2023年05月17日

クラウス・コルドン/酒寄進一訳『ベルリン1945 はじめての春 上・下』

たわしの読書メモ・・ブログ617
・クラウス・コルドン/酒寄進一訳『ベルリン1945 はじめての春 上・下』岩波書店(岩波少年文庫)2020
 この本は、615・616の転換期三部作の三部目。
 わたし的には、わたしの問題意識的には615がドイツ革命敗北の総括、616がナチス・ファシズムへの敗北の総括とすれば、617はそれら二つを含んで、ファシズム(アーレントの全体主義規定ではスターリン主義を含む)と戦争の悲惨さを描いた作品となるのです。舞台は敗戦間近のベルリンで、東西ドイツへ分裂していく、また東ドイツがスターリン主義に飲み込まれていく情況下を描いています。
この三部作は、児童文学のジャンルで、少年・少女が主人公、この三部目の主人公は、一部目の主人公の娘。といっても、その女の子の視軸を中心にしたゲープハルト家の物語です。ゲープハルト家は総体的に左翼的な家族、祖父はスパルタクス団、主人公の父がスパルタクス団に共鳴する祖父と共鳴しつつも、それでも自らが批判的なスターリン支配下に入っていくドイツ共産党なんとかしようという立場、その連れ合い、すなわちこの三部目の主人公の母もナチに殺され、三部作の二部目の主人公の父の弟(二男)もナチに殺されていて、その恋人はユダヤ人でナチへの抵抗運動を続けています。そして軍隊に行って脱走した今回の主人公の父の弟(三男)とそれをとりまくひとの話。父の妹が貧困から抜け出すためにナチの党員と結婚し自らもナチ党員になったのですが、兄夫婦を連れ合い(兄の元同級生)が連行したことで、連れ合いが自責の念に駆られ、前戦に志願し戦死し、妹はナチから離脱して、兄に許しを請うのですが、許される筈がない、というところから少しずつ和解の方向進んで行くのです。一方で、ドイツ共産党がスターリン下に組み込まれていく暗雲も立ちこめているという話も背景として進んでいます。
クラウス・コルドンは、悲惨さを描いていますが、必ずしも絶望的に描いているのではなく、「希望がなければ生きられない」というところで、あくまで希望を求めて生きる人たちを描いています。
わたしは小説は、最初からフィクションだとして読んでいくのですが、この小説はゲープハルト家の中の意見の違いやいろいろな葛藤を描いた物語、この後どううなっていくのかということを想い描く中で、後でその顛末を少しずつ明かしていく手法で、かなりのめり込みながら、読み進めていました。遅読のわたしがかなりのスピードで読んでいました。
 小説の「切り抜きメモ」なんて無粋なことなのですが、それでもいくつかの印象に残った言葉を残しておきます。
「「型にはめるだって? 今、型にはめるといったか?」お父さんがあぜんとしてリーケ(ロシアに亡命していて、終戦でロシアの軍服を着てドイツに帰ってきた「赤のリーケ」と呼ばれる女性)を見た。/「ええ」/リーケはあたりまえだというようにうなずき、その先をいおうとした。しかしお父さんのほうが早かった。/「型にはめるだって? 人間を型にはめられる? この呪われた十二年間、まさにそういうことのくりかえしだったって知らないのか? ナチはたえず人間を型にはめて、改造してきた。自分たちのイメージに合うようにな! そして今度はあんたたちが、自分のイメージに合うように人間を型にはめようっていうのか?」・・・・・・」下191-2P・・・スターリン主義とナチズムの中身の近似値性
「「強制収容所にライヒェンベルガーというユダヤ人の大学教授がいたんだ。とても年取っていたけど、世界中旅していた。夜、希望をなくして寝床に横たわる父さんたちに、教授は旅の話をしてすこしだけ元気づけてくれた。その中に南米のインディオの話があったんだ。インディオは速く歩きすぎたとき、木の下にすわって自分の影が追いつくのを待つというんだ。人生を急ぎすぎたときの処方箋さ。だけど父さんたちの場合はちがう。影は強制収容所の外、家族や妻や恋人のもとにとどまる。しかしいつか自由の身になって家族や妻や恋人のもとに帰ると、今度は影のほうが何年も強制収容所に残ることになる。教授はそういった」/お父さんは口をつむぐと、考えこみながらしばらくひとりでうなずいた。/「教授のいうとおりだった。影が父さんをみつけられずさまよい歩いているような気分を何度も味わっている。」下236P・・・絶妙な「影」の比喩
「「しかし、スターリンはなにが目的でそんなテロをしているんだ?」お父さんがようやく小声でたずねた。/「権力欲さ、ヘレ(お父さんの名)! 権力欲とゆがんだ使命感だよ」ハイナー(「赤い水兵」でお父さんの友だち、ロシアに亡命していた)はお父さんの目の前で立ち止まった。/「ソ連の同志たちのあいだに猜疑心が広がり、お互いに監視しあうようになれば、スターリンの権力はますます大きくなる」」下293P
「「そのとおり」ハイナーは認めた。「暴力を終わらすには暴力がいる! 必要悪ってわけだ! だけどルディ(主人公の祖父の名前)、それじゃ暴力は終わらないぜ。暴力はつづく。スターリンと共に。赤のリーケと共に。世界を幸福にする方法をちゃんと知っているのに、それを暴力で解決しようとするすべての人間と共に」/ハイナーはおしだまり、口をぬぐって、今度はハイナー同様スターリン体制を生きのび、新生ドイツを築くためにベルリンにもどってきた連中の話をした。/「たいていのやつがリーケと同じ考えだ。正しかったのはおれたちだ。ヒンデンブルクを大統領に選べばヒトラーを選んだことになる、ヒトラーを選べば戦争を選んだことになるって予言したのはおれたちだ。そのとおりじゃなかったか? 戦争に敗れ、破局が訪れるといったのもおれたちだ。いったとおりだろう? いつも正しかったのはおれたち共産主義者だ。ナチの同胞じゃない! 歴史の勝者はおれたちだ。そして勝者がモラルを決める」ハイナーは悲しそうに首をふった。「連中はよき教師であろうとしている。だけど、いずれソ連とおなじ状況になるさ。啓蒙は干渉になり、干渉は後見人になり、後見人は独裁者になるってわけだ。」下324P・・・暴力の連鎖と差別的関係をどう止揚するか? コミュニズムの原点回帰の必要
「歴史と政治の発展が問題にされるとき、過ちを犯す権利ということがしばしば議論になります。長年ナチ体制にまちがった忠誠を尽くし、戦争末期になってようやくヒトラーの狂気(ママ)に気づいた一般市民にはその権利が認められていますが、共産主義者の抵抗運動にはしばしばその権利を剥奪されます。」下345-6P・・・著者「あとがき」
「一九八七、八八までソビエト連邦の忠実な生徒であり僕(「しもべ」のルビ)であったドイツ民主共和国の指導部にとって、個人の自由、とくに意見を異にする自由はまったく意味をもっていませんでした。それどころか、独裁者が手にすることのできるあらゆる手段を使って、そうした「目の上のたんこぶ」を除去したのです。今日のわたしたちは、抑圧との戦いが新たな抑圧を生むことを知っていますが、二十世紀前半、希望を探し求めていた人びとの多くはそのことを予見できなかったのです。」下346P・・・著者「あとがき」、抑圧から逃れうるのは、反差別の理念を基底に据えること
(ニュルンベルク裁判の裁判所付きアメリカ人心理学者ギュスターヴ・M・ギルバートとゲーリングとの対話)「「ひとつだけ違いがありますね」わたしは反論した。「民主主義では国民は、自分たちが選んだ代議士に代弁させることができます。アメリカ合衆国では宣戦布告ができるのは議会だけです」/(ゲーリング)「ほう、それは誠にすばらしい。しかし国民に参政権があろうとなかろうと、指導者の命令に従うように仕向けることはいつでも可能だ。それは至極簡単なことだ。攻撃されたと国民に伝え、平和主義者のことを愛国心に欠けると非難し、平和主義者が国を危うくしていると主張すれば事はすむ。この方法はどんな国でも有効だ」」351P・・・著者「あとがき」。それに対抗するには、国家=共同幻想からの脱却と国家主義批判の徹底化。
(訳者「あとがき」)「コルドンがこの途方もなく壮大な創作活動をとおして一貫して読者のみなさんに訴えているのは、「自由」と「平和」の尊さです。「自由」で「平和」な「よりよき世界」はだれかから与えられるものではなく、みずから手に入れるものであること、そしてその過程でひとつの歯車が狂えば(ママ)、「不自由」と「戦争」に早変わりする危険をはらんでいるということです。「目的」を果たすための「手段」の選び方の難しさを、ここでも感じずにはいられません。これは二十一世紀を生きるわたしたちにとっても決して忘れてはならないことだと思います。」・・・359-60P


posted by たわし at 16:20| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クラウス・コルドン/酒寄進一訳『ベルリン1933壁を背にして 上・下』

たわしの読書メモ・・ブログ616
・クラウス・コルドン/酒寄進一訳『ベルリン1933壁を背にして 上・下』岩波書店(岩波少年文庫)2020
 この本は、615に続く「転換期三部作」の二部目、一部目の主人公の弟が主人公、十五歳で就職し、しかし、職場のナチの党員との確執が始まり、また姉がナチの党員と付き合っていて、そして近隣のナチの党員と軋轢が始まり、そこから、主人公が反ナチ運動に参入していく所までを描いています。
時代的にはナチが全権掌握していく1933年をまさに描いています。これは他の二部とちがって、ユダヤ人の女性との恋が描かれていて、民族差別への問題意識も押さえています。
 戦争やファシズムは、始まったら行くところまで行かないと終わらない。始まる前にどうやって止めるか、抑え込むか、そんなことを考えさせる小説です。
 スターリンの社民主要打撃論やジグザクの迷走する方針とそこから生じたナチの共産党とのストライキ共闘という陳腐な出来事、そんなこともナチの権力掌握に有効に働き、そもそもスターリンの体制自体が、多くの運動と運動家をつぶしていったということも言えるのではないかと思います。
 さて、この間ファシズム論を考えていて、この本の中で問題の所在がとらえられてきたことがあります。それは、ファシズムに加担していくひとたちの中には、この2部の主人公の姉がそうなのですが、そして、ナチに賛同していくひとたちには、どちらに転んだら巧く生きられるのかというところ、少しでもましな生活をしたいというところで、ナチの党員になっていったひとの存在です。ファシズムの性格のひとつとして「全体主義」ということがあり、それは個ということより全体の利害を優先するとされるのですが、必ずしも、そこではエゴイズムを抑えることではなく、すなわちエゴイズムと全体の利益がアンチノミーになっているわけではなく、個の利益をファシズムに加担することによって求めていく志向があるのだということです。結局は、そのことは人間関係を壊し、取り返しのつかない不幸に陥っていくことなのではあるのですが。
 著者は基本的にきちんと差別の問題を押さえています。まあ細かいところで全部押さえてはいないので、いろいろ思いも湧いてくるのですが、・・・。
 切り抜きメモを少し。
「ハンスの父親がいっていた。ナチ党がユダヤ人をやり玉にあげる理由は簡単だ。民衆を扇動しようとするやつは、民衆の敵をでっちあげて、すべての責任をそいつにおっかぶせるさ。どうせ民衆の中には未知のものに対する不信感がくすぶっているものだ。ナチ党にとっては好都合さ。「体制の不備」をあげつらうだけでは、民衆は動かない。同じ通りに暮らしている裕福なユダヤ人商人や、正直なドイツ人労働者の金を巻きあげるデパート経営者への嫉妬を利用したほうがてっとり早い。」下130P・・・スケープゴート
「どこから来たかは問題じゃない。大事なのはこれからどこへ行くかだ」「なにと闘うか知っているだけじゃ足りない。なんのために闘うかしらなくてはだめだ」下166P・・・著者が登場人物に語らせていること


posted by たわし at 16:16| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クラウス・コルドン/酒寄進一訳『ベルリン1919赤い水兵 上・下』

たわしの読書メモ・・ブログ615
・クラウス・コルドン/酒寄進一訳『ベルリン1919赤い水兵 上・下』岩波書店(岩波少年文庫)2020
 この本もブログ612の本で紹介されていた本です。児童文学というジャンルになるのでしょうか? 子どもの眼を通した1919ドイツ革命の敗北と1933ナチの権力掌握、1945第二次世界大戦のドイツの敗北・終戦ということに焦点を当てて描いたコルドン「ベルリン転換期三部作」の小説です。この第一部上下巻2冊は、1919年11月3日キール軍港での水兵の反乱に端を発した1918-9年ドイツ革命を描いた小説です。革命史はたいてい、「指導した」ひとを軸にして描かれるのですが、この小説は、革命に身を投じた、巻き込まれた、民衆の闘いと生活を描いたフィクションです。勿論、大きな事件の流れを押さえた史実に基づき、民衆をフィクション的に描いています。
主人公はスパルタクス団支持の両親の14歳の長男、学校に通いながら、妹と弟の世話もしています。お父さんは戦争で片腕をなくして帰ってきます。
そこで、他のアパートや学校での、社会民主党支持者や、政治的には無党派のひとたち、むしろ皇帝を宗教的神の真人の延長線上に支持するひとたちも出てきます。飢餓や環境の悪化で病気のひと、幼くしてなくなる子どももでてきます。幼き恋の話もでてきます。
この第一部は、著者の問題意識としてなぜ、ドイツ革命は敗北したのか? という問いがあり、そのことを両親の語りの中で、明らかにしています。
 なぜ、ドイツ革命は敗北したのか、@指導者が獄中にあった期間が長く、出てきたばかりで党員一般とのコミュニケーションがとれていなかった、A革命的情況として煮詰まっていないのに、新聞社占拠などという位置づけを誤った武装蜂起をしてしまった、ここまでが著者や訳者の主張としてあるのですが、それにわたしのこれまでの学習から書き足すと、Bローザは長年の獄中生活で体調が戻っていなくて、周りとの十分なコミュニケーションもとれていず、指導性を発揮できなかった、C社民党の変節が反革命として顕れてくることをおさえ切れず、テロを許してしまった。更にわたしの思いを書き足すとDそもそも、ローザの民衆の自然発生性に依拠する運動が、ロシア革命のインパクトのなかで、ボルシェヴィキ的な武装蜂起――権力奪取――プロレタリア独裁という路線での流れに合わなくなっていた、となるでしょうか? それを今日的なところから更にとらえ返すと、Eどこから運動を作って行くか? ローザはインターナショナリズムというところで、個別の差別の問題をとりあげなかったのですが、わたしは今日的には反差別という観点からの総体的・個別的取り組みが必要になっているのだと思えるのです。

切り抜きメモをいくつか
「「平和を願わない者はいないさ」父さんはいった。「だが、そう簡単にはいかない、父さんたちがあきらめればまた元どおりになるだけだ。だが元どおりにだけはしちゃいけないんだ」/「わかってちょうだい」母さんがヘレにいった。「わたしも暴力が嫌いよ。だれかが苦しめられていると思っただけで、腹が立つわ。だけど、わかったのよ。暴力を終わらすためには、暴力を使わなければならないってね。そうでなければ負けてしまう」/「もちろん徹底した非暴力で暴力と戦うひともいないわけじゃない」父さんは大きな声で独り言をいった。「そんなことができたらすばらしいんだが、しかしおれには信じられない。暴力をおこなう連中は、言葉だけで身を守ろうとする者を鼻で笑うだろう」/「でも言葉だけで戦おうとする人たちも一理あるわ」母さんがため息をついた。「暴力は暴力を生むもの」」下45-6P・・・暴力性に対する「答えの出ない」応答
「「カールやローザも、姿を消すべきではないか」父さんは心配そうな顔をした。「義勇軍
が市内に入ったらふたりをさがすにちがいない」/「何度もそう勧めたよ」クラーマーお
じさんは文書を包みにもどし、シャツの中に入れた「だが、なにをいっても、ここに残る
といってきかないんだ」/「だけど、ふたりは必要な人間だ。死んでしまったら、元も子
もないだろう」/「クラーマーおじさんは玄関に行って、階段の様子をうかがった。安全
を確認すると、いった。/「いまベルリンから出るのは裏切りだと思っているんだ。どう
したらいいっていうんだ? 警護まで断ったんだぞ」/父さんはそれ以上聞かなかった。
ヘレたちはだまって階段を降り、外に出た。」下305P・・・「革命に殉じた」ローザとカー
ルの史実、レーニンとの対比
「「まだ希望を持っているのか?」/「ああ」父さんは真剣な声で答えた。「おれが希望をつないでいるのは明日や明後日じゃない。ずっと先だよ。おれたちがはじめたことは、大変なことなんだ。数週間や数か月で片づくものじゃない、いや、何十年もかかるかもしれない。」下357P・・・未来への投企と希望
「自由とはつねに異なる考えをもつ自由である」「マルクス主義は革命的な世界観だ。つねに新たな認識を求め、過去の態勢にこだわる愚を嫌い、自己批判という精神の武器と歴史の雷鳴をもって生命力を最良に保つものなのだ」下388-9P・・・著者の「あとがき」でのローザの提言の記載

posted by たわし at 16:04| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(4)

たわしの読書メモ・・ブログ614[廣松ノート(2)]
・廣松渉『世界の共同主観的存在構造』勁草書房1972(4)
 備忘録的なところという意味もこめていたら、これは外しがたいという思いが湧いていて、ほとんど全面的な切り抜きになっていっています。まるで写経のようだという思いも湧いてきます。昔、あるメーリングリストで、「廣松教の信者はこの問題をどうとらえるのだろうか?」 という問いかけをされたことがあります。いうまでもなく、わたしは運動的にはマルクス主義を宗教のようにしてしまった宗派批判をしていますし、また教条主義批判をしていて、「マルクス主義」ということの批判に入っています。就中、マルクス・レーニン主義批判なのですが。そもそも、反差別論をやっている立場で、ひとの名を冠した○○主義なるものは、権威主義という差別の一形態である個人崇拝に陥り、教条主義にも陥るということで、否定的批判の意味をこめてしか、○○主義という言葉を使わないようにしています。多大に影響を受けている殊は否めないという意味で、自らの依って立つ立場を明らかにするという意味では、「マルクス派」という表現を用いています。
 廣松さんの理論は、いろいろな批判もでていますか、わたしも差別というところからのとらえ返しが薄い、また個別差別の対象化ができていないという批判もしていますが、理論の骨格的なところでの批判は、心理学的なことでのコメントで「生得的感応」というタームが物象化に陥っているのではないかという思いを書いたことくらいでしょうか?
「廣松さんの何を使おうとしているのか」と、最近問われたのですが、言い換えればわたしが何に留目しているのかと言えば、「差異があるから差別があるのだ」ということを批判するのに、マルクスの物象化概念から、廣松物象化論という、同じ意味で廣松差異論といいいえるような独自展開をしているところを援用しようとしているのです。
 今回は4回目、先に進めたいので、1回分をもう少し増やしてとの思いがあるのですが、かなりの分量になるので、とりあえず一章ずつにしていきます。
早速本題に入ります。
今回分の目次です。
T
第三章 歴史的世界の協働的存立構造
 第一節 歴史的形象の二肢性とその物象化
 第二節 歴史的主体の二肢性とその物象化
 第三節 歴史的世界の間主体性と四肢構造

 早速切り抜きメモに入ります。
「「歴史的」という限定は、世界(宇宙)を自然界と歴史界とに区分けする領域的概念ではなく、原理的にいえば、世界の観方、了解の仕方にかかわる。」88P
「われわれは第一章以来、フェノメノンに展らけるところの、所与世界が歴史的・社会的に共同主観化されているという事態を対自化してきたが、それは対象の認識と認識の対象に関わるものではあっても、所詮は認識論的な次元を超えるものではなかった。それは、まだ、対象的世界の実践的変容を射程に収めておらず、人間の対象的活動による世界の現実的変容を考察の圏外に残してきた。本章では、われわれが内存在するところの世界を、単なる認識という関心ではなく、生の全体的関心の対象として正視しつつ、世界を人間的実践のという共同主体的(intersubjektiv=間主体的)な営為の与件であり且つこの営為によって被媒介的に措定されるものとして把え返すこと、これが課題となる所以であるが、「歴史的」という限定は、世界が――狭義の「歴史」のみならず、「自然」も含めて――原的に間主体的実践による被媒介性において存在するという了解――マルクス・エンゲルス流にいえば「歴史化された自然」という了解――を表示するものにほかならない。本稿がいわゆる歴史哲学的ないし、文化哲学的次元の考察というより寧ろ、世界観一般の地平に関わることを上述した所以についても、もはや絮言を要せぬであろう。」90P・・・廣松さんの未完の『存在と意味』の第3巻の課題としていたこと
(小さいポイント、上出「歴史化された自然」の註、『ドイツ・イデオロギー』からの引用)「・・・・・・人間の歴史に先行するこの自然なるものは、フォイエルバッハが現に生活している自然ではないし、最近誕生したばかりのオーストラリアの珊瑚島上ならいざ知らず、そのような自然はもはやどこにも現存しない。したがってフォイエルバッハにとっても存在しない代物である」90P・・・繰り返し援用される有名なフレーズ
 第一節 歴史的形象の二肢性とその物象化
[一]
(この項の要点)「われわれは、とかく、芸術作品とか宗教的儀式とかいった“高等な”精神的文化形象を、道具とか農耕とかいった物質的文化形象から峻別してしまいがちである。しかしながら、芸術、宗教、学問といったものは、元来、未分化的な統一を形成していたばかりではなく、日常生活と密着していた。未開人が洞窟の壁に刻み込んだ絵は、単なる芸術ではなく呪術的な意味を帯び、しかも狩猟活動の一部として、それは道具的意義を帯びていた、等々。――“近代的”先入見を去って、このような事態を射程に収めるためにも、一見はなはだしい迂路のようではあるが、フェノメナルな世界の用在性Zuhandenheitからみておくことにしよう。」91P
「このように、フェノメナルな対象的与件は、単なる“知覚的与件”以上の或るものとして、生活的関心に対する道具的有意義性を帯びたものとして即自的に現われる。この事態を反省的意識において把え返せば、フェノメナルな与件は単なるそのものals solchesではなく、或る道具的に有意義なものとして、二重的規定性をもったもの、二肢的な被媒介的統一体として定在するわけである。/しかも、この「より以上の或るもの 」etwas Mehrは、われわれが第一章で論定したかのdiscursive(推論的)な「意味」や第二章で討究した情報的「意味」には還元しつくすことはできない。」92P
「道具的有意義性という“性質”が実は、一定の機能的関連を謂うなれば凝縮して物に帰属させる無意識的な手続の結果として存立するものであるということ、従って、それは当の機能的連関によって媒介されており、そのかぎりにおいてのみ存在性をもつということである。」93P
「こうして、謂うところの有意義性なるものが、人間の主体的行為を不可欠な一項として含む機能的連関を、いわば物を核として凝結的に表象したものであるとすれば、――われわれは、このことを目して、有用物ないしは有意義性とは人間的活動の物象化であるという云い方をここで直ちに採るつもりはないが――当の有意義性が歴史的・社会的に相対的であることも自ずと明らかであろう。」93P
「謂うところの有用物と有意義性は、その物的定在を基礎としつつも、まさしく歴史的文化的形象である。」94P
「われわれは、四囲の対象が単なる“自然物”以上の有意義性を帯びたものとして現われるということ、この道具的有意義性は人間の主体的活動(関心)を一契機とする機能的連関が凝縮的に物に帰属されるという仕方で対象化されたものであるということ、これを論定することによって歴史的・文化的形象の“物象化”とその二肢性の最も基底的な層にアプローチを試みたのであるが、これについて稍々本格的に論考するためには、ここでもう一度フェノメナルな場面に立帰って、四囲を眺め返しておかねばならない。」94-5P
[二]
(この項の要点)「われわれが四囲に見出す他の人間とその行動も用在性を帯びている。しかし、それは一般に単なる道具的有意義性以上の、ないしはそれとは別の有意義性を帯びている。」95P
「行動誘発的=活動規制的なこの在り方において、与件は単なるそのもの以上のetwasとして現前する。われわれは、与件のこの在り方、それを機縁とする主体的活動の在り方――その一斑は人間の“生物的自然”に基盤をもつとはいえ――それが優れて歴史的・文化的形象に属する限りで、「規制的有意義性」と呼び、主題的考察(後論)の対象とする。/ここでは、しかし、とりあえず人間の行為に関して、フェノメナルに見出される或る事実を――それは実をいえば「規制的有意義性」の結果として成立するものであるけれども、この被媒介性は暫く不問に付したまま――問題にしておきたい。それは「人間の行動様式そのものの物象化」と呼ばれている事態の討究と相即する。」95P
「われわれとしては、いずれにせよ、「物象化」といっただけでは済ませない。「物象化」とはどういうことなのか?  また、物象化される当のもの(主体・主語)は何なのか? われわれは後にいたって(第三節)はじめてこの問題に最終的な回答を与えうるが、とりあえず二、三の事実を挙げておこう」――@「人間の行動様式の惰性的固定化ということである。」A「この集団性の要求をもみたすところのデュルケーム学派がいう意味での「外部的拘束性」である。」B「物象化という把捉はより直截に日常的意識の追認として立言されうること、これをあながちに否むことはできない。」96-7P
「われわれは、以上、「主体的活動の物象化」と呼ばれる事態を三段に分かって、すなわち、活動様式の固定化という観察的事実、活動の外部的拘束性という内省的意識事実、固定化され拘束性を帯びるにいたった活動様式の一総体が外在的自存性の相貌で現われるといった対象的意識事実に即して論考してきた。」98P
「人間は習慣的に様式化され制度化された行動様式をとることにおいて、いわゆる高等な精神文化を創造するだけでなく、当の行動そのものにおいて常に必ず単なる動作という以上の文化的意義を対他的に帯びているということである。」98-9P
[三]
(この項の要点)「歴史的・文化的形象の最たるものとして人びとは道徳、法律、芸術、学問といった一群の形象を挙げる。われわれもこれを歴史的・文化的形象の一つの層として視野に収めなければならない。」99P
「問題はあくまで、当の定在がetwas Mehrである所以の文化価値である。われわれは、いま問題の層がもつ文化的有意義性を「価値的有意義性」と呼ぶことにしよう。」100P
「文化価値の一つの特質として――この点では経済学上の価値とも存在様相を異にするわけであるが――価値と反価値との相補性が指摘されうる。美醜、善悪、正邪、聖俗、真偽等々。そして価値の否定は反価値を、反価値の否定は価値を意味する。」100P
「だが、……経験的直感の対象でもなく、経験的実在でもなく、一般の存在概念からも区別される「価値」なるものが、果たして客観的にあると言えるであろうか?/ここにおいて、哲学的反省の立場は二極的に分裂し、一方は価値唯名論、他方は価値実在論を採ることになる。そして、それぞれの流儀で日常的意識事実を“説明”してみせる。」101-2P――(小さいポイントでのそれぞれの説明)「一方の立場(価値唯名論)では、価値の客観的実在性というのは錯誤であり、価値とは主観的なものにすぎないと主張する。」「他方の立場(価値実在論)では――価値を形而上学的な実在として積極的に主張するものは論外として――価値はexsist(存在)するわけではないがsubsist(存立)すると主張する。」102P
「それでは、われわれとしてはこの問題にどう対処するのか? われわれは便宜上、二段構えでアプローチする。」102P――「第一段は、――これは実は説明さるべき事態の確認たるにすぎず、回答への前段というべきかもしれないのだが、基本的にいえば、既に第一章、第二章で「意味」のBestand(存立)を処理したのと同一の議論である。が、簡単に論点を揚げておこう。/レアールに実在するのは、経験論者が主張する通り、一定の生活圏の内部でかなりの程度共同主観的に一致している価値意識だけである。価値は、決して人間から端的に独立に自存する「第三領域」といったものではなく、歴史的・社会的な人間の在り方と相関的なGebilde(形象)である。われわれは、「通用している価値」geltender Wertと「妥当する価値」gültiger Wertとを存在的(「オンティツシュ」のルビ)に区別さるべきものとは考えない。以上では経験論者と一致するが、しかし、存在を実在realitasに局限することは世界存在の現実を十全に把捉する所以とならないと考える。・・・・・・このかぎりにおいて、いま問題の文化財はレアール・イデアールな二肢的成体として現存在するわけであって、謂うところのイデアールな契機を端的に排却しようとすれば、現に経験論的唯名論者が困憊しているように、説明体系そのものが必然的悖理に陥る。このかぎりで、イデアールな価値存在を認める点において「第三領域」論者と論理構造の上では一致するが、しかし、われわれはその自体的存立性を認めず、共同主観的な価値意識のfocus imaginarius“物象化”されたものとして把え返す。――そして、ここに本番の課題が存するわけである。」102-3P――「第二段は、共同主観的な価値意識、そしてそれの“物象化”ということが、いかにして成立するか? この問題の解明に懸る。因みに、貨幣のもつ価値(経済的価値)は、人びとが共同主観的に一致してそれに価値を認めることにおいて存立するといってみたところで(これはわれわれの第一段階の議論に類するわけだが)、このことそれ自体がいかに真実であるにせよ、まだ何事をも説明したことにはならない。問題は、当の価値の内実を究明してみせることであり、また、何故如何にしてそのような共同主観的な一致が成立するかを説明してみせることである。」103-4P
「この課題に応えることは、とりもなおさず、レアール・イデアールな二肢的構造成体としての文化財の存在性を問い返すことであり、それはまた、文化的創造の機制を究明することにも通ずる。翻って思えば、価値意識の共同主観性はまさしく歴史的社会的に存在拘束的な間主体的協働を通じて形成されるものであり、この間主体的な協働の総体的な聯関が価値意識への屈折を介して“物象化”されたもの、それが文化財の価値対象性にほかならない。とすれば、われわれは、間主体的協働のいかなる在り方と構造が文化財の価値的有意義性を間主体的に成立せしめるか、このことに問い進まねばならない。けだし、人間的活動をその主体性において把え返すことが先決要求となる所以である。」104P
 第二節 歴史的主体の二肢性とその物象化
(この節の課題)「本節では、人間の行動をその主体的活動の基礎的構造に即して把え返し、歴史的形象、とりわけ制度的定在が歴史的形象として成立しうる所以の機制を対自化し、さらには、前節で残してきた規制的有意義性の問題にも関説しておきたい。」104-5P・・・役割理論と制度論のリンク、「役柄」は演劇的な概念で使っていて、「役割」は社会学的用語。ここで使っていた「役柄」は後には「役割」になっているのではないでしょうか?
[一]
(この項の要点)「われわれは、日常生活において――前節に謂う道具的・規制的・価値的有意義性を帯びた環境世界に内在しつつ――その都度おかれた場面にふさわしい仕方で、社会習慣的・制度的に様式化された仕方で行動している。教室では教師らしく、団交の席では管理者らしく、家庭では父親らしく……というように、俳優が役柄と場面にふさわしい仕方で扮技するのと同様、status and role にしたがって、不断に演技している。」105P
「謂うところの役柄と演技には、学会の司会らしくといった特殊具体的なものから、学者らしく、男らしく、といった一般的抽象的ものまで多肢多重であるが、この概念を拡張していえば、経営者としての実業活動の遂行、サラリーマンとしての労働の方式、革命家としての活動方式……のごときはもとよりのこと、挨拶といった社会習慣的な行動様式、ひいては、表情のつくりかた、歩きかた、等々、「箸の上げ下ろし」にいたるまで、人間の社会的行動の一切が“演技”としておこなわれているとみなすことができる。」105P・・・ここでの廣松さんの例示は差別する側の例示になっています。しかし、そのことを問題視するのは間違いです。なぜなら、役割にそって活動しようとするのは、どちらかというと差別する側であるから、そのような側の意識性を取り上げることになるからです。
「この事実に鑑み、人間活動の汎通的な形式的・構造的規定としてrole-taking(役割分掌)という概念を採用し、これを援用しながら歴史的主体の在り方にアプローチすることにしよう。」105P
「さて、人びとが日常生活において営んでいるrole-takingは、一般には即自的・無自覚的であって、しかも、場面場面に応じて、きわめてナチュラルかつスムーズに展開される。とはいえ、人びとは時として自己と役割との分裂、「私としての私」と「役柄を演じているかぎりでの私」との分裂を感ずるし、自己を対象化して省察すれば、上述のごとき汎通的なrole-takingを自らおこなっていることに気付かざるをえない。われわれは、第一章以来、なかんずく言語的交通の場面に定位して、人は単なるそのひとals solcherとしてではなく、「誰かとしての誰」という二肢性において、自己分裂的自己統一の相において現存在することを指摘してきたが、いまやrole-takingの汎通性に鑑みるとき、それは単なる意識主体としての在り方にとどまるものではなく、実践主体の汎通的な構造であることを知るわけである。」/われわれの見地からみればfür uns人の行動は常に或る役柄扮技として――教師としての行動、管理者としての行動、父親としての行動、等々――単なる身体的動作という以上の或るものetwas Mehr,etwas Anderesとして必ず二肢性において現存在する。/このetwas Mehrとは何であるか、また人間の「自己」「人格」とは何であるか、これを論ずるためにも、その前に役柄演技の在り方について多少ともみておかねばならない。」105-6P
「人間の活動は、こうして、一般に、彼が一定の役柄を演ずるその都度すでに、舞台・背景・道具、ならびに、役柄・筋書・振り付けという既在性によって拘束される。role-takingという人間活動の汎通的な在り方は、このような存在被拘束性において存立し、その埒内において、既在の与件を物的にも意味的にも或る程度変様せしつめつつ、劇を劇として再生産的に維持していく。」107P
「また、第一章で指摘したように、コギトーですら、コギタムス[我々が考える]という本源的な共同主観性においてあり、それがrole-takingの一斑である以上、サルトル的な「実存」として「自己としての自己」を措定するわけにもいかない。尤も、サルトルは自ら、それは「無」だと言っている!わけで、Bravoである。」108P
「各人はその都度の役柄においてしか実存しない。そもそもperson(人格)という言葉は、周知の通り、舞台上の仮想(仮面etc.)を意味するペルソナに語源をもち、personate(演技する)と同根であって、霊魂信仰や近代哲学的ドグマを去って考えるとき、人格というのは扮技的諸機能の一総体にほかならない。これを措いて「人格」なるものは存在しえない。」108P
「われわれは、こうして、原理的な場面では、本来的な自己das eigene Selbst,人格Personなるものの自存化的表象をしりぞける。従って、role-takingという表象がもし本来的自己の人格を前提するとすれば、われわれは自らこの表象を破壊する。/しかしながら、このことは「人格」という概念の便宜的使用、ならびにrole-takingという把捉を端的に断ってしまうことを意味するものではない。」108-9P
「そしてまた、人びとが時折“本来の自己”と“役柄”との分裂を感じ、扮技としての扮技ということを意識するという内省的事実に根拠があるかぎりで、誰かとしての役柄を演ずる私、I as someone els という二肢的な言い方が一応は許されるであろう。けだし、依然として、role-takingという概念を執る所以である。」109P
[二]
(この項の要点)「われわれは前項においては、役柄があたかもそれ自身で役柄であるかのように、従って、役柄の扮技は一私人の行為であるかのように扱ってきた。しかし、実をいえば、役柄というものは、したがって扮技というものは、本源的に間主体的協働の一射影であり、一位相である。」109P
「こうして、役柄の扮技は――それの遂行様式が習慣的・制度的な型として共同主観(共同主体)化されているということ、この意味でfacio(我がおこなう)はすでにしてfacimus(我々はおこなう)であるという領域を超えて――本源的に共同主体的(間主体的)な協働の一つの在り方であり、しかもその間主体的な協働においてのみ役柄扮技であるという意味において、intersubjektivな営みのein Gebildeなのである。役柄の扮技は、間主体的な協働という機能的な聯関によって先立たれる「函数の項」としてのみrole-takingであり、まさしくその意味において、それはpart-taking,Teilnehmung(関与)なのである。」110P
「われわれはいまここで、このteil-nehmen(関与)されるpart――すなわち、視角を変えていえば諸個人の行為がそれ以上のetwasとしてあるところの役柄role――が、それ自体を取り出して存在性格を規定しようとするとき、イレアール・イデアールな性格を呈するということを、詳説するには及ばないであろう。ここでは端的に、諸役柄と諸個人とのレアールな結合・分離の関係に着目しつつ、制度が制度として成立する所以の機制(「メカニズム」のルビ)を対自化しておこう。」110P
「舞台の俳優が、或る者は三枚目、或る者は女形(「おやま」のルビ)というように、役柄の配分を固定化されるのと同様に、実生活においても――ここではまだ、その“自然的” “社会的”諸条件や原因に立入ることなく、もっぱら形式的に論じておくが――人びとの役柄が固定化されうるし、現に固定化されてきた。(その一典型がstatus)。勿論、固定化といってもそれは必ずしも絶対的ではないし、役柄そのものが元来多重的である。しかしともあれ、特定の人物と特定の役柄とが、固定的に結合されることによって、つまり、役柄の配分が安定的に固定化されることによって、かの間主体的な協働関係は、固定的な諸役の共演関係として分節化=構造化されることになる。/諸個人と役柄との結合のこの固定化は、それによって協働関係の分節構造が安定化するというまさにそのことによって、その反面では、役柄と人物との分離、役柄の“自立化”を可能ならしめ、現にそれを進行せしめる。」110-1P
「事態を正しく把えれば、勿論、役柄が独り歩きするわけでなく、<役柄-配備-演技-構成態>などというものが自存するわけではない。それは生身の人間によって演ぜられるかぎりでのみ、しかも、その都度、再生産されるのである。とはいえ、しかるべき生身の人間によって演じさえすれば、それは誰であっても差支えない。この点で、<役柄-配備-演技-構成態>は、任意の数値で代入されうるy= ƒ(χ)といった函数的な性格を呈する。」114P
「役柄とその総体は、こうして、われわれがもしそれだけを切り離して、つまり、脱肉化した相で存在性格を討究するときには、数学的形象や「価値」などと同様、イデアールな存在性格を呈することは見易いところである。一部の社会学者たちを悩ませる「制度」の存在性格の“奇妙”さも、このイレアール=イデアールな契機に起因するものにほかならない。」1 12P
「勿論、社会学者たちは、制度としての制度という脱肉化した次元ではなく、生身の諸個人によって演ぜられているかぎりでのレアールな制度を分析の対象とすることにおいて、制度を単なるイデアールな形象とはみない。しかし、実証的社会科学者たちは――自然科学者たちの対象分析についても結局は同断なのだが――レアールな与件において、単なるrealitas als solches(そのものとしての実在性) ではなく、この与件がそれとしてあるところのイデアールなGebilde(形象)を討究しているわけである。現に、制度が制度であるのは、特定の諸個人によって演ぜられているということにおいてではなく、可能的な生身の人間、誰かしらしかるべき諸個人によってレアールに演ぜられうるというイデアリテートにおいてである。」112P
「われわれは、いまや、前節で残してきた習慣-制度の“物象化”という問題をより正確に規定し返すことができる。習慣・制度と呼ばれているところのもの、すなわち、われわれが前節で「歴史的・文化的形象」の第二の成層として概括しておいたところのものは、演技-役柄が生身の諸個人から相対的に自立化し、それ自体で一つの構造的成体を形成するかのように現象するもの、――そして任意の諸個人によってそれが“上演”されるかぎりにおいてその都度レアールに再生産されるところのもの――すなわち<役柄-配備-演技-構成態>が受肉incarnierenしたもの、このレアール・イデアールな二肢的構造成体にほかならない。それは生身の諸個人から相対的に自立性をもち、「規制的有意義性」を帯びつつ、安定的な分節構造を呈するところから外在的に自存するかのごとき思念を生じ、“物象化”という把捉を機縁づける。しかるに、役柄-演技は、本源的に間主体的協働であり、相互的機制において存立するものであって――ここに「外部的拘束性」の意識根拠が存することは次項で詳論するが――、演技-役割のこの本源的な性格と構造からして、前節で臆断しておいたように、習慣-制度は原的に間主体的協働の一位相としてのみ存立するわけである。」112-3P
[三]
(この項の要点)「われわれはまだ重要な先決問題を残している。人びとは一体なぜ、間主体的協働――よってもって習慣-制度を成立せしめる一因たる規制的・被規制的協働をおこなうのであるか? 遡っては、そもそも何故role-takingがおこなわれるのであるか?」113P
「これは単に「存在被拘束性」と言って済ませるわけにはいかない。それはまた「模倣」と言って済ませるわけにもいかない。シャルル・ブロンデルをまつまでもなく、模倣は決して純粋に内発的な要求から生ずるものではない。たとえ、それが屈折して内発的要求となっていようとも、それはおおむね「単に手本それ自身の魅力のためではなく、絶えざる集団的命令の圧力によって促されるもの」である。」113P
「われわれは――反射的な猿真似の存在を全面的に否定するものではないが――第一節で残してきた「規制的有意義性」の問題、また、デュルケーム学派がいう「外部拘束性」の問題として、当面の課題環対自的に措定しなければならない。」113P
「規制的有意義性が規制的有意義性である所以のものは、しかじかに行為すべきだということの単なる“知解”に存するのではなく、当為意識Sollenbewußtseinがわがものとereigten(生起)され、現実的な拘束性を発動することに存すること、これはあらためて確認するまでもあるまい。この規制的有意義性たるや、われわれの身体的行動を規制するだけでなく、“内的な行動”すなわち、思考や価値評価をも規制し、この内容拘束性において、イデオロギー的ひいては権力支配の槓杆をなすものにほかならない。」113-4P
 小さなポイントで言語活動におけるサンクションの展開――U部三に再録
「端的にいって、規制的有意義性、規範的拘束性という案件は、究極的には条件反射に基くものであるにもせよ、深層催眠、自己催眠の次元に即して把え換え返さるべきものであろう。(ミード以来の役割規定role-expectationやMeの概念はコットレル流の改釈を超えて、この次元で把え直す必要があると考える。)人間の行動というものは、一般に思われているよりも遙かに広くかつ深く、一種の深層催眠にもとづくものであるように思われる。」118P
「各種のサンクション、叱責、嘲笑、非難、崇り、懲罰、等々は、条件づけ、催眠の機能を果すだけでなく、条件反射理論でいう意味での「強化」(条件づけの強化)の手段としても機能している。或る意味では、この強化こそが賞罰(「サンクション」のルビ)の基本的な機能で或るかもしれない。」118P・・・被差別者の差別意識への深層心理的とらわれ
「一般には、しかし、共同主観的な催眠が根強い網を張っており、この催眠を完全に免れうる成員はありえない。(この共同主観的な催眠が表層的意識の尖端に現われたもの、それが各種の“神話” ――民主主義の神話、ナショナリズムの神話、企業意識の神話、等々にほかなるまい。)「道徳」なり、「法律」なり、「お上(「かみ」のルビ)」なりは、そしてまた「制度」は一般に、日常的意識においては物象化されて且つ正価値を帯びており、それに反することは反価値を帯びる。しかも、各種の制裁を通じてそれが強化されていく。制裁は直接的制裁でなくとも、他人のうける間接的経験を通しても「強化」の機能を果たしうる。このようにして、間主体的に条件づけられ「強化」された共同主観的な深層・自己催眠として、規制的有意義性-規範的拘束性がほとんど汎通的に存立する/この汎通的な被拘束性、相互規制的な間主体的協働のこの屈折を介して、我々としての我Ich als Wir、我としての我々Wir als Ichが形成される。すなわち、人間は、単なる認識主観の次元においてのみならず、実践的構えGesinnungにおいて既に共同主体(観)的な主体として自己形成をとげ、この次元においてもintersubjektiv=gemeinsubjektivな個体として二肢的構造成体として現存在するに至っている。」118-9P
 第三節 歴史的世界の間主体性と四肢構造
(これまでの論攷と本節の課題)「われわれは前二節を通じて、歴史的世界の対象的与件ならびに主体的活動を、それぞれの二肢性と物象化的存立構造に即しながら、一瞥してきた。しかし、両側面を個々に截り取ったため、われわれはまだ、即自的にはともあれ、対自的に、対象的活動の動力的な構造を把えうるには至っていない。/本節では、両側面を統一的に把え返し、四肢的構造聯関の対自化と相即的に、歴史的世界、歴史・内・存在の協働的存立構造を対自化することが課題となる。」119P
[一]
(この項の要点)「われわれは第一節において、歴史的・文化的形象の道具的有意義性、規制的有意義性、価値的有意義性――総じて、歴史的世界の即自的な用在性を指摘しつつ、それが間主体的協働の“物象化”された一位相であることを論断しておいた。対象的与件の用在性、遡ってはその二肢性は、しかし、主体の二肢性との相関において、且つはそのかぎりにおいてのみ存立するものである。」119-20P
「この両側面の有機的な四肢的構造聯関を明らかにするためには、まず道具的有意義性の次元に即してみておくのが好便である。」120P
「有意義性は本源的に役柄演技と相関的である。金槌は、生身の人間としては誰が用いてもよいが、人が釘を打つという役柄を演ずるかぎりにおいてのみ、その都度、彼(この役柄を演ずるかぎりでの彼)に対して道具的有意義性をもつ。これが基礎的な構造的事実であって、本源的には、役柄演技を離れて有意義性が自存するわけではない。」120P
「この観念的扮技の機制によって、誰かしら使用可能であれば、つまり、私が可能的使用者の役を扮技することにおいて、所与の形象の道具的有意義性が存立する。われわれが第一節で暫定的に定式化しておいた「実践的機能連関の凝縮的帰属」という事態が生じるのも、また、第二節で措定した<役柄-配備-演技-構成態>に物的な契機が繰込まれうるのも、同じ機制に負うてである。すなわち、金槌の例に帰っていえば、釘その他の対象的諸条件−金槌−使用者の様式化された役柄演技、このレアールな機能的連関体において、対象的諸条件も主体的活動も、そして部分的には金槌のレアールな諸性質も、観念的扮技を通じて脱肉化され、さしあたり、金槌というレアールな核がTräger(担い手)として残留する。これが先に謂う凝縮的帰属であり、このレアールな核すら脱肉化されて任意の(但しその種の)道具としてイデアリジーレンされるとき、かの<役柄-配備-演技-構成態>のモーメントとして当の道具が繰込まれうることになる。(ここにみる通り、「道具化」も「制度化」も構造的には同一である。)」121P
「以上、道具的有意義性について論じたことは、規制的有意義性や価値的有意義性についても、基本的にはそのまま妥当する。例えば、野球のルールが規制的有意義性をもつのは野球をプレイする役柄演技に対してであり、歌集が有意義性をもつのはそれを唱うかぎりにおいてである。しかし、価値的有意義性においては、観念上の扮技、観念上の有意義性がとりわけ重要になる。」121P
「こうして、用在的与件は、一般論として「私としての私」にとっては現実的な有意義性をもたないにしても、観念的扮技を通じて共同主観的な用在的有意義性が成立しうる。そして現に、所与の共同現存在(「ミットダーザイン」のルビ)の範域では、共同主観的一致がかなりの程度で形成されている。」122P
「この用在的有意義性の「共同主観的一致」なるものは、しかし、動力学的な緊張をはらみつつかろうじて存立するものにすぎない。現実的な扮技と観念的扮技とではおよそ心態が異る。しかるに、第二節で述べた役柄と人格との結合によって、すなわち、一定の役柄と特定人格との結合が固定化されることによって(例えば分業の固定化、エンゲルスによれぱその最たるものが身分的・階級的固定化なのだが)、成員のあいだでの、現実的な扮技の種類や範囲が分化してしまう。・・・・・・有意義性の意識すなわち広義の価値意識の共同主観性を不安定的形骸的なものにしてしまう。(けだし共同主観性が完きものとなるためには役柄配分の固定化、固定化された“分業”が止揚さるべき所以である。)」・・・・・おそらく、無階級的同質性が保たれている社会集団においてすら、厳密にいえば、共同主観的な真の一致など成立しうべきもないであろう。しかしともあれ、役柄扮技の現実的・観念的・共同主観性が存立しうるかぎり、その埒内で、成員が内外の諸条件にもとづいて新規にえた「体験」が“共同主観化”されていくのであって、役柄の固定化その他にもとづく拮抗的な因子を介在せしめつつ、動力学的なゲネシス(genesis発生)の相において、われわれが現にみるごとき程度の共同主観性が成立している。」122-3P
「われわれは第一節において、フェノメナルな与件が単なるそのものとしてではなく、汎通的に有意義性を帯びたetwas Mehr(それ以上の或るもの)として即自的に現前することを指摘したのであったが、――そしてきわめて一面的・臆断的な仕方でそれの共同主観性を立言しておいたのであったが――しかし、実は、それはunmittelbar(直接的)な所与性ではなく、人間主体の汎通的なrole-takingという、本源的に間主体的協働の在り方と相関的であり、右に指摘した共同主観化=共同主観性によって被媒介的に現前するものにほかならない。(この点において、われわれはハイデッガーとは根本的に了解を異にする。)用在性において現われるフェノメノンは四肢的聯関の一つの項としてのみはじめて用在なのであり、そしてまたrole-takingとそこにおける主体の二肢的二重性もやはり、当の四肢的聯関構造という機能的・函数的な(「ツンクチオネール」のルビ)聯関の項としてのみ存立するものである。歴史的世界は、総体として、かかる四肢的構造成体として存立する。」123P
[二]
(この項の要点)「われわれは前項において「歴史的世界」の共時論的(「サンクロニック」のルビ)四肢構造を論定したのであるが、それは通時論的(「ディアクロニック」のルビ)四肢構造の一断面にほかなるものではなく、発生論的にはこれによって媒介されていることは、あらためて立言するまでもない。また、この通時的四肢構造、その“物象化”のメカニズムについては、前節で<役柄-配備-演技-構成態>という一種の“時間的ゲシュタルト”の制度化を論じた議論によって本質的には尽きている。しかし、それは「歴史の主体」が「歴史の主体」として措定されうるかぎりのことであって、われわれはまだこの先決条件を対自化していない。/ここでは、この先決要求を充たしつつ、かつまた、歴史的法則を定立するための可能性の制約Be-dingung der Möglichkeitをなすところのもの、すなわち歴史的因果性というかたちをとって現われる物象化の問題にふれておかねばならない。」123-4P・・・通時的物象化への踏み込み
「そのためには、一見迂遠のようではあるけれども、通俗の“物象化論”とマルクス的「物象化論」との相違について、あらかじめみておくのが便利であると思われる。」124P・・・これは前期マルクスの疎外論と後期マルクスの物象化論との対比にも当たります。
「われわれなりに整理しておけば、一般に“物化”ないし“物象化”と呼ばれているものは、外延的にも内包的にも多肢であるが、およそ次の三層に纏めることができよう。すなわち――「(1)人間そのものの物化」「(2)人間の行動の物化」「(3)人間の力能の物化」」124P
「後期マルクスの「物象化論」は以上の三つとはおよそ範疇的に別のものである。尤も、マルクスは初期には如上と通じる立言を試みたことがあるし、後期においても単なる比喩的な表現としては如上と通じる意味で物象化という言葉を用いてもいる。マルクス自身はVersachlichungという言葉を術語的に定義して使用しているわけではない。しかし、ともあれ、彼が価値論を通じて打出した謂うところの「物象化論」は上掲(1)(2)(3)の発想の地平を端的に超えている。」124-5P
「マルクスの「物象化論」を内容にまで立入って詳しく紹介するいとまはないが、次の点だけは銘記しておきたい。まず、前掲の(1)(2)(3)との対比上、卑俗な指摘から始めれば、マルクスのいう物象化は、人間と人間の間主体的な関係が物の性質であるかのように倒錯視されたり(例えば、貨幣のもつ購買力という“性質”)、人間と人間との間主体的な関係が物と物との関係であるかのように倒錯視される現象(例えば、商品の価値関係や、多少趣を異にするが、「需要」と「供給」との関係で価格が決まるというような表象)の謂いである。人間と人間の関係といっても、それはもちろん、対象から引離された人間と人間とだけの関係ではなく、況んや、静的・反省的な関係ではなく、対象的活動における動力学的な関わり合いであり、機能的相互聯関である。すなわち、それはわれわれが謂う意味での広義の間主体的協働関係の謂いであって、これが或る屈折を経て、物の性質や物と物との関係であるかのように仮現する事態を指す。/こうして、マルクスのいう「物象化」は与件からして先の(1)(2)(3) ――主体的なものが物的なものになるといった想念――とは別種の事態であり、マルクスは当の事態を、彼が本源的にξωον πολιτικóν(ゾーオン・ポリティコン、社会的動物)であるとして――近代哲学的人間了解をしりぞけて本源的に間主体的な協働性において――把捉するところの、人間の間主体的社会関係の諸相の倒錯視として把え、この倒錯Quidproquoが何故または如何にして生ずるかを究明してみせる。」126P
「このような事情が重なることによって、諸個人を以って歴史の主体でないどころか、「歴史」の道具的な手段とみる表象が生み出される。そして現に歴史の主体を超個人的な或るもの、諸個人とは別の或る“大きな主体=実体”に求める傾動を生ずる。このような経緯で「歴史」「歴史の主体」が“物象化”され“実体化”されてしまう。/われわれとしては、しかし、この間の事情を対自化し、物象的倒錯を回避しつつ“物象化”して現われるところのこのものを現われる記述的概念としてtool化する。」127P・・・このことは運動論的なことにも類比・援用できます。差別の階級支配の道具――手段論は、そもそも「歴史の主体としての諸個人」の否定の延長線上に、歴史の主体を「階級」という「“大きな主体=実体”に求める」ところから生じているのでは? これは、「階級」の物象化とも言いえることです。この部分は、「廣松理論が決定論になっている」という批判に対する反論としても重要です。
「以上の行論において「歴史」という次元で問題にしてきた超個人的な“大きな主体”、われわれが物象化的錯視をしりぞけつつ依って以ってトゥールとして用いるところの形象は、全くの同一の論理構造で、任意の間主体的協働形象で以って置換(代入)されうる。そこにおいて、諸個人の演技が脱肉化され、当の形象が自存的に実体化されてしまうとき――例えば、所与の需給関係の下における諸個人の売買という集合的な主体的活動が脱肉化され、「需要」「供給」なるものが物象化的にhypostasieren(実体化)されるとき――それらの形象が受肉化した様態で元来もっていたところの相関が、物象化された形象どうしの相関(因果的相関etc.)として表象されることになる。/この“物象化”された諸形象ないしは諸条件の因果的相関性の表象を基礎としつつ、制度的物象化の場合と同様なIdealisierung(理想化)とHypostasierung(実体化)が介在することによって歴史的法則性の表象が成立しうることについては――前節での所説を想起していただけるかぎり――絮言を要せぬであろう。」128P・・・いうまでもなく、「因果関係」という、近代知の地平の概念を止揚する『事的世界観の前哨』での展開、そもそも物象化された概念。
[三]
(この項の要点)「われわれが以上論じてきたかぎりでは、人間は既成性の網の目に搦みとられており、個々人が多少踠いてみたところでしがらみを如何ともしがたいかのように映ずるかもしれない。それは、しかし、われわれがもっぱら既成性の固定化と再生産の構造だけに着目してきたことに理由の一半を有するものであって、視点を変えて把え返せば、――宿命論的決定論のごときは、それが神学的決定論であろうと、経済的決定論であろうと、物象化的倒錯によってはじめて生ずるものであり――そもそも謂うところの既成性からして人間の対象的活動によって創造されたものにほかならない。ここでは、この観点から基礎的な事実の一端にふれておこう。」129P
「われわれは前節において、人間活動の汎通的在り方をrole-takingという構造で把えたのであったが、この実践は、それがいかに被拘束的なものであるにもせよ、対象、道具、そして演技様式、ひいては、人間そのものを変様せしめずにはおかない。なるほど、一定の埒内では、それは物理的には多少の変化であっても、歴史的な脈絡では殆んど変化としての意義をもたないのが一般であるかもしれない。しかしながら、往々にして逆に、物理的には些細な変化であっても、用在的世界の意義聯関に大変動をもたらすことがありうる。」129P
「或る種の歴史的継承は存続し、或る種のものは衰滅する。或る種のrole-takingに代わって新しいそれが登場する。それを規定するものは何か? 総体としての歴史の運動を規定する動軸は何であるか?/われわれは、ここで、具体的には多くを語る必要があるまい。というのは、具体的には個別的実証的な研究が必要だからであり、抽象的に語りうるかぎりでは、マルクス・エンゲルスの唯物史観の唯物史観による回答をわれわれは既にもっているからである。」130P
「なるほど、歴史は有機的・函数的な一総体なのであるから、すべての項(「グリート」のルビ)が動員であるということもできよう。・・・・・・弁証法的な相互作用Wechselwirkungというカテゴリーで把えられるべきものである。第一次的にはこの規定で把握さるべきだというかぎりでは、動軸云々という問題設定そのものがしりぞけられうる。しかしながら、そのような弁証法的総体観(「トタリスムス」のルビ)そのものの次元にとどまっていては、歴史観、歴史哲学としてすら現実的な有効性をもたない。」130P
「そこで一歩降って考えるとき、role-takingの基幹は物的生活の生産であり、しかも、歴史的現実に徴するとき、この物的生活の場面でのrole-takingの構造……結局のところ、マルクス的に規定した意味での「下部構造」の基軸性をわれわれは見出す。因みに、いかにWechselwirkungの総体であるとはいっても、末梢血管や、場合によっては手足の一本や二本が損壊しても生体は維持されるのに対して、心臓が損傷されれば全体が“崩壊”するが、歴史的・社会的な“生体”においても事情はアナロガス(analogous類似的)である。けだし総体的な相互作用とか、上部構造と下部構造との相互作用とか言ってすませるわけにはいかない所以である。/下部構造の起動性に着目し、この視点から人間的営為、人間の間主体的協働を把え返すとき、われわれは「労働の構造」「分業的協働」、ひいてはまた、それを軸にした社会的編成の構造をより具体的に分析する必要があり、われわれはここでもまたマルクスの先蹤に倣ってこの課題に応えることができる。この作業を経た後にはじめて、われわれは歴史の哲学、さらには歴史としての歴史的現実の具体的分析に進むことができるであろう。われわれはまだ、階級的社会編成といった次元はおろか、真に対象変様的な活動性の次元をすら討究しえていない。」130-1P
「ここでは、しかし、頭初に課題を限定した通り、われわれはまだ“近代=ブルジョア的”世界了解の地平との対質を問題意識としつつ、われわれなりのWeltanschauung(世界観)の視座と基本的シェーマの対自化を課題としている。本章では、人間的活動をその尤も汎通的・抽象的な次元で、マルクス的に把え返された意味でのゾーオン・ポリティコンの在り方、つまり、相互無関心や敵対関係をも包摂する最広義の「協働」Zusammenwirkungの一般構造に即して、物象化の「可能性の条件」Bedingung der Möglichkeitを討究しえたにとどまり、歴史世界(「ゲシエーエンデ・ヴェルト」のルビ)の具体的な分析はおろか、文化哲学・社会哲学・歴史哲学の次元への上向ですらまだ遼遠であるのが実情である。われわれが右に対自化した課題は悉く後日に譲らざるをえない。(尚、本章での立論では、「人間の主体性」「自由」が没却されてしまい、一種の決定論に陥るのではないかとの有り得べき疑惑に対しては、差当たり『マルクス主義の地平』第三部、「歴史法則と諸個人の自由」の参看を願うことにして、ここでは紙幅を惜しもう。)本章では「歴史的世界」の汎通的な用在性とrole-takingとしての対象的活動、これら二重の二肢の四肢的構造聯関における協働的存立構造、歴史的世界のこの基礎的構造の幾つかの相面を対自化したところで筆を擱くことにしたい。」131P


posted by たわし at 15:58| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(4)

たわしの読書メモ・・ブログ614[廣松ノート(2)]
・廣松渉『世界の共同主観的存在構造』勁草書房1972(4)
 備忘録的なところという意味もこめていたら、これは外しがたいという思いが湧いていて、ほとんど全面的な切り抜きになっていっています。まるで写経のようだという思いも湧いてきます。昔、あるメーリングリストで、「廣松教の信者はこの問題をどうとらえるのだろうか?」 という問いかけをされたことがあります。いうまでもなく、わたしは運動的にはマルクス主義を宗教のようにしてしまった宗派批判をしていますし、また教条主義批判をしていて、「マルクス主義」ということの批判に入っています。就中、マルクス・レーニン主義批判なのですが。そもそも、反差別論をやっている立場で、ひとの名を冠した○○主義なるものは、権威主義という差別の一形態である個人崇拝に陥り、教条主義にも陥るということで、否定的批判の意味をこめてしか、○○主義という言葉を使わないようにしています。多大に影響を受けている殊は否めないという意味で、自らの依って立つ立場を明らかにするという意味では、「マルクス派」という表現を用いています。
 廣松さんの理論は、いろいろな批判もでていますか、わたしも差別というところからのとらえ返しが薄い、また個別差別の対象化ができていないという批判もしていますが、理論の骨格的なところでの批判は、心理学的なことでのコメントで「生得的感応」というタームが物象化に陥っているのではないかという思いを書いたことくらいでしょうか?
「廣松さんの何を使おうとしているのか」と、最近問われたのですが、言い換えればわたしが何に留目しているのかと言えば、「差異があるから差別があるのだ」ということを批判するのに、マルクスの物象化概念から、廣松物象化論という、同じ意味で廣松差異論といいいえるような独自展開をしているところを援用しようとしているのです。
 今回は4回目、先に進めたいので、1回分をもう少し増やしてとの思いがあるのですが、かなりの分量になるので、とりあえず一章ずつにしていきます。
早速本題に入ります。
今回分の目次です。
T
第三章 歴史的世界の協働的存立構造
 第一節 歴史的形象の二肢性とその物象化
 第二節 歴史的主体の二肢性とその物象化
 第三節 歴史的世界の間主体性と四肢構造

 早速切り抜きメモに入ります。
「「歴史的」という限定は、世界(宇宙)を自然界と歴史界とに区分けする領域的概念ではなく、原理的にいえば、世界の観方、了解の仕方にかかわる。」88P
「われわれは第一章以来、フェノメノンに展らけるところの、所与世界が歴史的・社会的に共同主観化されているという事態を対自化してきたが、それは対象の認識と認識の対象に関わるものではあっても、所詮は認識論的な次元を超えるものではなかった。それは、まだ、対象的世界の実践的変容を射程に収めておらず、人間の対象的活動による世界の現実的変容を考察の圏外に残してきた。本章では、われわれが内存在するところの世界を、単なる認識という関心ではなく、生の全体的関心の対象として正視しつつ、世界を人間的実践のという共同主体的(intersubjektiv=間主体的)な営為の与件であり且つこの営為によって被媒介的に措定されるものとして把え返すこと、これが課題となる所以であるが、「歴史的」という限定は、世界が――狭義の「歴史」のみならず、「自然」も含めて――原的に間主体的実践による被媒介性において存在するという了解――マルクス・エンゲルス流にいえば「歴史化された自然」という了解――を表示するものにほかならない。本稿がいわゆる歴史哲学的ないし、文化哲学的次元の考察というより寧ろ、世界観一般の地平に関わることを上述した所以についても、もはや絮言を要せぬであろう。」90P・・・廣松さんの未完の『存在と意味』の第3巻の課題としていたこと
(小さいポイント、上出「歴史化された自然」の註、『ドイツ・イデオロギー』からの引用)「・・・・・・人間の歴史に先行するこの自然なるものは、フォイエルバッハが現に生活している自然ではないし、最近誕生したばかりのオーストラリアの珊瑚島上ならいざ知らず、そのような自然はもはやどこにも現存しない。したがってフォイエルバッハにとっても存在しない代物である」90P・・・繰り返し援用される有名なフレーズ
 第一節 歴史的形象の二肢性とその物象化
[一]
(この項の要点)「われわれは、とかく、芸術作品とか宗教的儀式とかいった“高等な”精神的文化形象を、道具とか農耕とかいった物質的文化形象から峻別してしまいがちである。しかしながら、芸術、宗教、学問といったものは、元来、未分化的な統一を形成していたばかりではなく、日常生活と密着していた。未開人が洞窟の壁に刻み込んだ絵は、単なる芸術ではなく呪術的な意味を帯び、しかも狩猟活動の一部として、それは道具的意義を帯びていた、等々。――“近代的”先入見を去って、このような事態を射程に収めるためにも、一見はなはだしい迂路のようではあるが、フェノメナルな世界の用在性Zuhandenheitからみておくことにしよう。」91P
「このように、フェノメナルな対象的与件は、単なる“知覚的与件”以上の或るものとして、生活的関心に対する道具的有意義性を帯びたものとして即自的に現われる。この事態を反省的意識において把え返せば、フェノメナルな与件は単なるそのものals solchesではなく、或る道具的に有意義なものとして、二重的規定性をもったもの、二肢的な被媒介的統一体として定在するわけである。/しかも、この「より以上の或るもの 」etwas Mehrは、われわれが第一章で論定したかのdiscursive(推論的)な「意味」や第二章で討究した情報的「意味」には還元しつくすことはできない。」92P
「道具的有意義性という“性質”が実は、一定の機能的関連を謂うなれば凝縮して物に帰属させる無意識的な手続の結果として存立するものであるということ、従って、それは当の機能的連関によって媒介されており、そのかぎりにおいてのみ存在性をもつということである。」93P
「こうして、謂うところの有意義性なるものが、人間の主体的行為を不可欠な一項として含む機能的連関を、いわば物を核として凝結的に表象したものであるとすれば、――われわれは、このことを目して、有用物ないしは有意義性とは人間的活動の物象化であるという云い方をここで直ちに採るつもりはないが――当の有意義性が歴史的・社会的に相対的であることも自ずと明らかであろう。」93P
「謂うところの有用物と有意義性は、その物的定在を基礎としつつも、まさしく歴史的文化的形象である。」94P
「われわれは、四囲の対象が単なる“自然物”以上の有意義性を帯びたものとして現われるということ、この道具的有意義性は人間の主体的活動(関心)を一契機とする機能的連関が凝縮的に物に帰属されるという仕方で対象化されたものであるということ、これを論定することによって歴史的・文化的形象の“物象化”とその二肢性の最も基底的な層にアプローチを試みたのであるが、これについて稍々本格的に論考するためには、ここでもう一度フェノメナルな場面に立帰って、四囲を眺め返しておかねばならない。」94-5P
[二]
(この項の要点)「われわれが四囲に見出す他の人間とその行動も用在性を帯びている。しかし、それは一般に単なる道具的有意義性以上の、ないしはそれとは別の有意義性を帯びている。」95P
「行動誘発的=活動規制的なこの在り方において、与件は単なるそのもの以上のetwasとして現前する。われわれは、与件のこの在り方、それを機縁とする主体的活動の在り方――その一斑は人間の“生物的自然”に基盤をもつとはいえ――それが優れて歴史的・文化的形象に属する限りで、「規制的有意義性」と呼び、主題的考察(後論)の対象とする。/ここでは、しかし、とりあえず人間の行為に関して、フェノメナルに見出される或る事実を――それは実をいえば「規制的有意義性」の結果として成立するものであるけれども、この被媒介性は暫く不問に付したまま――問題にしておきたい。それは「人間の行動様式そのものの物象化」と呼ばれている事態の討究と相即する。」95P
「われわれとしては、いずれにせよ、「物象化」といっただけでは済ませない。「物象化」とはどういうことなのか?  また、物象化される当のもの(主体・主語)は何なのか? われわれは後にいたって(第三節)はじめてこの問題に最終的な回答を与えうるが、とりあえず二、三の事実を挙げておこう」――@「人間の行動様式の惰性的固定化ということである。」A「この集団性の要求をもみたすところのデュルケーム学派がいう意味での「外部的拘束性」である。」B「物象化という把捉はより直截に日常的意識の追認として立言されうること、これをあながちに否むことはできない。」96-7P
「われわれは、以上、「主体的活動の物象化」と呼ばれる事態を三段に分かって、すなわち、活動様式の固定化という観察的事実、活動の外部的拘束性という内省的意識事実、固定化され拘束性を帯びるにいたった活動様式の一総体が外在的自存性の相貌で現われるといった対象的意識事実に即して論考してきた。」98P
「人間は習慣的に様式化され制度化された行動様式をとることにおいて、いわゆる高等な精神文化を創造するだけでなく、当の行動そのものにおいて常に必ず単なる動作という以上の文化的意義を対他的に帯びているということである。」98-9P
[三]
(この項の要点)「歴史的・文化的形象の最たるものとして人びとは道徳、法律、芸術、学問といった一群の形象を挙げる。われわれもこれを歴史的・文化的形象の一つの層として視野に収めなければならない。」99P
「問題はあくまで、当の定在がetwas Mehrである所以の文化価値である。われわれは、いま問題の層がもつ文化的有意義性を「価値的有意義性」と呼ぶことにしよう。」100P
「文化価値の一つの特質として――この点では経済学上の価値とも存在様相を異にするわけであるが――価値と反価値との相補性が指摘されうる。美醜、善悪、正邪、聖俗、真偽等々。そして価値の否定は反価値を、反価値の否定は価値を意味する。」100P
「だが、……経験的直感の対象でもなく、経験的実在でもなく、一般の存在概念からも区別される「価値」なるものが、果たして客観的にあると言えるであろうか?/ここにおいて、哲学的反省の立場は二極的に分裂し、一方は価値唯名論、他方は価値実在論を採ることになる。そして、それぞれの流儀で日常的意識事実を“説明”してみせる。」101-2P――(小さいポイントでのそれぞれの説明)「一方の立場(価値唯名論)では、価値の客観的実在性というのは錯誤であり、価値とは主観的なものにすぎないと主張する。」「他方の立場(価値実在論)では――価値を形而上学的な実在として積極的に主張するものは論外として――価値はexsist(存在)するわけではないがsubsist(存立)すると主張する。」102P
「それでは、われわれとしてはこの問題にどう対処するのか? われわれは便宜上、二段構えでアプローチする。」102P――「第一段は、――これは実は説明さるべき事態の確認たるにすぎず、回答への前段というべきかもしれないのだが、基本的にいえば、既に第一章、第二章で「意味」のBestand(存立)を処理したのと同一の議論である。が、簡単に論点を揚げておこう。/レアールに実在するのは、経験論者が主張する通り、一定の生活圏の内部でかなりの程度共同主観的に一致している価値意識だけである。価値は、決して人間から端的に独立に自存する「第三領域」といったものではなく、歴史的・社会的な人間の在り方と相関的なGebilde(形象)である。われわれは、「通用している価値」geltender Wertと「妥当する価値」gültiger Wertとを存在的(「オンティツシュ」のルビ)に区別さるべきものとは考えない。以上では経験論者と一致するが、しかし、存在を実在realitasに局限することは世界存在の現実を十全に把捉する所以とならないと考える。・・・・・・このかぎりにおいて、いま問題の文化財はレアール・イデアールな二肢的成体として現存在するわけであって、謂うところのイデアールな契機を端的に排却しようとすれば、現に経験論的唯名論者が困憊しているように、説明体系そのものが必然的悖理に陥る。このかぎりで、イデアールな価値存在を認める点において「第三領域」論者と論理構造の上では一致するが、しかし、われわれはその自体的存立性を認めず、共同主観的な価値意識のfocus imaginarius“物象化”されたものとして把え返す。――そして、ここに本番の課題が存するわけである。」102-3P――「第二段は、共同主観的な価値意識、そしてそれの“物象化”ということが、いかにして成立するか? この問題の解明に懸る。因みに、貨幣のもつ価値(経済的価値)は、人びとが共同主観的に一致してそれに価値を認めることにおいて存立するといってみたところで(これはわれわれの第一段階の議論に類するわけだが)、このことそれ自体がいかに真実であるにせよ、まだ何事をも説明したことにはならない。問題は、当の価値の内実を究明してみせることであり、また、何故如何にしてそのような共同主観的な一致が成立するかを説明してみせることである。」103-4P
「この課題に応えることは、とりもなおさず、レアール・イデアールな二肢的構造成体としての文化財の存在性を問い返すことであり、それはまた、文化的創造の機制を究明することにも通ずる。翻って思えば、価値意識の共同主観性はまさしく歴史的社会的に存在拘束的な間主体的協働を通じて形成されるものであり、この間主体的な協働の総体的な聯関が価値意識への屈折を介して“物象化”されたもの、それが文化財の価値対象性にほかならない。とすれば、われわれは、間主体的協働のいかなる在り方と構造が文化財の価値的有意義性を間主体的に成立せしめるか、このことに問い進まねばならない。けだし、人間的活動をその主体性において把え返すことが先決要求となる所以である。」104P
 第二節 歴史的主体の二肢性とその物象化
(この節の課題)「本節では、人間の行動をその主体的活動の基礎的構造に即して把え返し、歴史的形象、とりわけ制度的定在が歴史的形象として成立しうる所以の機制を対自化し、さらには、前節で残してきた規制的有意義性の問題にも関説しておきたい。」104-5P・・・役割理論と制度論のリンク、「役柄」は演劇的な概念で使っていて、「役割」は社会学的用語。ここで使っていた「役柄」は後には「役割」になっているのではないでしょうか?
[一]
(この項の要点)「われわれは、日常生活において――前節に謂う道具的・規制的・価値的有意義性を帯びた環境世界に内在しつつ――その都度おかれた場面にふさわしい仕方で、社会習慣的・制度的に様式化された仕方で行動している。教室では教師らしく、団交の席では管理者らしく、家庭では父親らしく……というように、俳優が役柄と場面にふさわしい仕方で扮技するのと同様、status and role にしたがって、不断に演技している。」105P
「謂うところの役柄と演技には、学会の司会らしくといった特殊具体的なものから、学者らしく、男らしく、といった一般的抽象的ものまで多肢多重であるが、この概念を拡張していえば、経営者としての実業活動の遂行、サラリーマンとしての労働の方式、革命家としての活動方式……のごときはもとよりのこと、挨拶といった社会習慣的な行動様式、ひいては、表情のつくりかた、歩きかた、等々、「箸の上げ下ろし」にいたるまで、人間の社会的行動の一切が“演技”としておこなわれているとみなすことができる。」105P・・・ここでの廣松さんの例示は差別する側の例示になっています。しかし、そのことを問題視するのは間違いです。なぜなら、役割にそって活動しようとするのは、どちらかというと差別する側であるから、そのような側の意識性を取り上げることになるからです。
「この事実に鑑み、人間活動の汎通的な形式的・構造的規定としてrole-taking(役割分掌)という概念を採用し、これを援用しながら歴史的主体の在り方にアプローチすることにしよう。」105P
「さて、人びとが日常生活において営んでいるrole-takingは、一般には即自的・無自覚的であって、しかも、場面場面に応じて、きわめてナチュラルかつスムーズに展開される。とはいえ、人びとは時として自己と役割との分裂、「私としての私」と「役柄を演じているかぎりでの私」との分裂を感ずるし、自己を対象化して省察すれば、上述のごとき汎通的なrole-takingを自らおこなっていることに気付かざるをえない。われわれは、第一章以来、なかんずく言語的交通の場面に定位して、人は単なるそのひとals solcherとしてではなく、「誰かとしての誰」という二肢性において、自己分裂的自己統一の相において現存在することを指摘してきたが、いまやrole-takingの汎通性に鑑みるとき、それは単なる意識主体としての在り方にとどまるものではなく、実践主体の汎通的な構造であることを知るわけである。」/われわれの見地からみればfür uns人の行動は常に或る役柄扮技として――教師としての行動、管理者としての行動、父親としての行動、等々――単なる身体的動作という以上の或るものetwas Mehr,etwas Anderesとして必ず二肢性において現存在する。/このetwas Mehrとは何であるか、また人間の「自己」「人格」とは何であるか、これを論ずるためにも、その前に役柄演技の在り方について多少ともみておかねばならない。」105-6P
「人間の活動は、こうして、一般に、彼が一定の役柄を演ずるその都度すでに、舞台・背景・道具、ならびに、役柄・筋書・振り付けという既在性によって拘束される。role-takingという人間活動の汎通的な在り方は、このような存在被拘束性において存立し、その埒内において、既在の与件を物的にも意味的にも或る程度変様せしつめつつ、劇を劇として再生産的に維持していく。」107P
「また、第一章で指摘したように、コギトーですら、コギタムス[我々が考える]という本源的な共同主観性においてあり、それがrole-takingの一斑である以上、サルトル的な「実存」として「自己としての自己」を措定するわけにもいかない。尤も、サルトルは自ら、それは「無」だと言っている!わけで、Bravoである。」108P
「各人はその都度の役柄においてしか実存しない。そもそもperson(人格)という言葉は、周知の通り、舞台上の仮想(仮面etc.)を意味するペルソナに語源をもち、personate(演技する)と同根であって、霊魂信仰や近代哲学的ドグマを去って考えるとき、人格というのは扮技的諸機能の一総体にほかならない。これを措いて「人格」なるものは存在しえない。」108P
「われわれは、こうして、原理的な場面では、本来的な自己das eigene Selbst,人格Personなるものの自存化的表象をしりぞける。従って、role-takingという表象がもし本来的自己の人格を前提するとすれば、われわれは自らこの表象を破壊する。/しかしながら、このことは「人格」という概念の便宜的使用、ならびにrole-takingという把捉を端的に断ってしまうことを意味するものではない。」108-9P
「そしてまた、人びとが時折“本来の自己”と“役柄”との分裂を感じ、扮技としての扮技ということを意識するという内省的事実に根拠があるかぎりで、誰かとしての役柄を演ずる私、I as someone els という二肢的な言い方が一応は許されるであろう。けだし、依然として、role-takingという概念を執る所以である。」109P
[二]
(この項の要点)「われわれは前項においては、役柄があたかもそれ自身で役柄であるかのように、従って、役柄の扮技は一私人の行為であるかのように扱ってきた。しかし、実をいえば、役柄というものは、したがって扮技というものは、本源的に間主体的協働の一射影であり、一位相である。」109P
「こうして、役柄の扮技は――それの遂行様式が習慣的・制度的な型として共同主観(共同主体)化されているということ、この意味でfacio(我がおこなう)はすでにしてfacimus(我々はおこなう)であるという領域を超えて――本源的に共同主体的(間主体的)な協働の一つの在り方であり、しかもその間主体的な協働においてのみ役柄扮技であるという意味において、intersubjektivな営みのein Gebildeなのである。役柄の扮技は、間主体的な協働という機能的な聯関によって先立たれる「函数の項」としてのみrole-takingであり、まさしくその意味において、それはpart-taking,Teilnehmung(関与)なのである。」110P
「われわれはいまここで、このteil-nehmen(関与)されるpart――すなわち、視角を変えていえば諸個人の行為がそれ以上のetwasとしてあるところの役柄role――が、それ自体を取り出して存在性格を規定しようとするとき、イレアール・イデアールな性格を呈するということを、詳説するには及ばないであろう。ここでは端的に、諸役柄と諸個人とのレアールな結合・分離の関係に着目しつつ、制度が制度として成立する所以の機制(「メカニズム」のルビ)を対自化しておこう。」110P
「舞台の俳優が、或る者は三枚目、或る者は女形(「おやま」のルビ)というように、役柄の配分を固定化されるのと同様に、実生活においても――ここではまだ、その“自然的” “社会的”諸条件や原因に立入ることなく、もっぱら形式的に論じておくが――人びとの役柄が固定化されうるし、現に固定化されてきた。(その一典型がstatus)。勿論、固定化といってもそれは必ずしも絶対的ではないし、役柄そのものが元来多重的である。しかしともあれ、特定の人物と特定の役柄とが、固定的に結合されることによって、つまり、役柄の配分が安定的に固定化されることによって、かの間主体的な協働関係は、固定的な諸役の共演関係として分節化=構造化されることになる。/諸個人と役柄との結合のこの固定化は、それによって協働関係の分節構造が安定化するというまさにそのことによって、その反面では、役柄と人物との分離、役柄の“自立化”を可能ならしめ、現にそれを進行せしめる。」110-1P
「事態を正しく把えれば、勿論、役柄が独り歩きするわけでなく、<役柄-配備-演技-構成態>などというものが自存するわけではない。それは生身の人間によって演ぜられるかぎりでのみ、しかも、その都度、再生産されるのである。とはいえ、しかるべき生身の人間によって演じさえすれば、それは誰であっても差支えない。この点で、<役柄-配備-演技-構成態>は、任意の数値で代入されうるy= ƒ(χ)といった函数的な性格を呈する。」114P
「役柄とその総体は、こうして、われわれがもしそれだけを切り離して、つまり、脱肉化した相で存在性格を討究するときには、数学的形象や「価値」などと同様、イデアールな存在性格を呈することは見易いところである。一部の社会学者たちを悩ませる「制度」の存在性格の“奇妙”さも、このイレアール=イデアールな契機に起因するものにほかならない。」1 12P
「勿論、社会学者たちは、制度としての制度という脱肉化した次元ではなく、生身の諸個人によって演ぜられているかぎりでのレアールな制度を分析の対象とすることにおいて、制度を単なるイデアールな形象とはみない。しかし、実証的社会科学者たちは――自然科学者たちの対象分析についても結局は同断なのだが――レアールな与件において、単なるrealitas als solches(そのものとしての実在性) ではなく、この与件がそれとしてあるところのイデアールなGebilde(形象)を討究しているわけである。現に、制度が制度であるのは、特定の諸個人によって演ぜられているということにおいてではなく、可能的な生身の人間、誰かしらしかるべき諸個人によってレアールに演ぜられうるというイデアリテートにおいてである。」112P
「われわれは、いまや、前節で残してきた習慣-制度の“物象化”という問題をより正確に規定し返すことができる。習慣・制度と呼ばれているところのもの、すなわち、われわれが前節で「歴史的・文化的形象」の第二の成層として概括しておいたところのものは、演技-役柄が生身の諸個人から相対的に自立化し、それ自体で一つの構造的成体を形成するかのように現象するもの、――そして任意の諸個人によってそれが“上演”されるかぎりにおいてその都度レアールに再生産されるところのもの――すなわち<役柄-配備-演技-構成態>が受肉incarnierenしたもの、このレアール・イデアールな二肢的構造成体にほかならない。それは生身の諸個人から相対的に自立性をもち、「規制的有意義性」を帯びつつ、安定的な分節構造を呈するところから外在的に自存するかのごとき思念を生じ、“物象化”という把捉を機縁づける。しかるに、役柄-演技は、本源的に間主体的協働であり、相互的機制において存立するものであって――ここに「外部的拘束性」の意識根拠が存することは次項で詳論するが――、演技-役割のこの本源的な性格と構造からして、前節で臆断しておいたように、習慣-制度は原的に間主体的協働の一位相としてのみ存立するわけである。」112-3P
[三]
(この項の要点)「われわれはまだ重要な先決問題を残している。人びとは一体なぜ、間主体的協働――よってもって習慣-制度を成立せしめる一因たる規制的・被規制的協働をおこなうのであるか? 遡っては、そもそも何故role-takingがおこなわれるのであるか?」113P
「これは単に「存在被拘束性」と言って済ませるわけにはいかない。それはまた「模倣」と言って済ませるわけにもいかない。シャルル・ブロンデルをまつまでもなく、模倣は決して純粋に内発的な要求から生ずるものではない。たとえ、それが屈折して内発的要求となっていようとも、それはおおむね「単に手本それ自身の魅力のためではなく、絶えざる集団的命令の圧力によって促されるもの」である。」113P
「われわれは――反射的な猿真似の存在を全面的に否定するものではないが――第一節で残してきた「規制的有意義性」の問題、また、デュルケーム学派がいう「外部拘束性」の問題として、当面の課題環対自的に措定しなければならない。」113P
「規制的有意義性が規制的有意義性である所以のものは、しかじかに行為すべきだということの単なる“知解”に存するのではなく、当為意識Sollenbewußtseinがわがものとereigten(生起)され、現実的な拘束性を発動することに存すること、これはあらためて確認するまでもあるまい。この規制的有意義性たるや、われわれの身体的行動を規制するだけでなく、“内的な行動”すなわち、思考や価値評価をも規制し、この内容拘束性において、イデオロギー的ひいては権力支配の槓杆をなすものにほかならない。」113-4P
 小さなポイントで言語活動におけるサンクションの展開――U部三に再録
「端的にいって、規制的有意義性、規範的拘束性という案件は、究極的には条件反射に基くものであるにもせよ、深層催眠、自己催眠の次元に即して把え換え返さるべきものであろう。(ミード以来の役割規定role-expectationやMeの概念はコットレル流の改釈を超えて、この次元で把え直す必要があると考える。)人間の行動というものは、一般に思われているよりも遙かに広くかつ深く、一種の深層催眠にもとづくものであるように思われる。」118P
「各種のサンクション、叱責、嘲笑、非難、崇り、懲罰、等々は、条件づけ、催眠の機能を果すだけでなく、条件反射理論でいう意味での「強化」(条件づけの強化)の手段としても機能している。或る意味では、この強化こそが賞罰(「サンクション」のルビ)の基本的な機能で或るかもしれない。」118P・・・被差別者の差別意識への深層心理的とらわれ
「一般には、しかし、共同主観的な催眠が根強い網を張っており、この催眠を完全に免れうる成員はありえない。(この共同主観的な催眠が表層的意識の尖端に現われたもの、それが各種の“神話” ――民主主義の神話、ナショナリズムの神話、企業意識の神話、等々にほかなるまい。)「道徳」なり、「法律」なり、「お上(「かみ」のルビ)」なりは、そしてまた「制度」は一般に、日常的意識においては物象化されて且つ正価値を帯びており、それに反することは反価値を帯びる。しかも、各種の制裁を通じてそれが強化されていく。制裁は直接的制裁でなくとも、他人のうける間接的経験を通しても「強化」の機能を果たしうる。このようにして、間主体的に条件づけられ「強化」された共同主観的な深層・自己催眠として、規制的有意義性-規範的拘束性がほとんど汎通的に存立する/この汎通的な被拘束性、相互規制的な間主体的協働のこの屈折を介して、我々としての我Ich als Wir、我としての我々Wir als Ichが形成される。すなわち、人間は、単なる認識主観の次元においてのみならず、実践的構えGesinnungにおいて既に共同主体(観)的な主体として自己形成をとげ、この次元においてもintersubjektiv=gemeinsubjektivな個体として二肢的構造成体として現存在するに至っている。」118-9P
 第三節 歴史的世界の間主体性と四肢構造
(これまでの論攷と本節の課題)「われわれは前二節を通じて、歴史的世界の対象的与件ならびに主体的活動を、それぞれの二肢性と物象化的存立構造に即しながら、一瞥してきた。しかし、両側面を個々に截り取ったため、われわれはまだ、即自的にはともあれ、対自的に、対象的活動の動力的な構造を把えうるには至っていない。/本節では、両側面を統一的に把え返し、四肢的構造聯関の対自化と相即的に、歴史的世界、歴史・内・存在の協働的存立構造を対自化することが課題となる。」119P
[一]
(この項の要点)「われわれは第一節において、歴史的・文化的形象の道具的有意義性、規制的有意義性、価値的有意義性――総じて、歴史的世界の即自的な用在性を指摘しつつ、それが間主体的協働の“物象化”された一位相であることを論断しておいた。対象的与件の用在性、遡ってはその二肢性は、しかし、主体の二肢性との相関において、且つはそのかぎりにおいてのみ存立するものである。」119-20P
「この両側面の有機的な四肢的構造聯関を明らかにするためには、まず道具的有意義性の次元に即してみておくのが好便である。」120P
「有意義性は本源的に役柄演技と相関的である。金槌は、生身の人間としては誰が用いてもよいが、人が釘を打つという役柄を演ずるかぎりにおいてのみ、その都度、彼(この役柄を演ずるかぎりでの彼)に対して道具的有意義性をもつ。これが基礎的な構造的事実であって、本源的には、役柄演技を離れて有意義性が自存するわけではない。」120P
「この観念的扮技の機制によって、誰かしら使用可能であれば、つまり、私が可能的使用者の役を扮技することにおいて、所与の形象の道具的有意義性が存立する。われわれが第一節で暫定的に定式化しておいた「実践的機能連関の凝縮的帰属」という事態が生じるのも、また、第二節で措定した<役柄-配備-演技-構成態>に物的な契機が繰込まれうるのも、同じ機制に負うてである。すなわち、金槌の例に帰っていえば、釘その他の対象的諸条件−金槌−使用者の様式化された役柄演技、このレアールな機能的連関体において、対象的諸条件も主体的活動も、そして部分的には金槌のレアールな諸性質も、観念的扮技を通じて脱肉化され、さしあたり、金槌というレアールな核がTräger(担い手)として残留する。これが先に謂う凝縮的帰属であり、このレアールな核すら脱肉化されて任意の(但しその種の)道具としてイデアリジーレンされるとき、かの<役柄-配備-演技-構成態>のモーメントとして当の道具が繰込まれうることになる。(ここにみる通り、「道具化」も「制度化」も構造的には同一である。)」121P
「以上、道具的有意義性について論じたことは、規制的有意義性や価値的有意義性についても、基本的にはそのまま妥当する。例えば、野球のルールが規制的有意義性をもつのは野球をプレイする役柄演技に対してであり、歌集が有意義性をもつのはそれを唱うかぎりにおいてである。しかし、価値的有意義性においては、観念上の扮技、観念上の有意義性がとりわけ重要になる。」121P
「こうして、用在的与件は、一般論として「私としての私」にとっては現実的な有意義性をもたないにしても、観念的扮技を通じて共同主観的な用在的有意義性が成立しうる。そして現に、所与の共同現存在(「ミットダーザイン」のルビ)の範域では、共同主観的一致がかなりの程度で形成されている。」122P
「この用在的有意義性の「共同主観的一致」なるものは、しかし、動力学的な緊張をはらみつつかろうじて存立するものにすぎない。現実的な扮技と観念的扮技とではおよそ心態が異る。しかるに、第二節で述べた役柄と人格との結合によって、すなわち、一定の役柄と特定人格との結合が固定化されることによって(例えば分業の固定化、エンゲルスによれぱその最たるものが身分的・階級的固定化なのだが)、成員のあいだでの、現実的な扮技の種類や範囲が分化してしまう。・・・・・・有意義性の意識すなわち広義の価値意識の共同主観性を不安定的形骸的なものにしてしまう。(けだし共同主観性が完きものとなるためには役柄配分の固定化、固定化された“分業”が止揚さるべき所以である。)」・・・・・おそらく、無階級的同質性が保たれている社会集団においてすら、厳密にいえば、共同主観的な真の一致など成立しうべきもないであろう。しかしともあれ、役柄扮技の現実的・観念的・共同主観性が存立しうるかぎり、その埒内で、成員が内外の諸条件にもとづいて新規にえた「体験」が“共同主観化”されていくのであって、役柄の固定化その他にもとづく拮抗的な因子を介在せしめつつ、動力学的なゲネシス(genesis発生)の相において、われわれが現にみるごとき程度の共同主観性が成立している。」122-3P
「われわれは第一節において、フェノメナルな与件が単なるそのものとしてではなく、汎通的に有意義性を帯びたetwas Mehr(それ以上の或るもの)として即自的に現前することを指摘したのであったが、――そしてきわめて一面的・臆断的な仕方でそれの共同主観性を立言しておいたのであったが――しかし、実は、それはunmittelbar(直接的)な所与性ではなく、人間主体の汎通的なrole-takingという、本源的に間主体的協働の在り方と相関的であり、右に指摘した共同主観化=共同主観性によって被媒介的に現前するものにほかならない。(この点において、われわれはハイデッガーとは根本的に了解を異にする。)用在性において現われるフェノメノンは四肢的聯関の一つの項としてのみはじめて用在なのであり、そしてまたrole-takingとそこにおける主体の二肢的二重性もやはり、当の四肢的聯関構造という機能的・函数的な(「ツンクチオネール」のルビ)聯関の項としてのみ存立するものである。歴史的世界は、総体として、かかる四肢的構造成体として存立する。」123P
[二]
(この項の要点)「われわれは前項において「歴史的世界」の共時論的(「サンクロニック」のルビ)四肢構造を論定したのであるが、それは通時論的(「ディアクロニック」のルビ)四肢構造の一断面にほかなるものではなく、発生論的にはこれによって媒介されていることは、あらためて立言するまでもない。また、この通時的四肢構造、その“物象化”のメカニズムについては、前節で<役柄-配備-演技-構成態>という一種の“時間的ゲシュタルト”の制度化を論じた議論によって本質的には尽きている。しかし、それは「歴史の主体」が「歴史の主体」として措定されうるかぎりのことであって、われわれはまだこの先決条件を対自化していない。/ここでは、この先決要求を充たしつつ、かつまた、歴史的法則を定立するための可能性の制約Be-dingung der Möglichkeitをなすところのもの、すなわち歴史的因果性というかたちをとって現われる物象化の問題にふれておかねばならない。」123-4P・・・通時的物象化への踏み込み
「そのためには、一見迂遠のようではあるけれども、通俗の“物象化論”とマルクス的「物象化論」との相違について、あらかじめみておくのが便利であると思われる。」124P・・・これは前期マルクスの疎外論と後期マルクスの物象化論との対比にも当たります。
「われわれなりに整理しておけば、一般に“物化”ないし“物象化”と呼ばれているものは、外延的にも内包的にも多肢であるが、およそ次の三層に纏めることができよう。すなわち――「(1)人間そのものの物化」「(2)人間の行動の物化」「(3)人間の力能の物化」」124P
「後期マルクスの「物象化論」は以上の三つとはおよそ範疇的に別のものである。尤も、マルクスは初期には如上と通じる立言を試みたことがあるし、後期においても単なる比喩的な表現としては如上と通じる意味で物象化という言葉を用いてもいる。マルクス自身はVersachlichungという言葉を術語的に定義して使用しているわけではない。しかし、ともあれ、彼が価値論を通じて打出した謂うところの「物象化論」は上掲(1)(2)(3)の発想の地平を端的に超えている。」124-5P
「マルクスの「物象化論」を内容にまで立入って詳しく紹介するいとまはないが、次の点だけは銘記しておきたい。まず、前掲の(1)(2)(3)との対比上、卑俗な指摘から始めれば、マルクスのいう物象化は、人間と人間の間主体的な関係が物の性質であるかのように倒錯視されたり(例えば、貨幣のもつ購買力という“性質”)、人間と人間との間主体的な関係が物と物との関係であるかのように倒錯視される現象(例えば、商品の価値関係や、多少趣を異にするが、「需要」と「供給」との関係で価格が決まるというような表象)の謂いである。人間と人間の関係といっても、それはもちろん、対象から引離された人間と人間とだけの関係ではなく、況んや、静的・反省的な関係ではなく、対象的活動における動力学的な関わり合いであり、機能的相互聯関である。すなわち、それはわれわれが謂う意味での広義の間主体的協働関係の謂いであって、これが或る屈折を経て、物の性質や物と物との関係であるかのように仮現する事態を指す。/こうして、マルクスのいう「物象化」は与件からして先の(1)(2)(3) ――主体的なものが物的なものになるといった想念――とは別種の事態であり、マルクスは当の事態を、彼が本源的にξωον πολιτικóν(ゾーオン・ポリティコン、社会的動物)であるとして――近代哲学的人間了解をしりぞけて本源的に間主体的な協働性において――把捉するところの、人間の間主体的社会関係の諸相の倒錯視として把え、この倒錯Quidproquoが何故または如何にして生ずるかを究明してみせる。」126P
「このような事情が重なることによって、諸個人を以って歴史の主体でないどころか、「歴史」の道具的な手段とみる表象が生み出される。そして現に歴史の主体を超個人的な或るもの、諸個人とは別の或る“大きな主体=実体”に求める傾動を生ずる。このような経緯で「歴史」「歴史の主体」が“物象化”され“実体化”されてしまう。/われわれとしては、しかし、この間の事情を対自化し、物象的倒錯を回避しつつ“物象化”して現われるところのこのものを現われる記述的概念としてtool化する。」127P・・・このことは運動論的なことにも類比・援用できます。差別の階級支配の道具――手段論は、そもそも「歴史の主体としての諸個人」の否定の延長線上に、歴史の主体を「階級」という「“大きな主体=実体”に求める」ところから生じているのでは? これは、「階級」の物象化とも言いえることです。この部分は、「廣松理論が決定論になっている」という批判に対する反論としても重要です。
「以上の行論において「歴史」という次元で問題にしてきた超個人的な“大きな主体”、われわれが物象化的錯視をしりぞけつつ依って以ってトゥールとして用いるところの形象は、全くの同一の論理構造で、任意の間主体的協働形象で以って置換(代入)されうる。そこにおいて、諸個人の演技が脱肉化され、当の形象が自存的に実体化されてしまうとき――例えば、所与の需給関係の下における諸個人の売買という集合的な主体的活動が脱肉化され、「需要」「供給」なるものが物象化的にhypostasieren(実体化)されるとき――それらの形象が受肉化した様態で元来もっていたところの相関が、物象化された形象どうしの相関(因果的相関etc.)として表象されることになる。/この“物象化”された諸形象ないしは諸条件の因果的相関性の表象を基礎としつつ、制度的物象化の場合と同様なIdealisierung(理想化)とHypostasierung(実体化)が介在することによって歴史的法則性の表象が成立しうることについては――前節での所説を想起していただけるかぎり――絮言を要せぬであろう。」128P・・・いうまでもなく、「因果関係」という、近代知の地平の概念を止揚する『事的世界観の前哨』での展開、そもそも物象化された概念。
[三]
(この項の要点)「われわれが以上論じてきたかぎりでは、人間は既成性の網の目に搦みとられており、個々人が多少踠いてみたところでしがらみを如何ともしがたいかのように映ずるかもしれない。それは、しかし、われわれがもっぱら既成性の固定化と再生産の構造だけに着目してきたことに理由の一半を有するものであって、視点を変えて把え返せば、――宿命論的決定論のごときは、それが神学的決定論であろうと、経済的決定論であろうと、物象化的倒錯によってはじめて生ずるものであり――そもそも謂うところの既成性からして人間の対象的活動によって創造されたものにほかならない。ここでは、この観点から基礎的な事実の一端にふれておこう。」129P
「われわれは前節において、人間活動の汎通的在り方をrole-takingという構造で把えたのであったが、この実践は、それがいかに被拘束的なものであるにもせよ、対象、道具、そして演技様式、ひいては、人間そのものを変様せしめずにはおかない。なるほど、一定の埒内では、それは物理的には多少の変化であっても、歴史的な脈絡では殆んど変化としての意義をもたないのが一般であるかもしれない。しかしながら、往々にして逆に、物理的には些細な変化であっても、用在的世界の意義聯関に大変動をもたらすことがありうる。」129P
「或る種の歴史的継承は存続し、或る種のものは衰滅する。或る種のrole-takingに代わって新しいそれが登場する。それを規定するものは何か? 総体としての歴史の運動を規定する動軸は何であるか?/われわれは、ここで、具体的には多くを語る必要があるまい。というのは、具体的には個別的実証的な研究が必要だからであり、抽象的に語りうるかぎりでは、マルクス・エンゲルスの唯物史観の唯物史観による回答をわれわれは既にもっているからである。」130P
「なるほど、歴史は有機的・函数的な一総体なのであるから、すべての項(「グリート」のルビ)が動員であるということもできよう。・・・・・・弁証法的な相互作用Wechselwirkungというカテゴリーで把えられるべきものである。第一次的にはこの規定で把握さるべきだというかぎりでは、動軸云々という問題設定そのものがしりぞけられうる。しかしながら、そのような弁証法的総体観(「トタリスムス」のルビ)そのものの次元にとどまっていては、歴史観、歴史哲学としてすら現実的な有効性をもたない。」130P
「そこで一歩降って考えるとき、role-takingの基幹は物的生活の生産であり、しかも、歴史的現実に徴するとき、この物的生活の場面でのrole-takingの構造……結局のところ、マルクス的に規定した意味での「下部構造」の基軸性をわれわれは見出す。因みに、いかにWechselwirkungの総体であるとはいっても、末梢血管や、場合によっては手足の一本や二本が損壊しても生体は維持されるのに対して、心臓が損傷されれば全体が“崩壊”するが、歴史的・社会的な“生体”においても事情はアナロガス(analogous類似的)である。けだし総体的な相互作用とか、上部構造と下部構造との相互作用とか言ってすませるわけにはいかない所以である。/下部構造の起動性に着目し、この視点から人間的営為、人間の間主体的協働を把え返すとき、われわれは「労働の構造」「分業的協働」、ひいてはまた、それを軸にした社会的編成の構造をより具体的に分析する必要があり、われわれはここでもまたマルクスの先蹤に倣ってこの課題に応えることができる。この作業を経た後にはじめて、われわれは歴史の哲学、さらには歴史としての歴史的現実の具体的分析に進むことができるであろう。われわれはまだ、階級的社会編成といった次元はおろか、真に対象変様的な活動性の次元をすら討究しえていない。」130-1P
「ここでは、しかし、頭初に課題を限定した通り、われわれはまだ“近代=ブルジョア的”世界了解の地平との対質を問題意識としつつ、われわれなりのWeltanschauung(世界観)の視座と基本的シェーマの対自化を課題としている。本章では、人間的活動をその尤も汎通的・抽象的な次元で、マルクス的に把え返された意味でのゾーオン・ポリティコンの在り方、つまり、相互無関心や敵対関係をも包摂する最広義の「協働」Zusammenwirkungの一般構造に即して、物象化の「可能性の条件」Bedingung der Möglichkeitを討究しえたにとどまり、歴史世界(「ゲシエーエンデ・ヴェルト」のルビ)の具体的な分析はおろか、文化哲学・社会哲学・歴史哲学の次元への上向ですらまだ遼遠であるのが実情である。われわれが右に対自化した課題は悉く後日に譲らざるをえない。(尚、本章での立論では、「人間の主体性」「自由」が没却されてしまい、一種の決定論に陥るのではないかとの有り得べき疑惑に対しては、差当たり『マルクス主義の地平』第三部、「歴史法則と諸個人の自由」の参看を願うことにして、ここでは紙幅を惜しもう。)本章では「歴史的世界」の汎通的な用在性とrole-takingとしての対象的活動、これら二重の二肢の四肢的構造聯関における協働的存立構造、歴史的世界のこの基礎的構造の幾つかの相面を対自化したところで筆を擱くことにしたい。」131P


posted by たわし at 15:58| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月16日

スタインベルグ/蒼野和人・久坂翠訳『左翼エス・エル戦闘史』

たわしの読書メモ・・ブログ613
・スタインベルグ/蒼野和人・久坂翠訳『左翼エス・エル戦闘史』鹿砦社1970
 この本は前のブログ612の本で紹介されていた本です。
ロシア革命史はボルシェヴィキか後にボルシェヴィキに合流したトロッキーの『ロシア革命史』くらいしか広まっていず、別の視角からだされた本は少ないようです。これは、ボルシェヴィキと一緒に10月革命を担った左翼エス・エルの、革命政府の司法委員になったスタインベルグの著書。左翼エス・エルを牽引したマリア・スピリドーノワを軸とした群像的な著になっています。
「人民の意志」やそれに連なる「社会革命党」(SR)は、テロリズムを行使していたので、陰謀術策の組織としてとらえられがちなのですが、レーニンのボルシェヴィキがむしろ陰謀術策的、現実的、他者に犠牲を強いることをやっていて、レーニンの立てた原則は、空論的に投げ棄てられることがあったようです(「民族自決権」や国際主義の空論的な性格を表した、徴発やブレスト−リトフスク条約でのウクライナなどをドイツへの引き渡したことなど)。社会革命党の方が、より原則的・理想主義的な組織だったようです。ロシアにおけるテロリズムは、専制政治の暴力支配に対して、暴虐・虐殺を許さないとして防衛的な意味を込めて行使されていた様子がこの本の中で明らかになっています。暴虐の嵐が吹き荒れているときに、民衆の命と生活を守るためのテロリズムという様相です。それは、個人的感情には流されないとしたところでの、組織決定した上でのテロリズムで、革命後の虐待者への民衆的復讐を制御するという動きさえあったようなのです。もう一方で、テロにたいする報復としての虐殺や暴虐が起きてくることに対する(それはナチスドイツに対するレジスタンス活動に対する報復とかチェカ(秘密警察)の、SR党員のレーニンに対するテロにたいする報復虐殺とかにも顕れています)ジレンマのような思いも抱えていたことが記されています。それには、どちらにしても起きることとして、なさざるを得ないとして、立てたテロリズムでもあったのですが。
ボルシェヴィキと左翼エス・エルは、レーニン・ボルシェヴィキがブレスト−リトフスク条約を「革命の息継ぎ」としてウクライナ等の「引き渡し」ともいう内容をもって結んだことで別れました。その後、党の独裁的な性格を如実に表していく中で、エス・エルの党員の「個人の判断」(?)でのレーニンへのテロ、チェカ内部にいたエス・エルメンバーの処刑、クロンシュタットの叛乱とその弾圧とかで、エス・エルはまさに弾圧の対処になっていきます。
レーニンのマリア・スピリドーノワ評は「誠実」ということですが、それとレーニンの強力なリーダーシップによる革命の推進と防衛というところで、手段を選ばないというような運動スタイル、その対極さが浮かび上がってきます。
一般にロシア革命が歪曲されたのはドイツ革命などの敗北に規定されたのだという意見が一般的にあるのですが、「たら・れば」のはなしをしても仕方がないのですが、わたしはむしろ、レーニンのロシア革命の防衛を第一義的においた共産主義運動の原則の踏み外しが、ドイツ革命の敗北につながったという性格もあるのではと思ったりしています。
この本の著者は、アナーキストとSRを区別しています。そのあたり、共産主義−社会主義に照らして原理・原則主義的な立場からボルシェヴィキの踏み外しを批判しているのですが、マルクス理論を挟んだ理論的な対話・批判というようなことが殆ど書かれていません。そもそもレーニンがマルクス理論を幾重にも踏み外したのですが、革命のためには手段を厭わないとしたレーニンの運動・思想を、更に極端化したのがスターリンで、それが何をもたらしたのか、今日的な国際共産主義運動の崩壊的情況に照らすと、レーニン主義はきちんと批判されることだとわたしは思っています。
切り抜きメモを簡単に残します。
「彼女(スピリドーノワ)が望んだ綱領は、都市労働者と農民が協力しうるものであった。社会革命党(「エス・エル」のルビ)の綱領のなかに、彼女は自分が望んだものを見出した。スピリドーノワは、労働者の利害と、農民の利害との間にどんな矛盾もみることができなかった。『土地と自由』は彼らの合い言葉であった。労働者は、土地の社会化という社会革命党(「エス・エル」のルビ)の綱領の真価を認めることができた。なぜならそれぞれの都市労働者は、多くの靱帯で、出身地の村に結びつけられていたからである。社会革命党(「エス・エル」のルビ)は、その隊列の中に第三階級――知識人にも場を与えていた。マリア・スピリドーノワは、精神の拠りどころをこの社会革命党(「エス・エル」のルビ)の社会三位一体(「ソーシャル・トリニティ」のルビ)説にただちに見出した。」19P・・・「農民」は階層で、一緒くたに論じられないとか、インテリゲンチャのプチブル的性格とかを押さえる必要があるにしても、プチブル・インテリゲンチャの立場としては、プロ独論よりはすっきりしていたのでは?
「マルクス主義哲学においてもっとも重要なことは、階級であり、大衆運動であった。社会革命党(「エス・エル」のルビ)が大いに強調する個々人の人格のための場所は、そこにはなかったのだ。/社会革命党(「エス・エル」のルビ)のなかにマリア・スピリドーノワは、道徳的破産と結びついた冷たい科学的分析の精神を超えた何ものかを見出していた。社会革命党(「エス・エル」のルビ)においては社会主義とは、生身で耐え、信じ、闘う人間に近いものだった。」20P・・・逆にいえば、倫理主義・正義感でのプチブル的・自己犠牲のナルシズムになっていたのではないでしょうか? 抵抗運動はやれても、持続的な革命闘争を闘う組織になっていなかったのではないでしょうか? ただ、マルクスは「全ての歴史は階級闘争の歴史である」と書いていたのですが、階級概念があいまいになっていて、生産手段の私的所有を巡る占有と排除ということとして限定してとらえれば、他の差別を必ずしも包含しなくなります。今日的には、サヴァルタンなりマルチチュード概念をとりこんだところで、プロレタリア独裁概念をとらえ返すこと。むしろ反差別というところに、階級概念も含めていくこと。
(カホースカヤ)「深刻な内輪もめをひき起こしそうな政治的諸問題は、けっして討論されなかった。私たちの社会的背景の違いもまた、何ら重要ではなかった。社会主義者としての共通のイデオロギーが、コミューンの全構成員を同じ立場に置いていた。貴族的習慣のなごりはすっかり忘れ去られた。共有財産の完全な社会化という原則に従って生活していたので、私たちは互いに衝突する機会がなかった。知的財産もまた、完全に社会化されていた。本ばかりでなく、私たちが自由の身でいた時には極めて不平等に分配されていた知識や教養が、今や共有の財産となった。人より多くの知識を習得できるという幸運に恵まれてきた者たちは、こんどは教えるということに大部分の時間をさいた。通常の社会的生活においては人間を互いに隔てているすべての社会的障害を完全に絶滅させたことは、特に満足すべき、いわば友情の基盤とでもいったものを準備した。私たちの多くの者が、本の価値だけでなく、何にもまして、ひとりの人間が他人に対して何を与えることができるか、ということを学びとることができたのは、ひとえに監獄のおかけである。」99P・・・監獄コミューンのはなし、共産主義化、日本における「獄中者組合」
(マリア・スピリドーノワ)「わたしは全同志に対して、全人類に対して、そして全世界に対して、並はずれた異常なほどの愛情をおぼえたのだ。あらゆる色調と明暗とが私たちのそれに比較して強烈すぎるような、別の世界に移住したような気がしていた。それらの日々ほど人生を愛したことはなかった。」117P
(サゾーノフ)「壁と拘禁状態、恐ろしく粗末な食事、それに外では自分を想い焦がれているいとしい人がそれぞれいるという事にもかかわらず、一人ひとりが精神の強靱さと弾力性とを身につけているので、そのことを考えると、人は未来に賭ける自己の信念が新たに湧き上がり強められるのを感じるのだ。すべての同志が自分と同じように耐えているのだと思うと、自分だけの苦しみは解消してしまう。自分が巨大な全体の一部であると感じとること、つまり自分自身の所有物は一切持たず、パンと金とかの物質的な私有物のみでなく、自分がひとりぼっちだという感覚も捨て去り、悦びも悲しみも共有財産であるような状態になることが、どれほど素晴らしいことであるかわかりさえすればいいのだ。もし僕の言わんとするところが本当に理解できれば、僕たちがこんなにいつも溌剌として若々しく、外の世界の自由の身の人間にとっては、いわゆる個人的苦痛と呼ばれることがらに対してあまり神経を使わないでいられる秘密を、発見するだろう。」123P・・・精神の純化・運動の中での共産主義化
(カラブチェロスキー)「この爆弾には、ダイナマイトではなく人民の涙と苦痛とがこめられている」130P・・・民衆の涙と苦痛の表現としてのテロ
「ボルシェヴィキの宣伝にみられる、生硬な唯物主義、排他的プロレタリア主義、および煽動的形式は、革命の新たな段階に、伝統的な社会革命党(「エス・エル」のルビ)の高い道徳的資質と汚れなき手を維持しよう、と望む社会革命党(「エス・エル」のルビ)員たちの反発を引き起こしていた。」176P・・・プチブル・インテリゲンチャの立場からの反発? ただ、これには、反差別論の立場からのとらえ返しもできます。例えば、レーニンのスターリンへの「粗野な」という批判の中には、スターリンが労働者階級出身ということでのレーニンのプチブル的な立場での批判とも受けとられかねないのですが、もうひとつ別の視角から、反差別が時には、「差別されるのはいやだ、差別する側になりたい」という意味での、反差別が定立していないという意味も込められているのかもしれない、ということと類比的な意味もあるのかも知れないと、思えるのです。
「われわれの党の初期の時代を、われわれの戦闘団のことを、想い出そうではないか、サゾーノフやカリャーエフのことを想い起こそう。彼らが何という理想主義者であったことかを、また彼らがどんなに歓喜して断頭台に消えていったかを……。」182P・・・まさにプチブル的理想主義
「ボルシェヴィキのすべては、憎悪と遺恨な立脚している。エゴイズムに根ざしたこれらの感情は、だがしかし、組織化された労働が必要とされ、新たな生活が愛情と愛他主義の上に建設されなければならない闘争の第二段階においては、ボルシェヴィキ自らの破産として暴露されるであろう。」183P・・・ルサンチマンのない社会変革運動はない。エス・エルの運動はレジスタンス的に収束していて、党名の「革命」ということはブルジョア的民主革命にしかならないのでは? そもそもエス・エルの依拠してた農民大衆の一揆的運動はまさにルサンチマン的運動になっていたのではないでしょうか?
「革命がその絶頂にあり、誰もが《憎悪》、《成功》、《権力》などという言葉を使っている間中、スピリドーノワは《愛》という言葉を用いていた。」184P・・・「愛」ということの持つ抑圧性もとらえ返しておくこと。
(マリア・スピリドーノワ)「ロシア共和国における独裁制は、国民の圧倒的多数による独裁制であるが、革命の敵に対して抑圧的手段をとることを回避するものではない。しかしながら、テロ体制をとる必要はいささかも存在しないし、かつまた、党はこれを革命的民主主義の統治を危うくする方法であるとして拒否するものである。」184P
「あらゆるロシアの社会主義者たちは、ツァーリとの抗争の中で国家を嫌悪し、蔑視することを教えられていった。唯、ボルシェヴィキのみが、国家の戦略と奸計、その外交手腕や権力、それに国家が持つ非情さ、を学んだのである。唯、ボルシェヴィキだけが、政府を支える諸装置の秘密を適格に見ぬき、今度はそれらを自分たちの用途に利用するにいたったのだ。」219-20P・・・マルクスの「出来合いの機関を使うことは出来ない」というテーゼの踏み外し。そもそも武装蜂起→国家権力の奪取→プロレタリア独裁という方針自体の今日的検証。マルクスの国家=共同幻想体論のレーニンの欠落。
(マリア・スピリドーノワ)「ロシア革命の歴史においては、テロリズムという言葉は単に復讐や脅迫(それは、テロリズムの精神における絶対的なものではありましたが)を意味していたのではありませんだした。否、むしろテロリズムの第一の目的は、専制政治に対する抵抗であり、抑圧された人びとの魂の中に価値意識をめざめさせることであり、忍従状態の中で沈黙を守っている人びとの自覚を喚起することでした。その上、テロリストの行動はほとんど常に、自己の自由や生命の自発的犠牲を伴っていたのです。このような場合のみ、革命家のテロ行為は正当化される、と私には思われます。」232-3P
訳者あとがき
「この党としての左翼エス・エルは、ボルシェヴィキ型の上下、左右に厳密に統御された前衛組織というよりも美しい魂をもった個々の革命家の集団であったという方が適切であろう。その党は、何よりも現在を大切にした。今、民衆は何に苦しみ、何を求めているのか? 今、誰が涙を流して、叫んでいるのか? こうして彼らは自己を、一つのいわば《民衆の感覚器官》とでもいうべきものへと形成していった。誰よりも敏感に民衆の苦しみを感じとり、誰よりも深く民衆の怒りを憤り、そして誰よりも素早く民衆の復讐を遂行したのである。」317P・・・単なる復讐ではなく、防禦としてのテロ 「今」? 革命とは未来に賭けること、「今だけ、ここだけ、自分だけ」の批判
「チェカに追われ、反革命の烙印を押された、左翼エス・エルが、再び爆弾を手にした時、その爆弾に「人民の涙と苦痛がこめられ」ていなかったなどと断言するならば、私たちは《革命の貌》に永久に触れえないであろう。」317-8P・・・非暴力主義批判の反暴力主義


posted by たわし at 07:01| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高見元博『重度精神障害を生きる――精神障害とは何だったのか 僕のケースで考える』

たわしの読書メモ・・ブログ612
・高見元博『重度精神障害を生きる――精神障害とは何だったのか 僕のケースで考える』批評社2023
 この本は紹介されて本を手にし、「障害者運動」には珍しくマルクスに言及しているので、読みたいと買った本です。最初に第一章で、自分の抱えさせられている障害について言及していて、しかも、自分のケースとして、一般化しない姿勢も参考になり読み進めえました。この著者は「精神障害者」として郵政当局に対する解雇撤回闘争を闘っています。自分の闘いの中で理論化していったことでの格闘が伝わってくる著になっています。この話は第七章の「障害者解放運動と労働者解放運動」にもつがっていて、自分の立場からとらえ返すという話として、まとまった論攷を展開しています。
そして、後の章で、マルクスの再評価、レーニン主義批判に踏み込んでいることを興味深く読んでいました。障害問題のみならず、差別の問題を考えていくと、だいたい、筆者やわたしも収束しているところ、レーニン主義の批判、マルクスの読み直しに収束していくのではと、改めて思いを強くしています。わたしの勝手な思い込みかもしれないと思っていたところが、他にも、そのような論攷が出てくるに及んで、反差別というところでの収束・展開傾向としてつかみえました。これは更なる幅広い対話の中で、更にまとまって深化いくのではとの思いも強くしています。
最初に目次をあげておきます。
    目 次
はじめに
第一章 精神病とは何なのか、僕のケースで考える
     統合失調症の薬と抗うつ剤が効く人/高校生の頃の時代情況――造反の時代/自由への渇望/『気ちがいピエロ』/映画『明日に向かって撃て』の衝撃/無期限全学バリケードストライキ/ベ平連とアンガージュマン(参加)の思想/反戦青年委員会と党派の指導部/僕が勤めた郵便配達と労働組合/バイク振動病とうつ状態とのダブルパンチ/郵政当局の「生産性向上」運動/長期病気休職に追い込まれて/障害者差別の現実/解雇撤回闘争/「全国『精神病』者集団」との出会い/地裁から最高裁に至る裁判闘争/「重度精神障害者」の人権裁判/「能力に応じて働き必要に応じて受けとる」原理の実現に向けて/「見えているのに知りたくないから見ようとしない」
第二章 障害者はなぜ差別されるのか
劣った者とされる障害者/危険な者とされる障害者/虐待と虐殺の対象として  の障害者/神出病院事件
第三章 差別の構造・資本主義的社会と障害者差別
     日本資本主義の発展と障害者/障害者雇用促進法の矛盾/障害者作業所運動と労働運動の関係
第四章 重層的差別の構造
意志なきものとされている障害者/マルクス主義から障害者を遠ざける差別用  語/「格差社会論」の罠――階級社会の真実/日本の貧困の実態
第五章 マルクスの反差別解放闘争
     マルクス主義の伝説と労働者解放の思想/日本のプロレタリア革命の前提条件――朝鮮・中国・沖縄・被差別民衆の解放/マルクスのプロレタリア革命実現論/一〇年後のマルクスのイギリス労働組合観/マルクスにおける階級形成論/アイルランド独立闘争の高揚/一九七〇年「七・七自己批判」とマルクスの思想
第六章 マルクス主義的な障害者解放原理
     文献としての『左翼エス・エル戦闘史』、あるいはロシア革命正史/勝者の歴
     史/ロシア一〇月革命/残忍な事実と希望のもてる事実/一九一七年の世界革命情勢・ドイツ革命の敗北/ドイツ一九一九年革命敗北の総括/書籍『ベルリン一九一九赤い水兵』/資本主義社会の解剖学――疎外・物象化がなぜ生じるのか――カール・マルクス『資本論』の世界観
第七章 障害者解放運動と労働者解放運動
     障害者解放運動と労働者解放運動をどう結ぶか/マルクスの「労働」観/共同体社会の解体/マルクス主義と精神障害者がめざすものとその実現論/左翼におけるプロレタリアート概念の混乱と障害者、精神障害者/日本の左翼の混乱/非正規労働者と「相対的過剰人口」/非正規労働者・障害者からの叛乱/障害者解放とはなにかという問題に立ち返る
終章 批判的・実践的なマルクス主義を梃子とした障害者解放を
     人は変わることができる/資本主義と社会保障/社会保障の破綻点/「木村えいこさんとおしゃべり会」の教訓/個人的な総括/全体的な総括
あとがき

それぞれの立場と担ってきた運動の経緯で関心領域も違い理論的展開も違って来はするのですが、それはそれとして対話の中で、お互いの新しい理論展開の中に取り込めることは取り込んでいくことだと思っています。この著には、ほとんどシンクロナイズ的に共鳴していることが多かったのですが、理論的深化というところでは、ちょっと違和を感じているところから、対話を試みることになります。ですから、自ずと否定批判的な論調が多くなるのですが、共鳴的なことがそれで消えているわけではないことをまず書き置きます。
わたしは「言語障害者」と規定される「吃音者」で、しかも長く福祉の対象としては「障害者」認定されないところで、そもそも「障害とは何か」というところから掘り下げて、「障害者」の立場に立つというところから、運動的にも理論的に始めざるをえませんでした。そのような立場から発するとらえ返しでつかんだところでこの著とも対話を試みたいと思います(註1)。
とりあえず、切り抜きメモという形でコメントしてみます。以下各章ごとに斜体文字でコメントを挟みます。
第一章 精神病とは何なのか、僕のケースで考える
この章は、個人史的な展開で著者の実践的に積み重ねてきた活動の歴史に、その実践の中で獲得してきたことの強さを感じました。それに冒頭に書きましたが、自分のケースということで一般化しないという原則的な姿勢にも共感していました。ただ、理論的なところでは、一般化していくことで、著者もそのことでは展開しているところです。わたしがこの間「障害の社会モデル」と言うことを研究し、論的に展開しようとしたところで対話してみます。ちょっと長い引用になります。
「しかし重要なのは「原因がなければ結果は出ない」ということだ。身体的、精神的な過度のストレスが加えられなければ、ひとは精神病発症にはいたらない。精神病発症の原因はその人をとりまく社会環境の側にある。そうであるなら、精神障害者は精神病の発症を自己責任とされたり、罰せられたり労働現場から排除されたりされるべきではない。責任を負い、罰せられるべきは社会の側だ。いまの精神障害者をとりまく社会環境と、病気を自己責任とする思想がいかに転倒しているかは、明らかではないか。/障害の原因を個人に求めること、精神障害者ならば脳内の変化に原因を求めることを「医学モデル」と言い、その場合、治療で病気を治すか、治らないならば精神障害者が差別されている現状に順応することが求められる。障害者、精神障害者が困る原因を社会に求める立場を「社会モデル」という。この立場は、社会的なバリアーを取り除くことを目指す。僕の立場は「社会モデル」を超えて、精神障害の原因を社会に求めると共に、精神障害者が障害者であるがままに労働する権利、あるがままに生きやすい社会を求めている。「一般常識」で考えられるように「健常者」並みに働けるから一般就労で働かせろと言っているのではない。僕の要求は「一般常識」をはるかに超えたところにある。僕は「重度精神障害者の条件でしか働けないが一般就労をさせろ」と要求してきたのだ。障害者が障害者であるがままに、「健常者」と同等の権利を得るべきだと言っている。「八時間労働に実質的に低い労働密度で働かせろ」と要求していたのだ。「働く場をえて労働力を売ることができた者だけが報酬を受け取る」といういまの社会の次元を超えることはもちろんのこと、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」過渡期社会を超えて「万人が能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」原理の社会に転換するべきだと言っているのだ。「一般常識」にとらわれていたら到底理解しえない要求であることだろう。それでも良いと思っている。その理由は後に展開する。」79P・・・いくつものわたしが核心的と押さえてきた論点が出されています。
まず第一に、著者の「社会モデル的展開」がなされていることです。そもそも「社会モデル」への、個人か社会化という二元論に陥っていることへの批判があります。これは「社会」を実体化しているという批判で、そこから障害関係論へと転回していく道筋がとらえられるのです。(註2)
第二に、著者が展開している因果論自体も近代知のパラダイムの中にあり(註3)、近似値的には使える場合があるとしても、厳密に論を立てるときには使えなくなります。たとえば抑圧がなければ現在的に「精神病」の「症状」と言われていることがなくなるのか、という議論もなされていました。確かに、抑圧的なことがなくなれば、様相が変わり、障害規定がなくなるとしても、幻聴とか幻視、自我他我認識がない・違っている、というようなこと自体がみんな消えるのか、という話も出ています。わたしは廣松渉さんの認識論から影響を受けているのですが(註4)、廣松さんが「統合失調症」と言われるひとたちに映る世界がむしろ物象化にとらわれない世界ということができるのではないか? という主旨(かなりわたしの解釈が入っています)のことを書いています。べてるの家の試み(註5)の中で、幻聴さんと友だちになるというような実践にもひとつの将来の在り方のようなことを感じています。
第三に、「重度障害者」規定をしているのですが、これはそもそも医学モデルでの等級概念とつながっていることです。そもそも「重度規定」というのは、資本主義的生産様式で労働現場から排除されるところの規定です。現代政治はそれを数値化――等級化してきました。青い芝の先進的なラジカルなひとたちは、「重度」と言われるひとたちを自分たちの活動の基準にして考えると突き出し、「労働は悪だ」とまで突き出しました(註6)。また、1970年代の後半にあった障害別を超える障害者の全国交流会で、「「重度――軽度」という言い方をするひとがいるけど、差別に重い軽いはない」という提起をしたCP者がいました。また、被害の重さ比べ――どちらが大変かというような比較は止めよう、という提起が反差別運動の中にあったのだと思います。わたしは、これは差別の型――モーメントとしての違いとして押さえ、差別形態論を展開しています。「重度」といわれるひとたちはより多く排除型の差別を受け、「軽度」といわれるひとたちは、抑圧型の(努力して障害を克服しなさいというような)差別をより多く受けるということです(註7)。
第四に、「能力に応じて」ということ、「障害者運動」は繰り返し能力主義批判をしてきましたし、「能力を個人がもつものとして考えない」(註8)という突き出しも出ています。これはヘーゲルの内自有化概念批判としての能力の内自有化批判であり(註9)、そもそも労働概念のとらえ返しにも繋がっています。これは、ひとの日常的活動を、労働と家事と個人的営為に分け、労働を第一義的におく資本社会批判であり、労働の廃棄――労働を仕事に転換しよう(註10)、という突き出しが出ています。 
第二章 障害者はなぜ差別されるのか
「精神障害者、障害者は、自己の解放のためには一%の人たちが操作して報道した情報の底部から「九九%」にとっての真実に目覚めなければならない。マスメディアや教育で刷り込まれている観念が一%に人たちにとって事実であっても、九九%の人たちにとっては「事実」でさえないという真理に目覚めなければならない。真理は学校教育にもマスメディアにも存在しない。」92P・・・事実にしても「真理」(そもそも「絶対的真理」ということをマルクス派は批判していて、「「真理」とは客観的妥当性の共同主観的形成にすぎない」という廣松さんの提起もあります)ということにおいても、そんなにはっきりしているわけではなく、マスコミの報道していることが、ファシズム社会でもない限り、事実や「真理」をそんなにねじ曲げているわけではないのではないでしょうか? 「一%」――「九九%」という対比は、この社会でカネの面で利益を受けているひとたちと結局不利益になっているひとという対比でしかありません。むしろ、中身的な押さえが必要で、9・11直後に、アメリカが愛国心で染め上げられたとか、日本の戦中の国家総動員体制というような国家主義的なことが出てくることをファシズム批判の観点から批判していくことなのだと思います。もうひとつは、物神化されたものでしかない貨幣の支配が日常生活で貨幣を使うというルーティン化された活動の中で共同主観的意識として形成されていくこととして起きてくることをどうとらえ返していくのか、地産地消の生産と流通を市場経済による支配から脱する協同・協働の試みなどからも(著者も展開しています)、模索していく途もあるのではないかと最近考えています。
「第二章冒頭で触れた蛭子の神話は江戸時代に庶民信仰だった仏教によって排撃された。これは宗派によって、親である神の悪行の因果が子である蛭子に報いたのだろうという話と、障害児を打ち捨てたような神の無慈悲な所業は将来において応報を受けるという話の二方向からなされた」97P・・・これは著者の文の中で、いくつかあるなんのことかよく分からない文でした。仏教の宗派のことはよく分からないのですが、そもそも因果応報というのは仏教が障害差別的に働いた負の側面だったわけで、排撃されていないのです。それを神話批判につなげるというのが判らないのです。むしろ神道と仏教の融合のようなことが日本では起きていたのです。そもそも、神(宗教)とは自然の不可解さ・不思議さのまさに物神化(絶対化された物象化)だとわたしは押さえています。神はキリスト教的な全知全能の絶対神から、日本神話やギリシャ神話のような物語を政治的なところで組み込んでいったものとかアミニズムのようなこととして出てきているのですが、日本神話を宗教にしたことによって、論理性も何もないカルトになってしまっているのです。
第三章 差別の構造・資本主義的社会と障害者差別
「障害者は自らを「社会(家族)のお荷物」として差別する価値観に縛られ、社会と教育を支配する資本主義的価値観から障害者自身も自由ではない。さらに障害者家族は資本主義的価値観で障害者を支配する。「働かざる者食うべからず」というイデオロギーは障害者家族や障害者自身も簡単に逸脱できないほど強固なものだ。」108P「レーニンのような社会主義者でさえ、この「働かざる者食うべからず」のスローガンをロシア社会主義連邦ソビエト共和国憲法に書き込んだ。」109P・・・これはそもそもは資本家階級への批判という意味があったのでしょうが、もうひとつ、マルクスの『資本論』の読み違えとしての「労働価値説」が、国家資本主義が労働者を搾取するための生産性向上運動のための労働崇拝として突き出すことからも起きていたことで、それが「働けないひと」「劣っているひと」と規定されるひとたちへの抑圧となっていったのではないでしょうか?
「必要なのは労働運動の側からの連帯行動であり、僕たち障害者のするべきことは、障害者運動をプロレタリア革命運動に利用しようとするあらゆる傾向と闘い、労働運動の側からの連帯行動を創造するために闘うことだ。決してその逆、すなわち障害者運動をプロレタリア革命運動のために利用することがあってはならない(註11)。/障害者運動が本質的にコモンを作り、それがコミュニズムに発展するべき実質をもつということは確かなのだが、そのことをもって障害者運動をコミュニズム実現の目的のために利用していいということにはならない(註12)。むしろその自然成長性に任せるべきなのだ(註13)。カール・マルクスが労働者階級の運動の中に期待した自然成長性だ。僕たちプロレタリア革命運動に属する障害者は障害者運動の自然成長性が歪められないように、そして労働運動の側からの連帯行動を創造するために闘うべきだと思う。」117P・・・政治利用主義批判というネガティブな運動だけでなく、「障害者」の存在と運動とその運動の中での理論・理念自体の突き出しが、労働ということ自体の問いかけになり、労働運動のパイロット(水先案内人)になっていくのではないでしょうか? マルクスの自然成長性の提起を引き継いだのはローザ・ルクセンブルクで、ローザとレーニンの論争のとらえ返しが必要になってきます。
「わざわざこんなことを言うのは、僕の属した旧来のボリシェヴィキ左翼が行ってきたことは、プロレタリア革命の目的のために障害者運動を含むあらゆる社会運動を利用することだったからだ。それが「マルクス・レーニン主義」左翼の所業だった。そしていまでは僕はそれがカール・マルクスの言説にはまったく反したことだという自覚に立っている。」117-8P・・・レーニンの差別=階級支配の道具論からとらえ返し批判としていくこと。
「これらの運動に参加してもらうことが、障害者運動とプロレタリア革命運動の本当の意味での関係性を理解してもらう道だと思う。僕自身、ボリシェヴィキ左翼としての過去を総括して真性マルクス主義者として立つことによって、あらたな創造の道へ決意を込め踏み出そうと思っている。」118P・・・「真性」という概念はヘーゲル的な絶対精神や絶対的真理を批判したマルクスからは出てこないのではないでしょうか?
第四章 重層的差別の構造
「僕は、自分は差別なんかしていないと思っているマルクス・レーニン主義者ほど根深い差別主義者だということを多く経験してきた。ほとんどのマルクス・レーニン主義者は自分が人よりも優れていると思っているから、それだけでも十分に差別者の素質がある。マルクス・レーニン主義者はマルクスやレーニンの差別用語を無批判に我が物としてきた。・・・・・・」124P・・・差別と言うことがそれなりに認識されてきて、差別語の問題もそれなりにとらえ返しがされているのに、「知的障害者」「精神障害者」に対する差別語だけは使用され続けていることが、強制収用や虐待などの温床になっているのではないかと考えたりしています。差別語の問題での議論や取り組みをしていく必要性を感じています。
「共産主義組織論の根幹である「指導」「被指導」関係というレーニン主義の基礎概念からして差別的要素を含んでいる。僕は「共感」ということを人との関係形成の基本概念にしている。これは対等な人間関係の基本だと思っている。」125P
「いま僕は「マルクス・レーニン主義」を正面から否定している。それがスターリンによって編纂・改竄された内容だからだ。だからロシア革命も否定していると思われがちだが、それは違う。ロシア一〇月革命は「プロレタリアート独裁」ではなくて「労農独裁」で行われたという事実を主張しているだけだ。一九一八年までの労農独裁である労農評議会=労農ソビエトは正しい道だったと思う。その後に行われたレーニンによるプロレタリアート独裁が間違いなのだ。」125-6P・・・「プロレタリア独裁」を否定するなら、「プロレタリアと被差別民衆の革命」となるのでは?
「いまの日本国家は「エックスキースコア」というコンピュータ装置でSNSをはじめ電子ネットワークを幅広く常時監視している。(XKeyscore(エックスキースコア)は、世界中のインターネット上のデータを検索・分析するために米国家安全保障局(NSA)が使用するコンピュータ・システムである。その存在は、二〇一三年七月に元NSAの諜報員エドワード・スノーデンによって暴露された。あるNSA下級分析官は「電子メールであれ、電話での会話であれ、閲覧履歴であれ、マイクロソフト・ワードであれ、望むものは全て傍受することができる」と語った。)」129-30P
「日本の貧困の実態」――「日本はいわゆる「先進国」のなかではアメリカ合衆国に次いで貧困率が高い」134P
「この生活苦の状況はすでに社会が壊れていることを意味しないだろうか。」135P
第五章 マルクスの反差別解放闘争
「カール・マルクスは、「アイルランドの独立(連邦制も含む)は、イングランドのプロレタリア革命の前提条件だ」(一八七〇・一・一「IWA(インターナショナル)総評議会」の特別会議にて)と語っていた。」138P・・・マルクスの『資本主義生産に先行する諸形態』やザスーリッチへの手紙におけるアジア的生産様式論、古代社会ノートとこのアイルランド問題が後期マルクスの転回と言われること。
「イギリスの労働者階級は、それがアイルランドから免れえないうちは、決してなにごとも達成しえないだろう。槓杆(梃子のこと)はアイルランドに据えられなければならない。そうすれば、アイルランド問題は社会運動一般にとって非常に重要なのだ。」147P・・・梃子としてのアイルランド問題
(一八七〇・四・九「マルクスからジークフリート・マイヤーおよびアウグスト・フォークト(在ニューヨーク)へ」(ロンドン))「ロンドンの中央評議会の特殊な任務は、アイルランドの民族的解放がイングランド労働者階級にとって、抽象的正義とか人道主義的感情の問題ではなくて、彼等自身の社会的解放の第一条件であるという意識を、イングランドの労働者階級の心のうちに呼びさますことだ。」149P・・・日本の反差別運動でも「○○の解放なしに労働者階級の解放はない」と語られていたこと。
「一八六九年まで、マルクスは被差別・被抑圧人民がプロレタリア革命に合流すべきだと考えていた。しかし、「深い研究」(これは全集一六巻に収められている)を経て考えを一八〇度ひっくり返した。労働者階級は差別・抑圧と闘い、自らの差別を乗り超えて、それらの解放を勝ちとることで被差別・被抑圧人民の信頼を得ることが、プロレタリアート解放の「前提条件」だとマルクスは考えるに至った。」150P・・・「前提条件」とのち(190P)の規定(これが「合流」の内容)の矛盾
「日本共産党のように被差別人民が自らの「誤った考え」を正して、差別する側の人間の「科学的」思想に合流させるという考え方が、まったく転倒したものだということは明らかだ。」151P
「「プロレタリアートが革命的な階級として資本家階級と対決するためには、華青闘の糾弾を受けて認識することができた自己の民族排外主義、差別=分断意識を問いなおして理論構築する必要がある」、ということだろう(ここでは被差別・被抑圧人民は「プロレタリアート外の存在」とされている。僕はこの規定には反対である。この問題については後述する)。」156P・・・「華青闘の糾弾(告発)」と「七・七自己批判」の内容なのですが、「後述」については190Pで著者が展開しています。わたしはむしろ、反差別ということの中に、労働者への生産手段の所有からの排除という差別と労働力という物象化されたところでの価値を巡る差別分断を措くことだと思います。勿論、労働を巡る差別が資本主義社会の土台的という意味で基底的差別として、プロレタリア革命という突き出しが必要になるのですが、先導性や包含性という問題ではないとは言いえます。
「しかし、革共同による「七・七自己批判」思想の理論化の過程でマルクス主義の原理を使うのではなくて、魯迅の文学的表現である「血債の思想」を借り物にしてきたことから、中身が「道徳」「倫理」の問題と理解された傾向が強くあった。しかも、後には革共同内の官僚的独裁の道具にされてしまい、労働者党員の呪詛の対象となっていった。」156P・・・血債の思想の倫理主義批判は他党派からもなされていたのですが、それに代わる理論化がうまくいった例はなかったのではととらえています。例えば、わたしがかつて属した解放派は「立場の転換論」を出していました。これも、どうしたら転換し得るのかという道筋をだしえていませんでした。わたしはこれは、自らの抱える被差別から、差別を総体的基底的にとらえ返したところでの反差別運動としての連帯というようになるのだと、押さえ直しています。この話は190Pに続きます。
「結局、どの左翼諸党派も七・七華青闘の告発に対して正しくマルクス主義的に自己批判することはできなかった。「華僑青年闘争委員会は毛沢東主義だから」という奇妙な理屈さえ言われていた。毛沢東思想の中からも正しい立場を汲み取るとは提起されていなかった。それは一八六九年一一月以前の旧いマルクス主義の立場であっても、まず最初に被差別・被抑圧人民の信頼を得るためにプロレタリアートは具体的な連帯にとり組むべきという転換をした後のマルクスの思想ではまったくなかった。「七・七華青闘の糾弾」で突き付けられたものに具体的に応える、入管闘争とか生活防衛闘争を支える思想的内容は全く欠如していた。/その結果、新左翼諸党派内でもこうした問題は「諸戦線」という名の専門部だけが担う問題に矮小化され、「労働者階級本体」にとっては道徳や倫理、「踏まえるべき立場」の問題に矮小化された。後には「血債の思想」は文学的表現でありマルクス主義ではないからと切り捨てる部分も生まれた。これはマルクス主義への無知であり、無知であるが故に自らの頭脳で考えることもなく裏切りに連なるものだ。/われわれはもう一度、華僑青年闘争委員会の糾弾の原点に立ち戻り、マルクス主義思想に立脚した「七・七自己批判思想」を確立しなければならないと思う。」156-7P・・・著者の結語、実践的な方針を提起してくれています。ただ、「血債の思想」に代わることを明確に出し得ていません。「信頼を得るために」という言い方自体が、プロレタリアートの先導性やプロレタリアートの階級闘争への合流論としての「分断を乗り越えるために」という発想になっています。それはレーニンも陥っていた「階級支配の道具(手段)論」の域を超えていないのであって、わたしはむしろ、反差別運動の総体的・基底的とらえ返しによる展開として、実践からの連帯と自らの差別性の克服、と押さえることだと思っています。
第六章 マルクス主義的な障害者解放原理
「実際にはレーニン=ボリシェヴィキは、少数者である工場労働者による多数者である農民への「無慈悲な」独裁体制を敷いた。当時のロシアでは人口の八割は農民だったのに、少数者である工場労働者だけによる独裁が何を意味したかは想像に難くない。それは実質的には労働者独裁でさえなくてボリシェヴィキ党による独裁であったし、党組織論の「中央集権的民主集中制」によって一握りの党指導部による独裁になっていった。163P・・・実質「革命的インテリゲンシャ」による独裁に陥っていった。「中央集権的民主集中制」「中央集権的民主集中制」や「分派の禁止」のとらえ返しの必要。 
「いま必要なことはロシアの一九〇五年に相当する日本の一九六七年からの激動を、国際的には一九六八年のパリの五月革命からの世界革命を彷彿とさせた激動の時代をどう現在に引き継ぎ発展させるのかということではなかろうか。そのために現在的に僕が必要だと思うのはマルクス主義のルネッサンスであり、即物主義的唯物論の呪縛からマルクス主義を救出することだ。スターリンが綱領化した「マルクス・レーニン主義」の泥沼からマルクスを解放し、マルクス主義を再構築して学び、発展させることだと思う。」170-1P・・・著者のマルクス思想の再生と深化論。六〇年後半からの闘争の延長線上にマルクスの思想の再生と深化がありえるのでしょうか?
「また、晩年のマルクスは物象化がもたらす「物質代謝」の攪乱との闘い、すなわちエコロジーの観点に達していた。人間の物質的な生産の過程は、自然に対して働きかけて、自然物が人間の体内での代謝活動のように変化する過程を助けることだが、近代文明はこの自然の生命力の発現=物質代謝を破壊している。農業における化学肥料の過度の使用が土の生命力を奪ってしまったことがその典型だ。また工業都市は自然そのものを破壊した。マルクスはこれを糾弾し、自然の代謝力を取り戻すことを考えていた。これは最近見つかった晩年のマルクスの膨大なノートに書かれている。これは最近の発見として重視されなければならない。」179P・・・ここのところもよく分からなかったところ、マルクスの「物象化」ということならば、その言葉の使い方がマルクスとは違っています(註14)。ここでは産業化なり、工業化なり、文明化とかという意味にしかなっていないのでは? 深読みして、「商品や貨幣という物象によって支配されていくこと」ともとれなくはないのですが。従来使われている用語をカスタマイズして使うときには、ことばの定義を出しておかないと、混乱していくのではないでしょうか?
「マルクスは現実の労働者が、いかにして革命の必要性に目覚め、具体的、実践的な活動に移り得るのかを解明しようとした。それはまさに資本制生産過程そのものを通して労働者が達しうる「この現在の苦痛は変えなければならないし変えることができる」という認識の獲得であり、意識の変化だ。マルクスはこの意識の変化の中にこそ革命の可能性があると考えていた。だから、「疎外」や「物象化」という資本主義の矛盾を労働者に「自覚させる」ために啓蒙するという哲学的・政治的営みが必要なのではない。そうではなくて、まさに労働者が日々実感している物象化とその結果としての疎外感に働きかけて、現代社会の苦痛に満ちた現実は変えることができるし、変えなければならないということを明らかにすることが必要なのだ。『資本論』はまさにそのために著されたのだ。」179-80P・・・ここのところもよく分からなかったところ。啓蒙主義批判はわたしにもありますが、そもそも『資本論』の読み方を、物象化という概念なしに読んだら、「障害者」の抑圧の理論になっていく労働価値説に陥っていきます。そのことは著者も182P「人間の本質は労働である」という言説への批判として書いています。「物象化とその結果としての疎外感」というところ、前述したように「物象化」の言葉の使い方が違うのですが、そもそも初期マルクスの疎外論から物象化論への転換の議論をたぶん著者は知っていて、あえて両概念を併記しているとわたしは感じているのですが、どうとらえているのでしょうか?
第七章 障害者解放運動と労働者解放運動
「長い間、労働運動の世界、俗流マルクス主義者の間では「人間の本質は労働である」と言われてきた。」182P・・・前の(180P)のコメント参照
「俗流マルクス主義者が主張してきたような、「労働にもとづく分配」が将来社会だという考え方はマルクスの本来の主張ではない。「労働にもとづく分配」が行われるならば労働できない障害者は何も受け取れない。たとえ生産力が低い段階の将来社会でも分配は共同体の論理で行われるべきだ。旧ソ連の「働かざる者食うべからず」という憲法は、マルクス主義の理念とは全く関係がない。」188P・・・もう少しきちんと展開しないと、「共同体の論理」が倫理主義に陥ります。(註15)
「マルクスは、一九世紀のイングランドにおける革命の展望において、「アイルランドの解放なくしてイングランド人プロレタリアートの解放はない」と、まずプロレタリアートが強いられた分断を乗り超えて団結するには被差別・被抑圧人民の解放を第一の目標として闘うべきだと主張していた。「疎外された」労働者自身が、他人を疎外し差別しているかぎり、「疎外されている」自らの情況から解放されることはない。」189P・・・テーゼの再提起
「彼(マルクス)の思想の限界は西欧諸国中心主義的であったことだ。」190P・・・確かにそうだが、古代社会ノートやアジア的生産様式論の発見、アイルランド問題からの転回の様相はあったと言いえるでしょう。
「これに対してイタリアの共産主義者アントニオ・グラムシ(一八九一年〜一九三七年。イタリアのマルクス主義思想家、イタリア共産党創始者の一人)は、「プロレタリアート」に替えて「サバルタン」概念を使ったのには、当時、獄中にあって検閲を通すために、共産主義の用語である「プロレタリアート」を使えなかったという事情もあった。同時に資本家対労働者の対立とは違う階級間の対立がイタリア南部や植民地諸国に見られたことの表現だった。グラムシは、それら「周辺」からこそ帝国主義世界体制を突き崩す闘いが始まると考えていた。/この「サバルタン」概念を、非西欧的諸国の無産者を社会変革の主人公と考える人びとが、革命主体を指す言葉として使用した。植民地諸国の無産者階級解放のために使われた概念だった。日本ではガヤトリ・C・スビヴァク(一九四二年生まれ。インドのベンガル出身。アメリカ合衆国コロンビア大学教員、『サバルタンは語ることが出来るか』などの著者)が知られている。」190P・・・これはローザ・ルクセンブルクの「継続的本源的蓄積論」、すなわち「資本主義の始まりのときの本源的蓄積ということは、今日的には「資本主義は差別なしには存続しえない」こととして、資本主義社会に必要条件的にくみこまれている」ということで、レーニンの差別=階級支配の道具論批判の内容をもって、その後の従属理論や世界システム論、ネグリ/ハートの『<帝国>』でのグローバリゼーション論などにつながり展開されています。とりわけ、ネグリのマルチチュード概念は、サバルタン概念とリンクしていきます。これは「闘う被差別民衆」ということでも表されることではないかとも思います。
「僕は、今日では、この「サバルタン」概念も、本来の「無産者階級」(子ども以外に財産をもたない無産者)という意味で、プロレタリアート概念に含めるべきだと思う。」191P・・・逆ではないでしょうか? 「被差別民衆」ということにプロレタリアートを含めることです。
「今日では「ルンペン・プロレタリアート」というのは、固定化された一階級をさす概念では全くない。実際にマルクスは後年この言葉を「相対的過剰人口」の一部をなす人びととしてしか使わなくなった。それでも、マルクスが一つの階層を指す言葉として使ったのが妥当だったのかどうかは、当時の事情を詳しく知らないと分からないのだろう。/当時の障害者たちで「物乞い」としてしか生きられない人々は多くいただろうし、生きていくのに必死になっている人々のことを「ルンペン(乞食)」と差別的に蔑む権利は、マルクスを含めて誰にもない。こんな言葉は、歴史的事実として以外には使われるべきではない。」193P・・・この後にも著者が展開しているのですが、そもそも今日的非正規雇用の拡大で位置づけが変わって、外国人労働者とともに、むしろ社会変革主体としてとらえられてきています。
「多くの労働運動では、非正規労働者や、障害者、被差別、被抑圧人民などは、一段下の従属的存在としてしか位置づけられて来なかった。今日では、資本家階級打倒のエネルギーを一番多く蓄積しているのは、まさに伝統的左翼諸党派が「相対的過剰人口」とか「ルンペン・プロレタリアート」と呼んで蔑んできたこれらの「周辺」の「従属的社会集団」の人びとなのだ。いや、彼ら彼女ら「周辺」視する視線そのものが、今日では時代遅れだと言うべきだろう。女性労働者では非正規雇用が過半数を占めていることからも明らかなように、今や彼女らの方が労働運動の主流派であるのだから。」195P・・・元々本工主義批判としてなされてきたこと、周辺――中心(主流)の反転のようなことが少なくとも運動の側では起きてくるのでは?
「精神障害者であり、マルクス主義者である僕は、人間解放のための実践的・批判的思想に生きる意味を見出している。この世界の誰か一人でも抑圧され差別されているならば、それは僕の不幸だと感じる感性の社会に生きている。」197P・・・著者の自分の立場の突き出し。マルクス主義障害者解放運動。
「だから抑圧されている側の障害者が自己解放しようとしたら、政治的・経済的活動と連帯して、この支配・抑圧の「社会構造」を廃止しないといけない。それが障害者にとって労働者解放運動、すなわち労働組合運動や政治運動との連帯と共闘が必要な理由だ。そのためにはまず第一に労働者の側から差別の壁を取り除くことが必要になる。被差別・被抑圧人民からは、自らが差別の壁を壊すと共に、労働者たちが彼らが作っている差別の壁を壊すことを助けることが必要になる。その統一こそがコミュニズムだ。」198P・・・労働運動と障害者解放運動の結合・統一、「まず第一に労働者の側から」?単なる意識変革運動――啓蒙ではないのだから、「社会モデル」的な意味での障害を取り除く運動の主体性は「障害者」側にあるのではないでしょうか?
「障害者解放運動とコミュニズムはこのように結びつく。本来のコミュニズムとは人間解放の実践的・批判的運動のことだ。コミュニズムは狭い意味での国家権力の奪取を目指す運動ではない。哲学的立場を突き抜けて、哲学を超えたところにある人間解放の実践的・批判的運動なのだ。」198P・・・著者は「解放」ということばを使っています。勿論「差別からの解放」の意味なのでしょうが、「解放」という概念には疎外からの解放として「本来の」(註16)という意味も持ってしまっています。そのことはマルクスがなぜ疎外論から物象化論へ転回したのかということのとらえ返しの問題にも繋がっていきます。ヘーゲルの絶対精神の外化・疎外概念批判がマルクスの中にあり、疎外ということを感情的表現として使いつづけたとしても、論理的哲学的な意味ももっているところでは使わなくなったのではないでしょうか? レーニンは極めて実践的な政治家でしたが、論争のためにヘーゲル学習をしています。晩年のエンゲルスがマルクス理論の解説者の役を担いつつも、そこから踏み外して弁証法の法則化というところに陥ってヘーゲル回帰していると批判されていることと相俟って、レーニンもヘーゲル回帰しているのです。実践においても、思想においても哲学もすえないと、旧い観念にとらわれていく、まさに物象化された世界から抜け出せないのです。なぜ、わたしが強い影響を受けている廣松渉さんがアカデミックな世界に身を投じ、物象化批判の論攷を展開していったのかということも、わたしは運動的なところからとらえ返そうとしています。
終章 批判的・実践的なマルクス主義を梃子とした障害者解放を
「コロナ禍で明らかになったことの中で、障害者との関係で注目すべきことがある。小さな個人の周りの幸福追求こそ、人間本来の在り方であり、コミュニズムの本旨なのだということだ。コロナ禍のなかで経済成長を追及することで「物」に支配されるのを止めて個人の幸福を追求する生活が垣間見えた。」200P・・・エコロジーとコミュニズム
「今の民衆の意識としては、経済成長一辺倒が人類の生存を脅かしているという認識がコミュニズムに直接的に向かうのではなくて、現状のままではまずいという中間的表現になったのが、「SDGs」ブームだと思う。将来の社会主義像が経済成長追求型計画経済のものだったことが、若者たちの危機感が社会主義に向かわなかった理由だろう。若者の間でのマルクス主義者の斎藤幸平の脱成長論への支持の広がりは、この動きをコミュニズムにつなげるものとしては興味深い。/岸本聡子は、水道民営化に反対し、「ミュニシバリズム」を提唱してきた人だ。ミュニシバリズムは都市社会主義とも訳され、地域の主権を大切にする新しい社会運動だ。水道民営化などの共有財切り売りに反対してコモン(社会的共有財)を大切にする考え方だ。こういうミュニシバリストが首都の区長に当選するというのは、画期的な出来事ではなかろうか。」201P・・・コミュニズム志向の運動の総括がなされないままに、社会変革運動が行き場を失い、現実的矛盾に対処する活動として様々な運動が起きてきています。中には、資本主義社会内でも解決できる問題があるにしても、多くは資本主義社会を止揚することなしには解決できないし、差別の構造そのものは、資本主義社会は差別なしには延命できない構造になっているので、著者がマルクス・レーニン主義批判に着手しているように、コミュニズム志向の運動の総括が今問われているのではないでしょうか?
「これらは(福祉からのこぼれ落としと「精神障害者」の隔離は)新たな、資本主義の墓堀人を膨大に生み出す破綻であった。障害者施設や精神科病院を廃止したいという願いは、一九七〇年代から障害者解放運動の潮流を生み出した。そればかりか、この障害者解放運動は、労働運動の歪みを糺す新たなターニングポイントでさえあった。」206P・・・「歪み」だけでなく、そもそも「障害者運動」の中から起きてくる、労働・労働力(の価値)という物象化の批判というとらえ返しが、労働運動の分断を超える新しい労働運動を生み出すターニングポイントになること。
「一九八七年の中曽根政権による国鉄分割・民営化は、「総評」労働運動懐胎による労働運動の大後退をもたらした。しかし、今日ナショナルセンター「連合」は資本家階級の手代である正体を、誰にもわかるように晒し出しており、「連合」内部と外部から、地域ユニオン運動などが、その支配体制を突き崩さんと闘っている。そしてその先端部は、障害者解放運動と結び付いている。」206P

(註)
1  障害とは何かというところのとらえ返しのなかで、わたしは障害問題のパラダイム転換といわれるところで出てきた(実は転換をなしきれていないのですが)「障害の社会モデル」について考えてきました。すでに、社会モデルというのは過渡の理論として、障害関係論的な突き出しをしようとしています
2  わたしは自分が出した本『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために――』世界書院2010 の中で、一応関係論まで展開しているのですが、そもそも本のタイトル自体が「障害の社会モデル」的なところから転換しえていません。これは後日「障害関係論原論」として突き出そうと思っています。
3  因果論批判は「通信」116号巻頭言「そもそも 因果論とは何だろう? ――因果論という非論理性――」
https://771033e8-ab2b-4e5b-9092-62a66fd59591.filesusr.com/ugd/6a934e_b051009c18d44c518f8a107364c4bb4a.pdf
4  廣松さんも十全に差別の問題を対象化しえていたとは言えないのですが、これについては (情況出版)2010.7「廣松渉物象化論の反障害論-『反障害原論』の隠されたサブタイトル」hiromatubusho.pdf (taica.info)参照
5  社会変革志向の「障害者運動」をやっているひとたちから批判も出ているし、差別ということへの批判やその取り組みがないという点で、気持ちの持ち方を変える運動になっているのではないか?という批判をわたしももっています。
6  青い芝の提起で「介助を受けるとき腰を上げるのも労働だ」という突き出しもしていました。これは「労働」でなくて「仕事」とわたしは押さえ直しています。これについては、(註10)でコメント。
7 三村洋明『反障害原論――障害問題のパラダイム転換のために――』 世界書院2010
「第八章 差別形態論」参照
8  竹内章郎『いのちの平等論―現代の優生思想に抗して』岩波書店2005 参照
9  これは資本主義社会を成り立たせている特許制度を考えると分かりやすいのです。先人の膨大なる蓄積の上に個の発見や発明があり、過去の蓄積をどこかで切り捨てることによって特許制度が成り立っているのです。そもそも言語がなかったら、知の蓄積など不可能であり、言語はまさに著者の言葉をかりれば「コモン」なのです。
10  労働は生物学的には「他者のためにする活動」という定義(今西錦司)があります。労働には搾取という概念がつきまといます。仕事を「みんなのためにする活動」としての、「労働から仕事へ」という提起を今村仁司『仕事』弘文堂1988がなしています。
11 そもそもはプロレタリア運動に障害者運動を含めるというテーゼからきていること。わたしは、反差別運動にプロレタリア運動を含めるとすることだと思っています。
12  プロレタリア運動主導論になっていて、わたしは反差別運動の中のプロレタリア運動としてとらえ返すことだと思っています。
13  「任せる」ということは拝跪にもなります。ここは「依拠する」と書くところではないでしょうか?
14 マルクスの「物象化」概念は、「人と人との関係を物と物との関係としてみる」とか「「社会的関係を自然的関係としてみる」というように押さえられています。
15 (註10)参照
16 「本来」なることを設定すること自体が、「本来」から外れるととらえられるひとへの差別的抑圧的な意味をもってしまっています。これは疎外論批判にもつながっているのですが、ヘーゲルへの回帰に陥ったエンゲルスの二の舞にもなっています。

posted by たわし at 06:57| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早川千絵監督「PLAN75」

たわしの映像鑑賞メモ073
・早川千絵監督「PLAN75」2022
この映画はSNSで話題になっていた倍賞千恵子さんが主演して賞もとった映画です。
コロナ禍で劇場で見逃したので、ビデオオンデマンドでやっと観れました。いわゆる「積極的安楽死」を政策として導入した「未来社会」を描いた映画です。75歳になったら死を選択できるという、昔からあった「姥捨て山」とかにつながる話です。
 いわゆる社会派といわれる早川千絵監督の作品。つつましく、情況に流されて生きていくと、ちょっとしたところの積み重ねの中で、こういうところに行きついていく、ということを感じていました。
冒頭に「未来社会」を描いたと書きましたが、現実に透析からの離脱という選択肢を示すとかで事件が起きています。そもそも2000年代の後半には、病院や福祉施設を利用するときに、「何か医療的処置が必要になったとき、延命処置をしますか」ということで選択の書類の提出を求められるようになっていました。以後、「ACP」とか「人生計画」とか、手を替え品を替えの様々な形での、選択の押し付けがなされてきたのです。それは「持続可能な福祉制度」(「障害者自立支援法」制定の際の議員立法提出者の主旨説明の発言)ということの中での、医療費の削減ということで、自己決定という幻想の下での、「死へ誘う医療」ということが始まっていたのです。
この映画は、機械の不具合か何かで、生き残った倍賞千恵子が演じたメインの主人公が、これからどうしようというところで終わっているのですが、乗り損ねた福祉制度にきちんと乗るというぼんやりした方向性が出ています。そもそも、その「未来社会」も福祉制度をきちんと働かせないというところで、多くの乗り損ねを意図的に生み出している社会なのですが、それは、実は解決していく方向性として、基本生活保障ということで出せるのです。実は、竹中平蔵新自由主義者の権化がベーシックインカム(基本所得保障)を出していることでごちゃごちゃになっているのですが、竹中平蔵ベーシックインカムはそもそもベーシックインカムの基本的概念を押さえない、福祉の切り捨てのための自己責任論としてのまやかしのベーシックインカム論なのです。日本における「ファシズムの芽」的な存在の日本維新の会の一部論者がそのことに乗っているのも、その論理のおそろしさを示しています。ベーシックインカムの一律給付ということでは、介助を必要とする「障害者」は生きられなくなります。「障害者」だけではありません。様々な生活条件で、必要とする保障は変わってきます。だから、これは基本生活保障という概念に替えることです。そもそもベーシックインカム自体が資本主義では実現不可能で、意味があるとしたらネグリ/ハートが『<帝国>』で突き出した構造改革革命論としてのベーシックインカム論なのです。
わたしは、そもそも今の社会の仕組み自体を問い直すこととして、この映画を観ていました。


posted by たわし at 06:48| 映像鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月17日

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』

たわしの読書メモ・・ブログ611[廣松ノート(2)]
・廣松渉『世界の共同主観的存在構造』勁草書房1972(3)
 ほとんど、切り抜きメモだけになっていて、備忘録的な意味が大きく、しかも、検索的に使おう、という思いがあると、もう全面コピー的になっていっています。「廣松ノート」などというのは大風呂敷の類いのことだと、もう作業を中断したいとの思いが湧いてきているのですが、いま暫く続けてみます。
 3回目、先に進めたいので、二章ずつとの思いがあるのですが、かなりの分量になるので、一章ずつにしていきます。
早速本題に入ります。
今回分の目次です。
T
第二章 言語的世界の事象的存立構造
 第一節 情報的世界の四肢構造
 第二節 言語的意味の存在性格
 第三節 言語的交通の存立構造

 この章は言語論的展開。後の『もの・こと・ことば』やソシュール言語論をやっていた丸山圭三郎さんとの共著での展開があります。その原型のような文。ただ、廣松さんは、自分の理論の核心は言語論ではなく、言語以前の役割理論においていることは押さえておく必要があります。それでも、言語論からの展開は、その理論形成に大きな意味をもっていることも押さえています。

 切り抜きメモに入ります。
第二章 言語的世界の事象的存立構造
「哲学者たちの言語観に――剴切にいえば「言語存在」にたいする哲学者たちの構えのとりかたに――抜本的な変化が生じはじめているように見受けられる。はなはだ誤解をまねきやすい表現であるが、「中世的世界観が“生物”をモデルにして万物を了解し、近世的世界観が“機械”の存在構造に定位して視界を拓いた」と云われうるのに対して(この点については拙著『マルクス主義の地平』第二章第一節参照)、いまや「言語存在」の究明を通路にして新しい世界観的な視座が模索されつつある、と断じても恐らくや大過ないであろう。」「われわれは序章において近代認識論の基礎的範式をめぐって若干の論考を試み 、それがいまや全面的な逼塞に陥っている所以のものを立言しつつ、新しい世界観的な地平の開拓が課せられていることを論じたのであったが、言語的世界の存在構造の究明はこの課題に応えるための恰好な通路たりうると考える。」「言語は、われわれの日常生活にとって余りにも身近かであるために、というよりも、われわれは、日常、すでにして既成の“近代的”言語観を受け容れてしまっているので、その特異な存在性格を看過しがちである。しかし、言語がかつて典型的な呪物(「フェティシュ」のルビ)であったことを想起するまでもなく、マルクスのレトリックを藉りていえば、言語は「分析してみると形而上学的な詭計にみち」ており、“近代的”分析的悟性をことごとに翻弄する。言語は、一歩退いて考えてみると、そもそも近代的な世界観には収まりきれない。」47P
「新しい世界観の開鑿にとって言語存在が有力な拠点となる所以でもあるが、言語は、いわゆる社会的事実fait socialの一斑として、諸個人に対して“外部拘束的”に存立しつつも「物在(「フォアハンデンザイン」のルビ)」としての近代的“客観”ではなく、典型的な「用在(「ツーハンデンザイン」のルビ)であり、しかも、本源的に共同主観的な(「インターズブエクティーク」のルビ)形象(「ゲビルデ」のルビ)であって“近代的”な「人称的な主観性」を超えている。けだし、言語が主観−客観シェーマを基軸とする“近代的世界了解”の枠を即自的に超えているという所以である。」48P
 第一節 情報的世界の四肢構造
「われわれの知覚的視界に直接的に与えられている世界は極めて局限されており、往々にして居室の一隅に限られている。」48P
「情報によって伝達される世界は、このような事例に鑑みるまでもなく、“知覚的世界”と殆んど同様に、われわれの“意識”いな“心理・生理的”な機構に直接的影響を及ぼし、しかるべき反応を誘発する。この意味において、情報的に現前する世界は、いわゆる“物的な世界”と同様な実在性をもつということができる」「今日“常識”となっている世界了解では、「世界」とは第一次的にはまず広大無辺な“物在的”大宇宙であり、その片隅の地球上に人間的世界があり、“情報的世界”はいわゆる準環境として、そのまた一部分にすぎないとされる。超越的視点からは、なるほどそう見做されうるかもしれない。しかし、フェノメナリスティックな見地からみれば、謂うところの“大宇宙”なるものが、逆に、“情報的世界”の一相面たるにすぎない。」「われわれに如実に拓けている世界、すなわち、われわれの心理・生理的な営みに直接的に規定的影響を及ぼしているところの、そしてわれわれがそれに対して対象的・実践的に関わっているところの現与の世界は、実は、殆んどもっぱら情報化された世界である。前章では近世認識論的な視界に妥協して“知覚的に拓ける世界”に定位したのであったが、“なまの”知覚的世界なるものは、実は、現与の世界のごく一部にすぎないのであって、――記憶的世界の浸透的媒介はしばらく措くとして――正しくは、ここにいう情報的拓かれる世界こそが“フェノメナリスティックな現与の世界”の実相であると云わねばならない。」「本節では、言語の本質にかかわる二三の問題点を確認したうえで、情報的世界の存在構造をフェノメナルな世界一般の構造と対応づけておきたい。」49P
[一]
「言語の本質については、古代哲学以来、相対立する二つの見方が存在する。φύσει(自然)説とθέσει(約束)説との対立がそれである。両説の具体的内実は論者ごとに紛々と岐れるが、前者を採る者は、言語が何らかの仕方でそれが表わす対象と共通な質を保有しており、そのことによって言語の表現性が存立すると考える。後者を採る者は、言語は自然のままに事象を表現するものではなく、恣意的に、約束的、習慣的に表現性をもつと主張する。」49-50P
「言語の本質を正しく把えるためには自然φύσει説と人為νόμψ説との対立する地平そのものを超克しなければならない。」50P
「ここでは両説のおのおのの検討に立入るつもりはないが、自然説に対しては、旧くから指摘されている通り、自然物にそのものは言語たりえないという論点を再確認することができる。・・・・・・言語の言語たる所以は自然物との区別性、それが人為的・規約的νόμψたることにある! しかるに約束説に対しては、とうの約束συνθήκη、すなわちconventional(因習的)な固定化の根拠を問うていくとき、記号と意味との結合の存在論的基盤に関して周知のアポリアを突きつけることができる(後論参照)。」50P
「われわれに課せられているのは、しかし、アポリアを指摘することではなく、その由って来るところを対自化することである。差当り確認できるのは、自然説も約束説も、記号そのものの知覚に関しては、また、記号で表わされる対象そのもの知覚に関しては、それらを人びとがありのままにφύσειに知覚するという暗黙の了解のうえに立っていることである。われわれはこの暗黙の前提そのものを超克しなければならない。しりぞけてかからねばならない。」50P
「こうして、言語記号そのものの受納という場面においても、それは自然的な(「ビュセイ」のルビ)知覚ではなく、歴史的社会的に人為的(「ノモイ」のルビ)になっている。そして、このノモスがピュシスとして意識されるのである。――総じて、納期としての記号も所記としての事象も、それぞれにビュセイに知覚されてしかるのちに関係づけられるのではなく、それらがわれわれに対して存在するかぎりでは、すでにして相補的な相互媒介性(?「相作性」)のうちにあり、歴史的・社会的に共同主観化された相において現われる。」51P
「このゆえに、われわれは旧来の暗黙の了解をしりぞけて、――つまり、没言語的(ないしは言語以前的)に与えられる事象と言語記号そのものという二つの項を自存化させ、しかるのちに両者の関係づけを試みるという行き方をしりぞけて――われわれに如実に与えられる世界の被媒介性の構造を分析するという仕方でアプローチしなければならない。」51P
[二]
「前項では言語観の時代的変遷を一応閉却しうるかぎりで論じたのであったが、言語存在を了解する構えは、各時代の世界観と相即的に変化する。なるほど、ヨーロッパ中世には、文法学や修辞学の発達と論理学上の或る省察を機縁にして、言語観にも進展がみられたとはいえ、「世界―言語」の二項図式そのものは維持されたともいえよう。近世を迎えると、しかし、序章で述べたかの認識論的な三項図式と相即的に、言語存在の了解にも根本的な変化が生じた。」52P
「多くの論者たちが指摘しているように、言語の表現構造に関する近代言語理論の基本的シェーマは、ジョン・ロックの言語哲学のうちに、先取的に完成化されている。道具主義な見方についてはしばらく措くとしても、ロックによれば、言語とは、まずそれを用いる人の心のなかある観念を表わす感性的記号にほかならない。しかし、言語の使用者は、当の言葉が自分自身の心中の観念だけでなく、彼が交通する他の人びとの心のなかの観念の符号でもあると想定し、さらには、当の観念が単なる夢想ではなく、従って、言語は事物の実在性をも表示するものと了解する。ロック本人は特に第一の機能を強調するものであるが、ともあれ、ここには話者と聴者との心のなかに共通にある「観念」、これの感性的実在的な符号としての「言語記号」、そして心のなかの観念がそれと模写的に――といっても或る限定つきであるが――対応するところの「客観的事象」という三極的契機が提示されている。」52P
「人は、ここにおいて、オグデンとリチャーズの有名な三項図式、ソシュールの「概念と聴覚映像との結合」としての「記号」と「外的実在」との関係論、さらにはまた、カール・ビューラーの余りにも有名な三極的オルガノンモデルその他さまざまなpicture-theory of meaningが前提にしているシェーマ等々、記号と意味との関係を説いた近代言語学の著名な諸理説を想起してみるがよい。いずれもロックの立てたシェーマ内での変様にすぎないことを容易に認められるであろう。」52-3P
「われわれはいまここで近代の「記号―意味」論がことごとくロックの埒内にあると強弁するつもりはない。われわれが問題にしたいのは、記号的表現の構造に関する近代的理説の“主流”が暗黙の前提にしてしまっているところの「外なる事物」、「内なる観念」、そして直接的には後者と結合しているところの「言語的記号」という「世界―表象―記号」の三項図式そのものである。」53P
「この三項図式においては、客観的な「世界」と主観的な「表象」とが二元的に截断される。尤も、言語学的な省察の次元では、前者は知覚的に与えられる対象界と二重写しにされるのが一般であって、必ずしも哲学的な“物在”ではない。しかしともあれ、後者すなわち「内なる表象」が主観の判断的・価値評価的な意識作用によって加工・変様されるものと了解されるのにひきかえ、前者はあくまで主観から独立だとされる。そして、記号は、さしあたり直接的にはこの「内なる観念」と関わる者とされ、対象的世界との関係は、たかだか間接的だとされる。」53P
「しかしながら、前章でやや詳しく論じておいた通り、近代的認識論が前提にしてきたところの、そして多くの言語学者達が前提にしてしまっているところの、「内なる観念」なるものはそもそも存在しない。言語的交通の場面に即して云っても、いわゆる「心像」「観念」を何ら伴わぬ言語的交通が存在するだけでなく、“円形の四角”round squareや「二角形」などのように、そのような心像・観念を形成することが原理的に不可能な場合がある。それゆえ、百歩を譲って控え目に云っても、「内なる観念」なるものは言語的表現・理解の構造にとって必要条件ではない。/この一事を以ってしても、従来“近代的”表現構造理論、「記号―意味」理論が前提してきた三項シェーマが根底から崩れ去ることになる。従ってわれわれとしては、まったく新しい視角から当の問題にアプローチし直さなければならない。」53-4P
[三]
「近年になってようやく、「思考」と「言語」とは切り離せないという認識が定着しはじめている。この見解には、思考がまずあってそれを言語というvehicle(媒体)で表現するのだという近世的な暗黙の了解にたいする即自的な批判がこめられているといえよう。この種の見解においても、しかし、人間の「知覚」ないしは「知覚的世界」für uns(当事者意識としての「知覚的世界」)そのものはわれわれの言語的活動から独立に存在するという“了解”が依然として立てられている場合が多い。」54P
「われわれの考えでは、しかし、言語が歴史的に成立して以後、「思考」はもちろんのこと、フェノメナルに与えられる知覚的世界そのものが、そもそも共同主観的な言語的交通を離れては存在しない。そもそも、知覚そのものが記号(象徴)的な在り方をしており、言語的記号はそれを典型的に具現したものにほかならないのであるが、フェノメナルな世界は言語的交通の媒介による意味づけられた分節に俟ってのみ、はじめて現与のものになっている。言語という特殊的具体的な形象(「ゲビルデ」のルビ)に即してその存在構造を問い返すことが、とりもなおさず、情報的世界の存立構造、ひいてはフェノメナルな世界について、積極的に立言する所以となる。」54-5P
「言語的表現によって“情報”が与えられるという場合、直接的に与えられるのは、差当り言語音声、文字形象といった“感性的形象”だけである。しかし、この感性的与件が、単なるそのものではなく、それ以上の或るものetwas Mehr,etwas Anderes(それ以外の或るもの)として意識されることにおいて、まさしくそのことによって、情報的に表現された世界が現前するのだということ、まずはこの論点を追認することができる。」55P
「端的にいえば、受信者は記号そのものにおいて,直接的に“客観的事象”を看取する。三項図式をしりぞけるためにその構造だけに着目していえば、黒板上の図形において幾何学的三角形を直接的に読み取るのと、それは同趣であり、情報的に表現されている所の者、このetwas Anderesは、記号というレアールナ形象において、謂わばイレアールな仕方で端的に与えられるのである。」56P
「言語=記号の表現性は、その“対象的側面”について結論先取的にいえば、フェノメノン一般が、レアールに自己自身を示すものdas,was sich selbst zeigtであることにおいて、その都度すでに、同時に、イデアールな或る他のものを示すものdas,was etwas Anderes zeigtであるということ――所与形象が一般に有するこの原基的な存在構造にもとづくものにほかならない。」56P
「この“対象的”表現が可能となるのは、しかし、伝達者と受信者とが、ソシュールの謂うラングlangueを共有し、そのことによって謂わば“眼を共有”している限りにおいてである。換言すれば、受信者と伝達者とが、単なる私人としての私人ではなく、当該記号体系の「ラングの主体」というべきものに共同主観的に自己形成をとげていること、前章での表現を援用していえば、主体の二肢的二重化が「ラングの主体性」という具体相で確立していること、これが“先決”条件をなす。」56P
「以上の臆断的な指摘を以ってしても、言語の表現構造が、前章にいうところのGegebenes als etwas Mehr gilt einem als jemandem(「“所与がそれ以上の或るものとして「誰」かとしての或る者に対してある”」45P・・・「e」「Mehr」脱字)という四肢的存在構造の範に漏れないということが、とりあえず諒察されるであろう。以下、節を分け直して、各々の契機に即して主題的に討究し、右の臆断に内実を与え返しつつ、言語的世界の存在構造を検討することにしよう。」56-7P
 第二節 言語的意味の存在性格
「意味」、すなわち、記号的に表現されるところの所記signifiéはきわめて複雑な相貌を呈する。言語的意味にかぎっても殆んど迷路的である。しかも、不都合なことには、ウルマンの指摘(The Principles of Semantics)をまつまでもなく、意味論は言語研究の自足的な一部門たるべきであるにもかかわらず、伝統的な言語学においては必ずしもしかるべき座を占めてきたとは云えない。オクデンとリチャーズの『意味の意味』が学会の耳目を聳動せしめたのは、何と一九二三年を迎えてのことであって、言語学者の手で「意味」そのものの主題的討究が行われるようになったのは比較的近時に属する。/哲学者のあいだでは、それにひきかえ、比較的旧くから「意味」の研究が志向されてきたということが一応はできる。そして今世紀の初めになると、「意味」の研究を通路とする学派が成立し、やがては哲学の仕事をもっぱら意味の分析に限定しようとする学派すら成立した。とはいえ、現象学派のその後の展開や、日常言語学派のDon’t ask for the meaning,ask for the useというスローガンの確立などに鑑みるまでもなく、哲学における「意味研究」も決して一直線の進捗をとげてきたわけではない。」/今日、若手の哲学者たちが、カッシラー、ラスク、マイノング、ボルツァーノ、ロッチェなどに遡り、また、他国では、ヴィトゲンシュタイン、一時期のラッセルやムーア、さらにはマッハなどをも顧みつつ、謂わば原点に立帰って「意味の問題」を把え返そうと努めているのも、蓋し宜なりと評さるべきであろう。/われわれとしては、しかし、これら一時代前の哲学者たちの“意味”論は、学ぶべき多くのものを含むにせよ、所詮“近代的世界観”の埒内にあると断ぜざるをえない以上、あらかじめ対質しておくという迂路は避け、前節で追認した前章以来の視座を持して“事柄そのものへ向かう”ことにしたい。」58P・・・この文の最後の註に「名工大紀要」に掲載した「意味論研究覚書」と重複している旨の記載あり。
[一]
(問題設定)「「意味の意味」はきわめて多義的である。しかもこの多義性は、並列的な多義性ではなく、重層的複合性に因るものであるように思われる。こでは言語のもつ機能に着目しながら「意味」の外延を確認するところから始めよう。」58P
「言語のもつ機能は、@対象的事態を叙示する機能、A対象的事態に関する発話者の措定意識や感情状態を表示する機能、B聴取者に一定の精神的感応や身体的反応を喚起する機能――さしあたり以上の三つに大別することができよう。」58P
「ところで、第一の叙示機能は、それ自体、さらに二つの機能からなっている。すなわち、○イ陳述さるべき関心の対象を指示する機能、○ロその対象をしかじかの或るものとしてals etwas Bestimmtes述定する機能、この二つに分析することができる。」58P
「言語のもつ諸機能は、こうして、指示、述定、表出、喚起という都合四つの契機からなっているということができる。もとより、すべての言語現象においてこれらの四つの機能が顕示的にあらわれるわけではない。その一つないし二つを事実上欠く場合もあり、いずれかの機能に重点がかかっている場合もある。しかしともあれ、以上四つの機能が一体をなしているのが言語的交通Verkehrの常態であるように思われる。/言語のこれら四つの機能のうち、「指示」、「表出」、「喚起」という三機能は、発生論的には恐らく独立したものであったろう。われわれは動物の挙動や発声において、すでにこれらの機能が営まれているのを認めることができる。人間が言語をもつ動物(「ゾーオン・エコン・ロゴン」のルビ)として他の動物から区別されうるとすれば、それは殊に「述定」の契機にまつものである。とはいえ、成体としての現実の言語現象においては、四つの機能が不可分の有機的統体をなしており、言語的交通が十全におこなわれるためには、四機能の全面的な充足を必要とする。・・・・・・言語の諸機能は、しかも、単に並存しているのではなく、指示を核とする陳述の全体が発話者に帰属するものとして表現され、以上の三契機を含む表現内容の全体が理解されることによって聴取者に一定の反応が喚起される――というように謂わば「入れ子型」の構造になっている。」59P・・・この「入れ子型」の構造という押さえがいろいろな分析において、有効性をもってきます。
「翻って思うに、言語のもつ機能と「意味」とは必ずしも一義的に対応するわけではないが、しかし、両者が密接な関係をもっていることは容易に認められうる。現に、ソシュールにおけるシーニュとサンボルとの区別、これとは視角を異にするランガーのサインとシンボルとの区別、ブルームフィールドのresponse-theory、これらが前提にしている“意味”観を想起しただけでも思い半ばに過ぎるものがあろう。「意味の意味」の多義性は、言語機能の多重性に淵源しているかの趣きすら認められる。」60P
「とすれば、「意味」の多義性は並列的な多義性ではなく、「機能」の多重構造に照応する「入れ子型」の多重性ではないのか。もしそうだとすれば、われわれは意味なるものを何かしら或る単質的なものとして想定し、この単質的なものを探究するという手続きを採ることができないだけでなく、「意味の意味」が多義的であるという事実に藉口して、その多義を単に枚挙するという作業に甘んずることもできない筈である。」60P・・・これは分析の問題にも援用されること。わたしのファシズム論の陥穽は、単質的なこととしてとらえようとして、因果論的発想で論展開しようとしていたこと。「入れ子型」概念から向自化していくこと。
「われわれは「意味」の意味とその存在性格を考究するにあたって、あくまで言語の四機能射程に収めつつ、多重的構造成体を全体として把捉するように努めなければならない。」61P
[二]
(問題設定)「言語的記号の機能的相関者、所記signifiéとしての「意味」は、前項で示唆した通り、構造的成体をなしている。ここでは「叙示」機能の相関者、すなわち「指示」と「述定」の二契機について、それが何であるか、意味の存在性格を討究し、かの三項図式が維持されがたい所以のものを明らかにしておこう。」61P
 一
「叙示される対象的事態としての「所記」は、しばしば、客観的に実在する事実そのものであるかのように見做されている。しかし、フィクションの場合などを持出すまでもなく、このような俗見は維持されがたい。――尤も、われわれは“客観的に実在する”とはそもそも何の謂いであるか、を問い直したうえで、別の次元においてこの“俗見”を回復する者であるが、さしあたり言語学的・常識的な次元で論じておこう――。例えば「火災が発生しやがて消失した」という場合など、対象的事態は変化するにもかかわらず、表現された意味内容は不変なままであって、“対象的事実”の変易から独立である。一般に実在(「レアール」のルビ)的な対象的事実は生成流転の相のもとにあるが、一たん叙示された文章の意味内容は、対象の変易とは無関係に普遍のままである。この事実に鑑みれば、或る学派の哲学者や言語学者が指摘する通り、叙示される意味内容は、そもそも“客観的に実在する事実そのもの”でないこと、両者は存在の性格と次元を異にすることが承認されねばならない。」61-2P
「それでは、叙示される対象的事態というのは、表現者の意識に映じた限りでの対象的事態(対象的事態の心像)なのであろうか? このように考えるとき、フィクションの問題etc.も解決するかに思える。しかしながら、謂うところの“意識に映じた対象的事態”なるものを、表象・心像のかたちで、いわゆる意識内容、意識の実的な成素reeler Gehaltとして思念するならば、これまた維持されがたい。・・・・・・このゆえに“意味とは言語的記号と連想的に結合される観念(表象・心像)である”という通俗の意味観は妥当しえない。さらに推していえば、表象されている限りでの事態、その心像は不断に変易するが、それにもかかわらず叙示される意味内容は安定的不易的であるという事実に鑑みるとき、「表象されている限りでの対象的事態」を以って「意味」と等値することはできない。」62P
「これを要するに、叙示される「意味」としての対象的事態、この所記は、realitas(実在) ――それが物的Physischesとされるにせよ心的Psychischesとされるにせよ――と存在の次元を異にする。」62P
 二
「このように截断するとき、次のように反問されるかもしれない。叙示される対象的事態が実的(「レール」のルビ)には表象のかたちでさえ与えられないとすれば、対象的事態の「指示」はおこなわれないと云うべきでないのか? 翻って云えば、火事だ! という発話において眼前の実在的な事実が指示されるのではなかったか? この場合でさえ、指示(そして叙示)されているのはrealitas als solches(そのものとしての実在)ではないというのか? もしそうだとすれば、眼前に与えられている火事という「客観的実在」、このrealitasは一体どのように位置づけられるのか?/これら一連の問題に答えるためにも、「指示」される対象についてしかじかso und soと述定される当の「しかじか」Bestimmtheit(明確さ)――「述定的意味」とでも呼ぶべきものに関して、検討してみなければならない。」62-3P
「述定されるdas So-seinは、前章において概述しておいた通り、realitasとは端的に区別さるべき独特の存在性格もっている。両者の「存在性格」Seinscharakterを対比しておけば、」/@「感性的に経験される対象的実在や表象、つまりrealitasは特個的であるが、述定される意味は普遍的である。・・・・・・樹木という言葉によって述定される意味は、多数の特個的な外延群denotations、この松、この桜、梅、杉、etc.が、よってもって斉しくそれであるところの内包connotationたるetwasとして普遍性を有する。」/A「述定される意味は、realitasが或る特定の規定性を具えているのに、ひきかえ、いわゆる函数的性格をもっている。・・・・・・謂うなれば、その都度、特定の値によって代入されることができる。この点において、函数、例えばy=aχ+bがさまざまな数値によって代入されることができ、それに応じて自ら指示する数値を異にしつつもy=aχ+bという或る規定された関数関係を述定される意味するのと類比的である。けだし、述定される「意味」が函数的性格をもつという所以である。/B「述定される意味は、叙示される意味に関連して上述した通り、realitasが生成流転の相にあるのにひきかえ、自己同一的・不易的である。・・・・・・述定される意味は、あくまで、自己同一性を保持しつつ一貫して存続する。この意味において、それは“超時間的”存在性格を有する。/C「述定される「意味」は、その成立の起源からいえば、またそれが意識にもたらされる経緯からいえば、明らかに経験的・後天的に形成されるものであるが、それにもかかわらず、経験的認識において論理的プリオリテートを有し、このかぎりでいわゆる論理的アプリオリein logisches Aprioriである。」63-4P
「述定される「意味」は、それ自体を純粋に取り出して考察しようとするとき、このように、(イ)非特個的普遍性、 (ロ)函数的補完的性格、 (ハ) 超時間的不易性、(ニ)経験的認識にたいするプリオリテートを有するというように、realitasとは異った性格を呈する。この限りで、「意味」は、哲学者たちが言葉に窮して「超時間的」「非実在的(「イレアール」のルビ)」「理念的(「イデアール」のルビ)」と呼ぶ特異な存在性格をもつことを一応――あくまで一応――認めなければならない。」65-6P
 三
「われわれが右に“承認”した限りでは、「意味」は一見“形而上学的な存在”であるかのようにみえる。伝統的な形而上学といえども決して空想の楼閣を築いたのではなく、いわゆる「形而上学的世界」が立てられたのは、或る論理的な脈絡に即していえば、まさしく「意味存在」の問題性に促されたものと云うこともできる。われわれが今日みずからに課すべきことは、形而上学を単に非難・攻撃して放逐することではなく――近代科学主義に裏口から入り込んでいる悪しき形而上学を想え!――当の形而上学的思念が成立する存在論的・認識論的な構造そのものに遡って分析することである。この作業は、「意味」が形而上学的な存在であるかのように仮現する所以のものを問い返すことによって好便に着手することができる。」66P
「一般には、同一の語彙で表わされる対象(ないし観念)群は、わけても“概念語”の場合、同一の性質をもつと思念されている。この一対一的な対応性は、しかも、単なる並列現象ではなく、同一の性質をもつ(原因)が故に同一の語彙で表現される(結果)という因果的な関係で考えられている。しかしながら、実際には、むしろ逆ではないであろうか? 共同主観的に同一の語彙で呼ばれること(原因)から、同一の性格をもつ筈だという思念(「マイヌング」のルビ)(結果)が生じているのではないのか?」66P・・・因果論的発想自体の問題性? 続く文「或る幼児心理学の実証的研究(註;「ヴィゴツキー『思考と言語』柴田義松氏訳上巻二〇三頁。」)によれば、幼児における名辞の使用は、固有名詞と普通名詞との中間的形態――「いうなれば『姓名』のごときもの」になっている。」(66-7P)と後の切り抜きも参照
「一般論として、姓名語と概念語とか本質的に異なった性格をもつとすれば、概念語は所与の外延群がまさしく「それであって」「それでないものではない」所以の規定性を表現することにおいてであろう。しかるに、厳密に考えるとき、われわれはそのような概念語を実際にはもっていない。百歩を譲っても、いわゆる“概念語”の圧倒的大部分は、そのような厳密な意味での概念語ではなく、「姓名語」と大同小異であると云わねばなるまい。」67P
「しかるに人びとは、語彙が厳密な概念語であるかのように想定し、同一の語彙で呼ばれる外延群には――よしんば“語彙にはそれが明晰に認識されていないにせよ” ――何らかの本質必然的な共通規定があるはずだと信じ込む。」67P
「われわれとしては、同一の語彙が述定的に表現する或る同一なものetwas Identisch-Seiendesはそもそも実在しないと論決する。/それでは「意味」なるものは単なる空無nichtsだというのであるか? 否である。われわれは、「意味の同一性」が思念(「マイネン」のルビ)された同一性にすぎないこと、それは決して個々の主観と客観との間の直接的な関係において存立するものではないこと、これを指摘するとはいえ、“同一の語彙で呼ばれるものは同一の性質をもつ筈だ”という信憑と、このbeliefの基礎にある共同主観性に、われわれは積極的に留意する。」68P・・・言語における懐疑論批判
「単なる一個人が一群の対象を勝手に同じ名で呼んでみたところで当のbeliefは生じない。ところが、われわれの言語活動においては、或る対象を何と呼ぶかは原理的には何らの必然性をもたないにせよ、ともかく諸個人の間で共同主観的(intersubjektiv=間主観的)に一致している。精確にいえば、子供時代から不断に矯正されることを通じて一致するようになっている。・・・・・・けだし、(a)「個人的なものは主観的である」という命題が変換されて、「個人的でないものは客観的である」とされ、これが(b)「客観的なもの」は共同主観的であるという“経験”に相俟つことによって、「共同主観的なものは客観的である」というシェーマがいつの間にか成立しているため――この認識根拠=存在根拠のシェーマにもとづいて、人びとが斉しく同一の語で表現するという共同主観性から「そこには同一な或る客観的なものが存在する筈だ」と思念されるに至るのであろう。(そしてこのdas Identische(同一)のもつ“存在性格”とアブリオリテートから、本質直感Wesensschauなどという特別な直感によってそれが知られるというような理説をすら生ずる。)」68-9P
「イデアールな存在性格を有する「意味なるもの」が自体的に存在する思念、よってもって「意味」を宛かも形而上学的実在であるかのように仮現せしめる所以のものは如上の顛倒にもとづく。/とはいえ、しかし、「意味」はあながちに空無なnichtsなのではない。なるほど、幾何学的図形や数の体系、純粋数学の対象そのものがどこにも存在しないという廉でnichtsだといわるべきであれば、「意味」もまたnichtsといわるべきであろう。けだし、純粋数学の対象は、普遍性や不易性をそなえるideal=irrealな対象性として、まさしく「意味」と存在性格を同じうするからである。しかし、「意味」や「純粋数学の対象」は、思念vermeinenされた“存在”たるにすぎないとはいえ、このVermeinungは共同主観的な思念であり、前章で論じておいたように、この共同主観的Vermeinungを現に抱いているか否かに応じて意識事態が根本的に変様することは否めない。しかもこの思念の志向的対象はrealitasとしてはnichtsであっても、Vermeinenそのものはnichtsならざるrealitasである。/このかぎりにおいて、われわれは如上の共同主観的思念の対象たる「意味」を自存的な対象的実在だと誤想する“物神崇拝”Fetischismusを戒めつつ――この物象化の秘密については後述――いわば虚焦点focus imaginariusとしてそれを概念化することを許される筈である。かかる留保条件のもとで、かつはそのもとにおいてのみ、われわれは、先に仮説しておいた通り「意味」を単なるnichtsとしてではなく、しかも形而上学的実在ならざるイデアールな形象(「ゲビルデ」のルビ)、ein idealer Bestand(存在)として処遇することができる。」69P
[三]
(問題設定)「われわれは、いまや「叙示」における意味の構造的聯関を論じ、旧来の意味論の幾つかのアポリアを解き、先に提出しておいた一連の問題にも答えることができる。それはさしあたり「指示」される対象と「述定」との二肢的構造に関係する。」70P
「「指示」される対象はso und soの規定性(内包)をもつものとして「述定」されることによって、――いわば“角材”が「ゲバ棒」になるように――もはや点なるそのものals solchesではなく、述定される内包規定を担うかぎりでの対象性として相在so-seinする。換言すれば、対象的与件それ自体としてはrealitasであっても、述定によってirreal=idealな「述定の意味」を担うものとしても、もはや単なるrealitas als solchesではなくなっている。この限りにおいて、眼前の火事のごときであっても、叙示される対象的事態としては単なるrealitasではなく、etwas Mehrになっており、このゆえに眼前の対象的事物は生成流転しても、一たん叙示された対象的「意味」は不易の自己同一性を保ちうるのである。」70P
「「述定」がおこなわれるということは、視角をかえて言い直せば、「指示」される対象を外延の一つとして包摂的に措定することにほかならない。述定そのことによって、対象als solchesならざる外延の一つが措定される。この際、しかし、指示される外延はイデアールな「述定の意味」を担うかぎりでの対象性として相在so-seinし、そのことにおいていうなればイデアールな規定性を懐胎prägnierenし、そこにおいて「意味」が「肉化」する「場」として定在da-seinするにいたる。・・・・・・述定は、いうなれば、しかじかの性質をもつ「χ」というかたちで対象を間接的に指示する。(この機制にもとづいて、例えば「イェナの勝利者で、ワーテルローの敗北者で、セント・ヘレナに流された男」というように、いわば連立方程式の解として対象が与えられる場合もある。)そしてこの「χ」が、具体的形象としては未定的であるにせよ、ともあれein Exemplar(範例)を間接的に指示しうる限り、それが実際に具体的数値で充当されるかどうか、つまり眼前の個物ないしはその表象というかたちで実的に与えられるかどうかということは、表現の構造にとっては偶有的になる。(よってもって、フィクションの表現や「二角形」「円形の四角」というたぐいの所謂Unsein(無意味・存在矛盾)の表現・理解が可能となる所以である。)」71P
「さらにいえば、右に指摘した「述定」と指示対象の直接的具体性との乖離のメカニズムによって、言語形象(音声や文字)そのものが端的に「肉化の場」なりうる。・・・・・要言すれば、言語形象そのものが、いうなれば、“外延”的に機能し、いわばそこにおいて“本質直感”のおこなわれる実的与件として機能しうるのである。」72P
「われわれは、このように「述定」のもつレアール・イレアールな意味論的構造にもとづいて、言語現象における幾つかの“アポリア”を解消することができ、さらには――次節でみる通り――伝達論に光を投ずることができる。」72P
(小さなポイントで)「文章は一般に、かくのごとき述定と指示の多重的構造を次々に措定することができる。判断の主語―述語構造に関する議論を先取りしていえば、述語が重層的に主語に繰り込まれていく弁証法的展開の論理も、[別著『マルクス主義の成立過程』二二七頁以下参照]同じく当の機制にもとづいている。」73P・・・「入れ子型」構造
「「叙示」の対象化、精密にいえば「叙示される事態」のObjektivation(客体化)によって生じる高次の対象、すなわちマイノングの用語でいえばObjekt(客体)との区別におけるObjektiv(「高次対象」・メタ修辞群)は、それ自体をとりだして存在性格を問うとき、――「述定されるイデアールな意味」の「肉化」について上述したところから明らかな通り、またObjektivが本源的に函数的・補完的性格をもつことに留意を需めれば足るであろう通り――irreal=idealな存在性格を呈する。しかもこの「高次対象」は、われわれが前章第三節で論じておいた意味での「質料・形式」的成体である。」73P
「われわれは、以上、「叙示」は、畢竟するに、「述定」を通じて「指示」される対象をirrealな内包的意味の肉化する一範例としての媒介的に指示するという仕方で――しかもしばしば言語形象そのものを意味成体の「肉化すべき場」たらしめ、かつは、叙示される事態そのものを高次の指示対象たらしめつつ、言語的記号そのものを核とする重層的な――real-irrealな存在性格をもった二肢的構造成体を措定することを論考してきた。この機制によって、世界の共同主観的な“意味懐胎”がおこなわれるわけであるが、・・・・・・」73P
 第三節 言語的交通の存立構造
「言語について考察する場合、われわれはとかく「言語なるもの」を実体化しがちであり、日本語の歴史、日本語における音韻の変遷とか、活用形の変遷とかいう場合など、宛かも「日本語」なるものがあって、それが自然史的な変化を遂げるかのように表象してしまう。しかしながら、あらためて言い立てるまでもなく、当該の言語交通の主体とその営みを離れて「言語」なるものが自存するわけではない。テープや紙に記録された音声言語や文字形象のごときエルゴン(作品)は、それが生きた言語的交通の契機として機能しないかぎり、単なる雑音や汚斑にすぎず、レアールな観点からいえば、言語は、発話的に表現され聴取的に理解されるたびごとにその都度、生産(再生産)されるといわねばならない。しかも、表現者と理解者との“共犯行為”が成立するかぎりでのみ、その場面でのみ、言語ははじめて真に実在する。」74P・・・手話という言語のことが落ちています。
「それにもかかわらず、言語は、社会的形象が一般にそうであるように、われわれの即自的な意識には、物象化されたversachlicht相で現われる。そのかぎりで、われわれは物象化した相での言語分析を一概に否むものではないが、――そして現に、前節においてわれわれ自身、物象化された相での意味の存立を論考したのであったが、――いまや「言語的交通」という主体的活動を視界に収め、言語的世界における主体的契機と対象的契機との構造的聯関の分析を介して、“物象化の秘密”をも対自化しなければならない。」74-5P
[一]
(この項の要点)「言語的表現における能記signifantと所記signifiéとの関係は、「喚起」はもとよりのこと、「指示」「述定」「表出」の機能においても、本源的に聴取的理解者Vernehmerとの“共犯的”協働行為として成立する。」75P
「能記と所記とのこの“結合”関係については、今日でも「連想(連合)」associationということで安直にかたづけられてしまう議論がみられる。・・・・・・記号と意味との“結合”関係は連想ということでは尽くせない。さりとて、能記と所記との結合は、人頭と魚体を結合して“人魚”の表象を形成するたぐいの結合でもないのであって、統覚的結合説もその種差を明示的に限定しないかぎり、そのまま採ることはできない。」75P
「われわれの考えでは、能記―所記関係にかぎらず、一般に意識現象は、レアールな“心理的成素”に換言しようとしても到底説明しくせない。・・・・・・能記と所記との初発的結合に対応するのは、条件づけの過程そのものなのであって、条件づけられた反射ではないように思われる。しかるに条件反射論では条件づけそのことを意識的過程との対応性に関して原理的に問題を残す以上、われわれは条件反射理論そのものを以って立論の論理的基礎とすることはできない。」75-6P
「能記―所記関係が、その生理学的基礎において、条件反射の可能性の制約をなすところの「条件づけ」に照応するとすれば、それが意識的過程においても根源的な現象urspüngliche Vorgängeの一斑をなすであろうことは想像にかたくない。実際、われわれの考えでは、第一節で先取的に立言しておいた通り、それはフェノメノン一般が単なる与件以上(以外)の或るものとして現われるという根源的な事実の一斑なのである。従って、ここでの課題は、その種差を明らかにしつつ、その具体相を確定することに懸る。/まず「指示」機能における能記―所記関係、つまり、伝達者が、それについて「述定」する対象を聴取者に指示する機能的関係であるが、言語的記号がこの機能を演ずる場合には――指(「ゆび」のルビ)さす場合などとは異り、たとえ指示代名詞などの場合であっても――必ずその語句のもつ述定的機能に媒介されている。(それは、前節にいうかの「χ」ないしは「ƒ(χ)」としての間接的指示を可能ならしめる当の機能にもほかならない。当の発話が或る者へ肉眼を向けさせる機縁となり、よってもって、直接的指示の機能を遂行する結果になるかどうかということは、原理的には偶有的である。)それゆえ、われわれにとって差当って問題になるのは、「述定」における能記―所記関係である。」76P・・・「能記―所記」は「能記―所識」ではないでしょうか?――文庫版熊野純彦解説での指摘
「こうして「述定」機能(als etwas Anderes setzen)を介して間接的な指示を含む「叙示」機能が、表現者と理解者との“共犯”的作業として実現するわけであるが、「表出」ならびに「喚起」における能記―所記関係が問題として残されている。しかし、実をいえば、「喚起」に関して直接的な「能記―所記」関係を問うことは失当である。なるほど、反射運動の喚起のごときは、多分に物象化された“刺戟―反応”関係として処理されうるかもしれない。ある種の学派は、そこで、“要素主義的”“機械論的”な発想から、喚起的反応の一切を単純な条件反射に還元して説明しようとする。しかしながら、現実の言語的交通に即するかぎり、低次の例外的なケースを別とすれば記号=刺激物によって直接的な「喚起」がおこなわれるわけでなく、たとえそれが複雑な条件反射に基くにせよ、「喚起」機能が完現するのは「叙示された事態」の理解をまったうえで、聴取者の“意思行為”としてである。このゆえに、能記は、それが「叙示された事態の伝達」を媒介し、そのことによって“意思行為”の機縁をなすとはいえ、「喚起」の機能に関して物象化された“能記―所記”関係を問うことは殆んど無意味であり、Pseudoproblem(偽りの問題)だといわねばならない。/「能記―所記」関係を物象化された相で論じても殆んど無意味だという点では、「表出」機能についても同断である。しかし、「表出」の伝達機能については、別の視角から分析しておく必要がある。項をあらためてこれを討究することにしよう。」77P

[二]
(この項の要点)「われわれのいう「表出」は、前節の頭初で規定しておいた通り、単なる悲鳴のごとき直接的な“表出”ではなく、指示と述定の二肢的成体を「入れ子型」に包むものであり、この「叙示されている事態」に関する表現者の措定意識(心態)を伝達する機能にかかわる。ここでは、この「表出」的伝達の意味論的構造を分析し、「言語的主体」の形成構造を討究しておきたい。」78P
 一
「「叙示されている事態」に関する措定意識この入れ子型の全体が、発話者の意識事態として、聴取者の意識において、発話者に「帰属」せしめられること(物象化)、この「融即」Purticipationが「表出的意味の伝達」の内実をなす。」78P
「「言語主体」の形成も、やはり、この意識の「自己分裂的自己統一」の可能的構造とレヴィ・ブリュールがいう意味でのloi de participation(分有の法則)にもとづく。が、この問題にふれる前に、先決問題を処理しておかねばならない。」79P
 二
「われわれは、右の議論においては、「叙示される意味」の内的構造について不問に付してきた。しかし、わが邦でも服部四郎教授などが強調されるように、例えば「これはよい杖だ」という発話の意味を十全に理解するためには、「叙示されている事態」のパロル的内実が了解されなければならない。」79P
「ここにおいて問題なのは、第一に、当の発話がいかなる「指示機能」を演じているか、「指示対象」になっているものを具体的に指定することである。この種のケースでは、指示対象の明晰な把捉に成功しなければ伝達が完現しない。第二に「述定」の機能、「述定的意味」に関しても、いかなる規定性にアクセントがおかれているか、そのニュアンスを限定した了解が要求される。」80P
(小さなポイントで)「後論への伏線として「超文法的主辞・賓辞論」と関係づけて一言しておこう。われわれは、まだ、新しい品詞分類の基準や新しい構文論ないし統辞論にふれていないので、ここでは消極的な表現にとどめねばならないのであるが、「判断」の意味構造からみて真の主概念(主語) をなすものは、――伝統的な文法学でのいかなる語句にそれが対応するかを問わず――われわれの謂う「述定的意味」である。前者を後者として措定した「叙示されている事態」、前章で論じた「質料・形式」構造と関係づけていえば、指示対象を質料として述定的意味を形式とする「質料・形式」成体(の一種)、これが「叙示」される「判断的意味成体」である。」80P
「この「超文法的」主語・述語構造に即していえば、真の主語が、必要とされる具体性をもってレアールに規定されること、そしてかつ、真の述語が判明であること、よってもって、「叙示されている事態」が明晰判明であること、これが十全な伝達にとって必要条件をなす。」80P
「この「叙示されている事態」の明晰判断性が保証されるためには、時枝言語学にいう「場面」の共有を要するが、「場面の共有」ということ自体、歴史的・社会的な共同主観性によって可能となるものであって、単なる物理的な「場所」の共有ではないことに留意しなければならない。」80P
「しかも、一般には、「指示対象」の限定といえども、言語(「ラング」のルビ)表現を通じておこなわれるのであり、前節にいう“連立方程式の解”として指示対象を限定するメカニズムに負う。「述定的意味」のニュアンスの限定についても――これは、幾つかの「述定詞」の相乗的相殺的な意味機能によるものであって、より複雑な媒介関係にまつとはいえ――基本的にはやはりラング的表現そのものを通じておこなわれる。」81P
「かくして、われわれは、パロル的意味交通の可能性の制約として、かえって、“既成の”ラング体系の存在に逢着する。けだし、パロル的意味限定は、ラング外的な要素を外的に持込むことによってではなく、一般には、まさしくラング的意味機能の綜合synthèse sui generisによって与えられるのか常態だからである。」81P
 三
「叙示される意味」の伝達は、結局のところ、指示対象(超文法的主語)を「述定的意味」(超文法的述語)としてals etwas Anderes haltenするところの“意識作用”が、表現者と理解者とのあいだで共同主観化することにほかならず、この「判断的意味成体」を入れ子型に包む措定意識の融即・分有participationが、聴取者における意識の「自己分裂的自己統一」にもとづくことは、上述の通りである。いまや、言語主体における意識の二肢的構造性に即して、ラングとその主体の問題を一瞥しておかねばならない。」81P
「現実の言語的交通においては、発話者が“第三者”の主張を祖述する場合など、当の「叙示される事態」が、聴取者、発話者、“第三者”に三重に帰属するというように、実際には極めて複雑な入れ子型構造を呈する。ここでは、しかし、事柄を単純化して、二重帰属に即して論ずることにしたい。」81P
「任意の「叙示される意味成体」は、特定の発話者に帰属するものとして(つまり○○氏が「――」と云うというかたちで)意識されうるが、この発話者○○という項は、いわば任意の個人という“数値”で代入されることができる。この即自的経験の集積によって、――おそらく、心理学にいう「変様表象」成立のメカニズムにまつものと思われるが――ロッチェのいう意味での「補完」Ersatzを生じ、「叙示される意味成体」とそれの帰属者(発話者)という二項的な「入れ子型」構造成体が、いよいよ函数的性格にidealisieren(理念化)される。」81-2P
「その結果、一方では、発話者の項が、個人的人格性を稀薄にし、不定人称化される。と同時に、他方では、「叙示される意味成体」が、特定人称者への帰属関係を絶たれるというまさにそのことによって、帰属者(人間)から切り離されて自存化される傾動を生ずる。この過程は、記号的側面を射程に収めていえば、「叙示される意味成体」の「肉化するレアールな場」が、専ら言語記号に収縮される過程にも照応する。ということは、また、視点をかえていえば、具体的・個別的な発話者に帰属した時点では発話者それぞれの個性的特徴を帯びていたところの言語記号形象が、個性的な特徴を即自的に捨象されていき、やがては記号そのものもイデアリジーレンされることに即応する。/こうして、一方の極には、イデアリジーレンされた言語記号とそれをもっぱら“肉化の場”とする意味成体、つまり、抽象的に一般化された“記号と意味”の“結合体”がいわば自存的なものとして表象されるようになる。(いわゆる概念的「抽象」はこの機制による。) ないしは、この“記号・意味”成体の帰属者として、イデアリジーレンされた抽象一般的な“言語主体”が即自的に定立される。この「言語主体一般」とでも呼ばるべきもの、つまり、それ自体としては男でも女でも、老人でも子供でもなく、それでいて、当該の“言語”活動を営むすべてがそれとしてgelten(存立)しうるところの或る者jemand、これが他方の極に措定される。/前者、すなわち、具体的人称的な主体から自立化され“言語主体一般”との相関におかれた“記号+意味”の体系が、物象化されて表象される「言語(「ラング」のルビ)」にほかならず、いうところのイデアリジーレンされた「主体」が、一部の言語学者がconscience collective(ソシュール)、das Ich(ビューラー)、「主体一般」(時枝)、ideal speaker-listener(チョムスキー)などという仕方で対自化したものにほかならない。」82P・・・「conscience collective」は集合意識・自覚意識の集合体? 元々デュルケーム?
「ところで、以上の行論においては「言語主体一般」ともいうべきイデアールなjemandをいわば対象化された相で論じたのであるが、現実の言語活動の主体、聴取者(彼が同時に発話者であることを妨げない)は、それ自体ではかの自己分裂的自己統一を数多くの発話者との間に不断に形成していくことを通じて、つまり、所与の事態をそれとして把捉する仕方を数多くの他者と分有・融即していくことを通じて、言語活動に媒介された対象把捉と「表現」の仕方を共同主観化(「ゲマインズブエクティヴイーレン」のルビ)していき、共同主観的(「インターズブエクティーツ」のルビ)に、自らも「言語主体一般」としてgültig(有効)に自己形成をとげる。」83P
「このことによって、具体的現実的な言語活動の主体たる人称的諸個人は、各々、単なる一私人ではなく、当該言語体系の「ラング主体」ともいうべきイデアールな主体としてgeltendな二肢的二重性格をもった主体になっている。」83P
「言語的交通が“実現”しうるのは、ラングの体系とラング主体としてgültigな主体の共同主観的形成、まさしくこの歴史的・社会的に実現された“事実”にまつものであり、複雑なニュアンスと様相をもった「表出」の了解が可能となるのも、われわれが対自化してきたごとき二重の二肢構造――すなわち、われわれが前節以来の行論を通じて措定したごとき都合四肢的な構造聯関によってである。」83P
[三]
(この項の要点)「ラングの体系が物象化されて表象されることには、前項でみたように、しかるべき発生論的な根拠を認めうる。人びとは、幼児期以来、自己の言語活動(「ランガージュ」のルビ)を“既成”のラング体系に適合せしめるよう、自己の必要からというよりむしろ「集団的命令」impératifs collectifs(シャルル・ブロンデル)の圧力によって強制される。その結果、ラングは、単に“外的な拘束力”として押し迫るだけでなく、一種の規範的な権威をすら帯びるようになる。それと同時に、しかし、ラングの体系は、諸個人からも、また、共同主観的な“現実の世界”から抽き離され、一種の道具的手段とみなされるようになる。83-4P
「ここにおいて、言語的交通とは、諸個人が、対象的世界について没言語的に(ないしは言語以前的に)考えた“意識内容”を、言語記号という“道具的手段”を用いて(たとえ、それが心的なentity(存在)とされるにせよ)交信することだという二重に顚倒した表象が生ずる。古代以来の自然(ピュセイ)説と人為(ノモイ)説との相対立する言語観は、この二重に顚倒した表象を前提するかぎりでのみ、かつその場合は必然的に生じるところのWechselspiel(ゆらぎ)である。」84P
「われわれが“事象そのものに就いて”分析してきたところによれば、しかし、われわれに如実に拓けるフェノメナルな世界は、殆んどもっぱら“情報化された世界”であり、――言語的に媒介された“記憶的世界の汎通的な浸透”は措くとしても――前章第一節を援用していえば、謂わゆる“なまの”知覚的世界ですら記号(象徴)化しており、しかも、言語的交通の媒介によって共同主観的に意味づけられてゲシュタルト的に分節化している。」84P
「“近代的世界了解”の先入観をしりぞけ、かつは物象化された言語観をしりぞけて如実の相を直視するとき、われわれにとっての世界Welt für uns、この意味でのフェノメナルな世界は、エネルゲイア(energeir アリストテレス 現実態)としての言語的活動を離れては現前しない。われわれが基底的なWeltschematismus(世界図式論)として定立するレアール・イデアールな二重の二肢からなる四肢的構造聯関は、その現実態においては、言語(活動)を構成的契機としている。」84P
「われわれは本章を通じて近代的世界観に照応する「世界―表象―記号」の三項図式と意味論的な視角から批判的に対質し、イデアール・レアールな四肢的構造聯関を反定立的に追認してきた。そのことによって、またφύσει説とνόμψ説との双方にたいして、即自的な批判を対置してきた。われわれにとっては、或る意味では――つまり、マルクス・エンゲルスの「歴史化された自然」「自然化された歴史」という思想に吻合する意味で――ピュシスがノモスであり、ノモスがピュシスであると云うことができる。」84-5P
「本章での議論は、しかし、「言語」そのものを、まだ歴史的・社会的な形象として具体的に定立しておらず、従ってまた、言語活動を歴史的・社会的な「対象的活動」の契機としては措定しえていない。この限界性のゆえに、われわれは、言語観ならびに世界観の更新を需めたとはいえ、まだ「言語的世界」の存立構造の図式を抽象的な形で対自化したにとどまる。85P
「「世界」の共同主観的存在構造の具体相をトータルに把えかえすためには――それはまたピュシスとノモスとの二元性の地平を端的に超脱する所以ともなる筈であるが――単に「記号―意味―世界」の三項的関係に関する“近代的世界観”にもとづく“了解の構え”をその認識論的な構図に即し排却し、別個の存在論的=認識論的な構図を対置するという域を超えて、マルクス・エンゲルスに倣いつつ、歴史・内・存在の「実践」に視座を据え、歴史的世界の協働的存立構造を具体的に究明しなければならない。言語的形象の「物象化」の秘密、ならびにまた、「意識」とその主体の共同主観的な自己形成の現実的過程も、そこにおいてのみ、社会的形象一般との聯関において、真の解明を期しうるであろう。これが、すなわち、われわれの次の論題となる。」85P


posted by たわし at 02:54| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月16日

山口定『ファシズム』

たわしの読書メモ・・ブログ610
・山口定『ファシズム』岩波書店(岩波現代文庫)2006
 この本は1979年有斐閣から出された単行本の文庫本化で、最初に出していたものに、その後の理論的進捗情況を押さえて補説を書き加えて出しています。
最初に目次をあげておきます。
    目 次
新版への序言
旧版―の序言
T ファシズムとは何か
1 世界現代史のなかのファシズム
2 ファシズム概念の明確化のために
3 比較ファシズム体制論の枠組のために
U 運動としてのファシズム
1 「前ファシズム」運動の諸類型
2 真性ファシズムの大衆運動
3 ファシズムの「指導者」たち
4 ファシズムの社会的基盤
5 党組織の特質と疑似革命性
V 思想としてのファシズム
1 その端緒的形態と特質
2 共同体思想の急進化
3 「ナショナリズム」と「社会主義」の結合
4 ファシズムのエリート主義と社会ダーウィン主義
5 ファシスト帝国主義
W 体制としてのファシズム
1 ファシズム体制の成立
2 権威主義的反動と疑似革命
3 執行権の独裁
4 テロの制度化
5 動員の制度化
6 ファシズムと戦争
X ファシズムの歴史的位置
1 資本主義とファシズム
2 全体主義理論と近代化論
3 反ファシズムの意味と可能性
補説 新たな時代転換とファシズム研究
「ファシズム」研究関連文献一覧
「岩波現代文庫版」あとがき
ファシズム関係年表
人名索引
事項索引

わたしはこの間パッチワーク的なファシズム理論学習をやってきたのですが、この本には後ろに厖大な文献表があり、本文の中でもいろいろなファシズムに関する議論が紹介されています。ひさしぶりにいろんなことを吸収できたと充実感を得ると同時に、その厖大な資料を前に、とてもこの課題でこれ以上学習を進める時間はないとため息をつくばかりです。わたしがファシズム論にそれなりに取り組んできたのは、現在の政治情況の中で、「ファシズムの芽」なり、「ファシズム的なこと」が隆起してきているのに、そのことの指摘が政治家たちからなされていないという現実があります。政治家たちにファシズム理論がないのです。そこで、ファシズム的な芽をもっている団体をきちんと批判できないで、リベラルということから転回してそのファシズム的団体と共闘関係を築こうとしているとか、何か政権与党やファシズムの芽的な団体を批判しているのだけど、どうもその団体自身がファシズム的なところに転落していく恐れを感じさせるとかいうことさえあります。
 すくなくとも最低限のファシズム論をおさえないといけないと学習をしてきたのです。
 さて、この本を読んで充実感をえたというようなことを書いたのですが、それは目次を見てもらえばあきらかなように「運動としてのファシズム」「思想としてのファシズム」「体制としてのファシズム」とかいう大きな押さえをしつつ、いろんな観点からの分析をなして行っていることがあり、没落していく中間層や隆起してくる中間層が引っ張るとか、その中身について展開していること(U4)。「心情的」という規定(134P・・・それは往々にして差別としての心情としての差別主義的ポピュリズムというファシズムの特質として表れてきます)。「ファシズムとしての思想はあっても、思想としてのファシズムはない」(145P)という規定。ナチの能動的ニヒリズム(195P)。後発の帝国主義の「生存権思想」(198P)などなど、ファシズムをいろんな観点から押さえています。
情報的に吸収することが多かったのですが、必ずしも全面的に共鳴的に読んだのではありません。いつもは、かなり細かい読書メモをとろうとするのですが、今回はこの本に対する異論的なことを軸にしてメモを残します。後で、自らこれまで書いて来たわたし自身のファシズム論と付き合わせて、「ファシズム論再考」を書く時にもう一度、この本のとらえ返しをしようと思っています。
まず第一に、全体主義ということとファシズムの関係があります。
わたし自身もすっきりしていないと感じていたことです。アーレントは、「全体主義」ということで、ドイツナチズムを軸にしたファシズムとスターリン主義下の「社会主義体制」を包括したのですが、この本の著者は、どうもそのことに批判的なようです。ナチスドイツが反共産主義ということをひとつの軸にしていることがあったからです。しかし、この本の著者はいろんな形のファシズムをとらえ返しています。それを読んでいくと、ファシズムの中の一つとしてスターリン主義体制をとらえられるのではないかと思えるのです。はっきりそうは書いていないのは、スターリン主義体制を「社会主義体制」と押さえているところから来ています。わたしはスターリン主義体制は国家資本主義で「共産主義の初期段階としての社会主義」という意味での社会主義ではないと押さえています。それはナチが、「国家社会主義労働者党」と名乗っていた、その「社会主義」、すなわちそれは個人が国家=全体に奉仕するという全体主義としての「社会主義」なのです。だから、その意味では、スターリン主義体制はまさにファシズムの一体系なのです。
第二に、ボナパルティズムの問題をファシズム分析の一類型として押さえていないということです。マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』でボナパルティズム論を展開しました。「体制の移り代わりの時に、新しい支配階級の力がまだ成熟していなくて、全体主義的なイデオロギーで統合を図る強権勢力がうまれること」という内容(わたしの押さえ)で展開しています。著者もボナパルティズムについて触れていますが(242P)、著者はファシズムの発生をそもそも第一次世界大戦の後に出てきたと書いています。そして、この本では、権威主義と全体主義の区別(311P )として、民主主義をくぐっているかどうか、ということを書いています。これでは、現在的にも後進国ファシズムとしてのボナパルティズム論を含みえません。そもそも権威主義ということは、天皇制ファシズムということでも表れています。 結局、この混乱というか矛盾は、「著者は冒頭に述べたように、ファシズムか、そうでないかという軸は「全体主義」か「権威主義」かという「政治社会学」的区分とは別の次元のものであると考えている。ファシズムに「全体主義」的なものと「権威主義」的なものがあって一向にかまわないのであって、著者は、ほぼその区分にあたるものを、本書では、「疑似革命主導型ファシズム体制」と「権威主義的反動主導型ファシズム体制」という概念を説明することにした。」(316P)としていることからするとボナパルティズムもファシズムの類型に含めることです。
第三に、反差別というところからのとらえ返しが希薄ということ。むしろ「私は、序言でも示唆したように、抑圧や差別があるところに片っ端から「ファシズム」のレッテルを貼ることには反対の立場だか、・・・・・・」(357P)という事さえ書いています(・・・勿論単なるレッテル貼りのようなことの批判は当然ですが)。差別の問題からファシズムをとらえ返そうとしてきたわたしの立場からすると、ナショナリズムということの「ナショナル」を「民族・国家・国民」と訳せると言うことを著者も書いていますが、ナショナリズムやウルトラ・ナショナリズムとしての、排外主義やウルトラ民族主義としてのレイシズムということから、差別主義がファシズムの核となる思想として現れるし、それはファシズム批判の核となる国家主義批判にリンクするのです。
第四に、著者は補説で、現代ファシズム論ということを展開しようとしているのですが、それは「近代化論」をどうとらえるのか、資本主義が「帝国主義論」を経て、グロバリーゼーションとして展開しているとき、新しい形でのネオリベとして顕れてきていることのファシズム的な中身を押さえる必要性が出て来ています。そもそも「近代化」ということもそのようなところから押さえる必要性も出て来ているのです。
途中で書いているように、改めてファシズム論の整理をしてみたいと思っています。



posted by たわし at 16:48| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スターリン『レーニン主義の基礎』

たわしの読書メモ・・ブログ609
・スターリン『レーニン主義の基礎』彰考書院1946
 この本はレーニン死後あまり日がたたない1924年5月初旬スヴェルトドロフ大学での講演録です。おそらく大方のひとたちは、本を読むとき、まっさらなところから読み始めるのではなく、共鳴しそうな本、あまり予断をもたないところから読み始める本、そして、むしろ否定的批判のために読むという必要にかられて読み始める本、というようなところから始めるのではないかと思います。この本は、わたしにとって、三つ目の類の本です。
 今、一般的にスターリンの評価は少なくとも否定的批判的な論調になっていますが、スターリンへの批判は性格問題に収束したり、大情況下の規定性や時代拘束性という議論になったりもしています。一方で、ロシア革命の評価も含めて、レーニンの思想・理論からスターリンが何を引き継ぎ、何を引き継がなかったのか、何が独自の思想なのか、ということを見極める必要があるという議論も起きています。わたしもそのような問題意識をもってこの本を読み始めました。
そして、わたしのこのメモは、文献学的研究という類のことではありません。そのようなところでは、レーニンを読み込みスターリンも読み込む必要があります。そのようなところまで踏み込む余裕はありません。わたしの問題意識は、多くのひとたちが社会変革運動の軸となっていたマルクスの流れの運動が敗北的局面の中で、「社会は変わらない」「市場経済(資本主義社会)はなくならない」として、市場経済―資本主義社会を前提にして議論を進めるとして、そこで問題の分析の掘り下げをネグレクトしてしまう傾向さえ生み出されていることへの批判です。そこで、総体的にニヒリズムに陥ってさえいます。だからこそ、過去の運動の総括の中で、どこが間違いだったのか、どこで間違えたのかをきちんと総括する中で、社会変革の可能性を指し示していく必要性が今こそ必要になっています。
最初に目次を挙げておきます。(この本は古い本で、旧字体と送り仮名がかなり使われていますが、新字体に直しています。)
   目次
序論
第一章 レーニン主義の歴史的根拠
第二章 方法
第三章 理論
   a 理論の重要性
   b 自然成長の理論の批判、または運動における前衛の役割
   c プロレタリア革命プロレタリアートの独裁の理論
第四章 プロレタリアートの独裁
   a プロレタリア革命の手段としてのプロレタリアートの独裁
   b ブルジョアジーに対するプロレタリアートの支配としてのプロレタリアートの独裁
    c プロレタリアートの独裁を具体化したる一つの国家形態としてのソヴィエト権力
 第五章 農民問題
a 問題の概説
   b ブルジョア民主主義の革命中における農民
   c プロレタリア革命中における農民
   d ソヴィエット政権確立後における農民
第六章 民族問題
a 問題の概説
   b 被圧迫民族の解放運動、およびそれとプロレタリア革命の関係
第七章 戦略と戦術
a プロレタリア階級闘争の指導の科学としての戦略および戦術
   b 革命の諸段階と戦略
   c 運動の満潮ならびに退潮と戦術
   d 戦略上の指導
e 戦術上の指導
   f 改良主義と革命主義
第八章 党
a 労働者階級の前衛としての党
   b 労働者階級の組織部隊としての党
   c プロレタリア階級組織の最高形態としての党
   d プロレタリアート独裁の手段としての党
e 党は分派を許さざる意志の統一の表示である
   f 党は日和見主義分子を排除することによって強大となる
第九章 活動の仕方

スターリン批判はその粛清においての批判は当然としても、わたしは(少なからずのひとは)、それだけでなくレーニン崇拝により、自らを権威付けるレーニンの理論のスターリン的解釈が批判されました。レーニンの著作を改ざんしたともいわれています。そういう中で、そのことによるマルクス・レーニン主義なる教条主義的固定化された「官許マルクス主義」とか「正統派マルクス主義」なることを広めました。そこで、世界の「共産主義運動」をけん引しようという流れが形成され、マルクス派の流れの運動をかなり規制して歪め、むしろ、国際共産主義運動に負の歴史を刻んでしまったとわたしは押さえています。
この読書メモを、わたしは3つのモーメントで分類してコメントを残したいと思います。現実にはひとつの論攷でかなり重なっていますし、改ざんの問題もあり、そのことの検証も必要となりますが、先に書いたようにわたしにそのような余裕はありません。アウトライン的メモです。
(1) レーニンをほぼ忠実になぞったこと
スターリンがレーンを引き継いだと称して「マルクス-レーニン主義」として定式化しようとしたこと。
「或る人々によれば、レーニン主義とは、ロシアの特殊的な条件の下にマルキシズムを適用したものにほかならぬといわれている。が、この提議は真理の一面を含むものではあるが、しかし、真理のすべてをつくしたものではない。いかにも、レーニンは、事実、ロシアの実状にマルキシズムを適用した。彼は、しかも、まったく自家のものとなし、恣に巧妙に適用した。しかしながら、もし、レーニン主義がただマルキシズムをロシアの特殊なる条件の下に適用したものにすぎず、そしてそれ以外の何物でもないとするなれば、レーニン主義は、純粋にロシアのみの、即ち全然一国内に限られたる性質のものとなる。しかるに、われわれの知れるごとく、レーニン主義は、一つの国際的なる現象である。ロシアにおけるばかりでなく、それは国際主義に根ざしている――これが右の定義が狭く一面的と考える理由である。」4P・・・現実的に「先進資本主義」と言われる国において革命は起きなかったから、この論理は成り立ちません。レーニン主義-レーニン理論の普遍性に関しては、わたしは、むしろロシアに於ける暴力的専制支配やマルクスの時代からの専制支配の時代拘束性でとらえ返すことだと考えています。しかし、その上で、なおかつ極右的なファシズム的なことが繰り返し生まれてくる暴力性もとらえ返しておかねばならないとは思うのです。
「レーニン主義とは、帝国主義およびプロレタリア革命の時代におけるマルキシズムであり、さらに正確にいえば、レーニン主義は、一般的にはプロレタリア革命の理論ならびに戦術であり、特殊的には、プロレタリア独裁の理論ならびに戦術である。」5P・・・レーニン主義のスターリン規定ですが、ここから、マルクス・レーニン主義の定式なるものを生み出しています。このことのとらえ返しがいまとわれているとわたしは押さえています。
「資本主義社会の下にあっては、労働者運動の根本問題は、プロレタリア大衆の暴力、すなわち直接行動、総同盟的罷業、または蜂起によってのみ解決されうるものであること、・・・・・・」26P・・・レーニン主義の暴力性
「第四章 プロレタリアートの独裁/b ブルジョアジーに対するプロレタリアートの支配としてのプロレタリアートの独裁」67P〜・・・ここで展開しているのはプロ独裁論で、小ブル批判もしているのですが、ロシア革命は実際は小ブルインテリゲンチャが領導した革命に収束したのです。
「(「ソヴィエット権力の主なる特徴」の一つとして)ソヴィエト権力は、階級の存続が可能な限り、あらゆる国家組織の中で、最も包括的な、最も民主主義的な組織である。事実上、ソヴィエット権力は、搾取者との闘争における労働者と被搾取農民との同盟の表現であり、協同の表現であり、従ってまたそれは人口の多数者が少数者に対し、行使する支配であり、また多数者の国家であり、同時に多数者の独裁の具体化である。」79P・・・「搾取者との闘争」という表現は当たっていない、少なくともソヴィエット独裁が成立したなら、搾取者はブルジョアジーでなく、搾取者がいるとしたら、それは国家になっているはず。差別という問題をとらえ返していたら、マイノリティ的差別から「多数者の独裁」という概念は出てこないはず。
 最初の方の展開は、レーニン主義を忠実に書こうとしているので、まさにスターリン的な「一国社会主義」建設路線ではなく、意外にもレーニンの国際主義・世界革命論的な展開を書いています。後の方で、レーニンも言っていたと称した一国社会主義革命論に収束させています。
(2) レーニンにもあったことを極端化したこと
レーニンも現実主義路線でそういうことを言ったが、かなり歪曲している可能性があること、です。
「(レーニンの主張として)従来、一国のみにおける革命の勝利は、不可能とされていた。それは、こう考えられていたからである――即ち、ブルジョアジーの克服は、ただ、あらゆる先進国の、少なくともこれらの大多数の国々の、プロレタリアートの協同によってのみ遂行されるから、と。この論駁は、しかし、もはや事実と符合しない。われわれには今日にあっては、かかる一国における勝利が可能なものとして、そこから出発しなければならぬ。」55-6P・・・レーニンは基本的に世界革命が必要という主張なのですが、これがレーニンが言った、書いたことならば、それは「レーニンの現実主義」と言われることなので、それを強調して路線にまで高め、「一国社会主義が可能」としたのは、スターリン的歪曲といえること。なぜ、可能なのか論理的には何も語っていません。
「(レーニンからの引用として)実際的な場合では、部分の利害は、全体の利害と撞着することがありうる。もしそれが撞着するときには、われわれは、部分を抛棄することが必要である。」111P・・・民族問題のレーニンの部分従属論とも言いうること。これは、そもそもレーニン主義が正しいとされる民族自決権へのローザやトロツキーが指摘していたアンチノミー的矛盾なのです。そもそもレーニン運動論――組織論の中央集権主義や差別の階級支配の道具論から出てきていること。
「しかるに、他方、小なる被圧迫国の社会主義者は、主としてわれわれの一般的公式の第二の部分を、すなわち『自発的の結合』を力説しなければならぬ。なんら、国際主義者としての彼の義務を害うことなく、彼は(周囲の事情により)自己の国民の政治的独立を説くとともに、近隣のある国への包括を推進することも可能である。しかし、いかなる場合においても、彼は、各国独立の主義、排他心、民族主義的偏見と闘争し、より広い重大なる問題を主張せねばならぬ。さらに、彼は、特殊利害を国体的利害の下に従属せしめることに賛同しなければならない。」121P・・・そもそも民族自決権と真逆なことを言っている、民族問題の従属理論なのですが、レーニンにもそれがあり(そもそもレーニンはグルジア人で少数民族問題の当事者性があるとされるスターリンの民族理論の影響を受けたという説さえあるのですが)、それならば、そもそも民族自決権など成立しないという、レーニンの民族自決権の幻想とも言いえることです。スターリンのこの件は、ここまで言うかという展開です。
「しかしながら、それゆえに、階級が消滅すると共に、プロレタリアートの独裁が死滅すると共に、党もまた消滅するに違いないと結論することが出来る。」169P・・・現実は真逆に「党の支配」となった。スターリンは自らの路線の誤りを自覚しなかったのでしょうか?
「第八章 党/e 党は分派を許さざる意志の統一の表示である」169P〜・・・分派の禁止はレーニンの党組織論からも規定されて出てきたこと、これがスターリンの独裁――粛清の元凶となったとも言われること。これはどこまでがレーニンの責任かスターリン的転回か、と判断がむずかしいけれど、レーニン理論の最悪化とも言いえること。
(3) スターリンの独自的転回
「ソヴィエット権力は、一つの全体的国家組織を設立するために地方ソヴィエットを統一し、化成したものであり、すなわち、被圧迫・被搾取大衆の前衛としての、支配階級としての、プロレタリアートの国家組織である。この統一されたる国家組織は、すなわち、ソヴィエット共和国である。」77P・・・ソヴィエットは運動体であって、国家などではない。「国家組織を設立する」ではなく、国家ということを止揚することが目指すこと。スターリン国家論は資本主義社会の支配階級のブルジョアジーの国家と同じ。プロレタリアートの独裁ということがあっても、必要としても、支配者にはならない、支配――被支配者の関係を止揚することを懐胎した独裁でしかない。レーニンが国家の共同幻想的性格を押さえられなかったことからも繋がっています。
「農民は、自由主義ブルジョアジーと提携し、そして旧政府を攻撃したのだった。すなわち農民はブルジョアジーの予備軍だったのである。」88P・・・何とも非論理的文書。農民は階層。ブルジョアジーと提携すると予備軍になる? プロレタリアートも自由主義ブルジョアジーと封建制と闘うために提携した歴史があります。
「帝国主義的桎梏から被圧迫国を解放するための民族運動は、たしかに、いま利用しつくされざる革命的能力を包蔵するものであり、これらの能力は、われわれの共通の敵を打倒するために、即ち帝国主義の打倒のために、利用することの可能なるものである。それがこの問題に対するレーニン主義者の回答である。」109-10P・・・民族問題の利用主義。民族問題で露骨な「利用」という言葉。「利用」という言葉は、民族問題と階級闘争が差別という共通のベースで繋がっていることをとらえられないところから来ています。レーニンにも差別の階級支配の道具論があり、そのこととリンクしているけれど、明らかな踏み外し。このことは、スターリンの民族問題での対応に対するレーニンの批判にも顕れているのではないでしょうか?
「党は、しかしながら、一切の党組織の単なる総計ではない。同時に,党派、これらの諸組織の統一の中心であり、統一されたる全体の形態上の集中点であり、それは、上下の指導機関を有し、更に、少数者を多数者に従属せしめる権限をもち、決議を通過させ、すべての党員がそれを実行する義務を有する実際的決定を行う権限をもつものである。」160P・・・党内の差別的序列と全体主義。共産主義とは真逆の思想
「(レーニンからの引用?として)そして、組織ということは、すなわち権力が樹立されたことを意味し、思想の権威が、権力の権威に変わったことを意味し、党の下級組織が上級のそれへ服従するということを意味するものである。」161P・・・権力は権力の解体のために一時的に行使することはあっても、権力を解体していくことが共産主義。権威などという差別的なものを持ち出すことは、共産主義の否定。
「第八章 党/d プロレタリアート独裁の手段としての党」166P〜・・・プロレタリア独裁の機関はソヴィエット。ソヴィエットからなぜ党になったのか? 手段などでない運動体がなぜ全体主義的・抑圧的党になったのか、レーニン組織論の帰結であり、またスターリン的歪曲の極。
「しかしながら、決して党は,それ自身を目的とせる、それ自身に満足せる力として考えられてはならない。」166P・・・実際にそうなってしまった。
「第九章 活動の仕方」178P〜・・・アメリカ的精神を吹き込む
「レーニン主義は一つの学校であって、レーニン主義の理論および実践の研究は、党および国家の官吏に独特な型、すなわち、公務を掌るものに独特の仕事のやり方というものを造り上げる。この仕事のやり方の特長は何処にあるか? その特殊性は何か?/二つある。すなわち、(a)ロシア的精神を吹きこんだ革命的熱情と、(b)アメリカ的精神を吹きこんだ事務的実行性である。党および国家の仕事に、この二つを結びつけると、われわれの仕事の「やり方」というものが出来上がるのである。」178P・・・ネップで資本主義的なものを取り込んだときに、当時のアメリカの資本主義的生産性第一主義のテーラーシステムなるものも取り込み、スターリン支配下で、まさに資本主義的精神以外の何物でもない生産制第一主義を持ち出し国家資本主義を確立させていくことになっていきます。ちなみに、わたしが大きな課題にしている障害問題とリンクさせておくと、ヴィゴッキーの「精神発達の理論」もそのような背景の中で生まれ、「発達保障論」という「障害者」抑圧の理論に結びついています。
「そして商業主義は、革命的幻想と同時に、レーニン主義の真の精神と相反するものであることを力強くいおうとしたのだった。/革命的状勢と、実務的精神との結合は、実務  および公務に表れたる、レーニン主義の本質である。」181-2P・・・商業主義ということですり替えたごまかし的批判、問題は資本主義批判のはず。自分たちがアメリカ的生産制第一主義の論理を取り入れたから資本主義批判ができなくなった。


posted by たわし at 16:43| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月20日

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』(2)

たわしの読書メモ・・ブログ607[廣松ノート(2)]
・廣松渉『世界の共同主観的存在構造』勁草書房1972(2)
 「廣松ノート」二冊目『世界の共同主観的存在構造』の変則的2回目です。
 メモをとりながら感じているのは、論理展開の構成がどうなっているのかということと、この著から主著ともいうべき『存在と意味』にどうつながっていくかということ。そして、そのことによって未完に終わっている『存在と意味』の未完部分がどう展開されていくのかが、とらえられるのではないかということ。勿論とりわけ最後のことは、わたしの力では遠く及ばないことですが、何かしら対話のようなことのきっかけかでもつかめればと思ったりしています。
 今回は「T」の分の読書メモ、まず目次を再掲載します。
T
序 章 哲学の逼塞情況と認識論の課題
 第一節 近代的世界観の破綻と「主観−客観」図式
 第二節 既往の認識論の隘路と遺棄された案件
 第三節 認識論の新生の当面する課題と視座
第一章 現象的世界の四肢的存在構造
 第一節 現象的(フェノメノン)の対象的二要因
 第二節 現象的(フェノメノン)の主体的二重性
 第三節 現象的世界の四肢的構造聯関
第二章 言語的世界の事象的存立構造
 第一節 情報的世界の四肢構造
 第二節 言語的意味の存在性格
 第三節 言語的交通の存立構造
第三章 歴史的世界の協働的存立構造
 第一節 歴史的形象の二肢性とその物象化
 第二節 歴史的主体の二肢性とその物象化
 第三節 歴史的世界の間主体性と四肢構造
いきなり、切り抜き的読書メモに入ります。この切り抜きの困難性を感じています。全部書き出すので、全部読んでください、という思いを持ってしまいます。それでも、何とか、厖大になりつつある切り抜きメモです。
 T
序 章 哲学の逼塞情況と認識論の課題
「哲学の沈滞が叫ばれるようになってから久しい。哲学はたしかに混迷を続けている。だが、果たして諸科学はどうであろうか? 諸科学もまた、同様に低迷しているのではないか?」3P(野家532P)
「斯様に了解して大過ないものとすれば、哲学が、そしてまた諸科学が、隘路を打開し、新しい途につくためには、旧来の発想法の地平そのものを剔抉し、それを端的に超克しなければならない。認識論の新生が課題となるのも、かかる問題圏と射程においてである。」4P
第一節 近代的世界観の破綻と「主観−客観」図式
「思想史的なパースペクティヴにおいて過去を顧るとき、古代ギリシャの世界観、中世ヨーロッパの世界観、近世(近代)の世界観というように、世界了解の根本的構えと図式に断続的な変化が存在することに気が付く。各々の時代はその内部に相対立し相抗争する諸多の思潮をもつとはいえ、対立といい抗争といっても、それは所詮、当代の地平という共通な土俵上での出来事である。なるほど、微視的にみれば、断続面は必ずしも平滑ではないし、各時代の内部にもそれぞれ幾つかの段階を劃することができる。とはいえ、古代ギリシャの思想はいかにもギリシャ的な、中世ヨーロッパの思想は所詮は中世ヨーロッパ的と呼ばるべき、それぞれの共通な発想法に立脚している。近代以降における、いわゆる資本主義的文化圏内の諸思想は、重商主義(絶対主義)、産業資本主義(自由主義)、独占資本主義(帝国主義)の各段階に応じて多分に様相を異にしつつも、概して共通な世界了解の構図に立脚し、或る共通な発想法を分有している。」4-5P・・・パラダイム転換論
「このブルジョア的世界観の地平がもはや桎梏に転じ、破綻に瀕していること(それは単なる“西洋の没落”などというものではない!)、さりとて、人びとはまだ、それに代わるべき新しい発想法の地平を、明確な形で向自化しうるには至っていないということ、今日の思想的閉塞情況は、要言すればこれに起因するものであると看ぜられる。」5P
「われわれは、今日、過去における古代ギリシャ的世界観の終熄期、中世ヨーロッパの世界観の崩壊期と類比的な思想史的局面、すなわち、近代的世界観の全面的な解体期に逢着している――こう断じても恐らく大過ないだろう。閉塞情況を打開するためには、それゆえ――先には“旧来の発想法”と記すにとどめたのであったが――“近代的”世界観の根本図式そのものを止揚し、その地平から超脱しなければならない。認識論的な場面に即していえば、近代的「主観−客観」図式そのものの超克が必要となる。」5P
「近代的「主観−客観」図式そのものの超克を云々するとき、早速に読者の反問が予想される。苟も「認識」について論考しようとするかぎり、「主観−客観」図式は絶対に不可欠ではないのか? 認識論がいかに行き詰ったからといって、この構図そのものは放擲するわけにはいかないのではないか?/このような反問が生ずるのも、実は、主−客図式が“近代人”の既成的先入見となり、それが“近代的”認識観の地平を劃しているからにほかならない。だが、あらためて想起を需めるまでもなく、「主観」「客観」なる概念は、近代をまって初めて成立したものである。伝統的な subjectum, objectum という言葉の意味内容を換骨奪胎して「主観」「客観」というタームの今日的用語法が確立したのは、かなり時代も降ってからのことである。」5-6P
「しかし、古代や中世の人びとがこのような図式を抜きにして“認識”についての一応の了解をもつことができたという事実に徴するまでもなく、原理的には「主観―客観」図式は「認識」を論考するために必要不可欠ではない。」6P
「今日「主観―客観」図式から超脱することの困難たるや、かつて中世の人びとにとって「形相―質料」図式から離脱することが至難であったことになぞらえることもできよう。」6P
「近代認識論の「主観―客観」図式においては、次のことが当然の了解として含意されていると云える。そして、そこにこそ抜本的に再検討さるべき問題構制が孕まれている。」――「(1)主観の「各私性」(Satz der Jemeinnigkeit od.Persönlichkeit)。主観は、いわゆる近代的“自我の自覚”と相即的に、究竟的には意識作用として、つねに各個人の人称的な(「ベルゼンリッヒ」のルビ)意識、各自的意識としてだと了解される。」――「(2)認識の「三項性」(Schema der Triarität)。認識主観に対して直接に与えられる「意識内容」が客体そのものから区別され、対象認識は「意識作用―意識内容―客体自体」という三項図式で了解される。」――「(3)与件の「内在性」(Satz der Immanenz od. Satz des Bewußtseins)。三項図式においては、いわゆる近代的な“物心の分離”と相即的に、認識主観に直接的に現前する与件は「意識に内在」する知覚心像、観念、表像、等々、つまり「意識内容」にかぎるとされ、客体自体は意識内容を介してたかだか間接的にしか知ることができないものと了解される。」7-8P
「今日、人びとが是を疑ってみようとしないのは、近代的「主観−客観」図式の地平が「地平」として確立し、汎通的な先入観をなしていることの一証左たるにほかならず、
まさしく、中世の人びとがスコラ神学的・生物態的世界了解の根本図式を疑ってもみなかったと類比的であろう。」8P――この後小さいポイントで内容展開
「ここは、まだ、旧来の認識論を批判的に検討すべき場所ではない。が、あえて一言しておけば、旧来の認識論は、結局のところ、一切を「直覚」に還元する立場を除けば、そしてまた、かの精神的実体とその属性を考える“首尾一貫した”立場を除けば、意識の各自性という臆断に立脚しつつ、右に指摘した「比喩と説明との混淆的二重写し」に終始していると云わざるをえない。」10P
 第二節 既往の認識論の隘路と遺棄された案件
「嘗て前世紀の六、七十年代から今世紀の十年代頃にかけて、新カント学派、経験批判学派、現象学派、等々が“百花斉放”妍を競う文字通り“認識論の時代”ともいうべき盛況がみられた。しかるに、二、三十年代を境に、――尤も、論理実証主義・分析化学が、もしあれでしも認識論と呼ばるべきならば、これは暫く措かねばならないが――認識論の流行が、突然停止してしまった。それは文字通り“流行”の終熄であっ、破産を宣告されたわけでも、況や内在的に克服されたわけでもなかった。/認識論の流行に代わって、“存在論”、哲学的人間学、実存主義、云々、云々が流行するようになったこの一件は、そのかぎりではむしろ、第一次世界大戦後の歴史的・社会的・精神的情況に即して、社会思想史的に研究さるべき対象にすぎないとも云えるが、しかし、視角をかえてみれば、認識論は、当時、近代的主・客図式の埒内において、可能な一切の試みを出し尽くしてしまい、もはや、その内部では発展性のない状態にまで“爛熟”していたと云うこともできる。」10-1P
「認識論が適応不全に陥り、その前で途方に暮れたのは、われわれのみるところ、わけても次の三つの与件である。尤も、ある種の学派は、その一つなり二つなりを自己流に改釈して論拠に用いようとさえしたのであるが、結局は、提起された問題を十全にうけとめることができず、全面的に対応することはできなかったと云わざるをえない。」――「(1)未開人(ママ)の精神構造や精神病患者の意識構造の研究によってもたらされた知見。文化人類学や精神病理学は、未開人や精神病者の意識構造が正常な“文明人”のそれとはおよそ「異形的」であることを明らかにした。・・・・・・けだし、“知性的能力”はおろか“感性的能力” にいたるまで、歴史的・社会的に共同主観化されていることが明らかにされたため、意識の人称化(「ベルゼンリッヒカイト」のルビ)、各自性というかの大命題そのものが――詳しくは後にみる通り――もはや維持できなくなったからである。」――「(2)ゲシュタルト心理学が打出した発想、その知覚研究がもたらした知見。ゲシュタルト心理学は、一定の局所的刺戟に対して常に一定の間隔が対応する(刺戟が同一であればそれに対応する感覚も同一である)という「恒常仮説」をくつがえし、あまつさえ、知覚が本源的にゲシュタルト的に分節化していることを明らかにした。・・・・・・「恒常仮説」の倒壊によって、かの意識作用―意識内容―客体自体という「三項図式」が認識論的有効性を脅かされたうえに、統覚心理学的発想が破綻したため、認識論の諸派は、直感主義的な立場をとるものを除いて――しかるに、これは(1)と調和しがたい!――斉しく躓くことになる。」――「(3)フランス社会学派、なかんずくその「集団表象」の理説がもたらした発想と知見。集団表象の理説は、人びとの意識が集団化され共同主観化されているということを指摘するにとどまらず――この側面については(1)で問題にしたところである、――さらに一歩を進めて、人びとのもつ“意識内容”“表象”がいうなれば物象化することを究明し社会的事実 fait social を、この意味での物choseとして処理する。・・・・・・言語や道徳形象の例にまつまでもなく、それは諸個人の意識に対して「外在的」であり「拘束的に作用」する。この物象化された意識、集団表象は、精神と物質という近世的な二元分類に収まりにくいという点は措くとしても、意識の直接的な与件でありながら「意識内容」ではないことにおいて、かの「意識の命題」を躓かせる一契機たらずにはおかなかった。」11-14P
「しかし、これらの三つの契機が、かの三つの大命題、“近代的”主観―客観図式と相即する基底的な了解そのものに牴触すること、なかんずく第一の契機は意識の人称性・各自性の大命題と牴触するものであること、しかるに認識論の諸派は依然としてこの大命題を端的には放棄しえなかったこと、それゆえに、――といっても、上述の通り、歴史的経過としては“流行の停止”たるにすぎず、決して自己確認がおこなわれたわけではないが――われわれのみるところ、既往の認識論は、詮ずるところ蹉跌を免れず、閉塞情況に陥らざるをえなかった。」15P
 第三節 認識論の新生の当面する課題と視座
「認識論の「新生」は、すでに示唆した通り、伝統的な認識論の単なる再生ではありえない。認識論は、一見、世俗を超越した抽象的形式的な学問であるかのようにみえながらも、それ自体ひとつのイデオロギー形態として、その都度“時代の要求”に担われ、それに応えてきた。/ロックやカントの認識論は、前近代的な形而上学的ドグマチズムの覆滅を断行し、併せて“近代的”発想の姿勢を権利づけるという歴史の使命に応えた。それはさながら、ホッブスやルソーの社会契約説が、伝統的帝王権の理論の基礎を奪い、“近代的”社会思想を権利づけたのと類比的である。/次の歴史的ステップにおいては、新カント主義に象徴されるように、認識論は、総じて“近代的”発想において宿命的な Subjektivismus と Objektivismus の Wechselspiel (ゆらぎ)を適宜に調停しつつ、この近代的地平の夜警・門番としての使命を演じた。/第三の歴史的段階においては――それは“自由主義時代”の終熄、“帝国主義時代”の開始期に照応するのだが――マッハ主義、末期のカント学派、広義のブレンターノ学派、等々、認識論も一斉に“近代的”発想の古典的な図式を問い直し、自己批判と修正を遂行したのであったが、“近代的”発想法の基礎構造そのものには手をふれず、その弥縫的延命に貢献する結果に終った。/われわれが、今日、新生を期すべき認識論は――先に別のコンテクストにおいても立言していた通り――今日の時代的要求に応えて“近代的”発想法の地平そのものを端的に自己批判し、その基礎的構造を破砕して、新しい世界観の権利づけを図るものでなければならないであろう。」15-6P
「新生を期すべき認識論は、かの“遺棄された案件”を単なる“持ち越された問題”として、引き継ぐのではなく、当の与件がまさしく近代的世界了解の根本図式に対するアンチテーゼを懐胎している事実に着目し、それを好便な手掛りとしてむしろ積極的に逆用することができる筈である。/われわれとしては、謂うところの“与件”を次のように受けとめ、それぞれに応じて次の仕方で問題を立てることができる。」――「(1)人間の意識が本源的に社会化され共同主観化されているという与件。これは人びとの知識内容が社会的に分有され共通化しているという次元のことではなく、人びとの思考方式や知覚の仕方そのものが社会的に共同主観化されているという実状を示している。・・・・・・意識主体は、生まれつき同型なのではなく、社会的交通(「フェアケール」のルビ)、社会的協働(「ツーザンメンヴィルクング」のルビ)を通じて協働主観的になるのであり、かかる共同主観的なコギタームスの主体 I as We, We as I として自己形成をとげることにおいてはじめて、人は認識の主体となる。われわれとしては、意識の各自性 Jemeinigkeit というドグマを放棄するだけでなく、意識の Jeunsrigkeit ないしは Präpersönlichkeit(前人格) を積極的に権利づけねばならない。ここにおいて、意識の社会的歴史的被制約性、その本源的な共同主観性はいかにして可能であるか、これの論定が課題となる。」――「(2)意識がゲシュタルト的体制化されているという与件は、恒常仮説の破綻と相俟つことによって、“外的刺激”が、それ自体の“物理的”質や強度から相対的な独自性において、或るゲシュタルト的に構造化されたものとして意識されること、しかもこのゲシュタルト的構造化は、統覚心理学的な作用に負うものではなく、フェノメナルな“自体性”をもっているということ、これを事実の問題として提示している。」――「(3)集団表象の物象化という与件は、“意識作用”の本源的共同主観性と相俟つことによって認識が単なるテオリアではないということを示している。認識の過程は、本源的に、共同主観的な物象化の過程であり、しかもこの共同主観性(Intersubjektivtät)が歴史的社会的協働において存立する以上、認識は共同主観的な対象的活動、歴史のプラクシスとして存立する。・・・・・・いまや、自然としての自然なるものは「最近誕生したばかりのオーストラリア珊瑚島上ならいざ知らず、現実には存在しない」(『ドイツ・イデオロギー』)のであって、われわれに現実的に与えられている世界は歴史化された自然(同前)である。しかるに、この現実の世界は、かの共同主観的・歴史的な「対象的活動」によって拓けるのであるから、認識論は、もはや「意識の命題」を単に放棄するという域をこえて、同時に存在論としての権利を保有しつつ、歴史的実践の構造を定礎する“歴史の哲学”の予備門として、その一契機となる。ここにおいてわれわれは、共同主観的対象的活動はいかにして自己を物象化するか、これの構造を究明しつつ、しかも同時に、いわゆる「物象化の秘密」(『資本論』)を認識論的に解明すること、これを課題の一斑としなければならない。」16-9P・・・「歴史化された自然、自然化された歴史」
「認識論の省察は、われわれにおいても「即自かつ対自的な考察……自己みずから自己を吟味し、自己自身に即して自己の限界を規定し、自己自身の欠陥を指示しつつ進行する途ゆき」としてヘーゲルが定義した意味での「弁証法」を措いてはありえない。」20P
第一章 現象的世界の四肢的存在構造
「旧来の認識論的省察は、最初の第一歩から“誤った”方向、認識の基底的な構造を看過・誤認 verkennen する方向にオリエンティーレンされていたのではないか? われわれはこの疑念を禁じえない。それゆえ、われわれとしては、旧来の認識論的省察が開始された最初の場面にまで一たん遡り、「認識」の――というよりも、実際には「現象的世界」――の基礎的な存在構造を確認するところから始めなければならない。」21P
   出発点を設定するためのプロペドイティーク(入門)
「哲学は、たとえ無前提の学を自称しようとも、端的に無前提たることは不可能であり、学的に究明さるべき与件はいわば外的に与えられる。認識論の諸学派が逐一そこまで遡向すると否とにかかわらず、問題そのものに即していえば、認識論の究竟的な与件は、“反省以前的な意識に現われるがままの世界”を措いてはありえない。/尤も、反省以前的といい、現われるがままといっても、果してそのようなことが可能であるか、果してそのような与件が存在するか、これからして疑われるのであって、たとえ方法的な還元の手続きを慎重に踏んだとしても、そこに抽離される“純粋な世界”は、――よしんば 学派の先入見を免れているにせよ――存外全体的“イデオロギー”を赤裸々に表出したものにすぎないかもしれない。厳密に考えれば、それはたかだか、一切の“学派的”先入見を排除して与件の実相を如実に見つめようという心構えの表明という域を出うるものではない。」21-2P
「このかぎりで、われわれは、この“反省以前的な意識に現われるがままの世界”“いわば童心に映ずるままの世界”をフェノメナルな世界と呼び、それを形成している諸“分肢”をフェノメノンと呼ぶことにし、これを手掛りにして論考することにしたい。」22P
「ここにおいて、かつては自体的に現前したフェノメノンが、いまや相互的聯関の相においてのみならず――目をそむけたり、耳を覆ったりすると、フェノメナルな世界の相貌が一変する……等々の体験を介して――、この格別なフェノメノン(精神物理主体)との媒介関係にあるものとして把握される、とはいえ、フェノメノンはその自体的存立性を直ちに失うわけではない。」22-3P
「右の事態から――ここではその歴史的経緯に詳しく立ち入る必要はないと思われるが――精神物理的主体の解析と純化、現象するものと「単なる現われ」との分化、等々のプロセスをへて、それが現象するもの、現象そのもの、それに現象するもの、この三項性を生ずる。」23P
「旧来の認識論的省察、わけても近世以降の認識論的省察は、右の三項関係に即して「現象」の被媒介性を究明するという「構え」にオリエンティーレンされてきた。“近代的認識論”が次々に提出した諸問題は、遡れば、結局のところ「現象」の被媒介的存在構造を、右の三項関係において――「現象する本体」と「現象する場としての意識主観」との関係として――「先行的に了解する」するところに起因すると云うことができよう。」23P
「われわれとしては、かの三項図式を「括弧に収め」て、フェノメノンが現われる如実の相をあらためて正視しなければならない。」23P
 第一節 近代的世界観の破綻と「主観−客観」図式
「ここではまず、いわゆる主体的な側面については eiklammern (括弧にくくる)し、フェノメノンの対象的側面に目を向け、それが二肢的な構造において在ることを見ておきたい。」24P
[一]
「フェノメノンは、即時的に、その都度すでに(「インマー・ショーン」のルビ)、単なる“感性的”所与以上の或るものとして現われる。いま聞こえた音は自動車のクラクションとして、窓の外に見えるのは松の樹として、直覚的に現われる。私がいま机上にころがっているものを見るとき、それを端的に「鉛筆」として意識する。この鉛筆は、単なる平面図形にしか見えない“筈”であるが、私には有体的な(「ケルパーハフト」のルビ)、厚みをもった「物」 ein Ding として意識される。それは単なる射映(「アプシャットウング」のルビ)としてではなく、ケルパーハフトなゲシュタルトとして意識される。一たん眼を閉じてもう一度それを見る際には、再認の意識がともなう。すなわち“同じ鉛筆”として意識される。」24P
「単なる知覚や再認ではなく、判断という形をとって与件が意識にのぼる場合にも、やはり、与件を“単なるそれ以上の或るものとして”という構造が見出される。すなわち,主語で指示される与件が、述語で表明されるetwas Anderes, etwas Mehr として意識される。(しかも、反転図形や隠し絵の場合などを考えてみれば瞭然となる通り、“所与”は同じでもそれをいかなる「或るもの」として把えるかに応じて意識事態が一変してしまう)。」24P
「ここでは種差にふれることなく一般的に論じておきたいのであるが、フェノメノンは、――それが反省的意識において“知覚”と呼ばれる相で現われるものから“判断”と呼ばれる相で現われるものに至るまで――即自的に「或るもの」として、「単なる与件 als solches 以上の或るもの」として、現われる。意識は、必ず或るものを或るものとして意識するという構造をもっている。すなわち、所与をその“なまのまま”als solches に受けとるのではなく、所与を単なる所与以外の或るもの etwas Anderes として、所与以上の或るもの etwas Mehrとして意識する。」24-5P
「このことが最も典型的に顕われるのが記号の場合である。記号に接する場合、われわれはそれを単なるそのもの、als solches に単なるインクの汚斑や単なる音だとは受けとらない。記号はそれを表わす etwas として意識されるわけであるが、これは何も特殊的・例外的ケースなのではなく、フェノメノンが一般的にもっている構造が特に顕著にあらわれたものにすぎない。」25P
[二]
「フェノメノンにおいて、所与がそれとして 意識されるところの something else, etwas Anderesとは何であるのか? また、この something, etwas は“所与”と一体どのような関係にあるのか?」25P
「フェノメノンにおける“所与” als solches から一応区別して考えられる etwas Anderes は、決して“連想的に心に泛かぶ表象”といったものではない。現に、私がいま眼の前にある与件を「鉛筆」として意識する場合、別段、見ている鉛筆とは別に鉛筆の表象が泛かぶわけではない。十年ぶりに会った人物を友人某として再認する場合など、なるほど昔の面影が泛かぶかもしれないが、しかし、この表象(心像)そのものが「友人某」なのではない。この種の“心像”をともなう場合、一般論として、眼前のフェノメノンと“心像”とが、共に、或る同じetwas Anderes として意識されるのであり、比喩的にいえば<犬>という文字と<イヌ>という音声とが同じetwas Anderes 示現すると同様であって、心に泛かぶ表象がいま問題のetwas Anderes なのではない。」25P
「当の etwas は、或る「客観的なもの」として意識されるが、この何たるかについて、最終的には次章での主題的な検討を俟たねばならないが、とりあえず指摘しておきたいのは、この「或るもの」それ自体を殊更に取出そうするとき、それが哲学者たちの所謂「イデアール」な存在性格を呈するということである。いま問題の etwas は、いわゆる実在物 realitas とはおよそ異なった、irreal な存在性格を呈する。」26P
「われわれは、――後にこのetwas の本質、或る機能的関係がこのように物象化して意識される秘密を解く際に述べる通り――このような“存在”が自立的に実在するとは主張しない。しかし、差当り、与件がそれとして意識されるところの、この“客観的”な或るもの、etwas Objektives を「意味」と総称し、これの呈する特異な存在的性格を「イデアール」と呼ぶことにしておく。」26P
[三]
「このイデアールなetwas とフェノメノンにおける“所与”とは、空間的に離れ離れに存在するわけではなく、“所与”がetwas Anderes として意識される場合、すなわち、後者が前者として現われる場合――イデアールな etwas が、レアールな“所与”においていわば肉化 inkarnieren して現われる。」27P
「フェノメノンは、それがかのイデアールな etwas たる「意味」を“懐胎”し、「意味」の肉化した範例となっている限り、そのものの“実在的”な性質や状態は副次的意味しかもたない。」27P
「しかし、ともあれ、フェノメノンにおいて中心的意義を有するのは、所与のもつ個別的実在的規定性ではなく、それがそれとして現われるところの「意味」すなわちかのetwas である。」28P
「かくして、フェノメノンは――われわれは当初それがals solches に直接的な所与であるかのように扱ったのであったが――すでに即時的にetwas Anderes, etwas Mehr として媒介的に措定されたものであり、「として」の両極に立つ二つの契機の媒介的統一体である。しかもイデアールな契機にアクセントのある即時的な統一体である。」28P
「フェノメノンにおけるかかる対象的二契機、二要因の即自的媒介的統一、われわれがとりあえず確認しておきたかったのはこのイデアール・レアールな二肢的統一構造であるが、これに徹するときBewußtsein von etwas 「意識は何かしら或るものについての意識である。」という余りにも有名な「意識の志向性」の命題すら、われわれを満足せしめうるものではない。けだし、von etwas(vonは「から」英語のfrom?) ということを否むわけではないが、それが本源的な二肢において把えられていないからである。」28P
「われわれとしては、近世的な意識概念を超克する鍵として賞揚されているこの「志向性」の命題にかえて、次のように謂わねばならないであろう。意識とは、何かしら或るものを etwas Mehr として措定する、何かしら或るもののetwas Anderes としての措定である。/尤も、この表現が「意識」を格別なエージェントとして主張するものであるかのごときミスリーディングなトーンを伴うというかぎりで、次の云い方にとどめるべきかもしれない。フェノメノンは“フェノメナルな意識の直接的な与件”以上の或るものとして、即時的な“対象的二要因”のレアール=イデアールな二肢的構造的統一において、現われる。」28P
 第二節 現象的(フェノメノン)の主体的二重性
「前節においては、フェノメナルな世界の直接的な現相から出発して、フェノメノンが実は対象的二要因の二肢的な構造成体であることを暫定的に概観しておいたが、本節ではもう一度出発点に立帰り、前節ではあえて等閑に付してきたもう一つの側面に眼を向けておかねばならない。」29P・・・「主観―主体」の二重性・二肢性、合わせて四肢性の問題
[一]
「フェノメノンがフェノメノンとしてあるのは、差当り誰かに対してである。いま手もとにペンがあるのは“私にたいして”であり、子供が牛をみてワンワンだと謂う場合、当のフェノメノンが「ワンワン」としてあるのはその子供に対してである。」29P
「フェノメナルな“事実”に即して更にいえば、フェノメノンは、必ず誰かに対してあるというだけでなく、多くの場合、私に対してありうるだけでなく、汝にも、彼にも、一般に任意の他者に対してもあることでできる。が、この点については、多少の省察を必要とする。/例えば、牛が或る子供にとって「ワンワン」としてあるという場合、牛がワンワンとしてあるのはその子供に対してであって,私にとってではない。とはいえ、もし私自身も何らかの意味で牛をワンワンとして把えるのでなければ、私は子供が牛を“誤って”犬だと把えているということを知ることすら出来ないであろう。子供の“誤り”を私が理解できるのは、私自身も或る意味では牛をワンワンとして把えることによってである。この限りでは、“ワンワンとしての牛”が、たしかに二重に帰属する。しかし、この際、“私”と“子供”とは、ボールを追っている子供たちのように単に並列的なのではない。/ここには自己分裂的自己統一とでもいうべき二重化が見出される。私本人にとっては、牛はあくまで牛であってワンワンではない。しかし、子供の発言を理解できる限りでの私、いうなれば子供になり代っている限りでの私にとっては、やはり、牛がワンワンとして現前している。簡略を期するため、ここで、私としての私、子供としての私、という表現を用いることにすれば、謂うところの二つの私は、或る意味では別々の私でありながら、しかも同時に、同じ私である。」29-30P・・・「並列」ではなく、入れ子型とか錯分子構造とかいわれる事態の指摘もできます。→33P
「フェノメナが“に対して”あるところの者、いわゆる“主体”の側が、このように「誰かとしての誰」という二重化的構造をもつことによって、諸個人の単独にはとうてい与えられないようなフェノメナが人びとに与えられることになる。普通の云い方でいえば、人びとは伝達された“知識”をもつことになる。人びとがフェノメナルな世界として現にもつところの“世界”は、その実、このような“伝達”をもってはじめて成立しているものである。」30-1P
(小さいポイントで)「知識が伝達されるというのは、一方の人物が所与を etwas として把えるその仕方と、他方の人物がそれをetwas として把える仕方とが同じになるということにほかならない。ここにいうetwas として把える把え方のパターン、いうなれば意識の働らかせかたのパターンが確立し固定化することによって――いまここではその整理・心理学的メカニズムには立入れないが――新たな所与に対しても同じパターンで把えるようになる。既存の知識による意識活動の制約という現象は、このような意識の構造に相即し、それにもとづくものである、と考えられる。/先の例に即していえば、牛をワンワンとして把える子供は、それが「ワンワン」ではなくて「牛」だということを伝達され、しかも、フランス社会学派の用語でいえば“物笑いにされるといった酷しい処罰を通じて”それを「牛」として把えるよう“強制”される。当初は、子供本人の意識と、大人がそれをどう呼ぶかという“知識”とは、分裂した状態にとどまることもありえよう。しかし、やがては同化がおこなわれ、子供は自から“自然的”“自然に”当の所与を「牛」として把えるようになっていく。子供は人びとがetwas として把えるその仕方をわがものとし、人びとに同化していく、こうして、 etwas として把える仕方、いうなれば意識作用の発現する仕方が共同主観化されるわけである。」31-2P・・・サンクションによる共同主観化
「われわれは、現に、時計の針を「カチカチ」と聞き、鶏の啼声を「コケコッコー」と聞く。英語の知識をもたぬ者が、それを「チックタック」とか「コッカドゥドゥルドゥー」とか聞きとることは殆んど不可能であろう。この一事を以ってしても判る通り、音の聞こえかたといった次元においてすら、所与をetwas として意識する仕方が共同主観化されており、この共同主観化されたetwas 以外の相で所与を意識するということは、殆ど不可能なほどになっているのが実態である。/この事実に鑑みれば、“現与の”対象的世界は、われわれが「誰かとしての誰」という構造においてある限りでのみはじめてわれわれに対して拓ける世界である。すなわち、視角をかえて云い直せば、対象的世界が「に対して」拓けるのは、自己分裂的自己統一においてある限りでの“主体” ――単なる私としての私以上の私――いわば“我々としての私”に対してである。/畢竟するに、フェノメナルな世界が「に対して」拓ける主体は、如上の「誰かとしての誰」という二肢的二重性の構造においてである。」32P
[二]
「誰かとしての「誰」とは何であるのか? すなわち、フェノメナルな世界においてフェノメノンが「に対してある」ところの“主体”がかれとして登場する「或る者」 jemand とはいかなる性格の者であるのか?/この“者”は、さしあたり、上例の“子供”のように、特個的な人物として現われる。が、友人たちの意見に従ったり、世人の思惑を気にしたり、というような場合には、jemand はいわゆる“不特定多数者”になる。さらにはまた――
いまここでは、父親として振舞う、教師として発言する、といった status and role は措くことにしたいのだが――他人の言葉遣いを訂正して“日本語では兎は一羽、二羽と数えます”と云ったり、普遍妥当性を意識しながら“AはBなり”と判断したり、いわば“日本語の言語主体一般”“判断主観一般”とでもいった者として振舞う場合もある。そのうえ“彼の考えを君は誤解している”と私が云う場合など、いわば“入れ小型”の多重構造においてjemand が現われることもある。という次第で、jemand が「誰」(何)であるかは、一概に論断して済ますわけにはいかない。しかも、実は、これらの位階的諸相の区別と機能を究明することが“主体”の共同主観的自己形成を論ずるに当って必要不可欠である。それゆえ、われわれは後論において、これの主題的な討究に立入る予定であるが、ここではとりあえず、その存在性格に関してのみ、二三の指摘を試みておきたい。」33P
「さて、特個的な個人として、我と汝、我と彼とが、フェノメノンの分有・融即(participation)をおこなう場合でも、両人がその“実在的”規定性において、我即汝、我即彼なのではない。このことはjemand が“不特定多数者”として現われる場合には一層明白であり。それが“判断主観一般”とでもいうべきものとして現われる場合には、その「イデアール」な存在性格を端的に認めることができよう。/窓の外に見えるのは松の樹だと云う場合、私は、それが単なる私一個人の私念ではなく、誰に対してもそれが松の樹としてあること、この“普遍妥当性の要求”を即自的に抱いている。“万人”に対して“普遍的に”というとき、すなわち、いわば“万人”の見地おいて私がそのことを即自的に意識するとき、このjemand は、特個的などの人物でもない。しかし、同時に、それほどの人物でもなければならず、この限りでは、前節[二]で述べた「樹」などと同様“非特個・函数的・超時空的”なイデアールな「或る者」である。」33-4P
「このイデアールな「或る者」は、しかし、我と汝が共にそれとして措定されるところの「人間」といった対象的・概念的な「意味」としてのかのetwas ではない。もとより、我、汝、彼、等々が、“対象”として登場する場合もありうるが、いま問題のコンテクストにおいては、それはあくまで、所与を etwas Anderes として意識する“主体”としてある限りでのイデアールな jemand である。」34P・・・ハイデッガーの「ダス・マン」→35P
[三]
「このイデアールな jemand は、あらためて断るまでもなく、レアールな個々の“主体”から離れて、どこかしら“形而上的な世界”に実在するわけではない。しかし、前項ですでに示唆した通り、“主体”たるかぎりでの人びとは、一般に、即自的には、そして für uns (当事者主観的)には、このイデアールな“主体”の ein Exemplar として存立する。イデアールなjemand は、この肉化においてのみ、現実的な存立性をもつ。/“現実的な主体”は、しかし、それがイデアールなjemand の“肉化せる一範例”として存立するかぎりでは、そのレアールな規定性はむしろ gleichgültig(無関心) になる。/例えば、外国語の教師は、生徒たちに対して、当該言語の「ラング」の主体として gelten するかぎりで「先生」なのであり、彼の個性的、人格的諸規定性は副次的な意味しかもたない。この間の事情が最も著しく顕われるのが巫女の場合であろう、ここでは、彼女の個人的特性の一切がもはやgleichgültig になる。彼女は、神託が“肉化”する“場”としてのみ意味をもつにすぎない。もとより、他のコンテクストにおいては“主体”のレアールな諸規定性が中心的な意義を占めうるし、イデアールなjemand として現われるからといって、レアールな規定性が完全に欠落してしまうわけではない。しかしともあれ、主体がjemand として意識に現われているかぎりでは、中枢的な意義を担うのはイデアールなjemand としてである。」34-5P
「翻って内省してみるに、他人の現われかたに即して立言した右の事態が、自分自身についても見出される。われわれはしばしば、「私としての私」と「誰かとしての私」との断層を意識するが、しかし、フェノメナルな世界に対するとき、一般には、単なる「私としての私」としてではなく――それが das Man と呼ばれるべき水準であるか、“表象主観一般”“判断主観一般”とでも呼ばれる水準であるかは問わぬとして、またそれがいかなるイデオロギー的制約を帯びているかの究明は後論に委ねることにして――或る普遍的な共同主観的な視座において世界を観ているものと即自的に私念 meinenしている。ここにペンがあること、いま三時であること、向こうの樹は小さく見えるが実際には大きいこと、等々、等々は、単なる「私としての私」に対してある与件ではなく、人びとに対しても“普遍妥当性”をもつ筈の“事実”として私念される。単なる「私としての私」に対してのみあるにすぎないものは、一般に貶置されてしまう。フェノメノンがetwasとしてあるのは「私以上の私」に対してである。こうして単なる私よりも、かのjemand としての私の方が優位におかれる。」35P
「もはや絮言を要せぬであろう通り、フェノメナルな世界が「に対して」拓ける“主体”は、最低限、二肢的な「誰かとしての誰」という構造をもつというにとどまらず、一般には,イデアールな契機にアクセントのある自己分裂的自己統一体として存立する。」35P
「いわゆる“主体”の側もまた、イデアール・レアールな二重構造においてあるということ、主体の側もまたetwas Mehr として存立するということ、われわれがとりあえず確認しておきたかったのは、この提題である。」35P
 第三節 現象的世界の四肢的構造聯関
「われわれは、前二節を通じて、フェノメナルな世界のいわゆる“客体的”な側面と“主体的”側面とを、便宜上、別々に考察し、二組の二肢、都合四つの契機をとり出したのではあったが、これらの諸契機は、実は、いずれも単独には存在しえない。それらは合して四肢的構造成体を形成するとはいえ、あらかじめ各契機が存在してしかるのちに関係に入り込むのではなく、各契機は函数的聯関の項としてのみはじめて存立するものである。/しかるに、これらの各契機を自立化せしめ、それが恰も独立に存在するものであるかのように誤想するところから、旧来、数々の形而上学的悖理を生じているように見受けられる。/本節では、この間の事情の一端にもふれつつ、四肢の機能的構造聯関を確認しておきたい。」36P
[一]
「われわれは、前々節において、イデアールな存在性格をもったetwas、対象的「意味」が“所与”において謂わば“肉化”することを云々したのであったが、ここにおける二つのモメンテを、以下では、――哲学史上の伝統的問題設定との関係をみるためにも――質料(「マテリー」のルビ)的契機、形式(「フォルム」のルビ)的契機と呼び直すことにしたい。」36P
「「質料的契機」といま呼び直したところのもの、すなわち“肉化”のおこなわれる“場”、つまり、etwas として把えられるところの“所与”について、先の考察においては、それが恰かも“感性的・実在的”なレアールな Gebilde であるかのように扱ってきた。しかし、既にetwas として把えられているところのものが更にetwas Anderes として把えられるという多重的な過程を生じうるのであって、“所与”(質料)は決してレアールな形象だとは云えない。既に「形式」と結合しているレアール・イデアールなるものが、あらためて質料の位置につくことができる。それどころか、厳密にいえば、純粋な“裸の質料”は現実には与えられず、フェノメナルに現われうるかぎりの与件は、すでにして、すべて“形式・質料”成体である。われわれの謂う“質料”は何かしら固定的なものではなく、あくまで形式との機能的相関においてのみ質料なのである。」36-7P・・・錯分子的構造
「「形式的契機」、つまり、先に「意味」と総称したetwas についても、それ自体は実的(「レール」のルビ)な構成要素ではない。実的に見出されるのは、所与を単なるそれ以上の etwas として意識することにつきる。しかし、質料は同じだと思念される場合であっても、それを何として把えるかによって意識事態が一変してしまうのであり(反転図形や隠し絵、一般にフェノメノンが記号化していることを想起されたい)、この限りで、かのetwas 「形式」が、フェノメナルな世界の規定的因子であることは否定できない。それ自体としては nichts たるにすぎぬところの、イデアールな「意味」「形式」がその存立性を主張されうるのは――その共同主観性を措いて云えば――一にかかって右の事実に負うてである。」37P
「所与が同じものとして再認される「再認の意味」の物象化によって“実体”のノーション(観念)が生じること、また、類同的覚知や判断における「意味」「形式」の物象化を通じて“本質”のノーションが成立すること、これだけは指摘しておきたい。この共同主観的に物象化された“実体”“本質”を前提にして、「普遍」(類や種)が実在するという「概念実在論」の立場が生ずるだけでなく、フェノメナルな世界を以ってこれら“真実在”の仮象・現象にすぎないと見做す転倒した想念が生じうる。すなわち、フェノメナルな世界を“真実在”の仮現象とみる二世界説を生じ、降ってはまた、フェノメナルな与件を“実体としての物そのものの”の単なる aparentia 「意識内容」と見做してしまう件の三項命題を生ずる。」37-8P
「われわれとしては、「イデアールな」かのetwas 、共同主観的な「形式」(形相)を物象化して形而上的真実在に仕立ててしまうこの物神崇拝 Fetischismus の転倒した想念を――それが科学的実在と呼ばれようと――厳しく戒めねばならないが、同時にまた、それを単なる認識論的主観形式、ア・ブリオリな認識形式としてしまう想念をも斥けねばならない。この点について論ずるためにも、次には“主体的”側面を把え直さねばならない。」38P
[二]
「われわれは、先に、フェノメナルな世界が「に対してある」ところの者が「誰かとしての誰」という自己分裂的自己統一において、イデアール=レアールな二肢的成体として存立することを論じておいたが、ここでは謂うところの“レアールな主体”への「帰属」ということの再検討を通じて、幾つかの基本的な論点を押出しておきたい。」38-9P
「フェノメノンは、しはしば、そもそもの初めから私の(人称的)意識に属する“主観的”なことがらだとされる。しかしながら、われわれとしては、フェノメナルな世界は、元来、前人称的・非人称的であることの確認から始めなければならない。」39P
「卑近にすぎることをおそれるが、“いま、時計の音が私に聞こえている”という事態を考えてみよう。」――「第一に、空気の振動それ自体が「音」でないのと同様、生理的プロセスそれ自体が「音」というわけではない。・・・・・・」――「第二に、音は成体の機構によって規制されるのと同じく、時計の運動や空気の状況によって規制される。・・・・・・」――「第三に、この音は「カチカチ」と聞こえるがチックタックetc.ならざるこの聞こえかたは、一定の文化環境のなかで、他人たちとの言語的交通を経験することによって確立したものである。・・・・・・」39-40P
「こうして、音は、強いていえば、私の生体や“物的”環境のみならず“文化的”環境をも含めた世界の総体に属する、と云ってしかるべきである。なるほど、この際、私の介在のしかたと他人の介在のしかたは異るが、その点では当の時計の個性的介在と同断であって、けだし、フェノメナルな世界は、原基的には、前人称的・非人称的と云う所以である。」40P
「フェノメノンが特定の主観に内属するかのように誤想される心理的根拠として、右にいう介在のしかたの特異性もさることながら、いわゆる内省的な“自己帰属意識”が認められること、これをも看過できない。われわれは、たしかにハッと「我にかえり」“私はいま時計の音を聞いていたのだ”と意識することがある。このことは、しかし、“フェノメノンはすべて常に必ず私(の意識)に内属する”というドグマを権利づける所以とはならない。けだし、内省的事実ということでなら、他者帰属意識も認められるし、いわば、ハッと「他者にかえる」ことすらあるからである。」40P
「謂うところの、ハッと「我にかえる」“自己意識”は、勿論「自己意識」ではないが、しかし、これですら、俗にいわゆる“対象化された意識”“意識される側に移行した意識”であって、能知としての能知(意識作用そのもの)ではない。人称的自己意識は、すでに対象化された意識、フェノメナルな与件としての意識である。しかるに、かの物心の二元分離から、人びとは、対象の意識と意識の意識(自己意識)とを臆断的に区別し――それは元来、意識を精神的実体の属性として考える発想に根差すものであったが――意識の本源的人称性なる観念に固執してきた――そしてかのフェノメナルな“自己覚識”の背後に、精神的実体でこそなけれ、対象化されざる純粋能知としての意識作用を仮定する。そしてかの“覚識”を、それが恰かも純粋作用そのものであるかのように二重写しにして人びとは扱う。われわれは、この想念に一定の心理的根拠があることを認めるに吝かではないが、それは客観(対象化された意識をも含め所知)には必ず主観(能知)を対応させるというかの概念図式を悪無限的に退行せしめつつ要請されたものであって、われわれとしては、そのような純粋意識作用を認めることはできない。われわれにおいては,人びとが純粋作用として思念しているところのかの“覚識”Bewußtheit がフェノメナルに現われる限りで、その限りにおいて、誰かの意識として措定された“人称的意識”を認めるのみである。しかも、この措定たるや、現実には、既に我思う cogito が我々が思う cogitamus であることに負うている。」40-1P
「かくして、人称的意識は、それが人称的意識としてあるかぎり、フェノメナルな世界の一分肢たるにすぎず、フェノメノンの総体がそれに属しうべきものではない。」41P
「それでは、イデアールなjemand としての私ということが、経験論的に、いかなる意味をもちうるのか? この問題について考えるためにも、次には、認識論史上の遺産をも射程に収めつつ、四肢の聯関をみることにしよう。」41P
[三]
「われわれは、フェノメナルな世界に定位すると称しながらも、“対象の二要因”“主観の二重性”というがごとき、旧来の主・客図式に妥協した発言をおこなってきた。この妥協は、なるほど、叙述の便宜を一半の理由にもつとはいえ、いわゆる主・客図式の存立構造とその秘密を究明し、そのことを通じて当の図式を内部から空洞化せしめようとする意図に発するものでもあった。この課題をも射程に収めながら、すでに確保した論点が許す限りで、四肢的聯関をとらえかえしておきたい。」41-2P
「顧れば、われわれは、フェノメナリスティックな場面から出発しつつもフェノメノンがイデアール=レアールな二肢的構造において存立することを指摘することによって、いわゆるフェノメナリズムの立場をしりぞけ、まずはむしろフェノメノロギーに近い発言を試み、次では、しかし、いわゆるイデアールな形象の自立的な対象性を否定することによってこの立場もしりぞけ、しかも、謂うところのイデアールな契機を共同主観的な「形式」として規定しなおしたのであった。」42P
「このかぎりにおいて、われわれは、一種独特の認識論的主観主義の構図を回復する者と評されうるかもしれない。われわれ自身としては断じて「認識論的主観主義」の立場を採る者ではないが、とりあえず、この“構図”と関係づけながら、四肢的聯関を図式化して表現しておこう。」42P
「われわれの謂う「形式」は、フェノメノンの対象的一要因として、物象化されて現われるとはいえ、既述の通り、共同主観的な Verkehr (交通)を通じて、“意識作用”の発現する仕方が共同主観化されていく過程に照応して形成されるものであり、共同主観的な意識作用の Gellerte(ゲル) ともいうべきものである。このかぎりでは、それは本来“主観”の側に属するもの、しかも、共同主観的 jemand として自己形成をとげたかぎりでの“主観”がもつ“認識論的主観形式”だということができる。/この“主観形式”は、それが「質料」に hingelten(向妥当) することによって、そこにはじめて、われわれにとっての対象がフェノメノンとして与えられるのであり、狭義の認識のみならず、われわれに拓ける対象自体の相在 Sosein がそれによって規定されるのであるから、一種の認識論的・存在論的な“先験的形式”であるということも許されうるであろう。/この“主観形式”をもつ主観は、単なる私としての私ではなく、かのイデアールなjemand たるかぎりでの主観であり、しかしこれを俟ってはじめて人称的主観も人称的主観として措定されるのであるから、イデアールなjemand は、これまた、認識論的・存在論的“先験的主観”だということが可能である。」42-3P
「こうして、このかぎりでは、われわれの謂う「形式」のイデアールな存在性格に鑑みつつ、西南カント学派の末裔における形式客観主義を再び形式主観主義の方向に逆転せしめた構図を描くことができる。われわれの“先験的形式”は、絶対的に固定的な形象ではないが、その都度の経験的認識に対してブリオリテート(優先権)をもちつつ、質料・形式の多重的構造を成立せしめる。われわれの“先験的主観”は、単なる論理的主観ではなく、個々の主観がそれとして gelten するかぎりで、形式・質料構造をもったフェノメナルな世界を aneignen(わがものに) できる、云々。」43P
「この構図に仮託して立言したいのは、既述の「質料・形式」構造ならびにこれと“人格的主観”との相関性にくわえて――インプリシットにはこれまた行論の途次で語っておいたことではあるが――「形式」と“認識論的主観”との、そして“認識論的主観”と“人称的主観”との連環構造である。ここではまだかの「誰かとしての誰」の階層的形成に立入れぬがゆえに、共同主観性の射程と現実性、イデオロギー性の問題、等々、必要な保留とと権利づけをしばらく措いたまま臆断するのほかないが、われわれの近代認識論が一種の事実的前提として立てる“主観のアプリオリな同型性”をまずはしりぞける。これは、共同主観的に形成されるところの機能的同型化が誤ってアプリオリな同型として物象化されたものにすぎない。各“主観”は、歴史的・社会的・共同主観的に“同型化”的に自己形成をとげるのであり(われわれの“認識論的主観”は,それ自体としてはnichts(無) たるにすぎぬ ein Ideales であるが、この事実的構造に基礎をもつものであって、決して ein bloß logissches Subjekt ではない(「bloß」は「裸の」、「logissches」は「論理学上の」)、しかもこの自己形成は「形式」の共同主観的形成と相即的であり、現実の主観が「形式」をもつことと“認識論的主観”として gültig(有効) になっていくこととは同一過程の両側面であること、謂うところの四肢はこの過程的聯関においてのみ存立するものであること、われわれは是を積極的に主張する。」43-4P
「仮託して語りうるのは、しかし、如上の過程的聯関、もっぱらこれのみである。しかるに、これが、その実、認識論的主観主義の論理主義とも、また心理主義とも相容れず、それを自己否定に導くものであることは見易いところであろう。われわれは、決して“認識論的主観”を論理的に hypostasieren(実体化) したり、“認識論的主観形式”を固定化したり、そのことによってまた“認識論的主観”に世界を内属せしめたり、況やその世界が“個別的主観”に対しては超越的客体をなすと主張したりする者ではありえない。」44P
「われわれにおいては“先験的主観”“先験的形式”“先験的対象”になぞらえて構造聯関を論じうべき諸契機は、逐一再説するまでもなく、即自的には“直接的与件”として思念されるフェノメナルな世界の被媒介性を対自的に把え、その構造的聯関を記述するための「項」たるにとどまるのであって“実存的主観”といえどもフェノメナルな世界に内存在する。」44P
「ここにおいて、もし,世界がそれに対してある者でありつつも自らは世界のうちにはない者、フェノメナルには nichts たることが「主観」概念の本質に属するとすれば、また、個別的主観に対して超越的存在であることが「客観」の概念の本質に属するとすれば、われわれにとってはもはや所与世界ないし認識の“存在根拠”として思念される「主観」も「客観」も存在しない。」44P
「われわれにおいては“主観・客観”関係は世界内的な関係であって、もはや近世的「主観―客観」図式が要求するごとき trnszendental (超越的)な関係ではない――ということが即ちそれである。われわれが問題にするのは、あくまでフェノメナルな世界の世界内的な構造聯関、もっぱらこれのみである。」45P
(註として小さいポイント)「このことによって、われわれのいう「共同主観的」ということは、intersubjektiv(間主観的) という意味にとどまらず zusammensubjektiv(相互主観的) そしてまた gemeinsubjektiv(共同主観的) という意味を帯びることになる。」45P・・・三つの違いを押さえる必要。
「フェノメナルな世界は、“所与がそれ以上の或るものとして「誰」かとしての或る者に対してある”Gegebenes als etwas Mehr gilt einem als jemandem とでもいうべき四肢的な構造聯関において存立していること、それは本章で措定したこの funktionell (機能的)な被媒介構造に定位することによって、序章で立てた諸課題に応えうるものと思料するが、この作業に従事するためにも“主体”の多重的階型性と共同主観的自己形成の現実的過程構造、イデアールな両契機、かの etwas jemand の物象化の秘密の究明とその類型的分類、等々、持越した一連の問題点について考覈することが必要である。すなわち、言語的世界の意味的表現構造、ひいてはまた歴史的世界の協働的存立構造が次の論題となる。」45P・・・二章と三章で展開


posted by たわし at 00:38| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フジテレビドラマ「silent」

たわしの映像鑑賞メモ072
・フジテレビドラマ「silent」2022.10-12全11回
これはSNSで手話関係者で話題になっていました。手話を取り上げていて、手話に関心をもってもらえるのは歓迎するが、「聞こえないことを否定的にとらえる」表現が出ていて、それに対する批判がSNSで上がっていて、そこで議論も起きているようです。中には、「聞こえないことを否定的にとらえる」表現に反発して途中で観るのを止めたひともいるようです。実はわたしも観るのを中断しました。あまりにも差別的表現が出ていて、嫌になったからですが、それでもどうまとめるつもりなのか気になったのと、SNSで話題になっていて、その論稿にものたりなさを感じ、コメントする必要を感じ、コメントするなら、最後までちゃんと観ないとと、オンデマンドで最後まで観ました。
 さて、このドラマに対する動きとして、主人公の中途失聴者(想)の姉に子どもが生まれて、その姉が弟の中途失聴が遺伝的なものではないかと悩むということが出てくるのですが、その子どもに優生(ゆうき)という名前をつけたということがあります。音声のドラマでは「ゆうき」という音が出てくるだけで、「優生」という文字は字幕放送で出てくるだけのようですが、今、「聴覚障害者」も含めて優生手術での訴訟が起きているときになぜ、そんな物議をかもし出すことをしたのかということが問題になります。このドラマは辻褄が合わないストーリーが出てくるのですが、これもそのひとつで、論理的に考えると悩んでいたひとが、そんな名前をつける訳がないのです。これは制作サイドが極めて挑発的なことをやっていることから、わたしは類推するのですが、差別に関する差別的な本音のようなことをどんどん出していき、そこで衝突や違和を引き出し、どうなっていくのかで番組を続けて観るなり、話題性を引き出し、番組を観るひとを増やすというようなことをやっているという推測が成り立ちます。推測でしかないのですが。結果として、団体や個人でフジテレビへの抗議やBPO | 放送倫理・番組向上機構への提訴という事態さえ起きているようです。
この動きがあったのですが、総体として両義的で評価できないという事態になっているようです。わたしのフォローしている限られた範囲内ですが、手話関係者で、きちんとしたとらえ返しが出てきていません(この文を書いた後でSNS上で観た、ろう者の学生のビデオについては「インターネットへの投稿」でコメント)。
 で、当事者性がすこしずれた、しかしテーマ的には当事者になる立場で、わたしがこれまでに取り上げてきたテーマからこの問題へのとらえ返しの作業をしてみます。
 わたしはこのドラマのテーマを「愛は障害を超え得るか」ということでとらえ返していました。
ここでいう障害は医学モデルの「障害」としては「聞こえないこと」「聞こえにくいこと」、そして「社会モデル」――関係モデルからする障害は、当事者をマージナルパーソン――心理的マージナリティや「健全者幻想」に追いこんでいく障壁と抑圧としての障害です(註)。マージナルパーソンや心理的マージナリティとは、差別者と被差別者の間に溝とか障壁というようなことがあるとき、被差別者が被差別者側にいるにも関わらず、一定パス(差別者側のひととして受けいれられることが)できることなどあると、自らの規定される被差別事項でのコミュニティの価値観や文化に置くのではなく、差別者側の価値観や文化にとらわれていく、とらわれているままの(準拠枠を差別者側におく)ひとたちとその心理的葛藤を指す概念です。そもそも、支配的な差別者側の文化は政治経済的に優位に立って、文化的な発信力も強いので、被差別者側もそれに少なからずとらわれていくことがあります。青い芝のひとたちが突き出した「健全者幻想」という言葉、すなわち運動をやっている当事者たちさえ、子どもが生まれたら思わず「五体満足」かどうか確認してしまう、そういう根強い「健全者文化」へのとらわれを指摘していました。
わたしがマージナルパーソン論に関心を持ったのは、わたしが「吃音者」というマージナルパーソンに陥りやすい立場にあったからです。これは手話の世界では難聴者や中途失聴者、「障害者」では「軽度障害者」と規定される、自ら規定する「障害者」の存在を指摘できます。この話は、すでに70年代の後半には、「障害の重い-軽いを言うひとがいるけど、差別に重い-軽いはない」という話が当事者側から話されていました。「吃音者」のなかでも「重いとされる「吃音者」よりも軽い人の方が苦しんでいることがあるのだよね」という話がされていました。実は「重い-軽い」という概念は医学モデルからのとらえ返して、「社会モデル」――関係モデルなことからとらえ返せば、これは差別の形態の違いから来ていて、排除型の差別をうけることが多いひとは比較的に開き直って、自らのコミュニティや文化を形成しそこに依拠していく傾向が強いのに、抑圧型の差別(努力して障害を克服しなさいというような差別)を多く受けるひとは、差別者側の価値観にとらわれ心理的葛藤にとらわれていく、とらわれたままになっていく傾向が強いということがあります。これが「軽い」とは言えないことは、心理的マージナリティはときには自死ということに追いこまれていくことが起きてくることで示されます。
さて、このドラマに話を戻します。このドラマは制作者側にマージナルパーソンなる概念があるかどうかは別にして、「中途失聴者」の葛藤を描いています。それゆえに、置かれているシビアな差別を描くことが必要になり、それが出てきます。しかも、連続ドラマで、シビアな差別に対する反論のようなことを、次回や後の回になって言わせるというようなこともあります。で、その差別性で、傷ついたままになってしまうひと、また観るのを止めるひとが出てくるのをどうするのか、というようなことを考えてしまいました。
差別のようなことを描かない「障害者」を主人公にしたドラマであればわたしは却って、絵空事な差別的なドラマだと思います。
この話は高校時代つきあっていた想と紬が、想が連絡を絶って、実は「中途失聴者」になっていて、紬と再会して再開するラブストーリーなのです。中心になるテーマは「愛は障害を超え得るか」ということで、一応ハッピーエンド「一応超ええた」というストーリーになっていて、「じゃまくさい」ということも、「一緒にいたいということが愛だ」というような応答で、ドラマの途中で出て来た差別的なことは、愛ということ(ということを紬い)で一応乗り越えたというようになっています。このドラマには、もうひとつのストーリー、主人公の想へののろう者役の女性(大学の先輩、奈々)の片思い的恋物語もあり、また、その前に奈々がパソコン通訳者(大学の先輩で当時院の学生)へのこれも片思い的的恋の話も出て来ます。このろう者の女性も揺れ動く愛とろう者としての「アイデンティティのゆらぎ」を経験していくのです。これは、最初パソコン通訳者が「就活のためにボランティアとしてパソコン通訳をしている」と言い切りながら、ろう者の女子大学生のパソコン通訳を担当し、手話を教わり、手話サークルを作り、手話通訳者にもなり、「手話講師」にもなっていきます。それで、恋というところでコミュニケーションをとるために手話を教えていた女性は、仕事にしたことを怒り、恋は破綻します。後に、想に恋をし、「聴覚障害者」と聴者との溝の話をしていて、想を自分の方に惹きつけようとしています。ですが、この女性は聴者社会への参入志向で、かなり心理的マージナリティ的葛藤に陥りやすく、また実際に揺れ動いています。それを観ているひとたちから、「ろう者=かわいそうなひとたち」という心理にとらわれていきがちになるひとが多く出てくるだろうと想像できます。
さて、これらのことが、後になって、主人公の紬が「一緒にいたいということが恋」ということで、声を出しながら手話をしていたのに声を出すのを止めるとか、職場が音楽系のCD販売の店というろう者社会とは矛盾する会社に勤めつつ、「音楽を聴かない」ということを言ったりするシーンがあります。またろう者の女性も、わたしは巧くいかなかったけど、溝は超え得るかもしれないという台詞を出したり、手話講師も、手話やろう者との出会いの中で、その魅力に惹かれていくということも出ています。で、「とりあえず一応」否定的なことを否定してみせて、ハッピーエンドということになっています。
「とりあえず一応」ということを書いたのは、想の中の心理的マージナリティが消えてしまったわけではない、ということと、それから想と大学の先輩のろうの女性奈々の仕事の話が出てこないということで、生活がブラックボックスになっているからです。そして、愛と言うことの移ろい性や時には抑圧性ということもあります。ろうの女性が、パソコン通訳者が手話を仕事にしていく事への反発とか示しているのですが、これはテーマが「純粋な愛」ということでのストーリーで、では生活をどうするのかということがあります。これは、ゲゼルシャフトの社会(利害社会)で、「純粋な愛」ということはありえるのかという問題にもなっていきます。
たぶんこれをテーマにして、もう一本ドラマが作れると想うのですが、このドラマはこのドラマで、かなりの危うさはあるにせよ、全否定的にならないとはわたしには思えます。ろう者サイドから、批判のなかで、もう一本のドラマのストーリー書いてみて欲しい、また聴者とろう者のパートナーの話からのドラマがいくつも描けるだろうとか思ったりしています。
(註)
これについては、以前出した本、三村洋明『反障害原論――障害のパラダイム転換のために――』世界書院2010の第8章、とりわけ「補節 マージナリティと差別形態論」参照

posted by たわし at 00:35| 映像鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHKスペシャル「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験」

たわしの映像鑑賞メモ071
・NHKスペシャル「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験」2017.8.13
これはSNSで紹介されていて観れました。「731部隊」については、すでにいろんな本や雑誌などで見ていました。この特集は、ロシアのハバロフスク裁判のテープの発見から、そこでの証言記録のビデオ映像や、「731部隊」の少年兵へのインタビューを映像化したものです。
「731部隊」は日本を占領したアメリカ軍がその資料を引き渡すことで、裁判にかけないといところで免責され、その後、軍に協力して研究を担った医学者たちは各大学に戻り、戦後の免疫学分野で「立身出世」していきました。そして、この映像でもそのことの告発は断念しています。名前は出るけれど、そのひとたちがどういうその後を送ったのかの追跡はほとんどなされないままです。
 やったことはナチス・ドイツのアウシュビッツの収容所で行われていたことと同等かそれよりもひどいことですが、ナチス・ドイツの罪は断罪されたのに、「731部隊」はそのままに放置されました。そのことが日本のファシズムがきちんと批判され、精算されなかったことにつながっているのではないかと思います。
 ドイツではナチ的なことは法律で禁止されているのに、日本では歴史修正主義者は政権中枢に居続けています。
 ドイツでもアウシュビッツはなかったとかいう話はでていますが、ほとんどのひとは、そんな大嘘は信じていません。日本では、「731部隊」のことをなかったことにしようとする歴史修正主義の動きがあって、森村誠一『悪魔の飽食』パッシングとして出ていました。
 この映像を見て、積ん読している『悪魔の飽食』を読み始めています。読書メモを残すので参照ください。

posted by たわし at 00:32| 映像鑑賞メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月18日

廣松渉『世界の共同主観的存在構造』勁草書房1972(1)

たわしの読書メモ・・ブログ607[廣松ノート(2)]
・廣松渉『世界の共同主観的存在構造』勁草書房1972(1)
 「廣松ノート」二冊目です。
 すでに何度も書いていたことなのですが、廣松ノートをなぜ書こうとしているのかということを、はじめてわたしの文を読むひとのためにも、改めて[廣松ノート(1)]に書いておくことだったのですが、書き落としていました。それを今回、この読書メモを掲載する号の巻頭言に書きました。参照ください。
 さて、ここのところいつも読書メモは蓄えがあり、余裕をもって掲載していたのですが、個人的なことがあり、底をついています。で、それでも継続は力なり(実際は「力なし」を自認していますが)ということで、順不同で掲載します。実際の読書順の、序文、『著作集』解説というところからの読書メモをとりあげます。書き上げた時点で、編集し直そうと思っています。そういうところでの仮掲載で、しかも何回かに分けた読書メモになります。
 最初に序文です。
序 文
廣松さんのこの著に対する自己評価は序文にあります。
「所収の各論稿は、著者なりの問題意識と基本的意想を積極的に開陳したものであり、この意味では、拙い乍らも著者の“主要論文集”と呼ばれうるかもしれない。とはいえ、何分にもトルソーにとどまっている。・・・・・・また、方法論的視座として利用する可能性ありとの廉で論点の具体化を慫慂された社会学、言語学、法(哲)学、経済学、精神病理学、数学基礎論、科学論などの幾人かの専門家諸氏の示教を無にせぬためにも、著者にとってそれは妄執ともいうべきものである――。倖い、忙中に閑を得て当の作業は一定の進捗をみているが、目下の情況では公刊までに猶暫くの年月を見込まざるをえず、他面ではこのトルソーは却って概観に便利であり、後日『存在と意味』を上梓した暁にも独立の存在意義を保持するものと思い做すに到った。」@P・・・『著作集』の野家啓一さんの解説で、この著を入門書と書いていますが、「入門書」と言うにはあまりにも難しすぎます。廣松さん自身がこの著を前出した序文の中で「トルソー」と書いています。廣松さんの主著は『存在と意味』ですが、未完に終わっています。で、これを主著を出す前のとりあえずの「トルソー」として出したようです。パラダイム転換を打ち出した次の廣松ノートでとりあげる『事的世界観の前哨』とこれはセットになっているようで、廣松著作のアウトラインを押さえるのに必須の著です。廣松さんには「廣松○○論」と言われることがいくつかあり、その観点からこの著をとりあげると廣松理論のアウトラインがほぼこの著の中に織り込まれています。後で、廣松○○論と称されるキーワード的なことをとりあげ、そこで廣松理論との対話を試みます。

まず目次を上げておきます。
目次
 序 文
 T
序 章 哲学の逼塞情況と認識論の課題
 第一節 近代的世界観の破綻と「主観−客観」図式
 第二節 既往の認識論の隘路と遺棄された案件
 第三節 認識論の新生の当面する課題と視座
第一章 現象的世界の四肢的存在構造
 第一節 現象的(フェノメノン)の対象的二要因
 第二節 現象的(フェノメノン)の主体的二重性
 第三節 現象的世界の四肢的構造聯関
第二章 言語的世界の事象的存立構造
 第一節 情報的世界の四肢構造
 第二節 言語的意味の存在性格
 第三節 言語的交通の存立構造
第三章 歴史的世界の協働的存立構造
 第一節 歴史的形象の二肢性とその物象化
 第二節 歴史的主体の二肢性とその物象化
 第三節 歴史的世界の間主体性と四肢構造
 U
一 共同主観性の存在論的基礎
 第一節 身体的自我と他在性の次元
 第二節 役柄的主体と対他性の次元
 第三節 先験的主観と共存性の次元
二 判断の認識論的基礎構造
第一節 判断論の心理学的諸相
 第二節 判断論の意味論的諸相
 第三節 判断論の構造論的位相
三 デュルケーム倫理学説の批判的継承
 索 引

 ここから本文に入るのですが、冒頭で書いたように、読書順としてこの書が収められている『著作集』の当該部分の解説とこの『著作集1巻』の附録的についていた「月報」の読書メモから取りかかります。

[『著作集第一巻』解説・解題&その他別編集版との対話]
『著作集』「解説」
この「解説」は野家啓一さん。廣松さんはいろんな学者と影響を与え合っていました。@廣松さんが、指導教官的に影響を与えたひと。A博学の廣松さんが、専門性をもったひとと対談し、互いに吸収し合うという構図、これは共著という形での著作を生み出しています。Bもうすでに自分の総体的学を形成しているひととのシンクロナイズ的影響し合い、もしくは、もうひとつの哲学的体系から影響を受けて、一定廣松さんの影響だけでなく自らの哲学をもっているひと。
勿論、指導するとは指導されることという命題があるように必ずしも一方的関係ではなく、また三つに分けたとしても二つ的なことを合わせ持つひともいますし、そこからはみ出したひともいます。
野家啓一さんや今村仁司さんはBに当たります。野家さんは廣松さんの科学哲学の講座の前任者大森荘蔵さんの分析哲学系と廣松さんから影響を受けたひとです。わたしが野家さんで留目しているのは、廣松さんのパラダイム転換論とリンクする、クーンから読み解く書を書いている事です(註この読書メモは「たわしの読書メモ(15)/ ・野家啓一『クーン―パラダイム』(講談社)」(「反障害通信」18号所収)。
http://www.taica.info/adsnews-18.pdf
この解説は、野家さんの廣松渉論とでもいうべき貴重な論考になっています。
ここでは、野家さんの廣松解説の部分は、本文の中で指摘し、野家さんの独自的とらえかえしを切り抜きメモを残します。ただし、本文との重複を回避するために、野家さんが廣松さんの文を援用してコメントしている箇所は、参考にさせてもらい本文の読書メモ中に織り込みます。最初に目次を作って上げておきます。
一 はじめに
二 時代背景
三 同時代の評価
四 近代認識論の蹉跌
五 「共同主観性」の存立構造
六 「四肢的構造連関」と三項図式
七 言語論の射程

一 はじめに
「しかしデカルトの顰みにならって廣松哲学全体を一本の木にたとえるならば、その根はマルクス主義哲学、幹は認識論および存在論、そしてこの幹から出る幾本かの葉ぶりの良い枝が言語哲学、科学哲学、社会哲学、歴史哲学、などの各論当たるだろう。その観点からすれば、本巻は廣松哲学の「幹」と、そこから出た一本の太い「枝」を観望できる構成となっている。」525P・・・哲学的な体系的叙述を試みる者は、幹が認識論・存在論になっているのは当然で、むしろその中身が問題、廣松哲学の幹は、共同主観性論でそれは役割理論や言語論とからみあって形成されていて、四肢構造論や物象化論というオリジナリティの突き出しになっています。
「そこでは、後に『存在と意味』に結実する問題が鮮明に提示され、またその基盤となる方法論的考察が明快に叙述されているのである。その意味で、廣松渉における『存在と意味』と『世界の共同主観的存在構造』との関係は、デカルトにおける『省察』と『方法序説』との関係になぞらえることができる。『方法序説』がデカルトへの格好の入門書であると同様に、『世界の共同主観的存在構造』もまた読者を廣松哲学の核心へと誘う何よりのプロムナードなのである。」526P
二 時代背景
「廣松渉は当時の学生運動の去就に多大の影響を与え、時代の前髪を摑むかのように大学闘争の渦中に身を挺して関わって行った。」528P
三 同時代の評価
「要するに、「近代か反近代か」、「進歩か反動か」、「実存主義かマルクス主義か」といった単純な二項対立がことごとく意味を失い、左右のイデオロギー的対立の構図が無効化しつつあったのが、この一九六九年なのである。」530P・・・?新左翼運動は左右の対立の図式を鮮明化することであった。
「狭義の哲学の領域に話を限るならば、戦後の哲学図式を支配してきた「実存主義−マルクス主義−分析哲学」という安定したトリアーデが崩れ去り、新たな哲学的パラダイムが求められ始めたのがこの時期である。」530P・・・その後はポスト構造主義と現象学とマルクス派の思想体系として突出していったと押さえられるのだろうけれど、マルクス葬送の流れの中で哲学の逼塞情況は加速し、もはや哲学なき世界の様相を呈しています。
「そうした時代の波頭を過たずに捉え、潜在的な哲学的欲求に明確な「形」を与えたものこそ、廣松の論文『世界の共同主観的存在構造』にほかならなかった。」530-1P・・・当時の新左翼、全共闘運動の理論的なことを考える活動家にとって廣松さんと吉本隆明さんが双璧ででした。ただ、吉本隆明さんはマルクスの唯物史観からはみ出し、意識論を軸に据え、しかも、差別の問題での論攷にはわたしは批判的であったのです。
四 近代認識論の蹉跌
「とりわけ、本巻の前半部分を占める『世界の共同主観的存在構造』は、三〇代後半の著作であることも手伝って、文章も清新な躍動感に溢れており、虚仮威しの文飾も控えられて平明達意の水準を一貫して保っている。「廣松哲学入門」としてまず第一に推挙するゆえんである(もう一冊と言われれば、わたしは躊躇なく『マルクス主義の地平』を挙げたい)。」531P・・・入門書としは難しすぎるので、わたしは当初としては『唯物史観の原像』を挙げ、その後の廣松さん自身に入門書として書かれた『新哲学入門』『哲学入門一歩前―モノからコトへ』を挙げることが出来ます。
「実際、『世界の共同主観的存在構造』の中には「物的世界像から事的世界観へ」という原題をもつ論文が収録されているにも拘わらず、そこでは「事的世界観」に関する積極的な言挙げはなされていない。著者の努力は一にかかって「認識論の新生」、すなわち「主観−客観」図式に代わる新たな認識図式の提出に捧げられているのである。そのための強力な武器として持ち出されるのが「共同主観性」、「四肢的構造連関」、「物象化」といった廣松独自の概念装置にほかならない。本書においては、それらを駆使して明示的に<語られる>認識論的概念構成の作業を通じて、「関係の第一次性」を基盤とする存在論的主張、即ち「事的世界観」が暗示的に<示される>仕組みとなっている。その意味で、これらの概念装置は老朽化した建築物を取り壊し、廣松哲学の奥の院とも言うべき「事的世界観」へと至る通路を切り開く先鋒隊として、不可欠の方法論的役割を担っているのである。」533P・・・わたしはこの書と『事的世界観への前哨』はセット的にとらえていて、パラダイム転換論を『前哨』の方で展開しているので、ここでは展開していないと押さえています。
「それでは、近代認識論根本前提である「主観―客観」図式の内実とはいかなるものであるのか。廣松はそれを簡潔に(1)主観の「各私性」、(2)認識の「三項性」、(3)与件の「内在性」として特徴づけている。すなわち、近代哲学の文脈においては、認識主観はあくまでも「同型的」な各自の個人的意識として理解されており、また対象認識は「意識作用−意識内容−客体自体」といういわゆる三項図式に即して捉えられ、そこから主観に直接的に現前する与件は客体そのものではなく意識に内在する内容、つまり表象や観念だと考えられてきた。こうした諸前提が「外界存在」や「他我認識」といった近代哲学に特有のアポリアを生み出し、さらには認識の客観的妥当性(意識内容と客体自体との対応)の基礎づけを原理上不可能にすることによって、認識論を一種の袋小路に追い詰めてきたのである。これが廣松の言う哲学の「閉塞情況」にほかならない。」533P
「しかし、廣松の目には、認識の問題を言語の平面に射影して「解明と消去」を図る分析哲学者の手続きは、認識の問題を言語の平面に射影して「解明と消去」を図る分析哲学者の手続きは、単にアポリアを迂回しつつ回避するにすぎない姑息な(ママ)弥縫策と映ったに違いない。(「言語論的転回」と題するアンソロジーを編集し、後に『哲学と自然の鏡』[一九七九]において「近代認識論の終焉を宣告したリチャード・ローティの問題提起に、廣松の論文が十年先立っていたことは記憶に留められておいてよい)。それに対して廣松は、新カント派から受け継いだ近代認識論の道具立てに依拠しながらも、マルクス主義の問題意識を媒介にしつつそれを換骨奪胎することによって、それらのアポリアを内面から正面突破しようと企てる。その第一歩となるのが「共同主観性」の提議による主観の「各私性」の排却である。」534P
五 「共同主観性」の存立構造
「「共同主観性という言葉は、一般にフッサール現象学に由来するものと考えられており、現象学者の間ではむしろ「間主観性」あるいは「相互主観性」といった訳語が定着している。確かに、廣松自身が「共同主観性(Intersubjektivität=間主観性=共同主観性)」(本巻二八頁)という表記を採用していることから見ても、現象学からの示唆は否定し難い。しかし、フッサールの「間主観性」が他我問題のアポリアを克服するための概念装置であり、最終的には複数の超越論的自我の相互交通から成る「モナド共同体」として規定し直されたのに対し、廣松の場合には「各私的」モナドの自体的存立を認める余地はまったくない。それどころか、超越論的主観性をモナドとして表象すること自体が、廣松にとっては主観や意識のまぎれもない「実体化」であり、「物象化的錯認」にほかならないのである。」534P・・・この訳語の違いを押さえることが「廣松共同主観性論」で重要となります。廣松自身の違いの表記をどこかで探さなくてはならないのですが、ここでモナドという概念で野家さんが展開しているように、「間」なり「相互」ということは対面する他我との関係ということであり、「我々としての我」という意味では「共同」こそが「廣松共同主観性論」の核心となります。
「廣松哲学の中で、共同主観性は「記述概念」であると同時に「方法概念」でもあるという二重性をもっている。それはまず、「人びとの思考方式や知覚の仕方そのものが社会的に共同主観化されているという実状」(本巻二六頁)を示すという意味で、現実の事態を描写する記述概念である。この面において、当の概念を用いていないにせよ、マルクス・エンゲルスの著作は先駆的な位置を要求しうるし、文化人類学や精神医学の知見もまた共同主観性の解明に寄与することができる。記述概念としての共同主観性は、廣松哲学の中では後に「表情論」(本著作集第四巻)としてより具体的な展開を見せることになる。」535P
「他方で「いわゆる先験的主観性とは共同主観性である」(本巻二〇四頁)と言われるように、それは事実の成立条件を解明するという先験的(超越論的)機能も担っている。その意味で、共同主観性は旧来の認識図式を転倒し更新するための方法概念なのである。廣松の共同主観性は、記述概念の次元ではマルクス主義を先蹤と仰ぎ、この方法概念という次元では現象学の間主観性と共通の志向を分かち持つと言ってよい。」535P
「しかし、フッサール自身の「間主観性」は、その超越論的問題設定に制約されることによって、余りにも方法概念の側面に偏しすぎていたと言わねばならない。廣松哲学の独自性は、記述概念としての共同主観性を隣接諸科学の成果を十分に踏まえながら練り上げつつ、それを認識論上の方法概念として厳密に鍛え直していくという複眼的性格をもつところにこそ存するのである。」536P
「また、共同主観性は「実体概念」ではなく、なによりも「機能(函数)概念」であることが強調されねばならない。」536P
「あるいはメルロ=ポンティのように、身体レベルにおける能知と所知の反転を論拠にするにしても、能知と所知のあり方が相互排他的であると考える限り、「主観−客観」図式の大枠を超えることができない(この点が廣松のメルロ=ポンティ批判の眼目となっている)。それに対して、廣松認識論においては超越論的主観性が<即ち>共同主観性なのであり、そこに「各私性」が入り込む余地はない。」536-7P
六 「四肢的構造連関」と三項図式
「旧来の認識図式を破砕するために、主観の「各私性」に対置されたのが「共同主観性」であったとすれば対象認識の「三項性」に対置されるのが「四肢構造連関」による認識過程の解明である。」537P
「とりあえず「意識作用−意識内容−意識主体」という認識論的先入見を括弧に入れてフェノメナルな世界の中に身を置くならば、われわれに現れてくるのは色、形、音、匂い、等々といった感性的所与の集合体ではなく、厚みと奥行きをもった有体的な事物であり、しかもそれは常に「鉛筆として」、「書物として」といった意味を帯びた形象として具体的に意識される。」537P
「付け加えておけば、この「項」に対する「函数的連関態」の存在論的優先性は、後に「関係の一次性」として「事的世界観」の基礎をなすのである。」539P
「近代哲学が自明の枠組みとして依拠してきた「主観−客観」関係は、廣松認識論の構図の中では、認識の成立条件を解明すべき超越論的説明項ではなく、それ自身が解明を必要とする被説明項にほかならないのである。」539-40P
七 言語論の射程
 これは、この巻全体の解説で、他の論文への解説も含んでいるのですが、ここでは『世界の共同主観的存在構造』に絞ってメモを残します。
「要するに、言語活動そのものが四肢的構造連関をなしているのはもとより、四肢的構造連関の存立は、歴史的社会的協働としての言語活動によってその基底が支えられているのである。そのことは認識主体の「同型化」や「共同主観化」が原基的には「意味」の共有化にほかならず、本質的に言語的交通に負うものであることからも明らかであろう。」541P・・・言語的活動以前に言語をも形成する役割理論のことが抜け落ちています。そのことは野家さんが表情論に触れているところからもリンクしていくことです。「○○的動物」(「社会的動物」「道具を使う動物」etc)ということでの言及で、「言葉を話す動物」という規定を廣松さんがせず、むしろ「役割」という概念に留意していたということが、確か役割理論の言及の中でされていたはずです。余談になりますが、わたしは過去に「共同主観的動物」という突き出しを思いついたことがあります。ただ、これはすぐに、いわゆる「自閉症」のひとたちのことがすぐに思い浮かび、「言葉を話す動物」とともに、その差別性に気付いたのでした。廣松さん自身はほとんど差別の問題を主体的に取り上げていないのですが、認識の原基的存在で障害問題を対象化していたところで、「共同主観的動物」や「言語的動物」という規定には至らなかったのではないかという憶測のようなことを考えていました。
「言語論は廣松認識論のみならず廣松哲学そのものにとって、考察を先導する一種の「パラダイム」の役割をはたしていると言うことができる。「発想の源泉」と呼んだゆえんである。」541P
「また「哲学の仕事を言語学的分析に局限しかねまじき『言語分析学派』が、近年では英米から浸潤して、独仏の哲学界にも瀰漫しつつある」(本巻三三六頁)と嘆ずる廣松自身ならば、自分は言語論を第一の哲学の座に据えたことは一度もない、と反論されることであろう。確かに、その後の廣松は共同主観性を「表情論」など発生論的考察から基礎づける考察に着手しており、一概に言語的交通の優先性を彼の所論に帰すことはできない。しかし、「前期廣松哲学」の最良の成果を収録した本巻に関する限り、言語的考察が一本の赤い糸ように全体の論述を貫いていることは誰の目にも明らかにあるに違いない。」542P・・・確かに言えなくもないのでしょうが、二つ前の引用とリンクして分析哲学から影響を受けた野家さんの「言語論」への過大評価とも言いえることがあるのでは?
「最後にもう一度繰り返しておけば、廣松哲学の核心は、何よりも「近代哲学」の拠って立つ基盤をトータルに乗り越える認識論的視座を提示し、それを通じて時代の転換に先駆ける「事的世界観」を確立することのうちに存する。」542P

「解題」は廣松理論の文献的整理に力を発揮していて、岩波文庫版廣松渉編輯『ドイツ・イデオロギー』の補訳者にもなっている小林昌人さんがこの著作集を通して担当しています。廣松渉研究に貴重な資料を提供し続けているひとです。

「月報1」
・「廣松渉と西田幾太郎」小林敏明
『著作集』解説へのコメントで廣松さんが関わった学者の話をしましたが、このひとは廣松さんから指導を受けたひとで、かつ否定的批判に踏み入ったひとです。廣松さんの「事」概念をそれ自体が物象化にとらわれているとして「ことなり」という概念を突き出したのです。ただ、廣松さん自身が四肢構造論で、それも物象化にとらわれざるをえないとしているように、「ことなり」を突き出してもそれ自体が物象化批判の対象から抜け出せません。無限遡及に陥ります。で、何が問題になるのかというと、廣松さんの学的な論考はマルクス派としての運動的なところでの革命としてのパラダイム転換にあることを小林さんには運動志向がないところで、押さえられなかったのではないでしょうか?
 このことはこの月報の文においても、西田と廣松の比較というところでの、その共通性に留目しつつ、決定的な違いということを押さえられていないのではないかという思いにつながっていました。
 そのことは「「ホストモダン」が、その流れに対するある種のシニシズムであるとするなら、「近代の超克」はペシミスティックな時代認識に基づいた一種の懐古的ユートピズムである。だがわれわれの情況は多分そのどちらにも存在していない。時代はもはや西田も廣松をも置いてきぼりにしようとしている。」3Pという文の中に端的に現れています。これはそもそも廣松さんが革命としてのパラダイム転換として「事」概念を突き出していること、「近代の超克」も廣松さんはパラダイム転換という観点からとらえ返していることを押さええていないようにしか思えないのです。マルクスの思想は、サルトルやデリダが「資本主義社会では乗り越え不可能な思想」としたように、そのマルクスの思想を深化させようとした廣松の思想も生き続けざるをえないと思っています。わたしがこうやって大風呂敷的に廣松ノートを書こうとしていることもその一端なのです。
・「廣松哲学を英語で語らせる」M・サントン
 廣松哲学が欧米で注目されることが少ないのは、言語の壁にあると言われています。中国語への翻訳はある程度進んでいるようです。サントンさんは『世界の共同主観的存在構造』を英訳しようとしているようです。いろいろな廣松用語の試訳を出して見せています。最後に「このように言葉をつきつめて使う目的は我々に世界を違った観点より見させ行動させることなのであるから、廣松哲学の英訳に成功したとしたら、哲学は以前とは違ったアクセントで話し始めることになるかもしれない。」と文を結んでいます。
・「「活動家」廣松渉」冨岡倍雄
「廣松渉は、かくて当時の駒場ではアジテーターとしてオルガナイザーとして画期的な役割をはたしたのだが、・・・・・・」というところでこの筆者は、人間味あふれる活動家廣松を書いてくれています。結局、自分の役目はマルクス理論の深化にあるとしてアカデミックな世界に身を投じたということを当人も筆者も書いているのですが、「マルクス研究においてかれなりの結論に到達した廣松はかれ本来の目的たる大衆的マルクス主義運動の実践的活動に復帰したのである。とはいえ、廣松渉は活動家としては不器用であり、いうなれば多分に「下手の横好き」的であった。しかしその「横好き」にひたすら専念する廣松こそが、駒場以来わたしのしっている愛すべき廣松渉なのである。」8Pと文を結んでいます。この文がどこまで的を射ているか分からないのですが、廣松さんの同時代を生きたひとの思いが綴られています。
講談社(講談社学術文庫)版
(文庫版)「序文」
 次号以降
「解説」熊野純彦
次号以降



posted by たわし at 04:12| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月13日

冨田宏治『維新政治の本質 組織化されたポピュリズムの虚像と実像』

たわしの読書メモ・・ブログ606
・冨田宏治『維新政治の本質 組織化されたポピュリズムの虚像と実像』あけび書房 2022
この本は、書店の棚で見つけたもの、維新の分析をしようとしていたところで、参考にと買い求め読みました。その著者の維新批判は、わたしもだいたい共鳴できる内容です。
この本は、過去にいろんなところで発表した文書をまとめたもので、かなり重複した文もあり、重複していることからいくつかのキーワードのようなことが浮かび上がってきます。キーワードを拾い上げながら、この本との対話の中で、わたしなりに維新政治のとらえ返しを深化させてみます。
著者は維新の選挙や二度にわたる大阪市を廃止する住民投票の分析をかなり緻密にやっています。大学の教員ですが、運動的な観点があるひとのようで、中央政治では野党共闘、大阪では反維新の立場をはっきりさせています。そして、「不寛容なポピュリズム」維新対「寛容とリスペクトのオール大阪」という対立図式を突き出し、維新政治の中で、気づきと目覚めの4項目「@改めて明らかとなった人の命の大切さ人間の尊厳・個人の尊厳、A感染拡大が露にした貧困と格差、そして医療態勢と公衆衛生の脆弱性をもたらした新自由主義の問題性、B人類共同の闘いに分断を持ちこみ、医療充実や貧困解消に向けるべき資源を軍事費に浪費する自国第一主義や大国の愚かさ、C科学的なエビデンス基づく説明責任を果たし得ない政府を戴くことの不幸」157Pというようなことも書いています。
 橋下徹元大阪知事・元大阪市長の言った「ふんわりとした民意」(に乗る)すなわちポピュリズムということと「組織化されたモンスター集票マシーン」なり「組織化されたポピュリズム」という一見矛盾するような並立があるのですが、それはナチが情報戦に長けていたというところでとらえ返しをしていくと矛盾しないのです。
 橋下徹元大阪知事・元大阪市長がテレビに出て、「ファシズムとかナチとかいう規定をするのは、ヨーロッパでは人格を否定する内容がある、そのような規定には慎重であるべきだ」というような趣旨の発言をしていました。このような発言をしているということは、逆にいうと、ファシストやナチという批判が維新批判に有効だ、ということです。勿論、単なるレッテル貼りではなくて、きちんとファシズムやナチズムの規定をした上で(今号巻頭言でわたしの規定)、批判していくことが必要なのです。
 この本の冒頭の「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」3P長谷川豊発言(こういう発言をしたのに、維新が千葉一区と比例南関東ブロックで公認)は、まさにヒトラーが進めたT4計画や相模原やまゆり「障害者」殺傷事件や「反延命主義」の中で起きた死へ誘う福生病院透析中止事件などと同等の根をもつこととして、候補や維新に批判をぶつけていくことなのです。
 さて、著者はファシズムという観点からのとらえ返しがありません。ですから、ファシズムと保守の区別が出来ません。これは保守ということで、保守も右翼も一緒くたにしていくことになります。
社会学者の宮台慎司(?真司)さんの「経済保守――政治保守――社会保守」という分類を援用しようとしているのですが、意味が分からなくなっています。そもそも、「資本主義社会では乗り越え不可能な思想」(サルトル、デリダの提言)と規定されたマルクスは「国家と市民社会の分離」という規定をだしていたのですが、そもそもこれ自体が批判の対象になっています。まして、今日の政治は経済にも社会にも介入していく、規定していく政治です。
さて、ファシズム規定の混乱は、右翼と保守とファシズムの関係を押さえられないところから来ているのではないかと考えています。すでにそのあたりの分析をしたひとがいるのかもしれませんが、不勉強なわたしは押さええていません。わたしなりに試論を出してみます。
かつては右翼を歴史の歯車を逆に回そうとしているひとたち、保守の現行の体制を守ろうとしているひとたち、左翼を歴史の歯車を前向きに回そうとしているひとたちと言う規定をしていました。それは、マルクス派もいわゆる進歩史観や発達史観というところで同調していたというか、むしろマルクス派の規定が採用されていたのでしょうが、そもそも晩年のマルクス自身が、単線的発達史観のようなことの見直しのようなことを展開しようとしていました。
そして、ファシズムや新自由主義ということが、そもそも資本のなすがままにまかせるという意味での資本主義の後から出てきていて、それがまさに右翼や極右と規定されていることから、歴史の歯車を逆向きに回すという規定が出来なくなるのです。ファシズム的な動きや新自由主義が改革という名の下に行われることからもそのことが見て取れます。
わたしは反差別論をやっている立場で、差別というところで問題を立てます。右翼は差別的なひとたち、保守は人権というところで人権をまもろうという姿勢が一応あるひとたち、右翼は差別的なひとたち、極右は差別主義者という規定が出来ます。
さて、もうひとつ曖昧な規定は「ポピュリズム」ということ。何をしようとしているのか分からない、権力掌握願望から、民衆蔑視で動くことをポピュリズムと規定するのではないでしょうか? 右派ポピュリズムというのは、民衆の差別的意識に依拠して岩盤支持層を作り出し・広げようとすることで、まさにトランプ前アメリカ大統領に象徴されるような動き。保守ポピュリズムは小沢一郎の「生活が一番」というようなスローガンで、政権を掌握しようという、何がやりたいのか分からないような動き。ちなみに、左派ポピュリズムという言い方をするひとがいるのですが、左派は何をしようということがはっきりしているから、左派ポピュリズムというのはありえません。ファシズムも何をしようとしているのかはっきりしているので、ポピュリズムではないのです。ただ、ファシズムの蠢動としての右派ポピュリズムをおさえておく必要があります。維新政治はまさにこれなのではないでしょうか?
さて、この本に話を戻します。この本の7章は「「『都構想』よりコロナ対策やろ!」の声を――大阪維新“吉村人気”の虚像と実像」10章は「コロナ禍が暴きだした維新の正体」で、如何に維新改革が福祉を破壊し、人口あたり全国一の死者数を出したかというようなことを書いています。このあたり、もっと詳しい資料を当たり、実際にぶつけて批判していく作業が必要なのだと思います。
posted by たわし at 04:33| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アドルフ・ヒトラー/平野一郎・将積茂訳『わが闘争(上)(下)』

たわしの読書メモ・・ブログ605
・アドルフ・ヒトラー/平野一郎・将積茂訳『わが闘争(上)―民族主義的世界観』『わが闘争(下)―国家社会主義運動』角川書店(角川文庫) 1973
この本は間違えてもお勧め本ではありません。以前、歴史修正主義者たちが作った教科書『新しい歴史教科書』がかなり売れたと宣伝していたのですが、それは批判のために読んで置かなくてはと買ったひとがかなりいたからです。この本もアーレントがその著のなかで、何カ所も取り上げています。いわば、ヒトラー――ナチズムを知る上で最も学びやすい著作です。
 わたしはこの間ファシズム論を書こうと試みて来て、試行錯誤のなかで、なんとか中間的試論のようなことを得ています。それはファシズムと言っても、いろんなバリエーションがあり、しかもありつつも、共通の概念があるということです。共通の概念というのは、まず競争原理で強者が弱者を支配する原理、したがって、ウルトラ優生思想があり、そして全体主義的に個が全体に従う、ということを求めるということです。そして、何らかの差別事項(よくあるのが障害差別や人種・民族差別など)での排除の論理の中で、全体主義的統一へ強力な意志を働かせるということです。
 さて、ここでヒトラーがこの著作の中で突き出しているのは、人種を自然とした生物学的決定論(まさにマルクスのいう物象化)、別の言葉で表すとウルトラ優生思想とも言いえることです。生存競争原理による一者(優越者)による支配という民主主義の否定で、議会主義批判を繰り返しています。
 ファシズムによくありがちな、民族主義や国家主義は一見回避しようという姿勢があります。たとえば、民族という概念は言語の同一性というというところで、誰もが言語を身につけうるということであいまいになるので、回避しようとしているのですが、ウルトラ民族主義としての人種差別主義をユダヤ人差別を軸にして突き出しています。それは陰謀論的なところで、何でもユダヤ人差別に結びつける論理を振りかざしています。そして、それをアーリア人種の純血というところでウルトラ人種差別主義的に突き出しています。どうも分からないのは、アーリア人種という概念を突き出すのは、論理的に考えると余計曖昧になるのですが、そもそもナチズムは感情に訴える宣伝の党で、逆にあいまいながゆえに押し通すとしているのかもしれません。
国家主義に関しては、そもそも強者が弱者を飲み込むこととしての侵略を正当化して、第三帝国的なところを突き出していて、国家は手段に過ぎないとしている、むしろウルトラ国家主義とも言いえることです。
ナチズムの台頭は第一次世界大戦でその賠償を負うところで、精算と憎しみと武力によるリベンジということを煽り党勢を拡大していったのです。また、ロシアにおけるボリシェビキ革命に対し、ペストになぞらえて恐怖心をあおり、反共産主義(反ボリシェビキ)ということも、大きなテーマとして突き出して、東方ロシアへの拡大とフランスへの対抗意識・リベンジなども含めて、煽っていくという情勢の中でのナチズムの台頭です。
 いつもの切り抜きは、総てに批判のコメントをつけなくてはいけなくなるので、備忘録的なメモに留めます。
(上)
国家の論理を経済よりも優先させる203P
全体主義204P
マルクシズム――ベスト206P
国家社会主義 民族と祖国278P
議会主義批判311P
血と人種に対する罪323P→T4計画332P
支配による平和主義375P
より強い者が勝利する――生存競争原理376P
民族の文化――創造、支持、破壊377P
全体社会387P
意志の力432P
意志と力439P
民衆蔑視439P
民族主義という概念の回避469P
(下)
ゲルマン化と混血の否定31P――人種主義
国家は目的のための手段36P
少数者による支配44P
ただ一人の勝利者188P
国民の防衛で国家の防衛ではない211P
労働組合の必要を説くも方針が出せない 資本と労働者の関係が押さえられていない――空論284P  資本の活動に任せる、宗教も既成の二つに任せる 神の否定はない
マルクシズム批判として 自然の本能(自己保存能力)340P-----競争原理と自然淘汰というロジック 自然=神


posted by たわし at 04:24| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森村誠一『新版 悪魔の飽食 三部作』

たわしの読書メモ・・ブログ604
・森村誠一『新版 悪魔の飽食―日本細菌戦部隊の恐怖の実像!』角川書店(角川文庫) 1983
『悪魔の飽食―第七三一部隊の戦慄の全貌! (続)』角川書店(角川文庫)1983
『悪魔の飽食 (第3部)』角川書店(角川文庫)1985
この本になった原稿は、『赤旗』の連載から始まったようで、写真の誤用問題で批判が起き、歴史修正主義者などによって731部隊そのものがなかったかのような批判にまで至ったのですが、角川文庫版で新版として校正したものを出すに至っています。
 作者はそもそも売れっ子作家で、数々の小説をヒットさせていたのですが、これはノンフィクションとして出したシリーズです。本編(『新版 悪魔の飽食―日本細菌戦部隊の恐怖の実像!』)で輪郭を描き、「続」(『悪魔の飽食―第七三一部隊の戦慄の全貌! (続)』)で戦後の動きとアメリカとの裏取引を書き、第3部で被害者側の中国での取材旅行を書いています。
 日本が侵略と植民地支配の中で、数々の悪行をなしていたのですが、その極ともいえること。マルタ(丸太)と呼称した中国人・ロシア人捕虜や中国民間人を細菌兵器などの実験台にした事件です。ナチス・ドイツのアウシュビッツの強制収容所と並び称されるファシズムの悪行として歴史に刻まれていますが、戦後ドイツはアウシュビッツの強制収容所の反省をしているのですが、日本政府はこの問題にふれていません。そして、これはロシアがハバロフスク裁判で一部戦犯としてとりあげていますが、東京裁判では裏取引で米軍へその実験資料を渡すことで免責され、とりあげられず、731部隊で暗躍したひとたちが、戦後「研究成果」として臆面もなく論文などで発表し、それなりの地位を得ていくという事態さえ起きたのです。戦後医学界・薬学界で数々の医学倫理に反する事件や薬害などが起きるのは、戦前・戦中の731部隊を始めとする医学の途に外れることの反省がなかったからだとの指摘もされています。
 さて、大きな問題になった「続」での写真誤用問題です。第3部での巻末にことのいきさつが書かれています。これで、歴史修正主義者を始めとする植民地支配や戦争責任を軽視する、ないがしろにするひとたちから様々な攻撃をうけることになりました。このようなことは、「従軍慰安婦問題」や南京虐殺の問題でも起きています。そもそも歴史的事実の検証ということのむずかしさの問題があります。加害は小さく見せようとか被害は大きく見せようという心理が働くところに、証言者の注目を浴びたいとか、謝礼を求めての言動などもおきることがあります。そういう歴史の検証のむずかしさの上で、歴史的事実の隠蔽とか、そもそもなかったことにする策動という歴史修正主義さえ起きてきます。
またトランプ前大統領のような政治的意図をもって、「フェイクというフェイク」という意図的操作さえ起きます。結局、総体的・相対的とらえ返しとして事実関係を検証していくしかありません。そもそも、どのような立場で、歴史を検証しようとしているのかの立場性の問題があるのです。「第3部」の中国取材旅行では、「万人抗」での三光作戦(殺しつくす、焼きつくす、奪いつくす)についてもふれています226-35P。過去の戦争や植民地支配の歴史をどういうところでとらえ返そうとするのか? それについて、著者が現地で提起されたことばがあります。「前事不忘、后事之師」――「前の経験を忘れず、後の戒めとするという意味」160P。これが著者の反戦というところでの思いと共鳴したようです。
 さて、この著者の戦争や植民地支配に反対し、その中で起きた悪業を告発していく姿勢に共鳴しているのですが、いくつかおやっと思うことがありました。著書自身が時代制約性とその中でも個の主体性を問題にしているのであえて書くのですが性差別、障害差別的(「狂気」)などの差別の問題での総体的とらえ返しがなされているとは言い難く、愛国心などを否定し切れていないなど、国家主義批判も貫かれていないということもあります。
 最後に、この本を一連のファシズム論の論考の中で読んでいて、日本型ファシズムの成立モーメントのような事が、第3部の最終章の記述の中で浮かび上がってきました。天皇制、単一民族(という神話)・集団主義、民衆の反抗の歴史のなさ260P、このあたりもう少しまとめてみようと思っています。


posted by たわし at 04:19| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月25日

『情況 2020年冬 特集 連合赤軍 半世紀後の総括』

たわしの読書メモ・・ブログ603
・『情況 2022年冬 特集 連合赤軍 半世紀後の総括』情況出版2022
この雑誌は、とりあえず「特集」部分だけ読みました。わたしの宿題の一つに、「新左翼運動の総括」ということがあります。ただし、「新左翼」という場合、党派活動を指すとしたら、わたしの立ち位置からして、党派の総括をする位置にはなく、あくまで党派に参画したところでの「新左翼運動の個的総括」ということでしかないのですが。これは、この読書メモが掲載されている「反障害通信」の巻末で連載を始めます。
 連合赤軍・赤軍派当事者からもかなりの分量の総括が出ています。映像化されたものも出ていて、わたしもいくつかは見ているし、ここでも触れられているのですが、わたしが押さえ切れていないということもあるのですが、内容的に踏み込んだものは見えていません。いつもは、論攷に沿った対話をしているのですが、今回は論攷を内的に押さえ返す作業をしたところで、その総体的内容への対話を試みます。かなり、本論攷から離れたところでの深化の試みです。
 さて、いきなり本題に入ります。「『解放』91号(一九七二年三月十五日)において、連合赤軍問題を内在的な批判として捉えた革労協が、内内ゲバという連合赤軍の再版に至ったのは、同位地平ではないとはいえ、まことに残念というほかない。連合赤軍の教訓は生かされなかったのだ。」42Pという文があります。実は解放派はわたしが参画していた党派なのです。この号が出された時は、わたしはまだ接触もしていない時ですが、参画した後に、確かに連合赤軍の総括を新左翼党派総体で(とりわけ軍事を問題にする党派において)なしていく必要という提起を受けた記憶があります。ですが、その提起も内容的にきちんとなされたとは言い難いことでした。そもそも、共産主義運動、またそれを指向する運動総体の、運動論――組織論自体が問われていることで、武装闘争を展開したがゆえに、問題が如実に現れたとは言いえるとしても、単に武装闘争を展開した組織だけの問題でもないのです。この雑誌の特集も、いまひとつ、踏み込みがなされているとは言い難いことを感じてしまっています。
 この雑誌はそもそもブントの流れから出てきている雑誌なので、共産同赤軍派の総括を軸に話が進んでいます。で、森さんの組織の指導者としての資質のなさというような話に流れているのですが(笠井さんへのインタビューの「観念論的倒錯の病理」94Pという話など)(註1)、それは組織総体の関係性の問題、そして路線の問題、というところから規定されているのです。個人が組織の中で「指導的」位置を占めていくこと自体に、その組織の「体質」とかいう言葉であらわされる関係性や、方向性があるのです。それを「個人の資質」とかいうところに収束させることは誤りです。確かに一つのモーメントではあるのですが。
さて、運動的問題組織的問題として押さえたところで、項目を挙げて具体的に押さえる作業をしてみます
運動論的組織論的問題からとらえ返す
(1)組織の物神化
前衛党を自称する党・党派は往々にして組織の無謬性の論理に陥り、教条主義や組織の絶対化に陥ります。いわゆる組織の物神化と言われることです。組織は運動のための組織なのですが、組織のための運動という逆転に陥ります。それは同時に、指導する者――指導される者という分業的な事が起き、権威主義的指導態勢に陥ります。また対話が成立しない中で上意下達的組織に陥ります。そのような中で、軍事的展開をする党派は、受ける弾圧が強まる中で、組織からの離脱による党派解体の危機とまた転向者の情報露溢やスパイ化という中で疑心暗鬼に陥り、査問というところでの暴力の行使に始まり、党内闘争というところでの暴力の行使や、自己批判要求の中での暴力の行使が起きてきます。そういうことが日本共産党の戦前・戦中の査問事件や立命館事件といわれる自己批判要求での暴力の行使がすでにあったのです。それは、新左翼運動ではブントの7・6事件という監禁・自己批判要求としての暴力の行使としてありました。このあたりは党内闘争・党派闘争において暴力は行使しないという原則を打ちたてる必要があったのです。
そのことは軍事を問題にする党派は、力の論理――強者の論理に陥り、そこで軍事的にも展開するという負のスパイラルに陥るということに端的に表れてきます。
そして、政治党派が何を目的にして活動しているのかが曖昧になります。また、今日議会政治においても、何のために政治家になったのかが曖昧になり、「首相になりたい」とかいう、権力掌握願望とか名誉心が自己目的化することにも現れています。そもそも議論・対話が成立しないということがあります。そして、議論がやっつけ主義的屈服させる手段に陥っていくのです。
このあたりは、(3)で展開する路線論争にも繋がっていきます。対話のなさということは、中央集権制と分派の禁止という、レーニン主義の問題ともつながっているのです。
もうひとつ、押さえて置きたいことは、これらのことが原理原則というようなこととしてとらえられ、政治が持つ必要悪のように捉えられていくことがあります。
 最後に、物神化ということで如実に表れていることとして、おやっと思える文に驚きました。左翼の間には、神の否定・絶対的なものの否定ということがあるのですが、「その後続世代は、三無派(無気力・無関心・無責任)あるいはシラケ世代と呼ばれたものだ。かくして「革命」という「神」が喪われた。これは意志が求められる「善悪の彼岸」(ニーチェ)だった。」8Pとあります。ニーチェの「神は死んだ」という言葉にひっかけたのですが、「「革命」という「神」」というような設定をしていくと、まさに宗派になっていくのです。組織の物神化ということにもリンクしていきます。
(2)指導部の資質・・・革命家としての自己確立の脆弱さ
 連合赤軍の「総括」という名のテロ・リンチを見ていて、個人の資質ということに収束してはならないという話をしたのですが、そもそも「総括」ということは自己批判ということの他者からの要求ということが自己批判ということの取り違えなのです。それでも、テロ・リンチを主導した二人、森さん・永田さんという二人自身が自己批判すべき事を抱えつつ、それを棚上げして他者の自己批判を強要していたという錯誤があります。革命家(「共産主義化」(註2))として自己確立していくところの「自らの総括をなしえていない」ということがあったのです。森さんは過去の逃亡の総括をなしえていず、そこでの負い目や「総括」が自分に向かってくるのではというところを他者追及にすり替えていたのではないかと思えるのです。永田さんは、後に総括をフェミニズム的なところからなしていくのですが(註3)、反差別運動と階級闘争の関係で言われる「自らの抱えさせられてきた被差別に対して闘えないものは階級闘争も闘えない」(註4)というテーゼに示されるように、女性同志に対する「自己批判要求」のようなことにシスターフッド的なことのかけらも、そこからのきちんとした提起にもならなかった、屈折した感情的なものになっていったのではないかと感じています。
(3)路線の問題
 さてそもそも「情況分析の誤り」ということがありました。東大闘争をメルクマールとして、革命の情勢は敗北的局面として現れていました。赤軍が出していた前段階武装蜂起論など、ここで書かれている三無主義(無策・無謀・無展開)になっていたのです。このあたりはこの雑誌で、「レーニンのバクーニン主義的性格」118Pと指摘されていることでもあります。おまけに「力への意志」とか「暴力目的的肯定」120Pとか手段が目的化していました。
 このあたりは、更にとらえ返すと、そもそも武装蜂起――権力の奪取――プロレタリア独裁という図式が現在的に有効なのかという問題になってきています。組織論的にはレーニンの外部注入論的なことへの批判もなされています。その後の赤軍派は内容的に三つの流れがでているようです。ひとつは、従来の路線を周到すること、二つ目は、武装闘争の撤回、三つ目は、一と二の折衷。そして、思想的にはブントの多くが毛沢東思想の影響下にはいったように、スターリン主義の総括からの離脱にもなっています。
 このあたりわたし的には、レーニンとローザの論争を押さえつつ、マルクス――レーニン主義批判へと進みたいと考えています。
(4)暴力主義と反暴力主義
 7・6の無節操としかいいようのない暴力的展開、「暴力の肯定」120Pということが怒りを引き出すという所での暴力的展開へいった面があるとしても、また実力闘争と武装闘争の違いということがおさえられなかったこと、そもそも日本の反戦といわれていることも革命戦争を否定しないところで、中身的には反戦ではなく反帝119Pであったことなどが、その無節操の背景にあります。そもそも武装蜂起革命論ということのとらえ返しが必要になっています。 
いうまでもなく、反差別というところからの反暴力主義が必要で、また少なくとも党派闘争、党内闘争における暴力の行使の否定の原則が必要だったのです。
 最近、非暴力主義ということが言われています。この雑誌のなかでもとりあげられているガンジーの非暴力主義や聖書の「右の頬を叩かれたら左の頬を出せ」という論理は反暴力主義ではなく、暴力の否定にはならないのです。
(5)共産主義化
 これはきちんと展開されていません。中身なしの空論になっていて、だからこそ、逆にテロを手段として、「共産主義化への援助」なることが言われていたのだと思います。共産主義化の中身の一つとして反差別があることを押さえれば、「共産主義化」ということで、差別の極としての暴力の行使などありえないはずだったのです。 
 共産主義論からとらえ返す
 前項の最後で挙げた「共産主義化」ということが、総括のひとつのキーワードになっているとわたしはとらえ返しています。その中身をとらえ返す作業をしてみます。共産主義運動、厳密にいえば共産主義を志向する運動の在り方を巡る問題です。
(イ)運動や関係の在り様が、運動が目指している将来の関係の有り様を内包し示している
 これはパリ・コミューンが体現したこととしても言われてきました。差別のない関係、分業の止揚とりわけ決定からの排除をしないこと。ちゃんと対話がなされていること。
(ロ)組織の物神化に陥らないこと
 運動のための組織であって、組織のための運動ではない。組織の無誤謬性の論理に陥らないこと。絶対化・教条主義化しないこと
(ハ)共産主義者には国境がない
 差別排外主義に陥らないということと、国家主義批判として突き出されていること、これはとりわけスターリンの一国社会主義批判として出されてきています。
(ニ)差別的なことを止揚している、止揚しようという姿勢を持ち続けていること。
つねに対話している、しようとしてること。共産主義の基底としての反差別。共産主義者の指標としての反差別の立場の確立(註4)。
 その他留目すべきこと
実力闘争と暴力主義を宣揚する闘争の違いということがこの雑誌でとりあげられています。このあたりが反暴力主義のひとつのヒントになるでしょうか?
 そのことは実力闘争における民衆の自然発生的展開と組織の暴力の組織化というようなことの違いの話になっていきます。民衆の自然発生性への依拠と拝跪の弁証法として展開されることかもしれません。
 さて、ひとつ気になっていたこと、それは笠井潔さんがインタビューを受けて記事化されているのですが、またこのひとはマルクス葬送の流れに乗ったとわたしは押さえていたのですが、なぜ、このひとがこの雑誌に出てきたのか分かりません。「病理」だとか、植松と詫間107Pの違いと同一性の展開など、どうもピントが外れています。植松は優生思想へとらわれそれを展開したひと、詫間は弱い子どもを標的にしたサディズム的な犯行です。どちらも差別の構造の中で起きた、犯罪の社会モデル的観点から批判していくことなのですが。

(註)
1 永田さんは自身のフェミニズム的総括からなすということをしています。どちらにしても活動家として、総括をきちんとなえていず、そこで活動家としての自己の確立に問題があったところでの矛盾の噴出としての事件なのです。これはおそらく二人だけでなく、構成している個々の活動家にも言いえることなのだとも推測されます。そのことは事件的なことだけでなく、組織活動総体についても言いえること。そのことはわたし自身の体験でもあります。
2 これについては「共産主義論からとらえ返す」を参照。
3 具体的には、京浜安保共闘の指導者からレイプを受けて、それを告発し得なかったこと。
4 これはわたしが参画していた組織で提起されていたこと。他党派にも及んでいた提起だったのでしょうか?

 特集と別に気になっている記事・論攷がありました。別の読書メモにしようかとも思ったのですが、簡単にメモしておきます。
・「インタビュー 保坂展人 日本のアジール運動の源流、青生舎」
 保坂展人さんは、全共闘運動の流れが起きる中で、「麹町中学全共闘」とか言われていたところで、中学生時代から反乱の時代を生き、内申書裁判を闘ったひとです。後に社民党の国会議員を経て、世田谷区長を務めています。
 アジールというのは「避難場所」とかいう訳もあるのですが、ひとつの支配体制に対峙する共同性の空間という意味になるでしょうか? ここではアジール的なドイツのスペース運動の話も出ています。世界的には、オキュパイ運動とかいわれていることで、保坂さんはアジールとして青生舎という運動展開をしています。編集者が今回の特集との関係で、武装蜂起――権力奪取型の運動とは別の形、アジール的な空間を作り出す運動として示したのかもしれません。
・小椋哲「コロナワクチンを打たない理由」
 小椋さんは精神科医で、臨床医としてワクチンを打つ圧力がかかるなかで、「打たない」ということを続けているのです。で、ワクチンの副反応についてとりわけ、中長期的なおそれという論攷を4点示しています。
もうひとつは、仮説としてコロナワクチンそのものの効果ではなくて、既に接種しているBCGワクチンやインフルエンザワクチンとかの他のワクチンの効果ということも含めて自然免疫力ということの獲得があったのではないかという仮説を出しています。
このあたりの議論、専門知識のないわたしの立場から、どうしてきちんとした対話として深化していかないのか、よく分からないのです。そもそもよく分からないことがあるとしても、議論が進まないままにされていることが分からないのです。
わたしはワクチン一本足打法とか言われるようなことやきちんと政策をもたないままことなかれ主義的に右往左往する、やっているふり政策のようなこと、情報操作のようなことを批判しています。接種後の死者が、コロナ死の死者の5%を超えているワクチン、また中長期的な副反応の議論もきちんとなされないまま、推奨や努力義務にし続けていることも分からないのです。そして、20世紀までの科学知でしかない因果論的なところで、ごまかしの情報操作を続けていることに疑義を呈してきました。政治家たちは、そもそもウィズ・コロナなどと言って、無策に開き直っていることもあります。そうこうしているうちに、戦争まで始めました。そんな政治をいつまで続けさせるのか、根本的な転換が必要なのだと思っています。


posted by たわし at 23:20| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中原一『中原一著作集 1〜3』

たわしの読書メモ・・ブログ581
・中原一『中原一著作集 1〜3』 編集委員会 1978
この本は、576の岩井さんの本、579『滝口弘人著作集』に続く、階級闘争・共産主義的運動の個的な総括的な学習、そのことを通した、わたしが参画し、党派の運動の末端で動いていたわたしなりの個的総括、そして、もっと言えば新左翼運動の総括の学習の続きの第三弾です。
著者は解放派を牽引したひとで、このひとは解放派の基礎作りをした滝口さんとは違ってブントから流れて来たひとですが、滝口さんの論を深化・整理しています。解放派の理論にローザ・ルクセンブルクの影響があるとされているのですが、それは、むしろ滝口さんの方に強く、滝口さんもレーニンのとりいれをしていたのですが、中原さんはレーニンとも対話の中で、ローザの理論の整理されていない面を整理し、深化させた論者です。ただし、ローザそのものとの対話はほとんど出てこないし、深化しての展開もありません。解放派は、ローザ的な自然発生性に依拠する運動的になっていたのですが、かれはむしろそれを批判し、滝口さんの書いた三論文の批判に踏み込んでいます。いわばザ・組織者ともいえる位置にいたひとです。
彼は、革マル派よって1977年にその命を絶たれたのです。従って、それ以降の文はありません。彼が生きていたら、解放派の運動や理論的が、どうなっていただろうと思わせる位置にいたひとです。
さて、この本がだされて40余年、著者は「今だから言える」というような議論を批判しているのですが、あえて、そのような内容も含んで、解放派の理論をわたし個人の現在的とらえかえしとして試みます。文の引用記載は極力はぶき、わたしがとらえ返した内容に対する対話の試みです。すでに出版された順番は逆になっているのですが、滝口さんの著作集との対話も含めた論攷にします。
  
プロレタリア革命
マルクスへの原点回帰としてこれは出てきています 
マルクスの第一インタナショナルは「労働者の解放は労働者階級自身の事業である」という突き出しをしています。これを継承したのはローザ・ルクセンブルクですが、レーニンは少数の職業的革命家による前衛党による革命を継ぎ足しました。ローザが外部注入論と批判したことです。解放派の原点「No.6」では、マルクス――ローザ的な原点確認をしています。ただ、レーニンを全否定はしていません。それを中原さんは、きちんと論点整理を試みています。ただ、わたしにはそれがうまくいっているとは思えません。それについては後述します。

プロレタレア階級形成論 
・反合闘争と分派闘争と行動委員会運動 
 反合理化闘争と行動委員会運動を通した分派闘争論を展開しています。行動委員会というのは、反戦青年委員会のような総合行動委員会や反差別の課題別の行動委員会、さらには具体的な課題での行動委員会があり、それらの闘争を通じた階級形成や政治闘争の前進ということが、解放派のひとつの運動スタイル――基調としてありました。
・社会運動と政治闘争の結合
 これはそもそも国家と市民社会の分離という初期マルクスの提起から、社会運動と政治闘争をどう結合していくかの論議が解放派独特なものとしてあるのですが、そもそも初期マルクスのこの分離が、国家独占資本主義段階において、政治の経済への介入の事態で、この分離ということへの批判が起きています。ただ、それでも労働運動的なところと政治闘争との結合と言うことが、行動委員会運動などで結びつけていく運動なのです。

反合理化闘争
良い合理化・悪い合理化というところで、労働強化につながる合理化だけが悪い合理化で、これについて闘うという戦略も出てきていて、こちらの方が多いようなのですが、解放派はそもそも合理化自体が、資本主義が生きのびるための戦略であり、合理化そのものに反対するという方針を立てました。
これはグローバリゼーションということで、ネグリ/ハートが『<帝国>』で展開したことです。ネグリ/ハートは、グローバリゼーション自体が革命の可能性を高めるとして否定しないとしているのですが、そもそもグローバリゼーションということの中身の問題でとらえ返す必要があり、新自由主義的グローバリゼーションや<帝国>的グローバリゼーションには良い面と悪い面があるというようなことではなく、それ自体を否定することです。ここで誤解のないように書いておきますが、福祉を世界的に広げるグローバリに広めるという意味では、勿論歓迎することなのですが、わたしはこれらを区別するために、「障害者運動」の基本的方針としてあるユニバーサルデザインの考え方から、この場合はグローバリゼーションではなく、ユニバーサリゼーションということを提起しています。
実は、この反合闘争の考え方は、『資本論』の相対的剰余価値の増産ということとリンクしていて、そのことの生産性向上運動批判は、「障害者運動」での労働力の価値ということでの資本主義社会での根源的矛盾としての差別批判として、労働力の価値というところにおける差別を問題にしています。さらに広くひとを価値付けることへの批判として、優生思想の批判とリンクしていく、階級闘争と「障害者運動」――反差別運動を結合させる大切な運動――闘いなのです。

反革命戦争論 
これは戦争規定の中核派などの侵略戦争論の批判として出てきています。東西冷戦構造の中で、「帝国主義」間の世界戦争という選択肢が出てこない中で、資本主義か社会主義かということ、すなわち革命か反革命かいうところでの戦争となっているというところでの、世界的には資本主義に支配されている中でも、革命勢力が出てきている中で、それを抑え込む戦争という性格としての反革命戦争論です。
わたしはこれにちょっと違和がありました。これを、あえて「今だから言える」という議論として出してみます。
まず、<帝国>側の攻撃にさらされている「後進国」は現実に軍隊による攻撃を受けるわけで、それは実際に侵略になっていて、その侵略からの解放闘争として展開しているという側面があります。このことは、滝口さんも中原さんも「侵略」という言葉を使っていて、侵略という性格を全否定しているわけではありません。この問題は、サイードが、『オリエンタリズム』で展開した西洋中心主義批判ともリンクし、逆の立場からとらえるとどうなるのかという問題ともリンクします。
もうひとつ、体制間戦争論としての反革命戦争論は、そもそも「社会主義国」と言われる国が社会主義なのかという問題があります。わたしはロシア革命はプロ独から社会主義への移行に失敗し党独裁になり、新経済政策になった時点で国家資本主義と規定するものになったと押さえています。それはレーニン自身もネップ以降のロシアを国家資本主義と規定していたことにも通じています。そもそも、「裏切られた革命」として批判していたトロツキー自身が、スターリン体制下のロシアを、それでも労働者国家規定していて、資本主義体制と同等に批判しないとしていたことも問題にしていかなくてはなりません。国家資本主義の覇権国家としてとらえたとき、冷戦構造下で覇権国家同士の戦争は起きにくいとしても、そこで起きてくる戦争は、革命と反革命の内容を歪んだ形で孕んでいるとしても、単純な革命と反革命のせめぎ合いではないので、反革命戦争論というのは妥当なのでしょうか?
残るはまだ「社会主義」を表面的に(政治的主張として)捨ててない中国の問題です。ただ、ケ小平の「先富論」などをとらえると、国家資本主義の道を突き進んでいたのです。習近平になって、「社会主義」性を突き出しています。しかし、経済が市場経済=資本主義で、政治が「社会主義」というのは、マルクス唯物史観に反しているのです。まさに、これも国家資本主義の覇権国家といわざるを得ないのです。
今日の戦争を反革命戦争と規定していくと、もうひとつの問題があります。それは今日的には、<帝国>の戦争は、対テロ戦争を含んでイスラームとの闘いになっているのです。イランのホメイニを懐いた政変の時、イラン革命という分析を解放派も出していて、わたしもそのようなことにいささかの疑問を持ちつつもその主張に乗っていたのですが、これはマルクス的な意味での社会主義的な革命ではなく、その後の湾岸戦争やイラク侵攻、アフガン侵攻、イスラム国との戦争、対テロ戦争で反革命戦争規定をなし得ないのです。

前衛――革命的労働者党――統一戦線――共同戦線
さて、解放派の組織論は運動を通じた組織化方針で、それがこの「前衛――革命的労働者党――統一戦線――共同戦線」論として突き出されています。これは反合理化闘争論ともリンクし、行動委員会運動という形態での共同戦線的運動の展開の中で、統一戦線の形成から、プロレタリア階級形成のなかで、プロレタリア革命のための革命的労働者党の形成としてすすめいくという提起です。ここで、前衛の問題が出て来ます。これについては、後述します。

暴力革命論――革命戦争論
合理化論のところで、良い合理化・悪い合理化という論を批判したのですが、戦争においても良い戦争・悪い戦争ということがある筈がないのです。だから、基調として暴力革命論を突き出していくのはおかしいのです。現実的にファシズムのテロ攻撃や革命過程での右翼のクーデターはかならず起きます。それにどう対処するかは立てなくてはならないのです。尤も、共産党が昔だしていた「敵の出方論」などは、出てきてから考えるでは潰されてしまうということで、受けいれられません。
これも、「今になって言えること」の類いです。当時は、矛盾への怒りを暴力的に組織化していくという方針があり、そのような暴力性への共鳴もありました。そこで、差別自体が暴力であり、国家権力という暴力支配体制があるところでそれに対する闘いの暴力性を否定できないという論理です。また、日々の死にゆくひとたちを救うという目的のために、「目的のために(全面的に)手段を選ばない」=暴力革命論とはならないとしても、暴力行使を否定できないという論理です。
これに関しては反差別というところから当然出てくる反暴力主義の原則を打ちたてつつ、そもそもキリスト教の「右の頬を叩かれたら左の頬を出せ」などいうことが、闘いにおいて立てられないのですが、それにしても余りにも「目的のために手段を選ばない」式の安易の暴力が行使されてきた歴史が、わたしたちが何をしようとしているのか自体を曖昧化させてしまった歴史をとらえかえさなければなりません。
もうひとつ、マルクスからレーニンの時代に適用された、武装蜂起――権力の奪取によるプロレタリア独裁権力の樹立という図式が現代的に描けるのかどうかということも問題になっています。
これは党派闘争論ともリンクしていきます。これは後述します。

自然発生性への依拠と拝跪の弁証法
ローザが一番評価されるのは、労働者階級の自然発生的エネルギーに依拠した運動を展開しようとしたこと、そして一番批判されるのは、労働者階級の自然発生性に依拠するということのその裏返しとして、自然発生性に拝跪するようになっていて、とりわけ組織論がない、と批判されていました。1919年1月ドイツ革命の敗北とローザとカール・リープクネヒトが虐殺され、武装蜂起が失敗したことで、ロシア革命に成功したレーニン/トロツキーと失敗したローザという対比で、マルクス・レーニン主義的な組織論が主流派になっていったという歴史性があります。そのマルクス・レーニン主義ということはまさにスターリン主義にリンクしていきました。そして、ソヴィエト連邦の崩壊から東欧諸国の「社会主義」の崩壊、いやむしろそれらの国が「社会主義国家」でもなく、国家資本主義に過ぎなかったという押さえになっているとき、改めて自然発生性の依拠と拝跪の問題を弁証法的にとらえ返す作業が必要になっているのだと思えます。これも滝口さんの依拠的な処の強さと中原さんの拝跪批判とが如実になってきているところです。

ローザのレーニン批判、とりわけ外部注入論批判 
ローザのレーニン批判の核心は外部注入論という組織論批判です。外部注入論は第一インターナショナルでのマルクスが突き出した「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」という規定の否定の内容をもっています。ただし、ローザ自身も出身階級は小ブルインテリゲンチャで、前衛論を否定していないし、ローザが党を牽引したら、外部注入論と何が違うのかという疑問が出てきます。そして、ローザには組織論がない、希薄だという批判の問題ともリンクしていきます。この矛盾を解くには@革命主体をプロレタリア階級だけにしない――プロ独の否定A前衛党による革命という概念を否定する、ということどちらかをどちらも選択するということがあります。@は、そもそも「ロシア革命」も労農独裁として出発したし、小ブルインテリゲンチャが指導する革命です。「中国革命」は貧農に依拠する小ブルの指導する革命としてあったわけです。Aに関しては後述します。
その他、ローザとレーニンの論争は、民族自決権をめぐる論争があります。これについては、滝口さんも中原さんもふれていません。それは差別問題のとらえ返しの欠落、希薄ということなので、最後の項目でとりあげます。

分派闘争論
分派闘争と加入戦術論との違いからとらえれば問題がそれなりに浮かび上がります。
 解放派も加入戦術論をとっていた、と分析しているひとがいるのですが、滝口さんも中原さんも分派闘争として規定しています。加入戦術論は自分の分派の存在を隠す陰謀主義的であり、それに対して分派闘争論は、分派を明らかにして党形成していく方針です。そもそも別党コースをなぜとらないのか、それは、そもそも圧倒的多数の革新政党がありそれを放置したまま党形成はなしえないというところで立てられた党建設論なのだと思います。これは、ローザがドイツ社民党から離脱しない、また独立社会民主党とも即分離しなかったことにも通じています。当時、既成政党を除いて党形成がなしえなかった、そして社会党や共産党も労働組合への影響力をなくしていたというところで、立てられた方針だったのだと思います。ただ、わたしは党でのせめぎ合いに集中し、そもそも労働組合に対する働きかけが弱かった、欠落していたのではないかと思えるのです。

小ブル急進主義批判
さて、さかんにブントや革命的共産主義者同盟中核派を小ブル急進主義と批判しているのですが、それは労働者を革命主体とした労働者の階級形成の中で、「革命的労働者党の建設」を謳い、そのような観点のない「小ブルによる革命でもいいんだ」とした上でその急進性に依拠するような活動をし、小ブル的運動が武装闘争・軍事展開に踏み込んでいるのですが、暴力革命論の評価はここではさておきますが。どうも労働者階級の階級形成とバランスがとれていず、解放派自身も小ブル急進主義に陥っているとしかいいようがありません。そもそも、前衛党を労働者革命党の前に、即ち前衛としておいていて、それは共産主義者=革命的インテリゲンチャでもいいんだとおいているところで、小ブル運動になりかねません。このあたりは、前衛党論で問題にしています。

党派闘争論
中原さんは党派闘争で他党派解体という突き出しをしています。もちろん、党形成とたてるからには路線論争があり、他党派の路線を批判するのは必然です。しかし、共同戦線論を出しているので、一緒に動きながら互いに方針を検証し合うという事になるのだと思います。このあたり、自らの組織は絶対正しいのだという組織の物神化に陥っているのではないかとも言いえます。共同戦線論が死んでいるのです。中原さんの他党派批判を見ていると、内部文書的なことでの批判でもあるのかとは思いますが、これでは共同戦線が成立するのかという批判のし方になっています。
そもそも、共同戦線的に関係を作る場合、党派闘争に暴力を行使しないという原則が必要ですし、また党内闘争においても然りです。このあたり、そもそもかつて唯一の左翼であった日本共産党がそもそも党内闘争でゲバルトを行使するということがあったし、日本共産党の戦前の査問において暴力を行使し死に至らしめたという歴史や、戦後においても立命館事件において党内闘争で暴力を行使したという歴史があります。
それらの中で、党派闘争・党内闘争での暴力の行使がまん延していた歴史があり、そういう中で自らは運動をしないで、運動をする党派をゲバルトによって潰すという革マル派が登場してきた歴史があります。改めて、党派闘争・党内闘争でゲバルトの行使をしないという原則を確立するとともに、反暴力主義の原則を立てることだと思います。

共産主義者前衛論 
・この論の始まりと矛盾
この共産主義者前衛論は「通信委員会」という形で始まったようです。共産主義的に自らを鍛え上げつつ、それを前衛として分派闘争をなしつつ、革同への働きかけの中で党形成をしていく、という中で前衛ということを設定しています。これまでの前衛論、他党派の前衛論は、前衛党論でした。解放派の党は革命的労働者党で、前衛とは別です。前衛は党に内在する共産主義者として規定しています。前衛はプロレタリアートではなく(プロレタリアートを含むとしても)共産主義者ということになっています。これでは、革命の主体は共産主義者ということになります。レーニンの外部注入論とどう違うのでしょう? 実際にこの前衛の組織性格はそっくりレーニン的組織論になっています。 
実は、この前衛として設定しようとした「通信委員会」は革命的労働者協会――これは労働者革命党の前段的組織です――を作り上げた時点で消えています。これは、どうも余計なもの、「蛇足」の類いのことではないかと思わざるを得ないのです。勿論運動の核を作るというところで意味はあるのですが。
・マルクスの衝撃 
 さて、中原さんで、この共産主義者前衛論が出てくるのは、マルクスを共産主義者と規定するところから始まっています。マルクスもそもそも階級的に小ブルインテリゲンチャでした。そのマルクスが共産主義者になったのは「論文『プロイセン国王と社会変革――一プロイセン人』(『フォルヴェルツ!』第六〇号)にたいする批判的論評」という文書の中にある「シュレージエンにおけるプロレタリアート蜂起による衝撃力」と言われていることです。これは一度別稿としてとりあげます。
・前衛論
さて、共産主義前衛論なり前衛党論とおいたときに、わたしの反差別論の立場からして、共産主義者の規定のひとつとして、「あらゆる差別的意識から解放されていること」という規定があります。そういう意味で、資本主義社会という差別なしには存在し得ない社会で、「共産主義的」とか「共産主義志向の」とかはあり得ますが、「共産主義者」というのは唯物史観的にありえるのでしょうか? 実際に反差別運動からとらえ返すと、党や党派は前衛ではありえず、前衛は、その被差別課題で反差別運動を進める当事者組織でした。労働者階級も生産手段の所有からの排除と労働力の価値を巡る被差別があり、そこでは革命的労働者党は前衛たり得るのですが、個別被差別では、むしろ後衛であり、差別を対象化できないマルクス・レーニン主義の党は、むしろ差別する側として登場してきた歴史さえあるのです。そもそも、前衛――大衆という図式さえ差別的なのです。ローザさえ、またこの図式から抜け出せていませんでした。
・プロレタリア独裁論(革命のエネルギー)
さて、反差別という立場からとらえると、プロレタリア独裁論ということではやっていけないのではないかと思います。そもそも「独裁論」というのは、資本主義社会をブルジョア独裁と規定することと相即的に出てくるし、ファシズム論の「全有産階級の全体主義的・国家主義的突撃」ということと区別することから来ているのですが、前者に関しては、小ブル党派や社民との連立政権などが出てくるに及んで、もはやブルジョア独裁という概念が有効なのかと思わざるをえません。
また、革命主体も現在的にローザの「継続的本源的蓄積論」のとらえ返しから、差別ということが前面にたって来ている情況からして、反差別運動ということが革命での重要な位置を占めてきます。このあたり、そもそも「ロシア革命」も労農独裁として出発したし、中国も貧農に依拠する「革命」でした。今日、ネグリ/ハートの「マルチチュード」概念やスピヴァックの「サヴァルタン」概念などが出てくるにあたって、プロレタリア独裁という突き出しなく、「労働者階級が先導する反差別者の独裁」という規定になるのではと考えています。
・闘いのエネルギー
中原さんは、滝口さんの文から闘いのエネルギーが分からないとしています。滝口さんは、学生のエネルギーふたつのことを書いています。ひとつは、それぞれに矛盾を抱えていてそれをエネルギーとして闘いに決起して、闘っていくこと。もうひとつは、正義感のようなことです。わたしは前者を反差別論がとらえかえす作業をしています。これも後述。

疎外革命論批判 
日本は世界的にもスターリン批判が先行的に進んだといわれています。それはマルクスの『経済学・哲学草稿』の評価として出てきた主体性論争として展開されたといわれています。このことが新左翼運動の出発点になっています。ただ、『経済学・哲学草稿』の評価として、これはフェイエルバッハへの批判の過渡期にあるとして、フェイエルバッハを超えた『ドイツ・イデオロギー』との間でマルクスの転換を指摘する廣松渉さんなどの指摘があります。これは、中原さんが疎外論から物象化論へという廣松さんの指摘をとらえ返したブントの論攷を批判しているのですが、廣松さん自身の対象化はなしえていないようです。中原さんは、革命的共産主義者同盟の疎外革命論的なところを、西田哲学・田辺哲学まで遡って批判しています。ただし、『経済学・哲学草稿』自体の限界性をおさえていません。別な言葉でいえば、フェイエルバッハの限界、すなわち類的人間論などの「本来的人間」像的なとらわれの批判まで至っていません。このあたり、わたし自身、廣松さんの読み直しによる「廣松ノート」の作成によって深化した検証をなしたいと思っています。

反差別運動の欠落
・差別問題の対象化の欠落・希薄
 滝口さんの著作集、中原さんの著作集を通して、途中から部落差別の問題を対象化しようということはありますが、ほとんど差別の問題の対象化がありません。あの有名なローザのレーニンとの対話としての民族自決権を巡る論争にも何も触れていません。ローザの『資本蓄積論』について否定的な意見を中原さんが触れようとしていますが、具体的な内容展開がありません。これも「今だから言える」話になってしまうのですが、ローザの「継続的本源的蓄積論」が差別の問題でキーワード的になっていることからすると、反差別の対象化の欠落となっています。まあ、余りにも無い物ねだりのはなしではあるのですが。
・差別=階級支配の道具論
 さて、レーニンの差別の問題の押さえは、「差別=階級支配の道具論」でした。これはローザにも出てくるし、解放派の機関紙にも出ています。わたしはこれが、党派の「差別の政治利用主義」の核心になっていると思っています。すなわち、階級の問題も、「生産手段の所有からの排除と労働力の物象化の中での価値付けという差別」なのです。これを押さえないから、「差別=階級支配の道具論」となるし、差別問題の政治利用主義に陥るのです。これも中原さんの著作には書かれはいません。滝口さんの内糾闘争の総括の中で問題になるのですが、このことにまで触れられていません。
・プロレタリア革命とおく意味
さて、わたしは「共産主義運動の基底としての反差別運動」という突き出しをしています。では、「プロレタリア革命論は活きているのか?」という問いかけが出てきます。
資本主義社会の存在矛盾をとらえ返すとこの社会の差別問題が、「生産手段の所有からの排除と労働力の物象化の中での価値付けという差別」の問題に収斂される傾向をもつとなります。アメリカの公民権運動で一定の勝利を収めたときに、ルーサー・キングが「さあ、これからは貧困問題だ」といった話にも通じていきます。
差別の問題の多くはマイノリティの問題、もしくは女性――男性における関係という数的同等の問題ですが、唯一のマジョリティの問題が労働者階級の問題です。そして、東西冷戦構造の中でも、今の社会を資本主義に規定される社会とおいたように、革命はプロレタリアートの先導する革命と規定できるのだとは思います。もちろん、「継続的本源的蓄積論」が明らかにしたように資本主義は差別ということなしに存在し得ないこととして、反差別運動が大きな意味をもっているのだと言いえます。


posted by たわし at 22:58| 読書メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする