2017年12月12日

佐々木隆治『カール・マルクス: 「資本主義」と闘った社会思想家』

たわしの読書メモ・・ブログ417
・佐々木隆治『カール・マルクス: 「資本主義」と闘った社会思想家』(ちくま新書)筑摩書房 2016
ブログ206佐々木隆治『マルクスの物象化論 資本主義批判としての素材の思想』社会評論社2011の本を読んでいて、この本を書店の本棚で見つけ、買った本です。知り合いのひとがこの本を紹介していて、改めて読まなくてはと気になっていて、やっと読みました。
マルクスの思想遍歴というところでの入門書で、第1章が、初期マルクス、マルクスの思想形成過程。第2章に『資本論』に関する解説があります。第3章は、後期、晩期マルクスで、「資本論草稿群」とか書簡をとりあげています。
 さて、『マルクスの物象化論』は、わたしの「廣松物象化論」学習とのつながりで手にした本。廣松物象化論はマルクスの物象論をさらに認識論的に深化させた論攷なのですが、この本の著者は、マルクスの物象化論とは違うと、余り意味をとらえ返せていないようでした。ですから、ちょっと積ん読してしまっていたのですが。この本の第3章は、わたしの反差別論との関係で、気になっている後期―晩期マルクスに関する論攷です。「マルクスは、差別の問題をとらえ返せていなかった」という言説に対して、後期―晩期マルクスには、そのあたりのことを古代社会ノートとか共同体研究とか、農業、地質学、というところにも手を出し、今日いうエコロジー的なところの研究にも手を出していた、その中でマルクスが特に気になっているひとがフラースという「人間の耕作活動が引き起こす気候変動について分析した「自然学的な学派」にも注目する」226Pひとのようです。
そのようなところに反差別の芽があるということをわたしはとらえ返していました。
 廣松さんの共著に『資本論を物象化論を視軸にして読む』「という本があるのですが、この著者は「物質代謝」という概念で、『資本論』や「資本論草稿」を読み解こうとしているようです。
 このあたりは「じつは物質代謝論は『資本論』全篇をつらぬく基本視角だと言っても過言ではない。」206Pという文章があります。
「物質代謝」ということばの語源についての説明は「物質代謝という言葉は、もともとドイツ語でシトッフヴェルセル(Stoffwechsel)という「素材」意味するシトッフと「変換」を意味するヴェクセルとの合成語である。」211P
さて、もうひとつマルクスの生産力中心主義的なところから後期マルクスは脱していったということが、「マルクスは初期の「生産力中心主義的」な見地を乗り越え、むしろ資本主義的生産様式においては合理的な生産力が実現できないことを明らかにした。」221Pとして出ています。このあたりも反差別論に関して大切な論攷になります。

以上、だいたいマルクス学習の復習のようなこととして共鳴しながら読んでいたのですが、ちょっと疑問に思ったこと二つ。
ひとつは、労働論です。「このような、人間に固有な、自然との物質代謝の意識的媒介のことをマルクスは労働と呼んだ。すなわち、労働とは、人間が自然との物質代謝を自分の意識的行為によって媒介し、規制し、制御することにほかならない。」208P、この論攷で、差別されるもので、唯一マジョリティであるプロレタリアートを革命の中心に置くということがあり、そこから逆規定されて、労働という概念自体をとらえ損なうということがおきているのではないか、と思うのです。というより、あえてポスト構造主義の概念をもちいれば、「労働概念の脱構築」ということが必要になっていて、今村仁司さんの概念を持ち出せば、「労働の廃棄、労働の仕事化」という観点からこのあたりを押さえ直す必要を感じています。
もうひとつは、晩期マルクスの中にジェンダー論を読み解こうとしているのですが241-245P、そもそもジェンダーという性役割分業という概念自体をこの著者が持ち出しているところから、「女性という性の自然性」という概念にとらわれているのではないかと思います。そもそも、マルクス自身がどういうメモを残しているかの研究も含めて検証していく必要を感じています。このあたりは、むしろ男の限界を突破するフェミニストのひとたちの研究課題かもしれません。
この著者はMEGA(マルクス・エンゲルス全集)の編集に関わっているとのこと、大月版のこれまであったのもMEGAと言われていたのですが、実は「著作集」とのことで(旧MEGAとも言われているのですが)、新MEGAとも言われていた、このMEGA発刊が早くなされることを期待しています。反差別論の立場で貴重な資料となりそうなのですが、どうも、わたしには間に合いそうにありません。少しずつ段階的に出されているものとして、「資本論草稿」を読みたいと思っています。何を言っているのかということをきちんと検証し、その上でまだ残る限界を突破していく論の深化を勝ち取るためにも。そもそも、まだ、ちょっとしか揃えていないし、いつになるか、また課題が増えていきますー

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10・8山ア博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山ア博昭追悼50周年記念〔寄稿篇〕』

たわしの読書メモ・・ブログ416
・10・8山ア博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった: 山ア博昭追悼50周年記念〔寄稿篇〕』合同フォレスト 2017
ブログ414の『情況』で10・8羽田闘争50周年特集を組んでいた中で、紹介されていた本です。
 まさに、大きな転換点としてあった「10・8」で、その体験をしたもの、同時代的に、また時代が少しズレても、その影響を受けたものが、「お前は何をしてきたのか」「これからどうするのか」という問いかけの中で生きてきたことをいろんな立場から書き綴っています。そして、山アさん死亡が、どう見ても、警察官による警棒での撲殺事件としかとらえられないのに、学生側が装甲車を奪い轢死させたというデマを捏造し、マスコミを使ってキャンペーンを流したということをこの本の中で明らかにしようとしています。丁度60年安保の時に樺美智子さんの警察官による虐殺をデモの中での圧死とキャンペーンをはったように。
 このデモは佐藤首相がアメリカのベトナム戦争への加担の更なる進行として、南ベトナム訪問をしようとすることへの阻止闘争と組まれたもので、60年安保闘争以降、デモがサンドイッチでデモ(サンドイッチは中身が見える、中身が見えないあんパンだというような表記もでています)状態で、抑圧されていくような中で、実力闘争としてヘルメットをかぶり角材を使って機動隊の壁を突破しようとした実力闘争の走りでした。まだ、ヘルメットをかぶったひとの方が圧倒的に少なかったようなのですが。
 これから、機動隊の壁を突破する実力闘争が組まれていきます。ベトナムでは戦争でひとが殺され(当時はジャーナリストたちによる報道の自由がまだましで、映像がいろんな形で出ていました)、それにいろんな形で日本政府、日本の企業が関わっている、それを止めるためには、その暴力の行使の極である戦争への加担を止めるためには暴力も辞さないという闘いだったのです。そして、それは被害者としての運動だけでなく、むしろ自らの加害者性ということをとらえ返した、その加害者の立場を否定する運動にもなった、そういう運動として定立させたという転換点でもあったのです。その思想性は全共闘の「自己否定の論理」にもつながっていきます。そのあたりの加害者性をとらえられないところで、「城内平和」というエゴイズム的なところで切り捨てる、もしくは口だけの連帯を語るのではない、そういう運動としてこの闘いは取り組まれたのだとわたしは押さえています。
 わたしは遅れてきた全共闘世代で、「10・8」はノンポリ(政治的意識が希薄)だった高三の時、新聞で見てその内容もよくつかんでいませんでした。その後の、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争は、わたしの育ったところで起きたこと、まさにそのときの市民的関心が強く、そのときの時代精神というものを体験しています。駅前でカンパを集めたら、一万円札がポンポン入ったとか、高校で「デモには行かないように、もし無断で休んだら処分の対象になります」とかおふれが出て、それでも休んでデモを見に行った同級生が、昼休みに学校に来て報告をして、また見に行くとか出て行ったり、という話もありました。反共だったわたしの父が、高台の自宅から双眼鏡を持ち出して、三派全学連と機動隊の橋の攻防を見ていたり、橋のところまで見に行ったりして、機動隊の打ち込んだ催涙弾が市民病院に流れ込んだりして、市民が機動隊に抗議していたとか言って、「機動隊はひどい」とか言ってたりしていました。そのような市民の支持や共感の話はこの本の中にも出てきます。
 その時代精神のようなことが、今、「非暴力直接行動」の時代として、ほとんどとらえられていません (註1) 。「非暴力直接行動」ということば自体があいまいです。「直接行動」ということは、議会を通じた働きかけでない、直接の示威行動を指すのでしょうが、問題は実力闘争として展開するかどうかです。非暴力直接行動というとき、その言葉を使うひとの中には、実力闘争を組むと運動が潰されるから、実力闘争を組まないというイメージがあるようです。実力闘争には踏み込まないという事の中には、60年代後半から70年代に至る武闘的闘いの敗北のとらえ返しや、台湾や香港での実力闘争の敗北をとらえ返してというような発言も出ています (註2) 。沖縄の基地反対闘争では座り込みの実力闘争が行われています。戦争法反対でも横浜の公聴会の場で座り込みがありました。脱原発・反原発でも大飯原発再稼働のときには現地で実力闘争を組んだという話があります。(註3)また反ヘイトでもデモを阻止すると座り込んだりします。非暴力実力闘争として、現在も闘われています。
そこでの混乱は非暴力という方法論的問題と、非暴力主義ということの区別がついていないということです。
非暴力主義は宗教性を帯びた思想的非暴力主義を指すようです。それは旧約聖書の中の「右の頬を打たれれば左の頬を差し出せ」ということや、ガンジー的非暴力主義です。(註4)それは個人の思想信条の問題として、自分は決して暴力を振るわない、それで自分が殴られても決して手を出さないというのは、そのひとの個人的思想信条の問題です。ですが、自分の仲間が殴られていて、殺されるようなときに、黙ってみている、ただ止めろと叫ぶだけというようになるのでしょうか?
 運動が怖いととらえられないように、非暴力の運動として運動を広げるために非暴力という方法をとるというのを方法論的非暴力主義と名付けられるのではないかと思っています(註5)。
そもそもわたしたちの時代精神として、権力への抵抗から発する暴力への忌避感は余りなかったと思います。南ベトナム解放民族戦線の戦いをどうとらえるのかということで、そもそもその当時は米軍の非道さがきちんと報道されていたので、侵略的な戦争に対する闘いを非難するということは少なく、むしろ支持するという発信もなされていたのですから、(もちろん、その勢力が政権をとったらどうなるのかというところの路線の問題まで支持してはいなかったのですが)、そもそも非暴力主義ではなかったのです。その後権力マスコミ一体になった自分たちの暴力性をたなにあげた反暴力キャンペーンと、「内ゲバ」とその報道の中で、非暴力主義ということが形成されたのだと思います。
 そのあたりは、暴力を巡る、というよりそもそも総体的な運動の総括のようなことがきちんとなされないまま、運動がぽしゃっていくことがあります。この本を読みながら、改めていろいろな立場からの自らの運動の総括を進める必要を感じ、それをまとめる形での運動総体の総括の必要性を感じています
 さて、この本の中でも何回か出てくることがありますーそれは全学連書記長であった、解放派の高橋さんを中核派が自己批判を求めてテロったというはなしです。その前に解放派の中核派へのゲバルトということもあったようなのですが、そのあたりの事実経過も含めてきちんとした総括が必要です。これが、「内ゲバ」の走りのようなこと、ブント内のテロも起きています(何が内か外かということも押さえる必要があるのですが)。このあたり「セクト主義」とか「組織の物神化」という中身なのですが、このあたりのこともきちんとした総括が必要になっているのだと思います。
誤解のないようにもう少しきちんと書いておきます。わたしは根源的非暴力主義―反暴力主義の立場です。すべての暴力に根源的に反対です。ですが、既に暴力が存在しているときに、この社会が差別という暴力でなりたち、現実に暴力が満ち満ちているときに、「すべての暴力に反対です」と、客観主義的に言ってられるのかという問題があります。もちろん、反差別という立場は、自分は差別されるのはいやだけど、差別するのはいいということではないわけで、自分の意見を力で相手に押しつけるというようなこと(これも暴力です)には根源的に反対するのですが、そもそも今の政治は、権力が権力意思を民衆に押しつけてきているわけです。それをはねのける、押し返すのが反暴力主義なわけです。無抵抗でいることは、暴力を容認することになります。もし、問題がそのことだけの問題であり、自分だけの問題ならば、そして宗教的非暴力主義ならば、非暴力主義を貫けるのかもしれませんが、そのような問題でないところで、非暴力主義の立場にたちえません。もちろん、安易な暴力など容認できないし、自ら痛みをもった抵抗としての暴力、暴力を否定するが故の暴力の行使ということになるのだと思います。
 こんなことを、この本を読みながら考えていました。
 さて、シールズや反原連のことについて、いろいろコメントしていますが、あえてコメントしているのですが、そもそも過去の世代からするとどうも分からない運動になっているということは、わたしたちや過去の世代が、きちんと運動の総括をなしえないで、伝えきれない中で、切断されているというところで起きている問題なのです。総括は、まず自己総括からということで、その総括ということも含めて、この本もそのような意味をもっていることとして、この本があり、その本を巡る対話、わたしの文もあるのだと思います。他のところでの対話や文を書く行為自体が、わたし自身の総括、そしてわたしたちの世代の共同の総括、そして通時的な総括の座標になるのだと思います。

註1
 ブログ329・討議-小熊英二×ミサオ・レッドウルフ×奥田愛基「<官邸前>から<国会前>へ」(『現代思想 2016年3月号 特集=3・11以後の社会運動』青土社2016 所収)で、小熊さんは、2015年戦争法反対の運動と60年代後半から70年代の運動を比較して、後者はマイノリティだったから過激化した、という主旨のことを書いているのですが、後者の方が、社会的関心も高く、そして支持もあったのではないかと思います。時代精神を読み違えています。きちんと、その時代をとらえ返す資料が少ない中で、インタビューもしないで本を書いているから、そんな錯誤の文になってしまうのだと思います。そういう意味で、この本の出版の意味が大きいのだと思います。
註2
 これは、誰の発言かどこかで見たのですが、文献をさがせません。わたしはそもそも運動というのはほとんど敗北に終わるものだと押さえています。その敗北の中で、何を勝ち取っていくのかということが問題なのだと思います。たとえば、樺美智子さんの死は死を許してしまった、しかも偽りのキャンペーンに屈してしまった(そちらの方が流布した)というひとつの敗北ですが、それでも彼女は実力闘争を組む運動の中で生き続けています。今、実力闘争自体を忌避するようになっていくとき、そのことが危うくなっていくのですが。
台湾、香港の運動の敗北とか、簡単に言うけれど、わたしはその運動の中で獲得されたものが、将来の運動の中で生きていくとしたら、単なる敗北でもありません。何をもって敗北と言っているのか分からないのです。
ブログ356・SEALDs×上野千鶴子「上野千鶴子(社会学者)×福田和香子、奥田愛基、牛田悦正(SEALDs)対話」(atプラスweb)2016で、上野千鶴子さんは実力闘争をすれば潰されるとか、いうようなニュアンスの発言を繰り返しています。実力闘争をしたから、潰されたのではないのです。それに繰り返しますが、確かにほとんどの闘いは敗北に終わります。そもそも、その中で次の闘いを準備して、飛躍させていくのです。その回路をもった闘いが必要なのです。
註3
 ブログ412野間易通『金曜官邸前抗議 ---デモの声が政治を変える』河出書房新社 2012で、野間さんは大飯原発再稼働反対の運動に関して、地域では現実的被害がはっきり分かるから実力闘争を組める、けど東京では実力闘争は組めないとかいうことを書いているのですが、それは想像の欠如のようなことではないかと思うのです。原発事故はもう起きたのです。もう一度起きる、そのことがどう自らに影響を及ぼすのかを想像できないのでしょうか? もっと言えば現実に被害にあったひとたちの痛みを、自らの痛みとして共有化できないのでしょうか? 確かに温度差があるにせよ、民衆の怒りのようなことで、決壊を起こしたというのは、ひとつの実力闘争ではなかったのでしょうか?
註4
 ガンジー的非暴力主義を、野間さんは、屍越える運動としてとらえて、自分はそのようなところには組しないようなニュアンスの文を書いています。ちなみに、野間さんは警察はほんとの敵でない、として警察を柵にみたて、鉄柵の隙間からつぶてを投げるというようなことを書いています。つぶてを投げるというのだから、非暴力主義者ではないようなのです。鉄柵の例はわかりやすいので、わたしも援用しますが(もちろん警察官といえどもひとは鉄柵というものではないということは押さえた上で)、10・8以降の実力闘争は鉄柵をなぎ倒して敵に迫る闘争だったのだと思います。鉄柵を潰すということは目的ではないし、そんなことをしても意味がありません。ただ、そこに鉄柵があり、敵に迫るのを妨げるから、なぎ倒す、押し込むということをやるのだと思います。2015年国会前で起きていた鉄柵を巡る攻防や決壊もそのようなこととしてあったのだと思うのです。今日の実力闘争をも端から否定した主催者はそのあたりのことどうとらえていたのでしょうー実力闘争をしないという堅い決意をもって忌まわしくとらえていたのでしょうか? 上野千鶴子さんが「国会に突入していたら運動はつぶされていた」というような発言をしています。60年安保のときの樺美智子さんの死をどうとらえているのか、よく分かりません。わたしは彼女の死は、60年代以降の運動の中に引き継がれたのだと思います。
もうひとつ書いておけば、そもそもガンジー的非暴力主義は、インド独立闘争を闘ったガンジーが、カースト制度を撤廃するためにはむしろイギリス支配の方が良いというアウト・カーストのひとたちの主張に対して、ハンストをもって独立運動の統一を図り、結果としてカースト制度という差別制度を残すことになった。そこにおいて、ガンジーの非暴力主義は差別という暴力を残すという意味で非暴力主義になっていないという批判も出ています。
註5
 方法論的非暴力行動というのは、戦術的非暴力行動という言い方をされていました。軍事用語的になるので、反戦−反軍の立場としては、方法論的非暴力というあまり聞き慣れないことばを使っていきます。

posted by たわし at 17:32| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『現代思想 2016年3月号 特集=3・11以後の社会運動』

たわしの読書メモ・・ブログ415
・『現代思想 2016年3月号 特集=3・11以後の社会運動』青土社 2016
この特集のメイン的にあった討議で、ブログ329・討議-小熊英二×ミサオ・レッドウルフ×奥田愛基「<官邸前>から<国会前>へ」の読書メモを残しています。
 特集の残りの部分を読みました。
 小倉さんと木下ちがやさんと思想的なつながりを感じます。それが、ミサオさんや奥田さんまでつながっているような感じなのです。どこから来た系譜なのかまだよく分かりません。サンディカリズムというイメージがあるのですが。ただ、何か押さえ損なっていると感じているのです。
関西シールズの女性ふたりへのインタビューの記事がとても感動的でした。迷いつつ運動主体的に自己を確立しようとするその思いが伝わってきます。周りのひとに読むように勧めようと思います。感激して涙しつつ(歳のせいかすぐ涙ぐむのです)、元気づけられる文です。首都圏のシールズのメンバーの「生活保守」的なところではない動きもとらえられます。
台湾の脱原発の動きの報告も元気づけられました。
健康被害とかリスクコミュニケーションという語を用いた、御用学者たちの非論理的な動きへの非論理性の指摘が刺激的で共感していました。今ひとつ、押さえきれなかったのですが、概略つかんだところで、ほんとうに腹立たしく、この御用学者ともいうべきひとたちも無責任の系譜の中にいるのですが、きちんと責任をとらせていかなくてはと思うのです。
裁判関係の動きは、わたしも裁判支援をやっていた関係で、国策としてやって来た原発政策を国の機構のひとつである司法がどこまで分立性をもちえるか、わたしは余り期待できないと思っています。むしろ、運動の盛り上がりによって、裁判所も動かしていくということしか道はないのではと思ったりしています。
この特集はパスしていたのですが、前のブログの本の関係でつながって、取り出しました。やはり、これも最初の想定以上に収穫のあった雑誌でした。

posted by たわし at 17:30| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『情況 2017年 10 月号 [雑誌]特集 ロシア革命100年10・8羽田闘争から50年』

たわしの読書メモ・・ブログ414
・『情況 2017年 10 月号 [雑誌]特集 ロシア革命100年10・8羽田闘争から50年』情況出版 2017
ロシア革命100年と1967.10.8羽田闘争50年が丁度重なっていて、ダブル特集になっています。他の雑誌でもロシア革命100年をとりあげています。世界史的な歴史的な総括は膨大な資料を読む込む必要があり、これもまだわたしは踏み込めず、廣松さんと廣松シェーレのひとたちの論攷を読んでいて、後は雑誌とかで拾い読みしているだけ、この雑誌のこっちの特集は後回しにして、1967.10.8羽田闘争に関する特集だけ読みました。
 1967.10.8羽田闘争はベトナムへ佐藤首相が行くということで、日本が米軍の後方支援をしているところで、アメリカのベトナム戦争への加担というところでのベトナム行きを阻止するということで、当時の三派全学連が実力阻止闘争を組み、山崎さんというひとが機動隊に殺されたのです。今回の特集の中で、ベトナムの解放戦争に連帯した日本の闘いがあったということを展示してもらうということで、訪越団を送ったのですが、で、特集の中にベトナムに行ったひとたちのインタビューとかも載せられています。当時の、明かされていなかった事実関係が明らかになっています。全国全共闘の議長だった山本義隆さんがいろいろ資料集めとかしたようです。
 さて、わたしは世代的には団塊の世代なのですが、育ったのが佐世保で68エンタープライズ阻止闘争の熱気は高校3年で共有しているのですが、当時のわたしは思想的にはノンポリのどちらかというと保守的な考えでした。60年代末から70年初頭の反乱の時代に遅れてきた立場で、いろいろ伝え聞く、ちょっと本を読んでいるだけで、余り情況をつかめていません。羽田阻止闘争も訪米阻止として間違って押さえていました。そして、それもカンパニア闘争的にとらえていたのですが、この闘争は初めてヘルメットをかぶりプラカードという形を取りながら角材を持ち出した、実力闘争で本気で止めるというところでの闘争でした。野間さんの本の中で、鉄柵の話が出ていました。最初はスクラム、後に鉄柵という形で警察は阻止線を引いたのですが、いわば鉄柵を超えることとして機動隊の阻止線をゲバルトで超えようとしたことです。さて、このゲバルトをどうとらえるかです。ガンジー的非暴力主義や宗教的非暴力主義ならば、いかなる暴力も許されないとなります。たとえば、当時日本共産党は南ベトナム解放戦線のアメリカ帝国主義の闘いを支持していました。で、三派全学連のゲバルト的な闘いは批判していました。ベトナムでのアメリカの「侵略」戦争に対する反戦というところでの闘いでゲバルト的実力闘争を否定するのかというはなしです。もちろん、ここでゲハルト的実力闘争と実力闘争そのものは区別されるのですが。小熊さんは、マイノリティの運動だから過激化したと書いていましたが、むしろ民衆的総体的意識としては、少なくとも2010年代より意識は高かったのです。そこで、ゲバルトも含んだ実力闘争を許容する民衆の意識はあったのです。その後の過激派キャンペーンの中で、そのような民衆の意識が潰されたのだと思います。誤解のないように、断っておきますが、わたしは反差別主義で反暴力主義―根源的反暴力主義です。そもそもこの社会が差別―暴力で成立し、暴力に満ち満ちているときに、非暴力主義ではありえないと思っているのです。
 さて、この特集は10.8に至るまでのブントの再建とかのことも書かれています。また、三派全学連で共闘していたセクトの内部対立でのゲバルト問題とか出ています。最初の小競り合い的なゲバルトがどうして起きたのか、よくつかめませんが、中核派による、全学連書記長だった解放派のメンバーへのゲバルトは、まさにセクト主義です。ブント内部での対立も共闘が一定ある中で、ゲモニー争いの中でのゲバルトの行使。権力闘争でのゲバルトの行使とははっきり区別すべきで、党派どうしのヘゲモニー争いにはゲバルトを行使してはならないという原則がなぜ打ち立てることができなかったのでしょうか? このあたりの総括のようなこと、その後「内ゲバ」と言われたことの始まりのこととして、きちんとなしていくことです。

posted by たわし at 17:27| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「生きてる!殺すな」編集委員会『生きている! 殺すな―やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち』

たわしの読書メモ・・ブログ413
・「生きてる!殺すな」編集委員会『生きている! 殺すな―やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち』山吹書店 2017
やまゆり事件が起きて、「「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム」に集まっているひとを中心にして、「一人ひとり違う障害者の現実を「知らせる」本を作りたい」(「刊行にあたって」3P)と作った本のようです。
一人ひとり抱えさせられている問題の「違い」があります。障害問題に限らないのですが、一人ひとりが自分のことを書いていくと、それで本が出せます。そして自費出版も含め膨大な本が出ています。わたしはその中における「普遍性」のようなことや原理論的なこと、そして運動論のようなことを考えているので、そこまで手が伸ばせていません。それでも、「課題別」のことや運動に関することで出された本の中で書かれている、ライフヒストリーのようなことを読んできています。現実の矛盾をとらえ、差別に対する怒りを共有化する作業をしていて(怒りのようなところまで、至らないところでは、なぜ、至らないのかをとらえながら、怒りを潜在的に読み解こうとしています)、それがわたしの運動のそして運動のための理論化の作業のエネルギーにしています。そのようなところで、この本も読んでいました。
 やまゆり園事件が起きたとき、事件を起こしたひとりUだけの問題でなく、それは優生思想が起こした事件だということで、「障害者」自身も、自分自身を否定的にとらえる、医学モデル的に自分がもっている「障害」を否定的にとらえることにリンクしていることとして、そして「障害者」に介助者として関わる人たち自身が「障害者」と日々接する中での軋轢のようなことと(切断しつつも)リンクすることとして、問題の所在をとらえかえそうとしています。
 もうひとつ、施設の元職員が起こした事件ということで、改めて施設ということ自体をとらえかえそうということを、この著書の中で何人ものひとが書いています。そして、それは施設だけの問題だけでなく、この社会のあり方総体につながっているのだとも言い得ます。
 さて、もうひとつ、最近わたしは政治的な活動に開いて行っているのですが、政治情況がひどくなっていく中で、真っ先に被害を受けるのは、社会的弱者で、「障害者」自身が被害を受ける、そしてそのような弱者切り捨ての政治情況、そのような言説の広がりがやまゆり園事件が起こり、またいろいろなことが起きているという話も出ています。そういう中で、生きること自体が闘争という側面もあって動きにくいという側面もあるかとは思うのですが、なぜ主体的に動いていかないのかというとき、わたしはそもそも、運動主体としていかに確立していくのかという問題があるのだろうと思います。
そういうところで、この本の共著者の中の一番若い運動志向のひとで、親と一緒に生活しているひとが自立生活運動に踏み込んで行こうと計画を立てているという話がでています。自立生活運動というのは、まさに運動主体を確立していく上で必要なのだと思います。もちろんもっと幅広く生きていく上での当事者主体の形成という意味もあるのでしょうが。そのことをこの本を読みながら、改めて感じていました。
posted by たわし at 17:24| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

野間易通『金曜官邸前抗議 ---デモの声が政治を変える』

たわしの読書メモ・・ブログ412
・野間易通『金曜官邸前抗議 ---デモの声が政治を変える』河出書房新社 2012
シールズや反原連の運動についてときどき議論をしているひとに勧められ、借りて読んだ本です。この著者の本には、ブログ358での対談本・笠井潔×野間易通『3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs』集英社(集英社新書)2016で読書メモを残しています。また反原連の活動に関しては、シールズとの対話も含んで、ブログ329で・討議-小熊英二×ミサオ・レッドウルフ×奥田愛基「<官邸前>から<国会前>へ」(『現代思想 2016年3月号 特集=3・11以後の社会運動』青土社2016 所収)の読書メモを残しています。
 さて、この著者は反原連のメンバーのひとりですが、このひとが反原連の運動を「体現している」というような感じではありません。シールズも代表者をおかなかったし、反原連も代表を置かない運動だったのですが、シールズの場合奥田さんが「体現」しているという感じで、反原連はミサオ・レッドウルフさんが「体現」しているという感じがしています。そもそも、反差別運動や反差別的「市民運動」には、「誰も代表しない、代表させない」という形での運動があり、「体現」という言葉を使うこと自体に批判があるのですが、それでも、リーダーシップということがあり、一応押さえておく必要があります。この著者は、メンバーとしてそれなりに深く関わりつつ、それでも支えるという感じになっています。ですから、たぶん、他のコア・メンバーからすると、違うという意見が出てくるとは思います。
 読みながら首を傾げていたこと、いくつかの疑問のような思いをもったことを書いてみます。運動の総括は当事者が中心になってやっていくことです。ですが、論理性においておかしいことや、別の形で運動している立場から、総括ということは今後の活動に活かすこととして、総括を自分の運動でやっているものとして、総括ということ自体を共有化していくためにも、そのような観点での提起は可能だし、やっていくことだと思います。
さて、本題に入ります。
ひとつは、著者が運動が大きくなっていくときに、これ以上大きくなり、警察とぶつかり、ケガ人や逮捕者がでたらどうしようと不安に駆られていたということを書いているのですが、この発想がわたしには分からないのです。この著者の言っていることがどこまで全体化していたのか分かりません。実際に混乱して早く中止にしたり、全体判断していないのに、誤情報として中止のアナウンスをしたりしているので、少なからず、メンバーが総体的に不安に駆られていたようなのです。もちろん、集会をケガ人を出さず、逮捕者も出さず無事に終えるということも必要ですが、そもそも目的は、再稼働阻止―原発を止めることにあるわけです。ケガ人や逮捕者を出さないということを一番の目的にするのなら、集会を中止にすればいいだけです。集会を大きくしていくためには民衆の怒りを引き出し増幅させていくことが必要なのだと思いますが、反原連の運動ピーク時の行動は民衆の怒りをむしろ抑え込む方向で主催者が動いたのではと思います。そのあたり、官邸前に向かって決壊的に進んでくる民衆にスタッフが警察との衝突回避のために民衆に向き合うように立っていた、それが民衆に対峙していたかのようにとらえられてまずかったというようなことも書いています。そもそも何のために集会を開いているのかわからないような発想がおかしかったのではないでしょうか? もちろん、スタッフ自体が初めての経験の中で不安に駆られ、十全にできなかったことを後付け的に批判することではありません。ですが、それは総括として後の活動に活かすこと、そのような意味でこの文を書いておきます。実際、この官邸前・国会前の活動に学びながら出てきた国会前のシールズの活動では、どうも自らどう決壊を引き起こすかまではいかなかったけれど、決壊に乗って、警察の集会を押さえ込もうというところで規制線を引いたことを突破する行動をしたことがあります。ただし、シールズも集会破壊や集会を押さえ込もうとする警察の規制に十分対応できていなかったのではないかと思えます。それは以前から書いているのですが、警察との対応問題のおかしさです。それが疑問の二つ目ですが、その前にひとこと、ケガ人や逮捕者を出さないという設定をしたということでは、むしろ主催者自らがケガをしても逮捕されても、なんとしてでも止めるという運動に踏み出せなかったのかと思うのですが、どうなのでしょうーこれは、後にシールズで活動していた学生が、「ボクは死んでもこの戦争法案を止めたい」とか言っていたのを見たのですが、そのような決意性をもった反原連の運動ではなかったということではなかったということなのでしょうか? もちろんシールズも総体的に「死んでも」という運動ではなかったのですが、このあたり、原発震災後の反原発の初期の運動で、素人の乱の新宿デモで逮捕者を出して、運動がしぼんだことの総括のようなことの問題があります。なぜしぼんだのか分からないのですが、それは、疑問の三で書きます。
さて、疑問の二つ目、この本の中でもとらえられる警察の動きの押さえ方への疑問です。警察が本当の敵ではないというところで、「真正面からぶつかるべき相手でなく、おだて抱き込みうまくかわす対象でしかない。」133Pということですが、管轄の麹町署との交渉とかしていているのですが、警察の押さえ方が甘いとしか思えません。管轄が対応しているのは、集会が交通整理段階の運動規模の時です。その管轄の段階でも折り合いがついていないのですが、集会の規模が大きくなると、警察は機動隊が前面に出て、「国家意志」の体現者として現れ、集会の規模を小さく見せる、集会そのものを破壊し、解散させようとします。その時にどうするのかという問題があります。「おだて抱え込みうまくかわす」なんて、できようがないのです。民衆の力で押し返すしかないのだと思います。このあたり、ゆらぎがあったようです。むしろ、何とか民衆を押さえ込もうとしていたところもあったようです。そのあたりがどうも分からないです。
疑問の三つ目、ケガ人や逮捕者がでると運動がしぼむと思っているようなのですが、それは「素人の乱」の新宿デモで逮捕者が出て、それが運動がしぼむ原因になったというところから来ているようなのですが、それは逮捕者が出たときにきちんと対応する態勢をつくっていないということがあったことがひとつ、もうひとつはどうも分からないのですが、逮捕されたひとって、開き直ってより運動にのめり込んでいく場合もあるとわたしは考えるのですが、そのあたりの時代精神のようなことが分からないのです。
 四つ目、どうも反原連は左翼嫌いのようなのです。総体として左翼嫌いかは別にして、繰り返し左翼嫌いの言説が、ちゃんと批判されることもなく繰り返されている情況はあったようです。どうも、分からないようなのです。反原連がシングルイシューの立場をとり続けていることとつながっているのですが、そもそも原発がなぜ続けられようとしているのかというところで、資本の悪無限的利益の追求で、ひとの命よりカネが大切ということがあり、そこで資本主義社会の構造なりがとらえられると思うのです。また、そもそも反原発の立場のひとたちは、いろいろな社会の矛盾をとらえて、そこでの批判の意志と反原発ということがつながっているのではないでしょうか? そうすると左翼嫌いということは、総体的矛盾をとらえることを拒否するとかいうところにおいてしかなりたちません。また、そもそも反権力ということに至らないので、弾圧を受けるとしぼむという運動になってしまいます。そのあたりの議論がたぶんなされないまま、揺らぎの中に反原連は漂っていたのでしょうか? このあたりの左翼嫌いの言説には、むしろ左翼側の総括がきちんとなされないままであったという、左翼側の責任があるのだと思います。実はこの本を読む前に『情況』の67.10.8特集を読んでいました。ひとつの総括、総括の始まりです。左翼アレルギーのようなことがなぜ、起きたのかの総括が必要になっていると思います。
 これについては次々回のブログにもつながります。また、そのあたりのことは、ちょっと文を書き始めています。

 さて、いつものように切り抜きメモです。
 「同時に礼儀正しく秩序を好み暴力的な雰囲気や騒乱を望まない。これは、それまでの運動ではあまり重視されてこなかったふるまいだ。しかし、それこそが、じわじわと政権を揺さぶる可能性を秘めているのである。」101P・・・秩序の中で何が進んでいくのか、ということをとらえられなかった。民衆の怒りを必死になって押さえ込む方向で動いてしまった。そもそも官邸前コールの暴力性をどうとらえるのか?
 「安全確保」130P
 「お前の大好物のカクメイなんて犬にでも食わせちまえ」131P・・・左翼嫌いの言説
 「それらの提案や批判が、官邸前の抗議の目的とはなんの関係もなかったからである。」132P・・その後の再稼働阻止の運動が「アベ政治を許さない」の運動と結びついていってこと、反原連がシングルイシューの運動から2015年7月からの12団体との共闘を呼びかけたこと、しかし、シングルイシューから脱しきれずに、その共闘の運動がその後どうなったか、の総括が必要だと思います。
「真正面からぶつかるべき相手でなく、おだて抱き込みうまくかわす対象でしかない。」133P・・・うまくかわせなかった。国家権力の意志を体現してくる警察を甘く見ている。
 「(警察を鉄柵に例えて、その隙間から・・・引用者註)石つぶてを投げれば良い」133P・・・非暴力を唱えている運動で、たとえが良くない。単に言葉の暴力的なことで、運動の実態と合わないことばだけの「石つぶて」を投げていただけ。
 「非暴力不服従からさらに一歩さがった」134P・・・実力闘争をやらないということなのか? これはシールズにも通じていくこと。それを誰か(註*)や民衆が「決壊」という形で少しはやった。大飯の時も現地では実力闘争に踏み込んだ。それを温度差のように書いているのですが、民衆の前の方では同じような温度で現地と連帯する熱はあったのではないのでしょうか? 沖縄での座り込み実力闘争についても言えます。「非暴力直接行動」というあいまいな言葉をつかっているのですが、問題は実力闘争に踏み込むのか否かの問題なのです。反原連もシールズもそのことを端から否定してようなのです。わたしは何も、首相官邸や国会に突入すべきだったとかいっているのではありません。国会や首相官邸に突入して占拠して、臨時革命政府でも作るところまで行けば意味があるとしても、そこまでの情況に至っていないときに、また民衆の意識がそこまで至っていない時に突入しても意味がありません。でも、いろんな形の実力闘争はあったはずです。例えば、戦争法案のときは、横浜での地方公聴会で、座り込み―寝っこがりをして、議員を封じ込めて、国会に移動させないことによって、審議をストップさせる、遅らせようとしました。
ガンジー主義へのコメント135-6P
「この器を壊さず維持するためには何をすべきか、具体的にはケガ人や逮捕者を出さないためにどうすればよいかということだけだった。」137-8P・・・本末転倒
「これはすでに自分たちの手に負えない事態になっているのではないか、私の頭からそんな不安がなかなか払拭されなかった。」153P・・・どうも分かりません。それが総意なら、集会主催者を降りればいいことです。そこで、新しいちゃんと担える新しい主催者が出てくる可能性があったのではないでしょうか?

posted by たわし at 17:21| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『季刊福祉労働156号 特集:障害者の「働き方改革」』

たわしの読書メモ・・ブログ411
・『季刊福祉労働156号 特集:障害者の「働き方改革」』現代書館 2017
かつて「障害別」を超えた全国的「障害者」団体の交流会の分科会では、労働の分科会を選択することがあり、また裁判支援で「障害者」の就労情況をインターネットで検索したりしていたことがありました。その学習の続きのようなこととして、参考になったのですが、「そもそも労働とは何か」のようなことを考えているわたしの立場で、その関心事にはひっかからず、ざーっと読み流してしまいました。

posted by たわし at 17:19| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日山紀彦『廣松思想の地平: 「事的世界観」を読み解く』

たわしの読書メモ・・ブログ410
・日山紀彦『廣松思想の地平: 「事的世界観」を読み解く』お茶の水書房 2016
この著者は廣松シェーレと言われているひとたちのひとりです。
久しぶりに廣松さん関係の本を読みました。著者が「あとがき」に書いていますが、難解な廣松さんの本を読みやすく解説するのではなく、自らが廣松思想をテキストクリティークしていくという自己ノート的に書いているので(T部とU部)、廣松思想を知らないひとが読むと、もっと難しくなっています。廣松さんの本を読み込もうとしているひとにとって、すーっと読める本なのです。
V部は中国の南京大学の張さんの廣松批判との対話、補論は物象化論の歴史を押さえようとしていて、物象化論に関する重要文献のひとつになっていくのではと思える論攷です。
さて、T部U部は廣松さんの論攷の自己ノートで、だいたいすーっと読んでしまいました。後でこの部分の切り抜きメモを残します。
日本思想界のひとの名前を出して、「巨星」3Pと評価していますが、むしろ世界的に位置づけられること。廣松さんの思想は翻訳の問題があって世界的に広がっていないのですが。
サルトルのことば「マルクス主義の(のりこえ)を自称するものは、悪くするとマルクス以前の思想へのあと帰りになるし、よりよい場合にも、のりこえたと信じられた哲学のなかにすでに含まれていた思想の再発見にすぎない」23P
「諸個人の「生」の社会的具現のための実践すなわち「対象的活動として労働」こそが、人間的把握の基底に据えられるべきだという視座である。」149-150P・・・今村仁司さんの提起から労働と仕事の区別の必要性、労働の特権化に陥っている
社会の物象化としての社会実体論154P
「社会的諸関係の第一次性、実体的個人の第二次性」156P・・「実体的個人」?
第V部が、今、話題になっている張さんの『マルクスに帰れ』の中の、廣松批判との対話です。わたしは購入していますが、いつものようにまだ「積読」状態です。
張さんの本を読んでから書くことですが、日山さんの批判にとりあえずほぼ納得しています。
張さんの廣松批判の問題性を日山さんは二つ指摘しています。一つ目は、「仮象」「仮現」とかいうことばを廣松さんが使っているのは、ものが散在すること自体を否定することになるという張さんが批判しているという話です。日山さんは、四肢構造論というところで反批判しているのですが、四肢構造論という全体的なところより、<そのもの>―「それ以外のもの」「それ以上のもの」というところで、<そのもの>の存在を否定するのは懐疑論に陥ると廣松さんが指摘しているところを持ち出したら、分かりやすいのではないかと思います。だから、「仮想」ということばが妥当かどうかはあるにせよ、張さんの指摘は読み違えとして指摘できます。そもそも「仮象」「仮現」という指摘は翻訳の問題があるのではと思うのです。「仮象」「仮現」ということばを廣松さんが使っている記憶がないのです。わたしは記憶が苦手なので、あやふやですが。このあたりは張さんの本をあたってから、再度読み込んでみます。
張さんのもうひとつの指摘は、「物象」や「物象化」ということばよりも、「事象」ということばがよいという指摘は、そもそも、廣松さんは「物象化」ということを物象化批判の脈絡でだしていること、そのあたりは、構築主義が構築主義批判ということと区別なく用いられていることに通じることです。廣松派の小林さんが廣松さんの「事」を、実体化に陥るとして「ことなり」と読み替えることへの、批判にも通じます。そもそも、「ものからことへ」と突き出したのは実体主義批判として出していることで、そのことを押さえれば、わざわざ置き換えるのは、そもそも物象化ということばがどのように使われているのか、事という言葉がどのように使われているかを押さえていないのではないか、と逆に思うのです。
この部分の切り抜き
「「物」と区別して・・・。これはわれわれにはわからない。」218P・・・小林敏明「ことなり」の提起に通じること
「史的唯物論の『物』は、自然物の上に立つ[受肉した]社会関係的存在なのである。」221P・・・「上に立つ」・・・スターリン的史的唯物論における自然弁証法の上に立つ唯物論への批判
物象化と物象態227P

さて、補論は、物象化論の歴史とも言い得ることです。マルクスの埋もれていた「物象化」の概念を掘り出したのは、ルカーチです。個人的なことを書いておくと、わたしも廣松−マルクスの物象化概念を押さえる作業の中で、ルカーチの『歴史と階級意識』を読みました。物象化論の学習の必須文献というところになっていくことではと思います。もっとも、ルカーチ批判もさまざまになされています。この著書で書かれていることも、既に書かれていたこと。さて、ルカーチの物象化論も、ルービン―コーン論争などを通して(ルービンの評価は廣松さんの改訂新版の『資本論の哲学』で取り上げられています。)、ロシア・マルクス主義によってルービンもルカーチも断罪されていくという著者の指摘。それが60年代から、再び取り上げられていくという歴史。
 さて、この部分の抜き書き。
マルクスの用例物象化・物化ということば 243P
個人と社会、人間観246P

posted by たわし at 17:10| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月09日

古居みずえ監督「飯館村の母ちゃんたち 土とともに」

たわしの映像鑑賞メモ023
・古居みずえ監督「飯館村の母ちゃんたち 土とともに」2016
飯館村はフクシマ原発事故で、かなり原発から離れていたにもかかわらず、ホットスポットになって、全村避難に追い込まれた村です。農村が総体的に過疎に追い込まれる中で、ここでは新しい試みをしていた地域で、土に対する思いがつよく、それが一挙に無に来去られたような情況です。
このドキュメンタリー映画の主人公は二人の「母ちゃん」、ひとりはすごくおしゃべりで、もうひとりは絶妙な合いの手を挟みます。郷里を追われて福島県内の仮設住宅に暮らし、そこで土地を借りて農を営み、郷土料理の紹介などしているのですが、郷里への思いが募り、その郷里・飯館村に一時帰村すると、そこにはフレコンパツクの山、政府や県の方針で、避難解除の基準を、平時の20倍にして、帰村を進めようとしているのですが、農がどこまでできるのか、そして放射能汚染で、子どもを抱えた家族は帰れず、盆・暮れで孫たちが帰ってくるのもままならず、家族がバラバラにさせられています。
この映画はわたしの住んでいる地域のお祭りの中で自主上映したもの、監督の講演もあり、質疑応答もありました。質問者もいろいろな意見が出ていて、「余り放射能の危険を言うと、そこに住んでいるひともいるのだから」というような意見や「もっと原発反対の意思を出した映画にしてほしかった」という意見が出ていたりしました。
この映画監督は長年パレスチナの難民をとり続けていたひとです。原発事故で、難民・棄民になっているひとたちへ、難民というところのつながりで、そこで生きる人たちを描いたのだと思います。戦場の映像を撮る監督の中には、悲惨な中で、なおかつそこにある子どもの笑顔を撮ったりしているひともいます。そこで、平和を訴えたりもしているのです。ちょうど、読書メモで「難病」の「難」とのつながりとも感じていて、そのあたりのつながる思いを聞いて見たかったのですが、訊き逃しました。別の機会にこの監督の他の映画など観てみたいとも思っていました。

posted by たわし at 02:49| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西原孝至監督「もうろうをいきる」

たわしの映像鑑賞メモ022
・西原孝至監督「もうろうをいきる」2014
 シールズのドキュメンタリー映画を作った監督の作品です。
盲ろう者はさまざまのひとがいて、コミュニケーションの方法も違ってきます。
そのことと、生きる術を習得していく様子も描かれています。そして東日本大震災などで環境が変わることによって、困難さを抱えさせられていく、この国の支援の体制の作れなさがそれを倍加している様子が伝わっていきます。
支援の必要なひとに、どういう支援をしていくのか、もっと、「必要なものを必要なだけ」きちんと無条件の支援の態勢が必要なのです。この国の「福祉」の貧困を、「そもそも福祉とはなにか」ということを考える必要があるのではとつくづく思うのです。
posted by たわし at 02:47| 映画鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大野更紗『困ってるひと』

たわしの読書メモ・・ブログ409
・大野更紗『困ってるひと』(ホプラ文庫)ポプラ社 2012
この著者はビルマ難民支援をしていて、大学院に入ったところで自分が「難病」になったひと。著者自身は「闘病記ではない」と書いているのですが、これでもかという「闘病記」です。でも、病気での苦しさと、理解のない中での苦しさ、難民支援をしていた経験から、どういう支援が必要かという、支援・制度の問題を押さえようとしていて、病院を出るところで、ここからが自分の新しい始まりだとしているところで終わっています。
 ひとはこれほどまでに自らの体験で鍛えられて「強く」なっていくのかという、むしろその経験のもたらしたこととしての、このひとの生き方のようなこと、とても心揺さぶられるのです。こんなことを書くと、「強くなんかないし、強くなんかなりたくない」ときっと著者から叱られるのでしょうが。
 暗い文にしないという思いがあるのでしょうか、文体自体が今時の若いひとのキャピッた風の文で明るさを醸し出そうとしているのですが、内容が重い内容だから、余計切なくなっていきます。
 「難病―障害」として押さえて、どう支援の制度を作っていくのかというところで、とても大切な本です。ネットワークが作られつつあると思うのですが、それにしても制度の谷間とか、そもそも支援が必要なひとに支援が届かない、この国の「福祉制度」はどうなっているのかという、怒りのようなことをわたしは思わざるをえませんでした。そもそも、お金の使い方がおかしいのです。必要なひとに必要なものを提供していける社会をつくっていけるはずなのです。こんな生きること自体が苦しいひとに、支えるシステムを作らないと、ひと総体が生きて行けないのです。金持ちの金儲けのための経済とか戦争への道に金を使うなんて、どう考えてもおかしいのです。そんなことに使う金があれば、もっと支え合える関係が作れるのです。
 切り抜きメモ
 「わたしは、友達を、実は搾取しているだけなんじゃないか! 」172P
「その国の「本質」というのは、弱者の姿にあらわれる。難病患者や病人にかぎった話ではない。あらゆる、弱い立場の姿に、あらわれる。/ビルマ女子は、タイやビルマで、路上や難民キャンプで、苦しむ人たちの姿を見てきた。貧困の姿もまざまざと見てきた。しかしそれは、いくら旅を続けようが「他人事」でしかなかったのかもしれない。/「これが、苦しむ、ってことか」/わたしははじめて日本の、自らの「本質」と向き合った。」173P
 「わたしは、「難」の「観察者」ではなく、「難」の「当事者」になったのだ。」174P
 「ここはマリアナ海溝なのだ。難病患者は、「制度の谷間」に落ち込む、福祉から見捨てられた存在だった。」207P
“今一番感じていることは「開発」「援助」、それらの言説そのものへの疑問である。「住民参加」や「住民主体の開発」という言葉の裏には、援助する側、援助される側、の権力構造が見え隠れする。/ビルマの難民キャンプの暮らす人びとにカネやモノを援助し続けることは、確かに一時的に凌ぎにはなっても、彼らの苦境の根本的な原因を取り除くことにはならない。/最も周縁化され、最も援助を必要としている人びとにとっての最良の支援、政治的な構造を変革することなしには実現し得ない場合が多いのではないのだろうか”237P・・・著者自身の卒論を自分の今置かれている立場から、読み直し引用しています。
 「よくなっています」という医者のことばは、医者サイドの立場からの発言、「よくやっています」と患者主体に変えて欲しいという押さえ方316-7P
「ということで、オアシス(入院していた病院、ひいては医者のこと・・・引用者)の頭脳は、医学的には述べる賛辞が見つからないくらいトレビアンだが、世間の激動についての認識は年相応のただのおじさんたちである。という当然の事実が判明した。先生たちがいかに激務をこなしているかは重々承知である。激務だからこそ、いかに難病女子がシャバで苦労しているか、患者にとって何が大事なのか、わかってほしい。」329P
NIA(Nan=難Intelligence Agency)・・・著者の常套的冗談的造語・・・命がけの病院脱出作戦329P

posted by たわし at 02:45| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐藤幹夫『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』

たわしの読書メモ・・ブログ408
・佐藤幹夫『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(朝日文庫)朝日新聞出版 2008
この著者の読書メモはブログ405でとりあげています。読む順番が逆になっていて、この著書が著者の最初のノンフィクションの作品です。裁判の傍聴をしながら、加害者・被害者の家族や支援のひとたちにも綿密にインタビューをしながら、それぞれの立場のひとに思いを馳せて、書かれた著書です。事件の概要、裁判でのやりとり、加害者、被害者のインタビューを絡み合わせながら、なぜ事件がどのようなこととして起きたのかを、より合わせるように描き出していて、読者に事件がなぜ起きたかの、ぼんやりとした、でしかないのですが、読者からそれなりの個々の思いを引き出す秀作です。
この著者は、前のブログにも書きましたが、養護学校教員として勤務したことがあり、「自閉症」のひとたちと出会い、その立場から、この事件に留目し、加害者側の支援的なところから裁判傍聴に入っていっています。
一般に、加害者、被害者どちらかの支援をすることになります。そもそも加害者側の支援をしているひとは被害者側から拒絶されるので、双方のインタビューを取っていくのは困難なのですが、加害者も被害者ではないかという観点から、そして犯罪を憎み、きちんと贖罪して欲しい、そして犯罪を防ぐすべを見いだしていく、というところで動いていたからとれたインタビューなのだと思います。
そもそも著者が仕事をしていたときには、「自閉症」と規定される「障害」のこと自体が、まだはっきりしていない時です。この裁判の支援をしていたひとのひとりに、加害者の特別高等養護学校の担任だったひとがいて、そのひとも担任をしていたとき、自分の生徒が「自閉症」と規定される生徒とわからないまま生徒に接していたのですが、自分の事情で3年目の担当を外れ、双方が引っ越しなどして連絡がとれなくなってしまったことや、自分が担任していたときに十分に対応していなかったことが、この事件につながったことの自責の念から支援を続けていたのです。この「自責の念」ということが、この著書の表にでないようなベース音的なことを奏でています。加害者の生まれ故郷の北海道で触法「障害者」の支援も含めて「障害者」支援をしてきた「共生舎」のひとが、自分たちがコンタクトをもちえていたらこの事件を防ぎえたのではと、自責の念にかられて、裁判支援を始め、加害者の父や妹の支援に入ります。このノンフィクションの最終章は加害者の妹さんの話です。この事件で、「共生舎」の支援につながり、がんに冒され死に至る最期のときを、「楽しいことなど何もなかった」という人生から、それなりに楽しみを味わえた(?)生として閉じるのですが、自分が兄に「家には二度と戻って来るな・・・」と言ったことが、犯罪につながったのではないかという自責の念に襲われ、年代の近い被害者の生を切断した兄を許せないという思いも抱いていたようなのです。
「加害者」という言葉を使い続けているのですが、加害者家族の社会から切り離された、福祉や支援から切り離された生を見ると、加害者も被害者なのだということが、はっきりしてきます。わたしは「障害の社会モデル」について学習しているのですが、そのことは「犯罪の社会モデル」ということにもつながっていきます。ひとりの「犯罪者」と規定されたひとが、「犯罪」に至るまでの過程を、この本はそれなりに明らかにしてくれています。それを見ていると、「犯罪者」の責任を言い「裁く」前にか、同時か、後か、どちらにしても「社会の責任」も問題にしなければいけません。裁判員裁判などという恐ろしい制度に加担させられるとしたら、そこで有罪の判決を出すとしたら、自分も社会の一員として、自分自身が社会の構成員として「自分自身の有罪」を宣告することです。
こんな話をしていると決まって、同じ「障害者」でも事件を起こすひとと起こさないひとがいる、貧困が犯罪を起こす最大の原因になると言っても、貧困者で犯罪者を起こすのは一部であるから、そこに自己責任の問題がある、という意見が出てきます。わたしは、それは頼るひととか、関係的に救うひとがいる、そこから「犯罪」の道に入るのを防いでくれるとかいう話をしています。更に、これはもっとマクロ的にとらえれば、福祉や教育の不作為ということを含めた問題なのです。
この本の中で、被害者の親戚のひとの、被害者は地雷を踏んだのだ、地雷など除去しなきゃいけないという発言がでています。被害者もその親戚も傷つけられた立場で、感情的になっていく心情は汲むことで、論理的な話はとどかないのかも知れません。でも、地雷は自然物ではないのです。作られた物です。誰が作ったのか、どのようにして埋められたのか、この本でもそのことを探ろうとしているのです。不作為ということも含めた「社会」の責任もとらえることです。
もうひとつ、この裁判は「自閉症」ということを出したおそらく初めての裁判です。で、その無理解とかいうところで、「自閉的傾向」というところで検察・裁判所に押さえ込まれて判決にいたり、そして警察の取り調べ段階から、警察が加害者が抗しきれないところで、かなりの部分をでっちあげていったのではないかという疑義が出ています。この著者が次に関わったブログ405の裁判では、弁護団が主張していることが、少しは押さえられるようになって、もう少し、「自閉症」ということがとらえられた裁判になっていったということもあったようです。この裁判に関わった弁護士さんは「障害問題人権弁護団」の立ち上げにかかわつたひとで、そのひとり副島さんは数年前に亡くなられました。お通夜に行ってきたのですが、合掌―
今、ちょうどむちゃくちゃな政治情況の中で、この本を読んでいたので、そこでの思いにつなげて、蛇足的な文になることを恐れつつ、それでもあえて書いておきます。
フクシマ原発事故が起きたとき、安全神話を唱え拡大していくことを担ったひとたちは想定外だとして(後でほとんどが嘘だと分かってきています)、平然と責任回避に走りました。そのことを想定して、ちゃんと危険性を訴えてきたひとがむしろ、力及ばずして止め得なかったと、自責の念にとらわれ涙していました。原発事故の責任を誰もとってはいません。事故は起きないと断言していたアベ首相が、事故後首相に復帰しました。今、原発震災関連死、郷里に帰れなくなって死んでいったひとが2千人にも及ぶと言われています。それなのに、誰も刑事責任をとることなく、原発の再稼働を進め、原発の輸出さえ進めようとしています。そして戦争ができるようにと、憲法を無視して、勝手に解釈を変えて突き進んでいます。更に戦争ができる国へと憲法「改正」にまで突き進もうとしています。それは地雷どころではなく、核爆弾を作動させようとすることです。
多くの「犯罪」と言われることは、差別の反作用として起きることがほとんどです。そうでないことは、権力犯罪としておきること、お金儲けや政治家個人の名誉として、むしろ差別する側のひとが起こすことです。このことこそこそ、責任がとわれることです。そして言うまでもなく、それを許してしまっているのは、民衆のひとりひとりです。そういう政治家に積極的に投票するか、無関心から支持したひとたちや、力及ばずして止め得なかったこと、それぞれがそれぞれの「社会を構成している・構成させられている」責任ということがあると思うのです。
もちろん、犠牲ということは数の問題ではありません。自然災害も含め犠牲がでたときは、数として何分の一、何万分の一かもしれませんが、当事者や家族・友人にとって、一分の一なのです。ですから、刑事事件の場合、被害者家族から喪失感から怒りが加害者に「重刑」を求める動きが出てくるのですが、同時に「犯罪の社会モデル」的なところをとらえ、「社会」の責任とそれを構成している・させられている自分の責任も問うていくことが必要なのだと思うのです。
さて、抜き書きです。
時代動向の中のこの裁判の位置47-8P・・・池田小事件・医療観察法制定の動きの中でのこの裁判
「自閉的傾向」ということでのごまかし114P
著者の「自閉症」論120-4P
「犯罪加害者となった障害者の支援は、被害者をないがしろにすることになされてはならない。しっかりと被害者に向き合うことができたとき、ほんとうの障害者支援になる。また逆に、被害者への支援は、いたずらに加害者への憎しみを煽るようなことになってはならない。むしろその逆ではないか。加害者の憎しみが消えていくような支援こそ、もっとも力となる支援なのではないか」169P・・・犯罪加害者への支援と被害者支援の弁証法
「国家が国家のために行うものが刑事罰である。」176P
「答えは男のなかにではなく、むしろ私たちのほうにあるのではないか。彼らの独特の世界と、なにを共有でき、なにが共有できない決定的相違なのか。その「壁」のようなところで、近づきあぐねているのではないか。少しずつ、私はそう思いはじめている。」193P
・・・「障害の社会モデル」的なことに通じる反転
 「人としての「罪と罰」を求めればこそ、障害への理解が不可欠になるのであり、それなくして責任も贖罪も十全たるものとはならないのではないか。ほんとうの意味での再犯の防止とはならないのではないか」278P
 「「内面」があることによって「言語」が生まれたのか、言語をもったことによって「内面」が生じたのか・・・強い相関関係・・・」332P

posted by たわし at 02:39| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『現代思想2017年8月号 特集=「コミュ障」の時代』

たわしの読書メモ・・ブログ407
・『現代思想2017年8月号 特集=「コミュ障」の時代』青土社 2017
この雑誌の特集、「コミ障」ということば自体が流行語になっている感があります。
 わたしは反障害論の中身として、マージナル・パーソン論をやってきたので、「発達障害」概念が出てきたとき、ひとつは相も変わらず医学モデル的なところで、「障害」規定を増やしていくことに反発しつつ、関係モデル的なところで、障害を広くとらえ返していく事への期待を持っていました。一般に医学モデル的なところで、「障害」の「重い−軽い」が語られるのですが、正規雇用の中では、採用する側で「コミュニケーション能力」重要視が語られ、むしろ他の「障害者」比しても排除されていく側面も強いこともあります。わたし自身、「吃音者」というまさに、マージナル・パーソン的存在として、この特集は興味深いことがありました。ただ、そもそも障害概念の整理をさておいたところで、問題が錯綜していくことに何か不全感を持ち続けているのですが。
 この特集の中で、グループワーク的な話が出てきます。新しいこととして、北欧から始まっているオープン・ダイアローグの話は、「吃音者」の団体の中で、エンカウンター・グループとかLグループとか経験してきた立場で興味深いことがありました。それなりに、この差別社会で折り合いを付けて生きていくすべを得ていくということではこういう実践もいろいろ試行錯誤していくことではないかという話もしていました。ただ、わたしとしては、反差別というところで、障害問題をとらえ返してきた立場で、もう少しここから問題をとらえ返し整理していく、掘り下げていく必要を感じています。
 さて、いろいろ参考になったところで、抜き書きをしておきます。最近抜き書きが不調です。どこまで、ちゃんと残すのか、そもそも備忘録で、ついでにオープンとして始めたことで、文を書いているひとの思いを捨象してしまっているのです。全部メモ書きしていたら、時間が足りなくなるのです。余りにも学習することが多く、追われている感が強くなってきています。何を勉強するかではなくて、何を勉強しないままにしておくかみたいな心理になって来ています。人生を楽しみながら、学習し活動していくという姿勢にはほど遠く・・・。
 平田オリザ「演劇を教える/学ぶ社会」
会話(conversation)と対話(dialogue)の違い39P
討論T 国分功一郎/千葉雅也「コミュニケーションにおける闇と超越」
「心の闇」をいかに育むか。それがコミュニケーションの根本でしょう」(千葉発言)
 樫村愛子「コミュニケーション社会における、「コミュ障」文化という居場所」 −「コミュ障」文化
 大黒岳彦「情報社会の<こころ>−<社会の外部>の消失と「コミュ障」」 ―「引き篭もり」
「外部―内部」の問題 共同幻想と上部構造のとらえかた102P/国家の介入の過小評価/廣松の援用と廣松とのズレ
討論U 斎藤環/信田さよこ/森川すいめい「ダイアローグの場をひらく―「コミユ力」偏重社会の分断を超えて」
スクールカースト117P/お笑い芸人のコミュ119P/空気とノリが発話を抑圧120P/
同調性を前提にしたコミュ力123P/想像的他者・現実的他者・象徴的他者123-4P/
「聞く」と「話す」を分ける124P/調律する126P/「「正しさ」や「真実」は有害であるという発想」132P・・・「愛と正義を否定する」
矢原隆行「ダイアローグのオープンさをめぐるリフレクティング」―オープン・ダイアローグ・・・開かれた対話―開けゆく対話
山森裕毅「<自分の言葉をつかまえる>とは?―制度分析から見た対話実践」―制度分析
綾屋沙月/上岡陽江「発達障害と依存症の仲間が交差するところ―私たちのコミュニケーション方法の開拓と継承」
「HALT」166P・・・身体性から感情をとらえる/「ばれない指数」―「つながっていない指数」168P/コントロールのにおいへの指摘170P/できなくても大丈夫177P/
「ちゃんと当事者からの意見を聞いている」との勘違い―「こちら側が「言えている」状況があってですから」179P
自助グループのあり方、抱えている問題の大きさ・深さ、かかえ方
菊池美名子「支援/被支援を編みなおす―感染、あるいは厄払い」
持続エクスポージャー(暴露)療法(Prolonged exposure therapy ・・PE)の見直し/ジャジメントを手放す
貴戸理恵「「自己」が生まれる場―生きづらさをめぐる自助活動としての居場所と当事者研究」
相互調整215P/入れ子216P
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『現代思想2017年5月号 特集=障害者――思想と実践』

たわしの読書メモ・・ブログ406
・『現代思想2017年5月号 特集=障害者――思想と実践』青土社 2017
この雑誌は毎月チェックしていて、ときどき購入して読んでいる雑誌、積読になっている号もかなりあります。障害問題関係の特集が時々あるのですが、今回は「思想と実践」というサブタイトルがついているような内容、買った直後にざーっと目を通して、ちょっとわたしの関心事にひっかからないような思いがあったのですが、実際読んでいくと、かなり興味深い内容でした。こういう感じで何でも読んでみようという考えも必要なのですが、何を読めるか限られていく中で、難しいものがあります。
 で、このメモも「書評」という本の批評を書くというよりも、メモということで、そのときそのときのわたしの関心事にひっかかったことで文を書き残しています。メモを残さなかったところで、後になって、他のところで著者の書いた文を読み、その著者の文を別の機会に読んで、他のところでも探して再度読んだり、積読していたところからまとめ読んだりすることもあるのです。
 そういうところで、今回も気になっていて、他の文もメモを書いておきたいという思いを引きずりつつ、ピックアップしたものだけ残します。
 この特集の一番の目玉とわたしが感じたのは、熊谷晋一郎さんと杉田俊介さんの討議「「障害者+健常者運動」最前線−間をつなぐ「言葉」」です。熊谷さんは今あちこちで発言をして注目されている「障害者」当事者で、「依存先をいろいろもつということが自立だ」という内容の発言など、今後理論的にも期待されているひとです。ただ、お医者さんでエリート「障害者」的に周りが持ち上げていくことがあり、「「障害者」の社会参加」的なところへ行ってしまうのではないかという、まあ杞憂的なこともあるのですが、「社会モデル」や関係モデルというところでのわたしの社会変革志向で、ちょっと違和的なことも感じてしまっています。杉田さんは立岩さんと相模原「障害者」殺傷事件で、共著・立岩真也/杉田俊介『相模原障害者殺傷事件 ―優生思想とヘイトクライム―』青土社 2016を出しています(ブログ386)。杉田さん自身、この社会との違和を感じているひとのようで、わたしの障害規定からすると「障害者」なのですが、本人はそのような意識はないようだし、この討議自体が当事者意識をしっかりもって当事者研究をしているひと(熊谷さんは『発達障害当事者研究』で「障害者」当事者からとらえた「発達障害当事者研究」にコメントして共著を出しています)とマージナルな無自覚的な「障害者」との対談になっていて、そういう意味で結構深い討議になっています。そこでも共鳴し合う部分があって、わたしも共鳴した内容に踏み込むこととなのですが、わたし的には深化的なことがあまりなく、流れてしまつているので、とりあえずパスしておきます。
 猪瀬浩平「我が事・丸ごと、なにするものぞ」と坂川亜由未/智恵「一緒にいることで、生きていく」は「障害者」きょうだいと親子の関係で、「障害者の否定性」を反転させて見せている興味深い話でした。
斎藤縣三「地域で共に生きることを求め続けて」の斎藤さんは「わっぱの会」や共同連で有名な人、地域で「障害者」の働く場作り、生きる場作りをやってきたひとです。ただ、地域共同性の当事者よりも前に出てしまっているとか、そもそも労働ということでの「障害者」を否定的にとらえてしまうところの問題で、そもそも今の社会で労働という事が持ってしまう意味が当事者の思いとずれてしまっているとかいうことがあって、もちろん過渡的には意味のある実践の意味は大きいと思うのですが、わたしの深化志向で、全面的共鳴にはならない(「全面的共鳴」を希求するわたしの方が間違えているといることは承知していて、ないものねだりになっている)のですが。
対談 米津知子+大橋由香子「女のからだから」はリブの「産む・産まないは女が決める」というスローガンで、「「障害者」と分かったら産まない」というのは差別だ」という「障害者」サイドからの突きつけが、優生保護法改悪運動への連帯で、一応選択的中絶は許されないというところで整理されたのですが、まだフェミニズムサイドもすっきりしないということがあるようなのです。これについては、近々、わたしの「反障害通信」の「反差別原論への断章」で文を書きます。
上岡陽江/アサダワタル「不自由な<表現>がつなぐもの」は「依存症」のひとたちの問題をとりあげています。「信じることを奪われているひとたち」とか他者を傷つけるひとたちをも一旦丸ごと受け止めという姿勢とか、言わないことの意味とかとらえ返していくことなど、わたし自身経験した「吃音者」の団体でのグループワークの経験と重なり、それをとらえ返しつつ、「自助グループ」(このことばは「吃音者」の団体では「セルフ・ヘルプグループ」ということばで使われていました。わたし自身はこの言葉に違和がありました。)のもつ意味などいろいろ共鳴とか考えの深化とかをもたらしてくれていました
渡邉琢「介助者の痛み試論」は介助者も傷つけられているというところでの論攷で、「障害者」の側が日常的に傷つけられているところでの反作用として、介助者を傷つける行為が出てくるという観点はちゃんとあるのですが、もう少し反差別というところをきちんと押さえた反差別連帯的なとろで、怒りをどこへ向けていくのかの観点を出して欲しいと思いました。
冒頭で書いたように、まだコメントを残したい文もあったのですが、とりあえずここまで。
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佐藤幹夫『十七歳の自閉症裁判――寝屋川事件の遺したもの』

たわしの読書メモ・・ブログ405
・佐藤幹夫『十七歳の自閉症裁判――寝屋川事件の遺したもの』(岩波現代文庫)岩波書店 2010
この著者は養護学校教員からフリージャーナリストになったひとで、立岩さんの本でも紹介されていたひとです。
「発達障害者」の少年が起こした事件の裁判というところで、「発達障害とは何か」というようなことを押さえながら、そもそも少年法の改正などの問題にまで論攷を進めています。著者のこのジャンルの本はブログ408でとりあげる、朝日文庫の『十七歳の自閉症裁判――寝屋川事件の遺したもの』に続く、2冊目です。
この少年は医学モデル的にいえば「広汎性発達障害」と規定されています。「自閉症圏」のひとつとして、押さえられているのですが、そもそも「発達障害」とは何かということ自体が医学モデル的にも押さえられていません。前にも書きましたが、わたしはいろんな接点があるのですが、医学モデル的なことを抜け出して、どのような理解と支援が必要なのかというところで押さえ直すことではないかと思います。
著者は犯罪のファクターのようなことを書いています。
(器質的・生得的要因)×(養育環境・生活史的要因)×(文化的・社会的要因)
×(引き金になる出来事)→犯罪 18P
要素の積み重ねなり、かけ算として事件が起きるという、要素還元論自体をわたしは批判しています(註*)。そもそも、現行教育の矛盾として、たとえば、いじめや競争原理の働き、被告少年が不登校になっていった教育現場の矛盾、ひとりひとりひとりに合った教育がなされていない不作為、などなどでこの事件は起きたのであり、もし、そのようなことがなかったらと仮定したら(「仮定は否定である」としても、現象学的なエポケーと言われる手法ではないかととらえたところでの仮定です)、そもそも「障害」ということがどのようなこととしてあるのでしょうか? そのようなこととしてわたしは「障害の社会モデル」を、更に関係モデルまでの転換を提起しています。そしてそれは「犯罪の社会モデル」というようなところにも繋げられます。
「何の罪もない」ひとへなした無差別殺傷事件というようなとらえ方をしているのですが、確かに法的に「罪はない」のですが、そして被害者や家族の負った傷や生活の変化というところで、そして子どもたちやその家族も含めた精神的傷を考えると、責任という概念を広げて考えるのはとんでもないと批判されることかもしれません。ただ、そもそもこれは学校自体のもつ差別的空間への反作用として起きた事件としてわたしはとらえざるをえません。そして、その空間を作り出していっている、加担している責任、そして社会そのものがそのような空間を作り、それを許してしまっている責任の問題があるのではないでしょうか?
「何の責任もない」ということが言えるのでしょうか? たとえばフクシマ原発事故が起こった時、安全神話をとなえていたひとたちは想定外といって責任回避していましたが、その虚構は明らかになってきました。そして、原発の危険性で論陣を張っていたひと自身が「危険性の言説をきちんと広め、原発を止め得なかった責任」を言い、反省の涙していました。そして、きちんと反対運動をやって来なかった責任ということの反省組の運動として、反原発・脱原発の運動への参入が起きています。そもそも日本が進んだ戦争と植民地支配の責任自体を曖昧にして出発した問題とか、あらゆる政治的な責任をないがしろにしてきたことで、歴史修正主義者の台頭や、平和憲法の改正とか、一連の戦争とファシズムへの台頭が起きてきています。この社会を形成しているところでの責任の問題が欠落させられてきたのです。
少年法の改正で、重大事件の逆送致が当たり前になってきているのですが、更生や教育という観点から、少年院や保護観察ということがあったこと自体を、そもそも、少年法のみならず、刑法自体に再犯の防止という意味も含んで、更生・教育を考えていたことをスポイルして、厳罰化ということでないがしろにしてきている流れがあります。刑法体系自体を復讐・みせしめ的に純化しているのです。だから、被害者やその家族も復讐的なことを望むということがあるのです。そもそも「犯罪」といわれることのほとんどが、この社会の矛盾の矛盾、差別の反作用としてあるとき、被告を裁くとしたら、「社会」も裁かれるべきなのです。それは犯罪がおきないような社会に変えるということです。そのことをなしえぬまま、ますます社会の矛盾が大きくなっているときに、そのことをさておいて、厳罰化などいうのは、むしろ蓄積されて矛盾の爆発的な「犯罪」ということでの「犯罪の凶悪化」にならざるを得ないし、厳罰化しても、むしろ「死刑にして欲しい」という自死願望的なところの事件が多発してくることになります。
そもそも犯罪が起きて更生とかいう以前に、教育空間自体の問題をなんとかする必要があるのではと思います。
著者自身も、1冊目の本を出して、触法「発達障害者」の問題を再び書くことに迷いがあったようなのですが、「発達障害」の特異性ということに留目しようとしているのですが、
わたしはそれよりも関係性の問題として、社会の矛盾がそこに現れてきたこととしてとらえ、とらえようとしています。

いつものように抜き書きです。
改正少年法の問題点105P
「精神科医は自分だけの墓碑銘をもっている」125P
謝罪192P ・・・という、役割期待と役割遂行・・・「発達障害者」が苦手なこと
逆に規定218P
「従来とは異なる洞察が司法精神医学に求められている」231P・・・西洋近代の人間観から問題にしていく 「まだ精神科医の間でさえ議論が始まっていない」・・哲学ではすでに始まっている
原則逆送317P 

註* 「吃音」問題で、「ジョンソンの吃音の関係図」ということがあるのですが、それにも通じることです。
posted by たわし at 02:29| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高山文彦『生き抜け、その日のために ―長崎の被差別部落とキリシタン―』

たわしの読書メモ・・ブログ404
・高山文彦『生き抜け、その日のために ―長崎の被差別部落とキリシタン―』解放出版社 2016
前回の読書メモはリブ関係の本でした。今回は被差別部落関係の、キリシタンと被差別部落の対立と和解を巡る本です。
 「あとがき」にあるように、この本の主人公は3人です。その内の2人は被差別部落に生まれた従兄弟同士の磯本恒信さんと中尾貫さんです。2人は長崎の部落解放運動を作ったひとです。この本のタイトルの『生き抜け、その日のために』は部落解放運動の父といわれた松本治一郎さんから磯本恒信さんに送られた言葉とのことです。334P
 もうひとりは、セルビア生まれのディエゴ・パチェコ神父は二十六聖人記念館初代館長として、殉教者の資料集めをしていました。後に日本に帰化して結城と名乗ります。
 「原爆は長崎に落ちたのではない浦上に落ちたのだ」という言い方がされます。その浦上はひとつの被差別部落と四つの隠れキリシタンの末裔の部落からなっていて、かつて被差別部落のひとたちがキリシタン弾圧の手先として使われた歴史があり、反目し合うという歴史があり、かつ「長崎」から共に差別される関係にあったのです。
 部落解放運動を担う2人がキリシタン弾圧に使われた歴史をとらえ返し、そのことの和解なしには長崎に部落解放運動を作れないという思いをもち、一方、結城神父の方も、キリシタンの歴史の資料を集める中で、被差別部落の中にもキリシタンの信者がいて、命をかけてキリシタン弾圧に出動するのを拒んだという歴史や、「浦上四番崩れ」という弾圧の中で長崎を追われ流されたところで、監視的な役割を担わされた土佐赤岡の被差別部落のひとたちから助けられたという「幸せな出会い」316Pの歴史などの資料も探しだし、仏教の部落差別の問題を契機にして作られた「宗教者の会」の賛同人や運営委員などになっています。そしていろんな場で結城神父は講演などをしていくのですが、その発言は反差別というところで、宗教者の基本的態度として見るべきものがあります。
さて、「寝た子を起こすな」というようなことが言われるのですが、差別は自然になくなっていくことではない過酷な差別の現実を書いています。浦上は原爆で吹き飛ばされて、元の体をなくして、「長崎には被差別部落はない」と市長などがいう情況があったのですが、その中で「部落民宣言」をし、部落運動を立ち上げていったという歴史がとらえられます。

 さて、本題からいくらか外れ、別な形で書いていくことなのですが、なかなか機会を見つけられそうにないので、メモ的に書き置きます。
部落解放の父と言われていた、松本治一郎さんが当初、利権という形で動いていく恐れから同和対策事業法に反対していたことが書かれています。112P 同和対策事業を利権主義と批判するひとがいるのですが、そして部落解放同盟内部でも物取り主義批判としてもあったのですが、同盟の主導的に動いているひとからもそういう意見がでていたことを、知り得ました。
永井隆さんの原爆や核に対していろいろ批判されていたことがこの本にも書かれています。ブログ292の山口研一郎/編・著『国策と犠牲 ―原爆、原発 そして現代医療のゆくえ』社会評論社2014の中でも書かれていました。わたしなりにまとめると4点@原爆投下を神の思し召しとしたことA原爆投下によって戦争を早期におわらせることができたとか発言していたことB核の平和利用というような発言をしていたこと、そしてこの本に書かれているのですが、Cとして浦上天主堂を原爆遺構として残すことに反対して、撤去して「花咲く丘にしよう」というようなイメージを出していたことがあります。いずれも今日的に反核運動的にとらえ返すととんでもない意見ですが、これらは宗教的論理から出てくることで、内在して批判していく必要があります。それはそもそも長崎に布教したイエズス会自体が欧米列強の侵略の先兵として立ち会われていたこと、この本の中でもいくらか書かれているのですが、きちんと押さえられていません。前からいろいろ書いているのですが、わたしもカトリック教徒の家に生まれて、幼児洗礼を受け堅信まで進んだのですが、十字軍やイエズス会の侵略の先兵的なところをとらえ返しながら、反差別というところでの、そもそも神とひととの関係の差別性を押さえ、そこから「神は死んだ」という哲学的なところまで至り無神論者になった経緯があります。もちろん、「解放の神学」や反差別というところで動く宗教者の動きもあり、宗教を全否定はしないのですが、そもそも宗教自体が原理主義的にどこまで反差別と言うことにたち得るかは、疑問を持ち続けています。
 もう一点、部落の政治起源説批判が出てきます。このあたりは、あちこちでそういう言説が出てきているのですが、改めてきちんと勉強し直さねばなりません。なかなか時間がとれそうにないのですが。
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2017年08月30日

女たちの現在を問う会編『全共闘からリブへ―銃後史ノート戦後篇〈8〉1968・1~1975・12 (銃後史ノート戦後篇 (8 68・1~75・12))』

たわしの読書メモ・・ブログ403
・女たちの現在を問う会編『全共闘からリブへ―銃後史ノート戦後篇〈8〉1968・1~1975・12 (銃後史ノート戦後篇 (8 68・1~75・12))』インパクト出版会 1996
女性学関係の本はかなり読み込んでいたのですが、リブ関係の人間関係図のような本はほとんど読んでいません。60年代後半の民衆運動の反乱、全共闘運動や反戦青年委員会運動として表されていた運動から反差別運動にインパクトを与えました。そのひとつが、青い芝などの「障害者運動」であり、この本のテーマのリブでした。そのリブの運動は、いろんな方面に広がり、膨大なネットワークを作り出しています。そのことがこの本の中に出てきます。
 運動ということの中での人間関係のようなことが、当然いろいろ起きるのですが、そのようなことも含めて運動は進んでいくのだということがはっきりしてきます。

抜き書き
リブの意味55P
女性学とフェミニズムの関係64P
女性と「障害者」の対立の止揚の道264P
中ピ連のリブ批判268P
他者否定281P
労働に依って立つ302P・・・労働批判

わたしは文を書くときは、理論的なことを軸にやってきたのですが、運動も担っていて、そのことの中におけるひとの離反という現実もみてきました。そこにおける差別の問題もきちんと押さえる必要を感じています。だから、現実の活動の中でのひとの思いとか、動きとか押さえる必要があったのですが、原論的なことをやる中でそのようなことをおとして来ています。この本はいろんな意味で大切な本です。特に反差別の「個別戦線」と言われていたことが、なぜ総体的に差別を問題にし、「革命」と名付けられる社会変革総体から距離を置いていったのか、ということのとらえ返しが今こそ必要になっているのだと思います。そのような、いろんなことを結びつけていく意味でも、読んで置きたい本です。

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野崎泰伸『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から』

たわしの読書メモ・・ブログ402
・野崎泰伸『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から』白澤社 2011
これもだいぶ前に買っていて、「障害者」当事者が書いたらしいということで、気になりつつ、倫理学への違和がわたしの中にあるので、後回しにしてしまい、積読していた本です。
たぶん、著者自身はそういうことは言わないと思うのですが、わたしサイドからとらえると「障害の倫理学」とも言うべき内容です。
最初に第1章で障害学の基本を押さえようとしています。このあたりは、わたしの主張と少しずれがあります。「社会モデル」の話も出ているのですが、そもそも「障害がある」「障害をもっている」という表記を使っているところから、そもそも「障害の社会モデル」をどう押さえているのか疑問です。わたしの主張はもういろいろ書いているので、これは抜き書きの中で問題にするので、後回しにします。第2章から第3章、4章、終章が既成の倫理学・哲学との対話です。事項とひとを混ぜて、功利主義とリベラリズム、セン、ベーシックインカム、ロールズ、シンガー、ヴィトゲンシュタイン、スピヴァク、サイード、レヴィナス、デリダまで、実に盛りだくさんな対話になっています。対話のキーワードは、「障害者」の立場から切り込む「語り得ぬ者」ということではないかと思います。
著者は哲学的な位相は脱構築派ということになるのでしょう。ですが、わたしにとって、そもそも脱構築派の倫理学ということがミスマッチで理解しがたいのです。倫理学というのは利害社会(ゲゼルシャフトの社会)では成り立つのでしょうか?
さて、立岩さんは社会学の中に倫理学を持ち込んでいるのですが、この著者は倫理学で正面きって論じています。そもそも立岩障害学を倫理主義批判から展開してきたわたしの立場からすると、そもそも「障害の倫理学」のよって立つところを批判する必要があるのではと思います。マルクスの思想をくぐった者として、唯物史観の立場から、倫理をたてるより、意識を変えるより、生産関係を土台にした関係性総体を変えることこそが問題だと思うのです。別な言い方をすると、反差別論的には利害というところから、普遍性なり、関係性の総体をとらえ返し、そこでの変革を求めていくとなるのです。
けれど、そんなところで、わたしが忌避していた倫理学の知識をこの機会に吸収させてもらったことは有意義だったのですが、何か消化しきれないままに終わった感があります。

さて、抜き書きです。
正義10P
障害学の論争の焦点 生身の体験23P
なぜ倫理学なのか24P
人工内耳25P
帰責性26P・・・責任性の問題ではなく関係性の問題
構築主義27P
逆転32P
著者の「障害者」としての被差別の体験45P
出生前診断の論攷56P・・・社会の差別の現実での論攷
ヘアの「二層理論型選好功利主義」 直感的レベルと批判的レベル72P
「センは、よさや望ましさの内実については構築主義的な立場を、しかしながらよさや望ましさそのものを目指すという点においては普遍的な立場をとっていると解釈することができる。」94P・・・構築主義は本質主義と対立するので、構築主義と「普遍的な立場」は並立し得るのか?
誰が語る普遍性146P・・・普遍性とは言わない
シンガー148P・・・そもそも倫理の問題なのか
社会構築主義の限界159P ・・・?
ヴィトゲンシュタインの「示されはするが言い表しえぬもの」164P
  スピヴァクのサバルタン「語り得ぬもの」
当事者研究と「語り得ぬもの」166P
正義を語り得ぬもの  言語化可能なものと不可能なもの185P
分配的正義192P・・・「分配的正義」の分配論そのものの批判
救命ボート問題203P・・・論点がずれてる 関係性そのものの問題

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篠原睦治『関係の原像を描く―「障害」元学生との対話を重ねて』

たわしの読書メモ・・ブログ401
・篠原睦治『関係の原像を描く―「障害」元学生との対話を重ねて』現代書館 2010
これもだいぶ前に買って積読になっていて、ずっと気になっていた本です。
篠原さんはわたしが障害問題で学習を始めていた頃、基本的なところを学んだひとのひとりです。
この本は、篠原さんが務める和光大学で出会った「障害者」元学生(篠原の表記では「障害」学生)たちとの対話を本にした本です。和光大学の名前は、「障害者」やいろんなひとを受け入れている大学として、噂のようなレベルでわたしにも入っていたのですが、「小さな実験大学」「開かれた大学として」とりあえず、「何も特別なことはしない」と公言する中で238p、学生同士で関係を作っていく、篠原さんの授業やサークルなどを通して作られていく関係が描かれています。
まだサポートの態勢がでていない、逆にできていないからこそ、そこでの試行錯誤の働きかけ合い、混沌さゆえのぶつかり合いが、まさに様々な様相、そもそも障害とは何かという問題を提起してくれているのだと思います。スロープを作ろうと動きに対して、分離されていくことへの批判や「バリアがあるからこそ関係が作れる」とうような提起が起きていたこと、バリアだらけの山の中で合宿など開いて行ったことなどが描かれています。147P-また、バリアフリーとかメインストリームは、「健常」者中心社会を前提にしていると押さえた上で、「そうは言っても便利なんですよ。「障害」者にとっても。やっぱり一時的には。バリアフリー化によってメインストリーミング(合流)することで、いろんなことが便利になるし軽減されるんです。ぼくは、その幻想に騙されちゃいけないと思っていますが、いつか何かが起きて、「メインストリーム」という枠が壊れたときに、一番最初に放っぽりだされるのは「障害」者だろうし高齢者でしょうね。」149-150Pとあります。このあたり、昨今の制度化の中でのふれあいの喪失の中で、ファシズム的な動きと相まって、まさに危機を感じているのですが。
テーマは篠原さんが「終わりに」に五つとしてまとめています。
「(一)当初の「バリアフリー化反対」は時効か今日的か(二)いろいろな状態の人々間のコミュニケーションを探る(三)情報伝達と相互コミュニケーションの電子化―その現状と課題(四)「障害」者の登場とともに変わってきた大学の断面(五)「障害者」問題は「『健常』者と『障害』者の関係」問題である。」228P
後、印象に残ったのは、ろう者からみんなが手話を学ぶべきだと言ったことに対して、手が動かないひとや「視覚障害者」から批判がでていたこと、それでも手話を学ぶ「視覚障害者」や手が動かないひとがいた話など(これは口話主義的なことがまだ強かったのでできたこともあったようなのですが)。手話の世界と盲人の世界のコミュニケーションは盲ろう者の存在を媒介にして、つながってもいるのですが、わたしの個人的体験として、「手話は「視覚障害者」の天敵」とか言われたことがあり、機器の開発自体も、「視覚障害者」のために便利になる機器が、「聴覚障害者」にとって不利になったり、また逆なこともあり、そのあたりのことは、アメリカのリハビリテーション法の中に、機器の開発などで一部のひとに不利にならないように新しい開発を義務づけるようなことが確かあったのですが、昨今は逆に制度が整備される中で、制度化の是非ということがここでも問題になっていて、制度の谷間に落ちるときちんと情報コミュニケーション保障がなされなくなっています。「ボランティア」でやられていたことの有償化の中で、ちゃんとした関係が作れていかないとかの問題も最近感じています。
まさに、和光の試みのように、直のふれあいの原点回帰も必要になっているのだと思います。
後、マッサージをやっている「視覚障害者」の言葉を越えたからだとのコミュニケーションの話とか、興味深いものがありました。163P     
障害表記242Pに関しては、イギリス障害学の障害規定が出て以降での意見を。訊いてみたいと思っています。
もうひとつ、大河内さんの「大学は雑多な場であり、差別的な場であり放っておかれる場にしたい」151Pという発言、自主的なつながりという意味なのでしょうが、ちょっと差別ということのニュアンスが違うのではと思ったりしていました。
posted by たわし at 00:37| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『季刊福祉労働155号 特集:入所施設の現在-相模原障害者施設殺傷事件を受けて』

たわしの読書メモ・・ブログ400
・『季刊福祉労働155号 特集:入所施設の現在-相模原障害者施設殺傷事件を受けて』現代書館 2017
積読になっていた『福祉労働』の二冊目。最新刊に追いつきました。
 昨年の相模原殺傷事件が起きる中で、入所施設ということが問題になっていて、改めて施設の特集です。
 一応、施設から地域移行ということが政府の方針としても出ています。「精神病院」の長期入院者も退院という方向があるのですが、それも、かけ声だけで、というより、本音と建て前の分離の様にさえ、感じています。施設は主に、むしろ家族の希望としてでてくるのですが、実際、その家族の施設に対する考え方も、「障害があっても(なくても)好きなところ機嫌よく暮らしたいと願うのがあたり前」41P(三田)「これが叶うのであれば(条件が<7つあげられています>が合えば・・・引用者)入所施設でないほうがいいのかも知れない」42P(三田)というようになっているようです。そして、「虐待や人権侵害にいかに取り組んでも、入所施設の存在そのものが人権侵害であり、構造的に内包する問題を払拭しきれない」66P(安里)とまで書かれています。
さて、この特集の中で、そういう施設の数は増えていないにせよ、入所者や希望者は増えている現状が書かれています。どうしてそうなるのか、というような分析があまりなされていません。たとえば、「条件<7つあげられています>」と先述したのですが、それが、なぜ実行されないのか、という分析が必要なのだと思います。日本の政治に対する根底的な批判が必要なのだと思うのです。特集は、施設の中での自治会的な動きで改善的なことも書かれています。どうしても「施設がある」という前提の中での、運動も必要になっていくのですが、「どうして、施設があってしまうのか」というところをきちんと押さえ直す、そこから運動を起こしていくことが、「社会」というところから問題にしていくしかないとも思うのです。
後、施設に働くひとのパターナリズムの問題を「叱る」ということ自体がパターナリズムというところからとらえ返していることが、印象に残りました。71P
さて、特集以外にもいろいろメモを残しておきたいことがあるのですが、前回に続いて、わたしが認識論的なところから、障害の問題をとらえ返している立場で、巻末連載の竹端寛論文について、抜き書き。
「「問題行動」や「困難事例」を個人の「問題」「困難」と矮小化することへのといかけだった。」161P・・・関係論観点
「被抑圧者という「他者」の「他者性」をはっきり認識したがゆえに、応答関係に一歩踏み出したのである。」164P・・・他者性と応答関係
「対話的関係性」166P
「「カッコで括り」「自分たちの見方を押しつけるのではなく」「相手の話を聞くことができるか。これが対話的関係性を構築する鍵である。」166P・・・モリスの(きちんと提起しきれなかった)提起につながる・・カッコを外す
「被抑圧者は人間として闘うのであって、『モノ』として闘うことではないことはいうまでもない。それというのも、抑圧者との関係のうちで、被抑圧者はほとんど『モノ』の状態に貶められ、自らを破壊してきたからだ。自らを再構築するためには、このほとんど『モノ』扱いされてきた状態を越えていかなければならない。」(フレイレの引用)167P
posted by たわし at 00:35| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする