようとしていたことがあります。わたしはこのことを、むしろ、逆に、階級の問題を生産手段の所有からの排除と労働力の価値を巡る差別の問題として押さえています。そこから、階級闘争は、唯一のマジョリティの問題として(男と女の関係は、「性的少数者」――マイノリティのLGBTの問題があるのですが、ほぼ同数です)ひとつの大きな柱としてあるのですが、むしろグローバリゼーションの中における国・地域的な格差の拡大や環境問題も含めてさまざまな矛盾を差別としてトータルにとらえ返す反差別運動が必要になっているととらえています。
(8)永続革命論
 トロツキーの永続革命論は有名なのですが、著者はトロツキーより先にローザとパルヴスが永続革命論を出していたということを書いています。
トロツキーは革命の後にも革命が続いていく必要という意味で、「永続革命論」を展開していたのですが、ローザの場合は、ロシア革命もドイツ革命も一旦敗北に終わる、そこで、改めて革命闘争を展開していく必要として「永続革命論」を展開していたのではないと考えています。ローザの継続的本源的蓄積論からして、まだ資本主義は延命するということが予期されていたわけで(これはローザがはっきりとして押さえていたかは別にして、ローザの理論を発展的にとらえ返したときに出てくる理論として、です)、それは今日的、新自由主義的グローバリゼーションが差別ということを組み込んで延命を図る構図からして、ローザの「継続的本源的蓄積論」の意義が浮かびあがってくるのです。
(9)議会主義(議会制民主主義)批判――国家主義批判とインターナショナリズム
 ローザの修正主義批判は同時に議会主義批判となっていました。エンゲルスは最晩年に、ドイツ社会民主党右派の要請で、『フランスにおける階級闘争』への序文を書いて、それをローザが批判しています。もっともエンゲルスは以前に「民主主義とは階級支配の道具である」という規定をしています。ここでの「民主主義」は、議会制民主主義のことで、それを支配の構造として読み解いていたのです。そもそも、国家にはネーション概念があるのですが、ネーションには民族という意味もあります。まさに国民国家として、マルクス的に言えば、国家や民族の共同幻想へのとらわれがあります。レーニンは、『ド・イデ』のなかの国家=共同幻想規定を読んでいないとされているのですが、マルクス――エンゲルスの往復書簡のなかには、そのような内容が書かれています。ただ、専制国家ロシアのむき出しの暴力支配のなかで、共同幻想的側面をとらえ損ねたとしか思えません。その国民国家の国家主義的なところが各国左派の戦争への加担のなかで、第二インターナショナルの崩壊をもたらしました。今日、ITの普及のなかで、いつまでうそとごまかしの間接民主主義体制を続けねばならないのか、少なくともより民意の反映できる直接民主制への意向が可能になっているのです。民主主義の反対語は、封建制とか専制とかに一般にとらえられていますが、国家主義ではないかと考えています。国会は、まさに「国」という名を冠しているところで、そもそも共同幻想としての国家にとらわれていく、国益とかいう概念にとらわれていくのではないかとも思っています。まさに民衆の利益というところをとらえ返す、そういう意味での国家主義批判での民主主義概念の脱構築とあらたな構築が必要になっているのではないでしょうか? キーになるのは「反国家主義をかかげ国境を越えた民衆の連帯」ということではないかと考えています。
(10)まとめ
 今日、ソヴィエト連邦の崩壊と東欧の「社会主義国家」の消滅、中国の改革開放路線の突き出しのなかで、マルクス葬送の流れが形成されました。そもそもロシア革命の評価自体を押さえ損なっています。ロシア革命は、プロリタリアートの独裁――ソヴィエト独裁として革命を果たしました。しかし、その革命をイデオロギー的に領導したレーニンらは、革命的インテリゲンチャで、外部注入論的なところでの牽引でした。ソヴィエトはすぐに機能を停止し、他党派を排除し共産党独裁の体制を作り、ドイツ革命の敗北のなかで、孤立無援の反革命の干渉戦争にさらされました。そこで、経済も新経済政策をとり、資本主義の体制に戻ってしまいました。社会主義への移行に失敗したのです。その中味は国家資本主義です。国家が労働者を搾取するという支配機構です。そして、そもそも最初から秘密警察を作り、それをKGBという体制にしていき、巨大な管理支配機構で、党内闘争におけるスターリンの粛正も生み出す、全体主義的国家を形成し、社会主義とは無縁の体制を継続させました。それらのことから、「社会主義」批判が出ているのですが、もう一度、きちんとしたとらえ返しが必要になっています。マルクスの思想は、他の思潮から出たサルトルやデリダが言うように、資本主義社会では乗り越え不可能な思想なのです。今日、マルクス葬送の流れで、出てくる社会の分析は、こっそりマルクスを密輸入しないところでは、論としてきちんと成立し得ません。そういう意味での、ロシア革命以降の、「社会主義――共産主義」運動のとらえ返しが必要になるのです。そして、差別――反差別というとことをキーワードにして情況を読み解いていくことが今必要になっているのだと思っています。方向性として反差別共産主義論として提示できるのではと。
 ローザのレーニンと対比させた読み込みの中から、そのようなことを考えています。


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2020年11月17日

日本テレビ「ドキュメント’20 見た目、見る目」

たわしの映像鑑賞メモ044
・日本テレビ「ドキュメント’20 見た目、見る目」2020.10.19
この番組は、「毛細血管で動脈と静脈が癒着する難病」で生まれてから何度も手術を繰り返し、「見た目」でいじめや差別にさらされ、「見る目」(斜文字になっているのは、番組では手書き的な文字、この文字で「見る」ということに差別的な意味を懐胎させているようにわたしはとらえていました)を感じてきたひとのドキュメント番組です。マスクなどしないで、自分を隠さないで、ずっと生きて来て、結婚して子どもが生まれて児童参観にでるようになる母親の立場になってマスクをするようにしたという話。一人芝居で、自分を「さらして」、子どもたちや親に、自分の問題―差別の問題をきちんと伝えていくことをやっているひとです。連れ合いのひとが、差別的なことをほとんど感じさせないひとで、むしろ、わたし自身も「ひとの美意識」って何だろうというようなことさえ感じていました。
 これを書いているのは、ひとつ前の「ALS」のひとたちの問題で、病気自体の負価値性からは抜け出せないような番組の作り方になっていたのですが、ちょっと達観したような感じのひとはいたのですが、言葉としてはでていませんでした。ひとつの達観や反転のような突き出しをしているひとの紹介ができなかったのだろうかと思ったりしていました。
この番組の語りで、もし病気がなかったらという思いにとらわれることもあるけれど、むしろ、この病気が自分の存在の意味という思いをもたせてくれた、という内容の話をしていていました。一種の反転のようなことで、このあたり、以前書いた、写真家でひとの命を切り取るような写真をとっていたひとが、確かパーキンソン病になって、それまでの自分と今をくらべて、ひとの痛みが分かるようになった、病気になって良かったというようなことを話していたり、オーストラリアのバリバリのエリート官僚のひとが、「どうして、一度にひとつのことしかできないのか」と他者批判していたひとが、「認知症」になって、一度は落ち込みつつも、むしろ、なって良かったという心境になっていく、そのような反転も本や映像になっています。
障害問題で、この反転のようなこと、もっと語っていく必要があるとの思いも持っています。
わたしたち、「吃音者」には「治す努力の否定」というような突き出し出ていました。この話をすると仲間内からは、強がりを言っているだけだとか、「障害者」の仲間からは、「(医学モデル的意味で)軽い障害だから」と言われるのですが、むしろ、「軽い」と言われるひとがより悩み葛藤に陥ることもあるし(これをわたしはマージナルパーソン論として展開しています)、「障害の重い――軽いをいうひとがいるけれど、差別に重い――軽いはない」という提言も出ていました。このあたりのことをきちんと押さえたところで、開き直るところでの仲間との交流と思想的深化を獲得していく方向性があります。これは簡単なことではなく、むしろ差別を生みだしてくる社会の構造自体を変える運動の実践のなかでのせめぎ合いになっていくのではとも思っています。


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NHKテレビ「クローズアップ現代 ALS当事者たちの“声”」

たわしの映像鑑賞メモ043
・NHKテレビ「クローズアップ現代 ALS当事者たちの“声”」2020.10.14
この番組は、京都で2019年11月30日「ALS患者」嘱託殺人事件があり、そのなかで、「ALS」のひとたちが「同病」のひとたちとつながることによって、生きることにつながる番組を作ろうという主旨で作られた番組とわたしは汲みとっていました。VTRで、いろいろな当事者の紹介があり、スタジオで、母親を介護し看取った川口有美子さん(註1)がインタビューを受けていました。今、「ALS」のひとたちは、人工呼吸器を付けるとかなり長くいきれるのですが、着けないままに亡くなるひとが7割という統計がでているそうです。それは、「周りの人たちに迷惑をかけるからなど」という説明になっています。以前、8割だったのですが、7割になったのは、当事者・家族による運動のはっきりした成果、ということができると思います。以前は、自宅での生活となると、家族の全面介護だったのが、今は家族介護をほとんどしなくても、2012年から介護職で研修を受ければ喀痰吸引や胃瘻の注入が出来る制度を作り、24時間介護体制が作られつつあります。地域格差があるので、制度的な整備もこれから進んでいくよう、ただ、そもそも福祉制度一般にいえることですが、「仏作って魂を入れず」ということばがあるように、介助のひとたちが集まらないという現状をどうするのかという、福祉の抑止・軽視という福祉政策の問題があります。これらのことも含めて、運動として前に進めて、資源にアクセスすること、「障害の社会モデル」的意味で、障害をとりのぞいていくこと必要だと思っています。
とにかく、この番組を見た当事者や「障害者」たちがつながっていく契機、生きるということにつながっていく契機になるのではと、この番組の意義深さを考えていました。
ただ、ペシミストのわたしは(註2)、何か心の重いものを感じています。そもそも「迷惑」とかいう発想、それから「など」ということの意味を考えていました。
以前、フェミニズム関係の連続学習をしているときに、上野千鶴子さんの本を読み込んでいました。上野さんは、コピーライターのような刺激的な言葉を紡ぎ出しています。その中に、「定年退職をしたら、男は産業廃棄物になる」ということばがありました。この言葉には、フェミニズムを勉強しているひとたちにとって、男をやり込める痛快さがありました。それと、この社会の労働崇拝――労働第一主義ともいえるところへの批判の意味ももっていたのです。ですが、わたしは母の高齢の介護をして、母の「ぽっくり死にたい」ということばへのやりとりとか、母が利用していた病院や高齢者施設のショートステイやデイサービスの利用の際に「リビングウィル」を求められているなかで、この上野さんのことばの恐ろしさを感じていました。今、統計では「延命処置をしない」と答えるひとが8割いるそうです。そして、母を看取った後、母の介護の反省と「障害者運動」での必要性も考え、そして介護学習の実態を知りたいという思いもあって、民間の商業ペースの講習会を受けたのですが、その中で、すでに介護を仕事にしているひとも含んだ「実務者コース」の講習会で、講師が講習生に「自分が延命処置を受けたくないひと」と手を上げさせたら、丁度8割でした。その講師の話では、毎年その質問をしてだいたい毎年8割だそうです(註3)。このことが、「など」というところの問題、この社会の一般的な価値観にとらわれていくことがあるのだと考えていました。
さて、この放送が終わった後、川口さんが自分のフェイスブックにこの番組の裏話を書いていました。「安楽死」という言葉を使わないで欲しいという提起があったとか、二回もリハーサルをしてから生本番に臨んだようです。いろいろ後で、視聴者から批判が出てくることを考えているのでしょうか?
この番組はテーマをはっきりさせて、そこに絞り込むというところで、それはそれで意義深い番組だったのですが、もっと掘り下げた番組も期待したいと思っています(註4)。いつものわたしのないものねだりです。


1 その看護記録、わたしの読書メモ85・川口有美子『逝かない身体―ALS的日常を生きる』医学書院 2009
2 大江健三郎さんが、「さよなら原発」の集会で、「ペシミストの勧め」の話をしていました。運動をするひとは、現状を憂うるペシミストだからこそ、運動に参加しているのだという話です。
3 たまたまなのでしょうが、この8割という数字があちこちに出てきます。
4 次の映像鑑賞メモでこのあたりのこととりあげています。


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トニー・クリフ/浜田泰三・西田勲訳『ローザ・ルクセンブルク』

たわしの読書メモ・・ブログ546
・トニー・クリフ/浜田泰三・西田勲訳『ローザ・ルクセンブルク』現代思潮社1968
 ローザの学習8冊目です。これはローザ・ルクセンブルクへの評論2冊目。
 実は評論、この本がコンパクトにまとまった本で、こちらを先に読もうとしていたのですが、原書の出版順にしました。最初のフレーリヒの本は、ローザの足跡を追う伝記的なことも含めた本になっていて、理論的なこと、レーニンとの論争のようなことも押さえているので、もうこちらの本はさらっと流そうとしていたのですが、理論的には哲学的なことや経済学的なことを、こちらの方が掘り下げた論攷になっています。前の読書メモ、註に書き込みをしていく新しい手法をとったのですが、結局読みにくくなってしまったので、こちらは、章だけを目次であげて、切り抜きメモという形で、それにコメントを書き添えます。まだ、本格的な掘り下げは、後に回します。
  目次
第一章 ローザ・ルクセンブルク その伝記的スケッチ
第二章 社会改良か社会革命か
第三章 大衆ストライキと革命
第四章 帝国主義と戦争に対する闘い
第五章 自然発生性、意識と組織
第六章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題
第七章 ローザ・ルクセンブルクの政権獲得後のボルシェヴィキに対する批判
第八章 資本蓄積論
第九章 ローザ・ルクセンブルクの歴史的位置
ローザ・ルクセンブルクの蓄積論/ラーヤ・ドゥナエフスカヤ
ローザ・ルクセンブルクとスパルタクス団/浜田泰三
訳者のことば

この本の著者は、「訳者のことば」でも紹介されていないのですが、インターネットで検索すると「トロツキスト」という表記が出てきます。訳者の浜田泰三さんの方が、ローザ・ルクセンブルクにより共鳴しているひとなのかもしれません。
いきなり切り抜きに入り、その中で対話を進めます。
第二章 社会改良か社会革命か
「しかし、ローザ・ルクセンブルクは、労働者たちが搾取と枠圧に対して、革命的暴力に頼らざるをえないことを理解しながらも、流される血の一滴ごとにはげしい痛みを味わったのだ。」29P
第三章 大衆ストライキと革命
「ローザ・ルクセンブルクは革命時代には、経済闘争は政治闘争へと成長すること、そして、その逆も同じことを明らかにした。「運動は、経済闘争から政治闘争へという一方通行ではなく、反対方向へも向う。あらゆる主要な政治的大衆行動は、その頂点に達すると、その経済的大衆ストライキを生む。そして、この法則は、単に個々の大衆ストライキに適合するだけでなく、革命全体についても適合する。」36-7P
第五章 自然発生性、意識と組織
「一八七一年、パリの労働者は、新しい形式の国家をうちたてた。――常備軍も官僚制度も持たず、すべての公務員の給与は労働者の平均賃金であり、またすべての公務員をリコールすることができる等々の新しい形を持った国家を。」55P・・・「国家」なのか?
ローザ「ここではまた、無意識が意識に先行し、客観的な歴史の発展の論理が、そのにない手の主観的論理より前にある。」56P
「(きわめて正当な話だが)労働階級の創造能力をこのように強調しながら、ローザ・ルクセンブルクは、必然的に結局、保守的な組織が大衆闘争に与えうる、遅延と妨害の効果を過小評価することに傾むいていった。」57P
「ローザ・ルクセンブルクの、組織の役割に対する過小評価の可能性と、または、自然発生性の役割の過大評価の可能性の根底を理解するには、彼女が働らいていた状況を見なければならない。」その内容@「何よりも、彼女は、ドイツ社会民主党の日和見主義と闘わなければならなかったのだ。」A「ローザ・ルクセンブルクが争わなければならなかった、いま一つの労働運動の一翼はポーランドPPSだった。PPSは愛国主義的組織であり、その公約はポーランド民族独立だった。」(・・・民族主義・愛国主義との争い)B「ローザ・ルクセンブルクの闘った三番目の労働運動の傾向は、労働組合におけるサンジカリズム、(その個人主義を除いて組織に過大な力点をおいた)アナーキズムとの混合物であった。」58-61P
「ローザ・ルクセンブルクが自然発生的要素の過大評価と組織的要素の過小評価をしたことの主な理由はおそらく、改良主義に対する火急の闘いで、すべての革命の第一歩としての自然発生性を強調する必要があったことにあろう。」61P・・・民衆の革命性への依拠
「彼女のもちつづけた強さは、歴史における労働者の主導性への完全な信頼のうちにひそんでいたので。//革命における自然発生性の指導性との間の連環をみつめる、ローザ・ルクセンブルクの位置に何らかの不充分さを指摘するにしても、革命運動内の彼女の批判者たち、なかでもレーニンが、あらゆる点で、彼女よりも正確な安定したマルクス主義的分析に近かったと結論を下すには、慎重であるべきだ。」64P・・・ローザは日和見主義と闘い、レーニンは無定型な経済主義と闘った
「スターリニストやそれにいわゆる非スターリニストの輩の、レーニンの数多いエピゴーネンどもは、発展段階がどうであろうが、すべての国のすべての運動に《まったく》適用しうるものとして、どんなにかしばしば、『何をなすべきか』『一歩前進二歩後退』を引用して来たことだろう。//レーニンは、それらのレーニン主義者どもとは大ちがいだ。一九〇三年にはもう、レーニンは、第二回ロシア社会民主党大会で『何をなすべきか』の所定式の、ある種の誇張を指摘している。/「いままでわれわれはみな、経済主義者が一方に曲げたことを知っている。棒をまっすぐに伸ばすためには、棒を他のがわに曲げかわす必要があった。そこで私はそうしたのである。」67P・・・レーニンは現実主義者であり、自らのジャコバン主義的なことからの離脱する傾向があり、レーニンはレーニン主義者ではなかった。
「労働者階級の解放が労働者自身の手によってしかもたらされないということを強調したのと同じように、ローザ・ルクセンブルクは、大衆運動と大衆組織からの脱落という形で現れる、あらゆるセクト主義的傾向に我慢できなかった。」72P
「一九一八年十二月二十九日、ドイツ革命の勃発後、はじめて、団はUSPDとの連携を断ち、独立政党――ドイツ共産党(スパルタクス)を樹立した。」75P
 レーニン「ローザ・ルクセンブルクは正しかった。彼女はずっと以前に、カウツキーが、党内多数派に奉仕する、要するに日和見主義に奉仕する、御用理論家であることをはっきりと覚っていたのだ。」79P・・・ローザとの論争でのレーニンの自批
「自然発生性と組織の関係を見つめるローザ・ルクセンブルクが立っていたところは、保守的な官僚主義によって支配されている労働運動に革命家たちを立ち向わせる、火急の必要の反映であり、レーニンの本来の――一九〇二年―四年の――立場は、おくれた半封建的専制体制下で、発展の第一段階の、生命力あふれた闘う革命運動が、明確な形をもたなかったことの反映なのだ。//進歩した工業国家におけるマルクシストたちには、レーニンの本来的立場は、ローザ・ルクセンブルクのそれが、自然発生性への過大評価をしているにもかかわらず、その指標として役立つほどには、役立てることができないのだ。」80-1P
第六章 ローザ・ルクセンブルクと民族問題
「彼女の姿勢は、民族問題についてマルクス、エンゲルスが教えたものの継承でもあり、また、その転換でもあった。そこで、それを適確に理解するめには、この問題に対するマルクス、エンゲルスの態度を――ごく簡単にでも――見ておくことが必要となる。//マルクス、エンゲルスは、ヨーロッパの資本主義の成長期、ブルジョア民主主義革命の時代に生きた。彼らによれば、ブルジョア民主主義の体制は民族国家であり、したがって、社会主義者の任務は、/「ブルジョアジーと同盟して、絶対専制主義に、封建的土地所有とプチ・ブルジョアに対して」闘うことだった。・・・・・・・」82-3P
「マルクス、エンゲルスは、ツァーリのロシアがからむあらゆる戦争で、中立の立場をとることも、相闘う陣営のどちらかに反対する立場をとることもせず、ロシアだけに対して好戦的な反対の立場をとった。」85P
「マルクス、エンゲルスのあとを追って、ローザ・ルクセンブルクは、主としてヨーロッパの民族主義運動を考察しており、アジア・アフリカの民族運動には、ほとんど重要性を与えなかった。彼女もまたマルクス、エンゲルスのように、民族独立闘争を判断する絶対的な基準などがあるとは信じなかった。だが、彼女は、科学的社会主義の創始者の言葉をくりかえすだけのエピゴーネンではなかった。/その政治的生活のごく始めの頃に、彼女は、一般的にはヨーロッパの、特殊的にはロシアの情勢が十九世紀末になって大きく変化し、ヨーロッパの民族運動に対するマルクス、エンゲルスの立場が支持しがたくなって来ている、ということを指摘していた。」87-8P
「つまり社会主義のもとでは、民族的抑圧はもうありえなくなって、人類の国際的結合が実現されることとなろうから、民族独立のスローガンをいれる余地はないことになる。こうして、資本主義下にはポーランドの真の独立は実現できず、また、それに向うどの段階も何ら進歩的な意義をもたない、一方、社会主義のもとではそんなスローガンの必要はなくなる。故に、労働階級はポーランド民族自決のための闘争を必要とせず、また、そのような闘争は事実、反動的闘争なのだ。労働階級の民族的スローガンは、その文化生活における民族性の自主性の要求に限定されるべきだ。」90P・・・ローザの民族問題の論攷は原理主義。国家主義批判からすると民族自決権の自治国家論はありえなくことに通じるのですが、それでも被抑圧性において、みずからの問題における拒否権の行使は必要になるのでは?
「民族問題におけるレーニンとローザ・ルクセンブルクの間の相違は次のように要約できよう。すなわち、一方でローザ・ルクセンブルクはポーランド民族主義に対する闘いから生じた結果として、民族問題についてややニヒリスチックな態度に傾いていったのに対して、レーニンは被抑圧者の立場と抑圧民族の間には違いがあり、同じ問題についての態度も異なるに違いないと、現実的に見ていた。このようにして、違った、相反する状況から出発して、彼らは反対の方向から国際的労働者の団結という同一点に近づいていったのだ。第二に、ローザ・ルクセンブルクは民族自決権問題を階級闘争と両立しないものとしていたが、レーニンは、それを階級闘争に従属させていた。(彼が他のあらゆる民主主義闘争を、全般的革命闘争の武器として利用したのと同じやり方だ。)ローザ・ルクセンブルクには欠けていた、民族問題へのレーニンのアプローチの源泉は、弁証法だった。彼は民族抑圧と従属という部分――民族独立闘争――から、全体――社会主義への国際的闘争――へという、対立の綜合を見ていたのだ。」94-5P・・・情況規定性、史的唯物論的なとらえ方。レーニンの差別=階級支配の道具論批判。ローザの階級闘争一元論批判。今日的な国家主義批判の立場からすると、反差別共産主義論として綜合して展開していくこと。
「バルカン諸民族の場合には、その民族闘争に対するローザ・ルクセンブルクの態度は、ポーランドの態度は、ポーランドに対するそれとは大いに違っていたのだった。//ローザの生き生きとした思考の独自性は、それにもかかわらず、すでに扱って来たいくつかの問題で見て来たように、自分の直截の経験から、それを他の労働運動にも、あまりに早く一般化してしまうその傾向のうちにひそむ弱点によって、弱められてしまうのだ。」96-7P
第七章 ローザ・ルクセンブルクの政権獲得後のボルシェヴィキに対する批判
「ローザ・ルクセンブルクは政権獲得後のボルシェヴィキが、次の諸点でその政策を誤ったと考えて批判を加えた。/1 土地問題、/2 民族問題、/3 憲法制定会議、/4 労働者の民主的権利。」102-3P・・・これはレーニンのローザ批判とほぼ重なっていて、ローザのレーニン批判の一部撤回にもつながっています。
第八章 資本蓄積論・・・付録のラーヤの論攷に詳しく展開されています。
「ローザ・ルクセンブルクが扱った問題は、次のようなものだった。拡大再生産すなわち増大していく生産なるものが、非資本主義国が存在しない、あるいは、資本家と労働者以外にいかなる階級も存在しないような、抽象的な、純粋な資本主義の諸条件のもとでありうるだろうかというものだった。」121P・・・これはマルクスの論理的抽象という手法の問題とそれを理解し得なかったローザという問題、さらに「マルクスには帝国主義論がなかった」という問題。
「資本主義の内部の矛盾の強調ないし緩和における、非資本主義的領域のもたらす効果と、そして、資本主義を帝国主義的拡張に押しやる諸要素との上に、新たな光を投じるかも知れない。」122P
「ローザ・ルクセンブルクは、資本主義が、制限された市場という、資本蓄積に対する絶対的障害から逃れうる要素は、資本主義産業の非資本主義的領域への侵入である、と主張したのであった。」146-7P・・・今日的には、グローバリゼーションの行き詰まりまで至りついていること。
第九章 ローザ・ルクセンブルクの歴史的位置・・・ロシアとドイツの違い、レーニンとロシアの違い
「中・西部ヨーロッパでは、保守の修正主義ははるかに深く根を張っており、労働者たちの思想や気分に、ずっと受けとり易い影響を与えていた。修正主義者どもの論証は、よりすぐれた論証によって答えられねばならなかった。そして、ここにおいて、ローザ・ルクセンブルクはすぐれていたのだ。これらの国々では、彼女の小刀の方が、レーニンの大槌よりもはるかに有効だったのだ。」156-7P
「革命的組織の構造についての、ローザ・ルクセンブルクの考え方――それは下から上に、一貫して民主主義的な基礎の上に作らなければならないという考え方――は、先進国の労働運動には、世界のスターリニストどもによって、官僚的なねじまげを与えられ加えられた、レーニンの一九〇二――四年の考え方よりも、はるかにぴったりとその必要に適している。」159P
「ローザ・ルクセンブルクは、社会主義の勝利が必然不可避なものだ、とは考えなかった。資本主義は、社会主義の控えの間でもあるし、また、追いつめられはバーバリズムともなりうる、と彼女は考えていた。」160P
「戦争と資本主義との間に結ばれた、断ち切ることのできない絆についての、ローザ・ルクセンブルクの明確な分析と、平和への闘いを社会主義への闘いから分つことはできない、という点に対する固執から、学びとるより以上のことはできないだろう。」161P
「マルクスの真の弟子として、彼女は、その師から独り立ちして、考え、行動することができた。・・・・・・彼女は、思想闘争を、真実に近づく方法として愛したのだ。」161-2P
「彼女のもっとも親しい友人として、クララ・ツェトキンは、その弔辞のなかに書いた。/「社会主義の理想こそ、ローザ・ルクセンブルクのなかでは、その心と頭脳の双方を支配する力強い情熱、やむことなく燃えつづけた真に創造的な情熱となっていました。この驚くべき女性の果たした大きな仕事と、圧倒的なねがいは、社会革命に至る道を整え、社会主義へと歴史がたどる路を明らかにすることでした。革命を経験し、その闘いを闘うこと――それが彼女にとって至高の幸福だったのです。言葉にいえない意志と決断と無私と献身をもって、彼女はその全生涯と全存在を社会主義に捧げました。彼女は社会主義をもたらすために、自分のすべてを与えたのです。その悲劇的な死においてだけではなく、何十年もの闘いを通じて、その毎日毎時間の全生涯を……。彼女は鋭い剣でした。革命の生きた焔でした。」」163-4P
ローザ・ルクセンブルクの蓄積論/ラーヤ・ドゥナエフスカヤ
 ラーヤ・ドゥナエフスカヤのローザ・ルクセンブルクの資本蓄積論批判は、トニー・クリフが本文中で批判している内容をより詳しく展開した内容になっています。レーニンがローザの資本蓄積論を批判した内容とも重なっています。要するに、マルクスが『資本論』第二巻で展開した拡大再生産論をおさえそこなかったという話です。そのことをわたしサイドのとらえ返しも含めて押さえると、マルクスの『資本論』で展開している、「抽象」という作業をとらえられないで、それをそのまま現実の社会としてとらえ、不備を指摘したのですが、そもそも1章の価値形態論においても、その「抽象」の作業があり、要するに弁証法的な入れ子型の構造として展開していることです。これらのことは、レーニンが、『資本論』を真に理解するにはヘーゲルを理解する必要があると言ったことにもつながっています。要するに、第二巻の拡大再生産論はそのままにして、「その上にたって」と、いうことを重ねていく形で、むしろ別のところで、展開することだったという話で、その内容自体は、そのようなところで、大切な提起になっているのです。
「マルクスにとっては、資本主義社会の基本的衝突は、資本と労働とのあいだの衝突であって、そのほかの全ての要因は従属的なものなのだ。」167P・・・他の差別の問題の従属という理論
「一方、ルクセンブルクは次のように主張した。歴史からの「正確な証拠」が示すところによると、拡大再生産は、閉鎖された社会で行われたことはまた一度もなく、むしろ「非資本主義的階層や非資本主義社会」への分布やそれらの収奪を通じて行われた、と。ルクセンブルクは、まちがって、現実を理論に対置させた。彼女の批判は、理論的には、このひとつの基本的誤りからでてきたのだ。彼女は、そのころ進みつつあった帝国主義の強力な歴史的発展に欺かれて、資本と労働の関係の代わりに資本主義と非資本主義の関係をもってきた。そのために、彼女は閉ざされた社会というマルクスの前提を否定することになった。彼女が、ひとたび、マルクスの理論全体のこの基本的前提を放棄してしまうと、彼女には、もう交換と消費の領域に進む以外には道はまったく残されていなかった。」176-7P・・・「交換と消費の領域に進」んだのではない。別の領域の問題に飛躍してしまった。
「彼女の『蓄積論』のなかのいくつかの最もすぐれた記述は、彼女が「現実の」蓄積過程――・・・・・・・――について述べている部分にあらわれている。ルクセンブルクは、彼女の時代の強力な帝国主義的現象に目をくらまされ、それらすべてのことは『資本論』第二巻――それは、理想的な資本主義社会では剰余価値はどのようにして実現されるかということを扱っている――提出されている問題とはまったく関係がないということをみることができなかった。」177P・・・「理想的な」というより抽象的なという弁証法の問題。
「あとで見るように彼女は、すべてのブルジョア経済学と手をたずさえて、価値生産のすべての特徴を抹殺してしまうのだ。」178P・・・マルクスの「帝国主義論」的な不備を左から出しどころを間違え批判したことで、右からの批判と一緒にはできない。
「蓄積は二つの生産部門のあいだの内部的関係であるばかりではない。何よりもまず(下線ラーヤ)、資本主義的環境と非資本主義環境とのあいだの関係なのだ。」179P・・・「何よりもまず」ではなくて、論理的抽象の後にくること。そこからの最初のことへの規定性も考えていくこと。
「ここでもまた、ルクセンブルクは、彼女が出発点でおかした。ひとの、そしてただひとつの基本的まちがい――「現実」を理論に対置すること――のために、こんな姿勢に陥ったのだ。」190-1P・・・ここも同じ
「簡単に言うと、これらすべてのことは次のようにせんじつめることができる。つまり利潤率の低下は、可変資本に対する不変資本の優勢からからおこり、この資本=労働の関係を廃止することによってでなければ解決することができないか、でなければ、利潤率の低下は、外部の力、つまり有効需要からおこり、したがって、労働に対する資本の生産の外部で治療することができるか、のどちらかだ。」200P・・・継続的本源的蓄積は生産の外部だけでおきるのではない。別のルール(それは差別というところからとらえ返される)がプラスされる。
「いうまでもないことだが、ルクセンブルクは、資本主義を治療する方法をさがしていたわけではない。だが、彼女がひとたびマルクス主義の蓄積理論を否定すると、彼女は、どうしても最近のブルジョア的経済理論の先鞭をつけるような結論に達せざるをえなかったのだ。」201P・・・「蓄積理論を否定した」のか、『資本蓄積論』の読み直しをします。
「もっとも、ひとり(フレーリッヒ)だけは、大胆にも、次のように言った。彼女の蓄積理論は、「マルクスの巨大な力をさえ疲れ果てさせた」問題を解決した。そして、彼女の本によってはじめて、「社会主義の思想はユートピア主義の最後のあとかたを脱ぎ捨てた」と。」203P・・・「マルクスには帝国主義論がない」という問題の解決。
「ローザ・ルクセンブルクは革命家だった。運動に対する彼女の偉大な奉仕や、トロツキーが彼女の輝ける精神とよんだものは、第四インターナショナルの不滅の伝統として、いつまでも残るだろう。だが、まさにそのためにこそ、彼女の蓄積論でおかしたまちがいを、彼女の革命活動や彼女の改良主義反対闘争から解きはなすことは、必要だったのだ。彼女のまちがった理論をはっきり解明することによって、はじめて、われわれは、スターリン主義者がこの革命的殉教者のまちがいを彼ら自身の極悪な目的のために利用することを防げるだろう。」205P・・・まさに間違いの中味と、そこにおけるローザの意図を読み取る必要。
ローザ・ルクセンブルクとスパルタクス団/浜田泰三
「彼らのおかれた歴史的情況はぜひとも明らかにされていなければならない。それはたんに、これによって党組織論をめぐるレーニンとローザの論争の、より深い理解が可能になる、というだけの意味からではない。これに加えて、まぎれもなく、先進工業国家のうちに生きるわたしたちにとって、なによりもまず、SPDとその背後の労働者組織の強大な官僚主義と、その日和見主義的・没理想主義的指導とたたかわなければならなかった彼らの立場がけっして他人事として見過ごすことのできないものと考えられるからだ。帝国主義戦争の死の脅威の下で、革命によってこれを打倒しようとするプロレタリアートの前衛として、彼らは、まさに二重のたたかいを遂行しなければならなかった。」213P
「インターナショナリズムの堅持と大衆の力への依拠、それがスパルタクス・ブントの原則だった。」216P
「すでに述べたように、スパルタクス・ブントのおかれていた情況は、ボルシェヴィキのそれとは著しく異なっていた。強大な官僚的組織の下に、組織ボケ(ママ)していた党と労働組合を前に、彼らのなすべきことは、なによりも「全能の指導部と劣弱な大衆」という考え方」の徹底的粉砕であり、「改良主義に対する火急の闘い」において「すべての革命の第一歩としての自然発生性を強調する」ことだった。」217P
「この若い前衛党の敗北の原因は、もちろん単純ではない。が、その主要なひとつとして、USPD左派とのとりわけ、労働組織のなかから発生し着実に根を張っていたほとんど唯一のグループ「革命的オプロイテ」との結集に失敗したことをあげるのは(その理由は彼らがスパルタクス急進派の一揆主義を警戒したからだった)多くの論者の一致するところだ。」217-8P
「一九一八年末、ローザによって書かれた『ドイツ共産党(スパルタクス)のプログラム』は、つぎのようにいう。「スパルタクス団は、労働階級の上に立って、あるいは、労働階級によって、政権をとろうという政党ではない。スパルタクス団は、ただ、その目的をもっとも確信する労働階級の部分に過ぎない。それは広汎な労働運動を、画段階において、その歴史的任務に向ける部分なのだ。革命の全ての段階で、それは社会主義の究極の目的を明示し、また、すべての民族的問題のなかで、プロレタリア世界革命に役立つものを明らかにする。スパルタクス団は、ドイツ労働階級の大多数の明白な意志を通ずる以外にけっして政治的権威を僭取しない……スパルタクス団の勝利は始めにではなく、その終りにある。それは何百万の社会主義プロレタリアート大衆の勝利と同じい」」218P
「「ここでは、無意識が意識に先行し、客観的な歴史発展の論理が、そのにない手の主観的論理よりも前にある」とローザはいった。とすれば、前衛とは、その無意識を意識へ、客観的歴史発展の論理を主観的論理へと、行動のうちに展開させる任務を帯びた、大衆の部分、大衆とけっして分つことのできない部分にほかならない。そのような前衛として、彼女とリープクネヒトは、革命的大衆行動のさなかに「逃亡」することをみずからに許さなかった。二人を律したこの前衛の倫理は、みずからの少市民性を通じては、小市民的信義の名残りとみえる。そして、二人の理想主義的な、大衆の自然性への確信も、ブルジョア的リズムをもってすれば幻想以外のものとはみえはしない。/ローザの最後の文章はこう結ばれている。「『ベルリンの秩序は維持されている!』ほざくがよい、鈍感な権力の手先どもよ! おまえたちの秩序は砂の上の楼閣だ。あすにも革命は『物の具の音をとどろかせてふたたび立ち上り』トランペットを吹きならして、おまえたちの驚愕をしりめに、こう告げるだろう。Ich war,ich bin,ich werde sein!(わたしはかつて在り、いま在り、こんごも在るだろう)」と。/永久革命の確信を告げるその言葉と「革命の名誉」のためのその献身の行為において、ローザとスパルタクス・ブントの前衛の神話は、半世紀をへだてたいま、新たな衝撃をもってよみがえろうとしている。」220P


posted by たわし at 04:59| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パウル・フレーリヒ/伊藤成彦訳『ローザ・ルクセンブルク その思想と生涯』

たわしの読書メモ・・ブログ545
・パウル・フレーリヒ/伊藤成彦訳『ローザ・ルクセンブルク その思想と生涯』東邦出版社1974
 ローザの学習7冊目です。ここからローザ・ルクセンブルクへの評論に入ります。この本の著者は、ローザと共に、ドイツ革命に関わったひと、ただし、ローザの流れから直接出たひとではなく、むしろレーニンの影響下で、ドイツ革命に関わったラデックと一緒に動いていたひとです。ただ、ローザが斃れて、その後のドイツ共産党の流れの中で、ローザの思想的なことを引き継いでいくことがあり、ローザの未完の全集の編集を担ったりしています。この評論は、時代の流れ的なことを押さえ、同時に論点の整理をしようという意欲的な評論です。なお、これの読書メモを書いているのに併行して次の読書メモの本も読んでいたので、その内容をこの読書メモに混入させています。
 ローザの学習の最初にとりあげた、『ローザ・ルクセンブルクの手紙』の訳者の「解説」で、レーニンのローザの評価が引用されていたのですが、この本の「あとがき――パウル・フレーリヒの横顔――」でも、もっと詳しく引用されています。ちょっと長くなりますが、引用しておきます。
「「パウル・レヴィ(ローザとリープクネヒト亡き後にドイツ共産党を牽引したひと)は、いまローザ・ルクセンブルクがまちがいをおかしているまさにその著作を再版することによって――ブルジョワジーに、したがってその手先である第二および第二半インターナショナルにとくに奉仕しようとのぞんでいる。われわれはそれに対して、ロシアのある適切な寓話の一句でこたえておこう。それは、鷲は牝鶏よりひくくおりることもあるが、しかし牝鶏はけっして鷲のようには飛びあがれない、ということである。ローザ・ルクセンブルクはポーランド独立問題で誤りをおかし(註1)、一九〇三年にはメンシェヴィズムの評価で誤りをおかし(註2)、資本蓄積論の理論で誤りをおかし(註3)、一九一四年七月には、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデ、カウツキーその他とともに、ボルシェヴィキとメンシェヴィキの統合を擁護するという誤りをおかし(註4)、一九一八年に獄中の著作で誤り(註5)をおかした(ただし、彼女自身、出獄後、一九一八年の終りから一九一九年の初めにかけて自分の誤りの大半を訂正した(註6))。しかしそうした誤りにもかかわらず、彼女はやはり鷲であったし、いまでも鷲である。そして彼女についての記憶が、つねに全世界の共産主義者にとって貴重であるだけでなく、彼女の伝記と、彼女の著作の全集(このことでは、ドイツの共産主義者は、がまんのできないほど立ちおくれており、ただ、彼らの苦難の闘争での前代未聞の多くの犠牲ということで、わずかにいくらか言いわけされるだけである)は、全世界の共産主義者の多くの世代を教育するうえに、もっとも有益な教訓となるであろう。<一九一四年八月四日以後、ドイツ社会民主党は悪臭紛々たる屍である>――ローザ・ルクセンブルクのこの名文句とともに、彼女の名は、世界労働運動の歴史にのこるであろう。」(「政論家の覚え書」、一九二二年二月末、『レーニン全集』第十三巻、大月書店)」431-2P
さて、レーニンの同時代人で、レーニンの批判を左派として批判し続けたひとは少なく、ローザがまさにそのひとりだったのですが、ここで、レーニンからのローザの批判が出ています。誤解のないように書いておきますが、ローザはかなり鋭くレーニンを批判しているし、レーニンもローザ批判をしています。ただ、ローザもレーニンも互いに評価し合っています。そして、大雑把にいえば、ローザの原則主義、レーニンの現実主義となる傾向が強いのでしょうが、互いに固い「主義」ではなく、相互入れ込みしています。そのようなレーニンとローザの比較が、この本は、ローザの時代的な、そしてテーマ的なローザの論考を追っているので、論点がかなり浮かびあがってくるのです。
ローザの『選集』の読書メモでは、抜き書きがほとんどだったのですが、ここでは、全体的構成をもくじを追って明らかにし、節でテーマが出ているので、それをテーマの抜き書きをしておきたいと思います。そのテーマに沿った掘り下げは、中途半端になるので、(註)で少し書きますが、ほとんどここではなしえず、一連のローザの評論の学習の終わった後か、ローザ学習の最後にか、まとめたいと思っています。
 で、目次と節を抜き書きし、注目すべき節――論点を下線を付けて(註 数字)で指摘し、「註」でコメントを付し、注目すべきところの概略を書きページ数を記しておきます。
   目次
第三版へのまえがき
凡例
第一章 青春
 1 生家で  2 闘争のはじまり 
第二章 ポーランドの運命
 1 チューリヒ  2 レオ・ヨギヘス  3 「プロレタリアート党」 4 ブランキズムに抗して  5 戦略問題としての民族問題(註7)  6 ポーランド社会民主党の設立
第三章 マルクスの遺産の継承
 1 ドイツ社会民主党の戦列に加わる  2 修正主義への台頭(註8)  3 ある世界像(註9)  4 改良と革命(註10)  5 拉致された資本主義  6 “シジフォスの労働”
第四章 政治権力の奪取
 1 議会主義の限界  2 入閣の実験  3 最後の手段(註11)  4 闘争のよろこび(註12)  5 論争
第五章 一九〇五年のロシア革命
 1 ロシアは目覚める  2 党の組織問題(註13)  3 レーニンとローザ・ルクセンブルク(註14)  4 一九〇五年の革命の本質  5 後方での小競りあい
第六章 前戦で
 1 ワルシャワ  2 武装蜂起(註15)  3 ポーランド社会民主党とポーランド社会党(註16)  4 ポーランドの獄中で  5 革命に対する批判
第七章 新しい武器
1 幻滅  2 政治的大衆ストライキ(註17)  3 『大衆ストライキ、党および労働組合』(註18) 4 ふさわしからぬ指導者たち  5 自然発生理論(註19)
第八章 資本主義の終焉をめぐって
 1 党学校(註20)  2 『国民経済学入門』  3 『資本蓄積論』  4 資本蓄積理論と帝国主義  5 エピゴーネンたちの攻撃
第九章 反帝国主義のたたかい
 1 政治的問題  2 帝国主義戦争の危機とたたかう 3 平等選挙をめぐる闘争
 4 司法権力の介入
第十章 両端の燃える蝋燭のように・・・ローザ像に絞った章です
 1 女性として(註21)  2 闘士  3 文体  4 演説
第十一章 世界大戦
 1 八月四日(註22)  2 反乱の旗の下に  3 雑誌『インターナチオナーレ』(註23)  4 婦人監獄の一年  5 『ユニウス・プロッシューレ』(註24)  
6 スパルタクス(註25)  7 パルニム街、ウロンケ、プレスラウ
第十二章 一九一七年のロシア
 1 最初の勝利  2 十月革命  3 ボルシェヴィキ批判(註26)
第十三章 ドイツ革命
 1 序幕  2 十一月(註27)  3 諸勢力の結果  4 革命のプログラム(註28)  5 反革命の攻撃(註29)  6 ドイツ共産党の設立
第十四章 死にいたる道
1 一月闘争  2 スパルタクス・ブントと一月闘争  3 人間狩り 4 虐殺
 5 エピローグ(註30)
ローザ・ルクセンブルクと現代(註31)
あとがき(註32)
ローザ・ルクセンブルクの著作と参考文献


1 これは、民族自決権の問題で、レーニンとローザの間で民族自決権を巡っての論争がありました。これについては註7で、詳しく論じます。
2 これは、主にローザのレーニンへの「超中央集権主義」批判として展開されたことで、この時のメンシェヴィキにはトロツキーも含まれていました。ただ、トロツキーはすぐにメンシェヴィキを離れ、1917年のロシア革命の頃には、ボルシェヴィキに合流しています。ローザの「ロシア革命論」の後のレーニンのいうローザの自己訂正(註6 参照)、そしてレーニン自体の、中央集権主義に対する変化も照らして(註13 参照)、これはとらえ直すことです。ローザも中央集権主義自体は必要としています。ただし、このことも情況規定的で、さらに現代的に弁証法的にとらえ返すことだとわたしは思っています。
3 これは、マルクスの『資本論』第二巻の拡大再生生産論の論理的抽象から上向していく手法をローザが読みとれず、マルクスの不備として、いきなり「帝国主義論」にリンクさせたことを指しているようなのです。しかし、ローザの「資本蓄積論」とレーニンの「帝国主義論」に関しては、レーニンの「帝国主義論」は、植民地支配時代の「帝国主義論」で、ローザの「資本蓄積論」の継続的本源的蓄積論は、今の社会でも、特に反差別共産主義論的観点から生きて使える理論になっているとわたしは押さえています。 
4 これは、レーニン自身が現実主義的にメンシェヴィキとの共闘は完全にきっていなかったので、そのことも含めて考えることです。
5 これは「ロシア革命論」です。ローザはこれを出すことに迷いがあったようで、しかも、なかで展開していたことを一部運動の中で撤回・修正しています。註6につながっています。運動の中での修正に関しては、註26参照。
6 何を撤回したのか、何を維持したのか細かい押さえが必要です。いずれにしても当時の運動の実践的なところで起きていたこと、一部は、ローザの押さえ損ないもあると押さえたところでの、現在の実践的なことに照らした検証も必要になることです。
7 これは註1で書いた民族問題です。ローザはインターナショナショナリズムで、ポーランドに関しては、独立運動的なことに否定的でした。このあたりはレーニンとの民族自決権を巡る論争で、レーニンは、抑圧する側の民族として被抑圧者の自決権を認めるということ、ローザは、抑圧される側の民族として、自国のブルジョアジーにからめとられるという批判があったようです。ただ、ローザのレーニンに対する超中央集権主義批判で、中央集権主義と民族自決権はアンチノミーになるという内容の批判をしています。ただ、ローザはインターナショナリズムの傾向が大きいのですが、階級闘争一元主義にも陥っているし、そもそもローザもレーニンも差別の階級支配の道具論に陥っていました。これは、ローザが個別差別の問題をとりあげないことにもつながっています。
著者のローザのポーランド問題への評価「ローザ・ルクセンブルクの方は、ポーランド問題ではまったく正しかったが、しかしポーランド民族問題の解決にのみ妥当なその方法を不当に一般化した点で誤っていた、というレーニンの総括的判断はまさに正鵠を射たものであった。」58Pがあります。ただ、レーニンの民族自決権は超中央集権主義に照らすと虚構になっていきます。その矛盾のなかで、スターリンの民族理論につながっていきます。ローザも必ずしも独立運動一般を批判したのではなく、むしろゆらぎというか、現実的なとらえ返しで、実際の利害をとらえ返し、インターナショナリズム的にどういう方針をだしていくかという観点があったようです。これは著者の次の文として示されています。「ローザ・ルクセンブルクはボーランド民族問題やトルコの抑圧のもとにあった諸国民の民族問題を解決することを通じて、マルクスの国際政策の命題をくつがえした。そしてそのことによって、彼女は自分がマルクスの本当の学徒であることを示した。というのは偉大な思想家のエピゴーネンと創造的な継承者を分つのは、前者が師の思想の既成の結果だけを金科玉条と墨守して、状況の変化に頑として逆らうのにたいし、後者は偉大な先達者の真の精神を学んで、既成の結果そのものにたいしても自由で批判的な眼をもち、師がしたのと同様に、その方法を異なった状況に適応させて変更させていくところにあるからである。」59P
8 これは、ドイツ社会民主党が古い歴史を持ち、それなりに民衆や労働組合にも足場をもっていた中で、逆に日和見主義との闘いが大きな問題になっていきました。そして、党内分派としてスパルクス・ブントを作り、結局、社民党から分離し独立社会民主党を中央派とともに作りました。更にそこから分離して、ドイツ共産党(スパルタクス)を作り、そこから、ローザとリープクネヒトも含めた多くの共産党員が殺されたというところの結末につながっていきます。レーニンは最初からメンシェヴィキと袂を分かつ傾向があったのに、ローザは社民党にとどまるという志向が強かったようです。このあたりは、その立場でロシアのメンシェヴィキ批判をしきれないという、註2と註4のレーニンの批判にもつながっています。このことはコミンテルンの反ファシズム統一戦線論と社民主要打撃論との右往左往――方針の誤りによる各国における打撃・運動の崩壊の問題にもつながっていきます。
 ここで、もうひとつおさえて置かねばならないのは、繰り返し出てくるのですが、エンゲルスのマルクスの書の『フランスにおける階級闘争』への1995年版への序文が、修正主義者たちによってエンゲルスの意向を無視して、「エンゲルスの遺言」として利用されたという問題があります。それは「改鼠された内容の承認を拒否して、公刊された「序文」の中に、たえずエンゲルスの真の意見をよみとろうとしたのはローザ・ルクセンブルクだけであった。」77Pとあります。ただ、そもそも後期エンゲルスの検証自体も、必要になっています。
9 これは唯物史観や、史的唯物論の話なのですが、このあたりは著者は、そのような言葉を使わないで論じていて、このあたりから自然発生生の問題につなげていく論考が必要になるのだと思います。
 ひとつだけ切り抜きを、「彼女はマルクスの科学的方法による社会主義の歴史的必然性の立証を確信していた。マルクスは資本主義崩壊の確実性を社会的な“自然法則”の結果として立証したからこそ、人はその思想を科学的社会主義とよぶことができるのだ、と彼女は主張した。」80P・・・“自然法則”は、教科書的には、史的唯物論とか言われていること。ローザは哲学的なところからは余り論を展開していないので、自然発生性の問題も唯物史観や史的唯物論というようなところの規定性としてとらえかえしていく必要があるのだと思います。
10 これは改良と革命のリンクというローザの運動論です。「しかも最終目標とは未来のあれこれの国家形態を想像することではなく、未来社会の形成に先だたねばならないこと、すなわち政治権力の奪取を意味しているのだ」85-6P・・・ローザの政治権力の奪取論
11 ローザの暴力論。「「暴力は労働者階級にとってはいつでも最後の手段であり、あるときは潜在的に、あるときは顕在的に力を発揮する階級闘争の最高の法である。そしてわれわれが議会活動やその他の活動によって頭脳を革命化しておけば、危急の際に革命は頭脳から拳にすすんでいくことが可能になる。」この点でもローザ・ルクセンブルクは改良主義者の見解を徹底的に検討し、もし改良主義の道をとればファシズムの妖怪が現れてこようと警告して、カッサンドラの叫び(訳者註略)をあげたのである。」107P
12 ローザの言葉の引用。「あなたは論争をやっかいな幕合だと思わずに、よろこびをもってしなければいけません。公衆というものはいつでも闘争者の気分を感じとるものですし、早々のよろこびは論争に明るい響きと道徳的な力をあたえるからです。」108P
「ローザ・ルクセンブルクにはマルクスの世界観が血肉となっていたために、自分の行動を正当化するためにマルクスやエンゲルスの権威を引き合いにだす必要もなく、自由に行動することができた。」109P
13 註2の内容です。この問題は、次の読書メモの本で、レーニンが、ローザから自分の「超中央集権主義」として批判さえてられている本の出版を、革命後は過去の論争過程の本として出版を渋ったという話にもつながっています。
14 この問題は、次の本の読書メモ、ドイツやポーランドとロシアの社民党の運動の歴史的違いの情況規定的な唯物史観的なとらえ返しから、違いを押さえていく作業が必要になります。またレーニンもローザも互いにリスペクトしていたという、二人とも実践的なひとで、そこからのとらえ返しが必要です。 
15 ローザはマルクスの流れで、武装蜂起、権力奪取、プロ独論も展開していたのですが、血を流すことには極めて慎重でした。自然発生性を唱えていたので、レーニンの十月革命が計画的武装蜂起を準備したこととの違いがあるし、弾圧と決定的武力衝突の局面の時にレーニンは地下に潜ったのに、ローザは(これも次の本の読書メモなのですが)、敵側として出てきている民衆との論争とかやっていたようです。自然発生性への依拠と拝跪という弁証法がまさに問題になっているのだと思います。
 以下切り抜き。「ローザ・ルクセンブルクは、蜂起をもって軍隊にたいする正攻法であるとは考えなかった。彼女の考えでは、煽動によって軍隊の内部崩壊を準備し、戦闘そのもののなかで、その内部崩壊を完全なものにすることが蜂起の前提条件であり、蜂起の勝利は、強力な部隊を革命的人民の側に移行させることにかかっていた。」156P「ローザは当初、大衆の自発的な行動をもっぱら重視していたが、モスクワの経験から意識的な組織や指導の意味をはじめてみとめるようになり、一方レーニンは、秘密結社的な考え方から出発して、その限界をみとめるにいたったのである。・・・・・・しかしいまやかれは、労働者たちが組織の頭上をこえて、ストライキから蜂起に移ったという事実の中に「ロシア革命の最大の成果」をみるにいたった。それゆえこの二人の思想家は、ほとんど見解の相違はないとみえるほどに接近した。しかし、それにもかかわらずやはりかれらの出発点はそれぞれ異なったものであり、その出発点の相違は、二人の政治思想の間のあるきわめて本質的な相違を特徴づけている。」157P
ロシア1905-6年革命、ロシア二月革命はローザ的な自然発生性、ロシア十月革命はレーニン的計画された蜂起157-8P
「彼女は新たな経験はつねに新たな認識をもたらし、新たな情勢はつねに新たな可能性と必然性をもたらすことを自覚したのである。そしてそれゆえに彼女は、宣伝にあたっては次の戦術目標を明らかにすることに、自分の活動を限定したのである。このようにして彼女は、自身の政治活動および運動の柔軟性を保ったのであった。」158P
16 ポーランド社会党は議会主義の改良主義で独立志向、ポーランド社民党はインターナショナリズムと革命志向というところで当初からせめぎ合いをしていた歴史があります。
「そしてこうした発展の直接的な結果して、一九〇六年春に、ポーランド社会民主党はロシア社会民主党に合体した。いまやロシア社会民主党による民族自決権の宣言は、ポーランドにおけるプロレタリアートの戦略にとって少しも危険なものではなくなった。というのは民族自決権の原則とポーランド労働者階級の政策は、いまや弁証法的(?)に統一するようになったからである。」164P
17 ドイツ社会民主党には政治的大衆ストライキという志向はなく、むしろ否定的だったのですが、ベルギーや1905年ロシア革命の中から、その評価が高まり、議論が始まります。
「とくに彼女には、ゼネラル・ストライキは強度の革命的性格をそなえた手段であると考えられた。ゼネラル・ストライキは、労働者大衆の高度の闘争準備を前提とするものであって、普通の闘争ルールにしたがって取り扱ってはならない。それは革命的な内容をはらんでいるのであって、その点を見落としてこれを取り扱うことは重大な敗北を喫する恐れがある、と。」186P
18 これは、ドイツの社民党や労働組合の組織の大きさというところで、しかも修正主義ということが出てくる中で、運動の実践の必要性を説いた論攷です。
「一方ローザ・ルクセンブルクは、将来のための解決策はあらかじめ何一つつくらなかった。彼女は階級対立の歴史過程を細かく研究し、同時にいつでもそれを総体的にとらえることによって、生きた経験から創造を行った。そしてその際に、彼女は想像力によって日常性から飛翔し、特殊な状況のためにたまたま起こった事がらをよりわけ、ある歴史段階に共通の要素を、現実の生きた姿の躍動するままにつかみだしてきた。」190-1Pローザ「闘争にスローガンと方向をあたえ、政治闘争の戦術をととのえて、プロレタリアートに内在する力や、すでにひきだされ活動している力がすべて、闘争のあらゆる局面や時点で発現されるようにすること、また社会民主党の戦術が、決断や鋭さの点でけっして現実の力関係を下まわらず、むしろこの力関係に先行するようにすることこそ、大衆ストライキの時期における指導のもっとも重要な任務である。そしてこの指導は、おのずからある程度までは技術的な指導に転化する。つまり社会民主党の断固として前進をめざす首尾一貫した戦術は、大衆の間に信頼感と自信と闘争意欲をよびさまし、プロレタリアートの力の過小評価にもとづいた動揺する弱々しい戦術は、大衆を混乱させ、意気消沈させてしまうであろう。前者の場合には、大衆ストライキは“ひとりでに”そしていつでも“時宣に適して”起こってくるし、後者の場合には、指導部がいくら大衆ストライキを直接呼びかけても効果がないのである。」196P
19 たぶんこの「自然発生性論」がローザ論の大きな課題になっていきます。ローザは民衆に対する信頼と運動の自然発生性を極めて評価していました。これは、唯物史観と決定論批判との関係、運動の主体性の問題とも関連していくのですが、まあ、現実的な運動の場面・場面で検証していくことでしかないこと。そもそも、レーニンも革命のまっただ中でジヨン・リード(『世界を揺るがした十日間』の著者)の質問に答えて、「ボルシェヴィキよりも、労働者の方が革命的だ」という主旨の発言をしていて、民衆の自然発生的エネルギーへの評価を出しています。まさにこれが自然発生性への依拠と拝跪の弁証法といいえることです。
「ちがいは、九〇年代の大衆ストライキが、闘争が尖鋭化し、労働者大衆のエネルギーが高度に集中された革命的情勢の中から生まれた自然発生的な運動であったところにある。しかしそれが、自然発生的であったということは、混沌とし、無計画、無制約、無指導であったという意味ではない。それどころか、あの二つのストライキにおいては、指導層は大衆と完全に一体となり、その先頭にたってすすみ、運動を完全に指導し、支配していたのであった。それは指導層が大衆の脈搏と完全に一致し、口先だけでなく、大衆の感情や意味を本当に汲みとって、すすんでそれに一致していったからであった。」202P「“大衆への絶望”などというのはいつでも政治指導者としての失格の証拠です。真の、偉大な指導者は、けっしてその戦術を大衆の一時的な気分に合わせたりせず、歴史の仕事が自助に成熟するのを待つものです。」204P・・・?依拠と拝跪の微妙な側面
20 ローザは最初党学校ということには否定的だったようですが、これをひきうけ、その講義録として、次の節のタイトルにもなっている『国民経済学入門』を出しています。ローザの講義は、的を得ていて分かりやすかったようです。その教え子であったエーベルトが、ローザ虐殺を行った政権に重き位置を占めて加担していたことは、歴史の皮肉としかいいようのないことです。ローザの教え方については「表面的には彼女はどこまでも学生の考え方に歩調を合わせ、その考えを最後までつきつめてみることを要求し、学生たちは気づかぬうちに望んでいた目標まで導かれていた。」「学生と一緒になって考えたために、だれもそれに圧倒されたという感じをもつものはなく、授業時間が終わって、彼女の魔力がとけ、彼女の卓抜さがひとりでにわかるまで、一度もそれに気がつくものがなかったほどであった。彼女は学生たちに、思考において科学的に不徹底であったり、憶病であったりするものへのふかい軽蔑と、一切の科学的行動への尊重の念をうえつけた。ローザ・ルクセンブルクとの共同学習は、学生たちを知的にゆたかにしたばかりでなく、道徳的にも向上させた。党学校にたいして偏見と企みをもってやってきたものも何人かいたが、彼女はかれらを異端者とはしなかった。」208P 
21 ローザには個別差別の問題では、民族問題でもインターナショナリズムを突きだして、独立運動的なことを批判したし、自決権批判もしています。他の差別もほとんどとりあげていません。性差別に関しても、この問題で主体的に動いていたクララ・ツェトキンと連係していたのかも知れませんが、ほとんど論攷を残していません。むしろ「男並みに対等に仕事が出来る女性」として戦っています。しかし、その感性の「ひと(いきもの)を傷つけたくない」「あらゆる命を尊ぶ」とか、被差別者側の感性をもったひとでした。このあたりのことを現代社会的には、反差別というところから、トータルな展開が必要になっていくと思えます。
 著者の(歴史的規定性なことなのですが、わたしとしてはそれとして済ませて欲しくない)差別性が出ているところ、「肉体的には、彼女はけっしてヒロインにふさわしくなかった。彼女は小さく、姿恰好もよくなかった。幼年時代の腰の病気のために、歩行もぎこちなかった。輪郭のはっきりした顔は典型的なユダヤ人の顔であって、並はずれた大胆さと決断の持ち主であることを示していた。」250P ローザの女性としての立場性の問題。「ローザ・ルクセンブルクは、鋭い理解力、行動力、大胆、決断力、自信など、男性的な面を数多くもっていた。しかし男性に伍することで有頂天になる青鞜派ではけっしてなかった。つねに自然、率直であるという点で彼女は完全な女性であった。女性――個性的な女性とは、彼女にとってはいわゆる“女傑”ではなく、“善良で心のしっかりした”女性のことであった。」257P・・・?著者の、そして社会的なジェンダー意識
22 八月四日はドイツ社会民主党の国会議員団が、それまでのインターナショナリズムを放棄して、戦争予算に全員賛成投票した日です。ローザはこのことにすごくショックを受けて、自死さえ考えたと、別の本に書かれていました。詰めかけた民衆を前にして、演説を促されても演説が出来なかったということがここでも278P書かれています。
23 レーニンとローザの違い。「レーニンは「平和」のスローガンを一切否定した。一方ローザは、「平和」を政治的活動の中心に据えた。」291P レーニンのスローガンは「戦争を内乱に転化せよ」。ローザは反戦のひと。
24 「社会民主党の危機」が内容を表した表題。
「また彼女は、労働者階級はその時代の大きな紛争に際しては、つねにその勝利が人類文化の進歩と国際プロレタリアートの利益をもたらす側にたて、という一九世紀においては決定的なものであったマルクスとエンゲルスの原則がもはや適用されなくなったことを指摘し、今日の帝国主義二大陣営は、両者ともに自由のためにたたかうものではなくして、征服と抑圧を目指すものであり、したがってそのいずれのグループの勝利も、世界の労働者階級に悪をもたらすであろう。それゆえに、労働者階級はこの二大勢力のいずれにも荷担すべきではなく、統一して国際的に帝国主義とたたかわねばならない、とのべた。」298-9P
25 スパルタクスの形成は、独立社会民主党の社会民主党からの分離ということもあったとはいえ、レーニンからとらえるとやっと分離し、独自的展開に入ったとなるのでしょう。
「以前から、彼女はしばしば他国の党の闘争に干渉するといって非難されてきた。しかしそれは彼女にとって当然のことであった。彼女の意識の中では、国際プロレタリアートは一個の統一した行動体であり、この統一を未来において実現することこそ、彼女の最大の目標だったからである。したがってこれに反対するものは、彼女とは違った立場にたつものであることを自ら証しだてていたのである。」305P・・・ローザのインターナショナリズム
26 これは「ロシア革命論」として展開されたこと、組織的問題性は後のスターリン主義的なことをローザが予見したとなるのでしょう。次の読書メモの本で論点を出しています。註5、註6参照。 
「このようにローザ・ルクセンブルクは、十月革命とその基本原則を最高級の言葉で称揚したが、しかし同時に、農地改革、民族自決権、民主主義とテロルの問題では、ボルシェヴィキの政策を批判した。」332P・・・次の読書メモの本では、四つ上げています。
ローザ「しかし、この独裁は民主主義の適用方法にあるのであって、その廃棄にあるのではない。ブルジョア社会において“正当に獲得された諸権利”や経済関係――これなしには社会主義変革は実現されえない――にたいする精力的な、断固たる侵害を意味するものではない。」「・・・・・・プロレタリアートはただちに、このうえなく精力的に断固して仮借なく社会主義政策に着手すべきであり、そうせざるをえない。つまり独裁を行なうのであるが、これは階級の独裁であって、政党や派閥の独裁ではない。階級の独裁、すなわち、無制限の民主主義の中で人民大衆が活発に、何ものにも妨げられずに参加するもっとも開放的な階級の独裁なのである。」337P・・・ローザの独裁論
 ローザ「われわれはつねにブルジョア民主主義の政治的形式から社会的核心を区別してきたこと、またつねに形式的平等や自由という甘い皮の下に、社会的不平等や不自由という苦い実があることを暴いてきたということにすぎず――それも自由と平等を投げ捨てるためにではなく、労働者階級をそれにむかって励まし、皮に満足せずに、政治権力を獲得することによって、これを新しい社会内容でみたすためであった。権力を握ったプロレタリアートの歴史的使命は、ブルジョア民主主義のかわりに社会主義的民主主義を創造することであって、一切の民主主義を廃棄することではない。」/著者「つまりローザ・ルクセンブルクにとってプロレタリア独裁とは、民主主義の縮小ではなくして拡大であった。それより高次の民主主義であった。」338P
「しかしまた、ローザ・ルクセンブルクは、古い社会秩序の解体に臨んで、膨大な課題をかかえ、しかも獲得した権力を維持するために、さまざまな敵とたたかわねばならぬボルシェヴィキにとっては、存在するあらゆる力を集中し、自由の制限によって目前の危険を排除し、必要な措置を上から指令することをせざるをえぬ、ということもよく知っていた。大衆の民主的活動の効用をのべた後に、彼女はつぎのようにつづけている。/「もし世界大戦や、ドイツ軍による占領や、これと結びついた一切の異常な困難というおそるべき状況下に苦しむことがなかったならば、ボルシェヴィキもまたかならずそうやったにちがいない。これらのおそるべき状況は、最善の意図もっとも美しい原則に満ちている社会主義政策のすべてを歪めずにはおかないのである。」340-1P・・・?そもそも苛酷な情況から規定されて、それだから起きたこと
「ただ、彼女が警告しようとしたことは、かれらが苦しまぎれにやったことを美徳にし、この宿命的な条件にしいられて仕方なくとった戦術を、すべて理論的に固定化して、社会主義戦術の模範として、国際プロレタリアートに模倣させようとすることであった。」341P
「ローザ・ルクセンブルクは、このロシア革命論の草稿を完成しなかった。その理由は、ただ時間がなかったためというだけのものであろうか? おそらくその他に、彼女自身、自分の意見が本質的な点で変わりつつあることに気づいていたこともあったのではなかろうか。いずれにせよ、その数週間後に、彼女は多くの重要な点を修正した。彼女のポーランド時代以来の同志であったアドルフ・ワルスキーは、一九一八年の十一末か十二月初めに、彼がボルシェヴィキの政策に疑念をのべると、ローザ・ルクセンブルクはつぎのように答えたと伝えている。/「・・・・・・あなたがもたれているような留保や不安を、わたしももっていましたが、もっとも重要な問題に関する不安はすててしまいました。・・・・・・したがって、ロシアのテロルは、なによりもヨーロッパ・プロレタリアートの弱さのあらわれなのです。たしかにいまつくりだされている農業関係は、ロシア革命にとってもっとも危険な、もっとも弱い点です。しかし、この場合にも、どれほど偉大な革命も、歴史の発展が許すことしかできないという真理があてはまるでしょう。この弱点を正しうるのもまたヨーロッパ革命だけです。そしてそれは起こるでしょう!」(A・ワルスキー『革命の戦術的問題にたいするローザ・ルクセンブルクの態度』一九二二年 ハンブルク)」342-3P
27 オプロイテのブランキズム批判として、自然発生性の問題と武装蜂起について「革命は“作られる”ものではなくして、情勢が熟せば大衆の中からうまれてくるものであり、頭からひねりだした第一撃の技術的準備はけっして成功しないばかりか、ときに決定的な時期を失するおそれさえある、というローザ・ルクセンブルクの考えは、ここでもまた実証されたのである。」352P・・・ドイツのブランキズム批判としては妥当としても、ロシアの十月革命では?
28 ローザの反暴力主義は、非暴力主義ではない、とわたしは押さえています。「それゆえに、今日、問題なのは、デモクラシーか独裁か、ということではない。歴史の日程にのぼっている問題は、ブルジョア・デモクラシーか社会主義デモクラシーか、という問題である。なぜならプロレタリアートの独裁とは、社会主義的な意味でのデモクラシーにほかならぬからだ。プロレタリアートの独裁とは、けっして資本主義的利潤の代理人たちが意識的に捩じまげていうような、投弾や、暴動や、騒乱や、“アナーキー”ではなく、プロレタリアートの革命的多数決という意味で、またその意志により、したがって社会主義デモクラシーの精神において、全政治権力を社会主義の実現のために、資本家階級の財産没収のために行使することだからである。」363-4P「ブルジョア革命においては、流血やテロルや政治的殺戮は、上昇してきた階級にとって手離すことのできない武器であった。しかしプロレタリア革命は、その目的にためにはいかなるテロルも必要とせず、人間の殺戮を嫌い、憎む。プロレタリア革命は、これらの闘争手段を必要としない。なぜなら、闘争し合うのは個人ではなくして制度であり、素朴な幻想に導かれて闘争場にたつことはなく、したがって幻滅に血をもって報いる必要もないからである。プロレタリア革命は、けっして、世界を暴力によって自分の理想に従わせようとする少数の絶望的なこころみではなく、歴史的任務を果たし、歴史的必然性を現実のものとする使命を負った、数百万人民の行動だからである。」365Pローザ「これらはすべての抵抗は、一歩一歩、鉄拳をもって容赦なくうち砕かねばならない。ブルジョア反革命の暴力にたいしては、プロレタリアートの革命的暴力をもってたちむかねばならない。」366Pローザ「スパルタクス・ブントは、全ドイツのプロレタリア大衆の大多数の明確な意志による以外は、そしてまた、スパルタクス・ブントの意図、目的、闘争方法をはっきりしたうえでの同意による以外には、けっして政治権力を手にしない。」367P
29 後半に大衆ストライキの問題について。「しかも、このストライキは決してたんなる賃上げ運動ではなかった。これは革命の一部であったというだけでなく、ストライキの目標として、企業権の獲得と精算の本当の社会主義化が公然と掲げられていたのである。」372P
ローザ「革命期になれば、ドイツでも、組合闘争の性格は一変し、それにくらべれば現在の労働組合のゲリラ戦などは児戯にひとしいほどに強力なものとなろう。そして、この基本的な経済的大衆ストライキの嵐の中から、政治闘争もまたたえず新しい力と活力をくみとることになろう。したがってプロレタリアートの革命行動の、いわゆる自動調整機構である経済闘争と政治闘争の相互作用は、ドイツにおいてもまた状況そのもののなかから、自然に生まれてくることになるであろう。」/著者「この予言は、かかれた当時ドイツではまったく理解されなかったが、いまや現実によって十分に実証された。というのは、嵐のような大衆ストライキが、意識的に社会主義経済の実現をその最終目標に掲げるにいたったからである。」373P
「しかしこの動きは、時流におされて社会の底辺で起こっていることであって、そのままただちに、政治的諸関係のうえにはあらわれてはこなかった。経済闘争と政治闘争の歯車のかみ合いも、順調にいっていなかった。特に評議会の構成は、大衆の発展にくらべていちじるしくおくれていた。」374P
30 この書の著者の本文での最後のフレーズ、「野蛮の勝利の行進は、やがてその終焉を迎えることになろう。社会進歩と人間の自由への運動は、アキレスのようにふたたび蘇ってくるであろう。そして人類解放のためのたたかいの勝利者は、ローザ・ルクセンブルクの精神の中からたち現れてくることであろう。」410P
31 この本の著者のローザの思想の現在的な意味をとらえ返した文を付録として付けています。ただ、この文は絶筆でフレーリヒが亡くなったのが一九五三年。かなり前です、その後、スターリン死去の後、スターリン主義批判が起こり、ロシア革命から七〇年余でソ連邦は解体し、マルクス葬送が叫ばれるようになりました。「ドイツ革命の敗北」の過程で虐殺されたローザは「勝利したロシア革命」を牽引したレーニンと比較され、分が悪いのです。レーニンを批判した数少ない左派のひと、レーニンもそれなりに評価したローザは歴史のなかに埋もれがちなのですが、今、むしろ、ローザの理論は、現在の状況下で、あらゆる観点から注目され、評価し直していく必要があるとわたしは思っています。それについては、もう少し、読書を続けてからか、一連のローザ学習の最後にまとめようと思います。ここでは、フレーリヒのここでの文を引用しておきます。
「彼女はあるがままの人生を愛し、そしてどのようなものとしてやってこようとも、人生を愛した。彼女は悦びを求めて、その悦びを太陽の光に、咲き開く花に、鳥の声に、研究に、芸術に、芸術創造に見出した。こうして彼女は不断に悦びを自覚的に、徹底的に、そして人が自分の本性に従うように自然に味わいつくした。思考、願望、行動、才能、趣向は彼女においては一つに融け合って創造的な統一体をなしていたるそこに彼女の個性の強さがあった。傭われた殺し屋は彼女の生命を終らせることはできた。しかし、彼女の思想はなおも生きつづけ、現代のために、さらに実りゆたかにされることを待っている。」423-4P・・・わたし自身もはばかりながらその作業の小さな一翼を担おうとしています。
32 最初に書いたようにこの「あとがき」には、「パウル・フレーリヒの横顔」という副題がついていて、フレーリヒの波瀾万丈の活動歴と、著作活動が紹介されています。この本は、まさに運動を担った立場でのローザのとらえ返しになっています。かなり、ローザの思いは受け継いでいますが、批判的な観点も書き記しています。さて、最後に、「あとがき」にこの本の著者に関する訳者のコメントで、印象に残る文がありますので、引用しておきます。「以上が本書の著者パウル・フレーリヒの横顔である。そしてこのつたない素描によって、本書がけっしてたんなる研究所ではなく、戦争――革命――戦争という二十世紀前半の激動の時代を背景に、搾取と抑圧をもたらす資本主義、帝国主義の打倒と、民衆の創意、自発性、個性の全面的な展開をもたらす自由な社会としての社会主義をめざしたローザ・ルクセンブルクの思想と情熱を自己の血肉として生きぬいた一人のマルクス主義者の、苦悩の時代の刻印を負った現代への呼びかけの書であることが伝えられたならば、訳者・解説者としてこれにすぎる悦びはない。」442-3P


posted by たわし at 04:56| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月17日

ローザ・ルクセンブルク/田窪清秀・高原宏平・野村修・救仁郷繁・清水幾太郎訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻(一九一六――一九一九)』

たわしの読書メモ・・ブログ544
・ローザ・ルクセンブルク/田窪清秀・高原宏平・野村修・救仁郷繁・清水幾太郎訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第4巻(一九一六――一九一九)』現代思潮社1970
 ローザの学習六冊目です。ローザ・ルクセンブルクの選集四巻目。これまでのメモがあまりにも膨大になったので、少しセイブします。
 まず、目次を上げます。
あれかこれか
三月二四日の教訓
犬の政策
リープクネヒトはどうなるか
リープクネヒト
リープクネヒトはなんのために闘い、なぜ禁固刑をうけたか?
ロードス島
二つの復活祭教書
革命のはじまり
陳腐な手
国民議会
無謀なくわだて
万国のプロレタリアに
動き出したアケロン
破滅への道
「未熟な」大衆
執行評議会をめぐって
堡塁のうえへ
国民議会か評議会政府か
エーベルトの私兵
国民議会のための選挙
綱領について
指導部は何をしているか
忘れられた任務
指導部の無知ぶり
空中の楼閣
ベルリンの秩序は維持されている
ロシア文学論
ロシア革命論


さてメモに入ります。(表題の後に来る記号で、○は、巻を通しての帯に各巻の紹介で上げられていた論攷です。◎はその内で、わたしが再読が必要と押さえた論攷。□は○ではないが、重要な論攷。)
あれかこれか ○
 反対派の中でも対立が生じていることに対して、統一を説くひとに対する、ローザのむしろ右往左往するような中身のない統一は意味がないとして、「あれか、これか」を求める提言。
「だが、みなさん、これはそんなものではないのだ。この分裂をひきおこしたきっかけは、党の政策にかんする原則的な問題であり、こんにちの党がおちいっている絶望的な状況からわれわれを救い出し、まっとうな状態へ導いてゆくための手段や方法にかんする見解のちがいなのだ。」2P
「このような深刻な打撃からたちなおるためには、隙のない、明確で、右顧左眄しない政策だけが、唯一の救いになりうるということだ。生半可な方法、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする、おっかなびっくりのブランコ政策ではどうにもならない。いまこそすべての人が「あれかこれか」の問を発しなくてはならない。」3P
「ガイヤーの仲間は、原則のうえでは、多数派共通の地盤にたっている。したがって、かれらは、この戦争がそもそもの初めから、国境をまもるための防衛戦争として出発したとする、卑劣なペテンを支持しているのだ。かれらを多数派から区別する点は、だから、戦争にたいする立場の原則的なちがいではなく、戦況にたいする判断のずれにすぎない。」4P
 他の国のプロレタリアートの立場からとらえるという観点の必要性5P
「・・・・・・将来ふたたび一九一四年八月四日の壊滅をくりえすまいとするなら、われわれにとって救いになりうる道はひとつしかない。それはプロレタリアートのインターナショナルな団結といううたい文句を、嘘っぱちでない、苦難にみちた、神聖な生活指針とすることこそ、社会主義インターナショナルという看板を、現実の力にかえ、それが巨大なダムとなって、帝国主義の落水へ悲惨させるようにすることである。」10P
「同志のみなさん! 統一こそ力であるという、ききなれたうたい文句にだまされてはならない。党幹部会のシャイデマンやエーベルトも、このうたい文句を行商してまわっているのだ。いかにも、統一は力である。だが、それはゆるぎない確信に支えられた統一であって、たがいに反目しあう諸要素を機械的につなぎあわせただけの、表面的な統一ではない。」12P
三月二四日の教訓 ○
「一八名の国会議員を社会民主党国会議員団から追放するきっかけをつくった、三月二四日の国会での事件は、党最高指導機関が、一九一四年八月四日以来一貫して採用して来た政策を、もはや維持できなくなったことのあきらかな徴候である。」14P
「一九一五年一二月二一日、累計四〇〇億マルクにのぼる戦費予算案の採決にさいして、ついにかれらは、国会でこれに反対投票し、それと同時に、予算拒否の理由をのべた声明文を発表した。声明文は、ドイツの国境が安全であることを指摘して、議員団多数派の原則的な立場をうけいれている。」14-5P・・・理由は欺瞞
「党の裏切者にたいする譲歩、忍耐、寛容、服従は、党にとって必要な切開手術をおくらせ、適切な処置を怠る以外の、いかなる結果もうまないことを、三月二四日の事件は、雄弁に物語っている。ハーゼ、レーデブーアのまわりの一八名は、党の規律とか、統一とかいう、デマゴーギッシュなスローガンに眩惑され、二年間ものあいだ、多くの矛盾と曖昧さをふくむところのカカシ的存在に甘んじてきたが、結局は、かつてのリープクネヒトが終始一貫、男らしく(ママ)、党の原則をまもりぬいたことによって蒙ったのと同じ処置をうけたわけだ。」16P
「一八名の国会議員のうえにふりかかった事件は、低姿勢と中途半端の政策は何ものももたらさず、党を救いうるのは、原則にのっとったエネルギッシュな政策だけだということを、決定的な明らかにした。」17P
「活動家、国会議員、編集局員らが党なのではない。党とは、組織された労働者大衆であり、社会主義的階級闘争の精神である。あなたがたが党なのだ!」18P
犬の政策
「国会みずから、そのメンバーである国会議員(リープクネヒト)を、軍事法廷に突きだしたのである。/その後数日を経ないうちに、喜劇の第二幕がつづいた――国会は、リープクネヒトが、野獣のような暴行にさらされるのを見ながら、国会議員であるかれを庇おうとはしなかったのである!」21P
「「社会民主党員」ダーフィットは、国会内委員会で発言し、カール・リープクネヒトについてこう言った――「やかましく吠える犬はけっして噛みつかない」」22P・・・この文の標題、「犬」にたとえる者が、権力の「犬」になっているという話。
「大衆じしんの行動、大衆の果敢なイニシャティヴ、前戦線における力づよい高揚のみが、われわれをあの道へ、すなわち、人民殺戮や、軍事独裁や、人民の緩慢な餓死を止めさせる道へ、連れてゆくことができる。」23-4P
リープクネヒトはどうなるか ○
「軍事独裁は、もっとも手強いその敵対者を、牢獄に閉じこめようとしている。リープクネヒトにたいする軍事「裁判」は、目睫の間に迫った。/裁判を装った卑劣なコメディー!
裁判は非公開でおこなわれるという。弁護活動も極度に制限されている。「判事」として裁判を進めるのは、上級将校である。つまり、リープクネヒトによって徹底的に攻撃された、党の軍事独裁の代表なのだ!/公訴の内容は、卑劣さの極みとしか言いようがない。起訴状は、戦場における計画的な利敵行為についてのべている。五月一日当日、リープクネヒトは戦場には居らず、ベルリンのポツダム広場に居た。にもかかわらず、かれは「戦場における」メーデー・デモストレーションに力をかした、というのだ。かれは、国会議員として、人民代表として、ベルリンで活動していたにもかかわらず、兵士として法廷に立たされる。」25P
「はっきりしすぎるほどはっきりしている――政府とその一味は、カール・リープクネヒトにたいして、計画的なでっちあげ裁判をたくらんでいるのだ! 断乎たる労働者階級の味方であり、社会主義の旗手であるかれは、敵の憎しみを一身にあびて、報復をうけようとしている。」26P
「リープクネヒトは、われわれみんなのために闘った。かれは、プロレタリアートため、インターナショナルな社会主義のために、自己の一身をなげうっている。かれは、ドイツにも、社会主義の信念に生きる人間が居ることを示した。リープクネヒトは、労働者階級の解放のために、最後の血の一滴まで捧げようとしている。」「労働者のみなさん! リープクネヒトの身の上におこっていることは、あなたがた自身の問題である。リープクネヒトをとおして、かれらはあなたがたに襲いかかり、あなたがたをだまし討ちにし、あなたがたの口をふさぎ、大手を振って人民殺戮をつづけようとしている。かれらは、リープクネヒトとともに、戦争という犯罪行為にたいするドイツ・プロレタリアートの反抗を、踏みつぶそうとしているのだ。あなたがたはこれをほうっておくのか?」28P
リープクネヒト
「信じられないことが、ついにおこった。政府は恥しらずにも、リープクネヒトにたいする判決をさらにきびしくして、禁固刑のほかに、公民権の停止を、すなわち、国会と州会における議席の剥奪を、つけくわえた!・・・・・・判決はかれの全活動にたいする報復である。」30P
「もしも、開戦いらいドイツ社会民主党員が犬のように匍いつくばい、その卑屈さによって権力者を甘やかす、ということがなかったら、かれらとしても、あえてこのような厚顔無恥の判決を下さなかったろう。」30P
「いったいリープクネヒトは何をしたのか? かれはただ、インターナショナル大会の決議、綱領、党大会決議などが、すべての社会主義者に義務として課していることを、おこなっただけである。・・・・・・いま、リープクネヒトは、この自明の理を遂行したために、禁固刑を言いわたされたのである。どうしてこんなことがおこりえたか? それはほかでもなく、公認の社会民主党が、革命的な階級闘争を放棄したからである。インターナショナルなプロレタリア階級闘争の党が、支配政党になった、すなわち、帝国主義的階級支配のための足台にされてしまったからである。」31P
「リープクネヒトの「利敵行為」とは、かれが平和のために闘ったということである。」31P
「労働者階級の歴史的課題にとって、一九一四年八月四日の崩壊以後における、第二の決定的試練は――開戦を阻止できなかったこの戦争を、労働者じしんの力で終結させること、すなわち、帝国主義ブルジョアジーの手から、秘密外交の成果としての平和をうやうやしく受けとるのではなく、逆に、ブルジョアジーに平和を強要し、ブルジョアジーからそれを闘いとることが、できるかどうか、である。」32P
「平和獲得の闘争とは、労働者階級の断乎たる実力行使によって、国内においても、人民殺戮の継続を不可能にすることであり、リープクネヒトのように、いかなる犠牲や危険にもひるまず、国内平和を粉砕して、軍事独裁の首根っこを抑えることである。」33P
「また、このような、平和獲得の果敢な大衆闘争だけが、リープクネヒトを監房から連れ出すことができる。」33P 監獄の開放の歴史、一七世紀のイギリス、フランスのバスティーユ解放、一九〇五年のロシア革命33P
ローザのアジテーション文34P
リープクネヒトはなんのために闘い、なぜ禁固刑をうけたか?
「一一月四日、リープクネヒトにたいする最終審判決がおりる。リープクネヒトは、八月二三日の第二審においても、有罪の判決をうけた。第一審の有罪判決は禁錮二年半だったが、それすらすでに、全世界の人びとの憤激をかった。ところが、戦時高等裁判所は、原判決をうわまわる四年の禁固刑を課し、おまけに六年の公権剥奪をこれにつけくわえた。つまり、リープクネヒトは、計一〇年間、国会、州会の代表権をうばわれることになる。・・・・・・いったい、なぜか? 理由はただひとつ、かれが、言葉のうえでも、実行においても、社会主義の訓えと労働者階級の利益をあくまでも忠実にまもり抜いたためである。」36P
「リープクネヒトは、社会主義の旗のもとに留まった少数の人びとのひとりである。はやくも一九一四年一二月、かれは、国会議員のなかでただひとり、戦費予算案に反対投票した。その後さらに二度の反対投票を重ねたのち、ついに一九一五年一二月、他の多くの議員たちが、ためらいがちにではあったが、かれの模範にならった。/さらにリープクネヒトは、国会および州会において、つねに先頭に立って戦い、国内平和というコメディーを有名無実のものにし、帝国主義の傀儡にすぎない擬制兄弟党の顔から仮面を剥ぎとり、帝国主義の犯罪行為を全世界のまえにあばきだした。かれは、「小質問」を、階級闘争の武器として用い、何度も政府を狼狽におとしいれ、痛手をおわせた。」37-8P
「一言にして言えば、リープクネヒトは、大衆の心に生きている、一九一四年八月四日いぜんの、古くからの社会民主党を体現した・・・・・・」38P
「リープクネヒトは、すでに二度の判決をうけた。だがこれで終ったのではない。第三審の判決が目前に迫っている。戦時法廷はさらに新しい判決をくだすだろう。だがこんどは人民の側からも、言いたいことを言わせてもらおう。/労働者階級が、時期を失せず、いますぐ、大衆的抗議、デモストレーション、大衆ストライキ等、軍部独裁にプロレタリアートの実力をはっきり思い知らせる行動にたちあがるならば、その圧力によって、これまでリープクネヒトにたいして下した判決をことごとく破棄させ、裁判を最初からもう一度やり直しさせ、その結果、カール・リープクネヒトを刑務所の門から連れ出すことも可能なのだ。大衆的抗議の圧力、国内や塹壕のなかにおける騒動の気配、それのみが、首切り役人を動かし、犠牲者の釈放に踏み切らせることができる。」41P
「労働者がいまも期待しうるのは、じぶんじしんだけである。労働者じしんの大衆行動、抗議運動の高まり、大衆ストライキの波状攻撃――これらの行動によって、労働者じしんの実力をのばしてゆくよりほかない。リープクネヒトにたいする恥しらずな判決が、人民殺戮は反抗するドイツ労働者階級の脇腹に突きつけられたドスであるならば、この判決にたいする抗議、リープクネヒトの釈放を要求する運動は、とりもなおさず、労働者階級じしんの名誉をまもる闘いである。/リープクネヒトの処罰に反対する抗議運動は、とりもなおさず、戦争、戒厳令、大衆的飢餓にたいする反抗である。リープクネヒトをまもる闘いは、平和、人民のインターナショナルな連帯、社会主義による解放、のための闘いである。」42P
「いっぽう、数百万にのぼる生命が、塹壕のなかで日夜葬り去られてゆく事実をどう見るのか? しかもそれは、労働者階級の奴隷化と、他人の儲けのためなのである。ドイツのプロレタリアは、資本の命令で命をすてることはできても、自分の名誉のためには、いかなる犠牲も払いたくないというのか?」43P
ロードス島 ○
「するどい風が国じゅうを吹きまくっている。軍部独裁は、まるで舞踏蜘蛛に刺されでもしたように、じたばたするばかりである。家宅捜査、逮捕、政治裁判が、ベルリン、シュトゥットガルト、ライプツィヒ、ハンブルグ、ブレーメン等においては、日常茶飯事のこととなった。反対派のすべてのリーダー、すなわち、インターナショナル社会主義の原則をまもって、犯罪的な人民殺戮をやめさせるために力のかぎりはたらいてきた人びとは、鉄格子の奥か、それとも、光栄ある「祖国防衛」軍のなかに、ほうりこまれた。・・・・・・「国内平和」は、ついに、社会民主党指導部が軍部独裁と腕をくんで、大衆とたたかうために、あからさまな十字軍を結成する、という新たな汚辱のなかに終わろうとしている。大衆が自分たちの利害や課題をふかく考え、飢餓や大量殺戮や、鉄輪のように首をしめつける戒厳状態にたいして、公然と反抗しはじめたからだ。」45P
「そして、党の「垣の外」の事情は、そのまま「垣の内」にもあてはまる。党組織は完全に解体しはじめたのだ。・・・・・・シャイデマン・エーベルト一派の負託を受けたグローガーやトゥーロウの策動や、「匿名のマキビラ」に対抗しようとするあのいわゆる「党執行部」のビラは、かれら「堅忍持久派」の計画がなにをめざしているかを、きわめて明瞭に示している。かれらは、転向者特有の自暴自棄的な勇気にかられて、栄誉ある過去につながるすべての橋を焼きはらってしまったのだ。かれらは、すすんで、帝国主義政府の支柱としての決議をおこなった。すなわち、八月四日の路線を社会民主党の永続的な政策として、ドイツの労働者階級を社会主義インターナショナルから切りはなし、ドイツのブルジョアジーの車輛に結びつけるか、それとも――党の組織を徹底的に破壊しつくすか、ふたつにひとつだというのである。そして、この計画は、ためらうことなく、ねばりづよく、系統的に、実行に移されている。」46P
「かれらは、ドイツ最大の地区において、数万をかぞえる党員大衆全体に対抗して、このみせかけの組織を足かがりに、この数万のプロレタリアの現実の財産――すなわち地区の金庫全体を、手中に握ることに成功したのである。」46-7P
「ドイツ社会民主党のばあいは、ちょんぎられたしっぽのほうがもとになって、からだ全体が「補充」されるのである。」47P
「シャイデマンやエーベルト一およびその一味は、かれらのポストと権力を維持するために、かれらのポストから生じるあらゆる権力手段を徹底的に利用し、党がもしこれに反抗するようなことがあれば、そのときには、党を陰謀や密告や分裂や陽動作戦などのアナーキーのうちに破滅させてしまおう、と決めたのである。」47-8P
 日和見主義者の欺瞞48P
「今日においては、大衆にたいして、もはや国会からなにひとつ期待できないということ、すべては大衆自身によってしか期待できないということを、はっきり示す以外に、意味も目的ももちえないのだ。ことばと実例によって、大衆をこうした自主的な行動へ煽り立て、かりたててゆく以外に、意味も目的もないのだ。」50P
「ほんとうの反対派を決定する第一のことばは、むしろつぎの認識と信念でなければならない。すなわち、戦争と平和とか、インターナショナルの問題とか、大衆飢餓などについて、最後の骰子を振る場所は、国会のなかではなく、工場のなかであり、作業場のなかであり、街頭においてである、という認識と信念なのである。」51P
「自分たち自身以外のところから救いを求めてはならぬ。これは、同志たちに向かって、いくどくりかえして言ってもいいことばである。同志諸君が、盛りあがる大胆な大衆行動の力を信じ、危険をおそれず、犠牲をものともせず、全面的に実力行使にふみきったときにのみ、そのときにのみ、党をエーベルトとシャイデマン一味の手から救いだし、平和と自由を、残忍な帝国主義の混沌(「カオス」のルビ)のなかから創りあげることもできるのだ。ここは、ロードスの島、もはや跳ぶほかない。」52P
二つの復活祭教書
「ネヴァ河のほとりでの雄大な世界史劇のおそなえものとしては、あまりにもグロテスクな茶番劇が――シュプレー河畔でくりひろげられている。ロシア革命の影響をうけて、プロイセン・ドイツも、いよいよ「近代化」にとりかかろうというのである。」53P
「これが、自分たち自身の問題、すなわち、ひとつであって分けることのできないインターナショナルなプロレタリアート全体の問題であり、このプロレタリアートが、ロシアにおいて、いよいよ、資本による階級支配との世界史的な全面対決へのスタートを切ったのだ、ということを理解していない。」54P
「つまり、ロシアでは革命をやっているが、ドイツでは、これにたいして、議会のなかで「たたかう」のだ、いう叡知が、まぎれもなく、かれらの奉ずる信条なのである。」56P
「ドイツでは、社会民主主義研究会(社会民主党反対派)がプロレタリア大衆に別の役割を押しつけている。・・・・・・議員団は、つねに大衆との「緊密な接触」を保ち、国会におる選良の議会主義的行動にさいして、大衆の「協力」を得るように努めなければならない。・・・・・・ロシアでの経験からふかい教訓を汲みとったつもりなのだ。」56-7P
「まったく実直な自由思想の精神から、「社会民主主義研究会」の指導者たちは、ロシア革命を、たんに老朽化したツァーリズムにたいするブルジョア・リベラリズムの修正であると見ている。これが同時に、世界史的な影響力をもった最初の過渡的プロレタリア革命であることなどは、ゆめにも知らないのである。」57P・・・ローザの卓見
「平和問題にしろ、インターナショナルな社会主義の未来にせよ、すべては、ドイツの労働者階級が、いまこそ、過去数十年にわたる公認ドイツ社会民主主義の目かくしをはずすかどうかにかかっている。」58P
革命のはじまり ◎
「革命がはじまった。これまでの成果に歓声をあげたり、敵の屈服に凱歌をあげたりするときではない。はじまったばかりの仕事をつづけてゆくために、きびしい自己批判と緊密なエネルギーの結集が必要なのだ。じっさい、これまでの成果はわずかであり、敵はまだ完全に屈服してはいない。/これまでに、なにがなしとげられたであろうか? 専制君主制は一掃された。政治の最高権力は、労働者・兵士代表の手にうつった。しかし、この専制君主制は、結局本来の敵ではなかったのである。それは、たんに帝国主義の表玄関であり、吊看板であるにすぎなかった。ホーエンツォレルン一家だけが世界戦争を煽りたて、世界のすみずみに放火し、ドイツを破滅の渕に追いこんだわけではない。専制君主制も、すべてのブルジョア政体と同様、支配階級の代理人であったにすぎない。人民殺戮の責任を問われるべき真の犯罪者は、帝国主義ブルジョアジーであり、資本主義的階級支配である。/現代における革命の歴史的テーマは、資本の支配を廃絶することであり、社会主義の社会秩序を実現することであ、それ以下のものでは、だんじてありえない。」59P
「革命の道は、革命の目標から、自然にくっきりと浮かびあがってくる。方法は、課題のなかから、おのずから生まれる。権力のすべてを、はたらく人民大衆の手に、労働者・兵士評議会の手に! たえずすきをうかがっている敵にたいして、革命の成果をまもれ! 革命政府がとらねばならぬすべての施策の基本線は、このふたつである。/革命政府がふみだす一歩一歩、革命政府の行動のひとつひとつは、磁針のように、はっきりとこの方向を指し示していなければならない。」60P
 目標・課題・方法について具体的提起60-61P
「最初の一歩はふみだされた。今後のことは、もはや、革命の進行をとどめ、世界史の車輪をおしもどそうとする小人(ママ)たちの手にはない。今日の世界史の日程にのぼっているのは、社会主義の究極目標の実現ということなのだ。ドイツ革命は、すでに、このかがやかしい星辰の軌道にはいりこんでいるのである。革命は一歩一歩、疾風怒濤をついて、闘争と苦悩と窮迫と勝利のなかを、目的に向かって進んでゆくであろう。/これは動かしがたい必然である!」63P
陳腐な手
内容的にはデマの流布ということ
「こうしたガヤガヤうるさい噂とか、こっけいな空想やばかばかしい創りばなし、あるいは恥しらずなデマの背後には、しかし、いいかげんに捨てておけない重要なプロセスがかくされている。系統的なものがひそんでいる。煽動が計画的におこなわれているのだ。ちゃんとした目的にそって噂がつくりだされ、公衆のなかにばらまかれる。でたらめなつくりばなしによって俗物たちの気分を恐慌におとしいれ、世論を混乱させ、労働者や兵隊をおびえさせ、まどわせて、大虐殺でもおこりそうな雰囲気をかもしだし、広汎な大衆がスパルタクス路線の政策と目的を理解することができないうちに、スパルタクスを政治的に圧殺してしまうことが、そのねらいである。/これはふるくからある陳腐な手だ。」65-6P
「かれらは革命がこれ以上進展することをはばもうとし、ブルジョアの財産、資本主義的搾取制度を救おうとしているのである!」66-7P
国民議会
「・・・・・・(スパルタクス以外のひとたちは)異口同音に、国民議会をひらけ、と叫びたて、その反面、これまで全員一致して、権力を労働者階級の手に! というイデーには、恐怖の叫びをあげている。」69P
「これらの深遠なマルクス主義者たちは、しかし、社会主義のABCを忘れている。/かれらは、ブルジョアジーが、たんなるひとつの議会政党ではなく、すべての経済的、社会的権力手段をにぎった支配階級である、ということを忘れている。」70P
「階級闘争ぬきで、議会主義的多数決によって、社会主義を導入することができる、というような考えは、こっけいな小市民的イリュージョンである。」71P
「国民議会は、これまでのブルジョア革命からうけついだ時代おくれの遺産であり、中味のない容器にすぎない。「国民の統一」とか、ブルジョア国家の「自由、平等、博愛」といった、小市民的イリュージョンの時代に由来する小道具であるにすぎない。/今日、国民議会に頼ろうとするものは、革命を、意識的、無意識的に、ブルジョア革命の歴史的段階にまで、ねじもどそうとするものである。それは、偽装したブルジョアジーの手先であるか、小市民階級の無意識的イデオローグである。」72P
「今日、問題となるのは、デモクラシーか独裁か、ということではない。歴史の日程にのぼっている問題は、ブルジョア・デモクラシーか社会主義デモクラシーか、という問題である。つまり、プロレタリアートの独裁、それは社会主義の意味でのデモクラシーにほかならないのだ。プロレタリアートの独裁は、けっして、資本家の利潤の番人たちが明確な意図をもってねじまげていうような、砲撃や暴動や騒乱や「アナーキー」のたぐいではない。それはあらゆる政治権力を――プロレタリアートの革命的多数決という意味で、またその意志により、したがって社会主義デモクラシーの精神において――社会主義の実現のために、資本家階級の財産没収のために行使することなのだ。」72-3P
無謀なくわだて
「有産階級は、千年の歴史のなかで、かれらの奴隷たちが暴動をおこしたばあい、それがどんなに小さな暴動のばあいであっても、私有財産と階級支配という「秩序」の守護神をまもるためには、いかなる暴力行使をも、またいかなる卑劣な行為も辞さなかった。そのかれらも、しかし、むかしから、奴隷たちの暴力やテロルとなると、大声でわめきたてるのである。」74P
「テロルと恐怖政治は、ほかならぬブルジョア革命のなかで、特定の大きな役割を演じた。」75P
「大革命を、自由、平等、博愛、というスローガンの形式的、観念的側面にのみ釘づけにし、産業と金融資本による支配という、そのリアルな内容にはあくまで反対しようとしたこころみであった。ブルジョア革命の最小限必要な成果を確保するための突撃隊としての役割はとっくに終わっているのに、小市民大衆は、まだ権力の座にしがみつき、革命の過渡期を究極目標と考え、スローガンを内容とし、手段を目的にしていたのである。」75P
「ひとことでいえば、テロルと恐怖政治は、ブルジョア革命において、歴史的イリュージョンをうちやぶる手段であるか、あるいは、歴史のながれにさからって、まったく望みのないことをまもろうとする手段であった。」76P
「社会主義プロレタリアートは、しかし、科学的社会主義の理論のおかげで、なんらのイリュージョンもなく革命にはいって行く。自分自身の歴史的使命の最終的な帰結と、ブルジョア社会全体にたいする宥和しがたい対立、敵対関係をしっかり見抜いているのである。プロレタリアートが革命のなかにつきすすんで行くのは、歴史のあゆみにさからって、あたまのなかにえがいたユートピアの幻影を追いまわすためではない。社会の発展を規定する鋼鉄のような動力装置をふまえて、歴史の時間が告げる至上命令をはたし、社会主義を実現するためである。社会主義プロレタリアートは、大衆として、圧倒的多数を擁するはたらく人間の集団として、自己の歴史的使命を遂行するのである。」76P
「しかし、今日、テロルや恐怖政治をなによりも必要とする連中がいる。それは、ブルジョア諸氏であり、資本主義経済の寄生虫たちである。かれらは、自分たちの財産が、特権が、利潤が、支配権が、奪われはしまいかと、たえずびくびくしているのだ。アナーキーな暴動がおこるぞ、とでたらめなでっちあげをばらまいて、社会主義的プロレタリアートにたいする根も葉もない恐怖をあおりたてているのは、この連中だ。」76P
万国のプロレタリアに ○
 ドイツでは、いよいよ革命が到来した。四年間、資本家の利益のために、屠殺台に送られていた兵士たち、四年間、搾取され、おしつぶされ、飢餓にくるしめられてきた労働者たち、かれら大衆が起ちあがったのだ。おそろしい抑圧の道具であったプロイセン軍国主義、この人類にたいする非道の笞は、へし折られ、地にたたきつけられた・プロイセン・ミリタリズムのもっとも顕著な代表者たち、こんどの戦争に責任のある犯罪者たちのなかでいちばん眼につく皇帝と皇太子は、国外に逃亡した。いたるところに、労働者・兵士評議会がつくられた。」79P
「この大事業は、しかし、ドイツのプロレタリアートだけでは、けっして達成することはできない。全世界のプロレタリアの連帯を呼びおこして、はじめてたたかいに勝利をおさめることができるのだ。」80P
「プロレタリアは、戦争が、やがてきみたちの国のばあいも、政府によって巨万の富をもった金持のためにおこなわれたものであることを、はっきり認識したし、この認識を今後ますます深めてゆくだろう。」80P
「すべての国々の帝国主義には、「諒解」などということばはない。帝国主義が知っているただひとつの正義は、資本の利潤であり、ただひとつの言語は、剣であり、ただひとつの手段は暴力である。」81P
「万国のプロレタリアよ! 今度の戦争で、戦争は、どうしても最後にしなければならない。これは、一二〇〇万の殺された犠牲者にたいし、われわれの子どもにたいし、人類にたいして、われわれが負わねばならぬ義務である。」81P
「永続する平和の偉大な砦を礎き、人類がうけた無数の傷をいやし、戦争という黙示録の騎士の更新によってふみにじられたヨーロッパの沃野を花咲く園に変え、破壊された生産力のかわりにいままでの十倍の新しい生産力を生みだし、人類のすべての肉体的、精神的エネルギーをよびさまし、憎悪と不和のかわりに兄弟のような連帯をよみがえらせ、人間の相貌を帯びたすべてのものにたいする協和と尊敬をつくりだすことができるのは、社会主義以外にはない。」82P
「万国のプロレタリアの代表が社会主義の旗のもとに、平和をつくりだすために、手をさしのべあうときには、平和はただちに結ばれるだろう。・・・・・・そのときには、ひとつの正義しかない。あらゆる人間の平等という正義である。そのときには、ひとつの目的しかない。万人のための福祉と進歩という目的である。」82P
「ドイツは、社会革命を胎内にはらんでいる。しかし、社会主義を実現しうるのは、世界プロレタリアート意外にはない。」83P
「空疎な宣言やプラトニックな決議やかおりたかいことばの時代は、終わった。行動の時をつげる金がインターナショナルのために鳴りわたっている。われわれは、きみたちに要請する。あらゆる場所で、政治権力をつかみ、われわれとともに平和をつくりだす労働者・兵士評議会を選出せよ、と。」83P
動き出したアケロン
「アケロンの河が動きだしたのだ!」「ストライキがはじまったのだ!」86P・・・「アケロンの河」とは日本で言う三途の川
「大衆は、政府のおめでたい布告やありがたい国民議会の決議を待ったりしてはいない。すなわち、資本にたいする闘争! これ以外にはない。政府は、いままでのところ、全力をふりしぼって、革命を、いわば去勢し、「安寧秩序」をまもれ、とわめきながら、諸階級の調和をはかろうと努めてきた。/プロレタリア大衆は、しかし、この革命的階級調和などという積木でつくった夢の城を平気でひっくりかえし、おそろしい階級闘争の旗をひるがえすのである。/いまはじまったストライキ運動は、政治革命が社会の基盤をゆさぶりはじめた証拠である。」87P
破滅への道
「われわれは、もちろん、これまでハーゼやデイットマンやカウツキー諸氏を別に重視してきたわけではない。それどころか、戦争中、かれらがいつも口をもぐもぐ動かせていただけでなく、ときには、それもいざというときには、きまって脚までぶるぶるふるわせているのを、見てきたのだ。ところで、いっぴきの兎が一夜にしてライオンになるわけがない。帝国主義のガタピシ車が、革命の狼わなに向かってごろごろころげて行ったときに、政治的にブレーキの役目をするにいたったカウツキーやシュトレーベルのグループが、タービンとなり、前進力となるわけがない。」91P
「制憲議会か、労働者・兵士代表中央評議会か、歴史は、このふたつのことなった階級組織の基本形態を、きわめて適切に、まぎらわしいところのない明瞭さで、はっきり対立させた。このふたつのうちのどちらか一方がただしいのだ。それを決定しなければならない。そして、その決定のためには、一切を賭けなければならない。ところが独立派には、その勇気がない。」92P
「「労兵評議会の組織は拡大され強化される」と述べられている。ところが、そこから、現在考えられるただひとつの、権力のすべてを労働者・兵士評議会に! という結論は、ひきだされない。逆に、そこから、ブルジョアジーの領域である制憲議会のほうに、大胆にひょいととびこんでしまうのだ。」93P
「このところ、独立派がおこなってきたこと、そしてまたこの呼びかけでしていることは、およそ政治といえるしろものではない。それは、方向感覚を失って、ぐるぐるおなじところをまわりながら、子どものころのお祈りをたいくつな一本調子でつぶやいている老人の身ぶりである。」93P
「未熟な」大衆
「「フォアヴェルツ」は、しかし、大衆をもういちど「憲法制定国民議会」という手段によって教育しなおそうとしているのだ。」97P
「その看板のうえには、もちろん「諸君は成熟していない。諸君が成熟することは、まず、ありえまい。『根本的欠陥』があるのだ。諸君には指導者が要る。その指導者は、われわれだ」と書かれている。」98P
「世界のいかなるプロレタリアートも――ドイツのプロレタリアートもおなじである――数千年つづいた隷属の傷あとを、シャイデマンその他の一味がかれらにかぶせた鎖のあとを、きょうからあすのうちに、するりと拭い去れるものではない。プロレタリアートの政治的状態も、精神的状態も、革命の第一日目に最高のものとなるわけはないのだ。革命のなかでのかずかずの闘争があってはじめて、プロレタリアートは、あらゆる意味で、真の成熟にまでたかめられてゆくのである。」98P
執行評議会をめぐって
「反革命の陰謀や挑発や裏切りでごったがえしているこの混乱のただなかで、革命の今後の運命にとってきわめて重要な意味をもつひとつの事実がつくられてきている。労兵評議会執行評議会が政治の場から締めだされ、もはや権力もなく、なんらの重要性をもたなくなった、という事実である。/革命がはじまったころの事態が、どのようなものであったか、思い出してみよう。一一月九日の革命をおこなったのは、労働者と兵士だった。労働者評議会の結成は、革命の第一歩であり、最初の永続的成果であり、眼にみえる最初の勝利のしるしだった。労兵評議会は、どこにおいても、帝国主義ブルジョアジーの支配が廃止され、労働者と兵士からなりたっている広汎な人民大衆の、あたらしい政治的社会的秩序がはじまる、という事実の具体化であった。」100P
「革命のはじめから、執行評議会と併行し、人民委員評議会、すなわちエーベルト・ハーゼ「政権」ができあがっていた。」103P
「もちろん、「人民委員評議会」すなわち、エーベルト・ハーゼもまた、他のすべての国家機関とおなじく、執行評議会に従属しなければならない、ということであった。エーベルト・ハーゼ内閣は、執行評議会とその意志の遂行機関であるほかなかったはずである。/じじつ、これが、ふたつの組織が生まれた最初の瞬間にすべての人びとが抱いていた意見だった。/しかし、この状態はながくつづかなかった。はやくも翌日には、エーベルト内閣を独立の機関として、まずはじめは執行評議会と対等にならべ、それから一歩一歩、執行評議会のうえにおこうとする、シャイデマン一派のあからさまな策動がはじまった。」102P
「かれらの熱心な策動の頂点ともいうべき、最終的な行動は、エーベルト独裁を宣言し、執行評議会を排除しようとした一二月六日の暴動であった。そして、防衛隊のベルリン入城が、この行動を完成させた。」103P
「そうだ。こうした行動、こうした誓約は、そこから執行評議会が完全に締めだされている以上、あきらかに、執行評議会を敵視しているものと思われる。防衛隊の入城、その武装、その誓約、すべては、まずなによりも労兵評議会に対抗するためのエーベルト内閣のデモストレーションであり、実力の誇示であり、威嚇であった。」104P
「しかし、そのために苦労しなければならないのは、労働者大衆のほうである。ちかくひらかれる労兵評議会の全国会議において、あたらしい執行評議会をつくり、その執行評議会が、もはや影のような存在であることをやめて、エーベルト商会の反革命的策動によってぬすみとられた権力を自分たちのたくましい拳でうばいかえすことができるかどうか、すべて労働者大衆の問題なのだ。もしも、全ドイツの労兵評議会がシャイデマンやエーベルトの巣窟を根こそぎにしてしまうのを、いささかでもためらうならば、すぐにまた、現在の執行評議会と同様に、政治の場から締めだされてしまい、最後には、勝ちほこる反革命によって息の根をとめられてしまうことになるだろう。」104-5P
堡塁のうえへ
「あす、ベルリンにおいて、全ドイツの労働者・兵士評議会の中央評議会が結集されることになった。ともかく、組織的に見て、労働者であれ、兵隊であれ、全ドイツの革命的プロレタリアートにとって、すくすくと生長してゆく革命の若木に咲いたもっともうつくしい花というべき、ひとつの組織が、結成されるのである。」106P
「反革命のたくらみも、露骨になってきている。かれらは、エーベルト・シャイデマン一派をかれらの手先として政府のなかに送りこみ、その革命的エネルギーを麻痺させて、その政治的エルルギーをうまく反革命の軌道にのせることに成功したときから、はやくも活動しはじめていたのだ。」107P
「しかし、評議会が弱いということは、革命が弱いということにはけっしてならない。革命は、政府がどんな小細工をつかおうと、おさえつけられたり、つぶされたりするものではない。革命は、生長している。いまようやく、その本来のすがた、すなわちプロレタリア革命に移行しようとしているのだ。ストライキは燃えひろがっている。」109-10P
「革命は、評議会がなくても、生きつづけるだろう。しかし、評議会は、革命がなければ死んでしまう。」110P
「中央評議会がこれまでのおくれをとりかえし、中央評議会の名にふさわしい地位を確保するために、緊急にはたさなければならない仕事が四つある。」110P 四つの具体的内容110-1P@「エーベルト・ハーゼ内閣を倒さなければならいない。」A「エーベルト・ハーゼ内閣の私兵と化した、すべての前線部隊の武装解除をしなければならない。」B「エーベルト・ハーゼ内閣によってつくられた白衛軍の武装解除を要求し、赤衛軍を創設しなければならない。」C「国民議会を、革命と労兵評議会にたいする陰謀であるとして、あくまで拒否しなければならない。
国民議会か評議会政府か ○
「これが、労兵評議会全国集会の議事は日程の第二点であり、これが、じっさい、いまの瞬間における革命の中心問題である。国民議会か、労兵評議会の全権把握か、すなわち、社会主義をあきらめるか、ブルジョアジーにたいしてプロレタリアートの完全武装による最大級の階級闘争をはじめるか。これは、ディレンマである。/議会主義的な方法で、単純多数決によって社会主義を実現しようなどというプランは、夢ものがたりにすぎない。空の高みのユートピアならともかく、この世のものならぬこうしたファンタジーが、プロレタリア革命の特殊性はおろか、ブルジョア革命の歴史の経験さえ、なにひとつ考慮に入れていないのは、まことに残念だ。」112P ブルジョア革命の経験――イギリス一六四九年とフランス一七八九年112-3P
「現在の闘争は、したがって、搾取制度が存続するか、消滅するか、人類の歴史の転換がなされるかどうか、という最後的な大闘争なのだ。この闘争には、逃げ口もなければ、妥協もない。しかなる容赦もありえない。/過去にその例をみないほど重大な課題を負ったこの最後的な闘争は、これまで、いかなる階級闘争も、いかなる革命もなしとげえなかったことを、なしとげようとしているのである。二つの世界のこの死闘を、議会内での論戦や多数決などというのどかなざわめきのうちに雲散霧消させてしまうことなど、できることだろうか?」114P
「革命的な行為とは、つねに、ありのままを語りつくすことである。このラサールのことばが、いまほどあてはまるときはない。現在、ありのままのこととは、労働と資本の全面的対峙関係、それだけである。生きるか死ぬかの場所で、善意の話しあいなどというおためごかしは成りたたない。こちら側か、向こう側か、ただそれだけしかない場所に、共通の問題の勝利などありえない。明確に、公然かつ率直に、そしてこの明確さと率直さに自信をもって、プロレタリアートは、いまこそ、階級としてみずからを構築し、全政治権力を手中に集めねばならない。」115P
「たしかに、いまこそ、このことば(「政治的権利の平等、デモクラシー!」)は、現実のものとなるだろう。なぜなら、「政治的権利の平等」ということばが血肉をそなえるのは、経済上の搾取が根こそぎ完全に廃絶された瞬間からであるはずだし、「デモクラシー」すなわち人民の支配がはじまるのは、はたらく人民が政治的権力をにぎったときからであるはずだ。」115P
「これまで、権利の平等とかデモクラシーとみなされていたもの、議会、国民議会、平等選挙用紙など、すべては、まったくの欺瞞であり、でたらめであったと。資本主義を粉砕する革命の武器として、すべての権力をはたらく人民大衆の手に――これのみが、ほんとうの意味での権利の平等であり、これのみが、真のデモクラシーなのである!」116P
エーベルトの私兵
「労兵評議会の全国大会の最後の仕上げは、まったくこの集まりにふさわしいものであった。この集会は、エーベルトの反革命参謀本部にきわめて強力な支持を与え、街頭にあふれる革命的プロレタリア大衆にたいし、みずからをとざしたのち、労兵評議会にとどめをさして、自殺をとげてしまったのである。/エーベルト一派は、労働者・兵士代議員が議場のかけひきに不慣れで未熟なところをたくみに利用して、この会議を、まるで人形でもあやつるように自在に動かしたが、・・・・・・」117P
「労兵評議会そのものは、政治的権力として、けっして解体させられていないし、また解体させられる性質のものでもない。各地の労兵評議会が存在しているのは、けっしてなんらかの大会のおかげではない。労兵評議会は、一一月九日の革命のなかから直接うまれてきたのだ。革命的人民大衆は、いくら自殺をしろとすすめられても、自殺をしたりしない。」120P
「執行評議会が立法権に関与する一切の可能性を奪われ、権力も勢力もない、たんなる「監査機関」としての存在に変えられてしまったという事態に直面して、独立社会民主党のフラクションは、今後、執行評議会に参加することはできない、と声明した。したがって、執行評議会は、今後、エーベルト一派のものだけで占められることになる。エーベルト政府にたいするエーベルトの監査! 悪魔が悪魔のしゅうとめ(ママ)に監査される、というわけか。政治の全権とその一切の機関は、シャイデマン一派の手中におさまったのである……」120-1P
国民議会のための選挙
「評議会の全国大会でのかがやかしい「勝利」のあとで、エーベルト一派は、労兵評議会の権力とプロレタリア革命および社会主義にたいする、かれらの陰謀の成功を信じた。/だが、それは、かれらの見込みちがいになるだろう。現在、この反革命の計画を粉砕し、資本主義防衛軍の行動を大衆の革命的行動によって寸断することが必要である。」123P
「国民議会への参加といっても、今日では、革命や社会主義の真の闘士にとって、いわゆる「プラスの成果」をかちとるために「議会を利用しつくす」などというむかしながらの伝統的な図式とは、なんのかかわりもあるはずがない。旧態依然たる議会主義ではどうにもならない。いくつかの法律案によって、わずかばかりのつぎや膏薬をはりつけようとしてもだめだ。」123P
「現在、われわれは、革命のただなかに立っているのだ。そして、国民議会は、革命的プロレタリアートをたおすために築かれる反革命の砦である。したがってわれわれとしては、この砦を炎上させ、粉砕しなければならないのだ。大衆をこの国民議会に反対するために動員し、もっとも尖鋭な闘争を呼びかける、ただそのためにのみ、この選挙を利用しなければならない。ただそのためにのみ、国民議会の舞台を利用しつくさねばならない。」124P
「重点は、ただ議会外での行動にひそんでいる。それのみが、反革命の門をはげしくゆさぶることができるのだ。しかし、すでに選挙そのものも革命に役立たせねばならない。そして議会内部の大衆の真の革命的代表者の行動も、革命の事業に役立つようにしなければならない。いわゆる神聖なる議会のありとあらゆる権謀術数を容赦なく大声で弾劾し、議会内の反革命的行動ひとつひとつ、大衆の面前であばき出し、大衆自身が決定をくだし、大衆自身が直接介入するように呼びかけること、これが国民議会への参加にさいしてのわれわれの課題である。」125P
「国民議会の正面玄関に殺到する大衆、議会のなかでは、革命的プロレタリアートのかたい拳が突きだされ、旗をふる。その旗には、すべての権力を労兵評議会へ! という炎の文字がかがやいている。これが、国民議会へのわれわれの参加のすがたなのだ。」126P
綱領について ○
KPD(スパルタクス・ブント)創立党大会での演説 一九一八年一二月三〇日
 これは単に綱領問題だけでなく、その中味として、まず、マルクス――エンゲルスが「共産党宣言」で社会主義革命を訴えたことを、後に状況を読み違えていたとして、撤回していたことを押さえています。それは、エンゲルスの『フランスにおける階級闘争』の序文の問題として現れています。ドイツの議会主義者たちが、当時のアナーキーな運動への批判としてエンゲルスに頼み込んで書いてもらったという背景があり、そこで出てきた文ということがあるにせよ、とにかく、今は、ロシア革命も起こり社会主義革命の可能性が出て来ている、そのようなこととして、社会主義革命を謳う綱領を出す必要があるという論旨です。しかも、ローザも知らなかったこととして、編集過程で、エンゲルスの意向をねじ曲げて、議会主義的なところに収束する文にしたという話です。要するに、「共産主義宣言」に回帰して、活かせるという時代になっている、そのなかでの綱領提起です。
 少し引用しておきます。
「かれら(ドイツの議会主義的な指導者たち)は、そのころ国外に生活していて情報をかれらの断言に頼らざるをえなかったエンゲルスにむかい、現在のもっとも緊急の必要時はドイツ労働運動をアナキスティックな逸脱から救いだすことだと説きつけ、強引にあのような序文を書かせてしまった。・・・・・・序文は議会主義プラスゼロの宣言となったのだ。」134P
「ところで同志たち、われわれはこんにち、われわれはふたたびマルクスとともにマルクスの旗のもとにいる、ということができる時点に際会している。・・・・・・社会主義を心理とし行動として、資本主義を根絶することである、と言明するとすれば、とりもなおさずわれわれは、マルクスとエンゲルスが一八四八年に立っていた地盤の、そして二人がその後も原則的にはけっして離れることのなかった地盤の上に、立つことになるのだ。」136P
「大資本の発達したこの七〇年の期間だけですでにわれわれは、資本主義を世界から放逐することに本気でとりくめるところにまで、到達したのだ。いや、われわれはこんにち、資本主義追放の課題に本気でとりくみ、これを解決しうる状況にあるばかりではない。われわれがこの課題を解くことは、むろんプロレタリアートにたいするわれわれの義務をはたすことであるが、ただそれだけでなく、こんにちではこの解決だけが、人間社会の存立を救う唯一の方法ともなっている。」137P
「われわれは、最近七〇年間の発展の総決算をつけ、そこに世界大戦の直接の結果を精算することによって、エアフルト綱領の立場に意識的に対立する。われわれにとっては、いまや最小限綱領も最大限綱領もない、ただひとつ社会主義があるのであって、社会主義こそわれわれがこんにち貫徹せねばならないものの最小限をなしているのだ。」138P
「われわれが一一月九日に経験したものは、新しい原理の勝利というよりは、むしろ四分の三まで、原稿の帝国主義の崩壊である。(賛同の声)なんてことはない、粘土の足の巨人にすぎぬ帝国主義が、内側から腐って崩れざるをえなくなっただけのことだ。」140P
「世界革命の最初ののろしをあげたのがロシア革命であることを、否むわけにはいかないのだ。われわれは確信をもって言い切ることができる、ドイツについでいかなる国にプロレタリア革命が突発しようとも、革命の最初の動き、労働者・兵士評議会の形成だろう、と。これは全局を睨めばおのずからあきらかである。(「そのとおり!」)/まさにこの事実のなかに、われわれの行動をインターナショナルに結ぶきずながある。労働者・兵士評議会の形成こそ、われわれの革命を過去のあらゆるブルジョア革命から完全に区別する指標なのだ。」140-1P
「以上の事実に照らしてあきらかなことは、第一に、こんにちの革命が抗らいがたい歴史的必然の法則のもとにあること、したがってわれわれのありとあらゆる困難や錯綜や内部的欠陥を持つにもかかわらず、一歩一歩われわれの目標に到達してゆくのは歴史的必然によって保証されていることであり、しかし第二に――評議会をという明確なスローガンと、それに続いた不十分な実践と対比してみれば、われわれはこう言わざるをえない――革命がやっと立って歩きはじめた幼児の段階にあったこと、そして最初にかかげたスローガンを完全に実現しうるまでに生長するには、まだなすべき莫大な仕事があり、行くべき長途の行程があったことである。」141P
「一一月九日の革命の内部的な弱さをもっともよく示すものは、革命が爆発する二時間まえまで革命の悪口雑言を並べて革命を不発にすることをおのれの職務とこころえていた連中を、つまりエーベルト=シャイデマンやハイゼを運動の頂点に浮かびださせることが、革命の最初の結果だった、という事実である。」142P
「このように各所に、各種の幻想があった。そしてこれらの幻想が、最近のいろいろの出来ごとをも生んだのである。いまや、幻想はことこどく無に帰した。「社会主義」を看板としたハーゼとエーベルト=シャイデマンとの連合が現実には、まったく反革命的な政策を蔽いかくすための、いちじくの葉でしかなかったことは、もはや明瞭だ。われわれはすでに主観的幻想から覚めたあらゆる革命において人民が目覚めてきたように。革命は、一定の方式をもって人民を幻想から目覚めさせる。残念ながらこの目覚めは、人民の流血であがなわれるのだ。過去のどの革命でもそうだったし、こんどもそうだった。」142P・・・自分たちの流血に至った甘さ
「同志たち、ハーゼやディットマンのような連中は、さまざまな化粧や扮装をさせた革命を、社会主義という名の商品を、人のところに連れてゆくことを考えていた。連中はあきらかに、反革命のとりもち屋だったのだ。いまではわれわれは、かれらごのみの、どっちつかずの曖昧さとは手を切った。れいの商品はエーベルト=シャイデマンという野蛮でお粗末なかっこうで、ドイツの人民大衆の眼のまえにさらされている。こんにちでは、どんなに眼がきかない(ママ)者でも、およそ見まちがえるということはありえない。れいの商品は、どこをどう見ても反革命なのだ。」145P
「こうなった以上は、このさきエーベルト=シャイデマンに、どんな道がありえよう? かれらは、社会主義的政策と称するコメディーを、あわてふためいて舞台からおろしてしまうだろう。かれらが新しく発表したプログラムを読んでみれば、かれらが第二段階へ――むきだしの反革命の段階へ、というよりむしろ、過去の、革命以前の諸関係の復活へ――まっしぐらに駈けこんでゆくことは明瞭だ。」146P
「ずっと尖鋭な対決がおこなわれる理由は、たんに、わたしが数えあげたいくさかの政治的モメントから必然に、革命と反革命のあいだに、幻想を持たぬ真正面からの闘争が展開される、ということだけではない。理由はほかにもある。なぜなら新しい火が、新しい焔が底のほうからしだいに燃えさかってきているからだ。それは経済闘争の火である。」147P
「ストライキはますます大きく生長して、しだいに革命の中心となり、革命の重点とならねばならない。(「そのとおり!)そのことは、まさにこの革命の本質にかなうのだ。革命はそれによって経済革命となり、それによって社会主義革命となる。社会主義実現のための闘争は、大衆によって、直接に資本主義とまっこうから向かいあって、たたかいぬかれるほかはない。」147-8P
「社会主義は法令によって作られるものではない。もっとずっと立派な社会主義政権ができても、法令で社会主義は作れない。社会主義は大衆の手で、ひとりひとりのプロレタリアの手で、作りだされねばならぬ。資本の鉄鎖は、人がそれに繋がれている場所で、破壊されなくてはならない。別のしかたで社会主義は作れないのだ。」148P
「では、社会主義のための闘争の外的な形態は、どうか? それがストライキであり、だからこそわれわれはいま、革命の第二期に、経済的な位相が発展の全景に出てきたのを見ているわけだ。・・・・・・われわれスパルタクス・ブント、ドイツ共産党だけが、ドイツの全政党のうちでただひとつ、ストライキをもってたたかう労働者の側に立っている。」148P
「われわれは、資本主義政権を打倒してそれを別のもので置きかえれば社会主義革命は片づく、といった幻想を、つまり第一段階の幻想・一一月九日の幻想を、いまさらくりかえして育ててなどはいられない。プロレタリア革命を勝利にみちびこうとするかぎり、われわれは逆に底辺から始めねばならぬ。すなわち、プロレタリアートの社会的・革命的大衆闘争をいたるところに捲き起し、それによってエーベルト=シャイデマン政権のよってたつ基盤をこそ、まずゆるがさねばならないのだ。・・・・・・一一月九日の革命が主として政治面の革命だったこと、だが今後は重点が経済面に移されねばならぬことを、わたしはすでに論じた。しかし革命の欠陥はその点にあるだけではない。それは都市の革命でしかなかったのであり、いままでのところ、農業地帯はほとんど手を触れられていない。農業をぬきにして社会主義を実現できると考えるとしたら、迷妄だ。社会主義経済の立場からすれば、社会主義的に再組織された農業との直接の結合なくしては、もとより工業の変革も考えられぬ。社会主義的な経済秩序を考えるなら、都市と農村との分離・対立を解消することを考えねばならない。・・・・・・われわれに対立しわれわれの努力に対抗する反革命の、最後の予備軍は何かを考えたが、ここではさらに、もうひとつの予備軍を考慮に加えねばならぬ。つまり農民層であって、それはいままで手を触れられずに放置されてきたため、いまも反革命ブルジョアジーの予備軍なのである。・・・・・・この反革命の勢力に対抗するには、手段はただひとつしかない。すなわち階級闘争を農村に波及させることであって、われわれは土地を持たぬプロレタリアートを、貧農層を動かし、富農層にたいして立ちあがらせねばならぬ。」155-7P
「すなわち、われわれは何を措いても、労働者・兵士評議会の、将来は主として労働者評議会のシステムを、あらゆる方面にわたって押し拡げてゆかねばならない。われわれが一一月九日に所有するにいたったものは、貧弱な初歩的なものでしかなかった。のみならず、革命の第一段階ではわれわれは、ひとたび握った権力手段を大幅に手離しさえしたのである。あなたがたがよく知っているように、反革命は、労働者・兵士評議会システムの制限を、絶えずくわだててきた。・・・・・・われわれはさらに、農業労働者たち、零細農たちをも、この評議会システムのなかに組みこんでゆかねばならない。われわれは権力を獲得せねばならないが、権力獲得の問題は、つぎのように問われねばならぬ。すなわち――ドイツ全土のすべての労働者・兵士評議会はそれぞれ、何をするか、何をなしうるか、何をすべきか? (「ブラヴォー!」) 権力はそこにしかありえないのだ。われわれは公的な権力を、立法と行政を、もはや分離することなく結合しつつ、いたるところで労働者・兵士評議会の手中に収めることによって、ブルジョア国家を底辺から、土台を掘りくずしてしまわねばならない。」157P
「エーベルト=シャイデマン政権ないしそれに類似の政権を倒したところで、それが最後の幕とはなりえない。だから権力の獲得は一回限りで済むような仕事ではなく、連続的な仕事である。われわれはブルジョア国家の内部へ力づくで踏みこんでゆき、要点という要点を押さえ、ぜがひでもそれらをまもりぬかねばならぬ。そして経済闘争もまた、わたしやわたしに近い同志たちの考えでは、労働者評議会によって遂行されるべきものだ。労働者評議会は、経済上の対決の指導権を、そしてこの対決を広い分野に展開させていく指導権を、その手に握る必要がある。労働者評議会こそが、国家のすべての権力を握らなくてはならないのだ。」158P
「われわれは先ず大衆に熟知させねばならない――労働者・兵士評議会こそが国家機構を自在に動かすべきであること、評議会こそがあらゆる力を手中に収めて、それを残らず社会主義的変革の路線へと集中する使命を持つことを。・・・・・・大衆は権力を行使することによってのみ、権力を行使することを学ぶのである。ほかに学習の手段はない。」158-9P
「いまはプロレタリアが社会主義を学ぶのに、そんなもの(ビラやパンフレット)はこれっぽっちも必要ではない。プロレタリアが学ぶのは、みずから行動することによってである。(「そのとおり!」)いわば、初めに行動がある。まず行動があってこそ労働者・兵士評議会は、その使命を自覚しつつ、国内で唯一の公的な力となってゆくことを学ぶのであり、そしてこの方法によってこそわれわれは、資本主義社会の土台を掘りくずし、やがてわれわれの仕事の頂点となるべき逆転を準備することができるのだ。」159P
「われわれの革命はブルジョア革命とは違って、中央の公的な権力を打倒して数人か数十人の人間を入れかえさえすれば片づくような、お手軽なものではない。われわれは底辺から工作せねばならぬのだ。このことは、社会構造の根底を変革することを目標とするわれわれの革命の大衆的性格からすれば、当然である。われわれは政治権力を、こんにちのプロレタリア革命の性格にふさわしく、上からでなく下から獲得しなくてはならない。」159P
「いまは何をなすべきか? 目覚めた意識をもってプロレタリアートの全力を資本主義の基底にぶつけることである。われわれは底辺から――すなわちそれぞれの企業家とかれの賃金奴隷たちとが対峙しているところから、また政治面での階級支配を執り行うあらゆる機関と、支配を執り行われる客体たる大衆とが、直接に向かいあっているところから――支配階級の持つ暴力手段をしだいに奪い取り、われわれの手中に収めねばならない。」160P
「革命というものは、すさまじい速さで仕事を遂行するものである。わたしは、どれだけの日数がかかるか、といった無責任な予言はしない。われわれのうちの誰が、そんな計算などにかかずらおうか。仕事をなしとげるのにわれわれの生涯が足りさえすれば、それで十分ではないか。重要なことはただ、何をなすべきかを、われわれは明瞭に、正確に知ることである。」160P
指導部は何をしているか
「革命の白熱した雰囲気のなかでは、人も、ものごとも、ものすごいスピードで成熟してゆく。たった三週間ほどまえに労兵評議会の全国会議が閉会したときには、エーベルト=シャイデマンはその権力の絶頂に立っているように見えた。全国から集まった革命的労働者・兵士大衆の代表たちが、盲目的(ママ)にも彼らの指導部にひきずられるままだったからである。・・・・・・一一月九日の成果は投げ棄てられ失われてしまったかと見えた。ブルジョアジーはほっと安堵の息を洩らしていたし、武装を解除された大衆は、さめやらぬ憤怒と湧きおこる疑念のなかで途方にくれていた。そしてエーベルト=シャイデマンはじぶんたちこそが権力の頂点にいるとうぬぼれていた。」161P
「きのうのズィーゲス・アレーの大衆的デモストレーションに加わって、大衆からほとばしり溢れでるところの、革命者としての揺るがぬ確信・潑溂たる意気・強い行動力を感じとった人ならば、誰であれ、かならずつぎの結論に到達したにちがいない――、プロレタリアは、ここ数週間のいろいろな出来ごとをつぶさに経験して、政治的にいちじるしく生長した。大衆は自己の権力を自覚しはじめたのだ。大衆としては、あとはこの権力を実際に行使するばかりである。」162P・・・権力の行使としての政治?
「労働者の代議員たちはたぶん徹底的に、詳細に協議をつくしているのかもしれぬ。しかしいまは行動こそがもとめられててるのだ。」163P
「他方にはまた、すもものように軟弱な分子がいて、「交渉」の道を拓いて妥協に歩み寄ろうと、早くも動きまわっている。この連中は、労働者・兵士大衆とエーベルト政府との間に口を開いた血みどろの深渕上に橋を架けて、革命を、革命の不倶戴天の敵との「和解」という誤った方向へ、ひきこもうとしているのだ。」163P
忘れられた任務
「一一月九日以降、革命の波は周期的に高まっているが、そのたびにぶちあたる障壁が、エーベルト=シャイデマン政府である。衝突の誘因や形式や範囲は、この三ヶ月のあいだに幾度もおとずれた革命的な激動期のそれぞれにおいてことなっていいたけれども、エーベルト=シャイデマンを倒せという叫びは一貫して、それらの革命の怒濤のすべてをつらぬくライトモチーフだったし、またそれらの怒濤が収斂してゆくところのスローガンだった。このスローガンは、ますます高い、一致した、叫びとなって大衆のあいだからひびきわたっている。」165P
「この当面の課題を避けて通ることはできない。革命の二ヶ月のあらゆる経験は、ことごとくこの課題を指し示している。エーベルト政府の横暴きわまる挑発のかずかず――一二月六日の事件、防衛隊に宣誓をさせたこと、一二月二四日の事件、そして今回の、警視庁への闇討ち――は、すべて、革命的大衆の眼のまえにむきだしで、妥協の余地も斟酌の
余地もない二者択一をまっすぐにつきつけてきたものだ。いまや革命は、そのプロレタリア的な性格を、社会主義的な使命を抛棄することをのぞまないかぎり、必然に、エーベルト=シャイデマンをその取り巻きもろとも権力の座から追っぱらってしまわなくてはならぬ。」166P
「エーベルト=シャイデマン政権を除去するということは、首相官邸に乱入して少々の人間を追い払ったり捕まえたりすることではない。それは何よりもまず、じっさいに権力の陣地であるものをことこどく占取するだけでなく、さらにそれを確保し、使用することである。」166P
 いろいろな大衆の占拠事件に対する、四点にわたる詳細な押さえ167-8P
「大衆に明確なスローガンをあたえねばならぬ。首尾一貫した断乎たる態度を見せねばならぬ。指導機関が、その機関の政策が、固い決意と明確な目標とを保持することによってのみ、労働者たちの理想主義も、兵士たちの革命への献身も、いっそう深まるのである。こんにち必要なのは、腰のふらついた中途はんぱな政策ではない。必要なのは、エーベルト=シャイデマンを倒せ! こんりんざい忘れねえぞ! というライトモチーフを、ひとすじにつらぬく政策である。」169P
「組織的ファナチズム」169・・・「ファナチズム」は「熱狂」とかいう意味、ファシズムにつながる概念
「この三日間の経験は、労働者階級の指導機関にむかって、はっきりとこう呼びかけている――、演説は無用だ! いつまでも協議ばかりしているな! 交渉でなく、行動を!」169P
指導部の無知ぶり
「しかしあらゆる努力・あらゆる試みは、けっきょくあの集団の腰のふらついた(ママ)臆病な態度のために、失敗に終った。かれらの革命的リーダーは、完全に指導性を喪失していて、大衆の意欲も闘争力もすばらしく高揚していた四日間をむなしく費消してしまった上でようやく、そして二度までもエーベルト=シャイデマン政権との交渉を画策して革命闘争の未来に重大な損失をあたえ、政府の地歩をきわめて効果的に強化してやった上でようやく、水曜から木曜にいたる夜、交渉をうちきって各所でいっせいに闘争を開始することを、決定した。ゼネラルストライキの指令が発せられ、武器をとれ! という叫びがあげられた。/しかしそれが、革命的リーダーたちの唯一の、せいいっぱいの奮起だった。」170-1P
「しかし、このばあい、労働者たちは踊らされているのだ。背後で糸を引いているのは、ハーゼ一派のオスカー・コーン、ディットマンその他である。この連中は悪辣なデマゴーグであって、「統一」とか「流血を避けよう」とかいった愛用の殺し文句を用いて工作しながら、大衆の闘争力を麻痺させ、大衆のなかに混乱の種を播き、革命の決定的な転換点をなしくずしに反革命とのだらしない妥協へ持って行こうとつとめているのだ。」171P
「そのときかれらの救いとして出現したのが、交渉であり、それに加えて統一の運動だった。これがかれらに時を稼がせた。こうしてUSPはまたしても、反革命の救いの神であることを実証した。ハーゼ=ディットマンはエーベルト政権から脱退したものの、野にあってなお、シャイデマンどものいちじくの葉としての役割をもつ政策を続行しているのである。/そしてUSPはまたしても左派までが一枚加わって、その政策を支持している!先日決定された対政府交渉にあたって、USP側の要求条項を――そしてこれは革命的リーダーたちの承認を受けたが――起草したのはレーデブーアなのだ。この派の人たちは、労働者の降伏とひきかえに、エーベルト、シャイデマン、ノスケおよびランツベルク各個人が政府からしりぞくことを、主要な交換条件としている。」172P
「ドイツではまず、ブルジョアジーの防壁となっているシャイデマン=エーベルトを精算してしまうことから始まる。そしてシャイデマンどもを精算するにはエーベルト=シャイデマンの防壁として機能しているUSPをまず片づけてしまわねばならない。」173P・・・?
空中の楼閣
USPの「統一」への動きと反革命の軍事的動き
「同時に、ノスケ直属の防衛隊の隊長ラインハルト大佐は、自分は即決裁判をやる、じぶんは誰からも――政府からさえも――命令を受けることを要しない、じぶんは軍人であって独自の決定権をもつのだ、と声明しているし、また防衛隊第三連隊は独断で、連隊は国民議会を「武力をもって開会させることを決定」した、という声明を発している。ベルリンおよびその周辺地域では、将校どもが、じぶんらの一存で人々を逮捕しはじめている。」176P・・・この延長上にローザとリープクネヒトらの殺害
「このように、反革命的な将校団が、エーベルト政府にたいし反乱の火の手をあげて、政府の完全な見こみ違いを政府に思い知らせている。つまり、ブルジョアジーのために火中の栗を拾う役目を仰せつかったのがエーベルト=シャイデマンだったのであって、その逆ではなかった。」177P
ベルリンの秩序は維持されている ○
これは、ローザが殺される一日前の発刊の機関紙への投稿。
「「ワルシャワの秩序は維持されている」と、一八三一年、パスキェヴィッチュのひきいる暴兵どもが、ポーランド首都郊外のプラガに怖るべき攻撃を加えたのち、首都に侵入して、叛乱者たちをむごたらしく殺戮していたとき、フランスの議会で外相セバスチアーニは発言した。/「ベルリンの秩序は維持されている!」と、いま勝ち誇って告げているのは、ブルジョア・ジャーナリズムであり、エーベルトおよびノスケであり、「無敵の軍」の士官どもである。そしてベルリンの街頭では、プチブル的なモップが、軍隊に歓呼をあびせ、ハンカチをふっている。」181P
「「ワルシャワの秩序は維持されている!」「パリの秩序は維持されている!」「ベルリンの秩序は維持されている!」このように半世紀ごとに、つぎつぎと世界史的な闘争の中心になった町々から、「秩序」の番人どもの報告があいついでいる。」182P
「革命はむだにしてよい時間を持ってはいない。革命は、その偉大な目標にむかって、進むに進む――まだ土をかぶせられていない墓をのりこえ、「勝利」とか「敗北」とかをのりこえて。革命の進路を意識的に追究することは、インターナショナルな社会主義のためにたたかう戦闘者の、唯一の任務である。」183P
「兵士大衆の大多数は低地農業地帯の出身だが、その地帯のほとんどは依然として革命の未開発拓地にとどまっている。いまにいたるまでベルリンは隔絶していると言ってよい。」183P
「これまでのすべての事件のときと同様に、一二月六日や一二月二四日と同様に、政府側の乱暴な挑発から始まったのだ! 以前にはショセー・シュトラーセで素手のデモ隊にたいする虐殺行為から始まったように、また水兵たちにたいする虐殺行為から始まったように、今度はベルリン警視庁にたいする陰謀からはじまった。・・・・・・革命の敵もまたイニシャチヴを持っている。どころか、機先を制してくるのはたいてい敵側であって、革命側ではない。/エーベルト=シャイデマンからのあつかましい挑発を眼のまえにつきつけられて、革命的労働者たちは、武器をとることを強いられた。そうなのだ、ただちに全力をあげて的の攻撃を撃退することは、革命の名誉の問題だった。進出の機をうかがっている反革命の鼻っぱしらをくじき、プロレタリアートの戦列をかため、インターナショナルでのドイツ革命の倫理的な信用(?)をまもるためには、ほかに道はなかった。/即刻の反撃は、ベルリンの大衆のあいだから自発的に、いとも強力に、捲きおこった。このことを見ても、倫理的な勝利(?)ははじめから、あきらかに「街頭派」の手にあった。」184P
「ここにあらわれる矛盾――すなわち課題の尖鋭化と、課題の解決のための諸前提の不備とのあいだの矛盾――から、革命の発展の初期の段階においては、個々の革命闘争が形式的には敗北をもって終る、ということが起こる。しかし革命は、一連の「敗北」によってのみ、その究極の勝利が準備されうるものなのだ。この点で革命は「戦争」とは違う。これもまた革命に特有な運動法則だ。」185P・・・敗北の予期、敗北の積み重ねのなかから、という論理はあるにせよ、ドイツ革命の敗北はインターナショナルな世界史的な敗北になった。
 革命の敗北の歴史の総括184-5P・・・敗北の積み重ねの中から
「上述の歴史的な問いにてらしてみて、こんどの、いわゆる「スパルタクス・ウイーク」の敗北は、どうだろうか? それは、嵐のような革命的エネルギーを持ちながら、状況が十分に熟していないために、敗北したのだろうか? それとも、そうでなくて、もっぱら行動の弱体性のため、中途はんぱさのために敗北したのだろうか?/その両方だ。この激動期は分裂的性格を示している。すなわちベルリンの大衆の強力な、断乎とした、攻勢に出た行動と、ベルリン指導部のふんぎりの悪さ、臆病さ、中途はんぱさとのあいだの矛盾が、今回のエピソードの特徴である。」187P
「指導部は失格した。しかし、指導部は大衆によって、大衆のなかから新しく作りだされうるし、作りだされねばならない。決定的なものは大衆である。大衆こそが、その上に革命の勝利が築かれる岩盤なのだ。大衆は先頭に立った。・・・・・・/「ベルリンの秩序は維持されている!」 ほざくがよい、鈍感な権力の手先どもよ! おまえたちの「秩序」は砂の上の楼閣だ。あすにも革命は「物の具の音をとどろかせてふたたび立ちあがり」、トランペットを吹きならして、おまえたちの驚愕をしりめに、こう告げるだろう――/
Ich war, ich bin, ich werde sein !/(わたしたちはかつて在り、いま在り、こんごも在る)」188P・・・ローザの「最後の」アジテーション。ローザの思想は今も生き続けているという意味では、「こんごも在る」。
ロシア文学論 ○
 ――コロレンコ「わが同時代人の歴史」の自訳ドイツ語版への序文――
 ロシア文学の内容が、わたしの中に入っていないのでほとんどコメントしきれないのですが、ローザの感性的に拡がる側面がとらえ返せる論攷です。
T 総論&各論 U コロレンコ V コロレンコと色々な事件と色々なひととの絡み合い W コロレンコと他の作家(ゴーリキ、ドフトエフスキー、トゥルゲーネフ)
 障害問題で関係論的な論攷が出ています。「「・・・・・・ご存知のとおり、いつも私が考えているのは、もともと人間には幸福でいる義務があるということです。」さらに彼は「一つの逆説」という短編の中で、生まれつき手のない不具者(ママ)にこういわせている――「鳥が飛ぶために生まれついたように、人間は幸福を得るために創造されたのだ。」不幸な、生まれながらの不具者(ママ)の口から洩れた、この金言は、明らかに「逆説」である。しかし、数千、数百万の人々についてみても、やはり同じように、人間の「幸福への使命」を逆説的に思わせるものがある。それは偶然の肉体的不具(ママ)ではなくて、社会的関係である。」「すなわち、異常な社会的関係――結局、異常なのは、社会的不平等に基づくすべての関係であるが――においては、種々さまざまな精神的な不具化(ママ)が大量現象と化さざるを得ない。圧迫、専横、不正、貧困、従属、さらには永続的な制度としての、一方に偏した専門化を生みだす分業などが、人間を一定の方式で型にはめてしまう。しかもそれが両極に分かれさせる。すなわち、圧迫者と被抑圧者、暴君と屈服者、成金と寄生生活者、わき眼もふらぬ努力家と無為の怠け者、衒学者と道化役者など、彼らの関係の産物であり、犠牲である。」200P・・・ 障害関係論的なとらえ返し。ローザは自らの「障害者」としての立場を、笑い飛ばすというところまで到達していたのかもしれないと思い始めていますー
「身体の不具はただエピソード的にしか扱われていない。」209P・・・現在的には差別語ではあるとしても、当時として差別的ではない異化としての「エピソード」という概念
ロシア革命論 ◎
T 導入部――革命は紆余曲折しつつ進む ロシア革命をドイツからとらえる
「ロシア革命の運命は、完全に世界革命に依存していた。徹頭徹尾、ボリシェヴィキがその政策をプロレタリアートの世界革命の上に据えたのは、正に、彼らの政治的達見、彼らの原則的確実性、彼らの政策の大胆を見事に証明するものである。」228P
「ドイツ・プロレタリアートの歴史的行動能力というものは、万歳気分の創造によって生まれ得るものではなく、反対に、大衆が恐るべき全現実と問題の全体的な複雑性とを洞察することによって、また、政治的成熟と精神的自立性とによって、また、ドイツ社会民主党が種々の口実の下に年久しく永続的に息の根をとめて来た批判的判断力によってのみ生まれるものである。すべての歴史的関連を含めて、ロシア革命を批判的に検討することは、現代の状況から生まれつつある課題に向かってドイツおよび世界の労働者を鍛え上げる最良の方法である。」229-30P
U ロシア革命の道行き
「三月にロシア革命が勃発してから一〇月の叛乱に至る第一期は、その大体の経過から見ると、イギリス大革命およびフランス大革命の発展の図式と正確に照応するものである。それはブルジョア社会の懐に生まれた革命的勢力と旧社会の桎梏との最初の大規模な全体的対決がすべて辿るところのティピカルな行程である。」230P
「ロシアでは、勝利と土地という具体的な緊急問題から生じたが、それを解決する道は「ブルジョア」革命という枠の中には存在していなかったのである。」233P
「どの革命でも、前方に駆り立てるスローガンを出し、それを完全に実行する勇気のある政党だけがリーダーシップと権力を握るものである。」235P
「レーニンは真に革命的な政党というものの任務と義務とを理解していた唯一の政党、一切の権力をプロレタリアートと農民の手に、というスローガンによって革命の発展を確保した唯一の政党であった。」235P
「その上、ボリシェヴィキは、直ちに、この権力獲得の目的として、ブルジョア民主主義の確保などということでなく、社会主義の実現を目的とするプロレタリアートの独裁という偉大な革命的プログラムの全体を掲げた。」236P
「歴史的瞬間における政党というものが、勇気、行動力、革命的達見、徹底性という点で為し得る限りのことを、レーニン、トロッキー、その同志は完全に成し遂げた。西方の社会民主党に欠けていた一切の革命的な名誉と行動力とは、ボリシェヴィキによって代表された。一〇月の暴動のうちにあったのは、単にロシア革命にとっての事実上の救済のみでなく、また、国際的社会主義の名誉の救済なのであった。」236P
V 農業問題
「農民の直接的な土地獲得と社会主義経済とは何一つ共通のものを持っていないということである。」237P
「経済関係の社会主義的な改革には、農業関係において二つの前提がある。――第一に、大土地所有は、農業生産の手段および方法の技術的に最も進歩した集中なのであるから、その国有化こそ農村における社会主義的経済様式の出発点たり得るということである。・・・・・・つまり、何は措いても、所有権を国民へ――社会主義政府の場合には、同じことになるが、強いて言えば――国家へ移さねばならないのである。なぜなら、それによって初めて、偉大な統一的社会主義的見地によって農民生産を組織する可能性が保証されるのであるから。/しかし、第二に、こういう改革の一つの前提は、ブルジョア社会の著しい特徴である農業と工業との分裂が廃止されなければ、両者の相互的な浸透および融合も統一的見地による農業生産と工業生産との発展も可能にはならないということである。・・・・・・何れにしても、前提は、中心によって実施される統一的な改革ということであり、また、その前提になるものは、土地の国有化ということである。大土地所有および中土地所有の国有化、工業と農業との結合、これはすべて社会主義的経済改革の二つの基本的見地であって、これがなければ、いかなる社会主義も存在しない。」237-8P
「しかし、権力を握った社会主義政府は、何れにしろ、一つのことは行なわねばならない。すなわち、今後における農業関係の社会主義的改革の基本的前提を目指す方策に着手するということだ。つまり、少なくとも、社会主義政府は、この方策の邪魔になるものは全て避けねばならないということだ。」238P
「「君たちの土地を手に入れろ!」というレーニンおよび彼の同志の直截明快なスローガンに従って農民が土地を獲得したけれども、これは、突如、大土地所有が混乱のうちに農民の土地所有に移ったというに過ぎない。創造されたのは社会的財産でなく、新しい私有財産であった。」238P
「ロシアの農民は、自力で土地を獲得した後は、ロシアというものを、また自分たちに土地を与えてくれた革命というものを守ろうなどとは全く考えなかった。自分たちの新しい土地に夢中になって、革命をその敵に、国家を崩壊に、都市を飢餓に委ねたのであった。」「レーニンは、工業における集中化の必要、銀行、商業、工業の国有化について演説しているが、なぜ、土地の国有化については演説しないのか。この点では、逆に、分散と私有財産とが説かれている。」「レーニンの農業改革は、新しい有力な人民の層を社会主義の敵として農村に生み出すことになり、その抵抗は貴族的大土地所有者の抵抗より遙かに危険且つ強靱なものになるであろう。」240P
W レーニンの民族自決権批判
「敗戦からロシアの崩壊と分裂が起こったのには、ボリシェヴィキに一部の責任がある。情勢の客観的困難ということはあったが、ボリシェヴィキは、彼らがその政策の全面に押し出したいわゆる民族自決権――という言葉の陰に隠れた真実は、ロシアの国家的分裂だ――というスローガンによった、みずからこの困難を著しく増大させたのである。」241P
「最初、レーニンとその同志とがこのスローガンを固執する頑迷固陋の態度に接してビックリするのは、それが、彼らが他の政策において示して来た明白な集中主義ともひどく矛盾しているし、また、彼らが他の民主主義的原則に対してとって来た態度ともひどく矛盾するという点である。彼らは立法議会に対して、普通選挙権に対して、出版および集会の自由に対して、要するに、相寄ってロシアにおける「自決権」を形作る人民大衆の民主主義的な基本的自由の全機構に対して、甚だ冷たい軽蔑を示しておきながら、諸民族の自決権をまるで民主政治の貴重品のように取扱い、そのためには現実的批判の一切の実際的見地が沈黙せねばならぬかのような調子である。」241P
「どういう国にしろ、政治生活の民主的形態ということが、事実上、社会主義政治の最も貴重な、いや欠くべからざる基礎であるのに対して、評判の「民族自決権」というのは、プチ・ブル的なからっぽな空語であり寝言であるに過ぎないから、益々理解に苦しむのである。/実際、この権利は何を意味するというのか。社会主義政治があらゆる種類の抑圧と戦う以上、一民族の他民族に対する抑圧とも戦うというのは、社会主義のイロハである。」242P
「レーニンとその同志とは、ロシア帝国内部の多くの異民族を革命の理想、社会主義的プロレタリアートの理想に惹きつけるのには、革命と社会主義との名において、みずからの運命を処理する絶対無制限の自由を彼らに保証する以外、確実な手段のないことを考慮していたのであろう。これは、ロシアの農民に対するボリシェヴィキの政策と似ているもので、貴族の土地の直接獲得というスローガンによって農民の土地所有力に満足を与え、これによって、彼らを革命とプロレタリア政府という旗に惹きつけようとしたのであった。残念なことに、この場合も、計算は全く間違っていたのだ。」242P
「これらの「諸民族」は、一つ一つ、この与えられたばかりの自由を利用して、ロシア革命の仇敵となり、ロシア革命を向こうに廻してドイツ帝国主義と同盟し、その庇護の下に反革命の旗をロシアそのものに担ぎ込むに至ったのである。」243P
「ボリシェヴィキは、彼ら自身および革命にとっての最大の損失を通じて、資本主義の支配下にあってはいかなる民族自決もないこと、階級社会ではその民族の各階級がそれぞれ別の「自決」へ向かうものであること、ブルジョア階級にとっては民族の自由という観点が階級支配の観点の背後にまったく霞んでしまうものであることを思い知らせねばならなかった。」243P
「総じて、民族的要求とか独立への傾向とかいう問題を革命的闘争の中に投げ込むどころか、ブレストの講和会議でこれを前面に押し出し、しかも、これを社会主義的革命的政策の合言葉とするに至ったため、社会主義の戦列に最大の混乱が持ち込まれ、それこそ、近隣諸国のプロレタリアートの地位が動揺させられてしまったのである。」244P
「ボリシェヴィキは、民族主義の要求によってロシアそのものの分解を招き寄せ、準備し、こうして、みずから敵の手に、ロシア革命の心臓を刺すナイフを握らせたのであった。」246P
X 立法議会の解散について
「ボリシェヴィキの政策に於いて大きな役割を果たしたのは、一九一七年一一月に行われた有名な立法議会の解散である。この政策は、その後のボリシェヴィキの地位にとって決定的なものであり、ボリシェヴィキの戦術の転換点とも見るべきものであった。一〇月の勝利まではレーニンとその同志とが立法議会の招集を強く要求していたのは事実であるし、・・・・・・」248P
「これは全く立派な、大変にもっともな議論である。ただ、不思議に思うのは、レーニンやトロツキーのような賢明な人たちが、右のような事実から生ずる明白な結論に気づかなかった点である。立法議会が一〇月革命という決定的転換点の遙か以前に選ばれ、[実際に選挙が行われたのは革命直後]その構成のうちに新しい状況の姿でなく、古びた過去の姿を映しているのであってみれば、この時効にかかった、死んで生まれた立法議会を解散して、時を移さず、新しい立法議会のための改選を公示するという結論が自然に生じた筈であろう!・・・・・・そこで、直ちに、それに代えて、生まれ変わった、進んだロシアから生まれた議会を招集することだけが必要であった。/そうはせずに、トロツキーは、一〇月に召集された立法議会の特殊な欠陥から一切の立法議会が不必要であるという結論を下し、更に、この欠陥を一般化して、普通選挙によって生まれた国民代表一般が革命期には無能力であると説くに至った。」249-50P
「民主主義制度一般のメカニズム」250P
「前に選挙された人々と選挙民との間の生きた精神的関連、両者の間の不断の相互作用は、ここではすべて否認されている。」「歴史的経験がわれわれに示しているのは、国民の気分と生きた流れが絶えず議会を洗い、それへ流れ込み、それを左右するということである。」250P
「革命こそ、その熱によって、あの微妙な、律動する、敏感な政治的空気を作り出すものであり、この空気の中で、国民の気分の波や国民生活の脈搏が、一瞬、議会に不思議な影響力を振うのである。」251P・・・このあたりのとらえ方が、ローザの「自然発生性への依拠」の根拠になっている。むしろ硬直した間接民主主義は生きていないこととして、桎梏になっていく側面? ローザのオプュティズム? 自然発生性の依拠と拝跪の弁証法の必要
「トロツキーやレーニンが発見した薬、つまり民主主義は一般の除去というのは、それが癒すという病気よりももっと悪いものである。なぜなら、それは、ただ一つ、社会制度に内在する一切の欠陥を正し得る生命の泉そのものを、すなわち、広汎な人民大衆の積極的な、自由な、精力的な政治生活を潰してしまうものであるから。」252P
Y ソヴィエト政府の選挙法
「トロツキーおよびレーニンが民主主義制度に加えている批判から見れば、彼らが普通選挙による議会を原則的に否認し、ただソヴィエトを基礎にしようとしていることは明らかである。その後になって、なぜ 普通選挙権法というものが定められたのか、これは全く判らない。この選挙法が実施されたということも知らない。この選挙法に基づいて、一種の国民代表機関のための選挙が行われたという話も全くない。恐らく、これは単に理論的な産物、いわば官僚仕事なのであろう。しかし、実際、これがボリシェヴィキの独裁理論の甚だ注目すべき産物なのである。」252P
「実際には、この選挙法は、経済的組織によって何一つ労働強制の実施の手段を与えられていないプチ・ブルおよびプロレタリアートの広汎な、日増しに増加する層を無権利にならしめるものである。」253P「これは選挙法というものを、社会の現実から切り離された、ユートピア的な創造の産物と見る愚行である。正に、それゆえに、選挙法はプロレタリア独裁の真剣な道具ではないのである。すでに完成した社会主義的な経済的基礎に相応しく、プロレタリア独裁という過渡期には相応しくない法的状態を先取するものであり、アナクロニズムである。」254P
「だが、立法議会や選挙権の問題は以上に尽きるものではない。労働者大衆の健康な公共生活および政治活動に関する極めて重要な民主主義的保証の廃止、すなわち、ソヴィエト政府の一切の反対者が出版の自由、結社や集会の自由を奪われているという点をまだ論じなかったからである。・・・・・・むしろ、自由奔放な出版なく、何物にも妨げられぬ結社や集会という活動がない時、広汎な人民大衆による支配が全く考えられないというのが、明々白々なる事実である。」254-5P
Z 政治的自由
 ブルジョア国家は労働者階級弾圧の道具である、とレーニンは言う。それでは、逆立ちした資本主義国家のようなものに過ぎない。この単純な見方は、本質的な事柄を逸している。・・・・・・プロレタリア独裁にとっては、全人民大衆の政治的な訓練や教育が生命の源であり、空気なのであって、これがなければ、プロレタリア独裁は存在することが出来ないのだ。」255P
「彼らは、公共生活の抑圧を通じて政治的経験の泉を塞ぎ、高まり行く発展の泉を塞いだのである。そうでないとすれば、ボリシェヴィキが権力を獲得するまでは経験や発展は必要であったが、それが最高頂に達した後は、もう余計なものになってしまった、と考えねばなるまい。・・・・・・/実際は反対なのである! ボリシェヴィキが勇気と決意をもって立ち向った巨大な課題こそ、大衆の最高度の政治的訓練と、政治的自由がなければ断じて不可能な経験の集積とを必要とするものなのであった。」255P
「レーニン・トロツキー的意味の独裁論の暗黙の前提は、社会主義革命というのは、その
完全な処方箋が革命政党のポケットに入っていて、後はただエネルギーで実現すればよい問題であるということである。だが、残念なことに――むしろ、仕合せなことに――そういうものではないのだ。経済的、社会的、法的制度としての社会主義の実践的実現は、ただ適用すればよい完全な処方箋の寄せ集めなどではなく、全く未来の霧に包まれている問題なのである。われわれが綱領として持っているものは、政策を進めるべき方向を指示する僅かの主要な道しるべに過ぎず、しかも、主として否定的性格のものである。社会主義経済への道を開くのに、先ず、何を取り除いておかねばならないか、その概略をわれわれは知っているだけであって、反対に、経済、法律、一切の社会関係に社会主義の原則を導き入れるのに必要な大小無数の具体的な実際的政策については、いかなる社会主義政党の綱領も、いかなる社会主義教科書も教えてはくれないのだ。これは欠陥ではなくして、ユートピア的社会主義に対する科学的社会主義の長所である。・・・・・・究極のところ、有機的自然の一部である歴史(?物象化)は、現実の社会的要求とともにその充足の手段をも、問題とともに解決をも生み出すという優れた慣わしを持ち、この点では、有機的自然と全く同じである。しかし、そうである以上、その本質から見て、社会主義が強要されたり、命令によって実施されたりするものではないことは明らかである。・・・・・・全人民大衆がそれに参加せねばならない。そうでなかったら、社会主義は一ダースのインテリによって上から命令され、強制されることになるであろう。」256-7P・・・ローザの民衆への信頼に基づく、「民主主義」論。レーニン主義批判の核心。
[ ルンプロとの闘い
「プロレタリア革命は、反革命の道具であるこういう敵と格闘しなければならないであろう。/そうは言うものの、この点でも、テロというのは鈍い剣、しかも両刃の𠝏である。峻厳な軍法会議も、ルンペンプロレタリアが暴行を始めた場合には効力がない。いや、戒厳状態が続けば、否応なしに、必ず専制になるし、専制は必ず社会を堕落させる。この点でも、プロレタリア革命の手中にある唯一の有効な手段は、政治上および社会上のラディカルな政策である。すなわち、大衆の生活の保証を一刻も早く変更すること――革命的理想主義を鼓吹することであって、この理想主義は、無制限の政治的自由のうちにおける大衆の緊張した積極的な生活を通じてのみ、長期に亘って維持されるものである。」259P
「唯一の解毒剤は、大衆の理想主義と社会的積極性、無制限の政治的自由である。」260P
\ 強制と民主主義
「正に、レーニン・トロツキー理論の根本的誤謬は、彼らが、カウツキーと何ら異なるところなく、独裁を民主主義に対立させている点にある。「独裁か、それとも、民主主義か」という形で、カウツキーと同様、ボリシェヴィキにあっても問題は提出されている。もちろん、カウツキーは民主主義支持の立場を決めているが、それはブルジョア民主主義のことであって、彼はこれこそ社会主義革命に代わるものと称している。反対にレーニン・トロツキーは民主主義に対して独裁を支持しているのだが、一握りの人間の独裁、つまり、ブルジョア的規範に従う独裁である。これは二つの対極、何れも本当の社会主義政策から同じように遠く離れたものである。・・・・・・プロレタリアートは、直ちに、極めて精力的に、断乎、仮借なく社会主義政策に着手すべきであるし、また、そうせざるを得ないであろう。つまり、独裁を行なうのであるが、これは階級の独裁であって、政党や派閥の独裁ではない。最も広汎な公共性における、国民大衆の極めて活溌な自由な参加における、何物にも妨げられぬ民主主義における独裁である。「マルクス主義者である以上、われわれは一度も形式主義的民主主義の偶像崇拝者であったことはない」とトロツキーは書いている。確かに、われわれは形式主義的民主主義の偶像崇拝者であったことは一度もない。われわれは、社会主義やマルクス主義の偶像崇拝者であったことも一度もない。」261-2P・・・ローザのプロ独の規定
「社会主義的民主主義は、階級支配の破壊と同時に、社会主義の建設と同時に始まるものである。社会主義政党の権力獲得と同時に始まるものである。それがプロレタリアートの独裁にほかならぬ。/然り、独裁である! だが、この独裁は、民主主義の適用方法であって、その廃棄のことではない。ブルジョア社会が見事に獲得した権利や経済的関係――これを欠いては社会主義革命は実現され得ない――に対する精力的な断乎たる侵害のことではない。しかし、この独裁は、階級の活動たるべきものであって、階級の名の下に行われる少数指導者の活動たるべきものではない。すなわち一歩一歩、大衆の積極的参加から生まれ、大衆の直接的影響力の下に立ち、全公衆の統制に従い、人民大衆の政治的訓練の進歩の中から生まれるべきものである。」262P・・・承前 プロ独自体は社会主義への過渡
強いられたことの側面262P
「彼らが、苦し紛れにやったことを美徳にし、その宿命的な条件によって強いられた戦術の全部を後に理論的に固定化して、国際的プロレタリアートに社会主義的戦術のモデルとして模倣させようとする時に、危険は始まるのだ。」263P
「われわれはすべて歴史法則の下に立っており、社会主義的社会秩序は国際的にしか実現されないものである。ボリシェヴィキは、彼らが、歴史的可能性の限界のうちで純粋な革命的な政党が為し得る限りのことを残らず行なったということを示した。彼らが奇蹟を行なおうとしたとは考えられない。孤立し、世界戦争で疲れ、帝国主義によって絞め殺され、国際的プロレタリアートにとって裏切られた国における模範的な完全なプロレタリア革命というのは一つの奇蹟であろうから。」263P
「大切なのは、ボリシェヴィキ政策のうち、本質的なものを非本質的なものから、核心になるものを偶然的なものから区別することである。全世界に亘る決定的な最後的な闘争を眼前に控えた現在(?)、社会主義の最も重要な問題は、正に次のような現下焦眉の問題であったし、今もそうである。すなわち、戦術上の一々の問題ではなく、プロレタリアートの行動能力、大衆の行動力、社会主義権力そのものへの意志という問題である。この点、レーニン、トロツキー、その同志たちは、身をもって世界プロレタリアートの先頭に立った最初の人たちであり、今日も以前として、フッテンとともに「私は敢えて行なった!」と叫び得る唯一の人たちである。」264P

 この選集には、編集者・訳者の解説が付けられていません。各巻共通の「付記」があるだけです。ですが、訳者か出版社がつけたと思われる各巻の帯が参考になるので、抜き書きしてきたのですが、いずれも古本で購入し、この巻は後から追加して購入したので、帯がありませんでした。いつか、探し出して、抜き書きしたいと思っています。


posted by たわし at 03:55| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月16日

ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・野村修・田窪清秀・片岡啓治訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第3巻(一九一一――一九一六)』

たわしの読書メモ・・ブログ543
・ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・野村修・田窪清秀・片岡啓治訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第3巻(一九一一――一九一六)』現代思潮社1969
 ローザの学習五冊目です。ローザ・ルクセンブルクの選集三巻目。二巻のメモがあまりにも膨大になったので、少しセイブします。
 まず、目次を上げます。
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――モロッコ問題についての討議のなかで/T 一九一一年九月一一日/U 一九〇五年九月一二日/V 一九〇五年九月一四日
イェーナでの党大会を終えて
貧民収容施設で
三月のあらし
婦人選挙権と階級闘争
政治的大衆ストライキ――ベルリン第四選挙区の党員大会での演説
理論の御用化
ツァーベルン事件の決算
きたるべき報復
御用組合の奴隷まつり
ミリタリズム、戦争、労働者階級――フランクフルト刑事裁判所での弁論
判決に対する回答
メダルの裏表
党の規律
インターナショナルの再建
社会民主党の危機(ユニウス・プロシェーレ)
<付録>国際社会民主党の任務に関する指針


さてメモに入ります。(表題の後に来る記号で、○は、巻を通しての帯に各巻の紹介で上げられていた論攷です。◎はその内で、わたしが再読が必要と押さえた論攷。□は○ではないが、重要な論攷。)
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――モロッコ問題についての討議のなかで/T 一九一一年九月一一日/U 一九〇五年九月一二日/V 一九〇五年九月一四日 ○
 これはドイツ社会民主党内でのローザの修正主義者との大会での論争の記録です。
T
 ライプツィヒ人民新聞でのローザの論攷への「党の最高機関」の批判への反批判
 内容は、モロッコ問題への国際ビューローへのドイツ社会民主党の不参加――会議が流れたことへのローザの批判を、「「おびただしい混乱」を招いた」8Pとの「党の最高機関」の批判(その内容は@モルケンブーアの個人的意見を党の意見とローザが批判したAベーベルが賛成したのを押さえていないBモルケンブーアの意見を書くことによって党内部の問題である秘密の漏洩をなした)に対するローザの批判@に対しては、結局党は他のはっきりした意見を出さず、なにひとつ手を打たなかったから、モルケンブーアの意見が党の意見ととられた。Aベーベルは最初賛成意見を出したが、後に覆した。Bそもそもモルケンブーアが街頭演説でその意見を述べていたので、それは漏洩にはあたらない。
「たんなる形式の問題ではない。党執行部が背任の罪をおかしたかどうか(笑い声)帝国主義にたいして一大抗議行動をおこす義務をおこたったかどうか、という問題なのだ。」10P
「ここ数年来、なにごとにつけ、行動を起こしたり起こさなかったりするすべての根拠が、国会選挙のための配慮であることは、これまでいやというほど聞かされているのである。」11P
「わたしは、あなたがたをゆるし、父親のようにやさしく(「母親のようにだろう」とベーベルのヤジ。満場爆笑)あなたがたに忠告しよう。改めるにはばかることなかれと。(活発な拍手と抗議の声)」13P・・・ローザの男性に互する立場での演説、被差別の観点がない。ベーベル(『婦人論』の著者)の批判も対等さを求めるローザの立場性のとらえかえしと、自らの差別する立場の自批がない。
U
「T」へのモルケンブーアとベーベルの批判に対する反批判。「さしあたり」15Pという常套的ごまかしへの批判
V
 モロッコ問題へのローザ提案の「付帯決議」の提案
 「付帯決議」の内容は「われわれは、まず、文明国間(ママ)の戦争に反対している第一節において、同時に、われわれが非文明国(ママ・・・サイードの批判)にたいする戦争にも反対であることを、宣言し、明確な態度を示しておくことが必要である、と考えている。」「モロッコにおいて、すでにかなり久しい以前から、原住民族にたいする戦争がつづけられていることを忘れてはならない。この戦争にたいしても、われわれは、文明国間(ママ)の戦争にたいすると同様に反対しなければならないはずだ。」「ミリタリズムに反対するわれわれのアジテーション一般において、きわめて有効かつ重要な主張、すなわち、軍備それ自体がすでにきわめて危険な現象であり、軍拡競争によって、戦争の危険は、けっして除去されるものではなく、ますますたかめられてゆく、という主張は、つらぬかれていない。決議には、また、ミリタリズム一般の問題とモロッコ問題のあいだの関連も示されていないが、両者は、けっして切り離すことができない問題である。われわれは、決議の鉾先を、たんに二、三の資本家一味に向けるだけでなく、現在の戦争の危険にたいして、責任を負っている政党、すなわち、ミリタリズムを支持している政党にも向けることが、とくに必要だと考える。」18P「最後に、とくに重要なことは、決議が、いまの案では、戦争の危険だけを対象としていることである。しかし、戦争の危険は、たんに一時的なものではありえない。戦争が勃発しなくても、一般的な意味でおなじように危険で有害な現象がうまれることもあるのだ。なかでも、平和的な方法で、国民や国民の立法府での代表にかくれて、外交上の問題として、ふつうに行われている、利権と結びついたドイツ植民地の拡大など、きわめて危険である。」19P・・・ローザの反戦、ミリタリズム批判、インターナショナリズム

イェーナでの党大会を終えて □
T ロシア革命のなかでの革命的状況下での前のイェーナ党大会での大衆ストライキの決議が危うくなってきていて、改めて討議する必要を説いています。大衆ストライキの決議が全面的に行き渡っていたわけではない――労働組合ケルン大会にみられる――労働組合指導部の「官僚主義的保守主義」23Pの問題。
「一九一〇年以来、帝国主義コースの圧力が加わるようになって、ふたたび政党意欲がめざめはじめ、もっと尖鋭な手段にたちかえろうとする気運が盛りあがってきた。帝国主義の攻撃にたいしてわれわれの党の側の行動があまりにも不充分ではないか、とする議論が、一九一一年の党大会に特別の刻印をのこした。」24P
「大衆ストライキにかんする討議が、一切の抵抗を排除して、党大会において行われたということ、そしてこの討議が現在ふたたびすべての党集会にもちこまれ、大衆がこの問題ととりくむということ、さらにまた、党であれ、組合であれ、指導部からなにを期待できるかを、大衆がはっきり知り、党の戦闘方法を前進させるためには、自分たち自身の圧力で下から火を燃やさなければならないということを、はっきり見きわめる機会となったこと、これらすべては、まぎれもなく少数派が獲得した成果であった。少数派は、自分たちの決議案を多数派によって否決されたけれども、この点では自分たちのとった立場のおかげで、あきらかに勝利をおさめたのである。」26P・・・敗北のなかの勝利
U これまだ対象化できてこなかった税という新しい問題
ミリタリズムへの飲み込まれ、「泥沼派」30Pという押さえ、その内容は、@権威主義的なところへのひきずられA「停滞分子」31Pの煽動に乗るB「最高審議機関」(「マルクス主義主流派)32Pの動向にひきずられる
「イェーナでの党大会から生じてきたつぎの課題は、「泥沼派」にたいする系統的な対抗処置、すなわち党内の精神的保守主義にたいする措置である。このばあいも、唯一の有効な手段は、広汎な党員大衆の動員であり、大衆ストライキや税金問題等(すべての戦術上の意見の相違)にかんする論争を、党の集会や労働組合の集会、あるいは機関誌のなかにもちこむことによって、人びとのこころをよびさますことである。・・・・・・イェーナでの党大会が、党内における勢力関係をはっきりさせ、泥沼派と右派のブロックにたいして、左派をはじめてかたく団結させたことは、これからさきの発展のよろこばしいはじまりとして、ほんとうに歓迎すべきことである。」33P・・・実際には敗北の始まり、その総括
貧民収容施設で
「市立浮浪者収容施設における集団中毒事件の発生」34P問題での論攷
「大量の患者を出した原因はどこにあるのか。流行病なのか。それとも腐敗食品による中毒なのか。警察当局は、善良な市民の不安をとりのぞくために、これが伝染性の病気ではない、といそいで言明した。つまり中流以上のまともな市民層には危険がない、というのである。大量死にみまわれた範囲史は、いわゆる「浮浪者地域」に限られている。クリスマスにも、くさりかかった「格安」の燻製にしんと毒性の強い安酒しか買えない連中にかぎられているのだ。・・・・・・」34-5P
「いかなる労働者といえども、浮浪者収容施設にまいこまないという保証はない。有毒の燻製にしんや安酒を買わないという保証はない。きょうはまだ元気で勤勉で、ひとから信用されている労働者も、あす首をきられてしまえば、どうなるかわからない。」38P
「公共の救貧制度は――カール・マルクスが「資本論」のなかで述べているように――就業労働者の廃兵院であると同時に失業者の死重(「デッド・ウエイト」のルビ)になっている。社会的貧困の発生は、仕事につけない労働者予備軍の発生とわかちがたく結びついている。これは、両方ともひとしく必然的なものであって、資本主義的生産と富の増大の必須条件なのである。」41P
「一八四八年三月一八日のバリケード戦のあとで、ベルリンの労働者は死者をたかだかともちあげ、宮城のまえまで運んで、そこでは圧制者をして犠牲者のまえに脱帽せしめたのであった。いま、われわれも、血と肉をわけたわれわれの仲間であるベルリンの浮浪者の死体を数百万のプロレタリアの手で抱きあげ、あたらしい闘争の年に向かって運びこもうではないか。そしてこのような惨事を生み出す忌まわしい社会秩序を倒せ、と声たかく叫ぼうではないか。」42P
三月のあらし ○
「プロレタリアがこれまでの歴史にのこしてきた道程をふりかえってみる」43Pとして、標題の「三月のあらし」のふたつの三月一八日を取りあげています。「三月一八日は、インターナショナルな労働者階級のために、まるでふたつの燃えさかるかがり火のように、一九世紀後半の道程を照らしているふたつの歴史的な事件を記憶によみがえらせる。それは、一八四八年の革命と一八七一年のパリ・コンミューンである。」44P
「ふたつの世界のプロレタリアにとって、神聖な大きな伝統が芽ばえ、一万人の血であがなわれたふたつの教訓がしっかりと根をおろした。ブルジョア社会秩序の制約のなかでは、プロレタリアートによる政治支配の余地はない、ということと、しかし、また、時が熟するまでは、この制約をとりのぞく可能性も存在しない、という、このふたつである。」46P
 この後「資本主義の発展」の歴史とそれに対抗するプロレタリアートのストライキの出現を書き、最後にローザのアジテーション的まとめ「こんどのストライキが成功するかどうか。そんなことを考えるのは、ひまつぶしの仕事である。闘争そのものが、すでにそれだけで労働者の勝利なのだ。なぜなら、闘争は、労働者の実力と階級意識と連帯の告知であり、さらにつぎの闘争への呼びかけであり、インターナショナルなプロレタリアート全体の最終的な未来の勝利への約束なのである。」49P
婦人選挙権と階級闘争 ◎
 ローザには性差別の問題への論攷が少ない。しかも、階級闘争の一環論・手段論になっているように感じます。このあたり他の個別差別の問題も含めて、とらえ返しの作業をしていきます。
「プロレタリアの婦人大衆が最近一五年間に、政治の面でも組合活動の面でも、いちじるしくめざめてきたが、それが可能となったのは、はたらく人民のなかの婦人層が、法律上の不平等を無視して、自分たちの階級の政治活動や議会闘争に活発に参加してきたからである。プロレタリアの女は、いままでも、男たちの選挙権に食いこんで、間接的ではあるが、事実上、選挙に参加してきたのだ。」50-1P・・・対等でない、非対称的参加などに、なぜ甘んじるのか?
「政治上の決定的な権利である選挙権、すなわち投票を行ない、立法と行政の機関への代表者を決めたり、あるいは選ばれてこうした機関に参加する権利だけは、国家は、どうしても婦人たちに認めようとはしない。」51P
「今日、数百万のプロレタリアの婦人層が「婦人参政権を認めよ!」と、自覚と抗議の叫びをあげているのは、こうした婦人たちの運動の不可避的な結果であり、論理的帰結であるにすぎない。」52P・・・論理的帰結の問題ではなく、現実に置かれている被差別の相対的な差別も含めた情況の問題
「目標は、婦人参政権の確立である。婦人選挙権の確立である。だが、そのための大衆運動は、婦人だけの問題ではない。男女を問わず、プロレタリア階級全体の問題である。じっさい、婦人に当然の権利が与えられていないということは、今日のドイツにおいては、人民の生活を束縛している反動の鎖の一環にすぎない。」52P・・・「すぎない」とはなにか、一環論ということで階級闘争への従属論に陥っていく。婦人参政権は過程でしかない。
「この状態が人民の利益に逆行するための強力な道具となっているからである。玉座や祭壇のうしろにも、女性の政治的奴隷化の背後にも、現在プロレタリアートを酷使し、搾取している残忍非道の怪物のかおがのぞいている。専制君主制と婦人にたいしする権利制限は、資本主義の階級支配のもっとも重要な道具となっているのである。」「婦人参政権は、今日の資本主義国家にとって恐怖のたねである。この選挙権のうしろには、国内の敵である革命的社会民主主義を強化する数百万の婦人がひかえているのだ。」53P
 ブルジョアジーのおんなたちの残虐さの記述51P
「社会民主主義は、けっして「不正」ということを論拠として、たたかったりはしない。われわれとふるいセンチメンタルなユートピア社会主義との根本的な相違は、まさに、われわれが支配階級の公正さに頼ったりしない、という点にあるのだ。われわれがたのみとするものは、ただひとつ、労働者大衆の革命的な力であり、この力の基礎となる社会の発展の動向だけである。」56P・・・実は、この「不正」ということには差別の問題が含まれていて、これがローザが差別の問題をとりあげない論拠になっているのでは?
「現在展開されている婦人の政治的権利平等のための大衆闘争は、プロレタリアート全体の解放闘争の一表現であり、その一部をなすにすぎない。そして、まさしくこの点にこそ、この闘争の力と未来がひそんでいるのである。普通、平等、直接の婦人選挙権は――女子プロレタリアートのはたらきによって――プロレタリア階級闘争をたくましく前進させ、階級闘争をいっそう激しいものにするだろう。」57P・・・差別の問題の押さえ損ない、手段論、政治利用主義。「マルクス主義」の流れにおける差別の問題に関する限界。
政治的大衆ストライキ――ベルリン第四選挙区の党員大会での演説 ○
 政治的大衆ストライキの意義や位置付けに関する演説
 一九〇五年ロシアでの大衆ストライキをドイツでも有効としたイェーナ党大会決議から三度繰り返される議論58P
運動のいきずまりを大衆ストライキで突破しようという「フランクの発言は、人が大衆ストライキにたいしてとるべきでない態度の、よい見本である。」「大衆ストライキは、そのための歴史的な諸条件があたえられるときに、はじめておこなわれうる。」60P「階級対立が激化し、政治情勢が尖鋭化してきたとき、絶対的必然性をもって現れる手段が大衆ストライキである。」「議会に重点をおくような政策と大衆ストライキとは、まるで結びつかない。」61P
ベルギーの例にみられるように「大ブロック政策と結びつけられた大衆ストライキは敗北しかもたらさない・・・・・・」61P
繰り返される「ドイツで大衆ストライキをプロパガンダするのは時期尚早である」という話62P
「党執行部が総評議会と連絡をとって大衆ストライキを準備すべきだ、という声にたいしては、大衆ストライキは人為的には作れない、と言っておかねばならぬ。しかしそのような声があがること自体は必然である。われわれは大衆ストライキがドイツにおいて不可避となる情勢に迫られていることを自覚しなければならない。」63P
 ローザの情勢分析63P「もはやリベラル派をあてにしてはならぬという教訓」
「われわれは本来をてんとうして事をはじめてはならない。技術的に大衆ストライキを準備してはならない。状況が熟すれば、大衆ストライキの戦術もおのずから形をととのえてくる。」64P「大衆がかたちづくる組織では、指揮棒は大衆の手になければならない。」64-5P「大衆がイニシャチヴをとって党の船を推進せねばならないのだ。そうなってこそわれわれは安んじて未来を見ることができる。歴史は確実に歴史の仕事をはたすだろう。あなたがたもまた、あなたがたの仕事をりっぱにやりとげてほしい。」65P
理論の御用化 ○
 変節したカウツキーに対する批判
T ローザの持論の展開
「大衆ストライキは人工的に上からの指令によってこさえあげたりはできぬものであり、また大衆ストライキは適切な状況すなわち経済的・政治的な諸条件が現に与えられているときにのみ、大衆の革命的なエネルギーの効用のなかから嵐のように不可抗力的なストライキが捲きおこるときのみ、真に有効なものとなりうることである。」68P
(社会民主主義は)「闘争の社会的条件を理論的に洞察することによって、プロレタリアートの階級闘争をかつてないほどに意識的なものとし、その闘争に明確な目標と遠大な可能性をあたえた。労働者の持続的な大衆組織をはじめて作りだし、それによって階級闘争にしっかりした背骨をとおしたのは、社会民主主義である。」70-1P
「社会民主党の成立にもかかわらず世界史の生きた実質は依然として人民大衆なのであり、この人民大衆と組織された中核とのあいだに活潑な血液循環がはたらいて両者が同じ鼓動にいきづいているときにのみ、社会民主党は党もまた大きい歴史的行動の役にたつことを実証しうるのだ。」71P
「見られるとおり、どの点においてもわたしの見解のオリジナルとそれのカウツキーによる模写との関係は、ちょうどマルクシズムの理論および戦術とそれのいわゆる修正主義的な叙述との関係に似かよっている。われわれの修正主義者たちは「貧困化の理論」とか「絶対反対主義」とか「実際的な仕事」の軽視とかいったカカシをまず立てておいてから、カカシを切り伏せてかれらの批判のやいばの切れ味を示し、したり顔をするのが例だが、カウツキーのやりくちはこれとまったく同じだ。かれはわたしの明晰なことばを、わたしの論述の傾向全体をねじまげて、かってに一枚のカリカチュアをこさえあげ、その上で祖国を救えとばかりにかれ一流のもみけしの技術をふるうのである。」71-2P
U カウツキーの独特の大衆ストライキ理論の批判、以前のカウツキーの叙述を引き合いに出しながら、変節したカウツキーの批判
 カウツキーの大衆ストライキの類型化73P以前は共鳴していたカウツキーのロシア批判へのローザの批判「わたしはロシア労働者やロシア革命にかんするカウツキーの叙述はその他のプロレタリアートにたいする誹謗である、と述べた一九一〇年のときのわたしのことばをもう一度、カウツキーにつきつけないわけにはいかない。」73-4P
未組織大衆から支持を得ることの必要性「以前からあらゆる大規模な労働組合闘争は未組織大衆の支持を頼みにしているし、また以前から組織の大きな拡大は未組織大衆の協力がえられた大闘争のなかからしか生じていない。未組織大衆の協力がなければ労働組合の重大な闘争はまったく考えられず、この闘争がなければ、組織の生長はまったく考えられない。」76P
「カウツキーはたしかに鉱山労働者のストライキをひきあいに出して、このストライキは「われわれはわれわれ自身の組織以外のなにものもあてにしてはならない、ということを明確に示した」という。だが鉱山労働者のストライキが失敗したのは、むしろかなりの程度まで指導部の責任ではなかったかどうか、まだ研究の要がある。それは臆病でブレーキをかけるばかりが能の指導部のせいではなかったのか。指導部はここ数年来、大規模な対決が目前に迫るたびごとにそれを日のべし、戦闘がもちあがればそれを局地化し、闘争から政治的性格を抹消することにうきみをやつしているが、そうすることによってけっきょく大衆から高揚を消し去り確信を奪いとっているのだ。」77-8P
 結論のようなこと「しかし、そうだとしたら、プロレタリアートの階級意識をもつ組織部分としては、たんに受動的に「激動期」を持ってばかりいないで、指導的な前衛の役割を能動的に確保してゆくことこそが、その明確な任務となるのではないか? そして社会民主党としては、党のあらゆる行動によって未組織大衆への影響力を最大限に強めることこそが、すなわち果敢な前進・大胆な攻勢によって広汎な人民大衆の信頼をかちうると同時に、党自体の組織構造を大規模な大衆行動の要請にこたえて改善してゆくことこそが、その歴史的課題となるのではないか?」79P
V カウツキーの議会主義的なところへののめり込み批判
「これ(「ドイツ型大衆ストライキ」)に到達するには、カウツキーによれば、つぎのような紆余曲折を経ねばならぬ。プロイセン選挙法問題で大衆ストライキが可能となるには、まずプロイセン大衆が普通選挙権の利益を正しく把握して選挙法を自己の死活問題とみなすに至っていなくてはならない。」80P
「国会が日を追って不毛な存在と化しつつあること、それはとうから労働者階級への贈りものとしてはパンならぬ石しか持ち合わせがないこと、またわれわれの社会改良なるものが日を追って労働者を守るものから労働者を攻めるものに変じつつあることは、いまや社会民主主義のもっとも穏健なアジテーターさえもの常識となりきっている・・・・・・」81P
 かつてベーベルが議会主義にたいして語っていたことの評価できることとしての引用82-4P
「つまりわれわれが選挙ごとにますます多くの支持者を獲得してきたのは、国会での「ポジティヴな仕事」によってでなく、国会での啓蒙的なアジテーションによってなのだ。」84P
「(カウツキーのいう)、国会選挙、議席の獲得――これが万能薬であり、アルファでありオメガである。議会主義プラスゼロ――これがカウツキーがこんにち党にたいして自信をもって勧告できる唯一のものなのだ。」85P
W カウツキー批判のまとめ
「前進への意欲がわれわれの戦列のあいだに現在ほど活溌に湧きおこったことは、ここ数年見られなかったことだ。あらゆる機会を捉えて敵を威圧することのできる戦術を編みだすと同時に、われわれの組織の構造をいっそう機動性のある構造に汲みあげてゆこうとする意欲が、いまほど盛りあがったことはない。」85-6P
「組織人員数や機関紙の部数は、われわれの党の結成いらい最低の伸びを示している。」86P
「組織人員数・機関紙購読者数の減少さえ、カウツキーの哲学者的静観者的な平静をみだすことはできない」87P
「カウツキーといえば、組織されている人々だけを頼りとし、かれらのみをひきいて階級闘争のあらゆる戦闘をたたかおうとしている男である。かれは組織をプロレタリアートの意識的な中核であり指導的な前衛であると見なすよりもむしろ、階級闘争および歴史を動かす唯一のものであると見なす。そのカウツキーが、ほかでもなく組織人員数の減少が確認されたとなると、みょうなことにとたんに泰然たるおちつきを発揮してみせるのだ。」88P
「マルクスの精神からすれば理論的認識は、行動のあとにのこのこついてゆくために存在するものでもなく、社会民主党の「上部官庁」がじぶんの行動なり怠慢なりについていつでも手前ミソを並べられるようにしておくために存在するものでもない。その逆であって、理論的認識が存在するのは党の行動よりも前に出て行動を指導するためであり、党のたえざる自己批判をうながすためであり、運動の欠陥や弱点をあきらかにするためであり、区々たる仕事の谷間からは見えない新しい道路や広い地平線をさししめすためである。」89P
「国会選挙! これがカウツキーの唯一の戦術上のスローガンだった。」89P
カウツキーの主張「これまでのドイツの歴史上に類例を見ない政治情勢がうまれてきている。われわれの政治的発展はこんごも主として議会内でなされること、議会闘争は現情勢ではわれわれの歩みを大幅にすすめうるものであること」
「制止する指導者たちがやがて、嵐となって進む大衆の手でわきにおしのけられてしまうのは確実だ。とはいえ手をこまねいて、確実に「時が熟した」徴候であるこの喜ばしい決着をのうのうと待つことは、孤独な哲学者にしかふさわしくない。革命党の政治指導部としてはそれは無能の証拠であり、倫理的な破産を意味する。社会民主党の任務、したがってその指導部の任務は、事態にひきずりまわされることではない。事態に意識的にさきだち、発展の方向を展望して、発展の歩みを意識的な行動によって捷径にみちびき、それを促進することこそ、その任務である。」92P
「ここ三年間のカウツキーの戦術上の指示ほどに早くかつ徹底的に、現実の発展によってほうむられてしまったものは、ほかに例がない。議会主義一本槍に帰着するかれの「消耗戦略」は、いまでは党員の大多数からはぜんぜんかえりみられないし、かれの「武装抛棄」は冥府に没してしまった。・・・・・・前へ進もうとする大衆に役だつのではなく、前進にブレーキをかけるのに役だつような理論を待ち受けている運命は、実践によってたちまち追いこされ、さっさとわきへおしのけられることでしかない。」92P
ツァーベルン事件の決算
ツァーベルン事件とは、(註から)「一九一三年一一月、プロイセンの士官たちがエルザスの小都市ツァーベルンの住民たちに挑発的な攻撃をかけたことに端を発して、その地の住民の暴動が起こり、一時この年に戒厳令が布かれるにいたった事件をいう。」288P
議会主義のなかで、リベラルとの共闘は、いろいろな弾圧に関して怒りの抗議をなしえなくしている。
「しかし、階級意識をもつプロレタリアートにとっては、ドイツ・ミリタリズムのかげの犠牲者たちも戦争犠牲者たちも、どんな民族に属しどんな言語を話す人々であれ、エルザスの市民たちが身近であるように身近な人々である。」97P
「つまりかれらにすれば、惨虐行為が外国の人民や闘争するプロレタリアートにたいして行われるときは、それはしごく当然のことなのである。/メダルのこの裏面を容赦なく摘発し強調することこそ、社会民主党の任務である。社会民主主義にとって、帝国主義が日毎にますます直接のもっとも危険な敵となってきているだけに、われわれは手をゆるめてはいられない。」97P
きたるべき報復
「歴史はつねに制度の最大の教師である。現代史はしかも従来よりももっと明瞭な実物教育をしてくれている。」98P
「歴史の弁証法はまたしても、煩瑣な形式になりさがったリベラリズムの顕著な矛盾を――すなわち絶対主義と議会制度とをくっつけ合わせかっこうよく綜合して、議会制度を軍国主義的絶対主義のうすぺらないちじくの葉にしている、という矛盾――を見ているわけだ。」「ブルジョア議会主義は、ブルジョア階級と封建貴族階級との間に深刻な階級対立が存在していて大規模な階級闘争がたたかわわれているところでのみ、真に政治的な力をもちうる。」99P
 保守派の動き99-100P
「しかしブルジョア野党が最終的に排除されてしまったことの必然の結果は、ほかでもなく、支配的反動と労働者大衆との直接の対決が仮借なく迫ることである。法治国を破壊し議会制度を破壊する野蛮なふるまいが、じつに労働者に、正義と法をまもるために労働者の無限の力をふるいおこすことを余儀なくさせるのだ。」101P
「この対決は議会の法制という狭い枠のある不安定な地盤の上でおこなわれるのではない。不文の法である歴史の法と労働者階級の現実の力とがともにそこに根ざしているところの、強固な地盤の上で、この対決はたたかいぬかれるのだ。」101P
「運動が大きく拡がって大衆的なものとなればなるほど、大衆の徹底性も生長する。大衆の運動そのものが大衆の徹底性なのだ、と、マルクスは語っていた。労働者階級がブルジョア法治国を目標として闘争すれば、闘争は労働者的・革命的な階級的性格を帯びざるをえないし、労働者階級がブルジョア議会制度を擁護すれば、同時にブルジョアの階級支配を力のかぎり揺さぶらずにはおかない。」102P
御用組合の奴隷まつり
「資本家階級やブルジョア・ジャーナリズムは、御用組合組織の「未曽有の成功」に気をよくしている。」103P
「経済権力をほしいままにして利得をむさぼる連中は、経済権力を利してたんにレモンをしぼるように物理的に労働者をしぼりあげて私腹をこやしてきたばかりではない。連中は経済権力を利して、むかしから労働者を道徳的にも踏みにじってきた。労働者の人間としての品位を嘲奔しつづけてきたのだ。」103-4P
「こんにち御用労働組合組織が演じている役割は、資本の鞭のうなりのもとで、歓声をあげて気ちがいじみた(ママ)ダンスをおどる奴隷たちや、精神的に奴隷であって唯々諾々とじぶんの仲間を懲戒するロシアの農民たちが演じていた役割と、そっくりそのままである。」105P
「しかし御用組合の生長の急激性こそが、まさにそれが短命であることのもっとも確実な徴候である。労働者階級の知的な認識、内的な確信・自由な決意に依拠する運動は、ゆっくりと成熟するものだし、ふかい思慮をもって粘りづよく前進するものだ。現代プロレタリアートの持つ階級闘争の意識も、その組織も、強靱で不屈な努力のすえに一歩一歩たたかいとられてきたのである。」106P
「ちょうど資本主義社会で恐慌の時期に続いて数年後には経済活動のあらたな飛躍がおこるように、宿命的な必然性をもって、目下の御用運動の満潮期にも容赦なく退潮期が続くにちがいない。御用組織のさしあたっての繁栄が資本家階級の鞭によってにぎやかなものにされればされるほど、かえってそれだけはやく、それだけ徹底的に、御用組合がほんの一時の泥水の波だちにすぎないことが曝露されるだろう。これにたいして自由労働組合は、革命的な階級闘争に鼓舞され社会主義の理念に照らされて、たえまなく沈澱してくるものをあつめながら、歴史の豊饒な土壌を形成している。これから未来の種子が芽ぶくのだ。」107P
ミリタリズム、戦争、労働者階級――フランクフルト刑事裁判所での弁論 ○
「判事どの、もしもあなたがたが、あの集会に出席していた何千人という人々のなかから、教育をうけたことのない、平凡な労働者をひとり、えらびだして、かれに尋ねたのだったら、かれはきっとあなたがたに、まったく別の模様を、わたしの同じ演説からうけたまったく別の印象を、語ってきかせただろう。じっさい、働く人民のなかの素朴な男女は、わたしたちの思想を苦もなく理解してくれる。ところが、その同じ思想が、プロイセンの検事の頭脳のなかでは、できそこないの鏡にうつった映像のように、すっかり歪んでしまうのだ。」109P
「またわれわれ社会民主党員が、演説や文書をつうじてつねにおこなっていること、それは――啓蒙活動をひろめ、働く者の大衆にかれらの階級的利害と歴史的使命を自覚させることであり、かれらに歴史的発展の壮大な進路をしめし、今日の社会の胎内で育ってゆく、経済的、政治的変革への傾向を、その発展が一定の高さまで達すれば、現在の社会秩序をうちくだき、それを、より高度の社会主義的社会秩序でおきかえずにはおかない。そのきびしい必然性をしめすことである。」「われわれ社会民主主義者にとっては、あらゆることがらが、おなじひとつの、調和的、統一的な、科学に基礎づけられた世界観に帰着する。」110P
「かれら(祖国防衛論のおえら方)にとって祖国防衛は第一義的な問題ではなく、第二義的な問題ですらないからだ。かれらに必要なのは帝国主義的侵略戦争であって、この侵略戦争を遂行するためには、民兵制度はまったく役にたたないのだ。さらに支配階級は、働く人民の手に武器をゆだねることを、かたく拒んでいる。」112P
「すなわち、人民の大多数が、戦争は野蛮な、きわめて非人間的な、反動的で反人民的な現象であると確信するようになれば、もはや戦争は不可能である。」114P
ミリタリズムに対するインターナショナル大会の決議・声明の歴史。116-9P
 一八六六年のインターナショナル・ブリュッセル大会「・・・・・・万一自国が戦争にまきこまれたばあいには、それぞれの国々の労働者は、ただちに仕事を放棄するよう、勧告する」116-7P
一八九三年チューリヒ大会「・・・・・・階級支配の根絶とともに、戦争もまた消滅する。帝国主義の崩壊は、世界平和を意味する」117P
一八九六年のロンドン大会「世界平和樹立への真剣な意欲をもやすことができるのは、またそれに必要な権力をとることができるのは、労働者階級だけである。それゆえ、労働者階級は、つぎの要求をかかげる。/一 あらゆる国々の現存兵力の即時撤廃と、民兵制度の採用。/二 法的拘束力のある決議権をもった国際仲裁裁判所の設置。/三 政府が国際仲裁裁判所の決定に服さないばあいには、直接人民が、戦争か平和かの最終決定をくだすこと」117-8P
一九〇〇年のバリ大会「社会主義諸政党は、ミリタリズムにたいする闘争を強化するため、いたるところにおいて、青年の教育と組織化に着手し、全力をあげてそれを成功させなくてはならない」119P
一九〇七年のシュトゥットガルト大会「・・・・・・これらの事例はすべて、プロレタリアートの力の成長と、断乎たる行動によって平和をまもりぬこうとする、労働者階級の熱意の高まりを、証明するものである」118-9P
「今日の社会情勢の発展過程における一時期を画するものとしての大衆ストライキは、人為的に「ひきおこす」ことのできないものだ、ということである。・・・・・・階級闘争の一段階である。大衆ストライキにかんする、われわれ社会民主党員の任務は、もっぱら、この発展の必然のなりゆきを労働者階級に意識させる点にある。こうした意識によって、労働者は、かれらの任務の偉大さにふさわしく、よく訓練された、規律ただしい、かたい決意をいだいて、いささかもたじろぐことのない、勇敢に行動する、人民大衆となるのだ。」12P
判決に対する回答
「ローザ・ルクセンブルクがフランクフルトでの抗議集会にあらわれたことを報せる新聞記事(一九一四年二月二二日)」」123P
「今日のミリタリズムに反対するアジテーションは、国家の中枢にたいする攻撃なのである。現在の国家の中枢をなすものは、大衆の福祉でも、祖国への愛でもなく、むきだしの銃剣だということが、これではっきりしたとおもう。」124P
「ミリタリズムに反対するというこの一点にかんするかぎり、われわれはみんな一致しており、いかなる分派も存在しない。(拍手)この点では、われわれはひとつづきの壁となって、現在の社会に向きあっているのである。(ながくつづく拍手)」
メダルの裏表
「ウルスターとその周辺でおきていることは、イギリスの社会生活全般が、政治的破局におちいっていることをしめす、さまざまの徴候を帯びている。この破局の基本的意義は、他の国々でおこったこれと類似の現象――すなわち、有名なフランスのドレフェス事件、およびドイツのツァーベルン事件――と比べてみるとき、はじめて鮮明に浮彫りにされる。」126P
「フランス第三共和国、古い伝統を負うイギリスの議会政治、ドイツの半絶対主義、といったさまざまの相異なる政治形態の国が、個々別々の動機から、同じ軍事独裁の危機を経験したという、この事実は、すでにそれだけで、この現象の根深さと、それが社会秩序の根本にかかわるものであることを、物語っている。」「「軍隊は政治に手出ししてはならない」――この命題は、他のもうひとつの命題、すなわち、「軍隊は祖国防衛に奉仕すべきものだ」という命題とともに、あらゆる国々における現存の軍隊の役割を規定する根本原則である。」127P
「軍隊にたいする政治的中立の要求にしろ、または、今日ブルジョアジーがおこなっている、「政治づいた将校」にたいする闘争にしろ、それらはいずれも、今後軍隊は、ブルジョアジーの階級支配を援け、外敵にたいしても、また国内においても、かれらの誠実で従順な道具であれ、という要求にほかならない。」127P
「勃興する労働者階級にたいして、事あるごとに、「祖国防衛の砦」である軍隊をさしむけ、経済的搾取と政治的弾圧に軍隊を利用するブルジョアジーが、その同じ軍隊にむかって、いかなる政治闘争にも手出しするな、ひたすら「法律」に従え、と要求するということは、ブルジョア社会の悲劇的な矛盾のあらわれである。」128P
「これらすべての紛争の背後によこたわる、メダルの裏表というべき事柄の真相は、本来の軍隊である兵士大衆が、将校にたいする服従の義務から、かれらにとって神聖な、戦闘的プロレタリアートの権益を攻撃するために出動させられる、ということである。」「すなわち「軍隊か人民大衆か?」の問題が、ますます大きく前面におしだされてくる。」129P
「軍隊が民兵に置換えられ、名実ともに、自由主義の原則にいうところの「祖国防衛の機関」となったとき、そのときはじめて、軍隊と人民との対立は克服される。」129P・・・そもそも国家主義自体の批判が必要
党の規律
 戦争反対の綱領に反して、リープクネヒト以外が戦争予算に賛成票を投じたことを巡る党の規律問題
「わが社会民主党の規律と、これらの工場なり軍隊なりの規律とは、その本質においても、その基盤においても、まったく正反対のものである。軍隊の規律、あるいは資本主義的工場経営の規律は、外からの強制によってつくられたものだが、社会民主党のそれは、党員の自発的な従属を基礎にしている。前者は、人民大衆にたいする少数者の専制に奉仕し、後者は、デモクラシーに、すなわち、個々の成員を、啓蒙された人民大衆の意志に従わせることに奉仕する。」131P
「プロレタリア大衆の大多数、豊かな経験と、徹底的な公開討論にもとづいて決議する、何百万の党員の意見や意志を基準にするべきである。」133P
「社会民主党の従来からの方針、性格、目的を骨抜きにする重大な規律違反が、平然と行われている。これがいつわらぬ実状である。党に所属する機関が、全党の意志すなわち綱領に奉仕することをわすれ、勝手に全党の意志をねじまげること、それが規律違反なのだ。」134P
インターナショナルの再建 ○
T ドイツ社会民主党の変節、愛国主義・国家主義へののみこまれ
「一九一四年八月四日、ドイツ社会民主党は政治的に破産し、同時に社会主義インターナショナルは崩壊した。」135P
「世界大戦の勃発とともに、言葉は肉体となり、歴史的な傾向を示すだけだったこの定式が、たちまち政治状況そのものとなった。いちはやくこの二者択一を認識し、すすんでそれを人民の意識にもたらした社会民主党は、みずからこの政治状況の場に立たされると、さっさと矛を収め、一戦も交えないで、帝国主義に陣地をあけわたしてしまったのである。」135P
「いわゆる「マルクス主義の中道」を標榜するカウツキー――あるいは、政治的に呼べば、泥沼派の理論家カウツキー――は、すでに何年もまえから、マルクス主義を、「最高審議機関」公認の実践活動に仕える忠実な侍女(ママ)の地位におとしめ、そのことによって、今日の党の壊滅にすくなからず貢献したが、いままた新たな理論を考案して、しきりにこの壊滅を美化し、正当化しようとしている。」「ドイツ社会民主党の今日の混迷を、ため息まじりに慨嘆してみせ、戦時における社会主義にふさわしい唯一の政策は「沈黙」であり、平和の鐘が鳴りわたる暁には、社会主義もまた活動を再開するだろう、などと言っている。」135P
「戦争に賛成か反対かの二者択一をせまられた社会民主党は、「反対」をあきらめた瞬間、きびしい歴史の必然性が命じるままに、天秤のもう一方の皿へ、つまり賛成の側へ、まるごと乗りうつってしまった。」「社会民主党が国会に送りだしたかれらの選良とともに、戦争支持へ踏みきるやいなや、他のいっさいの事柄が、もはやとりかえしのつかない歴史の流れに乗ってうごきだした。」「八月四日の国会で、ドイツ社会民主党は、「沈黙」をはるかにとびこえて、きわめて重大な歴史的役割を演じた。それは、こんどの戦争における帝国主義のタイコモチという役割である。」137P
 社会民主党が陥った誤り137-9P
U 変節者の弁明――史的唯物論のねじ曲げ
「労働者党の今日の行動と昨日の言葉とのあいだの小さな不一致をつぎのように弁明する。すなわち、社会主義インターナショナルは、戦争勃発を阻止する問題についてはずいぶん論じてきたが、いったい戦争がはじまってしまったあとでどうするかの問題は、すこしも検討しなかった、というのだ。」「共産党宣言の世界史的アピールは、いまやカウツキーによって本質的な点を補足され、つぎのように訂正された――万国のプロレタリアートよ、平和の時代には団結せよ! だが戦時にはたがいに相手の喉ぶえにくらいつけ!・・・・・・インターナショナルは「その本質において平和の器」であり、「戦時において有効なはたらきをはたすことはできない」のである。」140-1P
「今日までの歴史上の事実は、この修正された史的唯物論をまっこうから否定する。歴史は、戦争と階級闘争との対立というこの斬新な着想に背をむけ、戦争から階級闘争へ、階級闘争から戦争への、不断の弁証法的発展と、両者の本質的な一致を、いきいきとえがいて見せる。・・・・・・抽象的、純理論的に考えてみても、カウツキーの史的唯物論がマルクス主義とは縁もゆかりもないものであることは、かんたんに検証できる。」142P
「まさしく戦争は――カウツキーが好んで引用するクラウゼヴィッツの言葉どおり――「べつの手段による政治の継続」にすぎない。しかも、いまや帝国主義の局面をあらわした資本の支配は、軍拡競争をつうじて、ミリタリズム独裁にほかならない戦争を無期限に継続させ、平和をたんなる一片のイリュージョンにかえてしまった。」143P
「八月四日以後の道徳的破滅をもたらした「己れじしんの弱さと不徹底を、容赦なく、根本的に侮辱しつくす」ことによってのみ、すなわち、八月四日以後の戦術のすべてを精算しくすことによってのみ、はじめてインターナショナル再建の端緒をつかむことができる。この方向への第一歩は、速やかな戦争の終熄、および、インターナショナルなプロレタリアートの共通の利益にのっとった平和の樹立、をめざす行動である。」144P
V その後の二つの動きと再建のためのアピール
「平和の問題にかんしては、今日までのところ、党の戦列で、二通りの動きが前面にあらわれている。」144P
ひとつ「党幹部のメンバーのシャイデマンはじめ、かなりの数の国会議員や党の機関紙によって代表されるもので、政府の声を口うつしにして、「堅忍持久」の標語をひろめ、平和獲得の運動を、祖国にとって軍事的にマイナスだとか、自宣を得ないとかの理由で、攻撃する。またかれらは、戦争継続に賛成し、つまり客観的には、支配階級の思惑どおり、「勝利が、支払った犠牲を償うまで」、あるいは「保障された平和」が得られるまで、戦争をつづけることに骨折っている。」145P
ふたつめ「あらゆる国々において、即時停戦を要求する運動がしだいに勢いを得てきた。これらの平和思想や平和祈願のすべてに特徴的な点は、終戦と同時に、綿密に計画された平和の保証を要求しようとすることである。」「八月四日の壊滅によって証明されたことは、なによりもまず、有効な平和の保証、戦争を阻止する真の防波堤は、けっして、支配階級めあての信心ぶかい祈願や、巧妙に立案された処方や、ユートピアまがいの要求などではなく、もっぱら、プロレタリアートの行動的意志、その階級政策、帝国主義のいかなる襲撃に遇ってもびくともしないインターナショナルなプロレタリアートの団結だという、世界史的な教訓である。」145P「ただひとつ抜けているのは、「願望」ではなく行動によって、平和を獲得するのだという宣言、またいかに行動するのかの説明である!」「戦争の継続のための物質的手段を承認し、その舌の根が乾かぬうちに、あらゆる祝福の言葉とともに即時停戦の悲願をうったえる――「一方の手で政府に剣を手渡しながら、もう一方の手で、平和の棕櫚の葉をインターナショナルの頭上にかざす――これこそ、「ノイエ・ツァイト」の同じ号にその理論的な宣伝文を掲載している泥沼派の、現実的政策とやらの傑作である。」146P
「あらゆる国々の社会主義政党の共有財産となりうるもの、またそうしなければならないものは、インターナショナルの現状を打破するための突破口、およびインターナショナル崩壊の原因を、認識することだ。平和と共にインターナショナルの再建をめざす決定的な行動は、交戦国の社会主義政党からしかうまれてこない。平和とインターナショナル再建のための第一歩は、いまただちに、社会帝国主義路線を逆転させることである。」147P
「マルクス主義は、近代の労働運動史上はじめて、理論的認識とプロレタリアートの革命的行動力とを組みあわせ、この二つの要素がたがいに他の一方によって照明をあてられ、豊かにされるようにした、社会主義の科学である。この二つの要素は、ともにマルクス主義のもっとも深い本質に根ざしたものであって、一方を他方から切り離してしまえば、それはもはや、マルクス主義ではなく、マルクス主義のみじめな漫画にすぎない。」147-8P「ドイツ社会民主党は、模範とされた理論的認識と強大な組織をかかえたまま、滔々と流れる歴史の渦に巻きこまれ、たちまち、舵を失った難破船さながら、錐もみ状態になり、帝国主義の突風にさらされた。この突風に逆らって船を操り、向うの島に、社会主義の前進基地を築くはずだったのに。インターナショナル全軍の敗北は、もっとも訓練のゆきとどいた、強大な精鋭であるこの「先進部隊」の遭難によって、他の一切の失敗がなかったとしても、もはや動かしがたいものとなった。」148P
「インターナショナルも、プロレタリアートの利益にもとづく平和も、ともにプロレタリアートの自己批判と、自己権力にたいする自覚からしかうまれない。この権力は、八月四日、嵐に打たれて、柔軟な葦のように折れ伏したが、ひとたびその真の偉大さにたちかえるならば、千年をけみした社会不正の樫の大木を倒し、山をも動かす歴史的使命を帯びているのだ。権力への道――紙上の決議ではなく――は同時に平和への道であり、インターナショナル再建への道である。」149P
社会民主党の危機(ユニウス・プロシェーレ) ◎
T インターナショナル運動の概括とそのなかにおけるドイツ社会民主党の位置
第二インターナショナルの崩壊「国際社会民主党の降服」152P
「パリ・コミューンの墳墓は、ヨーロッパ労働運動の第一の段階を画し、第一インターナショナルを終焉させた。」153P
「ドイツの労働者は、第二の局面における前衛となった。ドイツの労働者は前衛となった。ドイツの労働者は、倦むことをしらぬ細心の努力による無数の犠牲をはらいながら、もっとも強力な模範的な組織を作りあげ、最大の機関紙を創設し、もっとも活溌な教化啓蒙の手段を生みだし、最強力な選挙民大衆を自己の周囲に結集させ、もっとも数多く国会議員を獲得していたドイツ社会民主党は、マルクス主義的社会運動のもっとも純粋な具現とみなされた。ドイツ社会民主党は、第二インターナショナルの教師、指導者としての特別な地位をもち、それを要求した。」153P
「しかるに、重大な歴史的試練がおそいかかってきたとき、われわれは、ドイツにおいて、何を経験したのか。それは、じつにはなはだしい転落、じつに激烈な崩壊であった。どの国であれ、ドイツにおけるほど、これほど徹底的に、プロレタリアートの組織が帝国主義の走狗となりはて、これほど無抵抗に戒厳状態が甘受され、また、これほどに轡がはめられ、これほど世論が圧殺され、これほど徹底的に労働者階級の経済的、政治的闘争が放棄された国は、どこにもなかった。」154-5P
 これまでのドイツ社会民主党の反戦の姿勢157-161P
「わが党の公式パンフレット「帝国主義か社会主義か」」157-8P「前回の国会議員選挙のために、一九一一年発行された公式文書「社会民主党選挙人必携」158P一九一一年八月四日
ロンドンにおける国際会議158-9P一九一二年一一月バーゼルにおけるインターナショナルの会議におけるヴィクトル・アドラーの発言159Pトレルストラの「小民族」またベルギーの立場での発言159-60Pジョレスのインターナショナル事務局の名での発言160P一九一二年一二月三日社会民主党議員団のダヴィッドのドイツ帝国主義議会での演説160-1P一九一四年七月三〇日のドイツ社会民主党中央機関161P
「かくて一九一四年八月四日、未曽有の出来事、前例のない大事件がおとずれた。」161P
「たしかに、人間がその影を飛びこえられないのと同よう、われわれは歴史的発展を飛びこえることはできない。とはいえ、われわれがその発展を速め、またおくらせることは、充分に可能なのである。/社会主義は、人類の社会的行為のなかに、意識的な精神、計画的な思考、それに伴って、自由な意志をもたらすことを目的に据え、歴史によってその使命を課せられた、世界史上で最初の民衆運動である。」162P
「今日、われわれは、一時代、四〇年前に、フリードリッヒ・エンゲルスが予言したように、帝国主義の勝利と、古代ローマにおけるがごとき、あらゆる文化の没落、人口絶滅、荒癈、退化、一大墳墓か、さもなければ、社会主義の勝利、すなわち、帝国主義とその手段である戦争にたいする国際プロレタリアートの意識的な戦闘行為か、の選択の前に立たされているのである。」163P
「またもし、プロレタリアートの現在の指導者・社会民主党が学ぶことを理解せぬとあれば、そのときには、「新しい世界にふさわしい人びとに席を譲るために」社会民主党は亡びるであろう。」164P
U ドイツ社会民主党の愛国主義への転落
ドイツ社会民主党の戦争支持の声明164-5P「われわれは、危急の時に、祖国を見棄てはしない」164P・・・飲み込まれのキーワード「国」
「八月四日、党国会議員団は、この声明によって、戦時中のドイツ労働者の態度を規定し支配すべきスローガンをあたえた。「危難の祖国、民族防衛、生存と文化と自由のための国民戦争」――これが、社会民主党国会議員たちの発した、スローガンであった。」165P
「近代労働者運動が発生して以来、ここに始めて、プロレタリアートの国際連帯の鉄則と、諸国民の自由と民族的存立の利益との間に深渕が開く。そして、われわれは、諸民族の独立と自由は、諸国のプロレタリアートの相互的な殺戮剿減を絶対的に要求する、という事実をはじめて発見することとなる。」166P
かつての戦争反対の主張「社会民主党の指導者たちは、その戦争に関して、民族の死活の利害と国際プロレタリアートの階級的利益は一つのものであり、両者はともに戦争は反対するとの立場を代表した。民族的自由か――国際社会主義か! などというジレンマは、今度の戦争、一九一四年八月四日付の社会民主党議員団の声明が、はじめて発見したものでしかない。」166-7P
 皇帝演説と首相演説167-8P
「これらのすべてのことも、社会民主党には、上述のように、八月四日に、突如として明らかになったのであった。その日に至るまで、戦争勃発のその前夜まで、社会民主党が口にしてきたことはすべて、議員団声明とは正反対の事柄であった。」169P
 間近までの社会民主党の戦争反対の主張169-173P
「七月二五日、この戦争の導火線となった、セルビアにたいするオーストリアの最後通達が発せられたとき、「フォル・ヴェルツ」」169P「七月二四日、「ラインプツイガー・フォルクスツァイトトゥンク」」「同日、「ドレスドナー・フォルクスツァイトトゥンク」」170P「七月二五日「ミュンヒナー・ポスト」」「七月二四日、「シェレスウィヒ・ホルスタイニッシェ・フォルクスツァイトトゥンク」」「七月二五日、「マグデブルガー・フォルクスシュティンメ」」171P「七月二四日、「フランクフルター・フォルクスシュティンメ」」「同日、「エルバーフェルダー・フライエ・ブレッセ」」172P「ゾーリンゲンの「ベルギッシュ・アルバイターシュティンメ」」173P
「戦争勃発のわずか一週間前まで、我が党の全機関紙が例外なしに、戦争をこのように評価していた。それらの論じていたのは、ドイツの存立と自由ではなく、オーストリア主戦派の無法な冒険であり、また正当防衛、民族防衛、自己の自由の名においての強いられた聖なる戦争ではなく、軽率な戦争挑発、他国セルビアの独立と自由にたいする恥しらずな威嚇であった。」173P
 なぜ社会民主党の急変が起きたのか?「ドイツ政府が国会に提出した白書」173-4P「(政府から知らされた)ドイツ軍がすでにベルギーに侵入しているということ」175P
「社会民主党議員団は、これらすべてのことから、事態は、外国の侵略にたいする防衛戦争であり、祖国の存立、分化にかかわるものであり、ロシアの専制政治にたいする自由戦争である、との結論を引き出したのであった。」175-6P
 しかし、過去の教訓「わが党は、すでに、ドイツの二つの大戦争を体験し、その両者から、意味深い教訓をくみとりえているのである。」「一八六六年の対オーストリア戦争」176P「そればかりでない。引きつづいて、一八七〇年に、フランスとの戦争がおこった。・・・・・・当時、「いかにして戦争が作られるか」を曝露し、人民大衆に示すことを、自らの使命として、義務としていたのは、まさに老リープクネヒトであり、ドイツ社会民主党であった。」178P
「単に、脅威にさらされた祖国の防衛だけを目的とする「戦争でっち上げ」は、別に、ビスマルクの発明にかかるものではない。彼は、ブルジョアの古く、まつたく国際的な慣行を、彼独特な厚顔なやり方で、踏襲しただけのことでしかない。そもそも、いわゆる世論なるものが、政府の画策に一役買うようになって以来、どの戦争指導部であれ、敵の卑劣な攻撃にたいして、だただ、祖国と正義の防衛を念じつつ、心痛のうちに、剣を抜いた、といわないような戦争などが、いつ、どこに存在したか。こうした伝説は、火薬や鉛と同よう、戦争をするには、なくては叶わぬしろ物なのである。こんな芝居は、古臭い。ただ、新しいのは、社会民主党がこの芝居に一枚加わったということ、それだけである。」178P
V 戦争へ至る政治・経済状況
「より深い連帯と、より徹底した識見のみが、わが党に、この戦争の本質、その現実的目標を洞察し、いかなる点からしても、この戦争によって不意打ちをくわされないだけの準備をさせた。一九一四年八月四日をもたらした事の成り行きと、その推進力は、いささかも秘密ではない。世界戦争は、数十年来、まったく公然と、白日のもとに、一歩一歩、一刻一刻、準備されてきた。」178-9P・・・「秘密外交」という論説に対する批判
「最近の歴史における発展の二つのコースが、まっしぐらに現在の戦争をもたらした。その一つは、いわゆる民族国家、つまり、近代資本主義諸国家形成の時期・ビスマルクの対フランス戦争に端を発したものである。」179P
「ビスマルクの軍隊がまだフランスに駐屯していた当時に、マルクスは、ブラウンシュヴァイク委員会にあてて、次のように書いている。」179P 内容179-180P・・・世界大戦を適格に予想する内容
「ビスマルクの置き土産が、今日の世界的大火の第一歩になったとすれば、それは、むしろ、一面では、ドイツとフランス、それに伴って、全ヨーロッパが、軍国的軍備競争の急坂へと突きおとされたこと、他面では、フランスとロシア、そしてまた、ドイツとオーストリアの同盟が不可避の帰結としてもたらされた、という意味においてなのである。」181P
「この支配とグループ分化には、それ以来の歴史的発展によって、まったく新しい内容が盛られている。すなわち、現在の世界戦争に連なる(179Pの「二つのコース」の内の)第二の線は、マルクスの予言でみごとに証明されているとはいえ、マルクスがもはや自ら識るに由なかった国際的な事態の進行、すなわち、最近二五年間における帝国主義の発展に起因しているのである。」181P 帝国主義の動き181-3P
「ドイツでは、最短期間に凝結された帝国主義の出現が、純粋培養の状態で看取されうる。帝国設立以後の大工業と通商の前例のないほどの飛躍は、この国で、八〇年代に、資本蓄積の、特徴的な、独特な、二つの形態を出現させた。すなわち、ヨーロッパで最強のカルテルの発展、ならびに、全世界でも最大規模での銀行の成熟と集中が、それである。」183P
「さらに、きわめて強力ではあるが、政治指導の点で無定見きわまりない個人的支配と、きわめて弱体で、いかなる反対能力ももたない議会制度、ならびに、労働者階級には結束して険しく対立しながら、政府の庇護頼みとしている全ブルジョア階層を、これに加えれば、この若く力まかせでどんな障害も物ともしない帝国主義、すでに世界がほとんど分割され終った時に、途方もない食欲をもって世界の舞台に登場した帝国主義が、いかに、急速に、全般的不安の不可測の要因とならずにすまなかったかが、了解されよう。/このことは、すでに、九〇年代末における帝国の軍事政策の急激な転換、すなわち、一八九八年および一八九九年におけるいずれも緊急の建艦計画によって、予告されていた。」183-4P
「今や、「ドイツは、陸上でも、海上でも、第一の強国たるべし」というまったく新しいプログラムが提示されたのである。」184P
「沿岸警備とか、布教とか、通商などという体裁のいい言葉をはぎとってしまえば、残るのは、より偉大なドイツ、すなわち、他国民にたいする鉄槌の政策という感銘直截なプログラムだけである。」185P
「両国(ドイツとイギリス)によって一五年間つづけられてきた海上での角遂は、ついには、ドレッドノード級船艦の熱病的な建造となる。それは、すでにして、ドイツとイギリスのあいだの戦争であった。一八九九年一二月一一日の建艦計画は、ドイツの宣戦布告であり、一九一四年八月四日、イギリスはこれを受けて立ったのである。」186P
「いわゆるホッテントット選挙(ママ)とよばれる、一九〇七年の国会議員選挙は、一つの旗印しのもとに固く結束した帝国主義的熱狂の発作(ママ)のただ中にある全ブルジョア・ドイツ、世界に鉄槌として登場することを自らの使命と心得るフォン・ビューローのドイツを、さらけ出した。この選挙は――その精神的な集団殺戮の雰囲気からして――八月四日のドイツの前奏曲であり――単に、ドイツ労働者階級にたいしてのみならず、爾余の資本主義諸国家にたいする挑戦であり、特定の何者かにむけられたのではなく、すべてをひっくるめた全体にたいして突き出された拳だったのである。」188P
W 世界大戦に至る、「ドイツ帝国主義」と「各国帝国主義」との衝突、および「各国帝国主義」間の衝突
「ドイツ帝国主義のもっとも重要な作戦地帯となったのは、トルコであり、この地でのそのペース・メーカーとなったのは、ドイツ東方政策の中心に立つ、ドイツ銀行、ならびに同行のアジアにおける巨大企業である。」188P
「それゆえ、ドイツ帝国主義としては、古くはイギリス人の手によるエジプト、新しくはフランス人の手によるモロッコの場合のように、トルコが、ドイツ資本によって、内部から喰い尽され、やがて熟した果実になってドイツの手の内に転げこむ時まで、その限りにおいて、「独立したトルコ国家」、トルコの「保全」を維持することを、必要とみなしたのである。」191P
「(ドイツ社会民主党は)「トルコの保全」なるものを、ヨーロッパ反動の一遺産として、決定的に非難した。青年トルコ政権の内的社会的不毛とその反革命の性格を、ドイツ社会民主党機関紙ほど、迅速かつ正確に認識したものは、どこにもなかった。」194P
「ドイツ帝国主義の態度――その中核をなすものは、ドイツ銀行の利益である――は、ドイツ帝国を、東方において他のすべての国家、わけてもイギリスと対立させるにいたった。」194P
「ドイツの東方政策は、一八九九年に着手された海軍政策の具体的説明となったのである。」「オーストリアのボスニア併合に引きつづいておこなわれた、イタリアのトリポリ遠征は、第一次バルカン戦争の口火を切るものであったと同時に、すでに、イタリアの拒絶を意味するものであり、この方面からしても、三国同盟の分裂とドイツの政策の孤立が示されたのである」196P
モロッコ危機で問題になったのは、「復讐」などではなくて、「ここでは、まったく新しい対立があらわれており、その対立は、ドイツ帝国主義がフランス帝国主義の勢力圏内に割りこんできたことによって作り出されたのである。この危機の結果として、ドイツは、仏領コンゴ地方を手に入れて満足し、そのこと自体によって、モロッコには、何ら独自の利害を所有せず、またそれを保持しえなかったことを承認した。」198P
「一方には、緩慢な工業発展、停滞的な国民、辛うじてまとめられている巨大な植民地帝国を包含し、外国にたいする金融事業を主たる仕事とする利息国家。他方には――若く、強力で、第一等の地位をえようと汲々とし、植民地をあさって世界に乗りだしてきた資本主義。イギリスの植民地を征服することは、考うべくもない。とすれば、ドイツ帝国主義の渇望は、アジア・トルコを別とすれば、まずフランスの遺産に向けられる以外にはなかった。」198P
 ドイツのロシアに対する排外主義は、ロシア・ツァーリズム専制政治の自由に関わる批判として進んだこと200-5P
「粗野な本能、また、賤民(ママ)相手の、民族主義的煽動新聞の大げさな合言葉に迷わされず、政治的見地をじっくりと検討する人びとには、ロシア・ツァーリズムがドイツ併合を企てうるなら、同ように、月の併合をも企てられる、ということが明らかとなるに違いない。」202P
「実際に、ロシアとドイツの間で問題になっていたのは、まったく別の対立である。国内政策の領域では、彼らは、ぶつかり合うことはなかった。それどころか、彼らの共通の傾向と内的類似性が、両国家の古く伝統的な親密さを、一世紀にわたって基礎づけてきた。しかも、その国内政策の連帯性に反して、それがあるにもかかわらず、彼らは――外交上の、世界政策の角遂の場で、衝突したのである。」203P・・・それでもロシアのツァーリズム的専制の特殊性をとりあげながら、一方で近代的ブルショア的な性格も有してきているということを書いています。203-5P
 ロシアは日本との戦争での敗北(一九〇四年)からバルカンに焦点が移動し「東方において、ロシア帝国主義は、すでにイギリスがそうであるのと同ようにして、ドイツ帝国主義と――トルコの崩壊の際には特権的受益者となる役割を堅持しながら、ポスポラス地区においてトルコを看視しつつあるドイツ帝国主義と、対じすることとなった。/しかし、バルカンにおけるロシアの政策は、ドイツ以上に、オーストリアと、直接に衝突した。」206P
「ビスマルクは、オーストリアのバルカン志向には、ドイツの南アフリカ取得と同よう、反対であった。」207P
「オーストリア・ハンガリアが弱体化した場合(それは、トルコの即時的解体と、ロシア、バルカン諸国家、イギリスのひじょうな強化に同義である)、たしかに、ドイツの民族的統一と強化が実現されはするであろうが、ドイツ帝国の帝国主義政策は、その声明の灯を消されることとなろう。それゆえ、トルコの維持が、ドイツ帝国主義の主たる課題であったとすれば、ハプスブルグ帝国の救済と維持が、ドイツ帝国主義にとって、それに次ぐ課題となったことは、論理の当然の帰結である。」208P
「オーストリアのバルカン政策は、要するに、セルビアを絞め殺すことを目標としたのである。」「オーストリア帝国主義は、・・・・・・バルカン諸国家の存立と発展の可能性を、たえず脅かした。・・・・・・この国(セルビア)は、その成立の最初の時から、帝国主義的敵対諸国の陰謀にもてあそばれる一箇のボールにすぎなかったのである。」209P
「こうして、オーストリアの帝国主義的政策は、近々一〇年間に、バルカンにおける正常な前進的発展のブレーキとなり、おのずから、ハプスブルグ帝国か、バルカン諸国家の資本主義的発展か、という回避できないディレンマをもたらした。トルコの支配から解放されたバルカンは、さらにオーストリアの妨害を排除するという、より以上の課題のまえに立たされているのをみた。オーストリア・ハンガリアの精算は、歴史的には、トルコの崩壊の継続にすぎず、それと並んで、歴史の発展過程の一要請なのである。/しかし、このディレンマには、戦争、しかも、世界戦争による以外に、いかなる解決方法もない。すなわち、セルビアの背後にはロシアがあり、ロシアは、東方におけるその帝国主義的全政策を断念しないかぎりは、バルカンにたいするその影響と、その「保護者」たる役割を抛棄しえない。」210P
「しかも、オーストリアのバルカン政策は、さらに、オーストリアならびにトルコの精算によってひじょうな利益をうるイタリアとの対立をもたらして。イタリア帝国主義は、バルカンで新しい秩序を形成するに当たって、アドリア海をへだてて対岸にあるアルバニア海岸に、その膨張の鉾先をむけていたのであるが、その膨張の欲望をかくすのに一番手近で、一番人気があるがゆえに一番手頃な口実として、イタリアにあるオーストリア領を利用した。・・・・・・ドイツ帝国主義は、二個の腐れ果てた屍体にからみつかれたまま、世界戦争への道をまっしぐらに突っ走ったのである。」211P
「最後に、サラエヴォの暗殺がやってきた。」211P
「しかし、サラエヴォの幕間劇は、単なる口実を与えたにすぎない。さまざまな原因が、さまざまの対立が、長い間戦争に至るべきすべてのものを成熟させてきた。われわれが現在体験している状況は、すでに一〇年来、準備されていたのである。」212P 具体的内容212P
「こうして、現在の世界戦争は、八年来、懸案となっていた。それが、毎回、先に延ばされてきたのは、いつでも、関係諸方面の一方の軍備が充分に整っていなかったから、というだけの理由によっていた。」212P
「ドイツ軍がベルギーに進撃し、ドイツ国会が、戦争と戒厳状態の既成事実をつきつけられた時、それらすべては、青天の霹靂でもなければ、前代未聞の状況でもなく、その出来事の政治的諸条件は、社会民主党国会議員団にとっては、別に驚倒させられるほどのことでなかった。」214P
「そして、事実、この戦争にとって問題になっているのは、社会民主党議員団声明のいうような「ドイツの存立と自由な発展」などでは勿論なく、社会民主党機関紙の述べるドイツの文化でもない。肝心なのは、まさにアジア・トルコにおけるドイツ銀行の当面の利益であり、モロッコにおけるマンネスマンとクルップの将来の利益であり、・・・・・・この「組織された腐敗の塊り」の存立と反動であり、ハンガリアの豚とスモモであり、また、フリードマン・プロハスカの文化であり、小アジアにおけるトルコ義勇兵支配とバルカンにおける反革命の維持である。」214P
 ローザのマルクスの「文明と野蛮」というとらえ方の流れから来ている、「野蛮」批判としてマオリ族を例に出していること214-5P・・・反差別というところからのイズム論のとらえ返しの必要性
X 進歩・文化・自由対ツァーリズム(野蛮)という誤魔化し(マルクスの「遺言」の曲解)
「だが、ツァーリズムは! これこそは、疑いもなく、わが党の態度を、とくに戦争の最初の瞬間に、決定させたものであった。社会民主党議員団は、その声明で、スローガンをあたえた。すなわち、ツァーリズム反対! 社会民主党機関紙は、そこから直ちに、全ヨーロッパのために「文化」を守る闘いをでっちあげた。」215P 内容215-9P
「ドイツ政府は、戦争の初めごろ、差しのべられた助けを受け入れ、ヨーロッパ文化の解放者という月桂冠を、不精無精兜に飾った。まさにドイツ政府は、目に見えて不快げであり、かなりぎこちなく愛嬌をふりまきながら「諸民族の解放者」の役割を引きうけた。」「そして必要に迫られたドイツ帝国主義のこうした悪行のすべてを、社会民主党機関紙は共にしたのであった。」219P
「社会民主党国会議員団が、戦争に、ドイツの民族と文化の防衛という性格を貼りつけた後をうけて、社会民主党機関紙は、この戦争に、外国民族の解放という性格までも添え物にした。かくて、ヒンデンブルグは、マルクス・エンゲルスの遺言の執行者となった。」220P
「しかし、ここで、この「修正」(「レヴィジョン」のルビ)を評定し、三月革命から生まれたこの合言葉を、やく七〇年の歴史的経験に照らして検証するのが妥当である。」221P
 マルクスの遺言の内容の検証221-3P「ロシア六〇年代の改革は、ブルジョア的・資本主義経済の財源によってのみ、実行されうるものであった。そして、この財源は、西ヨーロッパ資本――ドイツとフランスから、供給された。それ以来、今日までつづいているところの新しい関係、つまり、ロシア絶対主義が西洋ブルジョアジーによって維持される、という関係が結ばれた。」222P「ロシア人民そのものの胎内から、絶対主義に反対する革命的諸力が高まるにつれて、それら諸力は、脅威にさらされたツァーリズムを背後から精神的、政治的に力づける西欧からの抵抗に、ますます強く衝突する。」「絶対主義は、爾来上昇の一途をたどる国内の革命運動の激流との闘いのなかで、この両方(ドイツとフランス)の財源から力を借りながら、辛うじてその存在を保ってきた。」223P
「ドイツ革命に反対してのロシアの援助は、ロシア革命に反対してのドイツの援助で埋め合わせがつけられる。スパイ政策、国外追放、政治犯引き渡しなど――神聖同盟の聖なる時代以降、公然化された「煽動者狩り」は、ドイツ国内でも、ロシアの自由闘士たちに容赦なく適用され、彼らは、ロシア革命勃発のその時まで、迫害をうけた。こうした迫害は、一九〇四年のケーニヒスベルグ事件で、その頂点に達したというにとどまらない。迫害は、この事件において、一八四八年以来の発展の歴史的な全行程を、ロシア絶対主義とヨーロッパ反動との関係の内幕を、一瞬完全に暴露してみせた。」223-4P「ヨーロッパ反動、わけても、プロシャ・ユンカー反動は、今や、ロシア絶対主義の砦となった。ロシア絶対主義は、その砦によって、辛うじて維持されているとはいえ、また、その砦の中で、死の運命に見まわれることともなろう。ロシア革命の運命が、やがてそれを確認するはずである。」224P
「一九〇五年〜一九〇六年のロシアの蜂起は、その革命的な、目的の明確さと頑強さの点で、比類ない暴動であるにもかかわらず、その敗北の理由として、二つをわれわれに明らかにしている。」224P その一つ「革命そのものの内的な性格のうちにある。・・・・・・一九〇六年におけるその革命の敗北は、革命の破産ではなく単に、第一章の自然な終熄にすぎず、自然法則の必然性に従って、それは後の章につづかずにはいない。」224-5P第二の原因「ふたたび外的な性質のものであった。すなわち、その理由は、西ヨーロッパにあった。ヨーロッパ反動は、窮地に立たされたその被保護者を助けるために駆けつけた。」「この国で開かれた挑戦的な死者の祝宴に列席したこの時、ドイツ社会民主党は完全に沈黙を守り、一八四八年に際しての「われわれが旧師の遺言」をまったく忘れてしまっていたのである。」225P「しかも、まさに一九一〇年ヨーロッパにおける、ツァーの勝利の巡遊こそし、打倒されたロシアのプロレタリアートが、自国の反動のみならず、外国における反動の「砦」にぶつかって血を流したのであったという事実を、他の何ものにもまさって、はっきりと曝露した。」226P
「希望をはらんでひるがえった革命の旗は、没し去った――とはいえ、それは名誉に包まれて、没したのであり、やがてまた、荒涼たる殺戮のなかから、はためき上がるであろう――「ドイツの銃劍」にかかわりなく、戦場におけるツァーリズムの勝敗にかかわりなく。」227P
「ロシアにおける諸民族の蜂起も、否定し去られた。「諸民族」が、ドイツの社会民主党ほど、ヒンデンブルグの軍団の解放の使命なるものにたぶらかされなかったことは、明らかである。」227P
「しかも、この戦争に関して、ドイツ社会民主党が、マルクスの遺言なるものを楯にとっていいたてる解放の伝説はたちの悪い冗談などではすまされぬもの、それは、もってのほうのたわ言である。マルクスにとって、ロシア革命は一つの世界的転回であった。かれの政治的、歴史的展望にはすべて、「その時までに、ロシアに革命が勃発していない限りで」という留保がつけられていた。マルクスは、ロシア革命を信じ、彼がまだ農奴制ロシアを眼の当りにしていたころにさえも、それを期待していた。やがて革命は訪れた。・・・・・・その時、ドイツの社会民主主義者どもは、突如として「ドイツの銃劍」をもって迫り。ロシア革命は無であり存在しないものである、と宣言し、それを歴史から抹殺する。彼らは、突如として、一八四八年の記録を引き合いにだし、「対ロシア戦争万歳!」と呼号する。」228P
「ロシア革命とマルクスの予言についての、このような血なまぐさい歴史的茶番、これより野卑な嘲笑は、到底考えることはできない。それは、戦争中の社会民主党の政治的態度のなかでも、もっとも暗いエピソードになっている。」229P
「戦争の初めごろのレトリックが帝国主義の散文的な直截な言葉でぶちやぶられるや、ドイツ社会民主党の態度についての、たったひとつの、弱々しい説明などは、雲散霧消してしまったのである。」229-30P
Y 社会民主党の城内平和――階級闘争の中止
「社会民主党の態度における他の一面は、城内平和の正式の承認、すなわち、戦争継続中の、階級闘争の中止であった。八月四日、国会で読みあげられた議員団声明は、この階級闘争放棄の最初の行動でさえあった。その語句は予め、帝国政府およびブルジョア諸政党の代表者たちと一致するようにされていた。八月四日の仰々しい振舞いは、国民と外国に見せるために、舞台裏で仕組まれた愛国的な見世物であり、社会民主党は、前もって引き受けた役を、他の役者たちと一諸にそこで演じただけの話である。」230P
「それゆえ、階級闘争は、一九一四年八月四日以降、将来の平和締結の日まで、存在しない、と社会民主党によって宣告された。ドイツは、クルップの大砲がペレギーにその最初の一撃を放った時から、階級的協調と社会的調和の奇蹟の国に化した、というわけである。」233P
「周知のように階級闘争は、一箇の発明、社会民主党の自由な創造物ではなく、社会民主党の気のむくままに、一定の期間だけ中止しうるものではない。・・・・・・社会民主党が、最初に近代プロレタリアートを階級闘争にみちびいたわけではない。むしろ階級闘争のさまざまな地域的、時期的諸断片に目的意識と関連をもたらすために、階級闘争によって、社会民主党が生み出されたのである。」233P
「労働者階級の「国内の敵」・資本主義的搾取と抑圧が厳存しているにもかかわらず、労働者階級の指導者・社会民主党と労働組合は、愛国的なおうようさで、労働者階級を、戦争継続中、この敵に、闘いもせずに引き渡してしまったのである。支配階級がその所有・支配権で完全に武装を固めている一方、プロレタリアートは、社会民主党に「武装解除」を命じられたのである。」234P
「階級調和、近代ブルジョア社会におけるあらゆる階層の協調の奇蹟は、すでに一度――一八四八年フランスで体験されている。」234P マルクスの引用234-5P 「つまり、一八四八年二月に、パリのプロレタリアートは、素朴な幻想をいだいて、階級闘争をも中止したが、注目すべきことに、その後、自らの革命的行動によって七月王制を破壊し、共和国を強制した。一九一四年八月四日、それは逆立ちした二月革命であった。その階級的諸原則の抛棄は、共和国のもとにではなく、軍事帝国主義のもとに、反動にたいする国民の勝利の後にではなく国民にたいする反動の勝利の後に、自由、平等、友愛の宣言と新聞の自由の絞殺と憲法停止ののもとに、おこなわれたのである。政府はおごそかに城内平和を宣言し、全政党が、それを正直に守るべく手を打った。しかし、政府は、老獪な政治家として、この約束をまともに信用せず、――軍事独裁という簡明な手段によって――「城内平和」を確保した。社会民主党議員団は、何一つ抗議も抵抗もせずに、それさえも受けいれた。」235P
「国会議員団の仰々しい声明は、軍事公債承認を基礎づけるために、社会主義的原理・民族自決権を援用した。この戦争におけるドイツ民族の「自決」の第一歩は、社会民主党が押しこめられた。戒厳状態という狂人(ママ)用緊衣であった。一箇の政党がこれほどに自己嘲弄した例は、歴史上、かつてない。」236P
「城内平和受諾によって、社会民主党は、戦争継続中、階級闘争を否認した。・・・・・・社会民主党は、戦争継続中、積極的政治的政党としての、労働者の政策の代弁者として自己を解任した。・・・・・・戒厳状態のもとで治安の維持にあたる、つまりは、労働者階級の憲兵の役割を演じることで満足したのである。」236P
「しかし、社会民主党は、またさらに、ドイツの自由の問題を、議員団声明によれば現在クルップの大砲がその保護に当たっているという、ドイツの自由の問題を、現在の戦争の継続期間もはるかにこえて、あとあとまでも、極度に傷つけた。社会民主党の指導層内では、労働者階級の民主主義的自由が戦後いちじるしく拡大され、戦時中の愛国的態度の報酬としてかれらに市民的平等が与えられるだろう、と少なからず期待している…………現実には、社会民主党は、自らの態度によって、ドイツにおける将来の政治的自由の拡大を確実にしたどころか、戦前にもっていたものでさえも、破壊してしまった。」236-7P
「しかし、政治的に成熟した国民は、生きている人間が呼吸を「放棄」できないのと同よう、ほんの「一時的」にも、政治的諸権利と公共生活を放棄することはできない。一国民が、自らの態度によって、戦時中、戒厳状態が必要であると認めることは、同時に、政治的自由も一般に必要ない、と認めたことである。」239P
「すなわち、帝国主義戦争が軍事的に勝利に終るかぎりでの、その戦争の不可避の論理的な帰結にたいして、大げさに抗弁していた一政党が、人民大衆、また、公共の世論を自党の精神にもとづいて動員し、それによって有効な圧迫を加え、戦争を制御し、平和を結ばせるに役立つあらゆる手段と武器を、城内平和の受諾と同時に、喪失した。」239P
「この戦争における社会民主党の態度は、あらゆる点で、この「巨大な緊張」を和らげる方向に作用し、この憂慮を一掃し、帝国主義の滔々たる奔流をせきとめていた唯一の堤防を破壊した。しかり、社会民主党の陣営から、「戦争継続」、すなわち、人間虐殺の継続が叫ばれるに及んで。ペルナルディが、また、ブルジョア政治家が夢にも考えなかったような事態が起こった。そして、数ヶ月来戦場をおおう無数の犠牲者は、われわれの良心を責め苛むのである。」242P
Z 民族防衛という虚構
「たしかに、国内の敵に降伏する政党が軽蔑されるべきであると同よう、外敵に降伏する国民も、軽蔑されるべきである。しかし、この「燃えている家」の消防夫たちは、ただ一つのことを忘れていた。それは、すなわち、社会主義者がいうところの祖国防衛とは、帝国主義ブルジョアジーの命令下に大砲の餌食になる役目とは異なる別のものを意味していた。・・・・・・ブルジョア愛国主義と戒厳状態の警察的論理によれば、あらゆる階級闘争は、民族の国防力を損い弱める恐れがあるから、国の防衛上の利益にたいする犯罪である、ということである。この叫びによって、公式の社会民主党は恫喝されてしまった。しかし、ブルジョア社会にとって、外敵の侵入は、今日その社会にとって描き上げられているような脅威などというものではなく、もっぱら「国内の敵」にたいして好んで用いられる効果的な手段であることは、ブルジョア社会の近代史が、如実に示している。・・・・・・カール・マルクスにとつては、すでに四五年前、近代ブルジョア諸国家の「民族」戦争なるものをペテンとして曝露するのに、こうした歴史的経験だけで充分であった。彼は、パリ・コミューン敗北に際してのインターナショナル総会の有名な演説で、次のように述べた。」243-4P マルクスの引用244-5P 「それゆえ、侵略と階級闘争は、ブルジョアの歴史のなかで、官製の作り話のように対立しあうものではなく、一つのものであり、互いが他の手段であり、他の発現なのである。支配階級にとって、侵略というものが、階級闘争にたいする効果的な手段を表現しているとすれば、向上に努める階級にとっては、もっとも尖鋭な階級闘争は、それだけ侵略に反対する最上の手段であったことが証明されてきた。・・・・・・それゆえ過去数世紀が証明しているように、戒厳状態ではなく、仮借ない階級闘争こそが、人民大衆の自覚と犠牲的勇気と道義的な力、すなわち、外敵にたいする最良の国土庇護、最上の防衛を振いおこさせるのである。」245-6P
「社会民主党は、今次の戦争における自らの態度を理由つけるために、民族自決権を援用したとき、彼らは、同ように悲劇的な錯誤[誤認]を犯した。社会主義が、あらゆる国民に、独立と自由の権利、自己の運命を自主的に処理する権利を認めていること、それは正しい。しかし、今日の資本主義諸国家が、この民族自決権の表現として措定されているならば、それはまさしく社会主義を愚弄するものである。そもそも、現在に至るまで、これら諸国家のいずれにおいて、民族が、自らの民族的、政治的、また、社会的存在の形式と条件を決定しているか。」246P・・・ローザは、自決権一般ではなく、被差別の立場における自決権の問題をどう押さえていたのか、反差別ということでの展開の必要性をどうとらえていたのでしょうか?
「一八四八年のドイツの愛国者の遺児たる社会民主主義者たちが――「民族自決権」の旗印しを手にひるがえしつつ――現在の戦争の䞣くことのうちには、じつに歴史の悪魔的な狡智がひそめられている! あるいはまた、四つの大陸に植民地を領有し、二つの大陸において植民地虐待をおこなう第三共和国が、フランスの民族的「自決」の表現であるというのか。またあるいは、五〇〇万有色人種にたいし、一〇〇万の白人をもって、インドならびに南アフリカを支配する大英帝国が、そうであるというのか。またあるいは、トルコが、ツァー帝国がそうであるというのか。支配人種のみを民族とみなすような、一箇のブルジョア政治家のみが、植民地国家一般において、「民族自決権」などということを云々しうるにすぎない。植民地諸国民をいくら国民と数え、国家の基幹と称したところで、一民族の国家的存立が他国民の奴隷化のうちに成り立っている限り、民族自決という概念の社会主義的意味においては、自由な民族は存在しない。国際社会主義は、自由な、独立の平等な諸民族の権利を承認する。しかも、この国際社会主義のみが、そのような諸民族を創造しうるのであり、それのみが、諸国民の自決権を現実化しうるのである。社会主義のこの合言葉もまた、他のすべてのそれと同よう、現存するものを、聖化する言葉ではなく、プロレタリアートの、革命的、変革的、積極的政策のための道しるべであり、励ましである。資本主義国家が存立するかぎり、とくに、帝国主義的世界政策が諸国家の内的、外的生活を規定し、形成するかぎりにおいて、民族自決権は、戦時と平時とを問わず、それらのものの実状とは、いささかのかかわりもないのである。」247P・・・ローザの「民族自決権」批判。ただし、被差別者の「自決権」の問題は、「自決権はまやかし」であるとしても無視はできないこと。
「歴史的事実として確認されなければならないのは、この戦争が、ドイツ帝国主義によって、その世界政策的目的のために、数年前から準備され、一九一四年夏、ドイツならびにオーストリアの策謀によって、目的意識的に遂行された予防戦争である、という事実である。・・・・・・ドイツが、いささかも自己防衛でないとするならば、フランスとイギリスもまた同ようである。というのは、彼らが「防衛する」ものは、彼らの民族的地位ではなく、彼らの世界政策的地位、ドイツの成り上り者の打撃によっておびやかされた、彼らの古い帝国主義的資産だからである。」248P
「それらの諸現象は、その包括的巨大さのゆえに、罪と罰、防衛と攻撃などという概念をまったくとるにたらぬものにしてしまう。」「帝国主義政策は、いずれか一国、あるいは、数カ国の制作物ではなく、資本の世界的発展の一定の成熟段階の産物であり、本来的に一箇の国際的現象であり、ひとつの不可分の全体であり、その全体は、その全交互関係の中でのみ認識されえ、いずれかの国家一つがそれから脱け出すわけにはいかない。」249P・・・ネグリ/ハートの「<帝国>」の考え
「資本主義は、小国家分立、経済的、政治的細分化とは両立しえない。資本主義はその発展のためには、できる限り大きな、内的に結合された領域と精神的文化を必要とし、それがない場合には、社会の需要は、資本主義的商品生産に照応した水準にまで高められず、また近代ブルジョア的階級支配のメカニズムは機能しえない。」249-50P・・・EU
「それ以後、帝国主義は、古いブルジョア的・民族主義的プログラムを完全に葬り去り、同時に、帝国主義は、民族的限界をこえ、民族的諸事情を、一切考慮しないような膨張を、あらゆる国のブルジョアジーのプログラムにのぼせた。民族的きまり文句は、たしかに残されている。しかし、その現実の内容、その機能は偽薬の方向にむけられている。それは、ただ、帝国主義的努力の間に合わせのかくれみのとして、帝国主義的拮抗のときの声として、また帝国主義戦争のなかで大砲の餌食としての役割を果たさせるために人民大衆を捉えられるような、唯一の、最後のイデオロギー的手段として、作用している。」「その場合、現在の資本主義的政策の一般的傾向は、経済的競争の法則が個々の企業家の生産諸条件を絶対的に規制するのと同ように、圧倒的盲目的(ママ)支配の法則のようにして、個々の国家の政策を支配する。」250P
「どうあっても、戦争が、現在の諸条件のもとでは、まったく機械的に、不可避的に、帝国主義的な世界再分割へと発展してゆかざるをえなかったことを理解しうる。」251P
「かくて、わが党議員諸氏や編集者たちの念頭をはなれぬ。謙虚な、徳義的な、愛国的防衛戦争という概念そのものが、純粋なフィクションとなる。」252P
「いずれかの国家が、あらゆる外的、形式的目安からして、民族的防衛の権利を、自らの側にもっているとするならば、セルビアがそれである。(・・・そもそも植民地支配の構図のなかにある国々)・・・・・・セルビアは、たしかに、形式的には、民族的防衛戦争行っている。しかし、この国の王族とその支配階級の傾向は、今日のあらゆる国家における支配階級の努力と同よう、民族的境界を意に介さぬ膨張を目ざし、それによって、攻撃的な性格を得ている。・・・・・・しかし、主要な問題は次のこと、すなわち、セルビア民族主義の背後にはロシア帝国主義が立っている、ということにある。」253P
「国際社会民主党は、バルカン戦争に対して一切の精神的、政治的協力を断乎として拒否し、この戦争の真の相貌を曝露したことに関して、バルカン社会主義者たちにも、バーゼルで熱狂的な拍手をおくり、それによって、国際社会民主党は、今日の戦に臨んだときのドイツならびにフランスの社会主義者たちの態度を、あらかじめ、指し示したのであった。」254P
「カウツキーもまた、わずか数年前、一九〇七年、ライプツィヒで出した、その著「愛国主義と社会民主主義」のなかで、次のように書いている。」255P カウツキーの引用255-6P
「ブルジョア社会のあらゆる大きな危機に際して、支配階級を前方へと駆り立て、危機そのものに自らを乗りこえさせるような独自の階級的政策を打ちたてること、これこそが、闘うプロレタリアートの前衛としての社会民主党の任務である。それゆえ、偽って帝国主義戦争に民族的防衛のかくれみのをかけてやったりせず、まさに、諸国民の自決権ならびに民族的防衛とまともに取り組み、それを帝国主義戦争に対立する革命的な槓杆たらしめることが、肝要であった。民族的防衛のもっとも基本的要請は、民族がその防衛を自らの手中に掌握すること、それである。そのための第一歩は、民兵(ミリツ)である。それは、すなわち、国民中の青年男子をすべて即座に武装させるにとどまらず、何よりもまず、国民が戦争と平和について決断を下すことであり、さらにいうならば、国民的防衛の基礎として最大の政治的自由が必要とされるがゆえに、あらゆる政治的な権利剥奪を即刻廃棄することである。民族的防衛のこれら現実的諸方策を宣言し、その実現を要求すること、それこそが社会民主党の第一の課題であった。」257P・・・当時の軍事情況としての「民兵」問題
「国際プロレタリアートの教師たちは、祖国防衛を、まったく別様に理解した。一八七一年、プロシャの攻囲下にあるパリで、プロレタリアートが権力を奪取したとき、マルクスは、彼らの行動に感激しつつ、次のように書いた。」258P マルクスの引用258P
「フリードリヒ・エンゲルスは、大戦争に際して、プロレタリアートの党に課せられる政策の基本線について、一八九二年、次のように書いた。」259P エンゲルスの引用259P (エンゲルスの文)「要するに平和は、ほぼ一〇年以内に、ドイツ社会民主党の勝利を保証する。戦争は、二ないし三年以内に、社会民主党に勝利をもたらすか、さもなければ、少なくとも一五ないし二〇年以内に完全な廃墟をもたらすであろう。」259P
「彼(エンゲルス)は、真の闘士たちが、発展のテンポを過大視するきらいがあるのと同ように、ドイツにおける諸事情の成熟と社会革命への見通しを過大視した。しかし、こうしたことすべてにもかかわらず、彼の叙述からじつに明瞭にうかがわれるのは、エンゲルスが、社会民主党の政策の意味での民族的防衛ということを、プロシャ的・ユンカー的軍事政権とその司令部の支持とは理解せず、フランス・ジャコバン党員の先例にならった革命的行動と理解していた、という事実である。」260P
「一九一四年八月四日の声明で「われわれは、危急の時に、祖国を見捨てない」と揚言しながら、同じその瞬間に、自らの言葉を否定した、まさにそのことにある。社会民主党国会議員団は、最大の危機の時に、その祖国を見捨てた。けだし、この時に当たって祖国にたいする第一の義務は、この帝国主義戦争の真の背景を祖国に示し、祖国にたいする陰謀を仕組んだ、うず高い愛国主義的、外交的虚偽を打ち破り、この戦争の勝利も敗北も等しくドイツ国民には不吉な運命となることを声高に明瞭に告げ、戒厳状態による祖国の緊縛に徹底的に抵抗し、即刻の人民武装、ならび、戦争と平和にたいする国民の決断の必要を宣言し、国民代表による政府のまた、国民による国民代表の監視と規制を確保するために、戦争継続中は国民代表者会議の常置を極力要求し、最後に、オーストリアとトルコの遺児、すなわち、ヨーロッパならびにドイツにおける反動を志向する戦争の帝国主義的プログラムに反対し、一八四八年年の愛国者と民主主義者の真に民族的な以前のプログラム、マルクス・エンゲルスとラッサールのブログラム、すなわち統一ドイツ共和国のスローガンをかかげること、以上のことにあったからである。」260-1P
「社会民主党は、――その指導者たちのお陰で――一つの虚偽の政策をとったというより、むしろ、全体としてまったくの無政策だったのである。社会民主党は、独自の世界観をもつ独特の階級政党であることを止め、外には帝国主義戦争の、内には軍事独裁の恐るべき凶運に国土を委ね、あまつさえ、戦争にたいする責任までをも自らの身に背負いこんだ。」261P
「大規模な民衆運動あるいは大衆行動が、その形態の如何を問わず、現実に行われるかどうかを決定するのは、経済的、政治的、心理的諸要素の全体であり、階級対立のその時点における緊張、啓蒙の度合い、対私有の闘争気分の成熟であって、それは計測しえないものであるとともに、なんらかの政党によって人工的に作り出されうるものではない。」262P
「それゆえ、階級意識あるプロレタリアートの前衛としての社会民主党の指導者があたええるべきものは、技術的性質をもつおこがましい指令や処方箋ではなく、政治的スローガン、すなわち、戦時におけるプロレタリアートの政治的諸課題と利害を明らかにすること、にあった。」263P ローザの「大衆ストライキ、党、および労働組合」からの引用265-6P
「「しかし、それにたいし、何をいうべきか」――イグナツ・アウエルは、一八九五年、セダン祝賀に関するその演説に中で、率直に語った――「全世界を獲んとする政党は、いかなる危険がそれに伴なおうとも、自らの諸原則を高く掲げねばならぬ。もしその党がそれ以外の行動をとるならば、その党は滅びるであろう!」、と。」264P
老リープクネヒトの引用265-6P
「彼ら(老リープクネヒトとベーベル)は持場に踏みとどまった。そして、ドイツ社会民主党は、当時、党が敵の世界に対して示したところの道徳的な力によって、四〇年を生きながらえたのである。」266P
「戦争が進展するにつれて、留まるところをしらぬ大量殺戮にたいする覚醒があらゆる国に広まるにつれて、戦争の帝国主義的な馬脚がますます明瞭に曝露されてゆくにつれて、血に飢えた投機者どもの市場争奪がますます破廉恥になってゆくにつれて、生命あるもの、誠実なもの、人道的なるもの、進歩的なものすべては、社会民主党の旗のもとに結集するであろう。この時、何よりもます、ドイツ社会民主党は、全般的な混乱、堕落、崩壊の中にあって、荒れ狂う(ママ)大海の中の岩のように、インターナショナルの高々とそびえる燈台となり、やがて、他の労働者政党はすべて、これによって方針を定めることとなったであろう。ドイツ社会民主党が一八一四年八月四日まで、全世界のプロレタリアの中に享受していた偉大な道徳的権威が、この全般的混迷をも、早急に変化させたであろうことは、疑いをいれない。それによって、平和の要望と平和を求める人民大衆の圧力は、あらゆる国に湧きおこり、大量殺人の終結を早め、その犠牲者の数を減じせしめたであろう。ドイツ・プロレタリアートは、社会主義と人間解放の監視者でありつづけたであろう――そして、それこそが、マルクス、エンゲルス、ラッサールの弟子たるにふさわしい、一つの愛国的な業績なのである。――」267P
[ 労働者の新しい国際連帯
「軍事独裁と印刷物検閲にもかかわらず、社会民主党にたいする否定にもかかわらず、同胞殺戮の戦争にもかかわらず、「城内平和」のなかから、階級闘争は根源的な力をもって立ち現われ、戦場の血煙りのなかから、労働者の国際的連帯が高まる。それは古いインターナショナルに人工的に話をいれようとする弱々しい試みや、戦争が終った暁にはすぐまたくっつき合おうとして、あちこちで更新される誓約の中になどにはない。否、現在戦争のさ中に、戦争そのものから、万国のプロレタリアは一つの同じ利害をもつという事実が、まつたく新たな力と重みをもって、蘇る。戦争そのものが、自らが作りだした欺瞞を否定し去るのである。」267-(P
「全体としての現在の世界戦争は、その歴史的客観的意味を突きつめると、すでに完全開花に達した資本主義が、世界支配をめぐって、残された世界の非資本主義的部分の搾取をめぐって行う競り合いである。」269P・・・当時の資本主義の段階
「勝利しようと、敗北しようと、最後に決算した場合、こうした結果はいささかも変えられるものではなく、むしろ、逆に、純粋に軍事的な解決は一般にあやふやになり、結局、あらゆる面にわたっての衰弱によって戦争が終息させられるであろうという可能性がますます大きくなる。こうした状況のもとでは、勝誇るドイツも――その帝国主義的戦争煽動者たちが、あらゆる敵を完全に屈服させるまで大殺戮をほしいままにし、彼らのたわけた夢想が、いつか実現されたとしても――空しい勝利をうるだけのことでしかない。」269-70P
「ドイツ国民が、愛国的な国民代表の前貸しで「可決」された戦争予算を後で実際に支払わねばならない。つまり、「勝利」が残す唯一明瞭な成果としての強化された軍事的反動と併せて、ぼう大な租税負担をしょいこまねばならないのである。/さてまた、敗北のもっとも惨めな結果を予想するとしても、――帝国主義の併合の場合を別とすれば――勝利の場合に不可避の結果としてもたらされるものと同じような光景が、次々とあらわれる。戦争行為そのものの諸作用は、今日、きわめて深く広汎な性質のものであるので、軍事的結末は、それらの諸結果をほとんど変化させえない。」270P
「ドイツ資本主義が、フランス資本主義の負担において強力になろうとも、経済闘争におけるプロレタリアートの立場にとっては、結局の所、まったく同じ損失である。」271P
「それゆえ、この面からしても、勝利は、新たな熱病的な軍備を、あらゆる国家に――もちろん、敗北したドイツは、その先頭にたつ――広め、それによって、新たな世界戦争を終局目的とする、軍国主義と反動の一体となった支配の時期を、全ヨーロッパに開くこととなる。」273P
「帝国主義とそれに奉仕する軍国主義は、国際的プロレタリアートがその革命的交渉によって計画を破綻させるという、唯一の場合を除いて、この戦争では、勝つと負けるとにかかわりなく、充分な満足をうるであろう。/それゆえ、現在の戦争が教える、プロレタリアートの政策のためのもつとも重要な教訓は、ドイツにおいてであれフランスにおいてであれ、イギリスにおいでてあれロシアにおいてであれ、勝利か、敗北か、というスローガンの無批判的な復唱はなされるべきでなく、このスローガンは、帝国の立場からしてのみ唯一の現実的内容をもつものであり、このスローガンは、どの大国にとっても、世界政策上の勢力配置、領土併合、植民地、ならびに、軍事的優越の利害得失の問題と同義である、という確固たる事実である。今日、ヨーロッパ・プロレタリアートの全体にとって、その階級的見地からすれば、交戦している陣営のいずれの勝利また敗北も、等しく禍いにみちたものである。戦争はまさに、それ自体として、どのような軍事的結末がもたらされるにせよ、ヨーロッパ・プロレタリアートにとって考えうる限りで最大の敗北を意味するものであり、プロレタリアの主要問題のために唯一の勝利をもたらしうるものは、プロレタリアートの国際的戦闘行為によって、戦争を打倒し、緊急に平和を強制することである。」273-4P
「戦争は、諸国家相互間の、また、社会内の諸階級の関係にいちじるしい変動をもたらし、幾多の古い幻想と権威を亡ぼし、幾多の新しい衝動と課題を作りだしたので、敗北させられた革命の後でさえも、革命前の状態に逆行することが不可能であるのと同よう、一九一四年八月四日以前にあったような古いヨーロッパに逆行することはまったく不可能となったのである。」274-5P
「世界戦争が社会主義的諸党派にたいして提起し、労働運動の今後の運命がその解決の如何にかかっているところの、根本問題は、帝国主義に反対する闘争におけるプロレタリア大衆の行動能力である国際プロレタリアートは、要求、プログラム、スローガンには、事欠かない。欠けているのは、行動であり、効果的な抵抗であり、決定的な瞬間、まさに戦争において帝国主義を攻撃し、「戦争に反対する戦争」という古いスローガンを実践にうつす能力である。此処こそは、まさに飛ぶべきロドスであり、此処これは、プロレタリアの政策とその後の未来の結節点なのである。」275-6P
「歴史的弁証法はまさに諸矛盾のなかに運動し、あらゆる必然にたいしてはまた、その反対物を世界へと送り出す。ブルジョア的階級支配は疑いもなく一箇の歴史的必然である。しかし、その階級支配にたいする労働者階級の反乱もまた、同ようである。・・・・・・」276P
「この世界における資本の野蛮な勝利の進撃も、明るい面を一つもつている。それは、すなわち、この進撃が、自らの決定的な没落の先行諸条件を作り出し、社会主義的世界革命のみがその後を引き継ぎうるところの、資本主義的世界支配を生みだしたこと、それである。」277P
「・・・・・・平然としてそれらを見送った「文化世界」――この「文化世界」は、今はじめて、帝国主義の野獣どもの牙がいかに致命的であり、その吐く息がいかにいとわしいものであるかを、さまざまと知ったのである。・・・・・・」278P
「しかし、ヨーロッパの地における帝国主義的野蛮(ママ)の現在の狂乱(ママ)は、さらにもう一つの作用を及ぼしたのであるが、それに対しては、「文化世界」は、驚きの目を見はりもせず、心も痛めもしなかった。それは、すなわち、ヨーロッパ・プロレタリアートの大量的破滅である。」278P
「しかも、ここにおいて、現在の世界戦争はまた、大規模な殺戮であるにとどまらず、ヨーロッパ労働者階級の自殺であることを曝露する。」280P
「ドイツで、フランスで、イギリスで、またロシアで、労働者たちがその陶酔から醒め、互いに友愛の手を差しのべ合う時、はじめて、その狂気(ママ)は終り、血まみれの地獄の亡霊は姿を消すであろう。帝国主義戦争煽動者どもの野蛮な合唱と、資本主義のハイエナどもの嗄れた叫びを、労働者の古く力強い鬨の声が圧し去る時に。「万国のプロレタリアは団結せよ!」という鬨の声が。」281P
<付録>国際社会民主党の任務に関する指針 ◎
ローザの起草になる文で、スパルタクス団によって採決された。ローザは獄中にあり、その議論には採決し参加していない。インターナショナリズムに関する参照していく文になっていて、これからも援用されていくべき文ではないかと思えます。

 この選集には、編集者・訳者の解説が付けられていません。各巻共通の「付記」があるだけです。ですが、訳者か出版社がつけたと思われる各巻の帯が参考になるので、抜き書きしておきます。
(この巻の帯)
「国際社会主義運動への果敢なる使嗾 ようやく昂じてきた資本主義的帝国主義とその獣性の露呈たる第一次世界大戦に忽然毅然と対峙するローザ・ルクセンブルク。愛国主義的社会民主主義と袂を分かちスパルタクス団結成(1916年)に参加しつつ、インターナショナルなかつ妥協なき階級闘争へ熱情滾らす一巻」



posted by たわし at 03:51| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・田窪清秀・野村修。河野信子・谷川雁訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第2巻(一九〇五――一九一一)』

たわしの読書メモ・・ブログ542
・ローザ・ルクセンブルク/高原宏平・田窪清秀・野村修。河野信子・谷川雁訳『ローザ・ルクセンブルク選集 第2巻(一九〇五――一九一一)』現代思潮社1969
 ローザの学習四冊目です。ローザ・ルクセンブルクの選集二巻目。主要論文だけピックアップして読もうかと思ったのですが、簡単なメモにとどめて全部読みます。
 まず、目次を上げます。
ロシアでの革命
第一幕のあと
「弱小民族」の問題
革命の火照り
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――メーデーに関する討議のなかで/T 一九〇五年九月二一日/U 一九〇五年九月二一日/V 一九〇五年九月二二日――政治的大衆ストライキにかんする討議のなかで
極端な挑発
問題の解決
ドイツ社会民主党マンハイム大会での演説/T 政治的ストライキについての討議のなかで/U 労働組合と党の関係についての討議のなかで
労働組合政策の二つの方式
メーデー
ドイツ社会民主党ロンドン大会での演説/T 挨拶/U 一九〇七年五月二五日の演説/V むすびの言葉
社会主義インターナショナル・シュトゥットガルト大会での演説/T ミリタリズムと国際紛争との問題にかんする委員会での演説
SDPニュールンベルク大会での演説/T 党学校にかんする討議のなかでの演説/U メーデーにかんする討議のなかでの演説/V 予算案承認にかんする討議のなかでの演説
つぎはなにを
種まきの時期
SDPマクデブルク大会での演説/T バーデン州予算承認にかんする討議のなかで/U 選挙権問題にかんする討議のなかでの第百号議案提案理由の説明
政治的大衆ストライキと労働組合/ハーゲンにおける自由労働組合連合の総会での演説
モロッコをめぐって
モロッコ問題のパンフレット
大衆的ストライキ・党および労働組合


さてメモに入ります。(表題の後に来る記号で、○は、巻を通しての帯に各巻の紹介で上げられていた論攷です。◎はその内で、わたしが再読が必要と押さえた論攷。□は○ではないが、重要な論攷。)
ロシアでの革命
 1905年ロシア革命の直後に書かれた文です。
「革命の勝利は、ただの一撃だけで期待できるものではない。」1P・・・長い助走の始まり
「ロシアのプロレタリアートはこの日はじめてひとつの階級として政治の舞台に立った。ついに戦場に姿をあらわしたこの階級こそ、ツアーリズムをロシアから駆逐し、文明の旗をたかくかかげる歴史的な使命をはたすことができる唯一の勢力なのである。」2P
ロシア革命の前史2-4P
「ロシアにかぎらず、いかなる世界においても、自由と社会の進歩にかかわることがらは、すべて、階級意識をもったプロレタリアートの手中にある。われわれはわれわれの任務をはたさなければならない。」4P
第一幕のあと ○
「多数の大衆が行動を起こすにつれて、マルクスのいう大衆の行動がもつ「徹底性」(註『神聖家族』の言)も深められている。」5P・・・運動の中での徹底性の深化
「それは、いまでは有機的な行動能力をもった全体であり、共通の意志と階級意識に結ばれたひとつの政治的階級である。」6P
「いまこそ、この革命的状況を永続させるための社会民主党本来の任務がはじまるのである。ようやくほんとうの革命がはじまろうとしているときに、闘争の終結と敗北しか見ることができないのは、政治的近視眼(ママ)にほかならない。」10P
「ロシアだけでなく、どの国のばあいもおなじであるが、社会民主党は、乳くさい口先だけの革命屋が創造するのとちがって、歴史をうごかす動機や状況を人為的につくり出したりしない。ただ、プロレタリアートの立場から、現在の状況の歴史的意味づけを行い、それからひき出せる帰結を意識化し、それを今後の闘争の動機へ発展させるのである。社会民主党がなしうることは、また、なさなければならないことは、どのような状態であれ、状況をどこまでも利用しくすことなのだ。」11P・・・自然発生性への依拠(レーニン主義からすると、拝跪)
「社会民主主義は、つねにあらゆる個別的要因をこえた最終目的をはっきりかかげている。したがって一局面の直接的勝利や敗北に眼がくらんで、世界の終末を見たりすることは、けっしてありえない。要するに、社会民主党にとって、労働者階級が政治的自由という目的のための手段であったりするわけはない。逆に、政治的自由が労働者階級解放のための手段なのである。」11-2P
「弱小民族」の問題 □
 この論攷はローザのナショナリズム的なとらえ返しで留意する論攷。階級闘争至上主義になっているのでは?
「インターナショナルな労働者階級を資本主義の軛から解放するためには、どうしてもそのまえに、まず、このもっともおくれた近代資本主義国家の中世紀以来の鉄の襁褓を脱がさなければならない。」13P
弱小民族の列挙14P・・・ローザのインターナショナルなところで、ナショナリズムの否定の指向。インターナショナルは民族差別に対するたたかいを抜きにして定立しえるのでしょうか?
「ことばや宗教を異にする労働者が、ツァーリズム妥当のたたかいのために、ひとつに団結したのである。」17-8P
「今日ロシアで市民的自由を擁護し諸民族観の平和を実現するものは、階級意識をもったプロレタリアート以外にありえない。」「ロシアにおいても、市民的自由の問題は、けっしてナショナルな問題にぶつかって崩れてしまうものではない。逆に、ナショナルな問題が健康をとりかえすために、プロレタリアートの革命的階級闘争のなかから生まれる市民的自由が必要なのだ。」19P・・・市民的自由→階級闘争という図式。階級闘争至上主義になっているのでは? 民族問題を位置付け直す必要。
革命の火照り
 ブルジョア民主主義革命の課題として出てくる8時間労働制と社会主義の実現、他の国の影響での運動の速度を速める。
ドイツ社会民主党イェーナ大会での演説――メーデーに関する討議のなかで/T 一九〇五年九月二一日/U 一九〇五年九月二一日/V 一九〇五年九月二二日――政治的大衆ス
トライキにかんする討議のなかで ○
T
 シュミット批判。以前の(日和見主義へ転ずる前の)カウツキー編集の「ノイエ・ツァイト」の編集を巡り、シュミットの党と労働組合の対立の図式に対するローザの批判。シュミットは労働組合主義。
U
労働組合――党の分裂ではなくて、労働組合内部と党の内部の分裂。
V
 日和見主義的な運動への制御の動き――状況も読めない、理論もない戯言
「現在、必要なのは組織化ということではなく、なによりもまず革命的啓蒙精神である。このほうがはるかに大切なのだ。」35P
「今、大衆は闘争をとおして、一歩一歩、組織をかためている。強力な組織がつくられてからでなければ闘争ができないというのは、弁証法(?)を知らぬ、まったくの機械論にすぎない。逆に、組織は、闘争そのもののなかで、階級対立についての明確な認識とともにうまれてくるのだ。」35-6P・・・運動――闘いのなかでこそ育つというローザの運動論
極端な挑発
 ドイツの艦隊法案の議会主義をかなぐり捨てた拡張主義的な動き批判
註でモロッコを巡るフランスとのせめぎ合いでのドイツ政府の和解政策への転換は、「戦いの準備ができていなかった」から、という押さえ。
問題の解決
「プロレタリアートが、革命の指導的な役割をはたす使命をになうのは、その階級的立場から見て、当然である。つぎに、農民よりさきに都会のプロレタリアートの側に立ったのは、陸軍よび海軍の軍隊であった。」42P
「かれらは(日和見主義者は)、革命にともなう外面的な戦闘の騒音に圧倒されて、革命のもつもっとも強力で社会的歴史的にもっとも重要な側面、すなわち革命の政治的教育効果ということを見おとしている。革命によって教育されるのは、プロレタリア大衆のほか、広範囲の農民や小ブルジョア層だけではない。人民大衆のなかで「王のおしきせ」を着ている部分でも、この教育は行われるのである。」43-4P
「あたらしい政治問題や社会問題を投げかけかける革命は、それらの問題解決をすでにみずからの胎内にはらんでいる。ロシアでの革命の経過は、このことをくりかえし証明した。ドイツの支配階級は、現在、新しい陸軍法案や艦隊法によって、亡霊どもを社会の表面に呼び出そうとしているが、やがてかれら自身のこの亡霊どもに手をやくときがくるであろう。ロシア革命は、こうした支配階級にたいする警告であると同時に、われわれの陣営のなかの小心な日和見主義に向けられた警告でもある。」45P
ドイツ社会民主党マンハイム大会での演説/T 政治的ストライキについての討議のなかで/U 労働組合と党の関係についての討議のなかで ○
T
「ロシア革命は、闘争のなかなかから力づよいプロレタリア組織がつぎつぎに生まれ、たくましく成長することを、はっきり証明している。」47P・・・ローザの運動の意義の強調
U
「この問題で(労働組合と党の関係で)、労働組合に直接役立つためといって、われわれが不和をわれわれの隊列にもちこむのは、無責任ではないだろうか。」50P
「党の幹部会が提案しているように、無政府主義的社会主義者を党からだたちに排除するというのなら、われわれが左のほうの限界線をひくことには断乎としてエネルギーを傾けながら、右のほうにいつでもひろく門をあけている、といった悲しむべき例をつくることになってしまう、・・・・・・」50-1P
「アナーギズムは、われわれの戦列における右傾化への反動としての極左なのだ。(「そのとおり!」)アナーキズムの克服にさいしては、意見の相異によって何人も党から排除されない、というあの昔からの組織原則を忠実にまもっていただきたい。われわれは、日和見主義者と正面から対決することによってのみ、これらの人びとの力をそぎ、アナーキズムの運動全体をほり崩すべきだと思う。なぜなら日和見主義者こそ、すべてのアナーキーなはねあがりの温床なのだ。極端な右よりの偏向者をだれも除名しなかったのなら、われわれには極左を排除する権利はない。(さかんな拍手、異議の声)」51P・・・ローザが「極左的」アナーキズムの登場を日和見主義との関係でとらえていること
労働組合政策の二つの方式
 ドイツの比較的待遇の良かった印刷労働者組合(イギリス的体制内化)とロシアの印刷労働者組合の比較、闘いのなかでの一挙の闘う労働者組合化
「革命にしろ、革命的闘争にしろ、もちろんどんな「善意」をもってしても、人為的に他国に移植できるものではない。しかし、すくなくとも卑屈な追従が唯一の救いの道であるというようなくだらぬ信仰は、隣国の革命の範例と教訓にぶつかって、根底からゆさぶられたほうがよい。」57P
メーデー
メーデーを巡る位置づけと変遷。
「メーデーは、国際的なプロレタリア階級闘争の、生きた歴史の一断面である。したがって、そこには、ほぼ二〇年来の階級闘争のあらゆる局面、あらゆる要素が、正確に反映されている。」「メーデーは、プロレタリアの闘いの脈絡を伝えているのだ。メーデーは労働運動とともに生き、したがって労働とともに変化する。メーデーの思想、その気風、その緊張は、階級闘争の諸状況とともに、うつりかわりを示している。」58P
メーデーの歴史58-61P
「おそかれはやかれ避けることのできないこの時期に備えて成長をとげること、みずからの役割と力との自覚をもってこの時期に応ずる準備をととのえること、これこそ現在のプロレタリアートの課題である。大衆の直接的示威としてのメーデーは、そのための一手段にほかならない。」「それと同時に、メーデーのもうひとつの要素が新しい力をおびて前面に現れてくる――すなわち、労働者の問題の国際性である。」60P「しかも今日、万国の労働者の先頭に立っているのはロシアのプロレタリアート、革命の国のプロレタリアートである。ロシア・プロレタリアートの革命闘争、そのさまざまな経験や、かれらが提起した問題は、将来の戦闘にそなえるわれわれにとっても、すぐれた歴史の手引なのである。」61P
「こうして、今年の五月一日は、新たな突風を巻きおこしながら近づいてきた。最初の時期のように、ふたたび、ブルジョアジーは憎悪と恐怖をもってこれをむかえ、労働者大衆はだんこたる闘志をいだいてこれをむかえる。八時間労働制と世界平和のためのプロレタリアのデモストレーションとして出発するメーデー、それはやがてプロレタリア革命のためのデモストレーションとなってゆくだろう。メーデーがこれから向かう道は、下降ではなくて、予想もつかぬような飛躍発展なのだ。この飛躍と発展の担い手は、すでにブルジョア社会の表層を吹きたてている暴風である。この暴風は、われわれをもっとも熾烈な闘いへ、そしてまた決定的な勝利へと導くであろう。」61P
ドイツ社会民主党ロンドン大会での演説/T 挨拶/U 一九〇七年五月二五日の演説/V むすびの言葉 ◎
T
 ロシア革命の評価とロシア社会民主党の統一のための提起
「大衆的ストライキに関するイェーナ党大会の決議は、われわれの党(ドイツ社会民主党)
がロシア・プロレタリアートの闘争から引き出した最初の重要な結論であった。・・・・・・一九〇五年までは、ドイツ社会民主党内では、大衆ストライキに関して絶対否認の態度が支配的であった。党は、大衆ストライキを、純然たるアナーキストのスローガンであり、したがって、反動的で有害で空想である、とみなしていた。しかし、ドイツのプロレタリアートは、ロシアの労働者の大衆ストライキが、ひとつの新しい闘争形態であることを見ぬきはじめた。大衆ストライキは、政治闘争に対立するものではなく、政治闘争におけるひとつの武器として運用されるべきものであり、また、一挙に社会主義体制への移行をなしとげる奇跡の手段ではなく、現代の階級国家において、最も基本的ないくつかの自由を獲得するための、階級闘争の一手段として運用されねばならないものである。」62-3P
「ドイツのプロレタリアートが従来の闘争形態に新しくつけくわえた戦術スローガンは、もはや議会活動をあてにせずに、広範なプロレタリア大衆自身の直接の行動をめざすものである。」63-4P
 一九〇五年以降の歴史64-5P
「ブルジョア自由主義と民主主義は、革命的プロレタリアートに対抗する闘争において、決定的最終的に、反動の側に味方するものとなった。」65P
「プロレタリアートは、ブルジョア国家の民主的な諸形式を擁護して闘う唯一の戦士たることを避けることはできないのである。」66P
「ロシア革命の利害は自分たち自身の問題なのだという意識なのである。ドイツのプロレタリアートがロシアのプロレタリアートに期待するもっとも重要な点は、プロレタリア戦術の拡大と多様化であり、階級闘争の諸原理を全く新しい歴史的状況下に適用することなのである。」68P
 一八四八年革命のマルクス68-70P・・・ブルジョアジーを追い込むブルジョア革命
「現在のロシアにおいて、あなたがたがマルクスと同じ地点から出発してはならないことは明白である。あなたがたの出発点は、一八四九年にマルクスの政策が到達した地点、つまり、プロレタリアートの明瞭な刻印をおびた自主的な階級闘争の立場である。今日ロシアのプロレタリアートは、一八四八年のドイツのような萌芽状態にはなく、ひとつに団結した。めざめた政治勢力である。ロシアのプロレタリアートは、今日の戦闘において、自分たちを孤立した一軍隊と考えてはならない。それは全世界のプロレタリアートをつなぐ国際軍の一部隊なのである。ロシアのプロレタリアートは、自分たちの現在の革命闘争が孤立した局地戦ではなくて、国際規模における階級闘争の全過程のなかでの一大会戦であることを、忘れてはならない。」70-1P・・・ローザのインターナショナリズム
「あなたがたはインターナショナルなプロレタリアートに対して重大な責任を負うているのだ。ロシアのプロレタリアートがその使命の偉大さにふさわしい党であることを示しうるためには、その闘争形態、確固たる態度、目的の明瞭な意識、戦術の幅、などにおいて、全般的な国際情勢の進展を見きわめ、資本主義社会全体が到達している成熟の度合を熟慮することが不可欠であろう。」71P
「ロシア革命は、一九世紀における一連のブルジョワ革命のなかでの最終行動ではなく、むしろ、新たな系列をつくるべき未来のプロレタリア革命の先触れであり、これらの革命指導することは、自覚したプロレタリアートと、その前衛である社会民主党の歴史的役割であることを示させばならぬ。」71P
「ロシア社会民主党がこれらの役割を成功裡になしとげるために、欠くことができないひとつの条件がある。それは党の統一という条件である。」72P
U
 ロシア社会民主党の左右他への批判
「史的唯物論に特徴的な弁証法的思考は、さまざまな現象を、固定したものとしてではなく、運動の状態において考察することを求めている。五八年前にマルクスとエンゲルスによって示された、ブルジョアジーの役割の特徴を引き合いに出して、これをいまの現実に適用するのは、形而上学的な思考のいちじるしい例であり、歴史を生き続けている「宣言」の言葉を、硬直したドグマに変えてしまうものと言わねばならない。」74P・・・教条主義に陥らないローザの思想
「ついに、翌年一月九日、ペテスブルクのプロレタリアートが街頭に出た。そして、この革命で、真の前衛であり、「教師」の使命をおびた者は誰であるかを示した。ブルジョア自由主義の死骸のかわりに、力強い生きた人間が登場したのである。」75P
「自由主義がはっきり肝に銘じなければならなかったのは、ロシアのプロレタリアートは彼らの手先で操ることのできる人形ではないということである。プロレタリアートは、いつもブルジョアジーの身代わりとしてその弾よけになってくれるわけのものではなく、かえってひとつの勢力として、この革命では自分自身の道を進み、行動にさいしては、自由主義者たちの運動とは独立に、自分自身の運動の法則と論理にしたがうものだ、ということである。」76P・・・力をなくして右往左往するブルジョア自由主義
「権力をめざす革命的な自由主義は、現実のロシアには存在しない。ひとびとはわれわれにむかって、この存在しない自由主義に適応するプロレタリアートの戦術をたてよと言い、そのためにプロレタリアートの要求を制限しようとしている。これはまったく空想の産物であり、思いすごしであり、幻影である。(拍手)そして形骸化した図式と幻想的な情勢の上に築かれたこの政策、現在の革命におけるプロレタリアートの特殊な課題を考慮しないこの政策が、「革命的リアリズム」と自称しているのである。」77P
「場あたり的な」の羅列――パリ・コミューンの蜂起77-8P、「あの有名な六月のフランスのプロレタリアートの蜂起」78P、「フランス大革命におけるプロレタリアートの公然たる行動」78P、「「独立した階級としてのプロレタリアートの歴史的な誕生」78P、「さらに、ロシア革命の発展の歴史そのものが、プロレタリアートにとって、こうした「場あたり」を避けることが、問題の性質上いかに不可能なことであるかを、示してはいないだろうか?」78P・・・「場あたり的」ということのなかにおける自然発生性への依拠
 食いつぶしと引き離しというなかでの革命の進行「プロレタリアートはブルジョアジーを喰いつぶして成長し、ブルジョアジーから徐々に自己を解放しながら、かれらをほうむる最後の勝利へと近づいてゆくのだ。とくに、現在のロシアにおいてプロレタリアートがこの戦術を変えることは、だんじてできないのである。」78-9P
「ロシア社会民主党は、現在の状況をいささかも過小評価してはならない。現在の階級闘争が、どんな議会政治よりも、はるかにすばらしい教育的意味をもっていることを理解するには、党の最近の歴史をふりかえってみさえすればよい。一九〇五年までの、あの一月九日までのロシア社会民主党と、今日の党とのそれぞれの実態を思いおこしてみさえすればよい。一九〇五年一月以降半年間の革命運動と革命的ストライキ運動は、党をひと握りの革命家の集まりというひ弱な一セクトから大衆政党に変えた。党の数々の労苦は、階級闘争の「口実」を見つけ出す困難さのためでなく、反対に、巨大な階級闘争によって切り開かれた途方もない活動分野を掌握し、これを徹底的に利用することの困難さのために注がれている。」81-2P
「もちろん、真のマルクス主義は、議会政治の一面的な過重評価から遠く隔たっていると同様に、革命の機械的な把握や、いわゆる武装蜂起の過重な評価かからも遠く隔たっている。この点では、ポーランドの同志たちやわたしたちじしんは、ボリシェヴィキの同志たちと意見を異にしている。」82P「われわれは広範な人民大衆を非合法に武装させるという計画も、また、いわゆる武装蜂起にそなえて、そのための組織をあらかじめこしらえておくという計画も、ともにユートピア的な冒険であると考える。社会民主党の任務は、専制に対する大衆闘争の技術的準備ではなく、その政治的な準備である。もちろん政治的啓蒙は、もっと広範なプロレタリア大衆にむかってなされねばならない。武装した反動勢力と大衆の直接の衝突が、つまり全般的な人民蜂起だけが、革命闘争に決着をつけるのである。そのときはじめて、プロレタリア大衆の勝利が保証される。」82-3P「社会民主党は、革命についての機械的な見方、すなわち党が爆発的な革命行動を「つくり出し」て、これを決戦と「名づける」のだと考えるような見方を、もちろん警戒しなければならないが、しかしそれ以上に、党は、力をつくし、決意をあらたにして、党の戦術の広大な政治路線をプロレタリアートに明示しなければならない。」83P・・・ロシア十月革命を経て、そしてソ連邦の崩壊のなかでの再度のとらえ返し
 戦術における動揺と無定見84P
「マルクス主義は二つの本質的な要素を含んでいる。それは、分析ないし批判という要素と、革命の動因となる、労働者階級の行動的意志という要素である。だから分析ないし批判を行為にうつしかえただけでは、マルクス主義ではなく、それはこの学説のみじめな、片ちんば(ママ、自らの当事者性の「障害」問題さえ押さえていないローザの限界)のパロティにすぎない。」84P・・・実践の理論としてのマルクスの思想
「われわれにそれが可能なのは、プロレタリアートの自主的な革命的階級政策という原理がドイツでは確固不抜のものになっており、党の圧倒的大多数がそれを支持しているために、われわれの陣営におけるひと握りの日和見主義者たちの存在も、かれらの策動も、全く無害だからである。いや、それどころか、討論の自由と意見の多様性とは、運動を大規模にひろげるためには、必要でさえあるのだ。」85P
「この政策の、特殊な、ボリシェヴィキ的形態においてではなく、ポーランド社会民主党が把握し遂行しているような形態、ドイツ社会民主党の精神にもっとも近いあの形態において、すなわち、真のマルクス主義の精神で。」86P・・・ドイツ社民党では議論が成立しているところからのとらえ返し
V
 ローザへの批判への応答、とりわけ農民や小ブルの位置付け問題
「農民階級は反動的小市民的な階層であるという定義を、革命期における農民階級の役割についても、機械的に転用することは、うたがいもなく史的弁証法に対する罪悪である。」90P
「明らかに、目下のロシアにおいては、農民階級の混沌とした運動を政治的に指導し、これを自己の影響下におくことは、自覚したプロレタリアートにとって当然の歴史的課題である。」91P
「プロレタリアートはあらゆる無産者のために闘う戦士となるべき使命をもつ、と語ったマルクスの言葉を思いおこそう。」91-2P
「階級闘争の革命的高揚にともなうプロレタリアートの敗北は、世界を蔽いつくすプロレタリアートの前進運動という総体から見れば、たんにその局所的な、一時的な現象形態にすぎず、最終的に社会主義の勝利にゆきつくためには、これらの敗北が避けがたい歴史的段階であることを、ロシアのプロレタリアートは決して忘れないだろう。」94P・・・敗北の中でつかみ取る運動の前進
社会主義インターナショナル・シュトゥットガルト大会での演説/T ミリタリズムと国際紛争との問題にかんする委員会での演説
 大衆ストライキの意義と戦争テーゼ
「革命をうらぎろうというのでないかぎり、まなぶのをおこたるべきではあるまい。前回のアムステルダム大会(一九〇四)で大衆ストライキの問題が論じられ、大衆ストライキを実現するにはわれわれはまだ未熟で準備不足である、と述べた決議が採択されたが、そのときアードラーが、自信たっぷりに依拠した唯物弁証法が、われわれが不可能と述べたことを、たちまちに実現したのである。わたしはフォルマルに、遺憾ながらベーベルにも、反対せねばならない。われわれの現状からすればこれまで以上のことはなしえない、とかれらは言うけれども、しかし、ロシア革命はどうだったのか。それはたんに戦争を契機として起こっただけではない、戦争を終熄させるのにもあずかってちからがあったのだ。」95-6P
「わたしはマルクス主義者であり、だからこそマルクス主義的見解が硬化した宿命論的な型にはめこまれることを、大きい危険とみなす。」96P・・・まさにスターリンが陥った道
「戦争が起こったばあい、われわれのアジテーションが戦争を終熄させる方向に向けられることのみならず、戦争を利用し、戦争を階級支配一般の崩壊を促進する景気に転化する方向に向けられることをも、のぞむものである。」97P
SDPニュールンベルク大会での演説/T 党学校にかんする討議のなかでの演説/U メーデーにかんする討議のなかでの演説/V 予算案承認にかんする討議のなかでの演説
T
「学校のなかで、党員学生たちとの不断の接触のなかで、しだいにわたしは、このあたらしい施設をたかく評価するようになった。いまは確信をもって言い切ることができる、われわれはあたらしいなにものかを創造した、その効果の全体は展望しくせないが、それは党に利益をもたらすはずのものだ。」98P
「授業プランの筆頭には国際社会主義の歴史がおかれてしかるべきだろう。」99P
「かれらには(アイスナーやマウレンプレッヒャーのような連中)大衆がまるきりわかっていない。プロレタリアートは日常の生活からすでに材料を知っている。「材料」ならアイスナーよりずっとよく知っているのだ。(つよい賛同の声)大衆が必要とするものは、全般にわたる啓蒙であり、理論である。理論こそが材料を体系化して、それを敵の死命を制する武器にきたえあげる可能性を、われわれにあたえる。(つよい賛同の声)党学校の必要性、つまり社会主義理論の理解をわれわれの戦列のなかにひろげてゆくことの必要性を、わたしに確信させたものがあるとすれば、それはほかでもなく、アイスナーの批判である。」101P
U
「これまでのドイツの、またあらゆる国のメーデーの経験の示すところによれば、犠牲者の出るのを予防する道は、ただひとつしかない。それは救援態勢の整備という道ではない。メーデーのできるかぎりの拡大という道である。参加者の数がおよそ処分を不可能にするほどに莫大となるときにのみ、つまり、階級意識をもち組織をもってたたかう労働者階級の現実の力量が、その全力をあげて資本家階級と対決するときにのみ、そのときに資本家階級は、われわれにたいして処分をふりかざすこともできなくなるのだ。」「だからわれわれは参加者の救援方法という問題のみをことこまかにあげつらうことによっては、正しい道を見いだしえない。」103P
「唯一の解決は、あれこれと救援を規約化してみることとはきっぱり手を切って、メーデーの思想を強力にプロパガンダしてゆくことである。」104P
V
「以前からわれわれは、ほとんど毎回の党大会で、原則上のまた戦術上の根本問題について活発な論争をかわしてきた。・・・・・毎年のようにくりかえしている。・・・・・・わたしの考えでは、党がもし修正主義に譲歩するならばひっきょうどんな羽目になるかを今回の討議ほどにするどくはっきりと、まざまざとうかびあがらせた討議は、これまでに例がなかった。」「南ドイツに代表される修正主義的傾向の線を辿ってゆけば、さきゆきわれわれは、ブルジョア的改良政党かフナーキズムか、という二者択一のまえに立たされてしまう、ということである。」105P
「わたしの考えでは、もしわれわれがこれまで主としてちっぽけなポジティフな成果ないしけちな社会会利用によって、支持者たるプロレタリア大衆をあがないとったかのように、事態を想像するとすれば、その想像には、ドイツ・プロレタリア大衆にたいする論外の不当な中傷がふくまれているのみならず、われわれの社会主義の最終目標の魅力にたいする法外な蔑視がふくまれている。」108P
「今後のドイツにおいては、ますます先鋭化していく政治的対立の不可避の結果として、社会改良のポジティフな成果はますます僅少となり、ついには不可能となるだろう。」108P
「もし団結が、民主的な党の絶対多数が多数意見をまとめて全党員を拘束する規約をつくるという基本的な権利を抛棄することによって、あがなわれるものとしたら、そんな団結はまやかしである。かれらの行動に妥協することはゆるされない。党内の団結をまもらなければならぬ。われわれの政治的ならびに組織的な破滅をもたらす修正主義的傾向にたいしては、いまこそつよく呼びかけねばならない、もういいかげんにしたまえ、と。」109P
つぎはなにを ○
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 デモについて
「プロイセンの選挙法の改革は、議会的な手段によって解決されうる問題ではなく、議会外の直接的大衆行動によってのみなんらかの変革がもたらされうる問題である――という認識が、一方に数次にわたるはじめての街頭デモを経験し、他方にプロイセン州議会の選挙法委員会でのいつくかの場面を見てきたいまは、生き生きとしたかたちで確立している。」110P
「われわれの党は、すでに開始されている大衆運動を眼のまえにして、党によって点火されたこの大衆行動を今後どのように指導し前進させてゆくか、明確なプランをもたねばならぬ。」110-1P
「デモというものが有効な圧力となりうるのは、必要ならば先鋭な闘争手段にうったえるぞという真剣な決意と用意とが、デモの背後にひかえているばあいに限られる。だから、街頭デモがその直接の目的を十分に達成しえないことがあきらかないまでは、何よりも必要なのは、以後の行動の明確なプランである。」111P
「この最初の経験は、大衆示威にはそれ自体の論理と心理があること、そしてそのことを計算に加えることが示威を指導しようとする政治家にとっては焦眉の急務であることを、われわれの党に指示し警告しているものといえよう。つまり、政治闘争における大衆の意志の表現は、機械的にいつまでも同一の水準に維持しておけるものではないし、いつまでも同一の形態にはめこんでおけるものでものでもない。それは高揚し、先鋭化し、あらたな、より有効な形態をとってゆくのでなければならぬ。ひとたび点火された大衆行動は、推進されねばならないのだ。指導的な党が、あたえられた瞬間において、必要なスローガンを大衆に手渡す決意に欠けるならば、大衆が一種の幻滅にとらわれることは避けがたい。そうなれば高揚は消え、行動は挫折する。」111-2P
「ベルギー、オーストリア=ハンガリア、ロシアにおける類似した闘争例も、おなじ経験をうらがきする。これらの例のばあいもそれぞれ、大衆行動のなにものにも阻まれぬ高揚と前進が見られ、高揚によってはじめて、行動が政治的効果をもちえたのであった。/さらにもうひとつの事情が、適切な明瞭な警告としてやくだつ。つまり街頭デモ一本槍は、社会民主主義者のとるべき手段としては、事態の進展に追いつけないものとなる、という事情である。」114P     
U
大衆ストライキについて
「原則上の問題としてはすでに、五年まえイェーナでの党大会の正式決議によって、われわれの党は、政治的大衆ストライキはドイツでも適用しうる闘争手段のひとつである、と述べている。」115P
「しかし、現在の大衆運動の過程で大衆ストライキを実施することを可とするものは、とくに大衆ストがいま進行中で拡大中の大衆行動からほとんどおのずからに帰結される、自然な、不可避的な発展段階の行動である、という事情である。・・・・・・しかし、数ヶ月にわたって拡大に拡大をつづけてきた労働者大衆の壮大な示威運動のなかから生まれてくる大衆ストは、そして同時に、いかなる犠牲をはらっても前進するかそれとも継続中の大衆行動をむなしく挫折させるかというジレンマに、三百万人の党が直面させられている状況から生まれてくる大衆ストは、すなわち、めざめた大衆の内的欲求と決断とから、同時に政治状況の激化から生まれてくる大衆ストは、生まれてくる資格を十分にそなえており、また確実な効力をそなえている。」116P
「大衆ストは、それ自身の内的発展・論理・段階・帰結をもっている大衆行動そのものの外的な形態にすぎないのであって、政治状況およびその推移に密接な関連をもっている。大衆スト、ことに短期の一回かぎりの示威ストライキとしての大衆ストは、たしかに、いま進行している政治的大衆行動の最後のことばではない。しかしそれが 現段階における最初のことばであることは、まったく確実である。・・・・・・それでもなお、数百万を指導する党の責任者として、党によって点火された闘争をそれのみがさらに前進させるようなスローガンを、だんことして出してゆく、党に課せられている状況が、現に存在するのだ。」116P
「言うまでもなく、大衆ストのような性格と規模をもつ行動は、組合ぬきで党だけで実現することはありえない。ふたつの組織が協力し団結しておこなう働きかけがなくては、全国的な強大な行動ははじまらないし、行動は強大でなくてはもともとはなしにはならぬ。」117P
「プロレタリアートの大きな大衆運動では、つねに無数の政治的要因と経済的要因とが、結びつきあって作用している。まずふたつの要因を人為的に切りはなし、杓子定規に区別しておこうなどとするのは、むだであり有害であろう。」118P
「現実にはわれわれの組合組織がおかすと見える危険ないし冒険は、ただそう見えるだけだからである。現実には、健全な強力な組織は、先鋭な闘争のなかでのみ確立されるものであり、試練のたびごとにあらたな生命力を生みだして、生長してゆくものだ。」119P
「大衆の直接行動の決定は、大衆自身によってのみなされるものなのだ。労働者階級の解放は労働者階級自体の仕事でしかありえない――という「共産党宣言」のなかのことばは、小さな、個々のばあいにも、指標としての意味をもつ。プロレタリアートの階級党の内部においても、重大な決定的な運動はすべて、ひとにぎりの指導者のイニシャチヴにではなく、党員大衆の確信と決意とに、もとづくものでなければならない。」121P
「あらゆる都市あらゆる地域において、党および組合の同志たちは、現在の状況下の諸問題にたいする態度をきめ、そして組織労働者大衆の意見が全体として聞かれるようにするために、かれらの意見ないし意志を、明確に率直に言いあらわさなくてはならぬ。そしてそれがなされるならば、われわれの指導者たちも、もちろん勇気をふるいおこすだろう。これまでつねにふるいおこしてきたように。」121-2P・・・民衆に領導される「指導者」
種まきの時期 ○
「こうして敵が、われわれのために千べんも土壌を鋤きかえしてくれた。ゲスラーのような人々もめざめさせ、無関心な人々をも怒らせ、怠惰な人々も反省させた。いまこの土壌に、ふんだんに啓蒙の種子をまくことが、われわれの任務である。」123P
「あらゆる成人の、性別にかかわらない、普通・平等・直接選挙権が、まず第一の目標である。」124P
「すなわち、強力な打撃こそ最良の防禦、にしたがってわれわれは、ますますあつかましくなってきている支配者反動の挑発にたいして答えるために、アジテーションの鉾先を転じて、全戦線にわたって、激しい攻撃に移らねばならない。攻撃がもっとも明瞭な具体的なかたちで、簡潔で有勁なかたちで展開されるには、われわれの政治プログラムの第一段をなす要求、すなわち共和制の要求を、はっきりとアジテートしてゆくことが第一だろう。」124-5P
「闘争は、反ミリタリズムや反君主制やそのほかもろもろのプチブルジョア的「イズム」に分散することなく、一貫して反資本主義として生長した。それは、ときに共和制ときに君主制のかくれみのをまとう現体制にたいする、あらゆる奇型ないし形式をとってあらわれる現体制にたいする、不倶戴天の敵であった。ドイツではこんにち、最良のブルジョア共和制といえども現在の君主制におとらぬ階級国家にほかならず、資本主義的搾取をまもる堡塁にほかならぬという確信が、したがってプロレタリアートの状態を本質的に変革しうるものは賃銀方式の廃止のみであり、言いかえればあらゆる形態における階級支配の廃止のみであって、ブルジョア共和制のもとの外形ばかりの「民主政治」ではないという確信が、啓蒙されたプロレタリアの確乎たる財産となっている。このことは四〇年間にわたる徹底的な啓蒙活動の成果であった。」125P
「ドイツのブルジョア自由主義のおそるべき頽廃は、さまざまなかたちで見られるが、君主制への追従という点に、とくに露骨にあらわれているからだ。この点において自由主義ブルジョアは、保守的なユンカー層さえ、いわば鼻ひとつかふたつの差だけおさえて、前に出ている。」「しかし共和制のスローガンの効用は、それだけではない。ドイツの国内政策・対外政策の最近のありかたから見れば、支配的反動の焦点は、ないし少くとも外から見えるかぎりでの尖端は、あきらかに君主制である。個人支配をおこなう半絶対君主制が、うたがいもなく四半世紀以来、そして現在ますます、ミリタリズムの支点となり建艦政策の動力となり、世界政策上の冒険の指導精神となっているし、同時にそれが、プロイセンのユンカー層のとりでとなり、ドイツ全域のなかでのプロイセンの政治的後進性の優位を維持する堡塁となっている。」「このスローガンは、ドイツのミリタリズム・植民地政策・世界政策・ユンカーの優位・プロイセン化にたいする、事実上の挑戦状なのだ。」126P
「不満をもつ人々、搾取になやみ圧政にくるしんでいる人々の尨大なむれば、われわれの集会に、テクノロジーにくわわろうと駆けつけてきているが、かれらにむかってわれわれの語りかけることばは、たんにプロイセン=ドイツの支配的反動にたいする痛烈な批判で終ってはならない。さらに社会主義の福音が、あたらしい社会主義社会の諸原理が、語られねばならぬ。」127P
「もしもわれわれが、現在の激烈な格闘の時期を、大衆をゆさぶりおこして立ちあがらせることにのみならず大衆を啓蒙することに、また味方の兵力を大きく拡大することのみならず大衆の社会主義的な意識を強化し深化することに、十分に利用することができるならば、プロレタリアートの事業は、この大衆運動から、勝利者としての歩をすすめてゆくことになるだろう。われわれは、すでに耕されている土壌のなかに、ふんだんに社会主義の種をまきつけよう。収穫はとおからずわれわれのものとなるのだ――どんなことがあろうとも。」127P
SDPマクデブルク大会での演説/T バーデン州予算承認にかんする討議のなかで/U 選挙権問題にかんする討議のなかでの第百号議案提案理由の説明
T
議会主義者たちの妥協に対する批判
U
 大衆デモと大衆的ストライキについて
「われわれが、戦闘的な大衆を選挙闘争に動員し、力づよいデモストレーションを組織するやいなや、たちまち大衆じしんのなかから、つぎの問いがうまれたのである――「つぎはどうするのだ?」・・・・・・」135P
「プロイセン選挙権闘争をすすめるにあたっては、あらゆる不測の事態に備えなくてはならない。(「そうだ、そうだ!」)われわれは、街頭デモストレーションへ動員した大衆にたいして、さいしょに、明確な、動揺することのない保障を与えなくてはならない――「きみたちは無防備のまま、サーベルをがちゃつかせる野蛮や反動の挑発のまえにほうり出されるのではない。緊迫した情勢のもとでは、挑発にたいして直ちに反撃する手段を、われわれはもっているのだ。その手段とは、ふたたび労働忌避である、政治的大衆ストライキである」」136P
「大衆ストライキの問題について討論すれば、たちまち人為的に大衆ストライキをひきおこすことになるなどという妄想を根絶すること、これまたわれわれの提案の重要な任務である。」137P
「政治的、経済的情勢の成熟から、大衆ストライキはおこるのである。大衆ストライキを実現するための条件がなければ、いくら大衆ストライキについてかぎりなくおしゃべりをつづけたところで、なにもおこりしはしない。」137P
「サンジカリストたちがたえずゼネラル・ストライキをとなえている国フランスは、実際にはもっともまれにしかゼネラル・ストライキがおこらない国なのである。」137P
「これらの点を綜合すれば、あなたがたも、わたしたちがいま言ったような大衆ストライキの宣伝は、大衆を社会主義へと教育するための絶好の教材であることをみとめるにちがいない。」139P
「したがって、大衆に、自己の任務にたいする自覚をうながし、ひとたび情勢が成熟したならば、大衆が、ただ感情的に、怒りをこめて大衆ストライキに参加するだけでなく、政治的に訓練された階級闘争の戦士として、社会民主党の指導のもとに、大衆ストライキの武器を行使するよう、いまから備えておくことは、うたがいもなくわれわれの義務である。」139P
政治的大衆ストライキと労働組合/ハーゲンにおける自由労働組合連合の総会での演説 ◎
「現在の時点では、ドイツの労働組合の集会のテーマとして、大衆ストライキと労働組合、というテーマ以上にアクチュアルなテーマはありえない。」142P
「このたたかいは妻ぐるみ家族ぐるみの、おそらく一〇〇万におよぶ人々の戦いであり、最強の労働組合と思いあがった強大資本とのあいだの、生死をかけたたたかいである。」143P・・・「妻ぐるみ家族ぐるみ」という表現は、ローザが男並みに闘う女性という状況になっているところで、男たちに訴えている性差別的な当時の情況
「現代のプロレタリア階級のたたかいは、本に書かれたような、学説のていさいをととのえた、できあがった図式のとおりに、はこばれるものではない。現代の労働者のたたかいは歴史のひとこまであり、社会発展のひとこまであって、われわれはうごく歴史のなかで、発展のなかで、闘争の方法をまなびとってゆくのだ。・・・・・・莫大なはたらく人民大衆事態が戦闘に立って、じぶん自身の意識から、じぶん自身の確信から、またじぶん自身の理解から、じぶん自身の解放のための武器をきたえあげてゆくのである。」143-4
「われわれのような政治的戦闘者第一にまもるべきことは、時代の発展に一歩たりともおくれぬこと、現代世界の変化を、また、われわれの闘争戦略の変化を、つねにはっきりと究明しておくのをおこたらぬこと、である。」144P
 ストライキの歴史144-6P
アナーキズム批判146-8P
「紋切型のアナーキズムがロシア革命のなかでどのようなかたちで現れたかというと、そのかたちはただひとつであって、ルンペンプロレタリアートの、こそどろやならずものやごろつきの、かつぎまわる看板だったのである。」147P・・・マルクスのルンペンプロレタリアート規定の流れ、犯罪者差別など、現在的に底辺労働者やホームレスの人たちに対する位置づけのし直し
「アナーキストにとっては、大衆ストライキのイデーは、政治闘争のための政治行動とは、まったく正反対のものだったしかし、現在、われわれはかれらとは逆に、大衆ストライキを政治的武器とみなしている。これは人民が政治的な諸権利を獲得してゆこうとするばあいに、もっともよく役にたつ武器なのだ。」148P
「これまでの大衆運動がわれわれに教えているのは、前進の一歩一歩は、街道に進出した強力な労働者大衆の圧力によってかちとってゆくほかない、という事実である。」150P
「支配者どもは、三月六日にはベルリンでやったように、かれらの大砲を、実弾をこめたかれらの小銃を、大衆につきつけたければつきつけてみるがよい。われわれが用意している武器にたちむかうには、大砲もきれあじのいいサーベルも、ものの役にたちはしない。」150P
「だから、政治的大衆ストライキという平和で平穏な武器こそが、もっとも鋭利な武器である。反動的な支配階級があいかわらず気ちがい(ママ)じみたぎまん策をとりつづけるかぎり、われわれがこの武器をとって立ちことは、おそらく必然だろう。われわれは、こんにちの政治的発展のなかでは、基本的な政治的諸権利を獲得するために、ますます大衆ストライキの武器にうったえざるをえない。だからこそ、労働組合運動の政策は、まさにこの方向におしすすめられているのだ。」151P
「いうまでもなく、いまわれわれにむかって意識的、計画的にとてつもない力だめしをいどんでいるのは、資本家たちである。」151P
「こうして資本家や経営者自身が、連合した暴力装置の擁護のもとでロックアウトをかけて、思いのままに大衆ストライキを労働者におしつけることができるとすれば、われわれの組合組織としては、団結権をまもるための闘争がやがて不可能となることを予想して、大衆ストライキの武器の使用を考慮しておくことは、あきらかに緊急の必要である。だからいま、いちばん実践的課題とは、未来のイメージをはっきりつかまえることだ。たしかに、プロレタリア大衆が状況の全体を明確に把握し、かれらの直面している偉大な課題を自覚することによって、大闘争をたたかいぬくだけの用意をととのえればととのえるほど、この闘争に勝利するチャンスが、それだけ多くなるのである。」151-2P
 大衆ストライキを実施することへの日和見主義者の反対意見の内容。@「大衆スト、とくに政治的ストライキをおこなうばあい、われわれはたいへんな冒険をおかすことになる。われわれの労働組合組織はそのために大きな危険にさらされるだろう。激突の結果、われわれの組織はばらばらにくずれてしまうかもしれない。」152PA「われわれはなかまでありながら敵側に組織されている大衆をどうするか、このたいへんな問題をまず解決しておかねばならない。」154PB「われわれは労働組合組織のちからの主因をなすものを、すなわちわれわれの金庫を、資金を、試験台にのせることになるわけだが、どんな組合にしろ、巨大な大衆運動ないし巨大な大衆ストに直面したときに、われわれの組合には十分な資金があるから、幾十万の人間が賃金カットされても、長期にわたってやしなってゆける、とすすんで断言できるような組合は、ひとつとしてない。」155P
これへのローザの反論
@へのローザの反論
「情勢というものは、うごくものだ。たとえ諸条件はおもわしくないにしても、闘争にたちあがらなければ、組織化された労働運動の名誉さえまもれない」152P
「われわれの組織は、たたかいのなかでしか存在しえず、たたかいのなかでのみ生長する。」153-4P
「労働組合組織を強化し拡大するためには、大規模な大衆的な闘争の時期ほどによい時期はない」153P
Aへのローザの反論
「このような懸念を口にする人々は、まさにこの点で歴史の弁証法(?)かれらの主張とは正反対にはたく、ということを認識する必要がある。」154P
「共同の行動にほんとうに意味をもたせるためには、われわれのほうが共同行動の門戸をひろくあけはなち、あけはなった門戸を政治的に活用して、いまなおブルジョア的指導者にひきまわされている大衆に、かれらほんらいの、本質的利害や任務についての理解を、あたえてゆかねばならないのだ。」155P
Bへのローザの反論
「われわれはたんに在庫金額の見地から、政治的大衆ストライキのような巨大な運動を考えることはできない。」「いま、われわれの目前にせまっているような大闘争は、金庫だけをたよりにしては、けっして勝ちぬけない。」「われわれの歴史を見ると、大衆の理想主義に期待して期待がうらぎられたことは、これまで一度もない。大衆は極度の苦難にも耐えぬいた。近代プロレタリアートの解放闘争の過程には、その実例(下線引用者)が無数にありはしないか。」155P「実例」155-7P
「大衆の犠牲的精神を、理想主義をよびおこすためには、くだくだしいことを言う必要はない。現在おこなわれている闘争や、目前にせまっている大衆ストライキのすべてが、ほかでもなく、資本主義からの究極的な解放にいたる、社会主義的な社会体制にいたる、ひとつの必然的な歴史的段階なのだ、ということをくりかえし指摘しさえすればよいのだ。」157P
「同志たち! ロックアウトのひとつひとつが、前進の一歩になる。資本主義体制の柩にまたしてもうちこまれる、一本の釘になるのだ。ロックアウトの方法が、プロレタリアートを負かせる方法でもにないのに、流行していることこそ、現在の社会体制がもはや未来をうしない、あやうくゆらいでいること、別の社会体制に席をゆずらねばならぬことの、よい証拠である。そして、大衆ストライキのひとつひとつは、現体制の除去という方法での一歩前進ではないか? 同志たち、マルクス・エンゲルスの有名な「共産党宣言」の結語は、「プロレタリアートは鉄鎖のほかにうしなうものをもたない、獲得するものは全世界である」と言っているわれわれがいま、まもなくはじまる大戦闘にそなえて武器をととのえているとすれば、労働組合に組織されたプロレタリアのひとりひとりが、使命を自覚して社会民主党にむすびつくことが必要であり、また社会民主党員であるプロレタリアのひとりひとりが、当然ながら社会主義の啓蒙的文献をおのれの血肉とし、組織労働者賭して組合活動をすると同時に、社会主義的な解放のため、確乎とした目的意識をもってたたかうことが必要である。プロレタリアの最後のひとりまでが、われわれのうしなうものは鉄鎖だけであり、獲得するものは全世界であることを理解するときにのみ、われわれはこのことばを旗じるしとして、これからのたたかいを、勝利にみちびくことができよう。」157-8P・・・まさに革命戦争の論理
モロッコをめぐって
 モロッコ問題で、国際主義ビューローが会議を呼びかけているのに、選挙に不利になるとして、応えようとしなかったドイツ社民党執行部に対するローザの批判。
「反動勢力がモロッコをえさにして利を占めようとしていることが予測されるのならば、われわれ自身がそのけちな背景や、そこで問題になるさもしい資本の利害を、できるだけはやく、できるだけ徹底的に人民大衆にむかってあきらかにしてゆくことこそ、かれらのスローガンの効力を無にし、かれらの計略をうちやぶるための、唯一の手段であるだろう。資本主義反動のあらたな攻勢に反撃するわれわれ自身の論究やアジテーションが、どうしてわれわれを敗北にみちびくおそれがあるのか、わけがわからない。」163P
「一八七〇年にベーベルとリープクネヒトは、盲目(ママ)的な愛国主義の荒れ狂う(ママ)なかで平和と人民の友好によせるわれわれの信念を、臆せず公然と語った。」163P
「あやまった態度の決定は、われわれのスローガンの強力さにたいする信頼がまったく欠けていることの結果であるが、同時に他面それは、資本の利害の影響力を平和の保証として過大評価していることの結果でもある。」163-4P
「したがってわれわれの考えでは、世論をしずめるのではなくて、反対に世論をゆりうごかし、いまの世界のこうした冒険にひそんでいる危険を警告することが、社会民主党の責務である。」164P
「国会選挙をわれわれは「すばらしい局面」のなかにむかえていると、喧しく言われている。同時に、この「局面」をなんらかの無謀な行動のために棒に振ってはならない、と忠告する声が、くりかえしきこえてくる。かつてはプロイセンの選挙法闘争が無謀だったが、いまはモロッコのごたごたに反対するアジテーションがそれにあたる、というわけらしい。われわれの考えによれば、「すばらしい局面」なるものは、無思慮な行動によってだいなしになりかねぬような、表面的偶発事態などではない。それは過去数十年にわたるドイツ内外の歴史的な展開の全体の結果である。だから、もしわれわれが、党活動の全体と階級闘争の課題のすべてとを、投票用紙というせまい視野のなかでだけ眺めはじめることさえなければ、われわれはこの有利な「局面」を棒に振ることはありえない。」165P
モロッコ問題のパンフレット
 前の論攷のモロッコ問題で社民党執行部が作った、パンフレットの批判
「戦争の挑発に反対して行動する決意が、はやくから、なんのためらいもなくなされていたら、そしてこのパンフレットがわずか一日か二日のやっつけ仕事でなかったら、おそらくもっと使いようのあるものができていたであろう。ところが数十万の大衆にばらまかれたこのパンフレットは、いまのかたちのままなら、むだ骨おりにちかい、と残念ながらいわざるをえない。」166P
「党のパンフレットは、世界政策の本質やそれと資本主義の関連について、われわれの見解のアルファでありオメガであるものについて、一言もふれていない。国際的な現象としての世界政策は、ぜんぜん問題にもされていないのだ。」「全体にわたっておそろしく浅薄であるためか、社会民主党による大問題の分析というよりは、むしろ社会民主党の床屋政談といった印象をあたえる。」「一般的世界政策が、個別的にはモロッコの紛争がドイツの内的発展、軍国主義、大海軍主義、財政・税務政策、社会政策面における停滞と反動、国内のあらゆる状況の不安定性などとどのように関連しているかについて、少くともふれてみる必要があったと思われるが、しかしパンフレットのどこをさがしても、これにふれたことばは一言もみあたらない。」167P
「さらに党は、プロレタリアートの階級闘争の観点からではなく、むしろプロレタリアートと「有産階級の大衆」とのいわゆる利害の一致を旗じるしにして、資本主義的な世界政策や軍国主義とたたかう役目をもひきうけているのだ!」168P
「ここでは、植民地政策はだれにとっても損のゆく事業だ、というありきたりの図式しかつかわれていない。この図式によると、われわれは、植民地政策がもうからないから、ただそれに反対しているのであり、大衆に植民地政策を嫌悪させるためには、それがもはや実際にもうからないことを証明すればよい。こうした見解の反面として、世界政策にたいするブルジョアジーの利害関係が、直接の現金収入やその日その日のふところ勘定と同一視されている。」169-170P
「パンフレットは植民地の民族や土着民、かれらの権利や利害、世界政策によるかれらの苦悩について、一言ものべていないし、「イギリスのかがやかしい植民地政策」についてはなんども語るが、飢餓によるインド人の定期的な発疹チフス、オーストラリア原住民の絶滅、エジプト農民の背中をうちたたく皮の鞭については、なにひとつ言及していない。パンフレットは、モロッコ問題に関するキダーレンの決定をまるで幼児のように待ちわびているドイツ人の恥ずべき状態について、一言ものべていないし、帝国議会のみじめな役割とその召集の必要性について、君主制の私的統治機構と世界政策におけるその役割について、そして最後に――社会主義とその目標について、一言ものべてはいない!」170P
「このようなパンフレットではわれわれの任務が正しく遂行されないことはたしかだし、また他方、もしわれわれが冷静に徹底的に考え、批判的に吟味しながら、けっしてあわてふためくことなく行動をおこしていたなら、はるかに有用な、よく考えのねれたパンフレットができていたであろうことも疑いない。」170P
大衆的ストライキ・党および労働組合 ◎
 ローザの民衆運動の自然発生性を評価し依拠するというところが如実に表れている論攷
T エンゲルスの大衆ストライキに対する見解のローザの押さえとロシア革命がエンゲルスの見解を乗りこえたこと(覆したこと)
 「大衆ストライキ問題にかんするこれまでの国際的社会主義の著作や意見は、この闘争手段が最大の規模でもちいられた最初の歴史的実験であるロシア革命以前のものが、ほとんどすべてである。したがって、大部分が時代おくれになっていることも明らかだ。これは一八七三年にフリードリヒ・エンゲルスがスペインにおけるバクーニン主義者の革命いじりを批判してつぎのように書いたのと本質的におなじ立場に立っている、と自認している。」172P
エンゲルスの引用172-3P
エンゲルスの文「じつは、ここにおとし穴がある。一方では、とくに大衆が政治にたいして控えめな態度をとっているばあい、政治はそれをかさにきて、労働者が組織や資金を強化することなど許さないだろう。また他方では、プロレタリアートが理想的な組織と巨額の闘争資金をまだととのえていなくても、政治上の事件や支配階級の横暴な干渉をきっかけに、労働者の解放が実現されてしまうかもしれない。しかし、かりにプロレタリアートに組織と資金ができたとすれば、目的を達するためには、もはやゼネラル・ストライキのような廻り道など必要ではない。」173P
これを論拠としてインターナショナルな社会民主主義者がとってきた態度「この論拠は、労働者階級の日常的な政治闘争に反対して社会革命誘発のための手段としてのゼネラル・ストライキを提唱するアナーキストの理論にたいして、真っ向から対決したものであるが、要するにつぎのような両刃論法でいいつくされる――もし、全プロレタリアートにまだ強力な組織と資金がそなわっていないならば、ゼネラル・ストライキを実行することはできないし、他方、プロレタリアートがすでに充分に強力な組織をもっているのならば、ゼネラル・ストライキなど必要ではない、というのである。」173P
このことへのローザの押さえ「この論拠は、たしかにしごく単純なものであり、四分の一世紀ものあいだ、アナーキストの妄想に対抗する武器として、また広汎な労働者層へ政治闘争の観念を浸透させる有効な手段として、近代労働運動にめざましく貢献したのであった。あらゆる近代国家における最近二五年間の労働運動の偉大な発展は、バクーニン主義に反対してマルクスとエンゲルスが強調していた政治闘争の戦術の正しさをりっぱに証明している。そして、ドイツ社会民主党が今日の力量をそなえ、インターナショナルな労働運動のなかの前衛の立場をまもっているのも、じつはこの戦術の徹底的なきびしい適用から生まれてきた結果にほかならない。」173-4P
それらを覆し乗りこえること「ところが、ロシア革命が以上の論拠に根本的な修正を加えるにいたのである。ロシア革命は、階級闘争の歴史のなかで、はじめて大衆ストライキの観念や、さらには――後章で詳述するように――ゼネラル・ストライキの観念を現実にはなばなしく実らせ、労働運動の発展に新紀元をひらいた。もちろん、このことは、マルクスやエンゲルスが提唱した政治闘争の戦術や、また、かれらがアナーキズムに加えた批判がまちがっていた、ということにはならない。反対に、今日、ロシア革命のなかで階級闘争のまったくあたらしいモメントとあたらしい条件をつくり出したのは、マルクス・エンゲルスの戦術やドイツ社会民主党のこれまでの実践の基礎になっていたのと、まったく同じ思考過程であり、同じ方法である。ロシア革命、典型的な大衆ストライキの最初の歴史的な実地試験ともいえるこの革命は、アナーキズムの名誉回復などにけっしてつながるものではない。それどころか逆に、アナーキズムの歴史的精算を意味している。」174P
「プロレタリアートがなんらの政治的権利をもたず、極度に劣弱な組織しかなかった国、いりみだれた混乱した利害をもつ多様な階層の雑多な錯綜、人民大衆の乏しい教育、さらに支配体制側のきわめて残忍な暴力行使、これらすべての条件は、アナーキズムが、おそらくは短命であるとしても、急激な勝利をおさめるのにうってつけと思われた。そのうえ、なんといっても、ロシアはアナーキズムの歴史的発祥地であった。しかしながら、事実は、パクーニンの祖国がかれの教理の墓地にならざるをえなかったのである。ロシアでは、アナーキストは、大衆ストライキ運動の先頭に立たなかった。もちろん、いまも立っていない。」175P
「アナーキズムは、ロシア革命のなかでは、もはや戦闘的プロレタリアートの理論ではなく、反革命的ルンペン・プロレタリアートの看板イデオロギーであるにすぎない。かれらは、革命の戦艦を追ってうようよと集まってくる蚊の一群に似ている。このようにして、アナーキズムの歴史的生命は、ほとんど終りを告げているのである。」176P
「他方、ロシアにおける大衆ストライキは、労働者階級の政治闘争とくに議会闘争を回避して、急転直下、いきなり社会革命にとびこむための手段などではけっしてなく、なによりもまず、プロレタリアートのために、日常の政治闘争の条件、とくに議会闘争の条件をつくり出す手段だったのである。大衆ストライキをもっとも重要な武器としてきたロシアの革命的闘争は、はたらく人民とりわけプロレタリアートが、政治上の諸権利や諸条件をかちとるために行なう闘争であった。この労働者の政治上の諸権利や諸条件が、労働者階級の解放闘争においていかに必要であり、いかに大きな意義をもっているかは、マルクスとエンゲルスがいちはやく指摘したところであり、かれらが第一インターナショナルでアナーキズムに対抗して全力をあげて闘ったのも、まさしくこのためであった。したがって、これまでの大衆ストライキの観念と不可分に結びついていたアナーキズムが、今日では大衆ストライキの実践そのものと対立することになってしまい、逆に、これまでプロレタリアートの政治活動に対立するものとしてつよく非難されていた大衆ストライキが、今日では政治上の諸権利を獲得するための政治闘争のもっとも強力な武器だと考えられるにいたったが、このことはマルクス的社会主義の全教理の基盤ともいうべき史的弁証法の必然的な帰結であるといえよう。ロシア革命が大衆ストライキについてのマルクス主義の古い立脚点に根本的な修正を加えることを余儀なくさせたとしても、そのさい、一般的な方法と観点をあたらしい形態に適合させることで勝利をおさめるのは、マルクス主義者だけである。」176P
U アナーキストの大衆ストライキと自然発生的ストライキ
「かれら(アナーキスト)の「革命的」思考の素材的前提条件としては、ただ二つのことがあるにすぎない。ひとつは、空想的気分、そしてもうひとつは、今日の資本主義の涙の谷から人類を救い出そうとする善意と勇気である。この空想的気分にひたった思弁のなかから、すでに六〇年もまえに、大衆ストライキこそ、よりよい社会へもっとも手近で確実で、もっとも容易な手段である、という考えが生まれていた。また最近では、組合闘争だけが真の「直接的大衆行動」であり、これが唯一の革命的闘争である、といった考えも、このおなじ空想的気分のなかから生じている。とくに後者は、フランスやイタリアの「サンジカリスト」の最新の珍案としてよく知られているものである。これはアナーキストにとって致命的なことであるが、空想的気分にひたって思いついた闘争方法などは、いつも、とらぬ狸の皮算用であり、純然たるユートピアであるにすぎないばかりか、かれらは、このいやしくて醜悪な現実をいささかもかえりみようとしないために、この醜悪な現実のなかでは、革命的な投機性によって、しらずしらずのうちに、実際には、かえって反動のために協力するという結果になっている。」177-8P
「ロシア革命がわれわれに何かを教えるとするならば、それは、なによりもまず、大衆ストライキは、けっして人為的に「行使」されたり、盲󠄃めっぽう(ママ)に「決議」されたり、「宣伝」されたりするものではなく、歴史的必然性をもって、一定の契機ののもとに、社会的諸条件のなかから生まれてきたひとつの歴史的現象である、ということであろう。/それゆえ、問題を的確にとらえ、討議するためには、大衆ストライキが可能であるとか、不可能であるとか、有用であるとか、有害であるとか、抽象的に思弁をもてあそぶことではなく、階級闘争の現段階で大衆ストライキが起きた契機と社会的諸条件を追究するほかない。換言すれば、願望の見地から大衆ストライキに主観的判断をくだすことではなく、歴史的必然の見地から大衆ストライキの源泉に客観的な検討を加えることが必要なのである。」180P(下線は、本文では斜め傍点、以下同様)
「いまでは、大衆ストライキは、ドイツをはじめインターナショナルな労働者階級のいきいきした関心の的になっている。なぜなら、これは、まったくあたらしい闘争形態であり、つまり階級闘争の条件のふかい内的な変化の確実な徴候となっているからである。ドイツのプロレタリアートが――組合指導者の頑迷な抵抗などを無視して――このあたらしい問題にきわめてつよい関心を示しているのは、かれらの健康な革命的本能といきいきとした知性を証明している。」181P
「イェーナ大会の決議の核心は、ドイツの現状では国会議員選挙権にたいする反動的支配層のやみうちがかならず嵐のような政治闘争の時期への契機と合図になるであろうし、そのときにはドイツにおいても、闘争手段としての大衆ストライキがはじめて使用されるようになるであろう、ということである。」181-2P
「イェーナ大会の決議のなかで、ドイツ社会民主党は、ロシア革命がプロレタリア階級闘争のインターナショナルな条件におよぼした根本的変化を公式に承認し、階級闘争のきたるべき局面でのあらたな要求にたいして、党には適応能力と革命的発展能力があることを表明したのである。ここにイェーナ大会の意義がある。」182P
V ロシアにおける大衆ストライキの歴史
 ドイツとロシアの比較。ドイツにおける政治ストとして計画、更に大衆ストライキ182-3P
 ロシアにおける大衆ストライキの概略183-4P
「ロシア・プロレタリアートの内面的、政治的発展をしっているものは、だれでも、現在の大衆闘争時代の歴史が、このペテルスブルクでの一連のゼネラル・ストライキにはじまったものであることを認めるだろう。このゼネラル・ストライキは、その後さまざまな大衆ストライキのあらゆる主要なモメントを萌芽としてふくんでおり、すでにそれだけでも大衆ストライキ問題にとって、きわめて重要なものである。」184P
一八九六年のペテルスブルクのゼネラル・ストライキ184-6P
「・・・・・・一八九六年の最初のゼネラル・ストライキ以来、ロシア国内に激しい労働組合闘争がはじまったことである。この闘争の波は、ペテルスブルグからやがて他の地域にひろまり、社会主義のアジテーションと組織化に、まったくあたらしい局面をひらき、それによって、その後の、表面上は墓場のように静まりかえってしまった時期にも、地下運動を通してプロレタリア革命を準備することになった。」186P
 一九〇二年の三月のコーカサス地方での革命186P
 一九〇二年一一月、最初の真に革命的な反響としてのドン河畔のロストフのゼネラル・ストライキ186-7P
 一九〇三年春のゼネラル・ストライキ187-90P
「偉大な革命のながれがこの偽りの旗をかかげた小舟を方向転換させ、否応なく革命的プロレタリアートの小艦隊の先頭に立たせたのである。」188P
「ストライキ中の鉄道労働者は、ただちにこの二名の釈放を要求したが、受けいれられなかったので、列車を市から出さないとことを決議した。停車場にはストライキ中の労働者が全員家族をつれて線路に座りこんだ。それは、まるで人の海だった。かれらは、一斉射撃の警告をうけると、胸をひらいて「射て!」と叫んだ。銃弾は無抵抗に座っている群衆にあびせられ、婦人や子どもをまじえた三〇から四〇の死体が地上に横たわった。この知らせが伝わると、キエフ全市は、その日のうちにストライキに起ちあがった。群衆は、虐殺された人々の死体を抱きあげ、大衆行進をはじめた。」189P
「ニコライエフでは、軍隊が演習のために町から出てゆくまで運動の開始を見合わせよう、という社会民主党委員会の反対にもかかわらず、・・・・・・」189-90P・・・党の抑止をはねのけて民衆は進む、ほとんど自然発生性としての進展、ロシア十月革命のレーニン――トロッキーの武装蜂起を例外として。
「部分的な経済闘争やちょっとした「偶発的」な事件の無数の小さな水路から、革命は、合流して、たちまちのうちに大海原と化し、帝政ロシアの南部全域を数週間にわたって奇怪な革命的労働者共和国に変えてしまった。」190P
 一九〇四年の初めの戦争の勃発と大衆ストライキ運動の休止期190-1P
「こうして数年間、ブルジョア自由主義が政治の舞台の前面を占領し、プロレタリアートは、影の部分に追いやられていた。」191P
 一九〇四年一二月、バクーのゼネラル・ストライキから一九〇五年一月のペテルスブルクの大衆ストライキ191-6P
「プティロフ工場の二人の労働者が合法的なズパトトフ労働者同盟のメンバーであるという理由で馘首された。この処置が一月一六日、この工場の一二〇〇〇の全労働者の連帯ストライキをひきおこしたのである。」「ペテルスブルグのプロレタリアートとの革命的連帯こそゼネラル・ストライキの原因であり目的であることが強調された。」192P
「このばあいでもまた、あらかじめ組まれた計画や組織的な行動が、まず存在していたとは言えない。なぜならば、諸政党のアピールは、大衆の自然発生的高揚とはほとんど歩調をあわせることはできなかったし、指導者たちは嵐のように進むプロレタリアートの大群衆のためにスローガンをつくろうとしても、とうていおいつけなかったのである。さらに、いままでの大衆ストライキやゼネラル・ストライキは、個々に発生して合流した賃金闘争からおこったものであって、革命的情勢の一般的気分と社会民主主義的アジテーションの影響によって、賃金闘争が急速に政治的な示威行動に成長した。経済的契機と組合の分散的状態が出発点であり、包括的な階級行動と政治的指導はその結果であった。しかしこんどの運動は、ちょうどその逆である。一月から二月にかけてのゼネラル・ストライキは、あらかじめ社会民主党の指導のもとに革命的な統一行動として起こされた。」192-3P
「この闘争は、あらゆる小ブルジョア的自由職業――商店員、銀行員、技術者、俳優、芸術家――をとらえ、また家僕、下級警察官からルンペン・プロレタリアート層にまで浸透し、同時に都市から田舎へ流れこみ、兵営の鉄門さえも打ち砕いたのである。」193P
「計画と図式による「整然とした規律のある」闘争を愛好する連中の理論、とくに、遠くから「いかになさるべきであったか」を見きわめることができると自認している連中の理論によれば、一九五〇年一月の政治的ゼネラル・ストライキが無数の経済闘争へ四分五裂したことは、明らかに「大きな誤算」であり、そのためにあの大行動は「衰退」し、「燃えあがった藁の火」のような一時の興奮におわってしまったのだ、ということになるロシア社会民主党は、革命に参加したのであって、革命を「創造」したのではない。革命の法則は、革命の過程そのもののなかではじめて学びとられるものなのだ。たしかに、社会民主党も、ゼネラル・ストライキの当初の激浪がなんらめざましい成果もなく潮のようにひいてしまったので、一時は困惑におちいった。しかし、このいわゆる「大きな誤謬」をおかした歴史は、お節介な学校教師の推論などにおかまいなく、じつは、このとき、不可避的であると同時に、その結果を予想することもできないほど大きな革命の偉業をなしとげたのである。」193-4P・・・党の後衛的性格
「ペテルスブルグ事件の強力な衝撃をうけて、一月にとつぜんおこなわれたプロレタリアートの一斉蜂起は、外に向かっては、絶対主義にたいする革命的宣戦布告を意味する政治行動であった。しかし、この最初の全面的、直接的な階級行動は、電気衝撃のように、幾百万の人びとにはじめて階級的感情と階級意識を呼びさまし、この意味で労働者階級の内部にきわめて強力な影響をのこした。幾百万をかぞえるプロレタリア大衆にとって、これまで数十年間資本主義の鎖にしばられて辛抱してきた自分たちの社会生活、経済生活の耐えがたさが、とつぜん痛切に意識されるようになったのは、この階級的感情のすみやかな覚醒のあらわれであった。ここから、この隷属の鎖をゆさぶり、ひきちぎろうとする全労働者の運動が自然発生的におこってくるのである。近代プロレタリアートのかぎりない痛苦は、かれらに血のとまらない古傷を思い出させた。」195P
「経済闘争も、ここでは、実際上、行動の崩壊や分散ではなく、たんに戦線の移動にすぎない。すなわち、絶対主義にたいする最初の全面的衝突が急速かつ自然に資本との総決算に移行したのであり、このたたかいの性格にふさわしく、個々の分散的な賃金闘争の形態をとったのである。政治的階級行動は、一月にゼネラル・ストライキが経済的ストライキに分散したから崩壊したのではない。むしろ逆である。与えられた情勢と与えられた段階のもとで可能な政治行動の中身を使いはたしてしまったのちに、政治的階級行動は経済的活動に分散し、いや、むしろ転化したのだ。」195P
「絶対主義は、ロシアでは、プロレタリアートによって打倒されねばならない。しかしそのためには、プロレタリアートが高度の政治教育と階級意識をもつことが必要である。これらの条件は、しかし、パンフレットやリーフレットの類いよって充たされるものではない。生きた政治の学校、つまり、現実の闘争から、そしてその闘争のなかでのみ、革命の発展過程のなかでのみ、習得できるのである。さらにまた、絶対主義は、「充分」な「努力」と忍耐がありさえすれば、いつでも打倒できるというものではない。絶対主義の没落は、ロシアの社会の社会的・階級的発展のたんなるあらわれにすぎないのである。」195P
「革命の社会的過程の底をながれる多様な底流は、たがい交錯し、堰きとめあい、革命の内的矛盾を増大しながら、それによって結局は爆発を促進し、また爆発の力を相乗的に増大するにいたるのである。」196P
「絶対主義の打倒というという、外見上はきわめて明白でまったく機械的なこの問題は、しかし、このようにひとつの長期的な社会的過程の全体を必要とし、社会的な土台の完全な掘りかえしを要求するのである。最下位のものが上位に、最上位のものが下位に置きかえられ、外見上の「秩序」は混沌に、外見上の「無政府的」混沌はあたらしい秩序に転化する。」196P・・・運動のドラスティク性
一九〇五年春から夏の経済闘争の時期
「賃労働と資本のますます激化した全面的相互対立は、人民諸階層ならびにブルジョア諸階層の境界をはっきりと区分するために、また、革命的プロレタリアートとならんで自由主義的および保守的ブルジョアジーの階級意識をつくり出すために、ひとしく役立ったのである。都市の賃金闘争が強力な専制主義的モスクワ産業党の結成に寄与したのも事実であれば、リヴォニアの激しい農民蜂起の焔が有名な貴族的農本主義のゼムストヴォ自由主義を急速な破綻に導いたのも事実である。」196P
「社会民主主義の活発なアジテーションと指導によって、おくればせながら都市プロレタリアートに一月のプロローグの全教訓を身につけさせ、革命の今後の課題を明確に把握する可能性を与えた。しかし、これと関連して、なお、永続的な社会的性格をそなえた他の成果があらわれている。すなわち、経済的、社会的、知的、各面にわたるプロレタリアートの生活水準の全面的向上である。」197P
「このような、外から見れば革命の停滞期とみえる時期に、実際は、ロシア全土の内部において、革命の偉大な地下運動が、連日、休みなくつづけられているのだ。たえまない、はげしい経済闘争は、急速な近道をとおって、原始的蓄積ないし家父長的掠奪農業の段階から近代文明の段階へ資本主義を移行させた。現在では、ロシアの産業の実際の労働時間は、一一時間半労働を決めているロシアの工場法よりも前進しているだけではない。ドイツの現実の状態をすでに追いこしてしまっている。」199-200P
「今日は八時間労働、明日は大量ロックアウトと数十万の労働者の飢餓。このはげしい急速な革命的上昇と下降のなかで、永続的であるがゆえにもっとも貴重なものは、革命が与える精神的影響である。プロレタリアートの飛躍的な知的文化的成長、それが政治闘争や経済闘争のなかでの、かれらのたえまない前進のための確かな保証を提供するのである。しかし、それだけではない。労働者と経営者の関係そのものが顛倒することを忘れてはならない。一月のゼネラル・ストライキ、およびそれにつづいた一九〇五年のストライキは、資本家的「家父長支配」の原則を事実上撤廃させた。すべての重要な産業中心地の大工場では、労働者委員会の制度がおのずから設けられ、この機関だけが経営者と協議し、あらゆる争議を解決した。最後に、もっとも重要なことがある。すなわち、外見的には混沌としたストライキであり、「無組織的」な革命的行動と見えるものが、一月のゼネラル・ストライキ以来、熱狂的な組織活動の出発点になったことである。歴史は、ドイツ労働組合という幸福の家の戸口で、気むずかしい顔をして見張り番をしている官僚的俗物どもの鼻を、遠くから笑いながら、つまんでみせた。万一、ドイツで大衆ストライキのこころみがおこなわれるようなことがあるとすれば、そのばあい、絶対不可欠の前提条件として、あらかじめ組織を難攻不落の砦のようにかためておかねばならない、と言われているが、このような堅固な組織は、ロシアでは、逆にむしろ大衆ストライキのなかから生まれてきたのである。またドイツの労働組合の守護者たちは、たいてい、革命の旋風のなかにまきこまれると、組織は貴重な陶器のようにこなごなに砕けるのではないか、と懸念しているが、ロシアの革命は、それとはまったく反対の光景をわれわれに見せてくれた。大衆ストライキと市街戦の旋風と嵐のなかから、火焔と閃光のなかから、労働組合は、ちょうどヴィーナスが波のあいまからあらわれるように、生まれ出てきたのである。新鮮で若々しく、力づよくはれやかに……」200-1P
組合の形成201-5P
「このようにして、一月のゼネラル・ストライキに端を発し、今日になってもまた終わらない、この大きな経済闘争は、革命の広大な背景を形成して、外にあらわれたさまざまな事件とアジテーションとを相互に関連させながら、あるときは、いくつかの地点で個々の爆発をひきおこし、またあるときは、大規模なプロレタリアートの一斉行動をもたらしたのである。そして、この背景のなかからつぎつぎに、はげしい焔が燃えあがった。」205P
 一〇月のペテルスブルグの八時間労働の強行をともなう実験「この八時間労働制は、そのときまで出来高賃金制のもとで一一時間労働していた組織労働者にとって、いちじるしい賃金低下を意味した。だが、かれらはすすんでこれを受けいれたのである。こうして、一週間のうちに、八時間労働制は、ペテルスブルグのあらゆる工場、あらゆる職場を制し、   労働者のよろこびは限りないものであった。」206P
その後のストライキ206-8P
「しかし、その間、一〇月には、ブリギンの提出した国会法案にたいする回答として、第二回目の強力な全面的大衆ストライキが、鉄道従業員を先頭にして帝政ロシア全土にひろがった。この第二回目のプロレタリアートの革命的大行動は、一月の第一回目のものとは、すでに本質的にことなった性格をそなえている。政治意識という要素がこんどは、はるかに大きな役割を演じていたのである。」206-7P
「みじかい憲政の夢とおそろしい覚醒のあとの騒然たる情勢は、ついに一二月、帝政ロシア全土にわたって、三度目の全面的大衆ストライキを爆発させるにいたった。このときは、経過も結果も、前二回のばあいとは完全にことなっていた。政治闘争がもはや一月のときのように経済闘争に急激に分散することはなかったが、一〇月のときのように迅速な勝利をおさめることもなかった。」207P
「こんどの大衆ストライキはあからさまな蜂起に転化し、モスクワでは武装労働者によるバリケード戦と市街戦が見られた。モスクワの一二月は、政治行動と大衆ストライキ運動の上昇線の絶頂に達したまま、多事多端だった革命の第一年をとじたのである。」207-8P
「モスクワでの事件は、同時に、全体としての革命運動の論理的発展の現在のすがたと未来を示す、ひとつのテストケースであった。すなわち、革命運動は、不可避的にあからさまな一斉蜂起によって一応の結末に達するが、しかしこの一斉蜂起といえども、その前提となる一連の部分的蜂起を通らなければ、現実には起こりえない、ということを示している。そしてこれらの部分的蜂起は、それが部分的であり過渡的であるがゆえに、一応は外からみて部分的「敗北」に終わり、個々別々にとりあげて考えると「尚早」であったように見えるかもしれないのである。」208P
 一九〇六年ドゥーマをめぐる動きと空白208-9P
「自由主義者の幕間劇は終わったが、プロレタリアートの劇はまだ再開されていない。舞台はしばらく空いたままである。」208-9P
W 大衆ストライキの生命をもった躍動
「この歴史(ロシアにおける大衆ストライキの歴史)を一瞥しただけでも、ドイツで通常なされている議論とはかけらほども似ていない光景が見えるはずである。最高委員会の決定にもとづいて慎重な計画のもとに実施される政治「行動」などという、ひからびた図式ではない。大衆ストライキとは、そんな硬直した空疎な図式ではなく、血と肉をそなえた、脈動するひとつの生命なのだ。それは、革命の巨大な骨組から切りはなすことのできないものであり、また逆に、無数の血管をとおして、革命の末端にまでむすびついている。」209P
「ストライキ行動こそ、革命の脈動であり、もっとも強力な歯車なのだ。ひとことで言えば、ロシア革命に見られるような大衆ストライキは、プロレタリアートの闘争の効果をたしかめるためにぬけめなく考案された策略や手段ではなく、プロレタリア大衆の運動方式であり、革命のなかでもプロレタリアートの闘争の現象形態である。」210P
 大衆ストライキ問題を評価するための四つの一般的観点
一、 個別的示威行動と有機的に結合されたストライキ
「大衆ストライキを一個の行為ないし個別的行動と考えることは、完全な顛倒である。大衆ストライキは、むしろ、幾年、幾十年にわたる階級闘争の長い道程をあらわす指標であり、ひとつの集合概念である。」210P  個別的政治的活動的な例として210-1P
「純粋に政治的示威的ストライキが演じる役割は、あくまでも副次的なものであり、いわば巨大な平面と平面のあいだに囲まれた個々の小さな点の役割にすぎない。・・・・・・示威的ストライキは、闘争的ストライキとはちがって、きわめて高度の、党派性をもった規律と意識的な指導と明確な政治思想を見せてくれるものであり、したがって、図式どおりにゆけば、大衆ストライキとしては、最高の、もっとも成熟した形態であるはずなのだが、現実には、運動の初期にはたす役割がいちばん大きい。」211-2P 例として212-3P
「労働組合ケルン大会で「びっこの駄馬」(ママ)と名づけられたメーデーではあるが、・・・・・・」212P・・・ローザのまさに当事者性の問題なのに!?
二、政治的要因と経済的要因の関係
「今日のロシアにおけるプロレタリア的行動の本来の担い手である闘争的ストライキをしっかり観察してみると、このストライキのばあい、経済的要因と政治的要因をはっきり切りはなすことなど、とうてい不可能であることが、おのずからわかってくる。ここでもまた、現実のすがたから遠くへだたっているのである。純粋に政治的なストライキを論理的には労働組合的ゼネラル・ストライキから演繹し、そのもっとも成熟した最高の段階であるとしながら、同時にこの二つをはっきり区別しておこうとするペダンチックな見解は、ロシア革命の実際の経験によって根本的に否定された。」213P  例として213-4P
「運動は、全般的に見て、たんに経済闘争から政治闘争へという方向にすすんでいるのではなく、逆のばあいもある。大規模な政治的大衆行動は、いずれも、政治的な面で行けるところまで行きついてしまうと、あとはきわめて雑多な経済的ストライキに急変してしまうものである。このことは、大規模な大衆ストライキのひとつひとつについて言えるばかりでなく、革命全体にもあてはまる。政治闘争が拡大し、明確なかたちをとり、強化されていくにつれて、経済闘争のほうも、後退するどころか、むしろ政治闘争と歩調をあわせて、拡大し、組織をかため、強化されてゆく。両者のあいだには、完全な交互作用が存在するのである。/政治闘争のあらたな盛りあがりとあらたな勝利は、つねに経済闘争の強力な動因に転化し、経済闘争が起こりうる外的条件をつくりあげる一方、自分たちの状態を改善しようとする労働者の内的要求や労働者の戦闘意欲をたかめるものである。政治行動のあわだつ波のあとには、かならず、地味を肥やす沈殿物がのこり、ここから、経済闘争の無数の芽がもえでてくる。こんどは、逆のばあいを考えてみよう。労働者と資本の、やむことのない経済的戦争状態は、すべての政治闘争が休止しているときにも、闘争のエネルギーを持続させ、いわば、プロレタリア階級の活力をつねにみずみずしくたたえた貯水槽となって、政治闘争にたえず新鮮なちからを供給している。経済的側面においてたゆまず続けられているプロレタリアートの鑿岩工事は、たえず個々の地点で尖鋭な衝突をひきおこしているが、予知できない大規模な政治闘争も、こうした個々の衝突のなかから爆発するのである。/ひとことで言えば、経済闘争は、政治闘争のひとつの結び目からつぎの結び目への媒介者であり、政治闘争は、経済闘争の土壌をゆたかにするための周期的な施肥である。原因と結果は、ここでは、あらゆる瞬間にその位置をかえる。したがって、大衆ストライキ時代の経済的契機と政治的契機は、ペダンチックな図式が主張するように、きれいに分離したり、排除しあったりするものではなく、むしろ。ロシアでのプロレタリア階級闘争のもつ、からまりあったふたつの面をかたちづくっているのである。そしてこの両面の統一体こそ、大衆ストライキにほかならない。」214-5P・・・経済的契機と政治的契機の相作性
三、大衆ストライキと革命
「ロシアでの経過は、大衆ストライキが革命から分離できないものであることを教えている。ロシアでの大衆ストライキの歴史は、そのままでロシア革命の歴史にほかならない。」215P
「革命を市街戦や暴動、すなわち「無秩序」という観点からのみ眺めようとするのは、警察の立場にほかならない。科学的社会主義の立場は、これとことなり、革命を、なによりもまず、社会の階級関係の徹底的、根本的な顚覆であるとみなしている。」216P
「階級社会の厚い壁と社会的基盤がゆらぎ、たえず変化しはじめる革命の時代であれば、プロレタリアートがおこなういかなる政治階級行動でも、従来無関心だった労働者層をまたたくまに傍観的な状態から奮起させることができる。」217P
「大衆ストライキという表現形態をとりながら、経済闘争を政治闘争に、政治闘争を経済闘争に直接転化することのできるような社会的条件は、革命によってはじめてつくり出せるのである。」217P
「現実には、大衆ストライキが革命を生むのではなく、革命が大衆ストライキを生み出すのである。」217P
四、大衆的ストライキの指導のイニシャチヴの問題
「大衆ストライキが個々の行動ではなく、階級闘争のひとつの時期全部を意味し、また、この時期が革命の時期と一致しているという以上、かりにきわめて強力な社会民主党の最高機関が決定をくだしたとしても、大衆ストライキが任意にひきだせるものでないことは、明らかである。自己の判断にもとづいて革命を演出したり、とりやめたりする決定権が社会民主党の手中にないかぎり、社会民主主義者の諸集団がいかに大きな情熱をもち焦燥感にかられているとしても、それだけでは、とうてい、ほんとうの大衆ストライキの時代を力づよい生きた民衆運動として展開することはできない。」217-8P
「ほんとうの革命的ストライキの時代からは区別されるべきものである。たんなる規律と情熱のなかから生まれた大衆ストライキは、せいぜいのところ、ひとつの挿話として、つまり労働者階級の戦闘機分のあらわれとしての役割をはたすだけで、ストライキがすめば、状況はまたもとの平和な日常性のなかに逆もどりしてしまうのである。」218P
「ロシアでのすべての大衆ストライキにおいて、推進力としてであれ、抑圧力としてであれ、例外なく自然発生的な要因が大きな役割を演じた。これはロシアの社会民主党がまだ若く、弱体だからではない。ひとつひとつの行動において、予測できないきわめて多くの経済的・政治的・社会的要素、全般的・地方的要素、物質的・心理的要素が同時にはたらいており、どのひとつの行動をとってみても、計画問題のように式を立ててかんたんに解くことなど、とうてい不可能である。革命とは、社会民主党を先頭にプロレタリアートが指導的な役割を演じているばあいでも、けっしてプロレタリアートの野外演習のようなものではなく、すべての社会的基盤を休みなく粉砕し、解体し、移行させつづける、はげしい不断の闘争なのである。要するに、ロシアの大衆ストライキにおいて自然発生的要因が主要な役割を演じたのは、ロシアのプロレタリアートが「無教育」だったからではない。革命というものが教師づらをゆるさないからである。」219P
「革命の時代そのものが、この一見どうしようもない難問を解決してしまうとは、いったいどういうことなのか。それは革命と同時に大衆のなかにあふれんばかりの理想主義が呼びさまされ、いかに激烈な苦痛をもわすれさせてしまう、ということにほかならない。」220P
「社会民主党は、革命時代のさなかにおいてもやはり政治的な指導はひきうけねばならない。闘争にスローガンと方向を与え、政治闘争の戦術をりっぱにととのえることが、このばあい、大衆ストライキの時期における「指導」のもっとも重要な課題である。つまり、党は、プロレタリアートの内在している力、すでに発現し活動しはじめたすべての力が、闘争のあらゆる局面、あらゆる時点で現実の力となり、しかも、その力が党の戦闘態勢のなかで発揮されるようにしなければならないし、また、党の戦術を、果断さと尖鋭さという点から見て、けっして実際の力関係の水準以下に立てることなく、むしろこの力関係に先行させなければならない。こういった指導は、もちろん、ある程度まではおのずから技術的な指導に変化する。社会民主党の、断乎として前進をめざす首尾一貫した戦術は、大衆に信頼感と自信と闘争意欲をよびさますものだし、逆にプロレタリアートの力の過小評価にもとづいた、不確かな弱々しい戦術は、大衆をまどわし、意志消沈させてしまうものである。」221P
X ロシアの教訓のドイツへの適用(違いの強調への批判)
 まず一般的に押さえられていること222-3P
「ロシア革命では政治闘争と経済闘争のあいだにきわめて密接な内的連関があり、この二つを統一する表現形態が一連の大衆ストライキであった。しかし、これは、たんにロシアの絶対主義から生じた結果なのではあるまいか。労働運動のあらゆる形態とあらゆる表現が禁止され、ごく単純なストライキでさえ政治的な犯罪とみなされてきたような国である。経済闘争がつねに政治闘争になってしまうのは、論理的に当然の帰結といえよう。」「ロシアの労働者のいままでの生活水準がきわめて低く、しかもこの労働者の状態を改善するために、まともな経済闘争がひとつもなされていなかった、というロシアの状況のたんなる結果なのだ。」「ロシアが政治的に立ち遅れていて、なによりもまず東洋的専制主義を顚覆する必要があったわけだし、他方から見れば、ロシアのプロレタリアートに組織と訓練が欠如していたとも言えるのである。」222P  
問題の順次考察223-30P
「ロシアでの経済闘争が革命と同時にはじまったとするのは、根本的にまちがっている。」223P「革命前の帝政ロシアのプロレタリアートが例外なく窮民の生活状態にあったという観念にも、かなりの誇張が含まれる。」224P
 ロシアとドイツの差異の検証として、ドイツ側の検証225-30P
「ドイツの労働者の実際の生活水準のほうをすこしつっこんで眺めるならば、両者の差異はさらに小さなものになる。」225P ドイツの「鉱山労働者の窮乏」225P「繊維労働者の窮乏」「家内労働者の窮乏」「既製服仕立工の窮乏」「電気労働者の窮乏」「鉄道従業員と郵便従業員のかがやかしい窮乏」226P「農業労働者の窮乏」228P
「われわれが、労働組合に組織された種々の工業部門や手工業部門の一覧表から眼を転じて、完全に労働組合闘争の外側におかれているプロレタリアートとか、あるいはかれらの特殊な経済状態を労働組合の日常闘争の狭い枠のなかにおしこめきれないでいるプロレタリアートの大群を眺めるならば、ドイツのプロレタリアートがロシアのプロレタリアートにたいして経済的に優位に立っているなどという俗説は、いちじるしく形を変えねばならぬはずである。」228-9P
「革命的な情勢から生まれた、工業プロレタリアートの真の強力な仮借ない闘争ならば、どん底の階層もただちに反応し、正常な泰平な時代には労働組合の日常闘争の圏外に立っていたすべての労働者階級が、嵐のような全面的経済闘争にまきこまれてゆくことは疑いない。」229P
「詳細に検討するならば、現在の革命のなかでロシアのプロレタリアートがおこなっている経済闘争のすべての問題点は、ドイツのプロレタリアートにとってもまた、きわめてアクチュアルであり、労働者としの存在の傷口にふかく触れるものばかりである。」230P
「経済闘争と政治闘争の交互作用は、ロシアにおける今日の大衆ストライキの内的原動力であると同時に、プロレタリアートの革命的行動のいわば一種の調整機関となっているが、ドイツでも、これは状況そのもののなかから、ごく自然的なかたちで生じてくるはずである。」230P

Y ドイツにおける大衆ストライキ問題と組織の関係
「この問題についての多くの労働組合指導者の態度は「大衆ストライキなどという、そんな冒険的な力だめしをしてみせるにはわれわれの実力はまだ充分ではない」といった主張に言いつくされている。」231P
「しかし、一方、労働組合というものは、その他あらゆるプロレタリア闘争組織と同様、闘争による以外には、みずからを維持することができないのである。」232P
「ロシアにおけるこのような現象のみごとな実例を見た。ロシアでは、それまでにほとんど組織されていなかったプロレタリアートが一年半の嵐のような革命闘争のなかで、広汎な組織網をつくり出したのである。」232-3P
「闘争のなかでみずからの力をためし、闘争のなかからあらたに再生するという、これこそ、プロレタリアートの階級組織にふさわしいプロレタリアート独自の成長方法なのである。」233P
「ともかく大衆闘争が成功するためには、なによりもまず、これが真の民衆運動になること、つまりプロレタリアートのもっとも広汎な層を闘争にひきいれることが必要である。議会主義の枠のなかでさえ、プロレタリアートの階級闘争の力の根源は、中核にあたる組織労働者ではなく、広汎な周縁部の革命的プロレタリア層なのである。」233-4P
「組織が戦闘部隊をつくり出すだけでない。闘争が組織のために新兵をつくり出すことのほうがはるかに重要である。」234P
「労働者階級の組織的中核としての社会民主党がすべてのはたらく人民の指導的前衛部隊であり、この組織が労働運動の統一や力や政治的透徹性の源泉となっているとしても、プロレタリアートの階級闘争を少数の組織労働者の運動として理解することは、けっして許されないことである。現実のすべての偉大な階級闘争は、かならず、もっとも広汎な大衆の支持と協力に根ざしている。この協力を計算にいれず、たんにプロレタリアートの軍隊の少数部分がくりひろげるみごとな分裂行進だけを目安にして階級闘争の戦術を編み出したとしても、そんなものは、はじめからみじめな失敗に終わるに決まっているのである。」234P
「組織され、教育され、意識のすすんだ、ドイツの、あるいは他の西ヨーロッパ諸国の労働者階級にくらべて、無教育で、意識もおくれ、組織もほとんどつくられていない、若いロシアのほうが、はるかに強烈な階級的本能をもっている、ということにほかならない。」235-6P
「社会民主主義によって植えつけられた階級意識は、あくまで理論的なものであり、潜在的ものである。ブルジョア議会主義が支配する時代には、この階級意識が直接的な大衆行動となって発現することは、原則的にありえない。ここでは階級意識とは、要するに、選挙闘争のあいだ、四〇〇の選挙区で併行的におこなわれる同数の地域的行動と数多くの部分的な経済闘争、およびそれに類したその他の闘争の、観念的な総和にすぎない。階級意識が実践的なものとなり、積極的なものとなるのは、大衆自身が政治の舞台に姿をあらわす革命のなかにおいてである。三〇年間の選挙闘争や労働組合闘争がドイツのプロレタリアートに与えることのできなかった「教育」を、ロシアのプロレタリアートは革命の一年で自然に身につけてしまった。」236P
「ドイツにおける諸条件がこのような時代を成熟させる段階にさしかかったときには、今日まだ組織されていない遅れた層が、前衛分子にひきずられてゆくどころか、闘争のなかで、ごく自然に、もっとも急進的でもっとも精悍な要素となるであろう。」237P
「党や労働組合の人為的な指令のもとに少数の組織労働者がおこなう示威的大衆ストライキなどというペダンチックな図式を棄てて、階級対立と政治状況が極度に尖鋭化したところから原初的な力もって発生し、嵐のような経済的政治的大衆闘争、大衆ストライキに爆発する、真の民衆運動の生きたイメージを思い浮かべるならば、社会民主党の任務が、大衆ストライキの技術的準備や指導にないことは、おのずからわかってくるはずである。社会民主党の任務は、なによりもまず、運動全体の政治的な統率にあるのだ。」237P
「社会民主党は、最大の啓蒙性と階級意識をそなえたプロレタリアートの前衛である。われわれが運命論者のように手をこまねいて、「革命的状況」が到来し、自然発生的民衆運動が天から降ってくるのを待つことは、できもしないし、許されてもいない。反対に、われわれは、事態の発展にさきんじて、現実の動きを促進しようと努力しなければならない。これは、われわれが勝手なときに、やぶからぼうに大衆ストライキの「呼びかけ」をおこなうことで、はたせる問題ではない。われわれは、なによりもまず、広汎なプロレタリア層にたいし、この革命的な時代の到来の必然性や、この時代を用意する社会的要因とその政治的帰結などを明らかにしなければならない。できるかぎり広汎なプロレタリア層が社会民主党の政治的大衆行動に参加し、逆にまた、この大衆運動のなかで社会民主党が真の指導権を確保し、政治的な意味において運動全体を統率すべきあるとするならば、党は、きたるべき闘争の時期には、首尾一貫した決然たる態度でドイツのプロレタリアートのために、あくまでも明快な戦術と目標を示すことができなければならない。」237-8P
Z ロシアの大衆ストライキとドイツの連動性
「ロシア革命は、絶対主義の除去とブルジョア議会主義による近代的立憲国家の樹立を当面の課題にしている。」「この二つの西欧ブルジョワ革命(ドイツにおける三月革命とフランス大革命)と今日の東欧のブルジョワ革命のあいだに、資本主義の発展の一周期が完全に経過しているという事情であろう。」238P
「あくまでもブルジョア革命であるこの革命(ロシア革命)が、主として、階級意識をもつ近代的プロレタリアートによって、それもブルジョア民主主義の没落を特徴とするインターナショナルな環境のなかで、遂行されるということである。」239P
「ロシア革命のこの二重性(絶対主義への闘いとプロレタリアートの「人間らしい生活の確立」を目指す)は、経済闘争と制度闘争のふかい結合と交互作用というかたちをとっていた。この交互作用は、ロシアでのかずかずの事件を実例にして、われわれがすでに見てきたところであるが、これを適切に表現しているのが、ほかならぬ大衆ストライキであった。」239-40P
「大衆ストライキが広汎なプロレタリア層を行動に結集させ、大衆を革命化し、組織するための、ごく自然な手段として登場する。これはふるい国家権力を土台からくつがえすと同時に、資本主義の搾取を阻止する手段となっているのだ。現在では、都市の工業プロレタリアートがロシア革命のたましいである。しかし、なんらかの直接的な政治行動を大衆的な規模で遂行するためには、プロレタリアート自身がまず結集しなおして、大衆を形成しなければならない。プロレタリアートは、この目的にために、工場や仕事場や鉱山や精錬所から出てきて、かれらが日々資本の桎梏につながれながら、個々の職場において分断され粉砕されている現状を、まず克服しなければならない。大衆ストライキは、このようにして、プロレタリアートのあらゆる偉大な革命行動がとる第一の自然な衝動的形態となるのである。」240P・・・ここから現代的に生み出す新しい方法は?
「こう見てくると、大衆ストライキが絶対主義から生まれたロシア特有の産物などではなく、資本主義の発展と階級関係の現段階から生じたプロレタリア階級闘争の一般的な形式であることは、明らかである。」241P
「(ロシアの)ブルジョア革命がまったく弁解の余地のないほど遅れてしまっていたために、かえって、このもっとも立ち遅れた国が、ドイツその他のもっとも進んだ資本主義諸国のプロレタリアートにたいして、これからの階級闘争の道筋と方法を教えているのである。」242P
「ドイツの労働者は、ロシア革命を自分自身の問題と考えることを学ぶべきである。それも、たんにロシアのプロレタリアートにたいするインターナショナルな階級連帯の意味においてではなく、なによりもこの革命をみずからの社会史および政治史の一章と考えることをまなばねばならない。」242P
「ロシア革命は、インターナショナルな労働運動、とくにドイツの労働運動の実力と成熟度をはっきり映し出しているのである。」243P
「ドイツではもはやブルジョア革命など問題となりえない。したがつて、ドイツで公然たる政治的人民闘争の時代がはじまったばあい、歴史的必然の最終目標として問題になりうるのはプロレタリア独裁しかないのだ。」245-6P
「しかし、われわれが描いた展望には大きな矛盾がなかっただろうか。一方では、きたるべき政治的大衆行動の時期には、なによりもまず、農民労働者、鉄道員、郵便局従業員など、ドイツ・プロレタリアートのもっとも遅れた層が、団結権を獲得し、搾取という最悪の癌をまず除去しなければならない、ということであった。他方、この時期の政治課題は、はやくもプロレタリアートによる政治権力の奪取である! という。一方には、もっと身近かな利益のため、労働者階級の物質的向上のための経済的組合闘争があり、他方には、すでに社会民主主義の究極目標がある。たしかに、たしかにこれは大きな矛盾である。しかし、これは、われわれの論理の矛盾ではなくて、資本主義の発展そのものの矛盾なのだ。資本主義は美しい直線をえがいて進むものではない。稲妻のような嶮しいジグザグをえがいて進むのである。さまざまな資本主義国家がさまざまな発展段階を示すと同様に、個々の国の内部のでも同一の労働者階級にさまざまな層がある。しかし、歴史は、おくれた国とおくれた層がもっとも進んだものに追いつき、全体が密集した隊列のようにシンメトリックに動きだすことができるまで、我慢づよく待ちはしない。状況が成熟するやいなや、最先端の露出した地点で、はやくも爆発を惹き起こすのである。そして、革命時代のあらしのなかで、わずかな日月のあいだにいままでの遅れをとりもどし、不均等を均等化し、全社会の進歩の足どりをまたたくまに突撃のかけ足に転じさせてしまうのである。」246P
「ロシア革命においては、発展の全段階とさまざまな労働者層の利益が社会民主党の革命綱領に結合され、無数の部分的闘争がプロレタリアートの大規模な全面的階級行動に結合されたが、ドイツにおいても、状況が熟するならば、同様の結果がみられるだろう。そのときの社会民主党の任務は、戦術の基準を発展のもっとも遅れた段階にあわせることではなく、もっとも進んだ段階にあわせることになるであろう。」246-7P
[ ドイツのこれから、党と労働組合との関係
「ドイツの労働者階級が待ちこがれている偉大な闘争の時期は、遅かれ早かれ、いずれ到来するであろうが、そのときになって、首尾一貫した確呼たる戦術とならんで、なによりも必要とされるものは、できるかぎりの行動力である。」247P
「ところが、大規模な大衆行動を準備する段階の最初のごくおとなしいこころみさえ、この点(統一の必要)ですでに重要な欠陥があることをさらけだしてしまった。欠陥とは、つまり、社会民主党と労働組合という労働運動の二つの組織が完全に分離し、独立している、という事実である。」247P
「労働者階級の階級闘争に経済闘争と政治闘争という二種類の闘争があるわけではない。ただひとつの階級闘争があるだけなのだ。それはブルジョア社会の枠の中で資本家の搾取を制限することをめざすと同時に、搾取はもちろん、ブルジョア社会そのものを一挙に廃止することをめざす闘争である。」248P
「これらは、たんに労働者階級の解放闘争の二つの局面、二つの段階をあらわしているにすぎない。労働組合の闘争は労働運動の現在の問題を包括し、社会民主党の闘争は未来の問題を包括しているのだ。」249P
「労働組合が社会民主主義の一部であるという理論上の関係が、そのまま模範的なかたちで現実の生きた実践のなかに見いだされる国は、ほかならぬこのドイツなのである。」251P
 このことを三つの面からの考察「第一に挙げなければならないのは、ドイツの労働組合は直接に社会民主党から生まれたということである。」251-2P「第二に、社会民主主義の理論が労働組合の実践の核心をなしている」「第三に、労働組合の指導者たちの意識からしだいに薄れて来ているが、数量的な面からみても、労働組合が現在もっている力は、社会民主主義の運動と社会民主党のアジテーションの結果である。」252P
「これらのすべてのことが、階級意識をもった普通の労働者に、かれらが労働組合に組織されることが、そのまま労働者政党に所属することであり、社会民主主義的に組織されることだ、という感じを与えるまさしくこの点にドイツ労働組合独自の宣伝力の秘密がひそんでいるのである。労働組合の中央諸団体が今日の勢力に達しえたのは、けっして中立主義的な外見のためでなく、労働組合の本質がじじつ社会民主主義的であったからである。」254-5P
「ドイツでは、社会民主党のほうが、労働組合の新兵養成機関になっているのである。」256P
「社会民主党と労働組合のあいだの、いわゆる対立などは、このような状況のもとでは、組合職員の上層部と社会民主党のあいだのけちくさい対立にすぎない。しかし、これは同時に、労働組合の内部では、労働組合指導者の一部と組合に組織されたプロレタリア大衆の対立でもあるのだ。」257P
「しかしながら、発展の弁証法(?)によれば、労働組合の成長に必要なこの促進手段も、やがて組織が一定の大きさに達し、諸条件が一定の成熟段階に達すると、その後の生長を阻害するような正反対のものに、変質してしまうのである。」257P
「労働組合職員は、組合幹部としての活動が専門職業化し、平穏な時代の分散した経済闘争のなかで、当然、視野も狭く(ママ)なり、官僚主義におちいりやすく、融通のきかない考えをしがちである。」258P
「社会民主主義は、真実の全体をとらえるのであって、当面の活動とその絶対的必要性を強調すると同時に、この活動の批判と限界をも重要視しなければならない。ところが、この真実の半分しか見ようとせず、全体のなかから日常活動の積極面だけをとりあげて、のこりは適当に切り捨ててしまうのである。」258-9P
「ゾンバルト教授」259P
「警察が労働組合にむりやり押しつけた、いわば強制的な政治の「中立性」のなかから、のちには、この中立ということが労働組合闘争の本質そのものに根ざした必然的なものであるという、いわゆる自然的中立の理論が出てきた。労働組合の技術的独立のほうも、元来は社会民主主義的に統一された階級闘争の内部での実践的分業にもとづいていたものが、やがて労働組合を社会民主主義の思想と社会民主党の指導からひきはなす継起となり、いわゆる社会民主党にたいする「同権」に変質したのである。」260-1P
「このようにして、ここに、独特の事態が生まれ、下部、すなわち広汎なプロレタリア大衆のあいだでは、社会民主党となんらことなるところのない同じ労働組合運動が、上部、すなわち上級管理機構では、社会民主党から分裂し独立した第二勢力として、社会民主党と対立することとなったのである。したがって、ドイツの労働運動は二重ピラミッドという特殊な形態をとり、その底辺と主要部分は強固な一枚違和から成り立っているが、二つの地要点は、遠くはなればなれになっているのだ。」262P
「労働運動の真の統一のための確証は、上部の労働組合指導部やその同盟機関ではなく、下部の組織されたプロレタリア大衆のなかに存在している。百万の労働組合員の意識のなかでは、党と労働組合は、事実上、一体であり、この二つの組織は、いわば社会民主主義のプロレタリア解放闘争がことなった形態をとってあらわれたものであるにすぎない。社会民主党と労働組合のあいだの摩擦をとりのぞくためには、当然、両者の関係を、こうしたプロレタリア大衆の意識に適合させる必要がある。言いかえれば、労働組合をもう一度社会民主主義に結びつけることが必要なのだ。」263-4P
「社会民主主義的労働者大衆は、そろそろ、自分たちの判断能力と行動能力を表現することを学んでもいい。そして、大きな課題をもった、きたるべき偉大な闘争の時代に立ち向かう資格が、自分たちに充分あることを、いまこそ、はっきり示すべきである。その時代のなかで行動の大合唱をおこなうのは、かれら大衆であり、指導部は、たんなる「スポークスマン」すなわち大衆の意志の代弁者でしかないのである。」264P

 この選集には、編集者・訳者の解説が付けられていません。各巻共通の「付記」があるだけです。ですが、訳者か出版社がつけたと思われる各巻の帯が参考になるので、抜き書きしておきます。
(この巻の帯)
「政治的大衆ストを領導しうる前衛党の建設へ 1905年、遂にロシア革命が爆発した。ドイツに革命が近づいている! 指導者は何をしているのか。ローザの激しい弾劾がつづく――大衆的ストライキ(マッセンスト)への大胆緻密な理論を展開しつつ労働組合のアナルコサンディカリズムを越え、大衆蜂起の地平を拓く。」・・・ローザの理論は、ローザも「前衛党」という文言は使っているのですが、「前衛党論」にはなっていないのでは? 「マルクス―レーニン主義者」からのとらえ返しになっているのでは?

posted by たわし at 04:25| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

三上智恵/大矢英代共同監督「沖縄スパイ戦史」

たわしの映像鑑賞メモ042
・三上智恵/大矢英代共同監督「沖縄スパイ戦史」2018
この映画は、劇場公開のときに両監督のアフタートーク付きで観ました。そもそもこの映像鑑賞メモのはじまりは三上さんの劇場公開第一作映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」2015(映像鑑賞メモ001)で、その後の劇場公開の映画を観続けています。(三上さん関係の映像鑑賞メモは後004、006)しかし、この映画劇場上映の時は、昼夜逆的になっていて、朝一番の回で睡眠不足で観たこともあったのですが、何かもやもやとしたことがあって、よく内容をつかめませんでした。で、メモを残せなかったのです。で、今回はケーブルテレビの「日本映画チャンネル」で放映したのでやっと再度観れました。
この映画は二冊の本になっているので、その本を読んでメモを残しています(読書メモ、536・537 「反障害通信」96)。
この映画はインタビューを元に構成されているドキュメンタリー映画で、戦争の被害と加害が交差する映画です。話の内容は、墓場まで持って行きたいような語り難い内容で、三上さんの本の中で、書かれていた証言をするひとたちの「明るさ」のようなこと、それが何か、というような心の機微のようなことを映像から読み取ろうとしました。結局、それ自体で一本のドキュメンタリー映画が作れるようなことです。とてもつかみきれないのですが、自分が他者から注目されるということでの晴れがましさのようなことも少しはあるのでしょうが、それよりも、重い思いを背負ってきた立場を生き抜いてきたところで、そこから反転するような明るさなのかもしれません。
「もやもや」ということを書いたのですが、今回テレビで見ていても、そのもやもや観にとらわれていました。8月は原爆忌、終戦ということがあり、悲しい体験が語られるとき、そのことを封印したいという思いに駆られます。そんなことがあるのかも知れません。
戦争ということのとらえ返しは、三上さんが本のなかで素敵な文で書かれているので、ぜひそれを読んでもらいたいと思っています。わたしとしては、なぜ国家などという幻想にとらわれていくのか、今、世界のリーダーたちがまさに国家主義的なところで対立を煽っていく現状で、わたしたちはこの国家主義と対峙しているのだと思いをもち、そこから起きる戦争や、そもそもなぜ軍隊などもとうとするのか、というようなことまでこの映画を観ながら思いを馳せていました。
この映画は、いろんな賞を取っています。そして、異例的にケーブルテレビにもとりあげています。そして、ケーブルテレビを見れないひとは、劇場映画館で再上映も決まっているようです。関東圏は、「ポレポレ東中野」8/22(土)〜9/4(金) 時間帯調整中 『沖縄スパイ戦史』
劇場のホームページをhttp://www.mmjp.or.jp/pole2/を確認して、観に行ってください。


posted by たわし at 17:59| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

榊原賢二郎編著『障害社会学という視座―社会モデルから社会学的反省へ』

たわしの読書メモ・・ブログ541
・榊原賢二郎編著『障害社会学という視座―社会モデルから社会学的反省へ』新曜社2019
 この本は出された直後に買ったのですが、丁度、障害学関係の集中学習を終えて、他に転じていたときで、榊原さんの本は単著を一冊読んでいて、立岩さんとの論争のようなことも押さえていたので(註1)、新しく始めていた集中学習の後にと、積ん読していました。
 で、わたしが参加しているメーリングリスト(「障害学研究ネットワーク」のML)で、この本を読んだひとが「「障害学はもう終わっている」のでしょうか?」という刺激的な投稿をしていているのを見て、そもそもこの本を読まないまま「学」にあるまじき、「そもそも、社会モデルは過渡の理論なのです」という応答をしてしまいました。
「「学」にあるまじき」と書いたのですが、「学研究」という性格のMLです。それに合わせることが要求されると言う意味で、そんなことを書いたのですが、わたしは元より「学者」ではありません。「障害者運動」サイドから、運動の理論的整理が必要と学習しています。もともと実践志向で、事務的なことにやりがいを見出していた立場です。ですが、そもそも70年代の日本の「障害者運動」のなかで、かなり感性的に鋭い提起がなされていたのに、それがきちんと理論化されないまま、80年代に入って、外国からの運動や理論が入ってきて、まるでそのあたりで断絶が起きたかのように、それまでの日本の運動がなかったかのようになってしまいました(註2)。誰も整理の作業をするひとがいないから、やむにやまれぬ思いで、この作業をしているのです。たとえば、今、ここで問題になっている「障害の社会モデル」にしても、70年代から「障害個性論」(これも過渡の理論です)の脈絡ですが、「わたしたち(「障害者」)が変わるのではなく社会を変えよう」というスローガンが突き出されていました。これが、「社会モデル」の「走り」のひとつではないかとわたしは思っています。(註3)
理論の未整理はイギリス障害学の「社会モデル」でも出ています。第2世代といわれるひとたちの第1世代と言われるひとたちへの批判が出てきて、その論点が整理されないままに、議論が進行する中で、たとえば、WHOの障害規定のICIDHの改定の議論が進み、それがICFという形で出され、「障害者権利条約」という形で進んでいったのですが、「権利条約」は、障害の規定さえなしえぬままに、結局その中身は、アメリカ障害学の内容になってしまったとしか思えません。そのことは‘障害者’の英語表記のdisabled peopleではなくて、米語のpersons with disability が採用されていることに端的に表れています。(註4)
 さて、権利条約の締結から、日本で批准するに当たって、国内法の整備が進められました。そして、そのなかで、「障害の社会モデルに基づく、法改正」とかいう文言があったのですが、出てきた、例えば「改正障害者基本法」では、その障害概念は、少なくとも、イギリス障害学の「社会モデル」ではありませんでした。しかも、「障害は医学モデル、「社会モデル」は障壁」という内容でした。どう見ても、相も変わらず医学モデルを基調に、「環境的要因」も入れ込んだという論理になっているとしかわたしには思えません。
 さて、この本の話に戻ります。この本はイギリス障害学の第2世代の第1世代への批判の内容を押さえて、新たなステップへの展開の試みだとわたしは押さえています。これを、社会学や哲学的なところからとらえ返す作業をしています。哲学など持ち出すとよけい難しくなるということがあるのでしょうが、一度押さえると、そこからいろいろな難問を解きほぐしていく作業に使えます。そのようなこととして、かじった程度の哲学的知識を「素人の恐れ知らず」で、いろんなジャンルの哲学を、間違っていたら、識っているひとから指摘してもらい、「間違っていたら、余計対話の深化に役に立つ」という意味も含んで、使ってみます。(註5)
 まず、ヘーゲルの弁証法の、テーゼ――アンチテーゼ――ジーンテーゼという概念を利用してみます。これは、医学モデルをテーゼにして、そのアンチテーゼとしてイギリス障害学の「社会モデル」、そしてジーンテーゼがこの本の中では、「社会学的反省」となります。医学モデルにアンチテーゼとしてイギリス障害学(第1世代)を置いたときには、著者のジーンテーゼは「障害社会学」となります。また、イギリス障害学の第1世代をテーゼに、アンチテーゼを第2世代として、著者の試み「社会学的反省」がジーンテーゼの試みとなります(註6)。わたしには著者の試みの中での、言葉使い的にちょっと不明な点が出て来ます。障害学はいろいろあって、アメリカ障害学の社会モデルの存在があり、そのことがこの一連の論攷に当てはまるのかの問題があります。そしてそもそもイギリス障害学の意味と意義を押さえられないなかで、医学モデルとの区別がたっていないひとたちとかいます。そもそも、障害学の会ということ、流れ的には障害学研究会(今の「障害学研究ネットワーク」の前身)から障害学会という流れで、障害学研究会の‘障害’は「社会モデル」的‘障害’であるという話は出ていたし、暗黙の了解のようなこととしてあったと言いえるでしょう。ただし、そもそも、「障害規定はしない」という中心メンバーももいたし、「学会」が形成される前に「社会モデルはおかしい」と言い出していた中心メンバーもいました。それに、もっとも根本的なことは、「障害の社会モデル」の意味と意義が押さえられていたのだろうかということがあります。もし押さえられていたら、わたしは、もうゆくにまかせて、この議論から身をひけたとも思っています。そもそも学会のひとも含めて、‘障害’という言葉が、ほとんど医学モデル的に使われ続けていました。さらに、著者が新しい概念として突きだそうとしている「障害社会学」ということを、通常の概念の使い方を越えて自らの規定の学として出してきています。障害学は社会学の一ジャンルです。二つのことばをくっつけると僭称というか占称という問題が起きます。障害を社会学からとらえ返すとか、社会学の一ジャンルとして障害学という様な意味になりますが、著者のこの「障害社会学」を自らの新しい学の創出というところで、占称しているようになっています(註7)。そもそも「社会とはなにか」の問題があります。(註8)
 さて、もうひとつは、イギリス障害学(第1世代)は、impairmentをかっこでくくって、「障害の社会モデル」突き出したと言われていることがあります(註9)。これは、フッサール現象学のエポケー(「現象学的還元」)という手法なのです。何かというと、「本質」(註10)たる差別ということを析出させる、つかむための手法なのです。たぶん、これは当人たちが意識的に現象学的な手法を用いたというよりも、後に、現象学的なところからとらえかえしたひとから見てそうなっていたという話だと推測しています。この括弧でくくるということへの批判として、第2世代が、個々の抱えている問題を捨象して社会を持ち出してきているという批判をしているわけです。そこで、モリスらの第2世代の提起は、いわば括弧を外せということになるのだと思いますが、わたしはこの論の道行きは坂道を上る作業に例えるのですが、括弧を外すということをサイドブレーキを外して、しかもアクセルを踏まないということに例えます。そうしたらどうなるか、バックします。医学モデルに戻ることになります。ではどうするのか?
ここで、かなりのスペースをとって論じられている構成主義とか構築主義なることをとりあげます(註11)。括弧を外したときに、同時にすることはimpairmentの脱構築という作業です。具体的な作業は固定観念を崩す問いかけ(脱構築する)で示し得ます。これは、たとえば、立岩さんが「ないにはこしたことはないか」という形で問いかけをしています。それはわたしサイドからすると、「なぜ、できないといけないとされるのか、どのようなできないことが問題となるのか、ひとりでできないといけないとされるのか」という問いかけをしています。これらが、脱構築の作業としてあるのです。これはイデオロギー的なせめぎ合いです。これが構築主義とかいわれることの限界でもあるのです。実は、そのようなイデオロギー的せめぎ合いの中身を問うことが問題になるのです。それはこの本の中で「註[7]ここに挙げた様な疑義が、国際生活機能分類(ICF)(WHO2001)における損傷の統計学的な規定にも妥当することを、筆者(榊原2016: 47-53)は指摘した。」196-7Pと書かれていることにヒントがあります。著者がこのことをどういう意味で書いているのかの意味が、いまひとつはっきりしないのですが、わたしなりのとらえ返しをしてみます。わたしはこの議論の元になっているICIDH−2の本を読んだときに、そのなかで「標準的」という言葉が繰り返し出てくることに気がつきました。それを日本訳の本を買ったときに、意見を募集していたので、意見集約している団体に書き送ったのですが、この「標準的」ということ、すなわち「標準的人間像」ということが障害差別のイデオロギー的根拠としてあるのではないかということです。これはイデオロギー的な問題にとどまりません。この「標準的」という言葉でわたしが想起したのは、マルクスが『資本論』の中の「標準的人間労働」という概念です。これが「標準的人間像」というイデオロギーの土台(経済的根拠)としてあるのです。マルクスなどの名を出すと、マルクスなどもう過去のひとだという話が出て来ますが、脱構築論のデリダもそしてかつて哲学的な潮流としてあった「実存主義哲学」で有名なサルトルも「マルクスの思想は現在社会(資本主義社会)では乗りこえ不可能な思想」という提起をしています。マルクスを葬送してしまうと、分析のための重要な概念を使えなくなります。今回の「反障害通信」97の巻頭言の中で、障害問題の専攻研究のフェミニズムにおける「マルクス主義フェミニズム」をとらえ返した「マルクス派障害学」の定立を提起しています。そのようなことも含めて、いろいろな対話をなしながら、障害問題のとらえ返しの作業をしていきたいと思っています。さて、日本における「社会モデル」の走りのような話として、「わたしたちが変わるのではなく、社会を変えよう」という提起をだしましたが、「わたしたちを変えない」という意味ではありません。むしろ、社会を変えようという運動のなかで、自らがとりわけ意識的に変わっていく必要も迫られていきますし、運動主体の確立という意味での変革は推進されることです。ですが、モリスらの第2世代の第1世代(テーゼ)への批判(アンチテーゼ)を、ヘーゲル弁証法のテーゼとアンチテーゼとの関係で押さえると、第1世代への第2世代の批判はアンチテーゼとしてきちんと定立していないのではないか、ということです。その批判の中身自体がまさに医学モデルに陥っているのではないかという検証が必要です。その批判の提起で使っているいろいろな概念自体を脱構築していかないと、アンチテーゼ自体として定立しないのではないかと思えるのです。論形成を坂道で車で上る例を出して、サイドブレーキを外し、アクセルも離すと坂道を下って逆戻りして行くという話を書きましたが、アクセルとブレーキを同時に踏むとエンジンブレーキがかかります。むしろバックにギアをいれてアクセルを踏んだことなのかも知れません。わたしも「社会モデル」の不備は押さえています。「社会を変えよう」だけでは運動になりませんし、現実に差別してくるのは個人として表出してきます。それをどうしていくのかの対処もできなくなります。そういう意味で、モリスらの提起も意味があるのですが、現実的に第2世代の論攷は「医学モデル」の陥穽に落ちているのではないかと思えます。さて、そのあたりはわたしはジーンテーゼとして障害関係論をだしています。これに関しては後述します。
 
 さて、この本に話を戻します。この本の目次を示します。
 目次
まえがき  榊原賢二郎
1章 「女性に髪の毛がないこと」とは、どのような「障害」なのか―スキンヘッドで生活する脱毛症の女性を事例として 吉村さやか
2章 発達障害を捉えなおす―制度的支援の場における当事者の実践  浦野茂
3章 障害社会学の立場からの障害者スポーツ研究の試み―「非障害者スポーツとしての障害者スポーツ」  樫田美雄
4章 何が知的障害者と親を離れ難くするのか―障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族  染谷莉奈子
5章 蝙蝠を生きる―進行する障害における能力と自己の肯定  石島健太郎
6章 “気詰まり”を生きる吃音者―言語障害と相互行為儀礼  渡辺克典
7章 障害社会学と障害学  榊原賢二郎
あとがき  榊原賢二郎
 1〜6章の実際的な具体的課題は、個々の具体的体験を元にした論攷です。それは、そもそもの障害に関する事の原点です。それはひとの数ほど語られていく、そして語るひとにとっては、唯一無二の体験なのです。ですが、それを元にどのようなつながり、関係性をとらえ返していくのかが、問題にもなっていきます。わたしは、この6つの章の論攷を読んで、共通のこととして想起したのは、「マージナルパーソン」(註12)という概念でした。ですから、この本の最後に「障害問題におけるマージナルパーソン研究」という形で最終章が書けるとの思いも持ちました。マージナルパーソンというのは、あえて日本語に訳すると「境界人」と訳されるでしょうか? 昔「軽度障害者」の集まりを作ろうという動きがありました。まさに医学モデル的なところでの「重い障害」――「軽い障害」ということで、なぜ、わざわざ「軽度」という突き出しをするのかというと、「重度」のひとたちとの抱えさせられている問題の違いということがあります。わたしはかつて、それを受ける差別の形態の違いとして読み解きました(註13)。わたしは排除型の差別――抑圧型の差別とその違いを押さえる作業をしました。「軽度の障害者」や「中途障害者」は、「障害をなくする」「障害を軽くする」――「障害の克服」という抑圧型の差別に取り込まれていきます。まさに医学モデル的な地平に取り込まれてしまうのです。別の言葉で書くと適応論に陥りやすい立場ということになります。この本の5章に「蝙蝠」ということばができます。イソップ童話の鳥類と哺乳類の間で揺れ動く、どっちつかずの立場を表すのですが、これがまさにマージナルパーソンという概念の分かりやすい表記になっています。ひとつだけ、障害問題そのもののマージナルパーソンというところから外れる論攷があります。それは4章の「何が知的障害者と親を離れ難くするのか―障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族」で、「障害者」を抱え込んで行く親の立場をとらえ返そうという論攷です。ただ、これも、「障害者」と非「障害者」の間にいる親という意味でのマージナルパーソンになっています。
 さて、これらのマージナルパーソンということは、イギリス障害学の第1世代を批判した第2世代のモリス的な立場に近い存在になっていて、まさに、その第1世代への批判の上に、7章が据えられているとしてわたしは押さえています。
 具体的な各章ごとの押さえは、むしろこういう考えもできるという側面的なとらえ返しとして書きます。適応論的な側面が強くなっている論攷が多く、それに対してわたしは、むしろ違ったとらえ方もできるというところでのコメントを軸にメモを残します。わたしは脱構築論自体に疑問をもっているのですが、脱構築論が一般的に広がっている現状に鑑み、脱構築概念で問題を提起していきます。
1章の「女性に髪の毛がないこと」とは、どのような「障害」なのか―スキンヘッドで生活する脱毛症の女性を事例として 吉村さやか
「脱毛症」とかつらやスキンヘッドの問題ですが、これは「見た目」差別とか言われてもいます。わたしも一時「形態差別」というような概念を使っていました。能力的にできないということではない、すなわちimpairmentのよく使われていた「機能障害」という訳には当たらないということです。これはいわゆる「美意識」に関わる差別です。ひとの美意識にはかなりの幅があります。時代的な変遷もあります。また美意識は視覚的なことだけでなく、他の感覚における問題もあります。「全盲」といわれる立場からの美意識の脱構築の作業が必要です。また、その時代その社会(通時的・共時的な)の共同主観的美意識の形成があり、そこで、市場経済における美の商品化のようなことが起きてきます。そういう意味での美のイメージの機能と(その「障害」)いう概念を含んできます。それは先に書いた標準的人間像(註14)の形成の中での「逸脱」としての「障害」ということを生みだしていきます。この論攷は、運動的観点もあって、スキンヘッドのひとがそのまま、自分出せる環境作りという突き出しをしています。ただ、それをそのままストレートに出せたわけではなく、子育てが一段落して出せたというような周りとの関係に左右されてもいます。そういうせめぎ合いのようなことを描いています。これに関しては、さまざまな語りがあり、また「脱毛症」だけでなく、ここでも少し書かれているガン患者の抗がん剤の副作用における脱毛の問題もあります。わたしはガンになって薬の副作用として毛が抜けて、かつらなどつけないで、それまでの性格とは真逆の悟りを開いた尼僧のようになって、生き亡くなったひとのことを想起していました。そのさまざまな生き方のひとつとして、この論攷があるのだと押さええます。
2章 発達障害を捉えなおす―制度的支援の場における当事者の実践  浦野茂
「発達障害」と言われていること。これは医学モデルに基づく、比較的に新しい「障害」概念ですが、現在社会で「役割期待――役割遂行」ということで、「できない」「できにくい」ことがあるとして「障害者」と規定されていくひとたちです。で、自分が何が「できない」か「できにくい」かをつかんで周りのひとたち(「社会」)にニーズを出していく、また周りのひとたちもニーズをつかんでいく必要があるとされます。そして、そのためにも自分が「発達障害者」であることをつかみ、周りにもカミングアウトしていくことが必要だとされます。しかし、両刃の剣的なことがあり、差別にさらされることも出て来ます。適応論にもっとも取り込まれる(適応論的なところで抑圧される)可能性が高いひとたちです。もちろん、いろんな情況下で千差万別的なこともあるのであるのでしょうが。わたしは、まだ「発達障害」という概念が広がる前に、ドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』新潮社1993という本を読みました。著者は適応的なことではなくて、自分の世界で生きるというようなことを選択したりしています。誤解のないように書いておきますが、どちらが良いとか、適応しようとすること自体を否定しているわけではありません。さまざまなことがあり、そのことを通底する問題もあり、そのような幅広い観点をもって問題をとらえ返していく、「どう適応するか」というようなことを一端脱構築することではないかという話をしています。
 3章 障害社会学の立場からの障害者スポーツ研究の試み―「非障害者スポーツとしての障害者スポーツ」  樫田美雄
「障害者スポーツ」の話です。ここでは、単に非「障害者」社会への参入ではない独自の「障害者スポーツ」も取り上げています。スポーツというのはからだをめぐり、できるようになることを追い求めていくことです。「能力」とか「できる」という言葉のなかにある、「障害者」抑圧の論理を感じとる「障害者」の仲間がいます。わたし自身も「できる」という言葉に出会うと脱構築の作業をしてしまいます。断っておきますが、わたしは「できる」ということ自体を否定的に批判するわけではありません。それは何々をしたいということで、それは否定しようもないのです。もちろん「できるべきだ」という抑圧の論理は全否定的に批判します。ですが、○○をしたいということの中身が、「ひとはこうあるべきだ」という標準的人間像やさらに、「理想的人間像」のようなこととつながっている面があるのです。わたし事に踏み入りますが、わたしは「吃音者」としての被差別の体験や、友達がいじめのようなことを受けそのなかで自分が何もなしえなかったという自責の念とか、そして受験競争の中での、成績の序列のようなことで差別ということを考え、そしてその底にある競争ということを考え、競争から降りるという指向が生まれ始めました。だから、そもそもスポーツはわたしは「負け組」だったのですが、それ以前に勝つとか負けるというスポーツのあり方自体に疑問を感じ始めました。もちろん、自分を磨くという意味での「できるようになりたい」とか、勝ち負けを超越することもスポーツにはあるのでしようが、おおまかプロ化していくスポーツには勝敗にこだわらないということはなくなっていきます。差別の底には、競争原理があり、そのことがいかに「障害者」に抑圧的に働くかということで、パラリンピックの抑圧性が語られてきました。そういうところでスポーツということ自体に違和を感じ続けています。それは、スポーツだけでなく、将棋とかの勝ち負け争うことを忌避していくことにもつながっていきます。○○できるようになりたいという欲望自体を否定することではなく、それが勝ち負けに結びつくことを問題にしているのです
 4章 何が知的障害者と親を離れ難くするのか―障害者総合支援法以降における高齢期知的障害者家族  染谷莉奈子
「知的障害者」を家族が抱え込むという話です。ですが、そもそも抱え込めなくなった、早くに切り捨てた親もいます。また、子どもの自立ということで模索している親もわたしは知っています。きちんと運動的視点がないと抱え込む、そして抱え込めなくなってしまうということになるという話です。だから、確かに多数派なのかもしれませんが、一面的論攷になっているのではないでしようか?
 5章 蝙蝠を生きる―進行する障害における能力と自己の肯定  石島健太郎
「進行性の障害」と言われていること。ALSのひとの、「できなくなる」ことの思いをめぐる論攷なのです。丁度この文を書いているときに、ALSのひとが医者二人に嘱託殺人で殺されたという事件の報道がありました。この医者二人ともまさにやまゆり事件を起こした被告と同じような優生思想の持ち主だったということが明らかになってきていて、ひとの命を救うはずの医者が殺人をする事態になってきていること。それは公立福生病院事件で、透析に使う血管の分路(シャンテ)が詰まって、手術を受けるために行った病院にいったところ、「透析は延命治療だ」という考えの医者から、透析離脱の選択肢を示され、「患者」は一旦透析から離脱したのですが、苦しくなってその同じ病院に担ぎ込まれたのですが、「透析を再開して」という「患者」の意志表示を無視して死に至らしめた事件がありました。医療自体がおかしな方向になっていると震撼しているのですが。
ここで問題にしているのは、「できないこと」が増えていく中で、どうして「できない」ことに対する切り替えができなかったという問題です。この「できない」ことが現在社会のなかで、いかに追い込まれていくのかという問題を考えていました。もうひとつ、「進行性の障害」と言われることで「障害者」にとって大切なのは、生きるために「できないこと」に対する考えの転換をしていくのに必要なのは、当事者の語りと連帯です。運動をしている当事者と結びつきが必要になっていきます。
この本の一連の論攷は運動サイドと切り離し、しかも当事者学でなくても学はありえるというような話も出ているのですが、わたしは当事者学こそが必要になっているのだと、この事を通して考えていました。
 6章 “気詰まり”を生きる吃音者―言語障害と相互行為儀礼  渡辺克典
わたしの当事者性の問題の「吃音」問題です。ここでキーになっているのは「気詰まり」ということばですが、著者は、「気詰まり」の解消という適応論に流れていきます。「気詰まり」自体の脱構築へ行かないのです。わたしは、この「気詰まり」は、「吃音者」側の「吃らないで話さないといけない」という思いと、非「吃音者」側の「倫理的沈黙」の中で起きることだと思います。「倫理的沈黙」というのは、人権意識の広がりのなかで、「障害者」に対して否定的な反応をしてはいけないという倫理のなかで、「反応をしない」というところでの沈黙です。「吃音」ということを知らないひとは、笑ったりしますし、差別主義者との間では「気詰まり」など起きません。「ちゃんと普通に話せよ」と露骨な差別にさらされることがあります。さて、「吃音」ということは、二つの標準的人間像の言語規範の中で否定的なこととして析出します。ひとつは、「ひとは音声言語で話すものだ」ということであり、もうひとつは、「標準的流暢性をもって話すこと」です。これから逸脱しているとして「吃音者」と規定されるのです。わたしは、運動的な観点から手話を学びました。手話話者の世界へ参入すると、手話ができないことが異化します。音声言語の「吃音」は異化しません(註15)。
 さて、7章の問題の掘り下げに入る前に、1〜6章までの論攷がモリス的提起に引き寄せられているということで、6章のわたしの当事者性の問題で、モリス的提起を構築してみます。勿論、わたしはモリス的論攷を脱構築する必要を説いているのですが、あえて、対話を深めるために構築してみます。それは、モリスが第1世代に突きつけた、「個別「障害者」の抱えている問題をちゃんととらえようとしない」という批判からおきてくることとして、「吃音者の言葉が出ない、自分の言おうとすることが伝わらないことの苦しさを理解しようとしない」という表現を構成してみました。これにたいする応答、脱構築的な作業として、いろいろなことを示し得ます。まず、以前、「吃音者」の団体に「聴覚障害者」のひとが来て、「なぜ、音声言語で話すことにこだわるのか、わたしたちが使っている言語=手話を学んで、手話通訳を使って話すということも考えたらどうか?」という話をしたことがありました。また、「吃音」の教育関係に関わる非「吃音者」が、「なぜ、話すことにこだわるのか、筆談でもいいじゃないか、わたしも列車の切符を買うときに実際にやってみた」(註16)というような話をしたことかありました。実は、これは前述したマージナルパーソンの問題なのです。「吃音者」は差別されることから逃れたいということで、パッシングしようとします。実際の被差別の体験からそのようなことに追い込まれるのです。実はそのようなことを越えて、やりたいようにやるという地平に到達している当事者の言もでています。ただし、揺らぎや、深層心理的なとらわれからどこまで抜け出せるのでしょうか? これは運動的観点なり、当事者学の必要性にもかかわっていることとしてここで書いています。このような様々な形での脱構築論を展開してみました。
 さて、1〜6までの論攷の問題の掘り下げとしての7章の編者の榊原さんの論攷に入ります。
 7章 障害社会学と障害学  榊原賢二郎
冒頭に「「障害学はもう終わっている」のでしょうか?」という投稿があったことを書きました。たぶん、榊原さんの文「このように、イギリス障害学の核である障害の社会モデルは、バトラーの批判やOG問題の存在によって致命的に毀損されたと考えられる。一般に非構築物と構築物を区別する形の構築主義は成立しえない。障害の社会モデルはそうした構築主義の一種である以上、維持することはできない。」180Pから来ているのでしょうが、これは、逆に言えば前述したように、impairmentの脱構築に踏み込めば、構築主義的には「維持できる」ということではないでしょうか?(註17)
 ここでいう、障害学は「社会モデルに基づく障害学」のようです。ただ、前述したようにイギリス障害学の「社会モデル」が、ちゃんと定立していたのかどうかが問題になります。そもそも、どこの国の障害関係法規でも、全て医学モデルから抜け出せていません(註18)。資本主義社会が資本主義社会である限り、その法体系においては医学モデルから抜け出せることはないと言いえます。資本主義社会の成立とともに登場してきた近代知の近代的個我の論理と連なっているのです。それは個人が能力をもっているという実体――属性という実体主義的な世界観に根ざしているのですが、以前読んだ本、竹内章郎『いのちの平等論―現代の優生思想に抗して』 岩波書店 2005の中で、著者は「「能力を個人がもつ」とは考えない」という、脱構築的な考えを示しました。それは特許という考えを崩しますし、資本主義社会を崩壊させる考えなのですが。
話を戻します。もちろん、学的世界では医学モデル批判は登場してきますし、「社会モデル」の不備を止揚した新しいヘーゲル弁証法のジーンテーゼ的な試みも出てくることだと思えます。わたしは、医学モデル批判をきちんとやりきる必要性を考えています。前にも書きましたが、わたしは障害関係論をジーンテーゼとして突き出しています。(註19)
榊原さんは社会学的理論のいろんな論を引っ張り出して、それとの対話の中から、自らの障害社会学を突き出そうとしています。わたしは、社会学を専門領域として論を展開していく時間はありません。つまみ食い的に参考にさせてもらえることもあるのですが、むしろ、基礎となる哲学的なことや世界観的なことからコメントさせてもらいます。
今、もっとも哲学的に使われているのは「構築主義」ということで、モリスらの第2世代の第1世代への批判の第1世代側からの応答としてもこの構築主義が出て来ます(註20)。しかし、脱構築論を展開するときは、問いかけという形ではっきりさせていくことでしょうが、問いかけ自体を脱構築していく姿勢が必要です。反照的規定という言葉になるのでしょうか? 榊原さんの再帰性という概念とつながるのでしょうか? 
それに、構築主義の脱構築論は永続脱構築論になり懐疑論的な事に陥っていきます。これでは、論の形成にはなりません。これは榊原さんと立場が違うのですが、運動的観点から論を問題にしているわたしサイドからすると、運動に使えないとなります。またこれは懐疑論や不可知論に陥ることで、確かなことはなにもないというところから運動自体の消滅に結びつきます。
 ゴフマンやレイベリング理論に関しては、「あるもの」に烙印を押すとかレイベリングするということはすでにあるものに対する働きかけですが、むしろ「あるもの」が異化すること自体を問題にする物象化論(註21)を押さえている立場からすると、これも実体主義に陥っていると批判していることです。
さて、榊原さんの論攷で、わたしとの立場の違いを感じたことのひとつですが、榊原さんは、障害を「障害者」がかかえさせられている問題に限って論攷を進めようとしています。わたしはむしろ、幅広く障害概念を捉えようとしています。もともと、障害とは生きがたさの問題としてとらえられ、そもそも障害ということは、「障害者」が抱えさせられている問題だけを意味してはいません。「障害物競走」とか「生きる障害」ということばが使われてきました。生きる上での、障壁と抑圧です。なぜ、医学モデルに戻した意味で、障害概念を使っていくのでしょう? わたしは運動的にマイノリティの問題ではなく、そこに通底する問題として広がりを求めます。社会モデルは、「犯罪の社会モデル」「貧困の社会モデル」などなどと拡げていくことができます。障害という概念は差別という概念とかさなるのです。こんな話をすると福祉を求めていく上で、「障害者」を限定していく必要があるという話が出て来ます。そしていろいろな損害を受けているひとたちの補償の問題に絡めて、対象者を限定していく必要があるという論理になっています。それは確かに、「現実的に」という陥穽の問題としてあるのですが、原理的な話としては、個別の保障はしない、けれど必要なニーズには応える、でいいのです。これは「基本生活保障」という概念で示し得ます。これも実現されたら、資本主義の終焉をもたらすことでしょう。逆に言うと、だから、今「現実的にどうするのか」ということで論点がずらされていくのでしょう。(註22)
もうひとつ、当事者性を超えていく指向が榊原さんにはありますが、榊原さんの当事者学批判は、感情的なことに左右されない客観的学の定立ということがあるのかも知れないのですが、差別の問題に関わることは、当事者の被差別の痛みと差別に対する怒りこそが、問題を掘り下げて行くエンジンになります。固定観念からの脱出のエネルギーにも。
さて、わたしも「社会モデル」の不備は押さえています。しかし、榊原さんの論攷が、本人がそこまで意識しているかどうかは分かりませんが、わたしサイドからのとらえ返しですが、ジーンテーゼを生み出そうとしていることの中での模索だと思っています。ただ、イギリス障害学を巡る応答からきていることだと思うのですが、障害社会学というネーミイグはよく分かりません。名が体を表すという意味で無内容だからです。榊原さんの論は障害再帰性社会学ということになっているのでしょうか? 「反省的規定」というところでは、わたしは、ヘーゲル弁証法から発した当事者意識と学的意識の入れ子型の認識の深化の進展を想起していました。(註23)
 いろいろ、まとめきれず、ごちゃごちゃ書いてきましたが、とにかく、榊原さんの新しい突き出し、障害社会学(わたし的にとらえれは、障害再帰性社会学)の中身的なところからのとらえ返しのなかで、新しい切り開きを願っています。


1「反障害通信」78号 http://www.taica.info/adsnews-78.pdf
2 日本にも自立生活運動はあり、青い芝の流れの「運動」の中では、いろんなラジカルな突き出しがなされていました。たとえば、「介助を受けるとき、腰を上げるのも労働だ」「労働は悪だ」(註24)とかいうことを出していたのです。80年を前後してだと思うのですが、日本の「障害者」がアメリカに留学してその自立生活運動の考えが持ち込まれました。また、国際障害者年やWHOの障害規定のICIDHが出されたこともありました。今回、問題になっているイギリス障害学など、外国からの理論的なことが日本の「障害者運動」の理論的なことを凌駕していった感があります。
3 この本なかでイギリスの「障害者団体」UPIASが出した障害の定義159Pも、オリバーが「障害の社会モデル」突き出す前のはしりといいえることかもしれません。
4 これは、杉野昭博さんが「障がい者制度改革推進会議」に提出している(ヒアリング作成された)資料の中にも、アメリカ障害学とイギリス障害学の違いというところ書かれています。昔作ったメモを引き出します。
第26回(H22.11.22)障がい者制度改革推進会議の資料2として提出された「障害」の表記に関する作業チーム「「障害」の表記に関する検討結果」の「2.障害学における英米の社会モデルについて−杉野昭博教授(関西学院大学人間福祉学部)からのヒアリング(要約)」の「3)障害者権利条約における「「障害」の表記」で、「障害者権利条約は、個人と社会的障壁との相互作用論であるという点、タイトルにpersons with disabilities と、個人の属性としての障害というのが用いられているという意味では、アメリカ社会モデルを基本としている。」とあります。杉野さんの当該の文全体は、次のURLで見れます。
https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_26/pdf/s2.pdf
5 わたしの哲学的学習は、マルクス―エンゲルス『ドイツイデオロギー』の編集翻訳をした廣松渉というひとの著作を軸にして、そこから波及する形で進めてきました。すごい博学のひとで独自の哲学も生み出してきています。いろんな哲学との対話もしているので、そこから原典にも少しは当たっています。日本語・翻訳文で、しかも「少し」でしかないのですが。「廣松読書ノート」をわたしの晩年の仕事にしたいとも思っています。
6 実際にジーンテーゼになっているのかは、榊原さんの書かれている文献の読み込みや、今後の論攷の読み込みなしにはやれないことなので、そのことにはここでは触れえません。
7 第2世代のモリスらの「フェミニズム障害学」の突き出しは、まさにフェミニズム障害学の占称になっているのではないかと、わたしは押さえています。本号(「反障害通信」97)の巻頭言を参照してください。
8 そもそも、わたしの第1世代への批判は、「社会の実体化に陥っている」というところで、障害関係論を宣揚しているので、社会という概念をあまり使いたくないのです。
9 文献をしめさねばならないのですが、読書メモをきちんととっていない時期の本だったので、書けません。  
10 本質という概念は、構築主義の文献をあたる中で、「反本質主義」ということがあり、わたしはもうほとんど使わなくなりました。  
11 わたしはフェミニズムの学習をしているときに、ポスト構造主義と言われていた流れがあり、その流れがかなり使えるのではないかと留意して、そこで出てくる文献でデリダの名がかなり頻繁に出て来ていたので、デリダの学習をそれなりにやりました。ですが、そもそもデリダの脱構築論は、永続脱構築論になり、固定観念をつぶすには有効ですが、わたしは運動のための理論をしようとしていたので、構築主義は個別差別の問題での論攷の読み込みはしましたが、新しい構築主義の学習にまで、拡げ得ていません。ただ、このながれは不可知論や懐疑論に陥っていくのではという思いも出て来ています。 
12  マージナルパーソンということは、昔はマージナルマンと表記されていました。その時代に書いたわたしの文があります。校正が必要なのですが、アーカイヴとして載せているのでそのままにしています。http://www.taica.info/akbmmk.pdf
次の註の本の中でも、129-133P。
13 これに関しては、三村洋明『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために――』世界書院2010の第8章で書いています。
14  繰り返しますが、それは「標準的人間労働」という経済的土台の上に形成され、そこから一定独自性をもってきている上部構造です。
15 手話の世界にも、音声言語の「言語障害」に比することがあります。たとえば、手で表せない・表しにくいひとはどうするのかとか、手話の流暢性とかもあったりします。手話を国際共通語にと提起するひとがいるのですが、何かに統一するということで起きてくる抑圧性の問題も考えて、むしろ多様性を追求していくことだと考えたりしています。
16 切符の話は、自動販売機とかインターネットでの購入とかあって、今の若いひとにはわかりにくくなっているのですが、以前はこの切符を買うということが「吃音者」にとって一番多い悩みでした。実はこの話の後に、「吃音学」を当事者として切り拓いたひとが同じような話をしました。非「吃音者」のひとが、同じ事を言っているのに、なぜ、わたしの話が響かないのかという話をしていたのですが、非「吃音者」がそういうことをするのはひとつのパーフォーマンスで、当事者がするとそれはひとつの「開き直り」なのです。そこに位相の違いがあります。当事者学の必要性がそこにもあるのです。
17 もちろん、構築主義の不可知論や懐疑論的陥穽を押さえ、同時に第1世代の「社会が障害をもっている」というときの「社会」の実体主義批判をなす作業とともにですが。
18 わたしは日本に於いて、権利条約の批准に伴う国内法の整備として出された「改正障害者基本法」において、‘障害’ということばを、きわめて単純化して、「「障害者」が障害をもっている」を個人モデル・医学モデルとして、「社会が障害をもっている」を「社会モデル」として、分析してみました。すると、そもそも「‘障害’は医学モデル、社会モデルは‘障壁’」と分けられています。そして‘障害’は21文字ありましたが、いずれも医学モデルとしかわたしにはとらえられません。そして‘障壁’は3文字。その他‘障害者’という言葉は多数あるのですが、話の全体の脈絡として医学モデルともとれるのですが、この法律の対象者・主語という意味もあるのでそれを考察の対象から除外しているのですが、それでも、明らかに医学モデルでしかないと想定される‘障害者’と言う言葉が10個あります
19 わたしは本を出したとき、本の題名を「反障害原論」としました。これは「社会モデル的な意味での反障害です。これは、「障害の社会モデル」をまずアンチテーゼとして確立させるという意味合いももっていました。その後、もっと直裁に関係モデルとして突き出す方法もあったかなと思ったりしています。関係モデルについて、今の時点でわたしが一番まとめた論攷は、「障害の医学モデルと「社会モデル」の統合という錯誤―障害の関係モデルの宣揚のために―」
https://771033e8-ab2b-4e5b-9092-62a66fd59591.filesusr.com/ugd/6a934e_4079431451
20 これはジョン スウェイン編著『イギリス障害学の理論と経験―障害者の自立に向けた社会モデルの実践―』明石書店2010
この本のわたしの「書評」投稿は、『図書新聞』3011号 2011.4.23「書評」タイトル:「障害問題のパラダイム転換をなしたイギリス障害学-障害概念の分析、国際的視点、性差別、教育の問題点など俯瞰図的に描く」
21 物象化論は、もっと遡ることができるのでしょうが、わたしはマルクスの『資本論』の第1章商品の最終節(第4節)「商品の物神的性格とその秘密」からとらえ返しています(ちなみに、『資本論』は物象化ということで貫かれている、ともされています)。物象化を絶対化したことが物神化です。マルクスの物象化論は「ひととひととの関係をものとものとの関係と錯認する」とか「社会的関係を自然的関係と取り違える」とか定式化されています。註5に書いた廣松さんは、それを更に異化ということ、端的には言葉が生まれ出ずるところに拡張した概念として使っています。これについては、わたしの本第5章補節90-95P
22 このことは、著者が突き出しているOG(オントロジカル・ゲリマンダリング(存在論的詐術))177Pとリンクしていきます。著者の、このOGの具体的事例の説明文が出ているのですが、よく意味が分からないのです。ここで出ているのは、体罰――しつけ問題と、マリファナ問題ですが、以前同じような議論が出ていました。それは河野勝行『日本の障害者―過去・現在および未来』ミネルヴァ書房1974という本の中で、「障害児」の赤子が生まれたときの間引きを、当時としては差別ではないと書いているのですが、これは次の註23とつながるのですが、弁証法を使うとはっきりしてきます。当時の当事者意識としては差別ではなくても、現在的な第三者意識として、あきらかに差別なのです。
23  入れ子型とは、弁証法の概念です。そもそも弁証法は「対話」ということを語源にしているのですが、これは「für es」(当事者意識)と für uns(第三者(学的)意識)の対話による、認識の深化の道行きです。深化はほぼ質的な事ですが、それを量的なことに置き換えて、認識の深化を量な拡大にあえて置き換えて論じてみます。これを蓋のない箱を、大きさをずらして小さな箱に大きな箱をかぶせていくことで、認識の拡大(ほんとは深化)をしていく手法です。当事者意識に第三者意識を対峙し、これはヘーゲル弁証法のテーゼに対するアンチテーゼをなし、さらにジーンテーゼを生み出す。そこから、それをテーゼとしてまた新しいアンチテーゼを提示していく、そのことを通して認識の深化を拡大していくという作業です。かぶせるということが入れ子していくことになることから生まれた概念なのです。
24そもそも労働をどのように規定するのかの問題がありますが、わたしは他者のためにする(労働賃金をもらって会社のためするetc)ことを労働、みんなのためにする活動を仕事と規定しているので、ここは‘仕事’という言葉に置き換えることではないかと思っています。


posted by たわし at 03:10| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする